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接頭辞に「超」をつけるのは好きではないのだが。現在、超多忙。先週までに怒涛の講演行脚を終えて今週はその疲れを癒す日々にあてるはずだったのだが。監修仕事が立て込む。メインは『別冊宝島 マンガ 読むだけですっきりわかる日本史 源平合戦から関ヶ原まで』の校正。目が霞む。肩が痛む。このあと、読むだけですっきりわかる平成史の2011年の締め切りもあるんだよな。今週はたおれるかもしれない。
2011年10月31日
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一昔前(と言っても自分の感覚ではついこの間なのだが)コレクション道楽にはまっていた。某経済評論家氏と同じもの。もっともこっちはスケールが小さいけれど。置き場所がなく、祖父母の家に置いてもらっていた。やがて祖父母は逝去、空き家になったその家は先日ついに取り壊された。必然的にコレクションを自宅に引き取った。そして先日、積みっぱなしになっていたコレクションの整理にようやく手をつける。箱が残っているものは、箱に入れてキャスターの引き出しに収納。箱がなく本体だけのものはガラスケースにディスプレイ。(このガラスケースも祖父母のかたみ)俗っぽい私はふと現在のこれらのコレクションの価値が知りたくなった。10年前であれだけ費やしたのだからいまは…などと売る気もないのにそろばんはじきながらオークションサイトをチェック。するとなんとこれは価格がついてない。そもそも取引がない。ようやく成立しているものは最近のものばかり。高嶺の花、いや高値の花だった黒箱も青箱も見事なまでの値崩れ。とにかく驚いた。不景気の影響なのか収納場所を持てないからなのかもはや若い世代を中心に車などに興味を持つ人はレアになってしまったからなのか。これならばあれもこれも簡単に買えるがなぜか気持ちも触手も動かなかった。あれ(ぼくのコレクション)は欲しくて欲しくてたまらなかった時期にやりくりして買ったからこそ眺めてるだけで嬉しかった所有してるだけで満足できた手に入れただけでにやつけたいまは多分そうはならないだろう。ぼくもまたいつの間にか変わったのかもしれない。いや、それよりなにより場所と時間と手間かな。いまのコレクションを飾る場所を確保するのも大変なのだし。それとちょっとしんみりする話ではあるけれど折り返しを過ぎたゆえの心境というのもある。きっとそれが一番大きいんだろう。
2011年10月11日
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「世襲=悪」ではもちろんないが、「公」職における世襲は権力を澱ませ腐敗させる。知恵と行動力と運を持ち合わせた者がリーダーとなる芽を潰し、それらを何一つ持たずとも既得権として公職を世襲する者がリーダーに立つ悲劇。明治維新と高度経済成長は偶然ではなく、支配者層の交代によりなされた必然。
2011年07月15日
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「こどもっぽい」と言われるのが嫌で、現実路線で政治的主張をしてしまう人が多い気がする。これは既得権保有者や為政者の思うツボなのではなかろうか。国のあり方など大きな問題については、「これならできる」からスタートするのではなく「こうなれなければ国は滅びる」から逆算して段階を形成する姿勢でなければ何も変わらない。
2011年07月15日
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なめてかかってて、ごめんなさいしてしまったのがハリポタ。ありゃ、すごい。三番煎じの魔法ファンタジーかと思っていたのだがとんでもない。すさまじく深いじゃないか。英国的な身分制度へのささやかな批判はもとよりあの日本社会に巣食うあのみっともない風習が洋の東西を問わないことに改めてガックシ。あれが大きなテーマだったとは。しかし、その連鎖が通常は負の連鎖たる怨念の連鎖になるところをハリポタではある人物の踏みにじられても変わらない愛が押しとどめている。深い!深すぎるぞ!ハリポタ!!
2011年07月12日
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年寄りが仏教を語るのは反則じゃなかろうか。若い頃から壮年期まで暴飲暴食にセックス好き放題やった後ならば「もはやこの人生に悔いなし」そりゃ残るは「悟り」だけだろう。この世の様々な煩悩を体現化し既にそれらにも飽き尽くし(というよりそもそも身体がついていかないだろう)そうなってからなら何でも言える。おまけに帰依という方法で好き放題時代の過去の悪事の償いもできる(ほんとは、そんなもんで償ったつもりになってもらっては困るのだが)年寄りの仏法説教なんぞ偉くもなんとも無い。 特に「私も若い頃には色々と無茶をしました」なんて言葉から始まる場合は論理矛盾・ダブルスタンダード以外の何者でもない。釈迦が偉いとされているのは、(個人的には釈迦が偉いとは思っていないが)青年でまだやれることがたくさんあって、それを可能にする身分も財も持ち合わせていながら、あえて、それらの可能性を捨てて出家したからだ。やることをやり尽くした果ての年寄りの仏教への帰依とは、全く事情が異なる。一緒にしてはならない。
2011年07月11日
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最近の茂木健一郎さん(知り合いではないが呼び捨てにはしにくいし、「氏」を使うと殊更に反論っぽくなってしまうので「さん」を用いる)のツイートが残念でならない。入試制度や大学を批判したものなのだが、別に批判するなと言っているのではない。また、現在の入試制度や大学のあり方を手放しで肯定するのでもない。では、何かと言うと彼のような地位も名誉も富も発言力もある人が危急の時である今、あえて話題や攻撃の対象とすべきテーマではないと思うのだ。別に何をテーマにしようがもちろん茂木先生(おお「先生」でいいじゃないか)の自由だろう。が、あまりにも歯がゆい。現在の日本において危急のテーマは言うまでもなく「復興」と「原発」である。そもそも復興が必要なのかどうかからスタートして必要ならばどういう形でなされるべきなのかそしてそれはそのまま今の日本にとってはとてつもない額の費用を費やして行われる以上ある程度この国の将来像を反映した形でなされねばならないだろう。一方の原発、こちらもまた危急のテーマだ。そもそも福島原発は収まるのか、収まるのならどういう手段をとればいいのか、放射性物質の影響は、脱原発は必要か、必要ならばどういう手立てで進めるのか危急のテーマは山ほどある。教育は重要なテーマには違いない。それを否定することは私自身の自己否定にもつながりかねない。が、教育とはその効果が得られるまでに多大な時間を要するものである。「国家百年の計」とはよくいったものでまさに長期的なスパンで取り組むべきテーマである。昨日今日思いついたように語るべきテーマではないし危急のときに論じ合うべきテーマでもない。そもそも国家自体が経済的崩壊はもちろん政治的崩壊や国際的地位の崩壊、さらには物理的崩壊の可能性まであるような時期にそうしたものへの発言力を持っている人が積極的に語るべきテーマではなかろう。どのみち、日本は変わる。変わらざるをえない。いや、既に変わっている。変わりつつある。雇用の状況、産業構造、国際的経済力そうしたものが変われば、教育の体系も自ずと変わらざるをえない。それでもどうしても今、変えたいのなら追求すべきは教育官僚であり教育に発言力を持つ議員であってそうでなければどのみち変わることはないだろう。教育はワンクッション置いて効果が発揮されるジャンルだ。どんなに優秀な教育者(私はそもそも何をもって教育者と言うべきかにも一家言あるが、ここは通常の意味で用いる)であっても、直接的には社会の役には立てない。優れた教育者は優れた人材を産み育てる。その人材がやがて社会に貢献する。ここで初めて教育者の仕事が実を結び、綺麗事を排除すれば現実的な意味で教育者が社会に貢献できる。別に教育者の価値を貶めるものではない(それは私自身を貶めることにもなる)が、現役で自らがプレイヤーになれる人は基本的には指導者にはならない。サッカーのモウリーニョ監督のようにプレイヤー経験なしの監督もいる。名選手必ずしも名監督ならずの言葉もある。特に後者には私は深く同意する。が、それでも、やはり自らがプレイすることで貢献できるのならばそのほうが早く確実なのは間違いない。教育者たる方々なら、このニュアンスの違いくらい分かってくださると思うのだがこの主張は、決して教育や指導という仕事の価値がプレイヤーのそれより劣るという意味ではない。あくまでも瞬発力であり即時性の問題に過ぎない。特に平時であったり、これまでの日本のように右肩上がりで人口も増加していた社会においては教育の効果は絶大であったろう。が、今の日本にはそれも当てはまらない。だからもったいないのだ。茂木先生が原発に賛成なのか反対なのか、推進派か廃止派かは知らない。ただ、原発を論じろというのではなく教育のそれも一分野に過ぎない大学入試のシステムや大学教育のあり方というのが彼のような人物が、数日間続けて熱くなって語るべきテーマだとは思えないというだけのこと。長期的なスパンでプランを建てるためにもこの危急の状態をどうにか出来る人達にはそちらで活躍して欲しいと願う。
2011年07月04日
