2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全16件 (16件中 1-16件目)
1

抜けるような青空…風はちょっと冷たいけど、絶好の野外活動日和。わんぱくキッズ自然塾の活動は何回目になるんだろう…。60回は軽く越えていると思うが…。今度ちゃんとかぞえてみようっと。この活動、大学時代の友人と始めて今年で3年目になるが、近頃、ちょっと息切れしている。なぜなら、3年という月日で随分生活の状況は変わる。対象が小学生なのだが、友人の子ども一人は中学生になってしまった。我が家も習い事の曜日などが増えたり、高学年になると試合等で土日が埋まる。お互いに仕事の量も増え、1年目あんなに熱心に内容を話し合っていたのに、今はその時間すら取れなくなってきてしまった。そして、友人の旦那は強い原動力だったにもかかわらず、来年は彼のやりたいことに近付くため、わんぱくを離れるかもしれない。教育委員会の後援を得ていた活動だが、市町村合併のためそれも不安材料だ。ちょっと厳しいな…。と思いながら、友人ともに「やめる」ということばは出さなかった。しかし、昨日「やめるか…。」とぼそっと言った電話口での一言から、力がどっと抜けた。確かに立ち上げた頃の情熱はなくなっている。お互いにひとつのことをやりながら、自分のやりたいことも、理想もあると認めているので、それぞれがやりたい違う形で再出発してもいいように思えた。私も小さい子の為の親子遊びの教室を保育所の先生の協力で立ち上げた。彼女もわんぱくキッズをさらに広げて、食べ物やものづくりの工房を開いたり、得意の英語の教室もはじめた。だが、どちらも「やめる」とは言えなかった。でも「やめる」の一言に正直言ってくれてよかった…という思いが駆け巡った。今日を入れてあと5回。そういう思いで活動していると、すべてが大切なものに思えてきた。来年度1年生になって、ここに来るのを楽しみにしている子の話を聞いて、つい「来年はやめようと思っているんだ。」と言ってしまった。「え~っ!」残念がる声を聞くとグラリとくる。学校ではお友達と上手に遊べない子どもや同年代の子どもたちとは発散しきれない子たちも何人か参加している。その子たちが、すごく嬉しそうな顔でどろんこ遊びしていると、やっぱり、「う~ん…」となる。3年間ほとんど休まず来ている5年生の男の子も「ここだけは楽しみに来ている」とおばあちゃんが言っている。彼のお母さんは土日も仕事で忙しい。お父さんはいない。発散できるこの場所を楽しみにしていてくれる。久々に参加した自閉症という障害をもつ男の子はお母さんが土曜日仕事で忙しい。しかし、ここに来たいため、1時間かけて一人で電車で来られるようになった。我が子にとってもいい場所だった。いろんな人と出会えて、何より外遊びが上手になった。ここでやめても3年間は価値あるものだと思いたい。完全にボランティアであるので、やはり気持ちと時間にゆとりがなくてはできない。そして、自分が楽しむことを忘れてはできない。ここで一度リセットするのも悪くないかも。もっとやりたくなるときがくるかもしれないから。
2004.11.27
コメント(4)
小学校の特別支援教室の研究会の講師として招かれた。もう、現役常勤教師は退いているので、そんな講師なんて…。だったが、ここの先生が養護学校に講師として勤務していた時、一緒に複数担任をしていたという間柄。昨年度、たまたま講師をお願いしていた先生が病気になってしまい、ピンチヒッターをしたのがきっかけだった。良かったのか悪かったのか今年度もお邪魔することになった。まあ、小学校に現場を大腕振って見られるなんて、そんなにある機会じゃないし、しかも講師だから、意見を言う権限までいただける。いいのかなあ~なんて思いながら、楽しませてもらった。とりあえず、特別支援教室の…だったが、普通学級でも困っていることが山積みらしく、そのうち1年生と5年生からの要請で授業を見せてもらうことになった。1年生の算数にお邪魔した…途端に1人教室をとび出した。どうやら悩みの種はこの子らしい。授業中もなかなかのもの。様子を見るつもりが思わず支援に回ってしまった。そのせいか教室全体が落ち着かない。もう一人ティームティーチングの先生は入っていたが、それでももう一人くらい欲しい感じだ。次に5年生…と思いきや、少人数で算数をやっていた。本来の5年生のカリキュラムとは離れたところをやっていた。一斉の授業での進度に追いつかない子どもたちを、このクラスで教えているのだそうだ。「うわー、こんにいるんだー。」正直驚いた。授業を見に行かなかった学年からも、色々な子どもたちについて質問がきた。人前でどうしても発表できない子。友だちとのトラブルなどですぐ固まってしまう子。漢字だけ何故か書けない子。いろんな子がいて当たり前なんだけど、1対30数人の中での対応に苦しんでいる。「現場は大変なんだなあ~。」でも、そうなるには理由がある。勿論本人に何かあるかもしれないけど、それを受け止めて対応できなければ問題は解決しない。随分偉そうに言っちゃったけど、私は小学校の教師じゃないから、実際は一人一人に合わせて教材を作ったり、対応する余裕がないのが現実なのかなあ。何も準備の要らない、ことばのかけ方をちょっと工夫する意識だけ持てれば、少しは改善されるんじゃないかなあ…。来年度ここにお世話になる子どもたちも多い。できることなら手伝いたい。どうしても文部科学省と厚生労働省の管轄は壁になる。まさにこれぞ縦割り行政。そんなこと言ってる場合じゃないと思うけど…。先生方がんばって~!という感じだった。
