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本で読んでも、人の話を聞いても、行動するかしないかによって大きく分かれてきます。大半の人たちは知っただけで終わってしまうのかもしれません。私は体験を重要と考えていますので、良いと思ったら即行動するようにしています。1日や2日だったら違いはないかもしれません。しかしその習慣が5年10年と続いたら大きな違いになります。 人に使われている人は分かりませんが、多くの経営者、その中でも特に元氣の良い会社の経営者は、即実行の人たちが多いのではないでしょうか。知っていてもやらないと、時代に乗り遅れ、経営困難やがては倒産に結び付いてきます。現代は特に変化の速い時代ですので、過去のやり方にこだわっていると、経営が成り立ちません。 知人から雑木の話を聞きました。最近は山に雑木を植えているとのことでした。かつては杉やヒノキを植え建築材として有効利用されました。しかし時代が変わってきて、環境問題が重要視されるようになってきました。 5年位たった雑木を切ると、直ぐに切り口から新芽が出てくるそうです。とても生命力があるので、どんどん成長し、水と空氣のために大きな働きをしてくれるそうです。幹を切ることが大切なようで、生きようとする生命力のスイッチが入るのかもしれません。 良い条件で素直に育った木は、何もなければ大丈夫かもしれませんが、予期しないことが起こったとき、一番最初に倒れるのかもしれません。どのような状況でも、生き残ってきた木々には生命力があります。会社も同じです。 現代は変化が激しく、不安の材料の多い時代かもしれません。しかし生命力のスイッチを入れるのには、とても良い時代なのではないでしょうか。精いっぱい生きていれば何とかなります贅沢を言わなければ何とかなるから大丈夫きれいにおつかいいただきありがとうございました以前のトイレに書いてあった言葉は、「汚さないように使いましょう」と注意の形でした。これは利用者が汚すことを前提に書いた言葉です。汚さないように使ってもらうのではなく、汚れていたら直ぐに掃除をすれば、汚す人は自然に減ってくるようです。最近の表現は変わってきています。誰でも、ほめられた方が気持ちがいいものです。
2008年01月31日
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午前中、栃木県宇都宮市の陽東地域コミセンで講演をしてきました。人数は少なかったのですが、皆さんが真剣に聞いて下さいましたので、とても話し易かったです。 その後、茨城県筑西市の父の入院している病院に行ってきました。主治医から話を聞くことが出来ました。病状は心配なく、今週の土曜日か来週の月曜日には退院が出来そうです。心配をお掛けしました。脳梗塞ではなく、軽い「てんかん発作」だったようです。88歳になって初めてのことです。生きているといろいろ経験するようです。 父は歳相応以上の認知症が出ているため、数時間前の出来事をあまり覚えていないようです。もちろん発作があったことも、救急車で運ばれてきたことも記憶にないようです。だから何もなかったかのように、平然といられるのかもしれません。頭がはっきりしていたら、心配で大変かもしれません。何がいいのか分かりません。新陳代謝呼吸から教えられること吸ってばかりもいられない吐いてばかりもいられないこの当たり前のことが 分からない私私の体は新陳代謝が行われいつも古いようでいて常に新しく変化しているそれなのに何故いちど手にした過去のものに こだわるのか無くなったら大変と無くなる前から心配している私生きているということは変化にまかせ今日を味わうこと見えない車輪私の体には左右にふたつの車輪がありますひとつは聞法(もんぽう)の車輪いわゆる真理を求める心もうひとつは実践の車輪このふたつが一緒に動けば無理なく前進しますもしひとつのが 動いていないとき懸命に動かしてもただ同じ所をぐるぐる回るだけスピードを上げるほど 目がまわりやがて自分の方向さえ見失ってしまいます現在の私はたとえ右や左へと不慣れな動きでもそのうちきっと無理なく進めるだろう
2008年01月30日
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昨夕、父(88歳)のお世話になっている特別養護老人ホームから電話があり、夕食後、急にケイレン発作があり救急車で病院に運ばれたとの連絡が入りました。直ぐに病院にかけつけたところ、まだ救急処置をしているところでした。初めて見る父のケイレンの姿、適切な処置により症状も治まり、病室に運ばれ安定してきましたので、私は帰宅してきました。 悪化したときは直ぐに連絡をしてくれるとのことで、私は家で待機の状態でした。今日、脳外科の専門の先生が診察してくれるとのことです。 家に帰ってから寝る前に、知人からいただいた本を読みました。48歳の若さで、くも膜下出血で倒れた方の介護の様子を、奥様が書かれた本です。この方は48歳、私の父は88歳ですが、年齢に関係なく私たちはいつ何が起こるか分かりません。 お世話になっている方の奥様が5年程前に突然倒れ、そのまま意識のない状態でしたがその後回復し、現在も入院を続けています。目を開けることは出来ますが、手足は動かず、口からやっと発声出来る程度で会話は出来ません。時々見舞いに行くのですが、いろいろ考えさせられます。年齢は私より少し上です。 更に昨日は運転免許証更新のため、警察署で飲酒運転のビデオを見ました。事故を起こし、一人の人が亡くなり、その後の被害者と加害者の家族の様子の物語でした。一瞬の事故によって家族の生活は大きく変わりました。今は安全と思っていても、誰でもいつ何が起こるか分かりません。 身近な人の病気や死を見つめることによって、私たちの生き方は変わってきます。いつまでも生きている訳ではありません。これは暗い意味で言っているのではありません。生命が本当に尊いと分かれば、今日の生き方が変わってきます。一日を大切に生きるようになります。 私の場合、今日を大切に生きるようになってから、先の心配をしなくなりました。誰でも1年先まで生きている保障はないからです。それよりも今日の出会いを大切にして、今日できることを今日やるようになってきましたら、無理をしなくなりました。 良いことも悪いことも、限りなく続くとすれば、疲れてしまいますが、人生って山や谷があっても、限りがあるから良いのかもしれません。生きているときは精一杯いろいろなことを体験し、向こうに帰ったら、ゆっくり休めばいいのかもしれません。真剣勝負道場で習得したことを実践する場所は日常生活にあると思ういくら道場で技を磨いても実践のないところにほんものは育たない技を競い勝つことに捕らわれているうちは比較の世界で 腹は決まらなかった木刀をやめ真剣を手にしてはじめて自分の姿が見えてくる更に一歩進んでみると勝ち負けを越えたところに道がある真剣を捨て 何も持たず全てを向こう側に委ねていくひとすじの道がある
2008年01月29日
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いい方法があります。自分には無理だと思っている方、一度試してはどうでしょうか。自己暗示です。 私は体がとても硬かったのですが、以前よりはずっと柔らかになってきました。起立して前方にかがみ、両手をつま先の方にゆっくり息を吐きながら伸ばしてみて下さい。その時に「柔らかい、柔らかい」と自己暗示をかけながらやります。 ゆっくり時間をかけながらやっていると、脚の筋肉が伸び、次第に両手が床に着くようになります。勢いをつけて力で無理につけようとしては駄目です。「柔らかい、柔らかい」と無理はせず、「やわらかい」と「ゆっくりした呼吸」に集中することがコツかもしれません。 私の体は硬いから、それは無理だと思っている人は思い込みが強いですので、いつまでも硬いままです。しかし見方を変えれば、そのような人は意志が強いともいえますので、硬いと思うのではなく、柔らかいと思うことによって、そのようになっていきます。思い込みによって、自分には出来ないと決め付けているだけなのです。その思い込みを反対に利用して、自分には出来ると、スイッチを入れ換えればいいのです。 人それぞれですので、他人と比べないことかもしれません。他人と全く同じようになるのは無理かもしれませんが、今までの自分から少しでも変わることが出来ればいいのではないでしょうか。少しずつの変化が、やがて自分でも驚くほど大きな変化に繋がっていきます。これはチャレンジした人だけが味わえることともいえます。 人前で話すことが大の苦手だった私が、回を重ねる度に、リラックスして話せるようになってきました。自分でも驚いています。作文苦手な私でしたが、私なりに書けるようになってきました。これも驚きです。山登りに関しても、最初は怖さと疲ればかりが目立ちましたが、最近は感動に変化してきました。 人間は出会いによって変わることが出来ます。それは人との出会いであったり、本との出会いであったりと、今までの価値観をひっくり返すことかもしれません。考え方を180度変えれば、自由に物事を解釈することが出来ます。何といっても肩の力が抜け、自然体になれるのではないでしょうか。変容病気や事故で死に直面したとき絶望や行き詰まりというショックが生じたとき今までの価値観では対応できなくなるいつまでも同じ尺度をたよりにしていてはなかなか変わることはできないしかし どうしようもなくなって今まで握りしめていたものを放さざるをえなくなり本当に求める気が生じてくると変わっていくようだ願いをもちつづけ本物とチャンネルが合うようになれば誰でも変化がおこる
2008年01月28日
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ガンバルのが苦手な私は、遠い昔、中学生のときにサッカーをやった位でほとんど何のスポーツもしていません。30歳を過ぎてからスキーをやろうとしたのですが、これも中途半端で続きませんでした。 仕事に追われ、自分の体を氣にすることもなく過ごしてきました。40歳を過ぎてから腰痛が悪化してからストレッチ体操をやるようになりましたが、特別に体力をつけようと思うこともなく、今日に至ってしまいました。 昨年58歳になってウォーキングを始めるようになってから、この1年ずいぶん変化してきました。山登りを始めたことです。山に登るための最低条件が脚力でした。実はスキーを止めたのもスキーをやった後、足がガクガクで次の日は大変だったからです。 足腰が弱ってきたら、強くなるよう鍛えようなどとは少しも思いませんでした。当然、年齢と共に体力が衰えてくるのは多くの人たちが経験していることです。 年齢と共に体力が衰えてくるのは自然なことです。それと共に氣力も衰えていることに、やっと氣付いてきました。元氣な人を見ると、頭だけでなく体も動かしていることに氣付いたのです。実際に毎日、出来るだけ少しの時間だけでも歩くようになってから、大きく変化してきました。 最初はウォーキングだけだったのですが、変化をもたせるため、ひと月の間に何度か山に行くようになってから、新鮮な感動に出会うことも多くなってきました。景気のはかばかしくないこの時期、家に籠って何とかしよう何とかしようと考えているばかりでは、いつ鬱になっても仕方ありません。そこで逆転の発想で思い切って外に出て、新しい空氣を吸ってくることにより、お陰さまで発想も自由になってきました。 体力が向上してくると、氣力もアップしてきます。少しのことではへこたれなくなります。ものの見方考え方が自由になってきます。何といってもいつもすっきりしていて氣持ちがいいです。体の錆び止めのためにも、何か自分の好きなことにトライしてはどうでしょうか。確実なことは、考えているだけでは、何の変化も起きないことです。体力と氣力は自分でつくるものひたすら歩けば無心になれるぎりぎりになると私でない力がはたらく
2008年01月27日
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思い切って寒さの中に入っていくと、心がしっかりしてきます。毎日ではないのですが、仕事の後に温泉に入ったときは冷水に入り、温冷浴をしてきます。最初、水に入るときは冷たいのですが、2回目からはそれ程の冷たさを感じません。 水は冷たいから、入るのは嫌だと思い続けていては、考えが変わることがありません。しかし一旦試みることによって、人間は慣れるということを実感出来ます。水は冷たいものと思い込んでいればそのままですが、行動することによって、その考えは変わります。 これは冷たい水に限ったことではなく、初めて体験することにも共通しているのではないでしょうか。それまで経験していないことを不安に思うのはごく自然なことです。しかし不安だからと、体験することを拒否すれば、不安はそのまま残ります。とりあえずやってみようと、思い切ってやることによって、少しずつ自信がついてきます。 今日は朝7時に家を出て、奥日光の西ノ湖(さいのこ)に友人と行ってきました。思ったほど雪は深くなく、中禅寺湖畔では思いがけず、波打ち際でつららを見ることも出来ました。 雪の中を歩くときは夏山と違って3倍くらい時間がかかり、足が相当疲れます。でもそのとき疲れたと言うのではなく、「今日はたくさん運動が出来て良かった」と、言うようにしています。初めてのことですが、氷の道を3時間以上歩き続けることもできました。帰りには凍っている龍頭の滝も見ることが出来ました。落葉樹冬の晴れた日静かにはりつめた空気の中で稟と立っている樹余分なものは地上に落ち春に向かって少しずつ新芽はふくらんでいた寒風に身をゆだね内なる生命とひとつになって静かに瞑想していた
