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この間「紅の豚」を久し振りに見た。子供と一緒に見ようと思ったから、韓国語吹き替え版にした。「紅の豚」って確か10年以上前の映画かな?日本で映画館で見た記憶がある。私はヒコーキに妙な憧れがあって、「紅の豚」はわくわくさせられる作品だ。そして、昔のヒコーキの郷愁も感じる。車の運転もできないのに変な話だが、ヒコーキだったら操縦してみたい。そう思ったのはリンドバーグの大西洋横断飛行を描いた「翼よあれがパリの灯だ」という映画を見て。涙が出るほどにあこがれた。そして「星の王子様」の作者、サンテクジュペリにも憧れた。彼の飛行士の経験をもとに書かれた小説はどきどきわくわくしながら読んだし、またサンテクジュペリは飛行中、砂漠で消息を絶ってしまったのだが、その最期はまさに「星の王子様」を彷彿させるようなものではなかったのだろうか、と思った。きっと普通の人が理解できない世界に旅立って行ったのではないのかと。昔のヒコーキは手動で、プロペラで、底が抜けるような材質で、乗っていて「安全」を感じるものではなかったと思う。でもだから人間が「鳥になりたい」と思った純粋な心を、そのまま感じる事ができたのではないだろうか。悲しい事にヒコーキは戦争の道具としてどんどん発展を遂げていった。どんどん速く、どんどん強く、ついには宇宙にまで出て行けるようになった。しかし、ヒコーキの夢は未だに色々な人の心の中に美しい情景を残しているのではないのだろうか。地に足をつけていなかった少女の頃の夢が思い出された。(今も地に足をつけていないって言えばそうなんだけど)ところで「紅の豚」韓国語吹き替えの豚の声・・・・なんだか俳優「イ・ドッカ」を思い出してしまった。うーーーーん、なんで韓国って声がミスマッチなのだろうか・・・ていうか声優さんってあんまりいないのかも。子供のマンガとかもだいたい同じ声のような気がするし・・・懐かしくもあり、残念でもあった。「イ・ドッカ」ってこんな人。私は苦手なタイプです・・今度始まるドラマ「第五共和国」で「全斗換」役するそう。
February 28, 2005
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ああ、面白かった!今日の「不滅の李舜臣」今まで「歴史捏造!」と批判を受けていた李舜臣のライバル「元均」が慶山右水営師になって登場、向こう見ずな日本攻略説を振りかざす反面、李舜臣が着々と国を守る準備を推し進める姿が対照的に描かれていた。そして、いつも笑いを提供してくれていたキム・ワンもなかなかよかった。私としたものが、ついほろりとさせられた。さて、この「七年戦争」(文禄・慶長の役、韓国では壬辰(じんしん)・丁酉倭乱(ていゆうわらん))でどう見ても朝鮮の方が弱そうだったのに、なぜ朝鮮が日本をしのぐ事ができたのか? 考えてみると不思議な事である。朝鮮は朝鮮王朝の中盤期にあり、内政的には安定していたのに比べ、日本は戦国時代にあり、その兵力は朝鮮とは比較になららいくらい強かった。兵士の数のさる事ながら、兵士個人の質も凄かったのに加え朝鮮にはなかった鉄砲で武装していた。実際日本がプサンに上陸したときは、朝鮮軍はぶるぶる脅えるだけだったらしい。そして楽々と北上し、ソウルを陥落させた。しかし、海上においてはそうはいかなかった。李舜臣の地の利を考えた作戦と、船に差があった。日本の主力戦艦は安宅船、朝鮮は板屋船というものだった。日本の海戦の戦法は、敵船に乗り移り、白兵戦を展開するというもので、これでは鉄砲もなく、戦いに不慣れな朝鮮軍はひとたまりもなかったらしい。それで、李舜臣将軍は板屋船に屋根をかぶせ、敵が乗り移って来られないように「亀甲船」と開発した。また、板屋船は安宅船よりも頑丈に作ってあったらしい。日本の船は速度を出せるようにそれよりは軽く作ってあり、大砲も乗せられなかった。大砲の衝撃に船が耐えられないからだ。しかし板屋船には大砲が10ー12門程設置された。それも射程距離500メートルとかのやつを。日本軍が鉄砲でパンパン撃ってくる前に、大砲で攻撃、亀甲船を突撃させ敵の船団を撹乱し、攻撃した。体当たりを受けると日本の船はもろかったらしい。さらに安宅船の船底は速度を出せるように「V」字型になっている。これに比べて、板屋船の船底は平たい。これは戦闘海域が主に内海で行われ、潮の満ち干が激しい事、速度を取る変わりに船の安定性をとったためらしい。李舜臣が水軍統制師に復帰し、残っていた12隻で日本の120隻に勝利した鳴露海戦では、日本の船の特質を利用した作戦を立てた。朝鮮が数々の海戦を勝利し制海権を押さえると、日本軍は補給路を断たれ、だんだんと不利になっていった。海戦の結果が日本軍の敗因の原因となった。現在でも世界の海軍学校では李舜臣の海戦の研究が盛んらしい。もしも日本軍が船を研究し、朝鮮水軍に対する攻略を深く練っていたら・・・状況はまた違っていたのかもしれない。歴史に「もしも」はないけれど、韓国という国はそういう滅びるかどうかの中でも生き残ってきた、希有な国のような気がしてきた。韓国人、日本人を超えて、李舜臣は傑出した人物だと思う。時代が選んだ人物だという気がする。こんなすごい人の子孫なんだから、国を超えた大きな民族になって欲しいと願ってやまない・・・
