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はんらさんの日記ではんらさんのご長男コーちゃんが見事漢字検定6級に合格したと知った。おめでとうございます!うちの長男も幼稚園児ながら8級に挑戦した。結果は、「合格者名簿にありません」だった。やっぱりちょっと残念だった。長男も練習をそれなりに積んできたのだが、解答用紙にどう書き込んだのか・・・幼稚園で結果を知って落ち込んで帰ってくるかな、と思ったが、あっけらかんとして帰ってきた。多分知らされていなかったらしい。だからあえて話さなかった。彼も試験を受けた事など忘れてしまっているようだった。あの日、「受かったらキョーチョンチキン買ってね」と言った事すらも。キョーチョンチキン、おいしいけど高いよね。クリスマスまでおあずけにしようか?(せこい!)そのうちキョーチョンチキン食べながら、落ちちゃったけど、頑張ろうね!と話してあげるのだ。とりあえず漢字は重要なのでこれから先も勉強させようと思う。カンニング事件で国内は大騒ぎだ。私の予想どうり全国規模でのものだったらしい。不正のはびこる社会でも正しい倫理観と実力をもって生きていかなければならない。長男の学歴社会生き残りは今始まったばかり・・・・たくましく生きていこうね、お互いに!
November 30, 2004
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高校生のクイズ番組で、毎週全国の高校を周り、70名の高校生が、教養・学問に関する問題50問に挑戦。見事全問正解した学生には、大学奨学金や海外研修、豪華プレゼントを獲得できるという番組だ。問題は学識や芸術など多岐にわたり、全問正解するのはきわめて難しい。けれども全問正解し、「ゴールデン・ベル」を鳴らす事ができれば、学校の名誉も守る事ができる。その番組にアサン中心部にある「アサン高校」が出た。収録はすでに1ヶ月前にしてあって、私もア高がでたのは知っていた。しかし「ゴールデンベル」を鳴らしたとは聞いていなかったので、まあア高のレベルじゃあ無理だったのだろうと思っていた。ここアサンは一応観光都市である。であって教育都市ではない。よくアサンは勉強する雰囲気じゃないという。環境が悪いというのだ。市の中心にはア高を始めとして4つの高校がある。しかしこれらの高校でトップレベルの子は、隣の天安のできのいい学校に転校してしまうことが多い。アサンじゃ競争にならないようだ。語学院や高校、中学校でこういう子供達と関わってきたので、この雰囲気はなんとなく分かる。でも勉強にがんじがらめになりながら、のびのびとしているアサンの子供達が好きだった。ちょっとのほほんとしているかもしれないが・・・そんなアサンのア高が「ゴールデンベル」に挑戦するという。チャッチャッチャッチャ!第一問!70名中9人脱落!おいおい一問目からこんなんで大丈夫かい??その後も脱落者続出!ああやっぱりア高だわ・・・そして2ヶ月間猛特訓を積んだという先生方のダンス!なかなかすごい盛り上がりだ。それもそのはず、今回ゴールデンベルを逃したら今度いつ出られるか分からないのだし、学校の名誉がかかっている!夫のいとこの先生も髪を振り乱し熱演!先生方の頑張りにもかかわらず、脱落した学生達がどんどん抜けていく。ここで敗者復活戦があった。10人の先生方がゲームをし、全員成功したら20人復活、5人以上だったら10人復活。先生のお蔭で10人復活した。涙を誘ったのは、10年前の脳腫ようの手術のせいでちょっとしんどそうな感じのH君。しかし彼はゴールデンベルを鳴らそうとここまで生き残っていた。勉強もよくできるような感じだ。司会者が、ご両親に何か一言というと「10年前の手術でどんなに心配し、手術後もここまで育ててくれて感謝しています。オンマ、アッパ、サランヘヨ・・」というと「Hや・・・あの時お前を失ったものかと思ったよ」どこからともなく母親の声が!キョロキョロと母の姿を探すH君。「こうして立派に成長し、この場にいるお前が本当に誇らしい・・・」涙があふれるH君。そして「Hやーー!」駆け寄る母親!抱き合う親子!わたしなんか涙腺弱いから、これだけでウルウル。これでこのH君がゴールデンベルでも鳴らしてくれれば、話題になったのだろうが、残念なことに敗退。結構期待されていたみたいだけど、この問題ほんとに難しいのだ。残るは3人。そして5問ほどを残して一人になってしまった。司会者「君はここまで残るとは思われていなかったみたいだね」(って書くと嫌みに聞こえるが、ニュアンス的には他に優勝候補がいたみたいだった。例のH君?)すると「実は僕はゴールデンベルに挑戦したくて、5年前から準備してきました!」おおー!すごいぞ。私は40問くらいで皆脱落かと思っていたのに、こんな子がいたなんて!そして彼がチャンスを使うとき代わりに解答してくれる相手に選んだのは、H君。ついに答えられなくなって、H君がピンチを助けるという感動的な場面あり。そして49問め。もうチャンスは使えない。しかし彼はなかなか答えを書き込めない。あと2問。ここまで来たんだから、鳴らして欲しい・・・結果は、不正解・・・ああもったいない。しかし49問目脱落、というのがア高らしくて笑ってしまった。一緒に見ていた息子が「僕も出たい!」といっていた。今から準備させるかな!
