全521件 (521件中 51-100件目)
というわけで来週末からちょっくらドイツへ行ってくる。ドイツ語を復習せねば・・・。8年ぶりとなるドイツへの旅はアフリカ某国在住の相方とドイツ人の友人Aとの再会が目的である。日本滞在経験の長かったAが数ヶ月前にドイツに帰国したことは以前この日記にも書いた。8年前にも訪ねたボン郊外にある彼の実家にまたお邪魔させて頂くに当たり、質問のメールを打っていた。私:「お母さんへのお土産は何がいいかなー?」その返事にはこうあった。A:「僕を喜ばせてくれれば母さんも喜ぶよ(笑)。そうだなー、工芸品とか好きかも。僕には醤油せんべいと海苔せんべいね」さすが通なAのお願いはすぐにかなえられそうだが、工芸品かー、どこで買えるんだろう。というわけで昨日、札幌駅に出てから道産子であるKさんに電話で聞いてみた。Kさん:「今近くにいるので一緒に行きますよ」公認会計士の論文試験が間近で多忙だというのに土産屋まで連れて行ってくださったのだ!そして炭でできた鮭をくわえる熊の置物を購入した。うん、北海道の雰囲気が出ていていい感じだ(笑)!Kさん、お忙しいなかありがとうございました!さらに、Aから頼まれていた別の物があった。「僕が欲しいわけじゃないんだけど、ハチマキを買って持ってきてもらえない?できれば『一番』と『神風』と書いてあるやつを。友達にプレゼントしたいんだよね。Hideが買うのは恥ずかしい(embarrassing)ってことは重々承知してるんだけど(笑)、頼めるかな?」これは工芸品なんか比べ物にならないほど厳しいミッションだ(笑)私が最後にハチマキを買ったのは(←買ってるんかい!)、中学校のバスケ部で部員みんなで購入した時である。みなそれぞれの二字の熟語を決め、オーダーメイドでどこかのメーカーに注文していた。そして大事な試合には自らのハチマキを頭に巻いて臨んだのだ。モチベーションを高めるのにかなり威力を発揮したなあ。フォワードだった私の文字は確か「猛攻」だったかな。おかげでチャージング(オフェンス側のファール)が多かった気がする(苦笑)。話を今回に戻すと、文字入りのハチマキってけっこう見つからない・・・。やっとのことで見つけたのが「闘魂」と「合格」だった。Aの指定とはちょっと違ったけれど、頑張って探し当てた私の闘魂が認められ合格をもらえたので良しとしよう。そうだ、歌の練習もしとかないと!♪ Ich habe Hunger, Hunger, Hunger....♪ここから歌も聞ける。(要は「腹減った!ノドも乾いた!」というドイツ語の歌。昔Aから習った(笑))
2006/08/06
コメント(2)
亀田興毅が2―1の判定でベネズエラのファン・ランダエタに勝ち、WBAライトフライ級の世界チャンピオンになった。スポーツにおける判定に絶対はないため、これから述べることはあくまで私見である。あの判定には疑問を感じざるを得なかった。もちろん現在の日本ボクシング界を引っ張っている亀田選手を応援していた。しかし、元プロボクサーの端くれとして、この試合は努めて客観的に見た。(過去に自分の所属していたジムの選手が出場した試合の数々を後楽園ホールなどで見ていたときには、完全に主観のかたまりであったが(笑))亀田選手は自分の力を出し切って非常にいい試合をしたと思う。勝利が決定したときの親子の本気の涙には感動もした。しかし、どうひいき目に見てもあれはランダエタ選手の勝ちであったと感じた。亀田選手は1Rに喫したダウンを中盤に挽回していったかに見えたが、全体として手数は少なかったうえ、有効打も少なかった。後半はKO寸前にまで追い込まれ、立っているのがやっとの状態であった。しょうがない面もあるのだろうが、実況はほとんど亀田のヒットのみを強調するまさに偏ったものであったが、アナウンサーの声には現れないランダエダのクリーンヒットがたくさんあった。私の採点では4ポイント差でランダエダ選手の勝ちであった。試合終了直後、東京にいる兄から電話がかかってきた。兄は私がボクシングを始めるきっかけになった人であり、プロにこそならなかったもののボクシングを愛し、日本、世界のボクシングシーンにずっと熱い視線を送っている。「日本のボクシング界はだめになるよ・・・」興奮してひとしきり判定の不当さを主張した後、彼は悲しそうにこうつぶやいた。亀田ブームにのみ頼る日本ボクシング界、視聴率という名の魔力に群がるマスコミが「今は負けるときではない」と判断したような気がしてならない・・・。判定の集計に不自然に時間がかかったことも腑に落ちない。亀田興毅の「初防衛戦」の中継を優先し、毎年大晦日だった「レコード大賞」の放映日をずらしたことが王座獲得前にTBSに決定され、試合の二日前に発表されたことも疑わしさを増してしまう。。。(記事はこちらを参照→亀田興毅「レコード大賞」KO)12ラウンド終了直後、私はこう思った。「この敗戦を乗り越えてこそ亀田はもっと強くなるだろうな」負けを明確には明示していないものの、鬼塚、竹原、畑山ら元世界チャンピオンの解説者達の論調も「次につながる善戦」というものだった。今日の試合の結果をボクシング関係者、一般のファン達はどう受け取ったのだろうか。以前、ボクシング史上最初の黒人ヘビー級チャンピオン、ジャック・ジョンソンについて書いた日記の中でこう書いたことを思い出した。「プロでもアマチュアでも、「純粋」にスポーツを競い、楽しむということは至難な業なのだ。」ボクシングを愛する者の一人として、複雑な思いをさせられた試合であった。
2006/08/02
コメント(4)
脳神経外科医 福島孝徳本やテレビでも「神の手」を持つ男として何度も紹介されている世界的に有名な医師の講演を聞いてきた。題して『日本人脳外科医とアメリカ最前線医療』「私はいつも全力で最高の仕事をしたいと思っています」この一言で始まった1時間におよぶプレゼンテーションは本当に中身の濃いものだった。まずは「世界一の脳外科医」として紹介された20年前に放映のアメリカのドキュメンタリー番組の一部を放映。全国を飛び回り心身ともに磨り減るであろう脳の手術を1日に6つも精力的にこなす姿が映し出される。インタビューで「あなたにとって脳神経外科とは?」との質問に「それは患者に奇跡をもたらすということです」と答えていた。ビデオ上映後、多数の写真、絵を用いてのプレゼンテーションが始まった。脳下垂体関連疾患、脳卒中、脳出血、脳梗塞などなど福島医師が扱った数多くの症例について手術前と手術後のCTスキャン画像や顔写真などが次々に映し出される。顔面神経痛の一種である三叉神経痛や、赤ら顔になってしまうクッシング病、顔が黒ずんでしまうネルソン病、不妊の原因となるプロラクチン分泌異常、このような症状全てが脳外科の領域だとは非常に驚いた。「三叉神経痛の手術は2,200例ほどやっています。これはギネスブックに載ってもいいんじゃないかな(笑)」他の手術に関しても3桁、4桁の症例数をこなしているすごさ。63歳となった今でも年間600を越える手術を行っているという。一ヶ月のうちの一週間をデューク大学病院で、一週間をウェストバージニア大学病院で勤務し、残りは世界中の病院で休みなく出張手術を行っている。今日もすでに講演までに3件手術をしてきたという・・・。手術器具の開発にも多く関わり、メーカーと共同開発した器具は200を越える。医療の結果を導く3要素として、福島医師はこう述べた。技術・症例数・手術道具「臨床医は技術がなければ始まりません。そして場数。さらに器具もよいものを使わなければならない」日本、アメリカ、ドイツ、イギリス、イタリア、ノルウェー、フランスなどなど、世界中にいる弟子達が大学病院の教授になっているという。財団を通じて世界中の若手脳外科医を育成している様子を述べた後、こう言った。「ゴルフで言えば私はジャック・ニクラウスとかアーノルド・パーマーといった往年の名選手なんです。私は次世代のタイガー・ウッズを育てたい」また、プレゼン中に堅い話の合い間にちりばめられたネタの数々も光っていた。「福島先生の手術によって今まで痛くて辛かった顔面神経痛もピタッととまるんですねー」と言いながら映された次のスライドにはピタッとポーズを決めるフィギュアスケートの女子選手の写真が。「これは私の娘です(笑)」こういう茶目っ気たっぷりのプレゼンは聞き手を飽きさせない。他にもCDまで出しているという自分のジャズバンドの写真など、縦横無尽な多才ぶりを披露していた。なんてすごい人なんだ。。。。「好きなことをやっていれば休みがなくても疲れません。情熱と言ってもいいかもしれませんね。家族には申し訳ないことも多いですが(苦笑)」ものすごい刺激を受けた講演であった。
2006/08/01
コメント(0)
「テレビはなぜ、つまらなくなったのか」 こんな刺激的なタイトルを目にして買わずにはいられなかった。テレビはなぜ、つまらなくなったのか■ 金田信一郎 著■ 256ページ ■ 定価 1,680円(税込み) ■ ISBN 4-8222-0158-9 ■ 日経BP社 ■ 2006年6月27日発行 本書で扱われている範囲は民放の地上波テレビ局(日テレ、TBS、フジ、テレ朝、テレ東)を取り巻く環境である。現在の我々の生活において、テレビは欠かすことのできない必需品であろう。1人暮らしの人は特に、その静寂から逃れるためにBGM代わりにテレビをつけたりしていないだろうか。(え、私だけ(笑)?)しかし、ふとこんな疑問がよぎったこともないだろうか。「本当にテレビって必要なのか?」実際、私は名古屋赴任時代、テレビのない生活を1年半ほど経験したが、特になんてことなかった。ニュースなどの情報はインターネットで手に入る。ドラマや映画はパソコンでDVDを見ることもできる。生活の一部として当たり前に存在するテレビはこれからどうなっていくのか。この問い掛けへの回答を考えるためにはテレビというメディアがどのように登場し、繁栄し、そして衰えていっているのかを学ぶことが助けとなる。その意味で、今回購入した本は非常に勉強になった。力道山、長嶋茂雄、手塚治虫、大橋巨泉、山口百恵などなど、テレビの興亡に深い関わりを持つスターを通して描かれるエピソードの数々。広告メディアとして不動の地位を築いていたラジオを抜き去り、世界のクロサワを自殺未遂にまで追い詰めるほど映画界を窮地に立たせたテレビの影響力。一方で、1969年に始まった伝説のバラエティー番組、「巨泉・前武 ゲバゲバ90分!」の企画者である日本テレビの名物プロデューサーだった井原高忠氏は、在職中すでにこう言っていたという。「タダでいいものが見られるはずがない。だって、大衆を追いかければ、どうしても最大公約数の内容になるから」そして著者は現在のテレビ番組についてこのように述べる。「アドリブ中心のお笑いバラエティー、トレンディードラマ、女子アナ、そして映画製作……。すべては80年代フジテレビの焼き直しでしかない」私も著者のこの見解には賛成である。民放間におけるテレビ局ごとの差別化というものがどんどん失われているように思える。そしてその背景として著者は今なお残る「護送船団」方式を挙げている。「それでもテレビ局が破綻しないのは、競争が存在しないからだ。言い換えれば無競争だからこそ、テレビ番組は停滞してしまった。限られた放送電波の権利を握るテレビ局。だが、全国放送を担うキー局は、40年にわたって新規参入が起きていない。」ケーブルテレビやインターネット放送から流れる無数の番組との競争に彼らは生き残ることができるのだろうか。なんてことをテレビをBGM代わりにつけながら考えているのであった。
2006/07/23
コメント(0)
世界中を騒がせたワールドカップの「頭突き事件」国際サッカー連盟(FIFA)が下した処分は両者への罰金と出場停止(引退するジダンにはボランティア活動への参加)であった。この処分について、両者に、あるいはどちらかに対して皆さんはそれぞれの意見をお持ちのことと思う。しかし、私にとってこの事例が興味深かったのは処分内容ではなく、FIFAが裁定を下して事態をとりあえずは収拾したという事実である。ドイツの某所で世界中の人々が見ている前で、有名なイタリア人がこれまた著名なフランス人を侮辱し、その仕返しとして頭突きをもらいぶっ倒される。侮辱にしても傷害にしても立派な立派な国際刑事事件である。(侮辱の内容はみんなに聞こえてないので立件は難しいかもしれないが)本来ならばドイツ司法が動かねばならぬ問題かもしれない。(もちろんオーバーに言ってます(笑))それなのに国際サッカー連盟という私的な機関が「処分」を下すことで決着しようとしている。なぜこのような解決が可能なのだろうか?答えを一言で言えば、それがスポーツだったからである。「そんな当たり前のこと言われなくてもわかってるよ!」なんて声が聞こえてきそうだ(笑)でもスポーツなら何をやってもいいのだろうか?テレビで何度も何度も繰り返し放送される例の頭突きシーン。あのシーンだけを評価した時サッカーの試合の一部であると許容できるだろうか。私が昔書いた卒論のテーマが「スポーツ事故の法的研究」であったため、こんなニッチにこだわることをお許しいただきたい。本論文においてアメリカ・ドイツ・日本における議論と主張から、このようなスポーツを逸脱した傷害行為に関する刑事判例が少ない原因と背景を大きく3つ挙げた。1.スポーツ団体内部の裁判権の存在2.国家法のスポーツに対する遠慮3.故意・過失の立証の困難今回の頭突き事件には1(FIFAによる処分)と2(ドイツ司法の遠慮)が当てはまるだろう。3の故意はあったんじゃないかなあと思うけど(苦笑)。その昔、中日ドラゴンズの星野監督が乱闘で審判だか相手選手だかのあばらを蹴って折った時に司法の場ではなくプロ野球協会に処分を下されたのも同様である。あの時も何試合かの出場停止と罰金だった気がする。星野さんはサラリーマンが選ぶ「理想の上司」上位にもランクされる立派なマネージャーであるが、このときばかりはスポーツという場に守られたと言えるだろう。ちなみに、この卒論については過去に熱く熱く紹介したことがあるので超ニッチにお付き合いいただける方はどうぞ(笑)(2005-02-10『「素朴な疑問「リングの上で人を殴ってもボクサーはなぜ許されるの?」:「手術で人が亡くなってもなぜ医者は許されるの?」と実は同じ論理』)しかしこのような団体内部の裁判権には、今回のFIFAの裁定も含めて、強制執行力ってないんだろうなー。現役選手ならともかく、引退するジダンにしてみれば無視しても別になんてことないだろう。まあ、彼の一流プレイヤーとしてのプライドと世界中の目がそれを許さないだろうが(笑)。なるほど、そういうことか!
2006/07/20
コメント(0)
夕張へやってきた。この町は、先日の日記でも紹介したように債務超過で事実上の倒産を経験し、国の管理下に入ったばかりである。そこに住む人々、働く人々にとって悪い影響がないことを願っている。そして、観光地としての機能が存続できているか非常に気になっていた。果たして、市が運営するこの石炭の歴史村は通常どおり営業していた。夕張炭鉱のマスコットキャラクター、「ゆうちゃん」がご丁寧にお出迎え。そして、いきなり目に入った看板がこれ!なんと、夕張メロンの食べ放題イベントである!1500円でいくらでも食べられるという超お得なもの。うぉーーーー、こんな大量の「食べられ準備完了」のメロン、初めて見た!!周りを見ればみんなすごい勢いで食べてる(笑)ランチにジンギスカン丼も食べたし、メロンは腹いっぱい食べるほど好きというわけではないので、私は4分の1サイズ(400円)をトライ。これまでの人生で食べたメロンの中で最高!!素材の良さだけでなく、絶妙な熟れ具合が実現した質感と甘み。本物というものはかくも美しいものなのか。美味という言葉の意味を実感した。このおいしさなら食べ放題もいける!とも思ったが、 「いや、充分と言えない程度に抑えておくことにこそおいしさの記憶が残るのだ」という、売れない詩人のような自己暗示をかけることでこの場をしのいだ(笑)。スタッフとして働いていた夕張市農協青年部の方によると、市の農産物取り扱い実績は31億円であり、全体の96%を占める30億円がメロンの販売額であるという。夕張メロンのブランドをこれからも広めていくこと、関連商品の開発、そしてメロンだけに頼るのではなく、他の農産物を育てていくことが課題になるのだろう。お次はこちらの博物館へ。そもそも石炭とはどのようなエネルギー資源であったのか。炭鉱での仕事とはどのようなものだったのか。閉山という結果をもたらしたエネルギー政策の転換とは何だったのか。今まで考えてもみなかったトピックの数々は非常に考えさせられるものであった。特に、短期的にも長期的にも危険を伴う炭鉱夫達の働く様子の写真や証言は想像を絶するものだった。発破(爆弾)を爆発させながら掘り続けていくなんて考えられない・・・。さらに、夕張の炭鉱でも数々のガス爆発が発生していた・・・。ここの博物館は写真や年表の展示だけでなく、ライトをつけたヘルメットをかぶり炭鉱の一部を再現した暗く長いトンネルを歩くことが一大アトラクションとなっている。おじさんの誘導に従って地下のトンネルへ。初期の炭鉱で見られた「狸掘り」夫婦一組で行う、それはそれは地道な作業だ。実際に人が作業してるのかと本気で思わされるほどのリアルさだ。。。人形だけど、声かけたら怒鳴られそう。明治、大正、昭和と時代を経るに連れ、採掘の技術も進歩する。事故が発生した時の救急チームも再現されていた。全員が一本の命綱を持って進んでいるのがわかる。成果物である石炭を見せるおじさんの誇らしい顔がかっこいい。本当にリアルで、思わず敬礼しそうになった(笑)。時代を支えたかけがえのない歴史を学べたことは本当に有意義だった。夕張メロンも最高だった。しかしながら、3連休の中日にも関わらず、このテーマパークへの人出は決して多いとは言えなかった。何が足りないのだろうか。観光事業の難しさを感じるとともに、成功している自治体との情報共有など、もっと事態を打開する方法はないのだろうかと考えさせられた。あー、あのメロン、もう一切れ食べておけばよかった!
