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前回のブログで記した、フィンランド・エスポーで見た貯水塔。それが、米ワイオミング州にあるデビルス・タワーを私に思い起こさせたのであるが、ワイオミング州と言えば、私にとっては、西部劇の名作『シェーン-SHANE(1953)』。その舞台である、グランド・ティートン国立公園を訪れた記憶を辿ってみたくなった。
アメリカ中西部、ロッキー山脈が連なり、イエロー・ストーン国立公園があることでも有名なワイオミング州。この地を訪れたのは、今からちょうど20年前の1989年の夏のことである。当時、初めての海外、オレゴン州ポートランドに2ケ月半滞在していたのだが( 関連ブログ )、独立記念日を含む3連休、一人旅立ったのである。目的は、もちろん、"映画『シェーン』の景色を求めて!"である。
主演はアラン・ラッド、それまでヴェロニカ・レイクとのコンビでハードボイルドを演じていたアラン・ラッドも、この映画では、優しい西部の男だ。そしてフランク・キャプラ監督の作品にも多く出演した名優ジーン・アーサー。ジョーイ少年にブランドン・デ・ワイルド、殺し屋にはジャック・パランス。監督は、『陽の当たる場所-A Place in the Sun(1951)』のジョージ・スティーヴンス。人間愛に溢れた西部劇の名作、お気に入りの映画の一つだ。
流れ者のガンマン、シェーンがふらりと身を寄せ、世話になる開拓農民の一家。しかし、その町を蹂躙しているのは、悪徳のライカー一家。その横暴に苦しむ開拓農民たち、彼らと苦楽を共にする中で、信頼関係が芽生える。そして、いよいよ立ち上がる時が訪れるが、家の主と殴り合う壮絶な名シーンは印象的である。そして、農民一家を残して、一人で悪に立ち向かう。
殺し屋との早撃ち勝負を制したシェーンは、一人でライカー一家を葬る。そして町に漸く平和が訪れるのだが、愛する一家を残し、シェーンは一人去っていく。その後ろ姿の先には、グランド・ティートンの山、それを見送るジョーイ少年、そして傍らの犬。「シェーン、カムバーック!」のシーンは、目頭も熱くなる、映画史上の名場面だ。そして名曲、「遥かなる山の呼び声」が、心に響く。
『シェーン』については、学生時代、鹿児島で土曜の夜、放送されていた、土曜洋画劇場(土曜ロードショーだったか?)で流されていたコマーシャルも忘れられない。それは、育毛剤カロヤンハイのコマーシャル。そこで、『シェーン』のラストシーンを忠実に再現し、「シェーン、髪バーック!」とジョーイ少年に叫ばせるのであるが、またあのコマーシャルを見てみたいものである。
私が初めてアメリカの地を踏んだ20年前のこの時、それは初めての海外ということもあり、2度とアメリカを訪れる機会はないかもしれないとも思っていた。そのため、この機会を生かしたいという思い、そして募る『シェーン』への思いを抑えきれずに、ワイオミングの地を訪れるのである。
グランド・ティートン国立公園Grand Teton National Parkは、イエロー・ストーン国立公園の南に位置している。最寄の空港は、ジャクソン・ホールJackson Hole空港。それは、ロッキー山脈、グランド・ティートンの山並みを正面に臨む位置にある。そのロッキー山脈のパノラマの中、アメリカン航空のシルバーの機体が太陽の光を浴びて着陸してくる姿を1度見たが、それは実に絵になる光景である。
ロッキー山脈の前には、広大な草原や湿地が広がり、エルクやプレーリー・ドッグなどの野生動物、そして鳥たちを数多く見るのである。スケールの大きい、そのままの大自然である。車で走っていると、たまに道路を走って横切るプレーリー・ドッグと遭遇することもあり、鳥が路肩から飛び立ってくることもある。とにかく運転には注意が必要なところである。
さて、当時、ジャクソン・ホール空港は小さな地方空港で(今も変わらないだろうが)、フライトの数も限られていた。当時、デルタ航空とアメリカン航空が飛んでいたが(UAが飛んでいたか不明)、ポートランドからは、デルタ航空でユタ州のソルトレイクシティへ飛び、そこで乗り換えるというパターンがベストであった。しかし、ジャクソンホールへ飛ぶ飛行機は小さく、席も空いていなかったのである。
そのため、隣のアイダホ州のアイダホ・フォールズIDAHO FALLSに飛び、そこから車を約200キロ走らせることとしたのである。まさに約20年ぶりほどに、当時のファイルを開いてみると、旅程表が出てきた。それは、ホライゾン航空で、ポートランド13時20分発、ボイジーBOISE(アイダホ州)15時50分着、乗り換えて16時30分発、アイダホフォールズ17時30分着とある。ホライゾン航空の飛行機は、小さくボイジー行きが約40人乗り、アイダホフォールズ行きは20人弱の小型機であったが、無事到着する。
夏の日は長く、まだ陽は高い。こうして私のドライブは、夕方から始まったのであった。今思えば、そうだったのかな?とすっかり忘れていたのだが、約200キロ走って、目的地のホテルに到着した時には、日没となっていたので、確かに辻褄はあうのである。
長い道のり、アイダホ州と言えば、当時のイメージはポテト。田舎の草原の景色が主だったと思うが、グランド・ティートンを流れる、スネーク・リバーSnake Riverという川の流れが、この地にまで至っていたので、だいたいそれに沿うように走ったように記憶している。途中、風光明媚な箇所もあって、車を停車して写真を撮ったりして、走り続けたように思う。
どのくらい走ったのか、今や記憶にない。おそらく3時間は走ったことだろう。ワイオミング州に入り、西部の雰囲気漂うジャクソンJacksonという町を過ぎると、広大なエルクの滞留所(保護区Refuge)だったろうか?ロッキーの山から下りてきたエルクの群れがここで、滞留するような場所があったと記憶している。
そして、ここまで来ると、殆どグランド・ティートン国立公園の入口である。気持ち、車のアクセルを踏む足にも、力が入ったろう。そして、やがて見覚えのある山並みが遠く視界に入ると、あの音楽、「遥かなる山の呼び声」が頭の中を流れ始め、そして口ずさむのであった。それは決して止むことはなく、その山並みがだんだん大きくなるにつれ、口ずさむ音量も大きくなっていくのであった。
グランド・ティートン国立公園の入口を示す、案内板を目にするのは、それから間もなくであった(上写真)。車を停車し、暫しその景色に身を沈めた。『シェーン』に出てきた山々がそこにあった(下写真)。陽もだいぶ傾いてきたが、日没前にその景色を目に出来たことに満足したと思う。そこには、山々を眺め、口ずさむことを止めない私がいた。完全に自分の世界に浸っていた。
この日の宿泊地は、ここからさらに30~40キロほど走ったところにある、ジャクソン・レイク・ロッジというホテルであった。途中、途中のビュー・ポイントで車を停車しては、山々の写真をカメラに収め、ホテルを目指し走り続けた。その間も、私の頭の中を音楽が鳴り止むことはなかった。
以上、ワイオミング州に『シェーン』と出会った、まさにその日の強烈な思い出である。
(シェーン関連ブログとして、 こちら
もよろしければ。)
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