November 29, 2004
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「玉に傷」という事なのだが、よくドラマなどで放映されてしまった、ちょっとしたミスをあら探しするコーナーがあったりする。たとえば、時代劇なのに現代の服の人が映っていた、とか、振り向く前と後の髪型が違う、とか編集段階でもうっかり見落としてしまったようなミスである。普通に見ていれば分からないようなものであるが、わざわざ探し出したのを見てみると、結構笑える。今日はもちろん「李舜臣」の日であった。李舜臣自身が刀を持って戦うシーンが多いため、我が息子達はこのドラマを「チャンバラ活劇」だと思っているらしい。昨日は舜臣が密かに思いを寄せていた女性「ミジン」が、連れ去られていた日本軍のもとを脱走、そこではらまされた子を出産し、舜臣の武科の試験を陰から見守りながら死んでいく、という悲惨な場面あり。そしてそれから一挙に14年の月日が過ぎ去り、見ているものをびっくりさせた。武官となった舜臣は女真族がひっきりなしに攻めてくる北の国境地帯に指揮官として配属となる。ところで、日本では豊臣秀吉が全国を制圧した、という事も描かれるので、日本の場面も出てくるのだが、着ている衣装といい、インテリアといい、笑ってしまう。まあ、これくらいなら、知らないのね、くらいでいいかもしれない。多分日本で朝鮮時代の舞台設定をしようとしても、同じような水準だろうと思う。しかし、今日「オゲ・ッティ」を探して一人笑ったのは、(笑いを共有できない所がさびしい・・)豊臣秀吉の屋敷のふすまに「葛飾北斎」の「富嶽三十六景」が!ああ、時代が違う・・・そして柱に「菊のご紋」が!「利家とまつ」とかでも見てもう少しだけ勉強してくれたら・・・ただでさえ日本人が韓国語しゃべっていておかしいんだから・・・
November 28, 2004
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なんか福祉会館で「聴講授業」というのがあって、私の授業を他の先生方が見に来るらしい。この間も職員の人が「準備ははかどってますか?」なんて聞いてきたので、「あ、はっ、はい・・・」なんてあいまいに返事をしておいた。なんも準備なんてしていなかった。「いつものように授業すればいいんですよ」と言われたが、このいつものように、というのが曲者だ。かえって初級の授業の方がお年寄り相手に楽しくできるのだが、今回聴講授業の対象は日本語ぺらぺらの上級クラス。幼い頃習わされた日本語だが、忘れたくないし、現代日本語に触れたいし、使ってみたいという実力派ぞろいだ。もと日本語の先生だったというおじいちゃんまでいる。このクラスを満足させるのは結構大変なのだ。毎回あの手この手で、時には道化に徹したりしている。このクラスで模範となる授業ができるかどうか、ちょっと不安である。福祉会館での講義は、第一にお年寄りのためのボランティアである事を忘れてはならない。少しでもお年寄りの笑顔がみたい、と思いながらやっている。それだけが私の信条であったから、それを他の先生が見ているというのはなんだか緊張する。ああなんかやりたくないなあと思いながら今日になってしまって、今慌ててプリントと教案を作成した。まあいつものように・・ね!ところでこのお年寄りたちは実に謙虚である。同じお年寄りでも色々な人がいるだろうが、少なくても私の生徒さんは謙虚な人たちである。ずーっと若い私の事を先生と慕ってくれるのはもちろんの事、日本について学びたいと思っているし、いろいろ嫌な経験もしてきているが、日本に見習うべき所は見習おうと思っている。常識もきちんと持ち合わせている。こういう世代がだんだんといなくなっていくのは、なんともったいない事だろうか、と思う。韓国も日本もできれば目を背けたい時代を生きぬき、その中でも恨みだけを残さずに、実に豊かなバランス感覚を身につけた人たち。「現代」しか知らない私たちは、もっとこういう世代から学ぶ事があるのだろう。
November 27, 2004
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ひまだったので、長男と背景などを替えてみる。今日は年長さんの長男(満6歳)が家にいる。朝、長男が頭痛をうったえたので、(仮病でしょ!)なんて思ったのだが、なかなか起きられない様子を見て、幼稚園を休ませた。次男が一人でちゃんと行ってくれるかな?と心配したが、「バイバーイ!」と手を振って、元気よくバスに乗っていく姿を見て一安心。「頭痛い?」と長男に聞くと「すこし 痛くなくなった」と言った。きっとちょっと行きたくない気分だったんだろうな。ま、そういう事もあるよね。今のうちだけだよ。来年、小学校に入ったらなかなか休めなくなるんだから・・・韓国の学生達を見てびっくりする事がある。それは「なにがなんでも休まず学校に行こう!」と思っている事だ。それは、ずばり「皆勤賞」を狙うため!皆勤賞でも取っておいて、内申書のポイントを一つでも上げて、大学入試のときに少しでも有利になるように、という事だ。私の日本的感覚だと「皆勤賞」は健康さと勤勉さの証であり、クラスで一人受賞者が出るかでないかの、とても尊い賞であったはず。けれども韓国では「皆勤賞」を取った子供はわんさといる。「皆勤賞」のために、風邪を引こうと、熱が出ようと、雨が降っても槍が降っても(あ、降らない?)学校へ行く。どうしてもつらければ、保健室で休んだりする。それはすべて、この厳しい学力社会を生き抜くためなのだ。思い出した。嫁いで間もない頃、夫の家族と同居していたのだが、例のヨン様に似ている義弟も一緒に住んでいた。まだわがまま一杯の高校生だった。ある日、いつものように学校へ行かせるためにシオモニがこの義弟を起こしにかかった。しかし、なかなか起きようとはしない。若い頃って、なんでこんなに寝ボスケなんだろう。私もいつも母親を困らせていた覚えがある。義弟もいつもこんな感じで、ぎりぎりに起きて慌てふためきながらシャワーをし、ご飯も食べずに学校へすっ飛んでいった。しかしその日は、本当に起きなかった。シオモニが部屋に入って罵声を浴びさせても、起きなかった。「もうしらんからね!」シオモニも怒って出かけていった。