山科と山鹿ではこじつけがすぎるでしょうか?
昨日、大海人皇子が隠遁したのは、奈良県吉野でなく、四国吉野でもなく(言ってないですが勢いで・・・)、九州吉野(現在の大牟田市吉野駅付近)ではないか?と記述しました。
大友皇子はとりあえず飛鳥岡本宮あたりで倭姫没後、称制をしき大津京遷都寸前に大海人皇子の攻撃を受けたと見ます。
天智天皇は山科へ遠乗りのさなか行方不明になったと「扶桑略記」にはあります。
私は天智自らの意思もしくは、新羅の工作員の手によって拉致されたかと思います。
ここで、京都山科より、古代遺跡等もある熊本県山鹿市ではないか?と疑いを持つようになりました。
新羅へ拉致するには京都より九州のほうが、朝鮮半島に近いということと、自らの意思の場合は、鹿児島県枚聞神社には山科にて行方不明になった天智天皇が枚聞の地で余生を送ったという伝承があるということです。
朝鮮半島には立派な武烈王陵があるので、天智天皇はここに葬られているのかもしれませんし、日本国発祥の地ともされる南九州で晩年をおくったとしても荒唐無稽な話ではありません。
ところで、斉明天皇晩年の皇居は福岡市博多区にある朝倉宮です。
那大津でもあります。
別に私は九州びいきではありませんが、天智天皇は朝倉宮にとどまり那大津京として皇居としたでしょうし、大海人皇子が一歩ひいた地は大牟田市吉野だろうと(壬申の乱で実際に大海人皇子が指揮をとったとすれば、一回は奈良の吉野に潜伏したこともあったかもしれません)し、天智天皇が歴史の表舞台から姿を消すのは熊本の山鹿が最後かと。
ところで、天智天皇は斉明天皇死後、以下の歌を詠んでいます。
君が目の恋ほしきからに泊てて居て斯くや恋ひむも君が目を欲り(日本書紀)
【語釈】◇天皇の喪 同年七月、筑紫で亡くなった斉明天皇の柩。◇君が目 あなたが私の目に映ること。私の目に映ったあなたの姿。「君」は母である斉明天皇を指す。
【補記】斉明七年(661)十月七日、筑紫で亡くなった母斉明天皇の棺が船に乗せられて海に出た日、当時皇太子であった天智天皇が亡き天皇を哀慕して、自ら唱えたという歌。
前々からこの歌を見て「気色悪い」が私の率直な感想です。
これが実の母親にあてた歌であれば、天智天皇はかなりの「マザコン」ということになります。
しかし、斉明-天智を王家を継いだ系譜上の親子とすれば(他人とすれば)気色悪くはありません。
むしろ美しき年上の女性に対する恋愛感情ということになります。
太宰府市にある観世音寺は天智天皇が母親の供養のために建てたとされますが、
実の母であれば納得いきますが、義母の場合はよほどの特別な感情がなければ、そこまでしないではないかな?と思っています。
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