2008年01月26日
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「♪勝つと思うな、思えば負けよ~♪」ご存知、美空ひばりさんの「柔」の歌詞ですが、この極意は、投資にも営業にも芸術の創作活動などにも当てはまることなのかも知れません。不思議と今年になってから身の周りでそう思えるような出来事が立て続けて起こっています。有り難いことです。 儲けようと思うのではなく損を少なくする工夫をする、売ろうと思うのではなく相手の考えを理解して自分がその方の為に提供できることをして差し上げる--そろそろ自分中心の「勝ち負けの世界の生き方」を捨てて、ご縁のある人々の為に自分を活かす「天におまかせの世界の生き方」をしてみませんか。 ギャラリー館長(ケーズプラン 川又) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┏━━━━━━━━┓ ┃であえてよかった┃ 柴田宋休インターネットギャラリーメールマガジン ┗━━━━━━━━┛ 〔不定期発行〕 2008.1.26 vol.114 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ - MSゴシック等のフォント設定でご覧いただくと、より見やすくなります -──────────────────────────────────── 柴田宋休インターネットギャラリーより最新情報をお届けします。 ホームページもあわせてご覧ください。⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ 宋休さんのブログ「遅咲き宋休記」⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/ ☆★☆━新 着 情 報━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■来週水曜1月30日に宇都宮市で柴田宋休さんの講演会が開かれます。 自然体で生きる秘訣を聴けるチャンスです。お近くの方はぜひどうぞ。☆★☆━今 月 の 言 葉━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ あたらしい 出発をしようと 身の周りの 余分なものを 処分したら スッキリしてきた 清々宋休 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/diary/200801030001/ ☆★☆━お 知 ら せ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆■遠方の方でも柴田宋休さんの講演を聴くことができるようになりました。 「遅咲き宋休の講演CD」、第1作~第3作まで好評販売中です。■「詩画集(※作者の直筆サイン入り)」「日めくり集」「講演CD」など、 豊かな人生経験と宗教人としての立場から人の生き方を優しい言葉で語り 掛ける柴田宋休さんの芸術作品をインターネット販売しています。※お求めは【ケーズプラン売店】で → http://cart.lolipop.jp/LA29003943/☆★☆━柴田宋休さんの今後の予定━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ (※ご本人コメント:いつものことですが、生きていればのことです)■講演会について【いのちをテーマとした講演会を各地で行っています】 開催日: 2008年1月30日(水) 場 所: 宇都宮市陽東地域コミュニティーセンター 問合せ先: 電話028-662-6269 開催日: 2008年2月7日(木) 場 所: 宇都宮市御幸ヶ原コミュ二ティセンター 備 考: 参加者は主催者の関係者のみ■個展について 【「柴田宋休 陶・詩画展」を各地で行っています】☆★☆━談 話 室 か ら━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ -----------------------------------------------------------------------■美しい家族について自然について感動 賀川康子さん 宋休先生のご尊父様とお嬢様の笑顔の写真、雪の日光の写真、雪の中の先生自身、素晴らしい写真の数々に感動いたしました。天地人の調和した美しさに感動いたしました。生きていることは実に素晴らしいと思いました。有難うございました。 (2008.01.19) -----------------------------------------------------------------------■Re:美しい家族について自然について感動 宋休さん 賀川康子さん 先日はお会い出来て良かったです。実際にお会いすることが一番のようです。嬉しかったです。(2008.01.19) ────────────────────────────────── ※皆様からの談話室へのご投稿、楽しみにお待ちしています。。。 0(^^)0 柴田宋休ファンの談話室 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/bbs/────────────────────────────────── ☆★☆━柴田宋休さんのエッセイ、詩━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■短文(2007年5月) 久し振りに、以前自分で書いた文章をまとめて読んでみて、反省しました。時間に余裕があったり、元氣があるときは、長い文章も読むことができます。しかし長文だと、読む人に結構エネルギーが必要なことを改めて感じました。疲れている人にとっては、短文のほうがいいのかもしれません。アルト・サックスの練習をはじめたのですが、なかなか上達しません。氣長に、人より時間をかければ、何とかなると思います。そのような時、生まれた文章です。 すぐに できなければ 時間を かければ いい ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/diary/200705160000/────────────────────────────────────☆このメールマガジンは転送OKです。良かったら知人に紹介してください。★このメールマガジンの一部を転載する時は、必ず出典元を明記してください。────────────────────────────────────☆★☆[柴田宋休インターネットギャラリー]━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ※メールマガジンの購読・受信停止の申込みはホームページから ⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ ■このメールマガジンは、配信希望登録をされた方と、柴田宋休作品を ご購入いただいた方へ配信しています。Copyright(c)2005- Soukyu Shibata Internet Gallery All rights reserved. ☆★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆
2008年01月26日
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どのようなときに閃きますか。当たり前のことですが、問題意識のない人は閃くことはないようです。問題意識を持ち普段からスイッチを入れたり、アンテナを立てている人にやってくるようです。 答を見つけようと机に向かったり考えているときは、ほとんどの場合、出会うことは少ないようです。私の場合は、無心になっているとき突然やってきます。山の中をひたすらウォーキングしているとき、あるいは仕事を終え、ゆっくりお風呂に入っているとき、トイレに入っているときなどです。がんばっているときではなく、リラックスしているときのようです。 頭の中に情報を詰め込んでいるとき、閃くことはないようです。何度か座禅をやったことがあるのですが、最初の頃はいくら無心になろうとしても、次から次へと雑念が出てきます。何もせず、ひたすら無心になろうとしても難しいものです。 私はお念仏の中で無心になる方法を会得したのかもしれません。慣れるまでは当然、雑念が出てきます。雑念を無理に消そうとせず、どんどん出るに任せているうちに、ふと何もない状態を経験することが出来ます。とても氣持ちのいいものです。 雑念が出尽くせば、空っぽの状態になります。慣れてくると、雑念の時間が短くなり、直ぐに集中出来るようになります。でもそのためには、ある程度は徹底してやらないと難しいかもしれません。 自分中心という我欲がなくなったとき、天とパイプがつながるのかもしれません。無心になったとき、天から直接に情報が流れてくるのではないでしょうか。自分の頭で考えようとしているとき、天からの情報をシャットアウトしているのかもしれません。 もうひとつ大切なことに、閃く人に共通しているのは、その閃きを直ぐに行動している人たちではないでしょうか。頭で分かったようでも、実際に行動しない人には、新しい情報も必要ありませんので、流れてこないような氣がします。 考えるだけでなく、常に行動が伴っている人たちは、普段から雑念が少ないのではないでしょうか。行動していない人に限って、頭の中は混乱していますので、雑念が多いのも当たり前なのかもしれません。 毎日やれることをやっている人は、頭の中もすっきりしています。頭の中がすっきりしている人に、閃きもプレゼントされてくるのかもしれません。頭が空っぽになると体も軽く血液の循環も良くなり、クヨクヨしなくなります。お金も大切ですがいくらお金があっても幸せや健康を買うことはできないようです
2008年01月25日
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ホテルでのマッサージの仕事を終え、温泉に入りながら、岩手県出身の方から話を聞くことが出来ました。マイナス30度位になると、ドアが開かなくなるそうです。車のドアも同じように、うっかり素手で触り手を離そうとすると、手の皮がむけてしまうとのことでした。いちど痛い思いをしてからは手を離すとき、ゆっくりと離すそうです。子供の頃から、体験を通して学んでいるとのことでした。 雪山で片足がすっぽり入り込んでしまったときも同じように、慌てて抜こうとすると足を痛めてしまいます。しかしゆっくり抜けば大丈夫です。何でも慌てないことかもしれません。私たちは体験の中からしか、本当のことは学べないもかもしれません。 寒い地方では春になると一氣に花が咲き、山菜がとても美味しいとのことでした。数日前テレビで放映されていた、北海道で栽培している甘いキャベツを思い出しました。秋に収穫してから雪の下に貯蔵して置くと、どんどん甘味が増すそうです。寒さの中で、キャベツが本来持っている甘さに変化するようです。その話をしましたら、人間も同じだと彼が話していました。 現代人は病気になれば直ぐに病院に行こうとします。しかし積雪の多い山間部では医者に頼ることも出来ないため、自分で直すよう、あるいは病気にならないよう氣をつけるとのことでした。自然に自己管理能力が備わってくるのかもしれません。 便利なところに住んでいると、お金さえ出せば直ぐに人に頼ることが出来ます。ということは、何かの理由で頼れなくなったとき何をしたらいいか分からず、頭の中が真っ白になり、パニックになるのかもしれません。 良くても悪くても現在の体の状態になったのは、急になった訳ではありません。いくつかの原因が重なって現象化しているだけです。いろいろな理由があると思いますが、ほとんどがそれまでの自己管理の結果なのかもしれません。 どんなときでも急に赤信号になった訳ではなく、その前に何度か注意信号が出ているのではないでしょうか。無理をして体調のおかしい方、それが注意信号です。信号を無視すれば、思いがけない結果が出るだけです。 身体からは常に何らかのメッセージが出ています。ガンバリ過ぎていると、そのメッセージに氣付かず、無視してしまいがちです。直感も同じですので私はとても大切にしています。体調が良くないとき、良い発想も出てきません。まずは体力づくりです。でもやり過ぎないこと。前向きに生きるためにも、身体の声を聴く習慣は大切です。縁のあることは何でも体験しようと腹を決めたら面白くなってきたひとを当てにせずまず自分でやってみる
2008年01月24日
