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バブルの王様【電子書籍】[ 森功 ] バブルっていったい何だったんだろうな。 とにかく有象無象が混ざり合っていた混沌とした時代だったんだな。 そこでは暴力団も大手を振っていた。 本書の主人公である森下安道も一般人なのかヤクザなのかわからない立ち位置にいた。 その中で、森下は着々と財を成していったんだな。 財を成すために必要なことは目の付け所だ。 彼は、株であるとか不動産であるとかさらには、ゴルフ会員権も商売にした。 そしてバックに暴力団を従え、悠々と暮らしてきた。 いいことばでいえば、まねのできないバイタリティーだ。 先に混沌と書いたが、彼を起点にすると彼は、山口組、田中角栄、新自由クラブさらにはドナルド・トランプというそうそうたる人々と付き合っていたんだな。 その中で、芸術とりわけ絵画が投機のネタに使われていたということも特筆すべきだろう。 バブルはあっけなくはじけ、以後日本は経済の衰退の途をたどる。 今頃になって、賃金を上げろ、上げようなどという議論になっているけれど、ホントの話、私の給与は、ある時期を境に完全に昇給ストップしてしまった。 いくら頑張っても上がらない。 一点で止められ、そして定年退職を迎えた。 それが今は、何とか賃金を上げようぜなんて言うことで、上がっているようだけれど、この賃金の低さが、少子化にもつながっているという事実ですな、これは否めないことだ。 それと、この森下という人の生きざまを見ると、正妻には子供が出来なかったものの、数人の妾には子供を作っており、こういうバイタリティーが少子化を妨げていたということの証左にもなるのではないか。 私の書いていることが道徳的に正しいものではないことはわかる。 しかしながら、こと天皇家を見ても昭和34年にきれいごとで婚姻された上皇、上皇后夫妻からは、二男一女、その下に女子が三人男子が一人じゃないか。 もう、男系男子が危うくなっているんだよ。 なんか話がとんでもないところに飛んでしまったけれど。、よくよく考えてみれば、この森下を中心にしてもう一度考えると、田中角栄は逮捕・起訴され、山口組には暴対法の網がかけられ、そのほかの同じ輩は、次から次へと経済犯として世の中から消えていった。 このあたりもまさにバブリーだ。 令和の現代、もうあんな時代があったなんてことが考えられないような時代になってしまった。 ため息が出る。(3/14記)
2024.06.14
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もう時効だから、すべて話そうか 重大事件ここだけの話【電子書籍】[ 一橋文哉 ] 昭和末期から平成にかけての様々な事件の裏側についての話。 そんじょそこらにある一般的な事件でなく,たとえばオウム真理教やら林真須美やら宮崎勤やらなにやらかにやら世の中を震撼させた大事件ばかりが次から次へとフラッシュのように出てきて読み手は翻弄される。 そして一言その感想を言えば,不快。 いくら事件慣れしていてもこれだけの不快な事件が次から次へと登場しその裏側までえぐられるともうその話はすでにミステリーというフィクションを超えて,サイコホラーをも超えるレベルに到達してしまうのだ。 それほど人間の闇は深い。 その中でも幼い子特に女の子が被害者となる案件について本書を読むと,思った以上に数があるのだということを感じてしまう。 私の頭の中ではDNA鑑定が未熟な時代に起きたこの種事件に関し,イメージとして次から次へと冤罪が起きてしまったということがあったが,そういう事件のうち,奈良における同種事件の被疑者小林薫は, 奈良地裁は〇六年九月、「被害者が一人であることは死刑回避の理由にはならない」と死刑判決を言い渡した。としてたった一人の殺害に関わらず死刑に処せられたという事実を知り今までの私の間違った知識,すなわち複数人を殺さなければ死刑にならなという通論?が誤りだったと知った。 この件に関しては被害者の無念を思えば裁判所の素晴らしい判断だった私は思う。 その死刑判断について司法修習所は次のような報告書を出している。 すなわち, 報告書は《生命は刑法上、最も重要な利益で、これが侵された個数が多いほど刑事責任が重いのは当然》(要旨)などと被害者数を死刑の判断基準として優先するように明確に進言している。 そして、①被害者が一人なら、無期懲役の仮釈放中(百パーセント)と身代金目的誘拐(五十パーセント)以外は死刑が少ない②二人の場合、殺害の計画性が低いと死刑になりにくい③三人以上は強盗殺人なら百パーセント、殺人でも七十二パーセントが死刑だが、殺害を積極的に意図していないと死刑回避もある──などと裁判員に死刑抑制を示唆している。というものである。 どうやら裁判員裁判制度をまえにした見解のようだが,死刑に関する判決は上記がひとつのスタンダードになりそうだ。 それ以上に世の中には不快極まる事件が多すぎる。(8/6記)
2023.10.10
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警察庁長官を撃った男(新潮文庫)【電子書籍】[ 鹿島圭介 ] ようするに本件真犯人は中村泰だったということ。 K元巡査長にはあらず。 Kは所轄の公安にもいたことがあるらしい。 本件犯行時どうやらKはオウム真理教からイニシエーションの儀式を受けていたかして,記憶が曖昧,それでも警視庁公安部は彼を真犯人にしてfineを狙ったということなのだろう。 まずもって本書には,驚愕,の二文字しか浮かばない。 もっともこういう大事なことを吾々国民に報道できないメディアも腐っている。 だから私なんざあ,この本を読むまでは,Kが犯人なんだろう,途中から出てきた中村泰なんざあ,あーた,犯人の当て馬なんだろう,なんて思っていたわけだ。 しかしそもそも本件の根は深く,ジ(刑事部)vs.ハム(公安部)なんだそうで,詰まるところ本書は警察庁幹部の保身の物語だったとしているわけだ。 それはともかく本書における国松孝次長官暗殺未遂事件は,昨年7月の安倍元総理暗殺事件とつながるんじゃあるまいなと思っているのは私くらいなのだろうか。 なんたら義勇軍,やることをきちんとやらないと,国が大変なことになるぞという警告のための暗殺。 それは国松孝次氏が類稀な生命力があったことから,安倍さんのように即死しなかっただけのこと,やはり警察庁長官暗殺未遂事件は政治臭満々の事件だったのだ。 元警察官のKなんざあ、ピエロに過ぎなかったということ。 さて本件は警察側からすると,ジvs.ハム,それにハム方の保身があったといこと。 それにしても捜査が政治的になるとこんなトンチンカンになるんだね。 たしかに本書のような読みが真実に近いのだろうが,ハム方はあくまで本件はオウムの犯行と言い張るだろうし,ジ方は真犯人は中村泰と言い続けることだろう。 ただ,真相がこんな形でしか語られなかったことが,メディア,マスコミ,報道陣,ペンの力の力不足としか思えないのが残念でならない。 安倍さん暗殺事件の真相は,本書のような形で語られることがあるのだろうか。 真実が闇に葬られるのが保身のためということだけは許されないことだ。
2023.02.02
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消された一家ー北九州・連続監禁殺人事件ー(新潮文庫)【電子書籍】[ 豊田正義 ] さて私は自分の不明を恥じなければならない。 それにしてもなんということなんだ,こんな重大な事件を見逃していたなんて…。 どうも本件については,どうやら報道規制が敷かれていたらしい。 だとすると,そっちの方が問題じゃないのか。 本書を読めば本件がいかに残虐な事件であったかということがわかる。 それこそ史上稀に見る猟奇事件である。 なのになぜこの事件は全国的に有名にならなかったのか。 本件以後も本件以前も本件のようなあるいは本件に似た猟奇的な事件はあって,それについてはきちんと報道がなされていたのではないのか。 または多くの著作家が世に出していたのではないのか。 だから私たちはそのような実話があってそして事実は小説より奇なりなどと言っているのだ。 しかし本件については正直に申し上げて,私は全くあずかり知らぬ事件だったのだ。 何という不覚か。 また何と言う悔しさか。 次に本件をこのような形で世に出した豊田正義という人を思うに,実に立派な著述であったと言わせてもらいたい。 著者に感謝である。 本件をきちんと読み込んでいる。 本件の問題点を既に DV という立場からも読み解いている。 いっぽうマインドコントロールという問題点も本書では文章によって明らかになっている。 主犯で今現在死刑囚である松永太という人間の言い分もきちんと載せている。 それによって実にフェアなノンフィクションになった。 というのは両方の言い分がきちんとイーブンになって初めてフェアというものであり,そもそも裁判そのものが反証,反証の繰り返しということを考えれば,著者が松永太あるいは緒方純子どちらにもくみすることなく公平に記事を書いた分,吾々読み手は逆にきちんと判断することができたのである。 ようするにこの種の事件の真相を読み手に判断させるためには本書著者のような公平な書き方が必要だということである。 いわば書物法廷ですな。 とりわけ最終盤における緒方純子からの手紙は,本書が本件の真相を明らかにしたことに間違いないということが分かる,取材者である著者の力量の証だったということになろう。 以上のようにノンフィクションとしては異例の報道規制の敷かれた事案についてこれほど明らかにしてくれて私はそれこそ死ぬ前にこの本を読めたことに感謝する。 なぜなら私はミステリーリーダーだからだ。 たしかに本件は知られていない事件だった。 他方ではこのような残虐な事件について様々報道されているにも関わらずである。 願わくばなぜ本件が報道規制され,豊田正義という著者しか明らかにできなかったのかということを明らかにしてもらいたい。 報道規制の理由があまりにも残虐だからでは納得できない。(11/4記)
2023.01.26