2004.11.26
コメント(2)
こんなことは滅多にないが、午前は心理相談、午後は別の町の3歳児健診だった。お昼を食べる暇もなく、移動中にコンビニにかけ込んだ。そして本日のトータル相談件数約20件。ここまでくると最後の方は本当に放心状態だった。午前中の1件は保育所入所を気にしていたKちゃん。どうも雲行きが怪しかっただけに、すごく心配していた彼女だ。「他の専門施設に…」なんていわれていたが、ないんだからしょうがない。というよりやっぱり、同年代の子どもが与える刺激だって必要だ。…と思っていたら、明るい表情でお母さんが現れた。面接の感触はまあまあだったようだ。よかった~。これで落ち込んでたらどうしようかと思った。集中したのは午後の15件以上。小さい町なので健診の対象となる子ども自体は少ない。今回も20人ちょっと。保健指導に当たっている保健師さんも信頼してくれて、ちょっとしたことでも気がついて、私と話す機会を設けてくれる。これは、すっごく嬉しいことである。しかし、山積になった問診票を横目にちょっと「クラ~ッ」ときてしまった。就学前の子どもたちがここを訪れるのは、この3歳児健診の後はないといっていい。発達に関しても、ここで通過するとわからないまま小学校へ入学する前に表面化したりする。だから、やはり慎重に対応すべきである。正直、この短時間にパッパと話してすむ問題じゃない。きちんと話したら1時間くらい欲しいところだ。満足に話も聞けやしない。この健診での対応で行政や健診自体に不信感を持つ人だって少なくない。つとめて事務的にならないように、急いでいるけど、せっかく待ってくれていたんだから、ゆっくり丁寧に対応するように、そしてその先の糸口がつかめるように…。ことばの教室につなげる子も何人もいる。でも2~3ヵ月後に再び会うようになるので、そのときには名前や顔はしっかり覚えているとは言いがたい。そういうときは思いっきり、後ろめたい気持ちになる。
2004.11.25
コメント(2)
就学前健診って小学校の普通学級か特別支援教室か、はたまた養護学校か…その選択をせまられている親にとって、高い倍率の学校を受ける気分なのかもしれない。3年前から関わっていた、その親子は今年度ついに卒業の年を迎えた。出会った頃に比べたら随分成長した。保育所でも先生や周りの友達から、何かと声をかけてもらいながらなんとか過ごしている。だからといって小学校の普通クラスで何とかやっていけるかどうかは不安が残る。あくまでも特別支援教室という選択肢も持っているべきだとまわりは考えていた。何度か見学だけでも行ってみたら…。とか入る前に校長先生に話してみることもできるよ…。とかいろいろ説得はしてみたものの、「普通学級以外考えてない。」の一点張り。就学に関しては、親が子にとってどこが一番いいか見極めて、あくまでも親の気持ちを優先するようになっているので、それ以上は押せない。ただできることは、教室でどの部分をがんばらなければ、本人がつらいから、今ここをがんばろうと具体的に提示するだけだ。そして、教室に通ってからも、彼女は成長した。お母さんもできるようになったところを一生懸命話す。「う~んこのまま行けちゃうのかなあ。」とにかく就学前健診はきちんと受けることをすすめた。結果、彼女は検査の内容さえ理解できずに終わったようだ。できないわけじゃない。ただそばでゆっくり説明が必要だ。後日校長先生から保育所に彼女の日頃の様子を聞く電話が入ったそうだ。そして今日就学前ということで検査をしたら、かなり厳しい結果がでた。これをまともに伝えたらショックだろうなあ~。でも、このままだと子どもはお客様の状態になってしまうに違いない。小学校低学年はまだまだグッと延びる時期だ。彼女はどこに行くのが一番伸びるし、幸せなんだろう…。正直特別支援教室に行ったからといって、ものすごく伸びるかどうかもわからない。この辺は小さな学校が多く、教室の人数も少ない。先生も専門家…というより、普通クラスの先生がただ配置されたという印象もぬぐいきれない。だったら…。なんて思っていると、本当に入学してみないとわからない。ただ、普通クラスでも完全ティーム・ティーチングとか複数担任制でクラスに何人か先生が入ってくれればいいのに。これ彼女に限ったことじゃないと思う。
2004.11.24
コメント(3)
どんぐり教室に行ったら、どこかのお母さんらしき人が入り口に立っていた。しかし、子どもの姿は見当たらない。「誰だろう?」名前を忘れても、1度来たお母さんと子どもの顔は覚えている。「保育所の先生かなあ?」堂々と保健師さんに聞くわけも行かず、かといって無視するのも変だし…。陰でコソコソと「あの人は誰?」と保健師さんに聞いてみた。そしたら、教室に誘われたが、どんなところか下見に来たお母さんだった。ちょっとうつむき加減で、険しい表情だった。学習中、何も知らない振りをして、「保育所の先生ですか?」と聞いてみた。それから、お母さんの表情がふっと抜けた。いくら下見とはいえ、誰にも声をかけられずに、まるでそこに誰もいないかのように振舞われるのはつらい。今日の遊びは「新聞遊び」。ことばの学習の後は、手遊びをしたり、新聞紙や風船を使った遊びを取り入れている。小集団と個別と2つのパターンがあるこの教室では、小集団の場合、遊びの合間を抜けて、別室でもうひとりの先生が面接をする。5人以上になると待ち時間も結構になるので、十分な遊びができる。以前は工作をやったり、自由に遊んでいたが、なんとなくもったいない上にすごく時間が長く感じた。お母さん同士も知らない同士では、交流が持ちにくい感じでもあった。