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先週末は実家で片付けをしていましたが、隣の部屋で娘がピアノを弾いており、とても素敵な曲だったのです。後で「あれ何て曲?」と聞いたところ、「アニメのひぐらしのテーマ」ということでした。「ひぐらし」というのは、正確に言うと「ひぐらしのなく頃に」であり、単なるアニメではないようです。Wikipediaで調べると、『ひぐらしのなく頃に』(ひぐらしのなくころに、略称:ひぐらし・ひぐなく、英題:When They Cry)とは、同人サークルである07th Expansionが製作した同人ゲーム。また、これを原作とするドラマCD、漫画、アニメ、小説、実写映画作品であるということで、イマイチ要領が掴めませんでした。そして、テーマ曲は「島みやえい子さん」が作詞されたもので、youtubeで聴いてみたら全く別の曲でした。結局、色々調べたところ、「you」という曲が僕の求めるものでした。これは、『Thanks/you』という本作品に関連したCDに収録されており、「you」は『ひぐらし』の曲の中でも名曲と評判なのだそうです。因みに、歌っているのは「癒月(ゆづき)」さんという歌手です。色々、能書きばかり垂れましたが、聴いてみて下さい。とても良い曲です。バックに映るアニメの場面は、時として「おぞましい」ですが。この曲、カラオケで歌えるように練習しようと思います。 ☆ ひぐらしのなく頃に You (歌詞つき) こちらです。 ☆ ひぐらしのなく頃に You (合唱) こちらです。 ☆ ひぐらしのなく頃に You (オーケストラ) こちらです。 ☆ ひぐらしのなく頃に You (ピアノ) こちらです。
February 18, 2009
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今日は新たに投稿した訳でもないのに、普段の3倍くらいのヒット数がありました。思い当たる節がないので、あれこれ考えていましたら、「ひょっとしたら」という出来事が閃きました。実は今日、実質4回目を迎えた、都立中高一貫校の合格発表日だったんですね。丁度3年前でしたが、一足先に開校していた「白鴎」の他、新たに3校(千代田区立の九段を入れれば4校)の適性検査が実施されたのです。あの当時、このブログは教育問題をメインに運営しており、都立中高一貫校について適性検査問題の分析や、今後の動向に関して私論を発表していました。そのシリーズの初っ端がこちらです。また、総括シリーズも整理しましたが、「その1」が こちらにあります。素人が好きに書いたものですが、情報が少なかったこともあり、一番多い時には1日で2000ヒット以上ありました。今日の「小さな異変」は、恐らく「僕が何かそれに纏わることを書くのかな」という方が、ある種の期待(おこがましい表現ですが)を持って覗かれたのかも知れません。もし、そうであれば、何も書いてなくて申し訳ありません。今回は昨年末に大手術をしたこともあり、また、教育問題からも遠ざかっておりましたので、全く考えておりませんでした。とはいえ、興味を失った訳では決してありませんので、各校のHPを覗きつつ、散発的にはなりますが、幾つか書いてみようかと思います。その後、新たに何校かが開校されましたし、適性検査問題の変遷や、都立各校の状況等、気付いたことを纏めてみます。ゆっくりと、マイペースで参りますので、宜しく。
February 9, 2009
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最近、この曲に嵌っています。映画「U・ボート」のテーマ曲であり、嵌った理由は、無類のアップテンポ好みだからです。ミリタリーファンでもありますし。先ずは、「U・ボートのサントラ」でお試し下さい。作曲者は「クラウス・ドルディンガー」という人ですが、知りませんでした。この映画は1981年に公開され、日本では翌年1月に封切られましたが、僕自身はその存在を知るのみで、ビデオでも観ておりません。この曲を知ったのは偶然で、U・ボートならぬ"YOUTUBE"にてデニッツ元帥のことを調べているうちに、この秀逸な音楽と遭遇したのです。Wikipediaによると、「クラウス・ドルディンガーによるテーマ曲は、1991年にテクノ風にリミックスされヨーロッパを中心にヒットし、一時日本のテレビ番組でも採用された」とのことであり、こちらで鑑賞出来ます。それでは、今宵はこの辺で。
February 5, 2009
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タイムリミットの2月4日を見据え、週末は「寒中見舞い」の総数約200枚を仕上げました。昨夜は東京から9時半頃に帰着し、それから切手貼りを開始して、終わったのは日付が変わってからでした。コンビニで切手を纏めて購入したものの、シートのままなので、1枚毎に切り離すだけでも結構な手間でしたね。投函したのは今朝ですが、集配時間が一番早いポストを選び、「早く届け!」とばかりに思いを込めて送り出しました。今回は手術があったので、メールで連絡が付く人には事前に「年賀状は出せない」旨をお知らせし、「生還したら別途ご挨拶致します」と結びました。幸い生還でき、約束を果たせてほっとしています。知らなかった人は、「今年はどうしたんだろう?」と思っていたでしょうが、恐らく明日には届くであろう「寒中見舞い」を手にされて、吃驚されるケースが結構あると思います。また、一時期交流が途絶えていた人とも、これを機会に連絡を取り合ったケースがあり、手術のお陰で旧交が戻りました。結構な仕事量でしたが、手術による非日常も今回の「寒中見舞い」で、一先ず区切りが付いたように思います。仕事の方も、今週に入り本格的に回転し出したので、文字通り日常に戻った感じです。病院で進められた「青魚料理」ですが、今日は「鰯」がスーパーに並んでおり、大き目のものを6尾買い込んで、「トマト煮」を作っております。今、弱火でコトコト煮込んでいる最中で、これを書き終えたら火を止めて試食しましょう。明日・明後日はこれで楽しみます。明日の晩はこれをメインに、バグェットを齧り、ワインも少し戴こうかな。
February 2, 2009
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早いもので、1月も終わろうとしています。昨年末は大手術を控え、万一生還出来なかった場合を考えて年賀状は出さずにおりました。元気になったら別途ご挨拶するつもりであり、どうやらその時期が来たようです。先週水曜に職場復帰して以来、お陰様で元気に仕事しています。初日から手作り弁当を持参し、基本的に毎食自分で作ったものを食べています。病院では栄養指導があり、塩分とカロリーを控えることを言われました。推奨されたのが「青魚」であり、鰯のトマト煮でも作ろうかと思っていたのですが、生憎近所のスーパーには入荷が不定期で、未だに実現出来ません。仕方がないので、一昨日の晩は「さばのプロバンス風」でお茶を濁しましたが、田舎のスーパーのせいかズッキーニが置いてなく、若干物足りない出来上がりでした。挨拶状の方は、時期的に「寒中見舞い」が適当なので、「寒中お見舞い申し上げます」というスタイルで始まりますが、2月4日までに届かないと時期外れになるので、若干プレッシャーを感じています。それでも、今晩中に送付先を絞り込めましたので、明日と明後日で印刷を終え、週末に一筆添えて投函出来そうです。ささやかな拘りとして、「節分草」のカットを入れますが、こちらに添付しようと思ったら、ソフトの不調でIEがシャットダウンしてしまいました。残念ながら、画像なしでアップします。ではでは
January 27, 2009
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これを書くにあたり、もう一度オバマ氏の就任演説を聴いてみました。やはり、僕の心を捉えたのは昨日も引用した部分であり、それに先立ち「労働と誠実さ、勇気、フェアプレー、忍耐、好奇心、忠誠心や愛国心」という「古くから言われていること」の重要性を強調しているのが印象的でした。Our challenges may be new. The instruments with which we meet them may be new. But those values upon which our success depends - hard work and honesty, courage and fair play, tolerance and curiosity, loyalty and patriotism - these things are old. These things are true. They have been the quiet force of progress throughout our history. What is demanded then is a return to these truths. What is required of us now is a new era of responsibility - a recognition, on the part of every American, that we have duties to ourselves, our nation, and the world, duties that we do not grudgingly accept but rather seize gladly, firm in the knowledge that there is nothing so satisfying to the spirit, so defining of our character, than giving our all to a difficult task.我々の試練は新しいのかもしれない。それに立ち向かうための道具も、新しいかもしれない。我々が成功するかどうかは、労働と誠実さ、勇気、フェアプレー、忍耐、好奇心、忠誠心や愛国心にかかっている。古くから言われていることだ。だが、真実だ。それは歴史を進歩させた静かな力だった。今求められているのは、こうした真理への回帰だ。責任を果たすべき新たな時代だ。我々米国人一人ひとりが、自分自身や国家や世界に義務を負っていることを認識し、こうした義務を嫌々ではなく、喜んで受け入れることだ。私たちにとって、困難な仕事に全力で立ち向かうことほど、自らの性格を定義し、精神をみたすものはない。バラク・オバマという人物、正確にはアフリカ系米国人の両親から生れた訳ではなく、ケニア人留学生の父親と、白人の米国女性との間に生れた人です。幼くして両親が離婚したため、オバマ氏は母方の白人家庭で育ち、インドネシアで一時期暮した後、彼はハワイで私立の小中高一貫校にて学び、米国東部の大学を経て、最終的にはハーバード大学のロー・スクール(法科大学院)を卒業しています。そして、弁護士を経て政治家になったエリートでもあるのです。こう考えると、彼は恵まれた人物のようにも思うのですが、その彼にも人知れぬ苦労があり、それをバネに努力を重ねて来たのだ、ということを感じさせたのが昨日も引用した以下の部分です。This is the meaning of our liberty and our creed - why men and women and children of every race and every faith can join in celebration across this magnificent mall, and why a man whose father less than sixty years ago might not have been served at a local restaurant can now stand before you to take a most sacred oath.なぜ男性も女性も子供たちも、どのような人種、宗教の人々も、こうして就任式に集まることができるのか。なぜ男性も女性も子供たちも、どのような人種、宗教の人々も、こうして就任式に集まることができるのか。なぜ約60年前なら地元のレストランで給仕されなかった可能性のある男の息子が、こうして皆さんの前で宣誓式に臨むことができるのか。これこそが、我々の自由、我々の信条の意味なのだ。オバマ氏の聡明な人柄からは、差別的な扱いを受け、悲しく悔しい思いをしたことなど、およそ感じさせない雰囲気がありますが、「約60年前なら地元のレストランで給仕されなかった可能性のある男の息子」という言葉の中に、彼のハングリーな一面と、それに基づく強さを感じずにはいられませんでした。常に陽の当る場所にいた人が、「「労働と誠実さ、勇気、フェアプレー、忍耐、好奇心、忠誠心や愛国心」と幾ら訴えたところで、どれだけ聴衆の心を捉えるでしょうか。彼の前には全米から集まった200万人の人々がいたのです。氷点下の屋外で、人種を超え、老いも若きも、そして男性も女性も、多くの人々がオバマ氏の発する一言一句に食い入り、喝采を浴びせたのでした。オバマ氏とJFKは共通点が多いのですが、初の非ワスプ大統領(注:ワスプとは White Anglo-Saxon Protestant の頭文字をとった略語で、米国での白人のエリート支配層を指す語として造られ、当初は彼らと主に競争関係にあったアイリッシュカトリックにより使われていた)としてJFKが選出されたのが1960年であり、その48年後にアフリカ系大統領が誕生したことに、アメリカという国のダイナミックな底力と、社会の急速な進歩を感じずにはいられません。オバマ大統領の誕生を総括すると、「大統領として相応しい人物が、人種や皮膚の色を超えて、当然のこととして選出される時代が到来した」ということではないでしょうか。日本から、この就任演説をリアルタイムで見守った僕にとって、一番印象に残ったことは、厳寒の屋外で他の人達が分厚いコートで身を固める中、オバマ新大統領は唯一人スーツ姿で長時間寒さに耐えていたことです。それは、ある意味世界で最も責任ある、そして孤独な職務に就く人物が、無言の内に伝えて来た決意と、強固な意志を証明するメッセージだったのでしょう。
January 22, 2009
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昨夜は、職場復帰に先立って、オバマ新大統領の就任式を観ていました。書きたいことは色々あるのですが、明日の仕事を考慮して、ほんの触りだけ書いておきます。ABC放送のビデオはこちらで観られますが、心に残った部分のみ引用します。何れも最後の部分の一節です。<引用-1>What is required of us now is a new era of responsibility - a recognition, on the part of every American, that we have duties to ourselves, our nation, and the world, duties that we do not grudgingly accept but rather seize gladly, firm in the knowledge that there is nothing so satisfying to the spirit, so defining of our character, than giving our all to a difficult task.今求められているのは、こうした真理への回帰だ。責任を果たすべき新たな時代だ。我々米国人一人ひとりが、自分自身や国家や世界に義務を負っていることを認識し、こうした義務を嫌々ではなく、喜んで受け入れることだ。私たちにとって、困難な仕事に全力で立ち向かうことほど、自らの性格を定義し、精神をみたすものはない。JFKの名スピーチが想起されますね。"Ask not what your country can do for you. Ask what you can do for your country."<引用-2>This is the meaning of our liberty and our creed - why men and women and children of every race and every faith can join in celebration across this magnificent mall, and why a man whose father less than sixty years ago might not have been served at a local restaurant can now stand before you to take a most sacred oath.なぜ男性も女性も子供たちも、どのような人種、宗教の人々も、こうして就任式に集まることができるのか。なぜ男性も女性も子供たちも、どのような人種、宗教の人々も、こうして就任式に集まることができるのか。なぜ約60年前なら地元のレストランで給仕されなかった可能性のある男の息子が、こうして皆さんの前で宣誓式に臨むことができるのか。これこそが、我々の自由、我々の信条の意味なのだ。この太線部分に、ジーンと来るものがありました。
January 21, 2009
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さて、その後、僕の方は順調にリハビリが進み、医師の了承が得られたので明日から職場復帰致します。本当は月曜からの予定でしたが、風邪を引いたので二日延ばしました。昨日は昼過ぎの新幹線で名古屋に向かい、単身赴任先のアパートには3時過ぎに帰着した次第です。丁度1ヶ月の不在でしたが、室内は何事もなく時間が経過していたようで、スンナリと「僕の日常」に戻れました。当面の問題は、胸骨が完全にくっつくまで車の運転が出来ないことです。通常の運転なら問題ないのですが、咄嗟の急ハンドルでは瞬間的に物凄い力が胸部に掛かり、手術で切断した部分が外れてしまう可能性があります。最悪のケースとして、正面衝突でもしたら胸がハンドルで押し潰され、骨が心臓に突き刺さって「一貫の終り」です。また、同じ理由で重い物を持ち上げたり、力仕事が出来ません。僕の居所は主たる暖房が石油ストーブですが、灯油は18Lのポリタンクでガソリンスタンドにて購入しています。車で買いに行くのが前提で、しかも室内には車から降ろして階段を持って上がる必要があります。これは無理ですから、近所のGSで5Lくらいずつ小分けで買って来るしかありません。まあ、会社の同僚に協力を頼んで、この問題は解消されると思いますが。そんな訳で、明日からの職場復帰も予定通り進み、僕個人としては通常の生活に戻って行けそうですが、我家には新たな問題が発生しました。実は、正月の2日に、母が脳梗塞で倒れ、救急車で入院したのです。幸い、軽くて済みましたが、元の生活には戻れませんので、可能な限り日常生活が自分で出来るよう、当面は病院でリハビリを続けることになりました。その間、我々は自宅の部分リフォーム等、受け入れ態勢を整えることになります。母は、80歳の今日まで、入院などしたことのない丈夫な人でしたが、やはり老齢には勝てず、内包していた問題が一番弱い部分に出てしまったということでしょう。それと同時に、僕自身にも、老齢に達した親に対し、本格的な面倒(=介護)を見るべき時期が到来した、ということだと思います。当面、僕は名古屋での勤務が続きますので、家内に負担を掛けてしまいますが、前向きに取り組んでくれておりますので、家内には本当に感謝しています。我家にも、新たな生活が始まり掛けています。今年一年は、それに向けて着実に進んで行かねばなりません。その中にあって、新たな気持でブログを綴ってみようと思っています。
January 20, 2009
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皆様、新年おめでとうございます。今年も宜しくお願いします。お陰様で、心臓の手術も無事に終わり、回復も極めて順調で12/28(日)の午後、手術から僅か5日後に退院出来ました。手術の成功については、友人のkeizoさんが報じて下さいましたので、このブログを通じて色々な方にお知らせすることが出来ました。ブログの使い方も色々あるものだと、我ながら再認識した次第です。今回の手術は、朝8時から午後3時頃まで掛かり、その間人工心肺で生命を維持しつつ、心臓を摘出して患部を形成し、再度体内に戻すという大手術でした。集中治療室で意識が戻ったのが夕方で、家族と言葉を交わしたのを覚えています。胸部の真中を上下に30cm以上切開した訳ですが、術後の痛みは覚悟した程でもなく、経過も順調だったので翌日午後には普通病棟に戻りました。早速リハビリが始まり、病棟一周90mを歩かされました。翌日は3周となり、その翌日はリハビリ室で自転車を10分漕がされました。食事も3日目から普通食になり、毎回完食して回復に努めました。そんな訳で、病院側からも「前例がないくらい順調で早い回復」と言われ、術後5日で退院と相成りました。とはいえ、帰宅時点では体力低下がもの凄く、PCに向かい10分もするとグッタリする状況で、もっと早く投稿したかったのですが、今日まで延ばしました。当面は、毎日少しずつ散歩の量を増やしたりして、只管体力回復に専心して参ります。そうこうする中、お陰様で、家族と一緒に正月を迎えることができました。今回の一件は、ある意味で家族の絆を再認識する出来事だったと思います。また、多くの方々の励ましのお陰で心強く手術に臨めたと思います。御声援ありがとう御座いました。職場復帰は1月後半になると思いますが、それに合わせ、皆様へのお礼も含めて諸事に対応して行くつもりです。そんな訳で、今回はこの辺で失礼致します。
January 4, 2009
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皆さん、こんにちは。渚のバラードさんの友人の名古屋市在住のkeizoと申します。渚のバラードさんとは、このブログでも話題となった橋本裕さんのHPや掲示板を通じて知り合いました。渚さんのご勤務先と近所だということもあって、親しくお付き合いをさせていただいております。さて、先にもご本人から告知されているとおり、渚さんは本日、東京聖路加病院で、心臓の手術を受けられました。その件について、先ほど奥様からお電話をいただきました。手術は順調に終わり、現在は意識も戻り大成功だったご様子です。本当におめでとうございました。またご本人から経過報告などがあると思いますが、ご心配いただいた方々、暖かなメッセージをいただいた方々にくれぐれもよろしくとのことでした。それではみなさん、よいお年を!!