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県警VS暴力団 刑事が見たヤクザの真実【電子書籍】[ 藪正孝 ] 著者は元福岡県警の警察官である。 本書の内容の通り著者は福岡県の暴力団工藤会と真っ向から対峙し暴排にあたった警察官だ。 本の中に数箇所暴力団はきれいごとでは済まないというような意味のことが書いてあった。 それがたぶん著者の偽らざる暴力団に対する気持ちだろう。 暴力団は最盛期から比べたら今日の人員は非常に減った訳でだからといって安心していいのではなく、名を変え姿を変えて存在していると見るべきだろう。 悪はなかなかなくならない。 しかしそれにしても、工藤会の悪辣さには驚いてしまう。 退職警察官を狙うなどということもやったらしい。 警察は人を殺さないが工藤会は人を殺すから怖いのだそうだ。 そのような風土の中で工藤会と対峙してきたのであるからかなりな精神力であろう。 思い出されるのは松坂桃李が出た映画だ。 あの映画では単なる巡査が巨大な暴力団組織に立ち向かう姿が描かれていた。 孤狼の血である。 なぜそれを引き合いに出したかと言うと、本書を読むとあの映画が嘘っぱちだということがはっきりわかるからである。 警察はあくまでも組織で動く。 組織から外れた捜査をするわけがないのだ。 まして一巡査が巨大な暴力団組織に立ち向かえるわけがないのだ。 それは本書を読めばわかるのだ。 著者は警察官の昇進の階段を登りながらその大半を暴力団対策に尽力したわけで今も暴排の役職に就いているということだ。 しかしそれにしても死ぬまで暴力団を相手にする仕事をするなんてとてもじゃないが真似できない。
2022.10.18
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新編 山小屋主人の炉端話【電子書籍】[ 工藤 隆雄 ] うちの家訓はバイクに乗らないことと山に登らないこと。 だからといって高校時代の学年登山や仕事上必要なバイクの免許取得はしたものの、その家訓は今も受け継がれている。 だから本編のような山小屋主人の様々なエピソードはとても面白い。 そもそも自分が行けないところ自分ができないことを山小屋主人は代わってしてくれるのだから、これほど快哉なことはないのだ。 本編は珠玉に包まれているのだ。 中には怪談話もあるがどれも短い文章の中に実直な山小屋主人の人柄が表れていて気持ちいい。 飼い猫が狐になったり山小屋に水洗便所を作ってみたり、姉と慕われていた山小屋主人の話とかとてもいい話が満載だ。 これらから言えることは山小屋主人の人柄は、そんじょそこらの人とは違う特別ないい人ということなのかもしれない。 そういう人がこの世の中にこれだけいるのだからこの世はまんざら捨てたものではないのかもしれない。 ただだからといって私は山には登らない。 家訓だから。 その代わり山のものを読む。 それがどれだけ素晴らしいものでも私は一切山には入らない。 それでいいじゃないか。 山のものを読むのはあたかもミステリーを読むようなもの。 だから読書なのだ。
2021.10.07
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ヤマケイ文庫 マタギ奇談【電子書籍】[ 工藤 隆雄 ] 私は平成5年3月から平成8年3月までの間山形県小国町に住んでいた。 この町はマタギの里だ。 そのマタギの何たるかも理解せずただ私はこの町を忌み嫌った。 山形県に属しながら町民は隣県の新潟県に流れていく。 小国は新潟の奥座敷だなどと平然と言い放つ人もいた。 私は小国と同じ豪雪地帯の米沢の出身だ。 こんな雪なければいいのにと小国町民に言ったら、何を言う、雪は天からの札だ、と反論された。 そんなことで私はこの町が徹底的に嫌いになってしまった。 我が家の家訓は登山をせぬこと、と、バイクに乗らぬこと、の、2つだ。 それで山を歩くマタギも忌み嫌った。 だから私は小国町もその成員であるマタギも二重に嫌ったのだ。 ところが本書を読んで私は途端に目が覚めた。 なんとマタギの神々しいことか。 この律儀な集団は一体何なのだ。 私はマタギを尊敬する。 山の神を畏敬し感謝し最高の獲物であるクマと正々堂々と闘う。 山の神からの贈り物である山菜を必要以上に採らない。 私はこのマタギという人々を本当に尊敬する。 それはこの書を読んだからだ。 本書はマタギに興味があろうがなかろうが多くの人にしっかり読んでほしい一作だ。
2021.10.03
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実話怪談 犬鳴村【電子書籍】[ 吉田悠軌 ] さて本書は初の怪談犬鳴村モノという触れ込みで今のところ後にも先にも本書しかないと言う。 しかも今後このような実話モノは出ないだろうとまで言っている。 しかし本書を読めば分かるが本書に収録されている話がそもそも実話だろうかと言う疑問が残る。 それはようするに反対討論すべき対論のない経験話だからだ。 それにしても数多の話を集めたものだと感心した。 そもそも犬鳴村怪談話は犬鳴村において一人の青年が集団リンチを受け殺害されたところから始まっている。 それがやがて当時の2ちゃんねるにおいて拡散し都市伝説として現代に至った。 さらに閉じられた古いトンネルがそれに拍車をかけた。 そこの立て札に、この先日本国憲法がかからない、ふうなことが書かれていたという。 その結果、 犬鳴にまつわる怪談のほとんどは、 ①「車内に無数の手形がつく」といった体験談 ②「女」「白い服の女」の目撃譚 ③「生首が転がっていた」という情報になったのだそうだ。 ここには犬鳴村怪談の中心とも言うべき多数の村人が凶器を準備して集合し他人に襲いかかるという現象がない。 本書には犬鳴村怪談の中心である凶器準備集合しての集団リンチをされた人の経験が何件か収録してある。 本書における視点つまり都市伝説的な今日の怪談話はインターネットの発達とともに起きたという説は納得できる。 とするとこの先似たような話が出てくるんだろうな。 私はすでにノベライズされた犬鳴村を読んだ。 しかし映画はまだ観ていない。 怖くないバージョンがあるというのがどうも気にかかる。 怖い方はどれだけすごいのだろうか。
2021.08.25
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重大事件未解決ミステリー【電子書籍】 ああそれにしても平成という時代はたった30年なのになんと多くのすごい事件が目白押しだったのだろう。 私は本書を読んでその思いを実に強くしたのである。 一言で言うとそれはやばいという言葉に収斂できる。 私は平成の一つの大きな特徴はDNAだと思う。 平成のはじめDNAはDNA指紋法などと呼ばれ指紋と同様の証拠能力があるとされた。 それが実は早とちりもいいところで冤罪を数多く呼ぶ科学捜査法になってしまったのだ。 ただし現代ではそのDNA鑑定は精度がまし、ほぼほぼ平成シングルの時代に考えていた絶対的な信憑性を凌駕するに至った。 私は事件の解明に関し証拠のもう一方の輪っかに捜査手法があると思う。 そしてその捜査手法のひとつに取調べ官の技術がある。 捜査官の人となりに信頼した被疑者が思わず自白してしまう。 それはそれで結構なことだ。 しかしながらその人対人の事件の解明法は絶対ではなくむしろ過ちが多すぎたというのが真相なのだと思う。 したがってそこに物証という補完が必要になった。 指紋なら絶対だからそれでいい。 しかしDNAはそういかなかった。 それが残念ながら多くの冤罪を作り出した温床となった。 しかしながらそうは言いつつその精度が増したことで、犯人特定に対する役割の重大化は平成シングルの時代以上である。 そして今防犯カメラの存在があり昔の捜査手法とは景色が違う時代に突入している。 それが現代捜査である。
2021.08.03
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病院に動物園がやってきた! 二瓶健次 病院にきてほしいものが、動物園や遊園地というのは、重篤で長期に入院している子どもたちの希望だと、本書の冒頭を読むとすぐに気づく。 それをヴァーチャル・リアリティ(VR)でやっちゃった、ということが本書に書かれてある。 それはそれは感動モノですな。 すごいことやるもんだなと読み手は感心するわけだ。 ところがこの話現代の話ではないのだ。 世紀末ころの話なのだ。 それは本書の古臭い写真を見るとわかる。 今リモートだのテレワークだの盛んで、それはまるでコロナ禍のいい方の産物みたいなことが言われているけれど、すでに四半世紀前にVRで小児科に動物園やら遊園地がやってきていたんですぞ。 そして小児患者の大喜びする姿に読み手はまた感動するのだ。 純粋に小児患者が喜ぶ姿を見たいという思いから、動物園やら遊園地を呼んだのだろうが、その後付で患者の精神やら快癒に及ぼす影響が学術的に論じられることになる。 しかしそれにしてもこういう話が今まで埋もれていたんだね。 それでVRの世界はゲームの世界になってしまい、さらに今日のリモートやらテレワークになって、動物園が病院にやってきた話なんて、全く埋もれてしまっていたんだ。 そもそもこの本の題名を見た瞬間思ったことは、多分病院の敷地に動物を連れてきて患者と触れ合わせたんだろうなどという想像をした。 VRだったなんて驚きで、しかもかなり精度の高いものだったらしい。 こういう技術が四半世紀前にはすでに世の中に出ていながら、大きな普及をしなかったのは多分費用の問題、技術者の問題などがあったからだろう。 まあそれにしても過去だからと侮ることなかれ、ということでしょうなあ。
2021.04.30
