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毎週金曜日は『発達の教室』である。朝、9時45分からはじまるその教室に行くために、いつもより早くから仕度をする。毎週1回、正直、負担に思うこともある。昨日の今日でもあるし、今日はよっぽど休もうと思った。私には逃げ癖、休み癖があり、もっともらしい言い訳を自分にしては、よくさぼっていた。自覚はあったが、無自覚なふりをしてきた。『発達の教室』にはじめて彼女を連れていったとき、それは自分の代までにしよう、と心に決めた。私の逃げ癖、さぼり癖は彼女には負の遺伝だと思った。見たことのない程のはしゃぎぶりを、私のマイナス面で一方的に閉ざしてしまうのは間違っている。私は私、彼女は彼女。これは私ではなく彼女の社会なのだ。そんな思いを再び新たにして天秤を逆向きに傾けて、私はなんとか教室に向かった。昼近くになった教室からの帰り、教室のある児童福祉センターでは今日、催し物をしていることに気がついた。地域の乳幼児を集めて、子供同士、親同士の出会いの場や遊びの場を提供するイベントらしい。いつもより多くの子供のはしゃぐ声と、マイクを通した歌声などが流れ、賑やかであった。良い機会だから、と私が行こうと思ってバギーをのぞいたら…娘は眠っていた。いつもより早く朝起きて、慣れない補聴器をつけて…彼女の社会活動はもう終わっていた。気のせいか充足した寝顔であった。大きく手を振って、こちらからどうぞ、と笑顔で呼んでいるスタッフに会釈をして、私は帰途にバギーを振り向けた。賑やかな声はだんだんと背中で小さくなっていったが、家に着くまで聞こえている気がした。
2003.10.31
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今日、定期的に診てもらっている病院で体重を測ったら、またもや減少していた。これで4ヶ月連続減少で、トータル1Kgになる。体重50Kgの人でいえば12Kg強やせたわけで、これはかなりなものだ。オムツはLからMに逆戻りし、なんとも貧弱な手足をさらしている。医師と徹底的に意見をかわし、管理栄養士も別の、もっと専門的な人を紹介してもらって予約をとりつけ、次の予約も1ヶ月後から半月後に短縮された。ラコール、という経管でも経口でも摂取できる栄養剤を処方してもらい早速試してみたが、口に合わないのか飲み込まない。子供が可愛くて、だからこんなに頑張っているのに、食べられないのは子供のせいではないのに、何故、こんなに食べない子供が憎らしく思うのだろう…?本人が食べたくなくて、私は食べさせたいけど憎らしく思うのは悲しくて、食べさせる時間が何よりも憂鬱で、だったら、二人で部屋中にお絵描きして、棚の物を全てひっぱりだして、ハイハイ競争をして、お風呂に入って、歯磨き遊びをして、お互いの温かさを感じながらいつまでも眠りたい。こんな日はどうしようもなく落ち込む。どこまでもどこまでも落ち込む。そして、明日は今日よりも少しは良い日になるように祈る。
2003.10.30
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『立って歩く』という行為が出来るようになる時期は予め脳にインプットされているものである、と最近知った。インプットされている時期は人それぞれで、練習してどうなるものではないらしい。事実、アフリカのどこだかの国では、生まれてからオムツを替える以外は布でグルグル巻きにしたままで育てておすわりもハイハイもないが、ある時期、布を外すと勝手に歩き出す、らしい。インプットされている時期とそれに見合う筋力、この二つが備わった時、子供は立って歩きだす。『あの娘は立って歩ける筋力がまだ備わっていないだけで、食べてパワーをつけたらスグに歩けるようになる』知った途端、すんなりとそう信じこんでしまった。それ以来、私の肩から手を離して何度も一人で立つ練習をしている彼女を抱き寄せて、「そんなにすぐ大人にならなくてもいいよ。いつまでも赤ちゃんでいてね」と頬を寄せる余裕までできてしまった。医者も、「つかまり立ちする子は必ず立てますよ」という教科書の文句を並べるだけでなく、こんな小話の一つでも話してほしいものである。
2003.10.27
