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久しぶりに、というか数年ぶり以上の久しぶりに、自分の作り散らかした各所のブログ、ホームページ、日記などのサイトにアクセスしてみた。 結構な衝撃が、体験できた。規定変更などで扱いにくくなって、ほぼ初期に手を掛けた【楽天ブログ】が、かなりメチャクチャな構成に変えられてはいたが、なんとか生き残っていて、懐かしい日記や掌説、写真などに再会できた。 その一方で、『たぶん大丈夫』と高を括っていた【Yahoo!】のサイトは、消滅していた。その他では、通知があって承知しながら放置したために、画像ごと葬り去られた【OCN】などなど。 おかげで、楽天ブログからリンクをはって、どこかが消えてもどうにか残るようにと期待を込めていたブログが、ことごとくリンク切れ。 そんな中にあって、【FC2】ブログ日記が残っていたのは、感激ものだった。 このようにデジタル界を信用して日記を残したりすると、記憶も自身が存在した過去も、サイト側の都合や経営状態によって、見事に葬られてしまうということを、改めて認識させられた。 この例を見ると、複数のサイトに日記を残しても、どれかが残るとは限らない。管理を怠ってはいけない。どれかが消滅したら、その時点で生き残りそうなサイトを見つけて、過去の日記一切を移築して、複数のサイトで存続させる手段を求める必要がありそう。 手を掛けた、自分の記録が消滅しても、ホームページのデータはパソコン内やCD、DVDに残してあるから、手を加えて修正したものを、どこかに再アップできるのだが、過去に名刺をお渡しした相手の方からは、『行方不明』になるわけ。 今の【twitter】の動きを例に取るまでもなく、【facebook】であっても、そこに記録として写真などをアップして保存、公開して大丈夫なのだろうか?という疑問は、強く残る。 例えば【google】の画像保存を利用して、そこからブログにリンクを張ったとしても、大本の画像保存(一時預かり?)が、規約変更したら、そこで全てが消え去る。 さて、どうしたものか? と、ちょっとだけ真剣に考えさせられた1日になった。楽天は、写真の保存枚数だけは『無制限』になったようだが、ブログの更新などについての扱いにくさは変わらない。そして、オーナーの気分次第で、消滅の危険性も大きいサイトだということは変わらない。 デジタル運営について、『永久保存』や『永久存続』などに期待してはいけない、ということになりそう。 これは、国家が運営するデジタル構築についても、いつどんなトラブルが生じるかわからない、トラブルが生じた場合に、すべてを復元する方策は講じられているのか? 国家が運営していても、全幅の信頼は寄せられないのがデジタル。 個人の全データを掌握せんとする『マイナンバー制度』も、大なり小なりの危険性は、デジタルの危険性を理解できていなさそうな官僚、議員らに命運を握られている以上は、消えないものと思われる。 ボロボロと、各地方自治体などで綻びを露呈させているのが、マイナンバー制度なのだ。いずれは銀行口座を含めて、国民の全データを政府が握って一元管理に持っていこうというのだろうが、データを扱う末端の職員は、その意識も能力も追い付いていない。 まだ数年以上は、マイナンバー制度は完成できずに、混乱が頻発するだろう。マイナンバーカードを信用できるのか? 信用する人の根拠が知りたい。 と、話が逸れたところで、数年ぶり?の日記は、これまで。次に書くのは、いつになるだろうか? この楽天ブログが残っていることを祈りたい。 そもそも、当初は『ホームページ(ホムペ)』で始めたつもりだったものが、多くの使用タグに制限が設けられて、『ブログ』と呼ばれるようになった。『ブログ』が、次は何になっているのだろうか?
2023/04/23
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ものすごく興味があるけれど、とにかく送料が高すぎて、買う気になれない。商品よりも送料のほうが高かったりするんだから。 格安!いなごの佃煮 300g懐かしいイナゴはいかが?
2015/08/31
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1年に一度だけの日記更新になっていますが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。 歳は争えなくなっていて、仕事に追われると、疲労が抜けきらずに、日記を更新する気力が湧き上がりません。 本当は、まだたくさん、書きたいことがあるのに。気持ちばかりが欲張りで、身体がひとつしかないことを、つい、忘れがちになってしまっています。 本当に、本当に『今年こそは』書きかけの掌説を、強引にでも終了させて、次のテーマに取りかかりたいと思っています。 何しろ、残り少ない寿命になりつつありますので、書きたいことを残してしまうと、心が彷徨いそうですので・・・。 今年の目標ができたところで、今年も生きていけそう・・・かと思います。
2014/12/31
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謹賀新年 本年もよろしくお願いいたします。なかなか、掌説の続きに取りかかれず、まるで政治家の公約のようになってしまっています。 でも、次の『書きたいこと』が控えているので、放置しておくわけにも参りません。どこかで、強引に幕引きを行いたいと考えています。
2014/01/01
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謹賀新年 除夜の鐘の音が、部屋の中に忍び込んで来ている。“諸行無常”と響くには、いささか騒がしい世の中である。一昔前には、港から船舶の汽笛の音が、寒風を裂いて来ていた。所変われば、風情も変わる。 関東地方南部の当地は、初日の出が拝めそうな予報である。雪国は、冬型気圧配置の強まりと共に、積雪が激しさを増すという。 雪の新年も風情があるが、それとても程度問題。幼い頃には、雪を踏み分けて祠にお参りをする父の後を追って、ほのかな雪明かりの畦道を辿ったものだった。風情を感じる余裕などはなかったが、正月を迎えるという厳かな気持ちだけは、身体に染み入ったような記憶がある。 現在のように、スーパーマーケットに行けばお節料理が揃うという世の中ではなかった。雪をかき分けて、白菜を掘り起こして、元日の料理にした。 掘り起こすのは男の仕事。母親は、竈の用意をして待っていた。 私が父親につきあうのはそこまで。朝の準備が整うまで、再び眠りについた。 初日の出を拝んだ記憶はない。寝床から這いだして、ちょっと改まった服を着せられて囲炉裏のそばに行くと、父親が改まった着物を着て、偉そうに待ち構えている。 それで何事かが始まる、というわけでもない。山深い集落では、それからどこかの神社に行くということもない。神社参拝は、新年を迎えるとともに祠にお参りをしたことで、済ませてある。 あとは、家族が揃って、自宅の神棚に柏手を打って、今年の無病息災を祈るだけである。そして、今にして思えば質素でありながらも、嬉しさと温かさが零れそうな、母の手作りの雑煮を食べるだけ。 幼い子供には、お年玉もなかったような気がする。忘れてしまっただけかも知れないが、お年玉の記憶がない。でも、何かを買う楽しみがあるでもなく、お年玉の使い道もなかったから、不満を感じることもなかった。 そんな新年もあった。所変われば、時代が変われば、新年の風情も変わるものである。 質素であっても、懐かしいばかりの、遙かな思い出・・・・・。再び還ることのない思い出・・・・・。 私は子供たちに、何かの思い出を残してやれているのだろうか。これから先の年月で、何かの思い出を残してやりたい。それを、今年の目標のひとつに据えてみようか。
2012/12/31
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今年も、“掌説”は持ち越しになってしまいました。今でも、来年のことをいうと鬼が笑うのでしょうか。明日から“来年”なのですが・・・。 鬼に笑われる覚悟で宣言しましょう。“来年”こそは、書きかけの“掌説”を完結させます。 今回は、指ならしのつもりで、雑感などを記してみます。 安倍首相は、福島へは、何のために行ったのか。『行った』という実績だけを作りたかっただけだろう。その福島でこの首相は、何も見てこなかった。“心”が如何に欠けている人物であるかを、如実に示してしまった。未だに原発の“安全神話”を語り続ける姿勢には、呆れるほかはない。 自民党は、とんでもない思い違いと思い上がりをしているようだ。経済界の利権ばかりに目を向けて、国民の意識から顔を背けている。今回の選挙結果は、当面の課題として、国民は経済復興を選んだのであり、原発の危険性を認めなかったわけではない。経済問題の見通しが付けば(成功でも失敗でも)、国民の意識は原発問題の方に向く。 そのときに安倍政権が国民の意思に反していれば、国民は安倍政権を否定するだろう。原発問題は国民にとって“二番目の問題”になっていたに過ぎない。一番目の問題が解決できなければ、課題は“二番目”に移行する。 旧来の自民党に戻ろうとするならば、そして国民の受け皿になりうる政党が再構築されるならば、次の参院選では、国民は自民党を見限る。 安倍首相の感性が、野田首相並みであるならば、短命政権に終わるだろう。
2012/12/31
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招福祈念 昨年は、3月11日の大震災をはじめとして、今年も、そしてこれからもずっと続く原発“事故”処理、年末に入ってから、北朝鮮の独裁者の死亡と、あまりにも波乱に満ちた1年でした。 公私ともに・・・この“波乱”の一年がありました。今年は、そのようなことで、“謹賀”という文字を、どこか気持ちの中で、控えたい気分でもあります。 そのようなわけで、“招福祈念”をご挨拶の文字といたしました。今年のとりあえずの課題は、数年間放置状態にしている“掌説”を完結させることです。 これが完結しなければ、次に取りかかれませんので、とにかく、何とかしなければ、と思っています。 今年一年が、無事に、平穏に過ごせる年でありますように。へっぽこ政府に、生活を破壊されないようにと、強く願っております。
2012/01/01
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もう、古い話題になるが、日本の新しい船長に、野田首相が誕生した。 ご祝儀相場だろうが、支持率は急上昇。ついでに、民主党の支持率も、自民党のそれを逆転した。絶対的な『安定要素』があるわけではないので、政治姿勢によっては、すぐに激しく変動するのだろうが、『とりあえずは、期待しておこうか』といった数値なのだろう。 それよりも、前の菅首相が、以下に国民を苛つかせていたか、ということの裏返しの数値であるようにも思う。 内閣の顔ぶれは、なんだか頼りなさげだが、とりあえずこの内閣に、日本の復興を託してみるしか、仕方がない。 情報によれば、こんなとんでもない論説によって、まだ国民を誤った方向にリードしようとする、とんでもないマスコミがあるようだが、新内閣には、このような邪悪な力に負けない、本当に国民の未来を見つめる行政を、期待したい。
2011/09/07
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ようやく、『菅首相の退陣』が、レールの上を動き始めた。だがその後継首相候補が、どの顔を見ても頼りない。それならば、菅首相がその誰よりも優れているということか? いや、そんなことはない。評価が低い(低かった)菅首相よりも優れた候補がいないというだけで、菅首相そのものが、優れていたということではない。 だから、これが非常に困ったことなのだ。自民党の末期政権のように、民主党も『じり貧内閣』が誕生して、この非常時に、訳のわからない『小粒っこ内閣』が連続するようでは、国民生活の悲鳴が大きくなる。 この『国民の非常事態』時に、本当に『我こそは』と名乗りを挙げられる政治家がいるのか?単に、『歴代首相』という名前に列せられたいがために、『首相になれるのは今だけだ』とばかりに、色気を見せているのではあるまいか。 そんな意識の人物が首相になっても、ろくな操縦はできまい。大地震&大津波&原発事故の3大被災を、一気に被った東北地方を、本当に復興させる展望(ビジョン)を持った首相候補は、立候補予定の『有象無象』の中にいるというのか。 とても、期待できる状況にない。残念ながら・・・・・。でも、民主党政権は、まだ続く。否応なしに、この期待薄な候補者のいずれかに、次期内閣を構成してもらい、国民生活をゆだねるしか、仕方がないのだ。 自民党政権だったと仮定しても、この状況は大差ないだろうが、残念なことである。『ダメな民主党』に取って代われるような自民党でもないのである。 この主要原因は、議員の『世襲制』にあると感じている。東京都知事の石原一族のように、ほぼ家族ぐるみで、国民の税金に食らいついている者もいる。彼らに、政治家としての秀でた能力があればいい。だが、親の力で次々と議員になれただけで、それほど優れた政治能力が、あるとは思われない。 そんな彼らが要職にある自民党では、民主党がダメでも、それに代わる政治集団とは、認めにくい。自民党は、民主党と同じように『党首』だって頼りなさそうだし。 そこで、民主党の時期首相候補を見てみると、これまた、誰一人として、しっかりとしたイメージに結びつかない。 そんな中で、なんと! 海江田経済産業大臣までが、首相候補として立候補するという。私個人的には、この人だけは、まず第一にダメだと思っている。国会で泣いたから、という理由ではない。 この海江田という人物には、『広い視野』がない。経済評論家ではあったが、その分野でばかりものを見て、その結果、将来にわたって危険が大きく、事故が起きたときの経済的損失が莫大になる『原発』を容認して、再開を推進するために、被災地の現実を見る前に、佐賀県を訪問して、玄海原発の再稼働を、一刻も早く進めようとした。 その裏には、以前の日記にも書いたが、あの『卑屈な笑顔』の佐賀県知事が、世論操作をしていたという、とんでもないことが隠されていた。 そんなことはつゆ知らず、だろうが、海江田大臣に、その(再稼働推進)意志が強くあったから、趣旨を同じくする佐賀県知事のような輩が、取り憑いたのだろう。 この一件を見てもわかるように、海江田大臣は、『電力不足による経済損失』という一点にしか、目を向けることができない。 総体的に、将来性を考慮するよりも、即効性にしか注意が及ばない。これは、株価の上下で『一儲け』を企む『評論家』なら効果的だろうが、数十年後の日本の姿を描く『政治家』としては、決定的な欠点になる。 たぶん彼が首相になれば、増税路線に踏み出すだろう。その標的は『消費税増税』に間違いない。一旦踏み出せば、その理想が間違っていても、誰にも止めることができない。 その結果、民主党政権がつぶれようとも、彼の政治を止めることができないのだ。これは、現在の菅首相が、『誰も止めさせられない』ことを、実証して見せた。 だからこそ、危険な首相は、あらかじめ阻止しておくべきなのだ。別に、民主党政権が交代しても、国民生活に大きな変動(改善を含めて)は無いだろうから、国民にとっては、どうでも良いことなのだ。 政治家だけが、勝手に『権力闘争』を楽しんでいればいい。国民にとって、決して『楽しいこと』ではないのだが、政治家の本能は、止められないのだろうから、諦めておこう。 前原議員はどうか?以前は『青すぎて』破綻が目立ったが、今度は大丈夫だろうか。これまた、過剰な期待は禁物だ。失言、暴論は、彼の主義からして、避けられまい。 菅首相とは別の角度から、再び失敗に終わることが、目に見えるようだ。 こんなことを、候補者ごとに続けてみても、無意味だろう。誰がなるにしても、今と同じように、期待薄な内閣が誕生するのだろうから。 賛否は別にして、菅政権は、そして民主党政権は、菅直人が小沢一郎を排除したときから、終わっていた。 それならば、この日本は、誰に操縦を任せればいいのか。それが見えれば、誰も心配はしない。期待できる議員が存在しないから、日本の復興が見えてこないのだ。 小沢一郎という人物は、多くの人に嫌われているらしい。だが、彼が本当の政治手腕を持っているのなら、この非常事態において、彼の能力を排除する必要はない。『好き嫌い』を云々しているときではあるまい。 表現が不適切だとは思うが、彼(小沢一郎)が毒であるならば、『毒(小沢一郎)を持って毒(日本の危機)を制す』ということを、考えてみるのも一興ではあるまいか。 誰がやっても似たような結果にしかならない政治なら、被災地出身の彼に、『最後の力』を発揮して貰っても、良いのではないだろうか。 彼の『力』が偽物だったなら、そのときに、民主党政権は本当に壊滅するのだし、それはそれで良い(良くない?)のではないだろうか。 よろしければ、常磐線 駒ヶ嶺-相馬をどうぞ。http://www.youtube.com/watch?v=BEQEZudCF48&feature=related 原発による被災で、復興もできなくなってしまった路線です。こんなにも素晴らしい風景が、行くことも見ることも、できなくなってしまいました。 津波被害だけならば、復興はされたでしょうが、原発事故は、もうどうしようもありません。このような被災の危険性がある施設が、日本の至る所にあり、それをまだ推進しようという『首相候補』がいるのです。 原発のような危険性がなければ、新たなエネルギー開発のための『利権』に、政治家や財界が群がっても、許すべきかと考えるこのごろです。
2011/08/22
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国民栄誉賞は、王貞治(プロ野球)氏が受賞したときには、全く違和感を覚えなかった。 千代の富士(相撲)関が受賞したときには、政治家の無関心と言おうか、政治利用の臭いを感じた。 山下泰裕(柔道)さんのときには、あまり違和感を覚えなかった。 だけど、高橋尚子(マラソン)さんのときにも、政治利用の臭いが強すぎて、かなりうんざりした。 そして、今回の『なでしこジャパン』とやら。これ以上の政治利用はあるまい。もちろん、彼女たちの残した結果に異論を挟もうとは思わない。だが『国民栄誉賞』に値するのか? と考えると、完全に否定的にならざるを得ない。 過去の人たちやチームとのバランス云々もあるが、地を這うような支持率の政権が、何かと話題性のあるグループ(個人でも可)を探して、それを表彰することによって、政権自体も国民の評価を得ようという魂胆が、見えすぎているからである。 国民栄誉賞という名称が、こんなにも安易に『安売り』されて、その価値までが現政権と同じような低レベルに落ちてしまうなら、今回を限りに、国民栄誉賞なるものは、廃止したほうが良い。 高橋尚子選手のときもそうだったが、努力はどの選手もしている。だが、若すぎる人物は、その後の成績や行動に、国民の手本になれるような資質が備わっているのか否か、まだ未完成すぎて、判断できない。 今はまだ、『国民栄誉賞受賞者』の中から不祥事を起こした人が現れていないが、『不祥事続きの政府』が、安直に与えた『受賞者』の中から、将来は、何らかの問題児が現れないとは限らない。 そんなことは、現在の顔ぶれからはあるまいと思うが、このようないい加減な政府が、政治利用を目的として、賞を乱発するようであれば、この危惧が現実のものになるだろう。 高橋尚子選手のときにも、『まだ若すぎる』とか『貰えるときに貰っておけ』といった声があったと思うが、彼女に関しては、まさにその通りになったと思う。 たとえば谷亮子選手(当時柔道)のように、国際試合やオリンピックで、連覇を続けていたわけではない。 だから、受賞と同時に、坂道を転げ落ちてしまった。まさに『あのとき』に受賞を辞退していたら、二度とチャンスが訪れなかった選手だった。 一部のファンにとっては、今でも人気の的なのかもしれないが、もの(賞)は『国民』栄誉賞なのである。国民から簡単に忘れ去られるような人では、受賞に値しないだろう。 この例を当てはめてみれば、『なでしこジャパン』の国民栄誉賞授与も、あまりにも時期尚早だったと思う。 少なくとも、オリンピックで『銀メダル』以上を獲得でもしたら、そのときこそ、授与すればいいのだ。全くの偶然では、ワールドカップで優勝はできないはずだが、ある部分で、偶然に優勝することもあり得る。 それでも、国民を熱狂させたのだから、授与に値する、と言われれば、そうなのだろう。 だがそれならば、長期にわたって国民を楽しませてくれていながら、受賞対象にもならなかった人たちは、なぜなのか? その基準を知りたい。 水泳の北島選手、ゴルフの石川選手、ワールド・ベースボール・クラシックで連覇を成し遂げた日本野球チームの選手たち。ゴルフでは、女子で世界のトップクラスにランクされた、宮里藍選手も、選ばれる資格がありそうだ。 どうも、スポーツ選手が目立ちやすいからか、これらの競技選手に偏りがちだが、映画の北野武(どうせ断るだろうが、受賞しちゃったら笑える)さん、古賀茂明(東電批判で辞職を迫られる)氏なども、国民目線では、受賞対象者にしても良い。 政府にとって都合がいい人(グループ)を授与対象にしたいのだろうが、ここまで価値が軽くなってしまった『国民栄誉賞』なら、いっそのこと、一般国民が知らない人に与えて喜ばしても、意外性があって面白いではないか。 どうせ、今後も支持率が浮上する可能性がない菅内閣なのだ。この際、一気に国民栄誉賞を大乱発して、過去の政権が『政治利用』をし損なった人たちに、まとめて授与してしまったらどうか。 破れかぶれの内閣なのだから、このくらいの置きみやげを残しても良い。こんなに値打ちを下げられてしまった『国民栄誉賞』など、実績がある人なら、辞退者が続出するかもしれない。 それにしても、菅内閣は、若い『なでしこジャパン』に対して、むごい仕打ちをしたものだ。彼女たちはその『重さ』を感じていないだろうが、彼女たちの将来は長い。 『国民栄誉賞』という名の重みを、背負い続けられるだろうか。 それとも、菅内閣がつぶれたときに、『貴重なお宝』として、さっぱりと売り払ってしまうか?そうすれば、重圧などを感じずにすむかもしれない。 まぁ、ともかく『受賞』は決まってしまった。彼女たちには、次の目標(オリンピック)に向けて、出場できるように頑張っていただきたい。 オリンピックでも優勝、なんて期待はしないが、予選敗退などということがないように。 国民の期待を、女子ワールドカップのときだけで終わらせないように、持続させてほしいものである。 思いっきり軽い、しかも潰れかけた内閣からの、政治利用がプンプンと臭う受賞だが、その値打ちを『本物』に高められるかどうかは、今後の彼女たちの活躍にかかっている。『内閣の最後っ屁』を、彼女たちに嗅がせたのでないことを祈りたい。 今日の“ふるさとの歌”のリンクは、松島紀行http://www.youtube.com/watch?v=a7irVEkWdBc&feature=related よろしければ、1~3年前のJR東常磐線夜ノ森~富岡右側(山側)車窓もどうぞ。http://www.youtube.com/watch?v=rBbu2ckaJDY&feature=relmfu