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残念な警察官〜内部の視点で読み解く組織の失敗学〜【電子書籍】[ 古野まほろ ] 著者は元警察キャリアで、警察大学校で警察不祥事について授業を持ったことがあるという。 今を去ること20年前警察の不祥事が相次ぎ、一連の警察改革が始まった。 ところが今の警察官の中にはこの不祥事のオンパレードを知らない者が多くなったのだという。 著者はそこをまず嘆いて見せていましたな。 警察キャリアとは言え現場も少しはかじっているので警察のことをしれたければまず本書を読んでほしいなと警察小説や推理小説の書き手にまずもって申し上げたい。 警察の基本的なことも詳細に記してある。 それ以上に、桶川事件、神奈川事件、新潟雪見酒事件、石橋事件という警察4大不祥事について、 私は、この『腐ったミカン型』と『腐った果樹園型』の識別は、とても重要だと考えます。 市民として言えば、『腐ったミカン』によるものは、仕方がない。 それが果樹園の主によって、適切に認知され処理されるのなら――被害者に対する慚愧の念やお詫びを別とすれば――ミカン栽培上、前提としなければならないリスクです(果樹園の主がそんなことを公言できないのは、言うまでもありませんが)。として、警察官個人の資質か(腐ったミカン)、警察組織の問題か(腐った果樹園)の観点から詳述する。 特に桶川事件は警察内部で忘れようとしても忘れられない不祥事であり、本件捜査の責任者たる上尾警察署刑事第二課長は、 刑事第二課長の職に就くまで、主として鑑識業務に従事してきた。 捜査に従事した経験がなく、捜査の実務がよくわかっていない。 よって、自らが捜査を担当するのを回避し、全て部下に担当させた。上、その下に牢名主様的な大ベテランの知能犯捜査一途の警部補がおり、彼が本件に関して何ら積極的な行動を起こさなかったことが後に明らかになっている。 そして実働の部下巡査長との3人が懲戒免職処分で警察の世界を去っているのだ。 警察内部では本件はまさに喉に刺さった魚の小骨でしょうな。 本当に重要な案件で、警部、警部補はおろか実働の巡査長まで懲戒免職処分ですからね。 本件が著者がいう腐ったミカンなのか腐った果樹園なのかについては本書では腐った果樹園論を主張しているけれど、それ以上にそれぞれが腐った果実であったという点も否めないと著者の書きっぷりを読んでいると思えてくる。 本書は現代警察を考察する上で欠かせない好著である。
2020.09.05
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棄民世代政府に見捨てられた氷河期世代が日本を滅ぼす【電子書籍】[ 藤田 孝典 ] この棄民世代というのは俗に氷河期世代と呼ばれている世代らしい。 その範囲は驚くほど広いが、最後は1984年らしいから、今年36歳の年男、年女が最も若い棄民世代ということになろうか。 それはともかく、この世代が、秋葉原事件、京アニ事件など数々の大事件を起こしている。 正職につけぬまま世の中を漂流している世代なんだよな。 そして今やその世代が日本の中核になっているということに驚きを禁じ得ない。 中にはたとえば上智大学に脅迫文やら劇薬やらを送った犯罪者もいて、彼は、理路整然と裁判で自己主張したという。 いわば、この世の鬼っ子だ。 彼らがなぜ鬼っ子になったのかは、個々の事情によるのだろうけれど、なによりミレニアムから新世紀に変わるあたりに、多感な少年時代、青春時代だったということと無関係ではあるまい。 確かに彼らは、不利益な氷河期にぶちあたった。 そんなこと少年時代には考えてもいなかったことに違いない。 大人になったら、思い描いていたはずの幸せにはいたらず、結構茨の道を歩むことになり、挫折、そして、犯罪、か。 彼らに将来はあるのだろうか。 なにか、救いようのない、悲しい人たちのような気がする。
2020.05.02
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【中古】 裁判官が見た光市母子殺害事件 天網恢恢 疎にして逃さず /井上薫【著】 【中古】afb まずは犯人の言い訳から。 自分は 25歳になろうとしている。 今なら事実関係に ついても話ができる。 これまで捜査機関や裁判所から言われていることは事実とは違う。 (略)目的で被害者に抱きついたのではない。 寂しくてつい家の中 家の中に入れてもらった被害者に優しくしてもらいたいという甘えの気持ちから抱きついてしまった。 そして被害者から抵抗されてパニック状態に陥り無我夢中で何が何だかわからないまま結局被害者二人を死なせてしまった。 それでそれまで(略)をしたことがなかったので(略) こんなひどい言い訳がまかり通るわけがあるまい。 犯人はそうまでして生きたいのだろうが本件犯行の残忍さとか自分本位的な犯人の動機を考えると極刑にしてほしいと思うのは私だけではないと思う。 そのような被告人に対しても弁護人がつくのであるが、それに対して、 「あの弁護団に対してももし許せないと思うんだったら一斉に弁護士会に対して懲戒請求をかけてもらいたい 。懲戒請求は弁護士会に行って簡単に掛けられるので何万何十万と立てて もらいたい」 こう述べたのです。 これに触発されて全国的に弁護団構成の弁護士に対して懲戒請求が増え平成19年12月21日現在で総計8127件もの懲戒請求が行われているとまで言われ ています。というようなことにもなっている。 人権を保護しなければならないのは当然だ。 しかし被害者側が上記のような気持ちになるほど本件裁判では弁護士の行状がよくなかったらしい。 刑事裁判はスポーツではないからフェアプレーの精神なんてありえない。 それを期待するのはナンセンスだ。 裁判官、裁判員はそれらを見据えて判断しなければならない。 本件では事実関係で争われることはないだろう。 最初の抜き書きにある、犯人の動機の真実性を裁判官、裁判員がどのように判断するかがポイントになると思われる。
2019.08.19
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【新品】【本】福島原発事故 どうする日本の原発政策 安斎育郎/著 羹に懲りて膾を吹くのなら、日本にはもう原発は必要ないということになろう。 にもかかわらず、また、核廃棄物の処理が十分でないにもかかわらず、まだ次のような議論があるのは、到底理解できない。安斎育郎 熱出力と言うのはそれぞれの発電所がそもそもどれだけの熱エネルギーを発生しているかを表しており電気出力というのはそのうちの電気のエネルギーに変わった分がどれだけあるかを示しています。 熱効率は電気出力が熱出力の何パーセントを占めるかを表したもので原発ではだいたい31から32パーセント程度で火力の40パーセントには遠く及びません。 現在この熱効率を火力並みに高める技術開発が続けられていますが危険と引き換えにならないことを望みたいものです。 コストの面からも、原発は決して安くない。 ただ目の前の安直さから、認めるのであれば、それはおかしなことだ。 原子力を真に安全に活用できるまでは、完全に諦めるのが筋ではないか。 原発事故から100キロくらいの福島市の線量は、普通の街より多く、2ケタ違う。 その現実を誰も語らず、福島市民が普通に生活しているかのように感じているのもおかしなことだ。 原発再開反対なんて一部の人が声高に叫んでも、誰も見向きもしない。 オリンピックが東京に決まった時の茶番は一体なんなんだ。 線量が怖いということを感じることはないのか。 あの事故は、地球史上最大の犯罪ではなかったのか。
2017.11.29
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福島原子力事故の責任 法律の正義と社会的公正 [ 森本紀行 ] 呆れた総理大臣。 想定外の事態が起きた時、完璧な処理ができる人などいないだろう。 その意味で菅直人総理大臣は、不運だったとも言える。森本紀行 賠償よりも政治といえば当時の菅直人首相が最後の最後まで自らの辞任条件にあげるほどに「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法案」の成立にこだわり続けたことにも言及しておくべきだろう。 この時の菅首相はもはや原子力損害賠償には関心を失っていたとしか思えない。 現実の事故の補償よりも事故後のエネルギー政策の方により強い関心があったのである。 首相は事故の収束を退任の一つのめどとしていたのだが事故の収束の最大の眼目は原子力損害補償ではないのか。 その意味では呆れた総理大臣であった。 その後の処理も、上記のとおり、全くなっていない。 不運を通り越して、彼が、無能と言われる所以だ。 そして、この無責任さから、人々は、民主党支持をやめてしまう。 一強政治を作ったのは、ほかならぬこの民主党政権である。 今も言われて言うことは、原発事故発生時の指揮能力のなさ、その後の無責任さだ。 自己保身としか見えぬその行動は、この未曾有の巨大事故が発生したからこそ表出してきたもので、原発事故が発生しなかったら、個人のうちに隠されてしまい、今もって、民主党政権が続いていたかもしれない。
2017.11.28
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誰も書かなかった福島原発の真実 (単行本・ムック) / 澤田哲生/著 本当に原発事故を呑気に構えていていいのか。 切迫性とか緊迫性というのが見当たらない。 事故処理は全くの手付かずではないのか。澤田哲生 水蒸気爆発や格納容器内の直接加熱ではないとわかった。 しかし事態はこの水素爆発で一変した。 それまで私はその日のうちから長引いても3日くらいで事故は収束するだろうと思って入った。 スリーマイル島原発事故のことが頭にあったのだ。 だが水素爆発が起こってしまった以上はもう少し長引くのは必至と内心思った。 福島県の放射線量は減らないし、福島原発そのものの見通しも立っていないようだし。 これからまた大事故が起きたりしないのか。 そしてそのことを誰も疑問に思わないのか。 この前、久しぶりに福島市に行ってきた。 原発事故前以来10年ぶりだった。 見た目には何も変わったことはなかったが、線量は他所と2ケタ違い。 実はここに終の棲家を建てようと妻と話していたのだ。 まだまだ頻繁にはいけないところだと思った。
2017.11.27
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福島原発人災記 安全神話を騙った人々 [ 川村湊 ] 原発人災マネーだそうだ。 それが大メディアに流れているらしい。 ふむ、だから、朝日すら大騒ぎしないか。川村湊 この他に3億円余が政府からの交付金として渡されている。 その支出で注目されるのは朝日新聞、読売新聞などへのコラム提供や大きな紙面広告それに放送局への番組やCM提供、シンポジウムや講演会の主催など。 (略) 読売新聞は正力松太郎が原子力委員会の委員長だったことからも明らかなように原子力ビジネスそのものを日本に持ち込んだ。 (略)どちらかというと革新的と言われる朝日新聞もしっかり原子力マネーを受け取っているのである。 そもそも森友・加計問題なんてことにあれだけ目の色を変えている朝日が、原発問題はあまりにも静かすぎるもんな。 今日の記事に、凍土壁のことがあったが、本当に久しぶりの感がある。 それはともかく、本当に実際、どうなっているのだろうか。 ことは深刻なはずなのに、みんた忘れてしまっている。 この前、10年ぶりで行ってきた福島の放射線量は、やはりよそとまだ2ケタは違うみたいだ。 そのほか、廃棄物の処理など解決していない問題がいっぱいあるはずだ。 その辺を各マスコミはもっと報道すべきなのではないか。