December 23, 2008
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お久し振りです。前回の投稿(5/20)から半年以上が経ちました。この間、実は「中小企業診断士」の国家試験にチャレンジしており、「ブログ断ち」しておりました。お陰様で、8月の1次試験は合格しましたが、10月に行われた難関の2次試験は先日発表があり、結果は、力至らず不合格でした。来年に向けて、捲土重来を期すことと致します。さて、そのような日々の中で、つい先日、素晴らしい歌に巡り会いました。KOKIAさんが歌う、「ありがとう・・・」という曲です。50男の僕が知らなかっただけですが、本当に素晴らしい。因みに、KOKIAさんというのは、本名:吉田亜紀子(よしだ あきこ)さんが逆立ちしたもののようです。先ずは、この歌をお聴き下さい。そして、歌詞を味わって戴きたいと思います。------------------------------------ 「ありがとう・・・」 作詞・作曲:KOKIA 誰もが気づかぬうちに 何かを失っている ふと気づけばあなたはいない 思い出だけを残して せわしい時の中言葉を失った 人形たちのように 街角に溢れた野良猫のように 声にならない叫びが聞こえてくる もしももう一度 あなたに会えるなら たった一言 伝えたい ありがとう ありがとう 時には傷つけあっても あなたを感じていたい 思い出はせめてものなぐさめ いつまでもあなたはここにいる もしももう一度 あなたに会えるなら たった一言 伝えたい ありがとう ありがとう もしももう一度 あなたに会えるなら たった一言 伝えたい もしももう一度 あなたに会えるなら たった一言 伝えたい ありがとう ありがとう 時には傷つけあってもあなたを感じてたい------------------------------------これで書き終えれば、気に入った曲の単なる紹介に過ぎないのですが、今回、僕にはお伝えすべき、もう一つのメッセージがあるのです。実はこの年末、僕は心臓の手術を受けることになりました。とはいえ、命懸けの大手術ではありませんが、トータル5時間を要し、途中で一旦人工肺・人工心臓に切り替えるため、盲腸の手術のようには参りません。まあ、1%くらいの確率で、生還出来ないこともあるようですが、それほど運が悪いとも思いませんので、淡々と構えております。そんな時、この曲と巡り会いました。きっかけは、サラ・ブライトマンの"Time To Say Goodbye"を聴いていたら、KOKIAさんも同名の"Time To Say Goodbye"(KOKIA)を歌われており、これから「ありがとう・・・」に繋がりました。僕が惹かれたのは次の一節です。 もしももう一度 あなたに会えるなら たった一言 伝えたい ありがとう ありがとう決して「死ぬ」などと考えておりませんが、50代の人間として、僅かながらも「死ぬかも知れない」という現実に直面するのは初めてであり、我が人生にとって一つの大きな転機には違いないのです。そんな時、「ありがとう」という言葉を通して、お世話になった全ての人達への万感の思いが、何時の間にか僕に押し寄せていたのでしょう。月並みな感傷のようですが、自分なりに歳月を重ねた末に辿り着いた境地なのかも知れません。入院は丁度1週間後です。クリスマス直前に手術を行い、経過が良ければ年内に退院出来るということで、新年は家族と迎えられることもあり得ます。そんな訳で、再開したブログも再び中断しますが、新年早々、PCに向き合えるようになれば直ちに、新年の御挨拶を投稿致します。正月が明けましたら、適当な頃合に当ブログを覗いて下さいませ。2008年も後もう少しですが、ここへ来て円が88円/ドルと高値を更新しております。2009年は波乱の年となりそうですが、皆様におかれてはお体を大切に、良いお年をお迎え下さいませ。2008.12.12 渚のバラード
December 12, 2008
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皆様お久しぶりです。今回は、最近知った映画をご紹介させて戴きます。君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956です。詳しくはYOUTUBEで御覧戴けますが、1956年のハンガリー動乱を舞台に、学生運動の女性闘士と五輪水球選手の悲恋を画いた歴史フィクション作品です。2006年の作ですから、動乱50周年記念だったのでしょう。1956年というのは、僕がまだ幼稚園に入園した頃ですが、戦後の歴史は東西冷戦を激化させつつ進んでいたのです。メルボルン五輪(1956)では、水球の準決勝でハンガリーとソ連(当時)がぶつかり、五輪史上に残る流血の試合となりました。後年、記録映画で観ましたが、ハンガリーの選手が殴られて、目の周りから血を流しているシーンが衝撃的でした。この時、ハンガリーチームは金メダルをもぎ取り、ソ連に蹂躙された祖国の名誉を晴らしたのですが、表彰式に流れるハンガリー国歌が物凄く感動的でした。(実は、時を同じくして女性闘士は処刑されるのですが、女性ばかりの監房の中で彼女等が口ずさむ国歌が響き渡るのです。これが厳粛な雰囲気を醸し出し、最後のシーンを盛り上げているのです) そんな訳で、このところ色々な国の国歌を聴き比べていましたが、お薦めを10ヶ国ばかり紹介させて下さい。ある人の素晴らしい発言の中に、「自分の国のことを悪く言う人は嫌い」というのがありましたが、そのとおりです。特に、日本人ほど自虐的な国民は他に類を見ないのではないでしょうか。自国の国旗と国歌に敬意を表さない人は、真の国際人ではないと思います。どの国の国歌も、その国の文化と歴史を背景に、感動を呼び起こす要素があるなと思いました。有名なものは省略しましたが、僕の好みでお聴き下さい。1.ハンガリー国歌 オーケストラと合唱での格調高い演奏です。2.スウェーデン国歌 シンプルな中にも、北欧の歴史と伝統を感じます。3.フィンランド国歌 どこかアジア的な雰囲気の、牧歌的な感じがします。4.ポーランド国歌 歴史的にドイツやロシアに蹂躙されて来た小国ですが、芯の強さが感じられます。5.オランダ国歌 王国の伝統と気品が感じられる曲です。6.カナダ国歌 一転して現代的な曲です。アカペラ曲も素晴らしいです。7.オーストラリア国歌 元は"God Save the Queen"が国歌でしたが、独自の国歌が生れました。8.イスラエル国歌「希望(Hatikvah)」 TV映画「ホロコースト」で歌われておりました。ワルソーゲットーの蜂起において、絶望的な状況でも彼等は「希望」を失わなかったのです。9.南アフリカ国歌 映画「遠い夜明け」で歌われていた「アフリカの歌」が原曲です。10.大韓民国 苦難の歴史を背景にした「愛国歌」です。ジーンと来るものがありますね。皆様は何曲知っていましたか?