2006/07/16
コメント(6)
「インテリジェンス(Intelligence)」という言葉を聞いて何を思い浮かべるだろうか。辞書で調べれば最初にくるのは、「知能」、「知性」、「理解力」、そして「思考力」といった意味だろう。しかし、この言葉にはさらに、「情報」や「諜報機関」という意味もあるのだ。「先生、われわれはインテリジェンスという言葉を、情報や諜報という意味でいともたやすく使っていますが、ほんとうは何を意味するのでしょうか」「知性によって彫琢しぬいた情報。それこそ、われわれがインテリジェンスと呼ぶものの本質だ」「情報活動とは、錯誤の葬列なのだ、スティーブン。でも、誰かが担わなければならない責務なんだ」ウルトラ・ダラー先ほど読み終えたこの小説にはりめぐらされた「インテリジェンス」の数々。錯誤の葬列という言葉を読んで、ウソを突き通す、あるいは見破る技術について書いた過去の日記を思い出した。自分が持っている情報をどんな狙いを持ってどの対象にどれくらいの真実を含めて渡すのか。複雑に発達したコンピューターでも、当分はこのような複雑な駆け引きを担うことはできないのではないだろうか。こんなにさらけ出してしまっている私がインテリジェンス・オフィサーになれないことは動かぬ事実であろう(笑)。「これを小説だと言っているのは著者だけだ!」本の帯に記された言葉が改めてリアルに感じる。北朝鮮が作ったとされる超精巧な偽ドル「ウルトラ・ダラー」をめぐるこの「小説」には、歴史上の事実、実在する機関、人名が多く登場する。初版が今年の3月1日だというのに、すでに北朝鮮のミサイルに関する動きまで描かれている。ほ、ほんとにフィクションなのか!?世界中を取材した経験を持ち、元NHKワシントンDC支局長としても有名な著者の手嶋龍一氏だからこそ実現できたディテール、そしてわけあっての脚色なのだろう。38年前に起こった事件の現場が私の地元の荒川区であったり、留学をしていたワシントンDCが頻繁に登場したりと自分にとっても他人事とは思えなかった。「スティーブンが、全日空機でワシントンのダレス国際空港に到着したのは、午前九時四十分だった。」日本からワシントンDCへの直通便は1日1便しかなく(今もかな?)、私もこの便でやってきたのだ!「車は予約してあった、ヘイ・アダムス・ホテルに着いた」ヘイ・アダムスは無断で上がったらホワイトハウスのスナイパーに打たれてしまうという屋上のテラスにも行ったことがあるぞ!「コリンズは、ロシア・ウクライナの軍事情報の分析担当官をペンタゴンに訪ねようとしていた」ペンタゴンの内部侵入(?)には私も成功している!そんなこじつけはともかくとして(笑)、実は当時NHKワシントンDC支局長だった著者の手嶋さんには留学中にSさんのご紹介で何回かお会いしてお世話になった。手嶋さんが主催された少人数での勉強会にも参加させていただいたことはちらりと過去の日記でも紹介した。(内容はあえてほとんど触れていないが(笑))非常に知的で上品な方であるが、今回「ウルトラ・ダラー」を読み、さすが一流の報道マンという描写に感嘆する一方でオシャレにもそうとうこだわりをお持ちであることがわかった。その手嶋さんをご紹介してくださった在ワシントンDCのSさんに「ウルトラ・ダラーを読んでるんですよー」とメールを打った。その返信に気になる一言が。。。「ちなみに、俺出てくるから、よろしく。」えー、まじですか!!!???まさか、コリンズ役?答えを教えてください!あ、この本は小説としてもドキュメンタリーとしてもおススメである。どっちかわからなくなるのがたまにキズであるが(笑)
2006/07/14
コメント(4)
稲積公園の芝生に寝転がって読書。心地よい涼しさは気持ちがいい。最近ずっと読んでいて今日読み終わったのがこれ。ビジネスマンの父より息子への30通の手紙もとはと言えば古本屋の100円コーナーで見つけて題名に興味を惹かれて買った一冊だった。これは大当たりだった。ビジネス本を読んでいて感動し涙を流したのは初めてである。(涙腺ゆるくなったかな?)カナダ人の経営者、キングスレイ・ウォードから息子への手紙の数々。息子が17歳のとき第一通目が書き始められ、約20年後、その息子に会社を譲るまでの30通の手紙を記したノンフィクションである。大学進学について、勉学についてといった学生編、仕事の進め方、部下との衝突、多角経営、銀行融資の取り付け方、役人との折衝、社員の解雇といったビジネス編、そして結婚、友情、自己資産の管理といったプライベート編から成る、非常に含蓄のある一冊である。自らの言葉はもちろん、引用される偉人達の名言の数々が光る。いくつもの言葉が心を捉えたが、ここでは特に3つを紹介したい。「読むことは人を豊かにし、話し合うことは人を機敏にし、書くことは人を確かにする」(フランシス・ベーコン)「努力した上で失敗するのは恥ではないことを思い出してもらいたい。試みなかったことが悲劇なのである」(キングスレイ・ウォード)「人生の価値は時間の長さではなく、その使い方で決まる。長生きをしても、空しい人もいる。人生の喜び(幸福)を見出すかどうかは、その身の上話ではなく、心の持ちかたで決まる」(モンテーニュ)直面する具体的な問題に対する説得力のある人生の先輩からのアドバイス。私も、最も尊敬する両親をはじめ多くの方の言葉によって少しずつ成長していると思う。ボクシングをやっていた頃のTコーチも私にかけがえのない言葉をくれた1人である。1年の浪人を経て大学に入学し、休会していたジムに復帰した時からお世話になったのがTコーチであった。アマチュアボクサーとして初めて後楽園ホールでの試合、プロテスト、そしてプロデビュー戦と、すべてTコーチの指導のもとでステップアップしていった。それだけにプロデビュー戦を1ラウンドKOで勝ったときは自分に対してだけでなく、コーチに対しても本当に嬉しかった。しかし、私のデビュー戦の後ほどなくしてTコーチはジムから去った。第三セクターで行政関連の講師をしているということだったが、お仕事が忙しくなったのかと思っていた。30代後半であったろう彼がまさかその数年後に病気で亡くなってしまうとは夢にも思わなかった。Tコーチは私の最後の試合となる3戦目の応援に来てくれていた。しかしながら、1ポイント差の判定で私は負けた。試合が終わった当日の夜中にTコーチから携帯にメールが。鼓膜が破れ目も腫れ上がって視界の狭い私は必死に読んだ。------------------------「件名:よく闘ったぞ」「お疲れ様。よくフルラウンド闘い抜きました。Toneは納得いかないかもしれないけど、あれが試合というものでしょう。二人のボクシングスタイルを見れば、ほとんどの観客はToneの方が強いと思ったはず。しかし、勝てなかった。今後の人生でも、こいつには負けないと思っていたのに、負けることがあるかもしれません。しかし、どんなにカッコ悪くても、『最後まで勝負を諦めない』という心を持った者が勝ち残ることを今日の試合は教えてくれました。その意味ではこれから社会人になるToneには、非常に大切な試合だったと思います。T」------------------------結果としてTコーチから私に遺された言葉となってしまったこのメールは今も5年前に使用していた携帯に保存してある人との別れは突然やってくるかもしれない。一期一会という言葉の重みを噛み締めた。『最後まで勝負を諦めない』コーチの教えをこれからも守っていきたい。
2006/07/09
コメント(4)
昨日(2006.07.07)の日経新聞に、最近「骨伝導ヘッドフォン」が売れているという記事が載っていた。そして、今日そのヘッドフォンを札幌のヨドバシカメラで購入した。(私が買ったのと同じやつ:ゴールデンダンス 骨伝導ステレオヘッドホン ブラックAUDIO BONE)衝動買いと言わないで(笑)まず私が購入を即決した2つの理由を挙げたいと思う。1.(なんちゃって)プロボクサーとして2度鼓膜を破った経験があり、この部位に負担をあまりかけたくない身であるにも関わらず、携帯音楽プレイヤーで英語と音楽を毎日長時間聞いていることへの不安があった。2.基本的に保守的なくせに新しい技術とか製品を試したい魂が強い!あ、2だけを見たら衝動買いと言われてもおかしくないか(苦笑)・・・。さて、骨伝導とは何であろうか。(参考URLは最後に紹介)ちょっと小難しい説明になるがお付き合いいただきたい。音というものは空気を振動させて伝播する。そして我々がふつう音を聞く場合は空気を伝播してきた音が鼓膜を振動させ蝸牛と呼ばれる聴覚器官を通し聴覚神経を伝達し脳が音として認識する。このようなプロセスを経て聞こえる音を気導音という。一方、気導音以外にも聴覚器官に到達する音がある。空気を介さず、鼓膜も関与しない人間の骨から直接蝸牛以降の聴覚神経に伝播する音であり、骨導音と呼ばれる。この骨導音を聴覚神経に伝える方法を骨伝導というのだ。はい、こちらも読解と説明に必死です(笑)平たく言えば通常のヘッドフォンが鼓膜に音楽を伝える物であるのに対し、骨伝導方式のヘッドフォンは顔(私が買ったヘッドフォンの位置は耳ともみあげの間くらい)の骨に音を伝えるということである。鼓膜に触れてないのに音が聞こえるのは不思議だー!まさに鼓膜に負担がかかってないということだ。さらに骨伝導ヘッドフォンで音を聞きながら耳に指を入れ耳栓状態にするとよけい音がクリアになるのも不思議だ・・・。骨伝導技術はこれまで、補聴器をはじめとする聴覚障害者のための製品や、軍用のヘッドフォンに長い間使われてきたという。難聴にもいくつか種類があり、骨伝導が使えるケースとそうでないものがあるようであるが、加年齢性の難聴には非常に有効だという。そして、耳をふさぐ必要がなく無線や通信の内容を明瞭に聞き取れるという特徴が軍での利用を促進しているようだ。他にも、長時間ヘッドフォンセットを着用するコールセンターのオペレーターや、センターからの指示を聞きながらもその場で顧客対応を行うテーマパークの従業員らに応用されている。これまでは音楽を良い音質で聞けるレベルに達していなかったようだが、最近の技術革新により改善されてきたという。気になる身体への害の可能性についてはどうだろうか。音楽の聴き過ぎで疲労骨折とかはかんべんしてもらいたい(苦笑)。参照したホームページには、米国聴覚学財団の副理事を務めるデボラ・プライス博士(聴覚学)による、骨伝導は「まったく安全」だというコメントや、株式会社テムコジャパンおよび病院関係の評価文書における「安全性にも優れ」ているという記述が見られた。とりあえず今のところだいじょぶそうだ。さて、今日は購入したその場で使用を開始した。これまで英語の会話系のものを外で聞いても周囲の騒音により内容がほとんど聞こえないケースが多かった。果たして、ヨドバシカメラの店内という騒がしい環境で、英語のスピーチがちゃんと聞こえた!さすがに電車が入ってくる駅のホームでは厳しかったが(苦笑)。さらに、音量を最大近くにしないと骨伝導では聞こえないというのも気になった。振動を直接骨に伝えているからしょうがないのかな?でも音漏れも激しいような気がしたぞ・・・。これから使っていくうちにいろいろな発見があることだろう。今もパソコンにそのヘッドフォンをつないでBoys II Menを聞きながら書いているう~ん、骨身に沁みる音楽だ(笑)。ヨドバシカメラ札幌店の骨伝導ヘッドフォンの品揃えは一種類(色は白と黒)だけだった。骨伝導、これからブレークするかな!?当面は口コミ係として自主的に活動することになりそうだ。骨伝導のコツ伝道はお任せあれ!うむ、我ながらいいキャッチフレーズだ・・・(笑)(参照ホームページ)『骨で聞く「骨伝導技術」、広がる可能性』骨伝導ヘッドホン オーディオボーン
2006/07/08
コメント(208)
「7月7日かあ、今日は七夕ですねー」職場でそんなことを口にしたとき、生粋の道産子である上司からの渇が入った。「札幌の七夕は8月7日なんだよー」し、知らなかった・・・。そう言えば昔、弘兼憲史の漫画(モーニングの『課長島耕作』かなー、それともヤンマガの『ハローハリネズミ』だったかな、それともビックコミックの『人間交差点』?)で、殺人犯がアリバイ作りのために東京の七夕祭(7月)と仙台の七夕祭(8月)の時期の違いを利用したという話を読んだことを急に思い出した。同じ北海道でも函館とか根室の七夕は7月だとか。。。。七夕祭りの開催時期が7月か8月かは地域によって異なり、同じ都道府県内でも地域によって違うものらしい。そしてさらに続く上司のコメントにまた驚かされた。「僕が子供のころはローソクを入れた穴のあいた空き缶を持ち歩いて家々を周り、『ろーそくだせよー』なんて言いながらお菓子をもらってたもんだよ」セリフこそ違えどそれってまさにアメリカのハロウィンじゃん(笑)!どうやらこれは「ローソクもらい」という北海道のある地域に伝わる風習で、今も続いているらしい。(詳細はこちらから)面白い共通点だなー、これ。ちなみにアメリカ滞在中に初めて迎えたハロウィンではアパートに住んでいたにも関わらず子供達は「Trick or treat!」の掛け声とともに部屋を一軒一軒訪ねていた。来訪を予期してなかったため当然お菓子も買ってなく、子供達を迎えたところであげるものがない!というわけで居留守を使ってしまった(涙)・・・。テレビの音とか絶対聞こえてただろうなー・・・。さらにその反動か、翌年は自分もエルビス・プレスリーに仮装してハロウィンパーティに乗り込んだ。さて、今年の8月7日はお菓子を買っておくべきだろうか?それとも、一向に出番のない、アメリカから持ち帰ってきたプレスリーの服とカツラを装着して待機すべきなのだろうか?深遠なる問題だ。
2006/07/07
コメント(2)
北海道民として今朝ミサイルのニュースを聞いて背筋が凍った・・・。う~む、両国にとって益のある行為だとは思えないのだが・・・。がらっと変わってヘビーじゃないお話を。実は去年の10月に札幌に来て以来、自宅で暖房器具にスイッチを入れたことが一度もない。あ、正確にはガスの使用を開始したとき、来てくれた北海道ガスのお兄さんがヒーターの使用説明をしてくれた時につけたか(笑)。雪の降りしきる札幌でなぜ暖房なしで生き延びることができたのか。昔風に言えば『ザ・ガマン』に出演していたわけではなく、今風に言えば『いきなり!黄金伝説』の節約バトルに参加していたわけでもない。←テレビっ子として守備範囲の広さをアピール理由の1つには東京から札幌に来るその前に滞在していたワシントンDCでもマイナス10度という極寒を経験していたという慣れもあったかもしれない。しかしDCでは暖房なしでは生きられなかったぞ(笑)!札幌でも外は零下の世界でもちろん寒かったのだが、アパートの部屋の中が暖房などつけなくてもちょうどいい気温だったのである。窓が二重であることや、これは予想だが、8階にいる私の部屋に下の階からの暖気が上がってきたからなのかもしれない。逆に東京の実家に帰ったときの方が寒かったような・・・。やはり北国というのは寒さに対する建物の造りがしっかりしてるのかもなあ。そんなこんなで冬を乗り切り春を迎え、そして気付けばもう7月である。雨が降る日もけっこうあるけれど基本的に梅雨はなく、暑過ぎないのも素晴らしい。アパートの部屋には暖房は備え付けのものがあったが、冷房はない。窓を開ければ気持ちいい風が入るし、これも買う必要はないな。と思っていたのだが、シャワーを浴びた後がどうしても暑い!!朝の出勤前にシャワーを浴びて汗だくだくで家を出るのはもういやだ(笑)!というわけで扇風機を購入した。ヨドバシカメラで買ったのだが、単純に思える扇風機にも性能・形などいろんな種類がありすぎてけっこう迷った・・・。札幌に引っ越してきたばかりの頃の「買出しの喜びと苦しみ」という思ひ出がよみがえった。生活というのは本当にものすごい数の選択肢に囲まれてるんだなー。ちっちゃな卓上用(¥1500)からリモコン付で高性能のタイプ(¥15000)に至るラインナップの中から、けっきょくスタンダードでお得な逸品(¥1980)を購入した。う~む、寒さ(北風)には勝ったけど、暑さ(太陽)には負けちゃったな~(笑)。でも冷房には手を出さんぞ!
2006/07/05
コメント(2)
インターネット回線をADSLから光にバージョンアップした。う~む、画面の切り替わりが早い!これまでの日記で日本のネットインフラが進んでることをさんざん言っておいて自分が光を知らないのではいかんと思って(笑)参照日記:『ウェブ進化論』の紹介 『フラット化する世界』の紹介無料期間とか解約金を考えプロバイダーも変えたのだが、前のプロバイダーが日割りというものをしてくれないため契約が月末であり、光の工事は今日2日であった。つまり、1日だけだがオフラインを経験したのだ。海外旅行中になかなかインターネットコネクションを持てないことはままあることだが、自宅でネットにつなげないというのは開設以来初めてのことだ。まず当たり前だがメールをチェックできない。これまではパソコンのメールソフトにメールをいったんダウンロードしていたので受信箱、送信箱のメールはオフラインでもチェックできていたが、グーグルメールに移行した今、それもチェック不能である。「明日の工事、午後2時過ぎだったけかなー?」なんて私の疑問に答えてくれる業者とのやりとりメールはネットの向こう側であった・・・。今日は工事前の午前中にCDを4枚借りてきた。・アンジェラ・アキ 「HOME」・宇多田ヒカル 「Ultra Blue」・m-flo 「The Intergalactic Collection」・Ray Charles 「Thanks for Bringing Love Around Again」上の女性ヴォーカルによる二枚は先日HMVで視聴してこのブログでも紹介したおススメのやつである。m-floは「Beat Space Nine」がシャドーボクシング用のBGMにぴったりで気に入っていたが(特に和田アキ子も登場するあれ(笑))、新たに聞きたくなった。レイ・チャールズは「いとしのエリー」の彼によるカバーが聞きたくて。でも福原美穂はさすがにレンタルされてなかったなー、残念。。。この「いとしのエリー」も彼女のインストアライブに触発されて聞きたくなったものなのに。今回ツタヤで借りたこの4枚は当日返却で計800円ちょっとで借りることができた。定価3000円以上する宇多田ヒカルのCDも10分の1以下の280円である。CDという部屋の在庫を増やすことなくデータをパソコンと携帯音楽プレイヤーに落とすことができる。もちろんCDのジャケットが好きだという人もいるだろうが、そこに2700円の付加価値はあるだろうか。パソコンへのコピーガードというレンタル愛好家にはやっかいなものもある。しかし、ずっとCDにコピーガードを採用していたEXILEも先日発売された「ASIA」にはコピーガードはなかった。(だからこないだ借りた(笑))単なる個人の予想だが、コピーガードに対する消費者からの反対があったんじゃないかなー。けっこう前に私の友人も「EXILEのCD借りたけどコピーガードされてて取り込めなかった!」と憤慨していたし(笑)。。。著作権は大事なものであるし尊重されるべきものであると考えているが、これまでもカセットやMDに録音してきたではないか。音の劣化の有無?Who knows?(←言い過ぎかな(笑))レンタルに加え、ネットにおける有料のダウンロードの登場もあり、CDのセールスは年々落ち込みミリオンセラーは至難の業だという。かの有名な「およげたいやきくん」(by子門真人)は400万枚売ったというけれど(笑)。CD販売というビジネスモデル、CD販売量という指標も転換を求められているということだろう。というわけで福原美穂さん、まだCDを入手できていない言い訳でした・・・。そして借りたCDを家に持ち帰ってパソコンに取り込もうとした時、またもオフラインの恐怖を感じたのだった。アルバム名、アーティスト名、そして曲名が認識されないのだ!!ネットに接続されていればCD情報を自動的に収集してくれ表示される。5年前はこんな機能がなくて全て手入力してた気がするけど気のせいかな(苦笑)・・・。CDの取り込みをネットが開通するまで待ったのは言うまでもない。。。ともかく、身近にオフラインの不便・恐怖を垣間見てしまった。インターネットは携帯電話とともに現代人に不可欠なものになっていることを実感した。なんでも依存は危ないよなー、やっぱり・・・。バランス感覚が大切だとはわかっちゃいるけど・・・。
2006/07/02
コメント(0)
“The World is Flat”(世界は平らである) 引き込まれるように夜な夜な読み続け昨日の深夜に上下巻を読み終えた。(もちろん日本語で(笑))ピュリツァー賞を3度も受賞したという著者、トーマス・フリードマンの主たるメッセージが本の題名になっている。(邦題は「フラット化する世界」)世界中を飛び回っての丁寧な取材の積み重ねに驚嘆すると同時に自分の意見を持ちながらもバランスのとれた視点を持ち続けている点がすごい。フリードマンは先進国(主にアメリカ)の視点、著しい成長を続ける国(インド、中国)の視点、途上国(アフリカ諸国)の視点、そしてテロリスト勢力の視点から現在の大転換の意味、我々がとるべき方向性を論じている。上巻ではこんな問い掛けへの回答となる10の要因が具体的な事例満載で説明されている。「いまだかつてない多くの人々がリアルタイムで共同作業し、あるいは競争している」環境を生み出した要因は何なのか?「世界中の人々が、ある日突然、個人としてグローバル化する絶大な力を持っている」と気付かされた要因は何なのか?それぞれの要素に対して様々な感想を抱いたが、この日記でそれら10の要因を並べ立てて全て解説しても退屈になりそうなので控えておこう(笑)新鮮だった項目としては、我々が情報をただ受け取る(ダウンロード)するだけでなく自ら発するようになった、「アップローディング」や他企業の業務の重要なプロセスを担っていく「インソーシング」があった。もちろんこのブログもアップローディングの一手段である。そして、10の要因のうち私がもっとも注目したのが「アウトソーシング」であった。日本でももうすっかりお馴染みの言葉であろう。本書における定義を引用すれば、アウトソーシングとは「社内でやっている特定の限定的な機能、たとえば研究、コールセンター、会計処理、を抜き出して、他社にまったく同じ機能を果たさせ、その作業を戻して会社の全体的な業務に取り込む」ことである。インドにおけるコールセンター業務の模様は、私も留学中にビジネススクールで受けた授業について過去の日記で紹介したことがある。(2004-12-02-『アメリカ英語を話しアメリカ名を持つインド人達:アウトソーシング引受会社の徹底ぶり』参照)この日記を書いたのがもう2年前。インドではパソコン、インターネット、光ファイバーという強力なインフラが広まり続け、「デジタル化できるあらゆるサービス、コールセンター、ビジネス支援業務、知識労働」を担う機会がますます拡大している。従業員(医師・看護師等)がその場にいないと始まらない労働集約型であり、顧客(患者)が周辺に密集する地域密着型である特徴を持つ医療の世界でもこの動きは確実に進んでいる。医師の診断、医療記録などの口述記録の書き起こしをアメリカの医師が眠っている間にインドにいる事務員が行い、アメリカの中小病院で撮影されたCTスキャンの読み取り(読影)をインドやオーストラリアの放射線科医が請け負う世の中なのである。「デジタル化でき、切り分けることができ、作業をよそで行えるような活動は、いずれよそへ移されます」ボンベイに拠点を置きアメリカの連邦政府らの会計業務のアウトソーシングを請け負う会社を経営するインド人社長の発言には説得力がある。「この本を書いてるのはアメリカ人だし、海外へのアウトソーシングなんて英語を使う国だけの話じゃないの!?」こんな疑問を持つ日本の読者がいるかもしれない。しかし、本書でも少し触れられているが、日本から海外へのアウトソーシングもすでに始まっている。5年前、名古屋で働いていたときに私自身が経験したことである。取引先の大手外資系企業のコールセンターのオペレーターが大連にいる中国人だったのだ。たまに怪しい時もあったが(笑)、彼らは、彼女らは流暢な日本語を話した。当時は不覚にも「海外にセンターなんて作って日本語を話せる中国人まで雇って、大企業は金のかけ方が違うね~」なんてのんきな感想を抱いていたのだが(照)、今思えば誤った認識としか言いようがない・・・。あくまで予想であるが、あれから5年が経過した現在、海外にある日本語のコールセンターはさらに拡大しているのではないだろうか。さらに、日本においても英語を必要とする業務が増え続けている以上、日本からインドへの業務プロセスのアウトソーシングもこれから増えていくと私は考えている。そう、我々日本人にとってもこの変化は他人事ではないのだ。来たるべき大アウトソーシング時代に向け我々が生き残る道は何なのか。「フラットな世界には『代替可能な仕事と代替不可能な仕事の二つしかない』」やはりインドにありアメリカからのアウトソーシングを担う有力企業の社長の言葉である。彼の言う『代替不可能な仕事』を担う「新ミドルクラス」に必要な人材像とは?下巻の序盤を飾る著者からのメッセージの1つ1つを時間をかけてじっくり読んだ。やはりくどくなってしまうので全ての項目についての詳しい言及は避けるが、ここではフリードマンが提唱する、アウトソーシングされ得ない人材の8つの特徴から4つを選んで簡単に紹介したい。・偉大な合成役(シンセサイザー)「知識とイノベーションの垣根を外へ押せば押すほど、思いもよらなかったような異質のものがまとまって、次の大きな付加価値の飛躍をもたらす」異質のものをまとめられる人材、つまり、これまで関わりなどないと思われてきた異業種・異分野をつなぎ合わせて新たな付加価値を生み出す人が求められてくるのだ。・偉大な説明役「複雑なことをうまく説明できたら、ビジネスチャンスは確実に広がる」営業やコンサルティングにも大切なスキルと言えるだろうが、物事をきちんと相手に説明する能力はますます大切になってくるだろう。・偉大な適応者(アダプター)適応能力の高い「なんでも屋」を指している。著者によると、「なんでも屋」は技術力は高いが視野の狭いスペシャリストや、逆に視野は広いが技術力に欠けるゼネラリストとも異なるという。「なんでも屋は、持ち場や経験の範囲が徐々にひろがるのに合わせて技術力を応用し、新たな能力を身につけ、人間関係を築き、まったく新しい役割を担う」う~む、そんなスーパーマンおるんかい(笑)!?しかし私の琴線に触れたのはそれに続くこのような記述である。「なんでも屋は、たえず応用するだけでなく、学び、そして成長する」学ぶこと(input)と行動し結果を出すこと(output)を意識することが大切なのだと感じた。そして、最後に紹介するのが・熱心なパーソナライザー「人間は他人との関係を楽しむ社会的動物である」熱意や心遣い、そして「誰も思いつかないようなクリエイティブな味つけ」といったパーソナルな要素が自らの仕事をかけがえのないレベルに引き上げるのである。本書で述べられているシステム化、効率化の流れに真っ向から反しているようにも見えるが(苦笑)、顔の見えないやりとりが高度に発達した世の中だからこそ、温かさや個性を伝えられる人材が貴重になってくるのだと解釈することもできる。以上、上下巻800ページに及ぶ「フラット化する世界」の読書感想文であった。熱くなってけっきょくは非常に長い文章になってしまった(苦笑)「偉大な説明役」とまではいかずとも、読み終えたばかりの私の「熱心なパーソナライザー」っぷりが伝わっていれば幸いである。先日紹介した『ウェブ進化論』と合わせて、かなりおススメの本であるので皆さんにもぜひ読んで頂きたい。
2006/06/28
コメント(2)
定期買出しということへスーパーへ。お、カゴメの野菜フルーツ飲料、「野菜生活」シリーズの「紫の野菜」が198円で出てるぞ!色は微妙だけどこれは意外とおいしいのだ。他にも「ふらの 野菜の里」なる野菜フルーツ飲料も安く出てたので購入。はい、これでも体に気を遣ってます(笑)。いつものルートでコーナーを曲がり最近定番となった「完熟納豆」を買おうとした時にその衝撃は訪れた。売り切れ流通業の世界では商品を切らしてそれを求める消費者に売ることができない状態を「チャンス・ロス」といい、「どうせあの店はいつも売り切れだから」といった、その店への今後の求心力を考えた上でも大きな損失とこれまで見られてきた。しかし、サプライチェーンマネジメントが高度に発達した現在では、余剰在庫を抱えるリスク・損失をとるより、仕入れ量と販売量の究極的な均衡を目指す手法をとる方向に向かっているという。ウンチクも 虚しく響く カラの棚 改めて消費者の立場から言わせてもらうと、食べたい時が買いたい時だから売り切れっていう状況は痛い(苦笑)。でもどうしたんだろうな~、こんなことは初めてだぞ??ひょっとして先日私がこのブログで書いたこの「完熟納豆」の口コミが広まったのだろうか!?いやあ、まさかね(笑)いや、わからないぞ。ビジネススクールの私の一期上の先輩でワシントンDCでは公私ともにお世話になったこのお方も「クチコミ・マーケティングのススメ」と題して興味深いコラムを執筆されている。(ちなみに先日の日記で紹介したstand-up comedyのCDを購入したのもこのIさんの影響であった。帰国してからまだ再会できてないので近いうちにぜひ!!)このコラムを読むと口コミというものが企業にとって諸刃の剣であり、ポジティブな面をよりよく用い、ネガティブな面も改善の機会と捉えて対処していくことの大切さがよくわかる。(このコメントもこのコラムへの口コミ(笑)?)でも私見としては口コミというものが売り手にコントロールされるようになるのは怖い気もする。。。誰が自発的に発言していて、誰が程度の濃さこそ違えど関係者なのかの識別は困難だろう。発する側も受け取る側も、情報をむやみに扱わない注意深さがよりいっそう求められていくのだと思う。ともかく、スーパーの納豆仕入れ担当者殿、次はしっかり買えるように頼むよ!!