2011/08/02
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いよいよ、地デジ化強行の期限が迫ってきた。残すところ、あと2週間弱だ。 本当は、こんな政策は不必要だった。だが『時の政府』は、『経済振興策』の一端として、地デジ化政策を進めた。 原発推進政策よりも、後世に残す災いは少ないだろうが、政策を知らないうちに押しつけられることになった国民にとっては、とんでもなく迷惑なことである。 原発推進と地デジ化のどちらもが、自民党政権のなせる仕業だが、民主党政権のふがいなさに、旧政権のそんな『悪さ』は、忘れられがちである。 この地デジ化は、強行することで、産業界には利益が大きい。テレビ(放送)事業者にとっては、特にメリットは無くて、無駄な費用がかさむだけで、関わりたくない事業だったと想像できる。 唯一、メリットがあると考えたのがNHKだったのだろう。施設への投資資金も、『皆様の聴視料』からふんだんに捻出できるから、困ることはない。 デメリットよりも、政府の決定に従う方が、聴視料に関する『法制化』などで、有利な展開(メリット)が期待できるのである。 時の政府(自民党)は、地デジ化を進めることで、産業の活性化を企てたのだ。テレビ局が『設備投資』に費やす資金はもとより、各家庭が受信機(テレビ)を買い換える需要が、莫大な金額になる。 その関連商品への『買い換え需要』も、総合すれば非常に莫大な金額になる。 この『強制的な需要喚起』によって、経済は活性化する。そのためには、国民に『負担』という付けが回されても構わない。各家庭の負担額は、広く浅いものになる。 各家庭にとっては、大きな負担になるのだが、政治家や財界の要職にある人たち、そしてNHKの職員などの高額所得者にとっては、全く問題にならないほどの『微々たる金額』でしかない。 たぶん、上記のような理由によって、地デジ化は決定された。そして、その理由付けとして、『電波の有効利用』が、とってつけたように利用された。電波の有効利用というならば、別にデジタル化にこだわる必要はなかったのではないか、と思う。 電波の圧縮技術や、FM電波をナロー(狭帯域)化する技術、シングルサイドバンドの完成度を高めて移行させる、などの技術を研究すれば、デジタル化にとらわれずに、どうにかできたようにも思うのである。 この際に、旧態のアナログテレビを、そのまま利用できるように、コンバーターだけで対応できるようにする。 現在の技術では、受信システムにかかる費用は、そう違わないかも知れない。それならば、地デジ化でも良いではないか。 そう思われそうだが、テレビ本体を買い換える必要があるのと、コンバーターの設置だけで済ませられるのとでは、かかる費用には、大きな差が出る。 当然のことに、アンテナ交換にかかる費用は、全く生じない可能性がある。 電波の有効利用なら、テレビの帯域をあけなくても、携帯電話などの『新規需要側』で、帯域圧縮技術を高めればいい。 何よりも、テレビを地デジ化することで、電波帯域にどれほどの余裕ができたのか、一般国民は知らない。もちろん、私も知らない。 このようにして余裕を持たされたはずの電波帯域は、テレビへの『非常用放送電波』(FMアナログ電波)や、双方向通信、番組表示などの付加放送等々によって、かなりの部分が消費(浪費)されてしまっていそうに思える。 これらの電波の使用帯域については、説明されていない。別に、テレビに『双方向通信』などを、求めてはいなかったのだが。それよりも、そんなシステムができても、将来にわたって、それほど重視されるほど活用されるとは、考えにくい。 これは、テレビ局側の人員の問題でもある。たぶん、こんな電波の利用も、無駄になることだろう。 と、このようにして強行されようとしている地デジ化だが、この機会に『悪のり』をして、ボロ儲けをしようとしている輩が居るようだ。 地デジ関連商品が『品薄』あるいは『品切れ』になっていて、入手困難になっている。政府は、経済的に困窮している家庭には、コンバーターを無料配布するなどして、地デジ化の普及率を上げようとした。 だが、販売業者のほうは、これを『千載一遇』のチャンスと捉えて、『儲け』に利用としている。移行期限が迫れば、商品の品不足が生じることは、そのときを迎えるまでもなく、当然に予測できたことである。 政府(総務省)も、安価なコンバーターの開発を指導して、企業もその努力を行う(行った)はずだった。 しかし、現実はどうなのか。安価(と思われる程度)な製品を発売した企業は、ほんの数社に過ぎない。 有名な家電メーカーに至っては、安価な製品どころか、チューナー内蔵のビデオデッキや、地デジ対応テレビと、価格的に大差のない商品しか、発売していない。 儲けを最優先して、『地デジ普及』への協力姿勢など、全く見せてくれなかった。 それに加えて、何らかの業者が、低価格のチューナーなどの関連商品を、買い占めてしまったらしい。 これでは、地デジの普及は、経済的に中途半端な層を中心として、滞る。高額なチューナーと、高額なアンテナしか市場に出回っていないのだから、『様子見』をする聴視者の間で、普及が停止する。 低所得者や生活困窮者なら、役所などから補助がされたり、機器が提供されるのだろうが、中途半端に収入があるから、その恩恵から外される。 それならば『様子見』をするか、『テレビから離れるか』という選択をせざるを得ない。 総務省とNHKは、これでも地デジ化を強行するのか。地デジ化の強行は、原発推進の強行と、似たような構図がある。 地デジ化についても、一旦『お上』(役人)が決めたことは、メンツにかけても変更はしない、という姿勢である。 さすがに、巨大な天変には、役人や利権団体も抗うことができずに、被災地の東北3県については、地デジ化実施の延期を決めた。 だが、ちょっとよく考えて欲しい。被災地だけの実施延期を決めたなら、地デジ化の大前提だった『電波の有効利用』はどうなるのか。 日本全国で、ほとんど一律に実施しなければ、全国に共通する『電波の有効利用』は、できまい。 それに加えて、強行される地デジ化実施は、多くのテレビ難民を、間違いなく生み出す。その結果、地デジ化の『一時延期』、または『アナログとの並行運用』を、余儀なくされる。 総務省が発表する『地デジ化対応済み家庭』の比率は、原発の安全性発表に似て、自己に都合が良い数字を『捏造』した結果に過ぎない。 実態は、『地デジ費対応』の家庭が、数多く取り残されていると予想する。 集合住宅(マンションなど)の屋上に、地デジ対応のアンテナが設置されていれば、その集合住宅の戸数は、すべてが『地デジ対応済み』だと、カウントしているらしいのだ。 そんな身勝手なカウントは、意味をなさない。だから、現実問題として、多くの『非対応家庭』が、発生するのである。 だがそれでも、総務省は地デジ化を強行して、再検討など、するつもりはないのだろう。 情報源の取得については、パソコンを利用したインターネットなど、媒体が多様化している。別に、テレビにこだわらなくても良い。 そんな家庭や個人が、間違いなく増えている。地デジ化をきっかけにして、テレビ離れは確実に加速するだろう。もしかしたら、地デジ化が『メディアの大変革』のスタートになるかも知れない。 テレビ局のいくつかが、整理されるかも知れない。そうなれば、それは総務省の手柄であるだろうし、NHKの身勝手さが招いた結果であることになるだろう。 業界全体で、テレビ離れを加速させようとしている。地デジ商品で『ボロ儲け』をたくらむ輩は、一時的に儲かれば、あとは野となれ山となれ・・・なのだろう。 ひどい現実である。安価な商品に至っては、販売価格を上回る価格で『直販』されている。 日本が自由経済社会だからといって、当初の発売価格(メーカー水晶価格?)を遙かに上回る価格で、公式に販売されるのは、いかがなものだろうか。 震災直後の『ランタンなど』の震災関連商品の、異常な値上がりに似た現象である。 異なるのは、震災は『天災』(結局は人災なのだが)なのに対して、今回の地デジ値上げは『人災』(純粋に人災だけ)であることだ。 『ボロ儲けをたくらむ業者』と総務省は、一体となって国民を痛めつけている、と思わざるを得ない。 国民の側は、「地デジチューナーを安く買えた!」なんてのんきに喜んでいる場合ではないのだ。『地デジチューナー』など、本来は買う必要がない商品だったのだから。 この商品には、憎らしいことにコピー制限が掛けられる『B-CASカード』(ICカード)なるものが添えられていて、それを挿入しないと、使用できないようになっている。 どうやら、日本独自のガラパゴス(利権)構図が、ここにも見て取れるのである。 政権は交代しても、『利権の構図』だけは維持される。残念であるが、それが日本の姿(日本人の心)であるらしい。 今日の“ふるさとの歌”のリンクは、北上夜曲http://www.youtube.com/watch?v=ejk-7mw3Uls&feature=related 同じ歌ですが、こちらの『北上夜曲』もどうぞ。彼の登場シーンは少なくなりましたが、ご当地歌手です。http://www.youtube.com/watch?v=XNcFfzO2e7A&feature=related よろしければ、1~3年前のJR東日本山田線もどうぞ。http://www.youtube.com/results?search_query=JR%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B1%B1%E7%94%B0%E7%B7%9A&aq=f
2011/07/11
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震災被災地の宮城県を訪れた松本龍復興担当大臣が、非常識な発言を連発したらしい。 もともと不用意な発言が危惧された議員だったようだが、菅首相はなぜ、こんな人物を『復興担当大臣』に任命したのか。民主党は、それほどまでに深刻な人材不足なのか? 議員数だけは、国会内で圧倒的多数なのに、適所に配する適材は、見あたらないと言うことか。そのために、自民党から、強引な『引き抜き』をやらざるを得なかったのか。 そうではあるまい。死に体どころか、方々で壊死が始まっている菅首相の周辺に、体力を回復させるべき人材が、見あたらないと言うことだろう。 協力してくれる人材が、民主党内部にいないというならば、政治は行えまい。政治を行うためにも、菅内閣は解散すべきなのだ。 今、日本は、東北地方から始まった『被災』によって、不安の中に進行しつつある。この不安を払拭するためには、強力な『政治力』が必要だが、菅内閣はかけ声だけの復興で、実体を伴わずに、『担当部署』と『担当大臣』ばかりを増やして、責任部署を曖昧にしてしまっている。 復興担当大臣と同じで、菅首相も、被災地の町名などを聞いても、それがどこにあるのか知らない、といった状態なのだろう。 知らないと言うことは、興味がない、ということにも通じる。興味がないところの『復興』に、力を注げるはずがない。 だから、被災地の復興が、遅々として進まないのだ。被災地では、『義捐金の配分』などを求めてはいない。とにかく、死ぬ前に集まっている義捐金を、困っている人に供給してくれ。『誰に渡そうか』なんて、考えていられたら、その間にも死ぬ人が出てしまう。 死人が出る前に(すでに出ている)、被災者ではない人が混じっていても構わないから、とりあえず『生きるための金』を支援して欲しい。 被災者だったか、そうでなかったかなんていうことは、数年後にでも、落ち着いてから調査をし直せばいい。 被災地の被災者たちは、今、それほどの状況におかれている。 私が今朝、福島県郡山市に電話をかけて、知人から直接伺ったので、『深刻な状況』は間違いがないと、確信している。 その知人は、農業に従事していて、東電の社員(複数で来たそうだ)を呼び寄せて、責任の取り方を追求したそうだが、回答を得られなかったという。 被災地のこんな状況下にあって、ダメな威嚇(ふつうに返還したら、こんな文字になった=ダメ内閣)のダメ大臣に、復興を任せていては、ラチがあくまい。 ダメ大臣の『アホ面』を並べるようでは、トップに居座る菅首相の器のサイズも、充分すぎるほどに、見えてしまう。 だからといって、『原発利権』にどっぷりと浸りきっている自民党を、また政権党に復帰させたいとは思わない。 さてさて、困った日本の政治家どもだ。 今日の“ふるさとの歌”のリンクは、 復興が進まない地域でも、星空を見上げて、『必ず復興する』という希望を持ちたくなる歌だと信じます。 最初の一歩がなければ、復興に向けての見通しは立ちません。 現内閣は、その『第一歩』を踏み出していません。政府の、一刻も早い『第一歩』の足跡を期待します。星影のワルツhttp://www.youtube.com/watch?v=78_v3p5HOfk&feature=related 同じ歌ですが、こちらの『星影のワルツ』もどうぞ。http://www.youtube.com/watch?v=fLagu9UKrt4&feature=related よろしければ、常磐線鹿島→原ノ町間右側もどうぞ。http://www.youtube.com/watch?v=8UiZumfC4UM&feature=related
2011/07/04
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『卑しい顔』という点では、原発村に取り込まれた海江田経産相の、福島の事故処理に目途が立たないのに、『国家が安全を保証する』などと、玄海原発の稼働再会を後押しする姿勢や、補助金ほしさでその言葉に飛びついた佐賀県知事の『卑しい顔』が代表的。 今では、菅首相を凌ぐ『卑しい顔』はあり得ないかと思っていたのだが、現存したことに驚いた。 言葉は『多少』悪いが、海江田経産相のコメントと表情を見たら、『国民の幸せ』よりも、目先の自分の利権しか捉えていない、視野狭窄を起こしたバカ大臣、いや『馬鹿者』の顔に見えた。 経済と産業のためなら、福島県民の被害も、今後起こりうる可能性を否定できない原発事故による、国民の安全をも、全く度外視してしまった。 これは、ある意味での自己中心主義者。今後起こりうる原発事故による被害は、日本国民を滅ぼすばかりでなく、その被害を世界規模に拡大させる。 日本の原発は、それほどの規模を持っている。福島の被害が収束しないうちに、玄海でもどこでも、第二の原発事故が発生したら、今の日本の技術では、絶対に処理しきれない。 そんな事故に対して、『安全対策は充分に施された』『書類で対策をとったと報告されているのだから、大丈夫』『原発は必要だから、早く再稼働をしていただきたい』なんて、どんな基準で要請できるというのか。 議員になる前は、まともな意見を述べる評論家かと思っていたのだが、全く議論にもならない『原発利権グループ』からの圧力に、簡単に屈してしまった。 彼が率先して、原発利権の中に身を売ったとは思いたくない。だがあの軟弱な顔を見ると、簡単に圧力に屈したであろうことは、想像できる。 原発の安全対策は充分に施されたから、再稼働をお願いする、ということは、菅首相の『脱原発』の意志にも反する。 その経産相の動きに対して、菅首相がそれを容認してしまった。今更驚くことではないが、首相のこの『腰の定まらなさ』にも、あきれ果ててしまう。 首相のことはさておいて、海江田経産相は、『事故に対しては、国家が安全を保証する』と、佐賀県知事に理解を求めたという。 だが県知事は、その言葉を待ち望んでいたのだろう。いや、会見前に、経産相と県知事は、事前に発表内容を検討して、同意できる内容に調整していたことだろう。 県知事としては、県民や国民の理解など、どうでもいい。たっぷりと補助金がもらえる事業が継続できる。そのための条件を政府から与えられた。 政府(経産省)は、佐賀県知事が言い訳をしやすいような内容を与えた。 これは、双方にとって利害が一致することなのだ。佐賀県知事の『嬉しそうな顔』が、あまりにも惨めに見えた。 金(補助金)ほしさに、魂を売り渡した人の顔だ。要職にある政治家の、あんなひどい顔は、見たことがない。 おふたりとも、世界の人類に敵対する、即刻罷免したくなるような、ひどい政治家だ。 特に海江田経産相の、『国が責任を持つ』発言は、とんでもない思い上がりだ。 『国が責任を・・・』とは、何を持って責任をとれるとするのか。まもなく解体・消滅しかねない民主党が、『責任を持てる国家』を云々できる政府だとは、とうてい考えられない。では、責任をとれる『国家』とは何なのか。 民主党政権の後を継ぐ、どこかの政府なのか。どの政府だろうと、こんな杜撰な『原発推進要請』の、後始末で、事故が起きたときの責任など、とりたいはずもない。 さらに言えば、海江田のバカやローが言った『国家が責任』の国家とは、『国民』のことなのだ。『国民』に責任を押しつけるなら、経産省などといういい加減な役所が一存で決めずに、国民投票を行って、本当の『民意』を確認してからにして欲しい。 残念ながら、福島原発の被害が収束していないどころか、今後数十年に及んで、被害が継続する、場合によっては、さらに被害が拡大するであろう状況下で、佐賀県の玄海原発や、その他の原発の再稼働など、私は認められる状態にない。 それよりもまず、こんな結論しか出せない、国民に信を問うこともできない経産大臣など、絶対に認めない。 ついでに、佐賀県知事のあんたも、玄海原発事故の発生によって、被害を被るかも知れなくて、福島原発事故による影響は、確実に被っている一国民として、許すわけにはいかない。 状況は、佐賀県という『ド田舎の地方政治』に止まる話ではない。海江田経産相は、『佐賀県』というアホな知事が居る地方に、事態を矮小化して進展させて、事実を積み上げようとしたのだろう。 その考え方が、根本的に間違っている。ひとりの『人類』として、地球の『生命体』の一員として、許されざる過ちだ。 もっと広い視野で、『世界の人類の未来のために』という視点で判断ができないなら、経産省などという利権組織のレベルで、原発問題には、関わるべきではない。 海江田は、菅直人とともに、政治家生命は、この一件で終わった。終わって欲しい。菅直人はそのつもりだろうが、海江田万里も、共同責任において政治生命は終わり、同時に評論家活動も、政治家引退後にも行わないで欲しい。 こんな『権力(利権勢力)』に流されるような評論家の言いぐさなど、今後、テレビ番組に登場しても、まともに聞く気にはなれない。 原発に関連する記事は、こちらやこちらで、とんでもない内容が暴露されている。 今日の“ふるさとの歌”のリンクは、 福島県などでは、田植えのシーズンですが、果たして農作業がどの程度できているのでしょうか。 心配をしながら、の歌です。田植http://www.youtube.com/watch?v=as1GtfFCVxo&feature=related よろしければ、磐越東線 いわき→赤井→小川郷もどうぞ。http://www.youtube.com/watch?v=URblsOfu3TQ&feature=related
2011/07/02
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今年も、アメリカ・大リーグのオールスターゲーム開幕が近づいている。日本人選手は、何人が出場できるのだろうか。 ファン投票の途中経過は、イチロー選手が、外野手部門で6位(前回発表は5位)だった。松井選手は、DH(代打)部門で微妙な位置にいる。 現状では、ふたりともファン投票での出場は難しいかも知れない。先日、私も投票に参加をしたのだが、残念ながら、順位を下げてしまった。 そのときには、アメリカの大リーグサイトを英文で見て、四苦八苦しながら投票したわけだが、今日、そのサイトを再度確認したら、『日本語のページ』があるではないか。なにも、難しい英語を眺めている必要はなかったのだ。 ファン投票は、インターネットから簡単に投票できる。興味があるかたはこちらにアクセスして、日本人選手に投票をして、応援していただきたい。 なんと! ひとりが25回まで投票できるようだ。しかも、一度投票をすると、次回からは簡単に同じ選手に投票できる『ワンクリックボタン』が出現する。 非常に簡単に、追加投票ができるのだ。遊び半分に、ちょっと覗いてみていただきたい。『ホームラン競争に出場させたい選手』といった選択もできるようだ。 またさらには、オールスターゲームゲームの観覧チケットも、このサイトから購入できる。私には、その余裕も資金の持ち合わせもないので、今年もテレビ観戦で済ませることにしましたが。 投票の締め切りは、6月30日なので、お早くどうぞ!