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おこがましいとは思いながらも摂食障害を取り扱ったページを増やしたい、と考え、局地のとある団体にお名前を出して良いかどうかを尋ねていた。が、否となった。残念ではあるが、予想していたことでもあった。受け入れ体制が出来ない以上、固有名詞は出せない、当たり前のことである。人の好意や厚意にすがるだけでは無理がある。特に、障害児の育児は手間がかかり余裕がない。一方、育児とは時間が経つにつれて新たな問題が増えてきて、古い部分から頭の隅に追いやられ、やがて追憶の対象となりやすい。妊婦や育児の問題がなかなか改善されないのも、当事者が一過性であることが一因であろう。万障繰り合わせて全体的なシステムを構築するのは、やはり難しいのだろうか…。
2003.10.26
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今までに私が書いた日記を調べてみた。テーマを設定せずに書いた日記は昨日の分を除くと、『中学生に戻るとき』という新聞の連載小説を読んでいる自分を書いたもの、一つだけだった。あとは、かたくなに障害児というテーマにこだわりつづけていた。昨日の分の日記を書き終わった時いきなり、そのこだわりが霧消した。書き終わった日記の内容を指定してコピーをし、『テーマを設定しない』という新たな日記のページを設けてから、そこへ貼り付けた。何か、自分を包んでいたフィルムが一枚はがれたような気分だった。今まで私は何をしても、彼女のことが頭を離れなかった。だから、夢のことを書いても、選挙のことを書いても、彼女がいる上でこう考えたのだから、と思い、障害児テーマをチョイスしていた。しかし、それは何か…違ったのかもしれない。彼女が頭を離れない、という事実に変わりはない。何かを考えるとき、見るとき、物差しは『障害児』に変わった、それを覆しようもないし、必要もない。その事実と、私の日常全てが障害児色全てに塗りつぶされているのとは、違うのではないか。例えば、バイリンガル。彼女の世話で物理的に時間がないし、彼女に食べさせてあげたい気持ちが強いからバイリンガルの夢に没頭できる隙間がない。それは事実である。しかし、そういう状態ながらも、台所に立ちながら英語に音声変換したメジャーリーグを聞いている自分は、障害児色なのだろうか。自分の時間を持つ、とか一人の時間が欲しい、とかではない。そんなものがあったって、そこから彼女を追い払えるわけがないのだ。『障害児のいる日常』を取り込んだ新たな自分、とでも言うのだろうか…。何か軽くなった自分が生まれた気がする。
2003.10.23
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ここでの私は、自分のことを語れずにいる。最近になって、『障害児』という大きな枠の中で様々な人と出会えたことが、自分にとってプラスだったと考えられるが、語れずにいる根本はそこにはない。本音を吐き出せないような気がするからである。自分のサイトをいじる度にその事実は私の鼻先をかすめ、自然とあることを思い出させる。それは、最初に入院した国立病院での出会いだった。四人部屋がいくつか連なった病棟の廊下を挟んだ向かい側に連なっていたのは個室だった。そこには、伝染する可能性のある子が主に入院していたのだが、私たちのいた部屋の目の前に入院していたのが彼女と息子だった。看護士の対応、出入りする医師や医療器具で、かなりの難病なことは容易に察せられた。私達は顔見知りになったが、お互い子供の世話に追われて、こみいった話は出来ないでいた。しかし、ある日、偶然一緒になった入浴で、『次の子を作る』話をきっかけに急接近した。彼女は底抜けに明るく、豪快で、タフだった。1年のうちのほとんどを10歳の息子の付き添いに費やし、残りの時間は2歳の下の子の世話をし、同じ病気で入院している他の病院からの母親の駆け込み寺にもなっていた。彼女のもとには看護士によってファックスがよく届けられており、面会も頻繁にあった。私が、「遺伝の要素もあるというし、次の子のことは考えられない」というと、彼女は言った。「可愛い子じゃないの。何が恐いの。命に別状はないんでしょ。」娘を「可愛い」と言ってくれた、最初の他人だった。