そこで、私が毎回テーマを決めて遊びを先導するようになった。今ではすっかり定番になり、子どもも何をやるかある程度見通しを持っている。親も傍観者になりがちだったが、今では結構一緒にはしゃいでいる。そんな中新聞紙の「波」なんて言いながら、新聞紙の上に子どもを乗せてひっぱっているところにバサッとかけていると、下見に来ていた彼女もいつの間にか両手に新聞紙を持って、入ってくれていた。(自分から!)第一印象からそんな感じでは全くなかったので、びっくりした。それからは積極的にお手伝いをお願いすると、快くやってくれた。遊びの後、彼女と話してみた。「ことばの教室」というとどんなところなのか、構えていたそうだ。「想像していたものと違いました?」と聞くとおおきくうなずき、次回は子どもを連れてきてくれることを約束した。「ことばの教室」は誘われるだけでショックが大きく、暗いイメージや訓練的なイメージがつきまとう。1回来てくれれば、そんな印象は吹き飛ばせる自信はある。月に1回あるかないかのこの教室を楽しみにしてくれている子どもも多い。彼女の場合、ずっと前から子どものことでは悩んでいたのだそうだ。悩んでいても、一歩がでない人は大勢いるんだろうな。
2004.11.19
コメント(2)
*市の遊び教室。遠足だよ~!子どもたちは外遊び好きなんだよね。でも今日はかぜっぴきが多かったみたい。お休みが目立った。今日は*市内にある養護学校の教育相談の先生と校長先生が見学に訪れた。実は教育相談の先生とは養護学校の教師時代8年間一緒に仕事をした同僚でもある。私がここにいるということで、参加しやすかったのもあるのだろうが、療育の場と教育の場がなかなかつながりにくい中、画期的なことであると思う。*市にお世話になってから、わたしにとってはじめての遠足。とはいえ、どこかに遠出するわけではなく、いつものようにちょっとスキンシップ遊びをしてから、保健センターの目の前にある公園をぐるっと一回りするだけだ。割と大きな公園で、おもしろい遊具やちょっと先に行くと、鯉が泳ぐ池、遊歩道の途中にはおおきなどんぐりも落ちている。小さな子どもたちが少しでも楽しめるように、シールスタンプの台紙を作って、全部で6箇所のポイントを設けた。ここでの私の役割はほとんど遊びの進行を務めるくらいで、台紙を作ったり、シールを準備したり、全部保健師さんや保育士さんが担当してくれる。今回のスタンプ台は木の葉の形をしたかわいらしい首飾り。このアイディアがなかなかないんだよな。一応ここには心理相談員という肩書きで入っている。でも、もうひとり県の教育相談でも大活躍の先生が入っている。私はその先生に引っ張られる形で、ここまで来た。その先生が1歳半、3歳児健診、心理相談を網羅している。正直、私はここに参加している子どもたちがどういう経緯でこの教室に来ているかを知らない。家庭の事情や、兄弟について、親の悩みなんていうのも知らない。当日、本人たちを見て察するしかない。教室終了後、カンファレンスでひとり一人について意見を交わすが、人数も多いので、今日の様子と気がついたこと、今後の対応の共通理解ぐらいに留まる。ここで話したことは、プライバシーに関わることなので勿論秘密保持である。他町ではほとんど3歳児健診やことばの教室から関わることが多いので、トータルして考えられる。やっぱりトータルして同じ人が関わることの大切さを痛感する。さあ、遠足の後は砂場遊び。はじめは、うっとりする遊具にみんな流れていたが、踏みしめられて固くなった砂(土?)を耕していると、いつの間にかみんな砂場遊びしていた。おもしろそうなことしてると、子どもたちって寄ってくるんだよね。とにかく天気が良くて良かった良かった。
2004.11.17
コメント(0)
前回の1歳半の健診で誘った親子2組が新しく参加してくれた。こどものアレルギーで半ノイローゼ気味だったお母さんも、はじめはお母さんだけなんて思っていたのに、子どもの保育所をお休みして、遊び教室から参加してくれた(^O^)/同じアレルギーの子どもを3人育てている、Y先生と引き合わせて、熱心に話していた。よかったよかった。最近、積極的に誘っていなかったこともあり、人数が固定化されていたサークルだけに、チビちゃんが何人か増えたことで、グッとにぎやかになった。誘う方もやる気になればみんな来てくれるんだよね。何でもそうだけど…。「おいでよ!楽しいーよ!!」と具体的に誘うのと、「来てみる?」「じゃあ考えといて~」と誘って終わりなのとやっぱり、気持ちは違う。新しいメンバーも増えたことだし、歌や新聞で遊んだ後、ここらでしっかり自己紹介をしてもらった。「このサークルに参加したきっかけと、その後…」みたいなのを加えながら、長い親子でもう3年以上になる。はじめはお兄ちゃんお姉ちゃんの頃から、そして保育所や幼稚園に入園した後には、弟妹と一緒に来ている。ひと組保育所をわざわざ休んで参加してくれた兄弟もいた。久しぶりに発散したかったんだそうだ。発散できたかなあ。この兄弟とも3年以上の付き合いになる。今はことばの教室の方にも来てくれている。お兄ちゃんは、少し自閉的なところがあり、病院で経過観察中だ。紹介をしながら参加当時を思い出してしまった。年子に近い2人の兄弟にお手上げ状態だったよなあ。1人ずつしか見られなかったんだ。その後、地域にはマザース(療育機関)がないので、他の町へ通っって、随分頼れる人になった。Kちゃんも他市のマザースに通っている。来年度年長の年齢だが、昨年度地域の幼稚園で入所を断られてしまうと言う経緯を持つ。だから今年度すごくがんばった。お母さんは仕事も持ってるし、今年度は保育所の入所を希望している。