February 27, 2005
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今日はシアボジの誕生日。1週間も前からシオモニに「準備はどうするんですか、行って手伝います」とお伺いを立てていたが「平日だし、別に大袈裟にしないから、自分が少しずつやればいい」と言われ、私も前日まで色々やる事もあったので、実質的には料理の準備を手伝う事ができなかった。シオモニは、何でもてきぱきとこなす人だ。キムジャンの時なんか「他の人にとやかく言われるよりも、一人の方が気が楽」と言ってどんどんこなしていく。トロい私はそんなシオモニの姿を見て感服するばかりだ。だから今回もシオモニペースで進めていくであろう事は容易に想像できた。同居していたらちょこちょこっと手伝えるのだが、今回私は空いている時間にシテクに行くことが難しかった。そして今日は朝一番で近所に住んでいる義姉といっしょに駆け込んだ。韓国では、誕生日は本当は朝に祝う。でもシアボジは働いているため、朝は簡単に食事を済ませ、出勤したらしかった。私たちが家に入るや否や「食べにだけくるんだったら、くるな!!(`m´#)」という罵声を浴びせられた。たじたじの私をよそに義姉はずかずかと上がり込んでいく。するとヨン様似の義弟(現在プータロー)が「ヌナ!(おねえちゃん)どうせだったらもっと早くに来てオンマを手伝えよ!」なんて生意気な事をぬかす。かなり険悪な雰囲気が漂っているが、その矛先は義姉に向けられていた。みると義弟の手にはペンチが握られている。このくそ忙しい時に水道が壊れて、水が出なくなってしまったんだそうだ。「アー、モッサラ!!チギョウォ!!!」と、怒りを表現するシオモニ。雰囲気を察すると、シオモニと義姉は昨日親子喧嘩をしたらしく、そのことを引きずっていたのだ。義姉と一緒に来るんじゃなかった・・・せっかく用意してきたプレゼントも出しそびれてしまった。そしてさらにシオモニの機嫌が悪い理由があった。料理の準備を一人で着々と進めていたシオモニ。しかしその2日前にシアボジが会社の同僚を連れてくるという事になって、それはそれでいいのだが、直前になって「同僚のなかにお餅に目がない人がいるから、作れ」と言われ、慌ててお餅を3種類用意し、「チャプチェが好きな人もいる」という事でメニューにはなかったチャプチェを急遽取り入れる、という事があったらしい。私たちが来る前、料理の準備に、水が出なくなるわ、義姉と喧嘩をするわで、そのお心はかなり乱れていたらしい。・・・お察しします。でも、水道も直り、遅めの朝食を摂る頃には機嫌がすっかり元に戻っていた。しかし義姉は食べると帰ってしまった。かなり針のむしろだったらしい。義姉が帰った後で喧嘩の内容をシオモニから聞いたが、シオモニが機嫌が悪いのもうなづけた。それにしてもシアボジも突然あれしろこれしろと言うから、シオモニも大変だ。シアボジは普段でも突然「ヨボ!あれが食べたいな・・・これが食べたいな・・・」という人で、シオモニもその度に「きーーーー!」となるらしい。なんでも言い出したら聞かない人みたいだ。でも「きーー!」となってもちゃんと要望に応えているシオモニ、尊敬!!お昼、いよいよシアボジの職場の人が来た。そこでシアボジが自分の嫁だと私を紹介。そしてシオモニは「これ、うちのごはんちゃん!!!」w(°o°)w と紹介。(たらーーー・・・(--;)・・・)無事お食事を終えて、デザートを出すと、お餅の好きな「トッポ」アジョシはやっぱりお餅ばかり食べている。それで「ヨボ、お餅をぜーんぶ包んであげなさい」というシアボジ。シオモニは嬉しそうにお餅を包んであげる。何だかんだ言ってお似合いのカップルよね!シアボジは結構わがままだけど、他人にたいしてはとてもおおらかだ。何でも惜しみなく与えたいタイプである。(シオモニがてまひまかけて作ったものとかも)そういうシアボジを見て私は本当に誇らしく思う。誰からでも好かれるし、私も大好きだ。ただ、家の中ではそうではなかったりする。これは韓国人男性の特徴ではないだろうか。シオモニも昔はずいぶん苦労したという。そして、シオモニ。そんなシアボジのわがままを何だかんだいいながら満たしてあげ、結構それが自分の喜びだったりするらしい。シアボジもシオモニのそういう所が自慢らしい。老・ベストカップルなのである。しかし、こんなシアボジにはシオモニのようなスーパーウーマンじゃないとつとまらないと思う。つくづく嫁でよかったと胸をなで下ろしながら、いつかはオットがシアボジのようにならないかとびくびくしている。さり気なくこの二人は似ているから。(親子だもんね)微笑ましいお義父さん、お義母さん、長生きしてね!