May 20, 2008
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"I'm Dreaming of Home"については、2/24付で"I'm Dreaming of Home"は御存知?(映画「戦場のアリア」より) として書きましたが、最近、ある知人(残念ながら男性です)とこの曲を巡り、とても心温まる交流がありました。その際、歌詞の全訳を施すこととなり、拙いながらも自分で言葉を選びました。出来栄えは別として、原詩は素晴らしいものですから、こちらにも拙訳を残すこととしました。曲はこちらで聴けます。I'm Dreaming of Home 故郷を夢見てI hear the mountain birds 故郷の山には懐かしき小鳥たちの声がThe sound of rivers singing そして、川からは流れゆく水の音(ね)がA song I've often heard 幼き頃から親しみ溢れる歌声よIt flows through me now 斯くも清らかに、明るくもSo clear and so loud 僕の中に流れる調べよI stand where I am 今、僕は遠く離れた戦地に佇むAnd forever I'm dreaming of home そして、いつまでも故郷に思いを馳せるだろうI feel so alone, I'm dreaming of home とても淋しくて、僕は故郷を夢見るIt's carried in the air その調べは、早朝の爽やかな風に運ばれてThe breeze of early morning 僕のところに響き渡るI see the land so fair 僕の前には、美しき故郷の大地が広がりMy heart opens wide 僕の胸は、故郷への募る思いで満たされるThere's sadness inside 一抹の悲しみを包んだ思いで.....I stand where I am 今、僕は遠く離れた戦地に佇むAnd forever I'm dreaming of home そして、いつまでも故郷に思いを馳せるだろうI feel so alone, I'm dreaming of home とても淋しくて、僕は故郷を夢見るThis is no foreign sky 故郷を思う僕に、この空は異郷ではないI see no foreign light 僕が見ているのは異郷の光ではないBut far away am I けれど、僕は遠く離れた戦地に佇んでいるのだFrom some peaceful land 何処か知らぬ平和の地に立ってI'm longing to stand 故郷を思う日の到来を願うA hand in my hand 愛する女性(ひと)と手を繋ぎつつ...forever I'm dreaming of home ....いつまでも故郷に思いを馳せるだろうI feel so alone, I'm dreaming of home とても淋しくて、僕は故郷を夢見る
April 5, 2008
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今日、ある知人から訃報が届きました。亡くなられたのは、当ブログからもリンクを張らせて戴いている「橋本裕文学・人生World」の主催者、橋本裕氏(ペンネーム)であり、僕より1歳年上の先輩でした。橋本氏との出会いは、丁度6年前であり、「キューリー夫人」のことを調べている過程で氏のHPと遭遇し、一気に常連となりました。この辺の模様は、拙HPに「秋の夜長」(執筆 2002年10月27日)として書いておりますが、初めてお会いして色々語り合った時のことは今でもはっきりと覚えています。氏は県立高校の数学教諭でいらっしゃいましたが、それ以上に、豊かな「自分の世界」を持っておられた「知の巨人」でもありました。所謂学者ではありませんが、色々な分野に知的好奇心を巡らせ、普通の個人が到達出来る最高レベルの「知の世界」を常に拡張していらっしゃいました。氏の生き方は、お金に頼らずとも、人間は斯くも豊かな人生が送れるのである、という事実を淡々と実証されていたように思います。誠に遺憾ながら、氏とは政治的スタンスが全く違うため、シリアスなテーマでは常に意見が対立しましたが、僕の考えを真っ向から受け止めてくれた方でもありました。そうした状況の中で、小泉前首相の郵政選挙以来疎遠になり、直接的な遣り取りが殆どないまま今に至っておりましたが、氏のHPは毎日欠かさず訪問しておりました。二人のお嬢様を社会に送り出し、定年を数年後に迎えつつ、このところは豊かな「第二の人生」を語る日記が続いていました。この2年ほど、毎年夏休みにはセブ島の英語学校に行かれ、英語を学ぶと同時に、定年後は東南アジアで日本語を教えようという夢を育んでおられました。世界一周の旅も企画されており、その構想はずっと以前から固まっておりました。現役の人生を精一杯生きて来られ、いよいよ待ち焦がれていた「第二の人生」のカウントダウンが始まっていた矢先、氏は昨日名古屋市内で倒れ、救急車で病院に運ばれました。駆けつけられた奥様とは、言葉を交わすことが出来た模様ですが、昨夜未明に帰らぬ人となりました。氏の遺作は、2008年03月12日(水)付の「知の巨人、アルキメデス」となりましたが、古代ギリシャの「知の巨人」を書いて終わったことも何かの因縁のように思います。明日、氏の通夜が行われますが、幸い御焼香出来る時間が作れましたので、故人を謹んでお悔やみして参る所存です。本当に残念な出来事であり、人生の不条理を痛感させられた晩でした。
March 13, 2008
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昨夜、封切り日のナイトショウでこの映画、「明日(あした)への遺言」を観て来ました。2/9付で明日への遺言-岡田資陸軍中将の生涯を書いておりますので、映画自体の解説は省き、今回は感想のみに致します。映画は、画家パブロ・ピカソの名作「ゲルニカ」の描写から始まり、20世紀に入ってから航空機が兵器となり、一般市民を巻き込んだ「無差別爆撃」が戦争に付き纏うようになった背景を物語っております。これを戦争犯罪として位置付けることから、岡田中将の「法戦」が始まったのです。日本の戦争は昭和20年8月15日の「玉音放送」により、事実上の終結を見ましたが、一部の人達は、戦争中の行為が問題となり、戦犯として別の戦いが始まったのです。人間には巡り会わせがあり、その時その立場にさえ置かれなければ、普通の市民として平和に暮らし、天寿を全う出来たのですが、時として運命は不条理な巡り会わせを齎します。岡田中将は昭和20年2月に東海軍司令官を拝命し、B29の爆撃に晒される名古屋市を中心に、東海地区の防衛と戦時下における市民生活の維持に忙殺されておりました。空襲に来て撃墜されたB29の搭乗員への対応も、東海軍の内部で処理せざるを得ず、無差別爆撃で夥しい数の一般市民を殺傷した搭乗員に対し、戦争犯罪の実行者として処罰したとしても、強ち不適切な対応ではなかったと思います。勿論、この行為に対し「非人道的」という論評を下す人もいるでしょうが、それはあまりにも当時の状況を無視した場違いな発言だと思います。処刑された38名の内、11名は裁判に付され、残りの27名は略式裁判で死刑にした模様です。これを取り決めるプロセスにおいて、岡田中将は法務担当の部下(注:少将で戦後自殺)に法務上の検討を命じ、その結果に基づき、司令官として自分の責任で処刑を命じています。上級司令部にお伺いを立てる道が無かった訳ではありませんが、戦時下の混乱の中で、そんなことをするのは現実的ではなく、任地司令官としてベストを尽くしたと受け止めるのが妥当ではないでしょうか。同じ軍人でも、戦後になって保身に走る者が多数現れたようです。東海軍における搭乗員処刑に関しては、終戦後のどさくさの中、まだ解体されない軍組織の中で事情聴取が行われ、旧陸軍法務局の要員においては自分達の責任逃れから、方面軍において軍律違反の形で処刑が行われたという報告書が作成され、進駐軍に提出された模様です。岡田中将等、現場にいた当事者達は、味方にも裏切られた形で戦犯法廷に立たされたというのが実態のようです。無差別爆撃の生き地獄の中、パラシュート降下して来た米搭乗員達に対し、被害を受けた日本人や兵士達が憎悪を抱いていたのは、これまた人間の真実であり、処刑を実行した軍関係者達にも、「処罰」以外に「報復」の感情が無かった訳ではありません。但し、無差別爆撃がルール違反だったことも事実であり、米搭乗員達も良心の呵責に苦しみつつ爆撃に来た訳でもない筈です。結局、全ては戦争という悲劇と不条理の中で、一個人は運命に翻弄され、一番弱い立場の者が最後に裁かれたということなのです。その中にあって、岡田中将の態度は立派であり、指導者として一切の責任を背負い部下を守り通したのです。中将の人格は法廷に居合わせた全ての人を包み込み、裁判長や検察官からも「助け舟」が示されましたが、中将は潔くそれを拒絶しました。あの当時の一部の将官には、「武士道」が生きていたのでしょう。この映画は、戦争という時代背景を超えて、不条理に直面しても、「人間として如何に生きるか」という問題を我々に伝え、それこそが岡田資という人物からの「明日への遺言」なのだと思います。皆様もぜひ、御覧になって、岡田中将の志を感じ取って戴けたら幸いです。
March 2, 2008
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最近、この曲"I'm Dreaming of Home"が気に入って耳から離れません。映画「戦場のアリア」のテーマ曲といって宜しいと思います。映画の解説は、オフィシャルサイト(英文)とこちらを参照願います。そして、曲はこちらでお聴き下さい。第一次大戦が始まり、最初の年(1914年)のクリスマスイブを迎えた時、塹壕の中で相対峙する英仏軍とドイツ軍の兵士達は、この日だけ休戦に合意し、共にクリスマスを祝うのです。この曲は、故郷に家族を残し、個人の思いとは別のところで戦場に送られた兵士達の心情を、静かに訴えています。そして、歌詞がとても素晴らしいのです。I'm Dreaming of Home"I hear the mountain birdsThe sound of rivers singingA song I've often heardIt flows through me nowSo clear and so loudI stand where I amAnd forever I'm dreaming of homeI feel so alone, I'm dreaming of homeIt's carried in the airThe breeze of early morningI see the land so fairMy heart opens wideThere's sadness insideI stand where I amAnd forever I'm dreaming of homeI feel so alone, I'm dreaming of homeThis is no foreign skyI see no foreign lightBut far away am IFrom some peaceful landI'm longing to standA hand in my hand...forever I'm dreaming of homeI feel so alone, I'm dreaming of home"
February 24, 2008
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さて、(その2)では、この種の問題に出会った時の対処の仕方について考えてみましょう。問題の詳細は同校HPの「適性検査」ページを御覧戴きます。また、設問の要約を再度記載しておきます。<大問2-問題5:要旨>11から50までの全ての整数を、個別に入力して電卓で和を求めていたが、途中で2回「+」キーを押さなかったので、答が10031となった。本来の答は1220だが、押し忘れはどの数とどの数の後で起こったか答えよ。但し、解答は一通りではないので、どれか一組を答えること。-------------------------------アプローチの仕方は、僕が思うに二通りあります。要するに、鍵となる法則を素早く発見すれば良いので、簡素化します。方法1.10の倍数の利用 → 1の位の計算を省略できる。例えば、20と30の後で「+」キーを押し忘れたとする。この場合、合計=11+・・・・+2021+・・・・+3031+・・・・+50となる。正規の合計1220を用いると、合計=1220+2000+3000-20-30=6170となる。 従って、間違いの合計-正規の合計=6170-1220=2000-20+3000-30 これは (20+30)*99=4950 となり、二つの合計の差を99で割れば二数の合計が求まることが判明する。方法2.小さい数の狭い範囲を利用 → 計算の大幅な簡略化ができる。例えば、1から5までを電卓で足して行く場合、2と4の後で「+」キーを押し忘れたとする。正規の合計は15だが、間違いの合計は1+23+45=69となる。また、69=15+20+40-2-4となるので、二つの合計の差を考える。 69-15=20-2+40-4=2*(10-1)+4*(10-1)=(2+4)*9=54これより、押し忘れの前の数の和を9倍すると、二つの合計の差になっていることが分かる。このケースは1桁の数で単純化した訳だが、2桁の数では9倍ではなく99倍になるという見当が付く。-------------------------------従って、この問題の答えは次のようになります。<解答例>両方の合計の差=10031-1220=8811この差は、「+」キーを押し忘れた前の数の和を99倍したものに等しい。8811÷99=89 となる。11から50までの間で和が89になる数の組合せは、(39,50)、(40,49)、(41,48)、(42,47)、(43,46)、(44,45)の6とおりあるが、(44,45)は連続した数なので除外する。(押し忘れが1回しか生じなくなるため)また、(39,50)は50の後で「+」キーを押さないので、こちらも除外する。従って、上記残り4組のどれかが答えてあれば正解となる。 例:40と49-------------------------------次回は小石川の問題を検討してみましょう。
February 17, 2008
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都立中高一貫校の入学適性検査も無事終了したようですが、今年は3回目となり、各校のカラーも少しずつ鮮明になって来たようです。一昨年はシリーズで取上げましたが、今回は何校かの適性検査問題を取上げてみます。最初に桜修館の問題を取上げますが、この学校は小石川のような注目度はないものの、「論理力の育成」を理念に掲げ、毎回スマートな問題が出ております。詳細は同校HPの「適性検査」ページを御覧戴きますが、適性検査の最後の設問につき解説を加えてみます。<大問2-問題5:要旨>11から50までの全ての整数を、個別に入力して電卓で和を求めていたが、途中で2回「+」キーを押さなかったので、答が10031となった。本来の答は1220だが、押し忘れはどの数とどの数の後で起こったか答えよ。但し、解答は一通りではないので、どれか一組を答えること。この問題、難易度から言えば御三家クラスには及ばないと思いますが、中々ユニークです。切り口が分からないと、頭を抱えてしまうでしょう。しかも、45分間の適性検査で最後の問題ですから、正解者は非常に少なかったのではないでしょうか。まあ、7割取れれば合格圏内に入っていると思われますので、出来なくても大勢に影響はなかったと思います。では、そのポイントを整理しましょう。-------------------------------ポイント-1. 例えば、18と19の間で「+」キーを押さなかった場合この数付近での和は、「・・・・+17+1819+20+・・・・」となり、「19」は加えられるが、「18」は加えられず、その代わりに「1800」が加えられたことになる。同様のことが、もう1ヶ所で起きている。ポイント-2. 押し忘れの場所が分かっている場合、合計は?もう1ヶ所を例えば32と33の間で起きたとすると、「33」は加えられるが、「32」は加えられず、その代わりに「3200」が加えられたことになる。この場合、合計=1220+1800+3200-18-32=6170 となる。ポイント-3. 本来の合計(1220)と、間違えた合計(6170)の関係は?両者の差を取ってみると、6170-1220=1800-18+3200-32となる。これは更に、18*(100-1)+32*(100-1)=(18+32)*99となる。ここまで解明出来れば、もう8割方解けたも同然であって、「両方の合計の差は99の倍数であり、その商は押し忘れた前の数の和に等しい」、ということである。-------------------------------従って、この問題の答えは次のようになります。<解答例>両方の合計の差=10031-1220=8811この差は、「+」キーを押し忘れた前の数の和を99倍したものに等しい。8811÷99=89 となる。11から50までの間で和が89になる数の組合せは、(39,50)、(40,49)、(41,48)、(42,47)、(43,46)、(44,45)の6とおりあるが、(44,45)は連続した数なので除外する。(押し忘れが1回しか生じなくなるため)また、(39,50)は50の後で「+」キーを押さないので、こちらも除外する。従って、上記残り4組のどれかが答えてあれば正解となる。 例:40と49-------------------------------次回(その2)では、この種の問題への対応方法を書いてみます。