もうすぐ申込み。お母さんはずっと沈みがちだった。合格発表を待つ受験生の気持ちだ。実はKちゃんてんかんの発作を持っている。発症は昨年度の9月。それまでは通常に発育していると思っていた。そのせいかことばや理解に遅れが生じてきてしまった。しかし、それとは別に多動で目が離せない。一時落ち着いたが、ここ1,2ヶ月状態はよいとはいえない。そんなときの入所申込み。この動きを見ていたって、四六時中見ているのはすごく大変なことは想像できる。それにお兄ちゃんたちもいるのでKちゃんばかりにかまっているわけにはいかない。お母さんに休息が必要なのは目に見えて分かる。仕事もしている。通常なら絶対保育所に入所すべきなのだが…。ことばの教室を保育所でやっている私は、保育の様子も垣間見ることができる。最善の策ってなんだろう。子どもだけ通って専門的に支援してくれるところなんて、この地域にはないからなあ~。1人障害児用の保育者をつけてもらうのは必須であるが、同時に同じように困っている親子とめぐり合って、知恵の交換ができるといいけど…。頼りないけどまわりがあまり親身になって介入しすぎるのも、いい結果がでるとはかぎらない。どんな場合も当事者がしっかり意思をもってのぞむのが一番効果があるんだよね。それの方が後悔もないと思う。もし助けを求めてくれるなら、Kちゃん親子にとってなにが今必要かを訴えようと思う。
2004.11.16
コメント(0)

昨日は晴天で遊び教室にもってこいだったのに、今日の天気は里芋掘りにもってこいとはいかなかかったなあ。教室やわんぱくが連チャンであると、やっぱり切り替えるのにギリギリになってしまう。相変らず、前日に焦るタイプだし、どれもイベントやっているようなもので、一発勝負という感じだから、やっぱり緊張感を保ち続けるのは難しい。ついでに今日は、趣味で習っているピアノの発表会と来ている。昨日も夜中まで克服できない箇所を、何度も練習していたら深夜になってしまった。今朝友達の電話で起こされ大慌て…。常勤でこんなことしてたら体調崩しちゃうだろうなあ。収入度外視で、こんなことしていられるのも、やっぱり安定した収入を得ることのできる旦那様あってのものなのだろう。感謝、感謝。世の中には共働きじゃないと生計が立てられなかったり、仕事がなかなかできない状態だったり、ボランティアや人に関わっている余裕がない人なんてたくさんいる。ボランティアができる人って、それなりに時間的や金銭的に余裕がなきゃできないことだと思う。わんぱくに来るボランティアの人たちは、それだけじゃなくやっぱり自分が楽しくて来てくれていると思っている。体力は使うけど、精神的疲れを癒される場所…。多分だから私もできるし、やってられるんだろうな。自分の子どもにもすごくいい体験になっている。ここのおかげだかどうかは知らないが、間違いなく野外遊びは増えた。学力低下が言われているけど、それこそ自分で考えて、どうにかできる力がついてくれるとうれしいな。新潟の地震で外で生活を余儀なくされる人たちを見て、もし、私たちもそのような境遇におかれた時、少なくても野外体験をいっつもしていることで、抵抗は少なくて済むのかなあなんて考える。炊き出ししたり、お風呂を自分たちで作ったりするときのノウハウがあるかないか、経験があるかないかって大きい気がする。テレビや新聞を見て、遠くにいる私にできることって何だろう。直接的にはできなくても、間接的にできることも何かあるような気がするなあ。
2004.11.15
コメント(0)
空はぬけるような青空。この教室、本当に天気に恵まれている。今回は、落ち葉遊び…の予定だった。しかし、昨日の大雨で神社の落ち葉はみじめな状態。ちょっと表面をかきあげると、小さな虫さんたちが活発に動き回っている。ひえ~っ。これじゃ落ち葉のプールどころじゃない。過去2回わんぱくキッズ自然塾で落ち葉遊びを体験しているだけに、この楽しさを是非小さい子にも味わって欲しかった。歩いて7分くらいのところには、もっと大きな神社がある。突然だが、下見に行くことにした。しかし!どうみても落ち葉がない…。どうして?そりゃそうだ。まだもみじの葉が青々している。つまり、時期も早かった。もうあきら~めた。この無計画さも気が楽なんだなあ。…といっても一応事前に半日かけて保育所の所長さんと打ち合わせしたけどね。(ほとんど雑談ですが)そんな計画は天気とともにあっけなく変更されちゃうんだなあ…帰り道小学校の道沿いを歩いていたら、赤い葉っぱや黄色い葉っぱが落ちていた。おおっ。学校の校庭がいいじゃない!もともと雨が降ったら、体育館で新聞紙遊びの予定だったから、急きょ、体育館への道すがら、葉っぱを拾って、体育館で新聞紙遊びをすることにした。最近工作などこじんまりとした遊びが多かったので、みんなダイナミックな遊びに飢えている。3~5歳の子どもたちの教室とは思えないくらい、ハードスケジュール。こんな中途半端な落ち葉遊び…落ち葉探しだったけど、それでもみんな一生懸命きれいな色の落ち葉を捜しては歓声をあげていた。みんなとやらなきゃ、こんなことに親も一生懸命にならないに違いない。体育館での新聞遊びはももちろん盛り上がった。最初に新聞紙の線路をみんなで作った。広いと広いなり、大きな線路!この教室、毎回盛況で親子合わせて30人以上いつもいるので、みんなどこまで行くの~と思っても、ちゃんとつながってしまった。線路の上をどんどんみんなで電車みたいにつながったり、新聞紙に子どもを乗せてひっぱたり、「あ~んぱんち!」でまっぷたつにしたり、最後は大きな雪をみんなで降らして、カラー袋に入れて、大きなボールを作ってボール投げ。相当な運動量だったけど、帰りもみんな元気に歩いて帰った。家族だけだと、すぐ「抱っこ~。」ってなる子もいっぱいいるんだって。でも、誰一人「抱っこ~。」なんて言わずに、元気に歩いた。「最近ストレスたまってて、発散できた~。」というお母さんのことばに、「よかった~。」と素直に思う。