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順調でなくても、大丈夫です。通信制大学を卒業するのに最長8年でしたので、私の場合は1年休学して9年かかりました。最初の頃はやる氣があるのですが、実際には勉強だけでなく仕事もしていますので、山あり谷ありでした。 好きな教科はどんどん進むのですが、苦手な教科は一向に進まず、どうしようもなくなってから土壇場で一氣にやった記憶があります。何といっても作文が大嫌いでしたから大変でした。ほとんどの教科は原稿用紙に文章化しての提出でしたので、卒業したときは、ずいぶん枚数を書いたことになります。各教科ごとに試験会場で試験があり、ほとんどが作文による解答でした。 でもそのお陰で、苦手だった文章も書くようになるのですから、何が縁になるか分かりません。役に立つかどうか、いちいち目先だけで判断しない方がいいのかもしれません。今考えてみると、そのときの自分には理解出来なくても、必要なことが順序良く来ているようです。淡々とやっていれば、ある時期、形になるのかもしれません。 しかし目の前に来たことをそのままにして、頭で考え、違うことをやろうとするから、いつまでたっても芽が出ないのかもしれません。本来やるべきことは目の前に来ているようです。目の前のことがクリア出来なければ、次の課題も与えられないのかもしれません。嫌なことが続いているのは、目の前のことから逃げているからかもしれません。 最後の山は卒論でした。文章力のある人にとっては何でもないことかもしれませんが、私にとって原稿用紙50枚以上というのは大きな山でした。かつては原稿用紙1枚も書くことが出来なかったからです。でも自分で書きたい内容を卒論に選びましたので、大変でしたが楽しい作業でもありました。関心のあること、好きなことなら、何とか乗り越えられることを知りました。 生きているといろいろあります。順調のときもあれば、順調でないときもあります。最近やっと、どちらもあるからいいことが分かってきました。順調だけだったら、人の痛みなど他人事になってしまうからです。ときどき痛い思いをするから反省もしますし、自分を見直すのかもしれません。一生勉強です。今日を精いっぱい生きているとき心残りがありません無理をしたりがんばっているうちはどこまでいっても勝ち負けという比較の世界肩の力をぬいて深い呼吸になれば何があってもおまかせの自由な世界
2008年01月23日
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かつて四国巡礼の旅の話を聞き、乞食というものに非常な関心をいだいた。それは難解な仏教思想というよりも、托鉢によって味わう人間観だったと思う。托鉢によって施しを受ける立場が、どのようなものであるか、興味を持ったといえよう。現代の恵まれた生活の中にあっては、どちらかといえば施しをする場合はあっても、施しを受ける立場の経験は少ないといえよう。これが仏教というものに、特に関心をもった最初であり、それよりずっと乞食というものを、実際に自分の足で味わうことを願い、数年後その機会に恵まれ体験することが出来た。 更に数年後、西国巡礼の旅にも恵まれ、そこで身をもって感じたことは、大部分の寺院には職業としての仏教を見ることはあっても、本来の仏教の姿を発見することはなかった事実である。かえって一般の人々の中にこそ、特に底辺の世界で生きる人々の中に、生きた仏教の精神をみた想いがする。家の構えは、そこに住んでいる主人の、ものの考え方を大方表現している。塀を高くめぐらし、外部から一切を遮断するような守りの家もあれば、商家のように、いつでも人が気軽に入れるような場と様々で、他者をどのように受け入れるか、考えさせられることであった。また、こちらが下の立場であれば、相手の人は何も飾らず本性を見せてくれる。この他にも実際に足で歩くことによって、様々な貴重なことを味わうことが出来た。 私が僧籍に入るきっかけとなったことは、乞食の托鉢による旅であり、このことがその後まで影響している。論題に隠遁者を選んだのも、単なる学問としてではなく、私自身が実際にそれに近いような生活をしているためといえる。更に福祉の世界にも縁を持つようになり、現代の仏教者の存在を疑問視し、これを自己の問題として取り組んだのである。論文を書き終え、結果的には現代の仏教界、そして自己に対する批判ばかりになったようで、それは私自身が現実からある意味で逃避していたことに気付いたことであり、これからが実践的行動への出発と思われる。 さて実践となると、現実的には様々な問題が予想される。第一に考えられることは俗悪化の問題で、それには自己浄化あるいは物事の根源を見つめる方法として、日々の行が当然必要かと思われる。理論の先行している現代にあって、何らかの行の繰返しは、特に宗教にかかわりを持つ者にとって必要なことではなかろうか。念仏者に隠遁者が多いのは、遁れることよりも念仏自身のもつ行が主体となるためではなかろうか。念仏は易行道といわれるように、万人のためのものとして確立されたものであり、はじめから民衆とのつながりの深いのも当然のことである。しかし俗界の中に身を置き過ぎると、再び俗の人間にもどってしまう。そこで行が必要なのではなかろうか。自己自身に対してはどこに住んでいようとも、常に求道の精神が必要であり、また他者に対しては救済の精神が自然に現れるのではなかろうか。 第二に考えられることは、理想と現実の違いである。理想が高ければ高い程、現実との隔たりが生じ、ついには放棄しかねないこともある。それには現実というものを直視することが必要であって、理想から実際の行動を捉えるという、背伸びしたものでなく、眼を背くことの出来ない現実というものから少しずつ理想の実現へと歩み出す、日々の努力が要求されよう。 人間とは浅はかなもので、特別な上流階級に身を置けば、下層の人々の苦しみや楽しみなどを、深く理解することは困難である。例えば、別所の中で念仏に専心することも価値あることであるかも知れない。しかし、危機に迫られていない安定した生活をいくらしても、本当に苦しんでいる人間の心などわかる筈はなく、自分だけがいかに理想的な生活をしていても、それは自利の世界であって、そこには仏教者としての真の生き方はないといえる。積極的に他者に交わることによって、仏教の真価が発揮されるのではなかろうか。だいじょうぶ大変なときは成長しているとき旨みに変化しているときすべてにありがとう
2008年01月22日
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約20年前に書いた卒業論文の内容が、現実のものとなってきました。私の場合、時間がかかりましたが、実現してきました。 当時、人間嫌いで、山の中での隠遁(いんとん)生活に憧れていました。修業を終え独立して、田舎での生活を始めました。ところが目の前の田圃の中に施設の工事が始まり、1年後には福祉施設として開所したのです。山の中での静かな生活を夢見ていたのですが、次第に彼等との交流が始まり、人間を相手とする仕事に少しずつ方向が変わっていったのです。 卒業論文は『隠遁者の行動 ―求道と救済―』でした。論文を書いているうちに氣付いてきたことがありました。道を求めて山に入る人たちの中で、救済者となった人たちは、ある時期は山の中で生活していても、やがて民衆の中に入って活動した人たちでした。最初は自分のために道を求めていますが、やがて自分を越えた活動へと変化していった事実でした。 自分一人が山の中で悟った氣分になったとしても、それは自己満足の世界でしかないことに氣付いたのです。もしそれが真理であれば、自分だけでなく他の人たちにも通用することに氣付いたのです。苦しんでいる人、悩んでいる人たちに実際に役に立って初めて、本来の姿なのだと知りました。 不思議なもので、発表することによって心構えが出来るのかもしれません。単に口先で話すのと違って、文章として残すことは、ある程度の責任も生まれてきます。だから実現しようと、知らずのうちに努力しているのかもしれません。 私の書いている短文も、多くの人たちが何となく普段思っていることかもしれません。しかしそれを具体的に言葉として表現することによって、強く印象付けられます。文章にするとき、大切なものとそうでないものとに整理しているのかもしれません。整理すればハッキリしてきますので、後は実行あるのみです。 時間がかかるかもしれませんが、思ったこと、思っていることは、やがて実現します。いただいた材料をそのうちやろうと思っていたら腐ってしまったそのうちはないのかもしれない少し遠回りでも迂回路という手もある
2008年01月21日
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先日、雪山に登ったときのことです。今回初めてビニールテープを持参して、自分の通った場所に目印として、木に縛り付けてきました。雪のため道が分からず、もしもの時を想定しての行為でした。おかげで下山するとき、とても役に立ちました。 山に登り始めるときは体力もあり、余裕があるのですが、疲れてくると周りの状況を確認する余裕もなくなってくることがあるからです。冬山で遭難するのも嫌でしたので、準備していって良かったです。 午後3時頃から下山しましたので、暗くなるまでにある程度のところまで下山しようとスピードを上げました。時々吹きだまりがあり、片足が完全にスッポリ入ってしまい、身動きがとれなくなることがありました。私は慌てず、自由にできる足の方を整え、それから動かなくなった足をゆっくり戻しました。 同じような状況が友人にもあり、友人は大声で痛いと叫んでいました。急斜面の中ですので、慌てている様子でした。急に足を引っ張り上げれば痛いだけなのですが、それが分からないようでした。痛い思いを通して、慌てなければ、何とかなることを学んだようです。 もうひとつ下山のときに分かったことです。下山途中おなかが空いたのでリュックを下ろし、おにぎりを取ろうとしたら、友人は早く下山したいからと一人先に下りて行きました。もし彼が道に迷ったら、私はそのことに氣付かず、下山してしまうでしょう。 反対にもし私が道に迷っても同じことです。あるいは元氣そうに見えても、私だって怪我をすることもありうることです。そのとき私は寒い山に取り残されます。二人で行った場合、絶対に単独で行動しては駄目なことが改めて分かりました。最初から自分一人での行動であれば、自分の責任ですので、他に迷惑をかけることはありません。しかし二人の場合、どちらかに何があっても迷惑をかけてしまいます。 余裕のないときは、自分のことだけしか考えていないのかもしれません。だからパニックになるのかもしれません。慌てても良いアイデアは出てきません。状況を良く把握すれば、方法は見つかります。いつ何があるかわからないのでできるときにできることをやっています最悪のときこそ新しい出発のとき
2008年01月20日
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今日は大学入試センターの試験ということで、昨夜ニュースが流れていました。と同時に、合格祈願の場面も放映されていました。元日には神社にお参りに行かれた方も多いと思います。そしてほとんどの方たちは、それぞれ何かお願い事をしてきたのではないでしょうか。 1回や2回手を合わせ、お賽銭を入れただけで物事が成就するのであれば、こんな楽なことはありません。最後の神頼みなのかもしれませんが、日常ほとんど手を合わせることがないにもかかわらず、自分の都合に合わせてお願いしに行くのは、日本人特有の行為なのかもしれません。 産まれたときは神社にお参りに行き、結婚式は教会や神社お寺、クリスマスは教会とは関係なくお祭り騒ぎ、そして亡くなったときは、信仰のあるなしにかかわらず、それぞれ縁のあるところでやっています。信仰がないから平氣で出来るのかもしれません。これは私たち宗教に係わっている者たちの責任と思っています。 昔は願い事を叶えるために「お百度参り」というものがありました。百日間、毎日続けてお参りに行くようです。それも出来れば人の目に触れぬように行ったとの話を聞いたことがあります。そして現代人との大きな違いは自分のためではなく、家族のためや人のためだったようです。 百日続ければ成就するという保障もありません。しかし願い続けること、しかもただ頭の中で考えているだけでなく、実際に行動していることに注目したいと思います。何かそこに鍵が隠れているような氣がします。 イメージそして行動、次の日もイメージそして行動、そのくらい本氣でやっていれば、いつの日か成就するのではないでしょうか。イメージだけでは、まだ足りないということです。行動が伴って、しかも続けることによって確実に変化が起きてくるのではないでしょうか。 大切なことに氣付いてから、私は自分に対する願い事はしなくなりました。自分中心に生きていたとき、迷うことが日常でした。今日もできることをやったのでうまくいくような氣がする考えているだけでは少しも解決しなかったが行動と結びついたら進展してきた
2008年01月19日
