全73件 (73件中 1-50件目)
(1日目・2日目・3、4日目・5日目)3日前、ホテルを出るときビンビンは言った。「金曜日、スタバにしてくれる? 金曜ならきっと時間が取れるはずだから!」そして私のにスタバの番号を登録した彼。だけどこの三日間、私はできる限りビンビンのことを考えないようにした。考えれば考えるほど胸が苦しくなる。私の心には、自分が思っていた何倍も何倍も彼への想いが残っているのだと会ってみて気がついた。きっともう会わないほうがいい。今日は金曜日。ビンビンがしてと言っていた日。忘れようにも、頭はしっかりと覚えている。こんな日に限って朝起きるとハスキーが居ない。またネットカフェにでも行っているのだろう。一人で思いを巡らせているうち私は、私の手はを取っていた。いけないいけないと思いながらも。「こんにちは。スターバックスです。」「・・・ビンビン?」「あぁ・・・」「・・・美咲だけど。」「知ってる。今日の勤務四時迄だから。 仕事が終わったらそっちに会いに行くよ。」「そっち、って??どこ?」「王府井だろ?」あっ・・・そうか・・・4日前に会ったとき、今回は社員旅行で来たと嘘をついた私。どこに泊まってるの?と聞く彼に、王府井の王府飯店と答えてしまったのだった。王府飯店には以前何度か泊まったので突っ込まれても大丈夫と思ったから。今回はハスキーとドミトリーに泊まっている。しかも王府井とは全然違う場所。だけど今更そんな事言い出せない。結局、王府飯店で会うことになった。ビンビンとまた会うことになって平静を取り戻していた心はまた激しく揺らぎ、何も手につかず、食事も喉を通らず、ハスキーに合わせる顔もなく・・・私は一日部屋で休むことに。ハスキーは一人で冒険に行くと言って楽しそうに出かけて行った。ビンビンとの約束は夕方5時半。ドミトリーからは地下鉄を乗継ぐこと30分、王府井の王府飯店に向かった。私は途中で薬局に寄り、彼にハンドクリームを二種類買った。この前会ったとき、彼の手はひび割れ、赤く腫れてとても痛そうだったから。「カップを洗ったりするからね」彼女だったら、大丈夫?痛くない?ってそっとなでてあげたりするんだろうか私は5時半きっかりに王府飯店に着いた。一階のロビーでビンビンを待つ。大勢の外国人が行きかい、クラッシックの生演奏が流れる優雅な空間。一瞬、北京にいることを忘れそうになる。今日はどんな顔して会えばいいのだろう?3日前のことは無かったことにして、また笑顔で会えばいいんだよね??10分…20分…30分…時間だけが流れた。すっぽかすつもりなんだろうか?彼のは知ってるけどかけなかった。だって、彼がすっぽかすつもりだったとして「私もうロビーで待ってるんだけど」なんて格好悪すぎるよ。何の連絡もないまま、6時半になった。私は彼にするでもなく帰るでもなく、ただぼーっと、楽しげに行きかう人々を眺めながらそこに立っていた。すっぽかされても0時まではここで待とう。ここでひとり待ち続けながら、なんてヒドイ男なんだと心に刻み込んでそしたら、これからはもう二度と彼のこと考えずにすむのかなそのときが鳴った。ビンビンだった。「もしもし?今どこ?」「ホテルのロビー。」「エントランスに着いたから、出てきてくれる?」ゆっくりとエントランスのほうを見る。薄暗くなった寒空の下に、ビンビンが立っていた。つづく→
2007.03.16
コメント(1)

(1日目・2日目・3、4日目)今日は、学院路にある語言大学へ。北京語言大学といえば、外国人留学生への中国語教育を専門に行う、言わずと知れた国際大学。対外国人中国語教育の歴史・規模は中国随一。ここで中国語を学ぶ外国人留学生は毎年6000人とも7000人とも言われている。教師は中国語教育を専門にやっているから、授業の質もいいという話。私が留学したのは別の大学だったけど、今回、仕事で来られなかった友達が以前ここに留学していたので私もしょっちゅう遊びに来ていた。ハスキーも、同じ欧米人から色んな現地の情報が聞きだせるとあって語言界隈はお気に入りの様子。ちゃっかり二人でHSKの願掛け キャンパスの売店で春巻き(1元)ゲットときどき朝ごはんにしてたっけ散歩にもってこいのキャンパス並木道夜遅くまで学生の行き来が絶えない留学生に合わせて食堂も充実中華、日本食、韓国料理、カフェ、バー・・・今日は韓国料理「京韓」へ。韓国人の友人いわく、ここの味は韓国の味というよりも中国の朝鮮族の味だってでも「韓国料理」の許容範囲ではあるらしい。豆腐チゲ(ライス込みで12元=180円)ビビンバ(12元だったかな?)ちなみにここで「海鮮ラーメン」食べると、百発百中おなか壊します百発百中です。例外はありません。勇気のある方はぜひ。留学時代。私はここに来るたびお腹を壊していた。ある日、この京韓の隣にあるトイレに入ったとき。便器わきにある手洗い池で野菜を洗う京韓店員に遭遇。そのときはさすがにゾッとした。満腹になったところで五道口駅まで歩く。駅周辺はあまり変わってないな~と思いきやこんな大きなショッピングセンターが!まだ開店はしていないみたい。この辺り、外国人だらけだから、さぞ儲かるだろうね~と思えば、そのすぐ前にはまだ物乞い。外地か郊外から来たのだろうか。この辺り、外国人だらけだからね。物乞い、花売り、あと多いのが化粧品売り。「日本ブランドの化粧品要らないか??」ってしつこくまとわり着かれる。私、日本人だから(苦笑)っておいおい!!ハスキーも物乞いにたかられて、10元あげちゃってるし(↑梅田でもホームレスにお金あげちゃう人)さて。ハスキーがHSBCに行きたいとかで、気を取り直し、地下鉄で建国門へ。よい子の皆さん、駅のホームで遊ばないでね建国門は王府井から東長安街に沿って約1キロ東へ行った所にある。(天安門から東に延びる東長安街は、 東単より東が建国門内大街となる)建国門エリアには、日本大使館はじめ米、英の大使館、外交官居住地、外資系企業のオフィスビルやホテルが並ぶ。国際的なぶん、ホテルも食事もマッサージも土産も安いところが見つからないので私にはあんまり縁のないエリアかな笑建国門内大街車がびゅんびゅん行きかう内大街沿いでせっせと編み物(集中できるのか?)運転中のメールは危険ですよ
2007.03.15
コメント(0)

1日目・2日目のつづき朝7時過ぎ、部屋に戻った私。ハスキーは眠い眼をこすりながら「ハニー、なぜ帰ってこなかった?」「友達と朝まで飲んでたの、 ほら、会ったのが久しぶりでしょ~。 連絡できなくてホントごめんね」私には精一杯の演技。ビンビンと泊まったなんて言えるはずない。ハスキーは少しも疑わなかった。昼までぐっすり寝て、午後からは二人で亜運村(Yayuncun)へ。亜運村は留学時代を過ごした街。なので思い入れも強い。何度かハスキーを連れて来るうちに彼も亜運村がすっかり気に入った様子。将来はここに移住する計画だ。それで少し気が早いが、前回来たときから部屋探しを始めた。亜運村 北辰購物中心付近亜運村は北四環に位置しており、90年代初に北京でアジア大会が開催された際に建築されたオリンピック体育センターや、選手村となった高層住宅ビル群を合わせ亜運村と呼ばれるようになった。今は北京も高層ビルが乱立してるけど、その当時は亜運村と言えば現代的な建築群で有名だったらしい。その代表と言われているのが(おなじみ)陽光広場遠大中心&炎黄芸術館(手前の三角屋根)名人国際大酒店(ホテル)などなど・・・今見るとどうってことないような気もするけど。これまでオリンピック用地として残されていた亜運村の東部分では、オリンピックのメインスタジアム「鳥巣」や主要競技場の建設が始まっている。さてさて。貧乏な私たちはバスで亜運村へ。※バスなら一人1元(15円)※タクシーなら18~20元(約290円)身動きひとつ取れないほど混雑。約30分で亜運村に到着。部屋探しの前に、オリンピックのメインスタジアムである「鳥巣」を見たいというハスキー。今は通行規制されている大屯路から北辰東路に入っていく。北辰東路も、今はすっかり様変わり。右手はすぐオリンピック公園(造成中)さらに南へ進むと、「鳥巣」がすぐそこに見える。そして、「鳥巣」建築現場に続く道路。ちなみに去年、あれは夕方建設作業員でごった返している時間に彼らにまぎれて(?)建設現場に入りこっそり「鳥巣」まで行ってきた。06年3月撮影06年3月撮影今年もあわよくば間近まで行きたい。しかし道路の入り口には警備員が居て明らかに私たちを不審な目で見ている。素通りできる雰囲気ではない。そこで私たち、警備員に近づいて世間話から始めた。「私三年前ここに住んでたんです! 随分様変わりしましたね~ 空気も汚いのにおじさん毎日大変ですね」10分程話したあと、本題に。「この白人の彼がね、 どうしても「鳥巣」が見たいって言うんで 今日わざわざ来たんだけど・・・」「がははは、そうか! じゃ見てきたら? 危ないから気をつけろよ!」 警備のおっちゃん、あっさり通してくれた。非常感謝!記念におっちゃんと。作業員やトラックの行きかう中を進む。ちなみに空気の汚染度かなりヤバイ。砂埃で、生きた心地しません。やっと全体の骨格ができあがったところ。06年3月のものと比較してみるとこの一年で上部の骨格までできあがり建設がぐっと進んだことを実感できる。オリンピックまでに完成することを祈ってます
2007.03.14
コメント(0)
2日目・3~家~のつづきタクシーで4、5軒まわった末にやっとたどり着いたホテルは一泊の値段が彼の月収の1/4…清潔な部屋には二つのベッド。私たちは別々のベッドに腰を下ろし、気まずい空気の中、TVをつけた。やっていたのは韓国の連ドラ「我的名字叫金三順(私の名前はキムサムスン)」(きっと彼も)見るのは初めてなのに二人とも(無言で)視聴。言葉も交わさぬまま30分ほど経ったころ、「美咲? こっち(彼のベッド)に来て一緒に観ない?」ビンビンが言った。私は恥ずかしさで、無反応。すると彼は自分のベッドから下り、私のベッドへ来て腰掛けた。思わず逃げるように壁際へ引っ込む私。「そんなに恥ずかしがらなくても・・・」彼は苦笑いして私の隣に座り直す。私は緊張に耐えられなくなってベッドの上に体育座りをした状態で彼に背中を向けた。彼はクスっと笑いながら「日本に居るとき 僕を思い出してくれたこと、あった?」私は消え入るような声で「あったよ・・・ 毎日・・・」彼は少し驚いたのか、私を覗きこむように「それ、本当?冗談?」私は答えられなかった(勿論、本当。)しばらくの沈黙のあと、「きっと僕が何をどんな風に言っても 美咲は信じないと思う・・・ 僕のこと、軽い男だと思ってるよな?」私は思わずふき出してしまった。そうよ、軽い男だと思ってた。彼女を裏切って、私と関係を持ってた男を誠実だと思えるはずがない。それなのにどうしようもなく好きになってしまった自分そんな自分にふき出してしまった。「11月・・・本当は・・・ 来れなくなったって言われたとき なんて言うか・・・やっぱり心では怒ってた。」ビンビンはぼそっと言った。「美咲は何も知らない・・・ もし僕が言ったとしても、信じないだろうな。」「信じるよ。」私が言うと、「今日は僕にも、本当の気持ちを言わせて。」沈黙のあとで彼は静かに言った。「あの頃、確かに僕は美咲を傷つけてたと思う。 でも…ああする以外どうしたら良かっただろう。」「僕は美咲のことが大好きだったし、今でも…。 もし美咲が北京に戻ってきてくれるのなら 毎日でも君を見ていたい。 この先ずっと、永遠に。」「でも君が帰って来られない以上、 僕たちは中国と日本で、一生別々に暮らしていくんだ。 それを思うと、君にはああいう風に接するしかなかった」「心の中で美咲を大切に想ってきた気持ちを 僕は一生、結婚したって、忘れない。」私は、いま隣にいるこの男が本当にビンビンなのか自分の目を耳を疑った。いつもクールで、自分の心を絶対見せない彼。何を考え、何を思って生きているのか友達にさえも内面を見せない彼。こんな彼は初めてだった。ビンビンも私が好きだったって?気まぐれに優しくしてくれたり気まぐれに抱いてくれたりだけど私を好きだと言ってくれたこと、一度もなかったよね。それでも私は大好きだった。六年間待っていてと言われたときも信じて待つと決心していたんだよ。なのに結局あなたは私を突き放した。今更そんな言葉・・・私はベッドから立ち上がった。「どこ行くの?」「歯磨いて、寝る。」フラフラとバスルームに向かう私を彼は後ろから抱きしめた。強い力で、長い時間ただ私を抱きしめた。そのとき私には彼の心が解った気がした。私たちは抱き合い、キスをし、何度も相手の名前を呼んだ。二年間ふたつの国に離れている間、どんなに呼んでも届かなかった声。私は何度も彼の名を呼んだ。二年半の想いを辿るように。けれど最後の最後の瞬間に理性というべきか良心というべきか、私は「ハスキーの彼女」に返った。ビンビンを拒みたかったからではない。「ハスキーの彼女」として拒むべきだと思ったから。ビンビンは自分のベッドに戻ると申し訳なさそうに言った。「ごめん美咲。 また君に嫌な思いをさせて・・・ こんなことするつもりじゃなかったのに・・・ もう二度としない。誓うよ。」私は夜が明けるまで一睡もしなかった。隣のベッドから聞こえる、彼の寝息を聞いていられるのが幸せでこんな夜はもう二度と来ないと分かっていたから寝たら後悔すると思った。朝になってビンビンは仕事(スタバ)へ。私はタクシーでハスキーの待つホテルへ。彼の後姿が見えなくなった瞬間、せきを切ったように涙が溢れた。何が悲しくて涙が出るのかさえわからない。朝もやの北京を見つめていると、ただ涙が止まらない。大好きだった人と過ごす最後の、夢のような幻のような一夜だった。タクシーを降りるときになって中年の運転手が振り返り「昨日は悲しいことがあったかもしれない。 でも今日は君が笑顔で、 楽しく過ごせる一日になるさ!」その温かい言葉に、私の心は少しだけ平静を取り戻した。3日目につづく→
2007.03.13
コメント(0)
2日目・2~夜の公園~のつづきスタバに戻り、また皆でお喋りしていたとき北京で何か買いたいものは?と聞かれ、「オリンピックグッズが買いたい」と私が言うと、ビンビンは同じ陽光広場内にあるオフィシャルショップへと連れて行ってくれた。いやーどれも高い!100元もするぬいぐるみなんて要らないね。可愛いな~と思って見ていたストラップは28元(約420円)=北京で私の3食分あまりに高いので、何も買わずに出ようとしたとき「何か欲しいものある? 記念に、ひとつプレゼントするから。」ビンビンが言った。彼の収入がどれくらいなのか私は見当がつく。こんな高いもの買わせたくないよ。「欲しいものなかった」私は、彼を急かすように店を出た。そのすぐ近くに、お手洗いがあって、ついでに行っとく?と彼に言われるまま中へ。戻ってくると、彼の手には袋。さっき私が見ていたストラップをこっそり買ってくれていたのだった。「日本に帰ったら、につけて。」ビンビンは冗談ぽく笑った。そのあと再びスタバに戻り、またまたドンシンたちと皆で談笑。私は正直、このあとどうするのかな?ドンシンたちが仕事終わるのを待って一緒に遊びに行くつもりかな?それとも・・・?あれこれと考えをめぐらせていた。しばらく経って、ビンビンが、「僕、とってくる物があって 一回家に帰らないといけないんだ。 美咲どうする?ここで待っててもいいし、 ・・・一緒に来る?」私は耳を疑った。家に帰るのに一緒に来てもいいと言うなんて。二年前、日本に帰国する私に、自宅の住所と電話番号は教えられないからと親友の住所とスタバの電話番号を渡した彼。親には恋人レンさんを紹介しているので私から連絡されては都合が悪かったのかも(想像)。だから私は、彼がどこに住んでいるのか未だに知らない。それなのに、どうして?戸惑う私に、「一緒に行こうか。」ビンビンが言った。私たちはタクシーで彼の自宅へと向かった。陽光広場から、経貿大学のほうへ懐かしい景色の中を通り過ぎる。(汚い空気の中を)よく散歩した道(値切り倒して)買い物をした店(夜な夜な)夜食を食べに来た食堂留学時代の記憶が次々に蘇る。タクシーは、三環沿いで停まった。以前何度も通ったことのある道。こんなところに住んでいたんだね。凍りつくような寒空の下を歩き、小区に入った。20~30階建てのマンション群が立ち並ぶ。隣を歩くビンビンとの距離が少し縮まって、彼はまたそっと、私の手を握った。私はその手を握り返した。一番奥のマンションまで来たとき、「ここで待ってて、すぐ戻ってくるから。」そう言って彼はマンションの中に走っていった。一人になった私が辺りを見回すと隣のマンションの壁に、住所のプレートが。光煕門北里・・・それは二年前に渡された住所と同じ。親友もここに住んでるの?この小区に、私の手紙は届いていたんだね。彼は、「身分証」を持って出てきた。「泊まるときに必要だから。」やっぱりどこかに泊まる・・・んだ私たちは再びタクシーに乗った。彼が運転手に告げた場所がホテルなのか、私は敢えて聞かなかったけれど今夜はホテルに泊まるのだとわかっていたし、わかっていながら、私はタクシーを降りようとしなかった。つづく→
2007.03.12
コメント(0)
2日目・1~スタバで再会~のつづきスタバに着いたときにはもう五時半。そこには、ビンビンの先輩で良き兄貴分のドンシンやスンさんも居た。「美咲!本当に戻ってきたんだね! いやぁ~久しぶりすぎて 何て言ったらいいのかわからないよ!」笑うドンシンに、ビンビンはつぶやいた。「そうだろ?こんなに突然で、嬉しすぎて、 本当に何も言葉が出ない。」それから私たちは皆でおしゃべり。日本のこと、中国のこと・・・二年半前にタイムスリップしたみたいに懐かしくて、楽しくて。一時間ほどたって、ビンビンが言った。「美咲、今夜何が食べたい? 日本に帰って、中華が恋しかった?」「うーん。水餃子。」「餃子!?北京ダックじゃなくて?」「そう、餃子。」だって、水餃子には思い出があるから。ビンビンは、覚えてる?私たち二人はスタバを出て、陽光広場近くの餃子館に入った。さっきまでドンシンやスンさんもいてあんなに話が弾んでいたのに二人きりになると少し気まずい。相手の気まずさが、互いに伝わる。「今日は美咲が食べたいものを食べよう。 何でも好きなものを頼んでいいから(笑)」ビンビンは言った。そんなこと言われてもメニュー決めるの苦手迷う私を見て、ビンビンは席を立つと私の隣に。隣からメニューを覗き込むようにして彼の顔がぐっと近づけられたとき私は息が止まりそうになった。水餃子魚香肉絲三鮮日本豆腐(なんで日本なのか謎)蟹とブロッコリの炒めもの結局ビンビンが選んでくれた。彼はまた向かいの席に戻り(ほっ)私は何でもいいから会話のきっかけになればと手帳に挟んでいた家族の写真を見せた。母と、私と、妹二人。「美咲は、お母さん似だね、 特に目がそっくり。」彼が笑う。「ビンビンのご両親は元気?」「僕の両親?あぁ、元気だよ。」「ご両親は何をしてるの?」「親父はガス会社で働いてる。 母親はもう退職して家に居るよ。」「退職って、お母さんおいくつ?」「中国では男より女のほうが早く退職するんだ。 男はだいたい60歳。 親父もあと五、六年だったかな?」へえ~ご両親は五十代半ばなんだね。思えば彼の家族のこと何も知らなかったな。微笑む私にビンビンは「どうした?急に家族のことなんか聞いて。」「聞いてみただけ。」と笑う私。「美咲のご両親はいくつ?」私たちは家族のこと、仕事のこと、とりとめのない話を続けた。出会ってから二年半。相手のこと、よく知っているようで実は何にも知らなかったのかな。ふと話が途切れたとき、ビンビンが言った。「この前・・・11月に来れなくなったこと ・・・美咲は僕が怒ったと思ってた? だから謝ったの?」そうだよ、怒ってると思ってた。ホテルの予約までさせたのに来られなかったんだから。あ・・・もしかして違う意味にとられてる?私が来るのをすごく楽しみにしててそれで怒ったと思っているととられてたらうぬぼれてるみたいでやだな。「ううん、ビンビンが怒ってるとは 思わなかったけど・・・ ホテルのこと迷惑かけて悪かったなって。 忙しい中探し回ってくれたんでしょ?」「あれぐらい、何とも思ってないよ。」彼は笑った。食事が済んで私たちは外に出た。外はまだまだ寒く、息が白くなる。餃子館の前の公園を通り抜けると、スタバのある陽光広場に出る。夜8時をまわっているというのに公園にはたくさんの人が集まり、20~30人のグループごとに音楽に合わせてダンスを楽しんでいる。若者ではなく、中高年のおばさんたち。「中国のおばさんは元気だよね~ 日本ではこういうのないなあ。」「そう?美咲には北京で見聞きするもの 何でも珍しく写るんだね。」笑うビンビン。次の瞬間、彼の手がそっと私の手に触れた。そしてゆっくり、優しく、私の冷たい手を握る。彼と手をつなぐのはこれが初めてだった。二年前、キス以上のことはしてたのになんでだろう?胸がしめつけられるような胸を押しつぶされるような・・・私はその手を握り返すことができなかった。つづく→
2007.03.12
コメント(0)