2011/06/23
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海江田経済産業大臣が、原発の安全性が確認できたので、『再稼働を容認する』と発表したようだ。 現在の福島原発が、事故の収拾どころか、漸く稼働したかと思われた排水の循環装置が、簡単に作動を停止してしまい、その回復の目途さえ立っていない。 こんな時に、安全処理が済んでいると、『机上の書類』だけに目を通して、安易に再稼働を容認するなど、政府の『無責任体質』がそのまま白日の下に晒されたとしか思われない。海江田大臣に、どれほどの原発利権が絡んでいるのかは知らない。 しかし、国民世論の不安と心配に思いを馳せることなく、簡単、単純に再稼働を認める判断を下すなど、思考回路が壊れた『原発再開容認』としか受け取れない。これには非常に驚き、且つ失望した。 これでまた次期首相の候補が、ひとり消滅した。海江田大臣も、これほどまでに浅はかな人物だったのか。 国民の怒りを代弁するように、橋下大阪府知事が、怒りの発言をしている。何かと個性の強い府知事だが、この発言だけは支持をしたい。 今日の“ふるさとの歌”のリンクは、 今回も演歌になってしまいました。演歌以外にも『ご当地ソング』があるようですが、聞いていると頭が混乱するレベルの・・・(以下略)。みちのく未練雨http://www.youtube.com/watch?v=At4l1YTMuZw&feature=related よろしければ、1~3年前の三陸鉄道沿線の風景もどうぞ。http://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%89%E9%99%B8%E9%89%84%E9%81%93&aq=1&oq=%E4%B8%89%E9%99%B8
2011/06/18
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今更、自民党幹事長だからといって、石原伸晃議員を取り上げても、それほど意味のある人物だとは思えない。 もともとが、親父・石原慎太郎のバックがなければ、国会議員になどなれる器ではなかったのに、『親の威を借る・・・』を地でいって、自民党の幹事長になっているだけ。 それが、身の程をわきまえずに、したり顔で偉そうに他者を批判する。こんな小物が党の要職に就いているから、自民党にも、安心して政権を戻せないのだ。 この石原、言うに事欠いて、と言おうか、出身のテレビ局員だった頃にも、こんなにも言葉を粗末にしていたのかと、疑ってしまうほどにひどい言葉を、公式の場で吐き捨てた。 曰く、「(イタリア国民は)集団ヒステリーだ」と宣ったのだ。 原発の賛否を問う国民投票において、圧倒的多数で『原発反対』という結果になったことを受けての発言だが、その原因を作った『日本の政治家』が言うべき言葉か? たぶん、予想をするに、原子力関係において、彼は巨額に利権を得ていたから、今後も、日本の原発が推進されなくては困る立場にあるのだろう。 もしも、日本でも国民投票が実施されて、原発反対が圧倒的多数になると、政治家がその結果を無視して『原発推進』を続けることはできない。 日本には、このようなケースにおいて『国民投票』ができる規定はないらしい。だから、現実には、イタリアと同様のことは起こりえないのだが、『世論』というものの盛り上がりがあれば、それを無視できないだろう。 そこで、先手を打って『予防措置』を行った。自分の『利権』を守るためには、今後のさらなる被害拡大も、東京を含めた『退避』をも、全く問題視しない、と言うことだろう。 こんな人物が、もしも指導者になったとしたら、菅内閣による『国民不在の政治』と、何ら変わらないだろうし、さらに悪化する恐れも大きい。 これは、全くの想像に過ぎないのだが、自身の原発利権ばかりを守ろうとする一心が、つい零れ出したのだろうと、推測(邪推)をしてしまう。 親の力がどれほどのものかは知らないが、俳優軍団の力までを借りて政治家になった姿は、薄っぺらな芝居用の『狩衣』だったと言うことだろう。 いい歳をした大人なのだから、自分の言葉には自分で責任を負ってもらうのが筋だが、『親であり作家』である石原慎太郎・東京都知事も、この一件については、子供の不見識を咎める発言があってしかるべきだ。 子供の不始末に、いつまでも親が引き出されるのは、悪い風潮だ、と言う意見もありそうだが、石原慎太郎が生み出した国会議員であり、野党とはいえど、自民党の幹事長である。 しかもお二人とも、片や文章を生業としていて、一方の息子は、言葉を生業にしていた。双方ともに、方法に多少の違いはあっても、『自分の意志を世間に発表する』と言うことにおいては、似たような職業であったわけだ。 以上の点を考慮すれば、息子の不見識に対しては、親が教授しても良さそうに思う。 それとも、この親にしてこの子あり、の典型だったか?とにかく、この一件で彼(石原伸晃幹事長)の近い将来の『閣僚就任』はなくなった、と見るべきだろう。 件の発言は、日本国民をも愚弄し、恫喝するものでもある。そんな発言を、思慮浅く発言する政治家を、日本国民は、指導者に持ってはいけない。 彼の例を見ると、今はまだ人気絶頂に見えるが、小泉純一郎・元首相の『世襲議員』もまた、公式発言が増えるにつれて、馬脚を現しかねない。 親の力で国会議員になって、苦労知らずで持て囃されるような『坊や』には、共通した『愚かさ』がありそうだ。 そのような『愚かな議員』が多くなって、日本の政治を行っているから、日本全体の復興が遅れてしまうのだ。 この事態を選んでいるのも、また日本国民ではあるのだが。世界的に見て、指導者は『国民を映す鏡』なのだろう。日本国民は、菅首相を見ると、『ねばり強さ』が偲ばれる(苦笑)。と同時に、『いい加減な体質』も偲ばれる。 東電が、初期段階でアメリカの応援(対策)を断って、このような収拾が困難な重大事故に陥らせたのもそうだし、『日本では原発事故は起こらない』と言い張って、事故に対する備えを怠ってきたこと、事故が起きても、過小評価をして、さらに事態を悪化させる性質も、そうだ。 こんな『未来にまで付けを残す』原因を作ったのが、自民党政権だった。そのことを忘れての『集団ヒステリー』発言。若い幹事長の知らぬ世代のこと、と言われたら困る。 民主党から政権を取り返そうというなら、自民党は幹事長を含めて、『民主党の対応のまずさ』を、あざ笑っている場合ではあるまい。 民主党と同様に、前回の衆院選敗北という『国民の意思』を、総括もしていないではないか。 一刻も早く出直して、党を立て直して、民主党に取って代われる政党になって欲しいものだ。 そのためには、石原伸晃幹事長に対する、自民党としての見解を、明白に表明することが、第一歩の取り組みになるだろう。 今回の記事については、
2011/06/16
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菅首相の『辞任』は、既定の事実になっている。・・・はずだった。だが、首相は未だに、政権運営に意欲を見せている。内閣の内部からでさえも、早期辞任が適当だという声が上がり始めているようなのに、首相ご本人は、意欲満々なのだ。 その『意欲満々』だが、大震災の復興に向けた道筋ができるまで、というのが、首相の『辞任』への目途になっているらしい。 だがそれはいつなのか、ということになると、見通しが立っている話ではない。さらに、今後数年間は、見通しが立たないかも知れない。 特に『原発事故処理』に絞れば、さらに見通しは不透明になる。 このことは、言い換えれば、菅首相は、今後数年間は、自分から辞めることはない、ということに、置き換えることができるのかも知れない。 さすがに、それは国民も周囲も許さないだろうが、現状は『原発問題の処理』に注目が偏っていて、津波を含む大規模震災による『被災者救済』のほうは、ややもすると、忘れられがちになっている。 原発問題は、今後数年以上も継続する重大事故だから、それを抜きには、何事も進められない。 今回の大震災の復興で難しいのは、地震の揺れによる被災に加えて、こちら(津波)のほうが甚大だったわけだが、津波被害の復興も、併せて進めなければならない。 この2点だけでも、処理が大変なのに、東電が築きあげた『ずさんな人災』という、地震を凌ぐような災害が加わってしまった。 これらの巨大被害から、一日も早く復興させるには、従来では予想できなかったほどの、強力な指導力を発揮できる政治家が、必要になる。 だが与野党のどこを見回しても、そんな指導力のある人物は、朧にも見えてこない。 菅首相の『能力不足』は明白になった。そこで、与野党の議員たちが、菅降ろしに動き始めた。だがここで問題になるのは、『それでは、菅直人首相に代わる指導者は誰なのか』という有力な人物像が、見えてこないのである。 こんなことでは、菅首相を辞めさせても、それ以上の対策が期待できない。 こんな非常事態時に、政治家が混乱に中にいたのでは、復興の見通しなど、つくわけがない。 原発問題の収束を初めとして、地震被害の復興など、今後に噴出する諸問題に対応できる、非常時の政治家が出現して、国民に将来の希望を持たせてくれることを、強く望みたい。 今日の“ふるさとの歌”のリンクは、 少し時季はずれですが、北国の春http://www.youtube.com/watch?v=RVhphSFZxcE&feature=related よろしければ、こちらの北国の春もどうぞ。http://www.youtube.com/watch?v=uu7qMyssJ7o&feature=fvwrel
2011/06/14
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菅直人首相が、自身の退任時期を、『常識の範囲内で』行うと、表明したらしい。 新聞記事に、それらしいことが書いてあったので、たぶん間違いなく、そのような発言をしたのだろう。 でも、ちょっと待て!『常識の範囲内』というのは結構だが、その『常識』には、結構個人差があって、ある人の『常識』が、別の人にとっては『常識にあらざる』ことがある。 そんなに簡単なことではないのだ。特に、どうやら『非常識な人物らしい』と、疑いの目で見られている人に対しては、世間の目は『常識』の範囲についても、信用をしていない。 現在生きている人たちが、かつて経験をしたことがない、非常に大きな災害に見舞われたときに、その対策ができずに、右往左往した指導者の『常識』など、信用できるはずもない。 その『指導者』=菅直人首相=は、自分が的確な判断を下して、被災に取り組んだと自負しているのだろうか?もしも・・・もしも、自分では『うまくやってきた』と、『これからも手際よく復興に取り組める』と思っているならば、やはり『一般の常識』からは、外れていると言わざるを得ない。 多くの国民が、首相交代に否定的なのは、交代をしても、次の首相が『うまく処理できる人』かどうかわからない、その『次の首相』候補が誰なのかもわからない、先の展望がないのなら、最悪の選択ではあるが、今の内閣に任せるしか、仕方があるまい。 と、このような『マイナスの選択』の結果、内閣の存続を肯定しているに過ぎないのだ。 だが首相は、この国民の気持ちを、誤解してはいないだろうか。内閣支持率が低くても、『すぐに辞職すべし』という人は少数派だ。このことで、『継続すべし』が『一般の常識だ』などと、変な解釈をされては困る。 確かに、収束が見えない原発事故の処理問題や、津波被害者が困り切っている現実を見れば、『今、首相を交代させるときではない』という気持ちも、当然のことに思える。 しかし、このことは『首相交代の是非』に当てはめるべきことではなく、『政争に明け暮れて、被災地を忘れる』愚策をやめて欲しいという、これまた、止むに止まれぬ状況から、このような結果になっているのである。 再び、菅首相の『常識の範囲で考える』に戻すが、客観的に見て何も実績を残せずに、震災対応も、何もできていない首相でありながら、首相の座は手放したくない。 こんな程度の低い『国家の指導者』の常識など、どこに期待ができようか。「菅首相が辞めるならば、自分ならこのような復興策を提案する」「自分なら、復興の優先順位や政策はこのように行う」と、国民にわかりやすく、そして希望を抱かせる言葉で、名乗りをあげて、首相に辞任を迫る。 そんな政治家が、与野党のどちらにも居ないらしいことが、大変に残念である。 自民党の後藤田議員を例に出すまでもなく、世襲議員に『親を超える』人物が出ることは少ない。だから、日本は、バブル崩壊後に『失われた30年』を迎えることになってしまうのだ。 菅首相は、置きみやげに『消費税増税』などを、残してくれなくても良い。議論もなく、問題点が未解決のままの消費税を、『辞任と引き替えに』勝手にアップなど、御免被りたい。 話が少し飛んだ。 菅直人議員が、どの程度の『常識の範囲』に収まっているのか、国民の誰もが知らない。疑問だけは、持っていると思う。 彼が『常識の範囲』というならば、どこかの『中立的な機関』が、菅首相に『常識のテスト』を行ってみてもらえないものだろうか。 その結果がわからなければ、首相の辞任時期など、予想もできない。また、予想をするだけ無駄、ということになるだろう。 今日の“ふるさとの歌”のリンクは、智恵子抄http://www.youtube.com/watch?v=4KMLS2-HAVs
2011/06/08
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菅直人首相には、手腕を期待していた。内閣総理大臣に選出された当初は、確かに支持していた。 だが、就任直後から小沢一郎議員を排除しようと、多くの努力目標をその一点に絞ったかのような行動を見て、支持する気持ちが一気に衰えた。 朝日新聞などは、小沢嫌いがあるらしくて、その『反動』として菅内閣を擁護しているようだが、違和感はふくらんだ。 民主党が政権の座につくことができたのは、小沢一郎議員の功績を無視しては、語れないのではないか。裏から操られるのは適わないことだろうが、その部分にさえ注意をすれば、政治家として『修羅場』をくぐり抜ける経験は豊かなのだし、彼の政治手腕を活用しないという手はなかった。 小沢議員を排除して、国民の喝采を浴びたのか?排除しなければ、国民の批判を浴びたことは、間違いなかろう。だがそれでも、小沢議員は、『それなりに』遇されれば、国民の批判には、自身で対処を考慮されたかと思う。 いずれにしても、小沢なら勝てたのか?と疑問を呈される国政選挙だが、これまでに見られるような『惨敗』結果は、なかったかも知れない。 国民と『疎遠な政治』を行う菅首相と違って、小沢議員は、選挙対策においては、的確な指示を出してきた人物だ。 政権を維持するためならば(という不純な動機?)だとしても、このたびの大震災への対応も、菅内閣を、適切な方向に誘導してくれたのかも知れない。 これらの可能性を、菅首相は就任初期の段階で、すべて排除してしまったのだ。柔軟な対応策を講じなければならない非常事態にあって、岡田幹事長のように『堅いだけで柔軟さが足りない』議員や、枝野官房長官のように、まだ経験が浅い議員が首相の周辺を固めても、非常事態には対応しきれない。 だからといって、小沢一郎ならどうにかできたのか?それはわからない。だがしかし、協力されなくなって、何らかのメリットがあるわけではない。 当初は支持をしていた、支持したかった菅首相だが、首相という職業は、老化を一気に進めてしまうらしい。『座』に精気を吸い取られて、政治力も失い、その能力の欠落に、本人が気づかない。『老化が来た』のだ。 菅直人首相の、こんな哀れな終末は、あまり予想できなかった。予想をしたくなかった。 短期間で首相を交代させることは、日本の地位を落とすものであると思い、首相交代には、賛成できなかった。 だが『日本の首相交代』には、それなりの理由があった。交代させざるを得ないような『無能』な首相しか、選出できなかった。 だから、交代せざるを得なかったのだ。『世界的な恥』なのは承知しているが、このような首相しか選出できない現状では、『恥』をそのまま『今の日本の国力』だとして、受け入れざるを得まい。 せっかく、国民から寄せられた巨額の義捐金が、支払われずに『日本赤十字』にプールされているという。他の団体でも、同じような事態になっている可能性がある。 これらは、官僚組織の怠慢も要因だろうが、政治家が主導できていないから、起きているとも思われる。 ソフトバンクのオーナーが、巨額の義捐金を表明しながら、それを1円も実行していない。その理由が、『日本赤十字』の状況を知らされて、理解できたような気がする。 日本の官僚組織に頼るよりも、自分たちで管理組織を立ち上げて、無駄なく活用しよう。と、それが孫正義社長の、官僚を見る目だったのだろう。 その方向が正しかったのが、残念ではある。 菅首相がいつ辞任するのか、それは明確に示されていない。いずれにしても、次の『本当の実力がある政治家』によって、被災地の復興が早められて、それによって日本全体が復興させることを、強く期待したい。 今日の“ふるさとの歌”のリンクは、故郷http://www.youtube.com/watch?v=YLegcR9bQNM&feature=related緑のそよ風http://www.youtube.com/watch?v=lVRhJuwoBmE&feature=related
2011/06/06
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菅直人首相の不信任案は、与党の多数によって否決された。 不信任案に採決にあたって、事前に鳩山前首相らと、首相退陣の時期について、話し合いが行われた。 その話し合いで、『辞任の時期』を詰めて、ある程度まで煮詰まったために、与党・民主党の『不信任賛成議員』たちのほとんどが、『否決』に回ることになった。 一部には『採決欠席』にした議員もいたようだが、欠席では、不信任案の成否に、影響を与えなかった。 『民主党を割ることがないように』『政権を自民党に渡さないために』『震災の復興を第一に考えるために』団結しませんか。というのが、菅首相の『居座りの理由』らしい。 鳩山前首相は、『復興基本法を速やかに成立させ、二次補正予算のめどがついた段階で辞任するというのが、菅総理と鳩山との合意だ』という。 菅首相は、議員総会で『辞任の表明をした覚えはない』と宣う。その上で、辞任(若い人に後を任せる)は、『原発事故に一定の収束が見られて、放射能が放出されなくなったとき』であり、『事故を起こしている原発が、冷温停止の状態になったとき』だと述べている。 ここに、菅直人のしたたかさが顕れていて、対する鳩山前首相の『甘さ』が顕れている。 このような相手(菅首相)に対しては、阿吽の呼吸でまとめようなどと思わずに、きっちりと最後まで詰め切っておかなければ、土壇場でヌルリと逃げられてしまう。 生存にのみ全精力を傾けるドジョウ(ウナギほどの価値はない)には、完全にとどめを刺しておくべきだったのだ。同じ党員だと言うことで、『まさか』という気持ちがあったのだろうが、小さな穴を見つければ、そこに逃げ道を求めてしまう、ヌルリとしたドジョウには、『温情』は通用しなかったのだ。 結論として、首相は、いつまででも自分の望む限り、首相の座に居座ることができることになった。 これは、当面はやむを得ないと思っている国民にとっても、将来に対する『不幸』を背負い込んだことになる。 政権の座にしがみつくことが第一の目標で、国民の幸福など、上辺だけしか考えていない首相が、このまま数年間も居座ったのでは、日本の未来は、泥沼に沈み込むばかりになる。 菅直人首相の会見によれば、辞任(本人にとっては“勇退”)するのは、『事故原子炉が冷温停止するまで』か『放射能が放出されなくなるまで』だというのだから、これは『ほぼ、いつまででも』と言うに等しい。 私のような素人が考えても、今回の原発事故が、素直に収束するはずがない、それどころか、綱渡りの状態が続いていて、さらに状況が悪化する畏れさえも、無しとはしない、という状況にあることは理解できている。 素人でさえ状況の予測ができているのだから、政治家であり、そのトップにある首相が、こんな基本的なことを、理解していないはずがない。 万が一にも理解していないとしたら、アホすぎる。そんな首相に居座られたら、国民の不幸は深まるばかり。 衆議院では否決されたが、国民のひとりとしては、国民の側から改めて、『内閣不信任案』を提出したい。 今はその時期ではない?それなら、いつなら『その時期』になるというのか? 首相は、『復興にめどがついたときに』と言っているらしい。だとすると、自分が首相で居たいと思えば、いつまでも復興を遅らせれば良い、と言うことになる。 この数ヶ月の『復興の停滞』を見れば、菅首相は、明らかに復興を遅らせて、『自身の延命』を謀っていると思われる。 そう思わなければ、これほどの不手際の説明がつかない。 もう一点。菅首相が、首相の座に執着する理由が、何となく予想できることがある。 それは、自分が首相を降りることによって、就任と同時に敵視して、冷遇して政治生命を奪おうとした小沢一郎が、復活してしまう畏れがある。 もしも復活されたら、首相を辞めた自分は、報復を恐れなくてはならなくなる。完全に政治生命を絶たれるだろう。 その恐怖から、首相の座から降りたくても、身がすくんで降りることができない。 善意に考えれば、このような意志も汲み取ることができようか。でも、菅首相の最近の表情を見ると、そんな難しいことを考える知能は、なさそうだ。 あの・・・厚生大臣だった頃のパフォーマンスを偲べば、今の菅直人の凋落ぶりを、見るに堪えない。地位こそは、首相という座に上り詰めているが、反して人品は、地を這うほどに落ちぶれて見える。 『復興は来年の1月以降を目途に』などとも言っているようだが、裏を返せばこの言葉は、来年の1月過ぎまで、復興の工程表を示せない、と言っているに等しい。 さらには、『以降』に中には、『無期限』という意味も含まれる。事態の推移によっては、いつまででもだらだらと延長できるのだ。その可能性は、冬の訪れとともに、現実のものになる。 北風が吹く頃になると、何も対策を講じない事故原発からは、北風に吹かれて、放射能が首都圏にも運ばれる。これで、『さらに収束は困難になる』ために、首相は、辞めるわけにはいかなくなる。 もちろん、居住地の確認もままならない被災者を相手にして、衆議院の解散総選挙など、できようはずもない。 無能であっても、自分でその『無能』を自覚しているならば、まだ国民が救われる望みがある。だが、『無能』を自覚しない馬鹿が相手となると、国民は救われなくなる。 菅首相が、『馬鹿』ではないことを、ただひたすらに、祈るばかり。国民のために、そして私自身の安寧と老後のために。 今日の“ふるさとの歌”のリンクは、朧月夜http://www.youtube.com/watch?v=LiDgphPtjb4&feature=relatedふるさとはどこですかhttp://www.youtube.com/watch?v=AhausZfwVRc こちらの『ふるさとはどこですか』は、キャンペーンのために(?)福島県の田舎町を訪れたテレサ・テンが、「自分の第二の故郷だ」と、感動したと言われる。 そのようなエピソードから、この歌も加えておきたい。 津波や原発事故の直接の被害はない地域だが、福島県ということで、風評被害が及んでいるのではないかと、少しばかり気にかかる。