残された私・・・まだ日本的感覚が残っていた私は、今日は学校さぼりね、なんて思っていた。それでもヒョンスとして役目を果たそうと、部屋の外で「トリョンニム・・起きなくていいの?学校に行かないの?」なんてやさしく問いかけていた。もちろん返事は無言。グウグウ寝ているようだった。さて、12時になった頃だろうか・・・「イイイイイ イイッシィィィィ・・・・!!!!」という絶叫が・・・・!慌てて部屋を出てみると、顔面蒼白となった義弟が!「どどどどうしたの!?」という私に返事もせず、一目散に電話に向かい、誰かと何やら話している模様。「起こしたんだけど起きなくて・・・どこか具合でも悪いの?」「・・・」無言。「何か作ろうか?」「・・・」無言。と、いきなりスクッと立ち上がり、ものすごい勢いでトイレに駆け込み、学校に行く準備を始めた。昼まで寝ちゃったらもうサボるしかないじゃん。というのは日本的思考。義弟はさっきの電話でなにやら根回しをしておいたらしい。遅刻だろうが、何だろうが、行ったもん勝ちという事である。そして「行ってきまーす」とも言わず学校へ飛んでいった。成績のあまりよくなかったうちの義弟でさえこうなのだから、(成績が悪いからむしろこうなのか)学生達の「皆勤賞」にかける意気込みというものは想像を絶するものがある。今回の大学入試の不正事件にしても、とりあえずいい大学を出ていればいいという偏った考えは、今すぐには直るものではないだろう。けれども、そんな大変な韓国の学歴社会にがんじがらめになりながらも、子供達は彼らなりに精いっぱい生きているのだ。
November 23, 2004
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私が日本語を教えている福祉会館は、市内から10分くらい歩いた所にある。おじいちゃん・おばあちゃん’sにはちょっと大変かなと思うが、皆さんゆっくり目のペースでがんばって歩いていらっしゃる。今日「せんせー、一緒にタクシーで帰りましょう」と、あるおばあちゃんがお声をかけてくださったので、ありがたく駅前まで便乗させてもらう事にした。一緒に便乗したおばあちゃんは3人。皆さん70代であるというが、上品で、若々しい。タクシーをつかまえて、乗り込む。皆いっせいに財布をとりだす。もちろん私もそのジェスチャーをする。助手席に座ったおばあちゃんが「せんせーは、いいですよ」と言われたので、「ありがとうございまーす」と素直にしたがった。基本料金内だし、逆らってもしょうがないでしょ。しかし・・・となりのおばあちゃんは千ウォン札を握り締め、助手席のおばあちゃんに渡そうとする。「オンニー、ここは私が出すわ」助手席のおばあちゃんは受け取ろうとしない。と、私のとなりのおばあちゃんは助手席のおばあちゃんの手を無理矢理つかみ、千ウォン札をその手につかませようと躍起になっている。「オンニーのいう事がきけないの?」「いいんだってばあ!」ここまでは、韓国でよく見られるやりとりである。よく、「ここは私がおごるわ」なんて言って「だめよ、そんなのー!」みたいなやり取りが延々続いた後、相手にお金を無理矢理握らせて走り去っていく。おごられた本人も「まったく・・・」なんて言いながら、ちょっとうれしそうだったりして。韓国人ならではの暗黙のルールがあるらしい。けれども、二人のおばあちゃん達はなにやらケンアクな雰囲気になっていた。助手席のおばあちゃんが何がなんでも受け取ろうとしないと「ええい、つねっちゃうから!」と本当に、つねっている!!見るに見かねて私が助手席のおばあちゃんに「ここはオンニーのいう事をきいて・・・」というや否やとなりのおばあちゃんは「えい!」とその千ウォン札を前に投げつける。ああ、かわいそうな千ウォン札・・・助手席のおばあちゃん、ぶつくさいいながらそれを拾い、この件はカタがつくかと思われた。しかし今度は助手席の後ろに座っている私に「センセーが渡してください」と千ウォン札を後ろ手にまわして言うではないか!わたしを巻き込まないでくれよお・・・・私がこの千ウォン札を受け取り、隣のおばさんに渡したら一件落着するだろうか?乏しい脳みそがカシャカシャと計算する。結局千ウォン札を受け取り「今度はお母さんが出すって事にしましょうよ」と言って渡そうとした。が、頑として受け取らない(涙)二人の表情は強張っている。なんだ、なんだ?二人の間に私の知らない確執があるんだろうか?いくら韓国人とはいえちょっとやり取りが熱すぎだぞ!と言っている間にタクシーは駅前についた。私はかわいそうな千ウォン札を隣のおばさんのかばんにねじ込み「また来週!」と言って降りた。なんか、数分間が、針のむしろ状態だった。年を取っても、上品そうでも、意地っ張りが多い韓国人。でもきっと次の日にはケロッとしているんだよね。
November 22, 2004
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「神田の古本街」そこはいつも私をうきうきさせる場所だった。山積みになったわけの分からない古い書籍や巻き物や地図や・・昔の人たちの息遣いを感じられるようで、この本をどういう所で読んでいたのだろう、どう使っていたのだろうなんて想像しながら歩いた場所だ。かれこれ10年近く行っていないような気がする。なんで神田の古本街を思い出したかというと、先日KBSで「人物現代史、キム・ミンギ編」というのをやっていたからだ。私がアジア・中近東というものに興味を持ち出したのは1980年代の終わり頃だ。その頃は今と違って、アジアに関する情報がないわけではなかったが、氾濫しているわけでもなかった。書籍に関しては手に入りにくいものも多かったように思える。神田には中国関係の専門書店はいくつかあったようだが、当時韓国だけを専門に扱っている所はなかった。(私の知っている範囲で)けれども一軒、アジア関係の書店があった。(あくまで私の知っている範囲内だが)「アジア文庫」だったか「アジア書店」だったか名前は正確に思い出せないが、そこに行くと大型書店でも売られていないようなアジア・中近東の書籍があった。仮にそこを「アジア文庫」としておく。アジア文庫は神田駅前の大通りに面した古ぼけた建物の二階にあった。狭い階段を上がっていった狭い店内にはその手の書籍が所せましと置かれていた。雑然としたその様は、アジアというイメージを彷彿させられた。