1日目のつづきゆうべは疲れて早くに寝たので、私もハスキーも8時ごろ目覚めた。まだベッドでごろごろしたい私と、ネットカフェに行ってママと連絡を取りたい彼。「11時半にホテルの下で待ち合わせしよう? ハニーはそれまでゆっくり寝てたら?」そう言い出したのは、彼のほうだった。ハスキーが部屋を出て行って、静かな部屋にひとりきりになったとき。私は窓から北京の景色を眺めていた。灰色のヴェールがかかったみたいな空。ビンビンに会いたいふと思っては打ち消した。9時半を過ぎ、そろそろ化粧でもしようとのぞき込んだ鏡の中の自分は・・・ハスキーの隣で笑う幸せな私ではなくビンビンに会いたくてたまらない、もう一人の私だった。私はホテルを飛び出し、無我夢中でバス停に走りビンビンの働くスタバに行けるバスを探す。(貧乏旅行なのでタクシーには乗らない)こんな大事なときに限って待っても待ってもバスは来ず、やっと来た時には10時半を過ぎていた。バスに揺られること20分。スタバがある陽光広場に着いた。このときの私はもう・・・「吉村美咲」ではなく、かつてのMeixiao※美咲の中国語)だった。スタバの前まで来て、ふと我に返る。突然職場に押しかけて、彼はどう思うだろう?北京に来ることさえ伝えていない。それに、会ってどうなる?あまりに衝動的な自分にあきれる。それでも、私の足は止まらなかった。会ってどうなるのかなんて、会わなければ永遠に分からない。一歩一歩、店の入り口へ向かう。ガラスのドアまでやってきたとき、レジカウンターの中にいる店員がひとり・・・ふたり・・・それは、まぎれもなくビンビンだった。「歓迎光臨(いらっしゃいませ)・・・」彼はそう言うと同時に私の顔が見えたのか、二秒ほどじっと私の顔を見たあと、見間違えたと思ったのか、目を細め、カウンターから乗り出すようにして私を見た。私はゆっくりとカウンターに近づいてく。どちらが先に笑いかけたのかな、きっと私だっただろう。彼は照れくさそうに笑うと、「そこに座って。」カウンター横のテーブルを指した。めまぐるしく変わっていく北京にあってもこのスタバは二年前と少しも変わってない。静かにゆっくりと流れる時間も窓からのまぶしい景色もカウンターに立つ彼も。彼は紅茶を持って私の席にやってきた。久しぶりにみる彼の優しい笑顔。「いつ帰ってきたの?」「昨日。」「旅行で?」「うん・・・社員旅行で。」ただの旅行だと言えば、彼に会いたくて来たと見透かされそうで私はわざと嘘をついた。「いつまでいるの?」「来週の金曜日まで。」それは私がノービザで滞在できるリミット。彼が何か言いかけたのを遮って、私は言った。「ビンビン、この前・・・ 11月・・・ごめんね。」「・・・あぁ(笑)大丈夫。」「ホテルの予約までしてもらったのに、 すごく迷惑かけて。」「え??そんな事気にしなくていいよ、 全然怒ってないから。 それより…仕事忙しそうだね。 前に会ってから、あっという間に一年だもんな。」一年は短いようで長かった。何度北京に来たいと思ったことか。その一年のあいだに彼は、一度でも私を思い出してくれただろうか?「こっちにいる間も仕事があるの?」「・・・そんなんじゃない。 ほとんど自由行動だから。」「じゃぁ、今日の夕方…時間ある?」私が即答できずにいると、彼は言葉を続けた。「何ていえばいいのかな、 この一年、僕も色んなことを考えて・・・ とにかく、美咲に話しておきたいことがたくさんある。」私の脳裏にはハスキーの顔が浮かんだが一度だけ、この一度だけと自分に言い訳し、夕方に改めてスタバで会う約束をした。時計を見るともう11時半、ハスキーとの待ち合わせの時間。私は、同僚と約束があるからと言って30分も経っていないのに大急ぎでスタバを出た。ハスキーは中国のを持っていないので連絡もできない(なのに遅れる最低な私)。結局待ち合わせのホテルに着いたのは12時半。一時間も遅刻した私に少し怒りながらも、ホテル一階にある売店のスタッフと英語で楽しくおしゃべりしていたとかで楽しそうな様子のハスキー。人なつこく、明るいハスキーは誰とでもすぐ知り合いになる。ちょうどお腹も空いてきたので私たちはすぐ近くのレストラン・東北農家菜へ。ハスキーの大好物・水餃子(餡は豚肉&白菜)半斤(約20個)で10元(150円)素焼面筋(甘辛く炒めた生麩と、青梗菜)10元お隣のテーブルではちょうど服務員(ウェイトレス)たちも食事中(笑)ランチは遅刻のお詫びに私がおごると言うと、それなら、とハスキーはビールを注文。青島ビール一本3元(約45円)。安いのをいいことに、飲むわ飲むわ止まらない。気持ちよ~く酔った彼は、ホテルに戻って少しお昼寝したいと言い出した。部屋に戻るなりベッドに横たわるハスキー。その安らかな寝顔を見ていたらこの人を置いて、嘘をついて、これからビンビンと会おうとしている自分がものすごく悪い彼女に思えてくる。ふと昨夜から部屋に置き放しだった中国に目をやった。が届いている。それはビンビンからだった。私がスタバを出た直後に送ってきたらしい。『明日の朝まで一緒に過ごせる?』朝まで一緒に・・・それってどこかに泊まるってこと?いやいや深読みし過ぎだよね飲み会かもしれないしカラオケかもしれないし彼は私のことなんて好きじゃないのにわざわざ関係が面倒になるようなこと、しないよね夕方四時前になって、ハスキーが目を覚ました。私は後ろめたい気持ちを隠して、「さっき、昔のクラスメートからあって、 今夜一緒に遊ぼうって・・・」私が最後まで言い終わらないうちに、「そっか、じゃあハニーは行ったら 久しぶりに友達と会って、enjoyしてね!」ハスキーは言った。ごめん・・・ハスキー。つづく→
2007.03.12
コメント(4)