2017.11.26
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【中古】 三億円事件 /新潮社/一橋文哉 / 一橋 文哉 / 新潮社 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】 しかしあの事件は結局迷宮入りしたが、今も真犯人探しが行われている。 一橋文哉 すっかり余裕を持ち始めた先生は、つい、口を滑らせた。 「 ただ犯人もあまり時間がなかったんだろうね 。塗装が乾かないうちに布で覆ったものだから、布辺がくっついて残ったもの。それに車体に洗濯バサミを残したままだったのは、証拠としてはともかく、犯人の慌てぶりを示した点で誤算だったんじゃないか 」 「あー、それは確かフェンダーのところでしたね」 「 いや、エンジンかバッテリーの下のところだったんじゃなかったっけ」 先生はまんまと私の仕掛けた罠にはまった。 犯人がオートバイを白く塗装した上に黒い布を被せ黒バイに見せかけていたことはこれまでの報道でよく知られている。 だがエンジン付近もっと詳しく言うとバッテリーカバーの下部にピンチと呼ばれる金属製洗濯バサミが残っていたことは一般にはほとんど知られていなかった。 つまりこの先生が口を滑らせた言葉は犯人しか知り得ない事実であり秘密の暴露に当たる可能性が高いのだ。 つまりこの先生が犯人ではなかろうかとなる。 事件はまもなく50年になろうとしている。 貨幣の価値は変わっても、3億円と言うのは今も高嶺の花だ。 だから今も謎解きが行われているのだ。
2016.10.30
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凶悪 ある死刑囚の告発/新潮45編集部【2500円以上送料無料】 警察以外でも真実の追及のために動くジャーナリストというものは民主主義に不可欠なものである。 それが殺人事件となればなおさらのことだ。「新潮45」編集部 これからどう取材を尽くしても強制調査権を持たない1メディアが今以上の確証を得ることは不可能だ。 すでに十分後藤証言を真実と信じるに相当する材料、結果が得られているため、報道機関の立場としては先生への取材を敢行する段階に入っている。 そこで先生が合理的な反論を行うなどし、後藤証言やこれまでの取材を覆す状況にならなければ、彼の実名は伏せ、個人が特定されない形で記事として発信する。 後はそれを受けて警察当局がどう判断するか。 警察に重い腰を上げるよう促す努力は最大限行うが、最終的に捜査に動くかどうかは当局に決断を委ねるしかないというものだった。 殺人事件があればまず捜査権のある警察が捜査を開始し、犯人を逮捕、さらに捜査を積み重ねて、検察が起訴し、裁判所が判決をくだす。 ジャーナリストには全く捜査権がないのだ。 しかし、本書では、見事に真犯人にたどりつき、警察、検察、裁判に判断を委ねた。 見事な仕事であった。
2016.10.08
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【送料無料】 狭山事件 石川一雄、四十一年目の真実 / 鎌田慧 【単行本】価格:2376円(税込、送料無料)鎌田慧 次から次へと冤罪が明らかになるのはどうしてだろう。 果たして密室における取り調べだけが理由なのだろうか。 事件のあった日の夜六造は10時過ぎにバイクのエンジン音を響かせて帰ってきた。 雨に濡れた革ジャンの生臭い匂いを漂わせながら先に寝ていた一雄をまたいで自分の寝床に入った。 次の日の夜犯人が身代金を受け取りに行ったと言われている夜もやはり10時過ぎに帰ってきた。 一雄は身代金騒ぎが深夜の12時過ぎとは知らなかった。 そればかりか家から押収された六造の地下足袋は身代金を取りに現れた犯人の足跡と一致するとも言われていた。 そのこともあって一雄はあんちゃんが犯人ではないかと強く疑っていた。 これを読めば、石川さんは、兄を疑っていたことになる。 後日、兄にアリバイがあり、兄をかばう必要性はなくなるのだが。 ポイントは、自供。 それから、警察が果たして本当に証拠を捏造したのか。 この2つのことだけで、有罪にも無罪にもなる。 真実は闇の中だ。
2016.07.15
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彼女は嘘をついている [ 小泉知樹 ]価格:1645円(税込、送料無料)小泉知樹 果たして当該事件が冤罪なのかどうか。 著者が当事者なので何とも言えない。 しかし著者の言うとおりであれば間違いなく冤罪ということになる。 修習生が「どうですか」とか言ったら「なかなかよくかけていたよ」って検事が褒めていた。 まあ、研修かなんかで論告のたたき台を書かせたことことは間違いないわね。 あんな半人前の人間に書かせるなんて頭に来るわ。 全くさんざん、嘘まで並べて。 検察官にとって痴漢事件は慣れきったルーティンワークかもしれないが、こっちは判決に人生がかかっているのだ。 それを公判直前のトイレでめんどくさい事件呼ばわりするいい加減な検察官が担当しているなんて。 法廷でも明らかな嘘を平然と並べ立てるし、日本の司法は腐りきっている。 女子高生の虚言で痴漢に仕立て上げられた上にこんな連中に裁かれるなんて一体この怒りをどこに持っていけばいいのか。 そもそも日本の刑事司法は供述に重きを置いているので、被疑者が1回でも認めれば、そのとおりになっていく。 だから最初からやっていないものはやっていないと言わなければならないのだ。 私は、著者の手の状態や、電車の混み具合、被害者の諸状況から、冤罪だと思った。
2016.07.14
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消えた警官 [ 坂上遼 ]価格:1836円(税込、送料無料)坂上遼 いわゆるスパイである。 彼は命を賭して職務を全うした。 それを組織がかばい、裁判で負けたとはいえ、優遇された。 本名戸高公徳。 この名前は1956年から66年にかけて10年にわたって時の人として新聞、雑誌、ラジオを賑わせた。 高裁、最高裁で敗北したとはいえ警察が全力をあげて隠匿し守り通したこの人物は、後に警察大学校特別捜査幹部研修所教官に迎えられ、四国管区警察局保安課長、警察庁人事課長補佐、警察大学校教授となり、工業学校卒のノンキャリアとしては異例の警視長まで上りつめた。 退職後は72歳まで警察職員の損害保険代理店の共済組合常務を務めていた。 戦後まもなくの、混沌期、今で言うテロを共産党は計画していたのだ。 そこに潜入して、情報を得、更には、施設の破壊へと導く。 なんとダイナミックな仕事だろう。 惚れ惚れする。 このような仕事をしている人が、今いるのだろうか。 良くはわからないが、以外に、歴史はこういう人たちが作っているのかもしれない。
2016.07.13
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落としの金七事件簿 [ 小野義雄 ]価格:1028円(税込、送料無料) 小野義雄 かつて名刑事がいて数多の難事件を解決したのだ。 事実は小説よりも奇なり、というが、彼ら名刑事はまず先入観念をいだかない。 金七の口癖に「先決筋に走るな 」という言葉がある。 事件の筋を読む際の忠言で指揮官が独善で筋を決め付け、捜査 をすすめさせることへの戒めである。 例えば AとBの2人の容疑者が浮かんだとする。 指揮官がAの容疑が濃いとみた捜査員は一応Bの捜査を進めるが、指揮官はAをホシにしたがっているという意識があるため無意識のうちにBはホシでないとする否定的な情報を集めようとする傾向が出てくる危険をついている言葉なのだ。 その結果Bが容疑者になりうる肯定の情報を見逃してしまいかねない。 これが冤罪を産む。 先入観念というのはひとつの感情だ。 好き嫌いの問題でもある。 博打の世界にも似ている。 なんの根拠もないたわごとだ。 したがって名刑事は科学的な根拠を求めるというわけだ。
2016.04.27
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南和行 同性婚同性婚 私たち弁護士夫夫です 祥伝社新書 / 南和行 【新書】 これはまた悩ましい話だ。 京都大学出身の男性どうしのカップルである。 淡々と粛々と書いてあり、悩ましい部分には触れられていない。 おぞましい部分というのか、そこはなしだ。 弁護士らしく理路整然と書いてある。 感銘も何もない。 ただ単にああそうかと思うだけだ。 ただこの本が店頭に並べてあるという今日的な社会現象は否定しようがない。 男男であれ女女であれニューハーフであれ性同一障害であれこのことを異常と言わずノーマルと言って肯定し、様々な利益を享受するというのはいかがなものか。 私はそのことをとても認める訳にはいかない。 あまりにもアブノーマルな態様を拍手する訳にはいかない。 そもそも人類という種に対する挑戦ではないのか。
2015.07.17
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勾留百二十日 特捜部長はなぜ逮捕されたか / 大坪弘道 【単行本】大坪弘道楽観主義者だ。クリスマスまでには出られると考える人たちだ。クリスマスが近づき終わる。(略)次は感謝祭。そして次またクリスマス。失望が重なって死んでいく。(略)最後には必ず勝つとの信念。これを失ってはいけない。犯罪と一口でいうが、私は、この種のものを犯罪とは思わない。元は、あの村木厚子さん事件だ。つまらない検事のフロッピー改竄の責任を上司である著者が取らされ、勾留されたってわけだ。で、勾留百二十日と来た。高級検事が勾留されたってわけだ。その勾留中の出来事を本にしたって訳だ。私は、この本は面白いともなんとも思わない。でも、独り善がり本とも思わない。私は、勾留中云々というより、本件の本筋が知りたい。村木厚子さんがどうして被疑者になってしまったのか。その構図はどうなのか。あのクソ検事の役割はなんだったのか。むしろ、あのクソ検事の一人芝居ではなかったのか。その構図の幕引きでどうして行けなかったのか。そっちの本論を抜きにして、こんな勾留中の云々なんていうから、おかしな話になり、違和感を覚えることになるのだ。このころ警察も含めた捜査機関は、というより、警察、検察の捜査機関は、様々な膿を出したものと思う。そして検察は、取調べの可視化に踏み切っている。取調べの危うさをいよいよ感じ、180度の方針転換という事だろうな。でも、本当の取調べで多くの真実が暴かれたという事実を認めないわけには行かないのではないのか。取調べだけを悪者にしてはいけないのではないか。村木厚子さんが事件も志布志事件も氷見事件も悪いのは、一部の捜査官ではなかったのか。正しい検証を望む。