異国の地に足を踏み入れてしまったような、なにか発見があるかもしれないような、そんな場所だった。ある日韓国書籍を見にこの「アジア文庫」に行った。私は渡辺キルヨン先生の「ラジオ講座」で、独学で韓国語学習を始めていた。韓国の子供が読むような簡単な原書の絵本なんかががあればいいな、という思いからだった。私の求めているようなものは残念ながらなかった。しかし一本だけ何やらカセットテープが置いてあるではないか。それは「キム・ミンギを歌う」というカセットだった。まだ韓国の知識に乏しい私は「キムミンギ」について何も知らない。けれども当時は韓国の歌なんて簡単に聞けるものではなかったし、何故か日本で制作されたテープであり、韓日対訳になっている事から、買う事にした。今はなくしてしまった説明文に、キムミンギという人は投獄された人であること、在日韓国人の有志でこのテープを制作したらしい事が書かれてあった。テープには「アッチム・イスル(朝露)」「コンジャンエ・プル・ピッ(工場のともしび)」「イ・セサン・オディンガエ(この世のどこかに)」などが在日韓国人女性の透き通るような声で歌われていた。なかなか親しみやすく、きれいな旋律だった。これがキムミンギさんの手がけた曲の数々だった。キムミンギさんは現在はミュージカル監督として活躍されている。今はミュージカル「工場のともしび」のリニューアル版を制作している。KBSの「人物現代史」によると70年代に初めてこの「工場のともしび」を作詞作曲し地下室で録音、命懸けでばらまいたらしい。キムミンギさんは最初に発表したレコードが発売禁止処分を受け、以来危険人物として監視を受けてきた。「アッチムイスル」などは学生運動の象徴の歌であり、学生運動や労働者運動でキムミンギさんの歌が歌われる度に、当局に連行されたらしい。民主化に向かう前の韓国の暗い時代を象徴するような人なのだ。「アッチムイスル」は私が初めて韓国語で歌える歌となった。もちろんヤンヒウンさんほどに味わい深く歌えないが。こういう人たちがいたからこそ、今の大衆文化が花開いた。日本でも韓国でも私は「自由」を謳歌している。暗い時代のことは本当は怖くて想像したくない事もある。けれどもこういう事実から目を背けてはいけないんだと思わされた。
November 21, 2004
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今日見た番組。「KBSスペシャル」「不滅の李舜臣」「KBSスペシャル」は韓国動乱の時、北に捕虜となって連れて行かれ、未だ生死不明、あるいは戦死扱いだったいわゆる「国軍捕虜」が北を脱出し、韓国に帰国できるかという様子を、3年間中国で追いかけたドキュメンタリーだ。現在の韓国はあまりにも平和で、忘れがちであるが、朝鮮半島はまだ、休戦中の国なのだ。私が韓国を初めて訪れたのは1989年。この時は単なる旅行で来たのだが、道ゆく人のなかに軍服姿があったり、高速道路は有事の時にジェット機の滑走路としても使えると聞いて、緊張感を覚えた記憶がある。街にはソウルオリンピックのマスコット「ホドリ」が笑って手を振っていたりして、平和に見えるが、そうか・・まだまだ戦争が終わったわけではないんだな、と。それが韓国の第一印象だった。この「国軍捕虜」の人たちは数千名いると言われているが、当時捕虜になって収容所生活の後、捕虜交換の交渉の場につく事もなく、そのまま50年以上も北朝鮮の国民として暮らさざるを得なかった。いつか南北が統一されて、故郷に帰れる日が来るかもしれないことを信じて・・・しかし、長い年月でだんだん老いていき、死ぬ前に一度でいいから故郷の地を踏みたい、という切なる思いから川を越えて中国に逃亡してきた。ある人はブローカーが韓国の家族と連絡を取る間に、中国の公安に捕まり、北に移送されてしまったり・・・またある人は、幸いにも家族と連絡がとれ、中国の自分が潜んでいる所に会いにやってきた。50年ぶりの再会。誰もが死んだものと思っていた。しかし再会から数時間後、やはり公安に捕まってしまう。家族もパスポートを取りあげられ、事情招集されるはめに・・・。不安、焦り・・・せっかく再会したものの北に送られたらそれは死を意味する事だ。「あの時志願兵になんかならなきゃよかったのに・・・!」崩れ落ちる家族。結局この方は、北に送られたが、マスコミがメディアで取り上げたりしたからか、最終的に韓国に帰還する事ができた。これはまれなケースである。分断国家である事、休戦中である事、これは忘れてはならない韓国の現実である。政治的にそれはさまざまな思惑があるだろうし、私達の知らない努力もされているのだと思う。けれどもその水面下には、いつでも生身の人間がいる。当たり前のように息をして、食べて、生活し、誰かを愛し、故郷を懐かしがり・・・それも現実だ。そういえば幼い頃、父にこういう話を聞いた。日本も分断されていたかも知れないんだ。そうなっていたら、私は生まれてこなかったんだ、と・・・父は東北、母は首都圏なので、戦後の日本列島分割案が本当になっていたら、父と母は出会う事はなかったかもしれない。当然私もこの世にはなかった存在になる。幼心に自分の存在というものが不思議で、とても尊いもののように感じられた。そう思うと、韓国の分断という事実は実に不幸な出来事だ。沢山の生まれるべき命、生まれるべきアイディアが、日の目を見ないでいるのだから。そして、すぐにでも飛んでいけそうな距離にあるのに行けない故郷。たまらないほど会いたいのに会えない家族。同じ言葉を話しながら、一つになれない事。世界にはどうしてこんなに沢山の「矛盾」があるのだろうか。できる事は何もないかもしれないけれど、せめてこの国で真剣に暮らしていこう。あ・・・「不滅の李舜臣」最近わたしはこのドラマを歴史ドラマではなくファンタジーだと思ってみるようにしている。今日は日本人が舜臣様を探し出すために静かな村に押し入り、無辜の村人を殺戮したりしたので、私としては気持ちのいいものじゃあなかった。それにしても、この手の話で日本人が出てくるとなんでみんないかれちゃった人みたいに描くんだろう・・・あんな「兄の敵だーー」と朝鮮まで来て仇討ちをさせられた部下の人たちは馬鹿みたいだ。いつも韓国のドラマで日本が出てくると、日本側の時代考証とかがあやふやで、服とか、住居とかも適当っぽい。昔は日本人の家の中に「赤提灯」なんかがぶらさがってたり・・・変なのが多かった。しかし「李舜臣」では秀吉と家臣達が集まってなにやら話している場面があった時、昔よりはまあまあかな、と思っていたが、この殺戮していく日本人達の姿はまるでやくざかちんぴらかって感じで・・・内容もこれから良くなっていくんだよね・・・期待しているからね・・・・・・・・。