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5月3日、ツイッターで世界史の話題をふっていただき流れでセルフライナーノーツちょこっと世界史について自分語り。宝島社の「読むだけですっきりわかる」シリーズが売れた段階で、当然世界史を出せば売れるという考えが営業サイドからも編集サイドからもでてきました。で、ぼくは執筆を依頼されたのですが、実は当初はこれを何度もお断りしたんです。ある程度、売れることがわかっている世界史の執筆を断ったのにはぼくなりの理由と計算がありました。取り扱う量が膨大で手に負えないと思ったこと。売れるとは言っても日本史より読者層が小さくなるので割に合わないと感じたこと。文化人・評論家にシフトしたほうが、ぼくの寿命も長くなるのではと考えたこと。日本史でブレイクした時、シフトするなら今だと思いました。実際数々のお話をいただいていたと思います。ちゃんと芸をやっている芸人が、その芸が飽きられると消えていき一方で素人の居酒屋トークに毛の生えたような内輪ネタや身内いじりしかしてない芸人が安定した仕事と人気を得る。こういう様子を観察していましたから、書き続ける、新作を絶え間なく出し続けることの継続に不安とひきあわない思いがありました。世界史なんぞを書き始めるとメディア出演どころか講演すらできなくなってしまいます。こんなもの、絶対に割に合わない。まして当時は山川のアレが出てたのです。編集さんに「世界史に関しては山川のがでてるから今更ぼくが書く必要はないでしょう」と。すると「読んでみましたか」と。気になったので山川の『もう一度読む世界史』を購入して読んでみました。そしてあることに気がついてしまったのです。「これはまさにタイトルの通りだ」と。「看板に偽りなし」だと。 つまりこういうことです。山川の『もう一度読む世界史』は良い本なのですが、一度世界史をきちんと学んだことがある人に向けての本だったんですね。まさに「(もう一度)読む」なんです。世界史を学んだことがない人があれを読んで理解できるとは思えなかった。それは山川の本に問題があるのではなく、もともとそういうコンセプトで作られた本ですから正しいんですね。あれは懐かしさを感じつつ学び直す本だった。だから世界史を学ぶ上での前提としてのルールや用語の解説はありません。アケメネス朝やササン朝の「朝」とは何を意味するのか。シーザーとカエサルの表記の違いは何故存在するのか。実は世界史ビギナーにはそもそもそこから解説する必要があります。面倒でまわりくどく評価されない作業です。 だってわかりやすければわかりやすいほど、レベルが低いと誤解されやすい。となると、やれそうな、いや、やりそうな人物はぼくしかいませんでした。あの池上さんですら、特定の時代区分のテーマ別の世界史は語られていても通史には手を出されていません。だいたい通史なんて分担して書き上げるものですから。とはいえ、ビギナー向けの入門の入門がなければ世界史の重要性を謳ったところで「じゃあどう学べばいいの?」に対して高校や予備校で授業を受けてください、などという無茶な回答しかできなくなってしまう。重要性を説き、強く勧める以上は、書く必要があるのかなとこうしてメディア出演や講演はもちろん節税も巷にあふれる楽に書けるビジネス本や自己啓発本のような本の大量生産もあきらめて世界史にとりかかりました。 さて、そういう経緯で実際に書き始めた世界史でしたがこれは文字通りぼくのチャンスを犠牲にし、心身を比喩でなく削りました。未だに自分が世界史を書いたのはおこがましいことだという思いがあります。近代編を書き上げた段階で左目に浮腫ができ、疲労とストレスがピークに達して、療養を余儀なくされています。でもぼくの苦労など『史記』をものにした司馬遷や、自ら司馬遷には遠く及ばないと命名された司馬遼太郎さんらには遠く遠く及びません。次元が違う。思えば世界史を記述するというのは世界中の数えきれないほど多くの人々の文字通り命をかけた業績を、要約してしまい評価してしまうことにつながります。彼ら彼女らの人生を一刀両断(でもないのですが)に外野から語ってしまうのですからそれくらいの目にはあわないといけなかったのでしょう。世界史を学ぶのにどんな本を読めばいいか、そしてその読めばいい本を読めるようにする入門の入門書としてはなんとか及第点に達したかなと思っています。作中で多くの事件・多くの世界遺産・多くの本・多くの人物の生き様について書かせていただきました。そういうものとのであいがきっかけとなって旅行が楽しくなったり、もっと別の本を読んだり研究したくなったり生き方のヒントや指針を見つけてくださる方がひとりでも多くいらっしゃれば幸いです。【送料無料】読むだけですっきりわかる世界史(古代編)【送料無料】読むだけですっきりわかる世界史(中世編)【送料無料】読むだけですっきりわかる世界史(近代編)
2011年05月20日
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はっぱ隊の「YATTA!」の歌詞が妙に凍みる3.11以降の日本の俺。【21%OFF】[CD] はっぱ隊/YATTA!
2011年05月20日
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9:24 AM May 9th TweetDeckから浜岡原発のある御前崎はとても好きな場所のひとつ。ここは夜がいい。海岸線の二車線の道路の脇の歩道から海を眺める。波がスゴイ。真っ暗な中、轟音と共にあちらこちらに波頭の白さが際立つ。自殺願望なんて微塵もないけれど、あまりの美しさについ身体を乗り出してしまう。自然のスケールにただ降参。 モノカキになって初めて?のスランプ焼津ステイの夏。毎晩のように御前崎を訪れ、強くぶつかりあい白く光る波を見つめていた。そう、実は東海地震云々がなくても、浜岡原発は「なんでここ?」という場所なのだ。夜の御前崎の話でお伝えしたように、そもそも比較的波が高い。そして、ここは台風中継の名所でもある。まぐろの名所である焼津はすぐそこ。日本の大動脈、東名高速道路も東海道新幹線も眼と鼻の先にある。 浜岡原発の停止に複雑なコメントをする地元の方の報道を見て、つくづくこの国は生計を立てる術を国に依存している人が多いことを思い知らされた。公務員はもちろん、独立行政法人や各種団体。土建業者でも元をたどれば税が主な収入源であるところが多い。外食産業でさえ立地次第では…。 そういえば少し前にやっていたテレビの経済バラエティで「どうしてこのお店がやっていけるのか」というのの答えのいくつかは学校など税金に端を発する発注先がなぜかほぼ固定して毎年存在していることが原因だった。(本来ならば、その手の発注は毎年入札されるべきもの したがって納入業者は毎年変わるべきもの)補助金の比重が大きい農業などもそうだし、半独占的経営が可能な公共事業もそう。パチンコでさえ法のグレイゾーンで守られているようなものだし、電波のことを考えると放送メディアも該当してしまう。そもそも主要取引先リストに国や自治体の名前がないと会社の信頼度も低く見積もられてしまう。 モノカキの仕事ですらそうだ。教科書等に採用されれば権威になる。講演・セミナーの講師でも講演先に公の色が濃い団体があると格があがるような風潮も。単純に日本の財政のことを思えば税を受け取る人<税を負担する人 (金額)であれば財政は健全化するし、不等号の向きが逆になればそれだけ厳しくなるはずなのだが。国や自治体、そこから差し出される税に端を発するお金をあてにしなくても経営が成り立っているのなら、それはそれですごいことなのだが。税からほとんど収入の恩恵を受けていない人というのは実は少数派なのかもしれない。サラリーマンは給与が収入源だが、会社の主な取引先が公であるならそのサラリーマンも間接的には収入の大半を税に依存していることになる。そもそも数十年も政権交代がなかったり主食の価格を国家が定めていた段階でわかっていたことなのだがこの国は資本主義国とは言えない。実態は社会主義国(それが悪いとは言わない)それもかつては世界一、いや世界で唯一成功した社会主義国だったが今ではその称号すら得られない、低レベルの社会主義国になってしまった。それでもなお、国際化を進め、グローバルスタンダードを受け入れ官尊民卑の風習を打ち砕き、市場経済をめいっぱい受け入れるよう移行するのか、もしくは「ガラパゴス上等」「島国が鎖国で何が悪い」と独自の路線を突き進むのか。それは落ち着いたら国民ぐるみで論議すべきテーマかも知れない。歴史を振り返ると、戦後の四十年を除けばこの国は鎖国状態の方が国内は安定しているから後者を選ぶのもひとつの方法ではあろう。肝に銘じておかねばならないのはいいとこどりは不可能だということ。それを踏まえての後者の選択が国民の同意の元でなされるのならそれはそれでアリだ。
2011年05月18日
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2011年5月5日 記「渋滞」と打ち込んで検索したTLを眺め、臨場感と日本独特の季節感に触れる。 発想がことごとく逆だよなと思う。渋滞からの連想。土日祝日はほっておいても高速利用希望者は多い。サンデードライバーや地理に不慣れな人の数から事故も増加が予想されるから渋滞は必然。一般道の併用や日時の拡散に向けるのが合理的。 一方平日でも利用したいという人は職業的な利用者が多く常連中心であることが予想される。商業・サービス業においては、一般に常連および閑散時間帯・閑散期は優遇があり、一見さん、集中期、繁忙期には割高となる。高速道路の休祝日1000円上限というのは、まさに市場の論理の逆をいったわけだ。 もっともそれで喜ぶ人が増え、票につながってしまったのだから、彼らだけを笑うことは出来ない。 時間とコストと捉える人が少ない、あるいは現実的な価格という数字を見てしまうと時間以上に貴重であると錯覚してしまう人が多いということが推測できる。いや、もっと単純に時間以外に稼ぐ手段を持っていない人が多いと考えたほうが自然か。多くの日本人は給与・賞与以外の収入のチャネルを持ち合わせていない。 とすると、一部の今話題になっているような既得権だの身分だのから発生する市場の原理の枠外の報酬をリスク無しで確約されている人々(天下り役員など)を除けば、多くの人は時間を切り売りもしくは量り売り(計り売り?)することで生計を立てていると言える。これのメリットはリスクが少ないこと。 他方、もしこの時間の切り売り・量り売り状態から逃れ、組織による緩やかな拘束からの開放を願うとすれば、時間以外の売りを得るしか無い。自分の所有する技能・能力・仕事・財などから、換金性のあるものを養い育てることが必要になる。 いや、実はそれだけでは換金はできない。どんなに換金性のある自己の所有するものでも、その存在を相手に認知され、さらに価値を認められなければならない。 そこまでやろうとすると並大抵の努力では叶わない。実力はもとより、半端ない執念や模索・創造・普及させるための時間が必要になる。お、ここで時間に戻ってしまった。そう、時間を切り売りしている身分で、多大な時間を用意せなばならない矛盾。しかもコレは投資だからその間は収入がない。 回りくどい話はようやく結論に達する。この自分の持つもののなかで換金性のあるものが何であるかを見つけ、見つけられなかったときは育成し、さらにそれに需要を感じてくれる人や組織に認知してもらい、価値を認めてもらうという壮大な作業。これを為すための時間。そんなものを持ち得た人がいるのか? 実はいるのだ。しかも大勢。特定の事情を抱えていた人以外はほとんどこの時間を所有して「いた」。もうおわかりだと思う。その時間こそ学生時代に他ならない。考えられる限りの平等性で多くの人々が食うために働かなくても生活できる数年間を与えられて「いた」のだ。 問題はそのことに気がつかなかったことにある。いや、少年少女にそこまで気づけというのも酷な話だから、そこまで教えなかった、そのことを考えてカリキュラムやプログラムを提示しなかった側の責任も皆無ではない。 なんだ、これこそ、まさにキャリア教育の中でもっとも重要な、「なぜ学ばなければいけないか・働かなければいけないか」という動機づけの根幹であり第一歩じゃないか。ちなみにぼくはその類の資格にも学部にも興味はない。時間の切り売りから逃れる努力をし成功した経験のある人からしか、こんな発想は生まれないし説得力もない。 漢字というか熟語というのは不思議なものだと感じる。「学生」という言葉。通常は「学問に生きる」とか「学び生活する者」とか、「学」が「生」を修飾する熟語とされる。実際この熟語の成り立ちはそれでいい。が、逆に「生」きるために「学」ぶ。「生」計を立てる術を「学」ぶ者と考えることもできる。 こういう符合を見つけると妙にうれしい。ともあれ、たかだか渋滞のヴァーチャル体験からここまで考えを展開していてはそりゃ精神もくたびれる。