2006/06/26
コメント(0)
トンネルを抜けるとそこは・・・・というわけで職場の上司と2人で「第一回 積丹ソーラン味覚祭り」へやってきた。積丹と言えば、以前食べたウニ丼の産地である。「エコエコアザラク・・・」なんて幻聴が聞こえたのは私だけであることを祈ろう(笑)このように大勢のおばさま方が丹精込めて作った海鮮味噌汁がこちら。海老や貝で出たダシに豆腐がよくマッチしてた。数ある焼き物の中で私が食べたのはタコの串焼き。正直まだ焼けてない半生状態だったが(笑)、刺身でもじゅうぶんいける鮮度だったのでかえっておいしかった。他にもエビチリならぬ「タコチリ」を食べたが、これもプリプリしててうまかった。周囲はすぐ海である。イカ釣り漁船も待機中だ。しかしこのイベント、二時間半かけて現地に来た我々を満足させる何かに欠けていた。やっぱりウニ丼とかイクラ丼とか、海鮮を豪快に安く産地ならではの提供をして欲しかったなあー。フランクフルトとかたこ焼きとかはいいからさー(笑)学生のボランティアもけっこう見かけたし、地域の皆さんの交流・憩いの場となるイベントとしては良さそうであったが、積丹の海鮮という「味覚」を楽しみにきた我々のような観光客的立場の人間にはちょっぴり期待はずれであった。観光バスで群を成してきていたおじさま、おばさま方はどう感じていたかなあ。主催者の意図にもよるところだが、イベントというものの難しさを考えさせられた。てなわけでこの祭りには一時間も滞在しなかった我々が次に向かったのはここ!積丹半島の神威岬である。このポスターは実際に現地の土産物屋に貼ってあったものであるが、いやあ、濃い(笑)。残念ながら空が曇ってきてしまったが、岬の先端に向けてハイキングを楽しんだ。ものすごい突風が吹き荒れるなか細い道を歩くのはけっこう怖いものである・・・。強風に耐え崖に咲くユリ科のエゾカンゾウも美しい。(もちろん私は花に詳しいわけはなく、たった今ネットで探し当てた(笑))空がどんよりなのが口惜しいが、海岸線も神秘的できれいだ。20分くらい歩いただろうか。やっとのことで先端へ。あの岩のさらに向こうに行けばロシアにつくんだなあ。強風に吹かれながら、自分が北海道にいることを改めて実感するのであった。また引き返すこと20分。いい運動になったなー、このハイキングは。でも駐車場に到着するとすぐソフトクリームを食べてしまった・・・。すげーうまかった。しかしこれは計算づくのワナにはまったということなのだろう(苦笑)。疲れた老体2人が次に向かったのはこちら。海の見える露天風呂最高!!しかし、以前石狩堪能レポートでも紹介した石狩の公共温泉「番屋の湯」が経営不振に陥り最近になって企業へ売却されたというニュースを思い出してしまった。2002年にできたばかりという真新しいこの公共温泉も経営は大丈夫であろうか・・・。頑張れ、公共温泉!!さて、この旅のフィナーレを飾るのはもちろん・・・・「ウニよしイカよしイクラよし」の三方良しとは言ったものだ!(注:本当の三方良しは「売手よし、買手よし、世間よし」です・・・)こうして味覚祭りの仇をしっかりとって満足したのであった。これまでも多く実況してきた北の海鮮三昧。とても贅沢であるしおいしいことは間違いない。しかし、最近私の頭をよぎるのがこの疑念である。「北海道は素材の良さに頼り過ぎてはいないだろうか」海鮮、肉や野菜、そしてフルーツなど北海道には恵まれた自然が生み出した極上の食べ物があふれている。札幌に来て半年以上が経過し、私もその恩恵をかなり享受していると言えるだろう。しかし、多くの場合素材をどう活かすかの工夫を感じられないというのも正直な感想である。そういった意味では北海道の具材の良さを引き出しているスープカレーは成功例と言えるかもしれない。それでも特に海鮮物に感じることなのだが、やはり素材に対する工夫を感じることができるのはまれだ・・・。そんなに詳しいわけではないが、東京にはレストランの名店が集結し激しい競争を勝ち抜く者のみが生き残れる。一流の素材を調達するノウハウだけでなく、いかに調理するかの工夫が重要な要素になっているはずである。必要に迫られなければそういった環境にはなかなかならないかもしれない。しかし、素材勝負の向こう側にあるイノベーションが北海道をより活性化させる鍵なのではないだろうか。う~む、まずは海原雄山をスーパーバイザーとして雇うところから始めるか。
2006/06/25
コメント(0)
「お疲れ。寿司食べてる?」ワシントンDC近郊から一通のメールが。留学中に出会って以来濃密な時間を共有しずっとお世話になっているSさんからだ。皆さん、特に海外在住の方々に悪い刺激を与えてしまうと思い一時自粛していた海鮮レポート(笑)しかし、DCの兄貴からの質問とくれば答えないわけにはいくまい。いざ出陣!まずはランチの定番「たにもと」の特別メニュー、うにいくら丼。道東産のうにといくらのまろやかなハーモニー。続いて回転寿司から未発表の逸品たちを紹介しよう。お決まりのサーモンであるが、つくづく北海道はレベルが高い・・・。ちなみに写真を撮るのを待ちきれずに一貫食べてしまった(笑)。こちらは以前写真付で紹介したことのある白鮭、時しらずの筋子の塩漬の握り。きめの細かい粒の口当たりがいいねー。この写真を見てなんだかわかる人はかなりの通ですな。「鮭のめふんの醤油漬」という答えを聞いて鮭のどの部分か知っている人もなかなかの通である。酒を一滴も飲めないくせに、酒の肴としか言いようのないこの鮭の腎臓の食感を楽しむことができる私は究極の通か(笑)?ほやの握りなんて、めったにお目にかかれないだろう。鮮度が良くてこれまた美味。これまで紹介したものはほとんど根室産だが、これまた根室産のとろにしん。ヒカリモノが本当においしいのも産直ならではであろう。この根室シリーズの中でMVN(Most Valuable Neta)を獲得したのはこちら!ずばり、さんまである。こりゃあ文句なしにうまい!!Sさん、こんな報告でよろしかったでしょうか?このように顧客の視点で飲食店を研究していますので(笑)!飲食店の研究というのは大げさであるが、これだけ回転寿司にいろいろ通っていると異なるチェーン店の違いというものをおのずと理解してくる。○ 寿司を握る人が回転ベルトの内側にいるか、それともバックヤードにいるか「なごやか亭」のように寿司を握る人が目に見える場所にいて彼らに直接注文するのか、「とっぴ~」にように目に見える場所にいるのは注文を聞く係だけで実際に握る人はバックヤードにいるのか、という違いである。前者には寿司屋に来たという臨場感があり、後者にはオーダー受注と握りという作業の分業が効率を生むという長所がある。○ カウンター席主体かボックス席主体か寿司と言えば回転の有無を問わず(?)カウンターで食べることが通常であるが、小さな子供を含む家族客にはテーブルがついたボックス席が向いている。しかし場所をとってしまうし、回転のベルトから離れている席の客には店員が注文の都度そちらへ動かねばならない。地域によってカウンター席とボックス席のバランスが違うのは客層の違いを示しているのだろう。他にも、「新人の握りデビューは軍艦ものから」などといったムダな知識もついてしまった(苦笑)。すいている時はともかく、猛烈に混んでいるときに飛び交う注文をどうさばくかというのは見ものである。私のように回転している皿を取らずに全て注文する客は特にやっかいだろう(笑)。複数の注文を完全に暗記できる職人もいれば、忘れないように書き留める板前もいる。それでも状況的に遅くなってしまったり人間なのだから忘れてしまうことはある。「注文したアナゴ、まだきてないんだけど?」客のこのクレームにどう対応するか。こんな時、店員の立場になると遅れてしまっている事情がいろいろあるのはわかる。しかし、客の側からすると相手から欲しいのは言い訳ではなく、誠意ある態度と行動である。サービス業に従事する身として自分も心がけていこう。ね、ただ食べてるだけじゃないでしょ(笑)?
2006/06/24
コメント(2)
今年の1月下旬にこのブログで自分の英語学習法について述べたことがあった。しっかり継続できているものとそうでないものとあるが(笑)、ここでは最近聞いているCDを2枚ほど紹介したい。2枚ともアメリカ滞在中にAmazon.comで購入したStand-up comedy(1人漫才(笑)?)のライブ中継であるが、最近までほとんど聞いていなかった。しかし、帰国後に携帯音楽プレイヤーを購入したことにより音楽や英語教材をいつでもどこでも聞けるようになったため、これまで埋もれていたこのようなお宝を発掘することにつながっているのだ。まずはJerry Seinfeldの『I'm Telling You For The Last Time 』(September 22, 1998)彼の名前が題名になっている『Seinfeld』というコメディドラマは、アメリカではこれでもかっていうくらい有名だ。渡米後すぐに通った語学学校の教材にもなっていたし(思いっきりシモネタの回だったが(笑))、私が日本に持って帰ってきたアメリカドラマビデオの中にも収録されている。ドラマでも冒頭はたいてい彼のステージの風景から始まるため、どんな雰囲気のものかは予習済みであった。「スーパーマーケット」、「ドラックストア」、「スキューバダイビング」そして「タクシードライバー」などといったありふれたテーマでスマートに皮肉るというのがSeinfeldのスタイル。「なぜみんなスキューバダイビングなんてやりたがるのか私にはわからない。あの目的は頑張って死なないようにすることでしょう?」「タクシードライバーになるにはどうすればいいかって?(助手席の認定証に張るための)顔写真があればOKさ」う~む、日本語にするとなんか間抜けな感じ・・・(苦笑)。ともかく、わからない部分もけっこうあるが(涙)、彼の英語はきれいで勉強になるし、ムフフと笑えることも多い。そして、もう1つはこちら。日本でもおなじみRobin Willamsによる『Live 2002』(November 19, 2002) 「グッドモーニング、ベトナム」、「いまを生きる」、「レナードの朝」、「グッド・ウィルハンティング/旅立ち」、「アンドリューNDR114」など数多くの名映画に出演し、その卓越した演技力は素晴らしいとしか言いようがない。過去の日記では「パッチ・アダムス」の感動を紹介したこともある。彼がstand-up comedianだということは聞いたことがあったが、どんなステージなんだろう。そのヒントは上掲の写真にあった。この写真では少し読みにくいが、彼のあごの横あたりにある文字をよく読むと「PARENTAL ADVISORY -- EXPLICIT CONTENT」過激な内容により保護者による注意が必要、といった具合であろうか・・・。そして内容を一言であらわせば・・・凄まじいあの味のある名演技をする役者がこんなに壊れてていいのだろうか(笑)。汚い言葉のオンパレードが基調にある(苦笑)。ものすごいハイテンションで宗教、政治、ビジネスをぶったぎりまくり。ライブがあったのが2002年11月ということは同時多発テロからまだ1年足らずである。9.11を笑いのネタにすることはタブーだったに違いない。しかし、飛行機内のアナウンスというシチュエーションで女性の声色で彼はこう話す。「今からランダムの荷物検査を行います。これはあくまで無作為抽出されたお客様のみですのでご協力ください。それでは名前を読み上げます、オサマ・ビン・レビン様、アヒーム・ビン・レイ様、・・・・(明らかにアラブ系の名前が続く)」他にも炭疽菌(anthrax)をめぐるネタなど、どんどん攻めてくる。それでも会場は大うけ(笑)。これって役者が違えばすぐ狙われそうだよ・・・。しかしロビン・ウィリアムスは暗い世相をぶっ飛ばすためにあえて連発しているのかもしれないとも思った。そんな彼の真骨頂は「モノマネ」だ。同じ英語でも話す人の地域や国籍が違えば異なる特徴を持つものである。それを彼は実に見事に使い分ける。アメリカの南部なまり、イギリス人、ジャマイカ人、ロシア人、中国人、ドイツ人、フランス人、インド人、アラブ人、そして日本人まで・・・。それぞれの国民の特徴も反映させる。日本人のケースでは、癖のある英語を話しながらも(苦笑)始めはすごく礼儀正しい紳士だったのだが、酒を飲んで酒乱になった模様(笑)。さらにはブッシュ、チェイニー、チャーチル、ブレア、ガンジー、スティービー・ワンダー、キース・リチャードら複数の著名人に成り切ったモノマネを激しいテンションで展開する。似てるのかわからん・・・・(笑)。そして概ね全ての人種・有名人にFu○kと言わせる公平っぷり(苦笑)・・・。この人の本性、いや本領はここにあったのだ!アメリカにいた頃、ビジネススクールのクラスメイトで親友のジャマイカ系アメリカ人、Cにこの2人のコメディアンについての評価を聞いたことがあった。C:「Seinfeldはつまらんやつだ。何が面白いんだ?Robin Willams、やつは最高だ(笑)」ふーん、そういう感想なのかあ。いや、単に壊れた会話のノリがCにフィットしてるだけかもしれないぞ(笑)!こんなもっともらしく紹介してはいるものの、2つのライブ共に英語のスピード・内容の面でついていけてない部分や、アメリカ文化の背景知識の不足のためどこが面白いのかわからない部分がたくさんある。あれだけまくし立てる英語を耳だけで全ての情報を取り入れるのは至難の業である。繰り返し聞いて内容を理解できるように、そして彼らの話術を少しでも盗めるように楽しんでいこっと。でもあんなにファンキーで壊れたテンションまで盗まないようにしないと・・・。生きた英語の活きのよさもほどほどがいいのかもしれないな(笑)。
2006/06/22
コメント(0)
本題(?)に入る前に気になった道内のニュースを1つ紹介したい。夕張市、財政再建団体に。負債500億円(リンク先は日経ネット)メロンで有名なあの夕張市が500億円規模の負債を抱え明日20日にも事実上の倒産となるというのだ。テレビのローカルニュースによれば、夕張市はかつては炭鉱の町として栄えていたが、時代の流れにより炭鉱が閉山し地域経済が停滞していた。そこで「炭鉱から観光へ」のスローガンの下に第三セクターを通じてテーマパークやスキー場などの開設に市が多額の投資を行ったものの振るわず、これが市の財政を圧迫していたという。。。地方自治体の倒産は1992年の福岡県赤池町(現福智町)以来であり(そう言えばここも炭鉱のあった町だ)、財政再建団体となった後は国の管理下で再建が進められ、独自に実施している住民サービスの低下や公共料金の引き上げなどが予想されるという。厳しい産業構造の変化に翻弄された止むを得ない結果なのかもしれない。一方、地方分権が声高に叫ばれる昨今であるが、こういう事例を見ると全国各地の地方自治体にその責任を担う力があるのか疑問を抱かざるを得ない。そもそも、会社で言えば倒産であるこの事態に対し、連結親会社である都道府県、さらにグループ本体企業ともいうべき国の責任は問われないのだろうか。権限の委譲をする方にも育成の義務と見極めの責任が生じるだろう。まあ、国のバランスシートもボロボロなのだが・・・。聞き慣れない自治体の倒産というトピックを目にしていろいろ考えさせられた。さて、気を取り直して目の前の納豆のお話(笑)。札幌に単身赴任で来て以来、私の朝ごはんの9割以上は納豆ご飯に味噌汁である。(残るは遅刻寸前で朝飯抜きのときかな・・・)ご飯は炊飯器をつけるだけだし、味噌汁は生味噌タイプのインスタントだが(苦笑)。というわけでスーパーでの納豆の購入は私の大切な日常業務である。これまでの定番はご存知「おかめ納豆」(3パック98円)であった。(写真出典元:タカノフーズホームページ、以下同じ)今話してるのはこの上の50グラムの方。(そしてこんな「納豆と私」的日記を以前も書いたことがあった(笑))そんな私の定番オペレーションの前に先月あたりから立ちはだかったのが小樽のメーカー坂田発酵食品が作る「完熟納豆」(3パック60円!)なんじゃこの安さは!?その秘密は「たれ・からしがついていない」ことにあった。単純に考えてたれとからしに40円の付加価値があるというのか(笑)?その昔たれのついていないボストン製の納豆をアメリカ滞在中に共同購入していた時期があったが、私にはあの絶妙な納豆のたれの調合は無理であった。。。。というかそれを作るだけの調味料をそろえるのがめんどくさい・・・。そんな葛藤を抱える私の目に入ったのが「納豆たれ」(100ml、155円)このたれボトルがたれ付きで納豆を売っているおかめ納豆から出されているというパラドックスはともかくとして(苦笑)、こいつを使えば安いタレ無し納豆がお得な買い物になるのではないだろうか!?おかめ納豆(3パック98円)×A個 > 完熟納豆(3パック60円)×A個+たれ(155円)うむ、だいたいA=4で均衡し、5個に達すれば確実に完熟納豆&たれ別売りコンビがお得だ!つまり、100mlのたれが5個×3パック=15パック以上より使えれば問題ないわけだ。ということは1回のたれの量は、えーっと、100ml÷15パック=6.7ml以内かー。そんなんわかるか!いやあ、実践的な算数って意外と難しいのねー。もちろん、購入決定時にここまで細かく考えたわけではなく(笑)、最後は直感で定番の変更を決断したのだった。ちなみに、この60円納豆がスーパーにとって一過性の商品ではなく長期的に仕入れをする「定番」商品だということを店員に確認してから買ったことも付け加えておこう。(細かい(笑)?)実際、この決断は成功だったと思う。小樽産のこの納豆、粒が大きくてかなりおいしいのだ!しかも、製造元の坂田発酵食品の販売ホームページを見つけたのだが、これがものすごいファンキーなページであった!!「冷めたあいつに納豆攻め・・・」「彼女を納豆で振り向かせろ!」こんなキャッチフレーズがページ内を飛び交っている。。。。それでいて「第11回全国納豆鑑評会 厚生労働省医薬食品局食品安全部長賞 優秀賞 受賞」だというのだ!例の60円納豆は掲載されていないようだが、おいしさもお墨付きのようだ(笑)。キワモノチックな部分もあるが、ここに載っている高級納豆も興味深いなー。かくして消費者にとって一大決断とも言える定番の交代が行われたのであった。まあ、得だ損だ言っても数十円の話なのだが(笑)、こういうリアルな家庭の経済学における納得感こそ、消費者を獲得・維持する鍵なのではないかと思う。納得感の重要性は安価な日常品にも高価な奢侈品にも当てはまるだろう。ビジネスにとって大切な消費者感覚を磨かねばならない。そんな気概を持って、今日も私は納豆を買うのであった。