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私が新米サラリーマンだった時代、急ぎの仕事だからと忙しい人を避けて暇があるように見えた人に頼んだ処、期限が来ても仕上がらずに失敗したことあります。後から判った事ですが、実は暇があるように見えたのは、仕事を抱え込んで頭で考えてばかりで、実際に手を動かしていなかったからだったようです。行動をしないのですから、期限が来ても仕事が終わらなくて当然でした。 「急ぎの仕事ほど忙しい人に頼め」これはその時の失敗から体得した教訓です。忙しく仕事をしている人は、抱えている仕事に対して、優先度の判断と、自分が出来ることと出来ないことの判断が速く、他人の協力を仰ぐことが上手のようです。そして時間の殆どを行動に充てているようです。 1月17日の宋休さんのブログのように「余裕はつくるもの」です。時間がないと嘆くよりも、進んで時間をつくりませんか。 ギャラリー館長(ケーズプラン 川又) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┏━━━━━━━━┓ ┃であえてよかった┃ 柴田宋休インターネットギャラリーメールマガジン ┗━━━━━━━━┛ 〔不定期発行〕 2008.1.19 vol.113 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ - MSゴシック等のフォント設定でご覧いただくと、より見やすくなります -──────────────────────────────────── 柴田宋休インターネットギャラリーより最新情報をお届けします。 ホームページもあわせてご覧ください。⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ 宋休さんのブログ「遅咲き宋休記」⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/ ☆★☆━今 月 の 言 葉━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ あたらしい 出発をしようと 身の周りの 余分なものを 処分したら スッキリしてきた 清々宋休 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/diary/200801030001/ ☆★☆━お 知 ら せ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆■お待たせしました! 遅咲き宋休の講演CD、第3弾を販売します。■「詩画集(※作者の直筆サイン入り)」「日めくり集」「講演CD」など、 豊かな人生経験と宗教人としての立場から人の生き方を優しい言葉で語り 掛ける柴田宋休さんの芸術作品をインターネット販売しています。※お求めは【ケーズプラン売店】で → http://cart.lolipop.jp/LA29003943/☆★☆━柴田宋休さんの今後の予定━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ (※ご本人コメント:いつものことですが、生きていればのことです)■講演会について【いのちをテーマとした講演会を各地で行っています】 開催日: 2008年1月30日(水) 場 所: 宇都宮市陽東地域コミュニティーセンター 問合せ先: 電話028-662-6269 開催日: 2008年2月7日(木) 場 所: 宇都宮市御幸ヶ原コミュ二ティセンター 備 考: 参加者は主催者の関係者のみ■個展について 【「柴田宋休 陶・詩画展」を各地で行っています】☆★☆━談 話 室 か ら━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ -----------------------------------------------------------------------■こんにちは☆ MAROさん 昭和40年初め、同じ市内への通学列車が毎朝ご一緒でした。学帽をかぶられた宋休さんを鮮明に覚えていますよ。ご活躍を知り十数年前笠間の☆ギャラリーでの作品展に伺ったことも・・。今朝、ラジオで鎌田先生のお話を拝聴しました。是非、宋休さんの講演を伺いたいです。登山をされるのですね。私も山が大好きです。(2008.01.14) -----------------------------------------------------------------------■Re:こんにちは☆ 宋休さん MAROさん 書き込み、有難うございました。 昨日、集英社から本の表紙見本が届きました。鎌田實さんの『それでも やっぱり がんばらない』が単行本になります。私みたいな下手糞な文字が、題字になるのですから、先のことは分かりません。 (2008.01.14) ────────────────────────────────── ※皆様からの談話室へのご投稿、楽しみにお待ちしています。。。 0(^^)0 柴田宋休ファンの談話室 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/bbs/────────────────────────────────── ☆★☆━柴田宋休さんのエッセイ、詩━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■足元に(2007年5月) 子供は親を選べません。親も子供を選べません。それだからいいのかもしれません。選べないということは、自分にとって都合が悪くても逃げることができないということです。 選ぶことができるうちはまだまだ余裕があり、本質からは遠いのかもしれません。いろいろと食べるものがたくさんあるときは、その中から選ぶこともできます。しかし物不足でこれしか食べるものがなかったら、好き嫌いを言ってることなどできません。 現実を受け入れることができると、悩むことも少なくなるのではないでしょうか。腹が決まるということです。すると不思議にも前向きに考えることができるようになります。新しい方法を探したり、工夫するようになってきます。 以前読んだ本に書かれていたことです。人間は生まれてくるとき、親を選んでくるとのことでした。いちばん自分にとって霊的成長ができる親を選んでくるようです。親が勝手に生んだと勘違いし易いのですが、おぎゃーと生まれてくると、以前のことをすっかり忘れてしまうと書いてありました。なるほど納得でした。 幸せとは他人が決めるものではありません。例えどのような状況であれ、本人がどのように思っているかによって決まってくるのではないでしょうか。本人の心次第でどのようにもなるともいえます。 遠くに探しているうちは、なかなか出会えないのかもしれません。自分のやるべきことや幸せは、足元に用意されているような氣がします。────────────────────────────────────☆このメールマガジンは転送OKです。良かったら知人に紹介してください。★このメールマガジンの一部を転載する時は、必ず出典元を明記してください。────────────────────────────────────☆★☆[柴田宋休インターネットギャラリー]━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ※メールマガジンの購読・受信停止の申込みはホームページから ⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ ■このメールマガジンは、配信希望登録をされた方と、柴田宋休作品を ご購入いただいた方へ配信しています。Copyright(c)2005- Soukyu Shibata Internet Gallery All rights reserved. ☆★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆
2008年01月18日
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休むことによってエネルギーが貯まります。そればかりか更に、違う視点から物事を見ることが出来るようになります。行き詰まったときなど、同じ場所から同じ考え方でいくら続けていても、一向に進展しません。しかしいったん手を休め、離れることによって、新しい自分になることが出来ます。 切羽詰まったときなど、同じように続けていても、ほとんどが解決しないのではないでしょうか。大きく発想を変えようとするときは、そのまま継続するのではなく、頭を冷やすことが効果的のようです。 そのような意味では趣味等があれば気分転換になり、自分というものを客観的に見ることが出来ます。目先の途中から考えるのではなく、原点に戻ることも可能です。人間、好きなことに集中しているとき、頭も空っぽになり、直感も働くようになってくるようです。 パソコンに不具合が起き始めると、更にトラブルが続くようになります。そのようなとき一番効果的な方法が、リセットすることです。思い切ってパソコンを最初の状態に戻すことです。ほとんどの問題はこれで解決します。しかしこれを行うには、いったん積み上げたものを整理し、手放すことから始めなければなりません。 現状のまま続けようとすれば当然、問題もそのまま残ります。人間って横着なのかもしれません。余程どうしようもない状態にならないと、方向を変えようとは思わないのかもしれません。 行き詰まったとき、切羽詰まったときこそ、今までの自分から脱皮するチャンスのときでもあります。あれもこれもやろうとするのではなく、ゆっくり休むことによって、心身を健康な状態に戻すことが出発なのかもしれません。 心身が病んでいるとき、健康的な発想も出来にくいのではないでしょうか。余分なものを整理して、家の掃除と心の掃除、更に体の掃除も続けていきます。こころしずかにやることをやっていればみつかります目をとじておなかの呼吸に集中してみるその氣になればやれることはいくらでもある
2008年01月18日
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余裕のない人たちに共通していることは、余裕は自然に生まれてくるものと勘違いしているのではないでしょうか。忙しくて時間がないと言う人も同じです。時間も、何となく生まれてくるものではなく、自分でつくるものです。 資金がないから出来ないと言う人もいます。でも物になっている人たちは、例え資金がなくても、やれることから始めています。アイデアだけでなく、行動することによって、その人に応じて資金も次第に生まれてきます。 本当に余裕が欲しいのであれば、どのようにしたら出来るか考えてみることです。いつも言っていることですが、私には余裕がないと言っている人は永遠に余裕など生まれてきません。日常、何となく発しているマイナスの言葉には注意したいものです。自ら方法を考え行動することによって、少しずつ身についてくるのではないでしょうか。余裕はお金で買うことが出来ません。 体力や健康も、お金があれば出来るものと思っていませんか。そのようなことはありません。これらも自分でつくっていくものです。心掛けることによって、現在出来ることから始めることです。その氣になれば、やれることはいくらでもあります。 ここのところ個展等で時間がなかったため、久し振りに家の近くのゴミを拾いに行き、そこでふと感じたことが「余裕はつくるもの」でした。平日の日中、働き盛りの大人が仕事をせず、ゴミ拾いをしている姿を想像して下さい。傍から見たら、よくそんな時間があると思うかもしれません。 暇があるからやっている訳ではありません。私の中ではいろいろと優先順位があり、大切なことからやっているだけなのです。一般の多くの人たちは、自分の仕事は一生懸命やっています。生活もありますので当然のことです。しかし目の前にいくらゴミが落ちていても平氣です。何かがおかしいような氣がします。 今、氣付いたことですが、自分中心に生きている人は余裕がないのかもしれません。自分の損得が一番大きな判断基準ですので、人のことなど構わないのかもしれません。順調にいっているときは、その考え方も通用するかもしれません。しかし何か事が起きたとき、その「しわよせ」は一氣に表面化するのではないでしょうか。 心身が安定しないと、余裕は生まれて来ないようです。余裕があるからニコニコ出来るし、相手のことも考えられるのかもしれません。ほんとうに実現したいのならできることからはじめるくるまのハンドルには遊びがあるからいいのです明るくイメージしながら日々実践していく余裕は自分でつくるもの体力も同じです
2008年01月17日
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時の経つのは早いものです。2008年も半月が過ぎました。これってもしかすると、良いことなのかもしれません。もし毎日が辛く嫌なことが多ければ、一日はとても長いです。燃焼しているとき、集中しているときの時間の流れはあっという間です。時間の流れは同じでも、自分の状況によって感じ方が全然違うようです。 昨年5月頃から文章を書き始めて、自分でも良く続いていると思います。最初は1週間も続けばいいかと始めたからです。何をやっても飽きっぽい人間でも、切っ掛けさえあれば、変わることが出来るようです。 20年以上も前のことですが、禁煙をするときも同じようでした。タバコの値上げを機に、当時の専売公社の言いなりに付き合うのは嫌と思い、まず1日吸うのを我慢しました。何とか我慢出来ましたので、もう1日吸うのをやめました。それが結果として20年以上続いているのです。 当時お酒は呑まなくても平氣でしたが、タバコは強いものを3箱位吸っていました。だから我慢するのも大変でした。でもやめることが出来ました。何でもそうかもしれませんが、1日の積み重ねによって結果も出てくるようです。 人それぞれですから、考え方はいろいろあると思います。文章の場合もいいものだけを発表しようとする人もいます。多くの人たちは自分の嫌な部分は人に見られたくないものです。あるいは理想を書き、現実は直視しない方法もあるかもしれません。 デパートでの個展を、お世話になっている方から初めて勧められたとき、最初断りました。私にはまだ無理だから、もっといい作品が出来てから発表したいと。するとその方は即座に「そんなことを言っていたら、一生個展なんて出来ないよ」と、多くのことは語りませんでした。その言葉によってやることを決め、今日に至っています。 他人のことを批判することは簡単です。何でもいいですから、ぜひ自分でも経験してはどうでしょうか。人のことを見ているのと、実際に自分でやってみることは雲泥の差があります。実際に自分で個展をするようになって、いろいろなことが分かってきました。 師についていたとき、先生の個展は何度も経験していましたが、それはあくまでも師の個展で、自分が直接経験したものではありませんでした。実際には作品を作るだけでなく、お店との交渉やお客様との出会いがあったり、次回の作品も同時に考えていきます。 先日も友人と雪山に登り、彼が言っていました。こんなに雪が深いことを想像していなかったと。体験している人にとっては当たり前でも、初めての人には驚きのようでした。ブログに掲載している写真は、風が強かったり気温がナイナスだったりです。写真はそのほんの一部だけです。実際には左右上下に風景が続いています。百聞は一見に如(し)かずです。