2011年05月18日
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きっかけとなったのは他の方の世界史の重要性を語るツイート。それに対するぼくのつぶやきは以下。いまの政治について何が良くて何が悪いのかを知るために、世界史の知識というのは本来必要不可欠で前提として持っていなければならないものなのです。しかし、それを学んでいる人、教えられる人というのは、極めて少ないのが現状です。学校では高校の選択科目でしか登場せず、そもそも選択する人が限られるのですが、その生徒たちですら、重要性の高い近現代は教科書の後半にあるせいで「ここからここまでは自分で教科書読んでおくように」で片付けられたりする。大学でも通史を学ぶ機会はろくになし。史学科ですら「世界史」というくくりで学ぶことはほとんどないんですね。 でも実は日本人ほど世界史を学ぶのに向いた人種は無いのです。なぜならキリスト教・イスラム教はおろか、仏教の影響すら受けてはいても理性を阻害するほどのレベルではないから。そして東洋にありながら西洋に理解を示すことが出来る。日本人の短所は世界史を学ぶときは長所に変わります。【送料無料】読むだけですっきりわかる世界史(古代編)【送料無料】読むだけですっきりわかる世界史(中世編)【送料無料】読むだけですっきりわかる世界史(近代編)
2011年05月17日
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「時間だけはありますから」というと決まって怪訝そうな顔をされる。リストラされたか、生活保護等を受けていると思われてるようだ。実態は真逆なのだが。 一昨年、文庫化したものが発売後半年以上を経て大騒ぎになるという思わぬ形で注目を集め昨年さらに勘違いすればバブルになってしまうような状況を迎えた。よゆうができるはずだったのだが、案に反してそうはならなかった。仕事はよりキツくなったしレジャーも旅行も行けない。浪費も消費も時間的な制約からなかなかできず、節税さえ考えることも実行することも出来ず、なすがままに五十万部から六十万部分の印税相当の収入を会員制クラブ・JAPANサービスに持って行かれた。(ココ、もちろん比喩だよ 市場原理からかけ離れたあの組織のことね)ぼくの収入は印税がほとんど。どこかの人たちのように母体の経営規模が数分の1に縮小しても変わらぬ待遇を受けられる身分から発生する収入でもなければ親が残してくれた土地や農地改革で手に入れた農地がなぜか宅地に化けてなんていう財産収入でもない。文字通り身体と心を削って得られた対価。寝ても覚めても原稿のことを考え快楽どころか息抜きもままならずストレスに圧し潰されそうになり目にくまはでき、肌は衰え、視力は急激にダウン、片方の目は歪みで使い物にならずそこで思った。自分の人生を悔いのないものにするのは自分しかないと。人や組織のせいにするのは楽だが、それで人生が悔いのないものに変わるわけではないと。だから自分は自分で守る。自分のことは自分で決める。自分の食い扶持は自分で稼ぐ。自分の限界も自分で判断する。誰もあてにはしないと。休養することを決めた。もちろんリスクはとてつもなく大きかった。収入は確実に目減りするし、一度断った仕事は二度と来ないかもしれない。それでも休養補償もなければ、失業保険もない以上、倒れることはできない。扶養してもらうことも期待できないし、介護してもらうのにはまだ早い。自分の心身は自分で守るしかないのだ。 結果的に成功だったかどうかはわからない。いや、むしろ売れてるとき、のってるとき、オファーが殺到してるときに、あえて休養を決め込んだのは、チャンスを逃したと言えるだろう。それでも狂うよりはいい。動けなくなるよりはいい。いま、ぼくは依存しない生活を送っている。かけがえのない時間と共に。
2011年05月17日
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昨日の投稿健全な社会には、ひねくれ者が不可欠だと思っている。いや、ひねくれ者が社会を健全に保つというべきか。ひねくれ者は社会のバロメーター。ひねくれ者を許容できる社会は健全だといえる。ひねくれ者に寛容的な社会は成熟していると言える。もちろん、ひねくれ者が大勢では困るけれど。最近「日本を一つに」とよく耳にするけれど、実は、日本史をふりかえると、日本人が、表面的にせよ、一つになったときはたいていろくなことにならない。いちばんわかりやすいのは国を滅ぼしかけた(いや、アメリカに魂を売り渡したんだから事実上滅ぼしたのかもしれないけれど)満州事変から大東亜戦争(太平洋戦争)の流れ。 「一つになった高揚感・陶酔感」が個別の客観的判断力を鈍らせて(あるいは封殺し)惨事を招く (by zetton777)現在の悲劇を起こした元となった原発ムラ。この利権にのっかった官庁や政党。なんだ、みんな、一つになった結果、ろくでもない人災を引き起こしてるじゃないか。自民党は財界・官界・自立できない地方の首長や議員(ほんとは住民も)と一つになり、民主党は労組や自立できないあらゆることへの経済援助や支援金・補助金・手当を求める人達と一つになった。その結果が今の日本。一つになることの恐ろしさは、この程度の例でもすっきりわかる。だいたいね、「一つになる」なんてことを軽々しく口にして欲しくないし、人から押し付けられるものでもない。誰と、いつ、一つになるかは自分自身で決めるよ。
2011年05月17日
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最後の更新が4月8日。最近よくある話だが、facebookにツイッターもあるのでこれがなかなか。そもそも、ぼくの場合、職業作家がネットメディアに純然たる仕事以外でモノを書くことに積極的であったわけではないし。ゆえあって、ツイッターIDは公開してない。(近頃方針を変えたので、今となってはあまり意味がないが)公開して、「そっちを読んでください」というのもなんなのであっちに書いたものをいくつかセレクトして挙げる。まずはこれ。今更ながらではなくて今だからこそツイッターを語る。二年前は、使えないメディアだと思っていた。そしてその認識は間違ってなかったと思う。今は、もちろん注意は必要だが使えるメディアになったなと思った。なぜなら他の方々のつぶやきの中で「ツイッター」という言葉を見かけなくなったからに他ならない。二年前は頻繁にTL上で「ツイッター」という言葉を目にした。ツイッターでツイッターの便宜性を語る人がとても多かったのだ。2ちゃんや既存メディアに対しての利用者の根拠のない優越感みたいなものも見られた。これではメディアとしては及第点に至らない。ケータイで「いやあ、やっぱケータイ便利だわ」という話をする人はほとんどいないだろう。メールで「やっぱメールって早いし切手代いらないしサイコー」と送信する人もまあいないだろう。もちろん両メディアとも創成期にはそういう人が頻繁にいた。そこで取り上げられる話題がそのメディア自体のことではなくなって初めてメディアというのは機能する。ツイッターはようやくその段階に来たようだ。爆発的な利用者増はもう仕掛けやアクシデントでもない限り起きないだろう。が、それこそがメディアが成熟に向かっている証拠だと思う。 【送料無料】小中学生のための世界一わかりやすいメディアリテラシー
2011年05月17日
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不安を煽るだけではいけないので私が考える最善?のシナリオも披露しておく。ちなみにこれは極めて恥ずかしいシナリオだ。ご存知のように、日本は米国債保有高は中国についで第二位である。もし仮にこれを大量に日本が吐き出せばさすがのドルも揺らぐ。ドルが揺らげば当然世界経済が混乱する。これを避けるためにアメリカが腑甲斐ない日本に強硬的に介入する。これが私の考える最善?のシナリオだ。そう、他国任せ。開国、敗戦に次いでまたもやアメリカの強硬的姿勢による棚ぼた式の幸運への期待だ。これまでの言動からわかっていただけると思うが私は決して親米べったりではない。むしろ反米的でさえあった。が、かなしいかな。もはやどうにもならない。この国の政府も頭だけはいいと信じていた官僚たちもこの国が諸外国に強制的鎖国状態に封じ込められ円が国際通貨としての価値を失い輸入が途絶え品不足からハイパーインフレが起きてもまだ自分たちの利権が有効だと思っているようだ。日本の政治家や官僚の権威などというものは日本の携帯と同じでガラパゴス的なものでしかないのに。ゆえに円が力を失ったらどんな利権を持っていても意味が無いのに。もっともアメリカもわざわざ介入しなくても恫喝すれば済んでしまうと思っていることだろう。数人もしくは数十人の今後の生活を保証してやれば彼らは黙って言うことを聞く。売家と唐様で書く三代目とはよく言ったものだ。
2011年04月08日
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三菱東京UFJ銀行の子会社にユニオンバンクという外資系銀行がある。三菱東京UFJ銀行でも一応口座開設ができることになっているのだが、旧UFJ系支店ではサービスの存在自体すら知られていないところがあった。がっかりだ。やっぱ億単位の預金をしてないとメガバンクは使えない。もっともペイオフが1000万、今の金利で銀行に一億寝かせておくメリットなど、どこにもないのだけれど。
2011年04月08日