2004.11.13
コメント(3)
今日は少なかったなあ。本当に確実に子どもが少なくなっている…。と思うが、同じ時期他の町では今までで一番多かったから、たまたまか!?以前、遊び教室に来ていた親子が弟を連れてやってきた。生まれる直前まで教室に来て、そのまま産休…そして幼稚園に入学してしまったので、それっきりになっていた。小さい頃はなかなか目を合わせず、ことばも少なかった。今日久しぶりに会ったら、見違えるようにお姉ちゃんになっていた。私のことを果たして覚えていたのかどうかは定かではないが(覚えていたと信じているが)、さかんに幼稚園のお友達の話をしてくれた。このまま心配せずにいけそうだなあ…。いけますように。この町の幼稚園も保育所も両方公立である。そして、選択肢はこの2つに絞られる。他市町の保育を選ぶ場合もあるが極まれである。必然的に仕事をしている人は保育所で、そうでない人は幼稚園と行き場が決まってくる。決して小さな町ではないので、ひとつずつしかない保育園、幼稚園は結構にぎわっている。年長さんともなると30人を越す子どもたちを、2人の保育士で預かっている。まあ2人なら恵まれている方かも知れないが、それでも現状はバタバタ忙しそうである。就学前で完璧に自分のことをこなす子どもなんて、まあほとんどいないから、日常生活常に目を配る必要がある。障害のある子どもたちもこのどちらかにお世話になっていることが多い。幼稚園にお世話になる場合もボチボチでてきて、段々理解が浸透してきているが、障害を持った子どもたちの場合、圧倒的に保育所にお世話になることが多い。保育所のほうが生活が中心であり、年齢層が多岐に渡るため、弾力性がある。そして、今は子どもが障害を持っていても、仕事を持っている母親は多い。家計のこともあるし、子どもと行き詰った生活をするより、子どもとはなれた時間を持つと言うことは、精神衛生上いいことだと思うので、そのことに対して異論はない。私も1人目の育児休暇中はやっぱり行き詰って、早く仕事に復帰したかった。ただ、仕事中心になりすぎて、子どもが落ち着かなかったり、コミュニケーションが減って、ことばが極端に少なかったり…というのはやはり気になる。仕事を持っているなら持っているなりの、子どもとの接し方を編み出さなければならない。保健センター主催の遊び教室は平日なので、そんなに子どもにも親にも必要だと思っても、常勤で忙しく働いているお母さんは誘いにくい。紹介するに留まる。後は、必要と思えば参加したいと思うだろう。でも、その後連絡をくれる人など皆無に近い。年長さんになって、「あの時声をかけられていましたが…」といってことばの教室を訪れるケースが、いくつかあった。きっと常勤の頃、私も同じような状況だったら、誘われても参加しなかったと思う。それが証拠に、私は下の子の時町が主催する母親学級にも出ていないし、2歳半の歯の健診にも出ていない。予防接種すら危うい。だから、誘った時、「是非参加します!」というお母さんたちは、なんてすごいんだろうと思う。「あんたはエライ!」と思う。必要としてくれるからには、こちらも裏切らないようにがんばらないといけない。アトピーで困っているお母さんがいた。実際子どもだけを見ると泣きも激しく、子ども自身の力も伸ばす必要性を感じた。子どもの様子から遊び教室に誘いたかったが、お母さんはアレルギーのことで頭がいっぱいであった。とにかくそれについての情報を求めていた。たまたま遊び教室で一緒にやっているY先生はこどもが2人アトピーですごく苦労している。この2人を引き合わせるため、遊び教室に誘ったが、お母さんは子どもと遊びで向き合うことよりも、アトピーの情報が欲しいようだ。こどもも一緒と言うことにちょっと抵抗を感じていることが分かった。その時、とりあえず遊んでもらってその後、そのY先生と…なんて考えたが、アトピーで疲れ果てているお母さんに元気な遊びは酷というものである。たとえ、子どもが気になってもお母さんの話から聞くべきであった。保健師さんたちと話しながらまずはお母さんだけ来てもらうことになった。そんな機転がなかなか利かない。お母さんの様子や常態を見ながら臨機応変にケアを考えていく…。今回も勉強させられた。この町の保健師さんたちは、こんなこともザックバランに話し合えるので、本当に得るものが多いな。
2004.11.11
コメント(2)

ことばの教室の前日になると、当日の準備についはまってしまう。早くから準備すればいいのだが、毎回違う現場で、違う子どもたち、違う内容になると、早々にも考えていられなくなる。やっぱり、前日の夜になって、「明日はなにやるんだっけ~。」なんて、予習を始める。一応学習課題は、やったその日に振り返りながら、もうひとりのSTさんと決めてしまう。なので、1から悩むと言うことはない。ただ、回数が少ないわりに、たくさんの子どもたちに利用してもらっているので、予約を取ると前回の教室から2ヶ月以上後になってしまう。これじゃ、どこかの病院の言語教室と一緒である。近くの地域のことばの教室と言うメリットはあまり感じられなくなってしまう。2ヶ月間があり、その間いろいろな子どもたちと接するので、前回の状況を思い出すまでちょっと時間がかかる。こどもの2ヶ月と言うのは成長も早い。