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同僚が、亡くなった。10月4日のことだったそうだ。自宅で、自ら命を絶っているところを、帰宅した家族が見つけたんだそうだ。彼は、私と同い年。入社年度は私より早く、入社当時から、唯一の同年齢ということでいろいろと親身になってくれていた。昨日、横浜であるイベントがあり、行く道中で会社の人に彼の訃報を告げられた。「彼のことを聞いたか?」と言われ、てっきり、数か月前から鬱で休んでいたことを言っているのかと思った。彼が鬱で休み始めたばかりのころ、私は同い年のよしみで、一度彼に連絡を取ってみたいと思っていた。会社の誰もが彼に連絡を取ろうとしたものの、誰とも会おうとはしなかったそうだ。私は、私なら、という勝手な、独りよがりな、自信さえ持っていた。彼には、奥さんも子供もいる。あなたが死ぬ必要が、どこにあったの???私は、悔しくてやりきれない。世の中に、大切な人を残して死ななきゃいけないどんな大切なことがあるというの?私は、無力だ。あんなにお世話になっておきながら、彼の力に、何も、なってあげられなかった。鬱だったからきっと、死に対する恐怖も感じなかったのかもしれない。別の人は言っていた。彼が夢枕に現れた、と。なら、私のところにも、あらわれてほしい。あなたと、私の仲じゃない。私は、無力だ。彼が鬱から抜け出し、治った暁には、別の部署で活躍させてほしいと、しかるべき人たちに言うつもりでいた。私は、本当に、無力だ。ただ、悲しくて、やりきれない。人の命は、はかない。
2013.10.06
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ダナホテルの朝の様子。この景色がたまらなく好き・・・朝食会場では、シャンパンが飲み放題。ヨーロピアン達は手慣れた様子で、朝からシャンパンを楽しんでいました。この日のプールサイド・ランチ。この日ははじめて、クアに行くことに。途中、同じくナマコ石鹸で有名な「Pisang」を訪れました。Pisangとは、マレー語でバナナの意味。店内には人気のナマコ石鹸がうず高く積まれていました。でも、ガヤ・ミナミよりちょっと割高かな。場所もちょっとわかりにくいところにあるため、お客さんもまばらでした。最初はJettyポイント(船着き場)に行き、そこからすぐのところにあるイーグル・スクエアへ。ここにはランカウイの象徴である鷲の大きな像を拝むことがことができます。とにかく大きくてびっくり!続いて、彼があらかじめ下調べしておいてくれた屋台街へ。これが予想以上にかなり長い屋台通りで、そのほとんどが食べ物屋さん。さすがマレーシア!(笑) クイチャオRM2(約60円)など、ローカルの人々の台所といったところ。活気があって面白かったですダナホテルの夜の様子。ホテルのすぐ近くにある、ランドリー屋さん。ホテルで出すよりももちろん全然安く、長期滞在にはぴったりです。1キロRM5でお洗濯してくれ、アイロンも1枚RM1.5くらいで綺麗に仕上げてくれます。ダナのお客さんもよく利用しているようで、伝票には部屋番号を書かれます。(笑)ランカウイでの最後の晩餐は、今回の滞在の最初に行ってすっかりお気に入りになってしまった、ホテル近くのレバノン料理屋さんへ。アルコールの取り扱いができないため、ワインを持ち込み、お店の外にテーブルを用意してもらいました。持ち込み料はタダにしてくれるので、お馴染みのコンビニでワインを買い込み、美味しいレバノン料理やインド料理と共に堪能しました。また絶対来るから、その時までちゃんと頑張って経営していてね。後ろ髪を引かれつつ、ランカウイ空港へ。これからKLIAに向かいます。楽しかった6日間の滞在は本当にあっという間でした。またぜひ行きます、大好きな THE DANNA LANGKAWI・・・また会う日を楽しみに
2013.03.30
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Selamat pagi.. THE DANNA, LANGKAWI... 翌朝起きると、気持ちの良い青空が広がっていました。そういえば、今回5泊したランカウイステイのうち、雨が降ったのは唯一、到着した日の夜にシャワーが降ったくらい。日ごろの行いが良いのかな~?(笑)前回訪れた時とは違い、今回は朝食のオーダースタイルがちょっと変わってしまっていました。前回は、メニューの中からローカルフードやウェスタン、卵料理などを、好きなだけチョイスできたのですが、今回はメニューからオーダーできるのは、卵料理だけ。それ以外のローカルフードやウェスタンなどはすべてビュッフェテーブルに揃えられているものを自分で取ってくるスタイル。種類は豊富なので困ることはありませんが、前回は彼の好みを覚えていてくれ、メニューにないクイチャオを作ってきてくれたりもしたので、今回の型通りのサービスはちょっとだけ残念に感じました。まぁそれほどお客さんが多くなってきて、一人ひとりのお客さんに構っている暇がなくなったということなのでしょうから、仕方がないことなのでしょうが。。この日のプールサイドメニュー。彼の大好物、クイチャオを、ウィスキーソーダと共に。現在炭水化物ダイエット中の我々にはビールはご法度なのです。でも気持ちの良い青空の下で食べるとほんとに最高!ホテルの前で、牛さんたちがのんびりと、草を食んでいます。この日は足を延ばして、パンタイテンガーへ。ナマコ石鹸をバティック布で包んで発売したことで知られるガヤ・ミナミで、お土産を買いました。相変わらずの人気っぷりらしく、私たちが行った時には数個だけ残っていたナマコ石鹸が、次のお客さんたちにはもう品切れで断っていました。日本人の奥様が経営されているので、安心していろいろと相談をしたり、お買い物を楽しむことができます。その後、前回行ってこれまたすっかり魅了されてしまった、ライステラスの中にある「ラマン・リア」へ。これまた日本人のご夫妻が経営しておられるお店で、大変手ごろな価格で本格的なチャイニーズを味わうことができます。ちなみに、ランカウイのタクシーはすべて固定料金制なので、安心して利用することができます。ダナのあるパンタイ・コックから、繁華街のパンタイ・テンガーまでは車で約30分弱でRM28(約900円)くらい。メーター制だと、ボラれたりする心配があるので、この固定料金制は旅行者には嬉しいポイントですよね。(ランカウイに行ってきました その3に続く)
2013.03.29
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3月3~11日、またまたランカウイに行ってきました。今回の旅の目的は、9日に41歳のお誕生日を迎えた彼のお祝い、そして、去年の6月に行って以来すっかり虜になってしまった、「The Danna」に“帰る”こと。しかしながらこんなに長い休みを取るのはかなり久しぶりで、帰ってきてから社会復帰できるかどうか、若干心配になったりもして今回はちょっと奮発して、ビジネスクラスで旅行することに。マレーシア航空のビジネスクラスに乗るのは本当に久しぶり・・・楽しみな旅行のはじまりです。マレーシア航空のビジネスクラスではお馴染みの、マレーシアの伝統料理「サテイ」。実はこのマレーシア航空のサテイが、最近ベスト・シグニチャー・ディッシュ賞(空の上で味わう最高の一品)を受賞しました。美味しかった~美味しい機内食の数々。やっぱりビジネスクラスは良いなぁ・・・KLIAに到着すると、そこは2月1日にワンワールドに加盟したマレーシア航空の宣伝一色!無事に加盟できて良かったねランカウイに到着。綺麗な虹が私たちをお出迎えしてくれました。これは幸先が良いなぁ~!ウェルカムドリンク この後ウェルカムマッサージなんてのもしてくれちゃいます。お目当てのホテル、The Dannaは、2011年にできたばかりの、ランカウイとしては初めてのコロニアル調の5つ星ホテルです。昨年訪れて以来、そのホスピタリティ溢れるサービスと高いクオリティにすっかり魅了されてしまった私は、再訪を心待ちにしていました。ダナの良さは何と言っても、その好立地と利便性にあります。他のホテルと違い、目の前にすぐ商店街?やレストラン街があるため、ホテルの中でゆっくりと過ごす傍ら、徒歩圏内で簡単にいろんなものを調達したり、お金を替えたり、はたまた汚れた衣類をお洗濯やアイロンに出したり、なんてこともできちゃうのです。写真にあるのは、私たちが毎日のように通って飲み物(主にアルコール(笑))を調達していた、コンビニエンスストア。今回はダナに5泊しましたが、最後にはすっかり顔を覚えられてしまっていました。ランカウイは言わずと知れた免税島。そのためアルコール類が破格のお値段で手に入ります。マレーシアは国教がイスラムであるため、その平均的な物価に似合わず比較的アルコール類が高いことで知られていますが、ランカウイは酒税もタダのため、信じられないくらいの安い値段で入手できるのです。これも酒飲みの私たちには嬉しいポイント。(笑)ホテルの前のハーバー沿いには、このようにレストランが立ち並んでおり、ホテルほど高くない手ごろなお値段でタパスやイタリアンなどを楽しむことができます。到着した夜は、イタリアンで乾杯。これがなかなかどうして本格的なお味で、ワインもボトルでRM70(約2000円)ほど。2人でお腹いっぱい飲んで食べて、RM200(約6000円)くらいなので、安心してお酒やお料理を楽しむことができます。(ランカウイに行ってきました その2に続く)
2013.03.28
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この日のランチは、現在ペナンでチェーン展開してるとみられるカフェでローカルフード。暑い気候の中動き回った我々は、迷わずビールを注文しようとしましたが、このお店には残念ながらビールが置かれておらず、泣く泣く水で我慢しました。次に訪れたのは、極楽寺。ここはペナン・ヒルの麓にあるマレーシア最大の仏教寺院です。1890年に建設が始まり、1930年に完成したそう。広大な敷地内にはいくつかの寺院、庭、彫刻などがあります。極楽寺を訪れた後は、タクシーの運ちゃんが連れて行ってくれた屋台のドリアンで舌鼓。実にしばらくぶりのドリアンで、家族3人でむさぼるように食べました。(笑)夜は、前から行ってみたかったガーニードライブの屋台街へ。屋台街といえどサテ(マレー風焼き鳥)などびっくりするほど高くて、なんだかあまりお得感はありませんでした。後で聞いたら、今はほとんどが観光客で、地元民はあまり行かないんだそう。たしかに数キロにわたって軒を連ねる屋台街は圧巻ですが、お得感を追及するゆーぽっぽは、たぶん2度とは行かないかも。あ、でもワンタンミーRM5(約120円)等、お得なものもありますが。。ライトアップされたE&O・・・ やっぱり素敵です。翌日も引き続き、街を散策。これは、トライショー。ホテルから歩いて、バターワースの反対岸まで行ってみました。ペナンブリッジが遠くに見え、あぁ数日前に友人がこのブリッジをペナンマラソンで走ったのかと思いを馳せました。ランチは、バスで1時間ほど行ったところにある、知る人ぞ知る通称「エビカニ屋」で、その名の通り海老と蟹をふんだんに頂きました。海老と蟹それぞれ1キロずつ、それにビール大瓶3本でお会計がRM125(約3300円)とは・・・ 御見それしました!新しい名所、スパイスガーデンで、カレー粉やスパイスを買い込み、帰途に就きました。昼間のE&O。白亜の建物が青空に映え、とっても素敵です。ペナン最後の晩餐は、ホテルからほど近い「Mama's」にて。ここは現地の方たちも集う、ニョニャ料理のお店です。少々お値段は張りますが、雰囲気もお味も大変良く、満足できました。ペナン国際空港。現在改装中ですが、喫煙室も完備しており、とても開放的で快適な空港でした。お土産に買ったパレオ。空港価格でRM50くらい。喜んでもらえるといいな!
2013.01.05
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書き始めると止まらない・・・ 次は、2012年11月に行ったペナン旅行をアップします。2012年11月25~30日、マレーシアはペナン島に行ってきました。ペナンに行くのは実に20年ぶり!KLで過ごした高校時代、コーラスの合宿で訪れて以来です。今回は両親を連れ、4人で行ってきました。まずは恒例の、機内食から。今回は、本当はこの日に就航するはずだったマレーシア航空のA380型機の初便に搭乗するために企画した旅行だったのです。マレーシア航空の機材計画変更に伴い、残念ながらA380への搭乗は叶いませんでしたが、気を取り直して、いつもどおりA772での旅行スタートです。相変わらず、エコノミーにも全席にモニターがついており、機内は快適な空間でした。クアラルンプール国際空港(KLIA)到着前、こんなきれいな(というか、危険な?)雲が見えました。KLIAに到着すると、我々が搭乗するはずだった、A380型機が・・・!乗りたかったなぁ。KLIAで乗り換え、ペナンに到着したのはすでに20時。ホテルに到着すると、こんな素敵なウェルカムドリンクでお出迎え。ん~、美味☆今回お世話になったのは、前から一度泊まってみたかった、E&O(Eastern & Oriental Hotel)。ここは、ジョージタウンの北海岸に位置する、1885年創業の老舗ホテル。客室は全室スイートで、リビング、寝室、バスルームの3部屋に分かれ、随所にコロニアル時代の面影を感じさせます。かつてはヘルマンヘッセ等も泊まったとして名を馳せる、ペナンで最も老舗と言われるホテルの1つです。その名に決して恥じぬサービスと設備に、着いたその日からすっかり虜になってしまった私たちでありました。両親は疲れて寝てしまったので、我々はホテル近くのRed Garden(屋台街)で、遅めのディナーを楽しみました。簡易椅子&テーブルをぐるりと取り囲むようにしていろいろな屋台があり、すべて後払い制なので安心して頼むことができます。それほど規模が大きくないのも魅力。でもいろんな種類の屋台があり、ヨンドーフ、インド料理、クレイポットチキンライスなど、安価に楽しむことができます。お待ちかねの朝食。すべてビュッフェスタイルになっており、ローカル食から洋食、フルーツ、卵料理やローカルフードのオーダーメードカウンターまで、さまざまなお料理が所狭しと並んでいます。これをテラスでほおばると、もう最高!普段から朝食をもりもり食べる両親は、とても喜んでいました。お天気も良く、本当はホテルステイを存分に楽しみたいところでしたが、この日は両親のたっての希望もあり、市内観光に出かけることに。E&Oホテルがあるジョージタウンは、東アジア、東南アジアにおいて類を見ないユニークな建築様式と、文化的な街並みを構成していることが高く評価され、マレーシアで初の文化遺産として2008年に世界遺産に登録されました。西洋の影響が色濃く残るコロニアル建築やショップハウス群などが点在し、見どころ満載の街です。ペナン・プラナカン・マンションにて。
2013.01.05
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翌日もきれいな青空が広がっていました。気持ちよく朝食を頂きます。下はだんなサンが選択した、ナシレマ。ホテル前の商店街の中にある、ランドリー。ここでは1キロRM5(約120円)で、汚れた衣服をきれいにお洗濯してくれます。別途お金を払えば、アイロンもしてくれますよ!お洗濯は、かな~り癖のある洗剤のにおいがするものの、清潔で丁寧で、満足できる内容でした。広々とした、清潔感のあるプールサイド。木陰のチェアは、まさにお昼寝にうってつけです。この日は街に出て、散策を楽しみました。まずはパンタイ・テンガーにある、ガヤ・ミナミへ。ここではマレーシアの工芸品や、ランカウイ特産のナマコ石鹸などが入手できます。中でもナマコ石鹸は一番人気。ナマコには抜群の蘇生能力があり、クリームをお肌に塗るとつるっつるになります。ニキビやちょっとした傷などにも覿面に効くそう。早速お土産に10個ほど買い込みました。といっても1個RM5(120円くらい)と、かなりリーズナブルなので、安心して大量購入できます。ちなみにショップのオーナーは日本人女性。現地人のだんな様とお二人でお店を切り盛りしておられます。ランカウイ特産のナマコ石鹸を、バティック生地で包んで売り出すというのも、奥様のアイディアだったんだそうです。一通り散策を楽しんだ後は、ラマン・パディ(お米博物館)の緑豊かな敷地内にある、ラマン・リアへ。メニューはシーフードから中華まで豊富にあり、ここもなんと山口県出身の日本人ご夫婦が経営されています。お料理はどれも本格的でとにかく安くて美味しい!私たちが行った時はほかにお客さんがほとんどおらず、心配になるくらいでしたが、あんなに安くて美味しいのにと不思議に感じました。また必ず伺います!そうそう、ランカウイではタクシーはメーター制ではなく、すべてこのように固定額となっているので、初めての方でもとっても安心です。タクシースタンドで、どこどこに行きたい(ホテル名など)を告げると、すぐに幾らと言ってくれ、ボラれることはありません。翌日も良いお天気。ランカウイでは結局、ほとんど雨に降られることはありませんでした。この日は2人でスパを満喫。1時間だけでしたが、すっかりリフレッシュできました。再び、プールサイドでの~んびり。ランカウイに日が暮れます。この日は、最初の晩に行ったレストランで最後の晩餐。タパスをあれこれつまみ、ビールやワインのボトルを空けて5000円くらい。安い!最後の朝食。前日の朝食の際、メニューにないクイチャオを頼んだのをメイン・シェフが覚えていてくれ、「今日もクイチャオを作ろうか?」と聞いてきてくれました。クイチャオ好きのだんなサンは大喜び。この時になるとすでにホテルのスタッフたちは、私たちを名前で呼んでくれるようになっていました。こういうホスピタリティがとてもうれしかったです。この日の朝だけ、シャワーのようなスコールがさっと降り、涼しさをもたらしてくれました。後ろ髪を引かれる思いで、ホテルを後にします。The Danna、久々のランカウイを思う存分満喫させてくれた、とても素晴らしいホテルでした。何が素晴らしかったって、とにかくスタッフのホスピタリティと行き届いた接客が秀逸。先ほども触れましたが、数日間の滞在で最後の方は皆が私たちを名前で呼んでくれ、アットホームながらも、つかず離れずの距離感で、とても心地よい空間を提供してくれました。同じサービス業に従事する身としては、頭が下がる思いでした。また絶対行きたいです。ランカウイに行かれる際には「THE DANNA」、ぜひ一度訪れてみてください。自信を持ってお勧めします。
2013.01.04
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新年、明けましておめでとうございます。新年早々ではありますが、昨年の6月に行ったランカウイ旅行の旅行記をアップします。2012年6月18~24日、5年ぶりとなるランカウイ旅行に行ってきました。今回宿泊地に選んだのは、まだできて1年にも満たない「The Danna」。コロニアル調の白亜の建物が美しい、これまでランカウイでは泊まったことのなかった、シティリゾート型のホテルです。部屋数は全部で125しかなく、比較的小ぢんまりしているのがこのリゾートの特徴でもあります。今回は、マレーシア航空が現在成田から週4便で運航している夜行便を利用し、クアラルンプール経由で向かいました。クアラルンプール国際空港(KLIA)には明け方5時ごろに到着、そこで国内線に乗り換えます。深夜便ではあるものの、機内食は離陸後巡航状態になるとまず1回、そしてKLIA到着2時間ほど前に軽食が1回出ます。夜明けのKLIA。人の行き来もまばらで、ちょっとさみしい雰囲気です。深夜便で行かれる方、空港内はものすごーく冷房が効いてますので、上着をお忘れなく!KLIA内にはこのようなジャングルウォークというのがあります。人工の滝、そして自然の植物が植えられており、ちょっとした熱帯雨林体験ができます。The Dannaに到着すると、早速冷たいおしぼりとウェルカムドリンクでお出迎え。これに、数分間のマッサージがつき、これだけですでに極楽・・・このホテルの大きな特徴は、街中にあり、すぐ目の前に商店街が広がっているということ。完全なローカルというわけではありませんが、ランドリーからコンビニ、ちょっとしたレストラン等が軒を連ねており、ホテルの食事に飽きたり、安く済ませたいという方には絶対にオススメ!私たちが行った時はちょうど、プールサイドのドリンクが11~19時まですべて半額!という途方もないキャンペーンをやっており、昼間はプールサイドでただただ何もせず、飲み、食べ、昼寝、読書を存分に満喫しました。夜になると、こんな風にきれいにライトアップされ、また違った景色が楽しめます。ホテルの前に軒を連ねるレストラン街。どのレストランもこんな風に、Free WiFiが楽しめます。店員さんに聞くとすぐにパスワードを教えてくれますよ!最初の晩は、イタリアンを小皿で気軽に出してくれるお店を選択。ワインで乾杯です。ワインのボトルも大体、1本RM70くらい。2000円くらいかな?ビール、ワイン、そしてタパスをいろいろつまんで、2人で5000円くらい。ローカルのお店ではないので、ちょっと高めですが、ホテルで飲むよりはずいぶん安上がりです。お楽しみの朝食。前菜はビュッフェから、メインは一人何皿でも、メニューから選ぶことができます。メニューにないものでも、リクエストとあらば作って持ってきてくれます。そのホスピタリティがうれしい!この日はお天気も良く、ホテルから車で25分ほど行ったところにある、ケーブルカーヘ。ランカウイ出身のマハティール元首相の提案で作られた、オリエンタル・ビレッジ内にあります。現地の方や観光客などがたくさん訪れていました。ホテルに戻ってきて、再びプールサイドでのんびり。1日に数回、こんなちょっとしたお口直しを持ってきてくれます。この日のランチはプールサイドでタンドリーチキンを満喫。少々高いですが、美味しかったです。この日のディナーもやはり、ホテルの前のレストランを選びました。本格的なお料理ながらも、お値段はリーズナブルで、大満足でした。
2013.01.03
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先週の木曜、26日は亡くなった斎藤さんの告別式だった。10時からの式のため9時過ぎに会社を出、何人かのスタッフと青山の葬儀場に駆け付けた。暑い暑い、夏を感じさせる日。喪服を身にまとった我々一団は、到着時にはすでに汗だくになっていた。忘れもしない、ここは数年前に斎藤さんの故・お母様の葬儀が行われた場所でもある。青山の一軒家に住んでいた斎藤さん一家としては、近所にあるここでの葬儀はごく自然のことなのだろうが、わずか数年のうちに、母、そして息子の葬儀を執り行うことになるとは。それほど大きくない会場に入ると、そこには会社のIDから採ったという、斎藤さんの遺影が。大柄ではなかった斎藤さんはいつも小ぎれいな身なりをしていて、青のシャツに赤のネクタイなどといった、やや奇抜ともとれるファッションも常だった。冬になると家で着る毛糸のカーディガンのようなものを着てはカウンターにちょこんと座っていて、「おじじ、おじじ」などと言ってからかったものだった。お焼香時、そして参列者のお焼香が終わるのを待つ間、ただただ涙が溢れて止まらなかった。なぜ、こんなに早く亡くなってしまったの。なぜ、言ってくれなかったの。斎藤さんと最後に会話したのはいつだったろうか、もっと声をかけておけばよかった。昨年12月に、我々営業部が5階に引っ越してからというもの、2階のカウンターを訪れる機会はぐっと減り、斎藤さんとも言葉を交わすことがなくなってしまっていた。彼との思い出が走馬灯のように頭を駆け抜け、気づくと出棺の時となっていた。例に倣い、皆で祭壇に飾られていた花をお棺の中に入れる。斎藤さんは眠っているような顔をして、横たわっていた。頬をそっと触ると、つるんとして、冷たかった。本当に、ただ眠っているだけのような、生前の斎藤さんとまったく変わらない、とてもきれいな顔だった。他のスタッフがお花を入れている時、近くにいた斎藤さんのお父様が、ぼそっとつぶやいていたそうだ。「なんで、置いてっちゃうんだよ・・・」お父様は先日85歳のお誕生日を迎えられたばかり。すでに父一人、子一人になっていた斎藤さんは、いつもお父様を守っていくことで精一杯だったそうだ。お父様はすでに、杖をついて歩くのが精いっぱい。喪主として毅然と立ち上がったものの、挨拶では近くに付き添った親戚に代弁してもらうのが精いっぱいのようだった。それでも涙も流さず、一言一言、かみしめるように参列者への礼を言って述べた。その毅然とした態度が余計に、彼の悲しみと喪失感を強く滲ませていた。でもそんなお父様を一人置いて、斎藤さんは先に逝ってしまった。私はかつてよく、自分の両親が亡くなるのは見たくないから、両親より先に死ぬんだ、などと言っていた。でも今となってはよくわかる、それほど親不孝なことはこの世にない。そんなこと、わかっていたつもりだったけれど、今回の斎藤さんのお父様の一言が胸に鋭く突き刺さり、いたたまれない気持ちでいっぱいだった。「なんでそんな親不孝なことするんだよ、斎藤さん。」きっとそんなこと、わかってたんだろうね、でもそれでも、彼は先に逝かなければならない、理由があったんだろうね。辛かったね、孤独だったよね、よく頑張ったね。脱衣所で一人倒れていたという彼は、死後7時間後に、お父様によって発見されたという。もっと早く発見されていたら、彼は助かったんだろうか。真相はわからない。今でも、カウンターに行くと彼が左端にひょっこり座っているような気がしてならない。今は耐えがたき現実であっても、彼がいなくなったことは、そのうち生活の一部となり、そして徐々に忘れられて行くのだろう。人の命は、人生は、はかない。そういえば彼、こんなこと言ってたな。朝の占いで、自分の持ってない色がラッキーカラーだった日は決まって、いろんな色が入り混じったギンガムチェックのハンカチを得意気に見せ、「今日はこれ、オールマイティ!」と言い、いたずらっぽく笑っていた。私が知る限りで、一番の親不孝者。でも、たくさんの人に愛された斎藤さんは、今はもういない。葬儀には、はるかマレーシアからも、友人が駆け付けてくれていた。今ごろ天国で、お母様、お兄様たちと一緒に仲良く食卓でも囲んでいるんだろうか。もうさ、責めないからさ、お父様のことだけ、よろしく頼んだよ、斎藤さん。くれぐれも、よろしくね。
