キリスト教カルトを斬る

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TERA DREAM

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2007.12.01
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 主よ、あなたがわたしを惑わし
 わたしは惑わされて
   あなたに捕らえられました。
 あなたの勝ちです。
 わたしは一日中、笑い者にされ人が皆、わたしを嘲ります。
 わたしが語ろうとすれば、それは嘆きとなり
 「不法だ、暴力だ」と叫ばずにはいられません。
 主の言葉のゆえに、わたしは一日中

 主の名を口にすまい
 もうその名によって語るまい、と思っても
 主の言葉は、わたしの心の中
   骨の中に閉じ込められて
 火のように燃え上がります。
 押さえつけておこうとして
   わたしは疲れ果てました。
 わたしの負けです。

 わたしには聞こえています
 多くの人の非難が。
 「恐怖が四方から迫る」と彼らは言う。

 わたしがつまずくのを待ち構えている。
 「彼は惑わされて
 我々は勝つことができる。彼に復讐してやろう」と。

 しかし主は、恐るべき勇士として
 わたしと共にいます。

 勝つことを得ず、成功することなく
   甚だしく辱めを受ける。
 それは忘れられることのない
   とこしえの恥辱である。
 万軍の主よ
 正義をもって人のはらわたと心を究め
   見抜かれる方よ。わたしに見させてください
 あなたが彼らに復讐されるのを。
 わたしの訴えをあなたに打ち明け
 お任せします。

 主に向かって歌い、主を賛美せよ。
 主は貧しい人の魂を
   悪事を謀る者の手から助け出される。


エレミヤ書の第1章11節以下にこう記されて居ります。

   主の言葉がわたしに臨んだ
   「エレミヤよ、何が見えるか。」
   わたしは答えた。
   「アーモンドの枝が見えます。」
   主はわたしに言われた。
   「あなたの見るとおりだ。
   わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと
   見張っている」
   主の言葉が再びわたしに臨んで言われた。
   「何が見えるか。」
   わたしは答えた。
   「煮えたぎる鍋が見えます。
    北からこちらへ傾いています。」

 この時代、つまりエレミヤが預言者として神に召し出された時代、かつてはひとつであったイスラエル王国が、北と南に分裂し、その北の王国イスラエルはすでにアッシリアによって滅ぼされて居りました。そして、南の王国ユダもまた、そのアッシリアを滅ぼしたバビロニアの驚異のもとにあったのでご座います。
 それだけではございません。
 ユダ王国の首都エルサレムの町には、北や南の国々から、つまりアッシリアやバビロニやエジプトから、様々な人々が入り込み、様々な異教の習慣と、そして、様々な偶像がエルサレムの町の中に持ち込まれて居りました。そして、この時代のエルサレムは、けっして、主なる神のみを礼拝する場所ではご座いませんでした。ですから、今度はバビロニアという巨大な国が南のユダを滅ぼそうとしている時、ユダ王国はエジプトやアッシリアに助けを求めようとさえするのでご座います。

 2章18節にはこう記されて居ります。
  「それなのに、今あなたはエジプトへ行って
   ナイルの水を飲もうとする。
   それは、一体どうしてか。
   また、アッシリアへ行って
   ユーフラテスの水を飲もうとする。
   それは、一体どうしてか。」

 エルサレムの神殿を建てて下さったのが誰であり、そもそもこのカナンと呼ばれていたこの地へエジプトから移り住まわせて下さった御方が誰であるのかということを人々は忘れ、異教の神々に心を奪われていたのでご座います。


 預言者エレミヤは、そうした時代に、神様から預言者として召されました。
 第1章4節
  「主の言葉がわたしに臨んだ。
   『わたしはあなたを母の胎に造る前から
    あなたを知っていた。
    母の胎から生まれる前に
    わたしはあなたを聖別し
    諸国民の預言者として立てた。』」
 第1章17節
  「あなたは腰に帯びを締め、
   立って、彼らに語れ
   わたしが命じることをすべて。」

 そこでエレミヤは、エルサレムについて次のように語ります。
 第1章14節以下
   「主はわたしに言われた。
    北から災いが襲いかかる
    この地に住む者すべてに。
    北のすべての民とすべての国に
    わたしは今、呼びかける、と主は言われる。
    彼らはやって来て、エルサレムの門の前に
    都をとりまく城壁と
    ユダのすべての町に向かって
    それぞれ王座を据える。
    わたしは、わが民の甚だしい悪に対して
    裁きを告げる。
    彼らはわたしを捨て、他の神々に香をたき
    手で造ったものの前にひれ伏した。」