February 25, 2005
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私が講義を終えて家に帰ってくると10時になることもある。それまで子供達は目をらんらんとさせて待っている。それはそれでいとおしい事もある。しかし、11時ごろ就寝じゃ早起きは期待できない。息子らの通う保育園のお迎えがくるのは8時50分。なかなか起きない息子達を踏んだり蹴ったり、あの手この手で起こすのは8時。次男は私が洗顔させて、長男は自分で仕度をするが、洗面所に入ったっきり出てこない事もしばしば。「さっさと出てきなさい!!」と怒鳴り込むと、水のはった洗面器を前にぼーっとしていたり、遊んでいたりする。そして長男、服を着るのもモタモタ。あれじゃない、これじゃない、あの服はどこにある?と選ぶのも時間がかかるし、下着姿でストップしてしまう事もある。それに加えて次男が、「オンマー飴食べたい」と言いだし「飴なんかよりご飯を食べなさい!」「ぎゃーーー!!飴くれーーー!!!」「今ないんだから我慢しなさい!」「びーーーー!!!」となったり、おまけに一人で着替えていた長男の着こなしにセンスがなかったりして、「カッコ悪いよ、着替えなさい」と着替えさせたり・・・・50分という限られた時間の中で、私はてんてこまいなのに、息子達には私の切迫感がわからないらしい。マイペース・・・・だから「きーーーーーー!!!」「てめーら!いい加減にしろーーーー!!」と怒ったり・・・まあ、どこの家庭でも同じだろう。(だよね!?そうだと言って!!)私の心配事は来月からちゃんと小学校に通えるだろうか、という事。今でもこんなにモタモタしているのに、起床時間を1時間は早めなくてはいけないからだ。ま、なんとかなるでしょ!と思っていた矢先、おとといの事だった。いつものようにすべりこみセーフでお迎えバスに乗せ、ふーっと一息つきながら家に戻った。そこでは朝から身も心もくたくたの私を癒してくれる、コーヒー一杯が待っていた。ふと足元を見ると、見なれた物体が・・・!「おっ!」私は言葉を失った。それは長男のかばんだった。あやつ、かばんを背負わないで行ってしまった。それに気づかなかった私も・・・マヌケ!?今から持っていってあげようかなと思ったが、いや、自分の事は自分で責任持てる子供に育てよう!と思ってそのままにした。(ただ面倒くさかっただけ)それにしても・・・長男のちょっとボーっとしている所がかわいくて、しばらく笑ってしまった。そんな長男、明日はいよいよ卒業式。割合小さな頃から「オリニチプ」に送って、いろいろ彼なりに大変だった事もあると思うが、よく頑張った。小学校に入ったら、「チャッカダ」と言われるだけではいけない。長男みたいな内弁慶の子はもっともっと大変になるだろう。韓国の小学校・・・なんだか未知なる世界に足を踏み入れるような気がするが、長男のまだ見えない可能性を信じて・・・
February 24, 2005
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長男は李舜臣ごっこも好きなのだが、ちまちまと何かを作のも好きだ。最近は「折り紙」に目覚めてしまった。だから安い折り紙を買ってきて、思う存分折らせている。安い折り紙って?どのくらい安いかというと、両面で50枚1200ウォン。普通これくらい安いと紙質がほんとに悪くて、折っていると色が指先についてしまったりもするのだが、これは大丈夫だった。折り紙の本も以前私が「子供に折ってやろう」と思って買ったものなので多少難しいものもあるのだが、それでも一人でちまちまと折っている。でもまだ就学前なので、自分では理解できない部分もある。そうすると私が手伝ってあげるしかない。今日も「どう折るのか教えてくれ」と言われて折ってみた。折り紙は最初がポイントだと思う。最初につける折り目がずれていなければ、きちんと折れる確立が高い。だから「ほら、きちんと折らなきゃだめだよ」なんて言って、手本を見せようとした。しかし、三角に折っても、四角に折っても、どうもずれてしまう。うーーむ。私はいい加減な性格なのだが、こういう「ズレ」ってなんか気持ちが悪い。どうやら折り紙自体が微妙に正四角形ではないらしい。ま、しょうがない。韓国の文房具なんだから・・・・と変に納得。韓国って物の作り方が精巧ではなくて、高価なものはならいざ知らず、安いものはいい加減に作ってある事が多い。