そして、今回の教室から次回までまた2ヶ月。私もまたいろいろな情報を入れながら、新しい教材も生み出しながら、過ごしているので、前回考えている課題よりも、マッチしているのではないかと思うものが、1人2人でてきてしまう。課題の差し替えなんて自由なので、「絶対こっちの課題の方がいい!」と思うと、すぐに作りたくなってしまう。また、次回では先延ばし過ぎるからだ。かくして、夜から始まった教材作りは深夜にまで及んでしまう。1度手をつけると、中途半端は気になる。他のことばの教室で一緒にやらせていただいている、先生は教材作りもアイディアもすごいかたで、そのM先生が作った教材は1度作ったら、そのまま何年も使えるし、しかも子どもの発達に合わせて、行く通りにも使い方ができる優れものばかり。どうせ作るのなら…と私もがんばりたくなってしまう。今回のニューフェイスは「なかま集め」。早速2人の子どもに提示してみた。提示の仕方もギリギリまで考えた。1人目より2人目のほうがわかりやすくできたかも。結果は、子どもたちの頭をフル回転させたようで、上々。とにかく反応があるとすごく嬉しい。提示しながらまたこれをやっている意味なんか考えちゃったりしている。「たべられるものはどれですか?」りんごやケーキを選んだあとに、「かに」おっと、確かに…。かには足の本数の問題の時に引っ掛けで使おうと思っていたのに、食べれるじゃない~。やりながら教わることもいっぱいである。
2004.11.10
コメント(0)
元職場。養護学校の文化祭に行ってきた。私がお世話になっていた養護学校は、地域とのつながりを大切にしていて…というか地域の人たちも楽しみにしている文化祭である。だから、子どもも飽きないように遊び場やゲームコーナーもあって、我が子も楽しみにしている。私の楽しみはやっぱり、元同僚の皆様に会うこと。退職してから5年が経つがまだまだ、気の合った先生も残っている。それに、ここで和太鼓のサークルも作っているので、退職してから知り合った先生方もたくさんいる。私にとっては貴重な交流の場であり、やっぱり療育の仕事をしている限り、大切な情報源である。学校選びで迷っている時、中身を知っているというのは強みである。就学担当の先生も紹介していただき、顔見知りになっておくだけでかなり風通しよくなる。私が担任していた子どもたちは、もうみんな卒業してしまった。でも親も協力的な学年だったので、同窓会と言う形でこのような行事では会うことができる。卒業後の近況や様子を知ることも楽しみだ。心理相談や就学前の子どもたちと接する仕事をしてから、教師をしていた頃の色々な場面を思い出す。保護者会のときお母さんたちはきっと他に訴えたかったことがあったんじゃないか…。とか、子どもに対してももっといい接し方があったんじゃないか…。とか。思い返すとはずかしくなるようなこともたくさんある。でも、笑顔で「先生!」と近寄ってきてくれると、すごく嬉しい。男の子もはずかしそうに「よっ」と手を上げてくれる。お母さんたちもすんなり近況を話してくれる。私の場合、中学部でもほとんど3年間持ち上がりで担任させてもらったことがほとんどだったので、やっぱりその年月分思い入れがある。3年一緒にほとんど毎日顔を合わせるということは、そのやり方がうまくなかったとしても、すごい財産だなあと改めて思う。今は、多くて2週間に1回で、そのほとんどの子どもたちは保育所や幼稚園に生活の基盤を持っている。だから、親にも子どもにも教室が嫌いになって「行きたくない」と思わせてしまったら、おしまいである。1回1回が勝負であり、全力で無駄なくぶつかっていかなければならない。教師時代の「今日がダメなら、明日があるさ…」とのんきなことは言えない。おかげで、精神的にも鍛えられたし、即実践に役立つノウハウも習得してきた。でも、やっぱり毎日通ってくる子どもたちと一緒に過ごすのは楽しかったなあ。時々、復帰しようかなあなんて思うけど、常勤というのはやはり過酷である。まして、我が子にいいとは思えないし、やっぱり暗くなってから家に帰るのは心苦しい。それに、地域の療育の現状を見ても、こんな私でも役に立ちそうなことがまだまだありそうである。それに、やっとこの仕事の仕方にも慣れてきた。合併などもあって先の見えない現場だけど、特定の子どもではなく、広くたくさんの子どもたちと接するのも悪くないのかなあ。
2004.11.06
コメント(0)
腰痛だと子ども相手の仕事はなかなかきつい。子どもの目の高さになるのもきついし、ちょっと抱っこすることもできない。小さい子を持つお母さんたちの中には結構腰痛経験者が多いが、みんなどうしているのだろう。これじゃ治るものも治らないよなあ。今日はY町。新しい子が結構来た。健診で声をかける人数も、以前よりぐっと増えている。ことばというのは発達の目安になりやすいので、入り口としては非常に声をかけやすい。でも、自分で気になって教室の扉を開くのと、人に言われて開くのでは、人に言われた方がよっぽど重い。なぜ自分の子どもがことばの教室に通う羽目になるのか、納得いくまでに非常に時間を要することもある。そりゃそうだ。昨日まで普通に何も心配せずに生活していたのに、健診で「気になるから、ことばの教室を紹介します。」なんて言われたら、「なんでよ~」となるだろう。仕事をしている人が仕事を休んでまで、幼稚園や保育園に既に入所している場合は、そこを休んでまで来ない。毎回、4,5人の新しいメンバーが予定されているが、その内約束通り教室を訪れる人は、半分いればいい。今日、はじめてきたK君は、実は1年前に誘った子であった。毎回、面接予定に入っていながら、ずっとほぼドタキャンであった。