2015.03.22
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【送料無料選択可!】検察の大罪-裏金隠しが生んだ政権との黒い癒着 (単行本・ムック) / 三井 環 著 人質司法は冤罪を生む温床となっている。 虚偽でもいいから認めれば、すぐ保釈される。 認めなければ長期の接見禁止がついたままの勾留が続く。 ということだそうな。 いわゆるゴネ得がまかり通る話だ。 やっていないといえばそれまでだ。 やったといった人が損するみたいな話だ。 突然の巌窟王は、本当にやっていないという信念に基づくのだろう。 それ以外のグラグラの供述は何を信じればいいのだろうか。 証拠が何もなければ、無罪じゃないか。 そしたらさあ、思い切って被疑者供述調書というのをなくしたらどうなんだろう。 あるのは本番の裁判だけ。 まいずれにしろ、司法が曲がり角に来ている。
2015.02.11
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【送料無料】誤認逮捕 [ 久保博司 ] 誤認逮捕が多すぎる。 この本にないが、最近では例のサイバーがある。 それはともかく、警察捜査の結果を裁判官が審査して逮捕状を発するわけだから、現行犯逮捕を除けば、逮捕された者が真犯人でなかったことを誤認逮捕と言うことはできない。 しかし真犯人でない者を逮捕することは絶対に避けなければならないことだ。 そのためにどうするか。 通常逮捕の要件をきつくすることだろう。 相当の理由を緊逮の要件である十分な理由まで高めるべきだ。 現行犯逮捕は、準現をなくすべきだろうな。
2013.01.20
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【送料無料】特捜検察は誰を逮捕したいか [ 大島真生 ] 究極の目的は小沢一郎であったか。 政治的に小沢一郎は葬られたといえるのではないのか。 しかし、司法的にはそう言えないのか。 裁判で有罪を勝ち取らなければ駄目なんだろうね。 特捜にかつてのきらめきがなくなってきたのは供述だけで有罪とならなくなってきたからだろう。 確かに、検察のみならず警察も含めた捜査機関が録取した供述の信憑性が低くなっている。 冤罪が多くなってきていて、さすがの裁判官も無罪にせざるを得ない。 そんな時代だ。 だから今までと同じでは、特捜も警察も有罪を勝ち取ることができないというわけだ。 供述に頼らず、多くの証拠を集め、理詰めで有罪を勝ち取らなければならない時代となってきた。 そうすると、今まで以上に汚職などの目に見えない犯罪がはびこる。 社会が崩れていく。 だから特捜の力が衰えたことをハハーンと聞いているだけではダメだ。 供述に頼ることを超えた捜査手法を早急にさがさなければならない。
2013.01.19
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【送料無料】聞く力 [ 阿川佐和子 ] 当代一のベストセラーの書評を書くなんて勇気のいることだ。 とにかく読んだ。 なぜベストセラーなのかわからない。 要するに人から話を上手に聞くには、聞き上手になれ、3つ聞くことを準備しろ、2秒経ってからほめろ、などなどのコツを述べながら、ちょっとした交遊録をエッセイ風に書いたものだ。 この本がベストセラーになったわけを本にしたら面白いんじゃないか。 鶴瓶の汚い話なんて、30年前なら大うけだったろうな。 いわゆるクスリってやつだ。 そんなのを著者の父上のお仲間が一生懸命書いていたよ。 その娘さんてわけだ。 なるほど。 血は争えないか。 それにしたってその娘さんもアラ60でしょう。 なんか時代を感じるなあ。 だからこの本が売れたのかもしれない。 正直本読みを認じる皆さんには物足りない本かも知れない。
2013.01.14
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【送料無料】トキワ荘青春日記 [ 藤子不二雄A ]価格:1,223円(税込、送料別) きら星の如き漫画家たち、今の人たちにこのトキワ荘の住人たちが偉大なる昭和年代の漫画家だとわかるだろうか? 本書を読んでいかに昭和が遠くなったのかが実感できる。 人はトキワ荘を梁山泊と言う。 しかし私はあえて比叡山延暦寺と呼びたい。 彼らは手塚治虫先生を師と仰ぎ、それぞれ独立独歩、個性豊かな漫画家としてはなをさかせた。 まるで法然や親鸞、道元、日蓮のようではないか。 漫画は日本の立派な文化だ。 そして本書に出る作家たちは偉大なる芸術家たちである。 トキワ荘は日本漫画界の梁山泊と言われているが、比叡山延暦寺ともにていると思う。 鎌倉時代の祖師方は一派を率いたが、トキワ荘の先生方も
2012.11.01
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【送料無料】性的倒錯新装 [ メダルト・ボス ] 性的倒錯とはかくも様々なものがあるというのか。 本書のはじめは性的倒錯に関する諸理論が記され、ボンクラな私には理解不能だったが、そのあとの各論は、わかり易かった。 糞尿嗜好とは一体どんな感覚なんだろうな。 糞をかき混ぜると精神的に興奮するのか。 不思議な嗜好である。 このような彼を愛した奥さんは、肛門を大怪我しながらもさらに糞をたれ続ける。 奥さんの姿を想像するだけで涙ものですな。 サド・マゾは、エロの王道という感じか。 露出狂には、丸裸になるものもいるらしい。 同性愛はいまや市民権を得、本書のような暗さはない。 でも性犯罪が駆逐されるってことはありえないんだよな。
2012.10.28
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検察 破綻した捜査モデル 新潮新書 / 村山治 【新書】 捜査は今までのようななし割ができなくなったって話。 前田検事の行為は日本の捜査を大きく変えたってことだ。 まあでも逆に言うと、お陰でまともになったって言えるのかもしれない。 これまであまりにも自白偏重だったってことだ。 ただね、こうなると、今までの裁判の中に冤罪が埋もれていないかってこと。 このことは、大変心配なことだ。 それにしても今までのなし割捜査って一体何だったんだろうか。
2012.10.26
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【送料無料】安田講堂価格:1,029円(税込、送料別)著者:島泰三私にとって本年最高の一冊。私は今日から胸を張って日大出身だと言うことにした。感想とか書評とかいう前に本書を引用させてもらおう。しかしここに集まったすべての者がそれを待っていた。「学友諸君!列をあけてほしい。今,日大全共闘の学友3000人が機動隊の弾圧をはねのけて正門前に到着した。」どよめきが起こった。銀杏並木から講堂前まで日大全共闘のための一列の空間を作った。神田三崎町の日大経済学部バリケードを出発した無届デモの日大全共闘3000人は2000人の機動隊の壁を破り東大正門に堂々と登場した。日大闘争の偉大さは今なお歴史によって評価されていない。作家長田日出雄は「再軍備へと向かう流れをせき止めた」と語っている。1968年5月23日東大が五月祭にうつつをぬかしているとき,神田三崎町の日大経済学部前で日大生による劇的な200メートルデモが敢行された。日大生は自分達のまっとうな要求を掲げるだけでもその始まりから大学の暴力装置と真っ向から対決し命をかけなくてはならなかった。こういう大学が世界のどこにあったのだろうか?集まっていた学生の多くは出動してきた機動隊に拍手した。しかし機動隊は建物内の暴力団にはかかわらずデモをしようとした学生たちにおそいかかり5人を逮捕した。経済学部から機動隊に追われた学生たちは法学部3号館を占拠しバリケードを作った。これが日大のバリケードのはじまりだった。
2011.10.18
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【送料無料】これでも朝日新聞を読みますか? 朝日新聞の大研究 新聞の読み方上達法価格:1,529円(税込、送料別) 「モンスター新聞」が日本を滅ぼす価格:1,260円(税込、送料別) 熊田亘 「新聞の読み方上達法」高山正之「モンスター新聞が日本を滅ぼす」古森義久,井沢元彦,稲垣武「朝日新聞の大研究」山際澄夫「これでも朝日新聞を読みまか?」読了。 私は,朝日が嫌いというわけではない。むしろ,全国紙では,個人的に救われたことがあって今も恩義に感じているほど好きなのだ。 が,今回縁あって読んだ本は,高校の教諭が書いた「新聞の読み方研究」以外は,朝日批判大合唱であった。 そして,論調は,ほぼ同じ。 まず,記事を捏造するということ。それは,裏を取らない体質が招いているというが,じゃあ,他紙は,きちんと裏を取っているのかそのことを検証してから書くべきじゃないのか。その2「人民日報日本版」と呼ばれるくらい,親中国,そして,親共産主義であるということ。その結果,朝日のリードで先の首相,安倍晋三が失脚することになったのだそうだが,あのときは,なにも朝日だけがしゃべりまくっていたことでもあるまい。新聞に思想を表現することの是非は,非であるといいたい。だが,朝日批判の諸氏は,朝日が偏向左翼だということを声高らかに主張しているのだ。それなら,朝日の読者は,みんな左翼なんだろうか(尤も,朝日は左翼といわず「市民運動」というのだそうだ。右翼はそのまま「右翼」と表現するという)。確かに,中国に対するスタンス,拉致問題に対するスタンス等,朝日は,左翼的であり,国民が納得できない記事を配信していることは確かであろう。だからといって,朝日のようなへそ曲がりがいなくなったら,逆に日本に健全な論客がいなくなってしまう。新聞が正しいかどうかを判断するのは,読者なのである。決して煽られないように心がけなければならない。