いよいよ北京へ出発の日。中国に行くときは、いつも最低限必要のものしか持って行かない。カメラ、服、下着、化粧品、サプリメントあとは現金。シャンプー、洗顔、石鹸なんかは現地で買う。そのほうが安いからというわけで今回も、ちょっと実家に帰るようないでたちで朝の関西空港に向かった。免税店で手ごろなお土産を買い、午前10時発ANA159便に乗込む。どんな12日間になるのだろうという期待と不安。隣にはめちゃめちゃ楽しそうなハスキー。↑北京大好きなカナダ人(笑)やっぱ海外出る前に食べたい機内食は、ANAかJALちなみに去年CAで北京に行ったときの機内食はこんな感じ↓なんでサンドイッチやねん(笑)約3時間で、北京首都空港に到着。着陸を待って中国の電源を入れる。電波が入っているのを見た瞬間やっと北京に戻ってきた実感がこみあげてなんとも言えない気持ちになった。入管ではオリンピックのマスコット「福娃fuwa」がお出迎えタクシー乗り場に向かうと、あれ・・・?なんだか様子が変。静まりかえったタクシー乗り場。新しいオレンジとグリーンのタクシーが整然と並び、客は誘導に従って次々に乗り込んでいく。以前ここで客の奪い合いをくり広げていた白タクの運転手たちは一人も見当たらない。旅行客には安心快適な乗り場になったようだけどどんどん変わる北京・・・ちょっと寂しい。1.6元タクシーも姿を消して一律2.0元だしね・・・私たちは首都空港を出て、まず北四環の華堂(イトーヨーカドー)へ。ドライヤーを買うつもりだった。三年前、私はこの華堂で29元のドライヤー(中国メーカー)を購入。あまりにも安いし品質は大丈夫かなと心配したが、一度も壊れなかった。それで、今回も30元のドライヤーでいいやと思っていたのに、なんと、今では中国メーカーのもので80元以上~日本、韓国、ドイツのものは150元~「50元以下のドライヤーないですか?」思い切って店員に聞いてみれば「没有(ないよ) クスッ ←鼻で笑う感じ」物価、そんなに上がったの!?予想外の高さに落ち込む私を見てハスキーはあきれかえった様子。「ハニー、日本円で考えたら? 100元はすごく安いよ・・・ そんなに中国モードしないで(恥)」そっか、100元て、1500円だもんな~華堂で見つけた、いかにも中国のランジェリー赤地に+原色黄色とか原色緑の刺繍って・・・ま、福を呼びそうなデザインだけどね華堂を出たあとはバスで五道口へ。バスは本来1元のところをスーツケースの分も1元かかり、2元。貧乏人の強~い味方建設中のオリンピック公園の脇を走る。鳥巣(五輪のメインスタジアム)も見えた。車窓を楽しんでいるうち、あっという間に五道口へ到着。去年お世話になったドミトリー、まだあるかな?そこはマンションを買い取って経営しており中国人の大学生が宿舎として住んでいる階と私たちのような旅行客を泊める階に分かれている。安い割に外観はまずまず(笑)さいわい、去年と同じ場所に受付があった。無愛想なお姉さんに値段を聞いてみると、一泊150元、値段交渉はしないという。私は、去年もここに三週間泊まったの、きっと覚えてるスタッフがいるはずですよ、ちょっと待って、証拠見せますから・・・そう言って去年の領収書を出してみせる。お姉さんは「わかったわかった」と笑い、結局一泊120元にまけてくれた。部屋に荷物を置いて、午後は電気屋さんのはしご。こりずに安いドライヤーを探す私にハスキーはキレまくってました夕食は毎度おなじみ、志新橋の民宝へ。ふたりともここの火鍋が大好き。語言や北師大の留学生(特に韓国人)に大人気の民宝。スープは二人とも微辣weila(ちょっぴり辛い)で。私が「ここのお勧め」とか言って自分の好きな具ばっかり注文。牛肉、白菜、ほうれん草、青梗菜、春雨、湯葉、茶えのき・・・これだけたべても二人で58元(約870円)。ビールも、特製酸梅湯も無料。お腹いっぱい、体もぽかぽかになって店の外に出ると夜はまだまだ寒い北京の冬。その夜の寒さに、乾いた北京の匂いに、ふとビンビンが頭をよぎった。2日目につづく→
2007.03.11
コメント(0)
明日、一年ぶりの北京に発つ。留学時代の片思いに自分なりの終止符を打つため三年間忘れられなかったビンビンの居る街―中国、北京へ。彼には今回行くことを知らせてない。昨年の北京行きをキャンセルしてから何だか気まずくて一度も連絡をとっていない。昨年11月同学たちとの北京行きが決まってあのときはもう自分にハスキーという彼氏がいることも忘れビンビンに会いたい一心で彼の職場(スタバ)に電話した。それも半年ぶりの、突然の電話。「私、11月に北京行こうと思うの」「急に、なんで?」「旅行・・・」「君たちまた五道口に泊まる予定? 今回はスタバの近くに泊まったら? 五道口じゃ遠すぎるよ。」「でも、スタバの近くってホテルあった?」「あるよ、とりあえず値段とか、 僕が前もって調べておくから。」スタバの近くに泊まったら?彼の口からそんな言葉が出るなんて夢にも思っていなかった。当時、最後に会ってから既に8ヶ月。長い間会わないと、優しくなるものかな?そのご彼は私の為にあちこちホテルをまわり値引き交渉と予約までしてくれていた。出発の数日前に彼から電話があり「君と話したいことはたくさんあるけど 会ってから、話そう。 ちゃんと中国語会話練習してきてよ?」「週末には休みをとったから 君が昔行きたがってた胡同游・・・ 連れてくよ。」私が北京に住んでたころは、ずっと彼女がいたからとはいえ、ビンビンからこんなに優しくされた記憶ってほとんど(全然)ない。明るい時間に二人で出かけようなんて言われたことなかったなだから、すごく意外で、めちゃくちゃ嬉しくて・・・なのに私は・・・北京に行くことができなかった。それもあったから今回北京に行くことは、知らせていない。またホテルの予約を頼んでるみたいで不好意思だし・・・北京に着いてから連絡しよう。会ってどうなるものでもない。でも会わないと、ずっと引きずったままむしろこの三年間ハスキーと幸せになればなるほどビンビンへの気持ちが膨らんでる気がする。とにかく、一年ぶりに会って「こんな男のどこが好きだったんだろう? ハスキーのほうがずっといい!」とでも思えれば最高だよね一年ぶりの再会。行ってきます。
2007.03.10
コメント(0)
一年ぶりの北京行きが決まって、私の心はざわついている。出発は、三日後。ハスキーはきっと、北京大好きな私の、いつもの旅行だと思っているだろう。でも私にとって今回の旅行は、ちょっと違った意味を持っていた。ハスキーと暮らし始めて4ヶ月。ささやかだけど幸せな生活を手にした今、いつまでも心にくすぶる恋を整理したい。人生を一緒に歩いていくパートナーはハスキーなんだと思えるようになったから。ふとした瞬間にほかの誰かを想ってしまう自分がものすごくうしろめたい。気持ちを整理するには北京に行って、ビンビンに直接会って・・・会って、けじめがつけられるのか会って、気持ちが整理できるのか正直わからない。でも、このまま会わなければ、私は永遠に心からビンビンを消せない。消せないどころか、会えないほどに気持ちがふくらんでいく。心の浮気だと言われても否定できない今回はハスキーも一緒だからビンビンと会うのは難しいだろうけど一目でもいいから会いたい。いっそ冷たく突き放されて、迷惑だから会いに来ないでと言われたらいい。ビンビンにそこまで言ってもらわないと、整理できないんだよ私。他人のように冷たくあしらわれて、彼女と幸せそうな姿を見せられて、私たちには縁が無かったのだと思い知ればいい。
2007.03.08
コメント(0)
昨日の日記にも書いたとおり、ようやく就職が決まった最近の私は北京に行きたいその想いが日に日に強くなり、ついに昨夜、航空券を予約意外にもマイレージが貯まっていた。「今回は無料で行けるわ~」と喜ぶ私をとなりで見ていたハスキー、自分も貯まっているマイルを使って一緒に北京に行きたい、と言い出した。私がこんなにも北京に行きたい理由のひとつというかかなり大きな理由はビンビンにひとめ会いたいからなのに彼氏(ハスキー)も一緒かぁ・・・ハスキーは二年前、私と出遭うまで、一度も中国に行ったことがなかった。私と付き合うようになって二人で何度も北京に足を運ぶうち、彼も北京が大好きに。私は将来北京に住むのが夢だったので、ハスキーが北京を好きになるのは大歓迎。むしろ、そのように仕向けたのは私ハスキーが一緒に行くというのなら、それでもいいか・・・一人で行くより楽しいし、ごはんもホテルも安くなるし、移住にむけて二人で物件も見たかったし。変な気を起こさないですむからハスキーが一緒に行きたいと言ってくれるならそれに越したことないか。出発まで、あと四日。
2007.03.07
コメント(0)

ようやく新しい仕事が決まり、貧しかった無職生活が終わろうとしている。いや~貧乏はつらかった転職活動を始めたころ、仕事が見つかったら、ご褒美に北京へ行こういつもそうやって自分を奮い立たせた。北京は私にとって唯一の励みだった。仕事が決まった今、その想いが再燃し始めている。あれは昨年11月。夏から計画していた友人との北京旅行を直前に会社を辞めたことで(親に激しくなじられ)泣く泣くキャンセルする羽目に。実は、このとき北京で昔の片思いの彼と会う約束をしていた私。(数年ごしの片思いフリーページ)キャンセルしたあと、その片思いの彼ビンビンに電話を入れた。「ゴメン・・・明日、北京行けなくなっちゃった。」と切り出した私に、「そっか。わかった。 ・・・僕がどうこう言えることじゃないから。」彼は理由も聞いてこなかった。かつて好きだった人との、久しぶりの再会、やましい事は起こらない(はず)。会うだけなら許される(はず)。そう自分に言い訳してたけど、ビンビンに会いたいと思うこと自体、ハスキーに対して後ろめたかった。結局あのとき北京での再会は叶わないまましばらくしてハスキーと暮らし始めた私。これで良かったんだ、と自分に言い聞かせてきた。 一日歩いても飽きない北京の街 最後に訪れた一年前(06.3)ハスキーとつきあってもうすぐ二年。性格の相性も良く、穏やかで幸せな毎日。パートナーとしては最高のハスキー。ハスキーに感じる気持ちはきっと、愛情いまでは家族同然に思っている。なのに、心の片隅にはビンビンの影。ふとした瞬間、ビンビンを思い出しては胸が締め付けられる彼の夢を見て、息切れして目覚めることもしばしば。これは恋?憧れ?それとも執着?仕事が始まれば、また休みの取れない生活。それ迄に、もう一度北京へ・・・飛んで行きたい・・・
2007.03.06
コメント(0)
ハスキーが日本を発った大学が今週から春休みになり、早速の里帰り。去年の九月、パパが突然亡くなって、(その少し前に弟は結婚して独立したので)ママは今、大~きな家に一人ぼっち。精神的にも相当参っているみたい。きっとハスキーも、ママが心配なんだろう。で、どれくらい帰るの?と聞く私に、「うーん、maybe 1 month、maybe 2 ね、 まだはっきり決めてない。」とあやふやな彼。そんなに長いこと帰るのか~春休みまるまる全部じゃん!バレンタインも全く眼中ないのね(涙)でも、ここは快く送り出してあげるべき。家族を大事にするところが、彼の魅力でもあるし。ママを一人で放ってはおけないよね。それがつい先日、彼がスカイプでカナダの友達と話す声がドア越しに聞こえた。「ヘーイ!もうすぐだな。わくわくするぜ コロンビアのことちゃんと計画立ててる? あと、ブラジルなんだけどさ~」コロンビア?ブラジル?一体何の話?さらに聞き耳を立ててみると、「じゃ、とりあえずカナダに着いたら連絡するよ。 多分2月半ばになると思うから。」↑関空発は1月30日と聞いておりますが私に内緒で何を企んでるんだ?ママが心配で帰省するんじゃないの?ドアをばーんと開け、彼の背中に突進。「は、ハニー。何?ハスキーは電話中ですよ。。アワアワ」そんなことお構いなしで問い詰める私よくよく聞いてみれば、彼はカナダに直で帰らず、半月ほどロスでの~んびりして、更にそのあと友人と南米旅行ちょっと~!そんな事の為に私は一人でぼっちでバレンタイン過ごすの?まあ、気持ちは分からないでもないけどねせっかくの春休み、日本でゴロゴロしてるより、旅行でも行ったほうが楽しいよなぁ。それに、これがもし逆の立場なら、彼は文句一つ言わずにいってらっしゃいと言ってくれる。今回は、私も我慢するとするか~フウ次に会えるのは桜の頃行ってらっしゃいハスキー。ちゃんとカナダにも帰るんだぞ!
2007.01.30
コメント(0)
二次面接に進んだ商社の中国語通訳。今朝、不採用の連絡がきた。面接は、社長・副社長・役員・部長・課長の5名対私。緊張に飲み込まれてしまった何より、自分の熱意を伝えられなかったのが一番の敗因かなと思う。面接では「弊社の通訳は(こんなこんな大変な仕事ですが) あなたは大丈夫ですか?」こういう質問を何度もされた。私は「大丈夫です」と答えるのが精一杯で、そのあと、プラスαの意欲を伝える言葉が出てこない。会社側からの説明に多くが割かれたのもあるけど、結局、私が発した言葉って「大丈夫です」しかなかったのでは・・・中国語を活かせるこの仕事には興味があったし、ぜひ挑戦してみたかったけど、「自分にこなせるか?」というと正直自信がなかった。通訳は未経験だし社会人経験も浅い。なのに、自信満々な事ばっか言ってもなそういうマイナスの考えがよぎった。不採用の電話で落ち込む私。隣で聞いていたハスキーは、「いいよ、そんな会社もう忘れて! ハニーを不合格にしてあとで後悔すると思いますよ。 (職探しはしばらく止めて)のんびりしたら?」カナダ人の彼はいつでもpositive thinkingで落ち込むことを知らない。例えば何かに失敗したとしても、「自分が至らなかったから」とはまず考えない(笑)自分への絶対的な自信は揺るがない。だから受験でも就職でも、僕を落とすようなところはこっちから願い下げ別にいいよ、他を探すから。となるわけけど、そんな前向きでpositiveな態度も通訳には(通訳に限らず)大切な要素だったのかも。まずは自分をもっと信じてあげないとね。完璧にこなせる自信がなかったとしても一生懸命やり遂げたい途中で投げ出しませんそういう気持ちは口にしたらいい。私は初めから失敗の可能性ばかり探して「私にはできないかもしれません」と言っていたのと同じ。そういう姿勢を「謙虚」とはき違えていたことに気がついた。落ちたことはすごく残念だけど、自分の中でひとつ大きなドアが開いたような、そんな気もしている
2007.01.22
コメント(0)
留学で一年を過ごした北京。北京の、特に胡同のある風景が大好きな私は暇さえあればカメラ片手に街歩きしてました。アップしたのは2004年留学中に撮影した写真。まさに、私の「記憶の中の北京」です(笑)シロウト写真ばかりだけど北京の魅力が少しでも伝われば嬉しいなお時間のあるときにでも、少し立ち止まって2004年の北京を覗いて頂ければ幸いですアルバムは、トップページに公開してますさて、先日通訳の面接を受けた会社から連絡があり、明日二次面接を受けることになりました。実は昨日までなんの連絡もなかったので半ばあきらめかけていたのですが応援してくださった皆さま、本当にありがとうございました。ここまで来たらあとは「素」の自分を出して明るく元気に!若さみなぎるパワーで!(通訳には元気とパワーも大切ですよね)まさに女24歳、再起をかけた二次面接です
2007.01.16
コメント(2)
カナダ人の彼ハスキーと同棲を始めて1ヶ月。朝起きたとき顔を見て「おはよう」と言えることや、夜寝る前、レンタルした映画を一緒に見る。そういう些細な幸せが増えた。でも、所詮違う環境で育ってきた者同士、生活習慣の違いというのはどうしても出てくる。その一つが、食事。ハスキーは根っからの外食主義で、それは彼に言わせると「毎日忙しいから」。同棲前の彼は、朝食抜き・昼はマクド・夜は外食。毎晩の外食も、栄養バランスの配慮はゼロ。お好み焼き・ラーメン・中華・時には夜もマクド単に自分の食べたいものを食べているだけ。これでは成人病にまっしぐら同棲を始めてからというもの、私がほぼ毎日料理を作っている。もともと野菜を全然食べない肉食の彼。その上、外食舌のせいか、濃い味つけが大~好き。もともと「素食」派だった私は、彼が少しでも野菜をたくさん取れるよう、あらゆる料理に野菜を細かく刻んで混ぜている。始めのころは、「ハニー!毎日野菜ばっかり入れないで わたしはウサギじゃないよ!!」「ハニーの料理は全然味がないから、マヨネーズが欲しい(怒」と食事の度に不機嫌そうだったけれど、だんだん野菜中心の料理にも慣れてきたのか文句も減ってきたみたいうしし英語のレッスンが入っている日は、どうしても夜が外食になってしまうハスキー。私は毎日、合言葉の確認を怠らない。私「外食するとき気をつけることは?」彼「はいたくさん食べなくちゃのもの、 野菜、魚、マッシュルーム、きのこ、豆のもの、 海草、フルーツです」彼の、肉と脂とアルコールで悲鳴をあげている身体を救うため、戦いは始まったばかり
2007.01.15
コメント(0)

