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韓国学生の最大のイベントといえば大学入試!一年に一度のこの日のために学生本人はもとより家族みんなが入試体制に入る、といっても過言ではない。この事実は韓国にきてびっくりした事の一つである。入りたい大学のために学生が一生懸命になるのは当たり前の事であるが、親が、特にその母親の情熱がまたすごいのである。学習塾や家庭教師を雇うために働きに出たり、100日間お寺で祈り倒したり、試験の日には子供の試験会場の前で、「カミサマ、ホトケサマー」とやっている。激しい学歴、学閥社会の韓国ではこの受験戦争に勝てなければろくな人生を歩めないという風潮があるし、親としては少しでも我が子がいい生活ができるようにさせてあげたいという思いは万国共通の親心なんだと思う。しかし受験を始めとする韓国の親の教育熱はちょっと行き過ぎた感じがして、私は批判的な目で眺めていた。しかし・・・!この間の土曜日は「漢字能力試験」だった。韓国では最近漢字教育が見直されていて、小さい頃から漢字教育に力を入れる人が多い。6歳の長男の通う幼稚園でも学期の初めに「希望者には漢字試験を受けさせます」との通達があったので、「オンマの子なら漢字がよくできなくっちゃね!」「なんたってオンマは漢字テストが一番だったんだから!(むかーし校内漢字コンクールで。。。)」と言って長男に8級(50字)の練習をさせていた。50字だからそんなに難しいのはでない。殆ど理解していたので、これなら8級は楽勝かも!「キミは漢字博士だね!よっ、パクサンニム!」と長男を飛行機に乗せていた。(韓国ではおだてる事を飛行機に乗せるといいます)ただまだ小学生にもなっていないし、「試験」を受けるのも初めてで、問題は分かっても解答用紙に記入するのがままならなかったが・・・・当日。試験時間は一時間。できた子は早々と教室をでていく。長男と幼稚園が一緒の子も続々と出てきて父兄の懐に飛び込んでいく。長男は、まだ出てこない。少し神経の細い長男は自分の友人達がこうやって試験を終えている姿を見たら、焦ってしまうんじゃないんだろうか・・・大丈夫!時間はたっぷりあるから焦らないでおくれ・・・いつものように実力を出せばいいんだよ・・・気がつくと教室の中で試験を受けている長男に念を送っている自分が・・・!ああ、これがオヤゴコロというものか・・・子供のする事に子供と同じ気持ちで一喜一憂する・・・とてつもなく心配で、とてつもなく懸命で・・・一緒に待っていた長男の幼稚園の先生は「なかなか出てきませんね」としながらも「問題はよくできるんだけど、解答用紙に書き込むのが遅いんですよね」と言ったものの、少々不安な様子。結局時間が終わるまで居残った長男。「どうだった?」との問いには沈黙した。けれども終わった事の開放感にあふれていた。私は私で、幼稚園で長男だけ落ちていたらどんなにがっかりするだろうか、と心配だし。初めて、受験の時会場の前で必死に祈っている母親の心境が分かったような?私は受験の時もいつも、親には事後承諾という感じで、「これをする事に決めたからね!お金頂戴!」という娘だったから、親の気持ちなんて考えなかったけれど、親はきっと沢山心配してくれていたんだろうな、と改めて思った。本当に親は有り難いものなのである。こんな小さな長男の試験だったけれど、これから先、もっともっといろんな事があるのだろうな、と思うと、ちょっとぞっとした。
October 31, 2004
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韓国で生活する中で楽しみの一つといえば、お買い物だ。お買い物といってもここアサンにはデパートはない。大型スーパーがいくつかあるだけだ。最近はそういうスーパーに買い出しに行く人も多いが、在来市場と呼ばれる商店街で買い物をする人も未だに沢山いる。今日は市場の出る日だ。韓国では5日毎に市場がでる。アサンでは4と9のつく日が市場の日、ジャンナル。田舎からとれたての野菜や果物を持ってくる農家の人や、商人達が道中にお店を広げる。お決まりの観光コースでは味わう事のできない活気を感じる事ができる。私は野菜や果物はスーパーよりもこっちの方で買うのが好き。スーパーの品物よりも新鮮だし、安いから。スーパーだとグラム売りしたりするから、なんか変に損した気分だし、値切れないから。