November 20, 2004
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無事、キムジャンも終わった。水曜日の朝に行ったら、もう塩漬けされた白菜がシオモニの手によって洗われていた。義姉と私、「はあ、やっぱり、・・・」早起きで働き者のシオモニは何かやるとなったら、暴走機関車のようだ。具の材料はすでに切ってあるから、あとは具を中に入れるだけだ。赤いゴム手袋をつけて、白菜に具をつめていく。そんなに多くないから(60個)すぐ終わっちゃう。これが第一弾、だった。キムジャン第二弾は次の日、木曜日。第一弾めはキムチ冷蔵庫にいれる分、第二弾めは土の中に貯蔵する分だ。この日はまた、唐辛子味噌も作った。色々な話をしながら仕事をしていくのだが、その中でうちの義弟の話になった。夫の兄弟は4人。今一緒にキムチを付けている姉と、妹と、12歳年下の弟だ。私がお嫁に来た頃はまだ高校生だった。かわいいが私から見るとちょっと「チョルオプタ」(分別がない、幼い)所があった。まあ末っ子だからそんなものか。ところでこの義弟、以前からヨン様にそっくりだった。学生時代流行っていたべっこう調のめがねをかけてにこっと笑うと、ヨン様そのものだった。「一体誰に似たのか分からない」とシオモニ。ヨン様に似ているから顔はナイス!だし、スタイルもいい。「まったくあいつはスタイルがいいから何を着ても良く似合う」この義姉を始めとして、夫の兄弟はたくましい体つきの人ばかりだ。義姉も「8ヶ月」と呼ばれるくらいだし、義妹も上手に隠しているがこれまた・・・そして夫、ボディビルダーにあこがれた事もあったというから、ガタイはいいほうだ。(この事実はショック!だった。私はボディビルってどうも・・・)体育会系なので油断するとすぐ太ってしまう。しかし義弟は太ったことがない。いつもバランスのいい体型を維持している。そして着こなしもおしゃれだ。しかも義弟はあちこちに友達も多い。男女を問わず誰からにも好かれる。同居していたとき、私も気に入らない事があってもなんだか憎めない得なタイプだ。こういうのをタレント性があるとでもいうのだろうか。夫とはまた違うタイプだ。そんな我が家の「ヨン様」、結婚にはまだまだ早いが、「結婚したら、自分の奥さんとヒョンス(私の事)とで、キムジャンも祭事も全部やってあげるから!」なんてことを抜かすんだそうだ。おいおい!わたしゃあんまりよくできないよ!いいお嫁さんを連れといで!ところで日本語の授業中「先生もヨン様、お好きですか?」なんて聞かれた。「人気が出ると好きじゃなくなるのよ・・でも『若者の日だまり』でヨン様にすっかりほれてしまった時もあったわ!」『若者の日だまり』とは私が嫁ぐ前だったから、かれこれ10年くらい前のドラマだろうか。ヨン様は脇役だったが、貧乏が嫌で出世をもくろむ主人公の友達役として出た。金持ちの家の子息で、留学経験ある若き映画監督、顔も性格もいい、という文句の付け所のないおぼっちゃん役だった。ヨン様ってこういう役がまた似合うんだよね。このドラマで一躍有名になったと思うが、ほんとうにカッコよかった。あまりに昔の話だったので若い学生は「ふーん」そして20代後半の学生は「そうそう!ほんとによかったです」「あんな人と結婚したくなったりしたよねえ」「そーなんです!」ああなんてミーハーな・・・若い韓国女性にも、日本のおばさまにも世代を超えて夢を与え続けるヨン様、すごすぎです。
November 18, 2004
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ガーン!すでにどなたかの日記にもあったが、韓国語が対応できなくなっている・・・!フリーページに好きな絵本を書き込もうという計画があったのに・・・なんとかできないんでしょうか?子供ができて絵本読み聞かせに興味を持っています。絵本の世界は何よりも私自身の心の癒しになりますし、どんな高価なおもちゃよりも本に優る教材はないと思うからです。それに声を出して本を読むと、韓国語の勉強にもなるし。子供達にいい本を読んであげたくて、来年からは地域の童話研究の同好会に入会しようかなと思っています。韓国語を勉強中の人にも、この絵本学習法はいいと思います。
November 17, 2004
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今日はキムジャン!をするという。それで、昨日は下準備をしにシテクに行ってきた。ところで、義姉の車で行ってきたのだが、この義姉、運転中のうるさいこと!前の車がゆっくりしていると、「ホラホラ!早く行け!」割り込んでくると「まったくなんてマナーが悪いのかしら!」そして「この下手な運転、誰?・・・女か!まったく女の運転はなってない!」と御自身も女性ながらそんなことをいう。自分も若葉マークの頃、坂下の家に突っ込んでいったり(!)結構すごい事をやらかしているにもかかわらず、そんなことは忘れちゃているのだろうか?私もその頃義姉の車に乗るのはそれこそ、命懸け、だったのだ。そんな義姉の運転中のざれ言に、私はただただ苦笑するしかない。シテクについて、私は大量の大根を千切りに。他にねぎやカッ(からしな)なども切る。大根!でかい上にごろごろしていて、スライスしずらい!しかも千切りにする器具を使うと味が落ちるというシオモニの料理哲学のため、包丁で切らないといけない。はあ、疲れた・・・。しかしこのキムジャンは第一弾!なのである。とりあえず、キムチ冷蔵庫に貯蔵する分だけ、7、80個の白菜を漬けるんだそうだ。残り50個(そしてまだ畑にも・・・!)は、土に埋める分なので来週辺り折りを見て漬けるそうだ。実は、すでに2、3週間前にプチキムジャン(30個)も終えている。今回のキムチが発酵するまでの間食べるものだ。もちろん、大根キムジャン(カクトゥギ、チョンガーキムチ、トンチミ)は終わっている。今日は具をつめにいってきまーす!
