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もう梅雨になった地域もあるんですね
こちらもジメジメした感じになってきました
昨日は米沢市でした
そのついでに高国寺に寄ってきました
ここにも新撰組の近藤 勇が眠っているのです
「 ここにも 」 と言う表現をしたのは
近藤勇の墓と言われるところは全国に6か所あるからです
近藤勇はご承知のとおり江戸時代末期の武士で
悪名高き新選組局長を務め後に幕臣に取り立てられました
慶応4年4月25日、近藤勇は板橋において
斬首に処せられたのですが、まだ若い享年35歳でした
彼の首は板橋で晒された後京都に送られ
三条河原において再び晒されました
近藤の首は三たび大阪の千日前で晒された後
粟田口の刑場に埋められたとも
行方知れずになったとも伝えられています
次は近藤の墓とされる全国の6カ所です
1 JR板橋駅前(東京都北区)
2 龍源寺(東京都三鷹市)
3 天寧寺(福島県会津若松市)
4 円通寺(東京都荒川区)
5 法蔵寺(愛知県岡崎市)
6 高国寺(山形県米沢市)
米沢市高国寺もまた近藤の首塚としての伝承を持つ墓ですが
勇の従兄弟である近藤金太郎という人物が
板橋の刑場から首級を盗み出し、赤羽根近くの河原で焼き
残った骨を砕いて米沢に持ち帰り
自分の墓に葬ったとされているのです
【 近藤勇の辞世の句です 】
孤軍援絶作囚俘
顧念君恩涙更流
一片丹衷能殉節
雎陽千古是吾儔
靡他今日復何言
取義捨生吾所尊
快受電光三尺剣
只将一死報君恩
( 読み下し文 )
孤軍たすけ絶えて俘囚となる
顧みて君恩を思えば涙さらに流る
一片の丹衷よく節に殉ず
雎陽千古これ吾がともがしら
他になびき今日また何をか言わん
義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所
快く受けん電光三尺の剣
只まさに一死をもって君恩に報いん