2006/06/19
コメント(0)
実力派のすごい新人シンガーを見つけた。別に私は音楽会社のスカウトではないのだが(笑)。先月CDデビューしたばかりの18歳の北海道出身女性シンガー、福原美穂のインストアライブを札幌のHMVで観た。この歌手の存在もライブのことも北海道の「スキップ」というローカル番組で先月末に知った。この番組の主題歌「Sir Duke」(スティービー・ワンダーの名曲のカバー)を彼女が歌っているのだ。歌声の迫力が日本人離れしている。私の好きな実力派の女性歌手と言えばMisia、宇多田ヒカル、ドリカムの吉田美和らを挙げることができるが、彼女達には広い声域からの高音の素晴らしさはあってもソウルフルな迫力に欠ける部分がある。芯の通った声質の太さと言えばよいだろうか。ほら、ボヘミアンの葛城ユキのような(ちょっと古いかな(笑)?)その力強さが若干18歳の福原美穂にはある。これはブレークするんじゃないかー!?今日のインストアライブの曲目は以下の5曲1.Sir Duke (Stevie Wonder )2.Englishman in New York (Sting)3.Miracle (Jackson Sisters)4.Natural Woman (Carol King)5.Elie My Love (Ray Charles)このうち、1,2,4が今回出たデビューマキシシングル、「The Roots」に収録されている。ご覧の通り、今日のライブもCDの曲も全て洋楽の有名曲のカバーである。どれも期待通りのうまさと迫力であった。ただ、難点を挙げるとすれば・・・1.最後のElie My Loveではサザンオールスターズのオリジナル「いとしのエリー」の歌詞も少し取り入れて歌っていたが、日本語の方は迫力に欠けた・・・2.洋楽カバーだけでは今後苦しいだろうオリジナルの名曲に出会えばこの才能は開花すると思う。北海道出身の星よ、がんばれ!!さらに、HMVの店内では2枚のアルバムの視聴に夢中になった。1つはAngela Akiが最近出したメジャーアルバム「Home」力強さと透明感が心地よく同居している感じだ。昨日筑紫哲也のニュース23に生出演しているのを観て知ったのだが、きれいな歌声を持っている人である。プロフィールによれば2003年までワシントンDCにいたとあるが、私は2003年5月からDCに来たんだった!もしかしてニアミスだったのかなー??DC在住の皆さん、もしかして知り合いの人がいたりする?!もう1つは宇多田ヒカルの日本における4年半ぶりのアルバムだという「Ultra Blue」これもすごくいい。私のアメリカ滞在中に発売されネットの中古販売で5ドルで買った過去を持つ「EXODUS」はなんだったんだろう、というくらい素晴らしい。(ほめてるんです、これは(笑))先月エチオピアに行った時、最初のフライトであった札幌-香港間の機内で観た映画が三島由紀夫原作のこの映画であった。「春の雪」は大正初期の華族社会を舞台に描かれる、妻夫木聡と竹内結子が主演の悲しい悲しい愛の物語である。この映画の主題歌、宇多田ヒカルの『Be My Last』が最後に流れたときは鳥肌が立ちまくりだった。もちろん、今回「Ultra Blue」に収録されている!よーし、どれもこれもCDレンタル開始されたらすぐ借りてやるからな!!え?さんざん紹介しといて自分は買ってないんかい!?そうです、食費(回転寿司代)と本代に圧迫されて・・・(苦笑)。楽しみに待つことにしよう♪でもおススメということは信じて欲しい(笑)!!それにしても、福原美穂もAnjela Akiもテレビでその素晴らしい歌声を聞いたという偶然の出会いであった。情報を能動的に自ら取りに行くことがメインのインターネットではなかなかこうはいかないんじゃないかなー。(まだ「ウェブ進化論」の影響を受けたものの見方をしている(笑))たまにはボーっとテレビを見るのも悪くはないもんだ(なんて正当化してみた・・・)
2006/06/17
コメント(6)
ついこないだになってやっとエチオピア旅行記を書き終えた。最終回のアディスアベバ→香港→札幌の道のりではエチオピア航空とキャセイパシフィック航空の創立60周年コンビが共に遅れるというディレーリレーにしてやられた(苦笑)。滞在時間が数時間に過ぎなかった香港であるが、電車代やタクシー代のためにとりあえず両替した一万円を使い切るには至らなかった。せっかくだからということで空港の書店で購入したのが以下の4冊。どれも60ページ足らずのコンパクトな本であり、読みやすい構成であった。ちょっと余談であるが、出版社のMcGraw-Hillは世界的に有名であり、MBAの教科書としても多くの授業で使われていた。ファイナンスの教科書にしてもマーケティングの教科書にしても、それらはたいていごっついサイズのハードカバーであり、価格も130ドルとかおそろしく高いものも多い。私を含めた学生達はごっつい教科書数冊とノートパソコンを詰め込んだでっかいリュックを背中にしょって登校したのだった。学生達は少しでも安く手に入れるために中古の教科書が安く手に入るウェブサイトで買ったりする。そんな中、一番安く手に入れるのはインド人であった。内容がまったく同じで本のサイズが小さく紙も薄手のものを用いている「インド版」なるものが存在するからなのだ!これって著作権とかだいじょぶなのか???あるべきページやグラフがなかったり、付属のCDロムがなかったりといった短所はあったようだが(笑)、軽くて安い教科書たちは大人気であった。そして、そんなインド版をエチオピアのアディスアベバ大学の教科書ストアでも多く見かけたのだ。内容的に旬でないものがほとんどだった印象を受けたので購入は見合わせたが、インドのパワーを改めて感じたのだった。さて、話を今回の4冊に戻し、以下ごくごく簡単にそれぞれを紹介したい。まずは、 『Networking for Career Success』人と人とのつながりを構築すること、すなわちネットワーキングの重要性はこれまでも人生を豊かにするための方法として意識してきたつもりである。しかし、それをビジネスにおける成功という観点で正面から捉えたこの本は私にとって新鮮であった。この本を読んでいるとgive and takeという言葉が打算的ないやらしいものではなく、お互いに助け合い成長するための素敵な合言葉に聞こえてくる。お次は 『The New Manager's Handbook』日本の企業なら「新任マネージャー研修」で使われる基本テキストといったところだろうか。自らはマネージャーとして大局をつかみ、部下を信頼して仕事を任せる(delegate)と同時に双方向のフィードバックを継続することによってお互いを成長させながら結果を最大化することを目指す。う~む、理想の上司・部下の関係だな~。三冊目は 『Finance for Nonfinancial Managers』財務関連の部署にいなくてもマネージャーとしてこれくらいのファイナンスの枠組みは知っておきましょうという内容である。財務(Finance)というより会計(Accounting)に内容がとどまっている感は否めないが、財務諸表というのはこういう種類があるだとか、年次報告書の脚注に注目しましょうといった基本的な視点、根拠が平易に述べられているところがいい。仕事で直に接していないと日々忘れる知識なので(苦笑)、復習しないと・・・・。いよいよ、最後の一冊は 『Six Sigma for Managers』シックスシグマとは究極の品質管理法としてその名前は知れ渡っている。アメリカ企業のモトローラで生まれ、GEやHoneywellで開花したこの方法の実体は、しかしながらよく知られていない。オペレーションマネジメントの授業でこの言葉をちらりと聞いたがやはりよくわかっていなかった。工場における生産にしろ、物流企業の商品配送にしろ、そこに人間が介在する限り完全にミスを無くすことは不可能である。そんなミスを100万のうち3.4以内に抑えましょうというのがシックスシグマ(シグマ(標準偏差)が6段階分)のゴールである。その名前の通り、統計学を駆使したかなり数学的なアプローチなのである。例えば、病院の待ち時間を毎日記録し、平均や標準偏差を明らかにすることで時間がかかりすぎた事例(outlier)を特定し、その原因を解決していくことで平均値をさらに改善していく。なんて大ざっぱな理解はできたけど、やっぱりよくわからん・・・。実際にGE関連企業勤務でシックシグマに関する研修を受けたという友人の話によると、その本質はまさに専門的な統計学であり、完全に理解している人はかなり少ないのでは、ということであった。。。以上、エチオピア旅行の番外編で入手した本の紹介であった。本を読むたびに勉強・経験の足りなさを痛感するのが辛いところだが(苦笑)、楽しく学んで実践していこう。
2006/06/15
コメント(0)
仕事帰りにクリーニング屋へ。預けていたYシャツ9枚を回収しないと明日はTシャツで行かねばならない(苦笑)・・・。狭い店内は意外にも私のようなサラリーマンでごった返していた。私のような単身赴任の人たちなのかなー。30代前半と思われるチェック柄のYシャツ姿の男性は洗濯に出していた5枚くらいのYシャツもすべてチェック柄だった。ユニフォームって感じじゃなかったし、すごい自己演出の統一感だ。好きな柄にあれだけこだわれるというのもいいものだ。それに引き換え私のYシャツは白、チェック、ストライプ、グレー、ブルー、イエロー、オレンジ、ピンクとあまりに多彩で、なんだか落ち着きのない子に思えてきた・・・。ファッションについてももうちょっと自分探しをしっかりしないといけないかもなー。でも全部ピンクはいやだ(笑)。帰宅後ジャージに着替え、近所のスポーツセンターへ。なるべく週に1回は通うようにしているが、エチオピア旅行からの帰還後はすこぶる調子がいい。2300メートルの高地でアメリカ大使館チームとソフトボール対戦したりエチオピアンダンスで踊り狂っていた成果が出始めているのだろうか(笑)?意識しすぎかもしれないが、息を整えながら軽くランニングをしてみると体中に酸素が行き渡っているような感覚がある。メニューとしては、書き出してみればこんな感じだろうか。1.ストレッチ(中学バスケ部時代ヘルニアで腰を痛めたためかなり入念に)2.室内トラックを10分くらい軽くランニング3.8~10ラウンドのシャドーボクシング4.ちょこっと筋トレ5.整理体操代わりのウォーキング6.腹筋とストレッチ正味1時間半にも満たないものだが、3が非常にきつい。ボクシング、あるいはボクササイズを経験されたことのある方ならわかると思うが、シャドーボクシングを8ラウンドやることのしんどさはものすごい。。。まあ、現役時代ほどの密度でやっているわけはもちろんなく、だましだまし動くことも覚えたのでむしろ力の抜けたいい動きになっている部分もある。ただ、やっている場所が問題なのだ・・・。ふつーの公立スポーツセンターなのである。シャドーボクシングをするからには鏡のある場所がいい。そこで使用しているのがウエイトリフティングをするためのエリア。ベンチをはしっこによけてステップを踏みまくりひたすらパンチを繰り出す。ものすごい異様な存在だと思う・・・。札幌でもボクシングジムを見つけたのだが、ちょっと遠いし1万円くらいの月謝を払って月に数回というのは割に合わないし、スポーツセンターなら1回390円だからなー。実は昔赴任していた名古屋でも、留学をしていたアメリカでも同様の経験をしている。一般のジムで近づき難いオーラを放ちひたすらシャドーに励む青年。迷惑かなーーーーー。悪気はないので温かく見守ってくださいまし・・・。何もなくても一定の広さがあればどこでもできるこのエクササイズはこれからも重宝するだろう。今日の運動では1キロ減った。誤差の範囲内かな(笑)。プロでやっていたころは減量中に1回の練習で3.5キロ減ったということもあったが、今それをやろうとしたらおそらく明日はないだろう・・・。現役時代の激しさはなくとも、ボクシングとは末永く付き合っていきたい。でももっとやせないとなー。今の体型じゃ、どうひいき目に見てもボクサーに見えないし・・・。
2006/06/13
コメント(2)
まずは説明が必要となろう。『ブラック・エンジェルズ』は、1981年~1985年に週刊少年ジャンプ(集英社)にて連載された平松伸二作のバイオレンスアクション漫画。現代の必殺仕事人というべきハードな内容で人気を博した。(以上、ウィキペディア「ブラック・エンジェルズ」より抜粋)一方、『ブラック・エンゲルズ』は、2005年11月より不定刊よしなしご利根(楽天)にて連載中のToneHide作のイーティングアクション日記。現代の必食仕事人というべきヤミー(yummy、もしくは嫌味~)な内容で不評を博している。うーむ、相変わらず下手に懲りすぎててわかりずらい・・・。いや、単にエンゲル係数全開の食い倒れ状況を示したかっただけなのだが・・・・(照)しかも実際は単数形だし(苦笑)。さて、北海道北部の利尻島と言えば・・・・・そう、昆布!その贅沢な昆布を食べて育ったさらに極上の海産物と言えば・・・・すいません、またウニでした m( _ _ )m職場の近所にある私にとってランチ専門のお寿司屋さんで、利尻島から空輸された産地直送のウニ丼が大特価(1400円)で出ていたのだ!現地の漁師から直接買い付けているゆえこの超お手ごろ価格が実現しているとか。う、うまいよ~、とろけるよー!!わさび醤油とからまったウニと寿司飯の相性の良さったらない。先日の積丹のウニ丼に比べ、量は少ないものの、1つ1つの粒がしっかりしてたなー。まだウニの季節は始まったばかり。ブラック・エンゲルズ、危うし!続く(のか?)
2006/06/12
コメント(2)
「あったかくなったら公園へ遠足に行こう」このスローガンを果たすべく、大学時代の友人であるY・Ma夫婦&娘のMiちゃんと一緒に国立公園である「滝野すずらん丘陵公園」 に行ってきた。(かなり充実したウェブサイトなので行く予定のある方はぜひご覧あれ!)前回2月前半に彼らに藻岩山のロープウェーに連れて行ってもらった時は極寒だったからなー(笑)。私にとって札幌の公園来訪はフランス人のJを3月末にモエレ沼公園に連れて行って以来であるが、あの時もまだ雪が残っていて寒かった。札幌はここのところ雨が降ったり曇ったりとぐずついた天気だったが、今日は幸運なことに晴天だった。札幌の中心から車で一時間ほどのこの公園はかんなり大きい。日差しは暖かで気温は15度くらいという絶好のコンディションで川を見ながら歩くのは最高に気持ちいい。まずは敷地内で北海道名物のこちらを堪能。「ジンギスカン」と言えばドイツ語の名曲。先日の「Uni」と言い、こんなところでもW杯という時事ネタを大切にしてる自分に乾杯。川のせせらぎを聞きながらのバーベキューは最高!!おなかいっぱいになった後はさらに公園を探索。色とりどりの花が広がる風景って心がなごむなあ。雪の溶けた後の北海道がこんなにも美しいとは感動。子供のための遊び場も充実しており、本当に日本は少子化の道を進んでいるのか?と思わされるほど多くの子供達でにぎわっていた。Miちゃんもはしゃぎまくりで楽しそうに駆けずり回っていた。これは負けてられないと私とYのおじさんコンビも売店でボールを買って子供に返り夢中でキャッチボールを楽しんだ。そして今も手首と肩が痛い・・・。いやあ、Y&Ma&Miちゃんの3人!大人の男性1人じゃ行けない世界へお導き頂きありがとう!