2011/06/03
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3月11日14:46頃、三陸沖を震源とするM9.0の地震が発生し、『東日本大震災』と名付けられました。その震災による津波の大規模な被害と、津波などによる福島県浜通りに設けられた『東京電力の原子力発電所』の破壊による放射能漏れの被害によって、多くの人たちが、故郷を離れなければならなくなっています。 まもなく大震災から3ヶ月が過ぎようとしている現在でも、復興についての目途が、全くたっていません。これは、『自然災害』に対処する能力がない政府・内閣が、運悪くも、時の政権だったということにも問題があり、『天災』に加えて『政治的災害』までが、重なってしまったと見ることができます。 首相ご本人は、あれでも精一杯活動しているつもりなのでしょうが、どうにも『ピンぼけ』(菅ボケ?)の対策が多いように感じます。未曾有の状況に対して、それを乗り越える柔軟さを、持ち合わせていなかったとしか思えません。 悪く考えれば、長州出身(?)の菅首相にとっては、奥州連合の東北など、重視していなかった、とも思えるわけです。今更、明治維新の騒動を持ち出しても・・・と思われますが、DNAに刷り込まれた『無意識』が、知らず知らずに発露されても、全く否定はできないかと思います。 そんなことも考えてしまうような、今回の震災に対する、体たらくなのです。 『あれ』から、早くも3ヶ月が過ぎようとしているのに、これといった復興についての進展が感じられないのは、なぜなのでしょうか。 今回の『内閣不信任案』は否決されました。しかし、菅内閣による復興が今後1年以上も滞るようならば、この際、一気に内閣全体(首相を含めて)を刷新してしまい、今後2ヶ月を目途として、目覚ましい復興を感じさせる政策を打ち出せる議員に、内閣を組織してもらったほうが、内閣を取り替えるロスを加えても、復興が早まるのではないでしょうか。 と、そんなことを考えさせられる、政府対策のもどかしさです。震災対策はのろいくせに、『増税』だけは性急に進めようとする。復興のための『暫定』と、理由は付けますが、政治家の言葉は嘘が多い。 その場しのぎで、法案を通すためなら、思いつきで何でも口にする。 しかし、一旦、法案が通過すれば、この『暫定措置』であるはずの『税』が、『便利な収入源』として、固定されてしまうのです。 このような例は、過去にもたくさんあったはずです。そして、税金の一部(多く?)が、議員や公務員の報酬として、消費されていくのです。 国会議員による『人災』が含まれるとしたら、『働かない国会議員』には、議員報酬を返上してもらいましょう。『無給』でも良い。 国家財政が危機的状況にあるならば、その『国家の経営者』として選ばれた、『国会議員』は、経営に失敗したならば、責任をとって・・・『解散総選挙』などという安易な逃げ道で、国民に負担を負わせるのでなく、議員にとどまって、『無給』で復興に向けて、仕事を全うしてもらいたいのです。 まぁ・・・こんな注文は、夢のまた夢でしょうが。 被災地は、かなり年数が過ぎていますが、訪れたことがある地域ばかりです。 その当時を思い起こして、『ふるさと』に関連するような唱歌や歌謡曲、ご当地ソングなどを、ピックアップしてリンクします。『ふるさと』http://www.youtube.com/watch?v=ZmrJyek9mpw&feature=related 1日も早い復興を願いながら、私の『ふるさと』をも、併せて偲びたいと思います。
2011/06/02
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国民にアンケートを採ったわけでもなく、勝手に『地デジ化』を進めておいて、『○○年にはアナログテレビが見られなくなります』なんて宣伝をしていた。 この言いぐさには「お上(カミ)が下々の者に映像を見させてやっている」という、ものすごい『上から目線』の意識が強く感じられたものだが、おとなしい国民が相手なので、どうにでもできると思っていたのだろう。 確かに、どうにかなりかけているらしい。悪徳業者に『騙された国民』が、地デジ対応テレビを買わされて、それで地デジが見られると思っていた人もいるらしい。 ところが、地デジへの切り替え時期が迫ってくると、今度は『そんなアンテナでは、地デジが映りませんよ』『地デジを見たかったら、専用アンテナに取り替えて下さいな』『その設備を整えないと、テレビの画面はこんな砂嵐になっちゃいますよ』といった具合で、押し売りが『脅迫者』に変身し始めている。 切り替え間近になると、電気屋さんが混雑して、1ヶ月もテレビが見られなくなるかも知れないので、早く工事を頼んで下さい(頼みなさいよ)とまで、言い始めている。最初のうちは、アンテナの交換が必要だなんて、ほとんど宣伝していなかった。 一度にすべての切り替えについて説明をすると、家庭の負担額が高額になりすぎる。段階的に進めれば、気づかないうちに地デジに移行しちゃっているだろう。こんな、『高等戦術』(狡賢い)思惑が見て取れる。 だがこの方法は、必要な条件をきちんと提示せずに、なし崩しに、いつまでも家庭に経費を負担させると言うことに他ならない。こんな手段を使うのは、悪徳業者の証明であり、ある意味で『暴力的』な行為に他ならない。『テレビが見られなくなりますよ』だなんて、他人事のように言ってもらいたくないものである。一体全体、頼みもしないのに、十分な説明も無しに、『決定事項だから』という理屈を押しつけて、最後には『脅迫(見られなくなります)』に及ぶとは、国家機関のような『公共放送』が、とって良い手段ではない。「申し訳ありませんが、見られなくなります」「是非とも、設備の準備をお願いします」というのであれば、その『見て頂く』ための設備については、『見てもらいたい』業界が、必要な設備を無料配布した上で、「お願いですから、見て下さい」というのが、筋というものであろう。 国民に負担を強いる政策は、『国民目線』を標榜する政府ならば、やってはならないことである。政府機関(総務省)とNHKが推進主体になっていることは、間違いのない事実であろう。 であるならば、ソフトランディングができない状況で、無理を通すべきではない。 待てよ・・・、『悪徳業者の脅迫のような』と書いたが、NHKが行っている普及活動は、もっと酷い押し売りになるだろう。『地デジ化の影響』を告知しようと、『砂嵐』の電波を送り込んでくれているが、こんなことは、聴視料を背景に持つNHKだからこそできる、贅沢なキャンペーンなのだ。 民放各社では、こんな無駄なことは、行わない。それだけに、電波を贅沢に使って、マイナスイメージを送りつけて、出費を強要する姿勢には、不愉快さを通り越して、怒りさえも覚えさせられる。 ゴールデンタイムに垂れ流される『負のキャンペーン』は、いくらほどの出費(損害)に相当するのだろうか。民放なら、『砂嵐』の時間には、有料のコマーシャルを、流したいことだろう。テレビ業界が不況の時代では、こんなに時間を無駄にはできない。だから民放では、『砂嵐』を見せられない。 つまり、NHKばかりが、贅沢なコマーシャルを流していることになる。『国民に無駄な出費を強要している』という、本心からの『申し訳ない』という気持ちがあるならば、上から見下すような『物言い』を止めて、『砂嵐』で無駄な出費をせずに、その分を1台でも多くの『地デジ用機器』の無償普及に努めるべきだろう。 兎に角腹立たしい、地デジ移行の『強制』である。宣伝方法に接すると、『意地でも地デジテレビを見たくなくなる』気持ちが強くなる。インターネットのニュースや娯楽に費やす時間が、夏以降には増加することだろう。 実際問題として、今やテレビは、絶対的な必需品ではなくなっている。NHKの反発心を増大させるような宣伝行為は、テレビ離れを加速する『自傷行為』になることだろう。
2011/03/06
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相撲界の『八百長問題』が、大きく取り上げられている。「今更」の感がある『八百長相撲』の問題だが、これが改めて大きな騒ぎになっているのは、今までの相撲協会の対応が、『完全否定』だったからだろう。 過去にもいろいろと取りざたされてきた『古い問題』なのに、証拠がないのをいいことに、真剣に取り組まなかったから、『存続の危機』に直面するほどの、大きな問題になってしまった。マスコミを『押さえ込む』ことにばかり心血を注いだ結果が、こうなのである。 偉大な記録を持つ、大横綱とされた『親方』の疑惑さえも、改めて表面化されかねない事態だったからこそ、これを押さえ込む必要があったのだろう。現理事のその親方は、実力以上に『気の強さ』(気性の激しさ)が、現役当時から畏れられたのだろうと想像できる。 何しろ、表情からして、今でも強烈なのだから、その意向は、マスコミでも重視せざるを得なかったのだろう。 情けないと言おうか、助けられたと言おうか、現横綱の白鳳関が、これらの問題には無縁でありそうなことが、幸いだった。 引退した朝青龍はどうだったか?たぶん・・・その必要がなかっただろうから、八百長とは無縁だったと思われる。 そしてその『八百長』だが、あってはならないこと、と言う意見がある一方で、『それも含めて大相撲』という見方もある。 この意味するところは、非常に複雑である。 あってはならないこと、と思う部分は、優勝に関わる相撲であったり、大関、横綱昇進に関わる一番だったり、という、大きな節目に関わる取り組みである。 これらの取り組みは、真剣勝負でなければ、『許されない』という感情が湧くのである。 それでは『あり得べきこと』として、何となく許されるのは、どんなケースだろうか。それは、『どうでも良い一番』であるだろう。 八百長をする当人たちにとっては、大きな一番になるのだろうが、観客にとっては、今更どうでも良い地位にあって、結果の如何が、賞にも関わりがない取り組みなら、そこで何が行われようが、『時間つぶし』であり、『間を持たせるだけの取り組み』なのだから、八百長が行われていても、面白い相撲ならば、どうでも良い。 そんなことから、『八百長相撲』が、はびこってしまったのだろう。 だが、十両以上と幕下との『格差』の大きさを知らされると、当事者間の問題だと、見過ごしにはできないのかも知れない。一所懸命に努力を重ねて、いよいよ昇進できるかという時に、上位力士たちが八百長を行って、成績の調整をしたのでは、昇進できるものも、できなくなってしまう。 その結果、来場所からは月給として100万円以上ももらえるはずだったのに、また『無給生活』を余儀なくされる上に、上位力士たちの身の回りの世話も、続けなくてはならなくなる。 この精神的・経済的な被害は、莫大だと思われる。 このように『被害者』が出る以上は、時間つぶしの『合間の取り組み』だからと、安易には見過ごせない。相撲協会が『なかったこと』だとして体面を重んじているうちに、このような『被害者』が生まれていたのである。 ことは『相撲界』のことだから、内部で処理してもらえばいい。私たちの生活には、直接的な関係がない。『内部処理』の一環には、外部から役員を採用するだとか、ルールを全面的に改善する、などがあるのだろう。 だがこれらについても、一般国民の私には、どうでも良いことである。『役員になって欲しい』という要請そのものが、私にあり得るはずもない、別世界の出来事なのだから。 しかし、これが政界、経済界のこととなったら、どうだろうか。『八百長問題』『談合』が、私たちの生活に直結する。 この『八百長問題』が、政治の世界にもあるのではないか?自分たちの保身のために、『八百長』が行われているのではあるまいか。 その可能性が否定できない。 相撲界の『八百長問題』は、日本人の『体質』の一部になっているような気がする。だから、政治においても『八百長』が行われているといった疑念が、捨てきれない。 警察による『八百長』がなければ、できるならば、国会議員全員の携帯電話を没収して、メール交換の中身を、詳しく解析して欲しい。 解析するだけではダメなわけで、その結果は、当然のことに公表してもらえなければならない。『心ある警察官が、情報を漏洩する』という形式ではなく、『ガチンコ勝負』で真っ正面から公表して欲しい。 真っ黒なメールが噴出しそうで怖いのだが・・・。
2011/02/04
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2011年 お年玉付き年賀はがき年賀状当選番号■ 平成23 年用年賀のお年玉賞品のラインアップ 年玉付年賀切手当せん番号 開催日(抽選日) 平成23年1月23日(日) 賞品引換期間平成23(2011)年1月24日(月)から同年7月25日(月)まで当せん番号(A・B組共通) 等級 当せん番号(各組共通) 賞品名 1等 下6けた 651694 ● 40V型LEDバックライトフルハイビジョン 液晶テレビ シャープ AQUOS LC-40SE1-B ● 選べる海外旅行・国内旅行● 選べるオフィスグッズセット (カタログの中から20万円(税込み)までお選べます)● ノートパソコン+デジタルカメラ+プリンタ 東芝 ノートパソコンdynabook PT35034ASFW-U フジフィルム デジタルカメラ FinePix Z80 キヤノン インクジェットプリンタ PIXUS MG5130●電動自転車 SANYO 電動自転車 CY-SPA226 〔5点の中から1点〕100万本に1本(下6けた) 2等 下6けた 403580 228949 022471● 家庭用ゲーム機 任天堂 家庭用ゲーム機 Wii● デジタルカメラ + デジタルフォトフレーム セット キヤノン デジタルカメラ IXY 400F グリーンハウス デジタルフォトフレーム● 加湿空気清浄機 シャープ 高濃度「プラズマクラスター」技術搭載● 気軽にチョイス ステイ・ディナー・ランチプラン お好きなホテルを1施設お選びいただきます● コーヒーメーカー デロンギ ドリップコーヒーメーカー CMB6-WH 〔5点の中から1点〕100万本に3本(下6けた) 3等 下4けた 8363 ● 銀座千疋屋 マンゴードリンク● モロゾフ アルカディア● 彩果の宝石 バラエティギフト● 東京風月堂 銘菓セットL● ダロワイヨ 焼き菓子詰合せ● ル・コルドン・ブルーカマンベールチーズケーキ● ユーハイム リーベスバウムアソート● ヨックモック サンクデリス● メリー マロングラッセ● 福島正八 オーガニックジャムセット● 山田養蜂場 熟成アカシア蜂蜜(ルーマニア産)● 福島正八 まろやかプリン● 長崎堂 カステーラ&プリンセット● 円山菓寮 やわらかかりんとう・ソフトおかき詰合● 銀座鈴屋 釜だし甘納豆詰合せ● 欧風おかき詰合せ● JA直詰ギフト静岡茶 銀彩2本セット● トワイニング クオリティティーバッグ コレクション● ブルックス 人気のコーヒー5 種セット● 南魚沼産こしひかり 2.5kg● 函館・レストラン五島軒 カレー詰合せ● よこすか海軍カレー 人気店セット● 全国繁盛店ラーメン12食● 喜多方ほまれ食堂 担々麺8食● 長崎ちゃんぽん12食● 戸隠とろろそば● 稲庭古峯堂 稲庭手よりうどん● お国めぐりスープ● 福島正八 ドレッシング詰合せ● エクストラバージン オリーブオイル● 正田 醤油百撰● 門前みそ 匠の味● ニッスイ ふかひれスープ・カニ缶セット● 紀州産南高梅詰合せ(はちみつ入り、しそ風味)● あけぼの 瓶詰詰合せ● 浅草今半 牛肉佃煮詰合せ● つきじ石井 江戸風味佃煮● 大森屋 海苔セット 〔38点の中から1点〕1万本に1本(下4けた) 4等 下2けた 69 02● お年玉切手シート 100本に2本(下2けた) 年玉付年賀切手当せん番号 開催日(抽選日) 平成23年1月23日(日)賞品引換期間平成23(2011)年1月24日(月)から同年7月25日(月)まで※ 念のため当選番号は主催者発表のものとご照合ください郵便年賀.jp > 2011年 お年玉賞品当選発表
2011/01/24
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本年も、どうぞよろしくお願いします。 数年にわたって放置状態になっている『掌説』を、とりあえず今年の早い時期に、完結させたいと思っています。これが、今年の『目標』かも知れません。 その後に、別の『掌説』も予定しているのですが、何しろ、書きかけの者を終了させなければ、次には進めません。 今年は卯年だそうです。とりあえず、私のブログにも『ウサギのページ』がありますので、よろしければ、ご覧下さい。 現在の我が家では、真っ黒いウサギと暮らしています。小さな声ですが、鳴き声も出すし、呟くような声も出します。ちょっと変わり者のウサギかも知れません。 時々ですが、小さい洗面器で入浴をさせると、大喜びをします。特に駆け回ることもしませんが、身体が温まるためか、入浴後には気持ちよさそうに、うたた寝をする時間が長くなります。 黒いウサギの種類は『ネザーランドワーフ』というらしく、それほど大きくはなりません。両手の掌に、ちょこんと乗せることができるサイズです。
2011/01/01
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北朝鮮軍が、韓国の民家に向けて、砲撃を開始した。それに対して、韓国軍も砲撃で応戦しているという。突然の砲撃開始についての、確かな理由は発表されていない。 つまり、『開戦』の理由は、現在のところは不明である。だが、何かのきっかけか、何を根拠にした自信なのかは知らないが、北朝鮮軍が、『攻撃的な体質』を持っていることが、これで明白になった。 金正日の後継者に対して、何らかの実績を加えようと、韓国軍からの反撃が一時的なものであると、計算尽くの上で実行したとも思われる。 日本のメディアでは、このことには触れられていないが、北朝鮮の報道では、後継者(金正恩)の功績として、大袈裟に報じられることだろう。 この砲撃に至る経緯では、『核開発』を無視できない。北朝鮮は、『核兵器保有』について、過剰なまでの自信を持っている。その実態を、現場の兵士は知るまい。単に、『変な自信』を強めているだけである。 偏った情報だけを与えられているから、『北朝鮮軍は強い』と思い込むのである。 その結果、今回のような無謀な戦闘が始められる。韓国軍としても、これを無視はできまい。さて、今後の展開はどうなることやら。 こんな危険な国家が、核兵器を開発しつつある。アメリカが行った『イラク破壊』は、北朝鮮を見れば、間違いだったことが明らかである。イラクよりも、北朝鮮の国家体制と、諸外国に対する対話の姿勢でも、非常に危険な独裁国家であることは、明白なのだ。 イラクを破壊するならば、アメリカは北朝鮮をこそ、先に破壊するべきだっただろう。 ブッシュ政権は、『利権がらみ』だけでイラクを攻撃したから、その当時に『欲しい資源』がなかった北朝鮮には、興味を持てなかった。 ただそれだけの理由で、北朝鮮は『破壊』の対象に選ばれなかった。だが、今となってはどうだろうか?もしかしたら北朝鮮の国土には、『レアアース』が埋蔵されているかも知れない。 非常に安い労働費でレアアースが確保できるなら、そしてあの当時の『ブッシュ政権なら』、北朝鮮を奪う理由を、いくらでも捏造したことだろう。 しかし現在のアメリカは、オバマ政権である。期待には応えていないが、『ノーベル平和賞』を受賞した、アメリカ大統領である。 北朝鮮を破壊することは、できないだろう。 かくて、北朝鮮軍は、韓国の民間人に対してさえ、鬱憤晴らしの砲撃を勝手に行って、処罰もされないという、非常識な結果だけが残ることになる。 中国の尖閣諸島問題でヒーローになった船長のように、北朝鮮国内では、砲撃を行った軍人は、非常に厚遇されることだろう。 で・・・今回の砲撃戦は、何だったのだろうか?死亡したとされる韓国軍兵士や、住居を破壊された住民たちは、何のための犠牲者だったのだろうか?