もう4歳。来年は2年保育で集団保育の場へと考えている。そこで、改めてどうにかしなくてはと思う。1年経っているのに、状況はあまり変わっていない。発語はあるが何を言っているのかわからない。3,4歳はすごく伸びる時期である。でも、親の都合や認識がないため何も手を施さず、就園、就学前に駆け込むケースが後をたたない。君とは1年前に会いたかったよ!でも、就学前なら遅すぎると言うことはない。大抵の親子は重い扉を開けた後、この教室をすごく気に入ってくれる。勿論、必要性を感じないで、親が完結させてしまう場合もある。この教室で3歳から関わっていた、F君はそれまでの保育園から1年保育の幼稚園に変わった途端、ぱたりと来なくなった。そして、就学前、危機感を感じ再び復帰…と思ったら、長続きせず、そのまま小学校へ入学。そして今、小学校で学級崩壊を招く一員として名前が挙げられてしまっている。小さい頃から関わっている私たちは、その原因が分かる。教室を完結させたのは親である。子どもの意思ではない。教室に来たからといって、今の状況から救えたかどうかは分からないが、とりあえずいい方向へと対策を考えることはできた。F君はきっと授業について行けずつらい思いをしているんだろう。親の判断は時として子どもの悲劇を生む。今は小さい問題が、もっと大きくならなければいいけど。大きく社会につながると思うと、今やっている教室の重要性と責任を更に感じる。
2004.11.05
コメント(0)
人を笑わせることについておととい考えていたがタイムリーに昨日の教室におもしろい保健推進委員の方が手伝いに来てくれた。顔が穏やかでとても明るい方。ごねている子どもに対しての切り返し方も上手。気持ちの持って行き方のコツも心得ている。教室終了後、もっと話してみると、すごくプラス思考の方であった。生活や子育ても心から楽しんでいるようである。その話も非常におもしろい。でも内容はちょっと下ネタ系が多いかも。昔、同僚のすごくおもしろい先生が「下ネタは誰も傷つけずに盛り上がれる…」なんて言ってたけど、思い出してしまった。教室終了後はいつもカンファレンスで、参加している子どもたちの様子や今後の関わり方、次回の活動の準備など昼食をはさんで話し合う。でも、地域の人たちが参加してくれる場合、その交流は欠かせない。地域に帰って、保健センターでやっている事業にいい印象をもって帰ってもらうことも大切である。その人の話は確かにおもしろいし、大笑いできる。人生に前向きな彼女はある障害者の成人施設にもボランティアに行って、本当に楽しかった、色々学べたと心から思える人である。でも施設の職員からその明るさや前向きな人生が逆に通所者の家族に重苦しく感じられる場合があるので、前向きにしようと無理に話しかけないようにと言われているそうだ。私には時間の経過とともに何となくその意味が分かるような気がした。彼女の話は湯水のごとく沸いてきて、彼女を中心として笑いが起きる。でも、逆に口を挟む余地がない。時に一方通行のお笑い番組のテレビを見ているような錯覚に捉われる。疲れているときや、他に話題を変えたいとき、逆にストレスがたまるような気がする。私が追求する笑いはこの笑いではない。どちらかというと笑顔である。大笑いではなく、微笑み。フッと笑ってしまうそんな笑いである。聞くのや話すのは上手じゃないけど、参加した人みんなが主役になって、脚光をあびて帰ってもらいたい。だから、努めて遊びの中で子どもの名前を呼んであげるだけでなく、母の名前(まあほとんど苗字だけど)○○さんと呼んでいる。誰々ちゃんのママと言われることはたくさんあると思うけど、お母さんもママというキャラクター以上にひとりの女性であり人間である。ちょっとした特技や自分では気付かないおもしろい部分をいっぱい持っている。そこをできるだけ見付けて、みんなの前で紹介すると自然に笑いが起きる。そういう他愛のないことって、実は他の人にも心当たりがあったりする。「パチパチマン体操」という体操がある。くねくねと体を動かしたり、カクカクと動かしたり。端から見るとかなりこっけいな動きである。母たちは自分の姿をかえりみず、必死に体を動かす。他の人よりちょっと恥を捨ててがんばっているお母さんを取り上げて、大げさにほめるだけで、大笑い。雰囲気はぐっとよくなる。人間とは不思議なもので、子どもも大人も、ちょっと取り上げてほめられると、悪い気がする人はそういない。益々がんばってしまう。私の求めている笑いはそういう笑いである。私はやはり特殊教育では専門家ではある。聞かれれば、それなりのアドバイスはできる。でも、それを前面に押し出していいとは思っていない。いつも、みんなが自分を出せるように、みんなが平等に発言できるように、よい司会者になろうと心がけている。まだまだだけど。誰かが出した話題を楽しく発展させたり、その他の人に置き換えて、発言権を次に移したり、これって結構難しいと思う。しゃべりたい人はいくらでもしゃべれる。でも、しゃべれない人に「今日はしゃべれた。」と思ってもらえることこそ、ここの居場所作りにつながるんじゃないかと思う。無口な人や消極的な人は人前で話すことに自信がない人が多い。その自信のなさは結構子どもにも伝染している。自信がない人は、自分の話した話題にも自信がない。だから勇気が持てず無口になる。そんな人の話題を上手に拾って、みんながおもしろい!と思えるようにちょっと加工して、話題を広げていくのが私の役割だと思っている。最初すごくおどおどしていたり、緊張していたお母さんがすごくリラックスして来れたときって、大抵子どももいい感じになってくるんだ。ホントこの関係がおもしろい。これからも参加した親子をネタにみんなを笑わせて、この関係を楽しんでいきたいな。