それにしても韓国のおばちゃん達の値切りのテクニックはすごい!「もっとまけろ!」とごねて、それ以上下がらなければ「もう一つおまけしろ!」と袋の中に自分でさっさと入れてしまう。もちろん売り手も負けてはなく、「ダメダメダメーーー!」と袋に入れた品物を取り出し、喧嘩腰のやりとりが始まる。そんな感じでジャンナルは正にミラクルワールドだ。今日は天気もよかったので人も沢山出ていた。そして、収穫の秋を彩るさまざまな野菜、果物が沢山並んでいた。アサンは駅前の商店街にも市が立つのだが、アサン通の人は駅前から10分位行ったアサン高校交差点辺り一帯に立ち並ぶジャンに行く。ここは駅前商店街のように普段からお店のある場所ではないが、ジャンナルになると商人のテントが張り巡らされ、市場ができる。田舎から農作物を持ってきたおばあちゃん達はバス通りの歩道に、それぞれ風呂敷き包みを開けて商売をする。このおばあちゃん達が売っている作物はとれたての物が多い。この市場を歩いてみる。農民達の、商人達の笑い声。買い物客の喧騒・・・・田舎から運ばれてきた、色とりどりの野菜、果物。生き生きとした海産物。モーターが忙しく回る音。おでんやスンデをゆでる湯気。色々な匂い。色々な音。人々の表情は活気にあふれている。このご時勢で暮らしがたいへんなひとも多いと思う。とれた作物をジャンで売ったって大儲けできるわけでもないと思う。けれども韓国人の力強さが、バイタリティが、市場の中にあふれている。大変な中を生き残ってきた人の姿がある。あと何十年かしたらこういう市場はすたれていくのだろう。売り手の中に若い人の姿はない。韓国も変わった。若い世代はシステム化されたもの、清潔なものを好む。ごちゃごちゃした、汚い物は淘汰されていく。でもそれが韓国だった。清潔じゃないけれど人情的で、人間味があった。戦争、動乱、内政が悪化しても、ここに根を張って生きてきた人たち。生きるという事はきれいごとじゃない。泣いて、笑って、汚物にまみれながらも明日を見たい。どんなことをしても生きていたい。私にとって韓国はそんなエネルギッシュな国。今日はそんなことを思いながら、市場を旅した。
October 29, 2004
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アサンでは銀杏並木がやけに多い。この季節になると、ぎんなんがぼたぼた落ちてすごい事になっている。ぎんなんって匂いがすごいよね。この間も銀杏の大木のある場所で子供を遊ばせていたら「おばさん、この子うんちしちゃったみたい」と、一緒に遊んでいた子が次男を連れてきた。うんちの匂いではなく、ぎんなんの匂いが辺りに充満していたからだった。最近では銀杏並木は市の所有であると、市民がぎんなんを拾えないようになっている。けれどもそこは韓国人、ばれないように拾う人もいる。しかし取り締まりのため、国道でぎんなんを拾う人はあまり見掛けなくなった。そのためか分からないが、アサン市では「銀杏祭り」を開催。ヒョンチュンサまでの美しい銀杏並木をホコテンにし、市民に開放した。昨日私も子供を連れて行ってみた。いつもは車でしか通った事のなかった並木道を歩いてみる。「トンネルみたい!」子供はおおはしゃぎである。道には銀杏の葉が引きつめられ、それを踏みしめて歩くのがなかなかいい。とちゅう「ぎんなんどうぞ!」煎ったぎんなんのサービスもある。そして「子供に写真を撮ってあげよう」コーナーもあった。写真館に置いてあるような子供の衣装(王子様や、お姫様はもちろん、きぐるみまで)を自由に着せて、写真を撮ってあげられる。こんなことだったらカメラを持ってくるんだった。そして、メインは「ぎんなん、ご自由に拾って帰っていいよ」コーナー。会場本部に行くと、ビニール袋、軍手、水をくれる。ぎんなん拾っちゃダメ規制での市民のストレスを発散させようという事らしい。ぎんなんなんてもうないんじゃない?と思ったが一部ぎんなんがたわわに実っている木もあり、すごい収穫の人もいた。そんなはでなイベントじゃないけど、結構楽しめた。今日もカメラを持って行こうかな。
October 23, 2004
