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たまたま整体院に行って話をしてたらアメリカ「サンフランシスコ」での旅の話をしてくれた。院長のとにかくデカイ!広い!大らか!に集約されていた。う~ん・・・行きたくなっちゃった。 そういえば私もかつては旅人だったんだよなぁ?と今更ながらため息。その帰り、インド料理の店に入った。静岡は意外といろんな国籍の料理が食べられる。インドの本格的な店も近くだけで知ってるだけでも4軒ある。今も1000円食べ放題から帰ってきたばかり。美味かった!インド人が全てやってるらしく、3人で切り盛りしてた。愛想もいいしいい感じだった。さっきアメリカの話で盛り上がっていてもうインドに心は飛んでいた。ウエイトレスのインド女性が実に美しかった。これなら何度来てもいい。この店、余り人が来ないようだったので話のタネにと思って入ったのだが、いきなり人がドンドン入ってきてビックリした。こんなものか・・。 今日は忙しい!夜はアイリッシュパブでライブ。今度はイギリスへひとっ飛び!中にいる人間は多国籍。いろんな言葉が飛び交う。プログラムも多国籍用に組んでおいた。ちょっとドキドキ。明日は中国。春節会での演奏だ。今度は中国語が飛び交うことだろう。
2004年01月31日
まだまだ寒い日が続きますね。この時期、楽しみが一つあります。それは空の美しさ。特に夕日が好きです。何かとてもロマンに満ちていてついつい引き込まれてしまいます。 ロマンチックな私の夢の一つに過激かもしれませんが、世界を舞台に放浪したいというものがありました。それもとてつもなく遠い彼方のなかに一人ぽつんと大地に立っている姿です。そしてハッキリとした目標に向かって歩いているんです。 別の夢も見ました。世界のひのき舞台に立っているんです。それが何かはわかりません。そうなりたいなと思う瞬間で一番身近なのは高校野球です。すごいなぁ・・・あんな青春をおくって、自分も絶対やってやろうと決意したのも遠い昔です。 スポーツでそんな世界に浸ったものと言えば大したことなかったけど、陸上のマラソン、山岳部時代、レスリング(アマ)だったな。短い間だったけどレスリングは凄かった。山岳部時代にスカウトされて入ったけど、こんな世界に身を投じることは思いもよらなかったが、とても勉強になった。今は遊びならやれるかもしれないけどちょっとどうかな?命をかけたといえばやはり山岳部時代だな・・。本当に命がかかってたからね。青春といえばマラソン。中学・高校・大学・社会人と常に走り続けた。特に中学・高校時代はなつかしい。今はダメだね、もっぱら健康の為にハイクすることが楽しみになってる。中学ではエースをねらえの影響があってテニスがすごかった。私は別の理由でテニス部に入ったが、テニスは全然ダメで、むしろ走る方に開花した。部の中でも3本の指に入り、部全体でも上位だった。おかげで目標にされて最後はいろんな人に抜かれたっけ。上級生になって手を抜いたのがいけなかったな。こてんぱんにやられたのが中3の最後の体育祭。1500Mで私はクラス代表となり、他からも強豪(といっても知っている人がほとんどだった。何しろ私を目標にがんばってた人がたくさんいたから)が代表としてエントリーしてきた。そして私は走りきったものの、そのまま保健室へ。この頃、将棋に一番熱を上げていた。マラソンどころではなかったのだ。テニスはもう嫌になってたし園芸にも力を入れていて、将来は園芸士と決めていた。でももう一つ、プロ棋士になりたいという夢も捨てきれなかった。 あちこちで行われた大会にはほとんど出た。そしてよく負けた。 そういえば一度だけ、それで先生から怒られた事があった。中2だか中3の時、夏休みに児童大会なるものがあってそれに参加した。たまたま運悪く、その日が補習授業になった。それをズル休みして大会に出た。もちろん優勝するために。結果は準決勝で敗れ、5位の盾に終った。それで終ればよかったのだが、学校を通して表彰されるという。えっ!それはまずい!でもしょうがない、観念して怒られながら表彰されるというお粗末な事があった。 プロをあきらめたのは中3の時だ。それ以降は高校で囲碁将棋部でちょこっとやり、そのまま引退の幕を閉じることとなった。理由は簡単。相手がいなかったのである。