February 16, 2008
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今週末は、名古屋で過ごします。そんな金曜の晩、近所のシネコンで「母べえ」をナイトショウで観て来ました。上映開始が21:15でしたから、ゆっくり出掛けましたが、席は本当にガラガラで、こんな良い映画なのに、ちと淋しい感じがしました。映画そのものは、こちらの公式サイトを御覧戴くとして、感想を何点か述べてみようと思います。山田洋次監督が、「母べえ」たる母親役には「この人しかいない」と決め込んだだけあって、主演の吉永小百合さんの「母べえ」は本当に嵌っておりました。僕も「この人しかいない」と思います。世に阿ることなく、自分に忠実に生きるドイツ文学者の「父べえ」(板東三津五郎)は、昭和15年2月の夜半、突然踏み込んで来た特高(特別高等警察)に逮捕され、その後2年の獄中生活を経て、昭和17年の1月に獄死します。代用教員を続けながら、二人の娘を育て、一家を支える「母べえ」には、限りなくしなやかな強さを感じました。獄中の「父べえ」と家族を結んでいたのが、検閲で黒く塗り潰された手紙でした。二人の娘達は、せっせと日常を書き綴っていましたが、女学生の長女「初べえ」は学校で苛められ傷付き、「もう、『私は元気です』なんて手紙は書けない」と、辛い心情を吐露します。それに対し「母べえ」は、「いいのよ。ありのままを書きなさい。父べえも本当の気持を聞かされた方が良いと思うの」と、長女の気持を優しく受け止めました。「お父さんを心配させてはいけない」と言っても、決して不自然ではない状況ではありますが、本当のことを書かせる「母べえ」には、限りなく深い家族への愛情と、強い信頼に裏打ちされた「父べえ」との絆を感じずにはおれませんでした。そして、「お上」の意向が絶対だったあの時代に、「父べえ」の教え子「山ちゃん」(浅野忠信)や隣組の人達から温かい支援が受けられたのも、「母べえ」の人柄だったのでしょう。この、「母べえ」を慕っていた「山ちゃん」にも赤紙が来て、出征先の満州から南方に送られる途中、輸送船が雷撃されて戦死したのです。また、二人の娘を見守り、「山ちゃん」が好きだった「父べえ」の妹「久子さん」も広島で被爆し、戦後間もなく息を引き取りました。「母べえ」の一家も東京の空襲で逃げ惑い、死線を彷徨ったのかも知れませんが、そういう場面は出て来ずに映画は終戦後から現代に飛び、「母べえ」の臨終の場面で終わります。中学で美術を教える二女「照べえ」(実は原作者の野上照枝さん)は、学校から病院へ駆けつけますが、「死んでから父べえに会いたくない。生きて一緒に暮して欲しかった」という言葉に、気丈な「母べえ」がどれだけ「父べえ」を愛し、理不尽な別離に憤っていたかを改めて知らされました。人生は時に不条理であって、ささやかな家族の幸福も、一方的に引き裂かれてしまいます。そして、残された者達は感傷に浸ることも許されず、生きて行かねばなりません。その中でしなやかな芯の強さを内に秘めつつ、優しい母親として生きて来られた「母べえ」と、「母べえ」を完璧に演じられた吉永小百合さんに心から拍手を送りたいと思います。
February 15, 2008
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今週末は東京におりますが、今日は都心に出掛けました。東京メトロの某駅で、図らずも映画「明日(あした)への遺言」のポスターに出会い、藤田まこと氏演ずる岡田資(たすく)陸軍中将の「法戦」シーンに思わす足を止めました。この映画、「明日(あした)への遺言」は来る3月1日(土)に全国で封切られますが、僕は今を去る20数年前、原作「ながい旅」(大岡昇平)を読み、感涙に咽んだことがあったのです。簡単にストーリーを申しますと、岡田中将は昭和20年2月、名古屋を中心とした地域の防衛に当たる東海軍管区司令官を拝命し、敗色濃い戦局の中、任務に励んでおられました。その頃から米B29大編隊の爆撃は、軍事施設のみならず一般市民をも襲い、これは「無差別爆撃」を違法とした国際ルールに違反するものだったのです。(但し、無差別爆撃は日本も中国で行っており、米国のみを非難することは妥当ではありません)こうした中で、撃墜されたB29搭乗員30数名は、無差別爆撃による一般市民殺傷の罪により、略式裁判を経て東海軍の手により斬首されたのです。このことが、戦後「捕虜虐殺」として訴追され、岡田中将は自ら全責任を負って処刑されたのですが、その戦犯法廷において、中将は「無差別爆撃」の非道を切々と訴えました。勝者の裁判において、公正な判決は望むべくもありませんでしたが、中将はこれを「法戦」として捉え、主張すべきことは堂々と訴えたのです。こうした中将の態度は、敵味方の区別なく、法廷に居合わせた全ての人に感銘を与え、判決こそ死刑だったものの、米軍検察官をしてまで助命嘆願に駆り立てたのでした。残念ながら、捕虜処刑の責任を一身に背負った中将を救うことは困難であり、昭和24年9月17日の深夜、中将はスガモプリズンの刑場にて59歳の生涯を遂げたのでした。僕は祖父が職業軍人だったこともあり、軍人の生き方には関心が深いのですが、無謀な戦争に国民を引き擦り込んだ国賊的軍人もいた中で、岡田中将をはじめとする素晴らしい人物が大勢いらしたことに救われる思いが致します。昨年は「硫黄島からの手紙」で栗林中将のことを書きましたが、今回岡田中将を書けて、とても嬉しく思います。先月、僕は所用で池袋に出掛け、サンシャイン60に参りましたが、あそこはスガモプリズンの跡地なのです。一角には公園があり、かって刑場のあった場所には記念碑がひっそりと建っています。その場所に僕は一人佇み、戦争という不条理の中、己の欲せざる役割を果たしたことで、刑場の露と消えて行かれた方々の無念を偲びました。
February 9, 2008
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都立中高一貫校の入学検査があったのですね。生憎の雪で、多少の混乱はあったのでしょうが、無事終了したものと思われます。2年前には前身の拙ブログにて、都立中高一貫校の発足と受検の状況につき、素人ながら連載を書きましたが、今回はこの件につき簡単に触れてみます。まず、今回の志願状況ですが、こちらで御覧下さい。また、参考までに昨年の同じ内容の日記をこちらに表示します。今年の特記事項は、新たに二校(立川国際、武蔵)が開校したことであり、千代田区立の九段を加えると、全部で7校になりました。2007/2006の募集人員と志願者数、倍率は以下のとおりです。【男子】 2007年 2006年 【女子】 2007年 2006年小石川 80/769 9.61倍 80/961 12.01倍 80/664 8.30倍 80/946 11.83倍両国 60/555 9.25倍 60/608 10.13倍 60/610 10.17倍 60/687 11.45倍白鴎 72/456 6.33倍 72/360 5.00倍 72/695 9.65倍 72/541 7.51倍桜修館 80/495 6.19倍 80/641 8.01倍 80/711 8.89倍 80/903 11.29倍九段B 40/437 10.93倍 40/422 10.55倍 40/520 13.00倍 40/466 11.65倍簡単に総括しますと、新設二校は別として志願者数、倍率ともに低下しています。これは初年度に予想した、「冷やかし受検」が減るから倍率は下がるだろう、のとおりになりました。劇的に低下したのが両国であり、昨年の9.71倍から6.67倍になっています。(男女ト-タル)その一方で、新設二校は双方とも約15倍であり、今まで都立一貫校がなかった地域であることと、初回だから「あわよくば」というケースもあったのではと思います。発表は2/9とのことですが、合否はともかく、12歳の春に経験したことを今後も活かして行って欲しいと思います。明日以降、各校の検査問題を眺めてみることと致しましょう。
February 3, 2008
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時間がないので、ほんの少しだけ、この映画を紹介します。明後日1月26日(土)から封切られるこの映画は、山田洋次監督、吉永小百合主演の秀作です。時代背景は昭和15年、そう、戦争の始まる少し前、文学者だった御主人(板東三津五郎)は反戦を唱えたことで検挙され、吉永小百合演じる夫人が二人のお嬢さんを抱えて、周囲の励ましを頼りに健気に生きて行かれるというストーリーです。原作は野上照代さん。この方は黒澤明監督の下で、長らくスクリプターを務められた方だそうです。そして、これは野上さん御自身の実話でもあります。詳しくは公式サイトを御覧下さい。この映画、観たら日記に書くつもりです。それでは。
January 24, 2008
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昨年末から、コブクロへの注目度が鰻上りですが、レコード大賞に輝いた「蕾」は素晴らしいですね。これに引き続き、新曲の「蒼く優しく」も、これまた秀逸です。そして、今春の選抜高校野球大会の行進曲は「蕾」に決まりました。彼等のデビューは10年前だそうですが、僕が彼等を知ったのは最近です。この間の事情はこちらに書きましたが、今更ながら、彼等の実力には脱帽です。この年末・年始はコブクロばかり聴いていましたが、僕が彼等に魅せられた理由にふと気付きました。それは、S&Gとの、面白い程の共通点なのです。S&Gとは「サイモンとガーファンクル」であり、彼等は1960年台から80年代に掛けて、地味ではあるものの一世を風靡した男声フォーク・デュオです。ソニー・ミュージックによるオフィシャルサイトはこちらです。それでは、ここで両者の共通点を列挙してみましょう。1.二人の男性歌手が組んだボーカルグループであり、両者ともチビとデカの凸凹コンビです。小柄な方がリーダー(ポール・サイモンと小渕健太郎)で作詞・作曲もやり、ギターを弾くところも同じ。2.普通大柄な人は「低音の魅力」ですが、両者とも大柄な方(アート・ガーファンクルと黒田俊介)が高い音域で歌っています。アートの歌声はガラス細工のようなデリケートな趣があり、黒田君の歌からはとても細やかな感情表現が伝わって参ります。3.グループ名は極めて無造作に、二人の名前から取っています。S&Gは言わずもがなですが、コブクロは「小渕」と「黒田」の頭二文字から採ったとか。ちなみに,「こぶくろ」とは「桜」を作った時の歌詞カードに「こぶちとくろだで『コブクロ』でええか」と書いていたのがそのまま今も続いている。(コブクロ・オフィシャルサイトより引用)ということです。4.メロディーが比較的スローで、オーソドックスな響きながらも、非常に独自色が強く一度聴いたら忘れない「何か」があるのです。そして、歌唱力が抜群なこと。奇を衒わずして、聴く者に迫って来る迫力が何とも言えないです。5.質の高い映画やドラマに、テーマ曲として数多く採用されています。S&Gでは何と言っても、ダスティン・ホフマン主演の「卒業」でしょう。あの中では「サウンド・オブ・サイレンス」や「ミセス・ロビンソン」が有名ですが、それ以上に一躍注目を浴びたのが「スカボロー・フェア」でした。この他、「4月になれば彼女は」なども、さり気なく使われていました。 コブクロの方も色々ありますが、「蕾」は映画「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」の主題歌ですし、 「桜」、「ここにしか咲かない花」、「永遠に共に」等枚挙に暇がありません。詳しくは、コブクロ・オフィシャルサイトの「コブクロの歴史」を参照願います。6.そして、極め付けは、この上なく格調高い「歌詞」だろうと思います。S&Gの歌詞は平易な語句の連なりの中に、彼等の哲学が伝わって参ります。彼等が訴えていたのは現代人の孤独と、その中で必死に自分を伝えるべく葛藤する個人だったように思います。「サウンド・オブ・サイレンス」では、"People talking without speaking, People hearing without listening........within the sound of silence"という一節が印象的でした。そして、高校生だった僕にとって、彼等こそ英語の先生だったのです。「ボクサー」なんかも孤独なボクサーの心情を、切々と歌っていますね。コブクロの歌詞もS&Gに負けず劣らず、とても格調高いと思います。そして、さり気なく繊細な感覚が伝わって参ります。「永遠にともに」では、 「ともに、歩き 探し 笑い 誓い 感じ 選び 泣き 背負い 抱き 迷い 築き 願い」と結婚する二人が「ともに」シェアして行く人生の局面を、劇的に端的な言葉で綴っていますが、しつこさを感じさせず、聴く者に迫ってくるものがあります。「蕾」で小渕君は、10年前に亡くなられたお母様のことを切々と歌っておりますが、「消えそうに 咲きそうな 蕾が今年も僕を待ってる 掌じゃ掴めない 風に踊る花びら 立ち止まる肩にヒラリ 上手に乗せて笑って見せた あなたを思い出す一人」 の「上手に乗せて笑って見せた」という辺り、若き日のお母様と共に過ごした瞬間が鮮烈にイメージされるのです。思わず涙ぐんでしまいます。これから先、コブクロはどのように変化を遂げて行くのでしょうか。S&Gは解散しましたが、それは決して喧嘩別れではなく、お互いの道を前向きに進むための解散だったと思います。コブクロにも、きっとその日が来るのでしょうが、それまでの間、多くの感動を期待しています。
January 17, 2008