2006/06/11
コメント(4)
札幌に来て私にどのような変化があったか。大きく2つある。1.肉中心から魚中心の食生活になった(魚:肉=9:1くらいかも)2.冬の間寒いし知らない土地で友達も少ないから(涙)、読書の量が増えた1についてはこれでもかというくらい報告しているので(笑)、ここでは2について最近読んだおススメの本を2冊紹介したい。(始めは4冊並べていたのだが、最初の2冊を熱く紹介しすぎたため(苦笑)、今回は2冊にとどめておこうと思う)『ウェブ進化論』まずはイチオシの「ウェブ進化論」から。この本が提示するインターネットの現状と将来の展望を読んでかなりの衝撃を覚えた。買ったばかりの新書も気付けば複数の蛍光ペンで彩られ付箋だらけになっていた。プラス面もマイナス面も含め、こんなに身震いさせられた本は珍しい。マイクロソフトのビル・ゲイツが開拓した「パーソナルコンピューティング」はそれまで高価な共有財産であったコンピュータの私有化を促進した。一方、グーグルの創業者ラリー・ページとセルゲイ・ブリンの2人は「インターネット」に無限の可能性を見出し、世界中に蓄積・更新されている知のすべてにアクセスできる世界の実現を目指している。著者である梅田望夫氏は情報の蓄積や処理をPC内で行うマイクロソフトの世界を(インターネットの)「こちら側」、情報発電所とも言うべき巨大コンピュータシステムをネット上に構築したグーグルの世界を「あちら側」と名付け、Amazon.comやブログ、ソーシャルネットワーキング、ウィキペディアなど様々な事例を紹介している。身近な例としては、メールにしてもこれまではプロバイダーから付与されたメールアカウントをアウトルックやベッキーなどのメールソフトで管理し受信・送信データはパソコン(こちら側)に保存していた。ホットメールやヤフーメールなどの、「あちら側」に拠点を置くウェブメールも昔からあったが、容量や使い勝手などの制約がついてまわっていた。しかし、現在ではウェブメールもかなり進化し、中でもグーグルメール(Gmail)は2ギガの容量と抜群の検索能力、スパムメールに対するフィルターを擁している。私もいろいろ試運転をした結果、最近メールの本拠地をグーグルメールに移したばかりであるが、その便利さを早くも感じている。その他にも、「オープンソース現象」、「Wisdom of crowds(群集の叡智)」、「総表現社会」、「チープ革命」、「新しい富の分配メカニズム」などなど、斬新かつ重要なキーワードも豊富である。さらに、携帯電話や高速インターネットといったインフラが世界一とも言える水準にある日本がなぜこんなにもインターネットの中ではアメリカに遅れをとっているのかという議論も興味深かった。そこには「インターネットは自らの存在を脅かすもの」という、既存メディアの権威など日本のエスタブリッシュメント層の深層心理が働いているという。アメリカにおけるインターネットに関する理論研究、技術開発、そして新事業創造の数々が紹介されているのを目にすると「ネットの『善』の部分を直視せよ」という著者の主張にも説得力を感じる。検索エンジンというものを使ったことのある全ての人に読んでもらいたい秀逸の本であると感じているが、今この「ブログ」を読んでいる時点で皆さんも必ずこの本から何かを考えさせられることと思う。『グーグル完全活用本』最初に紹介した「ウェブ進化論」をインターネット世界の総論とすれば、こちらは現在グーグルで何ができるのかをわかりやすく知ることができる各論といったところだろうか。グーグルは単なる検索エンジンではない。この本を読めばすぐに仕える効率的な検索方法がわかるだけでなく、グーグルという企業が提供するサービスの全貌がわかってくる。さらに、ついこないだ(2006年6月7日付)の日経新聞にはこんな記事が。「 米グーグル、ネットで表計算サービス」これまでなら「ふーん、グーグルもいろいろやってるねー」くらいの反応で済んでたと思うのだが、上記の2冊を読んだ今では、「これも壮大な「あちら側」の世界化計画の一環なのだろう」と感じている。まだテストバージョンということだが、ワードやエクセル、パワーポイントなど「こちら側」で使用されているマイクロソフトの聖域にグーグルが足を踏み入れたことの意義は大きいだろう。以上、IT系の仕事をしているわけでもない素人の私であるが、インターネットに関する本を2冊紹介してみた。情報の収集、発表、コミュニケーションの手段がこれまでになく進化している現代社会。我々自身はどれくらい成長できているのだろうか。常に時代を健全に批判できるようになるためにも、技術の進歩を含めた世の中の流れにキャッチアップしていきたいと思う。
2006/06/10
コメント(0)
そう、正解は「Uni」(Universität(ウニヴェルジィテート)の略でウニと読む)なんだかずいぶん久しぶりに日記を書くのでわかりにくい前フリしかできず、さらに日記ネタと言えばやはり海鮮物に・・・(笑)。本日は果敢に積丹直送のこのウニ丼に挑んだ。これまでの人生における累積ウニ消費量を超えるのではないかと思えるほど具沢山のウニが眩しかった。。。積丹(しゃこたん)は札幌北西部に位置する海岸沿いの町である。その地名を聞いて昔ヤングマガジンで連載されていた「シャコタンブギ」を思い浮かべた方は峠を攻める相当の走り屋か漫画オタクだろう。(もちろん私は後者)カバー範囲が狭そうなネタはおいといて、こんなまろやかな丼は人生初めてだった。。。シンプルな料理から日本の食文化の奥深さを感じたのであった。こういう極上物を食べちゃうと後が辛いんだよな~。お叱りの声が聞こえてきそうなので今日はこの辺で。
2006/06/09
コメント(4)
一難去ってまた一難。バトンを渡したと思ったまみゆからそのバトンを持ったまま違うバトンを渡されてしまった・・・。これってバトンでもってブログを破滅に追い込む組織の巧妙な手口か(笑)?いや、まみゆ殿を責めているわけでは毛頭なく、前向きに解釈して始まり始まり~。---------------------------------------------------------------------- このバトンの中では、あなたにバトンを回して来た人を「あいつ」とします。 あなたが思う、あいつの印象etc…正直にお答え下さい。 ---------------------------------------------------------------------- 0.あいつの名前を教えて下さい まみゆ1.ぶっちゃけあいつとどういう関係? あれは7年前になるのかな?就職活動のメーリングリストのコンサルティングファーム分科会のオフ会(勉強会)で出会って以来の友人で、まみゆはその参加者の1人のNと知らぬ間に付き合い始め・・・(中略)、札幌でまみゆ一家(すでにまみゆが中心)に再会したという仲! 2.あいつを色で例えると? グリーン。学生時代スターバックスでアルバイトをしていたという話の印象が強いのだ。その姿は見たことないけど(笑)。3.あいつを四字熟語で例えると? 笑顔満開はいそこ、四字熟語辞典調べるとかつまんないことしない!皆さんもすでにおわかりのように笑顔が眩しいお方ということです。 4.あいつの良い所、ひとつ教えて 小生のボクシングの試合を観に後楽園ホールに応援に来てくれて、試合後にドトールの(あれ、すでにスタバじゃないのね)ミルクレープをくれたこと。(食べ物の恨みは一生と言うが、食べ物の感謝も一生なようだ(笑)) 5.あいつの嫌な所、ひとつ教えて 上記の試合はなぜかNと2人と観に来ており、ケーキも2人からって感じだったのも覚えてるなあ。それまで2人が付き合ってるとか知らなかったじゃんかー、隠すなよ~、水臭~い(笑) 6.あいつに唄わせたい歌は? なんでしょうなー、なんとなく、鈴木あみの「Be Together」 7.あいつと遊びに行くならどこ? みんなで札幌近郊の公園!(約定済) 8.あいつと一日入れ替われたら、何をする? いつも仕事の遅いNに文句を言うわよ!(ごめん、シャレにならなかった(笑)?) 9.この場を借りて、あいつに言ってやりたい事があれば。 札幌での2人との再会もびっくりだったけど、Mちゃんとの対面も嬉しかったねー。なんつうか、やっぱり母は強しだなあ。これからも母子ともに健やかに成長してください!---------------------------------------------------------------------- 10.あなたについて答えさせたい、次の回答者最大7人いきます。 「しんや」さん、「ぐま」さん、「さとまつ」さん、「たからぽん」、「Hayato」さん!前のバトンの手法、『題名載せ』を勝手に使ってしまった(笑)。しんやさん、貸した義理は返してもらいやすぜ!ぐまさん、帰国前に書くことがいっぱいあるはずでしょうが、しがない「あいつ」のためにお慈悲を!さとまつさん、お忙しいご様子で最近更新がないのでこれを機に(笑)!たからぽん、なんだか連続更新しているご様子なのではずみをつけて!Hayatoさん、ガーナの次はToneHideでお願いします!というわけでバ、バトンを渡し終えました、はあはあ・・・・。
2006/05/31
コメント(0)
あれはGWにエチオピアにいた頃だった。インターネットで何気なくグリーをチェックするとワシントンDC在住のしんやさんから名指しのバトンが回ってきているではないか!頼まれればいやとは言えない性格の私。というわけで遅ればせながら義理を果たします(笑)1)回してくれた人の印象をどうぞ。人には言えぬ理由で祖国を離れた全部足すと合計25段の諜報員いや、見た目の危なさと中身の優しさ、繊細さのギャップが素敵な人です。←慌ててフォロー2)周りから見た自分はどんな子だと思われていますか?5つ述べてください。うーん、どうだろう。とりあえず時代別に5つほど。1.一年中ランニング半ズボンの元気な小学生(based on true story)2.先生にぎりぎりばれない長さの中ラン、微妙な太さのボンタン(ワルの男子の学生服)をはいて満足するシャイな中学生(同上、以下略)3.顔にバンソウコウをつけて登校し、「どうしたの?」と聞かれて「いや、ボクシングでちょっとさ」と答えることにちょっとした喜びを覚えていた自己陶酔っ気のある男子高校生4.いきなり激やせして食べ物の話題に機嫌が悪くなったり、すぐ元に戻って代官山のケーキ屋に出没する、なんちゃってプロボクサーなリバウンド王の大学生5.「何をしてるのかよくわからない」とよく言われるが(笑)、名古屋、東京、ワシントンDC、札幌と、どこでも住めば都の生活をしている若手の社会人(時に年齢詐称疑惑勃発・・・)3)自分の好きな人間性について5つ述べてください。これまでも、これからも目標であることを。 1.笑うこと、笑わせることを大切にするひと(およびヒット率の上昇) 2.出会った人々の生き様から刺激を受けて興味の幅を広げ自分のパワーにするひと 3.オンとオフのメリハリをつけるひと 4.感謝を素直に表現するひと(Appreciate what you HAVE, not what you HAD) 5.バランスを大切にするひと4)では、反対に嫌いなタイプは?反対にというくらいだからまさに前項の裏返しですな。 1.ただ一途に真面目すぎる人 2.他人、他分野に無関心な人 3.ずーっとスイッチが入りっぱなしの人、またはその逆(笑) 4.感情表現が苦手な人(嫌いっていうか、もったいない!と思う) 5.1つのサイドしか物事を見れない人、見ようとしない人5)自分がこうなりたいと思う理想とかありますか?3の部分で挙げた自分が好きな人間性を実践できるようになりたいかな。さらに留学中に教授からもらった「Dream an impossible dream!(とんでもない夢を持て!)」という言葉に従ってその夢(の一歩手前?)を実現するのが理想。今はまだまだそのとんでもない夢の探し中!(この言葉をもらった授業の一部始終は過去日記『「とんでもない夢を持て!」:最後のクラスでの教授からのメッセージ』を参照されたい)6)自分のことを慕ってくれる人に叫んでください。「慕ってくれる」って憧れる響きだなあ(笑)そもそも「慕う」ってどういう意味だろう。慕う(『広辞苑』より)1.(恋しく思い、また離れがたく思って)あとを追って行く2.会いたく思う。恋しく思う。なつかしく思う3.理想的な状態・人物などに対してそのようになりたいと願い望む1も2も恋がらみじゃないですか(笑)!そうかあ、ならば、2人になるとけっこうつまらない男なのでその辺りの覚悟をして頂きたいと・・・・ってこのくらいにしておきます。。。「人生は回り道があってこそ豊かになれる!」ここではこう叫んでこれまでの脱線を自己弁護しておこう(笑)。7)そんな人にバトンタッチ!5名!にしむ、まみゆ、hirohiro-masa、Otsumu_tenten、Mr. Tanny「そんな人」なんて文脈で出すのもおこがましい限りだが、ひょっとしたら読んでくれてそうな人かつブログをつけている人を思い浮かべてご指名してみた。神戸、札幌、シンガポール、ワシントンDC、そしてペンシルバニア州から皆さんの声を聞かせて頂きたい!特に三番目のmasaさんは恐縮なのだが・・・。お義父さん、よろしくお願いします(笑)!m(_ _)m8)タイトルに回す人の名前を入れてびっくりさせてください。読んでくれてればびっくりするかもしれないけどさー(笑)というわけで渾身の力を込めた人生初バトンであった。しんや兄ぃ、こんなんでよろしかったでしょうかー?またシャバに出てきた時はよろしくお願いしまっす!
2006/05/30
コメント(6)
一週間ほど前までは札幌ではまだ桜が見れた。職場付近に咲いていたものを携帯でパチリ。5月後半でも桜が見れるなんて特した気分だなーと喜んでいたが、雨の日を境に散ってしまった。。。そんな私の落胆を慰めてくれたのはやはり・・・「花よりにぎり」とは言ったものだ。(←誰も言ってない)生うに、いくら、あわび、牡丹海老、本マグロなどの豪華キャスト・・・。この寿司屋ではなんと第2、第4木曜日は通常2100円の特上生にぎりがサービス価格1500円で食べられるのだ!ランチに1500円は勇気のいる投資だが(笑)、気付けば店の主人に向かってこう発さざるを得なかった。「大将、今日って第4木曜日ですか?ですよね?」う~む、うまかった!!!月に2回とは言わないが、月に1度の豪華メニューとしてランチデータベースに登録する必要があるかもしれない。その分、500円ランチの登場回数を増やしてバランスをとるのも手だな(笑)。話変わって今日の出来事。「ティロリリーン」とメッセンジャーで珍しい男がオンラインになった。ビジネススクールの同級生だった、韓国人のJである。彼はビジネススクールに来る前は韓国にあるフランス系の金融機関で働いていた。そしてその前はプロのミュージシャンとしてサックスを吹いていたユニークな男である。我々夫婦の送別会で吹いてくれた「Over the rainbow」は心に染みたなあ。私の学年には約70名のMBAの学生のうち日本人は私1人、韓国人もJを始め3人しかいなかったので、英語苦手組として(笑)かなり仲も良かった。成績は彼の方が優秀だったろうけどさー(←ちょっとジェラシー)卒業以来ちょっとだけメールのやりとりはしていたが、かなりご無沙汰していたのでこのチャンスを逃す手はないと話かける。卒業後アメリカの銀行で働いていたJは最近ソウルに帰国してご家族が経営している会社で働き始めたということである。「でもやっぱり俺はバンカーだからまたどこかの銀行に戻りたいな」なんて本音もちらり(笑)。近況をちょっと伝え合って思い出話に突入。いやあ、やっぱりクラスメイトってのはいいなあ。小学生の男の子のパパである彼は私より年上なのだが、英語というのは敬語という壁をとっぱらってフランクな会話ができるのがいいと思う。特に日本も韓国も先輩後輩とか上下関係って厳しいからなあ(笑)。それでもずっと彼には改めて謝罪せねばならないことがあった。帰国直前のランチドタキャン事件のことである。。。「そんなこと気にするなよ!また会えばいい。韓国と日本は近いんだから明日会いに来いって(笑)」兄さん、そりゃちょっと無茶や・・・(笑)今回の会話での新たな発見はJとプロ野球の巨人の4番打者イ・スンヨプが高校の同級生だったということである。J「彼と対談するには俺がもっと偉くならないとなあ」なんて言っていたが(笑)。それにしても確かに韓国って近いし、気軽に行けそうだぞ!韓国へは一度しか行ったことがなく、10年くらい前にベトナム旅行の帰りに韓国人の友達の家に2、3泊くらいした。その時は大学のサークルのイベントのための企画合宿だったが10人くらいで集まったあの合宿も楽しかった。訪ねる友人もいることだし、週末を利用してぶらっとソウルにでも行こうかな~。時間とお金がしっかりあれば。。。。とりあえず来月の特上生にぎりはキャンセルかな(笑)そういえば、気付けばアメリカから帰国してちょうど1年が経ったんだ!!時間の流れが早過ぎて怖い・・・。あれから成長はできているのだろうか。いろいろ焦ることも多いが、留学で学んだLife Long Learning(一生勉強!)とPositive Thinking(いつも前向きに!)の精神を胸に精進していきたい。
2006/05/27
コメント(0)
昨晩コンビニでデザートを買ったときあるポスターが目に入った。「ダ・ヴィンチ・コード前売り券絶賛発売中!」そういや、明日から上映だなーと思いながらそのポスターをよく見るとこの日が最終日である前売りで買うと通常1800円の券が1300円で買えるという。もちろん、「豆乳花(トールーファ)」と一緒にチケットをゲット。(豆乳から作られた甘さ控えめのヘルシーなこのデザートは最近のイチオシ!!)というわけで今日の仕事の帰りに観に行った。1人で映画観に行くのって人生初かもしれないなー。札幌だと混みそうなのであえて小樽方面へ向かい、小樽築港の駅そばのショッピングセンター、Wing Bay Otaruのワーナーマイカルシネマに行った。これが大成功で、人混みもなくちょうど真ん中らへんの足の伸ばせる席をゲット。座席の後ろ半分はけっこう埋まってたけど、前方半分はがらっがらだったなー。こんな時、東京にいない幸せと地方の寂しさを同時に感じる。小説にしても映画にしてもこれからの人のために内容については語るまいが、あれだけの内容を2時間半くらいでまとめるのにはやはり無理があり、ダイジェストを見ているような感は否めなかったが、美しい映像とスピード感のある展開でなかなかよかったと思う。「ああ、あのシーンはこういうイメージだったのかー」と新たな気付きを得ることもしばしばあった。想像力に乏しいもので・・・(苦笑)。ともかく、今回の小樽での鑑賞は大成功だった。海に面したこんな観覧車もあるのだが、客は1人も乗っていなさそうだった・・・。ショッピングセンター自体も4階建て・5つのエリアから成る、洋服店、雑貨店、レストランから映画館、スポーツクラブ、ヒルトンホテル、場外馬券場にいたるまでなんでも揃っている巨大施設なのだが、いかんせん人の入りが少ない・・・。東京や横浜のショッピングセンターの週末の人混みを考えると信じられない情景である。土曜の夕方にこれで大丈夫かな~・・・・。これだけ立派で充実した箱を作っても肝心の入れる物が少なかったらどうしようもないのかもしれない・・・。ビジネスって難しいと改めて感じたのだった。それでもやはり小樽の強みと言えば・・・う~ん、とろける生うに。今日食べた回転寿司は最高においしかった・・・。うにやいくらという定番も素晴らしいのだが、桜ます、そい、八角、きんきなどのネタはまさにご当地ならではである。帰りに見た小樽築港駅から銭函駅にまで続く車窓から見える日没の海の風景もきれいだったなー。もちろん地域経済もよくなってもらいたいが、人口密度の低さを満喫している今日この頃であった。
2006/05/20
コメント(4)
こつこつとエチオピア旅行記を更新している今日この頃である。見ての通り様々な刺激を受けたいい旅であったのだが、今回の旅行では意外な収穫があった。エチオピアの歌の中に空耳アワーネタを発見したのだ!まだ送ってもいないので細かく書くわけにはいかないが、というよりけっこうあからさまなのでエチオピア滞在経験者にもう投稿されて落ちたりしているかもしれない(苦笑)。いや、自分で気付いたことに意義があるのだ!そうは言っても実際に本場で通用するかどうか。それを知るためにはこれまでの作品のクオリティを検証する必要がある!というわけでネットで「空耳アワー」を検索すると、さすが長寿番組の超人気コーナー、情報にあふれている。中でも秀逸なのが、2001年1月18日放送分以降の空耳アワーを全て映像付きで公開している 『週刊ソラミミスト』。著作権がどうなってるのかわからないけど、こんな素晴らしいサイトが世の中にあるとは知らなかった。。。。はまりすぎて時間を膨大に費やす恐れがあるので要注意(笑)。うーむ、過去5年の歴史を紐解いてみると、「こんなレベルが高いのか・・・」と思わされたり、「これなら俺のだって!」と励まされたり、平たく言えば玉石混交である。作品自体がたいしたことなくても映像のあまりの面白さに笑ってしまうというずるいのもある(笑)。手ぬぐい=426(73.57%) Tシャツ=148(25.56%) ジャンパー=5(0.86%)こんな統計まで表示されているのもすごい。『空耳アワー』のコーナーの最後に現れる投稿募集のテロップには宛先しか表示されていない。今回のエチオピアンソング、歌手とかわからないし、歌詞なんてわかるはずもない、そんな状態なのに葉書一枚で投稿できるのか?たまにマニアックな言語の曲の投稿とかあるけど、あれはどうやって送っているのだろう。やっぱりCDとか送らないといけないのかなー?それにしてもこのコーナー、1992年にスタートして今も健在だというのはすごいよなあ。「誰が言ったか知らないが、言われてみれば確かに聞こえる『空耳アワー』」日本語の奥深さ・お馬鹿さを認識させてくれる功労者だ。嗚呼、手ぬぐい、欲しいなあ(←控えめ)
2006/05/16
コメント(2)
エチオピアからやっとこさ札幌へ戻ってきた。帰りは首都にあるアディスアベバ空港からエチオピア航空の飛行機が夜11時半出発の予定だったのになんと出発は翌朝5時半くらいまで延ばされた・・・。おかげでトランジット先である香港のホテルに着いたのは夜12時過ぎとなり、観光どころではなかった(涙)。。。ホテルについて6時間後にはまた空港に向けて出発。なんとも寂しい滞在だったなー。しかも香港の空港でもキャセイパシフィック航空の札幌行きは1時間半遅れてしまった・・・。奇しくも共に60周年を迎えるエチオピア航空とキャセイの二社。しっかりしてよねー(苦笑)。いやいや、楽しかった旅をこんなことで忘れてはいけませぬ。相方との再会はもちろん、現地で働く多くの日本人の方々、外国人たち、そしてエチオピア人との出会いなど、大変有意義な旅であった。詳細は写真付でおいおい書きたいが、ここではダイジェストで今回の旅を振り返ってみたい。4月29日 札幌から出発! 30日 アディスアベバへ午前7時頃着→昼ごはん@大学の先輩のTさん宅 →エチオピアの伝統ダンスのレッスン →食事会@Kさん宅5月1日 朝5時起きで飛行機に乗り北部のアクスムへ(世界文化遺産のオベリスクがある) 2日 飛行機でちょっと南に下ってラリベラへ(これも世界文化遺産の岩窟教会がある) 3日 アディスアベバへ帰還 →夜食事会@韓国料理屋 with Mさん 4日 長距離バスでナザレットへ →夜食事会@Oさん宅 5日 Oさん車でソドレ(温泉がある)へ →そのままアディスへ帰還 6日 アディスでちょっとお買い物 →夜食事会with Tさん達@アラビア料理 →深夜アズマリベットに(伝統楽器による即興の弾き語りとダンスのバー) 7日 アディスのボストンスパで全身オイルマッサージ体験 →日米大使館ソフトボール決戦に参加(5番ファーストで先発) →エチオピアの伝統レストランで食べて踊る with Y先生達 8日 アディス観光(アディスアベバ大学見学や故ハイレセラシエ皇帝の旧邸宅見学など) →シェラトンホテルで全身オイルマッサージ(←はまり気味(笑)?) →夜食事会with Nさん達@イタリアンレストラン →香港へ出発(夜11時半のはずが朝5時半へずれこむ・・・) 9日 深夜に香港着 10日 夜、札幌着う~む、移動のしんどさは否めないものの、やはり充実してました(笑)。世界は広く多様な文化を包容していると感じる一方で、どこにいても人間というのは共通しているものだと改めて考えさせられる旅でもあった。また明日から現実へ戻るぞ・・・・・!