それから、どれくらい一緒に入院していたのだろう。相変わらず忙しい日々だったが、会えば会話を交わしていた。彼女は病棟においてある書物を網羅していて、よく紹介してもらった。先に退院したのは私たちだった。ほとんど病院にいる、という彼女のほとんどチェックできないメールアドレスだけを交わして別れた。彼女は結局最後まで、息子の病名を明かさなかった。1歳半までは異常がなかった。だんだんと弱っていった。長くは生きられない。断片的には語るが、病名になると口をつぐむ。ある時、はっきりと尋ねてみた。彼女は豪快な笑顔のまま「話したくないんだ」とだけ言った。あれから、時間だけは経過した。しかし、私はいまだに彼女の真意をはかれないでいる。
2003.10.21
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彼女は食べない。あまり食べない話ばかり書いていると感覚が麻痺してきて、食べないことが普通で、大したことないことのように錯覚してくる。昨日も食べない。今日も食べない。体重は当たり前のように増えない。食べないことで熱くなっている私に、パートナーが言った。「食べなかったら死ぬだけだよ」冷たい言葉なのか…いや違う、事実だ。彼女が生まれたばかりの頃、彼女のことがそんなに好きではなかった。当時は違う。可愛くて可愛くて仕方がない、と思っていた。振りかえると、なんて幼稚な思いだったのだろう、と笑えてくる。あんなのは愛じゃない。自己陶酔だ。生存本能がない彼女に疲れ果てたとき、私は思う。『本人にここまで生きる力がないなら、生まれてすぐ殺してくれれば良かったのに』あの頃の私ならば、いくばくかで立ち直って、いっぱしに子供を亡くした気持ちなどを知ったふうに語ってもいただろう。その程度の想いだったと思う。明日は何なら食べてくれるだろう、食べてほしい。少しでも体重が増えてほしい。出来るだけ多くの笑顔を見たい。母性は育つものというが、私もその例なのだろうか。今は彼女が消えてしまった日々など考えられない。
2003.10.20
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今日の『発達の教室』の内容は、ST(言語訓練士)のお話を聞くものだった。月に1回程度、こうやって様々な専門家の講義を聴く日が設けられているのだが、私はこの日が好きだ。講義中、託児してくれるからである。託児…それは魅惑な言葉である。障害児を育てているとなかなか託児の機会に恵まれないこともあるが、必要以上に反応してしまう。大人な響きがする。母親として社会デビューを果たしたような気がする。背中に羽が一枚生えてきたような軽さがある。私は他の人と同じように膝を抱えて座る。話が始まる。一人、また一人、泣いてしまった子供が母親のもとに連れてこられる。泣き声に耳を澄ませる…違う、また違う子だ。最初は一人を楽しんでいたが、次第に落ち付かなくなってくる。分身がいない身の涼しさが気になりだしてくる。違う…まだ来ない…。いつからか、こちらが託児されているような心細さを覚えてくる。朝、時間がないのに、なかなか口の中の物を飲み込まない。片足を通したジーンズにしがみついて抱っこをせがむ。戦争のような慌しさの中、小憎らしく思いながら引きずってきたのに、すでに気持ちは蜜月に戻っている。講義を終えて娘のもとに向かうと、背中を向けて熱心に玩具で遊んでいた。声をかけずにのぞいてみる…。大した仕組みでもない玩具に息をはずませながら挑んでいる。声をかけようかな…どうやってかけようかな…振り向いたら喜ぶだろうな…よじ登ってぎゅうっと抱きしめてくれるだろうな…。そんな一瞬がとてもよい。
2003.10.17