2012.07.29
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彼とは、誕生日がわずか2日違いだった。私がまだ今の会社に入って間もない頃、当時は毎朝観ていた「ズームイン朝!」の占いの「ラッキーカラー」を少なからずと、日々のファッションの参考にしていた。ある朝たまたま黒に身を固めて出社した私がロッカーのところにいたのを見つけ、彼は言った。「お前、もしかしてしし座?」それが彼との最初の思い出だった。彼は優しくて、声がはっきりしていて、時にうるさくて(良い意味で)、ある意味おねぇみたいなキャラだった。私とは誕生日が2日違いだったため、一緒に誕生祝いをしたこともあった。そんな彼のお母様がある日、亡くなった。その数年後、彼のお兄様がある日突然、亡くなった。そして彼は、病気になった。彼のお母様が亡くなられた後、誕生日を一緒に祝うこともしなくなり、誕生日祝いのメールもいつしか交換しなくなっていた。いや、できなくなっていた。彼は喪に服していただろうし、私としても、そんな軽々しい気持ちでメールなどできない、と思ってしまっていた。彼はそれでも、強かった。少しの間の病欠の後、立派に復帰した。が、それまで歳より10以上は若く見えた彼は、それを機にすっかり老け込み、元気がなくなり、顔色は真っ白になっていった。それでも彼は少しずつ元気を取り戻し、以前の「小うるさい」彼に戻りつつあった。私たちはよく顔を見合わせては「おっっ!」とか、「るぇっ!(おつかれっ!の略)」と言い合っては、「なんだよ、それ~??」と笑いあっていた。その彼は、もういない。昨日、彼の突然の訃報が届いた。「斎藤さんが亡くなったんだよ。」と聞き、「へ?どこの斎藤さん?」と、何度聞いてもわからなかった。元気がなかったとはいえ、彼は必死に生きていた。あんな体験があったら、私はいったいどんなになってしまうのだろう?と思うくらい、凄惨な体験をしたにも関わらず、彼は強靭に、自身を確立していた。その彼が。なんで。なんで?まだ51歳。今度の8月5日で52歳を迎えるはずだった彼。今はただ悲しく、彼との思い出を思い返すことの他に、供養の方法が思い浮かばない。
2012.07.24
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前回日記をアップしてから、もうずいぶんと時が経ってしまった。その間実は、人生で最大といっても良いほどの危機があった。彼が病気で死にかけたのだ。これについてはまたいつか、心の整理がついたら詳しく書きたいと思う。今はすっかり治ってピンピンしているので、やれやれといったところ。でも、お互い厄の降りかかる歳になってきたのだなぁと感じさせられる今日この頃。日々を大切に、そして何か体に変調を感じたらすぐに、病院に行かなくては。それも信頼のおける病院に。今回の教訓。セカンドオピニオンを大切に。本当に、これに尽きる。普段から通院している病院、それがたとえ多少大きな総合病院であっても、過信してはならぬ。医者とて万能ではない。過失もある。医者の言うことよりも、体の声に耳を傾けてあげること。医者がこういったんだから大丈夫、ではなく、え?どうしたの?まだ痛いの?それじゃぁだめだね、ほかの人の意見も聞かないと。日本人はとかく人を信じやすく、人を裏切りにくい。だから、セカンドオピニオンを聞きに行くことに、罪悪感を覚えてしまうのかもしれない。もちろん過信もある。ただそれが命取りにならないうちに。最後の最後は、助けてくれるのは自分か身内だけ。そして4月18日。私は大切な人を失った。といっても、私が彼女を想うほど、彼女が自分を想ってくれていたかはわからない。その人は私よりだいぶ年上の、取引先の人だった。かれこれもう8年ほどもその代理店を担当している私は、最初は彼女のことをとっつきにくいと思っていた。怖がってさえもいた。それほど見た目はお世辞にも優しそうとは言えず、彼女の職場の一部の人たちも、彼女をやや恐れているように見えた。彼女と仲良くなったのはいったい何がきっかけだったのだろう。恐る恐る話しかけてみると、実は非常に人間的で情に厚く、優しい人なのだということがわかってきた。周りの人の噂から、その頃彼女は体のどこかを患い、1年間ほど休職していたとも聞いた。あぁだから、今まで会わなかったのか。そういう理由があったんだ。1年も休職だなんて、もう大丈夫なんだろうか。以来私は1、2ヶ月に一度ほど彼女をランチに誘い、外苑前の周富徳のお店などにはよく行った。なんだっけ、SELANの近くのカフェ、あそこも2度ほど行った。和食やカレー屋さん、パスタ屋さんにもよく行ったなぁ。そうそう、ディナーにも、一度だけ行った。なぜ一度か。彼女は多くは語らなかったが、体を壊したことで、お酒を控え、極力健康には気を遣っているようだったから。あとで彼女から聞いたことだが、それは乳がんだったそうだ。彼女はハワイが大好きで、ショッピングで貯めたマイレージで1年に1、2度ほど、ハワイに行っていた。それも、オアフ島だけでなく、ハワイ島やJALが飛んでいた時はコナにも行ったのだそうだ。やや長期で行くため、必ず途中で島を替える。そしてその際の移動手段には、現地のハワイアン航空だかの切符を、ネットであらかじめ安く仕入れて行くんだそうだ。現地に行くと、だんなと一緒に車を借り、コンドミニアムに滞在して、毎日だんなが疲労困憊するまで買い物に行くんだ。それもブランド物なんかじゃない、現地でしか買えないなんとかといった、シリアル?食べ物なんかを、スーパーで大量に買うんだ、と。そう生き生きと話す彼女に、自分がハワイに初めて行くと決めた一昨年には、真っ先に報告した。えー、ハワイ初めてなのー?この業界にいて?信じらんな-い!彼女は心底、驚いていた。驚きつつも、楽しそうに、ハワイのおすすめポイントや楽しみ方を一生懸命伝授してくれた。義父が家に来ることになった時も、私は彼女に打ち明けた。自分は本当は、いやでしょうがない、でも彼がどうしてもというから、受け入れるしかない、だから毎日家に帰りたくなくて、飲み歩いてばかりいるんだ。そう話すと、えー、えらいねー、私だったら耐えられなーい。信じらんなーい、すごいねぇ、かわいそう。がんばってね。彼女はありったけの正直な想いを私にぶつけ、私はその忌憚のない意見に苦笑したものだ。それくらい、遠慮なくいろんな意見を言ってくれるのが、うれしかった。彼女の良いところは、その場だけの世間話にとどまらず、それをずっと気にかけてくれるところだ。その後、お義父さんどう?うまくやってる?電話で仕事の話をするたびに、心配してくれていた。義父が亡くなったと言った際も、よく頑張った、悔いはないだろうと、励ましてくれた。長い付き合いだったので、いつどのタイミングで彼女と、どんな話をしたかはもうよく覚えていない。ただ、彼女は仕事に関してはとてもプロフェッショナルで(お局様で)時折怖がられてもいて、体が弱くて、しょっちゅうどこかを手術していて、とても痛がりで、麻酔が効きづらくて、ころころ良く笑って、そして人間味のある人だった。私の性格をよく理解してくれ、仕事のことで自分の部下がうちの会社のことでわからないことがあると電話をくれ、「ねー、こんなことで悩んでるけど、これで大丈夫なんでしょ、どうせ?」と聞いてきた。根は誰よりもまじめで几帳面だった彼女は、大丈夫とわかっていながらもきちんと確認する癖を、部下にはつけさせていた。私が大丈夫、と答えると、ね、やっぱりー!絶対大丈夫だと思ったー。でも信じらんなーい。こんなことできる会社って小林さんとこだけだよー」なんて、よく電話口で笑い飛ばされた。2月の末頃、契約更新を理由に彼女を久しぶりにランチに誘おうと連絡すると、体を壊して会社を休んでいる、と聞かされた。その前に会った時に、お腹の周りに水が溜まってそれを抜く手術をした、それをやったらすっごく楽になって、食欲も出るようになって、お腹周りもすっきりした。でも麻酔が途中で切れては足してもらい、困ったと話していた。その件だろうか。心配だったが、それならととりあえず契約の件をほかの人に話しに、彼女の会社を訪問した。「彼女はどこかお悪いんですか?」と聞くと、自分たちも聞かされていないのでわからない、とのことだった。その反応には覚えがあった。もしかして、鬱になってしまったのだろうか。この業界にはたまにいるのだ。しばらく見かけなくなり、病欠しはじめ、誰もその病状を教えてくれない。復帰の時期も教えてくれない。そうするとしばらくして、彼は鬱で休職中なのだと聞かされる。彼女の復帰の時期についても、わからない、との返事。私は心配になり、悪いと思いつつも彼女の携帯にメールしてしまった。「お休み中すみません。しばらくお休みされていると聞き、心配になってメールしてしまいました。はやく回復され、また一緒にランチできるのをたのしみにしています。」このメッセージは一体、彼女に届いたのだろうか。彼女は10年前に患った乳がんが再発し、もう手遅れの状態になってしまったのだそうだ。聞けば1月にお腹に溜まった水を取る手術をしたというのも、その治療の1つであったという。ということは彼女は、その頃から自分の乳がんの再発を自覚していたのだろうか。それならなぜ、言ってくれなかったの。私は今まで散々、自分の相談をたくさん、彼女にしていたのに。お腹の水を取って、それに良性のものを混ぜ、またお腹に戻す、といったような施術を試みたそうだが、それが失敗したのだと、彼女の会社の人は言っていた。自分の死期を悟り、彼女は会社の仲の良かった人たち数人にはメールを送ったそうだ。もう戻れないだろう、と。かわいそうに。痛みに弱かった彼女。相当つらかったんだろうね。苦しかったんだろうね。私はいっぱい話を聞いてもらったのに、何もしてあげることができなかった。私にはメールの返信がなかったことが悲しかったが、私だったらできただろうか。わからない。一報を受けた日は、信じられなくて悲しくて、涙が止まらなかった。つらかっただろう、痛かっただろう、よく頑張りましたね、その想いだけだった。最後に一目でもお会いしたかった。会ってお礼を言いたかった。さようならを言いたかった。でも彼女は私には何も告げず、風のように逝ってしまった。実は彼女が亡くなった日、私は数日前から右乳房に痛みを感じ、近所の総合病院に乳がん検診に行っていた。これまで生理前などに胸が張ったり痛くなったりすることはあったものの、その時感じたような強い、刺し込むような痛みは初めてだったので、心配になり、初めてきちんと乳腺外科を受診しようと、意を決して病院に行った、その日だった。結果的に乳腺症と診断され、何事もなかったのだが、今考えてみれば彼女が、あなたも怖がってばかりじゃだめよ、私のようにならないように、ちゃんと普段から受診しておかなくちゃだめよ。と教えてくれたのかもしれない。手帳を繰ると、彼女に最後に会ってランチをしたのは、1月20日のことだった。彼女はすでに1月末から会社を休んでいたというから、そのタイミングで会えたのは奇跡だったのかもしれない。神様が、虫の知らせで私に、今会っときなさい、手遅れになる前に。と連絡させたのかもしれない。彼女のお葬式に行きたかったが、ご遺族が頑なに家族葬にこだわられたため、弔電のみ、送らせて頂いた。一緒に、焼いてくれただろうか。彼女に届いただろうか。彼女は、私のことなんか、覚えてくれているのだろうか。それでもどうしてもお線香だけでもあげたい、としつこくお願いしていた私に、彼女の同僚が彼女の斎場を連絡してくれた。それに対し、弔電のみで失礼させていただく旨、そして彼女が亡くなったことはまだ受け入れられずとても悲しいと返すと、「私にとっても、厳しくも優しい姉のような人でした。」との返信をいただいた。あぁ、やっぱりわかる人にはちゃんと伝わっていたのだと。彼女の良さが。胸が熱くなった。どうか、安らかに眠ってください。また天国で一緒に、おいしいランチを食べましょう。
2012.05.04
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新年、明けましておめでとうございます。・・・といいつつ、もう1月も4日目となってしまいましたが。昨年は個人的にいろいろなことがあり、なんだか災いにつつまれたような一年でした。今年は少しでも良い年になればと願いつつ、日々精進していきたいと思っています。2011年という年を一字で表すとしたら・・・?そう、毎年年末に京都は清水寺で揮毫される、その年を表す漢字1字。私は発表される前から、「災」、さもなければ「絆」だと思っていました。結果は「絆」。日本人が一年の締めくくりとして選びそうな漢字です。ただ、あらためてランキングを見てみると、一位は「絆」、二位は「災」、三位は「震」、との結果だったようです。みな感ずるところは同じだったのですね。でも、「災」なくして「絆」は生まれなかったんじゃないか、とも思っています。これは東日本大震災の経験からというだけでなく、我が家にも言えることとして。我が家は、個別には絆が堅かったものの、義父と義母が数年前から仲違いをしており、家族全員で集まったのはもう5年以上も前のこと。以来義父は大磯の家を離れ、一人で生家のある岡山で暮らしていました。両親を心から大切に想う夫は大層心を痛め、二人の関係の修復に日々煩悶していました。楽天家の義父と気の強い義母。何とかなるさという気持ちの義父に対し、何とかするとは決して思っていなかった義母。そんな二人に辟易するでもなく、それぞれのことを慮り、仕事で岡山に行った際には近くの温泉に連れて行ってあげたり、一緒にお寿司を食べたりしてわずかな父子団欒の時を楽しんでいたようです。そんな中判明した義父の癌。見つかった時にはすでに手遅れとなっており、手の施しようがない状態でした。それでも義父を見舞おうとはしなかった義母を、3人の子供たちは叱るでも見放すでもなく、切々と諭し、辛抱強く見守りました。義父は兎小屋のような我が家に引き取り、義妹は身を挺して献身的な介護をし続けました。あれ以上の献身はなかったと断言できるくらい、それは本当に我慢強く、情愛にあふれたものでした。8月7日、私の誕生日の日、義母がおずおずと遠慮がちに、お祝いのメールを送ってくれました。義母に対する怒りに溢れていた私は、それでも心を静め、義母にお願いしました。「お祝いついでに、私の願いを聞いてください。一度で良いのでお義父さんを見舞ってあげてください」と。その時すでに有明の癌研に入院してほとんど意識のなかった義父のもとに、とうとう義母はお見舞いに来てくれました。そしてぜえぜえと苦しそうに息をする義父を見たとたん、義母は思ったそうです。「あぁもうこれで、一切を水に流そう。」それから義母は、義父が亡くなるまで毎日のようにお見舞いに来てくれました。義父の危篤の知らせを聞き、泊まりがけで看病をしていた夫をはじめ、家族みんなが義父のもとに集まりました。全員で義父を送ってあげることができたのです。義父の最後の願いがかなったのだと思いました。義父が全身全霊で、みんなを結び付けてくれたのだと。年が明けて2012年の元旦。義父は残念ながら亡くなりましたが、本当に久しぶりに大磯の家で、家族みんなでお正月のお祝いをしました。その際義母とも話しましたが、本当に大磯で過ごすお正月なんて、何年振りでしょうか。久方ぶりに訪れた一家の平静に、なんだかとても満ち足りた気持ちを感じた元旦でした。我が家の話はここまでですが、東日本大震災の時もそうです、悲しいかな、「災」あってこそ「絆」が再認識されるのではないかと思いました。絆は本来、いつもそこにあり、感じていてもおかしくないことなのですが、平和ボケした私たちはそんな幸せに浸かり、それを実感したり感謝したりすることを忘れてしまっているような気がします。だからといって「災」に見舞われるくらいなら「絆」なんて感じなくていい、という気もしますが、これはきっと神様が、「災」なくとも「絆」を大切にし、日々感謝しなさい、これを教訓にしなさいと教えてくれたのだという気がしています。日々、今日が最後の日だと思って生きなさい。誰の言葉だか忘れましたし、そんなことは到底無理かもしれません。ただ、大切なものを大切にする心を忘れず、2012年を過ごして行きたいと思います。
2012.01.04
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9月19日、本日、無事納骨が終わった。これで本当に、さようなら。故郷の岐阜の浄土真宗派と違い、日蓮宗は、というか、たまたまそのお寺がだったのか、とても心のこもった温かい儀式だった。読経の合間に、義父の生い立ち、結婚し子供ができ、定年後の趣味等にまで触れてくれたのは、本当に涙が出た。義父が大切にしていた、同級生も4人も来てくれた。きっと、喜んでいたことだろう。5月、黄疸の症状が出ながらも、故郷岡山での同窓会に出席し、皆その症状を認めていたのだという。一番元気そうだった義父が中でも最初に逝ったのが、ショックであったと皆口々に言っていた。ただただ、今日という日に来てくれたその気持ちがうれしく、私は長男の嫁として、とまどいながらも一生懸命応対した。由布子さんは外資系の航空会社に勤めているんですよね?その中の一人が私を見るなり言っていた。なぜ知ってるの?と目で問いかける私に対し、その方は、義父が自慢そうに話してくれていた、と。今日の岡山は、雨の予報だったにもかかわらず、義父の意地か、納骨を終えるまで天気がもってくれた。まるで、義父が雨を待たせていたかのように。最期に皆で墓前で合掌し、彼が長男として、お骨を納めた。川のせせらぎが耳に心地よい墓地で、義父は安心し、安らかに眠ってくれることだろう。先に眠っている4つの骨壺が、なんとも我が家の歴史を感じさせてくれた。義父の魂が、安らかに眠ってくれることを、ただただ願う。なんて言えるのはきれいごと。私はまだまだ、この喪失感と戦わなくてはならない。
2011.09.19
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義父の葬儀が、終わった。長いようで、短い一日だった。今朝(といっても、もう日付は変わっているけれど)は8時過ぎに起床し、祭儀場が準備してくれた宿泊者用の朝ごはんを食べた。そう、昨日通夜を済ませ、そのまま祭儀場に宿泊したのだ。おじいちゃん、おばあちゃんと、葬儀は決して初めてではないものの、このように祭儀場に宿泊施設が準備されているところは初めてだったように思う。しかもその内容たるや、そんじょそこらの旅館も顔負けするほどの、くつろげる、満ち足りたものだった。義弟は会社からの供花を受け取り、弔電をいくつも受け取っていた。そこらへんが、兄弟の仕事の差と、性格の差を表していた。夫は会社からの申し出を一切断り、家族葬にこだわった。結局通夜には、義弟の会社の方々が何人も駆け付け、結果的に兄弟の仕事を誇りに思っていた義父にとっては、どちらが良かったのかはわからない。結局は、結果論でしかない。家族葬と銘打つだけあって、昨日の通夜、そして今日の告別式ともに、本当に小ぢんまりした良い葬儀だったと思っている。義父ともたくさんの時間を過ごすことができ、参列者の挨拶に忙殺される会よりはよほど、心のこもったものだったように思う。しかし思うにつけ、義父の死は本当に急だった。思い起こせば、黄疸の症状が出て実家岡山の病院に入院したのが5月19日。岡山の病院を退院し、我が家に引き取ったのが6月の末。あれもこれも、もうずっと前の出来事だったように思えるのに、まだほんの3か月も経たぬ前の話だとは、にわかに信じがたい。なぜ、うちに引き取ることになったか。子供たちがどんなに説得しようと、義母はかたくなに、義父を引き取ることを拒んだ。結果私の家に引き取ることになり、どれほど彼女を恨んだかわからない。がそれは決して、自分に迷惑がかかることを非難したわけではなく、癌の告知をした翌日に義父が言っていた、「家に帰りたい」、その一言を守ることを、義母がかたくなに拒んだことに、私は心底憤りを感じていた。なぜ数十年も連れ添った相手に、そこまでできるのか。義父は鷹揚で、山が好きで、決して人に強要することをしない人だった。子供たちに言わせてみても、義父に怒られた思い出はまずないという。注意はしても、決して強要はしなかったという。それでいて、とても緻密で大ざっぱだった。というと変なように聞こえるかもしれないが、肝心なことはすべて、書き留めていた。山登りが好きだった義父、旅行が好きだった義父は、どこかに行くと、何時何分、何秒にどこを出発、そして到着、そのすべてを書き留めていた。一見、そんな彼の文章は無機質なようにも思えた。しかし読み返すとそれは、とてつもなく人間味にあふれ、あたたかく、生きた文章になっていた。その半面、とても大ざっぱな人だったことも決して否めない。そんな彼の大ざっぱさは、時として義母の逆鱗に触れたらしい。義母も決して「普通」な人ではなく、どちらかというと「少女」のまま育ったような人。対して、義父は「少年」のまま育ったような人。どちらもそれなりに「親」ではあったが、決して「理想の夫」または「理想の妻」ではなかったらしい。しかしそんな二人は、悲しいかな、義父がすでに意識を失ってから久々の再会を果たした。でも、一生会えなかったよりはよほど、上出来な結末だったに違いない。私は義母がすべてを容認し、私たちを認め、お見舞い、そして最後に看取りに来てくれたことが、心底嬉しかった。義父の癌が発覚してからというもの、義妹は本当にこの上なく頑張った。私は彼女に、最上級の功労賞を与えたい。癌に効くというものを聞きつけては買いあさり、つきっきりで義父の看病をしてくれた。彼女は建築士を目指して目下勉強中の身でありながら、自分の夢は二の次にして、自分の人生を一時、義父にささげた。あんな生き方はめったにできない。私はあんなに思いやりのある、やさしい娘を今まで見たことがないし、これからも絶対にないと断言できる。両親のことをこの上なく大切にし、愛する自分でさえ、脱帽の思いでいっぱいだ。そんな義妹は、義父が亡くなった日に言った。「ゆうこさん、私には悔いはない。やれるだけのことはすべてやったし、一緒にいられるだけいられた。だから私に悔いはない。」そう言いながらも、彼女の目は真っ赤に腫れていた。が、悔いのある涙に比べれば、悔いのない涙の、なんとすがすがしいことだろう。私はただただ、彼女を誇りに思った。よくやった。よくがんばった。彼女を褒めてあげたい気持ちだけだった。告別式が終わった後、私は貧血を起こして彼の実家でしばらく動けなくなった。きっと私も、どこかで気を張り続けていたのだろう。自分の顔が、すーっと白くなるのがわかった。動けず、枕とタオルケットを借りて、しばらく義弟さんの部屋で寝ていた。起きた私に、義母はこういった。「わたしは、ゆうこさんがうちの嫁に来てくれて、本当にうれしいと思っている。」そんな義母に、私は謝った。「お義母さんだって、今までいろいろ辛い思いをしてきただろうに、私ごときが差し出がましい口をきいてすみませんでした。」そう言うと、義母は言ってくれた。「よく、嫁と姑の不仲なんて話を聞くけど、ゆうこさんは本当にフレンドリーで遠慮なく接してくれて、私は誇りなのよ。そういう話を聞くと、うちは違うわ、って思ってるのよ。」本当に、うれしかった。今回、自分は我ながら、ちょっと頑張ったと思う。その頑張りを、うちの両親だけでなく、義母もちゃんとわかってくれていた。それだけで、報われた気がした。どこかの台詞にあった。亡くなった人への一番の供養は、思い出してあげること。私は、義父の、あの、朗らかな笑顔、「僕がね・・・」と張りのある声で嬉しそうに話れくれたこと、一緒にキナバル山の頂きを目指したこと、何もかも、毎日少しずつ思い出して、義父がさみしくないようにしてあげようと思う。お義父さん、どうか、安らかに眠ってください。天国で、大好きなビールを、たくさん飲んでね。。
2011.08.16