今日は、1月14日。実は私たちが付き合い始めたのが5月14日で、毎月14日は、「記念日」を祝うことにしている。ところで去年、ハスキーの奴めは、友人とのバリ旅行を出発前夜まで私に隠していたことがあり、しかもバリに行ったら行ったで一週間音沙汰なし、てっきり「浮気旅行」だと思った私が激怒するという事件があった。※そのときの日記今思うとばかばかしいその数ヶ月あとのこと。たしか13日の夜にハスキーから電話があって、「ハニー!明日の記念日のディナーですけど、 ハスキーがプランしてもいい? どこに行くかはサプライズです」いつになくやたら張り切っている。そしてあくる日。彼が連れていってくれたお店は、なななななんと、 BALI Lax(バリラックス)ハスキーが満面の笑顔で言うには・・・「前、ハスキーだけバリに行ったからわるかった。 ハニーは行きたいと言ってた」そりゃあ言いましたよ、「私もバリ行きたかった~」ってね。まさかこんな形で「埋め合わせ」してくれるなんてハスキーらしい上の写真ではわかりづらいかもしれませんが、すごく雰囲気の良いお店でした肝心のお料理(レゴンコース)、どれをとっても美味しかったです。コースは前日迄に要予約、4名~とのことですが、2名でも大丈夫だったみたい☆もちろん単品注文も可能です。前菜1、ゴイクン海老 前菜2、白身魚のムース 葉蒸小龍包を頬張るハスキー バリ風エビチリマヨネーズ カサゴとレモングラスのサユールゴレン 豚トロチャプチャイ(豚トロの八宝菜) 石焼きナシゴレンは目の前で作ってもらえます デザート(ミルクプリン&ブラウニー) ☆意外な埋め合わせに感激☆ ・・・今度、私ひとりで中国に遊びに行ったとしたら、あとで王将かバーミヤンに連れてってあげるね
2007.01.14
コメント(2)
「中国語が生かせる仕事に就きたい」「中国出張に行ける仕事に就きたい」などなど私と同じような思いで就職・転職活動されている方に、ほんの少~しでも参考になればと思い、(ならなかったらゴメンナサイね)昨日受けた中国語面接の内容を紹介します。・今回募集されていたお仕事の内容は、 ⇒日中間の商談/中国出張での通訳業務/貿易実務・主な事業内容 ⇒メーカー、広告代理店へ販促商品・ギフト商品等の 企画・製造(中国生産)・販売面接は中国人の面接官(以下、面)と、偶然にも大学のOGであった人事担当の課長(以下、課)そして私の三人という状況で行われました。※以下全て中国語面「こんにちは。今から中国語のレベルをみたいと思います。 このくらいのスピードで、聞き取れますよね? (↑ネイティブのナチュラルスピード)」私「はい、大丈夫です。」面「中国語はどれくらい勉強されたのですか?」私「5年間勉強しました。」面「どこで?」私「大学で4年間と、北京で1年間です。」面「北京の、学校で?」私「はい、北京○○大学という、まだ新しい大学なんですが、 そこで半年間と、北京△△大学で半年間勉強しました。」面「○○大学は北京のどのあたりでしたっけ?」私「えーっと。。。 四環道路の×××を降りてすぐのところにあります。 だいたい北京市の、北東部です。」面「そうですか。」課「じゃあ、まず、簡単な自己紹介をしてもらおうかな。」私「はい、私は吉村美咲と申します。 去年の三月に、**外国語大学を卒業いたしました。」面「**外大?あれ・・・」課「そう、私の後輩にあたるんだよね。」私「卒業後、半年間は##という貿易商社で、 家具や室内装飾品の国内営業を担当していました。 私が三重県出身ということで、 営業は主に名古屋地区を担当しておりました。」課「##っていうと、主に顧客は問屋になるのかな?」私「問屋がほとんどですが、 名古屋の顧客はデパートが中心でした。」面「なるほど。」私「しかし仕事で中国語を使う機会は全くありませんでした。 長い間勉強したのでやはり中国語を使いたいと思い、 転職を決意しました。」面「そうですか。」私「私の故郷は、三重県四日市市で、 名古屋から電車で30分のところにあります。 工業都市で知られる街です。」課「ご両親はそちらに?」私「はい、両親と、下の妹がそこにおります。 私は二人妹がいまして、上は東京で大学に通っています。」面「ところで、吉村さんは(中国語を)聴くのと話すのでは、 どちらが得意なんですか?」私「やはり、聴くほうでしょうか。 日常会話でも、聴くぶんにはほとんど何でも聞き取れるんですが、 自分の言いたいことを中国語で表現するとなると、 何でも流暢に、というわけにはいきません。」面「それはそうですよね。 私も、“中国語で表現できることが日本語でできない” 逆に“日本語で表現できることが中国語でできない” そういうことがよくあります。 それと、弊社は扱う商品が毎回毎回違うんですが、 商品イメージを現場の中国人(中国の工場)に伝えるとき、 母国語である中国語でもうまく説明できないこともあります。」課「そう、現場との折衝は本当にパワーが必要だよ。 できる自信ある?」私「ビジネスの通訳をした経験がないので、 今すぐにどの程度できるかはわからないんですが、 精一杯努力して、勉強したいと思っています。」面「出張も多いので、体力も要りますよ。 吉村さんは何かスポーツは?」私「中、高とハンドボール部に所属していました。 体力には自信があります。」面「そうですか(笑)じゃあ、何か質問があればどうぞ。」私「御社の工場は、中国のどこにあるんですか?」面「深センとか、その辺ですね。 商品によって工場が変わることも多いですが。 行ったことはありますか?」私「はい、四、五年前に香港に旅行へ行ったとき、 深センにも一日観光へ行きました。」課「なるほど、 ・・・よし、これくらいで、いいかな。 じゃあ、結果は一週間以内にお知らせします。」私「ありがとうございました。」これでほんとにレベルがわかったのかな~と思いつつ、面接終了。ちなみに、日本語訳にするとスムーズなやり取りに見えますが、私が中国語でそれを正確に表現できていたかどうか?こたえは面接官のみぞ知る就職、転職活動されてる皆さま、お互いポジティブに頑張りましょうね
2007.01.13
コメント(4)
今日は、あとといハローワークから紹介を受けた会社の面接。久しぶりに、真っ黒のリクルートスーツを着た。このスーツは学生時代、初めての就活用に買ったもの。あの頃の若さと夢に溢れる自分(ほんまかいな)を取り戻したくて、敢えてこのスーツを選んだのだった。だって、図々しくも未経験で乗り込んでいくんだもん。売れるものはやる気と若さと初々しさ・・・ってね約束の10分前、会社に到着。そのときちょうど、ハスキーからの「今日はGood Luck Tiger Tiger's powerして ハスキーは、entering Tiger's cheering section 」 ※私はハスキーからタイガーと呼ばれているチアーリングセクション??なんじゃそりゃ(笑このメールで緊張も少しほぐれ、私は深呼吸してから会社の中へ。面接を担当してくださったのは、人事担当で外大OGの相川課長と、常務。話題は、やはり前職のことに。新卒で入って半年で辞めたのだから、経験と言えるだけの経験や、アピールできる話もそうない。お二人が聞きたかった核心は、勿論「なぜ辞めたのか」いくら本当でも、会社の不満を挙げるのはタブー。転職は、あくまでも前向きな理由によるもの、そういう姿勢を見せたほうがよい。・・・と転職サイトに書かれていたのを参考に↓◎中国と関わる仕事がしたくて、中国方面に強い前の会社を選んだが、 全く関係のない部署に配属され、国内営業を担当していた◎その上、女性には異動がない◎国内営業もやりがいがあり、それなりに楽しい仕事ではあったけれど やはり中国語を生かせる仕事に就きたいとお話しした。お二人は、なるほど。と一見納得した表情に。そして、「今回は、あくまでも通訳の募集なので、 中国語のレベルで採用を決めさせていただきます。 その前に一点確認させていただきたいんですが、 採用になりますと、急な中国出張も頻繁にあります。 それは大丈夫ですか?」私は、「全く問題ございません」と笑顔で答えた。その後、中国人社員による中国語面接開始。簡単な自己紹介をさせられたあと、前職、留学経験、故郷など、身近な話題の質疑応答。質問されている内容は全て聞き取れる。でも、それに対して自分がどこまで表現できたかは相川課長もときどき話題に参加して下さり、終始和やかなムードで約15分の中国語面接は終了。部屋を出ると、そこにはもう次の応募者が待機していた。こういう時、他の人のほうが自分よりずっと優秀に見える。いったい、何人面接を受けるんだろう(↑採用枠は、一人)私は、採用を祈りながらビルを見上げた。もう一度、ここに来ることができますように・・・
2007.01.12
コメント(0)
昨日ハローワークから電話してもらった会社から、今朝さっそくケータイに連絡が入り、明日の朝から面接をしていただけるとのこと。今日は一日、提出書類の準備に四苦八苦。半年で会社を辞めた私でも、当然「職務経歴書」は必要10月、あんな風に会社を辞めてからの私は、ネガティブ思考になっている。ちゃんとした会社で、正社員で勤めたい。その気持ちはあるものの、じゃあ自分には何ができるのか?経歴のハンデもあって、気持ちは焦るばかりで空回り11月12月は、中国の新聞社で働いた。在日中国人や華僑向けに中国語新聞を発行する会社。中国語が生かせると思って受けたところだったが、3ヶ月の試用期間が満了する前に辞めた。その会社でこの先ずっと働きたいと思えなかったから。また「仕事」が無くなった私は「負け組」とか「負け犬」とか、とにかく負けナントカって言葉、最近妙に反応してしまう。大学時代、思い描いた将来の自分と今の自分は程遠い。だめだなぁ、私。私がそうやって凹んでいると、ハスキーは必ず笑顔で言ってくれる。「ハニー、大丈夫。今ハニーは人生の休憩時間ですよ。 ちょっとゆっくりしてもいいじゃない?」私にはゆっくりしていられる蓄えなんてないよなんて思いつつ、いつも隣で「大丈夫」と言ってくれる彼の存在が、今の私にとってすご~く大きな心の支えになっている。大丈夫じゃないときでも、大丈夫という一言に救われる瞬間って、あるんだね。よーし。明日の面接、頑張らなくちゃ!
2007.01.11
コメント(4)
今日は、ハローワークへお仕事探しに行ってきた。ハローワークというと、中高年の方が通うイメージだったのに、実際に行ってみると意外や意外。私より若い子も、こどもを抱いたお母さんもたくさんいて、昼間からごった返していた。まずはカウンターで簡単な手続き。大阪府内の求人が全て閲覧できるというPCで、自分に合う求人を絞り込むため、希望条件を入力していく。年齢・希望業界と職種・勤務地域、待遇・・・でも、私が本当に優先させたかったのは、「中国語を生かせる仕事」キーワード検索がないので、ちょっと使い勝手が悪いメーカー、貿易、出版など約1600件の求人に目を通した。その中で1件、受けてみたい会社があった。しかも今日出されたばかりの「新着求人」。大阪市内の、とある貿易会社で、仕事内容は「日中間での商談、中国出張での通訳業務」ただし、「貿易実務の経験要、貿易英語に堪能」の条件付私は、すぐさまカウンターへ行き、ハローワークスタッフに相談。「以前努めていた商社の入社前研修で貿易実務の通信教育を受けたんですが、 実務の経験が全くないんです。英語も、全然堪能ではなくて・・・」するとスタッフは、その場で人事担当者に電話をかけてくれた。門前払いかなぁ・・・不安がよぎったのも束の間、人事担当だというその会社の課長は、なんと同じ外大のOGで、私がお世話になった教授の友人でもあった。そんな縁のおかげで、何とか面接だけはしていただける事に喜び勇んで帰ってきたものの・・・冷静に考えてみたら、私は貿易実務以前に、通訳の経験もゼロ。「日常会話は大丈夫です」じゃお話にならない世界かもしれないしかも、新卒で入った会社を半年で辞めたという「実績」もある。なんだかな~外大の先輩の前で、大恥かきそうな気がしてきた。今から焦ったってもう遅いんだけど続く→
2007.01.10
コメント(0)
私が10月会社を辞めたのをきっかけに、それまで別々の部屋を借りていた私たちは同棲をスタート。昨年4月。私が就職で神戸から大阪に出てくるとき、元々大阪に住んでいたハスキーに(当時交際約1年)、「私たち一緒に住まない? 近くで別々に部屋借りるなんて、もったいないよ。」と同棲を提案してみたものの(主に節約のため)、「それは、NO 結婚する前に、一緒に住むは良くない。」あっさり却下されてしまった。転機は昨年10月。会社を辞めた私は当面収入のめども立たないし、大阪市内で一人暮らしを続けるのは経済的に苦しい。仕事を辞めたことで精神的にもダウンしていた。「会社も辞めた事だし・・・三重に帰ろかな。 次は実家から通える名古屋で働こうか迷ってるの。」私は正直な気持ちをハスキーに話した。勿論、彼と遠距離になるのは不安だったけど、それよりも大阪で一人で居ることのほうがこたえていた。ハスキーも、遠距離になるのは辛かったらしい。私たちは何度も話し合いを重ね、互いに相手との「将来」を考えているとわかったので、思い切って同棲することにした。以前ずっと「同棲はするべきじゃない」と言っていた彼。その理由は、敬虔なクリスチャンであるママが同意しないから。注:ちなみに彼も一応クリスチャンなるほど。結局、ママには今しばらく秘密にしておくことになった。(↑カナダにいるから)いくら好きな相手といっても、今はまだ他人。一緒に暮らすとなれば当然不安もあった。だけど、二人で最初の大きな一歩を踏み出してみよう、ハスキーはそう言ってくれた。そして昨年11月末。私は、ハスキーが住んでいる2LDKのマンションに荷物を運び入れた。彼が今までダイニングとして使っていた空間は、今では私が運び入れた冷蔵庫や洗濯機置き場お互いひとつずつ部屋を使い(勿論ベッドは各自の部屋に)家賃の4割は私が払う。こうして、あれよあれよという間に「押しかけ」同棲がスタートま、確信犯って声もありますが爆
2007.01.09
コメント(2)