2010/11/23
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30%を割り込んで、ついに『危険水域』と言われるらしい、20%台に、菅内閣の支持率が落ち込んだという。 民主党の政治に、わずかでも今後の『光』を求めたいと思っていた私としては、非常に残念な思いである。 自民党支持者には異論があろうと思うが、小泉政権から麻生政権に至る『末期の自民党政府』の政治は、着実に国民生活を破壊してくれたと思っている。 あのまま自民党政権が続いても、日本の政治・経済は、良い方向には向かわなかっただろう。その原因は『官僚政治』にあった。 自民党政権で、総理大臣が誰であっても構わなかった理由のひとつが、政策や野党対策の総ては、官僚が取り仕切っていたからである、と思われる。 誰が首相になっても、官僚の計算通りにさえ動いていれば、表向きは『それなりの』政治ができたからである。 だがこの自民党政治では、官僚が自分に都合が良い政治をするようになり、『国民無視』で、『官僚保護』の政治に走るようになる。その結果、無駄遣いが蔓延し、その無駄が国民に知られることもなく、不正行為さえも、隠蔽されたままで、さらに増える結果になった。『官僚政治』によって、国民が不利益を被ることになった。その最大の原因が、自民党が『政治』を官僚に頼り切ったことにある。自分たちで政治を行えなくなった世襲議員たちが、官僚の不正行為を黙認、あるいは気づかないようになった。 漫然とした政治が続いた結果、バブル崩壊後の日本が、世界の先進各国の復興に、大きく後れを取る結果になった。 そして、未だに日本経済は、凋落を続けている。経済面だけでなく、自民党政権が続いていたとしても、政治的にも、日本は世界からどんどん見放される国になっていたことは、間違いがない。 これは、民主党政権になってからも『一貫していてぶれない』が、自民党政権当時から継続されているのだから、民主党政権ばかりが悪者にされる筋合いのものではない。 といった前提があるにしても、民主党政権になれば、『何か』が変わるのではないか、といった漠然とした期待はあった。その『漠然とした期待』に縋らなければならないほど、自民党政治は、末期的症状を燃せていたのである。 しかし、いざ民主政権になってみると、見事に期待は裏切られた。良い方に『裏切られた』のなら良いのだけれど、ことごとく『悪い方に』裏切られてしまったのである。 政策を各個に見ると、些細な部分では評価できるものもあるが、全体的には、期待に応えられるほどの実績は、全く何も残していない。 政権が交代すれば、それまでの政権が残した『悪政』が表面化して、それらが是正される。そのような効果が期待されて、一部では効果があったようだが、『初心者マークの政府』は、したたかな官僚には勝てず、自民党時代の悪弊が、そのまま復活しかけているようだ。 それを証明するように、官僚や公務員の不祥事・違反が、際限なく噴出している。 政府の管理能力不足もあるだろうが、官僚に頼らなければ、政治が動かせない、と承知した民主党政権が、舵を大きく切ったから、官僚の『自己保身だけ』の意識が、また自民党時代そのままの姿に、戻りかけているのだろう。 自民党の議員が民主党の政治を批判しても、見ているだけで不愉快になるが、期待を大きく裏切って、『くだらない公約』しか実行できない、実行力のない内閣など、誰が支持できようか。 民主党の政治に期待した、その期待度が大きかっただけに、何の実績も見せられない政府の支持率は、下がるのが当然の結果なのである。 いや、実績を見せられないばかりでなく、失態ばかりは、いくらでも見せてくれる。これでは、支持できる要素が、どこにもないではないか。 プラス要素が無くて、大きなマイナス要素が積み重ねられては、支持率が27%もあるほうが、むしろ不思議なのだ。 ところが、自民党政権当時もそうだったが、政治家というものは、自分に不都合な数字は、信用しない。勝手に、都合が良いような解釈ばかりをする。 菅内閣にも、これは当てはまる。仙谷官房長官が、知ってか知らずにか、『尖閣諸島問題』で、国民の意識を無視する発言をしている。 菅内閣が発足して1年ほどは、政治力を批判するには早すぎると思っていたが、今や、その時期は過ぎた。 国民の方を向いた『本物の政治力』を見せなければ、支持率は、自民党の森内閣と同じ程度まで、急速に落ち込むことだろう。 そうなっても『石に齧り付いてでも』内閣を維持したい、などと頑張られては困るのだ。 自民党の支持率が、民主党の支持率低下に影響されるように、若干上昇しているが、これが『自民党を支持する』結果だと、自民党議員には、単純に錯覚してもらいたくはない。 民主党が頼りないから、とりあえず自民党に、支持が流れただけなのだ。 自民党の政治家で、頼りにできる議員がどれほどいるというのか?自民党議員には、自分たちを客観視して戴きたい。 民主党が『この程度の内閣』だからといって、『同じレベル』ならできる、と考えられては困る。国民の期待は、『ダメ内閣』を上回る、『上質な政府』にあるのだから。 しかしながら、菅直人首相の、覇気のなさはどうしたことか。世論が何を思おうが、国会答弁でも、原稿からほとんど目を離さない。相手を見ずに、うつむいた答弁だけを続けている。 こんな姿を国民に見せていては、支持率はさらに下がること、間違いあるまい。 覇気の感じられない首相など、今の日本には不要なのだ。 菅内閣の『体たらく』を見てほくそ笑んでいるのは、政権から干されている、小沢一郎・民主党前幹事長かも知れない。
2010/11/17
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You Tube に、政府が公開を渋っている、尖閣諸島での中国漁船が海保巡視船に体当たりをした映像が、公開されたという。 残念ながら、実物映像は見ていないが、ニュースで繰り返して流される映像を見ると、本物の『巡視船から撮影された映像』らしい。 映像を見た感想としては、政府はなぜ、この程度の映像公開までをも、渋ったのか?ということである。 事実は事実として、公開しても悪影響は無さそうである。こんな程度の映像までも秘匿するから、中国側に言いたい放題の、勝手な振る舞いをされてしまうのだ。 この映像で感じるのは、『領海侵犯』云々よりも、海上で船舶に体当たりをする漁船の、非常識ぶりだ。 この一点において、中国政府も、誰もが『ことの善悪』は、客観的に判断できる。事実以外の事象に言及する必要はないのだ。 それにつけても、『菅内閣(11月07日文字修正)のタイミングの悪さ』は、今に始まったことではないが、批判されて当然だ。参院選直前の『消費税増税発言』に始まって、次々と連発しすぎなのだ。 少しはマシな政治を行ってくれるかと期待していたのだが、次第に希望が失われてくる始末。 今回の映像流出にしても、政府が自発的に公開していれば、このような騒動にはならなかった。いかにも、タイミングが悪すぎる。 見方によっては、海上保安庁側の『クーデター』のようなものだ。政府に対する不満が、どこかで爆発したものだろう。 こんな政府では、現場が何も対応できなくなる。こんな意見(記事)もあるが、至極当然かと思う。コピーされた映像はこちら。
2010/11/05
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どうやら、中国人旅行者に、日本国内での運転を許可しようという動きがあるらしい。日本を訪れる中国人旅行者が、非常に重要な外貨獲得源になっていて、その利便性を確保することが、さらに旅行者を増やす決め手になる。と、日本の担当部署が判断したらしい。 中国人旅行者は、日本国内での消費活動が素晴らしい。その誘致は、確かに重要なことだろう。 だが、ちょっと待って欲しい。日本の『役人』がいい加減なことはわかった。中国の言い分を重視するあまりに、何でもかんでも『ご機嫌取り』をしたくなるのだろう。 その心理はわかるのだが、同意はできない。彼ら『お役人』は、国民の生命を軽んじている。 中国人の多くは、日本国内での運転をスムーズにできるほど、国際感覚を身につけているとは言えない。日本は、中国など多くの諸国と違って、車が左側を走るのだ。 中国人は、運転になれている人でも、まずその部分で戸惑うだろう。さらには、中国人には『国際感覚のズレ』がある。 国際感覚のズレは、第一には『身勝手な思考回路』である。日本人も、かなり身勝手な運転をするが、中国人の身勝手さは、この日本人の思考回路には、収まりきらないものがある。 つまり、日本人が予測する動きとは、中国人は全く違った行動に出る。中国では、それが当然の動き(運転)なのだから、これはやむを得ない。 だが『やむを得ない』と言っていられない事態が起こる。この『認識のズレ』が、事故に結びついてしまうのだ。 日本で運転したい中国人がいても、その人々に『ビザの提示』だけでレンタカーを貸し出したり、気軽に運転をさせてはならない。 日本国内の運転の傾向や、日本でのルール、暗黙の了解事項や礼儀といったものを、『特別講習』でしっかりと覚え込んでもらい、その理解度をテストしてから、合格者にだけ運転許可を与えて欲しい。 日本国内の運転ルールが、日本人との区別が付きにくい中国人旅行者の運転によって、荒れていくことは、嬉しいことではない。 この『国際ルール』は、国によって違いがあるようだが、中国国内は、また特殊なルールによって、運用されている。 私がヨーロッパで運転をした時には、日本国内で取得した『国際運転免許証』によって、レンタカーを借りたわけだが、「早くヨーロッパの運転に慣れよう」と思っていたにもかかわらず、彼ら『ヨーロッパのドライバー』にとっては、『異質の運転』をする人間が、入り込んでいると思われることが、時に発生していたようである。 何をもって『そう感じたのか』と言えば、日本国内なら問題にされないような、『本線への合流行為』である。 本線(2車線の地方国道)を走っている相手の車の前に、『まだ300メートル以上の距離があるから』と、大丈夫だと判断をして車を流れ込ませたところが、相手の車(ヨーロッパの運転者)は、タイヤの白煙を上げて、急ブレーキを踏んでいたのである。 その白煙は、200メートルは離れていたと思われる私にも、確認ができた。 なぜ、ヨーロッパの車は、自社の前に出てきた私の車を見て、急ブレーキを掛けたのだろうか?それは、ヨーロッパの車なら、走行してくる車を認めたら、前に出るはずがない状況で、私の運転する車が出てきたので、驚いて急ブレーキを掛けたのである。 ここでの私は、ヨーロッパでの『異質な運転者』になっていたわけである。 ヨーロッパでは、さらにトンネルに入ると、相互の車間距離を、日本人には不必要と思えるほどに、大きく空ける。日本国内でも、私は車間距離を大きく取るほうだが、その私が呆れる(感心する)ほどに、車間を空けるのである。『安全』に関する感覚が、日本人とヨーロッパの運転手とは、これほどに違う。 一般国道の走行速度の違いと、一般乗用車の加速性能にも、運転が慎重になる要因がありそうだが、そのことなどを踏まえて、私は徐々に学習を重ねた。 中国人旅行者が、日本国内でレンタカーを運転する時に、私のように『学習』をしようと思うだろうか。 学習をしたとしても、日本国内の車の密度は、私がヨーロッパで体験したケースとは、比較にならないほど高い。『学習』を重ねる間もなく、事故を起こしてしまうだろう。その『事故』に巻き込まれる多くは、日本人である。 多くの中国人旅行者に、日本国内の交通常識を、理解しようという気持ちがあるとは思えない。中国国内でそうであるように、彼らは国内での行動を、そのまま日本に持ち込むことだろう。 多く批判の対象にされている彼らの行動が、『車という凶器(狂気)』を使って、表面化されるのである。 日本の担当者(役人)は、中国国内の運転状況を、その目で確認をしてから、安易な運転許可を、検討し直して戴きたいものである。 日本国内には、携帯電話のメール画面だけを見つめて、周囲を確認せずに横断歩道を渡る若者(中年まで)や、自分勝手な運転しかできない女性ドラーバー、安全確認などしたこともない女性歩行者などが、狭い道路に溢れている。 犠牲者は、このような人々の間から、どんどん出てくるだろう。まず、私のような『老人』も、気を付けなければならない。 話は変わるが、東京第5検察審査会についての疑問は、こちらのサイトでも触れられていた。 やっぱり『怪しげだ』と感じる人は、私のほかにもいたようだ。http://news.livedoor.com/article/detail/5065191/?p=1
2010/10/11
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こんな記事があるので、興味を持って読んだ。『東京第五検察審査会』とは何ものなのだ?朝日新聞などのマスコミは、なぜこの団体について、タブー視するのか? この審査会のメンバーは、『カルト』的な集団だとする意見もある。もしもそうであれば、いずれは集団で『暴走』する危険性もある。 オウム真理教事件は、マスコミには教訓になっていないのか?若い社員ばかりになり、古い記憶は葬られてしまったのか。『一般の善良な市民から、無作為抽出により』検察審査会のメンバーが選ばれた、とはマスコミの記述だが、果たしてそうなのか? 当初(過去の朝日新聞)の記事では、『一般公募によって、応募者の中から抽選によって選出』という内容を、読んだ記憶があるのだが、幻でも見ていたのだろうか。 政治闘争的な臭いがする上に、上述の『カルト的集団』が、うまく操られて、行動を起こしていると、そのような構図も疑われる。 朝日新聞を初めとする(読売新聞を初めとしても良いが)マスコミは、国民が『東京第五検察審査会』の構成について、そしてその議決に対して、疑問を抱いている人も多いということを、公平に捉えてもらいたいものである。 マスコミ(朝日新聞ほか)よ! 自戒せよ!検察ばかりか、マスコミまでが腐っていると思われて、それで良いのか?
2010/10/06
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再び、小沢一郎民主党衆議院議員の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる『虚偽記載問題』で、検察の不起訴は不当であると議決をして、東京第5検察審査会が『起訴相当』の結論を出した。 これによって小沢元幹事長は、強制的に起訴されて、裁判に掛けられることになった。これが『国民の意思』であるから、当然の結果である。 と言い切って良いものだろうか。非常に強い疑問がある。この検察審査会の顔ぶれが、公開されているのだろうか? 相手が小沢一郎という国会議員だということだけの違いで、場合によっては、一般国民に対しても、『顔が見えない』検察審査会とやらのメンバーによって、強制的に起訴される危険性も、何となく危惧される。 他人を起訴して裁判に掛ける以上は、その当事者は顔を公開すべきである。 冤罪や取調調書に頼る起訴について、その危うさが問題にされている時に、この審査会の手法は、非常に乱暴であると言わざるを得ない。 この『検察審査会』の手法によれば、『推定無罪』の原則は、吹き飛んでしまっている。しかも、『国民的感情』といった不確定要素が強い、あやふやな『思いこみ』によって、一個人を起訴してしまうのである。 いや、小沢一郎という人物は、『一公人』ではあるが。まぁ、小沢一郎という人物が好きかと問われれば、好きと嫌いの範疇に収まらずに、『不気味』という判別になろうかとは思う。 だからといって、このたびの『東京第5検察審査会』とやらの得体の知れない集団による行動は、それのほうが、さらに不気味ではある。 この手法が通用すれば、『勝手な思いこみ』によって、簡単に他人を起訴できることになり、その取り調べに対する不満は、検事役を負わされる弁護士に、捜査権限を任せることになるのだろう。「検察の判断が気に入らないから、起訴相当の議決を出して、その再捜査については、弁護士に任せる」といった手法が、濫用しようと思えばできてしまいそうではないか。 この方法を逆用すれば、検察が『起訴』した事案について、起訴が不適当だからといった理由によって、検察審査会によって、『不起訴相当』という議決を得ることもできるのだろうか? それならば、『冤罪』を主張する被告側が、検察審査会の存在を利用して、『逆転無罪』を勝ち取ることもできそうである。 上記のような方法があるのかどうかは知らないが、『不起訴』に対する異議申し立てだけが認められるのでは、バランス的に、非常に悪いのではあるまいか。このアンバランスさを解消するには、検察の『起訴』に対して『不起訴相当』を議決する検察審査会の開催も、必要になるだろう。 だが、実際にこんなことを繰り返されたら、裁判そのものがめちゃくちゃになってしまう。判決の迅速性は、著しく損なわれるだろう。 今回の『東京第5検察審査会』のメンバーには、新聞記者や司法書士? などが加わっているとのことだが、マスコミ主導というところにも、なにやら政治的な胡散臭さを感じる。マスコミの『小沢嫌い』は、国民感情以上に強いようだから。 それにしても、『強制起訴』という段階で、野党の自民党が、鬼の首を取ったように騒いでいる様子は、見苦しくもあり、滑稽でもある。 自分たちが、どれほど潔癖だと言い切れるのか?まだ『起訴』の段階で、相手を『犯罪者』のように扱っても良いものか?そのくらいの自制心は、国会議員たる者に持ってもらいたい。 こんな認識の議員が、最大野党のトップにいるのでは、日本国民は『起訴』されたら、人生が終わってしまう。 何よりも、『起訴』の段階で議員辞職が求められるならば、与野党逆転も、ねじれ国会も、怖いことではなくなる。衆議院解散も、不要になるだろう。 邪魔な国会議員をターゲットにして、検察審査会を立ち上げて、『起訴相当』を連発すれば、『強制起訴』に持ち込まれて、その多くが『議員辞職』に追い込まれる。 もう、国会開催どころの騒ぎではなくなるだろう。国会議員など、多かれ少なかれ、叩けば埃が出るような人ばかりだ。 いつ、誰が『検索審査会』に目標にされるか、といった心配で、尻が落ち着かないこと、この上ないだろう。 この『審査会』の存在が、国会議員の『襟を正す』ことに繋がれば、それは幸いである。 だがこのたびの『東京第5検察審査会』の議決は、非常に『暴走』部分が大きい。 この『起訴』を受けて、小沢一郎議員の裁判は、結論が出るまでに数年を要するだろうが、その結果が、最終的に『無罪』だった場合には、その損失は、誰が負うというのか? 東京第5検察審査会のメンバーには、その『損害』を賠償する責任は生じないのか?『起訴相当』の議決は出すが、その後のことは責任を負わない、といったシステムなら、あまりにも無責任に過ぎるだろう。 強制起訴の最終結論が『無罪』であった場合には、その『強制起訴』を議決した当事者が、無罪確定した被告に対して、損失を償う責任が生じる。 審査会のメンバーには、このくらいの『覚悟』は求めたい。他人を罪に落とす以上は、それが間違いだった場合には、自分がその罪に相当する罰を受ける覚悟が必要なのだ。 検察審査会のあり方には賛同するが、不備な点や、一般には知られていない広報不足な箇所が、非常に多い。 検察審査会が、『魔女裁判』のための道具にされてはなるまい。私には、小沢一郎という人物以上に、東京第5検察審査会というものの中身に、なにやら『嫌な臭い』を感じさせられる。 非常に胡散臭い団体のように思われて、仕方がない。これが『国民から無作為に選ばれた人たち』だって?誰が、いつ選んだんだ?!!
2010/10/05
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昨日の相撲で、横綱の白鳳関が51連勝に達した。このまま無難に勝ち進めば、60連勝は可能性が高い。 現在は51連勝で、記録上は歴代3位にランクされるという。だが、実態はどうだろう?私の個人的な感じ方だが、『51連勝』は、双葉山に続いて2位の成績なのではないかと思う。 現在2位の『千代富士』は、彼のファンには申し訳ないが、この際、除外して考えている。現実に『証言者』は現れないだろうから、記録上の彼の成績は、とりあえず認められているだろうが、現役時代から、彼の成績には『胡散臭さ』が強く漂い過ぎていた。 本人の努力は認めるにしても、実力を超える部分での『変な努力』も、あったように感じる。素人の『感覚』に過ぎないが、素人を舐めちゃいけない。「だからどうした?」と言われれば、言うべき言葉は持ち合わせていない。しかし、その『元横綱・千代富士』が、相撲協会の要職にある。公式の成績が残る以上は、それは当然なのだが、このような相撲界の状況が、『野球賭博スキャンダル』にも、結びついているような気がする。 八百長体質=野球賭博、といった感じなのだ。 さてそこで白鳳関だが、彼の成績は『本物』だろう。彼は『政治力』ではなくて、『実力』で連勝を続けていると思うからだ。今の力士で、白鳳関と互角に渡り合える人は、残念ながら、見あたらない。 こんな中で、彼が八百長を持ちかける必要性が、見あたらない。 この連勝記録が、元横綱の朝青龍関だったら、世間の反応はどうだっただろうか。あまり喜ばれなかったかも知れない。 そうなると、元・朝青龍関の母国では、「差別だ!」と騒ぎ立てるだろうが、思い違いである。 白鳳関が、連勝記録を称えられていることで、『人物に対する差別』ではないことが、冷静に見れば、わかってもらえるはずである。 年齢は若いが、白鳳関の相撲に対する姿勢は、日本人から見て、好ましい以外の何ものでもない。 どこにも非難をする余地がないのだ。元横綱・朝青龍関も、普段の姿勢が賞賛されるものであれば、あんな末路にはならなかっただろう。 彼のキャラクターだと思えば、あれはあれで貴重だったと思えなくもないが、『おもしろさ』を除外すれば、『土俵が荒れる』という状態になることは、避けられなかった。 日本に『出稼ぎに来ている』のであれば、それなりに対処すれば良いのに、彼(朝青龍)は、日本の親方に教育されなかった『野生児』だったので、その対処法を知らなかったのだろう。『野生児』『子供のまんま』と思えば、楽しいキャラクターではあった。 それに比べると、実質歴代2位の白鳳関は、精神的にも横綱にふさわしい『大人』に思える。是非、双葉山関の記録を超えて欲しいものである。
2010/09/16
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熟睡しようかという時間に、我が家が揺れた。かなりの振動だ。『ドカ! ドカン! ガタゴト! ガッタン!』『ドカドカドカ~ン!!』 何事だ!?目が覚めてしまった。 知人でもないのに、白鳳(横綱)と朝青龍(元横綱)でも、我が家に招待したのか?家の中で、四股を踏んでいるのか、はたまた押し合いでも始まったのか・・・? と思ったところで、妻君が2階から駆け下りてきた。「待て待て! ちょっと待てぇ~い!」と喚いている。『ン? どうやら、妻君の知り合いか?』それにしても、傍若無人で失礼千万な客だ。「うるさくて、ごめんね」妻君が、私に向かって、詫びている。ということは、やはり妻君の知り合いだったのだ。「仕方がないよ。もう騒ぎは収まったの?」尋ねる私に、「多分ね・・・。もう大丈夫だと思うけど」そう話している最中に、またもや騒動が始まった。『ドカドカドカ!!!』「や、始まっちゃったわ。ちょっと待って、待て! 待て!」またもや妻君が駆けだした。 今度は、騒音の主が『どこの誰なのか』私にもわかった。目覚めてしまった、ということでもあるのだが。 騒音の主は、洗濯機の奴だった。脱水の時に、中の衣類が偏ってしまうと、気に入らないらしくて、大騒ぎになってしまうのだ。 大騒ぎは構わないけれど、これじゃ、いずれ我が家は、この洗濯機の奴に、壊されてしまうぞ。 私の知らない奴(客)ではなかったわけだが、こいつはなんとかしなければ、いけない。洗濯のたびに家全体が揺れるのでは、たまったものじゃないから。
2010/09/14