2004.11.03
コメント(0)

どうも天気が思わしくない日が続くが、今日こそ秋の遠足決行!!雨上がりで、芝生が濡れているので、おやつのおにぎりだけは保健センターに帰ってきてからと言うことにした。いつも人材も内容も充実していると自負しているだけに、合併後もこの教室は残したい。そのためには人数も実績に入れねければならない。そんな中、久しぶりに新しい親子が来てくれた。1歳半でことばの心配で相談があり、まだ小さいので子どもたちの中で刺激を受けるのが一番と考え、このサークルに誘った。今回は友達親子も誘ってきてくれた。半年振りにT君も参加。最近にはない賑わいとなった。正直この場所は、育児不安のお母さんや、発達に心配のある子どもたちのためにできた、保健センター事業のサークルであるから。友達同士誘い合って…というのは、どうしたらよいか悩んでしまう。今は人数が少なく1組くらいなら全然OKであるが、正直保育所にも行っていなくて、近所に遊び相手がいないとなると、こんな魅力的に楽しいところはない…と思う。だが、そうなって大勢集まって本来の目的が果たせないのはよくない。やはりここでストップをかけなくてはいけない。その切り出し方が難しい。新しい親子も入ったことだし、次回はひよこに入ったきっかけとその後についてでも話してもらおうかなあ…。さて遠足。ここはちょっと歩けば自然の宝庫である。田んぼ道を抜けて、山沿いの細い道をちょっと入れば、きれいな色の木の実やどんぐり、いろいろな色の葉っぱに出会える。ペットボトルで作ったバケツを片手に、どんどん入れていく。きれいな木の実を見つけると、ちょっと高いところでも必死に取ろうとするお母さん。子どもに合わせて、マラソン状態で何度も往復するお母さん。木の枝を「バナナ」みたいなんて指差す子。子どもたちは本当に外が好きだ。年齢が小さい子もいるので、ちょっと入ったら、すぐUターン。保健センターではいつも机を使っておやつ(おにぎり)を食べているが、今日は雰囲気を出すため、シートを敷いてみんなで食べた。その後、色画用紙の上に収穫物を広げ、思い思いにセロテープで貼って、作品にしてしまった。初めてで泣いていたY君。後半はすっかりご機嫌になってくれた。久々に参加したT君は、初めて参加してくれた、保健推進委員の方とすっかり打ち解けていた。T君はことばの教室に来ている。初めは部屋に入るのも大泣きだったが、4回目くらいからパタリと機嫌がよくなってしまった。彼は来年幼稚園希望。軽い自閉症の疑いがある。そうだ!今年幼稚園に入園したKさんとつなげてあげればよかった…。この日記をつけながら、気付いてしまった~(>_
2004.11.02
コメント(0)
さっきSMAP×SMAPで本当にあった笑いの話ってやってたけど、人を笑わせるのって、すっごいエネルギー使うことだなあと思った。と同時に、笑わせられる人って、根っこの部分で笑わせることで、自分が幸せになれる人なんだと思う。なんか、自分に重なる部分あるんだよなあ。わたし、遊び教室でちっとも笑わないお母さんや、最初入ってきて場違いのような暗い雰囲気漂わせている人、そんな人を笑わせたときの、充実感って実はすごいの。絶対笑わせてやるぞって思っちゃうの。どんなに嫌なことや困ったことがあっても、そんなときに素直に笑えることが一つでもあれば、すごくその人は解放されると思うんだ。人が悩みを解決する方法はそれぞれだと思うけど、どんな場合も結局、答えを導き出すのは自分でしょう。そこまで来る過程には、大きく2種類の人が存在すると思う。ひとつは悩みを誰かに打ち明けて、聞いてもらって、一緒に考えてもらって開放される人。もうひとつは、悩みや苦しみを、他の楽しいことに転化して、ストレス発散して、再び困難に立ち向かっていく人。多分私は間違いなく、後者。仕事のことなどで相談しあって、人と話しあうのはむしろ大好きだけど、いざ、プライベートのことになると、どうしても真剣に話すのは苦手。逆に話した後になぜか自己嫌悪に陥る。というか、あんまり悩みと思いたくないたちかも。どちらかというと自分でどうにかしちゃいたいタイプ。でも、それができるのは発散できるものを多く持っているからだと思う。そして、それらが楽しいと思っているからだと思う。遊び教室に来ている人の中でも、きっとそういう人はいるだろう。みんながみんな、自分の悩みを真剣に聞いて欲しいと思っているとは思えない。全部洗いざらいというのは言いにくい。人は何らかの問題は必ず抱えて生きていると思う。しかし、その中で方法や情報を得たい時はいつでも聞けるつながりは持っていたい。わたし相談の仕事には実は向いているとはちっとも思わない。素晴らしく知識があるわけでもないし、聞き上手でもなければ、話し上手でもない。こないだことばの教室であるお母さんから、遊びサークルが私の担当になってからすごく明るくなった。といっていただいた。その前の先生が決して暗かったわけではない。ただ、無理しないで明るくしていられるというのは、私の特技だと思っている。高校時代、大学に入ったら落語研究会に入るんだ…と密かに思っていた。別に落語が好きだったわけじゃない。人を笑わせると言うのが自然におもしろくてしょうがないだけ。気の利いたアドバイスや話ができるわけじゃないけど、私の教室に来たら、何だか笑っちゃって、気持ちが軽くなった!きてよかった!そう思ってもらえるのが一番嬉しい。
2004.11.01
コメント(0)
全16件 (16件中 1-16件目)
1