高校時代、伝説まで作りながら今の自分を振り返ると、何か煮え切らないものがあるのは確かだ。闘いたかったのに戦えない苦しみというのは味わった人でなければ無理だろう。今は親戚の強豪相手に指すくらいか・・・。 そうして将棋時代が全盛を迎える頃、再びマラソンの道へと入っていく。高校時代は将棋と同時にマラソンにも火花が散ることがあったのだ。学校の帰り道、ふと見つけた走ろう会の看板。これが運命だった。高一からライバルと目を付けていた人を破りたい一心で高三の時入会した。そして陸上の世界へ。考えてみるとマラソンの全盛もこの時だった。なつかしい想い出としては高三最後のマラソン大会。ここで私は全校で一番になると宣言した。なぜならライバルはいつも一番だったから負かすとしたら一番になるしかないのである。彼は学校陸上部のエースらしかった。まあそんあことはどうでもいい。。その戦いの前にちょっとした事件があった。それは私が陸上をやっていて長距離(45㎞)をやっているところをちょうど見つかってしまったのである。それからが大変、へんに話が広がってみんなの見る目が変わってしまった。大会当日、残念ながら結果は45位。クラス別で一番となった。同じ一番でも情けない一番だなぁ・・と敗戦を認めざるを得なかった。その時もらったシャープペンもずいぶん使ったが、ある日無くしてしまった。レスリングでも48キロ級チャンピオンの賞状をもらったが、闘わずしてもらったので嫌で捨ててしまった。今思うと残念かなぁ。 おそらく、人生最大の出会いは旅人との出会いだろう。高三の夏、親の薦めで旅にでた。それがキッカケでYHを使って旅をするYHクラブの存在を知った。 そして同じ学校の別のクラスにそんなひとがいて、旅の話しに夢中になった。旅人になりたい!そして大学に入ったら今度こそ青春のすべてをぶつけられる部に入ろうと決意したのもこの時だった。 その後、山岳部と旅の板挟みに遭い、その頃から今度は音楽に出会っていくことになる。それももう遠い過去の話しになろうとしている。多くの人と出会い、そして別れてきた。 もうそれはやめようと思うのだ。自分もずいぶん変わってきた。決定的な出会いもあった。変わっていくのは当たり前だが、いいように変わっていきたい。夢を志して恥ずかしながら20年以上の月日が流れてしまった。もう勝負である。勇気を振り絞ってこの先の何十年かを踏みしめていくのだ。 一つわかったことがある。10代を基本に物事というのは年齢に比例して時間は早くなっていく。夢の達成にも比例して重くなっていく。では年をとったらおしまいか?いや、あった。今度は逆に年ごとに賢くなっていくのである。いや、賢くならざるを得ないといった方が正しい。私もここまで土壇場に追いつめられてやっとさ眼がちょこっとだけ開いた気分。
2004年01月26日
なんと!自分でキリ番ふんでしまった・・・・!!それにしても、暖冬と言われながらとにかく寒い!明日は特に寒いといううわさで今から身震いしてる。 スキー場だけ、いや雪だけあってポカポカ陽気がいいなぁ。仕事で雪はさすがにゴメンだ。今も寒くて話がまとまらない。 とうとうあと2週間で演奏だあ。今週もギター漬け。来週は涙ポロポロの練習だ。自分で決めたこととはいえ辛いなあ。
2004年01月21日
今年は暖冬といいながら珍しく静岡にも雪が降った。寒いわけだ。北海道にあった台風並の低気圧もやっとぬけそうだが、まだまだ寒い。久々に山の方に行ったら安倍川中腹でも雪が残り、山は上の方は真っ白で美しかった。 雪の日、実は仕事だったのだが休んだ。ちょうど発表会と重なった為だが、まさか土曜出勤のときに・・・。こんなことはザラだ。仕事は私がおそらく一番休んでいるだろうなぁ。しょうがないか、これが自分なのだから。 その日、たまたま来ていた先生が演奏団体をうまく活用して市や県の活動認定を受けるとお金も降りるし活動もドンドン盛んになるよと教えてくれた。う~ん・・・そこまで考えたことなかった。何で今頃になって言うんだよぉ!もっと早く教えてくれればいいのに!でもついにそこまで来たんだな、とも言えるわけで私の願いは着実に実を結んでいるわけだ。こうなったら面白い、やってやろうじゃないの。今年は年始からとにかく激しい幕開けだ。
2004年01月18日