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前回の日記に、激動だった9月から10月初旬について書いた。休みはなく22日ぶりの休みだ、と。あれからなんと、5連休中である。中一日、出勤であったが、ほとんど家をあけることはなく、休みに近いものであった。パートナーが連休中で一つ、困ったことが出来た。このサイトである。私は自分のサイトを誰にも口外していない。先日、ようやく実妹に伝えることができたほどだ。何故、皆に伝えられないのだろうか。一つには、あまりにも恥部をさらけだしていることにある。特に、パートナーには義理の母の話、その話題に関して議論を持ってはいるとしても、このように一方的な場所で密かに思いをめぐらせていた事実が面白くはないだろう。もう一つは、誤解を恐れるからであろう。ここでの私は本当の私ではあるが、全てではない。普段の私も本当の私ではあるが、全てではない。が、少なくとも周囲にとっては『全て』である。この『全て』が『偽り』ととらえられるのが本意ではないのだ。この『全て』は私の周囲への欺きではなく『思いやり』である。大切だからこその気遣いである。隠し事なく生きていることは美徳でもなんでもない。隠し事をしている、という後ろめたさを相手に負わせるのではなく、自分が負えるような人間こそ徳のある人物だ、と私は考えている。
2003.10.16
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今日は久しぶりにパートナーが休みになった。22日ぶりの休みだった。パートナーに休みを分けてもらえなければ私にも休みはない。夜討朝駆、東奔西走の彼と24時間フル稼働の私。二人の会話はともかく、娘の病状や発達具合など、一人で決められないことなども話す時間がない。朝は起きるだけ夜は寝るだけ。二人とも正直疲れきっていた。昨日夜中、会社と次の日のスケジュールを打ち合わせをする電話をかける前に彼は言った。「今の仕事も一段落ついて明日休もうと思うけど、それを拒否されたら辞めていい?」「いいよ」私は即答した。長年の夢で就職浪人してまで得た今の職だから、と就労担当を迷わず彼にしてしまったが、知らないうちに成長してしまう娘を抱きしめながら「子育てしたい」と言っていたのは半分は本音なのだろう。休みが正式に決まると、お互いの苦労をねぎらってしばし抱き合った。朝食後、片づけをしていると遠くから鐘の音が聞こえてきた。近くにあるミッション系の大学からだ。キャンパス内にある教会で卒業生が結婚式をしているときに鳴らされる祝いの鐘だ。なんだか良い一日になりそうである。
2003.10.12
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衆議院が解散し総選挙の日程が10月28日公示、11月9日投票日となった。公示が28日といえども、特定の名前を出さないで党をアピールする街宣車などが出て、しばらくうるさくなるだろう。私は投票に行かない、ということに正当な理由はほとんどない、と思っている。投票日は朝から夜まで受付をしているし、不在者投票は昔に比べたらはるかに敷居が低くなり、旅行や外出などでも受けつけてもらえる。入院などの体調不良や長期海外滞在などを除けば物理的に行けないことはない、と思う。よく、政治不信から無党派層などと言って投票率の低さの理由にあげるが、それは根本的に間違えている。それだけの政治への関心と見識があるなら何故、白票を投じに投票へ行かないのか。投票があることさえ知らず、選挙の意味も分からず、街中で遊びまわっている人たちの方がよっぽど良い。無関心なのだから。政治不信と無関心、同じ投票拒否という手段ならば、どちらなのか判断がつかないではないか。無関心なら投票拒否。政治不信などと語るならば、『誰を選んでも一緒』『政党間に違いはない』という意思を示すために白票を投じるべきである。でなければ、無関心だと公言するべきだ。昔とはいえ、長い歴史から考えたらつい最近まで、選挙権はごく一部の富裕層が握っていた。富裕層が富裕層のための政治を行い、大多数の人々の利益は無視されてきた。女性には選挙権すらなかった。それを先人が血と涙と汗を注いで、ようやく誰もが選挙権を手にいれ、自分の利益を主張できるようになったのだ。選挙権は当たり前に持っていたものではない。その大切さを誰もが忘れているのではないだろうか。権利は主張しなければ、いずれ無実化してくる。そんな空っぽの一票から選出された空っぽの政治家が行う空っぽの政治、それではごく一部に握られていた昔と変わらない。
2003.10.10
