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保険の異端児・オサメさんComments
この日、12月初めての茶会に参加する。場所は、上野の東京国立博物館。ここにある応挙館という建物で、茶会があることを数日前に偶然ウェブで見つけたのが、そのキッカケである。
東京国立博物館には何度か訪れたことがあるが、それも茶の湯に関心を持つ遥か以前のこと。その博物館の裏手に庭園があり、そこに由緒ある茶室があることなど、まるで知らなかった。茶会を通して、ガイドからは実に多くのお話を聞かされたが、茶の湯を習っている今の境遇ならではこそ、良く理解できる内容もあり、非常に興味深いものであった。
茶会は、平時公開されていない庭園の中にある、応挙館という茶室で行われる。月1回のこの茶会、私が参加した会の人数は20人弱であった。その茶室に至るまで、ガイドが引率し、庭園を案内するのだが、そこで、東京国立博物館が、もとは寛永寺の本坊があったところであり、眼前の庭園がその本坊庭園の名残であることを知る。
そして、その庭園には茶室が5つ点在しているのであるが、その中には、小堀遠州、さらには近代三茶人( 関連ブログ

応挙館とは、その名が示す通り、江戸時代中期の画家、円山応挙に所縁があるのだが、襖絵や床の間の壁画が、円山応挙の作である(実際そこにあるのは複製。老松、若松、芦雁図、他)。もとは、名古屋の明眼院の書院として建てられた建物。そこにある絵は、眼病でそこに滞在していた際に、お礼に書かれたものだという。(下左、中写真)
茶会は、ボランティアの男性の方のお点前、そして、亭主の女性の方のお話で進んだ。お菓子は、時節柄、クリスマスツリーをあしらった緑色の"きんとん"だった。お点前された年配の方の男性に、ふと数十年後の自分を重ねてしまった私である。

さて、お点前の後であったお話が、また面白い話である。近代に入り、三井財閥のトップであり茶人でもある、益田鈍翁の品川御殿山の邸に移築されていた応挙館。その時、そこで起こった事件が、佐竹本・三十六歌仙絵巻切断事件というものであるという。
私も初めて聞く話で、詳しい説明は省くが、平安時代中期の著名な歌人たち、三十六歌仙。鎌倉時代に描かれたその絵巻物は、歌人の肖像や歌が描かれていて、現存最古の「やまと絵」の歌仙集だったという。それが秋田・佐竹藩に所蔵されていたので、佐竹本(さたけぼん)と呼ばれるそうだが、その国宝級の絵巻物が、応挙館のまさに茶会が催されているその部屋で切断されたのだという。
益田鈍翁を主催とする財界人のトップが集まる中、売りに出されていた佐竹本。しかし、そのあまりの高額ゆえに、切断して切売りされることになり、クジ引きでそれぞれの絵の購入者が決定されたというのである。この日の茶室では、そのレプリカの絵巻が広げられ、その当時の様子が再現されたのである(上右写真)。そこには、小野小町や紀貫之と言った、学校で習った名も目にした。今、思えば考えられないような話だが、当時は、文化財保護法といった法整備もなく、国宝級のものが容易に海外に流出してしまうことも起こっていたようである。その意味では苦肉の策だったのかもしれないが、国宝の価値が失われてしまったと共に、そのパーツが分散してしまっているのは残念なことである。
偶然に参加した応挙茶会であったが、面白い話を聞かせてもらったと思う。また、残った時間で、館内の茶の湯の展示物を見たが、千利休が作った竹の花入や、利休が石垣山で記した文、長次郎の楽茶碗、井戸茶碗"有楽"、他、興味深いかった。上野の地で、茶の湯に浸った休日を過ごせようとは、得した気分の一日であった。
最後におまけである。博物館を後にして、上野駅に向かって歩を進めると、国立西洋美術館の前で、クリスマスのイルミネーションがあったので立ち寄ってみた。そこで、約2週間前にパリにお目にかかったロダンの「考える人」に再会した(下写真)。考えるには、あまりに賑やかで華やかな雰囲気ではあるが。

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