特にこういう文房具なんかはその役目を果たす前に壊れてしまうようなものも多いし、印刷がずれていたり、ものさしなんかは目盛りが微妙にずれていたりする。なれてくるとこういう韓国チックなところも気にならなくなってしまう。しかし妥協できないものもある。チマチマ物を作るのが趣味の長男は、かなり小さな頃から「ブロックおたく」だった。それを知ってか、実家の親は産まれたばかりのころから「レゴ」社のブロックを送ってきてくれた。最初は「プリモ」(赤ちゃん用)でだんだんレベルをあげて、たまにプレゼントしてくれた。もちろん「レゴ」社のブロックは韓国でも人気だった。長男は大きなブロックにあきたらず、一番小さなブロックも手にしはじめた。3、4才の頃だろうか。それで、ヨン様に似ているシドンセン (この日記も参照)が「これは自分に息子が出来たら相続しようと思っていたが」と自分が幼い頃から集めてきたという宝物のレゴを譲ってくれたのだ。親子そろってうれしかった!私のオットもこういうチマチマしたのが好きなタイプで(体育系のくせに)プラモとかもよく作ったらしいし、帆船の模型もガラスケースにおさまっている。どうやら、そういうDNAがあるらしい。長男は大量の「レゴ」ブロックを手に入れた。私の眼から見たらなんだかよく分からないような「作品」も彼にとっては宝物だった。ちょっといじって部品の一つでも取れようものなら大騒ぎになった。ところで、チャグンコモ(オットの妹)は長男がレゴ好きなのを聞いて、子供の日に「オックOフォード」という会社のブロックをプレゼントしてくれた。うちは今まで「レゴ」社一筋だったので「オックOフォード」のブロックは初めてだった。「オックOフォード」は韓国のおもちゃ会社である。ブロックの見た目は「レゴ」社と変わらない。しかし私はまた「ああ韓国だものね・・・」なんていう殆ど投げやりで諦めの境地に至る事になる。ブロックがなんかおかしい!丸いプチプチした部分が微妙にずれているせいか、たとえばブロックを上下に連結させてみたりすると、すっきりあわないのだ!そして無理矢理力を入れると「バキッ!!」なんて折れてしまう。材質もいまいちらしい。まあ、しょうがないや、韓国だもん・・・怒る気にもならないわ。でも絶対「オックOフォード」のブロックは買わないぞ!ところで「オックOフォード」から「亀甲船」のシリーズが出てしまった。長男が欲しがらないか、ビビッテいる。
February 21, 2005
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韓国のポータルサイト「ダウム」一昔前まではメールといえば「ハンメイル」だったし、コミュニティといえば「ダウムカフェ」だった。もちろん私も色々なサービスを受けている。日本語のカフェも作った。ハンメイルは「電子郵便制度」(大量にメールを送る場合有料化にして、ウィルス流出やハッキングを防ぐ目的)のせいで色々な企業からワンタを食らっているけど、大きな容量が魅力だ。そして、ミニホームページの「プラネット」というのもある。今、ダウムをチェックしていたら「ブロクオープン」なんてあっら。時代を先取りしてきたダウムにブロクがないのが不思議だった。それで、韓国人との交流に!と作ろうと思ったら・・・「ブログに出会って254日目」なんて出てきた。え?どういうこと?すでに私のブログは作られていた。入ってみると「こんにちは!韓国在住の日本人です・・・」と書いてある。そして訪問者がコメントを残して行った跡がある。そういえば、これ、前に作ったような・・・一言書いて、忘れちゃったんだ!なんて、記憶力の悪い・・・・その頃は「ブログ」じゃなくて「コラム」という名前だったらしい。(そんなことも忘れている)韓国でブログと言えばライバルの「ネイバー」なので、ここにきてダウムもブログサービスを開始したらしい。ちょっと遅いと思うのだが・・・でも、ダウムは唯一私の名前で登録されている所だから、こちらでも一言ずつ始めようかなと思っている。韓国では外国人がこういうのに登録しようとすると必ず「住民登録番号」が必要なので「外国人登録番号」しか持っていないと、手続きが面倒なのだ。他の所では夫の名前で登録すると、たとえば「サイワールド」なんかでは「基本アバター」が「男の子」なのでがっくりしてしまう。ダウムはカフェの運営のために、ちょっとした手続きをふんだ。私の実名がでてくるのでなんだか愛着がある。ズボラな私が「ほんとにちゃんと管理できんの??」という一抹の不安を感じるが・・・せめて、その存在だけは忘れないように・・・ブログ住所だよん(ひやーー恥ずかしい!)