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私が考える最悪のシナリオ(もちろん外れるにこしたことはない)このままズルズルと原発継続。余震もズルズル続く。西日本で小規模の本来だったらどうってことのない地震が数カ所発生。政府は例によってビジョンを持たないまま逐次投入的に支援金や補助金を給付。もちろん公務員の人件費の大幅なカットなどはできず。(5%カットでお茶をにごすつもりだろう)もちろん東電の資産凍結、関係団体、関係省庁への責任追及は出来ず。諸外国から放射性物質汚染問題でクレーム&損害賠償請求日本からの輸入に各国が大幅な制限(食料品に限らない)円安の進行渡航を嫌がる外国籍の船の増加や円安による外貨不足から品薄へハイパーインフレの発生これまで予言してきたことは全て的中しているだけにそろそろ外れて欲しいのだが。防衛手段として外貨預金を考えたのだが日本の銀行で外貨預金をしても預金封鎖に逆らえない。しかもペイオフ対象外。かくなる上はリスク承知で海外に飛んで口座作るしか無いのかな。もっともそれだと預金は保全できるけれど危急の時には使えない。ううむ。
2011年04月08日
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ノストラダムスシンドロームと並んで日本社会を覆う(こちらは既に蔓延)空気がワナビーヒーローシンドロームだ。ワナビーヒーローとはもちろんI wanaa be a heroすなわち「被災者を救済したい」「被災地の復興のために働きたい」という空気である。寄付や節電で己に酔ってしまう心情も含む。「え?それって何がいけないの」「何、言ってるんだ、おまえ、いいことじゃないか」などと驚きやお叱りの声をいただきそうだが実はワナビーヒーローシンドローム、かなり危うい。以前からなんども語っているが被災者の救済も被災地の復興も無視して良いことではない。が、そちらに目を奪われるあまりに日常が疎かになっては意味が無いのだ。考えて欲しい。そして気がついて欲しい。実はお金の出所は結局国庫になるんだと。寄付した一方で、子ども手当など諸手当や支援を国に要求すれば本末転倒になってしまうと。そう、子どもがお小遣いで親にプレゼントを買う行為に近い。気持ちはもちろん嬉しいのだが元々の出処は同じというやつだ。もちろんみなさんの子供さんはそんなことはないだろうが中には「プレゼントを買ったので今月お金が足りない」と臨時お小遣いを要求する子供も存在する。まさに自分の身の丈を考えず自分自身や保護すべき家族などの人のことを忘れて被災者の支援ばかりに目を向けている人はこの子供のようになってしまう可能性を孕んでいる。綺麗事はいくらだって言える。こんな発言をすればきっとぼくは叩かれるだろう。冷たいやつ、冷酷な人間、そう批難を受けるに違いない。が、それでも言わざるをえない。なぜなら日本中がワナビーヒーローシンドロームに酔っているから。そしてその性質上人気を得ることが不可欠であり無意識のうちに人気に敏感な言動や行動をとることができる政治家や芸能人・評論家といった有名人の多くがまさにこの病に取り憑かれている。そして彼らは国民に多大な影響力を持っている。だから始末が悪い。自分自身が国に頼ることなく生活が出来なおかつ気前よく納税することで人を支えることが出来る。さらに家族やお世話になっている人なども国家や他人のフトコロをあてにせず、自分自身で養える。そういう人こそ寄付や支援に立ち上がってほしいし彼らが立ち上がることはそのまま被災者・被災地・国家への支援につながる。が、そうでなければまわりまわって国の財政の首をしめさらにまわりまわって被災者・被災地・国家の復興(新生)を遅れさせるもしくは不可能にさせてしまいかねない。別に寄付をやめろと言っているのではないボランティアをするなと叫んでいるわけでもないそれらの行為は尊い、気持ちはまたしかり。が現実に日本全体を考えた場合国民総動員で被災地と被災者に目を向けてもかえってそれがあだになる可能性が高いのだ。ほんとうに冷静に考えるとはこういう発想ができるかどうかである。おかしな空気をかもしだしそれに酔ってしまうことではない。
2011年04月07日
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震災以降、数々の流れを的中させている私が(外れてくれると一番良かったのだが)一週間ほど前から危惧していたのが日本社会に二つの空気が蔓延すること。それがノストラダムスシンドロームとワナビーヒーローシンドロームである。本来、シンドロームというのは症候群のことであるがこれらの空気はまさに日本を覆う病魔のようなものであると考えているのであえてこの言葉を用いたい。なお二語とも私の造語である。ノストラダムスシンドロームは言うまでもなく『ノストラダムスの大予言』からの命名。1973年、五島勉のベストセラーはまるでノンフィクションであるかのように受け取られ日本中に(特に子供に)恐怖を蔓延させた。直接的な被害は目に止まるほどのものでもなかったが「どうせ1999年には死んでしまうのだから」といった厭世観は特定の新興宗教に勢いを与えたり眼に見えないところで様々な害を及ぼしている。「どうせ放射能で死ぬのだから」とか「どのみち、日本はもうだめだから」といった漫然とした恐怖。「どこまで逃げればいいのか」「どれだけ蓄えておけば安心か」といった現実的な不安。これらを引き起こしているのは情報の小出しに他ならない。パニックを避けるための情報の隠蔽が結局は不安を煽り、信頼を損ない、頼れるのは自分だけだと素人の情報収集能力も把握能力も分析能力も持たない人々にまで想像を強いて結果として品不足などのパニックを引き起こしている。笑えない。
2011年04月07日
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日本は食料資源にもエネルギー資源にも乏しい国です。かつてのような加工貿易国ではないにしろ、自給自足ができている国ではないので、最後は外貨が必要になります。しかし、原発事故以降日本製品に対するアレルギーが海外に蔓延しています。 ここで海外に向けていくら安全を説いても意味がありません。大切なのは彼らが安全と認識してくれるかどうかです。事実が安全かどうかは消費者としての彼らにとってもはやどうでもいい。消費者としての自分を考えればわかることです。安全だと信頼できたものをあなたは買うのではありませんか?したがって、日本製品が安全であると「感じてもらう」必要があります。日本との交易が安全であると。 そのためには、まず海外に向けて「日本の国土が縦に長いこと」「西日本では以前と同様の生活がなされ経済活動が行われていること」「西日本には福島第一原発の放射性物質の影響は皆無であること」を告知しなければなりません。政府メディア一体となって。 肝心であり、それを成功させるためには、「東京も安全だよ~ん」と変な色気を出さないことです。むしろ切り離して対比宣伝するくらいがいい。なぜなら比較対照したほうがより強く西日本の安全性をPRできるから。首都圏や東日本でも安全であるということは日本人自身が感じていればいいことです。 特にマスコミは必要以上に東北の被災地および首都圏の計画停電での混乱などを報道しないほうがいい。海外では日本中が被災地のようになっていると思い込んでいる人も多いのです。中京広域圏や関西広域圏のテレビ局は、それらの報道の量を減らして、ローカル制作の報道を増やしたほうがいい。 できればそれらをネットで海外に配信するとよいでしょう。これらは決して首都圏を見捨てることを意味しません。対外的な拠点を新たに西日本のどこか(おそらく関西になるでしょう)に置くだけのことで、国内的な中心地は東京であり首都圏で構わないのです。 なぜなら、日本人にとっては多少の放射性物質の危険性があっても、首都圏はまだまだ魅力的であり、首都圏でしかなしえないことはいっぱいあるから。けれど、外国人にとって、もはや東京はそこまでの都市ではなくなりました。悔しくてもそこを認めて、対外拠点だけでも関西に構築すべきです。 そして、それは早いほうがいい。なぜなら原発の影響が広がった後では意味をなさなくなってしまうからです。今のうちに西日本が如何に東日本と離れていて別個の存在であるかをアピールしなければなりません。「オナジジャーン」と位置づけられ思われてしまってからではどうにもなりません。2011年3月27日 13:59:16 TweetDeckから
2011年04月04日
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ひどく経済的に恐ろしい可能性について言及する。今後、東電への賠償請求が問題となるが、このまま汚染が進み、自体が大きくなると海外からの賠償請求さえあるかもしれない。さすがに国家や大きな企業レベルではイメージの問題もあって、簡単にそんな行動に出ることはなかろうが、小さな企業や個人では事情は異なる。外国の中には下から突き上げられたことを名目に 日本への賠償請求に踏み切る国家も出てくるかもしれない。少なくとも自国の企業や個人のそうした動きを支援する国は出てくる事だろう。となると東電の賠償請求に対する損害の認定については極めて考慮せざるをえない。私はこれまでのツイートなりブログを見ていただければわかるように「東電許すまじ」の立場なのだが、だからと言って安易に賠償請求を認めるとそれが基準となってしまい海外からの個人などの請求に応じなければならなくなる。 相手が地球レベルになったらもうどうにもならない。そのために、政治的な手法で美しくはないのだが、賠償においては司法において決着をつけさせるのではなく、損害賠償額と同等の金銭を何らかの名目で支援する形をとったほうがいいのかもしれない。もちろんそのためには東電は国の管理下に置かねばならないが。 さらに言えば、「東電を国の管理下に置く」には資産凍結が含まれる。負の遺産だけを押し付けられて、保養所などの保有不動産や保有有価証券(例えばKDDI)を処理され、役員賞与や退職金に引き当てられてしまってはどうもこうもないのだから
2011年04月04日
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いつの時代も日本人は空気を呑む。「読む」のならまだいいのだが、自分で考えることを放棄し、はぐれ者になることを怖がり、丸呑みしてしまうのだ。そして始末の悪いことに為政者のあらゆる悪事は正義の名のもとに行われてきて、数多くの美談に彩られていた。美談は権力者にとって最高の道具。 たとえば、美談を悪用する権力者に異を唱えるとする。しかし権力者はそれをまるで美談自体を否定したように反論する。大衆も民衆も美談に酔いたいし、悪いヤツと思われたくないから、一歩間違えば美談自体を否定したと勘違いされるような言動は出来なくなる。そうした発言者を叩かざるを得なくなる。 こういうことは日本史や世界史をほんの少しかじればすぐにわかるようになる。(ただし武将になった気分で戦国を学び、 志士や新選組に萌えて幕末を学んでいても身につかない) たとえば組織としての東電を批判することや無責任な役員を批判することは、現場で命懸けで頑張ってくださっている人々を批判することにはつながらない。むしろ彼らは口には出さないけれど、組織や役員の無思慮の最大の被害者なのだから。 たとえば、現政権の広報の不手際や後手後手の対応を批判することは、被災地の救済を軽んじているわけでも、その努力を妨げているわけでもない。なぜなら迅速かつ適切な対応のできるスタッフによる指示は、彼らの救済をより素早くニーズにあったものとするから。 2011年3月27日 13:09:12 TweetDeckから