November 16, 2004
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夫の両親の家は車で10分位の所にある。3年前まで私達も同居生活を送っていた。けれども私のシチプサリはそんなに大変なものではなかったと思う。舅と姑は私に本当によくしてくれた。時には確執もあった事はあったのだが、色々な事を経て、今ではいい関係だと思えるし、実の娘と同じように扱ってくれる。胸を張って大韓民国で一番のシプモ二ムだ!と言える。日曜日なので、午後からシテクに遊びに行った。庭に白菜が山積みになっている。いよいよ「その日」が近づいてきたのだ。韓国にお嫁に来た人なら「白菜」「山積み」のキーワードだけで何の日のことだかわかるだろう。そう我家では「キムジャン」が始まろうとしていた。「キムジャン」・・・一年の総決算。キムチをしこたま漬けて、来るべき冬に備える。この事を考えると主婦は夜も寝られない。最近はキムチ冷蔵庫のお陰でキムジャンにとらわれない家庭もあるというが、やっぱりキムジャンを終えないと冬を迎えられない人の方がまだまだ絶対数だと思う。またキムジャンの手伝いに友達や近所の人が来たり、反対に手伝いに行ってあげたり、韓国ならではの一大イベントなのだ。「昨日お父さんと白菜を収穫して、腰が痛くなっちゃった」とシオモニ。うちは別に農家ではないのだが、敷地に家族が一年食べられるだけの田んぼと、野菜畑がある。野菜畑には、白菜、長ねぎ、にんにく、唐辛子、大根、・・・・・など一年を通じてあらゆる種類の野菜が植えられている。私だったら、庭に芝生でもひいて、ガーデニングとかしたいのだか、シオモニの庭は食料庫以外の用途はあまりない。おかげでおいしい野菜がタダで食べられるけど!「お母さん。キムジャンいつするの?」「塩漬けを明日するか、あさってするか・・・」「じゃあ、呼んでくださいね」この白菜が新鮮なうちにするなら2、3日の間に行われるだろう。今日は大根を畑から取ってくる作業だ。今年の白菜のできもよかったが、大根もすごい大きい!でかいものは人の顔ほどある。子供達も泥んこになりながら大根をひっこぬく。あれ?日本の大根ってもっと細長くて辛かったような。韓国の大根は丸くて甘みがある。大根足と言うにはあまりにも失礼ななりをしている。とにかく大量の大根を用途べつに分けて、チョッパ(小さいネギ)の皮もむいた。この何日かシオモニは毎晩テレビを見ながらにんにくをつぶしたり、チョッパの皮をむいたり、少しずつキムジャンの準備をしているそうだ。そんな仕事上手なシオモニのお陰で、いざ手伝いに行ってみると大体の事は終わっている事もよくある。キムジャンは白菜の中に具を入れる作業よりも、白菜を洗ったり、具を切ったりする下準備の方が大変だ。無理しないで体を壊さない程度にやってほしいんだけど・・・とにかく韓国の主婦はキムジャンの事になると思考の全回路が全開になって、すごいパワーを発揮する。でもそれはみんな家族においしいものを食べさせたい一心からなのだ。どこの国の主婦もそうだろうが、とくに韓国の主婦は、家族が何を食べているのか、どんな暮らしをしているのか、心配で心配でたまらない。家族に対する愛情がとても深いのだ。そんなことを一番シオモニから感じる。今年もおいしいキムチが漬けられますように!