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8月14日、午前零時38分、義父は静かに、あの世へと旅立っていった。昨晩、病室に泊まり込んでいた彼から連絡を受けた私と義妹はすぐに身支度をし、義父が入院する有明の癌研へと急いだ。入院して一週間、私も3度ほどお見舞いに行ったものの、義父の容体は明らかに日に日に悪化して行っていた。1度目は私の誕生日の8月7日。そう、入院した翌日のこと。義父の個室に入って行くと、そこにはプレゼントの山が用意してあった。入院した義父に、誰かがくれたのかな、と別段気にも留めないでいると、しばらくして義弟が言った。「由布子さん、みんなからのプレゼントですから開けてみてください」そう、そこに積まれていた山は、なんと私へのプレゼントだったのだ。まずはお義父さんからという包みを開けてみると・・・そこには、義妹と二人で一生懸命選んでくれたという、ニューヨークのMOMA美術館のオリジナルネックレスが入っていた。私の好みそのもので、あまりに嬉しくてお義父さんに「お義父さん、ありがとう!わざわざMOMAまで行って選んできてくれたんですか?」と聞くと、義父はぼんやりと頷き、「そう、MOMAまで行ったの。」そんな義父の適当さがかわいらしくて、私と義妹で顔を見合わせて思わず笑ってしまった出来事だった。このネックレスは本当に気に入って、以来一日も肌身話さず身に着けている。2回目のお見舞いの時は、私の両親も一緒だった。しばらく振りに対面する義父の変わり果てた姿に、両親が驚くのではないかと危惧し、新橋で待ち合わせてゆりかもめで病院に向かう途中、「お義父さん全然変わっちゃってるから驚かないでね」と、散々念を押していた。病室に入って行った途端、うちの父はまっすぐに義父のそばに歩み寄り、細くなった手を握って、「お義父さん、こんな形でお会いするなんて残念です。もっと早くお会いして、一緒にお酒を飲みたかった。」と涙ながらに見舞ってくれた。これはうわべでも何でもなく、うちの両親は素直に、義父のことをとても好いてくれていた。義父が岡山で一人暮らししているのをいつも心配し、どうしているのか、ちゃんと生活できているのか、と私に聞いてきてくれていた。ものを書くのがとても好きな義父は、私の両親の誕生日にはそれぞれ、義父の随筆を長文で送ってくれていたようだった。むろんそれほどの長文は、手書きではなかっただろう。それでも義父らしい、率直で緻密で、それでいて自由闊達な義父の文章が、同じくものを読み書きすることの好きな私の両親の琴線に触れていたのだろう。彼の晩年がどうであれ、私の両親は、義父のことがとても好きだった。そしてそれを、私もとても嬉しく思っていた。父の呼びかけに、少し反応したかに思えた義父は、実はその時意識がなかったのだという。あまり疲れさせても、という母の言葉に、私たちは談話ルームに移動し、少しの間親子の会話に耽っていた。・・・とそこに、ばたばたっという義妹の足音が・・・「お父さん、今ちょっと意識戻ってるので、もう一度話しかけてやってもらえませんか。」私たちは病室に戻り、父は再度義父の手を握り、一生懸命話しかけた。そうすると、確かに義父は父を認識し、言葉を受け取ったようだった。かすかに頷きながら、父の言葉に懸命に返そうとしていた。そんな義父に、父は再度言った。「由布子のことをいつもかわいがっていただいてありがとうございます。お誕生日のプレゼント、ありがとうございました。」父の、娘に対する思い遣りにあふれた、本当にあたたかいお礼の言葉だった。そして3度目。8月12日の金曜日のことだ。仕事が終わってから駆け付けると、すでに意識はなく、目をかっと見開き、空を見つめて苦しそうにあえぐ義父の姿があった。看護師も認めるほど、義父の容体は日に日に悪化してきていたという。2度目のお見舞いの時に見られた、呼吸器を苦しそうに振り払おうとする余力もすでに尽きてきているようだった。呼吸器を口に固定され、ただただ苦しそうにぜえぜえと息をする義父がいた。時折意識が戻っているかのように感じられ、耳を口に近づけると、それはやはり痰がからみ、空気と合わさって出る音に他ならなかった。私は月曜日、お休みを取った。日曜日から夜通しで義父のそばにいてあげたいと思ったからだ。土曜日は彼が泊まり込み、そして日曜日は私の番、となるはずだった。そして土曜日の夜。家で寛ぎ一緒にお酒を飲んでいた私と義妹のところに、彼からの緊急SOS。義父危篤を知らせる電話だった。まずは私たちが駆け付け、その後義母と義妹も駆け付けた。23時前に病室に着き、皆でかわるがわる義父の手を握って話しかけ、そんな中でも、心拍数と酸素濃度はどんどん下がっていった。誰もが義父が去りゆくことを受け止めざるをえなかった状況の中、24時38分、両数値はそっと、ゼロに達した。不思議なもので、その後もしばらく義父は目を動かしたり、「あっ」と、声にならない声を発したりして、この世に最後の軌跡を残しているかのようだった。その後当直医がやってきて、瞳孔と心臓の音を確認し、時計を見た。「私の時計で平成23年8月14日、午前零時46分、臨終を確認しました。ご愁傷様でした。」そんななおざりな台詞にいったい何の意味があろう。私はその無機質な言葉に、何の感動も覚えず、むしろ患者の臨終の場にも立ち会わない医者の対応に怒りを禁じえなかった。それからしばらくは、葬儀屋に連絡を取って義父の亡骸を運んでもらう手続きをしたり、霊安室に一時安置してもらう前に体をきれいに拭いてもらったり、冷暗室まで付き添ったり、病院側の言われるがままに行動した。すべてが終わり、家に戻ってきたのはもう朝の4時のこと。長くて短いひと時だった。すでに黄疸の症状が再び始まりつつあった義父の皮膚は茶褐色になり、体の節々は骨ばって、痩せこけていた。それが余計に、義父の大きな目を目立たせ、生前精悍であった彼の顔つきを余計に際立たせていた。体をきれいに拭いてもらい、大好きだった洋服に着替えさせてもらった義父の横には、同じく大好きだったハンチング帽が置かれていた。私たちが古希の誕生日に贈ったエコドライブの腕時計は大層お気に入りだったらしく、病室でも大切に金庫にしまい、つけたがっていたそうだ。痩せ細った義父の腕にはすでに大きすぎた腕時計を、危険という理由で着けさせてあげることはできず、義父は残念そうにしていたそうだ。その腕時計は、義弟が形見に、そしていつも身に着けていた万歩計は、義母がもらうことになった。通夜は明日、告別式は明後日行われることになった。何より、最後を皆で看取ってあげることができて、本当によかったと思っている。
2011.08.14
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自分はどうであっただろうかと、思う。義父はとうとう、入院してしまった。今朝のことだった。毎週金曜に抗がん剤の投与を受け、そのたびに元気をなくしていく義父を、私は見ていられなかった。いや、「気」から元気をなくしているだけだと、むしろ情けないとさえ思ってしまっていた。あの、強く精悍な義父の姿はもはや、見られなかった。ここに来て当初、まだ抗がん剤を投与されていなかった時は、義父は私の帰りを待ちわびるかのように寄ってきて、自分の若かりし頃の写真や書物などをうれしそうに見せてくれた。まだ義父や義妹が家にいることに対して違和感を覚えていた私は、そんな義父にやさしいそぶりを見せながらも、親身になって義父の気持ちを分かち合うことができていなかった。今朝、病院へと発つ義父を見送る際、義父にこういった。「お義父さん、元気になってまた帰ってきて下さい」 そうすると義父は力強く私の手を握り返し、「こういうのは仕方ないと思ってる。1か月もお世話になって本当に申し訳なかった。本当にありがとう。」送り出した私は、涙が止まらなかった。私はいつも、後悔ばかり。おばあちゃんの時も、そうだった。もう少し、やさしくしてあげられなかったのか、もう少し、親身になって話を聞いて、そばにいてあげることはできなかったのだろうか。悔やまれて、悔やまれて、自分のなさけなさばかりが先に立つ。お義父さんは、つらかったに違いない。体力が落ちて、普通に生活することさえも、ままならなかったに違いない。そんなこともわかってあげられず、私は自己満足に浸っていた。最低だ。病魔と一人で戦っている義父に、私はいったい何をしてあげられるのだろう。。。
2011.08.06
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「ゆう、相談があるんだけど・・・」振り返ると、思いつめたような顔をした彼がいた。義父のお金のことかな?と思い、「どうしたの?」と気さくさを装って聞いた私に、彼が再び、言った。「親父をしばらくここに置いちゃだめ?」その瞬間、二人の間に気まずい空気が流れた。それは昨日の夜のこと。ステイ(出張)先から帰ってきて、疲れて寝ているはずの彼がまんじりともせず私の帰りを待ち、相談をもちかけてきた。このうさぎ小屋のように小さな家に、彼と私と・・・お義父さん?気づくと私は即答していた。「・・・やだよ。だったらお義父さんのために家を借りてあげればいいじゃん。ゆうだって仕事で疲れて帰ってくるのに、家でもリラックスできなくなっちゃうのは、つらいよ。」「わかってる。でも、岡山からこっちの病院に移して、結果どうなるかまだわからないから、その間だけのために家を借りるのはもったいないから。すぐに出ることになるかもしれないし。」「じゃぁ、わかった。ゆうが会社近くのホテルを借りて出てくから、お義父さんと一緒にこの家で暮らせばいいよ。それだったらゆうは全然かまわないよ。」言ってから、疲れがどっと出て、私は着替えてひとり、ベッドで横になっていた。「ゆう、いやな思いをさせてごめんね。」彼が部屋に入ってきて、言った。彼のせいではないことは私はよくわかっていたつもりだった。でも、自分が唯一リラックスできるこの空間が、義父とはいえ、他人に侵されるのは、とても気が休まらない。彼のことを最優先に考えてあげよう、と心に決めていたつもりだったのに、いつの間にか私は自分本位になっていた。「ゆう、本当にごめんなさい。」そう言った彼の方を見遣ると、頬を涙がぽろぽろ伝っていた。その瞬間、私は「しまった!」と思った。本当につらくて、傷ついていたのは彼の方なのに。どうしようもなく両親想いで、お義父さんの病気のことを誰よりも気に病んで、少しでも環境をよくしてあげたいけれど、何もしてあげられない、そう思い悩んだ彼が唯一絞り出した結論。それを私はあっさりと踏みにじってしまったのだ。私はそんな自分の言動を、心から悔やんだ。「ゆうの方こそ、ごめん。ゆうはホテル借りて住むのは、本当になんてことないから、大丈夫だから、お義父さんをここに住ませてあげようよ。」そう言うと、彼はいっそう激しく泣き、「ゆうとそんなに長く離れてるのはやだ。」と言ってくれた。それを聞いた瞬間、私の心は決まった。「よしわかった。お義父さんをここに住ませてあげよう。お義父さんはベッドに寝て、うちらはあなたの勉強部屋にお布団敷いて寝ようよ。」そう言うと、彼はいっそう激しく声を震わせ、「ゆう、ありがとう。」と泣きじゃくった。お義父さんを家に住まわせるのは、今だって、いやだ。しかも彼は、ステイで時々家を空ける。そうなったら私はお義父さんと二人きりになってしまうのだ。でも、こんなにも思いつめ、苦しむ彼を見るよりは、私が少しだけ我慢する方が、どんなに楽な方法か。彼がステイの時だけは義妹さんに家に泊まりに来てもらい、私はホテルに泊まる。お義父さんが長期的に入院しない生活を続けることになったなら、その時こそ近くに家を借りてあげて、義妹さんと二人で住んでもらう。この2つを条件に、私は彼の提案を受け入れた。こんなことで彼の苦痛が少しでも和らいでくれるなら、たやすいことだ。どうしようもなく考え抜いて、この結論に至った時、彼は母の姉に相談したそうだ。そうしたら、「そんなことをお嫁さんに強いるなんて、絶対にやめときなさい」 おばさんはそう言って彼をたしなめたそうだ。でもそれでもその方法を取る以外行きつく先が見つからなかった彼は、「こんなことを言ったらゆうはどんな思いがするだろう」と思い悩みつつ、私に切り出したそうだ。そんなことを考えていたら、自然と家路を辿る足が重くなったとまでも。「今後何かをゆうに相談する時は、そんなに気に病まないで、ゆうならきっとわかってくれる、って思いながら相談するんだよ。」と、私はお姉さんのように彼を諭した。だって、お義父さんのことを悩み、お義母さんのことを悩み、会社のことで思いつめ、私にまで気を遣っていたら、彼が本当にだめになってしまう。私にまで気を遣ってくれていたことが少しうれしかったものの、私は心から本当に、彼に巣食っている心の病を危惧していた。「本当に、これでもかってほど問題ばっかりで、なんで自分がこんな思いしなきゃなんないんだろうって思うよ・・・」その後近くの居酒屋さんで一杯やりつつ、彼がぼそっと弱音を吐いた。「甘い、甘いよ。こんなのよりもっと大変な思いをしている人たちが世の中にはたくさんいるんだよ。明日をどう生きるか悩んでる人たちに比べたら、2人ともちゃんと仕事があって、生きてくだけの収入があるうちらの悩みなんて、ぜ~んぜん、軽いもんだって!」そう言うと、彼は「そうか・・・そうだよね。」と、少し励まされたようにつぶやいた。よかった。少しだけでも、彼の心の重荷を軽くしてあげられたかもしれない。こんな私でも役に立つなら、喜んでやってあげたい。まだまだ闘病生活は続く。
2011.06.04
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・・・そして、告知。これがもっともつらい瞬間だった。「今日お父さんに会ったら、言う。」そう言った彼の顔は苦渋に満ちていた。もちろん、そんなに簡単にそんな瞬間が訪れないことは、彼だって知っている。私だって、もちろん、知っていた。義父は今、家族と離れ、一人で岡山の病院に入院している。まずは黄疸をとるための手術をし、現在はその経過を見守っているところだ。私が義父と会うのは、2006年の8月、父の72歳の誕生日を祝いに、家族で横浜のレストランで集まった時以来であるから、実に5年ぶりということになる。あの時の写真に写る家族はみな笑顔で、幸せそのものだった。昨日から1泊で、その義父を岡山に見舞った。久々に会う義父は相変わらず精悍な目をしていたものの、やはり黄疸の影響で顔は黄褐色、目の白い部分は黄色いペンキを塗ったかのように黄色く染まっていた。義弟より、「ゆうこさん、親父の顔見て驚かないでね」と言われていたものの、やはり最初に見た時はどこを見てよいかわからず、ぎょっとしてしまったのはたしかだ。それでも義父はギョロリとした精悍な目を私に向け、「ゆうこさん、足労かけてすみませんね」と、あいかわらずの良い笑顔で笑った。私はそんな病人らしからぬ義父を見てほっと安堵し、「お義父さん、お久しぶりです」と握手を求めた。久しぶりに会う、義父だった。14時ごろ病院に着いてひとしきり他愛のない話題に興じた後、とうとうその時はやってきた。義父がトイレに立った時、彼がぼそりと、「食事の後に、言う」と決心したようにつぶやいた。18時半。食事の時間がやってきた。私が義父の分を取りに行き、義父はぎこちなく、ちょっと遠慮がちにそれを平らげた。義父がデザートのバナナまで食べ終わるのを見届け、私は再び、空になった食器を片づけに、席を立った。帰ってきた時、義父は自分の息子を前に、何かメモを取りつつ一生懸命に話を聴いていた。その瞬間、自分の間の悪さを後悔したが、二人はそんな私の気持ちに気付かぬように、話を続けた。ひととおり、彼の話を聴き終わった父が言った。「きちんと話してくれて、本当にありがとう。でもはっきり言って、お父さんはビクともしない。」常日頃から自分が「楽観主義者」だと豪語していた義父。でも私は、そうでない面も知っていた。今回「告知」をすることによって、私が知っているその「そうでない面」が全面に出てきてしまったらどうしよう。義父ががっくりと肩を落とし、それが原因でもっと病気が悪くなってしまったらどうしよう・・・ そんなことばかり考えていた。でも義父は本当に、自分が言っていたとおりの人だった。とはいえ、そんな話を聴いて、楽観的でいられる「楽観主義者」などまずいない。ただ彼はそれを見事に演じきれるほど、強靭な精神の持ち主だったのだ。私は自分の心配が杞憂に終わったことに、ただただ安堵した。義父はあと、こんなことも言っていた。「Carpe Diem (カルペ・ディエム)」義父の好きなラテン語だそうだ。カルペは掴む、ディエムは日、つまり、直訳すれば、「その日を掴む」の意なんだそうだ。これを聞いて人はきっと、いろんな解釈や講釈をするだろう。でも義父は、これが「明日を楽しみに今を生きるのではなく、今日という日をまず楽しめ」という意味にとっている風だった。この病気のことを知る前にこの言葉を好きになった義父の心情は、どんなだったのだろうか。なんだか心が痛かった。人にはいろんな生き方がある。義父もこれまでにいろんなことを経験し、その中には耐えがたいほどの苦痛や、喜びきれないほどの愉しみ、慈しみ、いろんな思いがあっただろう。そんなものをすべて抱え、これまで76年生きてきた義父。病気のことを知ってすぐ、彼がやり切れないようにぼそっと言った。「お父さんは、幸せだったかな。」無責任に、「幸せだったと思うよ。」なんて、言えない。病気に、なるべくしてなったんだ、なんて言えるわけがない。でも、少なくとも、義父の道のりは誇りに満ち溢れ、彼や義弟、義妹のような父親想いの子供たちに囲まれた、さみしくない人生ではなかったかと思う。一夜明けた今日の午後、再び義父を見舞った。一夜明けてみて、彼の表情が沈んでいたらと心配しながら行った私の前に、変わらず鷹揚な笑顔を向ける義父がいた。ふたたび、私は安堵した。ものを書くのが好きな義父らしく、昨晩私たちが帰った後に考えたことをきれいな字で、メモに書き留めていた。そこには義父の、控えめながらも強い願いが書き込まれていた。私たちは全力で、その彼の願いを、聴き遂げてあげなくてはならない。まだまだ時間はある。告知をしたところから、本当の闘病生活は始まったのだ。
2011.05.30
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父の病名が判明した。10日ほど前から大磯に戻ってきていた父(正確には、義父)は、同居する弟に黄疸の症状があることをみとめられ、実家のある岡山に戻るやいなや近くの町医者に行ったそうだ。そこで、もっと大きな病院で診てもらうことを勧められ、津山の病院に入院している。20日の金曜に検査手術を受け、結果がようやくわかった。それも最悪の結果・・・ 末期の胆嚢(たんのう)癌。胆嚢癌というのは、もっとも発見されにくく、また全癌患者のうちわずか1.5%ほどでしかないのだという。発見方法は超音波検査によってのみ発見されるとのことで、通常はよほどラッキーでない限り、早い段階で発見されることはないそうだ。父の場合は特に、家族から遠く離れた岡山で一人暮らしをしているため、周りの人間によって異常をみとめられることもなく、今日まで来てしまったのだろう。余命は半年~1年。父は今年で77歳になる。ということは、私たちは昨年の彼の誕生日を、数えで喜寿を迎えることにも気づかず、ちゃんとお祝いすらしてあげなかったことになるのだろうか。父とはもちろん、結婚をするまで一切知らない間柄だった。それがなぜか初めて会った時からとても親近感が感じられ、長男の嫁ということもあったのだろう、私のことをとてもかわいがってくれた。山登りが大好きで、頑強でおおらかで、それでいて緻密。日々の出来事を事細かに、びっしりと日記につける習慣を持ち、古希のお祝いに私とキナバル山に登った時など、時々立ち止まっては、何時何分にどこに到着、何時何分に昼食を摂る、などと時々メモっては、あとで細かく日記に記していた。そしてまた、とても良い字を書く。速記でこんな字が書けたらどんなにか良いだろう、と何度も感心させられたくらい、とてもあたたかい字を書く。字は体を表すとはよく言ったもので、この字に彼の人となりがそのまま表されているかのような、とてもおおらかで思いやりのある字を書くのだ。父は、月曜に再度、黄疸を取り除く手術を受けるそうだ。その彼に、癌を告知することがはたして良いことなのか、私にはわからない。ただ1つ言えることは、少なくとも私たち家族は、最後まであきらめず、彼が少しでも長く生きられ、元の生き生きとした生活を送ってくれるようになることを、全力で応援するしかない。末期癌を宣告されても、医者が驚くほど長く生きた例はいくらでもある。あきらめずに、最善の方法を模索していきたい。
2011.05.22
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2011年3月10~12日、生まれて初めての台湾旅行に行ってきました。台湾は身近なようであってこれまで一度も足を踏み入れたことがなかった場所。李登輝元総統の偉業を描いた、小林よしのりの「台湾論」等を読んだり、中高を過ごしたマレーシアのインターナショナルスクールの姉妹校が台湾にあったりと、これまでも決して縁遠い国ではありませんでした。いつか一度行ってみたい、と思いつつこれまでチャンスがありませんでしたが、今回とうとう初めての訪台が実現。今回の旅行は、たまたまご縁のあった「てるみくらぶ」さんにお世話になりました。台湾旅行にも強い「てるみくらぶ」さんのHPはこちら(↓)http://www.tellmeclub.com/はじめて台湾を訪れる私たちにと、とても丁寧に、初心者用のコースをアレンジしてくださいました。今回ははじめて、羽田からの国際線を利用しました。羽田からの台湾(松山空港)線には、JL、NH、CI、BRがそれぞれ就航しています。この松山空港というのは、台湾のダウンタウンよりとても近く、その近さたるや福岡空港にも匹敵するほど。しいて言うならば、羽田‐金浦空港のようなものです。お互いに街から近く、とっても便利!その記念すべき初めての台湾旅行は、これまた初めて、中華航空(CI)さんにお世話になりました。 CI223便はなんと、羽田発が朝7時!台湾の松山空港にはわずか4時間弱という距離のため、このフライトで行くとその日も丸一日、時間を有効に使うことができます。昨年10月にオープンしたばかりの羽田国際線ターミナルには、ほとんどの航空会社が専用ラウンジを持ち合わせていないため、このスカイラウジという共用ラウンジを使用しています。 ラウンジには軽食からアルコール類、コーヒーサーバーなども設けられており、シックな内装でゆったりと寛ぐことができます。広々とした喫煙室もあり、愛煙家の方も安心! 今回お世話になった、チャイナさんのビジネスクラス・シート。リクライニング角度こそあまりありませんが、短距離路線なのでこれでも十分に、寛ぐことができます。 飛行機はオンスケで出発。朝なのでウェルカムドリンクは胃にもやさしい烏龍茶で。 離陸して巡航状態に入ると、朝食メニューが配られます。 朝粥なんて、なんだかほっこりしますね。毎日こんな朝食を食べていたらきっと、健康に過ごせるんだろうなぁ。さてさて、飛行機は無事に、台湾・松山空港に到着。てるみくらぶさんの現地スタッフ、センさんがお迎えに来てくれていました。現地は残念ながら雨降りのお天気。それでも日本よりはかなり暖かく感じられました。まずは用意された車で、行天宮へ。ここには三国志の英雄、関羽が祀られています。関羽は商売の神様として知られており、商売繁盛を願う人々でいつも賑わっています。 続いて訪れたのは保安宮。医学の神様である保生大帝を祀っており、病気回復や長寿を願う人々が訪れます。この日はあいにくのお天気だったためか、あまり人影は見られませんでしたが、安産や子宝を願うご夫婦やその家族からのお供え物等もたくさんありました。 保安宮のあとは、ちょっと早いけれどランチタイム。かの有名な、鼎泰豊に行ってきました!センさんが予約をしておいてくれたのか、並ぶことなく店内に案内されました。 How to eat 小龍包・・・ 大きめの蒸籠に、8つほどの小龍包がアツアツの状態で並んでいます。おいしそ~!!! これは私の大好物、酸辣湯!お酢の酸っぱさと辛さがあい混ざって、最高のお味でした。 一階の厨房では、たくさんの職人さんたちが一心不乱に小龍包作りに励んでいます。 食べ終わってお店を出ると、すでにたくさんの人が行列していました。続いては、忠烈祠に向かいます。1969年に建てられたこの忠烈祠は、抗日戦争や共産党との内戦で殉死した英霊を祀っており、ここでの人気は毎時行われる衛兵の交代式。 衛兵たちは、微動だにしない姿勢で、凛と経ち続けています。これはかなりの精神力、忍耐力、そして鍛錬された肉体と技が必要。私だったらきっと、5分ともたないことでしょう。コチョコチョっとくすぐってみようかとも思いましたが、持っている銃で撃たれそうなのでやめておきました。続いては、台北市内から車で1時間ほどの距離にある、九?へ。そう、ここは私の大好きな宮崎映画「千と千尋の神隠し」のモデルとなった街ともいわれています。九?はなんと、一年のうち4分の3は雨降りとのことで、千と千尋の中で出てきたような抜けるような青空が光る雰囲気とは少し、様相が異なっていました。 それでもほら、この小路はちょっと、千と千尋を彷彿とさせるでしょう? 茶屋に入り、ほっと一息。おいしい烏龍茶をいただき、あったまりました。朝から動きっぱなしだったから疲れた~・・・その後は台北市内に戻り、本日最後のイベント、「欣葉」でのお夕食。ここも定番の夕食スポットとのことで、店内はすでに満員御礼。日本人観光客らしき人たちもたくさん来ていました。それほど人気のお店なんですね。 まずは台湾ビールで乾杯!疲れた体にビールの心地よい冷たさが染みわたります。 疲れた胃にやさしい台湾料理の数々がするりと入っていき、とても心地よい時間を過ごすことができました。朝から駆け足で台湾の見どころを巡り、これで私もちょっとした台湾通???