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次男はお歌が大好きだ。最近こんな歌を覚えてきた。「アッパ・・シローー・・ オ・イェーー・・ ア・ウォーー・・」次男はまだ2歳7ヶ月なので舌足らずなのではあるが、聞き捨てならぬ一節「アッパ・・シローー・・」「アッパ、シロー」とは日本語で「パパ嫌い」である。けれども「パパ嫌い」と歌うわりには次男はニコニコと天真爛漫な姿である。一体、何の歌だろうか・・・幼稚園でこんな歌を教えるんだろうか・・・夫も私も頭をひねった。「それ先生に習ったの?」「うん」「パパ嫌いって歌?」「うん」ニコニコしながら答える次男。そして聞いてもらいたくって、連続して「アッパ、シローー」と歌い続ける。夫は「もう良い加減やめてくれーー!」と、「パパ嫌い」を聞き続けるのはいささか辛いらしい。夫が嫌がるので、耳にタコができるほどさらに歌う、いたずら小僧。そして疑問を抱えたまま何日かが過ぎた。思い出したように例の「アッパ、シロー」を歌う次男の歌声に、私の頭にひらめくものがあった。もしかして・・・あの歌では・・・?「ねえねえ、これでしょ!」私は次男に歌ってあげた。「アッパ、ヒムネセヨーー ウリガーーイッチャナヨーー」目を輝かせてうなづく次男!そうか、この歌だったのね・・・これ、最近ソンへギョがやっているBCカードのCM。かわいい子供がでてきて「アッパ、ヒムネセヨー(パパ頑張って!) ウリガ、イッチャナヨー(私達がいるじゃない!)」と歌って、ソンヘギョちゃんが「大韓民国アッパ達、ファイト!」(だったかな?)とやるのだ。言葉がままならないとはいえ、「パパ頑張って!」て言っているつもりだったのかな?以来「アッパ、ヒムネセヨー」と歌えるように本人なりに努力しているようだ。夫も「こいつう」と喜んでいる様子。ちなみにこんなCMです。BCカードCM全国のお父さんがんばって!
October 22, 2004
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観測史上最大の台風が日本を通過した。名前は「トカゲ」しかしこちらの天気はまさに秋晴れの観光日よりで、私は我が故国日本がこんなに被害を受けたという実感が今一つわかなかった。今朝のニュースでも大きく取り上げられていて、早速BSニュースを見てみた。人が吹き飛ばされんばかりのすざまじい突風。あれよという間に家の中に濁流が流れ込んでくる映像。土砂が崩れ家々を飲み込んでいく。大木も倒れる・・・70名近い死者と行方不明者20名という大惨事である。見知らぬ国の出来事であっても、とても痛ましく思うような被害である。幸い実家は首都圏にあるので、被害には遭わなかったが。しかし、短い時間であったがBSニュースを見て思った事がある。ニュースのレポーターは避難民とか、間一髪で助け出された人とかにマイクを向ける。するとみんな笑いながら答えるのである。「いやあこんなの初めてだよ。はっはっは・・・」「水がすごい一杯流れ込んできてね。ふっふっふ・・・」さすが日本人の余裕というか、あるいは助かってほっとしたからなのか、テレビ出演に緊張したからかも知れないが。またはそういう人を選んでニュースを流し、いたずらに不安をあおらないようにしているのかもしれない。韓国ではどうだろうか。だいたいこの手の災害のニュースではその悲惨さとか、慟哭する遺族の姿ばかりが映し出される。昨日は観光バスが山道で転落するという惨事があったが、カメラはバスに乗っていた被害者が担ぎ込まれた病院の救急室にまで入っていく。そういえば何年も前にデパートが崩壊し多くの死者を出した事故があった。崩壊した建物の中から、一刻も早く生存者を探し出す作業が何日も続けられた。そして確か事故から一週間目だか十日目だかに奇跡的に生存者が発見された。私がびっくりしたのは、マスコミが命からがら救い出された生存者にフラッシュを浴びせ、生存者を運ぶ救急車を追いかけ、救急室にまでどかどかと入り込んでいった事だ。翌朝の新聞には一面一杯に救い出された瞬間の顔がアップで載せられていた。報道の自由か、それとも報道される側のプライバシーかは常に天秤にかけられている問題である。そしてあるがままの事実を見せるのか、受け取る側が的確な判断ができるように報道するのかは、その本質が違うような気がする。専門的なことはよく分からないが、韓国のマスコミは興味本意かつ刺激的な事ばかり報道しないで、本質をついた報道をもっともっと心掛けたらいいのにと思った。台風の被害にあわれた方、がんばってください。
