2013/01/20
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今回は舎人親王の父親の天武天皇について私見を述べたいと思います。

日本書紀では天武天皇(大海人皇子)は天智天皇の同母弟と記されています。

系譜上は天智天武両帝は舒明天皇と皇極天皇(斉明天皇)との皇子ということになっています。

だったら「同母弟」という表現はちょいと引っかかります。

「同父母弟」でないでしょうか。

「同母弟」という表現だと、母親は同じですだけなので、父親が同じとは限りません。

まして、現代でも女性は結婚すれば姓が変わりますから、男系重視だったわけです。

ということは、

1.同母弟だから父親は違う。



どちらかになります。

1.は斉明紀の序文に「斉明天皇は、初めに用明天皇の皇子、高向王に嫁して漢皇子(あやのみこ)を生めり」というくだりがあります。
このことから、天武天皇は天智天皇の同父母弟ではなく、異父兄であり、大海人皇子となる前には漢皇子と呼ばれていた。
という説の根拠となっています。

2.の説は上古、卑弥呼の時代から実は、倭国は女王が常に君臨していたではないか?という説の根拠になっています。

この場合は舒明天皇は斉明天皇の婿さんということになりますから、天武天皇は舒明天皇の実子という可能性も残ります。

いずれにしろ、奈良時代は「女帝の時代」といってもいいほど女性天皇を輩出しました。

それが桓武天皇平安遷都とともに女帝も仏教重視政策も途絶え今日まで男性でなければ天皇になれない伝統が続いているからです。
(江戸時代女性天皇2名輩出されましたが)

つまり
男系天皇を目指した「天智」


間に挟まった「天武」は?
平安時代以降、無視されています。
これが、天武天皇の孫がことごとく臣籍降下したことと無関係とは思えません。

やはり天武天皇は天皇になれる資格が不十分だったのではないかということです。

やっと本題に戻ります。



高市皇子初め、舎人親王ら天武の皇子が「太政大臣=臣下として最高位」にとどまらざるを得なかったのではないか?
です・・・・





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Last updated  2013/01/20 10:27:34 PM
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