February 20, 2005
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「オンマ!オンマ!賞もらったよ!」長男がそうわめきながらどたばたと帰ってきた。見ると小さなトロフィーを手にしている。「優秀賞だよ!」と興奮しながらまくしたてた。先月、長男は「数学京試大会」というものに出場した。12月に落ちてしまった「漢字能力試験」を挽回するために受けさせましょう!という先生の提案だった。私としてはどうでもいいや、と思っていたので、すっかり忘れていた。けれども「優秀賞」をもらってきて喜んでいる長男を見て、私もついうれしかった。しかし「OO君が100点で大賞だった!」「それで?」「xx君は2等、最優秀賞」 「?あんたは?」「3等!」「4等は?」「いない!!」??なんじゃそりゃ?先生が長男に持たせたメモには「大賞は100点、最優秀賞は95-99点、優秀賞は90-94点」でほかに奨励賞85-89点というのもあった。長男は90点から94点をマークし「優秀賞」だったということだ。しかしどうやらほぼ全員に賞が取れるようになっているらしい。韓国にはこういう「OO京試大会」が多い。英語、数学、日本語、・・・種類も豊富ながら、さまざまな機関や各大学ごとに実施したりするので、数え切れないほどの「京試大会」がある。学歴社会が生み出した副産物ともいえる。この結果が大学入試で何ポイントか加算される事もある。長男はぼーっとしていて、まだよく分かっていないと思うが、とりあえず長男の満足した顔を見たら、「これでいいのだ!」なんて思った。ちなみに「京試」とは昔の科挙の一次試験のことである。この3月からいよいよ小学校入学の長男。のびのびと育てていきたいが、この韓国ではあまり「のびのび」ともさせていられない。こんな小さな頃から生き残りをかけた戦いが始まっているが、要は親が揺らぎない信念を持っている事が大事。でも私はいろいろ迷うし、韓国の教育制度に強い不満も持っている。私に確固たる教育指針があればいいのだろうが・・・入学したら考えようかな、なんて思っているお気楽ママでごめんね!
February 18, 2005
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「海神」って劇中でみんな中国語で話しているけど、ちゃんと中国語会話になっているのかな?中国語、ぜんぜん分からないもので・・・これを機会に中国語でも!とは思いません。頭がついていかないと思うから。 ところで今日はアサンのS大学に行ってきた。S大学は山の麓にあって、私の目指す建物は一番奥の一番標高の高い所にあって、「ヒーハー」言いながら登った。しかしここからの眺めのいいこと!そして空気もうまい!こんな環境で勉強したらいいだろうね、私もあと?年若かったらもっと一生懸命勉強して、もっとマシな(?)人生を生きたかもしれないのに・・・なんていつも思う事を思った。いろいろな選択があったけれども、自分が今の自分であることは、なんだか不思議な気分だ。あの時違う道を選んでいたら、明らかに今の自分ではなかったこと。でも網目のように巡らされた道を選んでここにいる、たった一人の自分。何の取り柄もなくて、他の人から見たらみじめな自分かもしれないが、私は私が結構好きだったりする。後悔しても始まらないから、自身を持って進めばいい。山に登ると人間色々なことを考えるものだなあ・・・(山って言っても・・・ねえ)ま、ちょっぴり頭が深呼吸した感じだった。
February 17, 2005
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次男のコチプは手が付けられない。今日は長男が「お年玉で本を買いたい」と言ったので、書店に連れていった。わが町アサンにはそれ程大きい書店はないが、それでも一番大きな兄弟書店に行った。次男にも買ってあげないわけにはいかないので選んでいたら、もう既に恐竜の人形のおまけがついた絵本を手にしていた。こういう本ってもったいない。恐竜の人形はちゃっちいし、絵本の内容もいまいちだ。こんな本にお金を出すわけにはいかない。それでなんとかなだめて他の本を探した。次男は恐竜の本が欲しいようだった。しかしこの書店には売れ筋の本ばかりが置いてあるので、(過去の日記参照)どの恐竜の本も定価で買うにはもったいないような気がした。うちにはとりあえず長男のときに買ったフレーベルの絵本の全集があるので、幼児の読むような本は購入してもしょうがない。どうせだったら、長男も自分で読めるような恐竜の本を買ってあげようと思った。しかし人も沢山いたし、疲れてきたし、何よりもインターネット書店の安さを実感している私は、後でじっくり選んで買ってやろう、という結論に至った。そのままでは帰れないので、次男には恐竜のパズル(2000ウォン)でお茶をにごしておいた。帰ろうと思ったら、歴史のコーナーに「コブク船」という本が陳列されてあった。A4版、オールカラーのビジュアル本で、今まで神話化していたコブク船を研究し、再現して見せた本である。コブク船の外観と内部構造が細かく描かれてあり、目を引かれる。それだけでなく、戦乱の時に使われていた武器なども図解してあり、面白そうだ。「ねえ、見てごらん。コブク船だよ。かっこいいね」と手にとって長男に見せた。長男も目を光らせた。彼は李舜臣ファンなのだ。そしてそれ以上に熱狂的なまなざしで見ていたのは、次男。