2011年04月04日
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実は日本の「復興」は、もはや不可能。なぜなら以前と同じ形を取り戻すにはあまりにも被害が大きすぎたから。しかし、言葉が適当かどうかはわかりませんが(なにせあの人が運営していた政党と同じ名前なので)日本を「新生」することは可能。 どの地域には損害が少ないのか、どの産業に被害が集中しているのか、こうしたことを国家が俯瞰的に情報収集し、しかるべき機関で分析し、地域や産業の再構成を進めなければなりません。本来の意味での国家規模の「リストラクチャリング」です。ただ、それを進めることは当然既得権者にとって経済的・地位的なマイナスを生み出します。したがってこれは容易には進まないでしょう。というより、今までの体制で利益を得ていた今の機関には到底呑めないことなのかもしれません。でも、それをしなければこの国は衰退します。 2011年3月27日 13:49:07 TweetDeckから
2011年04月04日
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平時でなく有事の今、必ずしも冷静であることがいいことかどうかはわからないが「冷静になる」ということは、「平時に極力近い精神状態を保ち行動を取る」ということだろう。だとすると「不測の事態に備えて水や食品や電池を備蓄すること」も「先の先を読んで早めに避難・退避すること」も、極めて冷静な発想であり行動であると言える。 2011年3月27日 13:21:32 TweetDeckから 「想定外」の津波と判断し、避難所からさらに高台へ避難した人々に我々は安堵し、逆に一度戻ってしまって呑み込まれてしまった方々に、 我々は無念を感じている。それなのに、なぜかこと原発と首都圏からの疎開になると、水に神経質になったり、早期の避難を嘲笑する雰囲気があるのは不思議なことだ。 2011年3月27日 13:25:47 TweetDeckから
2011年04月03日
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風評被害を差別と同一視する方々が忘れていることがあります。「ある商品を買うか買わないかを決めるのは生産者ではなくて消費者だ」ということです。ついこの間までみなさん消費者主権に目覚めていらっしゃったじゃないですか。 2011年3月27日 13:37:29 TweetDeckから 本当は安全であるかどうかはもはや重要な問題ではないのです。重要なのはその商品を購入すると想定されているターゲット層である消費者が、その商品を安全であると感じるかどうかなのです。消費者マインドを読むことの重要性を説いていた人達が、今回に限っては、それと真っ向から反する主張をしているのが不思議でなりません。 2011年3月27日 13:39:42 TweetDeckから もちろん、ぼくの発言は差別ではありません。消費者心理を「冷静に」述べただけのこと。放射性物質による汚染が「疑われる」食品及びその生産者の方々に対しては、東電及び責任のある組織が補償すべきであると思っています。 2011年3月27日 13:41:27 TweetDeckから そう、消費者に無理に買わせようとしてもどうにもならない。そんなことは(私は嫌いな考え方だが)「お客様は神様です」という発想を持った日本人ならよくご存知のはず。経営者や商品・サービスを提供する側はもちろん消費者の立場にたってもしっかり商品やサービスの質に(ときには価格をはるかに超える)クオリティを要求していたくせに怪しげな肩書きのろくな実績もないセミナー講師やブロガー(笑)、コンサル、「ビジネス書」著者彼らはみんな一様に口をそろえてお客さんが大事だと言って経営者の立場も考えず真面目にその通りにやれば原価割れ起こすか、体力消耗して会社やお店が潰れてしまうようなレベルで消費者の重要性を説いていたではないか。だったら、今回だって「そりゃ信じられない商品は買えませんよね」と言ってみろよ。何度も言うけど、いわゆる風評被害に苦しんでいらっしゃる生産者の方々はちゃんと責任者である東電や経済産業省や不安、いや保安院などが賠償するべきだし、気の毒であることは間違いない。ただ、だからと言って、それを無関係の消費者に買えというのは無理があるということだ。商品というのは買いたい人が適切だと思う値段で欲しいと思う量だけ手に入れるのが正しい姿なのだから。
2011年04月01日
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原発について再度冷静に語ります。もはや本当は安全なのか危険なのかを論じるのは実は意味が無いんですね。なぜなら、人は本当は安全か危険かで動くのではなく、安全であると「感じるか」危険であると「感じるか」によって動くからです。 日本は食料資源もエネルギー資源も乏しい国です。貿易なくしては成り立ちません。今、諸外国は日本との交易を考え直し始めています。この流れをとめるには一度原発を運転停止して、諸外国の危惧を取り除いてやる必要があります。彼らに安全であると「感じて」もらうことが肝要です。 原発推進派は、その主張が正しいかどうかの壮大な実験をする機会を既に与えられたわけです。日本中いや世界に多大な損害を与えて。一方、反原発派にはまだ実験の機会が与えられていません。順序で言っても次は彼らに壮大な社会実験の機会を与えるのがフェアというものでしょう。 2011年3月25日 12:39:28 webから
2011年04月01日
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岩手労働局など、解雇相談増える、という記事に際してこの流れは全国に波及する。しっかりと見通しを立てた上で援助を始めないと、予算があるうちに支援が受けられた人と、予算が尽きて支援を受けられなくなった人という新たな格差問題が生じてしまう。12:37 AM Mar 25th TweetDeckから
2011年04月01日
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平時には先を読んで行動する人がほめられる。なのに、なぜか今、先を読んで行動する人たちは「落ち着きがない」などと揶揄や批難の対象となっている。何もこんなときまでみんなで横並びにならなくても良いと思うのだが。 12:16 AM Mar 25th
2011年04月01日
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対処療法をとるにしても、現在の日本はいわば発見と治療の遅れから合併症を併発している状態そこで各診療科が一人の監督医師の元で、あるいはチームによる方針の協議の上でバランスを取った治療を進めなければならない。今の政府にはそれができているだろうか。いや出来ているとは思えない。まるで耳鼻咽喉科や眼科、皮膚科に産婦人科の医師まで総動員して何をやっているかと思えば全員で止血の包帯を巻いているようなものだ。 平時には先を読んで行動する人がほめられる。なのに、なぜか今、先を読んで行動する人たちは「落ち着きがない」などと揶揄や批難の対象となっている。何もこんなときまでみんなで横並びにならなくても良いと思うのだが。 日本史ブームの火付け役の一人として。もし乗り越えるころができれば、日本は大きくはないがとてつもなく強い国に生まれ変わると断言できる。それは歴史が証明している。ただし、乗り越えることができた過去のケースとはあまりに類似点が少ない。(むしろ逆が多い)そこが気がかりで歯がゆくてならない。補助金の資金はいずれ尽きる。こんなときだからこそ、限られた資金をどう使うかどこにどう配分するかはビジョンを持った上で計画的になされねばならない。幸い、被災地に関しては国があらゆる規制を臨時に解除し正確な情報さえ開示してくれえれば民間レベルでの協力が大いに期待できる。いつまでもビジョンを持たないで次から次へ起こる問題に対処療法的に補助しているとやがて助けてもらえた人たちと助けてもらえなかった人たちという新たな格差問題も生じるだろう。国は美談に酔っている場合ではない。パフォーマンスなどもってのほかだ。現場で命を懸けてる方々が目立てばいい。政治家も役人も目立つ必要はない。ただ、命を懸けてる人たち、命までは懸けてないけれど救援に勤しむ人たち誰も褒めてはくれないけれど黙々と経済活動を続け彼らが動けるだけの資金を稼いでくれる人たちこうした様々な人達がそれぞれに行っている仕事や努力が無にならないようそしてより機能的に生きるようビジョンを立て指揮監督するこれこそが司令塔に必要なことだ。もっとも今の政府によって建てられるビジョンにはあまり期待できないどころか却って日本を悪くする可能性も低くはないのだけれど。了
2011年03月24日
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一番よくないのは政策決定の権限を持つ為政者や責任者らが、自分自身、間接的とは言え、不自由の小さくない被災者の立場になってしまっていることだ。それでは冷静な判断は望めないし、ましてこの未曽有の国難に長期的なビジョンを持って対峙することなどできはしない。司令塔は一時的でよいから関西に移すべきだ。 もし首都圏を離れることに抵抗の多い政治家や官僚があまりに大勢いるのなら政府とは別に緊急組織を設立してでもだ。避難対象地域の拡大、災害による工場の閉鎖などに伴う失業者の増加ずさんな計画停電どれをとってみても対応が後手後手だ。見事と皮肉りたくなるくらいの対処療法。どれも痛みを自覚してからの検査た治療の開始だからどうにもならない。もはや日本は地震と津波による産業へのダメージ原発事故による信頼へのダメージ原発事故への対応のまずさから来た貿易国としての地位の下落せっかくすすめていた観光立国の実現性の急落数々の事情から既に日本は震災前の状態には戻れない。実は「復興」ではなく「再生」あるいは「新生」(かつて日本に存在した政党ではない)すなわち体質改善と生活習慣の改善が不可欠になってしまった。にもかかわらず対処療法では…。「