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民主党の党首選挙で、菅直人首相が、声を大にして訴えている。「景気対策は、1にも2にも雇用です!」「雇用対策をきちんと行えば、景気は回復します!」と、こんな内容だったと思う。 だけど、そんなことは、国民の誰でもが思っていることだ。別に、今更、首相に叫んでもらわなくても結構!こんな無意味な内容では、自民党政権当時の某首相がキャッチフレーズにした、『美しい国日本』と、何ら変わらない。 大切な演説の時間に、こんな空虚なことを言っていて良いものか?これが、日本の首相の器の限界なのか?言葉の空虚さに気づいていないとしたら、国民は救われないし、希望も持てない。 対する小沢候補は、この『首相の言葉』に対して、具体案で対抗はできないのか? 国民は、『大切なのは景気対策です!」なんていう言葉を聞くよりも、首相(候補)が、当選してから、どのような雇用対策をとって、どのように職を安定させようと言うのか、その具体策を知りたいのだ。 それなのに、聞こえてくるのは具体案を伴わない、表題ばかりではないか。こんな発言なら、私にだってできる。自民党の歴代首相が繰り返してきた『空疎な発言』を、民主党の首相までが繰り返すとは、思わなかった。『首相なんて、私にもできる』と思わせないで欲しいのだ。「雇用問題を改善させるべく、努力するように」なんて、漠然とした指示を官僚に出すくらいのことは、誰にでもできる。 菅直人である必要はないのだ。それならば、首相は小沢一郎でも良いじゃないか、と言うことになる。 景気対策には『雇用問題』が重要なことは、首相も認識している、ということはわかった。だから、それをどのように解決するというのか、早く具体策を発表してくれ! マスコミの支持率(国民かどうかは、よくわからん)が、小沢候補よりも抜群に高い菅首相!とりあえず、具体策に期待をしているよ。
2010/09/08
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菅直人首相と、小沢一郎前幹事長が立候補をして、民主党の代表(総裁)選挙が始まっている。 与党の代表を決めるための選挙だが、この結果が、首相に直結する。それだけに、国民にとっても他人事ではないのだが、どうにも今ひとつ、ピンと来ない。 同じ党内にありながら、そして『民主党』を政権の座に就かせた、深い関係でありながら、仲がよろしくない。不仲の原因が、どちらにあるのか、外野席からは見えにくい。 想像すれば、双方に言い分はあるだろうが、その双方に、ともに原因があるように思われる。前最高顧問だった渡部恒三議員との疎遠を見ると、小沢議員にも、菅首相との不仲の原因があるように感じられる。 また、菅首相にも、大きな原因がある。首相就任間もない頃で、支持率が驚異的に高くなっていた時期に、調子に乗りすぎて、きちんとした対処もせずに、小沢前幹事長に対して、『言いたい放題』を言い放っていた。 しかも、その後にもそれを繰り返した。そうなれば、『その言葉』が首相の本音であることは、誰にでもわかる。 小沢議員が、その姿勢を快く思うはずがない。小沢議員に限らず、誰でも自分が相手にあんなことを思われていたら、気分を害するのが当然である。 党をまとめる立場にある首相としては、全く配慮不足で、発言が粗雑すぎる。党が二分されても、やむを得ない成り行きと言えよう。 そんな現首相に、今後も政権を任せられるのか?与党をまとめられるのか? 非常に疑問を感じるが、国民の一人として、今、与党が分裂したり、与野党が政権再編成を行って、政権を再構築するような、くだらない時間の余裕は持てない。 兎に角現状の政権で、ひとつにまとまって最善策を講じて、国民生活を建て直して欲しいのだ。 そのためには、『政治とカネの問題』を一時棚上げにしてでも、どちらが政治能力に長けているのか、きちんとした政策論議で、決着を付けて欲しい。 とりあえず『政治と金』は、今後に問題を起こさなければ、ひとまず休止しても良いじゃないか。『政権を自民党に戻したい』と思う人たちは、こんな提案は受け入れがたいだろうが、今の自民党には、民主党以上に、政権担当能力がない。 一見、政権を無難に運営できていたように見えたのは、無能な世襲総理や大臣たちが続いても、すべての作業を官僚が取り仕切っていたから、『それなりに』政治だけは動いてきたのである。 だがその結果として、官僚が勝手気ままに振る舞えることになり、日本の政治・経済が、でたらめになってしまった。 官僚に任せる部分はあって当然だが、政治家が責任を負って、『政治』を行うことができなければ、日本の状況は、さらに悪化する。 自己保身を最優先させる『高級官僚』たちの体質が、非常に悪い(悪代官)ことは、今までのことで充分にわかった。 だから、自民党には、政権担当能力がないということなのだ。 さて、民主党はどうなのか?菅政権になってから、どうやら『自民党時代』に回帰し始めているらしい。急に政権を担っても、「何をどうしたらいいのかわからない」、といった部分は、当然あるだろう。 だがそれは、またもや『官僚任せ』の政治を行う、正当な理由にはならない。 官僚は『性悪説』が当てはまる人種である。このことを肝に銘じて、政治家が政治を行わなければならない。その政治家も、『性善説』に基づいて、信頼することはできかねるのだが。 といったことを考えながら、このたびの選挙を見ていると、双方の『誹謗合戦』ばかりに終始して、まともな政策論議が見られない。 小沢候補が『政策らしきこと』を述べると、菅候補がすかさず、それを批判する、といった構図が繰り返される。 それなら、首相の政策は何なのか? というと、その内容は、相変わらず『曖昧模糊』としている。 菅首相!あなたは『首相』なのだ。相手を誹謗して、過去の失点をあげつらって、国民の支持を広げようなどという姑息な手段に終始せずに、ご自身の政策の長所を述べて、相手の政策と競ってはいかがか。 国民は、民主党内の『誹謗合戦』の結果による、党首選びなどには、興味がない。 また、実現が中途半端に終始しそうな『マニフェスト』なども、どうでも良い。 マニフェストを掲げるのは構わないが、欲張らずに、最も国民生活の向上に直結する政策を、重点的に実施して、『即効性』を出すことが求められる。 この『即効性』を見せられなかったから、菅政権が、国民から評価されていないのだ。 こんなこともわからないほど、首相の状況把握能力は、鈍ってしまっている。ただの『政治家』になってしまった首相など、国民は期待できない。 もしも小沢候補が当選して、首相になることがあったら、菅首相のこの『失政』を反省材料にして、最も効果的な、目に見える政治を、最優先にして戴きたい。 とは言っても、民主党員でもない私の気持ちなど、『新首相』に伝わることは無さそうだが・・・。あ・・・再選されても、菅首相でも『新首相』だからね。
2010/09/03
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ペニーオークションの仕組みは、まず第一に、個人情報を登録して、入札するためのアイテムを、『コイン』という形態で購入することから始まる。 このコインは、1枚がなぜか75円(程度)に設定されている。この『75円(程度)』がほぼ共通であることが、疑問ではある。 兎に角、最初にコインを入手しなければ、オークションへの入札資格が得られない。コイン(ペニー)は、定額で販売されていることもあるが、これもオークションで落札できるサイトもある。 このペニーを落札するためには、コインを必要としない。落札金額を銀行口座から支払うことで、入手できる。 このコインを利用して、欲しい商品を狙って、入札するわけである。入札者によっては、落札できるまで、入札を繰り返す。 その結果、落札できたとしよう(良心的なサイトの場合=後述)。だがこの落札までに、何回の入札が必要になったのだろうか?わかりやすく、100回の入札で落札できたと仮定しよう。その時の商品の落札金額を、1000円と仮定する。 もしも30000円が市場価格の商品ならば、そのオークションサイトの公式表示は、『3.3%で落札』となる。 だがここでは、入札時に消費された『コンの代金』が、スッポリと抜け落ちている。ここでコインの代金を加味すれば、100回×75円=7,500円を追加して、8,500円で落札できたことになる。 これでも、市場価格の25%で落札できたことになるのだから、破格の安値で落札できるオークションということになる。ここで忘れてはならないのは、『落札できるのは一人だけ』という現実である。 これは当然のことだが、たとえば20人の入札者が、落札を競っていたならば、一人の入札が50回として、1,000回の入札が、落札できなかった人たちによって、行われていたことになる(大まかな例えだが)。 1,000回の入札ということは、出品者(サイト運営者)には、1,000回×75円=75,000円で、商品販売とは無縁の、濡れ手で粟の『手数料』が手に入るのである。 これに『落札者』の8,500円を加えれば、市場価格が30,000円の商品が、83,500円で売れたことになる。 つまり、正規に商品を販売しても、53,500円が、完全な利益になるのだ。 これらのサイトの『商品送料』は、500円程度であることが多い。これも、カラクリの実態を知れば、当然の価格である。 上記のように、正規に商品を販売しても、オークション主催者の『儲け』は非常に莫大な金額になる。 ここでさらに問題になるのは、正規に落札できない仕組みが、入札者には探りようがない形式で、取り入れられていることである。オークションサイト運営者の『仲間』が、高額で入札していても、コインを際限なく使用していても、それを一般の入札者が、知ることはできない。 これは、何を物語っているのか? 入札者が『サイト運営者の仲間』である場合は、コインをいくら注ぎ込もうが、その『仲間』に実害は生じない。コインは、運営者が発行する『架空の貨幣』なのだから、その運営者にとっては、際限なく発行しても、『仲間が消費する分』については、全く『無料発行』と同じなのである。 正直な一般入札者は、この『巨大なお金持ち』と、落札を競うのである。うまく落札できるか否かは、サイト運営者の『良識』だけにかかっている。場合によっては、運用者の『気分次第』で、安く落札できることもあるし、市場価格を超えてしまうこともある。 一般入札者も、一旦コインを注ぎ込んでしまうと、途中で中断できなくなる。たとえ30回分でも、2,250円を使っているのである。自分が入札した金額よりも、50円しか違わない金額で、落札されてしまうかも知れない。 そうなると、2,250円は、捨てたと同じことになる。この心理が入札者に共通していれば、無駄な入札が、かなり際限なく続けられることになる。 入札者が多いほど、合計の入札回数は増えて、出品者(サイト運営者)の儲けは大きくなる。 そしてまた共通することは、このオークションでは、落札者の入札回数や、数回分までの入札者情報は明示されるが、それ以外、それ以前の情報は、公開されないことである。 詳細情報にも、オークション参加者の総数や、各個人が何回の入札をしたのか、といった情報は、一切公開されない。 これでは、商品が本当はいくらで競り落とされたのか、結果による金額しか、知ることができない。入札時に、検討資料として、入札記録を見ることさえできない。 このシステムは、運営者(=出品者)が知られたくない情報を、意図的に隠しているのである。 場合によっては、納税時の税務上必要な情報さえも、記録に残さないことで、都合が良いように操作されている可能性がある。もしも操作されていれば、いずれは税務調査で問題にされるだろうが、問題が発覚した時には、運営者はサイトを閉じて、姿を眩ませていることだろう。 そして、運営者が姿を消した時に、そのサイトに登録してコインを所持している『参加者』たちは、使えなくなった『コイン』を大切に握りしめていることになる。 使えなくなったコインの引き取り手は、存在しない。保有するコインの金額が多いほど、被害は大きいし、サイトの参加者(登録者)が多いほど、総額としての被害金額は大きくなる。 さて、正規に運営されていても、射幸心を煽って、運営者の儲けばかりが大きくなるシステムのオークションだが、これが『不正運用』されているサイトだったら、どうなるだろうか? 不正運用されている場合には、参加者がいくら頑張っても、『宣伝効果』がある場合にだけ、『ランダムに』落札できることがあるだけで、このタイミングに出会うラッキーがなければ、参加コイン(1回75円)は巻き上げられるが、落札は絶対にできない。 前述したように、サイト運営者が、自分のコインを使って、自分の仲間の入札者(=サクラ)によって、際限なく入札金額をつり上げていくから、一般入札者は、落札はできない。 つまり、魅力的な商品を掲載することで、できるだけ多くの入札者を集めて、入札時のコイン枚数を増やさせれば、出品者だけが『コイン代金』を、儲けることができる。 出品者サイド(もちろん、当事者ではない)が落札した商品は?もちろん、架空の『購入手続き』をして、架空の『商品発送』をして、架空の『受け取り』をすればいいのだ。 すべてが架空の中で行われるから、運用者側で金銭の動きは生じない。金銭的な損害は、全く発生しないのである。一般入札者に販売したコインの消費額だけが、苦もなく入手できるという仕組みである。 このように、出品者(運営者)側が不正に儲けようと思えば、参加者には内情を知られることなく、容易に儲けられるシステムが、ペニーオークションなのである。 運営者サイドの入札者の中には、参加登録者もいれば、架空の参加者を作って、機械的(ロボット)に入札させる場合もある。 入札期限の締め切り数秒前になると、自動的に入札が行われて、金額が上昇していっていつまでも結果が出ないという仕組みも、ロボットを利用して、射幸心を煽る運営方法に他ならない。 そしてさらにこのオークションの(運用者にとって)便利なことは、在庫を抱える必要がないということである。普通のオークションならば、希望金額以下で落札されることも多いし、その場合でも、落札が決定すれば、手続き完了と同時に、速やかに商品を発送しなければならない。 そのためには、出品する商品は、基本的に在庫品である必要がある。在庫がなければ、落札後に商品を入手することになり、場合によっては入手できない事態が起きたり、落札金額を大きく上回る金額で入手しなければならなくなり、安定した運営ができなくなる。 ところが『ペニーオークション』では、在庫を必要としない。このカラクリは、『通販の利用』にある。つまり、現実に『通販』で販売されている商品を、出品するのだから、在庫切れの心配は、ほとんど不要なのだ。 この『通販』は、Amazon.comが利用され右ことが多いようだ。ここで、前述の送料のカラクリが生きてくる。Amazonの利用者は、多くが送料を500円で済ませられる。 一般のオークションでは、商品のサイズや重量に応じて、また発送地と受け取り地の距離によって、送料が変動する。ところがAmazonでは、送料が一定していることが多いようだ。 このシステムには『射幸心を煽る』ということ以外に、『落札できなかった人の大きな犠牲』の上に成り立っている。といった『基本的な正義』は、この際横に置いておくとしよう。 参加する以上は、そのようなことは承知の上で、ギャンブル性の強さを楽しむのだ、というのならば、それはそれで、『法の規制」が無い現状では、やむを得まい。 しかし、一般入札者が落札できているのかどうかさえ不明な、『明朗性に欠ける』形態は、非常に警戒すべきだし、場合によっては、落札しても商品を入手できないこともある、多くのオークションに付き合うほど、総合すれば必ず損をする、ということを心得て、それでも面白いという、『経済的に余裕がある人』だけが参加すべきサイトである。 Amazon.comを利用できるのは、前もってコイン(ペニー)を販売できていて、その『入金済みのコイン』を利用して、入札をしている上に落札できなかった人たちの入金も確保できているから、『儲けの一部』で、商品を購入して、Amazonから落札者に直接、商品を発送してもらえばいいから。 正規に運用しても運用者に損失が出ないシステムが、ペニーオークションなのである。 このオークションの出品者は、だた唯一、オークションサイト開設者に限られている。 一般から複数の出品者があることは、現状では絶対にあり得ない。儲けが分散するようなことは、するはずがないからである。 最終結論として、ペニーオークションで大儲けするのは、出品者であるサイトの運営者だけである。 一般参加者は、広く少額ずつ、損害を被る。中には、多額の損害を被る『熱くなる人』もいるだろう。オークションに参加するために購入した『コイン』は、『返金に応じない』ことが、ルールに明記されている。『お試し』としてコインが与えられることも、サイトによってはあるようだが、この『お試しコイン』は、試用期限が限られているから、ほとんどの場合に、落札に結びつくことなく、無駄(試し)に消費されてしまう。無駄に使われたり、期限切れで消滅するコインなど、いくらたくさん発行しても、痛みがないわけである。 ペニーオークションによっては、同一運用者が、複数のサイトを開設しているケースがあるらしい。 このこと自体が、このシステムの胡散臭さ、危うさを、決定的に物語っているのではないだろうか。 この『ペニーオークションサイト』の宣伝を、livedoorのサイトでも行っている. ここに書かれている『負け組は運営者か?』なんていう記事に、騙されないように、注意をして戴きたい。livedoorのようなサイトまでが、片棒を担ぐ事態は嘆かわしいが、YAHOOや楽天が参加していないらしいのは、まだ救いである。 『いかがわしい臭い』を感じさせない、YAHOOや楽天のオークションサイトで、まともに落札することが、『損をしない秘訣』なのである。
2010/08/30
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怪しげなものから、一応まともなはずの業種までが、なだれ込むように参加・開業している、『ペニーオークション』というものを、ご存じだろうか。 市場価格が数万円もする商品を、数百円や数千円という、とてつもない価格で落札できるとされる、非常に射幸心を煽られる『オークション』の一種である。 このオークションだが、いずれは規制の網を掛けられるだろう。射幸心を煽るだけにとどまらず、法整備が追いつかないうちに、複数の『ペニーオークション』を開催して、ボロ儲けをたくらむ業者(個人)が、いろいろと現れている。 このオークションまがいの『仕組み』をよく考えれば、まず手を出す(参加する)べきものではないことは、すぐに気が付く。 だが、それでもつい気持ちが誘われてしまうのは、人間の弱い部分を、巧みに利用したシステムだからである。 人間、誰しも『欲しいもの』が『ただ同然に安く』手に入る。しかも他の人がそれを手に入れている、と知らされれば、『自分も参加して、それを手に入れたい』と思うはずである。ペニーオークションは、この人間の心理を、非常にうまく利用している。 不正な業者でなくても、『出品者』はほぼ『損をしない』全く都合の良い仕組みになっている。さらには、不正に設けようと思えば、それも可能な仕組みなのである。 この『旨み満載』の『オークションまがい』のシステムは、暴力団などの資金源としても、非常に有効なはずである。 なぜか・・・? それは次回以降に述べるが、くれぐれも『射幸心』を膨らませて、無駄なお金をつぎ込まないように、まずはご注意を戴きたい。怪しげだということは、こちらを見ただけでも想像できると思うが。
2010/08/24
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どうにも、国民にとっては『厳しい選択』である。内閣支持率は悪くもなく良くもないし、『首相を交代させるべき』という意見も、少数派になるらしい。 そして、菅首相を辞めさせて、『小沢一郎を首相に』という声は、全く盛り上がりに欠けるらしい。 でも、だからといって菅首相の政治手法が認められているのかというと、国民の間には、不安と不満が満ちあふれているように感じられる。決して『菅直人が認められている』わけではなくて、『菅首相が支持されている』わけでもないようなのだ。 首相自身は、このことを、どれほど認識しているのだろうか。どうにも、その辺からして危なっかしいのだが、そんなことで大丈夫なのだろうか? では、菅直人に取って代わることができる、民主党の指導者は居ないのか?第一番の『候補者』に挙げられるのが、小沢一郎だろう。ほかにも候補者の資格を持つ議員はいるが、『その時期ではない』と判断しているようで、菅首相継続支持を、いち早くに表明している。 迫る民主党の総裁選に立候補しそうな議員は、『小沢一郎ただ一人』と言うことになりそうな状況である。 この小沢一郎だが、国民の支持はぱっとしない。マスコミでは『政治とカネの問題』が取りざたされているが、国民はこの問題を、それほどに重視しているのだろうか。無視できることではないが、政治力とのバランスを考えれば、『国民生活を安定させる』本物の力を発揮できる政治家であれば、この問題に、一度は目を瞑ってみても良いかな? と、そう思いたい気分も、どこかに持っているのではないだろうか。 もちろん、政治家に『潔癖さ』を求めるのは当然のことだが、日本人そのものの体質に、『潔癖さ』が欠けた部分があり、『有耶無耶』が似合う国民性があることを、何となく認識している国民にとっては、小沢一郎の清廉さには期待していないが、今後の清廉潔白さは、無条件で求めたいと、そのような部分もあるのではないだろうか。 回りくどくなったが、政治手腕を求められる日本の現状では、小沢一郎という持ち駒を、利用してみたいといった気持ちも、全くないとは言えないと思うのである。 だがそれでも、『首相は菅直人で良い』という意見が多いのは、短命内閣が5回も続いたのでは、国際的な弊害が大きすぎるという、国民のバランス感覚が働いているからだろう。 この意味では、菅直人は『運が良い』と言わざるを得ない。反対に国民にとっては『運が悪かった』ということになりかねない。この時期に首相になった菅直人は、『積極的な支持』ではなくて、『消極的な支持』を、国民からやむを得ずに、与えられているのだ。 次期首相が菅直人のままなのか、小沢一郎になるのか、まだ不透明な段階だが、どちらになっても、諸外国が驚くことはあるまい。 自民党の安倍内閣以降、日本の首相が短命なのは、充分すぎるほど、知らしめてしまったから。今更、菅内閣が短命に終わっても、誰も驚かないかも知れない。 しかも、日本の政治的な評価は、もとより高くなかったし・・・。 ここで念を押しておきたいのは、国民の多くの意思である『首相は菅直人で』ということは、『みっともないから』という消極的な意思の表明でしかないことを、菅首相には、肝に銘じてもらいたいことである。 総裁選で、菅直人が再選されたとしても、それが絶対的な支持によるものではないのだから、菅直人は組閣において、小沢一郎本人を要職に就けることはできなくとも、小沢グループの人材までを、排除するべきではない。 これは小沢グループを取り込むといったことではなくて、現在の民主党には、『小沢グループに所属するから』といった理由で、人材を排除できるほど、豊富で有能な人材を保有していないからだ。 民主党を総動員しても、日本の難局を乗り切れるのか、不安を覚えるというのに、内部抗争のために、手腕のおぼつかない議員・人物を、要職に登用されたのでは、国民にとって迷惑である。 小沢一郎は、菅直人の手法に、どう応えるだろうか。小沢一郎議員にも、『国民のための国会議員』であるならば、首相が菅直人であっても、力を貸すくらいの、広い心を見せて欲しいものである。 双方ともに、そのような気持ちを持つようになったら、トップに立つ政治家(首相)にはなれない、というのなら、それはそれで残念なことである。 権力欲ばかりが強い、協調性が乏しい人物しか、日本国民は『舵取り役』に持てないということなのだから。 (面倒なので、文中の敬称は省略させて頂きました)
2010/08/23