横から「コブク船」をさっと取りあげた。「ほら、もう帰るから、元の場所に置こうね」首を振る次男。「あんた恐竜パズル買ったじゃない(2000ウォンだけど)」本を後ろ手に隠す次男。そして「ナ イゴ サジョ!」「・・・・!」(顔を見合わす私と長男)どう考えても次男の手におえる本じゃない。「これ絵本じゃないんだよ。大人の読む本なんだよ」と言ったが、いとおしそうに本を抱きかかえている姿を見たら、買ってあげてもいいような気になってきた。「じゃあ、二つは買ってあげられないから、これを買うのだったら、恐竜パズルはあきらめなさい」じーーーーーーっと悩んでいる様子。幼い子なりに選択の悩みを味わっている。2000ウォンのパズルとかっこいいコブク船の本を天秤にかけている。そして「アラッソヨ」と言って恐竜パズルを私に差し出した。あんた、そんなにこの本が欲しいわけ?まあ私も恐竜パズルにも2000ウォン出したくないし(ドケチ!)だいたいこういうパズルって、2、3日したらピースが一個ずつなくなるんだよね。しゃあない!買ってやるか!とお値段を見たら16000ウォンなり!(ぎゃーー高い!!)ネットで買ったら割引だろうに・・・「今度買ってあげるから、ね!」後ずさりする次男。「オンマ、お金ないんだよ。これから買い物もしなくちゃいけないし」聞いてない次男。わかった、わかった。私の負けだよ!そして、レジに持っていたら、そこにあった別のものにも関心を示そうとするので、さっさとお金を払ってうむを言わさず外に出た。ところでこの本、面白かった。次男が「自分の本だからポジマ!(見ないで)」と言うのを取り上げて読んだのだが、図解されたコブク船の絵がとてもよく描かれているし、実際実戦投入されたのか、実在したのかも謎だったけれど、この時代こんなSFみたいな発想をした事自体がすごいと思った。奇しくも今日の「不滅の李舜臣」はコブク船誕生にまつわる話だった。李舜臣とコブク船に関わった人たちは戦争を少しでも有利なものにしようとして、アイディアを絞り出して努力した。最近は私も情熱的に何かに打ち込むという事はなくなってしまった。けれども目的を個人的なものよりも大きなものに設定し、自らを忘れるほどに投入する時に現れる成果もあるんだな、なんて思った。次男のコチプのお陰で面白い本に出会えた。
February 13, 2005
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土曜日は我が息子が二人とも家にいる。保育園に送ってもいいのだが、朝起こすのも面倒なのでズルズルと過ごしてしまっている。今日は少しだるくて休みたかったのに、二人が家の中を奇声をあげながらかけまわり、ぜんぜん休めない・・・横になっている私を踏みつけたり、すこしうとうとしていると「オンマ!オーーンマ!!」と揺さ振り起こされ、いい加減頭に来たので「おまえら、きびーしく軍律で罰してくれる!」と、李舜臣の真似をして怒った所、「ギャーーハッハッハッハーーー!」と喜ばれてしまった。ああ、どうしてこう迫力がないのだろう・・・怒っても、罰を与えても息子はへらへら笑っている。こんなんで来年長男が小学校に上がったら、長い夏休みや冬休みを耐えられるだろうか・・・
February 12, 2005
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ふう。今年の旧正月イベントも無事終わりました!在韓のミョヌリの皆様、お疲れ様でした!うちは本家ではないのでそんなに大変ではありません。何よりも祭祀に神経を遣わなくてもいいので有り難いのですが、旧正月には欠かせないマンドゥを作るという仕事があります。シオモニのこだわりマンドゥの味は天下一品!だからオットも義弟もマンドゥには目がありません。マンドゥの具は、水気をきって細かく刻んだキムチ、豆腐、豚肉ミンチ、タンミョン、卵、各種ヤンニョム、であります。そしてマンドゥの皮もお手製です。どうやらここがポイントらしいのですが、小麦粉を練って一晩くらい置いておいて、伸ばして型を取っていくのではなく、太さ二センチくらいの棒状にしてから厚さ5ミリぐらいに切って、それを一つ一つまあるく伸ばして皮を作ります。この作業がなかなか大変です。慣れていないときれいな円形はできません。私は何とか円形に作れるようになりましたが、時間がかかるので、皮に具をつめているシオモニにいつも追いつかれてしまいます。出来たら市販のマンドゥの皮で楽に作りたいのですが、シオモニいわく、「あんなものは防腐剤が沢山入っていて、危ない」んだそうです。さてマンドゥの形は餃子型ところころした丸型があります。焼いて食べるときは餃子型の方がいいし、トックに入れるときは丸型がおいしそうです。ラーメンにもマンドゥを入れて食べたりします。そんなこんなで今年も沢山作りました。手間かけて作った割にはすぐに食べられてしまう・・・でもこうやって手作りしたものは確かにおいしいです。私も料理上手になりたいです。ところで、旧正月元旦にはサッカーの試合がありましたね! 私が密かに応援しているイ・ドングク選手が先制ゴールを決めて、新年から気分がよかったです。プロデビューしたばかりの頃はあんなにあどけなかったのに、今や実力ある立派な代表選手です。2002年ワールドカップではその舞台に立てなかったのですが、これからの活躍、期待しています。それでは、今年も セーヘー ポク マーニ マーーーーーニ パドゥセヨ!