October 20, 2004
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2ー3日前から長男が風邪を引いてしまい、夜になると咳と鼻づまりで苦しんでいる。長男は以前蓄膿症になってしまった事があったので、鼻水が出たり、詰まったりすると再発か?と思わされる。それで以前蓄膿症の治療をしていた耳鼻咽喉科へ連れて行く事にした。韓国のおばさん達はよく子供が風邪を引いたら耳鼻科に連れて行けという。それでこのシーズン、耳鼻咽喉科は子連れでごった返している。私は長男が中耳炎とか蓄膿症の始まりの時、アサンで一番流行っていたY耳鼻咽喉科に通っていた。必ず1時間くらい待たされる。朝、次男をおぶって病院に連れて行き、治療がすんだらオリニチブに送るのは本当に大変だった。そしてこの待ち時間の長さにうんざりしてしまった。どうせ待つのならよく見てもらえる所で、と、お隣りの天安に評判の耳鼻咽喉科があって、そこにも通ってみたが、やっぱり遠かった。次に通ったのはそんなにお客さんがいないO耳鼻科。蓄膿症の治療は結局、薬物治療と顔の中のうみをとる事なので、治療さえきちんとやってもらえればいいと思って、どうしてこんなにお客の差があるのだろうかと一抹の不安はあったが、ど根性で通った。看護婦さんも親切だった。そして長男はまた蓄膿症が再発した。鼻が詰まるのでほじったりびびったりして、すっかり粘膜が弱くなってしまいよく鼻血も出すのでWという耳鼻科に連れていった。なんでまた病院を替えたかというと、前通っていた所はバス停からちょっとあって、シオモニに相談したら、だったらバス停の近くのW耳鼻科に連れて行けという。アサン歴40年のシオモニの話では、昔からよく診る医者だそうだ。W耳鼻科のある建物(他に漢方医院や歯科などがはいっている)もW院長のものらしい。そして今では上述したY耳鼻科にみんな行くけど昔はW耳鼻科に行ったそうだ。どうしてW耳鼻科に行かなくなってしまったんだろう、とやはり一抹の不安はあったが、私にとってシオモニの一言は天からの一言に等しかったりする、一か罰かで連れていった。ドキドキしながら長男と院内に入ってみた。受け付けに保険証を預けて見回してみる。改装されたばかりのようで、シックなインテリアでまとめられている。しかしお客さんがいない!もしかしてヤブ医者では・・・と思ったけどもう逃げられない。受け付けしちゃったもんね・・そして診察室に入って出てきた院長。・・・・白衣を着ていない!ジーンズ姿のおじいちゃん!鼻、耳、喉、一通り診察して、鼻の中に薬をシュッとしておしまい。鼻の中をモニターできるような最新の機械はなかった。手術室らしきものも・・・「あのー蓄膿症をわずらった事があるんですが・・・」「蓄膿症、マンネ。(そうだよ、という意)」「ひどいんですか?」「2週間は通わなくちゃいけないね」私はこのおじいちゃんを信じる事にした。今までの病院は1ヶ月以上通った。今回はたかが2週間だ。なによりも待ち時間が、ないに等しい。いらいらせずにすむし、時間のロスもふせげる。通っている間は、相変わらずお客は少なかったが、私が日本人であることが分かって、院長も日本語を披露してくれたり、日本の話題に花が咲いた事もあった。お客が多かったらこうはいかないだろう。息子達もかわいがってくれた。そんなわけで今日はこのW耳鼻科に行った。やっぱり誰もお客さんがいない。看護婦さんが3人ひまそうにしている。しばらく待たされてから出てきた院長は相変わらずラフな格好。やけにむっつりとした表情。嫌な事でもあったのか?「咳がひどいんで連れてきました」・・・無言で診察。鼻を広げて鼻水を吸い取ろうとするのだが、怖いのか痛いのか嫌がる長男。看護婦さんも2人飛んできたが、ぜんぜんいう事をきかない。あれとってもらったらすっきりするだろうに・・・とうとう院長もあきらめて私に「咳はでないんでしょ?」「いえいえ!すごく一杯出て、毎晩大変なんです!」そんなことも見切れなかったのだろうか?「それよりも蓄膿症は再発していませんか?」「・・・・」(うなづく)カルテに処方箋を記入しているが、何も言ってくれない。横で見ていた看護婦が「お薬2日分出しますからね。2日後に来てください」「はあ」と言ったものの院長が無言なので不安になって、「大丈夫なんですよね?!」と念を押してしまった。今分かったような気がする。ここにお客さんが来ないわけが。雰囲気、院長がやる気がなさそうだし、ちょっとヤブっぽい。耳鼻科のメインとなるのがレーザーを使った手術だろうが、そんな設備もなさそうだし。そして就学前の息子の薬は、錠剤・・・ぜんぜん親切じゃない。医者を替えてばっかりで私もうんざりだが、気に入った医者に出会えないので仕方がない。もう二度と行かないぞ、心に決めた一日だった。