2011年03月24日
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重要なのはなさねばならない仕事の配分だ。住み分けと言ってもいい。役割分担と言い換えてもいい。日本の政治的経済的中心地である首都圏が被災しているからと言って、全国を首都圏にあわせてしまうと肝心のお金を稼ぎ、入院状態を継続させるのを支援する側が存在しなくなってしまう。 極力早急に出来る限り首都圏に依存せず西日本を機能させるように仕向けなくてはならない。重要な工場の代替確保や交通の麻痺を波及させないこと、物資の供給を過剰に偏らせることで、物資不足を全国レベルに拡散させないこと、西日本では首都圏の混乱・被災地の状況に関する報道を過剰に行わないこと。 このあたり、流石に中央政権では言い出しにくいだろうし在京キー局では実現は不可能だ。橋下知事の「大阪維新の会」とか「ミヤネ屋」とか(待てよ、あれは東京もネットしてるなあ)「たかじんのそこまで言って委員会」あたりで言い出してくれるとまさに文字通り非常に助かるのだが。続く
2011年03月24日
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かつて、ほんの一時だが本人が望まないにもかかわらずあの今をときめく池上先生の対抗馬にと(畏れ多い話だ)多くの出版社といくつかのテレビ局関係者から打診を受けた私がこの持論をすっきり説明しよう。「読むだけですっきりわかる政府の対応はなぜまずいか」はじめに肩書きもなんもない私の発言の価値を評価された上で読んでいただくことをおすすめする。2010年3月10日以降の私のこのブログでの提案それらがことごとく(後追いで)実施に移されている現状。少なくとも今の段階ではエライ評論家の方々の多くよりも予想は的中している。後出しジャンケンの評論など誰でもできる。納得してくださった方のみ先を読んでいただきたい。阪神淡路大震災からの復興が比較的早かったのは、国家の側が良い意味でも悪い意味でも震災を局地的な災害と捉えていたことが大きいのではないか。支援を受ける側(有事)と支援をする側(平時)の住み分けが機能していた。ところが今回は彼らの大半が居住し業を為す首都圏に被害が及んでいるせいか、むしろ逆を行っているような気がしてならない。それは報道にも言える。首都圏の計画停電を節電が首都圏の支援にならない(よって節電の意味が少ない)西日本で報道する意味があるのだろうか。不安感を伝染させ、混乱を助長するだけではなかろうか。被害地区が広範囲であるとは言え、被災を局地的なものと捉えたほうが復興は可能になるし早く達成できる。被災を日本全土的なものとして捉えてしまうと、支援を受ける側(有事)と支援をする側(平時)の住み分けができなくなる。そうなると支援をする側がそのうちにされる側になってしまい、復興は遅れるばかりでなく不可能になってしまう。被災を局地的と捉えることには「(短絡的な)人道的立場」をとる方々からの批判がありそうだが、次の喩えで考えて欲しい。支援が必要という意味で被災地および首都圏を入院している家族に支援する側にならねばならないという意味で西日本をそれを支える家族に喩えてみる。そうすると被災を局地的と捉えるという一見被災者をかえりみないようなことが現実には却って被災者の救済をすすめることがよりわかりやすくなる。治療自体の基本は医師や看護師のみなさんにお願いするしかない。(精神的なサポートももちろん必要だが)入院していない家族は、入院している家族の元へ、必要なものを外で買ってきたり、家から持ってきたりしたり、安心して入院治療を続けられるよう、手続きだの保険の申請だのや働いてお金を稼ぐこともしなくてはならない。家族が入院している家族を心配するあまりに退院まで全員病室を離れなかったとしたら共倒れになってしまうことは明らかだ。表面的に見ればもっとも入院している家族を気遣っているようにみえることが実は長期的・現実的には優しいことではないということをおわかりいただけることと思う。続く
2011年03月24日
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そろそろ国は直接的な損害額や原発及び停電等に対する第一次間接的な損害額ばかりでなく被災地にあった部品工場の閉鎖の影響輸送路の不自由による影響職場の閉鎖に伴う職と稼ぐ手立てを失う人の増加日本からの輸入を控える外国の増加に伴う輸出額の減少被災地復興シフトに伴う不自由が発生させる非被災地の経済活動の悪化など数次の間接的被害まで含めた損害額を試算した方がいい。その上で対処療法的な補助金や特例ではなく大所に立ったビジョンに基づいた支援を始めるべきだ。一刻も早くそれを始めないと資金が尽きる。支援を受けられた者と受けることができなかった者間に合わなかった者こんなところにも格差が生じる。それは間違いなく人災だ。
2011年03月24日
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平時には先を読んで行動する人がほめられる。なのに、なぜか、今、先を読んで行動する人たちは「落ち着きがない」などと揶揄や批難の対象となっている。何もこんなときまでみんなで横並びにならなくても良いと思うのだが。みんなが一緒に被災地のために募金活動に励み計画?停電に協力し美談に酔う。それはそれ自体悪いことではない。けれど自発的に呼びかけられること無く自分自身の意思で主体的にそうなった人以外はちょっとした転機で一挙に反対側になだれ込む可能性が高い。「落ち着け」派が言うところのいわゆる「パニック」とはむしろ、その時に引き起こされるものだと思うのだが。
2011年03月24日
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みんなの党から菅首相への要望http://www.your-party.jp/activity/2011/03/17/110317_youbou01.pdfここ数日、訪問してくださったいた方々にはおわかりだろう。これ、ここでぼくが提案していた内容そのままだよね。で、なんでそんなことを言うかというと別に自慢したいからじゃない。そうではなくて「遅い」と言いたいだけ。ぼくのような政治に関しては素人と呼ばれみなされる人間ですら13日の段階でこれと同じ内容を提案している。しかもご存知のように「まとめ」だの「具体的手順」まで。何度も言っているけれどいやしくもプロと呼ばれる人ならば先が読めなければならない。もう自治体も受け入れを整え宣言して動きが始まってからでは意味が無い。勝手な印象だけどみんなの党というのは比較的政策能力をウリにしていると思っていただけに軽いショック。「うわ、これは俺には思いつかないわ」って感心させられたら安心して自分の生活にのめりこめるのだが。(自衛隊の方々をはじめとして 現業系の方々に関しては 「うわ、これは絶対俺には無理、とプロの凄みと精神や覚悟の尊さと 力をまざまざと魅せつけられている。 ただただ感謝と敬意あるのみ。)
2011年03月19日
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コンビニに週刊ポストと週刊現代があった。ほんの少しだけほっとした。というのもこれらは震災後に編集されている。震災後も取材・編集ができているのはわかってはいたが(仮にも私は月刊宝島に連載を持つ身。 さらに言えば、私の担当編集者はその編集長だったりする)印刷・製本・流通に関しては正直危ういと思っていた。だから週刊誌が首都圏外のうちの地元のコンビニに置いてあったことは眼に見える日本が機能している証拠の一部なのだ。もっとも内容については今のところ片方しか読んでいないがイマイチ。だって、寄稿者の名前からこんな内容じゃないか?と推測した通りそのままの内容でしかない。まあそれは編集の責任ではなくて寄稿した人たちや発言した人たちのせいでもあるけれど。はじめに結論ありきがみえみえ。平時なら意見が揺るがないのもありだけど。結局言いたいことが先にあってそこに都合のいい題材を集めて説得しようとしてるだけ。今回の震災の中で分析・法則化・予想をしている人があまりにも乏しい。ううむ。いかんいかん俺は療養すると決めたんだ。
2011年03月19日
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提案を期待している方には申し訳ないが今回は自分自身のこと。数年前から老眼になってしまったのだが最近左目の視野に部分的な欠けが生じ直線がゆがんで見えるようになった。右目は正常なのだが左目の視力の低下があまりにひどく急遽眼科の診察を受けた。瞳孔をひらいて検査していただいた結果左目の奥に浮腫があることがわかった。原因は「ストレス」やはりそこか。活字中毒で趣味がドライブまさに目が生命線の私が視力を台なしにしてしまったとは。昨年は新刊が八冊。発行部数百万部超。私の手元から旅立っていった諭吉さん数千人。文字通り身体を削って国家にご奉公したことになる。目の方はとりあえず薬を投与し一ヶ月様子をみることになった。しかし原因がストレスとなると快癒は難しいかもしれない。目下の自分の最大のストレスを正直に語ればこの危急時にそしてここをどう切り抜けるかで今後数十年のこの国の国際的地位が代わってしまうという時期にせっかく私案を多く持ちながらそれを間接的にしか伝え得ないというところにある。こんなことになるのなら「俺の本業は執筆だから」などと気取らずもっとテレビの仕事設けておけばよかった。「自分からフォロワーを増やそうとするのはプロがやることじゃない」などと著書のプロフもツイッターIDを記載せずもちろん「フォロー・ミー祭り」にも参加せずブログでも二年前からツイッターやってること語らずなどとせず積極的にフォロワー増やしておけばよかった。政治家サンからの呼びかけにも顔出しておけばよかった。返す返すも悔やまれる。しかし今更悔やんでもしょうがない。幸い報道機関や官庁、力を持った企業のみなさんはアクセスしてくれているのでこんな場所で療養しながらひっそりと提案を続けることにしよう。被災地民の市町村単位での疎開も実現したしセンバツも開催が決まった。きっと首都圏からの一時移転や首都機能の部分移転も実現することだろう。(既に一足早く外資系企業がそれを達成してしまったのには 複雑な思いはあるが)
2011年03月19日