2006/05/10
コメント(4)
旅行帰途編(アディスアベバ→香港→札幌)エチオピアでの長い最終日を経て、帰りの飛行機は夜12時発の予定であった。しかし、数日前にエチオピア航空のオフィスで行ったリコンファームの時点で午前3時に延期されていた・・・。こんなあっさり遅れるものなのか・・・。まあ、その分長く滞在できたとプラスに考えることにして、午前1時には空港に着いていた。発券カウンターでは係員が「Sapporo」という目的地に驚いていた。係員;「サッポロに税関はあるのか?なかったらナリタに一度行かないとだめだぞ」なんてアドバイスまでくれた(笑)相方にお礼を言ってお別れをし出国ゲートをくぐり出発カウンターへ向かいながら出発と到着のスケジュールを示すテレビ画面に自分が乗る香港行きの便を発見。「Delay」さらにですか・・・。エチオピア旅行の道中でしばしば会った一人旅をしていた日本人の方と話しながら時間を潰す。彼はかれこれ100ヶ国は周ったという旅の達人だ。私の十数ヶ国なんてまだまだ甘ちゃんだ。けっきょく、飛行機が飛んでくれたのは午前5時近くだった・・・。香港で一泊することを余儀なくされていたのがかえって良かったなあ。その代わり、友人のJがアドバイスしてくれた1人未来日記in香港の実行は不可能となってしまったが。香港に到着したのは夜12時頃。翌日の午前7時半にはまた空港に戻ってこなければならない。中途半端と言えば中途半端だが、ホテルはJがわざわざ予約してくれたものだし、ドタキャンをするよりちょっと体を休めるためにも行くことに決定。台湾は2度行ったことがあるが、中国は初めてだった。たった数時間だけど(苦笑)。空港からすごくきれいな電車で九龍駅へ。周囲に広がる高層ビル群。と、都会だー。エチオピアから来たものでよけいそう感じる。九龍駅からはタクシーで。タクシー乗り場から係員に誘導されて乗り込む。私:「○○ホテル、プリーズ」運転手:「×□×□?」英語が通じない・・・。えー、香港なら英語通じるんじゃないのかー!?まったく意思疎通ができてないのに運ちゃんは走りだす。おいおい、何がわかったってんだおじさんよ!?落ち着き払ったおじさんはおもむろに携帯で電話をかけ始めた。なにぃー、この場面で私用電話を始めるつもりか!?と思ったらその携帯を突然私に渡してきた。私:「ハロー?」電話の声:「(英語で)目的地はどちらですか?」私:「○○ホテルですが・・・」電話の声:「わかりました。この電話をまた運転手に戻してください」運ちゃん:「(中国語で)×□×□?×□×□×□」(電話を切る)私:「(運ちゃんに向かって)OK?」運ちゃん:「OK」なんじゃこりゃ(苦笑)・・・・。あの電話の相手がタクシー会社の人なのか、単に運ちゃんの英語が話せる知り合いなのかわからなかったが、このおじさんにとっては当たり前のオペレーションなんだろう(笑)。やっとのことでホテルに着いた。もう5時間しかないな。シャワーを浴びて早く寝て体を休めないと。しかし、ホテルの案内の日本語に目がいってしまう。「ビヅネスセンター:タイピング、翻訳などのサービスを行つております。詳細についてはまで問い合おせください」まずどこまで問い合おせればいいのかはっきりしてくれ!あんたらに翻訳は任せられん(笑)翌早朝にホテルを後にし、本当に短い滞在であったがまた来てみたいな。今度は中華料理を堪能するのだ!!香港でも飛行機が1時間半遅れるという憂き目に会ったものの、こうして私の旅行は幕を閉じたのだった。旅をするたびに思うこと。世界は狭くて広いなあ。
2006/05/09
コメント(0)
旅行10日目(後編)エチオピアを飛び立つのは深夜であるので時間はまだまだある。アディスアベバ大学を離れた2人は、数日前に小泉首相も宿泊したあの場所へ。エチオピアで最高のホテル、シェラトン。羊の群れもこの豪華なホテルにはびっくりだろう(笑)立派な立派な入口に迎えられる。ここはエチオピアじゃないなー(笑)さて、わざわざシェラトンまで来たのは単なるおのぼりさん的観光が目的ではない。昨日に引き続きエステを体験するためだ!敷地内の屋外プールの近くにあるこじんまりとした建物内にエステの場所はある。受付の左手が男性、右手が女性用の入口となっている。ロッカーでバスローブ姿に着替えると、中央奥にジャグジー風呂があり、手前には横たわれる椅子が複数置いてある、古代ギリシアの浴場(イメージだけど(笑))のミニチュア版のような光景が広がっていた。やはりここは今まで見てきたエチオピアとは違う・・・(笑)。この部屋から全個室のシャワールーム、サウナルーム、そしてマッサージルームにつながっている。何をどこまで利用できるのかわからなかったので従業員のお兄さんに聞いてみたところ、ジャグジーやサウナは会員のみ使用してよいものであり、今回の私はマッサージとシャワーだけ使えるようだ。ジャグジー風呂兼待合室には欧米人やエチオピア人の年配の客がちらほらといた。アメリカ人のおじさんと「ここは別世界だよね~」と話して気持ちを共有したりしたが、私が知らずに他の人が使っていた椅子に座っていたことがきっかけでエチオピア人のおじさんと少し話す機会があった。私:「どんなお仕事をしているのですか?」おじさん:「自動車の部品を輸入する会社を経営しているんだよ」私:「ここにはエチオピア中の成功者が集まっていそうですよね~」おじさん:「そうだね、安くはない会員費を払った医者や弁護士、そして私のような経営者達が多くいるよ。そのおかげでネットワーク構築と情報交換の場にもなっているね」なんて私と話しながらも、このおじさんは次々にやってくる知り合いと挨拶を交わしていた。う~ん、まさに社交界ここにあり、といった様相だ。彼にとっての会員費は自分のリラックスのためだけではなく、ネットワーキングなどを含めた実りある投資になっているのだろう。本当に心を落ち着けたいときは逆に来たくないかもしれないが(苦笑)。。。。Gパン、Tシャツ姿でやってきた格調低い私にはふさわしくない場所であったが(笑)、エチオピアの高級サロンを垣間見れて非常に興味深かった。一方、今まで見てきたエチオピアでやはり印象深かった「貧しさ」の側面とのコントラストの激しさも感じざるを得なかった。一人当たり国内総生産(GDP)が年間100ドルというアフリカの中でも最貧国であるエチオピア。日本で最近論じられている「格差」なんてもんじゃない・・・。話が別の方向で熱くなっていきそうなので元に戻すと、肝心のオイルマッサージの方は今回はごっついお兄ちゃんがマッサージ師だった・・・。素っ裸にタオル一丁で2人っきりというのは、相手が老若男女を問わず微妙なものだという発見があったかな(笑)。マッサージ自体は女性のしなやかさに欠けるものの男性の力強さがあり、かなり満足のいくものだった。特に腕の筋肉をほぐすマッサージが効きまくりで気持ちよかった~。気になるお値段の方は60分の全身オイルマッサージで200ブル(2800円弱)。昨日のと比べて倍もかかるというのは割高感が否めないが、シェラトンの豪華感も味わえるという付加価値も見逃せない。男性にとっては昨日のエステとは違ってしっかりシャワーを浴びられるというのも嬉しい(笑)。う~ん、男性エステというビジネスもこれから可能性があるかも!でも日本ではやはり高いしなんと言っても労働集約型の限界がついてまわりそうだ。まあ、まずはお試しあれ!エチオピアでの最後の夜ご飯は建設会社ご勤務でエチオピアに駐在されているNさん、海外協力隊のKさんUさん、そしてアフリカ連合関連のお仕事をされているMさんと6人でイタリアンレストランへ。Nさんの中東やジャマイカ勤務のお話や、エチオピアのナショナルチームにバレーボールを教えに来ているKさんが大学時代日本一になったお話など、ネタのバリエーション、内容の濃さともに楽しかった~。私が去年ジャマイカに旅行に行ったことや、母校の中学校がバレー日本一で有名といったことも食いつきに寄与した。ジャマイカは単なる旅行だし、中学時代は私はバスケ部でありバレー部が日本一になったのも卒業後だったのでほとんど関係ないのだが・・・・(苦笑)。他にもMさんによる小泉首相のエチオピア訪問における声明の分析や、佐世保出身のUさんによる「佐世保バーガー」自慢話など、話は尽きることがなかった。そして、ここのイタリア料理がかんなりうまかった!その分値段もそうとう高いのだが・・・・、Nさん、本当にご馳走さまでした!!今回のエチオピア旅行、エチオピア人や外国人だけでなく、この国で活躍される本当に多くの日本人の方々とお会いできたことは大変な収穫であった。外務省のホームページによると、ちょっと古いデータであるが2004年10月1日現在の在留邦人数は124人であるという。数々の食事会、イベントなどでその総数の三分の一を越える方々とお会いしたのではないだろうか。あまりほめたくはないが(笑)、これも人脈の広い相方のおかげであると感謝しなくては。こうして心も胃袋も満足していったん帰宅し、荷造りを終えて空港に向かったのだが・・・。
2006/05/08
コメント(0)
旅行10日目(前編)(アディスアベバ)さてさてエチオピア滞在の最終日。四日前、長距離バスで隣になったアディスアベバ大学講師兼大学院生のエチオピア人、Hに電話をかけて約束通り大学を案内してもらうことに。アラットキロと言われるキャンパス周辺の土地はけっこう整備されている。博物館の前で待ち合わせとなったのだが、キャンパスが広範囲に渡っていてどこに行けばいいのかわからない!というわけで以前も紹介した、「質問は身なりのいい人に聞きましょう」の原則に従ってインド人風の老紳士に道を聞いてみた。「なんでインド人に聞いてんねん!」というツッコミは至極正しいものであるが(笑)、雰囲気的に周辺に詳しそうだったからである。私:「すみませーん。この辺りに博物館はありますか?」老紳士:「ああ、それなら私の歩いている方向だから一緒について行ってあげるよ」道すがら話したところによると彼はやはりインド人であり、アディスアベバ大学の薬学部の教授をしているという。インドへは2回の旅行でかなりの都市をまわったため、出身地を聞いて「お、そこには昔行った事あるよ~!」と言うだけで打ち解けることができる(笑)。彼は国連のプログラムでエチオピアに教授としてやってきたらしいが、「アフリカはもうじゅうぶんかな」とすでに飽きていらっしゃる様子だった(苦笑)。なんて言いつつもエチオピア人と普通にアムハラ語で会話してるところを見るあたり、優秀なインド人の順応性の高さを感じた。次の赴任地をすでに模索している感じであったが、知り合いの研究者がいる日本にもすごく興味をもっているという。理数系のめっぽう強いインド人は昨今ITだけじゃなくてバイオ系にも進出してるからな~。日本にその英知を広めてください!教授とメールアドレスを交換してお礼を言って別れると、博物館の前でしばらく待つことに。う~ん、時間を過ぎてもやってこない!携帯にかけてみると彼もすでに待ち合わせ場所にいるという・・・。なんと、周辺には2つの博物館があり、彼の説明をよく理解していなかった私の間違いだったのだった・・・。勘違いを詫びて迎えにきてもらい、やっと大学の門までたどり着いた。おお、さすがエチオピア随一の名門大学、立派な正門ではないか。門に入るなり係員の荷物チェック。なんかカメラもだめっぽいぞ!?しかし、チェックはいい加減もいい加減で、ポケットの上からカメラを触っておきながら楽勝でスルーだった。H:「気にしないで。形だけだから(笑)」いや~、まさにその通り(笑)。というわけで図書館をパチリ。堂々と撮っても周りの人に何にも言われないから本当に大丈夫なんだろう。館内も見学をしたのだが、さすがに内部は撮影禁止だった。この図書館は人文科学系の学部向けであり、環境化学を学部生に教え自らも大学院で学ぶHは別の敷地にある自然科学系の図書館を利用しているということだ。広いフロアの二階建てで、内部は木造で決して新しい建物とは言えないが、ものすごい数の学生達が自習室で熱心に勉強していた。蔵書の検索はパソコンにデータベース化されてはいないようで、昔懐かしい目録カードの引き出しがずらっと並んでいた。活気ある図書館の雰囲気を感じ、この国の明日を背負う大学生達が頼もしくみえた。なんて偉そうに語っている私が図書館を利用したのは、試験前に借りたノートのコピーくらいだったような・・・・(苦笑)。う~む、広々とした大学キャンパスらしい敷地内でよろしいなあ。この道を抜けてHが連れて行ってくれたのがここ。実は彼が始め意図していた待ち合わせ場所の博物館とはここのことであった。この建物はエチオピア最後の皇帝、ハイレ・セラシエの住居だったのだ。さらに、Hの説明によれば、アディスアベバ大学のこの敷地全体がハイレ・セラシエ皇帝の宮殿だったという・・・。大学のキャンパスだと思って納得してたけど、宮殿だとしたら広すぎだよ・・・。この「おうち」の中は、エチオピア学専攻の図書館、学長のオフィス、そしてエチオピアの歴史の展示とハイレ・セラシエ皇帝が在位時に暮らしていた環境を展示した博物館となっている。この入館料はアディス大の学生、エチオピア人、子供など、様々な料金設定がされており、当然のことながら「非学生、非エチオピア人、非子供」である我々2人の料金がもっとも高い・・・。正確な料金は忘れたが、学生の数十倍の値段であった。しかし、Hが何やらチケット売り場で交渉した結果、なんと無料にしてもらった!H:「エチオピア文化を外国の人に伝えるサークル活動の一環で来たんだから無料にしろと言ったのさ(笑)」すごいHの交渉力、そしてすごいいいかげんなチケット売り場のおじさん(笑)!さらに館内を案内してくれたのは幼少の頃からハイレ・セラシエに仕えていたという歯の抜け揃えた(?)おじいさんだった!彼の話すアムハラ語をHに英語に訳してもらいながら説明を聞くに確かにリアルな感じだが、ほんとに彼は皇帝に長年仕えた人なのか??Hがおじさんに質問した。H:「なぜ皇帝と后の寝室が一緒じゃなくて別々なんですか?」おじさん:「よく喧嘩をしていたからね~」こ、このおじさん、本物だ(笑)!!ハイレ・セラシエのベッドや、衣服、そしてオール大理石で作られた浴室など、豪華な展示を見るにつけ、この貧しい国においても皇帝ってのはすごい存在だったのだと感じたのであった。ところで年配の日本人にはハイレ・セラシエ皇帝の名を知る人が多い。遠くアフリカの皇帝はなぜ日本人に有名だったのだろうか。ちょっと調べてみたところ、彼と日本とのこんな関わりが見つかった。1.ハイレ・セラシエは大の親日家で、明治天皇のファンだった。2.皇太子時代の昭和8年(1933年)には妃に日本女性をと希望し、二名の日本人女性が候補に。 (このお妃探しはイタリアの横槍が入り中止)3.昭和31年(1956年)、65歳の時、一行20人を従えてインド航空機で羽田に来日、昭和天皇、鳩山首相などの出迎えを受け日本各地をまわった。4.昭和45年(1970年)、大阪万博を見学。 (以上、 「世界最古の王朝滅ぶ」より抜粋)2なんてトリビアの泉に投稿していいくらいの「へえ」ネタだ!マニアックすぎるかな(笑)?このようなバックグラウンドを持ったハイレ・セラシエ皇帝が昭和49年(1974年)にクーデターによって廃位させられ、翌年亡くなったというニュースは当時の日本でも大きく取り上げられたのではないだろうか。遠きアフリカの国のカリスマ指導者の一生に思いを馳せ感慨に耽るのであった。何かの縁で長距離バスで隣り合わせになったHよ、充実した大学案内を本当にありがとう!!は!気付いたらかなりの長文になっていた!長い1日の続きはまた後編に・・・・。
2006/05/08
コメント(2)
旅行9日目(アディスアベバ)帰国を前日に控え、旅の終盤に体を癒そうということでお昼にエステへお出かけ。相方が愛用しているという全身オイルマッサージというものを初体験した。エチオピアでも富裕層にエステは受けているようで、アメリカで修行を積んだエチオピア人が開いたというその店も繁盛しているようだった。とは言えこの国でもエステの客層は女性が主流。男性用のコースもあるにはあるということだが、なんと男性用のシャワーがないという。。。ベタベタで帰らせるつもりかい(苦笑)!全身オイルマッサージとはその名の通り、顔からつま先まで全身オイルだらけにされてマッサージを受ける。姿は素っ裸にタオル一枚。けっこう恥ずかしいね、これ。。。幸か不幸か、私のマッサージ師は恰幅の良いおばさまであった(笑)。(音的に)「わっし、わっし、わっし」てな具合に体中の肉がもみ上げられていく・・・。個人的には本格的な整体の方がしっくりきて好きだが、これはこれで気持ちがいい。なるほど~、女性がエステにはまるのもわかる気がするなー。みっちり60分のコースで100ブル(1400円弱)。こちらではお大臣コースなんだろうが、やはり日本と比べたら安いよね~。そして、やはりオイルでベトベトになりながらいったん帰宅した(苦笑)。シャワーを浴びた後ほどなくしてKさん家族に車で迎えに来て頂くと我々はアディスアベバにあるインターナショナルスクールに向かった。日米ソフトボール決戦のためである。前夜、Kさんから「アメリカ大使館の連中とソフトボールの定期対抗戦をやってるんだけど明日は日本側の人数が足りなさそうだから来てくださいよ」とお誘いを受けていたのだ。ソフトボールなんて10年近く前に大学のゼミ対抗戦でやって以来だ。アメリカチームには海兵隊員もいるということだ。自信ないなー。Kさん:「みんな楽しむために遊びでやってるくらいなもんですから安心してください」まあ、人数合わせでお役に立てるのなら嬉しいし、エチオピアでアメリカの兵隊さんとソフトボールなんていうのもいい話のネタになりそうだな(笑)。というわけで参加したのだが、ふたを開けてみれば日本チームは20人以上集まっていた・・・。多いに越したことないということで我々は2チーム編成で戦うことに。なんかものすごく久しぶりにしたキャッチボールが楽しかったー。5番ファーストで先発した私は、ボテボテの内安打と一二塁間を抜けるヒットで終わってみれば二打数二安打であった(←ちょっと自慢)でもアメリカチームには・・・彼は我々の間でのコードネーム、「フィルダー」他にも「バース」、「曙」(←ちょっと違う)などを擁するアメリカチームは強かった・・・。結果は7対9での非常に惜しい負けであった。試合後には「Good game!」と言葉を交わしながら相手チーム全選手と握手。いやあ、負けたのは悔しいけど、スポーツっていうのはこういう爽やかなところがいいよねー。でも投げたり打ったり走ったりしていて息があがりやすかったのは、標高2300mという高山トレーニング状態だったからなのかな。それとも・・・・。夜は私の滞在初日にエチオピアダンスを教えてくださったY先生を含む7人でエチオピアレストランへ。ここに来た目的は・・・・もちろん、ダンス!!生バンドの演奏に合わせシンガーが歌い、そしてダンサー達が迫力の踊りを見せる。熱がこもってくると・・・観客にも踊りを求めてやはり近づいてきた(笑)!Y先生の手前、これは成果を発揮すべく頑張るしかない!!この後しばらくは、ステップとかテンポとか忘れまくりではあったが、勢いと心で踊り狂ったのであった(笑)。ふぅ、今日はソフトボールにダンスと激しい体育会系な1日だった。お~い、全身オイルエステでリラックスした意味はあったのか~。
2006/05/07
コメント(0)
旅行8日目(アディスアベバ)滞在も残すところあと3日となり、最後は首都のアディスアベバを堪能することに。アディスはけっこう開けた大都市なのであるが、横道にちょっとそれるとこんな光景が。羊のマーケットである。交渉の結果、引渡しが決まると・・・このように連れていかれる。イースターのときに羊を一頭買ったというTさんによると、200ブル(約2700円)くらいで買えるらしい。う~む、動物は違えど「ドナドナ」の哀しいメロディーが頭の中を駆け巡る。。。我々が肉や魚を買うときは生きている状態ではなくすでにさばかれた状態であることがほとんどだと思うが、このようなリアルな売買を見て、「食べる」という日常の行為は多くの犠牲を伴っているのだと気付かされた。屠殺の姿を見たりしたらもっとへこむのだろうけど・・・。これを機にベジタリアンになれるとは思えないが(苦笑)、食を楽しむだけではなく感謝する気持ちを持とうという気持ちにさせられた。夜ご飯はOさん夫妻、Tさんカップルらとアラビア料理を食べ、その後向かったのがアズマリベット。こじんまりとした店内。アズマリベットというのはマシンコというギターのような楽器を使って即興の弾き語りをする歌手(アズマリ)やダンサー達がいる夜のお店である。アズマリはその場にいる客に合わせてアドリブで歌っていく。全編アムハラ語であるため、とうぜん何を言ってるかはわからない(笑)。でも後で聞いたところによると、「♪このお兄ちゃんはかっこいいね~♪」とか、その内容を知ってチップをあげたOさんに対して、「♪今のチップは赤十字の支援より早かったよ~♪」といったものらしい(笑)。迫力ある歌もあり、ダンサー達によるショーもあった!ああ、これは私がエチオピア滞在初日に学んだエチオピアンダンスだ!首、肩、腰、膝の動きのしなやかさがはんぱない。初めて目の前で観る本物に感動しているのも束の間、彼らはすぐに我々に近づきダンスの共演をせまってきた。この後、練習の成果を遺憾なく発揮したのは言うまでもない・・・。
2006/05/06
コメント(2)
旅行7日目(ナザレット→ソドレ→アディスアベバ)ナザレットに来た目的はOさん夫妻とお会いすることと、ここから近くにあるソドレにある温泉に行くことであった。昨晩そんな話をしていたら、なんとOさん車で一緒にソドレまで行って、さらにアディスに用事があるので送ってくださるとの超有り難いご提案をいただいた!さらに、「野生のカバを見れるポイントをうちのドライバーが知っている」ということで、朝からカバ探しに出かけることに。アフリカのイメージともいえるサファリは高地の国エチオピアには無縁であるが、カバが見れる場所があるという!ナザレットのOさん宅から数十分の川辺で車を降り、てくてくと小道を歩く。前に見えるのは馬車ならぬラバ車。サボテンに挟まれた道もなかなかオツである。よく見るとこんなかわいい花も咲いている。「♪ほんの~ 小さな~ 出来事に~♪」なんて口ずさみながら歩く私はおぢさんなのであろうか(苦笑)・・・。周囲を見渡すとなんだか『はじめ人間ギャートルズ』の風景みたいのが広がっている(笑)ね、右の山の上の雲を活火山から出る煙と見立てればまさに、でしょ(笑)?そうやって30分くらい歩いただろうか。ポイントと言われる場所にたどり着いた!彼はいなかった・・・・・。残念!ちなみに右の方の木に成っている実のようなものはすべて鳥の巣であり、大合唱をしていた。こんな風に牛やらラバやら羊やらの大群に取り囲まれながらも他のポイントも攻めてみたが見つけることはできなかった。野生の気まぐれだからしょうがない、これは。気を取り直して温泉地、ソドレへ。ここはエチオピア人にとってもリゾート地のようで、政府経営らしいホテルの中にその温泉はある。こちらの温泉は裸でゆったりと湯につかるものではなく、足首くらいの深さしかなく水着で入る激しい打たせ湯である。みんな激しくお湯を浴びて体をごしごし洗っている。さて、入るかな。あ、あちゅい!!43度くらいはあるんじゃないだろうか、かなり熱い。この熱さの打たせ湯か~、厳しいのぅ。いや、ここは温泉国の男児のプライドにかけて飄々と浴びるしかない!かくして目をつぶり手と手を合わせながら熱いお湯を浴びる私の姿は、苦行に耐える修行僧の様相であった(だろう)。この温泉、何か効能があるのかまったくもって不明であるが(笑)、勢いよく降り注ぐお湯を首や肩に当てると気持ちがいい。近くではお父さんと一緒に来た小さな男の子が猛烈に熱がって打たせ湯にびびっていた。2人と軽く挨拶をしてから間もなく、パパと共同で怖がる男の子を滝の真ん中へ連れて行った。そう、そうやってパパも俺も男になったんだよ(笑)。ああ、いい湯だった。熱さのためずっとつかっていた足首から下は真っ赤になってしまったが・・・。プールもあるというので今度はそちらへ行ってみた。(この写真は こちらのサイトより拝借)なんと、立派な50mプールがあるではないか。しかしよく見ると、上記の写真にもあるように手前の小さなエリアに人が密集しており、肝心の50メートルエリアに人はほとんどいない。。。この理由は50mエリアの深さ(約3m)とエチオピア人の泳力のなさにあるらしかった(苦笑)。そう、手前の小さなエリアは水深が浅いのだ。ちらほらと50mエリアにいる人もそのほとんどが壁にしがみついている。。。こんな素晴らしいプールが充分に活用されていないのを目の当たりにして、元水泳選手(平泳ぎ200mで中学の時に台東区三位。微妙か(笑))の私の体がうずかないわけがない!「バッシャーン」と入る。あ、あったけぇ!!温泉の熱さとまでいかなくても温水プールというには不自然な温度の高さであった(笑)。いや、真のプロフェッショナル(←なんの?)というものはコンディションを言い訳にしてはいけない。ヘロヘロになるには200mで充分だった(苦笑)。温泉でとったはずの疲れをまた蓄えてどうしようってんだ、まったく・・・。帰りに駐車場付近で見つけたこの怪しい看板の施術を受けたくなってしまったのも、やはり疲れていたからだろう。。。。でもなんか効きそうだよなー(笑)。施術者の足を幽霊みたいに消すこたぁないと思うが・・・。お昼ごはんを食べてそのままアディスに帰り、そのままOさん夫妻らと6人で中華料理を堪能。シェフはエチオピア人のようだが、餃子をはじめかなりうまかった!このレストランでおにゃん子クラブやら冬木軍やらザ・グレートカブキの話題で盛り上がるとは思ってもみなかった(笑)。Oさんご夫妻、充実した一泊二日、お世話になりっぱなしでしたが、本当にありがとうございました!!
