あけやんの徒然日記

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あけやん2515

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2023年09月17日
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カテゴリ: 野球
オリックス野球クラブ株式会社は17日、近鉄OBで外野手だった平野光泰(ひらの・みつやす)さんが9日午前5時20分に兵庫・姫路市内の病院で亡くなっていたと発表した。享年74歳で死因は非公表。通夜・告別式は家族葬にて執り行われた。 ​​  平野さんは大阪市西区出身で明星(大阪)、クラレ岡山から71年のドラフト6位で近鉄に入団。77年にレギュラーに定着すると、79年の近鉄初優勝から連覇に貢献した。79年からダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)を2年連続で獲得。80年の日本シリーズでは優秀選手賞に輝いた。  俊足、強肩が武器で、79年6月26日の前期最終試合となった南海戦(大阪)では同点の8回2死一、二塁の中堅守備で、中前安打に猛チャージし、ノーバウンドのバックホームで二塁走者の定岡を刺し、前期優勝の立役者となった。闘志を全面に押し出したプレーはガッツマンと呼ばれた。【スポーツ報知から引用】

近鉄バファローズの一番打者で「ガッツマン」と呼ばれた平野光泰さんがお亡くなりになったとのこと。79年と80年の近鉄バファローズ優勝の際に活躍されていましたね。特に、79年といえば近鉄が初めて「優勝」という名を手にした前期、本文にもあった「奇跡のバックホーム」で有名です。
 この話は、週間ベースボールで見た記憶があるのですが、この年はヤクルトスワローズから移籍してきたチャーリー・マニエル選手の驚異的な活躍によりチームが勝ち進んでいたのに、ある日のロッテオリオンズ戦で八木沢投手から顎にデットボールを喰らって戦線離脱、他の選手もそれが原因ではないけど不調などで負けが込んでしまった前期の最終戦。勝つか引き分けで前期優勝が決まるその最終戦に「奇跡のバックホーム」が起きたんですね。終盤の8回二死一、二塁でセンター前ヒットを打った選手の打球はゴロで力なく転がってくる。平野さんは「今まで苦しい練習をしてきた、そしてようやく優勝に手がかかろうとしているのに、こんなしょうもない打球で優勝できないんか!」と怒りに任せてキャッチャーへ遠投した送球がレーザービームでミットに届いてランナーを刺すというものでした。キャッチャーだったのは後に近鉄や日本ハムで監督された梨田さんでしたが、平野選手の必死のバックホームを逃してはなるものか、と必死でキャッチしてタッチアウトにしたそうです。
 ちなみに、このときの近鉄の監督は名将・西本幸雄さんでしたが、さすがの西本さんも失点を覚悟したそうです。しかもそのセンター前に打った打者はかつての阪急ブレーブス時代の教え子の阪本敏三選手、すごいめぐりあわせですよね。そんな伝説のプレーの話を読んで、ちょっとうるっと来たのを覚えています。

 平野さん、お疲れさまでした。 ​​





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最終更新日  2023年09月17日 20時43分32秒 コメント(2) | コメントを書く


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