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私のサイトやブログにはメディアの方もよくご訪問くださっているのでこの場を借りてお願いをさせていただきたい。どうか、少しでいいから被災地や混乱する首都圏だけでなく平常の毅然とした経済活動・生活活動が行われている西日本を始めとした諸地域の様子を報道して欲しい。いまさら観光立国など果たせるとは思っていないが少なくとも日本全土が壊滅的状況にあるという海外からの誤解は解かねばならない。もちろん先方(海外メディア)もそんな絵を欲しがっていないことはよくわかる。下手に普通の生活ぶりを報道することが一部のヒステリックで過剰な反応を招く恐れも分る。が復興活動は基本的には税収で賄われる。日本にとって海外からの信頼を失うことは避けねばならない。強制鎖国状態に追い込まれることがあってはならない。嘘も脚色も必要ない。現実に西日本を始めとした諸地域では平時の生活が営まれているのだからただそれを報道すればいいだけのこと。せめて海外発信するときだけでも「しかし日本は縦に長く、今回の震災の被害を受けていない地域も 節電や交通機関の乱れもまったくない地域もたくさんあって むしろ全体としてはそうした地域が圧倒的に多いのです」と付け加えてくれるだけでいい。日本のために切に願う。
2011年03月18日
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一端開催が決定された高校野球のセンバツ大会。しかしその後のスポーツイベントの相次ぐ中止に配慮してどうやら中止を検討しているとのこと。コレは違う。センバツの開催地は言うまでもなく甲子園球場すなわち震災の直接的及び第一次間接的被害にも遭遇していない西日本。センバツは原則デーゲームなので電力についても過剰な心配は要らない。というか、そもそも60Hz地帯なので仮に甲子園で節電してもその電力を関東や東北に送電することはほぼできない。もう既に忘れてしまった人も多いようだがセンバツはあの阪神淡路大震災のときも開催している。目と鼻の先、いや甲子園球場自体も被災したにもかかわらずだ。にもかかわらず中止にしたらますます危機感を抱かなくてもいい西日本の人々いや危機感を抱くことがかえって足をひっぱる(買い占めがそうだ)ことになる西日本の人々をさらに不安にさせる。もちろん被災地の人々にも娯楽は必要だ。とくに高校野球のファンにはお年寄りも多い。地方では人気のあるコンテンツだし(私は嫌いだが)あのお涙頂戴的な頑張ってます要素は大いに彼らを励ますことだろう。やったほうがいい、やるべきだ。もしどうしても被災した人々に気兼ねがあるのなら入場料収入を全額もしくは黒字分だけでも寄付すればいい。ほんとうは首都圏などはもう少し危機感を持って西日本はもう少し他人事でいてくれたほうがいいのだがどうも逆になってしまっている。被災した人々を救うことに直接手が回らない人たちは何もそのことに後ろめたさを感じる必要はないのだ。やすっぽいヒューマニズムは被災者を救わない。余計な遠慮のために日本経済がこれ以上沈下すれば非常時であることをこれ以上海外に知らしめ西日本でさえ通常の興行も機能しないとなってしまえばますます日本は強制鎖国の憂き目にあってしまう。もちろん節電等によって被災地に対して第一次間接的な支援ができる首都圏は別だが西日本ではむしろできるかぎり平然とした経済活動をすることこそが復興の期間を短くする。東北の分まで首都圏の分まで俺達が稼ぐから余計なことはしんぱいしないで自分と家族の健康と復興に専念してくれそれくらいの心づもりがいい。センバツはやったほうがいい。
2011年03月18日
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政府はいまのうちにあの電力会社および福島第一原発のプラント設計及び施工業者の資産を凍結しておいたほうがいい。これは電力会社およびプラント業者の一般社員のためでもある。どのみち、落ち着いて(いつ落ち着くかわからないが)補償問題になったらこれらの会社は、補償しきれないのでほぼ国営化するしかない。それくらいは彼らは読んでいる。とするとそうなる前に経営陣は姑息な手段をとるかもしれない。確認しておくがこの人らは現場で文字通り命を削って貢献してくださっている方々とは別人だ。日本では小さな会社は事実上、会社の倒産イコール個人の破産にされてしまうが大きな会社は会社の倒産は経営陣の破産を意味しない。今のうちに退職金だのなんだの画策して責任を取るという形で退職し自分は責任を逃れ、なおかつちゃっかり個人の資産を増やすことも出来る。例によってやるなら今のうちだ。日本を国際的に二等国、いや三等国に貶めた責任者たちをおめおめと逃がしてはならない。(この措置をとるのに関わる政府や官僚は 被災地救済に携わあっている人とは管轄が違うから この措置をとるために救済が滞るということはないから安心して欲しい)
2011年03月18日
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震災からの復興についてはこれまでに散々語ってきたので過去の記事を見て欲しい。幸い、多くの自治体が被災民の受け入れを準備しまた疎開希望の方々に関しても徐々にそういう動きが公式に行われるようになりそうだ。ところできょうは別の話。もう少しくだけた話。既に気づいていらっしゃる方も多いかもしれないがぼくは、ブログやツイッターの普及に必ずしも手放しで好意的ではない。メディア・リテラシー本ではおそらく日本で最初にネットでの情報発信によって被害者ではなく加害者になってしまう可能性について分類追求してのが、このぼく。でも今回の震災でひとつ、ブログやツイッターが普及していてよかったと思ったことがあった。もちろん、ぼくが語るのだから月次な「連絡がとれた」なんてものじゃない。では何かと言うとそれは自己を客観視することで、若干ながらも冷静に振る舞えることに貢献したのではないかということ。どういうことか説明しよう。実は、ぼくがモノカキになってよかったと思うことがある。それは多少トホホなことがあってもそれをネタとして考えそのために擬似的に自己の客観化が出来、本来だったらふさぎこんでしまったり、どうしようもなくなってしまうような場合でも「少しでも」ネタ化することであたかも自分自身ではなく小説などの主人公のように眺め俯瞰しそのために策を施すことができるということだ。これ、ブログやツイッターでも同じことだと思う。言語化して文章として(ときには文章になってないのだが)打ち込む。それによって若干ながらも気が楽になる、どうすればよいかを考えられる、これは有事には大きな作用だろう。というわけで普段はどちらかというとブログやツイッターにかまけている人にはううむとうなってしまうのだが今はむしろ推奨する次第。
2011年03月17日
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「首都圏からの一時的官庁及び企業の計画的部分移転および疎開」を急ぐべき理由1どのみち現状では首都圏での十分な経済活動は期待できない。2電力不足などにより消耗や焦りがうまれる危険性。3今なら西日本はまだ体力・余裕がある(既に危機感からの買い占めは波及しつつあり)4悲しいことだが人はとてつもなく優しくもなれるがとてつもなく冷めやすくもある。現在は西日本の人々の多くが困った人々を救いたいいう気持ちでいっぱいだが首都圏の経済活動の停滞が波及し自分たちの生活に影響が出ると、そんな余裕はなくなってしまう可能性がある。5首都圏生活者の体力や気力に余裕がなくなってからでは遅い。6同じく一斉に動き始めてしまえばパニックになる。7原発への誤解から受け入れに拒否反応を示す人々が出てくることも予想される(今はまだそうした声はたまにしか聞かない)以上です。もちろん緊急時であるとはいえ、日本は社会主義ではありませんから、最後は本人および各組織の意思を尊重すべきです。しかし人の多さのために本来救う側に立つはずの首都圏が現状では「気持ちや行動とはうらはらに」脚を引っ張ってしまっているかもしれないという可能性は否定できません。いろいろ言いつつ、すべて杞憂で、一週間もしないうちに正常通りの経済活動が繰り広げられる可能性に期待をしています。ぼくの提案など鼻で笑われるような状況になれば、それが一番いいのですから。日本ガンガレ超ガンガレ、首都圏ガンガレ超ガンガレ、東北ガンガレ超ガンガレ。
2011年03月15日
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首都圏からの官庁及び企業の計画的部分移転および疎開について:1早急に各自治体並びに経済団体を通じて、主に西日本における空きハコモノ・空きビル・空きテナント・空室・空きスペースの総量を把握する。 2官庁並びに企業に関して、A首都圏で営業を継続すべきもの、B首都圏以外の営業継続をすすめるもの、C首都圏での営業自粛が望ましいものに種分けする。3BおよびCに関して免税や補助支援などを決定し告知する。4移転を承諾した各組織および個人に移転及び疎開場所を割り当て斡旋する。5彼らのための移動手段を確保する。(たとえば東海道新幹線や東名高速で西へ向かう人に時間帯を区切って優先権を与える)6留守のオフィス・家屋などを巡回警護する。7残った人々は復旧に全力を注ぐ。8移転先・疎開先では現地の自治体・ボランティア・住民が積極的に彼らを支援受け入れる(場合によってはそのための条例や制度も)
2011年03月15日
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日本(当然被災地の方々を含む)が元気を取り戻せるかどうかは、実は単純な不等式が成立するかどうかで決まるんです。「元気な人・働ける人・稼げる人>弱っている人・働けない人・稼ぐ手立てがない人」この不等式さえ維持出来れば日本は元気になることができます。そのためにも計画的移転・疎開を。 そうは言っても、個人レベルでは首都圏を離れる不安、身を寄せる場や職場の確保、その他あまりにも危惧すべきことがありすぎます。また周りが動かないうちは自分も動けません。逆に周りが動いてしまったらもはや殆どの人は移転先も移動するすべも持てない段階になっているでしょう。 数日前から提案し続けていますが何度でも提案します。国は被災地の救済や原発の危機回避を進めると同時に、首都機能の部分的移転・企業の一時的移転・首都圏在住者の計画的疎開の施策を進めたほうがいい。もちろんその手立てはあります。以下具体的に手順をお話します。
2011年03月15日