2006/05/05
コメント(0)
旅行6日目午後、アディスアベバから長距離バスで南東のナザレットへ向かうためバスターミナルへ。外はあいにくの雨。通りすがりのエチオピア人に何回も道を聞きながらここまでやってきたが、どのバスに乗ればいいかさっぱりわからない・・・。海外旅行を重ねるごとに人に聞きまくるという特技(?)を身に付けた。私が現地の人に何かを聞くとき、誰に聞くかについての判断基準が1つある。・男女を問わず身なりがしっかりして悠然としていること別に貧しい人を馬鹿にしているわけではなく、経験的に頼りになる回答をくれるのが身なりのしっかりした人たちであることが多いからである。逆にガツガツしている輩は何かを売りつけようとしたり、道を教えたことに対する見返りをズケズケ求めてきたりすることがあるから・・・。昔、英語もまったく通じない文字通りインドの山奥(ジャルガオンなど)をさまよった時にはそんな選択の余地はなかったが・・・(苦笑)。外国人が珍しい場所に行くと否応なしに取り囲まれる。彼らのたいていが興味本位で必ずしも危険な状況というわけではないが、そのプレッシャーはけっこう怖かった。そんな時は次の目的地を連呼して、後は指を使った数字のやりとりで価格を交渉してバスに乗り込んだ(笑)。今回の話に戻ると、背広を着た老紳士のエチオピア人に「ナザレット行きのバスはどこですか?」と聞いてみた。すると、他の人に聞いたりしながら正解のバスまであっという間に導いてくれた。ありがとう、おじさん!!バスの席は早い者勝ちで満席になり次第出発するというものであるから、みんなものすごい勢いで乗り込んでいた。その流れに負けずになんとか二人分の席を確保することに成功したが、本当にあっという間に満席になっていた。片道2時間で9ブル(130円くらい)だから安いよなー。3人掛けの席で私の隣に座ったのはエチオピア人のおじさんだった。一般のエチオピア人で英語ができる率はかなり低いと思うが、このおじさんはかなり流暢だった。話を聞くと38歳のH(見た目はもっと老けてたが・・・)は妻子をナザレットに置いて平日はアディスアベバ大学の教壇に立ちながら自らも環境化学を学ぶ大学院生。娘さんは8歳で奥さんは20歳だという。なぬ?私の驚きの顔をしばし眺めたのち、彼はこう言った。H:(ウィンクしながら)「俺はバツイチで子供は先妻のだよ(笑)」私の心中:「ここはエチオピア文化的には笑うところだろうか?いやでも微笑みながらウィンクしているし彼的にはGoだ!」私:(肩にバシッと豪快にツッコミを入れながら)「びっくりしたじゃないかー(笑)!」これで打ち解けた我々は道中、日本とエチオピアの結婚・離婚・補償など(あんまりほめられた話題じゃないな、こりゃ(苦笑))いろんな話で盛り上がった。そして我々も彼もアディスに戻ってきたときにまた会ってアディスアベバ大学を案内してもらう約束をした。こうして日暮れ前に到着したナザレットでは開発のお仕事で現地に駐在されているOさんのお宅にお邪魔させて頂き、総勢9人のパーティで盛り上がった。Mさんに作って頂いた料理が最高だった・・・。感動の料理だったので思わず掲載。この夜はエチオピアをはじめザンビア、中南米など世界各地の開発の現場で試行錯誤されながら頑張る皆さんの生の声をたくさん聞けて非常に興味深かった。どんなプロジェクトも最終的には人と人のやりとりが大切なのだ。特に開発の世界では、現地の人達が持続可能性(sustainability)を発揮できる形で援助する側の卒業(親離れ?)を実現しなければならない。非常にチャレンジングな課題であると思う。真面目な話の一方で私も身を削るようなネタをいくつか披露させて頂いたが、皆さんの酒の肴になっていれば幸いである(笑)。Oさんご夫妻にはこの後もお世話になるのだが、この時点ですでに一宿一飯の義理、ありがとうございました!!
2006/05/04
コメント(0)
旅行5日目(ラリベラ→アディスアベバ)滞在したラリベラのホテルでは水が夜6時から9時までの3時間しか出ず、ライフラインの大切さをリアルに実感したなあ。昨日の夜ご飯は植林を進めるNGOのエチオピア事務所代表をされているTさんと彼の部下でエチオピア人のGとご一緒させて頂いた。日本人でラリベラに駐在してお仕事をしているのはTさんだけではないだろうか。これまでも開発の世界でフィリピンに6年間、タイに6年間、そして中東諸国に勤務してこられた彼はまさに海外勤務の達人である。そんな達人から会って5分後に頂いた一言。「ご主人はどこででも生きていけそうですね」これはおほめの言葉ですよね(笑)?前向きに解釈することで明日への活力としたい・・・。事務所のスタッフであるエチオピア人のGは会計のスペシャリスト。前職は会計学校の教師をしていたという彼にエチオピアの会計学の現状について聞いてみた。G:「エチオピアの会計の教科書はすべてアメリカのものを使用しています」私:「えー!?それじゃ生徒達はGAAP(アメリカの会計基準)を学んでいるということ?会計や租税制度は一緒なんですか?」G:「まったく一緒ではありませんが、なんとかなっています。エチオピアには体系的な教科書がないですから・・・」そのほかにもエチオピア人の英語力が教科書についていけていないなどの問題もあるようだ。初等教育ももちろん大切であるが、高等教育の整備も課題であることを考えさせられた。この会話で実感をもって気付いたのが特徴あるエチオピア人のあいづちである。彼らは息を吸い込むことで同意を示すのだが、始めのうちは目を見開いてひきつけを起こしてしまったのではないかと思ってその都度びっくりしていたものだ(笑)。インドの首を横に倒すあいづちといい、世の中にはコミュニケーションにおけるいろいろな表現方法があるものだ。Tさん、夕ご飯ごちそうさまでした!札幌にいらしたときはカニでお返し致します!さて、今日の話に戻ると飛行機でラリベラからアディスアベバまで戻ることに。通常のコースはこちらの南下ルートラリベラ → ゴンダール → バハルダール → アディスアベバしかし、急遽変更されたルートはラリベラの前にいたアクスムへいったん北上するこんなルートラリベラ → アクスム → ゴンダール → バハルダール → アディスアベバどうやら乗客が少ないために経由地を増やしたようであった。ちょっと身勝手過ぎやしないか(苦笑)?というわけでいったんアクスムに北上したのだが、ここでゴンダールに出発する際にプロペラに異常が生じた。機体左のプロペラの回転数が通常のように上がっていかないのである!助走時点で異常が確認されいったん停まった・・・。そして機内のスタッフが飛行機から降りて機器をチェック。レンチ一本で直るものなのか!?しばらく作業した後に登場したのがクレ556みたいな潤滑スプレー。。。。もう一度聞く。こんなんで直るんかいや!?レンチとスプレーによる作業がしばらく続いた後、機体は無事(?)飛んだのだった・・・。タクシーがエンストしてもボンネットを開けて運ちゃんがすぐ直したことがあったが、飛行機もそんなノリなのだろうか・・・。こえーよー・・・・。そんなこんなでアディスアベバには予定より3時間以上遅れて到着した。夜ご飯は開発系のNGOに勤務されているMさんと韓国料理をご一緒させて頂いた。インドに3年勤務した経験を持つMさんはヒンドゥー語を自在に操られ、そしてなんと、あのインド英語も話すことができるという!!あの超早口で舌を巻きまくるインド英語を操る日本人がいたとは・・・・。彼女は大学時代、お題が直前に知らされる即興のディベート、パーラメンタリーディベートの日本チャンピオンになり世界大会にも出場した経験を持つすごい人である。フルマラソンを走るスポーツウーマンでもいらっしゃる。Mさん:「200戦、300戦とこなしていけば、どんな議題でもどんな立場でも議論を有利な展開に持っていくための道筋を短い時間で描くことができます」すごいよなーーーー。いろいろなお話を聞いたが、その話し方にも頭の回転の速さがひしひしと伝わってくる。開発の世界って超優秀な方々がいっぱいいるよなあ。さて、明日は長距離バスでナザレットへ出発だー!
2006/05/03
コメント(0)
旅行4日目(ラリベラ)後編ラリベラの空港から市内のホテルまでは車で30分くらい。乗り合いタクシーではアメリカ人の姉妹と一緒になった。お姉さんがアメリカの国際開発組織、USAIDでウガンダに勤務しており、妹さんが遊びに来たのを機にエチオピアへ旅行に来たという。アメリカで我々夫婦が住んでいた場所とお姉さんの昔の勤務地が同じアーリントンであったことや、お姉さんがお子さんを生んだ病院が私が学んでいたGeorge Washington Universityの大学病院であったという偶然から話も盛り上がった。何気ない共通項で親近感って生まれるものだから、いろんなことを経験しておいた方がいいということだな、うん(笑)。彼女達とはホテルは別々だったので途中で別れ、自分達のホテルに到着。お昼時だったのでホテルのレストランへランチを食べに行くと、ヨーロッパ人風の40代くらいの女性が1人でご飯を食べている。ちょっとお話をしてみると彼女はイタリア人の建築家で世界中の文化遺産の保存の仕事をしており、現在はエチオピアのゴンダールの城を保存する仕事に従事しているそうだ。かっこいい仕事だなあと思って話を聞いていると、ちょっと前には東京と京都・奈良にもいたという。奈良では法隆寺保存のプロジェクトに関わっていたということである。そして驚くべきことに、東京で彼女が住んでいたのはまさに私の地元であった!!エチオピアで出会ったイタリア人の女性から「Nippori」という言葉を聞くとは・・・(笑)。さっきのアメリカ人姉妹といい、世の中は本当に狭い!この後も3人で会話は盛り上がり、昼の観光を一緒にしようということに。詳しく述べるとガイドや車の手配などで現地の人達と疲れるいざこざがあったのだが(苦笑)、ここではラリベラの素晴らしい岩窟教会を紹介することに集中したい。エチオピアの北部、ラリベラには1978年に世界文化遺産に登録された、一枚岩を切削して築かれた教会の数々が残っている。12世紀から13世紀にかけて完成されたものというが、このような建築物が作られたというのはただただ驚くばかりである。入口を通って教会の内部に行くと・・・このような壁画や絵画が聖職者に守られている。内部にはじゅうたんが敷き詰められているのだが、正直言ってこれがむちゃくちゃ臭い・・・。ものすごく臭い足の匂いといった感じ・・・。ガイドブックでもこの教会内部でのダニの被害に要注意と書いてあったが、納得の雰囲気であった(苦笑)。こちらは教会の内部から外に向けての風景。複雑な迷路のようである。階段を抜けると・・・これらの穴には実際にお祈りをしている聖職者がいたりした。これら岩窟教会の中で一番有名なのがこちら。この聖ギョルギス教会は、縦横12メートルの十字架の形が残るように周囲の岩を切削して作られており、教会の内部も岩をくり抜いて作られている。どうやってこんなすごいものを作るんだ??これらの岩窟教会からは、宗教は異なるものの、10年前にインドを旅行した時に訪ねたアジャンタ・エローラの石窟寺院・壁画と共通する建築美を感じた。同時に、これだけの建築物を生み出す宗教のパワーに圧倒されるのであった。
2006/05/02
コメント(0)
旅行4日目(アクスム→ラリベラ)前編午前中に飛行機でラリベラへ向かうため空港へ。TシャツGパン姿である荷物チェックのお兄ちゃんを見るにつけ、「こいつは敵か?味方か?」なんて疑念が頭をよぎる・・・。飛行機までの時間に土産物屋をチラリング。絵画や十字架など、エチオピア正教に関するグッズが多い。ギョロっとした目を持つ人々の描写には特徴があるが、よく見ているとこんな残酷な描写もある。何かの物語が描かれているのだろうが、表情が変わらずに淡々と行われているのがよけい怖い・・・。ふと、店のおじさんに話しかけられる。店主:「何か探してるものがあるのかい?」私:「いや、ただ見てるだけでーす」土産物屋で展開されるありがちな会話である(笑)。この時の会話はこれで終わったのだが、ちょっと後に空港の待合室のベンチで隣合わせになった。(心の中で)「ちゃんと店番しろよ~」と思ったが(笑)、今回は商売抜きでの会話となり、小泉首相のエチオピア訪問やビジネス界における中国の台頭などから始まり、よもやま話を楽しんだ。聞けば彼は空港に2店舗、アクスム市内に2店舗の土産屋を展開する47歳の経営者で、店の従業員のほかにも2人の運転手を抱えている。大学では生物学を専攻していたそうだが、「生活のために」土産屋を始めたという。今ではドイツやドバイにビジネス出張もするという彼に自分の興味から質問を投げかけてみた。私:「エチオピアのビジネス文化というものをあまり知らないのですが、経営者としてどのように従業員をコントロールしていますか?」彼の答えは「私は従業員を信用していない」というものであった。彼らが店の品物を盗む、あるいは売上の一部をちょろまかするのをある程度は覚悟しなくてはいけない、と。それに対し、在庫や帳簿の管理をしないのかと聞いてみたところ、「それにかける費用よりも今あるマイナスの方が少ない」との現実的な回答が・・・。一般化することは危険であるが、この旅行を通じてエチオピア人は警戒心が強い、というか人を信用していない部分を感じた。例えばエチオピアにある家にはやたらと鍵が多い。出入り口のドアはもちろんのこと、一つ一つの部屋、たんす、そして電話のダイヤルにまで、鍵と鍵穴がついている。あれだけの鍵を全て持ち歩いていたらえらい数になるはずだ・・・。経済的な余裕のなさがそういう姿勢を生んでしまうのかもしれないとも考えさせられる。逆に質問を返された。おじさん:「日本はあれだけ質の高い製品を作るんだから従業員のモラルも高いんだろ?」私:「う~ん、そうかもしれないけど、チェック体制がしっかりしているから抑制力の成果と言えるかもしれないですね・・・」昨今の監査法人の不正や官製談合を鑑みるにそうも言えない部分もあるが・・・。私が医療関係で働いていることを説明すると、「利益追求の商売より公共サービスに近い病院とかの方が競争が少なくて楽なんじゃないの?」とおじさん。そうは言っても組織が存続するためにはマイナス収支は許されないし、需要と供給は考えないといけないでしょうと反論した。というわけで我々の結論。「There's no simple work(世の中に簡単な仕事はないね)」働く者のモラルの難しさについて考えさせられた会話であった。
2006/05/02
コメント(0)
旅行3日目眠い目をこすりつつ朝5時に起床。国内線の飛行機に乗るために空港へ向かう。まだ外は暗く、朝のアディスアベバは人通りや車の数も少ない。タクシーを捜して通りを歩いていると、後ろから誰かがすごいスピードで迫る足音が聞こえた。ひったくりか!?警戒して後ろを振り返ると、本格的なランニング・短パン姿で走る若者がものすごいスピードで走っていた。すぐに追いつかれ、こちらを抜き去っていったが、あのスピードは全速力をずーっと維持して走っているような速さである。周囲をよく眺めると同じような複数のランナー達が早朝練習を行っていることに気付く。みんなめちゃくちゃ早い。明日のアベベを目指して頑張っているのだろう。真面目な練習なのにひったくりだなんて疑ってすまなかった。でも君達に狙われたら100%追いつけないからその道には進まないでね(笑)。さて、今日の行き先はエチオピア北部でエリトリアとの国境にもほど近いアクスム。太陽も出て明るくなった空港でまず目に入ったのはこのごっつい2機。少し見にくいかもしれないが、機体の前方には「JAPAN 日本国」と書いてある。そう、今日は小泉首相がエチオピアを離れる日なのだ。1機は予備だということだが、こんなごっついジャンボを2機飛ばすんだからやっぱり首相ってのはすごいんだな。一方、我々が乗ったのはこの飛行機。すごい格の違いだ(苦笑)。50人乗りくらいだったかな。ヘリコプターはグランドキャニオンで乗った経験があるが、プロペラ機というのは初めてだった。機体が小さいぶん風にも大きく揺らされるわけで、雲を抜ける時などの衝撃も大きく、かなり怖かった・・・。アクスムまでは直通だったら3時間もかからないのではないかと思うが、途中でバハルダール、ゴンダール、ラリベラという3ヶ所を経由するため、なんだかんだで5時間くらいかかってしまった。昼前についたアクスムは、観光地とは言えやはりアディスとは違って田舎の様相だ。ラクダさん達もゆったりと休んでいたりする。周囲を見渡すとメッセージ性のわかりにくい看板が目にはいる。軍隊のCMかなー?それとも「山登りに無線は忘れずにね☆」というアドバイスだろうか・・・。この男性のはちきれんばかりの笑顔が眩しい(笑)。人口の約85%が農業人口だというエチオピアであるが、それでもなお農業の奨励だろうか。「!」が付くほどのメッセージだもんなー、気になる・・・。さて、観光地としてのアクスムの見所は主に3つ。1.紀元前10世紀、今から約3000年前にエチオピア、スーダン、イエメン一帯を治めていたシバの女王の邸宅などの遺跡2.モーセの十戒を入れた聖櫃(アーク)が今も保管されるシオンの聖マリア教会3.1980年に世界遺産に登録された、1世紀に建設され4世紀半ばに最盛期を迎えたアクスム王国におけるオベリスク(石柱)郡聖マリア教会は特別な聖職者しか入ることが許されていないため、今回は1と3を攻めることに。まずはシバの女王の浴槽。っていうかダム(笑)?現在は男性の水浴びや女性の洗濯の場所として使われているようだが、3000年前にはこの広大な溜め池はお風呂だったのかなー。こちらはシバの女王の神殿。当時は二階建て以上だったと言われており、広い敷地内に台所や浴室、会議室、そして水路の跡が見られる。正直、この廃墟を見ただけでは「ほんとに3000年前の遺跡なのー?」と勘ぐってしまうところもあるが(苦笑)、やっぱりすごいな。シバの女王も昔こんな木を眺めていたのだろうか。こちらは世界遺産のオベリスク。現存するなかで最も高いのはこの23mの石柱であるが、これは実際は3番目であり、33mの最長だったものは倒壊してしまっている。2番目のものは第二次大戦中ムッソリーニによりローマに運ばれ、2005年4月にエチオピアに返還されたのだが、修復作業が完了しておらず横たわったままである。天高くそびえたつオベリスクは権力の象徴とも言われ、青空に映えるその姿は美しくもある。一方で、2000年近く前にどれだけの労苦をもってして建てられたかと想像するとゾッとする・・・。このように倒壊しているものも目立ち、修復作業が進行しているらしきものもあったが、文化遺産の保存の難しさも考えさせられた。100年も生きることが困難な我々が壮大な歴史と対話できる遺跡というのはやはりすごい。そんな感慨を覚えたのであった。
2006/05/01
コメント(4)
旅行2日目(アディスアベバ)予定より1時間ほど遅れて朝7時半くらいにアディスアベバの空港に到着した。到着した日の日記にも載せたが、町中にこんな光景が。ちょうど小泉首相が私の前日にエチオピア入りしていたのだ。この後の滞在で多くのエチオピア人からこの話題を出されることになるわけだが(笑)、総じて彼らは日本には好印象のようである。「お財布」以上の存在に映っていることを願っているが・・・。相方のアパートに荷物を置いてしばし休憩の後、外へ出た。市内で我々がとった移動手段のほとんどは乗り合いタクシーに近いが始点と終点は定まっているミニバス。乗車は1回1ブル(約13.2円)。10ブルとか20ブルとかすぐかかってしまうタクシーに比べれば格段に安い。難点は大勢の人が乗り合うためか、ダニの宝庫になりやすいというところである。こういうところからも虫除けは必須アイテムである。途中、道路標識を作っている工場のような建物を発見。なんかわかるようなわからないような・・・。真ん中の方にある手をぴしっと挙げたやつは、「この標識がある場所では必ず挨拶をしなければならない」なんて想像を勝手にしていたが、後にこの標識があるところでのドライバー達の動きを見ていたら単なる「一時停止」のようだった。そしてTさんのお宅へ向かう。彼は日本の大学のボクシングサークルの先輩であった。現役時代はスタイリッシュなボクサーで、大学から始めたとは思えない才能を発揮して勝星を重ねていった。青年海外協力隊で3年前にこちらに来て以来、任期が満了しても住みついていらっしゃる(一部語弊あり(笑))4年ぶりくらいに再会するTさんはそのヒゲから喫茶店のマスターのような風貌であったが(笑)、なんだか若返っていたなー。昔の話やこれからの話に花を咲かせながら、エチオピア人の彼女が作ったという極上料理を振舞ってくださった。下地になっているのが言わずと知れた主食のインジェラであり、かかっている具がワットという辛いスープのような料理。卵も味がしみていておいしかったー。これはティブスという羊肉の炒め物といった感じの料理。かなりお気に入り。酒が飲めない私はのどが渇けばもちろんこれ!ほ~ら、アムハラ語がわからないあなたにも読めたでしょ?普段は炭酸飲料をあまり飲まない私であるが、旅先ではなぜだか飲んだりする。選択肢がないからという噂もあるが(笑)。食後は茶道ならぬ珈琲道。エチオピアの一般家庭で普通に行われているcoffee ceremonyである。豆を炒るところから始めるなんて、手間をかけた贅沢の極みだ。正直に言って、これまでの人生の中で飲んできたコーヒーの中で一番おいしかった・・・。濃すぎず薄すぎずブラックで飲んでもこんなにまろやかな味は生半可では出せないだろう。Tさん、A、本当にご馳走様でした!!Tさん宅を離れて向かったのが開発関係のお仕事でご家族でこちらにこられているKさん宅。ここでエチオピアンダンスのレッスンが開催されるのである。先生は地球の歩き方のエチオピア部分をほとんど執筆され、日本人でありながらエチオピアのテレビにもダンスで出演するほどのものすごい腕前であるYさん。濃密なレッスンで私が習ったのはウォンロとグラゲという2種類。初めての私がいるということでYさんはお手柔らかに教えてくださったが、これがまたものすごい激しいダンスでありかなり面白い!余裕がなさ過ぎて写真など一枚も撮れなかった(苦笑)。気付けば酸素が足りなくなっていった・・・・。薄れる意識の中で、飛行機で1日がかりで今朝この国についたばかりだったのを思い出す。(疲労+寝不足+エコノミークラスなんとやら+標高2300mの高地)×激しいダンスそりゃ、あんた・・・その後、真っ白な顔のままKさん宅でお食事をご馳走になり、かくしてエチオピア初日は過ぎたのだった。え?明日は5時起きでまた飛行機に乗るの・・・?