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昨日の日記で、「明日以降にその薫陶の内容が詳しく紹介されそうなのです」と書きましたが、今日の「私の履歴書」で前FRB議長、アラン・グリーンスパン氏は「アイン・ランド女史」からの薫陶を、かなり詳しく語ってくれました。以下、その一部を引用します。・・・・・彼女と出会ったことで、私の関心領域は一気に広がる。それ以前は社会的、文化的、政治的な問題にはかかわろうとしなかった。こうした問題についての議論は、感情や独断に基づくもので、いずれも合理的な分析の対象になりえないと思っていたからだ。私はもっぱら市場の効率性や市場がどう機能を果たすかに関心を持つ26歳のエコノミストにすぎなかった。ランドはそのくびきを取り払ってくれたのだ。歴史や文化、社会のあり方に興味の対象は広がっていった。思想・言論の自由など市民的な自由の大切さ。法の支配や個人の財産権が守られていることの重要性。こうしたことに目を開かれていく。市場が機能するためにも、これらが欠かせないことも理解するようになった。個人の自由を尊重し、国家の介入を厭う、今ではリバタリアニズムと呼ばれる考え方が私の価値観となった。これはまさしくランドの考え方でもあった。<中略>ランドに出会ってから(注:1952年頃)、私は彼女のアパートで毎週開かれる集まりに常連として参加するようになる。時に徹夜になるほど、いつも真剣な議論を繰り広げた。グループは「共同体」と自称していた。これは仲間内の一種のジョークだ。ソ連共産主義を憎んだランドは「共産主義とは野蛮な共同体主義」と考えていたからだ。「共同体」での週一回の会合はそれから10年以上続く。ランドは私の人生を安定させてくれる存在になった。後に大統領経済諮問委員会(CEA)の委員長に就任(注:1974~77)した際の宣誓式で、私の隣にランドが立っていた時はちょっとばかり注目を集めた。 引用終りこの中で、「個人の自由を尊重し、国家の介入を厭う」というのが正しく「リバタリアニズム」であり、一面「強者の論理」という解釈も可能ですが、それは余りにも皮相的な見方だろうと思います。この基本的な概念は米国憲法の支柱になっており、米国社会の重要な一面になっているのであり、決して弱肉強食の競争社会を礼賛しているのではなく、創造力豊かな個人の自由な活動と自助努力に、最高の価値を認めているからです。そしてこの思想は、あの有名なJ.F.K.の演説 "Ask not what your country can do for you, but ask what you can do for your country."(国が何をしてくれるかではなく、自らが国に対して何を貢献出来るか問うて欲しい)にも脈々と繋がっています。何か、日本人の僕が感銘するのも滑稽ではありますが、ランド女史--御自身はユダヤ系ロシア人で米国へ移民された方--とは、米国の精神的根幹を明確に整理された人物なのだろうと思います。そして、それは「個人主義と自己責任」が信条の僕という人間にとっても、この先、大きな啓示を与えてくれる存在となるのかも知れません。
January 9, 2008
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新年おめでとう御座います。今年最初の日記は、いささか硬い内容ですが、昨年来書きたかったテーマなので、敢えて書くことにします。実は今日の日経朝刊「私の履歴書」を開くなり、腕組みをした「アイン・ランド女史」が出て来られたのです。今月は前FRB議長、アラン・グリーンスパン氏が書かれておりますが、氏は20代の頃アイン・ランド女史と知り合い、薫陶を受けて行かれたようです。というのは、今日の段階では衝撃的な出会いのみが書かれており、明日以降にその薫陶の内容が詳しく紹介されそうなのです。不世出のFRB議長である氏をして、「それを機に、私は彼女の考え方に強く引かれ、心酔するようになっていく」と書かせたのですから、女史の偉大さが偲ばれます。「アイン・ランド女史」の詳細についてはこちらを御覧下さい。更に詳しくは、英文になりますがこのページをどうぞ。僕にとっての彼女との出会いは、「水源(The Fountainhead)」という小説の書評でした。これを通じて「リバタリアニズム」なる思想を知り、僕自身の物の考え方も「これの亜流なのかも知れないな」、という自惚れを持った次第です。「水源」は原書で読みたくなって、即刻アマゾンで購入しましたが、読み掛けたまま店晒しになっています。現在、他にやることがあるため、これを読み始めると嵌りそうなので、敢えて放ってありますが、時間が出来たらじっくりと読了したいです。「リバタリアニズム」については、wikipediaの解説をご紹介します。こちらです。一言でいえば、『リバタリアニズム(自由意志論 英:libertarianism)とは、他者の権利を侵害しない限り、各個人の自由を最大限尊重すべきだとする政治思想である』ということのようです。僕が「左翼は嫌い」な理由が、これで一目瞭然だと思います。それでは、簡単ですが今回はこの辺で。
January 8, 2008
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今年も押し迫りましたね。僕も明日は仕事収めをして、夕方まだ明るい時間に名古屋から東名で一路東京へ向かいます。明日の今頃は、浜名湖SAを過ぎて静岡県内を走っていることでしょう。さて、恐らく今年最後の投稿は、「"John Williams"の世界 その3」で終わることになるでしょう。それでは、「ジュラッシック・パーク」から始めて、シリアスな作品二つで締め括ることとします。1.1993年『ジュラシック・パーク』 こちらです。この映画、僕は観ていないのですが、音楽はとても気に入っています。FSとは違いますが、ある種の空想の世界が広がり、桁違いのスケールの中で優しさを湛えたこの響きは感動的です。途中で曲想が変わりますが、僕はどちらも好きです。2.1993年『シンドラーのリスト』(アカデミー作曲賞・グラミー賞受賞) こちらへ。ホロコーストの中にあっても、自分の手の中にあったユダヤ人達を必死に守り抜いた、"オスカー・シンドラー"の物語です。映画の解説はこちらでどうぞ。YOUTUBEの画面は有名なバイオリニストである「イザーク・パールマン」のインタビューから始まります。30秒程お付き合い下さい。パールマンの話している内容は凡そ以下のとおりです。「これ程見事に、映画の内容が作品の中に織り込まれた例はないですね。バイオリン奏者として、持てる能力を全て傾けて演奏しました。全てが極めて自然に組み込まれているのです。映画音楽だからといって、クラシックの曲目と違った取り組みはしていません。私にとって、この映画のテーマは非常に重要でした。(注:パールマン自身もユダヤ人) 私はホロコーストの歴史を通して、間接的に自分自身が犠牲者と繋がっているという思いから、私がこの曲を演奏することで何等かの貢献が出来ると考えました。」3.1998年『プライベート・ライアン』(グラミー賞受賞) こちらへどうぞ。このシリーズの締め括りはこの作品にします。40年以上前に「史上最大の作戦」(原題:"The Longest Day")という、一大戦争スペクタクルがありましたが、こちらの方がどれだけ優れた作品であるか、敢えて語る必要はありません。平凡な市民が、歴史の大きなうねりの中で戦場に導かれ、不慮の死を遂げて行くのですが、それはほんの一瞬、数センチの差で命運が分かれるのです。『プライベート・ライアン』は、そういう一市民が戦争の中で兵士として死んで行く、世の不条理をありのままに画いた作品であるが故に素晴らしいのです。『プライベート・ライアン』をベースに"BAND OF BROTHERS"という優れたTV番組が制作されています。今年の9/7付でこの作品について書いていますが、何と『プライベート・ライアン』の監督であるスティーヴン・スピルバーグと、主演のトム・ハンクスによりプロデュースされているのです。テーマ曲は"Hymn To THe Fallen"(倒れし者達への賛歌)と題され、それは崇高で繊細な響きに満ち溢れています。一度聴いただけでは、中々この楽曲の良さは分からないと思われます。色々聴き比べて下さい。例えば、キャサリン・ジェンキンズが歌う"Hymn To THe Fallen"など、思わず胸がジーンと熱くなります。この曲があってこそ、映画の素晴らしさが一層引き立っていることは間違いありません。最後に、この曲を録音している舞台裏を、ジョーン・ウィリアムス氏のインタビューを交えてお伝えします。 こちらへお出で下さい。ボストン交響楽団を指揮する氏と、トム・ハンクス氏やスピルバーグ監督の姿も見えますよ。さて、今年はこれにて終わります。皆様、良いお年を。
December 27, 2007
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さて、「その2」では娯楽性の高い作品から御紹介します。6番目の『太陽の帝国』からは、若干シリアスな趣に変わりますが。-----------------------------------------1.1975年『ジョーズ』(アカデミー作曲賞・グラミー賞受賞) こちらです言わずと知れた、あの『ジョーズ』のテーマです。怖かったですねー。2.1977年『スター・ウォーズ』(アカデミー作曲賞・グラミー賞受賞) こちらへこの作品は観ていませんが、音楽が物凄く気に入りました。同時期に「未知との遭遇」があり、両方とも夫々の宇宙と夢を感じさせてくれました。3.1978年『スーパーマン』(グラミー賞受賞) こちらへどうぞ。この作品も観てはいませんが、音楽は聴き捲りました。4.1982年『E.T.』 (アカデミー作曲賞・グラミー賞受賞) はいこちら。これは美しいファンタジー映画でしたね。ロスのユニバーサル・スタジオでE.T.館に入りましたが、それまではこの映画はあまり評価していませんでした。音楽は好きでしたが。5.1984年『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』 ここです。ちょっと「スーパーマン」と似たメロディーですが、ハラハラ・ドキドキの痛快なテーマ曲ですね。途中からスローになって、趣が変わります。6.1987年『太陽の帝国』 こちらからお入り下さい。これは1987年の年末に封切られました。僕は丁度留学の最後の時期で、サンフランシスコに居ましたが、この映画のポスターが街角に貼られていたことを覚えています。原題は "Empire of the Sun"で、帰国してから日本でも封切られ、1988年の夏頃に日比谷の映画館で観たような記憶があります。この曲は、"Exultate Justi"と申しまして、完全に宗教曲です。"John Williams"の作だと知ったのは大分後でした。因みに、多数の宗教音楽家が夫々の"Exultate Justi"を作曲しています。それでは、今回はこの辺で終わりましょう。次回で三部作を終了します。
December 26, 2007
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今年も押し迫って参りました。年賀状も発送し、余裕が生れましたので、年末は数回に亘り僕の好きな作曲家"John Williams"の人物と作品、そして僕との関りを御紹介させて戴きます。経歴等の詳細は、wikipediaを御参照下さい。こちらです。一言でいえば、類稀なる映画音楽の作曲家であり、皆さんも聴けば「あー、この曲か」というものばかりだと思います。僕がはじめてJohn・Williams氏を知ったのは、1984年のロスアンゼルス五輪の開会式でした。『オリンピックファンファーレとテーマ』を作曲し、開会式で自ら指揮されたのです。テレビでの紹介は「ジョウズ、E・T、スターウォーズ、スーパーマン等、数々の映画音楽を手掛けた、ボストン・ポップスオーケストラ指揮者のジョーン・ウィリアムズ氏が、自ら作曲されたこの曲を指揮します」というようなものでした。その時の模様はこちらから視聴できます。この時の感想は、荘厳な東京オリンピックのファンファーレが僕の中で強烈に残っていたので、「何か軽いなー」というものでしたが、競技が進むにつれこの曲のモーダーンで洗練された響きに魅せられて行きました。次にJohn・Williams氏を意識したのは、1988年のソウル五輪の時でした。この頃、所用があり僕は数日サンフランシスコを訪れていたのですが、ホテルで観ていた五輪の番組、確か1500米の自由形決勝でサルニコフ(当時ソ連)が優勝、の中で素晴らしい曲が流れていたのです。その時は曲名を知る術もなく、残念ながらお別れしましたが、その数年後にこの曲と偶然に再会出来ました。それは、ボストン・ポップスオーケストラの日本公演であり、テレビで中継録画された冒頭にその曲が流れて来たのです。wikipediaによれば、「1988年のソウルオリンピックの際にもNBCの番組のために『オリンピック・スピリット』(The Olympic Spirit)を提供している」とのことで、正しくこの曲だったのです。実はこの日本公演(1990年頃か)の時点で、僕はかなりのJohn・Williamsファンでした。一番好きだったのが、トム・クルーズ主演の「7月4日に生れて」(Born on the Fourth of July)であり、この番組もこの曲が聴きたくて観ていたのです。「7月4日に生れて」は映画も秀逸ながら、テーマ曲がそれ以上に素晴らしく、映画の質を更に盛り上げているように思います。John・Williams氏の作品は、wikipediaの評を借りれば、「親しみやすいが決して下卑た感じを抱かせないメロディや、状況や心理の描写に富んだサウンド作りは他者の追随を許さない。しかも担当した映画をいっそう深みのあるものにする作曲術はまさに職人芸で、多くの監督が彼を大作やエンターテイメント性の高い映画に好んで起用する所以である」ということです。次回以降、何回かに分けて紹介して参ります。
December 25, 2007
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さて、今年も年賀状作成の時期となりました。海外向けのクリスマスカードは、今週中に全て終わったので、この週末から来週に掛けては年賀状を作成します。この2,3日は自分好みのイラストやテンプレートを捜すのに時間を掛けましたが、漸く見つかったので今回は「2008年版年賀状」に使わせて戴くものを御紹介させて戴きます。左から会社関係、真ん中は幼馴染みや学生時代の友人、親戚用、右端は仕事関係の先輩、友人、後輩向けとなります。本当は、もっとお気に入りが一点あったのですが、サイトのURLをコピーし忘れて永遠の別れとなりました。因みに、真ん中はこちらです。http://www.townport-japan.com/nenga/08/page8.htmlどれもフリー素材ですから、もしお気に入りなら右クリックでコピー出来ます。もっとも、素材のサイトは無数にありますから。皆様は御自分のお気に入りを見つけて下さい。それでは、今回はこの辺で。
December 14, 2007
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昨夜に引き続き、感動的な試合でした。戦前は楽に勝てると思っていたところが、どっこい、台湾も強かった。初回に1点は取れたものの、追加点が取れないまま投手戦になりました。それが、6回にクリーンアップを向かえ、本調子ではないながらゼロ封で来たダルビッシュが、2死一塁で台湾の主砲・陳金鋒に逆転2点本塁打を打たれてしまったのです。この辺り、台湾も意地と底力を見せましたが、ここから先が実力の差だったと思います。日本は7回に空かさず逆転するや、一挙に6点を上げ、試合を決定付けました。無死一塁で、普通ならバントのところですが、星野監督は勝負強い稲葉に強打させ、無死一、二塁とし、二塁ランナーに宮本を送ったのです。この宮本が、里崎のバントで絶妙の走塁をして、フィルダースチョイスを誘い、9番サブローを迎えました。そして、ロッテで4番を打つサブローがスクイズを成功させ、直ぐに同点とし、ここから先は西岡・川崎の連続ヒット、青木が四球の後、4番新井、5番阿部が更に連続ヒットして7対2としたのです。宮本の走塁が明暗を分けたし、スクイズを成功させたサブローの沈着冷静なプレイに、日本を代表するプロ選手達の凄さを感じました。決して派手なプレイではないのですが、その奥深さに積み重ねられたプロの技術と野球センスを痛感した次第です。そして、星野監督の采配の冴えが光りました。解説者の栗山氏がコメントしていましたが、今回の死闘を勝ち抜けたのは監督と選手達の「信頼」が全てだったと思います。そして、その信頼に応えた選手達の技術と精神力を讃えたいと思います。プロの選手は、「お金のため」にスポーツをしているという見方も出来ますが、彼等のプレイからはそんなことなど微塵も感じられず、心底野球が好きで、国の威信を懸けて真剣勝負に挑む爽やかさに、見る側も感動させられました。サッカーW杯もそうですが、選りすぐりのプロ選手たちが、所属チームを超えて結集し、国の威信を懸けて戦うところに、今回のアジア地区予選の素晴らしさがあったのだと思います。日本チームは明日帰国し、星野監督はニュースステイション等、一連の番組に生出演されるそうです。今頃は宿舎で祝杯を上げているでしょうが、今夜はグッスリと寝て、明日は達成感に包まれながら、雲の上を飛んで来て戴きたいと思います。星野JAPAN、感動をありがとう!!!