October 18, 2004
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今の韓国も昔の韓国もそんなに変わらない。「不滅の李舜臣」を見てそう思った。昔は身分差別がひどく、常民(普通の市民)は出世もできずその身分に甘んずるしかなかった。今でこそ「両斑」「常民」「それ以外」という身分制度はないものの、昔と変わらないんだろうな、と感じる。特に就職する時は「親の七光り」とか「コネ」が決め手になる。それがないと実力があっても落とされる事がある。というかそれがある人は有利だ。だからみんな必死で「コネ」と持とうと努力する。こんなことを感じるのは私の夫も長い事就職浪人をしてきたから。一応近い親戚が市庁の上級公務員であるにもかかわらず、彼の就職にはあまり力になってくれなかった。落ちる度に「チクショウ、もうちょっと力になってくれるかと思ったのに・・・」と嘆いた。「そんなこと考える前にもっと実力をつけたら?」と思ったが。でもたしかにそういった事が多いらしい。昔は族譜も売り買いされたそうだ。とりあえず両斑の家系なら科挙にもチャレンジする事ができる。最近は有名大学の卒業証明書や、英語検定の認定書まで売り買いされているらしい。お金さえだせば、輝かしい履歴も手に入る。そうでもしなければ生きにくい社会なのだ。たとえそれが犯罪と分かっていても。一見矛盾だらけの韓国という国。どん底から、色々な汚いものも見てきた。でも信じたい、その奥底に秘められた力を。息子は二人とも韓国人だ。不利な事が多くとも韓国人として育てようと思った。軍隊にも送るつもりだ。(その時まで存在していれば)息子達の時代が、今よりももっと人間的な世の中になるように、一人の日本人であるが、責任をもって行きていこう、なーんて思った。
October 17, 2004
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週に二回、プライベートレッスンのため市内からバスで30分程入った山の中まで通っている。ところで今日は民防の日で、交通が15分マヒするという事があった。ターミナルのバス停に行ったら、結構バスを待つ人がいた。民防訓練のためかあ、ちょっと待たないといけないな。私の乗る山の中へ行くバスは2-3時間に一本しかない。遅く来ようが、それに乗るしかない。そのうち来るでしょ、気楽に本を読みながらバスを待っていると、一台バスが来た。方向は同じだがこのバスじゃない。数人の人がそのバスに乗っていくのを見送ると、見知らぬおじいちゃんがどこからか現れて私に話し掛けてきた。「今のバスは何処行きだったのか?」「松岳(ソンアク)行きですよ」するとおじいちゃん、「あああ・・・このバスを逃したら30分も40分も待たなきゃいけねえのに・・・」なんだかひどく落胆している。「大丈夫ですよ、松岳でしたらもうすぐ来ますよ」おじいちゃんはお酒の匂いをプンプンさせて、よろよろしていた。どこかで一杯やってきた帰りらしかった。あんまり関わりたくないなあ、そう思っている私の横にどかっと腰を下ろしてきた。「おれが一言話したい事があるんだが、聞いてくれるか?」と言うので、返事もせず聞いていない振りをした。おじいちゃん、お構い無しに話し掛けてくる。「今年はあ∼ 豊作う∼ けれども俺んとこだけ凶作う∼・・・・」色々大変なんだろうけど、正直聞いていられない。早くバスが来ないかなあ・・・・と、もう一台来た。けれども違う方向だ。おじいちゃん、よろよろとバスに乗ろうと歩き出す。「おじいちゃん!松岳行きのバスじゃありませんよ!」と言ったが、聞こえないらしかった。フラフラとバスの車体にぶつかりながら、やっとのことでバスの入り口に辿り着き運転手さんに「松岳行きかい?」と聞いている。だから違うんだってば!そして何か独り言を言いながらこちらへ戻ってきた。大丈夫かな?ちょっと心配。そして待ちに待ったバスが来た。「おじいちゃん、来ましたよ」と一声かけてバスに乗り込んだ。