2011.05.01
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今日はたのしいホワイトデー・・・となるはずが、とんだ一日になってしまった。ただでさえブルーマンデーといわれる月曜日。それに加え、この騒ぎである。今朝はいつもよりやや早めに起床し、電車の情報を確認しつつ早めの出社を試みようと、駅に行ってみると・・・ この始末!どうなってるのよ、JR!!!ひどくね!??というわけで、京急まで行ってみると、今度はあまりにたくさんの人、人、人・・・で、改札に入るのに入場規制が、、 いつもなら人もまばらなこの時間に、こんなたくさんの人間、初めて見たよ・・・それにしても、地震大国といわれるこの国の、首都圏の交通網は一体全体どうなっているのか・・・あまりにも脆弱すぎる。地震がまったく予測できない国に起こった、『青天の霹靂』では決してないのである。そして、その国の一番であり最大の地上交通手段であるはずのJRは、真っ先にすべてを運休!同じように川を渡って運行している京急は、間引きしながらも頑張って運行しているというのに・・ 私は日本にいなかったが、金曜日の交通麻痺も、考えてみれば、口火を切ったJRに他の私鉄が我も我もと弱気に流れ、追随したと思われてもおかしくはなかろう。結局とぼとぼと家路を辿る途中、コンビニに寄って少し食料を備蓄しておこうと思った私の前に立ちはだかったのは・・・ いわゆる保存食が棚の上からすべて空っぽになっているという、恐ろしい現実!嗚呼、日本人はなんとおめでたく、踊らされやすいのか・・・ かくいう私も人のこと言えた立場ではなかったんですけどね。。みんな、考えることはおんなじなのね。それにしても、こうやってまだ、電気やガス、水を使えているというのは本当に幸せなこと。テレビをつけてみると、生きて家族に対面できた方が、生きていてくれただけで幸せ、何もいらない、と声にならない声で涙ながらに訴えている。あのような状況になってみれば、本当にそれしか言えないし思えなくなるのだろう。人間は贅沢にはすぐに慣れるが、不便に慣れるには時間がかかる。これを教訓に、決して慢心せず、今は自分にできる限りのことを粛々とやっていきたい。
2011.03.14
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金曜の日本を襲った突然のこの大惨事・・・私は運よく、というか、たまたま海外に行っていて、現地で何気なく観たNHKのBS放送でこの惨劇を知りました。今まだ被災されている方々、そしてこの災害で亡くなられた多くの方々に心よりお見舞いとお悔やみを申し上げます。3月10日より、2泊3日で初めての台湾に行ってきました。先ほど這う這うの体で家に着いたばかりですが、家の中の惨状は思ったほどでもなく、PCを置いている台の足が折れてPCが傾いていたり、衣装ケースが落下していたり、といった、少し手をかければ直るほどの惨害ですみました。が、マンションのエントランスの壁が剥がれ落ち、危険を示すテープが貼られていたり、4基あるエレベータが1基しか動いていなくてかなり待たされたりと、昨日の地震の大きさを物語るような痕跡がそこここに見受けられました。地震が起こった時家に一人でいたらと思うと、身の震える思いがします。昨日はそれからテレビから流れる、母国の惨状を伝える唯一の情報源にくぎ付けになっていましたが、死者と行方不明者の数が少しずつ増えて行く様子に、1995年に起こったあの、阪神大震災を思い出さずにはいられませんでした。あの大震災が起こった時、私は千葉の実家にいました。当時新聞学科の1年生で、テレビ制作という授業の課題を徹夜でこなしていた私は、明け方やや強い揺れが来たのを不審に思い、テレビ映像に切り替えて状況を把握しようとしました。でもその時はまだその揺れが、かの大惨事を生み出すほどの大地震だったとは露知らず、課題を終え束の間の眠りにつきました。眠りから覚めテレビを観ると、そこには次々と映し出される大惨事の様子が・・ 刻一刻と時間が経つにつれ、恐ろしい勢いで増えて行く死者数と行方不明者数。これが本当に、現実に起こっていることなのか、と自問自答し続けました。昨日は、とにかく家族のことが心配で、父や母の携帯に電話をしてみるものの、なかなか繋がらず、本当に心配しました。結局つくばの方までゴルフに出かけていた父は、通常ならば1時間半で帰り着く距離を、7時間もかかって運転して帰ったそうです。四谷にブリッジに出かけていた母は、電車が全面運転見合わせになったせいで、市川まで延々、これまた7時間かけて歩いて帰ったそうです。二人の無事を確認した夜中1時ごろ、私はようやく安心して眠りにつくことができたのでした。一刻も早く、事態が回復し、現在被災されている方々が安全な、そしてあたたかい場所で安心して眠りにつくことができるよう、心より願っています。
2011.03.12
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那覇市内に戻り、レンタカーを返した後は、ぶらぶらと国際通り⇒牧志公設市場を散策。沖縄6度目といえど、かの有名な国際通りを散策するのは初めてだったのでとてもわくわくしました。 なんだか、昔よく連れて行ってもらった、大阪の中央市場を髣髴とさせるような、気兼ねのない雰囲気が心地よく私を包んでくれました。この、豚の頭をそのままプレスしたような真空パックに入った代物は、これは食べ物・・・?珍しいやら気持ち悪いやらで、思わず写真に収めてしまいましたが・・・ どうやら、豚顔皮(チラガー)という正式名称まであるようで、ネット通販ではコラーゲンが豊富とのことで人気があるそうです・・・が!一通り散策を楽しみ、お土産も買い込んだ後は、彼が以前に訪れたことがあるという居酒屋「古都里(ことり)」さんへ。国際通りから少し入ったところにある、知る人ぞ知るといった感じのここ古都里さんは、常連さんたちが集い、地元のおばちゃんたちが切り盛りする沖縄の家庭料理居酒屋。小上がりが4テーブルほどと、カウンターとテーブル席1卓のみの小作りな店内ですが、おいしい沖縄の家庭料理を手軽な料金で楽しめる、とても良いお店でした。 カウンターには所狭しといろんな家庭料理が大皿に盛られ、並べられています。このらふてーのお皿もその一つ。1つ1つのボリュームがとにかくデカい! 一皿ずつ頼んでももちろんOKですが、ボリュームがすごいため、このように少しずつ小盛りにもしてくれます。といっても1品1品がかなりのボリューム。これだけでお腹いっぱいになっちゃうくらい・・・ このあと大好物のトーフヨーや、ソーメンチャンプルー等を頼み、泡盛を2合頼んだところで2人ともギブアップ。あまりお腹が減っていなかったとはいえ、かなり大食いな彼がギブアップするくらいですから、そのボリュームの多さがうかがえるというものです・・・この日はおとなしくホテルに戻って早く就寝、翌日の早いフライトに備えました。もちろん私はまだゆっくりしていたかったのですが、残念ながら日曜に彼の大切な仕事があったため、早めの帰宅を強いられることに。。。なくなく後にした沖縄でしたが、その後天気が大荒れになり、空の便も混乱したとのことで、早く帰ってきて難を逃れられた私たちだったのでした。久しぶりの沖縄・・・まだまだ不完全燃焼でしたが、久々の旅行ということもありとっても楽しかったです。ただしかし、行きも帰りも予期せずポケモンジェットだったのは、何の縁だったのやら・・・ 全日空さん、お世話になりました。
2011.02.12
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2011年2月9日~11日、久々に南国・沖縄に行ってきました!前回沖縄に行ったのは、3年前の2008年のちょうど今頃。前回もそうだったのですが、今回も沖縄で仕事(シンポジウム)があった彼に便乗して、仕事後延泊して小旅行気分を味わってきました。沖縄は私の大好きなところ。足を運ぶのは、今回でかれこれ6回目にもなります。2月9日は仕事を半休して、初めての全日空便に登場。子供たちにも大人気の、ポケモンジェットでした。搭乗率は約8割といったところかな?連休前とはいえ、平日ですし何しろジャンボ機ですから、8割も埋まっていればまずまずといったところでしょうか。 記念すべき、初全日空はなかなか快適でした。CAさんたちもみな笑顔で出迎えてくれましたよ。到着すると、まずは彼の仕事に便乗して、シンポジウムの会場、その後シンポの参加者たちとの飲み会に合流させてもらいました。おいしい沖縄料理と泡盛に舌鼓を打っているうちに、時間ははや深夜12時に・・・ コンビニで飲み物と軽いおつまみを買い、彼が取っておいてくれたホテル・ロコアナハへ。 ホテルロコアハナは、2009年にできたばかりの、あたらしいホテルです。国際通りすぐ近くに位置するため観光には最適なロケーションなばかりか、南国チックな雰囲気を醸し出す、とても居心地の良いホテルでした。翌朝起きると、予報通りの曇りのお天気。週末は全国的に大荒れになるとの予報でしたから、なんとか今日一日だけでも持ってくれ~と願いつつ、お楽しみの朝食会場へ。ここの朝食は沖縄の郷土料理が満載との評判で、一人1500円で味わえます。前日の20時までに申し込みをすれば、200円の割引が受けられ、一人1300円に。 沖縄野菜のせいろ蒸し。紫イモなど、めずらしい野菜が勢ぞろいです。 らふて~がてんこ盛り! できたてのゆし豆腐・・・私の大好物です。汁まで飲み干すのが沖縄流儀! そーめんちゃんぷるーとガメ煮。 なんとなんと、あの貴重な海ぶどうも食べ放題!あ~もぅ、泡盛飲みたくなっちゃうな~! ゆーぽっぽのヘルシー朝食膳。毎日こんな朝食が摂れたら最高なのにな~・・・朝食後、レンタカーを借りて今回のメインイベント、美ら海水族館へ。今回宿泊していた那覇から美ら海水族館のある名護の北部へは、片道約100キロ、車で約2時間ほどかかります。途中那覇の市内を抜けるまでは少し渋滞していましたが、市内を抜けると試験的に期間限定で無料で開放されている高速を通り、海を見ながら快適なドライブを楽しむことができました。すでに沖縄の観光名所として絶大な人気を博している美ら海水族館が現在のものとして生まれ変わったのは2002年の11月のことだそうです。2005年にアメリカのジョージア水族館がオープンするまでは、なんと世界最大の水族館であったそうな。入場料は大人1800円とちょい高めですが、街中のコンビニやショップ等で売られている前売り券を利用すると、1割(180円)引きになります。こちらは当日でもOKです。人が多かったので、人混みが嫌いな私たちはやや駆け足気味の鑑賞となってしまいましたが、それでもあの、巨大な大水槽のある「黒潮の海」は圧巻でした。その規模はなんと、深さ10m、幅35m、奥行き27mもあるそうです。雄大な黒潮の海を悠々と泳ぐジンベエザメやマンタなどに出会うことができます。 これはカスリハタといって、その名の通りハタの一種なのだそうです。ぬぼーとしている様子が友達になんだか似ていて、思わず写真に収めてしまいました。 砂底から生えている藻のように見えますが、これはチンアナゴの群れ。潮の流れの方に頭を向けるのだそうですが、水槽の中では潮の流れがないのか、てんでばらばらな方向を向いています。まるで今の小学生の教室みたい??この奇妙奇天烈な和名「チンアナゴ」は、「顔つきが犬のチンに似ていることから」と書かれてありますが、「チン」って一体・・・ 初めて見ました、マンタです。よく昔ダイバーの友人が、マンタを見に行くんだ、見に行くんだ、といつも言っていました、あのマンタです。形を見てわかるように、エイの仲間だそうです。こうやって海中をゆったりと泳いでいるんだろうなぁと憧れを抱かせるような、そんなゆったりとした振る舞いが見る人を魅了していました。 彼から「ゆうの好きそうな柄だね」と言われ、なんとなくパシャリ。その風貌のとおり、「ヒョウモンオトメエイ」という名前のエイです。水底でじっと静止していました。 そして、出ました、ここの名物、ジンベエザメくんです。大きいのが3頭もいました。大きな体でゆったりと、水中を泳ぎ巡るその貫禄たるや、まさに王様という感じです。王様だけに皆との調和を重視し、食べるのは小さなプランクトン等だけ。家来たちの存在を脅かしたり、邪魔したりすることは決してない、温厚な性格なのだそうです。感服。 こちらは「サメ博士の部屋」の中にあった、古代ザメ・メガロドンのアゴの中。高さ2.5mほどもあるその大きさは、人間の大人も一度に何人も丸呑みしてしまうほどのビッグサイズ!本当にこんなサメがいたのですよね。コワイ・・・美ら海水族館を訪れた後、そこから車で15分ほどのところにある、世界遺産の今帰仁城跡に行ってきました。こんな身近な場所にまたもや世界遺産があったとは、さすが沖縄です。 園内ではこのように、桜が満開となっていました。桜、といっても寒緋桜といって、原産地は中国と書かれてあり、いわゆる日本のソメイヨシノのような桜とは違い、色が濃くて桜というよりは梅に近い感じという印象を受けました。 いつ誰によって築かれたかは不明なところが多いというこの、今帰仁城。発掘調査の成果から、13世紀頃には城造りがはじめられたことはわかっているそうです。また、中国や東南アジア諸国との交流によって築かれた琉球独自の文化の象徴であることが高く評価され、2000年12月に世界遺産に登録されたとのことでした。 今帰仁城跡の後、那覇に帰る道すがらに訪れたのがここ、大家(うふやー)。車を借りたレンタカー屋さんに置いてあった沖縄のガイドブックに載っていて良さそうだったので、電話番号をナビに登録しておき、足を運んでみました。ここは100年の歴史を刻んだ古民家を復元した、沖縄そばと琉球料理が楽しめるお店。ガイドブックに載っていたのでお客さんが多いんだろうなぁと覚悟はしていましたが、14時過ぎでもまだほぼ満席だったのにはびっくり。 店内はこのように涼やかな水音が流れ、自然と調和した落ち着いた内装となっています。 これは彼が頼んだ、アグーの肉そばセット(20食限定)。この内容で約1500円はなかなかお値打ちといえるでしょう。 名護市内のいたるところでこのような、「日ハム歓迎!」ののぼりを見かけましたが、ここ大家さんも例に違わず、このようなのぼりを飾っておられました。お会計の時に気付いたのですが、かの斎藤佑樹選手もつい最近訪れたらしく、2011年2月4日と書かれたサインが飾ってありました。
2011.02.11
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年末にデスクトップPCが壊れてしまったので、昨日ようやく近くのヨドバシカメラに行って、新しいパソコンを買いました。今回のはSONYのVAIO。実に10年以上ぶりのVAIOです。これまで数々のSONY製品を購入して来ましたが、まるで本当に“SONY TIMER”なるものが働くかの如く、数年経つと壊れるという憂き目に遭ってきた私。(VAIOのノートもこの例に違わずある日突然動かなくなりました)「SONYだけは絶対にやだ!」と言い張る私をしり目に、すでに各社製品の性能を勉強しつくしていた彼は、少し迷いつつも結局VAIOを選びました。これで壊れたら本当に恨むで~!まぁデザイン的にもすっきりしててよし。ここら辺はさすがSONYという感じです。今回は壊れないよう、大切に使ってあげたいと思います。でもでもでも、これだけは言っておきたい・・・ DELLは良くない!!!前回のDELLは、まだ購入して3年くらいしか経っていなかったのですが、購入時はDELLで一番といってよいほどの高性能のもので、お値段も25万くらいしたのです。昨今デスクトップでこの値段は(しかもDELL製品で!)かなりの高額商品と言えたと思います。それが昨年末のある日突然、うんともすんとも言わなくなり、そのままサヨウナラ・・・ DELLに問い合わせてみたところ、どうやらマザーボードが既にぶっ壊れており、にっちもさっちもいかない状態であったそうです。あんなに高かったのに・・・しかも大して高機能も生かし切れてなかったのに。本当に腑に落ちない思いです。やっぱり日本製に限ります。アフターサポートもしっかりしてるし。というわけで、DELLは二度と買いません!!!(会社のはDELLですが・・・)今度のVAIOクンは、かなりの高性能でお値段約14万くらい。ヨドバシの5年保証もつけてもらったし、これで5年はしっかり働いてもらわないとねっ!しかし、運勢の悪い年には家電がよく壊れると聞いたことがありますが、私の運勢の悪さを象徴するかのように、昨年は本当によく家電(携帯含め)が壊れました。今年は家電の寿命にも気を配りつつ、良い年になるよう心掛けたいものです、ほんと。
2011.01.09
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新年、あけましておめでとうございます。先ほど、彼の母校が箱根駅伝で優勝しました。おめでとう!本当に、よく頑張ったね!家からも双眼鏡で、1位と2位の選手が接戦を繰り広げる様子が見え、心の中で一生懸命声援を送っていました。写真は、家から見えた初日の出。たしか、6時50分くらいだったと思うのですが、長い長い飛行機雲の線と重なり、とても美しく映っていました。たまたまこの時間に出勤だった彼に合わせて起きてみたら、こんなに美しい絵が見られ、本当にラッキーでした。早起きは三文の得、とはよく言ったものです。前の日記でも書きましたが、2010年は私にとってあまりラッキーな年ではなかったので、今年は少しでも、昨年より良い年にしたいと思っています。健やかで、そして穏やかな年となりますよう。皆様にとっても、幸多き一年となりますように。2011年1月3日ゆーぽっぽ☆
2011.01.03
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なんと、8月のアップ以来、4か月ぶりの日記になってしまいました。2010年は私にとって最強の年・・・となるはずだったのに、最悪、とまでは行きませんが、むしろかなり悪い方の年になってしまいました。まず年初めに彼の会社が大変なことになり、2月には私がひどい風邪を引くやいなや、彼も重大な病気か?と思われるような症状が出ててんやわんや、その後11月には私がまた別の病気にかかり、そしてまた今週、40度の熱を出し病院にかかるはめに・・・一年のしめくくりともいわんばかりのこの高熱、40度なんて人生初めてのことで、病院の看護師さんたちからもかなり心配されました。あなた、大丈夫?よくそんな高熱で座ってられるわねぇ・・・・・・だったらはよ診察せーや。今年最初の日記ではこんなこと書いてた自分が、今読むと哀れになっちゃうくらい。>なんだか、今年はパワー全開で頑張れる気がします。と、虎が後ろで言ってます。まぁ、希望にあふれるのは決して悪いことではありませんが。そこでよくよく調べてみると(って遅いんですけど)、女の36歳(数えで37歳)ってのは、本厄なんですと!勝手に最強の年と思い込んでたのは私だけだったみたい。気付いたのが年の終りでまだ良かったけど。いやはや、厄というのは決して侮れませんなぁ。何か悪いことが起こる、というよりは、厄というのは体にガタが来やすい年を言い当てたものらしい。まぁそれも昔でいうところの、ですから、今の健康、栄養、発育状態等々と照らし合わせると若干の誤差が出ていて当然なんでしょうが、昔の人の教えや忠告をそうおろそかにするものではありません。厄というのは、それなりの裏付けがあってこその、厄なのです。って、知った今だからこそ偉そうに言えるんですけどね。私の周りでも、厄だからお祓いに行かなきゃ、なんて川崎大師に厄除けに行ったりする友人もいるけれど、私は厄なんて自分には関係ないや、なんてたかを括ってました。むろん、それをやったからといって、冒頭に述べたような今年の不運がすべて祓われたかどうかはわかりません。が、気休めにはなったのであろうと。まぁ、この人生初の40度の発熱が、今年最後の厄となったであろうことを願いつつ・・・ あと残りわずかな2010年の日々を、いろんな物事に感謝し、体を自愛しつつ、粛々と過ごそうと思います・・・合掌。
2010.12.23
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8月12~14日の3日間、お墓参りのために故郷・岐阜に帰ってきました。この年になってみてようやくわかってきた、お墓参りの大切さ。先祖を敬い、その御霊に祈りを捧げることの尊さ。これでも遅いくらいですが、まだまだ遅すぎることはありません。今年はそんな思いで、実に10年以上ぶりに、お盆にお墓参りのために帰省してきました。私が14歳で渡馬するまでずっと暮らした岐阜の家には、今はもう誰も住んでいません。2005年の8月に祖母が亡くなり、その後は一時期兄が一人で暮らしたりもしていましたが、今はもう立派な空き家です。空き家にしておくにはもったいなさすぎるほど、立派な日本家屋なのですが・・・いろんな思い出が詰まりに詰まった我が家で、まずは仏壇に帰ってきた報告をし、思い出すと今でも胸が詰まりそうになる祖父や祖母らとの思い出を胸にあたためつつ、今まで親不孝(祖父母不幸?)であった自分をまずは詫びたのでした。糖尿を患っていたおばあちゃんが大好きだった最中を、仏壇から取り下げる時など、あたかもおばあちゃんが、「ちょっとちょっとゆうちゃん、何持ってくね?」と言っているような気がして、かなり後ろ髪を引かれる思いがしました。申し訳なくて、後ろを振り返ることができませんでした。2日目は朝から、先に到着していた両親と一緒に、お墓参りに行きました。岐阜というのは広い県なものですから、私が育った場所ではまた他とは異なった風習で、ご先祖様の御霊を出迎えます。そこでは、赤白提灯を、お墓に飾るのです。この時期になると、近所のジャスコなんかにも、当たり前のように赤白提灯が売っているので、私にとってはごくごく当たり前と思っていたのですが、ちょっと離れた岐阜は瑞浪、そしてお隣の名古屋でもそんな風習はないことが今回判明。地域によっていろんな違いがあるのだなぁ、と感心させられた一面でした。無事にお墓参りを終え、今度は前日に予約しておいた板取川のほとりの、鮎定食が楽しめるレストランに、両親と3人で行ってきました。私の生家からは車で片道1時間半ほどかかるものの、心地よい川のせせらぎに耳を傾けながら、天然鮎のコースが食せる、岐阜の中でも貴重なお食事処。それがこの、「おもだか」さんです。 まずは鮎の甘露煮に舌鼓。これがまたビールに合う、合う! 続いては、鮎のから揚げ。本当に、からっと揚がっていて、頭からしっぽまですべて食べられます。重たくなくておいしかった! 続いては、定番の鮎の塩焼き。天然鮎の塩焼きなんて、東京ではもう滅多に食べられるものではありません。小さいものは2匹ついてきて、鮎好きの父は大層ご満悦のようでした。 最後の〆は、鮎雑炊。これまた、あっさりながらも出汁がしっかり取られていて、とってもおいしかった!〆て一人3980円。昼にしてはちょっと高いかもしれませんが、鮎好きにはたまらないお店でした。 お店の前の、川をバックにパチリ。本当に、自然豊かなところです。帰りは、両親の車で東京まで乗せてもらいましたが、お盆休み最終日の一日前、しかも土曜日で高速道路料金1000円だというのに、かなり空いていてスイスイ行けてかなりびっくり!いやぁ~、やっぱり普段の行いが良いから・・・なんて、きっとご先祖様のご配慮だったのかな。なんてね。それにしても、きちんとお墓参りをした後の爽快感ったら・・・ 今後は毎年、よっぽどのことがない限り、きちんと通いたいと思います。
2010.08.21
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早いもので、昨日でとうとう3回目の年女を迎えてしまいました。昨日は、毎年恒例の江戸川の花火大会の日程が重なったこともあり、家族みんなで花火を見ながらお祝いしてもらいました。幾つになってもお誕生日をお祝いしてもらうのは、とってもうれしいこと。みんなからの手書きのカードやプレゼントをもらい、最後はバスキンロビンスのアイスケーキにろうそくを立てて、バースデーソングでお祝いしてもらいました。みんな、本当にありがとうね。(といっても、誰もここは見てませんが。)お祝いしてもらうのがうれしいとはいえ、さらに年を重ねたのは事実。自分ではまだまだ若い、なんて自負していても、体の節々が悲鳴をあげているのを痛感する時があります。この一年は、もう少し体を労わってあげつつ、いろんな意味で自分を高めて行かれるよう、努力をしていきたいと思っています。みなさん、これからもよろしくお願いいたします。
2010.08.08
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アメリカの独立記念日が、最後のハワイ紀行の投稿日になるなんて、なんとも良いタイミング!?さてさて、ハワイ紀行もいよいよこれが最終日。といっても、日記の投稿が最終というだけで、ハワイ旅行はまだ残すところ2日あります。ハワイ滞在4日目は、せっかくだからのんびり過ごそうということで、朝からローカルのマーケットを覗きに行き、その足でABCストアに行ってサンドイッチを買い、両親の部屋でのんびり朝食。 マーケットに行く途中で、こんな美しい虹が見えました。虹がこんなにもくっきりと、最初から終わりまできれいに見えるなんて、なんともラッキーです。そして滞在中初めてとなる「ビーチ&プールサイド」へと繰り出しました。この日も最高のお天気で、青い空には雲ひとつなく、最高のビーチ日和。両親も若いころに帰り、2人ですっかりはしゃぎまわっていました。そんな微笑ましい姿を見ながら、老体?の私たちはのんびりカクテルで乾杯! ところ変われど、過ごし方はいつも「おっさん」です。しかしこれが・・・たまら~ん!シェラトンワイキキのプールは、「エンドレスプール」といって、プールの目線から見ると海がそのまま繋がって見える、つまり「エンドレス」な造りとなっています。ゆーぽっぽは海にもプールにも入らず、その美しい景色をただただ(カクテルを片手に)楽しんでいました。この日は最終日ということもあり、ディナーは悩んだ末に、ガイドブックに載っていた「ショアバード・レストラン」を予約しました。シェラトンの近くにある、アウトリガーホテルの1階にある、ハワイの海に暮れゆく夕日を眺めながらバーベキューが楽しめる、大型レストランです。無料で配られているクーポンを使えば、なんと2皿目が半額になるというから驚き。 すべてのディッシュに、このようなサラダバーがついているので、滞在中野菜が足りない!と思われた方の野菜補給にもぴったり! ビュッフェテーブルの奥に、このような特大のコンロが設けられ、お客たちはこぞって自分の野菜や肉を焼きます。ちょっと目を離すと、誰に持って行かれるかわからないので、それぞれが自分の食材の近くで目を光らせながら焼き具合を見守っています。ゆーぽっぽも暑い中、がんばって焼きました!またまた親切なウェイターさんが、このお肉は片面何分ずつで合計何分焼いたら良い、ガーリックトーストはこんな風に焼いたらちょうどいい、などとアドバイスしてくれます。我々のテーブルについてくれたウェイターさんは笑顔もとてもよく、気持ちよく最後の晩餐をたのしむことができました。お名前を控えてこようと思ったのに、すっかり忘れてしまいました。残念!結局この日のディナーは、前述のクーポンを使って、159ドルのところがなんと123ドルに。笑顔の素敵な彼へのチップは、20ドルにしました。やっぱ高いね・・・たのしかったハワイ旅行も、いよいよ帰りの便を残すのみとなりました。飛行機に乗るのだって、我々にとっては楽しみなイベント。朝10時半にホテルでピックアップしてもらい、またもや大型のリムジンでお姫様気分を味わいながら、ホノルル空港へ。到着してみると、ホノルル空港にはものすごい数の人、人、人・・・ R&Cさんのガイドさんが待っていてくれなかったら、我々はエリート(ビジネスクラス)専用のレーンなんて、絶対に見つけられなかったでしょう。それくらいの人混みで、やや不安さえ覚えました。エリート・クラス用のチェックインカウンターで、サービス精神まったくなさそうなカウンターの女性に「ラウンジはどこ?」と尋ねると、「ラウンジは、メンバー専用だからあんたたちは使えないよ」と、つっけんどんな態度。出発前にラウンジでゆっくりできると思っていた我々がやや気色ばんで、「ビジネスクラスなのに?」と聞くと、さもめんどくさそうに、「そうだよ」との、冷たい返事。そんなの、ありかよ~!??帰ってきてからR&Cの方に聞いたのですが、これはやっぱりあり得ない対応だったそうです。レジャー路線といえど、ビジネスクラスでラウンジが使えないだなんて、聞いたことがありません。でもそんなことではめげないのが私たち。たくみにビジネスの場所を捜し出し、何食わぬ顔をして潜入成功!・・・でも、カウンターのおばさんに同調するわけではありませんが、あのラウンジは行かない方が正解かも・・・ というのも、デルタだけでなく、スカイチーム専用ラウンジになっているため、ただでさえ狭苦しいラウンジ内が、お客さんで鮨詰め状態なのです。室内には席を見つけられず、うろうろする人たちの姿も。しかしその横には、KEの独立ラウンジがあったからなぁ。デルタだけ、自分ところの小狭いラウンジを、アライアンスに提供することはないと思うけど。しかもあの態度。今思い出しても腹が立ちます。 私が、母の分と2杯分の赤ワインを手にテーブルに戻ろうとすると、ラウンジの日系人のおばちゃんが駆け付けてきて、「ハワイ州の法律で、アルコールを両手に持つことはできませんので、私が1杯テーブルまでお運びします」ですって。そんな法律あるんかいな。結局、あまり居心地がよくなかったので早々にラウンジを出て、搭乗口の方へと向かいました。しかも、後で聞いたら、このラウンジにアルコールが登場したのも、つい最近なんですって。お客さんからのクレームで、ようやく置くようになったとか。いかにレジャーCとはいえ、あの待遇はどうよ・・・ねぇ。 帰りもジャンボ機。やや老朽化していそうですが、ビジネスはほぼフラットになり、なかなか快適です。 ウェルカムドリンクには、シャンパンとビールを頼みました。ここからまた、たのしい空の旅のはじまり、はじまり~・・・ 離陸して1時間ほど経つと、夕食が供されます。この日の前菜は、トマトのフィレンツェ風スープ、ミックスサラダなど。 ナプキンに、こんなノースの名残を見つけ、パチリ。 和食のメニューは、スモークサーモンの黄身寿司、鳥の串焼きなどでした。 上は彼が頼んだ豚肉の炒め物。中華風の味付けでした。下は私が頼んだ、牛フィレ肉・粒マスタードソース仕立て。付け合わせのポテトに、シナモン・パウダーがまぶしてあったのが何とも不思議でした。 デザートには、フルーツと、バニラアイスのラズベリーソースがけ。 着陸の1時間ほど前になると、朝ご飯が供されます。ハッシュドポテトやオムレツ、ソーセージなど、典型的な朝ご飯のメニューです。 エンジンが錆びていました・・・ 大丈夫かいな。そして我々を乗せたデルタ機は、定刻の16時35分に、無事成田空港に到着。本当に、あっという間の旅でした。初めてのハワイ旅行を終えてみての感想は・・・ やっぱりハワイはオールマイティなデスティネーション。気候がよく、治安もよく、日本語が通じて、そして人も良い、文句のつけどころがない、パーフェクトなリゾートといえるでしょう。何も不自由せず、苦労せず、安心して楽しめるリゾート、それがこんなにもたくさんのリピーター達を魅了し続ける、一番のポイントなのではないかと思います。今回そんなハワイの良さに感心しつつ、そしてちょっぴり嫉妬もしつつ、私が思ったのは何より、童心にかえって楽しむ両親の姿が見られて本当にうれしかった、ということです。ただそれだけ、といっても過言ではないほど、充実した気持ちに満たされた気がします。そう、このちっぽけな儚い人生、親孝行できる時にしておかないと、きっと後悔するに違いありません。両親が喜んでくれる顔が、私にとっては何よりの思い出であり、最高のプレゼントです。さて次はどこに連れて行ってあげるかな、とさっそく次の計画に胸をおどらせる、ゆーぽっぽなのでありました。
2010.07.04
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チーズバーガーで腹ごしらえをした後、13時半にホテルでピックアップしてもらい、いよいよ飛行機の体験操縦の場所へ。ここ「Washin Air」さんは、日本人の方が経営されている、小型操縦士免許がなくても体験操縦をさせてくれる会社です。ホノルル空港のすぐそばに拠点を構え、訪れる飛行機ファンは、多い時で一日10組を超えるとか。日本からも何度も特集が組まれ、有名人やタレントなどがここで体験操縦する様子がビデオに収められています。 操縦する飛行機は、この「パイパー・アーチャー」という、単発機です。なんとこのパネルの計器を使って10分間講義を受けただけで、体験操縦が出来てしまうというのだから驚き。しかも、左(機長)席に座らせてくれるのです。でもご安心あれ、右席には副操縦士に扮したワシン・エアの教官が一緒に乗ってくれるので、何かあっても大丈夫。いえいえ、「何か」あっては困るのですが・・・ 同乗できるのが、操縦士と教官ふくめ4人までとあって、ゆーぽっぽは地上でお留守番。どきどきしながら見守っていると・・・ 見事に飛びました!!!感激です。なんだか、子供の成長を見守る親のような気分でした。 これは同乗した彼が撮った、機内から見える風景。ハワイの大自然が満喫できます。約1時間の飛行体験を終え、3人は満面の笑みで戻ってきました。特に飛行機が大好きな父の顔からは、飛行前のややこわばった表情はすっかり消え、充実感と達成感で抑えきれない興奮を満面に表していました。操縦桿はパワステになっていないのでかなり重かったそうですが、それも「操縦している」という実感につながり、忘れられない思い出になったとのこと。本当に、良いプレゼントができました。父のために一生懸命調べてくれた彼に、感謝、感謝です。飛行機の操縦体験を無事終え、ホテルで一休みした後、今度はこの日のディナーの場所、「Wolfgang's Steak House」へ。 店内はこんな風に、ちょっと高級感があり、お誕生日ディナーにふさわしい雰囲気です。ウェイターさんやウェイトレスさんがきびきびと動き回っています。 前菜に頼んだ、海老のカクテル。大振りの海老がぷりぷりしてとってもおいしかったです。 名物の「ウルフギャング・サラダ」。一見手抜きともとれる、この大雑把なスタイルがまた、味わう者の目と舌を楽しませてくれます。しかし見た目通りの、何の驚きもない味だったなぁ~・・・ 失礼。 ステーキと、ベークドポテト。すべてがビッグサイズです。ステーキが大好きな父は大喜びで、特大のステーキを頬ばっていました。 ハワイにはこんな、Tip Calculator なるものが存在します。その名のとおり、幾らのお会計なら、15%でチップはいくら、18%でいくら、といったように、チップをやや強制的に支払わせる制度。ハワイの給仕さんたちがみな、フレンドリーで気遣いが行き届いているのは、自分たちの懐に直接入ってくるこのチップをあてにして、なんだそうな。そう考えるとやや興ざめですが、ここはもう「郷に入っては郷に従え」と、割り切るしかありません。チップ制度のない日本やマレーシアに慣れていると、こういったサービスのお仕着せは、なんだかさみしくも思えてしまうのは、私だけなのでしょうか。 この日はせっかくのお誕生日&記念日だったこともあり、ちょっと夜更かしして、お隣のロイヤル・ハワイアンのプールサイドバーで、カクテルで乾杯しました。お父さん、初めての操縦、よく頑張りました。一生の思い出になるといいな!