新年明けましておめでとうございます引越しのため、自宅でネットが使えなくなって早1ヶ月。ブログも更新できないまま、とうとう年を越してしまいました。(↑その前から更新サボってましたが・・・)皆さまいかがお過ごしでしょうか?今日からやっとネットがつながったので、今年は心機一転、マメに更新していきたいと思います(目標)。フリーページもコツコツ増やしていく予定です↓*カナディアンハスキー編*~カナダ人の彼との、現在進行形ラブストーリ~ *心にくすぶる北京の恋編*~北京留学時代の、叶わなかった恋回想記~このページに遊びに来て下さっている皆さま、また懲りずにちょくちょく覗いて下さいね ♪気持ちだけはいつも上を向いていよ♪こんな私たちですが、今年もよろしくお願いいたします。皆さまにとってよい1年となりますように!
2007.01.08
コメント(0)
(前回の続き)部長は、最後まで私を引きとめようとして下さった。ここで踏ん張れば、きっと君のプラスになると繰り返した。部長の言うように、ここで踏ん張って事務職として残り、そこから得られるもの・学ぶことは必ずある。これから先の人生にプラスになることは多いだろう。だけど私は、どうしてもここに留まる気持ちにはなれなかった。自分は、女というだけで差別されている。学歴も能力も引けをとっているとは到底思えない同期の男性と、正当な理由なく待遇で差をつけられるなんて。少しの間なら我慢できたかもしれない。でも、それも限界。自分が求める環境は、自分で手に入れるしかない。この会社でぬるま湯につかったまま、会社が私のために動いてくれるのを待っているのはバカだ。転職しよう。そのときの私は、かなり強気で会社をあとにした。そういう風に自分を奮い立たせでもしなければ、会社は辞められなかった。新卒で入った会社を半年そこらで辞めるという事は、やっぱり「邪道」だと思う。もし、今回のカナダ行きがなかったら?私は待遇のことも「もういいや」とだんだん弱腰になって、入社時の「口約束」のために人事と波風立てるより、この会社での安定した生活を選んでいたかもしれない。続く→
2006.12.03
コメント(0)
(前回の続き)そうして私の中には、会社に対する不満が渦巻いていた。あの日パパの訃報を聞いて関空に向かう途中、いっそ、会社辞めちゃおうかな・・・という気持ちが心の片隅をよぎったことも確かだ。(勿論、辞めたいといって長期欠勤していい理由にはならない。)それで、この際だから私の想いも伝えておきたいと思い、ペナルティを言い渡された翌日、総務部の人事担当S次長・インテリア部の部長・私の三人で、午後をぶっ通して話し合いの場を持っていただくことに。私はまず、今回のカナダ行きについては全面的に私が悪かったということと、然るべきペナルティが課されることについても納得していると伝えたうえで、今まで我慢していた会社からの男女差別に対して、正直な気持ちをお話しした。自分たちのしてる事もちゃんと考えてみて欲しい。総合職に切り替えると言ってくれた総務からは、入社後半年が経っても音沙汰一つなかったし、私の中にはこの総務部に対して不信感が渦巻いていた。私の話を聞き終わった総務部のS次長が自信たっぷりに言うには、こうである。「いやぁ・・・吉村さんは気持ちが弱いね。 仕事をしていく上で嫌なこと辛いことがあるのは当たり前。 女性は、そういうときすぐに逃げようとするでしょ。 だから女性に総合職は任せられないんですよ、精神的に弱いから。 そんなことで辛いとか言ってるようでは、こりゃね、 吉村さんには総合職は務まりませんな。」S次長のこの言葉を聞いて、私は確信した。人事の先頭に立っているこの人が、こんな言葉を吐くようでは、この会社で女性が総合職に就ける日はまだまだやって来ない。と。女性は精神的に弱いなんて、何を根拠に言うんだろう?ちゃんと、会社が払うべきもの(=営業職のお給料)を払ってくれるなら、どんなに先輩にいじめられても無視されても、私はこの会社で踏ん張りますよ、意地でもね!これ以上ここに留まれば、理不尽な想いばかりが募っていくだろう。待遇や職種のことよりも、人事は初めから私を総合職にするつもりなどなかったのかもしれない、そういう不信感がぬぐえなくなってしまったことが大きかった。続く→
2006.12.02
コメント(0)
(前回の続き)しかし、ときは既に12月下旬。もう一度就活を始めたところで、もっといい会社に巡りあえる保証はないここは人事の言うことを信じようと腹をくくり、入社。中国語が必要な部署では、男性の総合職が欲しいとかで私は結局、中国と無縁のインテリア部に配属(↑中国語を使いたくて受けた会社なのに) インテリア部には、短大卒で事務職5年目の、佐藤さんという女性がいた。彼女はもともとデザイン方面のことが好きだったらしく、事務職ながら商品企画にも少しずつ挑戦していたらしい。そこにポンっと入ってきた、営業職の私。たった一人の、初めての女性営業ということで、若い男の先輩たちも何かと可愛がってくれる。東京・名古屋への国内出張や、新製品企画会議への参加、営業として商品企画に携わる場面も増えてくる。部署内で表ざたにはされていなかったけれど、私は営業をしていても「事務職」待遇。そんなことを知るはずもない佐藤さんにしてみれば、新卒で入ったヒヨっこの私が、(一見)自分よりもずっといい給料を貰い、やりがいのある仕事を任されていくことが気に障ったのかもしれない。佐藤さんはじめ、佐藤さんと仲の良い女の先輩たちからは無視、陰口、嫌がらせ。総務は、私を総合職にすると言ったものの、女性の先輩たちのそうした反発を受け、苦しい立場に立たされていたのかもしれない(推測)入社後半年が経っても人事からは音沙汰ひとつなかった。その間、私は営業職をしながら、事務職の待遇で我慢し続けていた。一ヶ月の手取りで数万円違う。同期の男の子たちを見るにつけ、悔しい気持ちがこみ上げた。続く→
2006.12.01
コメント(0)

あと一時間で、私もいよいよ24歳。23歳最後の一時間、せっかくなのでこの一年を振り返ってみたいと思う。一年前の今日、ハスキーからメールが入った。「18時に姫路駅へ来て下さい。」ひ、姫路!?こりゃまた遠いな~。姫路城でも見に行くつもりか?(↑外国人だから、城が見たいのかと思った)そんなことを考えながら、私はJRに揺られはるばる姫路へ。ハスキーは、レンタカーでスタンバイしていた。窓から顔を覗かせ、はじけんばかりの笑顔で「ハニー。今から、城崎温泉に行きましょう!蟹食べましょう!」と彼。どうやら彼は、私に内緒で城崎の旅館を予約していたらしい(笑)車を走らせること3時間半。夜10時前、何とか城崎の富士見屋さんに辿りついた。本館から、更に長い長い回廊を上っていく。ハスキーが予約していた山荘風の個室別館は、山の中にひっそりとたたずんでいた。お部屋で蟹料理を堪能したあと、貸切の露天風呂へ。部屋に戻って一息ついたところで、時計は0時、私は23歳になった。静かな山荘で、穏やかな23歳の始まりだった。 城崎温泉(兵庫県) 個室別館はカップルにお勧め 嬉しそうに蟹をほじくり出すハスキーあれからの一年は、ほんとにあっという間に過ぎた。大学卒業、初めての就職、突然の転職。就職したての頃は、生活の変化に戸惑い、気持ちが不安定に。たいした仕事もしていないのに、毎日がストレスの塊だった。そんなとき私はいつもハスキーを呼びつけ、当り散らした。何も言い返さないで、黙って私に当たられるがままの彼。「Tiger、私はずっとTigerにおうえんしてるよ。 いつでもTigerにsupportしたいよ。」彼は繰り返し言ってくれる。私はその言葉を聞きながら、ぼんやりと思った。あ~きっとこれからの長い人生、色んなことがあるんだろうけど、ハスキーと一緒ならどんなことでも乗り越えられそう、って。この一年は、就職を機に多くの出会いがあった。そのひとつが「同期」という存在。新卒・既卒関係なく、同じ年に同じ会社を選んだという偶然。この縁は、ずっと大切にしていきたいと思う。そして、卒業と同時に散り散りになった外大の好朋友。中でも、北京で苦楽を共にした好朋友は私にとってかけがえのない存在(@_@。東京で、名古屋で、九州で、みんな頑張っているんだと思うだけで、私は勇気づけられる!社会に出て、色んな人と出会って改めて思うのは、私にとって大学での出会いは、一生の出会いだったということ。中国と中国語が大好き!!なチョット変わった女同士、いつまでも好朋友でいられたらなあ~と思う。誕生日を迎えるにあたって、ひとつ心にひっかかっている事は、親との関係・・・。誕生日は、一番親に感謝したい日なのにね(涙両親の制止も聞かずカナダへ飛び立ち、会社を辞めた私。それが原因で、両親とは大喧嘩、まだ仲直りできていない。もう少し時間が経って、新しい会社にも慣れ、私自身の気持ちが落ち着いたときには面と向かって言いたい。「心配かけて、ごめん。」もうとっくに0時過ぎちゃったけど、24歳の目標をたててみます。1、目指せ起業!2、100万円貯金する3、じいちゃんばあちゃん孝行する4、語学は検定試験を活用してモチベーション維持5、規則正しい生活習慣と、一日30品目の食事 げげっ・・・我ながら、ありきたりな目標(爆)でも、目標はないよりあったほうがいいし、目標を考えながら新しい一年を迎えるのも悪くない!そういうわけで、最後は(せめて自分で)言ってあげよう(笑)また、始まったね!いい一年にしようね!がんばれ私!Happy Birthday生日快楽
2006.11.22
コメント(4)
(昨日の続き)話は、一年前の秋にさかのぼる。当時大学4年だった私は、大学の就職推進室で、うちの会社の求人票を見つけた。「総合職募集・中国語が話せる方希望」中国語を専攻していた私はさっそく説明会に足を運び、選考を受けることを決意。3度の面接を経て、内定が決まった。そして迎えた12月の内定者懇談会(顔合わせ)の日、総務部に着くなり私は、なぜかほかの内定者とは別の個室に連れていかれた。「吉村さん(←私)には、一応、先に確認をさせていただきたいんですが、 まあ、うちはなにぶん古い体質の企業ですので・・・。 総合職希望という事で来られていたんですけれども、 正直、社内でも、色々な声がありまして。 はじめは、その、一般職という形でね・・・ しばらく頑張ってもらってから、総合職に切り替えたいと考えております。」それまでの、面接の際には、次のような説明を受けていた:この会社では、これまで「古い体質」のために、男=総合職(営業)、女=一般職(事務職)と区別して採用をしてきた、しかし、これからはもっと女性の力を会社の成長に生かしていきたいので、この「古い体質」を変えようと改革を始めたところなんです。と。「うちにはまだ女性の総合職がおりません。 ですので、上とも相談した上で、決めさせていただきますね。」・・・その結果、頂いた内定。私は当然、総合職で採用になったものとばかり思っていた。 12月の内定者懇談会のその日、自分が一般職になるということを初めて知る。私の気持ちは大きく揺らいだ。面接では、営業職をやらせてもらえるという話だったのに、それは一体どうなるの?後日、私の求めに応じて、会社から改めて文書で説明がきた。「吉村さんには、事務ではなく、営業をしていただきます。 本来、営業職に就いて頂く吉村さんには総合職としての採用が妥当なのですが、 そこには、弊社に根強く残っている‘昔ながらの風土’の存在があります。 しかし、いずれは総合職へとステップアップして頂くつもりにしております。」つまり、事務職の待遇で、男性と同じように営業職をやれと言ってきた訳です!続く→
2006.10.06
コメント(4)
(昨日の続き) そして再び課長が続けるには、「これが男のひとやったら、まず間違いなく辞めてもらってたよ。 まああなたは女の子やから・・・。 ひとまずペナルティとして、2年か3年、佐藤さん(女の先輩)がやってるような、 事務の仕事を一生懸命にやってもらって、信頼回復に努めてください。」つまり、会社は私に、営業職を外れて、ペナルティとして事務職をやってくれとそう言っているのである。自分の取った行動は、たしかにいち社会人としては失格で、同僚や上司、(少ないながらも)私が担当していたお客さんに迷惑・心配をかけたのだから、然るべき「ペナルティ」は受けて当然だと思う。でも私はこのペナルティの裏側に、会社の本音を見た気がした。「ペナルティとして」事務職って、なんだそりゃ・・・?うちの事務は、そんなに責任のないどうでもいい仕事なのか?実は、このことは、私が入社以来ずっと抱き続けてきた葛藤でもあり・・・会社は前々から、私におとなしく事務職をして欲しかったのだと思う。私にはそう思えてならない。それには、複雑なワケがあった。続く→
2006.10.05
コメント(2)
今日は、久々の出勤。いつもは能天気な私も、今日はさすがに足取りが重い。こんなにも長期欠勤しておいて、あやふやな説明で済まされるはずもない。会社には、あのカナダからのFAX以来、連絡はしていなかった。私は、この際、包み隠さずありのままを話そうと決めていた。会社に着くと、親しくしてくれていた先輩たちが「不幸があったって聞いたけど、大丈夫~?」と次々に声をかけてくれる。それが彼氏の家族の不幸だとは言い出せない。私がデスクに着いてまもなく、課長が喫煙コーナーから出てきた。「おはようございます、・・・あの(とりあえず謝罪の言葉を探す私)・・・」そんな私の言葉をさえぎるように、「話はあとで、聞くから。」と課長。やがて部長が出社してきて、私と課長を会議室に呼んだ。広い静かな会議室に、部長・課長・私の三人。ピリピリとした空気が張り詰める中、私は、すべてありのままを話した。カナダ人と付き合っていたこと。あの日、彼のお父さんが急死して、彼と一緒にカナダへ向かったこと。葬儀までに日にちが開いていたため、すぐに戻って来れなかったこと。私の説明を聞き終えると、課長は、淡々と言った。「あなたみたいな人は・・・この会社始まって以来、初めてちゃうか? 仕事放っぽりだして、カナダに行くって・・・前代未聞や。 これは、職場放棄やで。」部長は、あなたの気持ちは分からないでもないけれど、と前置きをしてから、「企業に勤める人間やったら、どんな事が起こったとしても、 やっぱり仕事のことをいちばんに優先させるという意識を持ってもらわないと。 他のどんなことよりも、まず自分の仕事に責任を持ってさあ・・・。 それが会社人でしょ。今回の行動ははその意識に欠けてるよね。」二人のおっしゃっていることは、もっともだと思う。私は、姿勢を正して、ただ申し訳ありませんという顔をする他ない。続く→
2006.10.04
コメント(2)