席について窓の外を見ると、おじいちゃんがまだ座っている!このバスを逃したらそれこそ20分は待たないといけないのに・・・どうしよう。・・・と、やっとこさとおじいちゃんが乗り込んできた。ふう・・・心配かけないでよ!田舎に行くバスは、その村に行く人が乗るので、顔見知りが乗りあう事が多い。おじいちゃんも早速知り合いを見つけて一人でしゃべっていた。その人も困惑していたけど。でも私は心の中で、おじいちゃんに申し訳なかった。少しでもおじいちゃんを迷惑がる気持ちを持ってしまった事が恥ずかしかった。私は福祉会館でお年寄りたちに日本語を指導している。間接的に老人福祉に関わっていながら、私のとった「関わり合いになりたくない」という行為はとても無責任なものだった。せめて手を取ってバスに案内してあげていれば・・・せめて相づちを打って聞いてあげていれば・・・(きりがないが)そうすればよかったのかなと思った。現代お年寄りたちは行き場を失い、疎外感を味わってる。日本のお年寄りたちはどうだか分からないが、こと福祉が遅れている韓国では老人問題が深刻である。私の通う福祉会館は自生プログラムを準備し、お年寄りの仕事場を提供する事業も行っている。しかしそういう福祉会館に通うお年寄りは、比較的余裕があってしっかりしている人が多い。問題は今日私が出会ったようなお年寄りではないだろうか。子供達は都市へ出ていってしまい、愚痴を聞いてくれる人もいない。日頃の鬱憤をお酒で晴らす事しか知らないようなお年寄りである。そしてふと思った。もし日本に住んでいる私の父親がこういう立場で、人々から疎まれていたら・・・本当に悲しいだろう、やるせないだろう。人類が自分の敵ではなく、家族だと思うことができたら・・・そう思える人が増えたら、もう少し世界は住みやすくなるんじゃないだろうか。
October 15, 2004
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このところめっきり寒くなった。プンオパンのおいしい季節だ。韓国ではたいやきではなくプンオパン(ふな焼き)である。でも形はタイである。もちろん中身はあっつあつのつぶあん。形がみんな同じため、よく親に似ている子供に対し「オモナーー、まるでプンオパンね!!」と言ったりする。以前何かのテレビでプンオパンの発祥は韓国だ!とやっていたが、これは私も違うような気がする。たい焼きの起源は日本だと思う。味も日本のたい焼きがおいしいと思う。韓国では各プンオパン屋によって味がかなり異なる。あんこの少ないもの。多いもの。びちょっとしているもの。からっとしているもの。さめたもの。あつあつのもの・・・だからなるべくおいしい所で買う。とぶわにの選んだ今年のプンオパンアワード!inアサン!近所の女子高の前のお店!!(パチパチ)ここはあんこが頭からしっぽの先までぎっしり詰まっている。皮はソフトでありながらからっとしている。甘さ加減はちょうどいい。若干あんこが甘いが、皮がひかえめな味付けになっていて、皮とあんこがお互いに風味を引き出し合っている。私と同世代っぽい主婦が作っているのだが、お店というか屋台は清潔に保たれていて、食中毒の心配はあまりなさそうだ。さて今日、子供のおやつにプンオパンをこのお店で買った。2000ウォンで9匹くれた。あんこがずっしり入って、しかも出来立てで熱いので、袋から取り出す時しっぽがちぎれてしまうのも何匹かあった。これくらいは愛嬌である。保育園から帰ってきた息子達とふうふう言いながらおいしく食べた。下の子はどうせ一匹は食べられないが、上の子は育ち盛り、たちまち2匹をペロリ!もっと食べたがるのを、晩御飯も食べられなくなるし、カロリーも高いのでセーブした。「明日食べようね」しかし夫が帰ってきたら残り5匹は彼のお腹行きになるだろう。その後、上の息子は2匹で満足したのか、そして疲れていたのかお風呂に入って寝てしまった。ごめんね息子。今日の夕飯はプンオパンだったね・・・
October 14, 2004