2010.07.03
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6時になりゲートがオープンすると、たくさん横付けされたバスが一斉に中へと移動し始めます。みな、ツアーに参加している人たち。ツアーは、宿泊先のホテルから一人25ドルで、安い!と思いましたが、特に入場料があるわけでもなし、足さえあればタダで行けるわけですよね。。 これがその入り口。 ここからトレッキング開始です。6時過ぎに到着し、与えられた時間は7時20分まで。無事登って、下りて来られるでしょうか。どきどき。。 結構な距離です・・・朝からいい運動になりそう・・・ こんな急な階段をようやく登り終えると、まもなく登頂です。 この素晴らしい光景は、がんばった自分へのご褒美!登り始める頃は肌寒ささえ感じられたのに、登頂する頃には汗ぐっしょり。みんな本当に、よくがんばりました! 登頂すると全員に、こんな証明書が発行されます。良い記念になりますね! 下山して少しホテルでゆっくりした後、今度は有名なパンケーキ屋さん、「エッグスン・シングス」へ。到着するとすでにこのような人だかりです。最近では原宿にも日本第一号店ができて、連日すごい人だかりのようですが、味は本店とは似ても似つかないとのことで、かなり不評が出ているとか。私たちも、20分ほど待ってようやく中に入ることができました。 ここではパンケーキはあくまでも、主役のエッグに花を添えるための脇役。。。のはずが、完全に主役になってしまっています。それもそのはず、なんたるこの存在感。もちろんこのホイップクリーム付は特別オーダーですが、クリームなしでもなかなかどうして、十分なボリュームがあり、運動した後の私たちでも結局完食できませんでした。ちなみに、残したパンケーキやオムレツなどは、「to go」といって、持ち帰ることもできるのだそうです。この日の晩は、ピザが大好きな母のために、イタリア料理「アランチーノ」へ。ここも、ハワイ通の方にお薦めされた、ハワイ屈指の名店です。 イタリアンビールを片手に、ハワイでの第二夜に乾杯!あっという間に時間が過ぎてしまうのが、楽しい旅においては一番の悩み種です。。。翌朝も良いお天気!今日はこの旅一番の醍醐味ともいえる、「飛行機操縦体験」の日です。そして、父のお誕生日。そう、この操縦体験は、父へのお誕生日プレゼントとして、私たちがかねてから計画していたものだったのです。 朝は、前日スーパーで買ってきたパパイヤで簡単に。 飛行機操縦の前の腹ごしらえは、ホテル近くのビーチウォークにある、「Cheese Burger in Waikiki Beach Walk」で。このアメリカンな雰囲気が、なんとも開放的でわくわくしますよね。ウェイトレスたちは、フラダンスの衣装のようなものを腰に巻いて、颯爽と動き回っています。ここでもやはり、オーダーして少しすると、「味はどう?ほかは大丈夫?」などと聞きに来てくれるサービス精神がうれしかったです。して、出てきたこのすごいボリュームのハンバーガー。さすが、アメリカン・サイズです。ハワイアン・サイズとでも言うのかな?でもおいしくて、なんとか全部平らげることができました。私たち3人は操縦しないのでビールを頂きましたが、これから操縦が控えている父は、やや緊張気味の面持ちで、ビールなしの昼食を楽しんでいました。
2010.07.02
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2010年6月22日~27日、6日間の日程で人生初のハワイに行ってきました。今まで散々世界中や国内のいろんなところを周っていながら、いまだかつてあのハワイに行ったことがないなんて、と恥じることはないまでも、一度は行って、その人気の理由を確かめてみたいと思っていました。ハワイは70%という脅威のリピーター率を誇る、言わずと知れた世界屈指の観光地。私にとって慣れ親しんだマレーシアは、同じ常夏の南国でありながら、なぜこんなに知名度も人気も違うのか。。 その人気の理由がわかれば、今後マレーシアをさらに盛り上げて行くのに、もしかしたら一役買うことさえできるかも・・・ なーんてね。そんなこんなで、今回は同じくハワイ初めての両親と彼との4人で、私にとっては実に20年ぶりにアメリカ合衆国の土を踏むことに。行ってみての感想はといえば、「やっぱりハワイはいいところ!」・・・なぁ~んだ、至極月並みなコメントですね。(笑)今回の旅は、最初から最後まで、ハワイ旅行のエキスパート、「R&Cツアーズ」さんにお世話になりました。ハワイ旅行の老舗中の老舗というだけあり、現地でのサポートはそれはそれは抜群で、心配することなぞ一つもなく、最後まで安心して旅を終えることができました。R&Cさんのホームページはこちら(↓)http://www.rctours.jp/今回のエアは、初めて新生・デルタ航空さんにお世話になることに。まずは成田のデルタラウンジの様子から。夜21時15分発のフライトだというのに、ラウンジは結構いっぱいで席を探す人の姿も見られました。我々も無事4席見つけて、出発前のひと時を過ごすことに。 和酒もありましたが、我々はワインとオードブルで乾杯しました。 初めてのデルタ航空機。言わずと知れた、ジャンボ機です。安全運航で頼みますよ~! 登場すると、すぐにウェルカムドリンクの白ワインが供されました。 食事のお伴には、赤ワインを。おつまみも一緒に持ってきてくれます。 アペタイザーは、マッシュルームのスープや、メスクランサラダ等でした。 上は私がオーダーしたメインの「鶏胸肉のパルメザンクラスト」、下は彼が頼んだ「牛フィレ肉・ペッパーコーンソース仕立て」。どちらもアツアツで、とってもおいしかったです。 調子にのってウィスキーを頼み、デザートに頂いたバニラアイスにかけて食べました。これがまたベストマッチで、おいしかったのなんのって! 到着前のリフレッシュメント。両親は、もっとがっつりした朝ご飯が食べられると期待していたようで、ちょっとがっかりしていましたが。 デルタのブランケットは厚みがあり、センスも良い気がします。 現地時刻の朝9時30分頃(日本時間は翌日の14時30分)、ややインスケでホノルル国際空港に到着。こんなすごいリムジンがお出迎えしてくれました。こんなリムジンに乗るのはもちろん、生まれて初めて!両親も大喜びです。 リムジンの中。8人以上乗れるんじゃないかと思われるほど広い車内。贅沢だ~! アーリーチェックインの手配をお願いしておいたので、到着するとすぐに、宿泊先のシェラトン・ワイキキに直行。この日は満室とのことで、彼が喫煙室を希望してみたものの、すでにいっぱいとのことでした。まぁ、滞在中たばこの量が減ってちょうど良いかもね~ 両親の部屋からは、ダイヤモンドヘッドの雄大な姿が見えましたが、私たちの部屋からは海とプールが主な眺望。でもこの海!見ているだけで心が癒されます。 プールサイドから見える、ダイヤモンドヘッド。海と山がここまで見事に調和している眺望って、ここ以外一体どこにあるでしょうか・・・? 少しホテルで休んだ後、お昼がてらさっそく街中に散策に行きました。街中にはこんな、オレンジのかわいいお花がそこかしこに見られます。これがまた、青い空に映えてとってもハワイアン! お昼は、ロイヤルハワイアンセンターの中のフードコートにて。さすがハワイ。ボリュームも満点です。 トローリーバスの乗り放題チケットをもらっていたので、食事後さっそくピンクトローリーに乗って、アラモアナセンター方面に行ってきました。事前に下調べしてあった、ロスドレスに行って、かわいい姪っ子たちのお洋服を調達するためです。 なーんていいつつ、結局自分のものを買っちゃいました。左はOSH KOSH の半ズボン、右はConverse の運動靴。どちらも破格のお値段です。なんでハワイまで来てわざわざこれを購入したかというと・・・ 明日のダイヤモンドヘッド登山に備えて、です。翌朝は4時半起き、5時半待ち合わせで、ダイヤモンドヘッドへ。ダイヤモンドヘッドの中腹まで車で行き、そこで夜明けを待ちます。6時にならないとゲートが開かないため、まずはゲートの近くでご来光を拝み、ゲートが開いてからトレッキングへと移動します。 やっと、お日様がきれいに顔を出しました。やや雲がかかっていたため、それほどきれいに見えませんでしたが、夜明けはいつ経験しても、神聖な気持ちになります。
2010.07.01
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これで楽しかった韓国旅行はほぼおしまい。最終日は、後ろ髪を引かれる思いで空港に向かいます。せっかくKEご自慢のラウンジに入れるのだからと、勇んで2時間半前に到着した私たち。まずはキムチや韓国のりなどお土産を買い、チェックインして入国審査に。免税店でちょっとお買い物してから、あとはお待ちかねのラウンジでゆっくりしようと思ったら・・・ あらら?ラウンジの姿が見当たりません。そこらへんにいた、警備員のお兄さんに、ラウンジの地図を見せると・・・ 「あ~、これね。入国審査通る前だよ。ほら。」ラウンジは、てっきり入国審査を通ってからだと思い込んでいた私たち。チェックイン時にもらった地図で、場所をよく確認しておくべきでした。せっかくの機会なのに、残念!!!ま、後学に生かしましょう、と気を取り直して、飛行機の離発着が見える絶景ポイントで、3人でコーヒーを飲みながら、2時間あまりの時間をつぶしたのでありました。 これは帰りの機内食のメニュー。この日のプレミアム空弁は、偶然にも彼の出身の岡山のご当地弁当でした。10日ごとにメニューが変わるそうで、次のご当地弁当は高知だったようです。 ばら寿司、ままかり漬、鶏の塩焼・マッシュルーム餡、桃まんじゅうなど、久々の岡山の味に舌鼓を打ちつつ、たのしかった韓国旅行を振り返りました。今回、韓国の結婚式に出席するまたとない機会を与えてくれたジュヒ、そしてお父さん、ビジネスクラスの旅を私たちにプレゼントしてくれた彼、そして我々日本からの参列者をあたたかく迎え、そして心からもてなしてくれたジュヒのだんなさんやご家族の皆さんに、心から感謝しています。本当に、かけがえのない大切な時間となりました。ジュヒ、本当におめでとう!!!しあわせになってね。日本のお姉ちゃんより
2010.05.24
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南大門市場などでのお買い物を終え、一旦ホテルで休んだ後、いよいよ今回の旅の主目的、ジュヒの結婚式が執り行われる会場へと向かいます。この日は韓国では母の日。あれっ?と思う方もいらっしゃるでしょう、それもそのはず、日本では母の日は必ず5月の第2日曜日と相場が決まっています。ところが韓国では5月8日、つまり土曜日だというのです。今年だけのことなのでしょうか、それとも何かの間違い?母の日は万国共通第2日曜日のはずなのに、なんだかおもしろい話ですね。それもあってか、道はものすごい渋滞・・・ これを考えてのことだったのでしょう、ジュヒは車でなく、地下鉄で来ることを勧めていましたが、ジュヒへの大きなプレゼント(ティファールのお鍋一式)を抱えていた我々は、重いからとタクシーで会場に向かうことに。これが大きな誤算でした。式は5時半からで、その前に記念撮影をしたいから、5時過ぎには来てね、と言われ、はやめにホテルを出たはずだったのに、会場前に着いてみればぎりぎりの5時20分!あわてて会場入りし、ジュヒの姿を探すと、そこには美しい花嫁衣装に身を包んだジュヒが、おだやかに笑っていました。やれやれ、どうにか間に合った~・・・ 式場にはこのような、贈答品と思われるお花が飾ってあります。めでたい場所でのこういったお花の飾りつけは、なんだか日本と似てますね。 そして入り口には、幸せいっぱいの新郎新婦の写真が飾ってありました。あまりに綺麗なので写真をアップしたいところですが、ここはジュヒのプライバシーを考慮して、顔は隠させていただきます。 まずはご両親(ジュヒにはお父様がおらず、彼にはご両親がいらっしゃらないため、入場はジュヒのお母様と、彼のお姉様との2人で行われました)の入場。 続いて、本日の主役、新郎新婦の入場です。 まずは新郎が、このように床に頭をつけて、両方の親族に深い謝意を表します。さすが儒教の国です。このように真摯に、目上の人を敬う姿がとても美しく、心うたれました。 日本でいうところの誓いの言葉なのでしょうか・・・ 指輪交換や誓いのキスというようなものはありません。至極あっさりしていました。 その後、なんと式場の壇上にて、ケーキカットが執り行われます。日本じゃまず、考えられませんよね。参列する人たちの格好も、日本の大げさなものとは違って、ごくごくラフ。携帯電話が鳴ると、話しながら外に出て行く人さえいて、ちょっとびっくり・・・ 続いて、これまた壇上にて家族写真。このあと参列者も全員壇上にあがり、集合写真が撮られました。これも日本にはない習慣ですよね・・・ 日本では、挙式中は撮影不可のところも多いですからね。ここら辺に、結婚式を心からお祝いする韓国の挙式スタイルと、結婚式を商業と重ね合わせる日本のちょっと穿ったスタイルとの違いを見たような気がしました。 洋式の挙式を終えると、今度は場所を移して、韓国の伝統的な結婚式に参列させてもらうことに。 まずは、美しい民族衣装に身を包んだ新郎新婦が、上座に座ります。 手を交差させつつ、お神酒を酌み交わします。お神酒といっても、器に入っているのはどうやらお茶のようです。 続いて、先ほどの上座に親族を座らせ、2人で床に手をついて深謝の意を表します。ここで上座に座る親族から祝いと激励の言葉が与えられ、このタイミングで選別(ご祝儀)が渡されます。ここでまたおもしろいなぁと思ったのは、日本で仰々しく手渡されるご祝儀袋などとは違い、ごくごくカジュアルに、人によっては「Hana Bank」などと書かれた銀行の袋に入ったままで渡すなんて姿も。さも、銀行でお金をおろしてそのまま持ってきた、といわんばかりの姿がとても微笑ましく、親しみが持てました。そう、形なんてどうだっていいのです。気持ち(と、少しばかりの中身)さえあれば。また、ご祝儀袋の中に入れる金額も、日本よりずっと低く、50000~100000ウォンが相場なのだそう。お金ばかりかかる結婚式の軍資金にとばかり、高いご祝儀を納めなければならない日本の結婚式と違い、これまた参列者のことを第一に考えた、韓国ならではのスタイルだと思いました。でもこの方が本来の結婚式の姿なのではないかと思います。日本の結婚式が当たり前になっている我々にとって、なんだかそれがとても形式ばった、そして式場側の商魂に踊らされた滑稽なものに思えて、ちょっとかわいそうな気持ちになりました。(もちろん我々も、その術中にはまった、かわいそうな犠牲者のうちの一人なのですが。。。) そして、上座に座った人が、新婦の衣装についているエプロンのような布を広げたところに、このように子宝を願って栗と杏の実を投げます。それを幾つ布で拾えるかで、それぞれ何人の男の子・女の子の子宝を授かるかを占うんだそうです。ちなみにジュヒたちは、10個以上拾っていました。これから忙しくなりそうですね・・・(笑) こうして、皆から頂いたご祝儀を手に、満面の笑みで写真を撮る様子なども、日本では絶対に見られない姿ですよね。(笑) なんとも微笑ましい、新郎新婦の姿です。 この後、すべてのご祝儀を新婦に渡し、新郎が新婦をおぶって部屋の中を一周します。その様子があたかも「生涯服従を誓います!」と言っているようで、これまた微笑ましい図でした。 伝統的な式を一通り終えると、今度は別のフロアに移って披露宴のようなものを執り行います。披露宴といっても、特に席が決められているわけではなく、人々は三々五々に集まり、めいめいが席を選んで座ります。卓上にはこのように、あらかじめ数本のお酒とソフトドリンクが置かれ、言い方は悪いですが、その様子はまるで日本の通夜ぶるまいのよう・・・失敬! このように広い会場の真ん中に、ビュッフェテーブルが置かれ、参列者はめいめい、食事を取ってきて席で食べます。 真ん中は、韓国の味の数々。下はお寿司のビュッフェ台。くるくる廻っていましたよ! せっかくなので、ゆーぽっぽも縁起もののお料理の数々を、たくさん頂きました! これまた日本じゃあり得ないのですが、食べているそばから早々と片付け隊がテーブルを周り、空いたお皿などを片付けはじめます。なんともあけっぴろげで好感が持てますね。(笑) そこへ、カジュアルな民族衣装に着替えた新郎新婦が登場!各テーブルを周り、参列者にお礼を述べます。うれしそうに笑う2人が本当に微笑ましく、とても幸せな気持ちをもらいました。 結婚式の後、日本から来ていたジュヒの他の友達とみんなで、ジュヒのお薦めのデジカルビ屋さんへ。民家を改装したような内装のお店で、お料理もさることながら、居心地も満点の名店でした! 手際良く、ハサミで肉を切り分けてくれる新郎。礼服から着替えて、すっかり普段着の様相です。 ほら、おいしそうでしょう??? これに生にんにくとタレをちょっと乗せ、サンチュにくるんで食べます。あぁ~もう・・・絶品!じゅるるっっ・・・おいしいデジカルビと幸せそうな新郎新婦の笑顔に、心もお腹もいっぱいに満たされた夜でした。
2010.05.23
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私には妹が2人います。厳密に言うと、2人とも血の繋がっていない妹(だって私は末っ子だから)。でも、私にとっては2人とも、とっても大切な妹。一人は3つ下の義理の妹、つまり彼の妹。そしてもう一人は、韓国の妹で、名前をジュヒといいます。私のことを、「お姉ちゃん」と呼んで慕ってくれるジュヒとの繋がりを、私もとても大切に思っています。その韓国の妹、ジュヒがこの度めでたく結婚することになりました。元上司の私の父を結婚式に招待したいと言ってくれ、母と私の同席も歓迎してくれました。他国の結婚式はマレーシア以外は行ったことがなく、とてもたのしみにしていました。もちろん一番のたのしみは、ジュヒの幸せそうな花嫁姿を見ること。せっかく韓国に行くんだからと、金曜日一日休みを取り、5月7日~9日の3日間の日程で、2年ぶりのソウルに行ってきました。今回は、彼が貯めたマイレージで、私の両親と私の3人分の切符を、ビジネスクラスで用意してくれました。ビジネスにはあまり乗ったことのない両親は大喜び! この日の機内食は、一の膳に金目鯛の西京焼き、鴨ロース煮、つぶ貝の明太和えなど、そして二の膳には握り寿司の数々や桜餅と、目にも鮮やかな品々。何より、小花をあしらった和風のお弁当箱があまりにかわいくて、姪っ子たちに持ち帰ってやりたくなりました。 今回のお宿、ロッテホテル(本館)に到着。あいかわらず見事な花が生けてあります。一体幾らかかるんでしょ・・・ 今回泊まったお部屋の中です。きっとこちらも改装したのでしょう、新館とはまた違った雰囲気ですが、茶色を基調とした室内はとてもいごこちの良い空間でした。 お部屋で少し休息を取り、その後、行きの機内でもらった「JAL GUIDE SEOUL」に載っていた、女性のシェフの作る韓定食に定評のある「Mari」で夕ご飯。 こんなに盛りだくさんの内容で、一人17000ウォン(約1400円)とは、何ともお得! 最初に出てきた、こんにゃくのあえもの。その名の通りのお味で、あっさりしていてとてもヘルシーなお料理。 付け合わせの水キムチ。キムチのような色はしていないものの、酸っぱ辛くておいしかった。 続いてお目見えしたのは、味付け豚肉の野菜包み。これは多分、大根を薄っぺらく切ったものかな?これまたこってりしたお肉の味が、大根で巻くことによってさっぱりと緩和されておいしかったです。どうやら、定番のお料理みたい。 これまた定番の、プルコギ。ここまでですでにお腹いっぱいの私たち。 すでにご機嫌のゆーぽっぽ。母が飲めないというのに、マッコリもボトルで頼んでしまいました。もちろん、さくっと空けましたよ!(笑) これまたゆーぽっぽの好物、「スンドゥブ・チゲ(豆腐チゲ)」。日本でもよく食べる一品です。 最後に、お米のデザートみたいなものが出て、〆となりました。【お店情報】Mari 西大門区大信洞85-3 TEL: 393-3377翌朝起きると、これまた気持ちのよい晴天!本当に、お天気に恵まれた旅です。 これは、ロッテホテルの新館の方の入り口に飾ってあった生け花。本当に華美です。今回の旅は、もちろんジュヒの結婚式がメインですが、お楽しみのトリは夜まで置いといて、昼は3人で、前から再訪したいと思っていた、餃子が有名なお店に行ってきました。 これがそのお店です。我々が到着した12時ちょっと前は、まだ並ぶことなく入れました。ラッキー☆ お店は、景福宮や国立民族博物館のすぐ前に位置しています。 メニューはこんな感じ。まだまだ日本円が強いことを考えると、おうどん1杯7,000ウォンなど、なかなかどうして、値ごろ感のある内容です。 私たちのお目当てはもちろんこのお店の看板メニューの餃子・・・ ではなく、このキムチ!ここのキムチの味わいの深さったら・・・それはそれは、他のお店のものとは比べ物になりません。しかも、なくなる前から「あら、もうないわね」と言わんばかりに、どさっ、どさっと追加を積んでくれるその気前の良さ!この絶品キムチがどうしても食べたくて、足を運んだというわけです。 もちろん、看板メニューの餃子も絶品!味もさることながら、ここの餃子は1つ1つがとにかくデカいんです!お店で1つ1つ手作りしているこの餃子、本当に1つ食べるとお腹いっぱいになりますよ! お店の入り口で、このように大きな餃子を1つ1つ手作りしています。カメラを向けると、ちょっとはにかんだように笑ってくれて、かわいいなぁ~なんて思っちゃいました。でもこの手つきは、みんなプロ!!!最後にくるっと丸めて、あのような「丸い餃子」の完成です。 約30分強で食事を終えて外に出てみると・・・すでにこの行列!でも回転が速いから、きっとそんなに時間がかかることなく中に入れるのでしょうね。お客さんは見事に地元の人たちばかりで、我々のような日本人観光客らしき人は見かけませんでした。きっと地元の庶民の味方!のお店なのでしょうね。ここは残念ながら、お店情報はハングルでしかわからないので、アップできません。この後ロッテ百貨店の地下の食料品売り場で、シャボン玉石けんの韓国版を見かけ、パチリ。 がんばってるね~!!!