2008年01月16日
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登山用品に寝袋があります。以前に四国と西国の札所巡りのときにお世話になったことがあります。昨年暮れにマイナス10度に対応出来るものを購入してきました。試験に自宅のふとんで寝るときに使ってみましたら、寒さ知らずでしたので、そのまま続けて愛用しています。 体に悪いと思っても、真冬にはここ数年電気毛布を使っていました。今回の寝袋を機に、電気毛布はやめ、ふとんに寝袋を併用しています。常識外かもしれませんが、節電にもなりますし、体にもいいかもしれません。 物事を限定して考えればそれまでですが、考え方は自由ですので、他のことにも応用出来ることがたくさんあります。かつて数学の応用問題を解くことが好きでした。1週間かかっても分からず、あるときふと角度を変えて考えてみたら、答を見つけたときなど、何とも言えない心地よいものでした。 そのような習慣があるからかもしれませんが、仕事を離れて遊んでいるときなど、ふとヒントに出会うことが多いです。私の場合、どこに行ってもアンテナを立てているようです。 問題意識や関心のあることは、目に飛び込んできます。先日もある方が言っていました。自分がプリウスに乗るようになったら、プリウスの多いことに氣付いたと。関心がなければ、目の前にあっても氣付かないようです。一歩いっぽ集中していたら思いがけない出会いがあった身をもって体験した感動は伝わるなにがあってもすべてはうまくできている
2008年01月15日
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早朝、暗いうちに家を出て、奥日光の湯元から前白根山頂の少し手前まで登ってきました。前半4時間位はずっと急な登り坂でした。 雪の深いところでは約1m近くあり、夏山の3倍位の時間がかかるのかもしれません。五色沼の見えるところまで行こうとしましたが、帰りの時間を考え断念して戻ってきました。駐車場に戻ったのは夕方5時半、既に暗くなっていました。 8時間半、歩き続けたことになります。気温が低いので、ゆっくり休憩をすることもありませんでした。目前に白根山を見ることが出来、あの雪の状態では2日かけても現在の私には無理なことが分かりました。数日前にはひとりの人が亡くなっている山です。 ケガをすることもなく、無事帰れたことだけでも感謝です。富士山の頭の部分も見ることが出来ました。※大事なことを忘れていました。昨日、長女が成人式を迎えました。どうしようもない親だから、案外、子供はしっかりと育つのかもしれません。自分で成人式の着物を用意しました。
2008年01月14日
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ほとんどの人たちは、持っている能力の数パーセントしか使っていないようです。もったいない話ですが、使わずにいるとのことです。眠っている能力を発揮する方法はいろいろあると思います。その中でも特に、新しいことにチャレンジすることによって脳のある領域にスイッチが入り、思いがけない展開になるようです。 初めての経験は脳を活性化します。その入口にあるのが、やるかやらないか、即ちスイッチを入れるか、切ったままでいるかによって大きく違ってきます。やると決心することは、私たちの脳にスイッチを入れることでもあります。当り前のことですが、スイッチを入れてはじめて繋がります。 新しいことに対してスイッチを入れない人は、断線している状態と同じですので、新しい変化は起きません。チャンスがあったにもかかわらず、スイッチを入れることをためらったため、後であの時やっておけばよかったと思うタイプの人たちです。 やってみようと決心することは、スイッチを入れることです。スイッチを入れさえすれば、例えスピードが遅くても、その人なりに進んでいくようです。人それぞれですから自分に合ったペースがあると思います。 どんなときでも最初にスイッチを入れるのは自分です。誰もやってくれません。誰かがスイッチを入れてくれると思っている人たちは、自分が入れたという意識がありませんので、出てきた結果に対しても不満を言うのかもしれません。自分で入れれば自分の責任ですので、他に責任を求めないのではないでしょうか。 スイッチを入れたら、絶対に続けなければならないということもありません。無理が重なるようであれば、いつでもスイッチを切ることも可能です。状況を判断し、的確な進路変更も時には必要かもしれません。 今年も富士登山を予定しています。できれば雪の残っている7月初めに試みたいと思います。加えて群馬県の妙義山の上級者コースもイメージしています。新しい体験は脳を活性化してくれます。明日早朝から、日光の白根山登山の予定です。必要なことが起きているだけ直感にしたがえば間違いがないようだ心を決めれば大丈夫うまくいく
2008年01月13日
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縁のあることは何でも体験しようと、腹を決めたら、面白くなってきました。心の準備が出来たからかもしれませんが、思いがけない出会いが続いています。有難いことです。 「笑う門には福来たる」、ほとんどの人はこの言葉を知っています。しかし実際に行なっている人は案外少ないのではないでしょうか。頭では分かっているつもりでも、実際に目の前に大きな問題が起きてくると、何とかしよう何とかしようと、つい笑顔を忘れてしまうことがあります。 機嫌のいいときに笑うことは出来ます。しかしどのような状況の中でもニコニコしていることが出来れば本物なのかもしれません。それには普段からニコニコしていることが習慣になるくらい、意識することが大切なのかもしれません。理屈でなく体で覚えることです。 それには物事を良い悪いと、自分の都合で解釈する習慣をなくすことかもしれません。良い悪いと判断しているうちは、悪いと思った瞬間に体がそのように反応してしまうようです。良いときばかりならいいのですが、現実にはどちらかといえば、良いことは少ないのではないでしょうか。 自分に起こることは、全て良しと解釈できるようになれば、笑顔も本物になるのかもしれません。全て良しということは、全てに感謝の生活ということです。偶然はなく、意味のないことは起きていません。腹を決めれば、何とかなるから大丈夫です。限界をつくらなければ新しい世界や感動が待っている本氣で生きていると本物になる休んでもいいゆっくり進めばいい
2008年01月12日
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原油高騰、株価大幅急落と、今年は年の初めから波乱のスタートとなりました。このように社会環境が大きく変化している時には、多くの人が不安の感情を持ちますが、その不安の対象に対して、私たちは大きく分けて二つの対応をするようです。 一つ目は、他人や社会に対して不満や愚痴をいうことで、不安の対象から目を背けようとする対応パターンです。そして二つ目は、不安の対象をあるがままに受け入れると共に、自分で出来ることだけを注視して、そのことをコツコツと行動していく対応パターンです。 「主よ、自らの手で変えることができるものを変える力を与え給え。自らの手で変えることができない時にはそれを受け入れる平静さを与え給え。そして、その違いを見極める知恵を与え給え。」これはあるトレードの本に書かれていた一節ですが、損をする恐怖や不安を受け入れることができた人がトレードの成功者にもなれます。 「恐怖や不安をあるがままに受け入れ、自らがなすべきことをなす」―少しずつ行動していくことで、宋休さんと一緒にそのような生き方を体得しませんか。世の中がどんなに混乱しても大丈夫です。幸せは常に自らの生き方の中にあります。 ギャラリー館長(ケーズプラン 川又) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┏━━━━━━━━┓ ┃であえてよかった┃ 柴田宋休インターネットギャラリーメールマガジン ┗━━━━━━━━┛ 〔不定期発行〕 2008.1.12 vol.112 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ - MSゴシック等のフォント設定でご覧いただくと、より見やすくなります -──────────────────────────────────── 柴田宋休インターネットギャラリーより最新情報をお届けします。 ホームページもあわせてご覧ください。⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ 宋休さんのブログ「遅咲き宋休記」⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/ ☆★☆━今 月 の 言 葉━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ あたらしい 出発をしようと 身の周りの 余分なものを 処分したら スッキリしてきた 清々宋休 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/diary/200801030001/ ☆★☆━お 知 ら せ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆■お待たせしました! 遅咲き宋休の講演CD、第3弾を販売します。■「詩画集(※作者の直筆サイン入り)」「日めくり集」「講演CD」など、 豊かな人生経験と宗教人としての立場から人の生き方を優しい言葉で語り 掛ける柴田宋休さんの芸術作品をインターネット販売しています。※お求めは【ケーズプラン売店】で → http://cart.lolipop.jp/LA29003943/☆★☆━柴田宋休さんの今後の予定━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ (※ご本人コメント:いつものことですが、生きていればのことです)■講演会について【いのちをテーマとした講演会を各地で行っています】 開催日: 2008年1月30日(水) 場 所: 宇都宮市陽東地域コミュニティーセンター 問合せ先: 電話028-662-6269 開催日: 2008年2月7日(木) 場 所: 宇都宮市御幸ヶ原コミュ二ティセンター 備 考: 参加者は主催者の関係者のみ■個展について 【「柴田宋休 陶・詩画展」を各地で行っています】☆★☆━談 話 室 か ら━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ -----------------------------------------------------------------------■おきにいりに naturallightさん 頂きます 感謝です (2008.01.04) -----------------------------------------------------------------------■柴田宋休展(真岡市)を見て 福来みかんさん 今日6日(日)に柴田宋休展を見てきました。 明るく広くとても感じの良いギャラリーでした。宋休様やお客様と一緒にお茶やコーヒーをいただきながらしばらくお話をし、石岡から出かけた私にとって真岡での楽しい一時を過ごさせていただきました。又隣のステーキ屋さんで(久しぶりに奮発して)お昼を食べましたがとてもおいしかったです。 一期一会今日も良き出会いがありました。受付嬢からオーナー様まで皆様に感謝です。 (2008.01.06) ────────────────────────────────── ※皆様からの談話室へのご投稿、楽しみにお待ちしています。。。 