February 11, 2005
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我が家から市内までは歩いて20分くらい。でも子供を2人も連れて歩くとそれ以上の時間がかかる。それでついタクシーを利用してしまう。韓国のタクシーは、びゅんびゅん飛ばすし、料金を騙し取るとか、マイナスのイメージが多いと思うが、有り難い事に私は今までタクシーに乗って不快な思いをしたことがない。短い距離だし、私も外国人とは思われないからだろうが、韓国のタクシーもだいぶ紳士的になってきた。昨日も外出するのにタクシーを呼んだ。息子達は、お互いが自分が窓際に座るんだと譲らない。出発も前からひともめして、やっとの事で長男に譲らさせた。(田舎者め!)タクシーが目的地に着く間も息子達はうるさい。長男はしゃべりまくり、次男は鼻歌を歌い、まるで自分ちの車のようにリラックスしている。「ちょっと静かにしてよ!」といっても聞く耳持たず。私は運転手さんの顔をちらっと見た。(こういうお客さんって嫌だろうな)と思ったが、なんだかニコニコしている。そして、降りる時に料金までまけてくれた。なんだか気持ちのいい運転手さんだった。韓国のタクシーの運転手さんはもちろん親切な人も多いが、やたら口数が多い!乗るや否やいろいろ話し掛けてくる。政治問題、経済問題、教育問題から自分ちの近況まで・・・適当にあいづちを打ちながら、会話が弾むときもあるが、ちょっと辟易する事もある。今日のタクシーの運転手さんは、寡黙ながらも広い心を感じられて、別になにがというわけではなかったが、とても居心地のいいものを感じた。なんだか「車の色は空の色」の松井さんみたいだな、と思った。やさしくて親切なタクシーの運転手、松井さん。そして松井さんのタクシーに乗ってくる不思議なお客さんたち。子供の頃よく読んでいた本で、細部は忘れてしまったが、そこに登場する、レモンの香りが忘れられない。あれ?レモンだったっけ、夏みかんだったっけ?人情べたべたの韓国では、たまにこういった言葉ではない、にじみ出るような心遣いにさらっと触れてみたくなる。韓国では出版されてないようなので、今度取り寄せて読んでみたい。車のいろは空のいろ その2もあるね! その3まで!!
February 6, 2005
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長男の中耳炎の治療で病院に行った。長男の前の番の中学生くらいの女の子の耳の中がモニターに映っていたのだが、素人目に見ても、ガサガサ、荒れている。先生も「ひどいねー」というくらい。しょっちゅう耳の穴をいじっていたらしい。そして耳たぶは、パンパンに張れている。その子のお母さんがあきれたように「自分で耳に穴を開けてこうなった」といった。ウエーーー!「こりゃあ手術が必要だ」と先生。韓国の学生は夏休みや冬休みになると、普段学校で禁止されていることを公然とやってのける。パーマ、髪染め、ピアスなど。休みの間そうやって楽しんだ後は、新学期になる前にあわててブリーチをし、ストレートにする。ピアスはどうするのか分からないが。そんな姿を見て、なんかおかしいなと思った。抑圧された子供達の姿を見たような気がした。でも、だからって、自分でピアスの穴を開けるなよーー。私なんて、痛そうだからって、未だに開けられない臆病者なんだから!でも二重の手術が基本の韓国で、ピアスくらいはしようかな、と思っていたのに、そんな気持ちはどどーーんと薄れてしまった。こんな痛がりなワタシ、・・・よく子供を産めたなあ・・・
February 5, 2005
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ミン君は高校2年生だ。初めて出会ったときは、その外見が高校生には思えなかった。端整な顔立ちに耳にはピアス、本当に生意気そうだった。正直言ってこういう子が、冬休みに日本語の勉強をしにくるなんてちょっと意外だった。住んでいる所は隣の市の「礼山」という所。礼山には日本語学院がなく、バスで一時間近くかけて通ってきている。しかし礼山は公州教育大学に通うおねえさんの下宿がある所で、実家はムジュ(大田よりももっと先)だという。ムジュから冬休みの間、アサンに駅前留学してきているのだ。(?)最初は口数が少なかったが、最近は自分の事をよく話す。授業の記録参照去年は日本にホームスティをしに行って、卒業したら日本に留学する予定だそうだ。生意気そうにみえたが、なかなかしっかりしている。この間「一人暮らし」の話題が出た。一人一人に「一人暮らしをした事がありますか?」と聞いた。それぞれ似たり寄ったりの答えが出たが、ミン君、なんか話したそうにしている。だから「君は今おねえさんと一緒だから一人暮らしじゃないね」と意地悪く言ってみた。「いいえ一人暮らししました」「だからあ、学校の寮とかは一人暮らしじゃないんだよ」「寮じゃなくて、自分の家で・・・」「え?」なんか悪い事聞いちゃったかな?「両親が仕事でソウルに住んで、姉は学校の寮にいたからムジュの家で一人で生活したんです」「ええ!?いつ??」「中学校のとき」「ええ!?大丈夫だったの??」多くの韓国の親って過保護なのにそんなことするんだろうか?ミン君の問題発言(?)はまだまだ続く。