2010.05.22
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2010年3月8~9日、1泊2日で久しぶりに伊豆に行ってきました。今回の旅の主目的は、会社の人から聞いて一度行ってみたいと思っていた、西伊豆の民宿「かいとく丸」に泊まること。オールアバウトジャパンでも、「民宿御三家」と称されたほど、料理自慢の宿とのことで、楽しみにしていました。伊豆に行くのなんて、いつぶりでしょう?なんて古い記憶を辿りながら到着したのは「伊豆急下田駅」。まずは駅前のレストランで腹ごしらえしました。 10食限定の「海女丼」。魚介の漬け丼という感じでなかなか美味でした。〆て1800円はちょっと高いかな?昼食を済ませた後、バスで堂ヶ島まで行き、洞窟めぐりを楽しんできました。波が高かったりするとすぐに催行中止になるツアーだったのですが、ラッキーにも参加することができました。参加費は大人一人1100円。決して安くはありませんが、伊豆にもこんないいところがあったんだ、と開眼の思いでした。 ほら、海がこんなにも澄んできれいなんです。 このように、いびつな形をした岩をそこかしこに見ることができます。 恐竜岩・・・ 勝手に命名しました。(笑) これはゾウ岩。なんとなく、ゾウさんに似てるでしょう? いよいよ洞窟の中に入っていきます。 昭和10年に、天然記念物に指定された天窓洞は、凝灰石(安山岩)でできた海蝕洞窟です。中央は天井が丸く抜け落ちて天窓をなし、洞窟内に光が差し込んでいます。洞窟の中はひんやりしていてとても気持ちよかったです。 バスに揺られること約1時間半。ようやく目的の「かいとく丸」さんに到着。民宿というだけあり、外観はごくごく地味です。到着してすぐ、お風呂に入り疲れを癒します。家族風呂が全部で3つあるだけの、とてもシンプルなお宿。部屋数も6室ほどしかありません。予約の取れない人気宿と聞いていましたが、この日は平日の1泊ということもあり、宿泊者は我々とあともう1組のご夫婦のみでした。というわけで、家族風呂が取り合いになることもなく、ゆったりとお湯を頂くことができました。・・・が!民宿というものに久しく泊まっていなかった私は重大なことを事前に確認するのを忘れていました・・・ それは、バスタオルの有無!結局、温泉宿にありがちな薄っぺらい小タオルで全身を拭くことに。寒かったのなんのって お待ちかねの夕食です。まずはさざえのバター焼きから。 続いては、特別コースだけに含まれている、伊勢海老のお刺身。食べ終わった殻は、翌朝の朝食にもお目見えしました。 昆布締めされた鯛のお刺身。 これまた特別コースのみについてくる、鮑。お刺身にするかステーキにするかはお客さんの好みを聞いてくれます。かなり歯ごたえがあるので、歯の弱い方はステーキの方がお薦めなんだそう。 伊勢海老のアメリカンソース、フランスパン添え。コースの中で唯一の洋食でした。私たちが大食いだからでしょうか・・・ この後、甘鯛の塩焼きやご飯やデザートのミカンなども出ましたが、最終的に「あ~、お腹いっぱい!」という満足感はちっとも得られませんでした。それよりも、お料理が出されるスピードが速くて、余韻に浸る間もなく、1時間ほどで食事を終えてしまうことに。何しろスタートが早く17時半~と指定されてしまうので、18時半頃にリリースされても、ちょっとなぁ・・・・周りにも何もないし。でも、お食事と一緒に頼んだ、地元の「開運」という地酒は、すっきりしていてなかなかおいしかったです。あまりにもすることがなく、10時頃には早々に床に就いてしまった、というか就かざるをえなかった夜。そんな夜もしんしんと更けて行きました。 して迎えた翌朝の朝ご飯。こんな感じで盛りだくさんの内容がテーブルに所狭しと並べられます。中でもサラダが、野菜の味が濃くてとってもおいしかったです。ちゃぁんと、昨夜の伊勢海老クンも、おみそ汁の中で存在感を主張していましたよ。 「岩地温泉」というバス停で、帰りのバスを待ちます。1日2本ほどしかないので、乗り過ごすと大変!周りにはタクシーどころか路上を走る車さえもほとんど見かけません。 最後に伊豆急下田駅に戻り、駅の構内のレストランで地魚寿司のセットを食べました。この日は朝から嵐のようなお天気で、東京ではなんとこの後雪が降りました。。。今回の宿は私が取ったものの、乗り物オンチの私は最初から最後まで、その旅行ルートを彼に任せっきりにしていました。そんな彼がネットを駆使して探してくれたのが、「踊子西伊豆フリー切符(一人約10000円)」。これ1枚で2日間この区域の乗り物がなんと乗り放題なのです。バスの1区間だけでも2000円くらいしたりすることを考えると、これはかなりお得。さすが乗り物好きの彼。これだけで旅費がかなり浮きました。・・・とはいえ、今回は国内旅行(しかも電車!)だというのに、遣ったお金は計約8万円。わずか2日間なので、ちょっと高いですよね・・・ ま、いっか。彼のお誕生日&結婚記念日だったしね!さーて、今度はどこに旅行しようかな!
2010.03.22
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つい先日年が明けたと思ったら、もう2月に入って1週間が過ぎてしまった。人生3回目となる年女の今年は、私にとって最高の一年になるはず・・・ だったのに。年明け早々?に恒例の風邪を引いてしまいました。一旦治ったと思ったらこれがまたシツコくて、結局病院にかかり、会社を3日も休むハメに。。ただ今回は咳やくしゃみ、喉の痛みといった典型的な風邪の症状に悩まされながらも、高熱が出なかったので比較的楽?でした。しゃあしゃあと書いている今も、まだ時々咳には悩まされていますが、ほぼ完治したかな。私にとってもはや恒例ともいえるこの風邪。これ以外の病気は例年ほとんどしない私ですが、今回一世一代ともいえる大きな試練を迎えました。それは・・・彼の病気。私が風邪を引くちょうど3日前くらいから、滅多に便秘をしない彼が便秘に悩まされるようになり、挙句の果てには便に血が混じるようになってしまったのです。しかも便意はもよおすとのことでトイレに籠りいきむものの、出るのは少量の血に粘膜のようなものが混じるとさえ言い出す始末・・・ 彼なりにいろいろなサイトで同じような症状を検索してみたところ、どうやら大腸内にポリープができているか、もしくは大腸がんの疑いさえあるとのこと。がんになると、彼はお役御免になってしまうとあって、我が家に一時、お通夜のような重苦しい空気が流れました。ちょうど、というのか、私が体調を崩し病院に行くタイミングだったので、一緒に病院に行き検査をしてもらうことに。二人とも普段からあまり病院には縁がないため、新規外来で2時間も待たされた末に、彼に下された診断は、「(先述のような)恐れがあるため、2日後に大腸の内視鏡検査を行い、詳しく診てみましょう」というもの。2日という時間は、死刑宣告を待つ囚人の気持ちの我々にとってはものすごく長く耐えがたい時間で、これまた本当につらかったです。2日間一生懸命神や亡くなった祖父母、そして同じく亡くなった恩師に祈り続け、そして迎えた2月4日の木曜日。すでにほとんど完治していた私は後ろ髪を引かれる思いで会社に行き、彼は間もなくして家を後にし、病院に向かったのでした。朝8時半に来院するよう告げられていた彼のそれからというものは、耐えがたきを耐え、ではないですが本当に辛いものだったようです。2リットルの液体状の下剤を30分に500mlずつ空けさせられ、トイレと部屋を往復すること数時間。ようやく大腸がきれいになった状態で、施術は14時半から行われ、その日幾つかのアポを抱えていた私は時計とにらめっこしながら、移動したり誰かとミーティングをする傍ら、ただひたすら彼からの連絡を待ちました。こういう時に限ってうまくいかないものです。普段携帯が鳴ってもなかなか気付かない私は、いつメールが来ても、電話が来てもいいようにと携帯を手に持っていたのですが、ちょうど地下鉄に乗って移動していたタイミングだったため、彼が病院を後にしてすぐ電話をくれたらしいのですが、「こない、こない、遅い、遅い」と、動物園のクマのように電車内をウロウロしながら電話を待ちわびていました。何度か電話をしても繋がらなかった(彼談)ため、とうとうしびれを切らした彼からメールが。「ポリープとか悪性のものではなかったが一応検査してもらい、来週の結果待ち。」このメールを見た途端、腰がすとんと抜ける思いでした。涙は出なかったものの、張りつめていた緊張が一気に解け、何に感謝して良いかもわからずただただ感謝するのみ。万が一がんで仕事を失ったとしても、私の彼に対する想いは何も変わりませんが、それでも彼がこれまで一生懸命にやってきた結果として与えられている今の職をあきらめなくてはならないかも・・・と思うと、なんだかまだ私の知らなかった頃に一生懸命努力をしている若かりし頃の彼の姿さえ脳裏に浮かび、申し訳ないという気持ちにやるせなさが相まって、いたたまれず堪りませんでした。あぁ、本当によかった。もう、それだけでした。まだ潜血の最終的な原因はわかっていませんが、それでも最悪の結果ではなかったことが私にとっては救われた思いでいっぱいです。きっと見守ってくれていたであろう、おじいちゃん、おばあちゃん、そして恩師のLeMayさんに、心から感謝しています。こういうことがあると、本当に普段から健康に気をつけてなきゃいけないなぁと思います。年明け早々我が家を襲った大きな試練。ただこれを喉元過ぎると何とやら、に終わらせるのでなく、教訓にし、普段よりきちんと健康診断に行ったり、自分の体のSOSに早めに気付いてあげるようにして行きたいと思います。そう、これはきっと「お前たちはもう決して若くないんだよ」という、神様からのありがたいメッセージ。せっかく頂いたメッセージを無駄にすることのないよう、始まったばかりのこの一年を日々、大切に生きていきたいと思います。ということで、ここ数日はめずらしくお酒ともほとんどお付き合いしていない我が家。これまた、体も頭もすっきりして、ちょっとずつ浄化されているような気さえしています。「酒は百薬の長」とは言いますが、それでも何事も過剰摂取はよろしくないもの。これを機に一度、これまでの常識や慣習を一旦白紙にし、あらためて自分の健康を築きなおしたいと決心する、今日この頃なのでありました。
2010.02.07
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映画「沈まぬ太陽」を観に行ってきた。昨年10月24日に上映が開始されてすでに2ヶ月半。もうすっかり人気(にんき)も人気(ひとけ)もないであろうと思われた深夜の映画館は予想に反して、ほぼ満席であった。これには驚いた。いまさら観に来る輩は一体どのような人たちなのだろう?私たちのような業界関係者?ともあれ、とある映画館で20時20分より上映された日本映画史に残るこの大作は、最後に空の安全を願い、23時50分ごろ幕を閉じた。私の率直な感想はといえば・・・ うまくまとまってはいたものの、本に忠実すぎて、ストーリー性に欠けていたように思う。何しろ5巻にもわたる大作。それを3時間22分という休憩さえも挟む長時間とはいえ、どのように描ききるのだろう。とても興味があった。一度はスクリーンで観てみたいと思っていた。何しろ原作・沈まぬ太陽は私にとってバイブルともいえる、全山崎豊子作品の中でも今までに幾度となく読み返した作品。我が家には初版されたハードカバー全巻に加え、文庫本全巻x2があるくらいだ。山崎豊子ならではの、業界の素人さを決して感じさせない綿密な下調べによる豊富な知識、そしてその類まれなる描写力が、一体どのように映像になって映し出されるのだろうか。休憩までの前半は、不遇にさらされる主人公・恩地元のアフリカでの壮絶な体験を織り交ぜつつ、オムニバス調に国航機墜落事故に至るまでとその現場を生々しく描く。事故機が御巣鷹山に墜落する爆音を、恩地がゾウという大物を仕留める銃声と重ね合わせるあたり、この作品の未熟さが感じられ、やや残念なスタートではあった。がしかし、私がこの作品を映画化する身であったならば、一体どのようなスタートにし、そしてどのようなエンディングにできたであろうか。最初から無謀であったのだ、この作品を映画化するなんてのは。聞けば主役・恩地元を演じる渡辺謙はかねてよりこの作品に深い感銘を受けており、自ら恩地役になることを志願したとのこと。その恩地を支える献身的な妻・りつ子には鈴木京香、同期、そしてかつては組合の同志でありながら現在は袂を分かつ行天(ぎょうてん)には、三浦友和。観る前はいささか不満を感じたキャスティングも、観終わってみればなかなかのものであった。しかしまぁ、なんというタイミングでの上映となったことか。もちろんこの作品を実写化するにあたり、幾時もの年月を要したはず。が、皮肉にも舞台となった日本航空が現在のような状況に陥る中での上映となってしまった。こうなってしまったのも、何かの運命なのだろう、と私は思う。私がそれを目にした今日というタイミングもまた、絶妙であった・・・と、喜んでいる場合ではないけれど。日本航空はすでに民間企業となってはいるものの、かつて国営であった会社を根本から変革するというのは並大抵なことではない。それは日航のみならず、世界中の旧国営会社に言えることであると思う。一度民間になり、経営が立ち行かなくなり再度国営に戻されたケースも多々ある。それに加え、航空行政には並々ならぬ政府関与を伴う。それを国で初めて実行したいわばパイオニア企業にとって、その関与から簡単に逃れられないというのはまたあたりまえのこと。こと日本においては特にそうだったはずだ。そしてその重圧は、次男坊(全日空のみならず)に対するそれとは雲泥の差があり、次男坊は常に、すでに切り開かれた道を行き、気軽に好きなことができるというお気楽さがある。いま、日航問題について各メディアは、日航をあたかも悪の巣窟であるかのように取り上げている。日本テレビなど、観ていて気分を害するようなコメントを、日々アナウンサーが真顔で述べている。特に同じ汐留族の日テレの朝の番組(のアナウンサー)は、あなたは一体全日空から幾らもらっているの?と問いたくなるくらいに公平性を欠く発言を、連日公共の電波を使って臆面もなく流している。そこには悪意さえ感じるほどだ。まぁそれほど叩いておもしろい会社なのだろうと思う、日航は。ましてメディアなんてそもそもそんなものだから。マスコミ対策が万全にできていれば、公平性なんて簡単に欠かれてしまう。新聞学科を卒業した自分としては、こういったメディアの不公正さに対して、観ていて本当にそのさもしさに情けなくなり、思わずテレビを消してしまうことも多い日々である。少し話はずれてしまったが、この作品の中で1つだけ、私の期待に沿ってくれなかった部分があった。それは、三井美樹の存在。松雪泰子演ずる美樹の存在は、物語の中では男性陣の憧れであり、常に会社のために身を粉にして献身的に働く客室乗務員であった。それが映画の中では、物語の中で出てきた行天の愛人と一緒くたにされ、美樹が行天の愛人ということになってしまっていた。もの足りなさは多々あれど、ごくごく美しく純粋に描かれていた実際の人物像とは異なり、行天の愛人となり、スパイ行為に身を染めるスクリーン上の美樹の存在は、映画化の残念さを思い知らされた面であったように思う。皮肉にもこのタイミングでこの映画を観ることになった私にとり、日本航空という1ナショナルフラッグキャリアの動向と再生には非常に興味を持つところである。今回の映画の中でも語られていたように、決して報道されない創立当初からの政府からの圧力、そして逃れることが許されなかった官僚との癒着。これに自身のみならず、国民の皆さんが少しでも気づき、もう一度ナショナルフラッグとしての自信を持ち、一歩一歩再生への道筋を立てて行ってくれることを願ってやまない。政権交代の時期と重なったというのも、今回の再建案の一つの大きな不運であったと言えよう。民主党は、自民党が推し進めて来たことを根本から覆すということを、あえてパフォーマンス的に行い、自らの手柄であるかのように国民にアピールしている。私的整理でも十分に再生ができたかもしれぬ状況で、あえて声高に法的整理を主張した。あたかも、創立当初から行われてきた政府からの圧力そして癒着は、自民だったゆえだ、日航が抱えた負の遺産は、自民と日航が生み出したものだから民主には関係ない。だから民主は過去にはとらわれず、ただその膿を出すことのみに専念するばかりだ、とでも言わんばかりに。まぁ、それはある意味正しいし、そうでもしなければ本当の意味での更生は図れないのかもしれないが。。同じ業界に従事する者として、月並みですが引き続き空の安全を永久(とわ)に願うと共に、日本航空というナショナルフラッグキャリアが、決して下等なマスコミの報道などに翻弄されず、自身のプライドを保って運航し続けてくれることを祈ります。
2010.01.09
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あけましておめでとうございます!Selamat Tahun Baru!今年はゆーぽっぽは年女・・・というと、年齢ばれてしまいますが。24?(笑)なんだか、今年はパワー全開で頑張れる気がします。と、虎が後ろで言ってます。去年は、ゆーぽっぽ的にはいろいろあった、大変な年でした。でも、どんな時でもくよくよせず、いつもポジティブでいたいと思っています。人間死ぬよりはマシ・・・とは、私の大好きな人のセリフ。死ぬよりは、というのはやや大げさかもしれませんが、それでも五体満足で、家族が皆健やかで、そして毎日おいしいご飯とお酒に囲まれて生活できる、というのは何より幸せなこと。とかく忘れがちなこんな当たり前の幸せを日々かみしめ、周囲への感謝の気持ちを忘れず、日々邁進していきたいと思います。2010年の目標は・・・ 「もう一歩、高いところへ!」みなさんにとっても2010年がすばらしき年となりますように!お祈り申し上げます。 恒例の、我が家のお節・・・伊達巻と蒲鉾以外はすべて手作り2010年元旦ゆーぽっぽ☆
2010.01.01
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2009年11月28日~12月1日、2泊4日でマレーシアはKL(クアラ・ルンプール)に行ってきました。昨年の11月末に、研修旅行でKLを訪れて以来ですから、本当にちょうど1年ぶりのマレーシアとなりました。今回の主目的は、毎年この時期、タイにゴルフツアーに行っている代理店のおじさま達が、今年はゆーぽっぽの必死の説得に根負けし、はじめてマレーシアに行ってくれるというので、ゴルフはお付き合いできずともせめて夜ごはんだけでも、とお伴を買って出たのです。7人のおじさま達のうち、マレーシアに足を踏み入れたことがあるという人はわずか2人、マレーシアでのゴルフ経験にいたっては、驚きのゼロ!これは何が何でも楽しんでもらわねばなりません。それではKLゴルフツアー(あらため、ゴルフツアー同行ツアー)、はじまりはお約束の機内食から。 マレーシア航空の機内食は、エコノミーでも3種類から選べます。この日はウナギのひつまぶし、鳥の柚子風味焼き、ビーフストロガノフの3種類で、ゆーぽっぽはビーフを選択。これがなかなかおいしくて、期待していなかっただけに大満足でした。食後にはこんな、ミニ版のスーパーカップ・バニラ味。さすがにハーゲンダッツとまではいきませんが、お口の中をさっぱりしてくれてなかなかおいしかったです。 今回お世話になったのは、今KLで一番ホットな高級ショッピングモール「パビリオン」から徒歩すぐのところにある、ノボテル・クアラルンプール。まだできて3年ほどしか経っていないあたらしいホテルで、このようにモダン・クラシックといった感じの内装がお出迎えしてくれます。そうそう、到着した時はものすごいスコールで、初マレーシアのおじさま達にとってはやや鮮烈な歓迎と言えました。ただスコールだけに雨はすぐ止み、手配してあったマイクロバスでKL市内に着くころにはすっかり雨も上がり、すでに陽も差し始めていました。翌日起きるとあいかわらずちょっとどんよりした曇り空。以前は日本でいうところの夏がKLでの雨季と言われていたのですが、今は異常気象でKLですらモンスーンの影響を受け、この時期雨が多いのだそうです。雨は降らずともなんともすっきりしない曇り空が続き、ちょっと残念でした。でもまぁ、すっきり晴れすぎない方が、ゴルフをするおじさま達にとっては好都合だったのかな。 この日のランチは現地在住のお友達がホテルまで迎えに来てくれ、バクテー(肉骨茶)発祥の地と言われるクランへ。港町のクランで漁師をする男たちは、その昔この薬湯で肉を煮込んだ「肉骨茶(バクテー)」を食べ、スタミナをつけてから海原に繰り出していったと言われています。ここクランはそのバクテーの発祥の地というだけあり、バクテー屋さんがそこかしこに軒を連ねます。 付け合わせのレタスいため。レタスのしゃきしゃき感がほどよく残っていて、これまた絶品☆ このように、あげを浸して食べるのもまたおいしい。ここクランのレストラン街の中でもひときわの人気を誇るこのお店は、大ぶりに切られた豪快な豚肉の煮込み加減と、スープの味が本当にちょうどよくて、とってもおいしかった!久々の本場のバクテーに大満足☆のゆーぽっぽでした。 お店の外観。たくさんの人で賑わっています。私たちが最初伺った時は、店内はいっぱいでしばらく待たされました。と、ここの常連さんの彼を見つけて、お店の人が人懐っこく近寄ってきてくれ、「ここもうすぐ空くからここで待ってな」と言わんばかりにすぐ近くの、若い男の人2人が食後のお茶を楽しみながらしゃべっているテーブルを指さしました。私たちが躊躇しつつその場で立って待っていると、その若い男性2人が、「立ってないで座れば?」とばかりに空いていた席に私たちを座らせてくれ、その後お店の人が持ってきてくれた茶器を熱湯で消毒するのを手伝ってくれたりと、あれこれ世話を焼いてくれました。こちとら、KL在住7年のベテランの彼がいるのにね(笑)。でも彼らの好意が嬉しくて、少しの間なされるがままになっていました。ああいう気さくさを肌身で感じると、あ~KLに帰ってきたんだなぁ~と嬉しくなります。 いささか「食べてばっかり」感が否めませんが、夜は仕事先のお得意様のところに表敬訪問に行き、そのままディナーに連れて行って頂きました。「田園」、または「ファームランド」と言われるこのお店は、KLでもめずらしいおかゆ版のスチームボートが食べられるお店。前に一度現地のチャイニーズの友人に連れてきてもらったことがあったので、ゆーぽっぽにとってはこれが2度目。あいかわらずおいしゅうございました。久々のスターフルーツにも舌鼓みをうち、大満足でお店を後にしました。翌日もまた昼前までゆっくり寝て、ランチは現地の仕事先の人とホテルで待ち合わせ。ノボテルの2階にある、ハラルのチャイニーズレストランに連れて行って頂きました。ハラルとは、イスラム式のお祈りが施してある食材、またはイスラムで禁止されている食材を省いたお料理のことです。ハラルのチャイニーズレストランは、KLでもめずらしいとのこと。ゆーぽっぽにとっても初めての体験でした。 ハラルとは言っても、味はいたって普通の、おいしい中華料理。もちろん豚肉等は使われておりませんが、それ以外は通常の中華料理との差異はまったく感じられません。いっぱいになったお腹を少しでもほぐそうと、食後は一人で近くのショッピングモール「パビリオン」へ。 パビリオンのカフェ通り。この通りには、おしゃれなカフェが軒を連ねており、平日の昼間であるにも関わらず、ビジネスマンやビジネスウーマンらしき人々が優雅に談笑しながらお茶を楽しんでいます。こういった心の余裕というか、豊かさというのは必要ですよね。見習いたいものです。 さすが食いしん坊のマレーシア人。おしゃれなパビリオンの地下にも、こんな大きなフードコートがあり、たくさんの人で賑わっていました。 ゆーぽっぽも大好きな、「Madam Kwan's」。食事時になると、人々が行列を作ります。 フードコートで、こんなお店を見つけました。「More than SUSHI!?」まねき猫とおぼしきあやしい猫がお客さんを出迎えます。 「Yokoso Japan!」と思いきや、「ようこそ、シュキ!」・・・??? 日本でも大人気の「Forever 21」。どうやら出店はマレーシアの方が先だったようです。 常夏のマレーシアといえど、やはりクリスマスのディスプレイはわくわくして良いものですよね。 現地で一番有名な金屋さん、その名も「POH KONG」。昔はよくお世話になっていましたが、最近は足を踏み入れたことはありませんでした。久々に足を踏み入れてみようと入ったところ、とてもかわいいピアスを発見!すかさずお店の人が近寄ってきて、「着けてみまっか~?」と勧めるので「仕方ないなぁ~(苦笑)」などと装いつつもその輝きにすっかり虜に。そんな私の心を見透かしたように、「少しなら負けときまっせ」との悪の誘惑。結局1999リンギット(約52000円)を1195リンギット(約31000円)まで負けてもらい、思いきって購入することに。マレーシアの金細工は日本の18金と違い22金なので、同じ重量でも輝きも価値も全然違います。今回はこの旅行を許してもらう代わりにクリスマスプレゼントはナシ!と宣言されていただけに、彼になんて言い訳しよう~・・・と考えつつも、久々の良い買い物に大層ご満悦のゆーぽっぽなのでした。