0(^^)0 柴田宋休ファンの談話室 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/bbs/────────────────────────────────── ☆★☆━柴田宋休さんのエッセイ、詩━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■謙虚(2007年5月) 子供が生まれてから一年がたつと、親としての経験も一年です。まだまだ新前の親です。そして子供が十歳になると、親の経験も十年です。子供だけでなく親も一緒に成長するようです。 幼児のときはそれ程でなくても、中高校生になってくると、一方的に親の考えを押し付ける訳にはいきません。確かに親は年齢的には先輩なのですが、反対に子供からいろいろと教えられることが多いのではないでしょうか。 少しでも理想的に育つようにと、親としてやってきたことが、かえって問題になってくることもあります。親の言葉でなく、親の実際の姿を見て育っているようです。恥ずかしい話ですが、私の娘たちは私の思っている方向とはずいぶん違う道を歩こうとしているようです。信じて受け入れるしかありません。 振り返ってみますと、私自身ずいぶん親の反対を押し切って行動してきました。親にたくさんの不安を与えたようです。それと同じことが今度は逆に、親の立場で体験しているようです。親になってはじめて分かることが多々あります。愚かな私は反対の立場になってやっと、そのときの親の氣持ちが分かるようになってきました。娘たちに育てられているのかもしれません。 自分が正しいと思っている間は、ずいぶん周りとぶつかりました。そのようなときは何故か相手の立場を理解しようとか、相手の言っていることを謙虚に聞こうなどとは思わなかったようです。 自分の至らなさに氣付いてからは、それぞれの考えに違いがあることが分かってきました。と同時に謙虚に聞くことの大切さを実感するようになってきました。 たまたまある集まりで、隣に座った方の話です。その方の子供さんは医療事故によって寝たきりの状態が現在も続いているようです。何で私がと、最初その事実を受け入れることができず、ずいぶん苦しんだことと思われます。そしてあるとき本当に大変なのは自分ではなく、子供本人が一番大変なことに氣付いたようです。苦しんでいる親の姿をみて、子供はもっと辛いだろうと察知し、そこから生き方が前向きに変化してきたとのことでした。 寝たきりだから、何もできないのではなく、障害を通して精いっぱいの何かを発信しているのではないでしょうか。精いっぱい生きている子供の姿から学べることに、感謝かもしれません。他人事でなく、逃げることができないからこそ、深い何かが分かるのかもしれません。 氣付かせて くれて ありがとう────────────────────────────────────☆このメールマガジンは転送OKです。良かったら知人に紹介してください。★このメールマガジンの一部を転載する時は、必ず出典元を明記してください。────────────────────────────────────☆★☆[柴田宋休インターネットギャラリー]━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ※メールマガジンの購読・受信停止の申込みはホームページから ⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ ■このメールマガジンは、配信希望登録をされた方と、柴田宋休作品を ご購入いただいた方へ配信しています。Copyright(c)2005- Soukyu Shibata Internet Gallery All rights reserved. ☆★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆
2008年01月12日
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思いがけない出来事や自分にとって不都合な出来事は、天からのプレゼントなのかもしれません。順風満帆であれば、それまでの生き方を変える必要もありません。しかし辛い体験によって、私たち自身の考え方を変えざるを得ないのではないでしょうか。 何かの切っ掛けがないと、なかなか変わることは出来ません。そのような意味では体の不調や病気、事故や大きな失敗によって考え方が大きく変わるのではないでしょうか。居心地が良ければ、そのままでいたいと思うのは自然な成り行きです。 もし今回の人生で特別な問題もなく順調に進んでいるのであれば、それは昼寝のような人生なのかもしれません。問題が多いことを望む訳ではありませんが、たぶん精神的に余り向上しない人生なのではないでしょうか。 真剣に生きていると、問題の大小はありますが次から次へと起きてくるようです。不思議なことに、目の前の現実から逃げようとすると、違う形で問題が新たに起きてくるようです。正面から取り組むまで、場所を変えても、どこに行っても起きてくるようです。 外部に問題があるように感じますが、実は自分が問題だから起きているともいえます。本人が氣付くまで続くようです。運の悪い人を見れば、原因が分かると思います。殆どの場合、肝心なことから逃げている生き方をしていると思います。 逃げることをやめ、現実を受け入れると、状況が変化してきます。無理だと思えばそのような結果が現象化してきます。しかし腹をどんと据えることによって、自分の想像をはるかに超えた展開になってくるようです。心配は心の毒にこそなれ、何の役にもたちません。 出来事は私たちを苦しめるためにあるのではありません。本当のことは何なのか、大切なことは何なのかを氣付かせるためにあるのではないでしょうか。考え方を変えたら、人生っていろいろあるから楽しいのです。人間は機会さえあれば、変わることが出来ます。何でも受け入れるという腹を決めたらチャンスが来ましたどうせならとことんやってみて本物になる本氣で生きていると本物に出会う
2008年01月11日
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20年近く個展を続けていますが、昨日は個展会場に一人のお客様も来ませんでした。初めての経験です。何か私に原因があるのか考えていましたら、新しい体験をしていることに、はたと氣付きました。 いろいろな体験をするために生きているのですから、とてもいいことなのかもしれません。たまたまある方のブログを拝見していましたら、潜在意識のことが書かれていました。実践するにはちょうどいい機会です。 心配を繰り返していると、潜在意識に悪い意識が貯まり、思っていたように心配がそのまま実現します。反対に最良のイメージを繰り返していると、そのようになるとのことです。バタバタせず、どんと構えて、お念仏でも十二分にしてみます。 心配症の人たちは問題が起きてくると、あれやこれやと対策を立てますが、バタバタしているところに良い結果は現われてきません。滅多にないちょうどいいときですので、動き回るのではなく、静かに原点に戻るときなのかもしれません。静観することによって、何かが見えてくると思います。 40代前半のとき、精神的肉体的に二進も三進(にっちもさっち)も行かなくなり、お金がないにもかかわらず、1年のうち4回ほど別時念仏(1週間の行)に参加しました。そこで私は大きく変化しました。中途半端ではなかなか変化することはないのかもしれません。行き詰まりは、古い自分を捨てて、新しく生まれ変わるときでもあります。「変わりなさい」と、天が機会を与えてくれているのです。 初めての思ってもみないような出来事は、考え方を変えれば、大きく変化出来るチャンスでもあります。過去から脱皮するときでもあります。何とかしよう何とかしようと、表面のことで焦るのではなく、潜在意識を変える絶好のときなのかもしれません。そのためにはまず顕在意識がバタバタしないことです。 今年も何か分かりませんが、大きく変化するような予感がします。目の前の現象に無駄はひとつもありません。どんと構えて、大きな流れに乗ってみようと思います。現実から逃げるのではなく、今この、またとない現実を味わうことです。変化を楽しむことではないでしょうか。 本氣で探せば、やれることはいくらでもあります。どんと構えて大きな流れに任せてみる心が決まると全体が見えてくる
2008年01月10日
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失敗の話です。この数ヶ月、テレビのリモコンの調子がおかしく、一度押しても作動せず、何度か押すと使えました。たぶん接触が悪いのではないかと調べてみたのですが、調子がいいときは直ぐにスイッチが入るので、そのままにしておきました。 正月を過ぎてからスイッチが全然入らなくなったので、もしやと思い電池を新しいものと交換してみました。原因は接触不良ではなく、ただ単に電池が切れていたのです。思い込みによる失敗でした。 完全に作動しないのであれば、いちばん大元を調べます。リモコンの故障か、電池切れか、直ぐに氣付くと思います。今回のようにたまたま調子がいいときはスイッチが入り、調子が悪いときは入らない、そのようなときは原因を途中から探してしまうのかもしれません。いちばん最初に戻ればいいことを学びました。 人間の電池切れのときも同じなのかもしれません。調子のいいときは電池が切れていることに氣付きません。ところが原因がいくつか重なることによって、とても調子が悪くなる人がいます。実は調子の問題ではなく、根本原因は電池切れの場合が多いのではないでしょうか。 エネルギーが低下してくると、体調不良が重なってきます。風邪をひき易い、疲れが取れない、やる氣が起きない、物事を前向きに考えることが出来ない等です。もしそのような症状が出ているのであれば、根本的なところに問題があるのかもしれません。 その場しのぎの対症療法では、次第に悪くなっていくだけかもしれません。市販の薬を服用したり、栄養剤を飲んだり、氣休めにタバコを吸ったり酒を呑んだり等、いちど原因が何なのか考えてみてはどうでしょうか。 40歳位までは体力にまだ余裕がありますので、無理もききます。しかし、それまでと同じ働き方をしていると、無理が重なりいろいろな症状となって出てくるようです。スポーツ好きの人は別ですが、殆どの人は運動不足になってきます。若いときの体型を思い出せば一目瞭然ではないでしょうか。 一生懸命働くことも大切ですが、燃料切れにならないよう、精神的な「ゆとり」を持つことが大切になってきます。自分に対する「ごほうび」です。遊んだり楽しんだりすることを忘れていませんか。 私の場合、離婚してから大きく変化してきました。ウォーキングをするようになりました。40年振りに山に登るようにもなりました。ときどき楽器の練習もするようになりました。すると、とても元氣になってきました。何が切っ掛けになるか分かりません。全てが良しです。人間も電池が切れると動きが遅くなってきます時間に限りがあるから先のばしにせず大切なことは直ぐにやるのかもしれません
2008年01月09日
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無理に続けようと思っても、集中力は続かないのかもしれません。上手に気分転換や休みを入れて、メリハリをつけることによって、集中の度合いも高まるのかもしれません。 肝心なことをやっていないとき、集中しようとしてもなかなか集中出来ないようです。それに対して、いつも精いっぱい生きている人は、普段から物事に集中出来ると思います。やるべきことをやっている人は、頭の中も整理されているため、悩むことも少ないのではないでしょうか。 集中力をつけるためには、普段から要所を押さえることも大切です。全部を事細かにやったり見たりするのではなく、大切と思われる要所には時間もかけますし、良く観察する習慣です。 展覧会を見るとき一般の人たちは、端から一つひとつ見ることが多いのですが、松井先生(陶芸で人間国宝)の見方は違っていました。瞬時に判断し、どうでもいい作品には足を止めず、これぞと思う作品の前しか見ていないようでした。だから普通の人と比べて、見る時間がとても速かったように記憶しています。余計なところに無駄な時間を使わなかったのかもしれません。 私たちにとって時間はいくらでもある訳ではありません。誰もが限られた時間を使って生きています。要所を押さえた生き方をしている人は、活き活きしているのではないでしょうか。何が大切なことか分からず何となく生きている人は、若いうちはいいかもしれませんが、歳をとるに従って電池が切れるように、だんだん行動範囲も狭くなり、氣力もなくなってくると思われます。 どのようなところからエネルギーを補給するかによって、エネルギーの質も違ってきます。ある方が教えてくれました。「新鮮なエネルギーは山から、浄化するときは海がいい」と言っていました。成程でした。 エネルギーを使うばかりでは、そのうちガス欠になるのは自然なことです。どこでエネルギーを補給しているか、更にどのようなところで浄化しているか、一度考えてみてはどうでしょうか。人それぞれですから、いろいろな方法があると思います。やることをやっていると決断も早い心を込めると真心は伝わる道に迷ったら先に進まず元に戻る
2008年01月08日
