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2月怠けていました。48代称徳天皇から49代光仁天皇への皇位継承は正史の「続日本紀(しょくにほんぎ)」ではさらりと流されてします。称徳天皇崩御時の記述も唐突に「宝亀元年8月4日 天皇が西宮の正殿で崩御された。53歳であった。」とあります。死因の描写はありません。病を患っていた、等の記述もありません。光仁天皇崩御時は、病を患っていたとか、次の桓武天皇が慟哭したとかの描写があります。これがあるべき姿だと私は思います。つまり称徳天皇の死因は意図的に隠蔽されたと思います。もうひとつ、私が納得できないのは光仁天皇への皇位継承があまりにも円滑に行われたことです。称徳天皇崩御時、存命している天武天皇の孫も数人いました。吉備真備は臣籍降下していた78歳の文屋浄三を次期天皇に推挙しますが実現しませんでした。浄三が高齢を理由に辞退したことになっています。真備は続いて浄三の実弟大市67歳を推挙しますが、これも実現しませんでした。光仁天皇=白壁王は即位時62歳でしたから、当時の天武血統優位の現状からは大市のほうが優位だったはずです。光仁天皇即位の裏には藤原百川が暗躍したとする説が有力で、私も支持しますが、藤原氏の視点からは担ぐのはどちらでもよかったはずです。何を言いたいかというと、戦乱でもない限り合理的な説明ができないということです。ここは光仁天皇=白壁王と50代桓武天皇=山部王所属の近江朝廷と称徳天皇所属の平城京とで戦乱があった、としたほうが合理的な説明をつけやすいのです。これは私の仮説以前の「妄想」または「暴走」ですから、また少しずつ立証していきたいと思います。
2016/03/06
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