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どうも、消費税率をアップするための口実に、「『先進国は高福祉・高負担』が当たり前。◎◎国を見習おう。」という便利な例が、引き合いに出されているような気がする。 だがこの理屈には、非常に大きな欠陥がある。官僚の作文を、意外にも無能だった政府が、そのまま咀嚼もせずに、丸飲みをして、棒読みしているといった構図なのだ。 消費税率をアップすると、なにやら儲けが出そうな財界も、こぞって『消費税率アップ』を吠えているが、それによる景気悪化が、自分たちに跳ね返ることまでは、考慮していないらしい。 財界の理論は、企業の利益率アップだけで、国民生活の安定や、弱小企業の負担などまでは、目を向けていない。「自分たちさえよければ、後のことは知ったことじゃない。」といった、目先だけの手前勝手な思惑が、丸見えなのである。 冒頭に書いた『非常に大きな欠陥』とは、官僚による、自分勝手な理屈による思考がもたらすものである。 つまり、『先進国は高負担』ということが、そもそもの間違いなのである。前提要件に誤りがあるのだから、その後の理屈が、正当に展開されるはずがない。 政策や官僚の体質が、そもそも『日本も先進国』という前提を、否定するものである。消費税率が高い先進国は、政治家も役人も、国民のために働いている(らしい)。 それに対して我が日本は、政治家も官僚も、自分たちの生活と安定を最優先させて、そのためには国民の犠牲をいとわない。 こんな公務員のための制度を維持するために、消費税率をアップさせてはならない。 日本は、『高負担・高福祉』といっても、それは国民に向けられたものではないのである。『高負担』は確かに国民に負わされる内容だが、『高福祉』の恩恵は、役人や政治家、一部の高額所得者などが浴するのである。 政治家たちが国民を説得するために使われる『高福祉・高負担』には、こんなカラクリがあるのだ。これは、日本が『後進国』であることの、何よりの証明ではないのか? こんな日本が、消費税が高い国の『先進国』という名目ばかりを利用するのは、絶対に間違っているし、承伏してはいけない部分だ。 もしも消費税率をアップさせたいなら、まずは官僚(役人)や政治家たちの意識を、先進各国の高邁さに近づけなくてはなるまい。 消費税率アップの話は、この条件が整ってからのことだ。政治家も役人も、自分を律することが出来もせずに、『先進国』の真似事だけをしようという根性は、許し難い。 税収をアップしなければ、日本経済が破綻するというなら、税収増に結びつく政策を、まずは間違いなく実施するべきだ。『子供手当て』『エコ減税』など、多くの政策の過ちが、現在も積み重ねられている。 こんな現状を改善せずに、どうして消費税率をアップできるのか。『無駄』を廃した場合に、税率の計算がどうなるのか。基礎となる条件が整わなければ、10%だろうと20%だろうと、丼勘定しかできまい。 丼勘定で決められた消費税率に、国民の生活を左右されるのは、真っ平ご免被りたい。 年金制度にも、官僚の手前勝手さが顕れている。この制度を決めた時から、将来(=現在)の年金破綻は、当然のことに、彼ら・官僚には予想できていた。 だから、厚生年金や国民年金とは、公務員年金を別の柱にしておいたのだ。 国民の年金は、公務員たちが勝手に浪費するが、自分たちの『公務員年金』は絶対に保護できるようにして、役人たちも浪費をせずに、保持してきたのである。 国民年金に至っては、納めた金額に対して、受けられる金額は『生活保護以下』のレベルにしかならない。これは、『自営業者は、死ぬまで働けるから、老齢になっても充分な収入が得られる』という、とんでもない理屈によって設定された制度だからである。 だが状況はいつでも変動する。現在は、自営業者がいつ収入を途絶えさせられるか、全く先が読めない状況になっている。 それなのに、年金受給額が、生活保護レベル以下といった状況は、少しも改善されそうにない。 こんな年金制度を、国民(無職や学生)の誰が支持できるものか。義務化をしても、支払いが滞るのは、当然の帰結ではないか。官僚(役人)たちは、自分の年金さえ確保できれば、国民の年金など、どうなっても興味がないから、こんな最悪の状態も、改善されないのだ。 では、どうすればいいのか?その答えの第一歩は分かり切っているはずだが、公務員たちは自分の老後に影響することだから、知らぬ振りを続けるだろう。 以上の結果、年金制度は、公務員年金を除いて、確実に破綻するのである。 役人たちがどんなに頑張って払わせようとしても、働けない人が、どうやって年金を納められると思うのか?義務化された国民としても、受け取れるあてが無くて、しかもその時々によって、支払い条件や受給年齢を勝手に変更される、信頼性に欠ける年金を、『将来のために』と支払い続けるような余裕は、無いはずである。 年金制度を維持したければ、為政者たちは、負担者たちが支払えるような状況を、きちんと整えなければならない。 国民が年金を納付する義務の前に、為政者が『その条件を整えること』こそが、国民の義務に優先する『最重要義務』なのである。 為政者は、その義務を果たすために、高額報酬を、税金の中から受け取っているのである。このことを忘れてもらいたくない。 年金制度破綻は、日本が『後進国』であることの一端であるが、このような例は、探せば探すほど、次々に現れる。 所得税アップを目論んで『高福祉・高負担』を言う前に、改善すべきことは、山のように横たわっている。自民党政権時代から積み重ねられた、この『ゴミの山』を、菅政権は、どこまで崩せるだろうか。 消費税率を検討する前に、これらを改善できるのか?期待はできそうにないが、とりあえず見守ってみよう。『見守る』価値があれば嬉しいのだが・・・。多分・・・ダメだろうなぁ・・・といった絶望感もある。
2010/08/22
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猛暑が続き、雨が少ない庭は、草木の元気がないように感じられる。 そこで・・・というわけで、水を撒いてやろうと、珍しく『やる気』を出した。散水ホースをリールから引っ張り出して、狭い庭の隅々まで、たっぷりと水をまき散らしてやろう。 そんなことを考えながら、ホースの先を握った。 その時である。握った手の、親指と人差し指の付け根付近を、たくさんの針が付いた棒で、力一杯殴りつけられたような、激しい衝撃が襲ってきた。 まるで『電気ショック』のような激しさで、手をはじき飛ばされたように、ホースが手から離れてしまった。その瞬間は、何が起きたのか、原因を理解できなかった。 はじかれたホースを慎重に眺めると、その握っていた付近に、鮮やかな黄緑色の、小さな虫がくっついていた。 気持ちが悪いかも知れないので、写真は縮小表示してあります。ダウンロードしたり、クリックすると、大きな写真になるので、ご注意下さい。 グロテスクな姿を、いかにも危なそうな針で包み、全身武装をしている。こいつの名前はクロシタアオイラガ。 その前日には、こいつが居そうだと思える木の枝を、思いっきり伐採して、数ミリ程度の群生を、根こそぎ退治したはずだった。 ところが、手を出さなかった隣家の、同種の木の枝から、こいつは、我が家の散水ホースの上に、乗り移っていたらしいのだ。 隣家とは言っても、我が家の通路にまで張り出している枝に付いている、不気味な毛虫は、殺虫剤を散布して、退治させてもらっている。我が家の樹枝伐採の折りにも、隣家から伸びている枝にこいつの存在を認めたので、処分をしておいた・・・はずだった。 だが、もしも隣家が飼育でもしていると申し訳ないので、徹底的な駆除はせずに、済ませておいた。 その『思いやり』が、奴の仇討ち行動となったわけである。情けは無用だったのだろう。だけど、まだ隣家から伸びた枝の下には、こいつの仲間の糞が、散らばっている。 順調に、健やかに成長を続けているのだろう。 『電気ショック』を受けたその後の私だが、激しい痛みが、刺された場所を熱くさせていた。 そこで、すぐに家に飛び込んで、被害場所に触れないようにして、流水で洗い流した。充分に洗い流してから、荷造り用のテープを、そっと患部に乗せて、幾度もそれを繰り返した。(イラガの場合には、瞬間に毒液を注入するので、毒針を残す種類の毛虫とは、対処方法が違うようだが)この処置を済ませた後で、『虫刺され』用の薬を塗って、傷テープで患部をカバーしておいた。 この処置が効果的だったのかどうか、よくわからないのだが、とりあえずは、処置を済ませた頃には『痛み』はほとんど感じなくなっていた。 自己満足だが、痛みが薄らいだことを良しとして、当日は仕事に出かけた。 わずかに『別の症状』が現れたのは、さらに1日が過ぎてからのことだった。 痒みが出てきたのである。なぜか?インターネットで調べてみると、イラガの被害では、これが普通の症状なのだそうだ。 私の処置は、まったくの間違いではなかったが、薬の選択などで、非常にいい加減だったらしい。それでも軽症で済んだのは、不幸中の幸いだったのだろう。 今日現在では、痒みの症状も、ほとんど感じない。だがこの『毒』は、蓄積されてアレルギー症状を起こすということなので、次回以降は、こいつに触れないように、気を付けなければならない。 春先から夏にかけては、こいつのような猛毒を持つ毛虫(昆虫)が、いろいろと出現する。 虫除けスプレーでも対処できないのだから、厄介な奴である。野山を散策(ハイキング)する時には、特に『手元』『足元』には、注意をして行動したいものである。 長袖と手袋、帽子などが必須のアイテムになるのだろうが、ここのところの猛暑では、そんな出で立ちで、外を歩きたくはない。 ただただ、注意深く行動することだけが、猛虫の被害に遭わないための対策になるのだろう。 皆様も、ご注意を。ついでに、熱中症にも、ご注意下さい。 --
2010/07/27
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最近の菅直人首相の表情をテレビで見ると、参院選の惨敗後は、うつむき加減で、笑顔にも元気がない。 精気が感じられず、笑顔が暗いのである。 自分の発言が主要原因となって、あれほどの惨敗を喫したのだから、これで明るく笑っていたら、精神構造までを疑われてしまうだろう。 だが、それならばどうすればいいのか?今後は、実効性のある政策を矢継ぎ早に繰り出して、国民の生活を、目に見える形で改善させるほかに、方法はないだろう。 そのような政策があれば、自民党だって与党時代に、とっくの昔に実施していただろうから、現実問題としては、難しいだろう。 だが、『自民党ができなかったのだから、方策がない』と、諦めるのは早計である。自民党だからこそ、癒着問題があって、実行できなかった施策も、無かったとは言えまい。 そこのところを洗い出して、自民党だからこそできなかった、別の視線からの有効策が、見つかるかも知れないではないか。 それができないと諦めるのは、参院選直前に、菅首相が発言した『消費税問題』と同じ思考に陥ってしまうからである。 菅首相は、つまらない奸計(菅計)を弄するから、自身がその穴に落ちてしまうのであろう。自民党が言い出したことだから、それに乗ってしまえば、争点が失われる、などと考えたのなら、それは『国民無視』の思考に他ならない。 このような思考が、国民には無関係として、拒絶されたのだ。 自分の内閣なら、どのような政治を行うか、と正攻法で思慮すれば、ブレることが無くなるだろう。他人の政策を拝借しようとするから、自分で理解していない部分が『ブレ』となって、またぞろ、批判の対象になる。 これが自分の発案であり、自分たちで練り上げたものなら、批判を浴びても、ブレることは無くなるはず。 多分、鳩山・前総理のブレ問題も、同じような要素に根付いていたのだろうと、想像する。自分たちのブレーンが、野党時代から練り上げていた方策なら、普天間問題でも、筋を通し切れたのだろう。 ところが、与党になってから始めた『やっつけ仕事』だったものだから、主要部分を『自民党案』に頼らざるを得なくなり、そのような箇所で理解不足や対応不足が生じて、ダッチロール発言に陥ってしまったのではあるまいか。 菅内閣に、起死回生の施策が見つけられるかどうか、それが首相の指導力や『求心力』に、結びつくだろう。 ただ、現状では、国民は菅首相には、何も期待できない。 消費税発言は、思い切って『全面撤回』を打ち出して、どう批判されようとも、『今後の検討課題』と押し切り、ゼロに戻して、国民に詫びることから、菅首相は、始めなければなるまい。 それによって、参院選の結果が覆るわけではないが、国民が『頼りない首相』に、今後の生活を任せられない、と言う心配が、わずかでも拭えるならば、それは、やるべきである。 無条件で、消費税率アップを求めている経済界からは、支持を得られなくなるだろうが、自分たちの利権ばかりを追求して、消費税の問題改善を、全く無視し続ける経済界などは、蹴飛ばしてしまえばいい。 国民視線を、どのように取り戻せるか、それが菅首相に、問われているのではあるまいか。 国民からの支持が取り戻せれば、政権の力は強まるだろうし、経済的にも安定するのではあるまいか。 いずれにしても、今の菅首相の表情では、国民の気持ちまでが、落ち込んでしまう。 小沢・前幹事長には、会っても貰えないそうだが、『絶好調男』の参院選前に、『絶交調男』を演じてしまったのだから、関係修復には、相当の努力が必要になるのは、仕方がないことである。 大人げない、と言ってしまえばそれまでだが、『男はいつまでも、子供の心を持っている』と言うではないか。まぁ、これは『遊び心』のことを指しているのだろうが、他の面でも、『子供のような精神』を持っていると思えば、小沢・前幹事長だって、そんな面があると思えばいい。 そんな可愛いものじゃない・・・という声も聞こえそうだが。 今や、小沢一郎さんにとっては、参院選前に菅首相から言われた言葉を、そのまま首相に返したい気分なのだろう。『しばらく発言を控えて、静かにしていたらいかがか』と。 首相という立場上、発言を控えるわけにもゆくまいが、そのくらいの気持ちで熟慮してから発言をしないと、菅直人さんの地位からして、非常にまずいことになる。 私は個人的に、菅直人議員に期待をしていたのだが、首相になったとたんに(なる前から)、これほど知能の低さを露呈するとは、思ってもいなかった。 まだ『支持したい気持ち』は残っているが、支持できる要素が、ほとんど見つからない。 私個人としては、『首相を支持できない』ほうに傾いてしまう、困った状態なのだ。 この私の気持ちに、鳩山・前首相と小沢・前幹事長も、多少は重なっている部分がありそうだと、予想している。 本当なら、こんなに『無能ぶり』をさらけ出した首相は、早く交替させたいが、それをやったら自民党政権と同じになり、民主党そのものが持たなくなる。 もちろん、政界再編成を目論む勢力(小沢一郎さんら)としては、それも『想定内』かも知れないが、そうなれば、国内の混乱は、さらに続くことになる。 国民生活にも大きな影響を与えて、それは『再編』した政治団体への批判になって、跳ね返ることも考えられる。 そこまでを考慮すれば、菅首相の無能は国民に見られてしまったが、任期中は支えるか放置をしておき、次の首班指名で落とせばいい。 それならば、党内抗争という見られ方が弱まり、手続きに則って、正規に首相が交代した、と言う体裁を作れる。国際的な信用は、また低下するだろうが、自民党政権時代から続けられたことだから、『民主党になっても首相が短期間で交代する』ということが、日本では『常態』なのだと、慣らしてしまえばどうということはない。 菅首相の面会要請には応じなかった小沢一郎さんだが、一蓮托生として『引きずり降ろされた』はずの鳩山由紀夫さんとは、会談をしたそうである。 この会談の席では、『危なっかしくて見ていられない』菅首相の処遇について、存分に話し合われたことだろう。 そして、外野席から『冷たく見守る』ということに、落ち着いたのではないだろうか。 枝野幹事長も、かなり強度に落ち込んでいるらしいし、『小鳩さん』らが外野から眺めているだけで、勝手に深みに落ちていくことだろう。二人が手を下すまでもなく、国民の審判によって、政権の座を追われるなら、そのほうが風波が立たないだろう。 と、そんな結論が出たのではないか、と勝手に想像をしてしまう。 菅首相の『求心力』は、一庶民の私から見ても、哀れなほどに低下している。 元はといえば『高支持率』の『バブル』を、『現実』と勘違いをした菅違いに、始まりがある。何も実績がないのに、就任直後には、支持率が異常なほどに上昇した。 これは、国民の『期待感』だけが押し上げていた、『夢の数値』だったのだ。その夢を、しっかりと『夢』として受け止めれば良かったものを、菅首相は、『根拠のある数値』だと思い込んでしまったようだ。 そのために、不用意な『消費税問題』にまで踏み込んでしまい、小沢・前幹事長への『静かにしていて・・・』発言にまで至ってしまった。 後者の発言に対しては、国民の一定の支持も得られたと思うが、これが禍根を残した。首相の求心力が低下した時に、支えになるものを失ってしまった。 まだ首相は『支えなど不要』だと思っているだろうか。あの表情の暗さから察するに、そうは思っていないように見える。 現状では、自民党はあの体たらく。民主党にも、頼れる人材が乏しい。その他のミニ政党では、政権担当能力がない。 それではどうすればいいのか?求心力が失われている菅首相に、続投してもらうか?これまた『究極の選択』になりそう。 いずれにしても『究極の選択』になるのなら、いっそのこと、政治力だけは強力にありそうな小沢一郎衆議院議員に、表舞台に立ってもらって、『本物実力』を、存分に見せてもらおうか。 国民からも政治家からも、かなり嫌われていそうな人物だが、今、日本が政治力を求められているのなら、このような選択肢も、無いわけではあるまい。 この選択によって、日本の経済が復活できるなら、任せても良いではないか。 古い政治手法だ、などという批判も出ているが、小沢一郎という議員は、古い手法の中に、間違った部分も、長い経験の中で、身をもって知っているはず。その『経験』が、修正能力として作用することに、期待するほかはあるまい。 故・田中角栄首相も、晩年は『被告』として、政界から去っていった。小沢一郎が、田中角栄のように日本を成長させられるのならば、経済を成長させてから、逮捕 → 起訴 → 有罪と進めて、田中角栄と同じ道を、歩んでもらえば良いではないか。 首相になって成果を後世に残せれば、『小沢一郎』としては、政治家として悔いはないだろう。田中角栄とは、一部で逆コースを辿ることになるので、同じように政治生命を絶たれるようなヘマをするかどうか、それはわからないが。 ちょっとばかり『怖いもの見たさ』で、閉塞感から逃げてみたい気もする。 猛暑続きの折、『小沢一郎の登場』は、冷気を呼び込むかも知れない(お化け屋敷か?)。 それにしても、菅首相・・・求心力が無いなぁ。 --
2010/07/24
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かなりの長期間にわたって、耳障りな音が、テレビから流れ続けた。ワールドカップサッカーが、南アフリカで開かれたために、彼の地の楽器(?)らしきものによって、まるで耳元でアブが羽音を立てているような、耳障りな音が、流され続けることになってしまったのだった。 その音がようやく聞かれなくなったと思ったら、我が家ではまだ、そのブブゼラの音が聞こえるという。「気のせいじゃないの?」と言えば、「耳障りなのは同じよ。それよりもひどいのは、お父さんの“天然の”ブブゼラは、鼻ざわりも迷惑なのよ!」だそうだ。 ようやく忘れられそうだったブブゼラの、我が家での発生源は、この私だったというのだ。それなら、妻君だって時々は鳴らすじゃないか?「たまにはね。フフン!」と宣って、知らん顔を決め込んでいるじゃないか? 私のブブゼラは、かなり長めに吹き鳴らすから、耳障りだと言うことなのだろうか・・・。 おっと! 話題に事欠いて、つまらない日記を書いてしまった。世間では、韓国から某・元女性工作員が来日して、ニュースになっているというのに。 話題に事欠かない日が続いているというのに、何というつまらない、臭い日記を。 ここはひとつ、九州地方も、ようやく梅雨明け宣言がされたと言うことに免じて、見逃して下され。 それにしても、梅雨明けと同時に、猛暑に襲われてしまった。昨日から、少しばかり頭が重い。 熱射病気味なのだろうか? それとも冷房病?知恵熱なら、年齢に関係なく嬉しいのだが、劣化が進んだ脳細胞で、それはあり得ない。 それよりも、今年の猛暑を、乗り切れるのだろうか?もっと心配なのは、来年の猛暑のことだ。来年のことを心配しても、鬼に笑われるだけだろうか? 鬼の笑い声って・・・ブブゼラよりも耳障りなような気がするぞ。私のブブゼラよりは、きっと、かなり不気味だ。 --
2010/07/20
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日本の経済を心配して、IMF(国際通貨基金)が日本に、税金のアップを提案したという。『提案』というよりも、ちょっと強い『指導』だろうか。 これに対して、我が国の首相は、『意を強く』したり、また『勘違い』をしないだろうか? と心配になる。 大体が、IMFなる国際機関は、本当に日本の現状を把握しているのか?内情と国民の心配事を、よく調べもせずに、机上の空論だけで『余計な提案』をされては困るのだ。 彼らにとっては、税率をアップさせれば、日本の税収が増えるから、『借金の解消』に効果的だ、と短絡的に考えるのだろうが、日本には特殊事情があるのだ。この特殊事情については、ヨーロッパ人には、多分理解不可能だろう。 さてこの『特殊事情』だが、日本では、簡単に税率だけをアップさせても、それが国民のためには利用されない。 もちろん、税率アップは簡単なことだ。庶民が、いくら反発しても、『お上の意向』によって、一方的に決定できるのだ。 このへんのところは、『自由主義国家』であり『民主主義国家』のはずの日本だが、現実には『官僚独裁国家』であるのだ。『自由』は、官僚のためにあるようなものだ。 だから、税率をアップさせても、それは庶民のためには、役立たない。アップによって増えた税収分は、今まで同様に、官僚のための福祉や、不足がちな公務員年金などに使われてしまう。 つまり、国民の福祉には回されないし、回されたとしても微々たる金額だし、国民の医療費など、将来の不安解消のためには、活用されない。増税による効果として、国民(庶民)の生活は、いよいよ貧しさを増し、消費は停滞する。 今年の公務員ボーナスを見てもわかるように、彼らのボーナスばかりは、『景気回復』という、表面を捉えた捏造データを駆使して、支給金額を増やしている。 職にも就けず、ボーナスも貰えない多くの庶民がいることさえ、彼ら(官僚)の眼中にはない。彼らは、自分たちさえよければ、庶民や国家財政のことなど、お構いなしなのだ。 そして彼らは、増額して手に入れたボーナスを、しっかりと貯め込んで、市場に回そうとはしない。 だから、こんな日本の状況も知らずに、勝手に増税の提案をするようなIMFなど、悪い言葉で言えば『糞食らえ!』なのである。 民主党が参院選で大敗北を喫したのも、日本の庶民が、増税によって将来が安定するなど、信じていないからなのだ。 どうせ無駄遣いが増えるだけで、官僚や富裕層が潤うだけ、と見透かしているからこそ、増税の必要性を知っていながら、賛同できないのである。 日本に増税をさせたいなら、IMFは外圧をかけることよりも、官僚の体質改善をこそ、優先させて提案するべきだ。話はその後だ! こんな提案を真に受けてしまったら、菅首相は、どんなに悩んでも、落ち込んだ顔をしても、小沢一郎・前幹事長には、会ってもらえないよ。 小沢さんも、大人げない気がするけれど、こんな姿勢を貫くことが、政治家の政治家たるところなのだろうね。『枯れて』しまったら、政治家は務まらない? --
2010/07/17
