あけやんの徒然日記

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あけやん2515

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2012年10月01日
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カテゴリ: 野球
 昨年6月1日の楽天戦(Kスタ宮城)以来、487日ぶりの「1番・遊撃」で先発出場した広島の石井琢。実戦は、代打出場した7月3日の阪神戦(松山)以来となったが、初回にいきなり得意の流し打ちで左前打を放ち、2度の守備機会も軽快にこなした。

 08年オフには引退勧告を受けながら、現役にこだわって広島に移籍した。そんな「終わりなき旅」は、8日のDeNA戦(横浜)で終幕を迎える。
 CS進出という願いはかなわなかったが「この悔しい思いとカープの優勝は後輩たちに託したい」と話し、広島ファンに別れを告げた。【スポニチアネックスから引用】

 今年のプロ野球もCS進出や優勝が決まったりしつつありますが、その影で戦力外になる選手や引退を決めた選手もいます。その中で広島東洋カープの石井琢朗選手が引退することになりました。本文にもありますが、石井選手は大洋に投手として入団、背番号66をつけて勝利投手になったのですけど、さほど選手層が厚いわけでもない大洋投手陣にいても先が見えていると思ったのか打者に転向、それがよかったんでしょうね。

 最初は「66」の背番号のまま野手として守っていたのを覚えていますが、投手陣だけでなく野手陣の層も薄い大洋野手陣だったからこそ、野手転向後に活躍できたということもあるのかもしれませんね。

 もちろんそこには打撃センスもあったのでしょうけど、投手から野手への転向ということで血のにじむような努力をされたと思います。その結果、2006年5月に2000本安打を達成するなど打の職人のように打ちまくっていました。特に1998年の38年ぶりの横浜日本一にはなくてはならない選手でしたね。
 ちなみに、投手から野手に転向した選手は実は意外と多いのですが、2000本安打以上達成しているのはあの打撃の神様と言われた川上哲治氏と石井選手の二人だけ、1000本以上達成しているのも大洋やヤクルトの監督を務められた近鉄OBの関根潤三氏くらい(2リーグ分裂後では)ですから、いかにすごい記録かということがお分かりいただけるかと思います。

 さて、そんな石井選手は大洋→横浜一筋で選手生命を全うすると思っていたところ、そういう功労者を大切にしない親会社TBSのせいで横浜を追われて広島東洋カープへ移籍、そのひたむきな姿にカープ内野陣に大きな影響を与えたのではないかと思っています。天才・前田智選手とのベテラン二人でお立ち台に上がったこともありましたね。
 そんな石井選手でしたが今シーズンを持って引退、その後の去就は決まっていないようですが、引き続きカープに残って指導者として若手を指導していってほしいと思います。

 私は元々大洋ホエールズからのファンで、石井選手はお気に入りの選手のひとりでした。打撃もさることながら、あの軽やかで堅実な守備は勉強になりました。そんな私がTBSの馬鹿さ加減にブチ切れて長年続けていた大洋→横浜のファンをやめて、子どもたちの影響で広島ファンへとなりましたが、その後を追うように石井選手がやってきたのはうれしかったです。まぁもうすっかりベテランですから、常時出場というわけにはいかなかったのですが、それでもカープの一員としていてるというだけでうれしく思いました。

 最後に石井選手、お疲れさまでした。





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最終更新日  2012年10月01日 22時14分13秒
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