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お天気もよかったので顕忠祠(ヒョンチュンサ)に行ってきた。ほんとは別に集まりがあったのだが、今日は家族で過ごす事にした。顕忠祠は牙山の誇る観光名所である。うちから車で10分。市庁のHPを見れば下手な説明は要らないと思うが、忠武公 李舜臣をおまつりしてあるところである。そして暮らしていたという家や、弓矢の練習をしていた場所などを見てまわれる、広い公園のようになっている。色々な木々に囲まれ、沢山の鯉が泳ぐ池があったり、とても美しい景観だ。忠武公の遺品や亀甲船の縮小レプリカを展示してある遺物館もある。入場料は学生と老人は無料で大人は500ウォン。ここは牙山の人々の憩いの場となっている。上記した所以外に広い駐車場と隣接した場所があって、そこは入場料を払わなくてもいいので、ビニールシートを持って行って芝生にひけば、ちょっとしたピクニック気分も味わえる。本当は禁止なんだろうが、うちもよく子供の自転車やインラインスケートを持っていって遊ばせている。天気のいい休日だったので人が多かった。私が初めてここを訪れたのはかれこれ10年くらい前だろうか。今も昔もあまり変わっていない数少ない場所だ。いつもきれいに管理されている。そういえば昔からトイレに紙が常備されていた。あ、一つ変わった事といえば、やけに中国人観光客が多かった事。中国人の牙山温泉観光にここが取り入れられているんだろうか。そういえば案内板も英語、日本語、中国語で書かれてある。そして遺物館の案内のおじさんも一生懸命に仕事をしていた。以前はあまり目立たなかったような気がしたが、今回は子供がちょっとガラスケースに触れようものなら「ハイハイ、触っちゃだめよ!」と出てくる。それもそのはず、ケースの中には国宝の「乱中日記」(忠武公直筆)とか、公が身につけていた長剣や腰帯(国宝)などお宝がわんさと入っている。事があったら大変だ。ところで「不滅の李舜臣」今日の放送分。視聴率は芳しくないようだが、青年舜臣が武科の試験を受けると決意して、おもしろくなってきたかな・・・自分の家系に貼られたレッテルを拭い去る事はできない。それが自分のトラウマになってしまった青年舜臣。一方、日増しに外敵の勢いが激しくなるのを憂慮した宣祖は、身分に関わらず武科の試験を奨める事を指示し、師となる方震はこれにトライするように奨める。方震の弟子達と共に練習を始める青年舜臣。けれどもそこでも「お前のような逆賊の子孫とは一緒に修練できない」とワンタ。そこで方震は1ヶ月後に舜臣と弓うち対決をさせ、そこで舜臣が負けたら舜臣を弟子からはずすと約束し、対決相手を舜臣のよき友であり、一番実力のある元均にきめるのだった。ここまで見てきたけれど、李舜臣がなぜそこまでして国に忠誠を誓い、民のために命を懸けるのかが、分かりずらいような気がする。あるいはこれから描かれる内容なのか・・・どうも今までの舜臣はあまりカリスマ性も感じないし、凡人っぽい。それが作り手の意図した所なのか・・・今後、方震の娘とのロマンスもあるようだし・・・とりあえず期待する。
October 10, 2004
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私は佐藤琢磨君のファンだ。誰それ・・・?韓国に住んでいる人にはなじみが薄い人だろう。来る日曜日は、F-1グランプリの日本戦で、日本は今佐藤琢磨君の活躍のお陰でFー1ブームが再来しているらしい。思えばかれこれ十数年前、中島悟選手とホンダが日本でのF-1ブームに火を付けたように思う。当時フジテレビでシーズン独占生放送も始まって、私は兄と手に汗をにぎにながら見ていたものだった。マシンに小型カメラを取り付けてレースしたのも中島選手が初めてだったような気がする。自動車の速さと性能を競うモータースポーツの何が面白かったのか・・・マシンの性能だけでなく、ドライバーの気質や努力、走らせる人の技術とチームワーク、タイヤ、スポンサー・・・全てが総合されて最高の結果を出す事ができる。そこがおもしろかった。免許もないのに・・・ところが、韓国ではF-1どころかモータースポーツは流行っていない。サーキットもあるのかないのか・・・あるらしいけど・・・テレビで放送もされない。恐らく韓国の大部分の人は偉大なアイルトン・セナのことや、彼の壮絶な死の事を知らないだろう。韓国に来て、F-1の情報を少しでも得られない事が悲しかった。けれども裏ワザを知った。ホンコンスター放送のスポーツチャンネルで生放送されていたのである。太ったひげのおじさんがでてきて解説してくれる。もちろん中国語だから分からないが。でも予選からちゃんと放送してくれる。