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民主党の菅直人首相の『消費税発言』と、その関連発言のブレによって、選挙直前から下降を始めた支持率は、その後も急降下を続けて、投票日当日には、内閣支持率は調査されていないが、かなりの勢いで、記録的な下降線を描いていたと思われる。 その『支持率急降下』の結果として、民主党は参議院での議席を、大きく減少させた。 これは、『責任論』を待つまでもなく、首相就任によって支持率が急回復した菅首相の、『思い上がり』が招いた、消費税発言による結果である。 当然のことに、どのような形式を執ろうとするのかは判らないが、『惨敗』の第一の責任は、菅首相にあることは、間違いない。 急角度で上昇した支持率は、そのまま上昇し続けることが難しくても、急降下に転じることは、非常に簡単なのだ。選挙戦術が未熟な菅首相だと仮定すれば、この部分の読みが非常に足りずに、支持率急上昇に浮かれて、選挙前にはタブーとされて、過去にも実証されている『消費税問題』に、事前説明もなく不用意に踏み込んだ菅発言が、多くの同胞を失う結果になった。 確かに首都・東京では、景気が回復基調にあるのだろう。だが、消費税アップに踏み込めるほど、堅調感はない。さらに周辺地域から地方にかけては、格差が広がって行き、『景気は悪化している』という実感さえ抱いている。 そのことを知ってか知らずか、東京を中心とする新聞各社は、『国民は消費税増税も、否定的ではない』と、報道し続けた。 この『新聞各社』の、意図的な情報操作にまんまと乗せられた菅首相が、『消費税増税論議』に踏み込んでも、支持率は安泰だと、誤った認識を持ってしまったと思われる。 このような『誤認識』を持つこと自体が、菅首相が世間の感覚から乖離してしまった、という証明でもあるのだが。 大新聞を初めとする大マスコミは、菅首相に誤った情報を提供することで、結果的に自民党を復活させた。 これが、まずマスコミの深謀遠慮によるものだろうと思う。菅首相のマスコミ対応姿勢が、マスコミに嫌われていた、ということと同時に、民主党が政権を担当することについても、これを阻止したいのだろう。 マスコミが民主党を嫌う原因のひとつには、『官房機密費』の存在があるのではないか、と疑っている。 一方で、菅首相の奸計?(菅の計略?)もありそうだ。首相が、それほどの策略家だとは思えないのだが、支持率を低下させれば、当選者数は減少する。 だがそこで落選する多くの候補者は、複数立候補者のうちの、『第二』の候補者が多くなる。これはつまりは、小沢・前幹事長の選挙戦術を、破綻させることになる。 小沢チルドレンの増加を、阻止することにもなる。この結果、参議院でまで、小沢勢力が跋扈することを、防ぐことができるのだ。 肉を切らせて骨を断つ、といった戦略だろうか。これで政権運営は困難になったが、自民党の一部などと、政策協定を結ぶことで、政局を乗り切るつもりかも知れない。 現実には、こんなことはできないだろうが、政治家のすることである。このくらいの計略がなければ、選挙直前の菅発言は、あまりにもつたなすぎる政治感覚だと、心配になってしまう。 こんな程度の首相で、日本の操縦は大丈夫なのか?何もできないうちに、何の実績も残せずに、1ヶ月あまりで首相の座に危険信号が点ってしまった菅首相。 続投の意欲を表明しているし、国際的な信用という面からも、アメリカ一国との関係を重視する『普天間問題』以上に、信用を重んじなければならないので、続投はやむを得まいが、もっと『痛みを感じさせる提言者』を、側に置かなければなるまい。 菅首相は、『痛い言葉』に、耳を傾ける度量をお持ちだろうか?是非とも、それは持って戴きたいものである。 参院選における惨敗の結果、菅首相の言葉に、責任の感覚が戻っているように感じられる。この『反省』の感覚が、今後も持続することを、期待したい。 菅首相は、首相の座に就いてから、多忙を極めたのだろう。善意に解釈しておくが、この極度の疲労から、サミットにおける発言ミスの連発もあったのだろうし、消費税アップの提言も行われたのだろう。 疲労した思考のうちに、苦手な財政問題に、触れるべきではなかった。そんな判断もできなくなるのが『疲労』なのだから、やむを得ない流れだったとも思えるのだが、その結果が、参院選における惨敗だったのだから、菅首相としては、悔やんでも悔やみ切れまい。 それよりも、恨み節さえも唸りたくなるのが、職を失った落選議員たちだろう。 すべては、後悔先に立たずである。 私の選挙区では、現職の大臣までが、落選した。ご当人(千葉景子・前議員)が一番理解しているようで、『もう良いのではないかと判断された』との弁があったが、まさにその通りで、有権者は、彼女の仕事ぶりに、『議員を続けなくても良い』と批判を突きつけたのだ。 現職の閣僚だから、選挙は有利とは、きちんと仕事をして、実績を残した大臣に対して、当てはまるのだ。千葉大臣について考えれば、彼女は何の働きも見せていなかった。『法務大臣』として、何らかの働きをしていたのか? 職責さえも、果たさなかったのではあるまいか?そんな疑念を抱かれたなら、再選はあり得なかった。 民主党の複数候補者に対する戦略的なものもあっただろうが、それを抜きにした『浮動票』の行方は、働かない大臣の存在を、許さなかったのだろうと思う。 法務大臣が、死刑反対論者なのは、それは『自己主張』としては結構であろう。だが、職責という点では、個人の信条を抜きにして、客観的に必要な『執行命令書』には、署名しなければなるまい。 自民党政権時代の某大臣のように、闇雲に署名をして、疑念の残る死刑までを執行してしまっては、これまた問題ではあるが、全く執行しないというのは、職務放棄でもある。 被害者の感情は、千葉大臣はどのように、自己の中で解決しているのか。『署名せず』ならば、その解釈について、被害者を納得させるような、説明がなされるべきだろう。 働かない大臣だから(それだけが原因ではないが)、有権者は再選を拒否したのである。 菅首相は、千葉大臣は議員でなくなっても、続投させる意向のようだ。 内閣とともに、菅首相も、大臣たちにも、国民は『信望遠慮』を突きつけた。もうこれ以上の信望は、遠慮をしたいということである。もちろん辛抱も遠慮したい。 さて・・・民主党は割れるのか?小沢一郎待望論などが、台頭してくるのだろうか・・・。 自民党には、それほどの期待を寄せてはいない。戦後の日本を、最近では悪化させる方向にばかり導いてきた、大きな(マイナスの)実績がある。 前回の衆議院総選挙の総括も、済ませているとは思われない。民主党の失敗によって、相対的に議員数が増えただけなのだ。それに気づかずに、総裁以下が浮かれまくっている。 こんな自民党では、今後の日本を任せるには心許ない。相変わらずの、世襲議員の輩出政党でもある。タレントを、たくさん擁立したりして、国民を愚弄してくれてもいる。 まだまだ、自民党にも『信望遠慮』なのである。 みんなの党は?悪くはないかも知れないが、未知数。これから育つ党に、日本の『今』を任せるには、時間がない。 個人的には、党首が連発する『アジェンダ』とやらが、非常に耳障りだ。ワールドサッカーで流れている『ブブゼラ』と同じように、『アジェンダ』を連発されると、それだけで耳をふさぎたくなる。 『マニフェスト』という言葉が嫌いなら、日本語で言ってくれ!『政党公約』でも良いじゃないか! --
2010/07/12
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夕方遅く(19時近く)に、参議院選挙の投票に行った。そこで、以前とは違う光景を見た。 前回の衆議院総選挙の時は、夕方(もう少し早い時間)に、同じように人の流れを見ると、今回とは違っていた。『投票率の低さ』が心配されるほど、投票所に行く人の姿が少なかったのだ。 それでも、終わってみれば、投票率は結構高かった。 それが、今回は投票所に行く人の姿が多く、絶え間なく会場に吸い込まれていく。私の家族が投票に行ったのは、私よりも数時間ほど前だったらしい。 その時にも、「人の多さを感じてきた」と言っていた。それならば、全体を通して、時間を問わずに前回よりも、投票者数が多かったということなのだろうか。 投票が締め切られてみなければわからないが、もしもこの『感じ』がその通りであれば、今回の投票率は、選挙前に心配されていた『投票率の低下』は、まったく逆に作用したことになる。 国民が、『今回は投票しなければいけない』というような、何らかの『危機感』を感じ取った結果だと思われる。 その『危機感』は、どこから来たものだろうか。私が想像するには、菅首相の度重なる発言の数々に、その要素があったように思う。 菅首相の発言や行動が、『選択の迷い』を国民に与えて、投票率が低下するかと思った。だが、ミニ政党が乱立するなどして、選択肢が増えすぎて、迷う確率が高まったにもかかわらずに、投票率が高まったとすれば、その一点での『効果』は、菅首相の『お手柄』と言えよう。 投票の結果が、与党・民主党に有利に働いたのか、ミニ政党に分散されたのか、それはわからない。だが、いずれにしても、菅首相の迷言は、有権者の投票行動に結びついたらしいとは、想像できる。 与党の過半数割れで、政権は今後も混迷するかも知れない。その『危険性』を予知しながら、投票率のアップを目指したならば、菅首相は『国民レベル』での、選挙の名手だといえるかも知れない。 もしかしたら、小沢・民主党前幹事長よりも、『投票率』ということだけに関しては、優れた才能を持っていたのかも知れない。 これ(投票率アップ)が、菅首相の計算によるものだとしたら、という仮定での話だが。 しかし、この投票率は、民主党にとって、どのような風が吹いているのだろうか。それだけは、開票結果を見なければわからない。 だが、小沢一郎さんの選挙手法とは、明らかに違う面がある。小沢さんの場合には、『自党の勝利』に重点を置いた選挙戦術になる。だが菅首相の場合には、自党の勝利よりも『投票率』そのものに、影響力を発揮した。 開票結果次第では、菅首相は与党(とその支持者)からは、批判されるだろう。 しかしこれは、菅首相の『自己犠牲』的精神によって、有権者の関心が総選挙に向けられた結果なのだから、その勇気には、拍手を送っておこう。 個人的な感想を述べれば、菅首相がこれほど、『自分の言葉の影響力』を計算できない、身勝手な政治家だとは、思いもしなかった。 まだ期待を寄せても、大丈夫なのだろうか?かなり、心配になっている。 カネの問題は抱えているが、国民生活だけを考えれば、小沢一郎さんに、菅首相に代わって政治を行って欲しい、と『妙な期待』を抱いてしまう。 小沢さんは『嫌われる政治家』ではあるが、ご自身の発言を、どのように実現できるのか、それとも『馬脚を現す』だけなのか、手腕を見たい気分もある。 『お化け屋敷を覗いてみたい』といったレベルかも知れないが、菅首相の手腕に『赤信号』が点れば、究極の選択として、『冒険』をしてみたくもなる。 小沢一郎では、本当にダメなのか?この選択肢は、『国民の自己犠牲』がなければ、実現しないことなのだろうか。 さてさて・・・選挙の結果は、どう出るだろうか。それよりも、国民の興味は、ワールドサッカーの、今夜の決勝戦の方に向いているのだろうか? テレビ速報は、今夜は忙しくなりそうだ。 --
2010/07/11
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消費税率は、民主党の菅首相の脳内では、10%で決めたそうな状況になっている、と想像される。 だけど、菅直人は、いつから『庶民感覚』からこんなにも乖離してしまったのだ?いわゆる『庶民感覚』などは、彼にとっては、政界におけるキャッチフレーズに過ぎないものだったのか? 場面に応じて、都合よく利用できる、便利なアイテムだったわけか?そう思わざるを得ないような、消費税率アップに向けた、拙速な動きである。 だから、切迫する参議院選挙で、支持率を急落させている。庶民(国民)を、あまりにも軽視したのではあるまいか。ご当人にその気持ちが無くても、国民は『深層心理』を、敏感に察知する。 国民の多数は、『税率アップはやむを得ない』と理解しているが、それは手順について、納得できる方策がとられた場合に限られるだろう。この『納得できる方策』が、菅首相ではとられるのか否か、危惧されるのでは無かろうか。 もっと政治力のある人物だと、期待していたのだが、こうまで短期に、未熟さ(傲慢さ?)を露呈されると、不安感が募る。 菅首相は、小沢一郎・前民主党幹事長を排除することで、民主党の支持率を急回復させたが、国民に知られずに、裏取引でもやむを得ないから、小沢一郎という政治家の能力を、密かに借りることを、選択肢としても良いのではないのか。 『カネの問題』で、国民の評判は芳しくないが、小沢さんの政治家としての感覚は、ある部分では、国民感情に近い。 これは、小沢さんが普段からこなしているとされる、津々浦々における『辻説法(?)』の効果かも知れない。『古い手法』を用いる『古いタイプの政治家』だとは言われるが、まだ未熟な与党にとっては、学ばなければならない部分は、多そうな気がする。 国民向けには『排除』が喝采を受けたが、活用できる手法については、『悪い部分』を除いて、大いに活躍してもらえばいいのだ。 政治家としての経験は、菅首相も豊富だが、それでも、現実的な政治手法として、小沢一郎議員に見習うべきところが、まだ多いと感じる。 現状では、しばらくは『安定』のために、表面的にも民主党に政権を担当させなければなるまい。あくまでも『表面的には』の段階に後退してしまったのだ。 この『やむを得ない』感覚が、今回の『不在者投票』の事前投票数の低下に顕れている。 早く『不在者投票』を済ませておきたいのに、不安を覚えてしまうために、どこの誰に投票すべきか、自分の一票を託すことに、逡巡してしまうわけだ。 そのために、投票行動に結びつかない。『必ず投票に行く』とアンケートに答えた人が多かったはずなのに、実際の投票日になると、投票率が低くなってしまうかも知れない。 もしもそんな結果になったら、その責任は、第一に菅首相にある。国民の信頼を、傲慢さによって失ったために、投票率の低下をも、招いてしまった、ということになるからだ。 事業仕分けで好評を博した民主党ならば、自分たちの政治についても『事業仕分け』を行って、見直すべきところは、真摯に見直して戴きたいものである。 まずは、『子供手当て』を、日本には無縁の、外国在住の外国人(子供)にまで支給するといった、多くの国民にとって理解不可能な、無駄なばらまきを、即刻中止&見直して戴きたい。 さらに、『外国人に大量の生活保護』といった、あまりにも『お役所仕事』の見本になるような馬鹿なことは、臨機応変に修正を指示して戴きたい。 こんな裁定を下す役人は、『仕分け』によって、即刻、閑職に追いやってしまえば良い。彼らは、国民の税金を『自分の金』とは思わないから、こんなに無責任なことをするのだ。 こんな官僚の意識は、消費税率をアップさせても、絶対に変わらない。アップして増収になった税金は、彼ら・官僚が、今まで同様に、無頓着に使ってしまったり、官僚のためだけに使ってしまったりするだろう。 この『官僚』の意識を、根本から変革できなければ、消費税率アップは、ザルに水を注ぐようなことにしかならない。 だから、消費税率アップを議論する前に、処理しなければならないことが、非常に多いというのだ。菅首相は、そして民主党は、弱小野党の提言でも、『善政』に繋がるものは、積極的に採用すべきだ。 こんなことで『ブレる』なら、私は国民の一人として、そのブレを認めよう。 民主党が『短命政権』では、日本の政権までが、首相の人気と同様に『短命』になってしまい、日本の国際的な信用度が、さらに低下する。 だから、民主党には、しばらくは政権を担い続けてもらいたい。しかし、菅首相までが自民党の首相たちのような体たらくでは、その未来は明るくはない。 『残念ながら・・・』という結果に終わらないことを、菅政権には願っておきたい。 無理か・・・・・? --
2010/07/08
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このリンクタグは、OKなの?楽天は、規制が多いのでOKかどうかを試してみます。 ちょっと細工をしてみたのですが、やはり楽天では、『スクリプトタグ』は、拒否されてしまいました。 さらに、上記のサイトは、アップしてある写真は、会員がログインしてからでなければ、見られないようです。 トップページに、自動的にジャンプしてしまいます。ログインした状態で、上のリンクをクリックすれば、アルバム内の写真に、直接アクセスできるのですが。 なお、特定の相手に、メールで送れば、そこからリンクをクリックすることで、写真が見られるようになるそうです。 ニコンのシステムは、セキュリティとしては良いのだろうが、ある部分では、面倒で不親切なようでもあります。 登録の追加をして、リンク先を変更してみました。スクリプトは使えませんが、リンクだけはOKかと思います。 --
2010/07/07
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ゆうパックの『遅配』が、大きな問題になっている。以前のペリカン便ドライバーが、古くからの顧客に対して、目を潤ませて、「期日に配達できる自信がないので、他の業者に頼んで下さい」と、集荷を断っているという。(朝日新聞の記事から要約) このような事態は、現場では統合以前から危惧されていたことだという。予測されていながら、それを防止できなかったのは、現場の声を繁栄できない企業のシステム(体質)が、問題なのだろう。 今回の大失態で、統合された日本郵政とペリカン便の合体企業が信用を回復するには、長期を要するだろう。その間にも、ヤマト運輸と佐川急便の2強との差は、一方的に開いていくだろう。 一旦失った顧客を、また取り戻すのは、想像を絶する企業努力が、必要になる。だが、日本郵政の体質では、その努力はできないだろう。 たとえば、一旦ヤマト運輸と顧客関係ができた取引先は、日本郵政が『もう大丈夫ですから』と言っても、取引先に不具合がないのに、信頼関係を築いた集荷員を、簡単に斬り捨てることはできまい。 それが、日本の『人情』というものだから。 兎に角、今回の大失態によって、新生・日本郵政は、もしかしたら、単独で事業を行っていた時のゆうパックよりも、そしてペリカン便よりも、さらに業績が悪化するかも知れない。 このような事態になったのは、ペリカン便をゆうパックが吸収したからではあるまいか?この関係が逆だったならば、『お客様本位』という、民間企業の本質は、守られたのではないか、と想像する。 ことは、そう単純ではあるまいが、ゆうパックの集配態勢には、単独企業の時から、問題が多かった。 いわゆる『殿様商売』で、荷物に対する『責任感』のレベルが、基本から間違っていた。そんな事例を、何度も見ている。 私の地域だけかも知れないが、そうとも言い切れない。 その事例とは、★ 配達しきれなかった荷物を、配達員の個人の自宅に持ち帰り、 自宅から、翌朝に配達先に届けている。★ 留守宅への配達ができなかった場合に、配達員との連絡が付きにくい。 これは一例だが、こんなことをしては、顧客の荷物の所在が、一時的にせよ、行方不明になってしまう。配達できなかった荷物は、営業所に持ち帰り、『未配荷物』として、記録に登録すべきなのだ。 ヤマト運輸などが、どのようにしているかは、知らない。だが、このように、荷物の動きが把握できなくなれば、受取人が、荷物の動きを『検索』によって追跡したくても、『配達中』としか表示されず、不安を覚えさせることになる。 内容物がどのようなものかもわからないのに、たとえわかったとしても、それを個人の家に保管するなど、『個人情報』としても、『配達責任』としても、あってはならないことである。 日本郵政は、郵便物でも、普段から配達しきれないものを、配達員が自宅に持ち帰っているのではあるまいか? そんなことが疑われかねないのだ。これは、日頃から日本郵政が、社員(職員)教育を、おろそかにしている、ということになるだろう。 赤字が膨らむ一方だったにしても、ペリカン便は、とんでもない相手(日本郵政)と、手を組んでしまったものだ。 お客様を大切にせず、『親方日の丸』体質が、深く食い込んでしまっている『日本郵政』は、この体質を改めることは、非常に難しい。 ペリカン便は、赤字が負担になったのならば、宅配事業から撤退するか、ほかの大きな『民間企業』を、統合相手に選んだ方が良かったのだ。 郵便事業の民営化には賛成なのだが、きちんと対策を講じないままに、民営化だけを進めた『小泉改革』は、兎に角間違っていた。 こんな体たらくだからこそ、『民営化』が必要だったとも言えるが、体質が変わらないならば、公営事業として残したままで、体質改善に重点を置いたほうが、国民のためになったはず。 今回の騒動は、日本郵政の『殿様商売』に、根本的な問題があった、と断言しておきたい・・・と思う。 --
2010/07/06
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どうやら、民主党の新首相・菅直人衆議院議員は、かなり強運の持ち主のようだ。 というのは、参院選総選挙というビッグイベントが控えて、政権与党の首相としては、『言ってはいけない発言』を繰り返しながら、ほかの話題が強烈なために、その『失点』が、非常に薄められてしまっているからだ。 普通なら、こんなに不用意な発言を、選挙直前に繰り返したら、それこそ『惨敗』が決定的になりかねない。だが、『相撲界の野球賭博』に話題を持って行かれて、『消費税増税問題』が、本来の広がりを見せていないのだ。一般庶民にとっては、お相撲さんの野球賭博よりも、自分たちの生活に直結する税率アップのほうが重大なはずだが、マスコミの芸能ニュースのほうが話題を大きく取り上げやすいためか、『税率アップ』よりも、『賭博』のほうに、力を注いでしまっている。 このようなわけで、菅内閣の支持率は、鳩山内閣の末期に近いほどの急落を見せてもおかしくないのに、まだそれなりの支持率を保持できている。 この『支持率保持』には、他野党のふがいなさにも助けられているだろうが、このように、ほかに大きな話題があると、国民の意識が逸らされてしまう、という、国民のふがいなさにも、一因があるのだ。 菅首相には『選挙が終わるまで、少し静かにしていて戴きたい』とお伝えしたいものだ。菅首相が、就任時に小沢・前幹事長に言った言葉を、そのままお返ししたいのだ。 菅首相が財務大臣だった時に、『経済問題には弱い』と評されていたと思う。その『経済問題に弱い』首相が、『消費税率アップ』を、検討もせずに、思いつきで発言するから、国民に不審と不安を持たれて、支持率が低下するのだ。 いずれは、税率アップもやむを得ないと、国民の多数は腹を決めている。だが、だからといって、不備を修正もせずに、単純に税率の数字が決められて、勝手に実施されることにまで、無条件で賛同しているわけではない。 特に『消費税率アップ』に対しては、国民の多くが、不備による不満を抱いている。アップした税金は、官僚や議員に、不正に利用されている。そんな疑念がぬぐいきれない時に、一方的に税率をアップしても、それで納得できるはずはない。 自民党も、税率については、なにやら妄言を吐いているが、そもそも、自民党が導入した『消費税』が、不審の原点だったのだし、自民党は、消費税については、改善も改革も、一切行ってくれなかった。 そんな現・野党が何を言っても、そんな妄言に付き合いきれるほど、国民にゆとりはない。 だから、菅首相がいい加減な『思いつき』の発言を繰り返しても、自民党の支持率が伸びないのだ。 しかし、だからといって、その他の野党(『みんなの党』など)に、政権担当能力があるのか?あるはずがない。 全員を大臣にしたくても、その員数が不足している。さらには、その素質さえ疑問がある候補者が、ほとんどではないか。そうなると、野党にも投票をしにくくなる。 有権者は、今度の参院選には、大きな関心を寄せている。投票には『必ず行く』と答えた人が多いらしい。だけど、投票には行くが、投票したい候補者も政党もない、という状況に直面して、とまどう人も多いのではないだろうか。 有権者にとまどいを持たせたと言うこと、それ一点でも、菅首相の責任は大きい。だが首相は、その責任を認識しているだろうか。 消費税問題などは、『各種の解消すべき問題点がある。専門の委員会を設けて、どうあるべきかを、税率も含めて検討を加えて、実施時期を併せて探りたい。その検討結果により、必要と判断する時に、消費税アップの是非について、国民に信を問いたい。』というような方向性を示せば、それで足りたのではないか。 拙速に、『10%』を一人歩きさせる必要はなかった。このようなまずい手順を踏むから、小沢・前幹事長との、選挙手腕を比較されてしまう。小沢一郎・民主党・前幹事長なら、こんな時期に、こんな不用意な発言は、繰り返さないだろう。『政治と金の問題』では、多くの人に叩かれた小沢議員だが、こと『消費税問題』についてなら、国民の支持を得られるだろう。 こんな首相の未熟な選挙対応を見せられては、『静かにして戴きたい』という言葉に従ってもいられまい。 菅首相。あなたの経済政策の弱さは、これで充分に理解できた。理解できたから、勝手な発言をこれ以上繰り広げずに、『専門分野』は専門家に任せて、選挙が終わるまで、少し発言を静かにして戴けまいか。 個人的に、民主党を支持する云々は別にして、しばらくは安定した政党によって、効果の上がる政治を、しっかりと行ってもらいたいのだ。 首相どころか、政権与党までが2年も保たずに交替したのでは、国際的な信用も得られないし、国民にとっても不幸なのだ。 --
2010/07/05
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韓国の俳優、パク・ヨンハさんが自殺をした。ということで、日本の芸能メディアは大騒ぎをしている。 だけど、その『パク・ヨンハさん』って、そもそも、誰だ?韓流に興味がない私には、全然わからん。それに、俳優として、演技が上手なのか、下手なのか、それさえもわからないし、興味もない。 ただ言えることは、日本公演が控えていたのに、ということで、ステージで歌う姿が放映されていたが、歌は『素人レベル』だと感じた。 あれでも『良い』と思う人にとっては、無条件で良いのだろうが。日本のご婦人たちが追いかけていた俳優らしいが、『自殺の遠因』が、その日本の『追っかけご婦人方』にあったのじゃないだろうか、と思ってしまった。 日本のタレントたち(グループ名などはわかりません)が、韓国を訪れて公演を開くと、韓国の若い人たちが、周囲を取り巻いて、大騒ぎになるのだそうだ。 それに対して『韓流スター』とやらを取り巻くのは、日本人のご高齢のオバサンたちばっかり。厚化粧でシワを隠しても、気持ちが悪いだけ。 そんなオバサンばかりがファンなのでは、死にたくもなるわ・・・ねぇ。 本当の原因は、いろいろ言われているらしいが、http://news.livedoor.com/article/detail/4858488/そして、私が知らない俳優さんではあるが、年齢を伺うと、亡くなるには残念なお歳である。 合掌 --
2010/07/01
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