2009.12.06
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ケチャックダンスを観賞した後は、レゴンダンスが観られるレストランへ。 女性にはこんな、ランのお花をつけてくれます。 バリといったらやっぱりビンタンビールやね。ちなみにビンタンとは、インドネシア語(マレー語)で星の意味。そう、マレーシアの繁華街として有名なあの「ブキッ・ビンタン」とは、星の丘という意味なのです。 レゴンダンスのはじまりはじまり・・・ しかしこのお料理はいただけなかった・・・ まぁあの景色とケチャックダンスが観られたから、良しとしましょう・・・ ホテルに戻って、ラウンジで一杯だけ飲みなおすことに。。。翌朝起きると、あいかわらず真っ青に晴れ渡った空と澄み渡る海!!!本当に来てよかった!と思える瞬間です。 ほら、遠くにキンタマーニ島が望めるのがわかりますか? 朝はあいかわらずモリモリです・・・この、半熟の目玉焼きを挟んだマフィンが、食べ応えがあっておいしかった~! ちょっと写真が小さくてわかりづらいかもしれませんが、ビーチサイドにはこのような東屋?がいくつか並んでいます。といっても数が限られているため、どうしてもここを!という人(ほとんどは日本人)は朝から争奪戦・・・ 良い場所をとって、すこぉしだけ高台にあるこの東屋でのんびりお昼寝をするのです。怠け者でお寝坊さんの私たちはそんな争奪戦に参戦できるわけもなく、陣取っていた人たちが飽きて部屋に帰るころ、ようやくその特権にあやかることができるのでした・・・ だからいつも夕暮れ時(笑)。 ちょっと小腹が空いて頼んだ、ミーゴレンとサテ、そしてツナサンドイッチ。お値段もかなり立派でしたが、量も豪快です。 クラブメンバーのもう一つの特権として、午後5時~7時まで、クラブラウンジにて、イブニングカクテルを楽しむことができます。この日がこの時間帯にホテルでゆっくりできる唯一の日だったので、せっかくだからとワインを頂くことに。ちゃんと、おつまみも一緒に供され、とっても贅沢な気分を味わうことができました。またこの日はこのプランのもう一つの特典である、コンラッドスイート内の和食レストラン、RINにてディナーのサービスが・・・。コンラッド自体とてもすばらしいホテルでしたが、コンラッドスイートといわれるエリアはさらに高級感が漂っていて、静寂が一際守られた空間。このプールの奥に、和食レストランRINがありました。 RINの目にもかわいらしいお食事の数々・・・ 目にも愉しいだけでなく、味もかなり本格的で、良い意味でちょっと驚きでした。これまでリゾートの和食なんて、期待して満足できたためしがあまりなかったから・・・翌日はいよいよ最終日。夜のフライトまでのんびりプールサイドで過ごし、彼がデイユースも頼んでおいてくれたので、6時までお部屋でゆっくりすることができました。そしてこれがこのプランの最後の特典、「リフレクションラウンジ」でのチェックアウト。リフレクションラウンジにはテレビや簡単な軽食や飲み物、シャワー等も用意され、出発までの時間を寛いで過ごすことができます。その後ホテルを出て少し歩いたところにある、街の人気レストラン「BUMBU BALI」へ。 バリニーズ料理を存分に味わいました。特にマッシュルームのスープがおいしかった!(写真右奥)帰りのバリの空港でもガルーダのラウンジで出発までのんびり過ごし、帰国の途へ。あっという間の一時でしたが、ものすご~く楽しかっただけに後ろ髪を引かれる思いが胸にこみ上げます。 帰りはB744でしたが、古いのかと思いきやシェルフラットシートでラッキー☆ とはいえ夜行便ではあまり寝られないゆーぽっぽですから、再び夜食と飲み物を頼むことに。 庶民には、こんなちょっとした夜食の一つも、際立って映ります。 日本にだいぶ近づいたころ、こんなきれいな朝焼けが見られました。 最後は朝がゆ定食で〆。。今回の旅は、本当に至極というほかに言葉が見つからないほど満足度の高い旅でした。もちろん贅沢を極めることだけが至極だとは思いませんが、自分もきっと疲れているはずなのに、こんな旅を一生懸命プロデュースしてくれた彼に、本当に感謝、感謝。またこういう機会があるかもしれないということを夢見て、日々一生懸命頑張ろう、という気持になりました。本当にありがとう!!!
2009.11.23
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2009年9月25~29日、インドネシアはバリ島に行ってきました!ずいぶん久しぶりの日記となってしまいましたが、実はこの間も、国内は札幌から九州、そして海外はタイまで、いろんなところに旅行に行ったものの・・・なんだか最近本来の不精さがさらに増したようで、写真を縮小したり取り込んだりという作業がごくごく億劫になってしまい・・・いけませんね。今回利用させて頂いたのは、ジャルパック・アイルの「セレブるバリ島5日間・コンラッドバリ・デラックスクラブ」の旅。その名の通り、ワンランク上質のバリ島の旅です。ホテルはずいぶん迷いましたが、やはり一番お手頃(といっても高かったけど!)だったコンラッドにしました。バリ島は2003年6月のウブドに続き、今回が2度目。鬱蒼と茂る森が印象的だったウブドに比べ、今回のヌサドゥアはもう少し開けた印象を持っていました。さてさてこの「セレブるバリ島」シリーズ。往復共に日本航空のバリ島行き直行便のビジネスクラス利用、当然ながらラウンジ等それに付帯するサービスがすべて愉しめ、現地ではスパのサービス、クラブラウンジ利用の特典等、至れり尽くせりの贅沢の極みともいえるコース内容です。もちろんお値段もそれなりに張りますが、普段仕事や家事で疲れている私のためにと、彼が早くから企画してプレゼントしてくれました。まずはJALご自慢の、総面積4000平方メートルを誇るというサクラ・ラウンジ。 こんなところで写真撮っちゃうあたりが庶民ですね・・・(笑) 中は広々としており、日本酒や焼酎をはじめ、アルコール類も充実。出発前から飲みすぎちゃいけない、と思いつつも、シャンパンやワイン等、堪能させて頂きました。JALのビジネスクラスの機内で供される「尽空」もありましたよ! ダイニングのカレーがとってもおいしかった!出発前からすっかりご機嫌のゆーぽっぽ☆ 機内にて・・・さっそく白ワインで乾杯! 和食のメニュー・・・ 見えるかな? これは彼が頼んだ和食。 これは私が頼んだ洋食メニュー。レジャーCと侮るなかれ・・・かなり本格的なお味で2人とも大満足&大満腹!シートは昔のSEASONSだったのでそれほどゆったりではありませんでしたが、それでも小柄な私には十分な広さとゆとり。機内サービスもとてもよく、気持ちの良い時間を過ごすことができました。CAさんの笑顔がとってもよかったです!さてさて、そうこうしているうちに、飛行機はあっという間に目的地・バリ島に到着。所要時間は7時間くらい、マレーシアと同じくらいです。到着すると、本当はこのツアーの1つの目玉、イミグレーションの代行サービス(自分たちが専用の待合室で待っている間に、現地スタッフが到着ビザの取得から入国審査等代行して行ってくれるというもの)が受けられるはずでしたが、事情により今回は自分たちで手続きをすることに。到着ビザは一人USD10。日本のみならず世界中からの到着便で混み合う時間帯は、この入国審査におそろしいほどの列ができます。ちなみに今回この代行サービスが受けられなかったことのお詫びとして、2人でUSD100も返金して頂きました。こんなに高いのね・・・そうこうしているうちに、コンラッドに到着。インドネシア語は、マレー語を語源とするだけあってとても近似しているので、ガイドさんとも記憶の片隅にあった片言のマレー語で会話することができました。ガイドさんは驚いていましたが、嬉しそうでしたよ。 コンラッドに到着すると、噂の「コンラッドモンキー」がお出迎え。お持ち帰りOKの、ホテルからのプレゼントです。しかし・・・はて困った。1つしかないから、姪っ子のどちらか一人にあげるというわけにもいかないしなぁ・・・。 一息ついて、ホテル内をお散歩。プールが幻想的でとってもきれいでした。 お散歩から戻ると、取引先の人からこんなかわいいプレゼントが届いていました。4種類のトリュフ・・・とってもおいしかった!ありがとうございました。 翌朝起きると気持ちの良い晴天!普段の行いがいいからなぁ~・・・ハハハ☆普段は朝食抜く私ですが、こういうところに来ると朝から目いっぱい食べちゃいます。貧乏性ですね・・・(苦笑)クラブフロアに泊っているお客専用のクラブ・ラウンジで落ち着いて頂くことができました。 朝食後、すこしプールでのんびりしたら、次はスパへ・・・ これもこのプランの中に含まれています。2回目以降は自費ですが。 バリニーズ・マッサージが一人60分、サービスされます。毎回思いますが、二人同じお部屋でほとんど素っ裸の状態でマッサージを受けるのは、なんともテレますね・・・夕方になると、ガイドさんにピックアップしに来てもらって、今度は「ケチャック・ファイヤーダンスとレゴンダンスディナー」のオプショナルツアーへ。ケチャックダンスは前回のウブドでもその迫力に驚嘆しすっかり虜になってしまったので、今回もぜひ一度は観てみたいと思っていました。申し込んだのは、「コダマ・ツアーズ」というところの、一人3900円のツアー。バリ島の空港の到着ロビーには、このようにさまざまな外国人を相手にしたオプショナルツアーの無料ガイドブックがたくさん並べられています。このコダマツアーズのガイドブックもそこから貰ってきたもの。ホテルからの専用の送迎サービスもつくのでこのお値段は安いかなと思い、申し込みました。24時間受付、と書いてあるものの半信半疑で夜中の2時ごろかけてみましたが・・・ちゃぁんとつながりましたよ!しかも翌日(というか、当日)の申し込みも快く受け付けて下さいました。インド洋の切り立った断崖に建つウルワトゥ寺院で毎晩行われているというケチャックファイヤーダンス。日々数千人の見物客が訪れます。断崖から望む壮大な景色がとても美しく、ケチャックダンス抜きにしても申し込んでよかった!と思わされました。 どうです、この美しい光景! 寺院にはこのようにたくさんのさるたちが、思い思いに過ごしていました。中にはいたずらっ子のさるもいて、観光客から眼鏡を奪って逃げたりしてからかっていました。 まさに、真っ赤に燃えるという表現がぴったりの夕日が、インド洋を真っ赤に染めながら落ちていきます。本来の目的もすっかり忘れ、しばし見入っていました。 ケチャダンスの会場はすでに人、人、人で埋め尽くされていました。国籍は本当にさまざまで、ヨーロピアンの姿も多く見られました。 あいかわらず、ものすごい迫力のダンスです。でも私にはやはりファイヤー等のパフォーマンスより、ケチャダンスの均整のとれたリズムと体の動きの方がよほど魅力的に映りました。思わず体を動かしたくなる躍動感あふれるダンスで、心に新鮮な衝撃を与えてくれました。
2009.11.22
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さんなみから車で走ること約1時間半、有名な輪島の朝市に到着。 そこに至るまでの間(私が眠りこけている間に)なんと雪が降っていたらしく、路面はまたしても湿っていました。が、普段の行いが良いからか、朝市に到着すると薄日が差し始め、傘も不要に。 日本三大朝市の1つに数えられる輪島朝市は、山海の幸や民芸品などを扱う露店が200店舗以上も立ち並ぶ、いわずとしれた観光スポット。木製のお椀はこんなにも安く売られていました。これ以上食器棚のラインアップを増やすと入らなくなりそうで、寸でのところで買うのを思い止まりましたが。 朝市通りにある日吉酒造店さんで、できたばかりの「白駒」の新酒(1260円)を購入。のちによく冷やして楽しみましたが、辛口ながらも奥深い日本酒の真髄を堪能できる、とてもおいしい出来でした。・・・って、えらそう?(笑)朝市を出て、のんびりと観光スポットを周りながら、金沢方面に戻ることに。 これは水田が描く美しい模様が堪能できる、白米の千枚田(しろよねのせんまいだ)。海へ下る急斜面を、階段状に一千枚以上の田んぼが並んでいます。 松本清張の推理小説「ゼロの焦点」の舞台になったことでも知られる、ヤセの断崖。高さ35メートルの日本海に面した断崖絶壁で、日本海の荒波が岸壁に豪快に打ちつける様子に、自然の怖ろしさ、そして美しさを見るようでした。また源平合戦の時、義経が船を隠した場所であるとの伝承もあるそうです。 千里浜なぎさドライブウェイ。全長8キロにわたって砂浜が続き、その上をドライブできるというめずらしい砂浜のドライブコース。車が走行できるのは、砂の粒子が非常に細かいからなのだそうです。能登近海で取れる海の幸満載のどんぶりが自慢の、満升(みます)で腹ごしらえ。 上は、母が頼んだ海鮮丼、そして下は私が頼んだ、大好物のウニとイクラがふんだんに載せられた、ウニいくら丼。値段は3000円位と少々お高めでしたが、大好きなウニとイクラをこれでもかというほど堪能できて、大満足でした。これで、金沢・能登旅行日記はおしまい。両親と国内旅行をしたのは、4年前の母の還暦祝いで訪れた房総以来。そして4人での旅行はこれが初めてでした。道中いろんな話をし、家族水入らずのゆったりとした時間を心ゆくまで楽しむことができ、少しは親孝行ができたかな、と思っています。またいつか、さんなみさんにもぜひ再訪し、ご主人お手製の露天風呂も堪能させて頂きたいものです。
2009.05.09
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2009年3月25日~26日の1泊で、金沢は能登に行ってきました。金沢に行くのはこれが2度目。1度目はまだ社会人1年目、しかし新入社員として入社した会社をわずか9月で退職し、次の会社に入るまでのプー生活中に訪れました。その時は能登までは足を延ばしませんでしたが。。今回なぜ能登に行くことになったかというと、それは郷土料理のお宿として有名な、「さんなみ」に宿泊したかったから。さんなみは船下さんご夫婦が営む3部屋しかない小さな小さなお宿ですが、口コミで人気が広まり、なかなか予約が取れないお宿としても有名です。今回はそのさんなみの空室に合わせて旅程を決め、両親と彼との4人で行ってきました。宿を予約した1月から楽しみにし、私の両親と一緒ということもあって、彼が事前に綿密な計画を立ててくれていました。3月25日、朝一のJAL1273便小松行きに乗るため、羽田で6時半過ぎに両親と待ち合わせ。春休みだからか、平日の朝だというのにターミナル内は人で埋め尽くされていました。金沢へは約1時間の短い旅。現地のお天気はあいにく曇り時々雨の予報でしたが、到着すると薄い雲から時々陽が差し込み、まずまずのお天気でした。到着すると、まずはレンタカーを借りて、空港から約15分ほどの距離にある「那谷寺」へ。 高野山真言宗別格本山那谷寺は、奈良時代、泰澄法師によって開かれた歴史あるお寺です。その名は、平安時代中期に花山法皇が行幸された際、「私が求めている観音霊場三十三ヵ所はすべてこの山にある」と言われ、西国三十三ヵ所の第1番・那智山の「那」と、第33番・谷汲山の「谷」をとって「那谷寺」と改めたことに由来しているそうです。江戸時代になり、境内の荒廃を嘆いた加賀藩初代藩主前田利家の息子、第3代加賀藩主・前田利常公が、寛永17年後水尾院の命を受け、名工・山上善右衛門らに岩窟内本殿、拝殿、唐門、三重塔、護摩堂、鐘楼、書院などを造らせました。昭和16年、利常公ゆかりの建造物すべてが国宝(現・重要指定文化財)に指定され、現在でもその歴史ある姿を見ることができます。 境内はびっしりと色濃い苔で覆われており、苔寺として有名な京都の西芳寺すら彷彿とさせるほど。この写真ではその美しさがあまり伝わりませんが、同じ種類の苔であるが故なのか、美しい単一の緑色で覆われたその様子は、まるで緑の絨毯のようで、心が洗われました。 美しい苔に覆われた境内を奥へ奥へと進んでいくと、奇岩遊仙境がその雄大な姿を現します。観音浄土浮陀落山もこのような風景かと疑わせる奇岩霊石がそそりたつ様子は、まさに圧巻。ここは春だけでなく、紅葉が見ごろとなる秋もまたことさらに美しく、多くの観光客を虜にする名所なのだそうです。そのあとは、那谷寺から約10分の距離にある、日本自動車博物館へ。ここには日本最大級の12,000平方メートルの空間に、走行可能車が500台も展示されているという、まさに自動車好き垂涎モノの観光スポット。たまたま見つけたこの自動車博物館でしたが、父が大の自動車好きということもあって、寄ってみることにしました。入場券は一人1000円と、ちょっとお高め。でも金沢にこんな、日本最大級の自動車博物館があったとは、少し驚きでした。 これは、うちの父が初めて買った車と同じモデルなんだそうです。自動車好きということもあり、日本車から外車から、その豊富な知識を惜しげもなく披露してくれました。歴代のエンジンやその特徴、性能についても細かく説明してくれたのには頭が下がりました。でも、本当にうれしそうに、そして懐かしそうに車たちを愛でるその眼はとてもうれしそうで、寄り道した甲斐があったなぁ~と、こちらもうれしくなっちゃいました。自動車博物館に入っているちょうど1時間ほどの間に大量の雨が降ったらしく、外に出ると道路は水浸し。でも、台風一過ならぬ大雨一過といいますか、外はすっかり良いお天気になっていました。そこから今度は1時間ほどドライブして、金沢市内へ。まずは香林坊のアトリオというデパートの8階にある、加賀・能登料理の老舗、「魚半」で腹ごしらえ。 これは私が頼んだお刺身定食・2100円也。お昼ごはんとしてはちょっと高めな気もしましたが、まぁ旅行の時くらいケチケチ言わず・・・と奮発。さすが北陸金沢だけあり、歯ごたえの良い刺身の数々がこれからの旅路への期待をさらに膨らませてくれました。 続いては、言わずと知れた金沢が誇る日本3名園の一つ、兼六園へ。園内は先ほど降った雨でしっとりとした空気に包まれており、観光客も少なく落ち着いて歩くことができました。ここにもやはり苔がいたるところに生えていましたが、私には那谷寺で見た苔の方がはるかに美しく映りました。 これは玩月の松(がんげつのまつ)と呼ばれ、曲水に架かる月見橋のたもとにある赤松。何本もの柱で、その太く長い幹を支えています。まるで長老を皆で支える民衆のよう。金沢市内を堪能したあとは、いよいよ今夜のお宿、さんなみへ向けて出発。市内からは約2時間半ほどの距離です。能登半島北部の海を見下ろす小高い丘が、さんなみの約2000坪にもわたる広大な敷地。その2000坪の敷地にぽつんと佇む、能登伝統の白壁に黒瓦が映える小さな母屋。敷地内にはゆずの木をはじめ、柿の木や季節の野菜、果物が、ご主人と奥様の手作業によって愛情深く育てられているんだそうです。そしてここで育まれた大地の恵みはすべて、我々幸運な宿泊者たちの食卓へ。 あまりに楽しみにしすぎて、少々舞い上がってしまっていたのか、夕食に至るまで写真を一枚も撮っていませんでした。そしてこれがお待ちかねの夕食。能登の郷土料理が、囲炉裏を囲む食卓に所狭しと並べられます。五平餅のような形をしたのは、さんなみ特製の「海餅(かいべい)」。いしりの炊き込みご飯で、いかの切り身が混ぜ込んであり、とっても香ばしかったです。いしりとはイカの内臓を発酵させてつくる能登半島古来からの魚醤。昔日本各地にはいろいろな魚醤があったそうですが、いまでは能登のいしり(もしくはいしるとも言われます)と、はたはたを使った秋田のしょっつるだけだといいます。さんなみのご主人がいしりを手作りしはじめたのはかれこれ20年数前のこと。一般のいしりは塩水を足しながら1年に3回しぼるそうですが、さんなみのは2年に1回のみの、「一番いしり」のみ。イカのゴロ(内臓)と岩塩だけで冬に仕込み、梅雨を2回経験することでこれがいい塩梅になり、まろみが豊かないしりになる、とご主人はうれしそうに話してくれました。楽しみにしていた露天風呂は、どうやら天気が不安定で落雷の多い冬の期間は入浴できないとのこと。残念でしたが、それはまたいつかのお楽しみに。 翌朝、ふたたび囲炉裏を囲んで、郷土色と大地の恵みたっぷりの朝食を頂きました。昨晩あんなに食べたのが嘘のように、するすると胃の中におさまって行きます。ここでの生活を続けていたら、体があっというまに浄化されて、現代病や成人病なんて縁遠くなるんだろうなぁ~と、しみじみ思いました。そして名残惜しさに後ろ髪を引かれつつも、ご主人と奥様に見送られながら、さんなみをあとに。ここの素晴らしさは、心のこもった美味しいお料理だけでなく、そのあたたかいおもてなしにもあります。そしてその「気軽に訪れてほしい」というお二人のおもてなしの心は、1泊2食で1人約15000円という、手頃な料金設定にも表れていました。
2009.05.08