2011.01.10
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これが「一発屋」だ!楽天ブックス著者:宝泉薫 数々の一発屋がいる。 そのうちの久保田早紀や穂積由香里を知っている人は今世の中にどれくらいいるのだろうか。 二十一世紀も10年になろうとしている今二十世紀末ころの話などわかるまい。 私もまたなぜこの2人なのかと考えてみた。 久保田早紀の歌は今もクルマの中で聴いている。だからといって今どんな生活しているのかななんて興味もない。 まして穂積由香里なんて全く忘れていた。それほど昔の話なのである。 ただ,世紀というくくりでなく昭和と平成の枠で考えると,確かにこの2人は今から30年から20年くらい前に活躍していたことがあったのは事実だ。 昭和という中で2人は確かに生きていた。そして話題になった。 その後久保田早紀はプロテスタントとして活躍しているという。 素晴らしいことじゃないか。 それに対し穂積由香里はいったいどうなっているんだろうか。 というよりこの一家は,いったいどうなったのだろう。 穂積由香里は当時の非行の象徴だった。その立ち直りの象徴でもあった。でも家族が離散してしまった。 そして今誰も見向きもしない。 昭和末期の怖さを感じるのは私だけだろうか。※引用 久保田早紀は「男女の愛を歌うラブソングの上手な人は他に沢山います。それは勿論素晴らしいけれど私は,違うタイプのラブソングを歌っていきたい」と異邦人から5年後引退。翌年に俳優久米明の息子で音楽家の久米大作と結婚し専業主婦となる。その傍ら夫の影響でプロテスタントの洗礼を受け,教会関係の活動をするようになった。つまり教会音楽家として生まれ変わった。 「両親は教育評論家を名乗るほど有頂天になって,やれ講演会だ,テレビ出演だと飛び歩く毎日。私は,家へ帰っても一人ぼっちだし,さびしさもあったんですね。トルエンを買うお金は全部両親からもらっていました。本が売れるまでは1ヶ月の小遣いもせいぜい4,5万円だったんだけど,本が売れてからは一挙に増えました。30万円,40万円ともらっていたこともあります。両親にしてみれば忙しく,私の面倒を見られないうしろめたさもあったと思います。私に申し訳なさそうな顔をしながらお金を渡すんです。」(穂積由香里)
2010.09.19
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読むことは生きること 著者:柳田邦男 1) ノンフィクション賞 大宅壮一ノンフィクション賞,講談社ノンフィクション賞,新潮学芸賞,潮賞ノンフィクション部門,講談社出版文化賞科学出版賞2) ノンフィクションとは,物語である。3) 大空の星をボーっと見上げていると,いくつかの星がつながって北斗七星などの星座が見えてくる。原因・結果の関係を問い詰める線型の考え方から離れて星座を見出すようにいろいろなことがらの全体像をあるがままの姿で把握する,つまりともかくそこに星座に相当するひとつの全体が出来上がっていることを認める,というものの見方がコンステレーションの発想法だという。4) ノンフィクションという表現法の土俵の中で書くことと読むこととを人つながりの営みとしてきた。振り返ると,そういう形の「読む仕事」を既に十数年やってきたことになる。5) ジャルゴン(jargon)。訳のわからない言葉,ちんぷんかんぷん,という意味だが,もう1つ特殊な専門家の間にだけ通じる専門用語に対して軽蔑する意味をこめて使うことが多い。6) 80年代から90年代にかけての20年近い年月の中で書いたノンフィクション関係の本の書評や解説の類は,400字詰め原稿用紙で700枚を越えるほどになった。
2009.12.02
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報道被害著者:梓沢和幸 報道被害というものをしっかり考えなければならない時代ではなかろうか。 現代日本は、朝から晩までワイドショーである。つまり、テレビというメディアですな。 テレビ以外の新聞や週刊誌がまともだとは言わないが、テレビは映像があるから、視聴者に訴える力があるわけだ。 そして、時間によってテレビの視聴者が違うとでも思っているのか、朝流した映像を昼流しそして夕方と晩に流している。コメントや文字まで同じだ。 そんなことを書いている私は、また、とても暇な人みたいでしょうが、そうではなくて、朝夕は、通勤時間、昼は、昼休み、晩は夜のニュースと言うことなのである。通勤はクルマだから、テレビを音声だけ聞いているのである。 さて、報道被害であるが、著者は、原因を警察垂れ流し情報に求める。しかし果たしてそうだろうか。警察の情報を丸飲みにして裏を取らないメディア側の責任は一体ないのだろうか? 私は、今やと言うよりもかなり昔、それこそ昭和の時代から、メディアは、権力化していると思う。それゆえの報道被害である。 果たして捜査情報は、公開されるべきだろうか。捜査情報を公開すれば、確かに多くの情報が入ると予想される。しかし、それはそのように思えると言うことである。それこそ信憑性の高いものから取るに足らないものまでたくさんの情報であふれてしまうと言うことなのである。それを取捨選択することは難しい。 更に、自白の信憑性には、「秘密の暴露」がつきものだ。従って今以上の情報が警察から流されるとは思えない。 詩織さんの事件はかえすがえすも残念。なぜ真摯な捜査ができなかったのか? この事件は、正に警察が信頼を失した大きな分岐点であった。その意味で、埼玉県警察と上尾署、並びに本件を担当した警察官の罪は重い。 日本人の価値観を大きく変えた事件といえよう。 報道被害ということをなくすために警察は、被害者対策を報道被害という側面からもしなければならない時代になった。
2009.11.12
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男と女の離婚格差著者:石坂晴海 〇 勝手な夫の陰で妻が着々と自分の人生を考え離婚を機に劇的な人生を歩もうとしている。〇 下注のモラ夫リストのとおり,夫は,勝手なのだ。〇 なぜ夫は,勝手になるのか。恋愛などという短い間は,これほど優しい男がいるのだろうかと妻に思い込ませて結婚するんだろうな。それは,オスの孔雀のごときか。その後,妻には,長い冬がやってくる。〇 離婚は,その夫婦の歴史の結果だ。それは,まるでサイコロの目のようなものなのかもしれない。この書のような夫婦の対岸には,とても仲の良い夫婦もいるのだから,そう思わざるを得ない。 注)1 モラ夫リスト ・ 妻の前で舌打ちしたりため息をつく ・ 妻が楽しそうにしていると不愉快になる ・ 夫婦の予定をうそをついて変更したことがある ・ 家の物事は自分が決定すべきだと思う ・ 妻とのいい争いには絶対に負けたくない ・ 妻の食事が気に入らず食べないことがある ・ 都合の悪いことはすぐに忘れる ・ 妻の趣味をけなしたことがある ・ 妻を長期間無視したことがある2 世の中の妻にとって夫の不機嫌ほどうっとうしいものは,ない。3 家から夫がいなくなった。それは,自分でも驚くほどの安堵感だった。その夜久々にセクハラを知ったあの人生相談のサイトへつないでみた。4 ツーショット写真を撮ろうとナル夫が思いっきり頬を寄せてきた。そのとき,強烈な嫌悪感を感じる自分がいた。5 27年間,弥生さんには,夫婦で共有したささやかな時間の記憶は,全くない。だからこそ2年前,夫からリタイアする話を聞いた時,弥生さんは,反対することもなく夫に提案している。散歩でもゴルフでも草むしりでも2人で一緒にできることをこれからは,したいと。6 夫の体と密着していることがだんだんイヤになってくる。早く終わってほしくて演技をしているうちにセックスは,気がつくと,おつとめになっていた。7 あんたのこういうところが本当に大嫌いなのよ!と全てぶちまけた,でもその後には,うらみもつらみもなくて。かといって相手がそれで自分を変えられる人でもないのを知っている。でも不思議と私は,この人とずっと一緒にいる,離婚は,しないと思っている自分がいた。8 離婚して男女としては,終わった。しかしそこまでの苦しいプロセスの中で人間としての更に強い信頼関係が残ったという。
2009.10.31
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これでも朝日新聞を読みますか?著者:山際澄夫要旨: 朝日新聞は戦前、軍部に従って戦争を煽り、占領下にあっては、米占領軍に迎合し、独立回復後は共産主義のソ連や中国、北朝鮮の走狗となってきた。 安倍首相の退陣表明を受けた9月13日の朝日新聞朝刊は、一面から社会面まで朝日新聞の達成感が見て取れた。そこには、安倍首相の無責任をあざけり、なじる言葉があふれかえっていた。 今回の総選挙直近の参院選中の民主党への投票誘導は露骨なものだった。社説は、最初から選挙を「参院選公示 安倍政治への審判だ」(7月12日)と安倍政治を否定することこそ参院選の意義とのイメージを焼き付けるのに躍起だった。 朝日新聞的とでもいうべき「戦後思考」にこれでは」日本の名誉も国民も守れないとして真っ向から挑戦してきた代表選手が安倍氏だった。 朝日新聞にとってインターネットはもはや天敵のようだ。ネットのブログや掲示板は朝日新聞の大嫌いな愛国心に満ちた若者やマスメディア批判であふれかえっているからである。 朝日新聞にことさら厳しいサイバー空間で今「アサヒる」という造語が流行している。「歴史的事実やニュースを捏造し、あとでそれが間違いであることが明らかになってもきちんと謝罪することなく、論点をすり替えたり、居直ったり、知らんふりをしたりする」ことを総称した言い回しである。朝日新聞を形容するのにこれほどいいえて妙な表現はない。 なんとも背筋が寒くなるような「慰安婦」狩りの情景も、これは全て情報源吉田清治氏の作り話、真っ赤な嘘だったことが判明しているが、朝日新聞は今日まで明確な訂正、謝罪はしていない。 朝日新聞の印象は、読む人が読めば、以上のとおりであろう。正に総選挙の審判が下る今日安倍晋三氏の退陣問題を語ってもしょうがないことだが、その退陣や前回の参院選が朝日のせいだとすれば、今回の選挙結果もそうなる可能性が高いのか?