佐藤琢磨君を知ったのは彼がF-1で走りはじめた頃だ。ふーん、日本人選手か。どこまでできるのかな。でもなんとなく興味をひいてネットで調べてみた。夢や目標に向かって努力し、またバイタリティあふれる彼の生い立ちに感心した。そしてうちの息子もこんな風に育てたいわーーと思った。こんな人が彼氏だったらいいわーとか、結婚したいわーとかじゃなくて自分でもショックを受けたが(年を感じて)、正直そう思った。それで密かに応援している。私の日本語の授業で登場する人物も「琢磨」だ。故郷を離れて暮らしていると、こうやって世界で身一つで活躍している日本人を見ると誇らしいし、自分も頑張ろうという気持ちを受ける。佐藤琢磨君はF-1三年目の今季、三位になってミハエル・シューマッハと表彰台を共にしたりして活躍している。日本グランプリは、予選の土曜日は雨のため中止、日曜日の午前に予選をし、午後には決勝だ。皆が注目して緊張しないかなあ。なれた鈴鹿サーキットで本領発揮してもらいたい!佐藤琢磨選手インタビュー
October 9, 2004
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日本語の新しい授業が始まった。ひらがながかろうじて読める程度だが、やる気のある学生達だった。教材を重視せず、日本語でまくしたて、日本語で話させる、私の好きなスタイルの授業だ。このところ、毎日のように新しい出会いがある。自分を新鮮にさせてくれる。帰り道、きれいな夜空を見ながらふと思った。まだ韓国に来る前、10代の頃は色々な事を考えていた。あるマイナーな民族の勉強をしたせいか、発展途上の国の役に立ちたいと思っていた。未知なる事に対する恐怖心が今よりぜんぜん低かった。さらに、死ぬ時は砂漠で干からびるようにきれいに死にたい、なんて思っていた。それが幸せなんだと思っていた。今、砂漠で孤独に死んでいくなんてことが私にできるのだろうか?私は家族に囲まれて死んでいきたい。幸せな出来事を語り合いながら、あの世で待っているねと言って、笑いながら死にたい。年月と家族の存在は若い頃の死生観をも変えてしまった。一番大切なものは家族になった。年とったんだなーーでも悪くはない。これからまたどんな風に変わっていくのだろうか。まさしく人生は長い航海である。
October 4, 2004
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久し振りにモギョクタン(公衆浴場)に行った。ここは韓国最古の温泉町なのでモギョクタンがたくさんある。なにせ世宗大王を始めとする歴代の王族たちが湯治をしに来た所なのだ。温泉を売り物にするホテルもある。以前は新婚旅行のメッカだったと言う。しかし今は旅行で温泉を楽しみに来る人は少ない。ホテルのモギョクタンはきれいだが料金が高いのが玉に傷。大人が5000ウォンなり。今日はただ券を使って駅前のC旅館のモギョクタンへ。久し振りだったので、でるわでるわ・・・消しゴムのかすのように・・・あかが!ところでどうして「アカスリタオル」を「イタリアタオル」と呼ぶのだろうか?なんてことを考えながらひたすらあかすり。 今気になったので検索してみた。 なぜに「イタリアタオル」なのか?私はあまり体力がないほうなので、長い時間モギョクタンにいると疲労困ばいしてしまう。みんなタフだよなあ。私なんかサウナも長時間いられない。でももったいないのでサウナに入ってみる。すると横にいたおばさんはいきなり「フッフッ」といいながら体操を始めるではないか!すごすぎる!こんな息苦しいサウナの中で!しかも体がやわらかい!そんなこんなで温泉と親しんでいるこの町の人々はお肌がツルツルのピッカピカ!そして美白な人が多い。生まれた時からこの温泉に浸かってアカスリするとそうなるのだろうか。私はぜんぜん程遠いのでとてもうらやましい。この町の人が他地に引っ越すと先ず思うのが「水が悪い」んだそうだ。あかもでないんだって(ほんとに?)美白美人の義妹は、隣町で数ヶ月暮らした時、できものができたりして大変だったそうだ。曰く「やっぱりここの水が一番!」まあ、思い込みの激しい一面があるけど。寒くなったので体の芯まで温まりたいですね!
October 1, 2004
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