昨日の日記では、エアカナダに対する不満を書いたが、今回のフライトでは、エアカナダに感謝という出来事も。一応、そちらのほうも紹介しておきたいと思うエドモントンから、ひとまず国内線でバンクーバーへ向かった私。そこで、エドモントン空港で言われたとおりに確認してみると、嫌な予感は的中、関空行きのビジネスシートに空きはなし。しかも、文句を言いたげな私に、エアカナダの日本人スタッフは、ピシャリと言った。「細かいことは、関空に着いてから、あちらのスタッフにおっしゃって下さい。 こちらでは分かりかねます。」なんというか、カナダ人に言われると英語で対等に言い返せないから諦めがつくけども、日本人に言われるとムカムカ~っとするものですね(私だけ!?)。「申し訳ございません」くらい、嘘でもいいから言えよって思ってしまう。私には関係ないと言いたげな態度には、腹が立ちますね。ないものはいくら言っても仕方ないので、私はおとなしくエコノミーに座った。飛行機がバンクーバーを発って、5~6時間が経ったころ。数時間前に機内食を食べたはずなのに、またお腹が空いてきて眠れない。気を紛らわせようと備え付けの雑誌を手にとってみると、うしろのほうのページに、食べ物の機内販売の広告がカップヌードルいっこ2$と書かれている。私はすかさずフライトアテンダントを呼び、これをひとつ、と注文してみた。するとそのカナダ人男性アテンダントは、流暢な日本語で、「スミマセン、これは国内線だけなんです。 お腹がすいていますか?何か持ってきますね」そう言って立ち去っていった。何かって・・・何だろう?国際線用に何か準備してるのか?ドキドキしながら待っていると、彼が笑顔で戻ってきて、さっき食べた機内食そのままもう一食分と、巨峰をひとふさ、「どうぞ、良かったら、食べてくださいね。」(空腹の)私は、・・・感激そのサーモン尽くしの機内食を、おいしく・ありがたくいただいた。ちなみにメニューは、(チキン or サーモン でサーモンを選んだ場合)サーモンごはん(和風味ごはんの上に、鮭の塩焼きがのっかている)サーモンサラダバニラアイス&フルーツの盛り合わせ でした。ちなみに・・・「チキン」を選ぶと、チキンカレーと海老いりサラダでした。いつも、余分の機内食を積んであるものなのかな~。それとも、お腹が空いたと言ってくるひとって、結構いるんだろうか。(↑もちろん私は、初めての体験)どっちにせよ、これでエアカナダに対する不満は吹っ飛び、エドモントンに行くならバンクーバー乗り継ぎは早いし、楽だし、また、エアカナダ乗ってもいいかなと思った単純な私でした。 もちろん、関空に着いてからシートのことで文句は言ってません(笑)
2006.10.03
コメント(0)
朝早くにエドモントンを発った。ハスキーの家を出たのは5時半。10月のエドモントンの朝はかなり寒く、私、ハスキー、ママの三人はダウンジャケットで家をでた。実は、昨日予約の電話をしたとき、エアカナダのオペレーターが言うには「ビジネスには空きがあるか分からないので、 エコノミーで取っておきます。 明日空港に行って、直接確認して下さい、 もしあればその場でシートを変更できます。」空きがあるか分からないって、そんな事あるのしかもママが取ってくた往復チケットは、ユナイティッドのファーストクラス。でも、エアカナダにはファーストクラスがないらしく、エグゼクティブ(ビジネス)クラスでしか乗れない。 私たちは一抹の不安を胸に、エドモントン空港のエアカナダカウンターへ。「エドモントン→バンクーバーは、ビジネスに変更しましたが、 バンクーバー→関空は、ビジネスに空きがあるか分からないので、 バンクーバーで確認して下さい。」ていうか・・・重要なのはエドモントン→バンクーバー(1時間)じゃなく、むしろバンクーバー→関空(約9時間)なんですけど!日本のサービスに慣れきったハスキーは、さすがに納得がいかなかったのか、朝からカウンターでひと吠え。(少し離れたところで他人のフリをする私とママ。)結局いくら吠えてもどうにもならなかったようで(↑これが中国ならどうにかなりそうなのにね)、ハスキーはぷんぷんしながら私のところへやってきて、強い調子で言った。「ハニー。Listen! バンクーバーに着いたら、言ってください! Do you have a BUSINESS CLASS seat for me? I booked FIRST CLASS!! もし、エアカナダはハニーに何か言ったら、取りあえず、 Give me a Japanese translator, Right now. と言うのほうがいいと思います。」↑彼は私の英語力を考慮し、 ややこしくなる前に日本語のできる人を呼べと言っている。それにしてもエアカナダのこの対応、どうなのよエアカナダはカナダでいちばん大きなエアラインなのに・・・などと思いながら、私はハスキーとママの笑顔を背に、バンクーバーへと飛び立った。ところでママは来週、ハスキーと一緒に日本へ来るらしい。「今のブレア(ハスキー)には私が必要だわ。 しばらく彼の身の回りの世話をしに行くわ。」パパが亡くなって、ママも寂しいんだろうけど、ハスキーは毎日大学、夜も英語のクラスをもっている。その間、日本語もわからないママはどうやって過ごすんだろう・・・何か、ひと波乱起きそうな予感
2006.10.02
コメント(2)

本当は、今朝の飛行機がタイムリミットだった。会社には、遅くとも火曜には出勤したいとFAXしてあり、そのためには、必ず今日、エドモントンを出ないと間に合わないでも、パパの葬儀が金曜に終わり、大きな家に独りきりになったママを見ていたら、「仕事があるので帰ります」の一言が言い出せなかった。ママは、夜眠れないと言って、ま夜中に床のワックスがけをしていたり、ビタミン剤は飲んでいるようだけど、まともなごはんも食べていない。よほど、パパの死がこたえているのだと思う。いや・・・でも・・・これ以上会社を休むわけにはいかない!!と我に返り、今朝発のチケットを取ろうとしたのが今朝未明(←当日じゃん)。エドモントンからバンクーバーまでは、既に満席。という訳で明日朝の飛行機を予約。出勤できるのは水曜からか~・・・ヤバイな。と、今更そんな事を言ってもまったく意味がない。今回はカナダ滞在中どこにも遊びに行っていなかったし、最後の一日くらい遊びに行こうとハスキーが連れ出してくれた。それで家から30分のところにある、世界最大級のショッピングモール、West Edmonton Mall(ウエストエドモントンモール)へ。ショッピングは勿論、巨大な屋内プール、カジノ、グルメ、スケートリンク・・・何でも揃ったテーマパークという感じ。ここには私の大好きなチャイナタウンがあって、特に、その中心にあるスーパー「T&T」は、いつ行っても中国人やその他多くのアジア人でごった返している。T&Tには中華系食材だけでなく日本の食材も豊富に取り揃えられており、私もカナダ滞在中よくここを利用させてもらってます。カナダの(ハスキー宅の)食生活に耐えられなくなるとここに来、うどん・そば・韓国の「辛ラーメン」などを調達。カナダの、英語漬けの毎日に気が狂いそうになるとここに来、大好きな中国の雰囲気を味わうことで気を紛らわせる。だからカナダ滞在中、私がちょっと不機嫌なときハスキーはすぐに、「ハニー、T&Tに行きましょうか」て言うし(苦笑)今日はチャイナタウンや、ウインドウショッピングを満喫し、屋内プール鑑賞にも付き合い(←ハスキーが、ビキニ女を見たいと言うから)、楽しいカナダ最終日を過ごすことができた。Edmontonへお越しの方は是非行ってみて下さいね、一日いても遊び尽くせません!ま・・・Edmontonには、他に遊べるところがないとも言いますが(笑)T&Tにはお寿司も。やたらサーモンが多いのがカナダ!モール内にある人口池ではアザラシのショウなども催されてます。なかなか本格的な室内遊園地(北京の遊園地より遥かに良いレベル)。カナダ人には欠かせない屋内スケートリンク。写真はすべて2005.8撮影。
2006.10.01
コメント(0)

今日は、朝の11時から教会で葬儀がとりおこなわれた。私たち家族や親戚は、パパの会社が準備してくれた黒塗りのリムジンで、自宅から10分のところにある教会に向かう。 教会の駐車場は既に満車で、さらに、少し離れた空き地には数十台のリムジンが待機している。どうやら、パパリモのスタッフたちが駆けつけてきてくれたらしい埋葬のとき、参列者を(墓地まで)輸送するのにぜひリムジンを使って欲しい、と申し出てくれたそうだ。パパは、きっとスタッフからも愛されていたんだと思った。教会の入り口には、パパが生前愛した品々が数多く展示されていた。ファッションにうるさかったパパらしい、靴磨きセットやおしゃれなネクタイ。いつも片手に持っていた、Tim Hortonsのホットチョコレート。ハスキーとブレアが、幼い頃から毎年パパに送り続けてきたカードも並んでいる。父の日、誕生日、パパママの結婚記念日、イースター、クリスマス・・・「パパが一番ハンサムなのは、週末、ママとパーティーに行くときです。」「パパ、いつも僕をサッカーやホッケーに連れて行ってくれてありがとう!」どれも、つたないミミズみたいなローマ字で書かれている。きっとこのカードは、20年以上経った今でもパパの宝物だったに違いない。 Tim Hortons私も好きです。ドーナツ系はかなり甘いけど、スープがお勧め☆画像はTim Hortonsのサイトから。 葬儀には、1000人を超える人が集まった。親族・友人・パパリモの社員・近所の人らによるスピーチや、お隣のジョー・ベティー夫婦がパワーポイントで作ってくれたパパのスライドショウ最後は、ハスキーがステージに立った。(いわゆる喪主の挨拶?)必死に涙をこらえ、準備してきたスピーチを読み上げる彼。原稿を読み終えてからも、アドリブで、パパとの笑えるエピソードを披露。会場にはどっと笑いが起こり、隣を見るとママも声を上げて笑っている。そういえば、パパもジョークを飛ばしては人を笑わせるのが大好きだったな~1時間の葬儀は、パパの大好きだったジョニー・キャッシュで幕を閉じた。みんなで一緒にパパを懐かしみ、それぞれに持っているパパとの思い出をシェアし合える、そんな心温まる葬儀だったと私は思う。これからは、パパの声を聞いたり、パパに触れることはできない。でも、パパが私に残してくれたたくさんの記憶の中で、私はいつでもパパに会うことができると思っている。その人を想い続ける限り、死は、必ずしも永遠の別れではない。パパ、天国でゆっくりゆっくり休んでね。
2006.09.29
コメント(0)

カナダに来て5日目。私には、どうしてもしなければならないことがあった。それは会社にFAXを送ること。日本でパパの訃報を知らされたのは、日曜のことだった。当然日曜なので、うちの会社には誰も居ず、留守録もない。それで、事前の相談もないまま、日本を出てきてしまった私。今日からカナダに行ってくる!と言う私に、「会社はどうするつもりなの!?そんなに休めるの!? タウンワークで上司の家の番号を調べて、必ず連絡してから行きなさい!!」と飛行機が発つ寸前まで言い続けていた私の両親。(↑かなり急いでいたので結局かけなかった。)飛行機に乗ってから、気持ちがだいぶん冷静になってくるにつれて、会社はどうしよう!?という不安が徐々に膨らんできた。こんなに衝動的に出てきてしまったけれど・・・そう、私は社会人一年生。結局(日本時間の)月曜朝、会社の始業時刻10分前を見計らって、ちょうどそのとき乗り継ぎを待っていたカルガリー空港から電話をかけた。出たのは、私の直属の上司である課長。私「もしもし、吉村です、おはようござます。」課長「おはよう。どうした?」私「あの・・・義理の父に不幸がありまして・・・今カナダに来ています。」課長「・・・こんなときになんやけど、籍は入ってるの?」私「入ってません。」課長「・・・あ、そう・・・(絶句)。 じゃあ、いつ帰れるとかね、又そういう詳しいことをFAXしてきて。」 課長は普段から口数が少なく、かなり人見知りするタイプで、私は前々からとっつきにくい人だな~と思っていた。でも仕事には非常に厳しく、責任感の強い、尊敬できる上司でもあった。その課長が、意外にもあっさりと電話を切ってくれたので、ホッとしながらも、いずれあんな説明だけで済まされるはずがないこともよーく分かっている。ため息をつく私の隣で、ハスキーは、「美咲、他の仕事はたくさんたくさんあるよ。でも私のパパは一人です。」そう悲しそうにつぶやいた。ごめんね、そうだよね、ハスキーがこんなつらいとき仕事の心配してるパートナーなんて最悪だよね。だから私はそれ以降、ハスキーやママの前で仕事の件は口にしなかったけれど、内心は焦りでいっぱいだった。それで、検死もおわり、いよいよ明日が葬儀という今日になって、ずっと気になっていたFAXを書き上げ、葬儀のためにオタワから来ていたパパの弟ロバート叔父さんに頼んで、Home Depot とかいう、ホームセンターに連れて行ってもらった。そこから一枚1、58$(約150円)で日本へFAXすることができた。朝から悩みに悩んで何度も書き直した文面は、ちなみにこんな感じ↓長い間の欠勤、皆にご迷惑をお掛けし、申し訳ありません。昨日検死が終わり、明日9/29こちらの教会で葬儀をあげることになりました。葬儀が済み次第、土日のフライトで帰国し、遅くとも火曜には出勤したいと思います。ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願いします。FAXを送っても、私の不安は募るばかり。日本に帰ってから、上司や同僚にどう説明すればよいのか・・・私は会社の誰にも、ハスキーと付き合っていることは言っていない。先月には、ブランドンの結婚式でカナダに来るために、お盆休みに四日間も有給(うち一日は休日出勤の代休)をプラスした私。続けてこんな休みが、許されるはずもない一体、どうしたらいいんだろう・・・こんなときに仕事の心配してるなんて私も、自分で自分が悲しくなるよ・・・。
2006.09.28
コメント(0)