 今日の旧約聖書の個所は、そうしたエレミヤの預言に対して、エルサレムの町の人々がどの様に振舞ったかということについて記されて居ります。

   7節「わたしは一日中、笑い者にされ、
      人が皆、わたしを嘲ります。」

   8節「主の言葉のゆえに、わたしは一日中
      恥じとそしりを受けなければなりません。」

  10節「わたしには聞こえています。
      多くの人々の非難が。」

 そうした中で、預言者として神に召し出されたエレミヤでさえ、こう告白せざるを得ませんでした。
  第15章10節にこう記されて居ります。
   「ああ、わたしは災いだ。
    わが母よ、どうしてわたしを産んだのか。」
 そして、同じことが今日の聖書の個所のすぐ後ろにも出てまいります。
  第20章14節
   「呪われよ、わたしの生まれた日は、
    母がわたしを産んだ日は祝福されてはならない。」

 神の「御言葉が見いだされたとき、わたしはそれをむさぼり食べました。あなたの御言葉は、わたしのものとなり、わたしの心は喜び踊りました」(15:16)と語るエレミヤでさえ、人々が北の国々の驚異の前に、異教の神々に心を奪われる姿をまのあたりにし、苦しむのでご座います。
 エレミヤは人々からは嘲笑され、そして非難され、復讐の機会をねらわれ、裏切られます。
 言葉を語れば、人々に笑われ、命さえも狙われる。エレミヤは思うのです。ふと思ってしまうのです。
 第20章9節
  「主の名を口にすまい、
   もうその名を語るまい。」

 「もうその名を語るまい」
 そう思うエレミヤは、しかし、そうした中でもなお、あるいは、自らの誕生さえ呪わしく思える中で、にも拘らず、こう告白するのでご座います。
 第20章9節
    「主の名を口にすまい
     もうその名によって語るまい、と思っても
     主の言葉は、わたしの心の中
       骨の中に閉じ込められて
     火のように燃え上がります。」
     押えつけておこうとして
        わたしは疲れ果てました。
     わたしの負けです。」

 「わたしの負けです。」
 「わたしの負けです。」

 勿論、人々の前で、人々の思いに負けたのではご座いません。エレミヤは、神の言葉の前で、神の言葉に負けました。エレミヤは、もはや、語らざるを得ないのです。苦しみの中で、悲しみの中で、いま何が必要なのか、何に信頼しなければならないのかを、語らざるを得ない。北からは巨大なバビロニアが攻め込んでこようとしている。背後には、エジプトがいる。そして、主なる神の都エルサレムでは、異教の神々に礼拝が捧げられている。そうした中で、エレミヤは、神の言葉を語らざるを得ない。


 正に、時代は、主なる神から離れようとしている時でご座いました。
 ひとは、時として、過去を見失います。誰が、エジプトで奴隷であった状態からイスラエルの民を約束の地カナンへと導き出して下さったのか。そして、彼等が40年もシナイの荒れ野をさ迷ったのちに与えられた土地が、いかに素晴らしいものであったかということを、人々は見失っています。



   ひとはいま、冬のこころを持たねばならない
   雪に覆われた松の木についた霧氷と
   凍りついた松の幹を見ながら

   長い長い冬の季節を過ごしている
   凍りついたねずの木や
   刺々しい遠くの景色を見ながら

   風の音に包まれ、悲しみを想うことなく
   一月の太陽と
   残された数枚の木の葉の音を想う

   雪の中で耳をそばだてるその人にとって
   その人自身もまた無い
   しかし、そこには何も無いということではなく
         いま確かにここにある本当のものを見る

 ウォレス・ステヴンスというアメリカの詩人の詩の一つでご座います。
 この方は、熱心なクリスチャンですが、どの教派に属しているかは判りません。ただ、アメリカの多くの教会の人々が心を引かれた詩人であることは間違いご座いません。彼は1960年代後半、アメリカという国が繁栄を享受し始めた時代に、この詩を残しています。繁栄の中で、勢いに満ちた中で、冬の景色の中に本当のものを見ようとしています。
 自らの能力を誇るのでもなく、自らの富みを誇るのでもなく、ただ神の御言葉によって、生かされる。そして、それを語り続ける。繁栄の蔭で、すべてが凍りついてしまったような時代の中、W.ステブンスという詩人は、「冬のこころ」に信仰を見ています。

 今のこの時代にあって、ただただ、主なる神の御言葉にとらえられて、あの預言者エレミヤが歩んだ道を、私ども一人一人もまた、神様からのお力をいただいて、歩んでまいりたいと思うのでご座います。十字架の前で、すべてを打ち砕かれて、ただただ御言葉によって、生かされてまいりたいものでご座います。

 繁栄と勢いに包まれた時代の中で、いま、その時代をどう思い、そして、隣人と共にどのように生きていくのか。
 あの十字架の主イエス・キリストを仰ぎ見つつ、そして共に支えあいながら、共に祈りあいながら、追い求めてまいりたいものでご座います。


【祈り】 
 主よ、御言葉を降り注ぐ雨のように注いでいて下さい。
 そして、ただその御言葉によってのみ、この時代に生かされて
いくことが出来ますように。
 主イエス・キリストの御名によってお願いいたします。
 アーメン。





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Last updated  2007.12.01 15:58:19


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