December 3, 2007
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いやー、日本中が11時過ぎまでTVに釘付けだったのでは。最高のメンバーで戦った星野JAPANでしたが、終始1点差が続き、ハラハラ・ドキドキの連続でした。それだけ韓国も強かったということでしょう。今日はダルビッシュの先発かと思いきや、成瀬でした。初回に先制ホームランを打たれたものの、4回まで投げ抜き、豪快な三振も幾つか取ってくれました。2点取られたものの、好投だったと思います。短期決戦は、乗っている選手が鍵を握りますね。打者では、新井、安倍、稲葉といったところでしょうか。2回に逆転し、3回に1点入れて3:1にしたのが大きかったと思います。その後、4回に1点取られたけれど、リードは譲らず、川上・岩瀬のドラゴンズ投手陣のリレーで、ピンチを招きつつも同点にはさせなかったのが勝利の要因でした。ピンチを凌いだ後、8回には安倍が体を泳がせながらも二塁打を放ちました。井端が痛い足を引き摺りつつもバントを決め、代走荒木を三塁に送り、バッター稲葉を迎えました。粘った挙句、大きなレフトへのファールフライを打ち上げましたが、韓国のレフトも取らなかったのは流石でした。その後で、稲葉の値千金のヒットが生れたのです。8回裏には韓国も意地を見せ、1点返して再び1点差とし、最後は二死満塁でしたが、岩瀬が三振に打ち取りピンチを脱しました。結局1点差の4:3のまま、9回裏韓国の攻撃を迎えましたが、上原が冷静に三者凡退に打ち取り、長時間の熱戦に終止符が打たれたのです。本当に、応援する方も疲れました。終了後のインタビューでは、あの切れ者星野監督も、興奮冷めやらぬ様子で、「俺、何を言ってるんだろう」とおっしゃるくらい消耗し切っていたようです。明日の台湾戦に勝たないと、五輪への出場権は確定しませんが、まあ、戦力的に見て台湾に負けることはないでしょうから、事実上北京行きが決まったと思って良いでしょう。星野JAPANありがとう。今夜はグッスリ寝て、明日はダルビッシュの力投で、しっかり勝って戴きたいと思います。お疲れ様でした。
December 2, 2007
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今日、日商簿記2級の合格発表があり、予想に反して合格していました。高校、大学の入試において、合格体験記は読みこそすれ、書いたことはなかったので、今回は初体験を致します。先ず、簿記2級にチャレンジした経緯をお話します。僕は会計学と財務は学校で履修し、経理部門ではないにせよ、企業の財務について多少の実務経験はあるのですが、個々の取引が伝票を経て財務諸表に整理される過程(=簿記)が分からなかったのです。自己啓発の意味も込めて、今まで曖昧なままで過ごして来た分野につき、この際納得の行くレベルまで勉強してみようと思いました。因みに、日商簿記検定(正式名称:「日本商工会議所及び各地商工会議所主催簿記検定試験」)の各級レベルは以下のとおりです。(Wikipediaより)1級 税理士・公認会計士などの国家試験の登竜門。大学程度の商業簿記・会計学・工業簿記・原価計算を習得している。財務諸表規則・企業会計に関する法規を理解し、経営管理や経営分析ができる。 2級 商企業および工企業における経理担当者および経理事務員として必要な高校程度の商業簿記および工業簿記に関する知識を有し、かつ高度な実務処理ができる。3級 個人企業における経理担当者または経理補助者として必要な商業簿記に関する知識を有しており、かつ簡易な実務処理ができる。 4級 商業簿記の基礎的知識を有しており、かつ初歩的な実務処理ができる。 流石に、1級はとても受ける気がしなかったので、2級をターゲットにしました。とはいえ、簿記は初心者ですから、いきなり2級は無理なので、3級から勉強を始めました。日商簿記の試験は年3回(6月と11月は全級、2月は1級以外)あるので、先ずは4月頃から3級の勉強を始めました。然程難しくないので甘く見たのが災いし、6月の試験は3級に落ちました。この時は、掲示板の前に立つまで合格を確信していたのですが、現実は厳しかったです。発表までは、「受かってると思うよ」とタカを括っていたのが、「落ちちゃった」という報告となり、慎重派の家内からは「相変らず、能天気なんだから」と、毎度の「根拠のない自信」を糾弾され、権威失墜でした。そんなこともあり、旦那の権威回復も目指して、7月頃から2級の準備に掛かりましたが、8月はあっという間に過ぎ、9月になって漸く本腰を入れ始めました。2級は商業簿記と工業簿記があり、元来技術屋の僕には工業簿記の方が取っ付き易かったです。お陰様で、10月の中旬までには両方の教本が終り、最後の一月は過去10回分が収録された過去問に取り組みました。臨場感を得るため、本試験の1週間前に実施される「大原簿記学校」の直前模試を、帰京の際に渋谷校で受験しましたが、こちらは本試験より数段難しく、50点台でした。(本試験は70点で合格)それでも、この模試のお陰で気が引き締まり、直前1週間の勉強も手を緩めずに終えることが出来ました。斯くして、去る11月18日の午後1時、それまで観ていた東京国際女子マラソンにお別れし、終わったらビデオで観戦するのを楽しみに試験場へ向かいました。日商簿記の試験は地元の商工会議所が会場であり、今回は6月に受験した3級の時とは別室での受験となりました。試験は大問が5問あり、1問目は仕訳で、小問が5題あります。こちらは若干手こずりましたが、何とか手応えある解答をして、工業簿記の第4、5問に移りました。比較的平易な出題だったので、第5問が終わった時は、丁度1時間が経過したところであり(全2時間)、予定のペースでした。ところが、商業簿記では優先順位の選択を誤りました。通常は第3問が複雑で時間が掛かるのですが、今回は第3問が易しかったのです。結局、第2問を不完全な解答のまま、残り20分で第3問へ移り、こちらも不完全なままでタイムアップとなりました。帰宅してネット検索すると、彼方此方のサイトで解答速報が出ており、幸い工業簿記は第4、5問とも満点(各20点)で、仕訳が4題正解の16点でした(これで56点)。ところが、第2、3問は散々な出来で、トータル70点の合格ラインに対し、両方合わせて14点取れているかは、正しくギリギリでした。まあ、それでも、駄目なら2月に再チャレンジだ、とばかりに開き直って今日を迎えたのです。昼休みに、車を飛ばして商工会議所へ出向き、「多分駄目だろう」と覚悟を決めて掲示板の前に立ったところ、予想に反して僕の受験番号があったのです。念のため、駄目元で点数を聞いたところ教えて下さり、第1問も満点で20点、第2問と3問は夫々10点、12点で、満点の第4、5問とで合計82点あり、余裕を持っての合格でした。入学試験ではありませんので、受からなくても我が人生には何の影響もないのですが、やはり嬉しかったです。何歳になっても、合格発表の掲示板の前に立つ気分は、一種独特のスリルがありますね。まあ、資格試験如きに一喜一憂するのは小人の証ですから、浮かれることなく、次のチャレンジに向けて心機一転するつもりです。親仁の合格体験記、御粗末様でした。
November 26, 2007
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一昨日(11/18)の日曜、東京国際女子マラソンが開催され、野口みずき選手が圧倒的な強さで優勝したことは皆さんもよく御存知だと思います。そんな訳で、このレースについては今更コメントしませんが、今回も女子マラソンの五輪代表を巡っては、世界でも稀に見る超激戦が予想されますので、これについて書いてみたいと思います。このテーマですが、4年前のアテネ五輪の代表選考については、『「Qちゃん」の失敗』と題して拙HPに書いておりますので、過去の経緯等も含め、こちらを御覧下さい。毎回揉めるのは、それだけ選手層が充実していることの証であり、シドニー(高橋)、アテネ(野口)と、二大会連続して日本選手が金メダルに輝いているのですから、その強さも頷けます。また、上位入賞の歴史を振り返っても、1992年のバルセロナ五輪で有森が銀メダル、山下が4位、アトランタ('96)では有森が銅メダル、シドニー(2000)で高橋が金メダル、山口が7位、そしてアテネ('04)では野口が金メダルに続き、土佐の5位、坂本の7位と、代表全員が入賞を果たしているのです。また、前年('03)のパリ世界陸上では、野口、千葉、坂本が2位、3位、4位に入り、圧倒的な総合力を示していました。その後、2005年のヘルシンキ世界陸上では、五輪の翌年だったこともあり、原裕美子の6位を除きイマイチ結果を出せませんでしたが、今年の大阪世界陸上では怪我を克服して土佐選手が銅メダルに輝き、早々と北京五輪の内定を受けました。これで、代表3枠の一つが決まり、残り二枠の内一つは、一昨日の結果で野口に事実上決まりました。4年前に同じ東京で失敗した「Qちゃん」と、順当に勝った「野口みずき」には、二人の持つ運命的なものを感じます。結果的に言えば、「Qちゃん」はプロになったのが選手生命に災いしたように思います。CM等に出ず、あのまま地道に小出監督と二人三脚を続けていれば、アテネにも出場していたように思うし、もっと結果を出せていたのではないでしょうか。彼女は恐らく来年3月の名古屋国際女子マラソンに出て、ラストチャンスに挑むでしょうが、多分五輪代表にはなれないと思います。残りの2レースですが、大阪(1/27)には 福士・加納・坂本・大崎・新屋が、名古屋(3/9) には高橋・島原・橋本・原といった有力選手の出場が予想されており、残りの1枚は何れかで優勝し、尚且つ記録も今回の野口(2.21.37)に匹敵するものでないと難しいと思われます。可能性として、トラックで抜群の実績がある福士が有力ではないかと、個人的には思います。それに続いて、大阪世界陸上では足の故障で失速はしたものの、勝負強くクレバーな原裕美子も侮れません。故障がどれだけ回復しているかが問題ですが。意外性としては、坂本かも知れません。アテネ以降は故障で走れませんでしたが、今年のベルリンマラソンで5位に入り、復活の兆しを見せています。大阪でベストに仕上がれば、逆転もあり得ます。もし、大阪で坂本が大記録で優勝すると、代表は奇しくも野口・土佐・坂本という、アテネと全く同じ顔ぶれになります。既に3名中2名は、アテネ組で事実上決まっており、坂本が復活すれば、それはそれで素晴らしい布陣といえますが、新たな戦力の台頭が見られないということでもあり、2012年のロンドンを展望した場合に不安が残ります。原・大崎・新屋といった若手に期待致しましょう。男女のマラソン代表は、来年の3月10日、即ち名古屋国際女子の翌日に陸連の総会が開かれ、その場で決まります。残り1枠は誰が射止めるか興味津々であり、悲喜こもごものドラマが待ち受けていることでしょう。日本の女子マラソン五輪代表は、誠に「狭き門」であり、代表になれなかった選手は本当に気の毒ですが、これも「お家芸」たる宿命かも知れません。この状況が毎回繰り返されることが、日本の女子マラソンのステイタスでもある訳で、男子選手にも負けずに奮起して欲しいと思います。
November 20, 2007
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いやはや、散々揉めた末に「小沢続投」のようです。「壊し屋」の習性か、今回も好き勝手の挙句に「やーめた」かと思いきや、翻意された模様です。ニュース番組では、民主党幹部が取り繕いの弁明に躍起となっておりますが、無様なことこの上なしですね。党首が突然辞意表明などして、党の内外に対する不信感は計り知れない筈だし、小沢氏自身も、そこまでして信頼関係に致命的なダメージがないとは、決して思わなかったと思います。結局、慰留した幹部連も、小沢氏に心から留まって欲しいからでなく、辞められたら次の選挙への戦略が根底から崩壊するから、留任させる以外に手立てがなかったのでしょう。小沢氏もそれが分かっているから、不本意ながらも翻意したのだと思います。それでは、今後上手く行くかといえば、一度失われた信頼関係は決して戻らないでしょうから、結局遅かれ早かれ辞任になると思います。この場合、体制を立て直す時間稼ぎが出来たとしたら、それが続投したことの、せめてものプラスとなるでしょう。何れにせよ、迷惑するのは一般市民です。斯くなる上は、自民・民主両党が一致協力して、失われた時間を取り戻して戴きましょう。
November 6, 2007
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今週になって、ふとアメリカでポピュラーなスナック「プレッツェル」が食べたくなって、近所のスーパー何軒かを物色しましたが、全く見つかりませんでした。日本でも食べた記憶があるし、そんなに特別なものでもないと思っていましたが、現実は違うようです。試みにネットで検索してみましたが、日本のお菓子メーカーでは僕が所望する「プレッツェル」は製造しておらず、「プレッツ(PRETZ)」というスナック菓子が一番近い品物でした。とはいえ、これは「プレッツェル」ではないのです。先ず、形が違います。次に、表面の舌触りが全く違うのです。初めて知りましたが、水酸化ナトリウムの薄い溶液に生地を浸してから焼くそうで、本物の表面はツルツルなのです。そして、最大の違いは岩塩が塗してあることです。僕がふと食べたくなった最大の理由は、この岩塩を噛み潰す時のガリっとした感触と、そこから伝わってくる爽やかな塩味が、堪らなく素晴らしいからであり、丁度、塩辛い氷砂糖を噛み潰したような心地良さが何とも言えないのです。それと同時に、カリっと硬くて、ポリポリと齧るのに最適です。ビールのおつまみにも合いますし、何気なくつまむのに丁度良いスナックだと思います。こんな優れものなのに、国産品がないというのは理解に苦しみますが、今回は意を決してネット販売で注文しました。一袋300円前後の品で、送料が掛かりますから、ある程度纏買いしないと効率が悪いので、適当な量を注文しました。生憎、一部の商品が在庫切れらしく、届くのに若干日数が掛かるみたいですが、それはよしと致しましょう。大手は米国のスナイダー社、それから英国のペンステイト社、そしてドイツのフーバー社等色々あるようで、認識を新たにしました。恐らく、今まで食べていたのは、多くがスナイダー社のものだったように思います。Wikipediaの「プレッツェル」にも書かれていますが、ブッシュ大統領がTVでフットボールを観戦中に「プレッツェル」を喉に詰らせて、危く窒息し掛けたそうです。僕も気を付けましょう。尚、神経質な向きは、水酸化ナトリウムに浸けてから焼くという辺り、気になると思います。この点についてはこちらを御覧下さい。一応「無害」ということになっております。僕などは全く気にしませんが。
October 26, 2007