2009.08.30
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名ばかり管理職著者:日本放送協会 コンビニファミマとかマクドナルドの店長が名ばかり管理職で泣いた。 しかし、泣いてばかりはいない。その窮状を訴えた。 その結果、「名ばかり管理職」がこの世に明らかになった。 反面、零細企業の課長さんは、「名ばかり」とは言え、管理職であるとのプライドをもって仕事をしている。 それが、日本の現状である。 管理職には、3つの基準がある。 1つは、経営に参加している。2つは、出社が自由。3つは、それなりの収入があること。 そのことを考えたら、当然、コンビニやマックの店長は、当たるまい。 しかし、企業内では、れっきとした管理職として辞令を受け、仕事に当たる。 時には、24時間に近い勤務を強いられ、そのまま翌日の仕事に突入する。 このことは、今の日本の経済にとって特に必要な2つのことであろう。 その1は、不正規社員。その2は、名ばかり管理職。 実を言うと、自分自身、そんな境遇にある。 昇進したからといって、給料は増えず、勤務時間だけが増え、しかも休みがない。 本当にこの日本は、どこへ行こうとしているのか。 大変な時代を生きているというのが実感だ。
2008.07.12
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通勤時間「超」活用術著者:久恒啓一 たとえば通勤時間を有効に使えば、したいことや勉強ができるというたとえ。 通勤時間がない人もいるのだから、通勤時間のある人しか読まないような本の気もするけれど、そうではない。 通勤時間とは、たとえ話であって、勉強したい、夢を実現したい向きには、とてもいい本である。 ネーミングが失敗したな。 通勤時間のない人は見ないもの。特に、車利用の人は、ほとんど通勤時間を利用なんてできない。だから、この本を読む気にもなれない。ところが、この本は、珠玉でっせ。 そういう意味でこの本は、ネーミング間違いである。 私は、特に、一週間を、5泊6日、3泊4日と考えることに感銘を受けた。 そして、5時から9時、9時から5時、5時から9時という考え方。 自分の時間を大切にしようという考えに感銘。
2008.05.07
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すごい裁判官・検察官ベスト30著者:かなざわいっせい 著者は、裁判の傍聴を生業としている。 さまざまな裁判官、検察官、弁護士がいる。概して、法曹3界の方々の方が刑事的なようだ。事案の真相を知ろうとすれば、どうしても詰問してしまうんだよね、人間は。 我慢しきれない世の中の不条理。そのなかで、法曹3界の方々は、世の中のリーダーとして被告人等に人生の機微を教えきることができるのか。 本書を読むと、とてもじゃないが、彼らには、人生をおしえることなどできないということがわかる。 そのことから、法は、人に人生をおしえることができないという結論に至る、のかなあ? 結局、僧侶や牧師、神父などにしか語れないことなんだろうなあ、と思えるような本である。 楽天ブックス
2008.05.03
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報道被害著者:梓沢和幸 報道被害というものをしっかり考えなければならない時代ではなかろうか。 現代日本は、朝から晩までワイドショーである。つまり、テレビというメディアですな。 テレビ以外の新聞や週刊誌がまともだとは言わないが、テレビは映像があるから、視聴者に訴える力があるわけだ。 そして、時間によってテレビの視聴者が違うとでも思っているのか、朝流した映像を昼流しそして夕方と晩に流している。コメントや文字まで同じだ。 そんなことを書いている私は、また、とても暇な人みたいでしょうが、そうではなくて、朝夕は、通勤時間、昼は、昼休み、晩は夜のニュースと言うことなのである。通勤はクルマだから、テレビを音声だけ聞いているのである。 さて、報道被害であるが、著者は、原因を警察垂れ流し情報に求める。しかし果たしてそうだろうか。警察の情報を丸飲みにして裏を取らないメディア側の責任は一体ないのだろうか? 私は、今やと言うよりもかなり昔、それこそ昭和の時代から、メディアは、権力化していると思う。それゆえの報道被害である。 果たして捜査情報は、公開されるべきだろうか。捜査情報を公開すれば、確かに多くの情報が入ると予想される。しかし、それはそのように思えると言うことである。それこそ信憑性の高いものから取るに足らないものまでたくさんの情報であふれてしまうと言うことなのである。それを取捨選択することは難しい。 更に、自白の信憑性には、「秘密の暴露」がつきものだ。従って今以上の情報が警察から流されるとは思えない。 詩織さんの事件はかえすがえすも残念。なぜ真摯な捜査ができなかったのか? この事件は、正に警察が信頼を失した大きな分岐点であった。その意味で、埼玉県警察と上尾署、並びに本件を担当した警察官の罪は、重い。 日本人の価値観を大きく変えた事件といえよう。 報道被害ということをなくすために警察は、被害者対策を報道被害という側面からもしなければならない時代になった。
2007.09.07
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心にナイフをしのばせて著者: 奥野修司 それは、少年事件だからと言うことではなくて、一般的に被害者側が苦しまなければならない。 その理由は、さまざまな要素が絡み合っているが、報道被害と言うこともあげられよう。 また、本書のように、少年は、更生するものであるから、その結果、本例のように、更生したA少年は、立派に弁護士になったりするのである。それは、稀な例ではあろうが。 その更生したAが、金で解決しようとしている。 そういう事実から見ると、Aは、本当の意味での更生はならなかったんだろうなと考えてしまう。 被害者の遺族は、Aの謝罪がほしいのに、Aは、謝らない。 謝らない理由があるのなら、その取材もしてほしかった。彼には、彼の理由があったろう。 たぶん、自分は、法に則って更生したのであるから、何を今更謝罪なのかと言う考えではないのか?弁護士だけに、そのような筋立ては、しているものと思う。 本書では、淡々とした書きっぷりの中に明らかに被害者側に立った意見が垣間見える。読み進めば、Aと言うものは、一体何者なんだ、卑劣な冷血動物か!と糾弾したくなる作りだ。 そして、これから延々と被害者側(達)の苦しみは、続いていくんだろうな、という思いに駆られる。 本書は、被害者側に立った記述なので、これで十分だと思う。が、これに対する反対論があって初めて健全なディベートは、進むのではなかろうか。 この一方的な意見のみを信じれば、いわゆるカルティベーションということになり、議論が誤った方向に行きかねない。 その結果、本書からは、やはり、少年といえども、厳罰化に処さなければ、公平性を欠くと言うことになるんだろう。 が、反面、少年法の精神に則れば、すなわち、更生した少年は、弁護士にもなりうると言うことなのである。 本書は、読み物としては、おもしろい。映画やドラマになりうる中味である。 しかしながら、多くの人の賛同を得られないではあろうが、反対論も是非論じてほしいものだ。
2007.08.15
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少年事件に取り組む著者: 藤原 正範 少年事件に関して多くの著書がみられることに驚いている。 どの著書も真摯である。少年事件というものを国民みんなで勉強しなければならないんじゃないのか。大体、学校現場と言うよりも学校の先生でさえ少年事件の流れを知らないのだ。それが、現実である。 さて、本書は、家裁調査官が書いた少年事件の本である。 著者は、いう、「家裁調査官の決め手は、感受性だ。」と。そして、「非行=性格+環境+偶然的要因」の公式を披露する。 これは、永年家裁調査官として多くの非行少年と付き合ってきた結果から導いたもので、含蓄がある。 さらに、性格について次のように分析する。 「性格上の問題は、生育歴が深く関係している。明らかな愛情の不足と歪み、不適切な養育態度が原因である。」と。 この分析は、支持されるべきだろう。 簡単に非科学的にただ直感で「親の問題」と表現していたところが上記のように整然と表せる。これこそ科学でなくて何であろう。 このように科学的な著者であるが、今度は、科学に牙をむく。最近強調されている、ADHDやLDといった障害を非行の原因とする考えにである。 著者は言う。「強調される医学的治療モデルによる少年非行の解決には、大きな疑問を呈する。」と。 この表現は、正に少年非行の現場にいるもののみが知る真理であろう。新しい原理を何とかして導入したいという試みは分かるが、それを無理強いするのは、非科学的である。 私は、「強調される医学的治療モデル」は、脇役であり、けっして少年非行問題の主役ではないと思う。 著者は、「感情豊かな少年も人を死なせてしまうほどの犯罪を犯す。」という。 ここまでをまとめるとこうだ。 少年事件は、一派ひとからげに解決できるものではない。 なぜなら一人一人の少年の事件が1つ1つ違うからだ。だから、ある時は、医学的治療モデルを考えなければなるまいし、またある時は、養育歴を考えなければなるまい。 そして、少年は、ある日成人になる。これは、唯一の真理である。
2007.08.05