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体調を崩す。幸い、昨日一日娘の食事以外は寝て完治したが、あせった。今、パートナーは仕事が忙しい。9月は休みが二日しかなかったし、10月も今まで休みはない。朝も早いし夜も午前様になることが多々ある。これ以上悪くなったら、誰かに助けを呼ばなければ無理だ。呼んだらスグ来れる場所に身内がいないため、昨日から探っていたが、結局は大事には至らず安心した。その選択肢に義理の母は入っていなかった。仲が悪いわけではない。彼女はパンを焼き子供服は手作りだったスペシャル専業主婦だ。しかし、それを私に強要することはない。むしろ、そんな自分が活躍できるような悪嫁を喜んでるくらいである。どんな話があっても息子に直接電話せず私の顔をたててくれ、季節には絵巻物のような手紙をくれる人だ。では、何故そのような人を呼ばないのか。それは、体調を崩したからだ。以前、娘の入院中、義理の母が手伝いに来てくれた。その時、付き添い期間2ヶ月に入っていた私はダウンし、娘のベッドの横で点滴を受けていた。彼女はそんな私を見て言った。「そんな大袈裟なことして恥ずかしい。大丈夫、大丈夫。母親ってのは倒れないものなの。子供のためなら頑張れるんだから。ほら、頑張って頑張って。」義母は息子を二人、立派に育てた。しかし、その息子は障害児ではなかった。そんな単純なことだ。同室の人が言った。「障害児の親の気持ちは、実親でも分からないものなのよね。」頑張りたくても身体が動かない。頑張りたくても気持ちが逃げたくなる。もう頑張れないほど頑張っている。こんな経験をしている人、もしくは経験していないのに気持ちが、つらさが分かる人というのはそんなにいるわけではない。今回、たった一日で体調が復活した。子供がいないときには考えられないほどの早さだ。義母の言う通り、何事もなければ私も倒れなかったであろう。知らなければ知らない方が幸せだったかもしれないことが、ここにも一つある。
2003.10.08
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『耳の教室』のついでに児童福祉センターへ摂食障害に力を入れている病院を聞いてみた。通える範囲で且つ納得できるような病院はなかったのだが、児童福祉センターで診てくれることになった。来週の月曜日に食事持参で行き、食べている姿をビデオに録画して検証し、手におえないようだったらまた検討するそうである。以上。簡単である。何故、今まで私には蜘蛛の糸一本、垂れてこなかったのだろう…。ネットサーフィンを3日ほどして、様々な情報を皆様に教えてももらい、知識をつけてから理詰めで訴えたら、こんなに簡単に道が開けた。初めての子育て、初めての障害児、パートナーは長期海外出張中、涙を流し声を限りに訴えたときには何も得られなかった。何故だろう。
2003.10.06
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ここ数日間、とりつかれたように摂食障害について調べてみた。『どうやったら食べさせることが出来るか』『どうして食べなくなったのか』以上、2点が主な内容である。前者については、私の掲示板に良い情報をいただき、また数が少ないながらも良いサイトがあり、そこからまた良い情報をいただき、具体性もある質の良いものを手に入れることができた。また、指導をしてくれる機関も見つかりそうであり、一安心である。しかし、後者については進展は少なかった。摂食障害を経験した、もしくは経験している数例で共通していることは下記の点である。1,なにかしらの障害をもって生まれている。2,検査の結果、障害のせいではなく機能的な問題はない、と言われている。3,大学病院など大きな病院では、味付けや食事のあげ方などの『家庭』の問題とされ、病気や障害など『病院』の問題とはされず、場当たり的な対応やはぐらかしを一度は経験している。4,摂食指導に比較的手厚い機関や医師に出会ったとしても劇的な変化はみられない。が、とにかく孤独で不安な親の気持ちは癒された、それだけでもうれしいほど孤独な戦いを強いられてきた。5,本人の成長とともに徐々に食べられるようになる。私がネットで見つけた中に、乳児の摂食障害を取り上げた論文が一つだけあった。しかし、その内容は、摂食障害で悩んでいる親の傷に塩を塗るように厳しいものである。いずれ、抜粋をページに載せたいと思っているが、ここでは要旨だけを述べる。