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「パイプを直結すればいい」と、師から何度も教えられました。事細かな説明は一切してくれませんので、答は自分で探すことが常でした。 天と直結することによって、天からの情報が瞬時に入ってくるようです。直観や直感はそのようなものと思います。人からの説明を聞いてから判断する習慣ではなく、実体験を通して会得する世界かもしれません。 体験した人の話はある程度は役に立ちますが、実際に自分でやってみると、いろいろな状況も違ってきますので、感ずることもずいぶん違うようです。 囚われ(とらわれ)の心が無ければ問題がないのですが、私たちは一旦、頭に入れると知らずのうちに、真っさらの心で物事を見ることが出来ないことが多いのではないでしょうか。 以前のことに囚われず、真っさらの心で物事に対処出来れば、新しい発見も多いと思います。事実を見る前に、先入観によってある程度の答を出してしまうことが多いのではないでしょうか。 直結するために必要なことは、無心になることかもしれません。頭を空っぽにすること、先入観をなくす訓練も必要かもしれません。 現代の教育は殆どが、頭に詰め込むことを教えられてきました。空っぽにすることの重要性は学校では殆ど無かったと思います。詰め込み過ぎれば当然、いずれパンク状態になるのは目に見えています。ストレスの取り方も、自分で工夫しなければなりません。 何が本物かを見分ける訓練は学校では教えてくれません。成績がいいから本物が分かるかといえば、それは全く違う脳の使い方なのかもしれません。 何本もパイプを接続すればするほど、途中での故障も起き易いのかもしれません。太いパイプで直結するには、何をすればいいか、自分で答を探してはどうでしょうか。私の場合はシンプルに生きること、実体験を通して真理を得ることなどが少しずつ身についてきました。実際に自分の足で行ってみると真実が分かる上手下手を越えたところに他と比較できない味わいの世界があった真心をお金で買うことはできなくても本当のことはお金がなくてもできます
2008年01月07日
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自分で文章を書いていると思っていましたが、案外書かされているのかもしれません。個展会場である方から言われました。自分で考え表現していると思っていたのですが、実はそうではなく、私が自分というちっぽけな我を捨てることによって、真の情報が私の脳へ入ってくるのかもしれません。 がんばっているうちは自分以上の力が発揮されることはないようです。火事場の馬鹿力というものがあります。普段は重いものを持つ前に、それまでの経験から判断し、持てないと思います。しかし咄嗟の場合、自分の頭や経験で判断しませんから、本来の力が出てくるのかもしれません。 案外私たちは、行動する前に結果を決めつけていることが多いのではないでしょうか。自分には出来ないだろう、無理だろうと思えば、その通りになるようです。そのような人たちに共通していることは、どうしたら出来るだろうと前向きに考えないことではないでしょうか。 物事を前向きに考えるようになると、自ずと結果も前向きになってくるようです。考え方を変えても変化しないだろうと、考えること自体が問題なのかもしれません。 自分には出来るとか出来ないとかという考えを捨てることによって、可能性が広がってきます。自分の好き嫌いではなく、縁に応じて出来事が与えられているのではないでしょうか。何故来るのかのではなく、必要だから来ていると考えれば、後は自分の出来ることを淡々と行うだけです。 大きな流れに任せる生き方です。自分で何かをしてやろうとするから、色々と問題が起きてくるのではないでしょうか。目の前のチャンスを活かす生き方に変えてはどうでしょうか。自分を変えないのではなく、自分が変わっていく生き方です。肩の力を抜けば、何が大切か分かるのではないでしょうか。空っぽになったら新しいものが入ってきた自分で文章を書いていると思っていたが実は役目として書かされているのかもしれない自分中心というちっぽけな存在に氣付かされたらまたとない出会いが面白くなってきた下手でもまごころを伝えることはできる
2008年01月06日
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作文大嫌い、書道も大の苦手な私が、毛筆で文章を書くようになるのですから、人間って分からないものです。切っ掛けさえあれば、変わってくるのかもしれません。 ものを作ることは好きでしたので、陶芸の道に入りました。入門して直ぐにスケッチを描き始めましたが、誰かに師事した訳ではありませんので直ぐに行き詰まり、やめてしまいました。 坊さんになろうとして、書道も同じように自己流で習い始めましたが、どうしても楷書が苦手で、これもやめてしまいました。そして陶芸家として独立してから、やらざるを得ない状況に追い込まれることが切っ掛けとなり、変化してきました。 桐箱に箱書きをすることが度々あり、人に頼む訳にもいかず、いつも嫌々書いていました。そして横浜での個展の際、芳名簿に子供が墨書している姿から、ハッと氣付かされました。 それまでは上手な文字を書こうとしていた自分に氣付いたのです。そうではなく、ゆっくり丁寧に真心を込めて書けばいいことが分かったのです。下手でも良かったのです。それからは投げ遣りに書くのではなく、ゆっくり心を込めて書くようになりました。 そのとき生まれてきた文章が「上手下手」という短文でした。その頃ちょうど精神的に悩みも多く、生き方も変化しているときでした。見えない世界に氣付かされてから、短文も生まれてくるようになってきました。 毛筆も、現在のようになるまでには相当の数を書いています。自分で文章を書く前は、山頭火の句を手作り短冊に墨書して、個展の際、お客様にプレゼントしていました。それがとても役に立っているようです。そのときは分からなくても、後で何が役に立つか分かりません。 上手下手は比較の世界でした。真心を大切にするようになりましたら、文字の上手下手でなく、内容がより大切なことに氣付いたのです。上手下手を越えたところに比較できない味わいの世界がある上手下手かつて字を書くのが とても嫌いでした。今までずっと 字が下手だと言われてきました。私もそう思います。しかし下手だからと 遠慮ばかりすることもないと思います。一生懸命書いて 何かが伝わればうれしいです。下手は下手なりに 素直にそして自然に書ければ こんなすばらしいことはありません。逆立ちをしても自分に字しか書けないのなら 思い切って書いた方がいい。上手も下手も人間界のこと 精いっぱい書いたら あとは如来様におまかせします。
2008年01月05日
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きょうは明日から始まる個展の搬入でした。暮れも正月もなく、最後の追い込みをすることによって、何とか間に合いました。いつものことなのですが、最後には時間ぎりぎりでうまくいくようです。切羽詰まることによって、集中力も高まっていきます。 詩画作品を描くとき、私は最初に絵を描くスペースを空けて、墨で文章を書きます。毛筆で書くときは一氣ですので、無心になってのほんの一瞬です。後から絵を描き入れるときも、その文章や季節に合わせて、直感的に絵を決めていきます。ある程度の数をやりますので、迷っていたらいくら時間があっても足りません。鉛筆で絵を描き着色しますが、薄い和紙ですので消しゴムで消すことが出来ないため、いつも真剣勝負です。 集中力が高まると判断も速くなるようです。1年のうち何度か個展をしていますので、お陰で集中力もついてくるのかもしれません。助手もいませんので、全ての作業を自分でやります。逃げ道はありません。全責任が自分になります。忙しかったからなどの言い訳は通用しません。 手を抜けば、そのまま手の抜けた結果が出るだけです。そのとき出来る精一杯をやるだけです。前回に引き続き来場される方も多いですので、同じものを続けて出品すると分かってしまいます。全部を新しくすることは出来ませんが、必ずそのとき出来た新しい作品を出すよう心掛けています。 個展って華やかなような氣がしますが、現在の自分の姿を正直に見せることでもあります。何を考え、何を目指し、どのように取り組んでいるかが見る人に瞬時に分かってしまいます。私にとっては反省の場であり、これからつくる作品へ繋がる出会いの場でもあります。 物事はうまくいっているようです。仕事に集中していたため、準備していなかった御供え餅、更におせち料理まで近所の方からいただくことが出来ました。有難いことです。どうしようもなくなったら無理をせず休んでもいい歩き続けていたらチャンスがやってきた時間があるときは余計なことまでしがちですが切羽つまってくると無駄が省かれ集中力も高まってくる
2008年01月04日
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「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」 一休禅師は、ある年の正月、杖の頭にドクロを載せて、ズタボロの汚い法衣で町中をこう歌い歩いたそうです。このように豪快に言い放つことができたのは、一休禅師が「生きる」ということを真に体得していたからだと思います。 私たちは「死」を言葉として知っていても、自分にはまだまだ先のものだと感じてはいないでしょうか。実は、こうしてこの文章を読んでいても1秒毎に確実に死に近づいているのです。砂時計を思い描いてください。砂時計をひっくり返した時が誕生の瞬間、砂が落ち切った時が死の瞬間です。人それぞれ砂の量に違いはあれど、必ず皆平等の結末を向かえます。死に近づくことと生きることとは同じことです。幸せに「生きる」ことができる人は、「死」から逃げずに「死」を正面から見据えることができた人かも知れません。 さあ、役に立たない知識を捨てて、智慧(物事をありのままに把握し真理を見極める認識力)を身につけませんか。宋休さんを見習いましょう。 今年もどうぞよろしくお願いいたします。 ギャラリー館長(ケーズプラン 川又) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┏━━━━━━━━┓ ┃であえてよかった┃ 柴田宋休インターネットギャラリーメールマガジン ┗━━━━━━━━┛ 〔不定期発行〕 2008.1.4 vol.111 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ - MSゴシック等のフォント設定でご覧いただくと、より見やすくなります -──────────────────────────────────── 柴田宋休インターネットギャラリーより最新情報をお届けします。 ホームページもあわせてご覧ください。⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ 宋休さんのブログ「遅咲き宋休記」⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/ ☆★☆━新 着 情 報━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■明日1月5日(土) から「ギャラリー懐風」にて「柴田宋休 詩画展」が開催 されます。作者の宋休さんにお会いしてプラスのエネルギーを直接感じられ てみては如何でしょうか?☆★☆━今 月 の 言 葉━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ あたらしい 出発をしようと 身の周りの 余分なものを 処分したら スッキリしてきた 清々宋休 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/diary/200801030001/ ☆★☆━お 知 ら せ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆■お待たせしました! 遅咲き宋休の講演CD、第3弾を販売します。■「詩画集(※作者の直筆サイン入り)」「日めくり集」「講演CD」など、 豊かな人生経験と宗教人としての立場から人の生き方を優しい言葉で語り 掛ける柴田宋休さんの芸術作品をインターネット販売しています。※お求めは【ケーズプラン売店】で → http://cart.lolipop.jp/LA29003943/☆★☆━柴田宋休さんの今後の予定━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ (※ご本人コメント:いつものことですが、生きていればのことです)■講演会について【いのちをテーマとした講演会を各地で行っています】 開催日: 2008年1月30日(水) 場 所: 宇都宮市陽東地域コミュニティーセンター 問合せ先: 電話028-662-6269 開催日: 2008年2月7日(木) 場 所: 宇都宮市御幸ヶ原コミュ二ティセンター 備 考: 参加者は主催者の関係者のみ■個展について 【「柴田宋休 陶・詩画展」を各地で行っています】 開催日: 2008年1月5日(土)~12日(土) 10時~18時(最終日は16時まで) ※午後は作者来場 場 所: ギャラリー懐風 〒321-4355 真岡市上大沼196-1 問合せ先: 電話0285-84-3303 会場地図: http://www.tochinavi.net/shop/shop2.shtml?s=4586☆★☆━談 話 室 か ら━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ -----------------------------------------------------------------------■「忍」 福来みかんさん 私にとっては、今年はこんな漢字「忍」が当てはまるような年でした。