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脳内現象著者: 茂木 健一郎 相変わらず難しいのである。もう少し、優しく書いてもらえればいいのだが、メタ認知とかホムンクルスとか訳の分からない言葉が出てくるので、私には、理解不能だった。 うろ理解で申し訳ないが、人は自分を内からも外からも見ることができるのだが、そのことをメタ認知というのか? 脳内には、小人とか小さな神が住んでいるのだそうだ。それを批判する人もいるが、著者は、敢えて小人らを登場させている。 昔の考えでは、たとえば、木が倒れる音は、私が存在するから聞こえる、つまり、存在するのであって、私が死んでいなくなれば、倒れてもその音は存在しないことになると言うことだったらしいが、科学は、私が死んでも倒れた音の存在を証明したことから、このような存在論に関しては、科学によって大きな転換があったことになる。 逆に言うと、私は、既に科学の中に取り込まれていると言うことになるのだ。そのことが正しいのかどうかは分からない。 著者は、ある日、メタ認知を感じたのだが、そのことは、いわゆる仏教で言うところの「お悟り」ではなかったのか。 直感的に私は、そのように思った。 脳の働きというものの内、人間独特の大脳の動きというものの研究が盛んだ。 生物の進化の過程で、大脳を選んだのがヒトで、羽を選んだのが鳥類だという本を読んだことがある。 我々は、大脳を選んだ以上、その通りの人生を生きなければならない運命にある。今更羽がほしいなどと言うわけにはいないのだ。 大脳がこれほど進化していない他の生物たちには、死生観などというものは存在しない。 自然に生まれて死んでいく。ただそれだけのことだ。自分の存在などと言うことを自覚することもないだろう。 その意味で、その生物は、幸せだ。逆にヒトは、大脳がある故に苦しむことになった。様々なことを考えることができるからだ。しかし、ヒトが考えることをやめたら、ヒトとしての価値が半減してしまうことになろう。 まだまだ分からないことが多い脳のこと、これからも勉強したい。
2007.07.29
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日本語の将来著者: 梅棹 忠夫 日本語にローマ字が向いているか?私は、笑止千万と言いたい。いくら知の巨人とはいえ、未だにローマ字論をぶつなんて信じられない。 著者のローマ字論は、結局英語などアルファベットで表記される言語は、タイプライターにより容易に書くことができるという発想から来ている。 そこで、まず、かなカナライターとか言うのを考えたはずだ。それでも26文字のアルファベットと比べたら、50字もあるカナかなは、かなり、面倒だったろう。そこで、ローマ字表記せよというのだが、試しに、著者が書いた、巻末のローマ字文を読もうとしたのだが、とても煩雑で読む気にもなれなかった。結局、日本語は、漢字かな交じり文にしくはない。だから、速読もできると言うこと。漢字を見ながら、イメージできると言うこと、その長所を考えたら、とてもじゃないが、ローマ字文による日本語なんて反吐がでる。 ローマ字表記は、速読者の敵だ。ハングル文字のみになった朝鮮は、もう、学術論文を書けないほど疲弊しているという。つまり、漢字による表記がなくなった分、日本で言えば、橋も箸もみんなはしになってしまったから、意味が取りにくいというわけだ。それが、かなカナから更にローマ字になって、hashi mo hashi mo minna hashi ninattesimatta.なんて表記することになるんだよ。何でこんな馬鹿馬鹿しいことに真面目になるんだよ、知の巨人が。 ところで、この文章、私は、パソコンで打っているのだが、なんとローマ字うちなのである。つまり、著者がほしがっていた日本語タイプライターの出現が、パソコン以前のワードプロセッサーによって実現したのである。ここにいたって、日本語のローマ字表記などと言うものは、一切不要になってしまったのだ。 ここのところを捉えて著者は、パソコンにおいては、ローマ字うちの方が多いと言うことを不思議に感じるなどと表現しているけれど、実は、ローマ字うちというのは、26あるアルファベットの内、使う必要のない文字もあって、非常に合理的なのである。だから、いちいち「たていすかんなにらせ」などという配列を覚えようなどと言う気にならないのだよ、梅棹先生。なーんにも不思議でないのだ。
2007.07.27
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今日、ホームレスになった著者: 増田 明利 さまざまな人がホームレスになっている。ホームレスには、2種類ある。全く何もしない浮浪者と、ものを拾っては、それを換金しているものである。 ほとんどは、会社の経営が立ちゆかなくなったというのが原因である。 管理者だったり、バブル期に一流の銀行に潜り込んだ5流大学出身者がリストラにあったり、さまざまなホームレスの姿が焙り出されている(ところで、5流大学ってどこよ?)。 中には、ぷいと家庭から外に出たとたん家に帰りたくなったという人もいる。 著者は、このような彼らの取材をし、彼らに同情してもらいたいとでも思ったのだろうか。私は、同情したい気持ちにはなれなかった。 私は、彼らがホームレスとなることによる国家社会に対する悪影響を憂えるものである。 確かに、この景気で、職を失い、家庭も失った或いは家庭から締め出されたら、ホームレスになるほかないのだろうが、東京や大阪を歩いてみて、彼らが目障りでならないのだ私は。 公園というのは、その名の通り公のものである。みんなのものである。そこになぜ彼らは、ブルーシートを張って生活できるのか?おかしいじゃないか。みんなのものである。 そのような場所になぜ勝手に簡易建造物を造って暮らすことを許してしまうのか? ということで、ホームレスという結論には憤りを感じる私もさすがにその原因については、同情を禁じ得ない。 それは、単純に運命だと言うことなんだろうが、それにしては、過酷である。 だが、本書に出場している人以上の数がこの日本には、同様の不運に遭っていることを考えると、結果としてホームレスになることについてどうも同感できないのである。 結局、本書は、ホームレスの取材だけで終わってしまった。その裏にある問題点をあぶり出すことをしなかったので、できばえが悪いものになってしまった。著者には、さらなる努力をしてもらいたい。
2007.06.30
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ブログ進化論著者: 岡部 敬史 日本においてブログは、日記という形で発展しているが、米国では、あの9.11事件で、安否など様々な情報をブログで発信したことから、1メディアとして確立しているらしい。 が、日本では、簡易日記という形で、自分をさらすものが多い。さらすことのできる限界があろうが、人々に自分と自分の家族等をさらすことで喜んでもらえるということに喜びを感じる、楽しいことであると言うことがあるのだ。 従って、根本的にこのような自分と読者が喜び楽しむというブログの形には、儲けなどと言うものを考える隙がないと言えよう。 書き手側のコンセプトは、「ただ読んでもらいたい」ということである。 そのようなことを考えると、私の今のブログの運営は、間違っているのかなと思う。 今、私は、映画レビューや書評を書いているのだが、読んでもらいたいというコンセプトを持っているものの、文章を整えてからアップしているし、ある程度のアフィリエイトを掛けてもいる。 本書で主張しているブログのあり方では、ありのままを書くというのが原則である。従って自然に読者がついて来るというのである。 自分や家族の近況報告を例にすると、妻の病気について、妻が記事をアップし、不幸にも病死してしまったその妻に代わって今度は、夫が書き継いでいるという人気ブログもあるらしい。 確かに「鬼嫁日記」を読むと、その人気の理由が分かる。このブログは、読んでいて楽しいもの。自然にそのようなおもしろい行動をカズマも嫁もしてしまうんだよな。ここに打算はない。きれい事もない。あるのは、まさにありのままである。学級日誌ののりである。それが、日本のブログの真の姿だということを著者はいいたいのではなかろうか? 素直に自分をさらけ出し、共感を得るということが日本のブログの姿になっている。人に読まれようが読まれまいが、ありのまま、素直、と言うのがキーワードである。 ブログは、自分の記録というもう一つの側面もある。 このように書評を書き続けることで私の立派な読書の記録が残るのである。 アクセス数を増やすことが目的ではないのである。
2007.06.17
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日本警察の不幸著者: 久保 博司 日曜日の昼下がり、友人の妻が郊外に喫茶店を開店した。この6月1日である。 わざわざフランスまで行って本場のコーヒーを勉強してきた。そのほか、パンの焼き方などを勉強してきた。 店は、友人たちの善意により、きれいにペンキで色づけされた。私たち夫婦は、緑色のペンキで黒板を作った。 元JAの建物は、こうしてきれいな瀟洒な喫茶店に変身した。 今日この本を持って日曜のアンニュイな午後を妻と過ごした。 本書は、かなりべたに読んだ。 警察官の不祥事をどのように考えるかということ、それは、われわれ国民にとって大きな問題であるということ、不祥事非難は、国民の悲痛な叫びであるということ、そのようなことを学んだ。 平成11年12月4日付産経新聞談話室に「僧侶、教師、警察官は、いわゆる聖職の代表のように言われ、国民の信頼と尊厳の対象になる人たちである。いや思われていたのだが、残念がなら一部の人たちがこの信頼をなくしてしまった」と書かれてあった。 このあたりから世の中は大きく変化してしまったのかもしれない。 警察官がなぜ聖職化されていたのかはわからないが、それにしても、この世の中が変わったのは、こうしてみると、記録を見てもこの10年足らずのときなんだなと、つくづく思った次第だ。 著者のキャリアを純事務官にせよとの主張には賛成だ。 確かに事務官がこの日本の警察を牛耳っているということは明らかだ。 ま、しかし、そのことが現場警察官の不祥事の基になっているとも思えないが。 私は、警察に行政を与えること自体が間違っていると考える。 犯罪の抑止まで警察にさせようとしたら、結局二律背反、どちらもうまく行くはずはない。 警察は何でも自分でしようとするが、無理なものは無理という姿勢もこのような時代には必要なことではなかろうか。 それにしてもこの10年いろいろな警察不祥事が噴出していたんだな。慣れっこになっているのが一番悪いような気がする。 元の話に戻るが、聖職は聖職として、イメージを壊さないでほしいというのが偽らざる気持ちである。
2007.06.12
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