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2008年11月26~30日、マレーシアに研修に行ってきました。今回の研修は、そもそも年に3回ある、マレーシアの国を挙げての大々的なセールのトリを飾る「イヤーエンド・セール」がこのたび更にパワーアップし、「マレーシア・セービング・セール」として新しく生まれ変わったことを祝う記念式典に参加するというのが大まかな趣旨。日本からは全部で10名の女性が参加しました。マレーシアはもともと物価が安く、ブランド物等々も日本より安く購入することができる(らしい)。というのも、私はあまり買い物やブランド物には興味がなく、値段を一生懸命比べて買ったことがないから、いまいち「値ごろ感」についてはピンとこないのです。が、そのもともと安いマレーシアの物価から、更に大胆値下げされるのが、マレーシアのセール期間。一時は「メガ・セール・カーニバル」として、年に3回(3月、8月、12月)行われていたこともありました。この期間中は、日本ではセールを行わないような有名ブランドでさえ、30~70%といった大幅な値下げをするという潔さが受け、日本やヨーロッパを含む、世界中から買い物客が詰めかけます。まぁ単に名前が変わっただけかといえばそう思えなくもありませんでしたが、ともあれ国を挙げての大々的なプロモーションとあっては、マレーシアの広告塔(?)ゆーぽっぽ、行かないわけにはいきません! 今回お世話になったホテルは、ニッコー・クアラルンプール。ここのレストランで、初日のディナーを頂きました。今回は参加者全員が女の子とあって、夕食の乾杯はジュース・・・ とほほ。 ダブルルームをシングルユースで使わせていただきました。キングサイズのベッドの端っこで、貧乏くさく丸まって寝ていました。翌日は夕方の式典までは一日市内観光。今回マレーシアはじめての女の子たちも何人かおり、久しぶりにおのぼりさん感覚で市内観光を楽しみました。というか私、実はちゃんとしたKL市内観光に参加するのって初めてかも!いつもお客さんを案内してばかりだったからね。。 おのぼりさんツアー最初は、KLタワーへ。KLタワーはつい最近まで世界で一番高いタワーとされていましたが、今やドバイだか台北だかのタワーに抜かれたそう。ちなみにKLタワーのある場所は、付近が昔はパイナップル畑だったことから「ブキッ・ナナス(パイナップルの丘)」と呼ばれ、そのためKLタワーもパイナップルを模した造りとなっています。下はちなみにちょっとわかりやすく、夜の写真。展望フロアには、ヘッドフォンとトランスレータ(通訳の機械)も用意されており、日本語での説明もちゃんと受けられます。 私が昔住んでいた「モント・キアラ」のマンションがよく見え、懐かしくなりました。 ちょうど真横からのアングルのため、折り重なっているように見えますが、ペトロナス・ツインタワーです。夜になると、本当に宝石のようにきれいなタワーで、見るたびに心が震えます。 続いて、KL最古のモスク、「マスジッ・ジャメ(オールドモスク)」。たとえ古くとも、礼拝所の大理石造りの床は、ぴかぴかに磨き上げあられていました。実はわたくし、ここも入ったのは初めてでした・・・ オールドモスクの裏に臨めるこの河口の合流地点が、実はクアラ・ルンプール(KL)の発祥の地。クアラ・ルンプールは「泥の川の合流地」という意味を持ち、このクラン川とゴンバック川の合流地点こそが、クアラ・ルンプール(KL)という地名を生んだ場所なのです。 続いては、国立モスクへ。ここはマレーシアの現代建築を代表するモスクともいわれ、イスラム建築の色調と美しいレース模様が織りなす独特のハーモニーに、心が癒されます。ちなみに先ほどのオールドモスクも同じですが、女性はこのように、バジュという服を着ないと中には入れてもらえません。肌の露出を極力少なくするためです。 国立モスクのすぐ近くにあるマレーシア・イスラム美術館には、マレーシアのみならず、世界中のイスラムアートの粋が集められています。中には中庭を眺めながらイスラム料理を楽しめるカフェや、ミュージアムショップなどもあり、イスラムアートの真髄にしばし浸ることができます。 昼食は、セントラル・マーケットの中にあるレストラン、「プレシャス」へ。アンティーク・ギャラリーのような趣の入口を入り、メインダイニングへと案内されると、そこはまるでタイムスリップしたかのような不思議な空間。ここで食せるのは、本格的な中華料理と、中国とマレーがミックスされたニョニャ料理。 昼食後はチャイナタウンへ。下は私のお気に入りの雑貨屋さん、「ピーター・ホー」。 亀のエキス?の入った、通称「亀ゼリー」。美容に良いそうですが・・・ 苦い!!!この日の夜は、いよいよ「マレーシア・セービング・セール」のオープニング・セミナー。セレモニーを翌日に控え、このプロモーションの意味などを世界中のマスメディアに向け、大々的に宣伝します。世界20カ国以上から、マスメディアが参加していました。 メイン・スポンサーは、マレーシア政府観光局と、マレーシア航空でした。。翌日は、夕方のオープニング・セレモニーまで、終日ショッピング!女の子たちばかりの研修とあって、皆それぞれに、各々のモールでのショッピングを楽しんでいました。私にとっても今回初めてだったショッピングモールが、「ガーデンズ」と「パビリオン」。ガーデンズは、2007年末にできたばかりのショッピングモール。ここには高級ブランドやロビンソン、そして伊勢丹等も入っており、隣接するミッドバレー・メガモールよりもやや高級感があります。 これはパビリオン。これまた、2007年末にオープンしたばかりのショッピングモールです。が、とにかく迷ってしまうほど大きく、中には高級ブランドのショップが軒を連ねています。 スターヒルの地下にある、おしゃれな中華料理屋サンでディムサム(飲茶)ランチ。いよいよ、記念式典の会場となる、パビリオンへ。会場付近にはすでにたくさんのスタッフが万全の状態で、警備にあたっていました。 記念式典には観光大臣はじめ多くの人々がお祝いにかけつけ、あたりはお祭りムードに包まれていました。「セービング・セール」は、マレー語で「Jualan Jimat(ジュアラン・ジマット)」そう、マレーシア航空のペックス運賃、「JIMAT」にはこの“節約”“倹約”等の意味が込められているのです。第一回「マレーシア・セービング・セール」は大成功のもと、本日幕を閉じました。とはいえ、マレーシアはもともと物価が安く、エコノミーな国。ショッピングで有名な隣国のシンガポールなんかよりもよっぽど、割安に、お得にショッピングが楽しめます。マレーシアのリゾートには行ったことある!という方も、今度はぜひ一度、ショッピングという切り口でのマレーシアも、楽しんでいただけたらと思います。高級ショッピングモールでのお買い物はもちろん、ローカルの人々とあれやこれやと交渉をしながらの、マーケットでのお買い物もまた楽しいものです。マレーシア・ボレ☆
2009.01.04
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新年、あけましておめでとうございます☆Selamat tahun baru!(スラマッ・タウン・バル)日々大切に生きることが出来ていなくても容赦なく訪れる・・・それが新年。ともあれ、再度初心に返り、過ぎたことは顧みずとも省みて、一歩一歩大切に歩んで行きたいと思っています。思えば2008年は私の人生にとって激動の一年でありました。ここに書けるようなことがあまりないのが残念ですが、2009年はここに書けるような意味においても、激動の年になる気がしています。でも、でもですよ、人間死ぬよりこわいことなんて何もないんです。死ぬほどつらい思いをすることはあっても・・・ でもそんなの、五体満足で、家族が皆元気でいられることに比べたら、ぜんぜん幸せ。だから、時には失敗もしつつ、でもめげずにすぐ立ち直ること。そして今度は同じ失敗をしないように、がんばって生きること。でももしもう一度同じ失敗をしてしまったら、次こそしないようにがんばること。そして一番大切なのは、楽しんで生きること。だから、2009年、何があっても、引き続きマイペースに行こうと思います。これは、先日の我が家のクリスマス・ディナー。大事な大事な、我が家の風物詩。そしてこれは、もうすぐ5歳になる姪っ子のゆうちゃんが、家族の一人ひとりにランチョンマットを作ってくれた、「ゆうこおばちゃん専用ランチョンマット」。ちゃんと「ゆう子」と書いてあります・・・ 感涙☆(←おばバカ(笑))今年も皆さんが元気で、明るく過ごせますように。2009年元旦ゆーぽっぽ☆
2009.01.01
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翌日は、あらかじめ予約をしておいた、スパへ。方向音痴の私は思わず迷いそうになりましたが、なんとか前日に彼に連れて行ってもらった道を辿って「ココ・スパ」に到着。この日もあいかわらず不安定なお天気でしたが、テクニシャン(?)の彼女の手にかかり、私はあっという間に夢の中へ。。。ボディー・マッサージ、フェイシャル、そして最後にフラワーバスで、しめて3時間USD210。なかなか安いと思いません?特に今は円高のため、余計に割安に感じられます。今回施術をしてくれた彼女は、インドネシア人の女の子。はにかむ笑顔がとっても素敵な、かわいい子でした。その割に、施術は本格的で力もあり、私の体に溜まっていた疲れが一気に取り払われて、軽くなった気がしました。私がインドネシア語(マレー語)で話しかけるとびっくりして、いろいろと話をしてくれました。どうやら、モルディブで一番多いお客さんはヨーロッパ人、中でもフランスがダントツなんだそうです。次いでイギリス人。ヨーロッパ人が全体の60%以上を占めていて、日本人を含むアジア人は20%にも満たないそう。さらに日本人はすでに韓国人に抜かれているとのことでした。最近モルディブは、韓国からの乗り継ぎもずいぶん良くなっていますからね。。 この日のディナー。メニューにはなぜか、「テンプラ」とありました・・・素材は確かに良いので、決してマズくはなく、きちんと天つゆまで付いていましたが、なぜモルディブまで来て天ぷら・・・ でも、先述の国籍別訪問者の割合が、きっとお料理のチョイスに反映されているのでしょうね。。 欧米人は和食好きやからね。 翌朝は、すっきりとした快晴!木漏れ日が、とてもきれいでした。今回はあまりお天気に恵まれていなかったので、久々にすっきりと澄みわたった空に、ゆーぽっぽはご機嫌☆ あいかわらず、朝はもりもりです。めずらしく、葉っぱも食べちゃいました! これは、部屋のプライベートプールからお部屋側を眺めたアングル。ちょっと広すぎるくらいの間取りです。 お部屋の外には、小さなプライベート岬?までついていて、海を見ながらのんびりと昼寝することもできます・・・ って、パラソルがないので、かなり危険ですが。 あぁ~、ようやくモルディブらしくエメラルド・ブルーの海・・・なんて思って良く見てみると・・・ この波打ち際の方の黒いかたまり、なんだかわかります!?? も少しクローズアップ。・・・そう、これなんと、小魚の大群なんです!!!なんの魚かはわかりませんでしたが。。 ・・・と、そこへ、小さなサメが出現。(決してヤラセではありません・・・)でーれん。でーれん。でーれんでーれんでーれんでーれん・・・ きゃぁ~!!!奥さん、サメよ、サメ!・・・ってな声が聞こえて来んばかりに、小魚の群れが、あっという間に蜘蛛の子散らすように引けて行きます。サメの周りだけささ~っと空間ができているの、おわかり頂けるでしょうか。。。 それを横目で見ながら楽しむ、傍観者のイカとゆーぽっぽ・・・ ・・・と、ヤドカリくん。。。 えっしょ、えっしょ。おっっ、溝があるゾ・・・どうしよう・・・!? プールに行くと、こんなきれいな雲がぽっこり、水面に映えてとってもきれいでした。 ビールを飲みながら、乾杯!こんな美しい海を眺めながらのビール(しかも昼から!)は、本当に最高です☆ モルディブの美しい海に、真っ赤な夕陽が落ちて行きます。 あたりはとっぷりと暮れて、だんだん暗くなってきました。 ・・・と同時に、プールの床がホタルのように美しく光りはじめます・・・こうして、短かったモルディブでの滞在は、幕を閉じました。今回感じたことを少しまとめておくと・・・・スリランカ航空さんは、総じてとってもよかった!直行で10時間超えというのは少々キツイですが、クルーの方のチームワークとホスピタリティはとてもよかったし、何よりC/Aさんが皆とっても若くて綺麗。前評判があまり良くなかったため、あまり期待していなかったせいもあるのでしょうが、あの居心地のよさ、お食事のおいしさ、そして何よりお酒を頼むとコップ一杯に、なみなみと注いでくれるあのやさしさ!(結局それかい(笑))には、本当に脱帽でした。またぜひ、お世話になりたいです。ちなみに行きも帰りもガラガラで、帰りは4名掛けを一人で倒してベッドにして帰ってきたため、9時間ほとんど寝っぱなしでした・・・・前回のモルディブはベストシーズンの3月、しかも水上コテージだったので、海の透明度が抜群でしたが、今回は残念ながら、前回ほどの透明度には巡り合えませんでした。現地の人いわく、去年までは9~11月に雨が降って12月~3月はベストシーズンだったのが、今年はなぜか9~11月が乾季で、12月は雨が降る日がとても多かったそう・・・とはいえ熱帯気候特有の雨なので、スコールのように一度にざっと降っては止み、ということが多いのですが、それも近年変わってきているそう。これも地球温暖化がもたらした、影響なのでしょうか。・今回の文章の中で書きましたが、モルディブに一番多く訪れているのがヨーロッパ人、ということがあってか、リゾートのスタッフの中にはどこか、有色人種に対してやや横柄な態度を取る輩が見受けられます。ただ、今回のこのココ・パームリゾートにはそういった輩が少なく、あまりいやな思いをせずに過ごすことができました。というのも、前回宿泊したカヌフラは、そういった思いをさせられることがしばしばで、帰る頃には彼も私も、かなり嫌気がさしていたのです。あまりそういうのを感じない人なら良いのですが、日頃から気になる方は、少しだけ心に留めておいた方が良いかもしれません。もちろん、あえて最初から構える必要はありませんが。とはいえ、今回も大満足の旅でした。今回お世話になったグルービー・ツアーの皆さんには深く御礼申しあげます。 最後は、今回大満足だったULさんの、帰りの機内食・・・ 帰りもやっぱりカレーでした。。。そうそう、あと1つ、きっとすぐ忘れちゃうだろうから。。今回はハーフ・ボード(朝と昼、または朝と晩の食事付)プランを選んだのですが、朝食会場となっていたメイン・レストランでよく話しかけて来てくれたおじちゃんが、出発の日の朝にすっかり習慣になったコーヒーを継ぎ足してくれながら、「今晩何時に発つの?」と聞いてきました。私が「20時45分だよ」というと、「じゃぁ、今晩ここでまた会って、サヨナラ言えるかな?」と片言の「サヨナラ」を交えながら、少しさみしそうにつぶやきました。ついつい「うん、絶対来るよ」と答えてしまったものの、部屋のデイユースは18時まで、そのレストランは19時半から、そして出発は20時45分・・・ という時間のずれもあり、結局最後におじちゃんの顔を見に、そのレストランに行くことはできませんでした。おじちゃんの、ちょっとだけさみしそうな顔を忘れたくなくて、最後にここに書いておきます。ありがとう。また会えたらいいね。
2008.12.22
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スリランカ南西のインド洋に浮かび、「インド洋の首飾り」とも称されるモルディブ。26の環礁や約1,200の島々から成るこの小さな島国は、海抜の最高が2.4mという平坦な地形であるため、海面が1m上昇すると国土の80%が失われるともいわれています。2008年12月18~22日、5日間という短い日程ではありましたが、そのモルディブに行ってきました。モルディブに行くのはこれが3度目。1度目はまだ高校生のころ、両親とお兄ちゃんとの4人で、そして2度目は2006年の3月、彼と2人で。あのどこまでも続くエメラルドグリーンの海がまた見たくて、私の心は数日前からすっかりもう、モルディブに奪われてしまっていました。(仕事中でしたが・・・)今回お世話になったのは、モルディブ旅行の老舗中の老舗、「グルービー・ツアー」さん。http://www.tec-air.co.jp/maldives/まだ日本でまったくと言っていいほど知られていなかったモルディブのツアーを、20数年前に始めた、モルディブ旅行のパイオニアともいうべき存在。その丁寧な旅行相談とアフターケアには定評があり、モルディブに行くならぜったい、お薦めの旅行会社さんです。「えぇ~っ・・・あのディレイで有名なULさん・・・」という声が聞かれないでもありませんでしたが、今回は彼が経由便は絶対にいやだとわがままを言うので、はじめてスリランカ航空(UL)さんにお世話になることに。 このULさんがまた、良い意味で期待を裏切りまくる、ものすごーく素敵な航空会社さんでした。まずはその、美味な機内食から。。 私が頼んだ、ベジタリアンメニューの「チーズとトマトのカレー」。 彼が頼んだ「シーフードカレー」。めずらしく付け合わせが蕎麦ではなくおうどんで、蕎麦アレルギーの彼は喜んでいました。 到着少し前に再度御飯が出てきます。これは私が頼んだ鳥の照り焼き丼。やさしい味付けの、ユリ根のお饅頭のようなものが付け合わせで出てきて、とってもおいしかったです。 これは彼が頼んだ豚肉のオイスターソース丼。 10時間半という長旅もあっという間、成田を13時20分に出発したUL461便は、現地時間の20時(日本時間24時)にマーレ国際空港に到着。日本とは4時間の時差があります。 今回は、短い日程をさらに有効に使うため、水上飛行機ではなくボートで同日に行けるリゾートを選びました。このスピードボートで約40分ほど揺られ、目的の「ココパーム・ボドゥヒティ」に向かいます。到着時は雨が降っていて風も強く、ボートはばぅんばぅんとかなり揺れました。船酔いする人は要注意かも・・・ やや暗くて見えづらいですが、これが今回宿泊した「ココパーム・ボドゥヒティ」のアイランド・ビラです。プライベートプールも付いており、なんと188平米もあります。 部屋の真ん中にはこんな、大きな丸いバスタブが・・・ とっても素敵なのですが・・・ はずかしくて入れません(^^; テーブルにはホテルからのこんなうれしいプレゼントが。シャンパンとフルーツバスケット、さらには小腹を満たすサンドイッチのアソートです。 朝食のレストラン。お腹が減っていたので、朝からもりもり食べました。とはいえ、あいかわらず葉っぱモノ(青い野菜)の嫌いな私・・・こんなヘビーなものばかり、よく朝から入りますよね。 ホテルの中はいつもとってもきれいに清掃されており、時おりこんな心憎い演出が心を和ませてくれます。 トカゲくんを発見。モルディブのリゾートは、ワン・アイランド・ワン・リゾートのところが多く、リゾートのそれぞれが大きな、自然空間となっています。自然と調和した空間を、ゆったりとした時間の中で愉しむ・・・これこそ、普段の生活では味わうことのできない、何よりの贅沢なのです。 2日目はあまりお天気が良くなかったので、プールに行くのはやめてお部屋でのんびりしていました。あんなに朝食を食べたのにすぐお腹が空いて、ルームサービス・・・ ビールと赤ワイン1本、ピザとシーザーサラダだけで約USD150・・・ 高っ!!(翌日に続く・・・)
2008.12.21
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日本海の離島、隠岐。あまり聞きなれないかもしれませんが、そこへ辿り着くためのフェリーの発着場・境港(さかいみなと)は、かの水木しげるが生まれ育った場所。町中に「ゲゲゲの鬼太郎」のキャラクターの銅像が立っており、観光客たちを楽しませてくれます。今回なぜ隠岐に行こうと思ったかというと・・・ 電車好きの彼が、まだ一度も乗ったことのない寝台列車に乗りたい!と言い出したことから。9月25日の木曜日、会社が終わるやいなや、一目散に家に帰ってシャワーを浴びて身支度をし、夜22時20分発の横浜発・サンライズ号に飛び乗りました。 これがその、サンライズ号。夜は良い写真が撮れなかったため、これは翌朝撮った写真です。 サンライズ号の車内。車内は某有名住宅メーカーによって設計されたとのことで、さすがにくつろぎの空間が演出されていました。22時20分発に横浜を出発し、寝台列車の中ではあらかじめ用意しておいたお酒とおつまみで乾杯。ほどなく心地良い揺れに眠気をもよおし、気づいたら寝てしまっていたようです。そこから電車に揺られること約8時間。電車は朝6時半ごろ、ようやく岡山に到着。このサンライズ号は、岡山で高松行きと米子行きに分かれます。本当は、この米子行きの方を取りたかったのですが、残念ながらいっぱいだったとのこと。朝早くの乗り換えを承知で、この高松行きに乗ったというわけです。眠い目をこすりこすり、岡山で朝早く特急「やくも」に乗り換えます。岡山からさらに電車に揺られること約2時間。ようやく米子に到着です。 米子と境港を結ぶこのJR境港線の電車には、このように鬼太郎のメインキャラクターの絵が描かれています。私たちが乗ったのはこの、ねずみ男バージョン。あまりいい気はしませんでしたが。(笑) ホームには、このように銅像も。鬼太郎の頭の上に、目玉のおやじがちゃんと乗ってるのがわかりますか?なんとも芸の細かいこと! 境港の駅に着くと、まだあまりお腹は減っていなかったものの、ガイドブックで見てとても惹かれていた海鮮丼にありつきました。どうです、この盛りだくさんの海鮮たち!これで1800円とは、おどろきのコストパフォーマンスです。 このレインボー模様のレインボー号(まんま!)に乗って、今度は隠岐の西郷というところに渡ります。この高速船がなかなかどうして値段が高くて、一人6000円もするんです!思わずびっくりして、何度も聞き返してしまいました。 船内はほら・・・ きちんと整備されていて、とってもきれいでしょう?今回足を運んでみるまでちっとも知らなかったのですが、隠岐は「島前」と「島後」に分かれており、島後は島前よりはるかに大きく、空港も島後にあります。今回我々が泊まったのもここ島後の方。島内は結構大きくて、観光する場所もたくさんありました。 フェリーで到着し、ホテルにチェックインした後、レンタカーで島を縦断してみました。それほど大きくはないものの、やはり反対側まで行くには1時間ほどかかります。これはその、真反対の位置にある「白島(しらしま)海岸」。 ごつごつといびつな形をした岩々に荒波が打ちつける様子は、まさに圧巻でした。海は深い部分はおそろしいほどに紺碧、そして岩の周りの少し浅い部分は目の覚めるようなエメラルドブルー・・・ しばらく立ち止まって、その大自然が織りなす美しい光景に見とれていました。 夕暮れ・・・ 日本海に陽が落ちて、海を赤く染めていきます。 夕食は、海の幸満載の、ここ隠岐プラザホテルご自慢の「しまどれ海鮮会席」。それにさらに一人3000円追加で、このように海の幸てんこもりの「しまどれ鉢盛り」が味わえます。・・・が、2人で6000円ってのは、少々高かったな・・・?まっ、いっか! 朝食は、これまたホテルご自慢の「もずく粥」を盛り込んだ豪華な内容。昨日あんなに食べたのがウソのように、するすると胃の中に収まっていきます。 なごり惜しさをおぼえつつも、朝9時頃ホテルを後にして、隠岐空港へ。隠岐空港はこんな感じで、改装されたばかりの、とてもきれいな空港でした。 これも彼がぜひにと乗りたがっていた、JAC(日本エアコミューター)のSAAB機。念願かなって初搭乗です。もちろん、私も。出雲空港に到着後、一畑電鉄というローカル電車を乗り継いで、一路出雲大社へ。出雲大社に2人で来るのはこれが2度目。前回は入籍前だったから、もう8年も前のことになります。因幡の白兎の主人公・オオクニヌシノオオカミがアマテラスオオミカミに国を譲るときに与えられた壮大な宮殿がそのはじまりと言われている、出雲大社。広い境内には、本殿、拝殿、神楽殿、摂社8社、末社3社、文庫、宝庫などが立ち並んでいます。 正門の鳥居から参道を進んでいくと、日本の名松百選に名を連ねる見事な松並木が現れます。境内はあいかわらず人でにぎわっていて、しかしあいかわらず美しく荘厳で、心が洗われました。本殿は、平安時代にはおよそ46メートルの高さがあったといわれ、最近ではその際本殿を支えていた支柱が掘り起こされ、展示されています。平安時代の「口ずさみ」で、「雲太、和二、京三(うんた、わに、きょうさん)」というものがあったそうです。出雲の出雲大社がその時代一番高い建築物で、二番目が大和の東大寺大仏殿(今のは再建されたもので当時は45m)、三番目が天皇のお住まいの京都は平安京の内裏の建物、ということです。なんと、当時の最高権力者のお住まいより高い建物。仏教は国家鎮護のものなので納得できてもなぜ出雲が一番?おもしろい話です。答えは怨霊鎮魂なのですが。 長さ13メートル、胴回り9メートルで日本一の大きさを誇る、神楽殿の大しめ縄。重さは4.5トンもあるそうで、底面は2~2.5メートルもあるそうです。このしめ縄には、参拝客が投げた小銭がたくさん、埋もれています。出雲大社を出て、そこから徒歩約10分のところにある、古代出雲歴史博物館に足を運びました。ここはまだ出来て1年ほどしか経っていない、とても近代的な外観の博物館。 なんとあの元キャスターの、宮崎みどりさんが館長だそうです。ここのご出身なのでしょうか・・・? ここにその、近年発掘されたという、出雲大社の支柱が展示されています。なるほど、ものすごく大きな支柱で、これが何本も並べられ、本殿を支えていたのだと思うと、なんだか胸が熱くなりました。これで隠岐・出雲旅行はおわり。今回は本当に、乗り物ばかりの旅で彼は大満足のようでした。乗り物に乗ること、なんと10回!横浜→岡山(サンライズ)→米子(やくも)→境港(境港線)→隠岐(フェリー)→レンタカー→出雲空港(JAC/SAAB機)→出雲駅(バス)→出雲大社駅(一畑電鉄)→出雲空港(バス)→羽田空港(JAL機)。出雲からの帰りは、JALで出雲→羽田にひとっ飛び。本当は、行きも飛行機で行った方が断然時間も早くてしかも安かったのでしょうが、寝台列車とローカル線を乗り継ぐ旅も、いろんな発見があってとても楽しかったです。こんな旅を企画してくれた彼に、感謝、感謝。またよろしくね☆
2008.10.19
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