November 14, 2004
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週に2回、日本語会話の授業を受け持っている。ところで、ここアサンには温泉もあるが、サムソンの半導体工場とか現代自動車の工場があり、それらの関連企業もたくさんある。それで以前から日本人のエンジニアが結構訪れる場所だった。また最近はサムソンのもう一つの工場も完成し、さらに日本人が多く出入りしているらしい。これらの日本人はホテルに滞在するのが契約内容に含まれているため、アサンの観光ホテルは日本人で一杯なんだそうだ。李さんは私の授業を受けているGホテルの職員だ。日本語は体系的に習った事はない。けれどもこれら日本人のために必要性を感じて熱心に勉強している。まだ24歳、職務歴2年の李さんはこの間日本人の宿泊客からお叱りを受けたという。お客様の名前に「様」を付けなかったんだそうだ。しかも相手が悪かった。その宿泊客は「ムラタさん」と言い韓国と日本を行き来するビジネスマンなのだが、韓国滞在中はこのGホテルを利用する。とても小うるさいお客で、「ムラタさん」が来ると、ホテル中が超緊張状態になるのだそうだ。そして彼女、李さんは失敗してしまった。よりによって「ムラタさん」の名前を呼び捨てにしてしまったのだ・・・!たちまちホテル内の空気が緊張する。「職員の教育がなっとらん!!」上司も出てきて平謝り、李さんもおろおろと頭を下げる。「もうほんとにどうしていいかわからなくって、・・・でも先生、日本人ってみんなこうなんですか?」「いやあ日本国内のホテルだったら解雇されてもおかしくないかもしれないけど、日本語ができない人にそんないわれてもねえ・・・」ふと日本人について考えてみた。確かに礼儀とかにすごくこだわるよなあ。それにしてもムラタさんって心が狭い人なんじゃないだろうか・・・ムラタさんのことじゃないが、以下は李さんが見た日本人宿泊客の不思議な点。「日本人ってE-マートが大好きなんですよね」李さんによると会社が休みの日にはみんなこぞって天安のE-マートに買い物に行くらしい。「えー、韓国語もわかんないのにどうやっていくの?」と私。アサンから天安のE-マートに行くには車かバスを使うしかない。「だからタクシーを呼んで、行き先を書いてあげるんです」げっ!タクシー代がすごくかかるぞ!「日本人は大体タクシーで移動します」と李さん。私だったらもったいなくてバスで行くよ。でも確かにE-マートってダ○エーとかイトー○ーカドーみたいで日本人には安心できるんだと思う。高くふっかけられないし、店員もあまりつきまとわない。「それに日本人はのりが大好きです」その天安のE-マートでのりをしこたま、旅行かばんに一杯になるくらい買ってくるんだそうだ。確かにのりは軽いし(かさばるけど)安いから、職場や知人へのお土産にはもってこいなのだろう。「よくもまあ、あんなに一杯のりやキムチを買ってくるもんです」と李さん。日本人の視点から見れば普通のことが、韓国人の目でみるとなんて奇妙に見える事か!本当に一線のビジネスマンやエンジニアがE-マートでのりを沢山買ってくる図なんて考えただけでウスプタ・・・それに今の冬ソナブームで韓国のかの字も知らなかった人も大挙して押し寄せ、ヨン様のポスターの前で写真をとりまくる図も韓国人には理解しがたく、ちょっとウスプタ・・に見えるだろう。私だって、ちょっとよく分からない世界だ。そんなこんなで、韓国に長く住むと日本人であることが恥ずかしくなる事がある。韓国に出張中の皆さんは、もうちょっと休日に韓国の文化に触れてみたりして、有意義に過ごしたらいいのになあ。けれどもこの李さんが知っている日本人の姿はほんの一部であり、同じ事が日本人のイメージする韓国人の姿にも当てはまると思う。できたらその国に行ってみて、その国の人と付き合って、お互いをさらけ出す事によって理解が深まるのだとおもう。それは韓国人も日本人も同じ。李さんも職務上必要な日本語だけじゃなく、もう少し日本という国に関心を持つようになれば、いろいろと深みが増すだろうなと思った。その国の言葉を学ぶという事は、文化を学ぶという事なのだから。
November 11, 2004
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明日はぺペロディ!思えば?年前韓国に初めて来た時は、もちろんぺペロディはなかったが、「ペペロ」とか「セウカン」「コレパプ」「チョコソンイ」・・・など、あれ?これって日本にもあるぞ!なお菓子がスーパーで目を引いたものだった。ただの類似品だとおもうが、よくぞここまでまねた!と思わざるをえないほどに、味もパッケージもそっくり!類似品じゃないの?日本のメーカーと提携とかしているのだろうか?詳しい人!おしえて・・・!ところで市庁のコンピューター教室の話。火曜日は「サイワールドの掲示板の書き方」について勉強するという事だったので、私はお休みした。今日は簡単なタグをお勉強。いよいよホームページ制作の授業らしくなって来た。画像や音楽をいわゆる「直リン」で持ってくる方法も教わった。非常に殊細やかに教えてくれる。音楽の場合、私もいつも使っている方法だが、韓国のとある有名な音楽サイトに入り、そこで曲の番号を探しだして、とある音楽タグのサイトに入り、音楽ソースを作る。私もいつもこうして曲をあげていたのだが、あれ、これって不法じゃない??公の場所でこんなこと教えちゃっていいの?ま、個人で楽しむだけだからいいのか・・・しかしこのHTML、おばさん達にはちょいと難しいらしい。わたしの隣のおばさんも bodyをdodyと書いて「先生、できません!」とやっていた。後ろのおばさんは理解の範疇を超えてしまっているらしく補助の先生に「ちがう、ちがーーう!」と怒られながら四苦八苦しているようだった。どちらも50代くらいのおばさん達だったが。それにしてもおばさん達、よくやっている。あるおばさんは「まいあさ、家を出て、行く所があるのがうれしいわ」と言っていた。できるできないに関わらず、学ぶ喜びに満ち溢れているのだった。明日からは「ナモ」でホームページ制作。ペペロ食べてがんばろう!
November 10, 2004
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今週からまた市庁のコンピューター教室に通うことにした。今週は「市民情報化教育」の最終段階「ホームページ制作」なのだ。韓国で一番利用されているHP作成プログラム「ナモ・ウェップ・エディター」を使っての授業だ。私も「ナモ」をお試し版で使った事があるが、なかなか使いやすかった。しかし期間限定だったため、使いこなせかった。実はこの授業を受けるのは、あわよくば先生から「ナモ」をゲットできないか、という下心があるためだ。それだけではない。いつも一人であーでもないこーでもないと試行錯誤していたHTMLも体系的に教えてもらいたかった。(ここのフリーページの表もどんなに悪戦苦闘した事か・・・)そして月曜日の授業。初めての日なので、10日間、どんな風に進めていくかを説明し、「まずはサイワールドでミニホームページを作ってみましょう」という事になった。サイワールド・・・その存在は知っていたが、私は手が出せないでいた。ミニホームページなんて簡単に作れるが、その中でコミュニケーションをとっていくのが、外国人の私には負担が大きく感じていた。学生や若かったら仲間同士で気楽にやり取り出来るのだろうが、そんな仲間もあまりいなかった。セイクラブとか、ダウムのプラネットとかこの手のミニホームページはいろいろあるが、仲間を作らないとおもしろくない。それで初めて今回、夫の名前で作ってみた。外国人は承認待ちをしなくてはならないからだ。教室のおばさん達は初めてのサイワールドにわいていた。先生はおばさん達のためにミニミという自分の分身に服を着せたり、自分の部屋の壁紙を貼る指導で大忙しだ。「家族同士や仲間うちでイルチョンを結んでもいいし、(なんか仲間になったということみたい)カップル同士で対話もかわせます」と先生。「トトリ(どんぐりの意味だが、サイワールドでのサイバーマネーのこと)を買って、かわいくホームページを飾ったり、音楽をつけたりもできます」「ふーん」とおばさん達。「他のひとのホームページから画像や音楽をスクラップして持ってくる事もできます」これは簡単でいいぞ!「その際、一言コメントしてくるように」さすが先生、ネチケットの指導まで!サイワールドのいい面か悪い面か分からないが、全部実名で出てしまう。だから、氏名と生年月日が分かればその人のホームページもすぐ分かる。それで「もしもお子さんがどんな子と付き合っているのか知りたければ、覗き見もできますよ」なんてことも言っていた。これだけで2時間の授業時間が終わってしまった!「明日はサイワールドの掲示板の書き方・・・」を勉強するらしい。HTMLやナモはいつ・・・?ホームページはネイバーにあげるらしいので、遊びに来てくださいね!(ちゃんとつくれるのか・・・?)