新年から世間も身の回りでもいろいろあったけど、昨日もらった一通の手紙は天地がひっくりかえるほど震えた。 それは知り合いの死だった。ほぼ一方的な恋愛だったけど少しは付き合った間だったし、今も交流は続いていた。いろいろあって連絡などはしばらくとってなかったので久々に年賀であいさつを出したら主人からの直接の返事。 ?へんだな・・と思ったのだがまさか!しかもそれは実にむごい死だった。プラットホームから落ちての列車事故死だった。今年も子供と主人楽しい家庭を築いていくんだろうなと思っていた。幸せな生活のまっただ中だったのに・・・残された子供や旦那、家族のかなしみは想像を絶する。わたしも起こったことが余りにも大きすぎて放心状態だ。2月に菩提寺にお墓が出来るというので行って来ようと思う。 数年前、定期演奏会に来てくれて顔を見たのが最後となってしまった。演奏した曲がモーツァルト。皮肉にも同じ年代だ。なんで・・昨年もちゃんと東京でのコンクール招待しとけばよかった。その数日後に逝ってしまうなんて。。。大変とわかっていても私のプロの舞台を一度招待しておけばよかった・・・ このかなしみはもう涙であらうしか方法がない。涙・涙・涙今年は大変な一年になるな。もうそんな予感がする。彼女のために今度のライブは一曲こころをこめてさようならの曲を弾こうと思う。きっと私がこの世を去るとき、あの若いままの美しい姿のままの彼女が手をさしのべてくれるんだな、と思いたい。そのとき私がいつ去るのかはわからないが、ヨボヨボの姿ではなく出会った頃のままで会いたい。 紀野先生は気持ちも精神も身体も若いが、その理由は一つと言っている。先に行った若い仲間になんだおまえ、ふけてるなぁ!と言われないためだ。いつでも青春の若い血潮でギラギラ輝いていた自分を保つのだ。そして彼らの分もいき、無念に散った魂を鎮めるためにもシャキッと人生を謳歌しなくてはいけない。それはわたしに与えられた義務でもあるのだ。 わたしは頭では理解したつもりでいたが、彼女の死は全身にこたえた。紀野先生の言ってることが本当に一部であってもわかった。彼女はわたしにいろんな事を教えてくれたけど、最後の最後、ほんとうに最後になってもわたしにいきることを教えてくれた。 ありがとう。やすらかにわたしたちの世界を見守って欲しい。
2004年01月10日
今日は七草の日だった。ラジオで思いだした。最近伝統ある節目や行事に無頓着になってきた。これは余り褒められたことではない。もうすこし気持ちを敏感に研ぎ澄まさなくては・・。 ということで、今年のテーマ。鋭い感覚を身につけること。 年末年始ではがゆかった事・・私の元で一緒にギターをやりたいという人がいたこと。やっててよかったなと思った一駒だ。 何かにつけて中途半端にしか上達せず、嫌なことや苦しいことも多い中でやはり私なりにがんばりは必要且つ大切なんだなと改めて思った。よく周りから何であなたはそんなにバイタリティーがあるの?と聞かれることがある。何て事はない、そう見えるだけだ。 私の気持ちなど自分にしかわかるものか。正直なところ自分でさえ自分というものが見えてないのが現実だが、少なくともバイタリティーな人にあこがれるからこそ、そうありたいと努力している。 それが周りにいろんな形で私が見えるのであろう。それは一生続くであろう。今年も挑戦はつづく。
2004年01月07日
新年になって早くも4日が過ぎた。正月に旅?から帰ってきてゆっくり家でくつろげるかな・・と思ったがやること&子守でむしろ大変な年始になってしまった。 今日は初めてアトレーでドライブ。慣らし運転なのでのんびりとあおられながら遊んできた。う~ん・・やっぱりセドリックと違う。当たり前か!改めてセドリックの高級車とは比べものにならなかったが、その差を実感。でもそれなりに良かった。 明日から仕事始め。あさってから仕事だ。ああ、現実が・・・。やること多すぎの新年スタートである。
2004年01月04日
新しい一年が始まりました。今年も精一杯の自分をどこまで伸ばせるのか、頑張っていきたいと思います。 いつも全力。常に前進。後悔しない。あきらめない。一人一人に公平に幸せがつかめるよう、わたしも努力します。 哀しみを少しでも癒せる活動が出来るなら、やらしてもらいます。出来る範囲で・・・。良い年でありますよう、しあわせを掴み取って下さい。
2004年01月02日
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