今日はハスキーと、パパの会社へ。エドモントンのダウンタウン近郊にある、リムジン会社・パパリモ(仮名)。パパリモ全体が、深い悲しみに包まれひっそりとしていた。ハスキーは昨日もここを訪れ、パパの宝物とも言えるリムジンたちを磨いていたらしい。今のハスキーにとってパパリモやリムジンたちは、パパそのものなのかもしれない。パパは先週金曜の夜も、どこかのお金持ちをリムジンで送迎していた。そのころダウンタウンの、とあるイベントに出かけていたママと、ハスキーの弟ブランドン&テリッサ夫婦。送迎の仕事を終えたら、パパが3人を迎えに来る約束になっていたらしい。夜12時過ぎ、パパからブランドンのケータイに電話があり、「あと20分でそっちに着くよ。」だけどパパは・・・朝になっても3人のもとへは来なかった。3人は、仕事柄エドモントンの地理に詳しいパパが迷うはずないと確信していたし、いくらケータイを鳴らしても出ないパパに、きっと何か起こったに違いないと、夜じゅう付近を探し回っていたという。それでもパパを見つけることはできなかった。パパは、なぜか3人と待ち合わせた場所より一つ先のICで高速を下りていた。IC近くのとあるビルの駐車場の警備員から、「エンジンがかかったままのリムジンが停まっていて、 運転席にはドライバーも見当たりませんが。」そんな連絡が、土曜の朝になってパパリモのオフィスに入った。パパリモのスタッフがかけつけ、後部座席を確認すると、革張りのシートの上に、既に冷たくなったパパが横たわっていたらしい。検死の結果は、心筋梗塞だった。パパは、ママたちのところへ向かう途中、それもあと少しというところで、気分が悪くなったのか、胸に痛みを感じたのか、車を停めて休憩しようとしたのだろう。ケータイを持っていながら誰にも助けを呼べなかったほどだから、あっと言うまの出来事だったのかもしれない。大好きなリムジンの中で、ひっそりと亡くなったパパ・・・パパはきっと最期の瞬間、死の恐怖や痛みと一人ぼっちで闘いながら、愛してやまないママ・自慢の息子ブランドン、そして遠く離れた日本にいるハスキーを想っていたに違いない。今日私はパパリモのガレージで、パパが亡くなっていたリムジンにそっと乗り込んだ。スタッフが掃除したのか、車内は鼻をつく洗剤の匂いで充満している。私は構わずリムジンのドアを閉め、パパが横たわっていたシートに、同じように横たわった。先月会ったとき、あれが最後になるなんて、どうして想像できただろう。パパ、もっともっとパパと話したかったよ。ハスキーのこと・カナダのこと・日本のこと・私のこと・・・。今まで自分の父からも言われたことのないような、パパからのI love you や I miss you、そしてあの温かいハグ。何でもっと素直に、照れなんか捨てて、パパに返せなかったのだろう。私の心にはパパへの想いや、パパとの記憶が次々に交錯していた。夜、ごく近い親戚だけで葬儀屋へ。検死を終えたパパは、ここに安置されている。私にとって一ヶ月半ぶりの、ママにとっては6日ぶりの、ハスキーには数週間ぶりの、パパとの静かな再会。誰もが、冷たくなったパパにハグをし、語り掛け、胸を優しく撫で、それぞれにパパとの時間を過ごした。「死」という別れは、本当に突然やってくる。だからこそ、今自分のまわりにいてくれる人たちとの一瞬一瞬を大切にし、愛する気持ちや感謝を絶えず相手に伝える(表現する)ことを私のこれからの人生で大事にしていきたい。それはパパが私に教えてくれたことのひとつである。パパとママが仲良く手をつないで歩いていた姿は、印象的だった。写真は、私がうしろからコッソリ撮ったもの(2005.9)。
2006.09.27
コメント(2)

パパの亡くなった土曜日からずっと、この家にはママのお母さん(ハスキーのグランマ)とママの妹グロリアが寝泊りしている。ママを励ましながら、悲しみを分かち合いながら、家事や客の応対をママに代わってやってくれている。二人の存在は、ママの大きな支えになっていたに違いない。家にはお花やカードだけでなく、手作りの料理やデザートが毎日食べきれないほど届けられる。近所のひとや友人、同僚などが次から次に訪れ、家は朝早くから慌しいこれがもし日本なら、どうだろう・・・例えば友人の夫が亡くなったとき、近所の人が亡くなったとき。お通夜や葬儀の日ならまだしも、平日の朝早くから料理を作り、カードを書いて、家まで足を運んであげられる人がどれだけいるのかな?そうしたくても、仕事を、会社を、休めないという人が多いのでは。ママの職場(エドモントンで一番大きな総合病院)では、ママに対して、「気持ちが落ち着くまでは無期限に、お休みしていなさい。」と言ってくれたらしい。そしてママは、「数ヶ月、いや半年はかかるわ。 当分仕事のことなんて考えられない。」と当たり前のように返していた。日本の企業なら、数週間が限度だろうなあ!?どちらが良い悪いではなく、そんなところに文化や価値観の違いを感じた。人の出入りが絶えない慌しい家の中で、今日グロリアとグランマは新聞に載せるパパの死亡記事作成に追われていた。まず何種類も新聞を買い込み、死亡記事を片っ端から読む。これはよいと思われる表現などを参考にして、葬儀のお知らせを中心に、パパの記事を作り上げていく。パパのことを、パパへの想いをあれもこれも・・・たくさん書きたい、だけど文字数には限りがあり、グロリアは短くまとめるのに苦労している様子だった。そんなグロリアに代わり、私がランチを作ることに。グランマにも好評だったその料理は、きのこうどんていうか、単に私が食べたかっただけあっさりしていて食べやすく、胃にも優しそう、スープもいい香りでめちゃくちゃおいしいと、カナディアンには大好評。(ほんまかいな)グランマには、麺が長すぎてフォークで食べられないので、麺をカットして欲しいと言われ、短くカットしてた。↑見た目はもはや、うどんではなくなっている。明日の新聞に載せる、パパの記事はこんな感じに仕上がったようです。※ここでは一部名前や住所をXXXで伏せ、家族の名前は日本語にしています。Larry XXX(パパの名) My Soul Finds Rest In God Alone…On Saturday, September 23rd at the age of 56, my soul-mate, our loving father, and a friend to all, went home to be with the Lord. Larry will be eternally loved by his wife シルビア(ママ), his sons ブレアー(ハスキー)&ブランドン(弟), and brothers *** and ***(パパの弟たち). The funeral service will be held on Friday, September 29th at 11:00 am at XXX Church on XXX Rd. Donations may be made in Larry’s memory to the Evangelical Mission to Ukraine(ウクライナ). 最後の、募金のお知らせが、クリスチャンのママらしいな※ちなみにウクライナは、グランマ・亡きグランパの祖国。この記事を、明日エドモントンの主要新聞全てに掲載するらしい。一人でも多くの人にパパを見送ってあげて欲しい、パパを覚えておいて欲しい、そんなママと家族の気持ちを、強く感じたのでした。去年、ブレアのいとこの結婚式でダンスをする私とパパ。なかなかうまくステップが踏めない私に、パパは根気よく教えてくれた。
2006.09.26
コメント(0)

サンフランシスコ→カルガリーで二度乗り継ぎ、ようやくハスキーの故郷・エドモントンに到着したのがカナダ時間の昨夜8時。関空を出てから、既に20時間が経っていた。その長いフライトの間、ハスキーはワインを片手に持ってきたたくさんの家族アルバムの中のパパを見つめ、静かに涙を流していた。エドモントン空港に着いたとき、そこには家族・親戚を始め、ハスキーの親友やその家族も駆けつけてくれていて、ゲートの前には、あの大きなリムジン・・・私が初めてカナダに来たとき、パパが迎えにきてくれたあのリムジンが停まっていた。パパは、リムジンが大好きで、リムジンで有名人やお金持ちを送迎するというビジネスをやっていた。つい4日前には、カナダに来ていたマライアキャリーを乗せたと、それはそれは嬉しそうにハスキーと国際電話で話していたところだった。パパは、その大好きなリムジンの中で亡くなっていたらしい。初めてカナダを訪れた私たちを、大好きなリムジンで迎えに来てくれたパパ。 (左側は私の妹)手には、パパとハスキー手作りの「美咲、ようこそカナダへ」という横断幕。パパは、人を喜ばせるのが大好きな人だった。 空港から家に向かうリムジンからは、いつかパパとみたエドモントンの夜景がきらめいていた。パパと過ごした時間を想い、私たちは皆悲しみに沈んでいた。今日は、ママやハスキーの弟ブランドン&テリッサ夫婦、そしてごく親しい親戚で、葬儀屋へ。カナダでは、ほとんどの人が火葬をしないらしい。パパを寝かせる木製の棺と、さらにそれを入れるひとまわり大きな棺(?)を、皆でカタログやサンプルを見ながら選んだ。棺の表面には、様々な飾りをつけることもできる。クリスチャンだったパパの棺には、十字架をつけることになった。お墓の話になったとき、葬儀屋は「こんなときになんですが・・・」というような前置きをしたあと、ご主人のお墓を買うなら、その隣に奥様の分も買われたほうがよいかと思います、と言った。今買っておかないと、将来ママが亡くなったとき、まだパパの隣が空いているかどうか保証できないというのだ。それなら今のうちに二つ買っておこう、ということで家族全員が一致し、私たちはダウンタウンから車で30分のところにある墓地に向かった。ところどころ植えられた木々からは、紅葉した葉が風でサラサラと舞うちょうど木漏れ日が差していた木の側に、二つ分のスペースが空いており、ママの希望でそこにパパとママの二人分を購入することになった。通路には23、24と番号が刻まれている。そのとき、ハスキーが言った。「私の分も、25番に買います。」私はもちろん、その場にいた誰もがびっくりしてハスキーを見つめた。「Because...my home is here!」ハスキーの目は涙で潤んでいた。そんな彼を、ママがなだめ、「あなたの気持ちは嬉しいけれど、今決めるのは早すぎると思うの。 だって将来あなたのワイフになる人が、ここに入りたいとは限らないでしょう。」ハスキーは私のほうをみて(注:まだワイフではありません)、「ハニー・・・ハスキーはここに入ってもいい?」と聞く。そのとき私の脳裏には、自分の両親や祖父母の顔が浮かんだ。最期はやっぱり自分の生まれ育ったところに還りたい。でも、愛する人とも一緒に眠りたい・・・それはカナダ!?簡単には決められない。結局私は、「あとで考えよう」と彼をなだめた。家に戻ったとき、そこにはたくさんの花とメッセージカード、そしてテーブルに並べきれないほどの料理やデザートが届けられていた。それらは全て、パパやママの友達や近所の人が作ってくれたもの。ママや家族を気遣う電話は一日中鳴り止まない。それは多くの人がパパを、そしてママを愛してくれている証。その全てがママの、大きな大きな支えになっている。私は、どれくらいハスキーの支えになれているんだろう。大切な人が深い深い悲しみの中にあるとき、どのように寄り添えばいいのか?私には、ただ隣にいてあげることしかできなかった。
2006.09.25
コメント(0)
今朝、いつもの日曜と同じように、10時を過ぎてもダラダラと朝寝を楽しんでいた。隣には5日前にカナダから戻ったばかりのハスキー。昨夜、仲良しの上海人と飲みに行った彼は、ひどい二日酔い。「ハニー、頭が痛いよ・・・お腹が痛いよ・・・」とかなんとか苦しそうにつぶやくのでてきとうにお腹をさすってあげていた。そのとき、インターホンが続けざまに何度も鳴った。外に見えたのはハスキーの親友・スティーブと、その彼女の梨賀さん。私がドアを開けるなり、スティーブはニコリともせず、「ブレア(ハスキー)はここにいる!?全然電話がつながらないんだ!」とかなり焦っている様子。ベッドからのろのろと起き出してきたハスキーに、スティーブが言うには、「畑山に今すぐ電話してくれ。 君に何度も電話してるのにつながらないって、電話があった。」畑山さんというのは、ハスキーやスティーブが慕っている、国際交流センターのおじさんで、普段から色々とお世話になっている。ハスキーのケータイは、昨夜バーから戻ってきたときもう電池がなかった。それで電話が通じなかったらしい。スティーブのケータイを借り、眠気まなこで畑山さんに電話をかけ直すハスキー。「もしもし、ブレアです。おはようございます」 次の瞬間、畑山さんの奥さんの、部屋中に響くような大きな声が聞こえた。「ブレア!今どこにいるの!?お父さんが亡くなったよ・・・!」私は、それを聞いて、畑山さんが亡くなったのかと思った。畑山さんの奥さんは、いつもご主人を「お父さん」と呼んでいた。ハスキーは、その日本語を飲み込むのにしばらくかかったあと、「What ? お父さん・・・は誰??」と聞き返した。「あなたのお父さん!ブレアのお父さんだよ!!」奥さんの、悲痛な声が響く。カナダの、パパが・・・亡くなった!?そのあとどういう訳か、電話口からはカナダのママの声が聞こえ(転送?)、今日の午後のフライトを取ってあるから、今すぐ荷造りをしなさい、というようなことを言っている。ママは、ブレアだけでなく私の分も、チケットを予約してくれていた。ハスキーはオロオロしながら、同じくオロオロする私に、「フライトは(午後)3時半です。1時半に空港で会いましょう・・・。」そう言い残すと、急いで荷造りをしに自分のアパートへ帰っていった。こんなとき私の頭は全然働かず、荷造りと言われても、何から準備したらよいのか混乱。 ほんの一ヶ月前カナダで会ったときには、元気いっぱいだったパパ。ハスキーの弟ブランドンの結婚を、誰より喜んでいたパパ。パパに、一体何が起こったの!?私はスティーブと梨賀さんに手伝ってもらってなんとか荷造りを終え、関空へ。とりあえずジーンズにスニーカーで飛び出してきた私にひきかえ、ハスキーは、ま新しい黒のスーツに、あずき色のシャツをピシっと着ていた。「ハニー見て!新しいスーツですよパパに買ってもらった!」と嬉しそうに私に見せてくれたのはほんの5日前(日本に帰ってきた日)。いま彼は、そのスーツに身を包んでいる。ハスキー・・・いまどんな気持ちでいるんだろう・・・一見、表情はしっかりしていて、見送りに来てくれた友人と終始笑顔で話している。そう、ハスキーはそういう性格。どんなときでも笑顔で、明るく、悲しい顔やつらい顔を見せない。そんな彼を見れば見るほど、私の心は痛んだ。一刻も早く、パパの待っているカナダに帰ろう・・・午後3時半、私たちはサンフランシスコ行きのユナイティッド航空に乗り込んだ。
2006.09.24
コメント(0)