November 8, 2004
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中部地方は先程、雷をともなう雨にみまわれた。ここアサンではそんなに激しくなかったが、うちは夫もまだ帰って来ていない中、子供を寝かしつける最中だった。かすかに遠くから「ゴロゴロゴロゴロ・・・・」と雷の音が聞こえてくる。「カミナリオバケが、まだ寝ない子は誰だあーって言っているんだよ。」といつも宵っ張りの長男を早く寝かしつけたいあまりおどかす私。「ゴロゴロ・・・」「なんて言っているの?」私の顔を見つめながら長男。「うーん、寝ない子は食べちゃうよって言っているね」とわたし。「おしっこ行きたい・・・」「行っといで」散々おどかしといて一人で行ってこいとはひどい親だ。「だってカミナリオバケがいるんでしょ?」「いないよ。そんなの」「ゴロゴロゴロゴロ・・・」顔を見合わす親子。「いるの?いないの?どっちなの?」「大丈夫、いないから、早くおしっこしといで。ちびったらカミナリオバケに食べられちゃうよ」「いるんじゃない!」再び「ゴロゴロゴロゴロ・・・」「なんて言ったの?」「一人でおしっこできない子は食べちゃうよ、って言ってるよ」我ながらひどい親だ。「オンマーー一緒に付いてきて」「わかった、わかった」と、一緒にトイレに行こうと立ちあがると、次男が私の手をつかむ。次男はこの一連のやり取りを布団をかぶって聞いていたのだ!・・・かなり不安げな表情。そして三人でトイレに連れ立った。「オンマ、終わるまで待ってて」「ハイハイ」また「ゴロゴロゴロゴロ・・・」音を聞くや否や逃げ去る次男。案の定布団をかぶって「スモ、スモ! (隠れてかくれて!)」と私を呼んでいる。さすがに長男は母の方便を見抜いたのか、もうなんともない様子。しかし次男は私にぴたりと寄り添って、不安げにしている。「怖いの?」「うん・・・」「大丈夫、カミナリオバケが来ても、オンマがぐちゃぐちゃにして丸めて食べちゃうから」「ぐちゃぐちゃ、まるめて、モゴ?」「そうそう、オンマの方が強いんだから」しかしいつもの天真爛漫な笑みはなく、顔に陰が漂う次男・・・やばかったかな?ま、しょうがないや。「子守り歌、歌ってあげるからね。早く寝れば怖くないよ」子守り歌に目がとろけていく次男を見ながら、小さい頃を思い出した。私は雷様はおへそを食べると信じていた子で、雷が鳴るとトイレにも行けなかった。だっておへそが見えちゃうから。子供は純粋だなあ、と一人ほくそえむのだった。
November 5, 2004
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今日だったんだ!BSの「大長今」!さっき何気なくテレビをつけたらやっていたんで、つい見てしまった。本当に子役のチャングムがかわいい。韓国のドラマは子役が本当に良くて、このような大河ドラマだと、子供時代でひきつけられてしまう事が多い。でも声がなんかミスマッチだよーー。チャングムはいいとして、他の出演者が韓国語で聞いた声とぜんぜん違う感じ。「冬ソナ」の吹き替えもいまいちだったけど、元の声を聞いていなかったらこんなものなのかな?もっと色々なドラマが日本に紹介されたらいいのにと思う。今年の初めにやっていた「コッポダ アルンダウン」をみた時にそう思った。恋愛物とか歴史物ではなく、派手なドラマではなかったが、何処にでもある韓国の家族の話であり、その台詞の一言一言が現代の韓国をよく現していたように思った。また出演者達も「演技派」と呼ばれる人たちが多く、ドラマを盛り上げていた。私もよく胸が一杯になっておいおい泣かされたものだが・・・そういえば最近こういうドラマはないような気がする。私も「不滅の李舜臣」くらいしか見ていないからなんだけど。思いっきり感情移入できて、泣いて、ストレス発散できるドラマにまた出会いたいものだ。
November 3, 2004
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昨日の夜、とある焼き肉屋の前を通りがかった時の事である。会食を終えたらしいビジネスマンの群れが、楊枝で歯の隙間をシーハーしながら焼き肉屋からぞろぞろと出て来る。何気なく彼らの会話に耳を傾けてみる。どうやら二次会の話をしているらしかった。「これから何処に行く?」「カラオケに行くのもいいし、酒をのみに行くのもいいし」「うーん。花札をしに行くのが一番健康によさそうだな!」彼らが二次会で何処に行ったのかは知る由もないけれど、韓国らしさを感じたひとときだったので書き留めてみた。
November 2, 2004
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