乳児(生後6ヶ月~3歳)と母親は『空腹』『オムツ』などの泣きを何度も経験し、泣きの原因を取り除いてあげることで信頼関係(good enough mother)を築いていく。泣きを見抜けず『空腹』とのみ認識し(bad enough mother)、拒否し泣く子供にあらゆる手段を使って食を強要しているうちに、母親を操作しようとして食を拒否し、心理的な情緒的欲求と食べるという生理的欲求が混同されてしまう。父親が育児に無関心なのも原因である。聖マリアンナ医科大学神経精神科 渡辺直樹『児童思春期の摂食障害』よりこれを否定するつもりは全くない。しかし、以下の2点についてのみの検証が欲しい。・障害児として生まれてから『泣き』があったとしてもそれよりも検査や治療を優先した乳児についても同じようにおこるか。・生まれてから食欲についての欲求が薄かった例もいくつかあるが、その場合について。いずれにしても、きちんと障害として認識し、専門外来なりを掲げる大学病院が出来てほしいものである。そのためのモルモットには喜んでなろう。私がgood enough motherなのか bad enough motherなのかは私と娘とパートナーに接して判断してくれれば良い。
2003.10.05
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今まで、一つの国立病院、一つの総合病院、二つの大学病院を渡り歩いたが、彼女の摂食障害についてはまともに取り合ってくれるところはどこにもなかった。その場限りの受け答えやはぐらかしに終始された。共通点は、味付けや姿勢などの『家庭』の問題に押しとどめようとし『病院』の問題として扱ってくれないのである。最初に入院した国立病院では看護士たちはヒドかった。入れ替わりたちかわりやってきては自分達の育児体験を語り説教した。一番許せなかった事件がある。「私達が飲ませてあげるから。母乳の方が子供は好きなんだからしぼって持ってきて」と子供と人工ミルクのビンを持ってナースステーションに行ったことがあった。長い入院生活の疲れで出なくなっている母乳を、カーテンで仕切っただけの空間でようやく50ccしぼって持っていくと、おしゃべりに花を咲かせている看護士たちの横で子供は長椅子に寝かされており、近くには全く減っていない冷たいミルクビンが置いてあった。私が母乳を持ってきた旨を伝えると、その中の一人が「やっぱり飲まないねぇ」と言っただけで、みな蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。私は温めた母乳のビンを握り締めながら、粗末に寝かされている娘を見てばたばたと涙を落とした。そうやって2ヶ月間、大勢の姑に囲まれて入院生活を送った。その間パートナーは海外出張中で孤独な戦いだった。彼女たちを『場当たり的で向上心のない看護士たち』と思えども、無能と思うことはない。何故なら医師たちでさえそうなのだから。具体的な話は次の機会に譲るとして、今、私が言いたいのは摂食障害という障害は存在するのか、ということだ。彼らが言うように『家庭』の問題でしかないのか。世の中にはこれだけ大学が存在していて、摂食障害について研究している大学は一つもないのか、研究している人は一人もいないのか。最近、同じ摂食障害の子供を育てた人のサイトを見つけた。何度も何度も探してようやく当たりついたのだ。彼女は情報が欲しくてサイトを立ち上げたそうだが、同じような子育てを経験してる人は来訪してくれて書き込んでくれたのは10万カウントを超えていて5人程だったそうだ。しかし、5人でもいるのだ。彼女から、摂食指導が手厚い病院が存在することを聞いた。(病気等によって物理的に食べられない子供のため)食べ物のすりつぶし方から親身に相談に乗ってくれたそうだ。そういう病院さえ教えてもらえなかった。何度も何度もSOSを出しているのに。発達障害という分野が未開発だった頃、親のしつけの問題にされて親は心を痛めたそうだ。摂食障害だってそうなのではないか。将来、実は大変な障害でした、親御さんのせいではないですよ、などと言われても、失った娘との幸せな時間は戻ってはこない。
2003.10.02
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