私の働く部署の隣に、カゴ部(仮名)という部署があり、明日、9月1日からそのカゴ部に中途採用の新入社員がやって来る。カゴ部では、主にカゴ系・布系のインテリア雑貨を企画・輸入・販売していて、メーカーさんの工場はほとんどが中国&台湾。 午後の紅茶(!?)を扱ってるので、いつもサンプル頂いてます(爆そういう訳で、カゴ部に所属している20人程の社員は皆、ペラペラと英・中の二ヶ国語を操っている。そして、男性陣やデザイナーさん(女)は、最低月に一度は中国各地に出張。はぁ~羨まし過ぎ・・・大学で中国語を専攻していた私にとって、カゴ部はまさに憧れの部署だった。でも、カゴ部は新卒を採らない主義。きっと、即戦力勝負の部なのですね~。最近になって、カゴ部で事務職していた派遣社員さんが、結婚を機に10月末で退職すると言い出した。これを機に、もう一人正社員を増やすとことになったらしい。明日から、晴れて採用となった女性社員が来るらしいその彼女、中国に住み、現地の船会社で4年間働いていたというから、筋金入りの中国好きなんだろうぁ。本人がやって来る前から、ちまた(湯沸し室)では、「中国人と働いてただけあって、 めちゃくちゃ物ごとハッキリ言う人みたいよ~!」「なんでも、自己主張の強い人らしい。 まあ、考えてみればそれも納得よねー。 それぐらいでないと中国人ではやってけないよ。」そんな噂が飛び交っている。同じく中国大好きの私としては、彼女から興味深~いお話がたくさん聞けそうで、結構待ちわびてたりするんですよねほほほ中国での仕事話、たっぷり聞いちゃおう
2006.08.31
コメント(4)
写真整理中
2006.08.14
コメント(0)
写真整理中
2006.08.13
コメント(0)
写真整理中
2006.08.12
コメント(0)
写真整理中
2006.08.11
コメント(0)
写真整理中
2006.08.10
コメント(0)

パシャパシャパシャパシャ・・・カメラで私を連写しながらゆっくりと近づいてくるスーツ姿の白人ハ、ハスキーやん(メーク直してて、よかった・・・)私たちは人目も気にせず、しばし抱擁。「ハニーっ、見て見て」嬉しそうなハスキーの指差す方に目をやると、空港の外にリムジンが横付けされている。パパの会社に頼んで借りてきたんだと借りものだろうがなんだろうが、私を喜ばせようとしてくれたハスキーの気持ちがたまらなく嬉しくて、久々に胸がときめいた(笑)一年ぶりのエドモントン。大阪では茹だるような暑さだったのに、ここではノースリーブが肌寒い・・・まずはパパの会社へGo~!パパはリムジン会社を経営しています。リムジンと運転が大好きな優しいパパ。まもなく妹まり子が空港に到着。まり子も以前カナダに来ていたので、今回ウェディングに招待して頂いてますまり子を温かく迎えてくれるパパ空港から彼の自宅まで約40分、一年ぶりのエドモントンの景色を満喫。 ハスキー 私&まり子家の前に車を泊めるやいなや、玄関からママがかけ出して来て・・・ Girls、1年ぶりの嬉しい再会こんなに明るいけど、実は夜の8時。早速ディナーの準備に取りかかる。分厚~いハンバーグをこんがり焼いて、ハンバーガーにして食べる食事のあとは、早めに就寝。明日からはウェディングの準備に忙しくなりそう!続く→
2006.08.09
コメント(0)
朝から大慌てでパッキングを済ませ、そして空港行きのバスに飛び乗った。今回のフライトは、エアカナダ便。まずはバンクーバーまで8時間機内には国際結婚ファミリーがちらほら。私のちょうどま後ろの席はアラブ系カナダ人男性と、日本人妻と、まだ幼い二人の息子たち。驚いたのが、日本人のその母親は、自分の子どもに英語で話しかけている。子どもたちの受け答えも全て、英語。日本人のフライトアテンダントがドリンクや食事のサービスに来たときも、その子どもはあどけない「Thank you!」結局、8時間のフライトのあいだ、子どもたちは一言も日本語を話さなかった。私は将来世界のどこに住むことになっても自分の子どもには日本語で話したいなそれってすご~く努力の要る事なんだろうけど。私にはとても人ごとと思えず、なんだか複雑な気持ちになってしまった。やっと到着したバンクーバー。入国審査は去年にも増してしつこかった。同じ便で降りた日本人の皆様は、一人1分程度で次々に入国を済ませていく。それなのに、私ときたら・・・入管「カナダには何しに来たの?観光?勉強?」私「友達の、弟の結婚式に参加する為です。」入管「どこに泊まる予定ですか?」私「友達の両親の家です。」入管「じゃあその家の電話番号を出して。友達って、ボーイフレンド?」私「(そそくさとケータイの画面でアドレス帳を見せながら)あ・・・はい。」入管「彼とは付き合ってどれくらい?」私「一年半くらいです。」入管「どこでどうやって知り合ったの?」私「(そんな事まで聞くんかい!?)彼が大阪の大学で勉強していて、知り合いました。」入管「彼は今大阪?」私「いえ・・・一週間前に先にカナダに戻ってきてまして・・・」入管「あ、そう。君はどれくらいステイする予定?」私「14日までです。」入管「じゃあ帰りのチケットを出して。」私(そのままカナダに居座るつもりだと思ってんのか??)チケットを差し出す。入管「君の学歴は?」私「大学卒です。」入管「専門分野は何?」私「中国語と、中国の少数民族・・・チベット族の婚姻について研究していました。」入管「今の職業は何?」私「(日本に職があれば移民の心配はないって訳ね、ふむふむ。)商社で働いています。」入管「中国貿易の会社?」私「いえ、私の部署はヨーロッパから商品を輸入していますので・・・」入管「どんなものを輸入してるの?」私「(もぉ~!シツコイ!)家具と、インテリア雑貨です。」入管「ok!カナダで、楽しんでね!」私「(終わるときはやけに突然やな)Thank you~!」入国カードにスタンプを押してもらうカウンターでも、同じような質問攻めにあったきっとボーイフレンドなんて言ったのが悪かったんだ。「観光」と言い張れば簡単に通してもらえるのかもね。そしてバンクーバーから国内線で更に1時間。彼の故郷・エドモントンに到着。一応、一週間ぶりの再会ということで、最近では恥じらいを徐々に失いつつあった私も、珍しくメークを直してからゲートの出口へ。すりガラスの出口のドアがスーっと開いたとき・・・続く→
2006.08.08
コメント(2)

明日はとうとうカナダへ出発。ハスキーの弟ブランドンの結婚式に参加する為、私はもともと4日間のお盆休みに有給&休日出勤の代休をくっつけた。先輩たちの冷た~い視線も何のその・・・明日、破産覚悟で正味5日間のカナダへと旅立つ。仕事帰りに、心斎橋のハ○ズへ。カナダのパパ・ママにはお土産として、ハスキーの日本での写真を贈るつもり。最愛の息子の写真なら、いくらあっても迷惑にならないはず。いかにもカナダ人が好きそうな、鮮やかな赤のフォトアルバム&ふき出しシールを購入。そして肝心の、弟への結婚祝い。さんざん迷った末に選んだのは、可愛いいイラストと詩が飾られたフレーム。心癒されるうさぎとかめのイラストは温かみを感じさせる。 たくさんの奇跡の積み重ねの中 出会えたものを 出会えた人を いつまでも大切にできますように 私の心よ、強くあれ もしリビングがいやでも、バスルームくらいなら飾ってくれるかな(笑)気に入ってもらえますように。
2006.08.07
コメント(0)
今日は、あさってからのカナダ滞在の挨拶も兼ねて、ハスキーのママにEメールを送った。ちょうどそのとき、一足先にカナダへ帰っているハスキーからがあり、無事にエドモントンの実家に着いたことを知らされた。あさってには私もあの家に帰るんだなぁ・・・何だか不思議な感じ。今回またカナダへ行くにあたって、私は心に決めていることがある。下手でも、間違ってもいいから、精一杯英語で伝えよう!去年のカナダは、パパママとの初対面ということもあり、すっかり緊張していた私。もともと英会話はそんなに得意ではなく、いざとなったら日本語ペラペラのハスキーが通訳してくれるという甘えもあり、私は積極的に英語を使おうとはしなかった。ハスキーはそんな私を見て、「ハニー。ちゃんとパパとママに英語で話して!?」ことあるごとにそう言い、そのうち通訳もしてくれなくなった。私は、もちろん英語が全然分からないわけではない。ほんとは、パーフェクトじゃない英語を使って恥をかくことが怖かった。あれはカナダ滞在が一週間を過ぎた頃。私が何かを日本語で言おうとしたときに、ハスキーがいつものように「ハニー、英語で?」と何気なく言った。その瞬間、(なぜか)ストレスが爆発。自分の考えを英語でパパママ&その他大勢のカナダ人にうまく伝えられないもどかしさと、食事や習慣の違いでたまりにたまっていた我慢、通訳してくれないハスキーへの(理不尽な)怒り。私はパパやママもいる前で堰(せき)を切ったようにわぁーっと泣き出し、そのこみ上げてくるものを自分でも止められなかった。私はダメなんだ。英語もうまく話せないし、カナダの文化にも溶け込めていない。そう思えば思うほど、胸が苦しくて、涙が止まらなかった。その夜以来、私は英語を聞くのも話すのも全て嫌になってしまい、それからの数週間、帰国の日まで、私は黙り込むことが多かった。パパママの友達や同僚、多くの親戚、近所の人・・・それまでの私は、数え切れないほどのカナダ人が連日家を訪ねて来るたびに、つたない英語で挨拶をし、彼らの質問に答え、終始笑顔を作り、「いい彼女」でいなければ、と自分なりに頑張っていた。それもあの夜以来おっくうになり、私は、誰かが家にやってくると自分の部屋に閉じこもるように。そんな私を見て、パパママはどう感じていたのだろう??会うことを心待ちにしていた息子の彼女(私)が、(よく分からない理由で)自分の殻に閉じこもっている。パパママは、そしてハスキーは、どんなにがっかりしたことだろう・・・でも、そんな風になった私を、ハスキーもパパママも、一度も責めたりすることはなかった。あれから一年が経ち、こうしてパパママと再会するときが来た。この一年の間に、自分の中でも多くの変化が生まれ、“パーフェクトに、上手に話せなくたっていい。 大事なのはコミュニケーションしようとする姿勢なんだ。”・・・少しずつそう思えるようになった。去年あんなことになってパパママを困らせた分も、今年は自分から一生懸命距離を縮めたい。いざとなったら、単語の羅列でもジェスチャーでもいい、距離を縮めたいという気持ちを伝えたい・・・そう思う
2006.08.06
コメント(0)
一方のハスキーは、レポートから解放されると知って満面の笑み。(↑てっきり英語でまとめさせられると思っていた人。)眉間にしわを寄せて黙々とレポートを打つ私の横で、ふんふんふん~♪と鼻歌混じりにゴロゴロしているではないか!!私は今にも殴りかからんばかりの勢いで彼をにらみつけた。彼はその視線に気がついたのか、ビクっと体を震わせてみせ、許しを請うような目で私を見つめ、無言で姿勢を正す。私はすかさず両足を彼のまん前に差し出し、言った。「マッサージして書き終わるまで」「おおー・・・私のハニーは怖いねー。 O~K~ハスキーはちゃんとマッサージしますよ」 彼はいそいそと足裏マッサージを始める。そうして約2時間、彼は私の足をもみ続けた。これがまた、めちゃくちゃ気持ちよい。正直、後半の1時間はマッサージ欲しさにダラダラと書いてた私(↑ほほほ・・・最悪。)私はやっと気がついた。彼の日本語を上達させてあげなければ・・・などという使命をこの私が感じる必要は全くなく、かと言って何でもかんでも引き受ける便利な彼女でいる必要もなく、これからはレポートの代わりに足裏マッサージとか、夕ご飯をおごってもらうとか、服を買ってもらうとか、それ相応の報酬を得ることにしよう!! いつかハスキーが、もっと日本語の読み書き伸ばしたいとか自分の書いたレポートで単位を取りたいと言ったなら、もちろん私は力を貸してあげたい。でも今の彼のように、日本語は、読み書きができなくても話せりゃいいんだ~などと考えているうちは、私がいくら使命を感じても無駄である。それなら私も、彼のレポートはアルバイトと割り切って、何かと引き換えに書いてあげることにしよう。うーん・・・こんな私、ダメ彼女かしら・・・おわり
2006.07.15
コメント(8)
全73件 (73件中 1-50件目)