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はっきり言ってぼくの住んでいるところでは驚くほど普通の生活がなされている。まあ、ガソリンやトイレットペーパー、一部食品など若干の買いだめは始まっているが。もう何度も書いたことなので要点をまとめる。被災地および首都圏からの一時的な官庁や企業の計画移転・および計画疎開をぼくはこの数日ずっと提案し続けている。余震や原発については言いたいこともないわけではないがプロの方々にお任せするとして心配なのは本来ほとんど被害を受けていないはずの首都圏の機能が麻痺状態にむかいつつあることだ。冷たいやつだとか非人道的だとか危機感を煽るなとかいう批難を受けることを恐れず、あえて語るけれど今後日本が復興できるか否か(もちろんそこには被災者の救済が含まれる)は経済力にかかっている。誰にでもわかるように言えば元気な人が一人いれば困った人を一人救うことができる。元気な人が二人なら困った人一人をよりたやすく救えるだろう。ところがこれが同一の数、あるいは逆転してしまうとどうにもならない。困った人の数と元気な人の数が逆転してしまうともはや救いようがないのだ。そうなってしまえば元気な人たちはどんどん消耗していく。そして自分自身が救いを求める側の存在になってしまう。当たり前の不等式だが重要なのでもう一度確認元気な人・働ける人・稼げる人>弱っている人・働けない人・稼ぐどころではない人この不等式は絶対に維持させ続けねばならない。そしてできれば右辺と左辺の差はより大きいほうがいい。だが、今の状態では本来救える側にまわるはずの首都圏の人々が通勤帰宅の困難だの買い占めだの計画停電だのでどんどん消耗してしまっている。東北の人たちを残りの日本人が救うことはできても首都圏の人まで他の地域で救おうとするのはさすがに無理がある。国が即刻実行しなくてはならないのは気力と体力のあるうちに首都圏の方々にそれを維持できるようにしてもらうことだ。そのためには首都圏の電力その他の供給によりかかる人の数を一時的に減らす必要がある。「そんなことできるのか」と思う人もいらっしゃるだろうが実はスペースは足りている。幸か不幸か日本ではこれまで土木イコール政治のようにあらゆるハコモノが作られてきた。地方では人口に不似合いな(というより不相応な)ハコモノは少なくない。さらにこれも幸か不幸かここ数年の不景気で空きビル・空きテナント・空室は大量に存在する。コレを活かすのは今しかない。
2011年03月15日
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現在、首都機能はほぼ喪失している。官庁とメディアは比較的動いているようだが民間各社は通勤すらままならず公共交通機関のマヒ・道路の極端な混雑により事実上の開店休業状態を強いられている。しかし幸いなことにまだ首都圏で働く方々は冷静であり気力も体力も十分にお持ちの様子。やるなら早いほうがいい。人々がパニック状態に陥り、疲弊してからでは遅い。一部を除く西日本では被災地の方々はもちろんのこと首都圏の方々が驚くほどまったく平常通りの生活が送られている。これも幸いに日本は南北に長い。また不景気と少子化等の影響で現在西日本各地に屋内屋外を問わず多くの空きスペースが存在している。国は速やかに各自治体にそうした空きスペースの調査を命じそれらをとりまとめるべきだ。そして不自由を承知であるいは営業的な利益の損失を自主的に引き受ける企業や個人に関しては助成金なり補償なり、あるいはこういう事態なので税の優遇などを何らかの優遇措置を取り決め与え計画的な一時移転・一次疎開を推進すべきである。業務をA 首都圏において業務を継続して欲しいもの(飲食店・スーパー・ガソリンスタンドなど)B 首都圏以外で業務を継続して欲しいもの(首都圏以外でも業務が可能なもの)C 首都圏での業務を一時的に控えて欲しいもの(パチンコ店など)に分け、優遇措置も可能範囲で細かく設定し国の主導のもと、「人々が冷静かつ体力・気力があるうちに」取り組んで欲しい。繰り返すが西日本には驚くほど普通の生活が存在している。ボランティアや被災地の方々のために何かをしたいという人や企業もこの形式なら各々の近くに来られた方々に直接希望を伺って支援をすることが出来る。交通の不安も電気の心配もトイレの遠慮も余震への危惧も今のところ不要だ。娯楽さえ提供できるのでPTSDも避けることが出来かつ現地で働いてもらえば経済力を支えることができるので被災地および首都圏の復旧もより容易になる。原発での後手後手の対応のように出るに出られなくなってからでは遅い。
2011年03月14日
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混乱が起きる前に手を打ったほうがいい。現在の日本は大きく三地域に分けることが出来る。A 震災による大きな被害を受けた地域 宮城・福島・茨城・千葉の一部などB 震災自体の被害は大きくないが、影響が大きく通常の生活・経済活動が困難な地域 首都圏などC いまのところ通常の生活・経済活動に支障がない地域 西日本それぞれなすべきことが違う。Aにおいては、被害者の救助、住居喪失者の受け入れ、最低限のインフラの整備Bにおいては、計画停電初日の今日から数日を使い、計画停電下でどこまで生活・経済活動が可能かを見極める。その上で計画停電が続くことを想定し、それにあわせた運営施行マニュアルを作成、社員・学生に告知、周知徹底させる。Cにおいては、普段どおりの活動。自治体や経済団体を中心に空きスペース(屋内・屋外)の調査、被災民・一時的な疎開の希望者・首都圏でなくても業務が継続できる企業や団体の中で一時的移転を希望するところの受け入れ体制を整える。こういう事態なのだから、日本全体である程度の役割分担は不可欠。実は復旧には経済力が欠かせない。しかしそのメインとなるべく首都圏では計画停電等において通常の経済活動は期待できない。それどころか停電に対する過度の警戒のために様々な物資の流通が不足することが予想される。パニックになってからでは遅い。今なら日本人の誇るべき冷静で秩序だった行動が期待できる。速やかなシフトは速やかな調査によってもたらされる。国もしっかり役割分担を徹底させ危急の必要がない部署の人員は一時的に別部門にまわすべきだ。同時に西日本の国家機関、自治体との連携を密にし日本全土レベルでのシフトを本気で考慮、進める。東京電力の電力に依存する人の数、企業の数を極力一時的に減らす必要がある。増税などはもってのほかでむしろ一時的移転や休業を受け入れる企業には何らかの優遇措置を与えたほうがいい。もっとも首都圏の人にはぼくもかつてそうだったけど首都圏以外で生活することは考えられないくらいに思っている人は少なくない。だからまずは国が手本を見せなければならないのだが。
2011年03月14日
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何が出来るのか考えている。自分自身で、できることについては最低限交通インフラの復旧と行方不明者の救出作業が終わってからだと決めている。(今 善意で熱くなるのは悪くはないが 今はプロとオフィシャルの力が働くべきとき 我々に出来ることはそれを邪魔しないこと)で ここからは私にはできないことなのだが日本中にはこのところの不景気や人口減少等で空き校舎、空きビル、空きホテル、空きテーマパークなどが多く存在する。このうち西日本にあるものも少なくない。ここは思い切って国家でそれらを買いあげる、または借りるなどして被災者および首都圏(輪番停電地区)からの疎開の受け入れを行ってはどうか。余震が続いている場所よりは安心していただくことができるだろう。人の気持は様々だが、もしかしたら被災地から離れることで多少は精神的にも救いがあるかもしれない。「建物は怖い」ということであればテーマパークなどの敷地を利用して仮設テント村を設置して差し上げればいい。これは比較的安価で現実的でなおかつ真からの救いになるのではないか。ボランティアを志願している方々や何かしてあげたいと思う人もこれが実現されれば身近に疎開されてきた方々のためにお役に立つことも出来る。この提案が届けば良いのだが。
2011年03月13日
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この記述はあくまでも個人用の備忘録でありモノ書きとしての文章でもなければましてメディア・リテラシー等の専門家としての立場での発言でもないことを先に述べておく。5 あえて通常放送を希望したい現在地上波各局は一部の独立系U局を除いてはどの局も地震報道を続けている。これはこれでありがたいのだがどのみち、CMを流さないのならいっそのこと各局で役割を分担・持ち回りにして協力して仮想チャンネル分業ができないものか。具体的にはA 現地からの報道(まとめ 救出)B 余震あるいは原発問題などの報道C 子供向け通常放送D 成人・高齢者向け通常放送E 死傷者・安否確認などとする。不公平があるのでこれらを数時間おきで持ち回りで放送する。オリンピックや地デジキャンペーンでは局の枠を超えての強力・分担ができているのだから不可能ではないと思うのだが。特にCやDは重要だと思うのだ。実は我が家では私の仕事の性質上地上波を数局つけっぱなしの状態にしていた。ところがこれが大いに(不謹慎であることはお詫びする)滅入ってしまうのだ。私などは全くとは言わないが(取材旅行の中止など)今回の地震での被害は皆無と言っていい。にもかかわらずすっかり気持ちが落胆してしまい信じられないことに体力も若干消耗している。失望感や恐れが引き起こすストレスゆえなのだろう。直接的な被害に遭っていない私でさえそうなのだ。今後の復興に必要なのは被災していない人々、元気な人々の力だ。この力には経済力も含む。どうしても「これだけの犠牲者の方々、被害に遭っておられる方々がいるのに」という感情は捨てがたく、それは日本人の美徳ではあるのだが現実には元気でいられる人には元気でいてもらうことが状況的に元気でいられない人たちを助ける力になる。被災している人以外の人たちが意味のない擬似被災をしないためにもあえて通常の放送を実施する必要を感じる。特に子供これも我が家の話で恐縮だが地震の報道に子供たちも恐怖と落胆を感じ始めていた。きっと被災地などはこんなものじゃないだろう。ずっと育児の一端をになってきた立場で言えることだが子どもを励ますという行為は自分の疲労を一層増させる。被災地区だけでも子供用の番組を(もちろん内容の吟味・セレクトは不可欠)放送できないものか。避難生活にぐずったりむずかる子供はずっと減るだろうしそのことは大人の負担をかなり軽くする。子どもの笑顔に気力を奮い起こさせられる大人だっているだろう。こんなときに不謹慎なのではなくこんなときだからこそあえて子供向け放送をと切に願う。(もちろん成人についても同様だ、特に高齢者には)
2011年03月13日
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