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前回の日記「紛争地域における邦人被害事件に思う」(10/14)を書いて以来、中村さんの安否が気掛かりでしたが、現時点で生存は確認されているようです。イラン政府は日本に対し、「我々を信頼して欲しい。しっかりやるので、間違っても何かのルートで(犯人側と)接触するようなことはしないで欲しい」と要請している模様です。日本としては、小野寺五典外務副大臣を、中村さんの無事解放に向けた一層の努力と情報提供を要請するため、本日イランへ派遣しました。 前回も書いたとおり、中村さん本人も御家族も、危機的な状況下においても周囲への配慮が行き届いており、非常に常識がある方々だと痛感しております。一日も早く無事に=中村さん「ごめんなさい」-イラン邦人誘拐、父親コメント10月15日16時1分配信 時事通信 イランで誘拐された横浜国立大4年の中村聡志さん(23)の父親が15日、報道各社に対し、心境などをつづった文書を寄せた。父親は「親として、今回のことについて深くおわび申し上げます」と謝罪。中村さんが10日に実家にかけた電話で「本当にごめんなさい」と話したことなどを明らかにし、「今、家族は一日も早く無事に帰ってくることを望んでおります」と結んでいる。 この事件を受けて、外務省は現地の危険情報を最高レベルに上げました。 <イラン邦人誘拐>危険情報を最高レベルに引き上げ10月16日20時13分配信 毎日新聞 外務省は16日、イランを旅行中に横浜国立大4年、中村聡志さん(23)が武装グループに誘拐された事件を受け、発生場所とみられる南東部ケルマン州と隣接するシスタン・バルチスタン州の危険情報を、最高レベルの「退避を勧告します。渡航は延期してください」にまで引き上げた。 同地域は、11日に「渡航の延期をお勧めします」に引き上げたばかり。7日の発生から10日を迎えても事件が未解決な上、治安情勢も改善する見通しが立たない。類似事件を防止するためにも、最高レベルへの引き上げが必要と判断した。その一方で、中村さんが被害に遭ったイラン南西部は元々非常に治安の悪い地域であり、結果的に言うならば本人の判断も甘かったことは否めません。中村さんは6月からネパールでボランティア活動をした後、今月初めにパキスタンからイランに入国した模様ですが、学生であり、それまで無事に来れたので、危険に対する感覚が薄れていたのかも知れません。イラン日本人誘拐 紛れ込む麻薬組織 バム現地ルポ10月16日17時8分配信 毎日新聞 【バム(イラン南東部)春日孝之】イラン旅行中の横浜国立大4年、中村聡志さん(23)誘拐事件で、中村さんが麻薬密輸組織「シャハバフシュ」に誘拐されたとみられるケルマン州バムに入った。バムは世界のアヘンの約9割を生産しているとされるアフガニスタンや、パキスタンからの麻薬密輸ルートになっており、地元住民によると03年の大地震後、治安が悪化しているという。 <中略> 一帯は3万人以上が死亡した大地震で廃虚となり、今も空き地や鉄骨を組み上げただけの再建途中の家屋が点在する。大地震後の復興事業で大量の建設労働者が流入し、避難民や新住民の中に麻薬組織が容易に紛れ込めるようになった。地元住民の多くは「町中や街道の治安は確保されているが、夜間や砂漠地帯に入り込むと危険だ」と警告する。密輸組織は砂漠の道なき道を日本製四輪駆動車などで往来しているという。 麻薬密輸は、ケルマン州に隣接するシスタン・バルチスタン州からアフガンやパキスタンにかけて居住する少数民族バルチ人のいくつかの部族が関与しており、シャハバフシュもその一つだ。イスラム教シーア派国家イランで、バルチ人の大半はスンニ派。産業的にも「取り残された」状況にあり、麻薬密輸は貧困や差別の問題とも絡んでいる。 今回の事件を契機に、我々は海外へ行くことの危険を、今一度省みる必要があるでしょう。日本でも昨今は物騒な事件が続発していますが、それでも世界標準からすれば極めて安全な社会です。平和呆けからは覚醒しなければなりません。中村さんが、一日も早く無事に救出されることを願って止みません。
October 16, 2007
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先月27日、ミャンマーの最大都市ヤンゴンにおいて、日本人カメラマン長井健司さん(50)が治安部隊の発砲により死亡しました。長井さんの遺体は日本に戻され、昨日(10/13)は故郷の愛媛県今治市にて告別式が行われました。そうした中で、イランでは旅行中の日本人大学生、中村聡志さん(23)が、地元の麻薬密売組織に誘拐され、解放の条件として指導者の息子の釈放要求がイラン政府に出されました。何れも、紛争地域において現地治安部隊に銃撃されたり、犯罪組織に誘拐されるという、邦人の被害事件としては一般的ではない出来事なのですが、4年前の「イラク人質事件」と違って、日本国内では被害者に対する批判の声は起こっておりません。ある意味で、危険地帯に自ら踏み込み、被害に遭ったという点については共通性があるのですが、世論が批判的にならないのは何故なのか、それを考えてみようと思います。逆にいえば、何故例の「三馬鹿」だけが批判されたのか、ということです。1.事件発生時点での現地状況ミャンマーにおいては、紛争というよりは軍事政権による強権政治が続いており、それへの平和的なデモが僧侶によって引き起こされたという状況でした。外務省からはノーマークではないにせよ、高度な渡航自粛勧告が出ていた訳ではなく、ジャーナリストとして反政府デモを取材することが、非常に危険だった訳ではありませんでした。従って、長井さんが現地で取材活動を行うことについて、非合理的な理由は見当たりません。一方、イランで人質になっている学生、中村聡志さん(23)の場合も、戦闘地域に踏み込んで行った訳ではなく、学生としての探究心に基づく行動であり、結果として拙かった部分はあるものの、非難するのは酷なように思います。確かに、米国が「悪の枢軸」と名指ししている国であり、米国との関係は宜しくありませんが、交戦状態にある訳でもなく、その地域に踏み込んだことに判断ミスがあったとは思えません。今回の加害者は犯罪組織であり、運悪く彼等の標的にされてしまったということでしょう。勿論、行かないにこしたことではありませんが。2.被害者の現地入りした理由長井さんについては、プロのジャーナリストであり、惨劇の場所ヤンゴンに行ったのは契約していた通信社の公務だった訳です。決して物見遊山で行っていたのではありませんし、彼が現地で取材することに関し、何等疑問の余地がありません。中村聡志さんの場合は学生でもあり、私的な旅行だった訳ですが、学生の海外行動として特段常軌を逸していたこともなく、不可抗力という側面が強いと思われます。3.被害者の人間性長井さんの人柄は、多くの方々から高く評価されており、世界中で苦しんでいる人達を何とかして救おうという志を持ち、カメラマンとしてレンズを通して現地の実態を世界中に伝えようという、純粋な気持で生きて来られた方でした。中村さんについては、大人しいながらも、アジア地域でのボランティア活動に従事し、仲間内でもムードメーカーとして信頼されていた模様です。ここで明らかなことは、お二人とも非常識な人物ではなく、冷静な判断力と良識を兼ね備えた人達であって、彼等の行動には突飛な要素がなく、「自業自得」と指摘される点が見当たらないということです。要するに、変な奴等が引き起こした暴挙ではないということです。4.常識的な御家族例の「三馬鹿」と大きく異なるのは、御家族に非常識な言動が全く見当たらないことです。これが非常に大きな要素かも知れません。自分達の非は棚に上げ、「何をやってるんだ。早く助けろ。自衛隊なんか撤退すれば良いだろう」等と、恥知らずな言動が家族になければ、件の「三馬鹿」もあそこまでは非難されなかったと思います。5.政治的な中立性一概には言えませんが、例の「三馬鹿」の内二名は実質的な反政府活動家でした。もう一名は、突飛な発想に基づく戦災孤児の救済活動(?)を行っており、テロが蔓延した危険なイラク国内で、資金力も組織力もない一外国人の手に負える活動ではなかったのです。斯様な政治的背景に基づき、余計なことをするために、周囲の制止も聞かず、極めて危険な紛争地域に飛び込んで行き、国内外へ大迷惑を掛けておきながら、きちんとした謝罪もしていないのですから、非難轟々となるのも当然です。要するに、反政府的な思想が背景にあって、それが原因で政府に多大な迷惑を掛けておきながら、謝罪という常識的な対応をしなかったことが問題になった訳です。以上、僕が思うところを整理しましたが、大体こういうところではないでしょうか。今更ながらに、件の「三馬鹿」のお粗末さ加減を痛感致す次第です。
October 14, 2007
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このところ、重いテーマで書き続けていましたので、がらりと変えて日常的なお話にします。昨今、相撲界では朝青龍の問題に始まり、時津風部屋の大惨事と、芳しくない話題が噴出しておりますが、相撲は日本の国技として国民の注目を浴びて参りました。僕自身、子供の時は先代「若乃花」の大ファンでしたし、柏鵬時代の千秋楽結びの一番には手に汗を握ったものです。その相撲と切っても切れないのが、相撲部屋での修行であり、力士が食べる「ちゃんこ」なのです。以前、東京で勤務していた頃には、両国の「ちゃんこ料理店」に何度か行ったこともあります。力士の素晴らしい肉体を創るのは激しい稽古と、「ちゃんこ鍋」ですから、稽古はパスするとして、食べる方は伝統文化の恩恵に浴しようとばかり、好奇心に任せて美味しく戴きました。このところ、メタボ対策として菜食を続けており、成果は順調に出ておりますが、メニューを新たに開発しないと飽きてしまうので、彼方此方を物色しておりました。相撲の「ちゃんこ」は肉や魚だけでなく、野菜も色々入っていますから、僕のメニューにも参考になるだろうと思いました。ネットで検索すると、元力士だった方が廃業した後に「ちゃんこ鍋の店」を開いているケースが沢山ヒットします。ところが、そういうサイトでは店のPRがメインであり、レシピの方は企業秘密のため開示されておりません。一方、相撲部屋のHPを覗くと、以下の四部屋で部屋に伝わる「名物ちゃんこ」のレシピが紹介されておりました。高砂部屋のちゃんこ こちら荒磯部屋特製チャンコ こちら友綱部屋風ちゃんこ鍋の作り方 こちら安治川部屋では、いろいろな料理やちゃんこがあります こちら今夜は高砂部屋の「イカミソちゃんこ」にトライしてみました。ちょっと失敗したのは、水の量が多過ぎて、折角の出汁(イカスミ仕立)が薄まってしまったことです。まあ、それなりに美味しかったけれど、もっと濃厚な味が出せたと思います。今後も何回かトライして、商品になったら御馳走致しましょう。
October 8, 2007
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三連休も明日で終り。今回は土曜が出勤だったので、残念ながら帰京出来ず、名古屋におりました。天気は明日から荒れ模様のようなので、今日は洗濯をしなかったことが悔やまれます。さて、「左翼は嫌い」というテーマで10回書きました。自分の左翼嫌いにつき、その理由を整理して来た訳ですが、その過程において認識を新たにしたことや、感じたことにつき総括し、このシリーズを終えようと思います。------------------------<総括>先ず意外だったのは、左翼系の方からの反論が全くなかったことです。「アホな親仁だから、勝手に言わせておけ」ということかも知れませんが、それと同時に、「左翼系の考え方は正論には対抗出来ない」のだろうと思います。これは、僕と論争しても勝ち目がない、ということではなく、彼等の依って立つ論理が「正論や常識から外れている」からであり、そのことを彼等が自覚しているからだと考えます。僕が書いて来たことは、全くの庶民感覚からであり、政治学の理論とは無縁です。但し、歴史的な事実には基づいており、左翼思想の実践が現実を無視したものであって、それを強行すれば非民主的な社会に陥らざるを得ず、弱者を救済する筈の政策が、新たな弱者や悲劇を生み出していったことは歴史的な事実なのです。「その1」で、京大教授大西広氏の著作から引用させて戴きましたが、左翼の存在意義は「社会的弱者の立場が他の誰かによって省みられなければならない」ということでした。このこと自体は「正義の味方」であり、実に格好良い存在なのですが、子供向けの漫画の世界とは異なり、世の実相はもっともっと複雑です。要するに、格差や不平等の生起する原因なるものが、全て悪意や不正から生じているならば話は簡単なのですが、決して必ずしもそうではないのです。端的に申して、格差や不平等は、個人や社会間の能力差から生じるのです。能力のある者が創意工夫して努力した結果、他を圧する結果を生み出し、それが経済的・社会的な「違い」として顕在化するのです。厄介なのは、恵まれた環境に生れた者はその恩恵を受けられますので、余程の社会変動がない限り、社会的階層は基本的に世襲されるということです。これは「平等」という考え方に立てば、物凄くアンフェアな現実なのですが、人間が親や生れて来る国を選べない以上、避けられぬ現実として認めるしかないのです。左翼系の人はこの現実を否定するところからスタートしますから、話が非現実的となり、普通の人は彼等の「妄想」と戦わざるを得なくなるのです。この「平等」を無理に実現しようとすると、既存の社会秩序を破壊する必要がありますので、暴力革命以外に手段はあり得ません。それは階級闘争の終局的な形態であって、それこそ「食うか、食われるか」の過酷を極め、テロが横行し、官憲による弾圧も、革命派の報復も陰惨なものとなるでしょう。僕は、戦前の憲兵政治や特高(特別高等警察)による過酷な取締りなど、日本史の暗部であると確信しておりますが、そのお陰で日本はソ連邦の魔手から逃れられたということも事実だったと思います。作家小林多喜二の拷問死に象徴される如く、特高の取締りは苛烈を極めましたが、革命とは元来「命懸け」で行うものであり、それを非難する左翼の人達は感覚がズレているのです。物理的な方法で一時的に「平等」を実現したとしても、社会はリーダーを必要とし、個々の職場においても有能な人が能力を発揮せずには、組織としての役割が果たせません。従って、能力差による階層が再び生じ、結果として社会には新たな格差と不平等が発生するのです。かっての革命政府も、今度は社会を維持運営して行く立場ですから、不平不満は封じ込める必要が生じ、必然的に言論弾圧が始まります。左翼革命は、元々無理なことを強行する訳ですから、一般市民の反発も激しくなり、それに応じて弾圧もエスカレートして行きます。ソ連におけるスターリンの粛清が苛烈を極めた背景には、必然性があったのです。そして、未だに共産党の一党独裁が続く中国も北朝鮮も、一般国民は非民主的な状況下に取り残されています。これが左翼社会の実態なのです。結局、弱者の救済は必要ですが、弱者をなくそうという考え方は、社会の自然な成立ちを無視したものであり、それを過度に進めようとすれば不要な軋轢が生じるだけです。人間社会というものは、貧富の分布が正規分布のような形で広がっており、人間に能力差がある以上、この状況は永遠に続くのです。したがって、斯様な現実を認めた上で、福祉政策は民主主義に基づき、左右に振れながらバランスを保ちつつ維持されて行くことでしょう。そして、個人は多様性の中で自己の生きる道を模索し、自助努力の中で幸福を求めて生きて行く存在なのだと思います。 <左翼は嫌い 完>
October 7, 2007
