キリスト教カルトを斬る

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TERA DREAM

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2008.01.02
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 教会は国家の中に建てられています。否が応でも、国家の法律に縛られています。しかし教会は、にもかかわらず国家を醒めた目で見続けていなければなりません。アメリカの教会の中には、ヒロシマやナガサキを問題にしている教会があります。原爆投下が福音に照らし合わせて正しかったかどうかを問うているのです。しかし、そうした教会の中でも、大統領や国会議員、あるいは州や町の首長や議員選挙に関しては様々な立場の方々がいらっしゃいます。そして、アメリカでは多くの人々が自分の政治的立場を表明されているのですが、しかし、教会の中では選挙などに教会が直接関わることはタブー視されているようです。イギリスでも、大主教がご自分の支持政党を公言されるということがあるでしょうか。

 おそらく、日本聖公会や日本聖公会京都教区では幼稚園や学校の関係で、選挙運動を頼まれるのであろうかと思われます。あるいは、自ら進んで選挙などをお手伝いすることがあるのかもしれません。しかし、こうしたことを教会がしてもいいことなのかどうか。特定の問題に対して、積極的に活動することは当然あり得ると思います。現在の教育の荒廃に関しては、教会は叫ばざるを得ないことのようにも思えます。「ゆとりの教育」が生み出したのは、明らかに教育の格差です。学校しか行っていない子供たちと、毎日のように塾に通って、学校では教えてもらえないことを学んでいる子供たちの間には、明らかな格差が存在しています。外国語教育などはその典型です。英文法を学校で学ばなくなって、本当に英語をしゃべれる日本人が増えたでしょうか。日本人が必要としている英語は、しゃべることでしょうか。それとも、読み書きでしょうか。あるいは、「イスラム教とキリスト教の対立」といわれている時代を考えるときに、子供たちは十分な歴史教育を受けているでしょうか。アメリカの独立とフランス革命の時間的順序を知らない高校生が、進学校にもいると知人が話していました。

 知人は今でも口にしていますが、"the Statue of Liberty" を「自由の女神」と訳していることを知ったアメリカ人が、「アメリカに女神はいない」と猛烈に憤慨していたそうです。これが完成した1886年以降、アメリカの自由を象徴してきた像なのですが、決して女神ではありません。しかし、ネット上でも「女神」と訳されているのを見ると、日本の歴史教育がいかに不十分なものであったかということが判ります。教会がしなければならないのは、こうした事柄に関する発言であって、特定の政党の候補者の選挙運動を支援することではないのではないでしょうか。日本聖公会京都教区は、こうした基本的なことさえお判りになっていらっしゃらないようです。教会と国家の問題は、歴史的にも非常に重大な問題でした。これに関して日本聖公会は真剣に神学的議論をされてこなかったのでしょうか。幼稚園や私立学校と密接な関係のある日本聖公会は、なぜこうした問題を議論してこなかったのか。「新しい歴史教科書をつくる会」を批判していながら、ご自分たちは教会と国家という基本的な神学を放棄されているのは、私にはどうしても理解できません。





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Last updated  2008.01.02 12:46:12


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