2006/04/30
コメント(0)
やってきましたアフリカへ。札幌→香港(3,431km)香港→バンコク(1,689km)バンコク→アディスアベバ(6,748km)もう疲れた・・・(苦笑)。まさに一日かかりだった。しかし、ご当地の至るところ見られるこんな風景に「俺って歓迎されてるんじゃん!」と疲れもふっとぶ。ここで鋭いツッコミを入れられるお方は相当の国際派ですな。そう、私のE国入りのウォームアップとして昨日、日本の首相もこの国に訪れているのだ。まあお目にかかることはないだろうが(笑)。ここに来るまでもネタはいろいろあったのだが、今日はこれから大学の先輩Tさん宅にランチへ行き、その後はなんでかこの国のダンスレッスンを受けに行くことになってしまった・・・。いやあ、ダイアルアップってやっぱり遅い(笑)。。。明日からはインターネットの届かない世界に旅行に出かけるので日記の更新もできなくなると思うが、とりあえず現着報告でした。
2006/04/30
コメント(4)
旅行初日(札幌→香港→バンコク→アディスアベバ)札幌からのフライトは夕方であった。背中には20kgの大リュック、前には10kgの中リュック、そして肩掛け。もう若くないんだからこんなバックパッカー姿からは卒業したいのだが、やはりこのサンドイッチが落ち着く(笑)。札幌千歳空港に国際線があるとは今回航空券を買うまで知らなかった。ゴールデンウィークだというのに人が多くなくて手続きもスムーズ。同じ頃の成田は人出はすごかったんだろうな~。やはり東京(首都圏)は人が多すぎるのだ。なんとかして人口を分散できれば都会のストレスはかなり減るんじゃないかなー。一極集中による効率性が失われてしまうのは厳しいのかもしれないが・・・。なんて考えながら国際線の出発ゲートに進もうとしたら、荷物チェックの入口はなんと1つしかなかった。やはり人が少ないから規模も小さいんだな。出発前には千歳空港から発つ地の利を生かしたお昼ご飯を。予想される海鮮とのしばらくのお別れを思い、目を閉じうなずきながら味わった(笑)。そしていよいよ飛行機搭乗というその時、あることに気付いた。「両替まったくしてないよ~!」エチオピアにいる相方の情報によると、現地では日本円からエチオピアブルに直接両替することは困難であり、あらかじめ米国ドルを持ってきた方がいいということであったのに・・・。しょうがなく、経由地の香港で両替することに。(香港の空港内にある両替店にて)私:「この日本円をアメリカドルに両替してもらえますか?」店員:「ええ、いいですよ。ただし、日本円をまず香港ドルに両替し、その香港ドルをアメリカドルに両替するというステップを踏む必要がありますがよろしいですか?」えぇぇぇぇぇぇーーーー!?外貨両替というのは基本的にすればするほど手数料で損する仕組みである。日本円→香港ドル→アメリカドル→エチオピアブル・・・・二手先三手先まで読んだ上で負けを覚悟した棋士のような心境であった(涙)。とりあえず差し当たり予想される出費だけアメリカドルに両替しておいた。インドルピーでもベトナムドンでもまず円をアメリカドルに代えるというワンクッションの経験をしたことがあるが、不要なツークッションだったなー(苦笑)。まあ、1ドル=約130円は高かったがいい勉強になった。香港からはバンコクを経由するものの、同じ飛行機でそのままエチオピアの首都、アディスアベバまで飛ぶというだけあって、客層の大半はアフリカ人になった。席に座る前から「ジュースをくれ!」とスチュワーデスに駆け寄り困らせている人や、自分の席とはぜんぜん違う場所に座って怒られている複数の人達、上の荷物入れに自分の荷物を入れるために人の荷物を勝手に出している人など、辺りは無法地帯になっていた(笑)。なんだかわからないが、「ああ、俺はアフリカに行こうとしているんだな」とわくわくしてきた!周囲の人達の話を聞いていると必ずしもエチオピア人というわけではなく、周辺のケニアやタンザニアやウガンダの人たちも多いようだ。実際、私の隣に座っていたのもビジネスで香港を訪れていたガーナ人の会社経営者であった。携帯電話や自動車のパーツを輸入しているという。この2つはアフリカにおけるビジネスでも重要な位置を占めていそうだなー。こうして周囲の騒々しさをBGMに数冊の本を眺め、3本の映画を観て、少しばかり仮眠をとると、飛行機はアディスアベバに到着していたのだった。
2006/04/29
コメント(0)
というわけで明日アフリカの地へ向け出発する。私にとって日本を離れる空港は成田、名古屋に次いで千歳の空港が3つ目だ。国際線への玄関もどんどん増えてるんだなあ。E国は私の12カ国目の旅行(滞在)先となる。この12カ国には、これまでの旅行でトランジットのために降りたことはあるタイ、ロシア、シンガポール、カナダ、そして今回の香港は含んでいないが、空港に入るだけでもその国の雰囲気を感じることができて面白い。E国へは千歳はおろか成田からでも直通便はなく、今回は香港経由になるか、関空-ドバイ経由になるかの瀬戸際であった。ドバイ経由の方が格段に安かったのだが、残念ながらキャンセル待ちの状況から脱することはできなかった・・・。最近はドバイも観光ブームなんだな~。直通がないのは面倒だが、経由をするのも何かの縁。というわけで、香港かドバイか決定する前からそれぞれの地に住む友人との束の間の再会を願ってメールをしていた。ドバイの方は正確には近隣のバーレーンに住むエジプト人のA。彼はドバイの巨大病院設立プロジェクトに参画しているため、ドバイには頻繁に足を運んでいるということで、今回も「Hideが来るなら(文字通り)飛んでくよ!」と言ってくれていた。そんな嬉しいことを言ってくれていたのだが、また次の機会に!!(Aとのエピソードは過去日記を参照:エジプト人の先輩とチャットで再会!:やはり先輩は偉大だ )香港におわすは大学時代の友人、J。正確には覚えていないのだが、国籍は確か香港系オーストラリア人だったような・・・。Jはこれまで私が出会った人々の中で最高に優秀な男である。世界中を渡り歩き、何ヶ国語も操り、投資で稼いだお金で日本に一年間の留学をしに来ていた時にはすでに日本語も堪能だった。留学する前は教科書を読んだりしていただけだというのに・・・。J:「僕はね、誰がどの日にどんな服を着ていたかとか、そういうことをずっと覚えていられるんだよ。この記憶力は努力で得たものではなく、与えられた力なんだと思う」そんな彼のセリフを覚えているのは私の記憶力のすごさか(笑)!?いや、それだけ衝撃を受けたのである。自分の能力を自覚しながら結果を出し、それでいて謙虚な姿勢を持ち続けることに尊敬する。サッカー好きなスポーツ万能タイプで、ブルースリーで有名な格闘技、ジークンドーを習っていたという。それでも彼の滞在中に少しだけ教えたボクシングでは本物の違いを見せつけた(←大人気ない意地っ張り)彼が日本を離れた後もたまーにメールで連絡を取り合っていたが、現在は政府関係の仕事と企業のファイナンス関係の仕事という、常人ではあり得ない二束の草鞋を履きながら超多忙な日々を過ごしているということだ。あまり詳しいことは書けないが、政府の幹部の中でも最年少だという・・・。やっぱすごいわ、あいつは。いろんな経験を直接聞いてみたい!!行きの便はたった2時間のトランジットであるが、帰りの便は夕方に香港に着いて、翌日の朝に出発というスケジュールであり、夜ご飯くらい食べられそうだ!あわよくば宿も・・・・(笑)。そんなJも束の間の再会に前向きに反応してくれ、ぜひ会おうという方向になった。だが、タイミング悪く彼のアメリカ出張が重なってしまった・・・(涙)。しかし、彼のここからのフォローがすごかった。まず、空港へのアクセスが良くちょっとした観光もできる最高のロケーションにあるホテルを予約してくれた。その後、限られた時間を最大限に活用するための詳しい観光アドバイスメールをくれた。徒歩、電車、タクシーなどの移動時間、およその値段まで書いてある!長い英文メールは一見すると難しいトイックの問題のようである(笑)。でもこの優しさはやはり嬉しい!!正直、帰途の最後の1日のわずかな時間にそれだけ活発に動けるか自信はないが(苦笑)、プリントアウトしたこの「1人未来日記」を遂行できるように楽しみながら頑張りたい。AもJもまたの機会に必ず会おう!!!さあて、荷造りを。遠足はパッキングを開始する時から始まっていますからね~・・・。
2006/04/28
コメント(0)
アフリカE国への出国へ向け買出しの日々が続いている。現地に生息する、本籍地を共にするボスからの指令は容赦ない。ゴキブリホイホイとかパイプスルーってのは文明の利器なんだなあ。ものすごい偶然であるが、かの地には私の大学時代のボクシングサークルの先輩Tさんも住んでいる。今回はすでに何年もE国にいて現地の言葉を自在に操るというTさんと再会できるのも楽しみだ。最近もらった彼からのメールにはこうあった。---------ぜひ、遊びにきて下さい。先日、イースターの日に、羊を一匹殺したので、現在、食しきれない量の肉があります。食べて。---------あの~、本当に日吉のリングで共にボクシングの練習をした先輩のTさんですよね(笑)?家庭で羊を一匹調理するのが普通なのか、そして私が到着するまで鮮度が保たれているのかなど、謎と不安は尽きないものの、ともかく楽しみだ。さて、新たな出会いや再会が待ち受ける旅行は非常に楽しみなのだが、わずかな期間であっても日本を離れる寂しさはやはりある。その理由は・・・・・寿司寿司無しの生活が続くのは間違いなく辛い(笑)。。。というわけでここでは今日撮影した分も含め、最近ため込んでいた寿司写真を紹介したい。まずは、あおりいか、やりいか、するめいかのイカ3種。恥ずかしながらどれがどれだかわからないが(笑)、一口にイカと言っても奥深い。釧路産のトロさんま。さんまやいわしといったヒカリものは大好きだが、こういううますぎるのを食べちゃうと危険だ・・・。こちらの軍艦は細かく刻まれた白身魚とネギの上にとびっこがのせられたもの。こーいうの大好き。ほたるいかの軍艦。酒が飲めないくせにこういう酒のツマミ系に目がない・・・。左が煮ホタテ、右が「時しらず」と言われる白鮭。トリビア的には、鮭は本来秋に捕獲されるが、時を知らずにして「春に取れる鮭」がおり、その時期にとれる鮭が【時しらず(時鮭)】と呼ばれるようになったということである。とろけた~。違う店の「活ほっき」を二品。北海道に来るまでは、「ほっきは基本的にボイルされているもの」という認識であったが、活ほっきの鮮度と歯ごたえに感動した。今度は違う店の穴子を二品。昔からウナギより穴子の方が好き。特に今日食べた下の穴子は表面少しカリカリ中がしっとりジュワ~としていて最高だった。最後を飾るのは本マグロの赤身。トロもいいけど、赤身のいいところも文句なしにうまい!!うん、やはり寿司は日本を代表する文化だ!いかん、この地を離れるのがまた辛くなってきた・・・。
2006/04/26
コメント(10)
東京に飛んで友達の結婚を祝ってまた札幌に飛んで帰ってきた。結婚式は何度出席しても嬉しい気持ちにさせてくれる。Nよ、末永くお幸せに!それ以外にも家族の誕生日を祝う食事会や小学校のミニ同窓会(オフ会(笑)?)、大学時代や留学時代の友人との再会など、今回も盛り沢山で充実した帰京であった。帰りの飛行機の中では、「孤独を生ききる」(瀬戸内寂聴)を三分の一くらい読んだ。今週末に向かうアフリカへの長い旅路の友にとこの滞在中に買った本なのに・・・(苦笑)。「人間は生れて死ぬまで孤独な動物だ」(まだ読んでいる途中であるが)著者の首尾一貫したこの主張は正しいと思う。そしてそういった孤独は日々の生活で感じる形而下的な不幸(別れ、挫折など)に起因することが多い。だからこそ、因果を見つめることで自分が感じる孤独と向き合うことが解決となることもある。「どんな苦しみでも悲しさでも、人間は、生きて耐えていたら、いつの間にか『時』が薬になって少しずつ癒してくれるものなのです」我々に与えられた「忘却」という能力が「神仏の劫罰なのか恩寵なのか」は私にもわからないが、著者が「日にち薬」と呼ぶ、時間の持つ作用も我々にはかけがえのないものである。なんて、前半から奥深く考えさせられる本であるが、続きは今度こそ旅路で読むことにしよう。人生が本質的に孤独だということを受け入れることも大切だと思い始めているが、私が今とっている人生への態度は対極にあると言えるかもしれない。つまり、自己の孤独を見つめる作業よりも他者への関心を広げて掘り下げる作業に意義を見出している。私の人生の愛読書であるドイツ強制収容所の体験記録『夜と霧』その作者である精神医学者、V.E.フランクルは別の著書、『「生きる意味」を求めて』でこのように述べている。「生き残れるかどうかは、この苦しみ、この人生が『何のためのものか』という方向性、あるいは『誰のためのものなのか』という方向性を持っているかどうかにかかっている」言い換えれば、「あなたを必要とする何か、あなたを必要としている誰か」に気付けるかどうかということである。この『自己超越性』こそが私の生きる活力、人生に対するモチベーションと言っても過言ではない。人生の孤独と向き合うこと、そして、他者との交流を通して自己超越性を感じること。この両者は決して矛盾する関係にはないと思う。自己と他者、両者との対話をこれからも大切にしていきたい。
2006/04/24
コメント(0)
手帳を見ると、明日の深夜から来週の日曜にかけてこんな動きとなる札幌(現在地)→東京(友人の結婚式)→札幌(仕事)→香港(経由)→アディスアベバ(アフリカE国の首都)いくらなんでもこの予定はオンリーワンでしょう(笑)?奇しくも私の滞在中に小泉首相がE国を初めて訪問するらしいが、決して怪しい者ではございませんので空港で尋問とかしないでください(苦笑)。片道1日という苦行に耐えられますように・・・。それではまず友人の幸せを祝ってくるぞ!
2006/04/20
コメント(2)
難しいことは苦手である。そんなわけで私のモットーはビジネススクールのマーケティングの授業で学んだ『KISSの原則』。すなわち、「Keep It Simple and Short!(わかりやすく、サクっといこう!)」しかし、気付けばどうしても理屈っぽくなってしまう・・・。「この場合○○という言葉の定義は何ですか?それは~~ということを前提としているのですね?」性格もあるのだろうが(苦笑)、これもやはりビジネススクールでケーススタディをやりながら叩き込まれた考え方なのかもしれない。定義(Definition)とか前提(Assumption)を明確にした上で議論のベースを一致させることを無意識に始めてしまうようになった。感性を大切にしなければいけない場面ではうっとおしいな~、このアプローチ(苦笑)・・・。これからもいろんなジャンルの方々と語り多様な考え方を知ることで、理詰めと感覚のバランスを上手にとれるようになりたいものだ。幸運なことに、私は人生の師とも言うべき多くのメンターの方々に囲まれており、悩みにぶつかるたびに豊富な人生経験からの含蓄あるアドバイス・言葉を頂いている。自分を啓蒙してくれる言葉との出会いは本や雑誌、新聞を通じてのこともしばしばである。個人的に頂いた言葉の数々は残念ながらここで紹介することはできないが、先日の日経新聞(2006.4.17付)のコラムで素晴らしい言葉を見つけたのでこれを紹介したい。以下はお茶の水女子大学の耳塚寛明教授が「大学生になった君たちへ」という題名で書いたコラムの一節である。------------君たちの前に、普遍的で絶対的な知識など存在しない知識とは、自然現象であれ人間や社会であれ、誰かがなにがしかの方法によってそれを観察して切り取った、世界観の断片に過ぎない間違った知識もあれば偏った世界観もある疑うことから始まる------------なんとも前向きで素晴らしい「疑いのススメ」ではないか!我々が学ぶ課程には「これはこういうものです」という既成事実、原理を覚えるという作業が多い。そういった、「とにかく覚えるべき対象」や「世の中の常識」を無批判に受け入れることにちょっと待ったをかけてみようというのである。この考え方は、私が留学中にEmerging Technologiesの授業で学んだ、「我々が持っている『常識』の背景と変化の可能性を掘り下げるべきだ」というスタンスと同じ方向性を持っていると言えるだろう。結婚って何?ビジネスって何?医療って何?身の回りには深遠なテーマになり得る常識がごろごろ見つかる。( 2005-03-10- 「常識」とは移り変わるもの?:文化、時代、そして技術が我々の考え方を変える参照)そうは言っても、身の回りの常識をすべて疑ってかかってしまったら心身共にもたないだろう(笑)。ここでもまた、建設的な疑いを持つ対象の範囲やタイミングなどのバランス感覚が大切なのだと思う。こういった思考活動は絶えず循環している感覚がするな~。答えは見つからないのだが、人生自体が無限の不思議に満ちていることを実感させてくれる。うーん、なんだか話が難しくなってきた。。。(→一行目に戻る)
2006/04/19
コメント(2)
全521件 (521件中 51-100件目)