「親は月に一度だけ帰ってきました」「食べ物とかはどうしたの??」(私、興味津々!)「その時にお金だけ置いていってくれるから、それで買い出しに行ったり・・・」「ふーん、それで??」(授業そっちのけ、いつのまにか韓国語の会話になっている)「作のが面倒で、いつも食事をぬいていた」「そうだよね。一人だと作って食べたい気にならないよね」「一度、目の前が真っ暗になって倒れた・・・」「!!それでどうしたの??」「これじゃあヤバイと思って、ラーメンを食べたらすぐによくなった」君の胃腸はどうなっている!!「でも、すごい勇敢なご両親だね。普通の親だったら大事な一人息子を置いて何ヶ月も仕事にいったりしないよ」「ははは・・・」これって、私はミン君のご両親がどのような人だかよく分からないから何とも言えないが、極度の放任主義かよほど彼を信頼しているのか・・・韓国の親って過保護な傾向にあると思う。教育制度が個人の個性を伸ばすようになっていないから、韓国の子供は仕方なく小さいときから親の敷いたレールの上を歩かざるをえない。親の意識も強烈な学力社会で子供が傷つかず、生き残り、少しでも幸せな人生を生きられるようにしてあげたいという気持ちが強い。子供時代には何が必要なんだろうか?色々な経験をして、自分の個性を引き出し、やりたい事を見つけ出す時なんじゃないだろうか?そうは思っても、まずはいい大学に入らせなければ大変、みたいな強迫観念が親を縛り付けているから、子供も大変である。結果塾の送り迎えやら、勉強以外の事はなんでもやってあげる過保護な親が多い。そういう親が多い中、ミン君のご両親はすごいと思った。中学生の一人息子に一人暮らしをさせたけれど、その結果、ミン君は1、(見た目)ぐれていない2、性格も悪くなさそう(なんて言うか、陰のない子)3、お姉ちゃんはちゃんと教育大で教師をめざしている4、料理も洗濯も掃除もできる5、何といっても自分の目標が明らかであるようになってる。きっと根底には、なにか眼にみえない信頼関係のようなものがあるんだろうな・・・私は息子を信じてあげられる親になれるだろうか?信じられる息子になるように、形ではない愛情を注いでいるだろうか?一度ご両親の話をミン君に聞いてみたいが、残念ながら、来週ムジュに帰ってしまう。それにしても、面白いミン君だった。
February 3, 2005
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韓国は今この冬一番の寒さを迎えている。昨日は雪が降った。人一倍寒がりな私は冬が嫌い。けれども朝早起きして、まだ真っ暗な中をごみすてに出た。雪は3センチくらい積もっていて、まだ誰も足跡をつけていない真っ白な雪を踏んで歩く。ぎゅっぎゅっという音、本当に気持ちがいい。ふと思い出した事がある。まだ小学校の頃、毎週通っていた市の図書館でいつも借りていた雑誌があった。「いちごえほん」という。廃刊になって長いらしいが、サンリオの月刊誌で「アンパンマン」のやなせたかしさんが編集長だった。コンセプトは「子供と、大人になりきれない大人のための・・・」本で、毎月童話や詩が掲載され、一般の子供の詩も投稿されていた。「アンパンマン」も連載されていた!当時「詩とメルヘン」も一緒に並んでいたが、小学校低学年の私は「いちごえほん」の方がやさしくておもしろかった。図書館に行く度に「いちごえほん」のバックナンバーを借りてきては、自分なりの世界にひたっていた。ある時風邪をこじらせ学校を休んだ私に母が「いちごえほん」を買ってきてくれた。6月号で、表紙はやなせたかしさんの黄色のかさとレインコートを着た子の絵。色とりどりのかさの花が咲いている。うれしくて大切に1ページ1ページ読んでいく。そのなかに「ぼくのたからもの」という詩があった。作者は小学3年生。私と同い年だ。確かこんな詩だった。「ぼくのたからものいちにち いちにちがすぎていくそのいちにちが ぼくのたからものだいちにちがすぎるとたからものが とおくへいってしまったようなきがする」挿し絵は葉祥明さんで、広い牧場で帽子をかぶった少年が寝転んでいる。その指先には小鳥が止まっていて、なにか話をしているようなのびのびとした絵だった。(「いちごえほん」は当時から作家や挿し絵にかなり豪華な面々が参加していた)そのページの隅にこう書いてあった。「心臓病をわずらっていた・・・君はこの詩を書いて一週間後になくなりました」幼心にどきっとしたのを覚えている。私と同い年の、このすてきな詩を書いた子がもうこの世にいないんだ・・・そう思ったら涙が出てきた。まだ幼いのに死を意識して、毎日を病院のベッドの上で過ごしたんだ。どんなに辛かっただろうか・・・でも毎日を「たからもの」と感じ、大切に大切に過ごしたんだ。周りにいた人はそんな彼を見て幸福だったに違いない。幸福の種をまいて逝ってしまった、そんな風に思えた。こんな日はこの詩を思い出す。あの子が生きていたらどんな大人になっていただろうか、と思ったりする。私の今日は「たからもの」だっただろうか。「たからもの」のようにきらきら輝く一日を作っていきたい。生と死が同じ重さを持つ国、韓国で、雪をふみしめながら。
February 1, 2005
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