定年間近くにもなると、心身共に疲労が溜まるように思いました。山登りで例えれば頂上間近の胸突き八丁という所でしょうか。 いつの時代になっても悩みは尽きないでしょうが、特に今年は何とか「忍」で、来年はぜひ「福」という字を書きたいですね。 宋休ファンの皆様よろしくお願いします。 (2007.12.29) -----------------------------------------------------------------------■迷惑メール 福来みかんさん いつの世になっても どこの国に行っても悪いことをやる者は後を絶ちませんね。 館長様から毎日沢山の迷惑メールの届くことを知らされました。 私の所にもよく迷惑メールが届きますが、良くまあ・・・とあきれてしまいます。 迷惑メールの投稿者よ! そんな暇があったら、親の肩でも揉んでやれ!(2007.12.30) -----------------------------------------------------------------------■「武士の一分」を見て 齊藤 護さん 映画「蝉しぐれ」以来、何故か藤沢周平ファンになりました。一昨年は、友人たちと山形へ旅行をし、「蝉しぐれ」他を執筆した、湯田中温泉の九兵衛旅館(中学教師時代の教え子が嫁いだ)へ泊まりくつろいできました。結核で苦しめられたこと等もあってか、何故かあのようなしんみりとした、正義感に燃えて涙を誘うような作品になっているのだろうか。 そして、今日(30日)テレビで放映された「武士の一分」何故か又見たものの心を暖めるような気がしました。藤沢周平の作品には、何か共通して訴えるような物が見えるよう気がします。次の作品も直ぐに放映されるようで楽しみです。 (2007.12.30) ────────────────────────────────── ※皆様からの談話室へのご投稿、楽しみにお待ちしています。。。 0(^^)0 柴田宋休ファンの談話室 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/bbs/────────────────────────────────── ☆★☆━柴田宋休さんのエッセイ、詩━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■神さまは知っている(2007年5月) いつどこで、何をしていようと、神さまは知っています。この世的には嘘も通用します。そしてやった本人の心には、その事実が記録されているとのことです。普段忘れていることでも、死ぬ間際には、自分の行った行為に対して深く反省するようです。 神さまの存在などなく、見える世界だけがこの世だと思っている人にとっては、全く別かもしれません。その人たちにとっては、何をやろうと、人に見つからなければいいのかもしれません。それもひとつの生き方です。 見える世界と、見えない世界があることは、何となく頭では理解していましたが、実体験がありませんでした。そして四十代前半のとき、どうしようもなくなり、お念仏の行に参加しました。そのときはじめて、見えない世界に守られていることを体験することができたのです。 自分は悩み苦しみながらお念仏をしていたのですが、その私を守っている存在があることに氣付かされました。既に守られていたにもかかわらず、そのことに氣付かず、原因を他に求めていたのです。悩みをつくっていたのは実は自分だったのです。それから世界観が大きく変化しました。 それまではいつもこちら側から現実世界を見ていたのですが、そのときから向こうからこの世をみることが少しずつ増えてきました。文章を書くようにもなりました。この世の仕組みが少しずつ分かってきたら、波風の変化があることにも感謝できるようになってきました。 それまでは自分の都合を中心に生きていたのです。だからいつも悩みを抱えていました。都合のよくないことに出会うと、逃げてみたり批判したりと、自分を正当化する私でした。そして自分中心をやめ、神さま中心の生き方に変えることによって、楽になってきたのです。見える世界をひとつの現象と捉えるようにもなりました。 待つことも覚えました。どのような状況であれ、楽しむことも少しずつ身についてきました。出会いが楽しくなってきました。現象にあたふたせず、今日を生きるようになりました。このことだけは嫌だと思わなくなってきました。何があってもOKです。どのように対処するかが楽しみに変化してきたのかもしれません。 五十八の手習いで、アルト・サックスを習いはじめました。一年もやっていれば、少しは増しな音が出るようになるかもしれません。最初は素人でも、続けることによって大きく変化すると思います。ものごとを通して自分を客観視することができるようになると、全てが無駄なしです。 いつ 何があるか わからないので 大切なことから やるように しています────────────────────────────────────☆このメールマガジンは転送OKです。良かったら知人に紹介してください。★このメールマガジンの一部を転載する時は、必ず出典元を明記してください。────────────────────────────────────☆★☆[柴田宋休インターネットギャラリー]━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ※メールマガジンの購読・受信停止の申込みはホームページから ⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ ■このメールマガジンは、配信希望登録をされた方と、柴田宋休作品を ご購入いただいた方へ配信しています。Copyright(c)2005- Soukyu Shibata Internet Gallery All rights reserved. ☆★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆
2008年01月04日
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あたらしい 出発をしようと 身の周りの 余分なものを 処分したら スッキリしてきた 清々宋休
2008年01月03日
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実践することによって、身についてきます。学校で勉強したり、本で読んだりしたことは、ひとつの知識としては有効かもしれません。しかし実際に自分で体験して初めて、自分のものとなってきます。 私がいろいろな短文を書いていますが、全てが身についている訳ではありません。このように成りたい、このように考えればいいだろうとの指針として書いているものもあります。短冊やハガキに書いて、毎日見ることによって、脳にインプットしていきます。そして機会がある度に実践していきますと、いつの間にか身につき、自分のものとなってくるようです。 生きているということは、ハプニングの連続なのかもしれません。予定通り、思ったように運ばれないから面白いのではないでしょうか。実践することによって、臨機応変が身についてきます。予想外のことが起きたとき、知らなかった、準備していなかったでは済まされません。何としてでも切り抜けなければなりません。それが生きることではないでしょうか。 冷静に物事に対処する習慣が身についていれば、案外何かしら方法が見つかるものです。私たちは切羽詰まってから、新しい何かを発見するような氣がします。限々(ぎりぎり)になると、自分を越えた大きな力が働いてくるのかもしれません。どのような状況であれ、断念せず取り組んでいると、あるとき変化が起きてくるようです。 途中でやめることを失敗といいます。失敗しても再び起き上がりチャレンジすれば、失敗ではなく、ひとつの貴重な体験に変化します。私たちは貴重な体験によってしか、本当のことは分からないのかもしれません。 転んでもいいのです。何故転んだか、自分で考え同じような結果を招かなければいいのです。転ぶことによって痛みも分かります。転ばない方法も発見出来ます。意味があるから転ぶのです。そこで何を学ぶかが大切なのではないでしょうか。 白い紙に白い花を描くとき、白い花が活き活きしないので、方法を探していました。色のついた紙に、花を白く塗る方法は以前やったことがあります。今回思いついた方法は、シルバーに着色することでした。早速、今回の個展で発表します。心を静めよく観ればヒントが見つかる木刀はどこまでいっても練習だが真剣は心構えが全く違う耳を澄ますときこえてくる一回や二回であきらめないせめて千回はやってみる
2008年01月03日
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私とても臆病者です。昨年その対処の仕方を知りましたので、臆病な私がどのくらい変われるか、今年も試みようと思います。 初めて経験すること、特に危険と思われることに対して躊躇してしまいがちです。今までに何の経験もない人が急にやろうとすれば、尻込みするのは当たり前かもしれません。しかし除々に慣れることによって人間は変われると思います。 人前で話をすることが度々あります。内容の質は分かりませんが、現在では2時間くらいは続けて話すことも出来るようになりました。急にそうなった訳ではありません。最初は数分、人前で自分の考えを話すことさえ、とても苦手でした。その私が機会がある度に少しずつチャレンジすることによって、変化してきました。 何でもそうですが、自分には無理と思えば無理です。しかし小さな機会を試みることによって変化していきます。急に変わることは出来なくても、少しずつなら変わることが出来ます。 もし可能性がなければ、依頼も来ないと思います。少しでも可能性があるから声がかかってくるのではないでしょうか。それを受け入れるか、拒否するかによって、その後が大きく違ってきます。失敗もあるかもしれません。しかし一歩新しいことに踏み出すことによって、世界観も変わってきます。 質問をして答を求めようとする人がいますが、それは学生時代では通用するかもしれません。しかし社会に出てからは通用しません。人に答を聞いて何かのヒントになるかもしれませんが、答は自分で体験して得るものではないでしょうか。体得です。頭だけの理解は、ただ分かったような氣がしているだけに過ぎないのではないでしょうか。 自宅でもマッサージの仕事をしようと、看板を自分で作ろうと話しましたら、いろいろな助けが集まってきました。思っているだけでは何も起こりませんが、まず声に出すことによって、情報も集まってきます。必要なときに必要な人に出会うようだ本物を目指せば本物に出会う本物はいつも本氣で生きているせのびせずできることからやってみる
2008年01月02日
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一日のうち一度でもいいから、静かな時間を持ちたいものです。自分の内面を見つめる時間かもしれませんし、大いなる存在と融合する時間かもしれません。静かに、頭を空っぽにすることによって、大切なことが何なのか、原点に戻れるのではないでしょうか。 目をあいていると、次々にいろいろな情報が飛び込んできます。私たちはどうしても、見えるものに大きな影響を受けてしまいがちです。質の良い情報だけならいいのですが、現実には不愉快な情報も多いのではないでしょうか。 そこで問題となるのが、物事の受け取り方です。解釈の仕方によって、情報の意味が全く違ってきます。不愉快を不愉快に受け取ってしまうと、知らずにうちに、こちらまで心が濁ってくるのではないでしょうか。物事によっては、サラリと流すことも必要です。 現実から目をそらすのではなく、正面から見据え、どうでもいいことはそのまま頭の中のゴミ箱に入れて整理しておけばいいようです。パソコンのゴミ箱を思い出して下さい。余分なものを整理することによって、分かり易く動きも速くなります。 物事には順序もありますので、やるべきことを先にやっていると、いつもスッキリ生きられるようです。余分なものが入っていない頭の中は、判断も早いのではないでしょうか。無心になることによって、直感も冴えてくるようです。 私の場合、ウォーキングで無心のとき、ふと短な言葉が出てくるようです。小さなヒントを活かすことによって、やがてそれは大きな変化となってくるのではないでしょうか。すてる神あればひろう神ありどちらもあるからいいのですだれでも徹底すれば物になる成り切るってちっぽけな自分はそのままにして大きな働きにまかせること勉強もいいですが実際にやってみると本当のことが分かる頭を空っぽにして直観で生きたい天から与えられたことは素直に受け入れる今日を精いっぱい生きていると大丈夫形も大切ですが何といっても真心がいちばん
2008年01月01日
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