心にナイフをしのばせて
著者:
奥野修司
それは、少年事件だからと言うことではなくて、一般的に被害者側が苦しまなければならない。
その理由は、さまざまな要素が絡み合っているが、報道被害と言うこともあげられよう。
また、本書のように、少年は、更生するものであるから、その結果、本例のように、更生したA少年は、立派に弁護士になったりするのである。それは、稀な例ではあろうが。
その更生したAが、金で解決しようとしている。
そういう事実から見ると、Aは、本当の意味での更生はならなかったんだろうなと考えてしまう。
被害者の遺族は、Aの謝罪がほしいのに、Aは、謝らない。
謝らない理由があるのなら、その取材もしてほしかった。彼には、彼の理由があったろう。
たぶん、自分は、法に則って更生したのであるから、何を今更謝罪なのかと言う考えではないのか?弁護士だけに、そのような筋立ては、しているものと思う。
本書では、淡々とした書きっぷりの中に明らかに被害者側に立った意見が垣間見える。 読み進めば、Aと言うものは、一体何者なんだ、卑劣な冷血動物か!と糾弾したくなる作りだ。
そして、これから延々と被害者側(達)の苦しみは、続いていくんだろうな、という思いに駆られる。
本書は、被害者側に立った記述なので、これで十分だと思う。が、これに対する反対論があって初めて健全なディベートは、進むのではなかろうか。
この一方的な意見のみを信じれば、いわゆるカルティベーションということになり、議論が誤った方向に行きかねない。
その結果、本書からは、やはり、少年といえども、厳罰化に処さなければ、公平性を欠くと言うことになるんだろう。
が、反面、少年法の精神に則れば、すなわち、更生した少年は、弁護士にもなりうると言うことなのである。
本書は、 読み物としては、おもしろい。映画やドラマになりうる中味 である。
しかしながら、多くの人の賛同を得られないではあろうが、反対論も是非論じてほしいものだ。バブルの王様 2024.06.14
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