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このシリーズも10回目を迎えました。今回で各論はお終いとし、次回で全体の纏めを行いたいと思います。各論の最後には、「その6」で追加しました「11.左翼は今日的価値観に基づいて過去を断罪する」を論じたいと思います。これは「靖国問題」にも繋がります。<左翼は今日的価値観に基づいて過去を断罪する>この問題は端的に言うと、日本の戦争責任論ですが、1930年代における日本の国内事情や国際情勢、更にはそれらの根底にある倫理観・価値観に対する考証を無視して、一方的に日本を悪者にする発言です。こういった自虐的な言説には、情けなさを感じます。中には、税金で食わせて貰っている国公立大学の教授までいますから、何をか言わんや、です。1929年10月24日木曜日のニューヨーク株式市場(ウォール街)で始まった株価大暴落は、あっという間に世界を大恐慌に巻き込み、各国は長期に渡る不況の時代へと入って行きました。その中でも、植民地を持っていた米・英・仏は相対的に有利な状況にあり、英・仏においてはブロック経済を組んでダメージの軽減に努めました。一方、植民地を持たない日・独・伊は、米・英・仏に対抗して枢軸同盟を結成し、最終的には第二次世界大戦に突入する訳ですが、日本の場合は満州を「日本の生命線」として植民地化を推し進め、次第に中国への侵略を進めるに至りました。この過程において、日本国内では軍部、特に陸軍の政治侵出が顕著になり、1925年に施行された「治安維持法」が強化され、言論弾圧が激しさを増して行きました。この限りにおいて、当時の日本はファシズムが荒れ狂った「暗い時代」だった訳ですが、侵略戦争については日本なりの論理があるのです。先ず、植民地というものが西洋中心の世界史において、大航海時代以降400年も続いておりました。米・英・仏にせよ、植民地を獲得したのは武力による強奪だった訳であり、400年後に日本がそれに倣ったとして何が悪いのか、という訳です。勿論、21世紀の今日、これを再びやろうなどと公人が語ったなら、国内外から猛烈な非難が巻き起こり、その人物は社会的に再起不能となるでしょう。まあ、アメリカが嫌いな左翼の方々は、「アメリカは今でも侵略戦争を続けている!」と喚いておりますが、侵略戦争が「絶対悪い」という広範な認識は、20世紀前半の世界には形成されていませんでした。この、「侵略戦争は悪だ」という考え方は、ナチスドイツを裁いた「ニュールンベルグ裁判」が最初であり、それに続く「東京裁判」において日本は「事後法」により裁かれたのです。左翼は「東京裁判史観」に基づき、日本の侵略戦争を一方的に断罪しますが、冷静且つ中立な立場で、過去を考証して欲しいものです。また、パールハーバー以前の戦争は侵略戦争ですが、以後の戦争は米英との東南アジア地域における利権争いであって、一方的に日本が悪い訳ではありません。こういった視点は、「靖国問題」を考える上でも重要であり、左翼は、中国の政治的ブラフに過ぎない日本国首相の靖国参拝についても、明確なる根拠もなく反対、反対の一点張りです。中国側は、「東京裁判」で処刑された「A級戦犯」7名の合祀を問題にしておりますが、その7名の方々個々の罪状と、量刑の妥当性についてきちんと述べられる者は殆どいないだろうと思います。例えば、広田弘毅元首相ですが、「文官一名を血祭りに上げろ」という連合国側の意図があったらしく、首相として軍国主義と戦って敗れたこの立派な人物が、理不尽にも処刑されてしまったのです。また、武藤章中将は、昭和14年から17年に至る激動の2年数ヶ月を、陸軍省軍務局長の要職にあり、開戦に猪突猛進する参謀本部を抑え、日米交渉に活路を見出そうと粉骨砕身の努力を続けた方なのです。「A級戦犯」7名の実質的な責任の有無については、個々にかなりの違いがありますが、一言でいえば、罪を一身に被って祖国の礎になられたのだということです。こういった一歩踏み込んだ歴史認識もなしに、左翼の連中は一方的に過去の日本を断罪し、「A級戦犯」を非難し、「靖国問題」を不当に歪曲しておりますが、それが彼等の軽薄なところです。こんな奴等に、「したり顔」で日本のことを語って欲しくありません。以上で、本シリーズの各論は終了と致します。次回は総括編を書き、このテーマから一先ず離れて新たな分野から書いて行こうと思っています。
September 30, 2007
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さて、このシリーズも終盤に入りました。後数回で終わらせようと思いますが、今回は「その2」の8.左翼は死刑制度に反対する を取上げます。勿論、「死刑制度に反対する」考え方は色々あり、一概に否定は出来ないのですが、今回僕が問題にするのは、左翼が主張する「反対の理由」です。先ず、「死刑制度の存廃」に対する僕のスタンスを申しますと、死刑は極力避けるべきだが、誰が見ても凶悪で許せざる犯罪に限っては「死刑も止む無し」というところです。刑罰には「教育説」と「懲罰説」があり、犯罪を犯した人にも再教育によって更正の機会を与えようというのが前者、懲らしめようというのが後者ですが、稀に見る凶悪犯罪を犯した人物に関しては、更正の見込みはゼロと判断するのが自然の成り行きであって、100%「懲罰説」を摘要せざるを得ないと考えます。それでは、本論に入りましょう。<左翼は死刑制度に反対する> 「論より証拠」という諺がありますが、左翼の「死刑廃止論」が如何に支離滅裂か、その極端な例を某サイトより引用します。今回は引用元を明かしませんが、こちらでもBBSへの書き込みは管理人がチェックしており、反論出来ないものは表示されません。結果として、管理人に尾を振る投稿のみしか表に出ず、異常な世界が形成されています。--------------------------第一に、彼(注:死刑に肯定的な発言者)は「犯罪者は自分とは無縁の特別な人間だ」と勘違いしているようだが、人は本来、一人残らず愚かで弱い存在であり、誰でも誤りを犯し、誰でも目先の感情に囚われて人に危害を加える可能性があるという真実を理解していない。(注:可能性としてはあり得ても、死刑になるような凶悪犯罪を犯すこととは全く別次元の話である)犯罪者を自分の姿として考え、あるいは自分の身内の姿としてとらえる視点がなく、自分だけは、いつでも正義の存在であり、決して過ちを犯さないと信じているようだ。だが、それは妄想である。現実には、このような勘違いをしている人ほど、人間が弱い存在という真実をを理解できないため、人の誤りを許せず、自分を制御できず、愚かな犯罪に走りやすいのだ。すなわち、死刑制度支持者ほど死刑囚になりやすい資質を持っている真実を理解していない。(注:これは「真実」ではなく、著者の妄想に過ぎない)本当に強い人は、人の愚かさを知る人であり、人の誤りを許せる人であり、人を正しい方向へ導ける人である。彼は人に報復し、処罰することはできるが、人を許し、教育することはできない。したがって報復刑に対する教育刑の概念も理解できない。第二に、犯罪というものが、その人個人だけが責任をとるべき単純な因果律で発生するものでないという真実を理解していない。すべての犯罪は複雑な要素から成立している。犯罪者の育った環境、周囲の愛情、習慣・風習、その人が置かれた環境、追いつめる人々の存在、あるいは被害者に落ち度が多い場合が非常に多い。殺人犯罪の半数以上は被害者側にも大きな落ち度がある。また、その行為が犯罪になるかどうかは、その時代、その国家、その社会常識によって大きく異なり、たとえば、イスラム諸国では、女性が恋愛しただけで犯罪として殺害されることがあり、北朝鮮では、人間らしく生きたいと望んだだけで反体制と見なされ殺害されることになる。また、公害企業や731部隊員のように残虐な犯罪を行っても処罰さえされないこともある。その行為が犯罪であるかどうか? 明確な基準など存在しない!(注:公害を発生させた企業は、社会的に糾弾されねばならないが、殺人を意図して公害を垂れ流していた訳ではなく、その時点における排出基準は基本的に守っていた。結果として周辺住民の方々に多大な健康上の被害を与えてしまったということである。裁判では争ったが、判決に基づいて被害者への補償は粛々と実施して来たし、かっての公害の町も、今ではすっかり蘇っている。)第三に、人は誤った多くの情報によって混乱し、社会制度の誤りに追いつめられて罪を犯してしまうことも多い。犯罪の原因を、その個人にすべて押しつけることのできるケースは極めて希である。光母子殺人事件にせよ、加害者を育てた環境に問題が指摘されている。彼を絞首刑で殺害しても、彼を導いた環境が変わらなければ、第二第三の加害者が際限なく生まれてくるのであり、加害者に「責任を取らせ」殺しても、決して、それで問題は解決しない!(注:責任転嫁の典型的な例である)第四に、死んでしまった人は決してよみがえらない。(少なくとも物質的には)したがって、本当に大切なのは、今、生きている我々と、これから未来を作り出してゆく子供たちにとって、よりよき正しい社会を構築するという視点である。○○○氏に決定的に欠けているのは、この点である。彼は、加害者を絞首刑にして責任をとらせ、それで解決としたいようだが、どれほど死刑を増やし、人を恐怖で支配しようとしても、誤った社会体制が続く限り、似たような残虐犯罪を行う者が際限なく登場し、社会は殺人犯と死刑囚ばかりになってしまう。そして、誤った報復刑主義を実現したため、本当にそうなってしまったのが、今の日本なのである。--------------------------以上、御覧のとおりのお粗末さです。個々に取上げるのは愚の骨頂ですから、敢えて書きませんが、左翼特有の「自分は悪くない、環境が悪い、社会が悪い」という甘ったれた考え方に終始しています。まあ、分別のある大人なら、決して相手にしない主張です。唯一評価出来るのは「北朝鮮」を非難しているところですが、公害企業と731部隊を同列に論じるところが左翼そのものです。尚、今回の引用は飽くまでも極端な例であって、心ある左翼の方なら批判的に捉えるだろうと思います。
September 27, 2007
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三連休も最後になりました。今回は何処へも行かず、家でゴロゴロしていました。昨日は自民党総裁選の模様を観ていましたが、予想外に麻生氏の票が伸びました。派閥の支配に逆戻りするのに反対な議員も結構いるようです。小泉チルドレンは二分されたみたいですね。杉村太蔵議員は武部先生に逆らったようですが、この先の道は険しくなりそうです。さて、今回は9.左翼は独善的で非常識ある の中に 6.左翼はダブルスタンダードである を取り込んだ形で書いて参ります。<左翼は独善的で非常識ある> 北朝鮮による日本人拉致問題は、5名の方々が帰国されて以来、その御家族は全員日本に連れ戻すことが出来ましたが、それ以外の方々については全く進展がありません。日本政府は粘り強く交渉を継続していますが、まともな相手ではありませんから、「拉致問題は解決済み」の一点張りです。残念ながら、金正日政権が崩壊しない限り解決は難しいと思います。この問題は、今から10数年前ですが、北朝鮮に滞在していたポーランド人の方が、現地で有本恵子さん・石岡亨さん夫妻と交流があり、託されていた手紙をポーランドから有本さんの御両親宛に送付したことから、拉致の実態が明らかになり、最後には小泉首相を動かして日朝会談が開かれるに及びました。ここで、忌々しき事態は、最初有本さんの御両親は、地元神戸から出ている旧社会党の土井委員長の事務所を訪れ、協力を要請しています。事務所側はこれを受けて土井氏を通じ、何等かの動きをした模様ですが、何の手掛りも得られないまま、有耶無耶になって終わりました。故意にそうしたとは思いませんが、少なくとも誠意を持ってフォローした形跡はありません。同様に、共産党もこの件に関して問題解決への協力はありませんでした。まあ、両党が動いたところで、この複雑な問題が解決するものでもありませんから、これ以上は申しませんが、イラク・アフガン戦争において米国を非難するならば、拉致問題をはじめ、国内の人権侵害や、核開発・ミサイル問題に対しても北朝鮮を名指しで非難して戴きたいものです。これは左翼系の人達全員に言えることで、「北」のことには一切口を噤んでしまうのです。ネットの掲示板などで、「北」の政治犯強制収容所の存在や、過酷な人権抑圧問題を指摘すると、「君は北朝鮮の何を知っているんだ」というような恫喝を加えて参ります。こういう人達に限って、反米・反日の極論を喚き散らしており、自分のダブルスタンダード振りには目もくれません。まあ、「その3」で書いたとおり、彼等は「反民主的」な連中ですから、反対意見など眼中に無いのでしょう。この態度は「独善的で非常識」な態度にも繋がります。毎年、卒業式の季節になると、公立校の教員の中には「日の丸・君が代」に対し、起立・斉唱を拒否する馬鹿者が現れ、それを教育委員会が制裁することがマスコミを賑わします。東京都では石原知事が厳正に対応されておりますから、次第に馬鹿者共はジリ貧になるでしょうが、個人の内面まで規制している訳ではないのですから、セレモニーには粛々と従って戴きたいものです。彼等の目的は、国旗・国歌への拒否なのか、「日の丸・君が代」への拒否なのか曖昧であり、もし前者であれば、仮に国旗・国歌が別なものになったとしても、不起立・不斉唱を貫かない限り一貫性を失います。恐らく、「日の丸・君が代」が嫌いなだけなのですが、その幼稚さ加減は、嘆かわしいばかりです。国旗・国歌法により、「日の丸・君が代」は日本国の国旗・国家であると定められており、それに対し税金の禄を食む公務員である公立校の教員が、全くの私的理由から国旗・国歌に礼を尽さない、なんてことは許されるものではありません。また、生徒を導く立場の人間が、教え子の門出を祝う場において、セレモニーの進行を妨げるようなことをしてはなりません。国旗・国家への敬意を捧げることは、オリンピックやW杯の場でも分かりますが、国際常識であって、エチケットの問題なのです。政治問題化するのが間違いです。左翼系の人は、こういった馬鹿教師共を擁護しますが、彼等の行為や自分達の論拠がどれだけ「独善的で非常識」なのか分かっているのでしょうか。卒業式には色々な考えの人が集まります。そして、その場は教え子の門出を祝うセレモニーであり、自分の政治的な信条を理由に、粛々と行われるべき式の進行を妨害するようなことは宜しくありません。こんなことは常識であって、「日の丸・君が代」が嫌いなら、私的な状況においてアピールすべきです。以上、左翼の「独善的で非常識」な実態は、ダブルスタンダードの言動とも連動しています。心ある市民の協賛など絶対に得られないことでしょう。
September 24, 2007
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三連休初日の夕方、単身赴任のアパートでマーラーの交響曲を聴きながら、一人PCに向かっております。さて、今回は「その2」で列挙した10項目の内、関連性のあるものを纏めて解説しようと思います。昨日は「その6」にて「左翼は似非弱者を捏造する」を書きましたが、この中で「その2」の 7.左翼は既得権擁護に終始する の内容もカバーしていますので、これの解説は省略します。簡単に書くと、左翼は、郵政民営化に反対するのと同じ論理で、社保庁の盗人共を擁護し、組織的な統制など完全に麻痺した官庁でありながら、その病根である大甘の「労働協約」と労組の横着集団を正当化して来たということです。まあ、枡添厚労相の荒療治に期待致しましょう。今回は、5.左翼は現実を否定する の中に 10.左翼は「自分は悪くない」連中である を取り込んだ形で解説を致します。<左翼は現実を否定する> 「その3」において、「弱者の側に立つ」ことが左翼の定義だとすれば、「弱者」の生まれる真の理由を直視することが第一歩なのですが、彼等はそれを避けるか、拒絶しているのです。「弱者」と「強者」は個人間の「能力差」から生じます。そしてそれは「格差」を生み出します。これは自然の掟であって、感情論的に捉えるだけでは、問題の解決にはならないのです、と書きました。要するに左翼の馬鹿共は、「個人間には能力差が存在する」という現実を否定しているのです。この現実を認めたら最後、彼等の好きな「責任転嫁」が出来なくなるからです。俺が、君が、彼が恵まれないのは、社会が、政府が、会社が悪いからだと主張するためには、皆が同じ条件でなければならず、個人間に能力差があっては非常に都合が悪いのです。ここから導き出されるのが「結果の平等」です。平等には「結果の平等」の他に「機会の平等」がありますが、面白いことに、「平等」を標榜する左翼は「機会の平等」が嫌いなのです。両者を分かり易く言うと、50m徒競走に希望者全員を出場させるのが「機会の平等」であり、ゴール直前に閉じたゲートを設けて、最後尾のランナーが到着するまで門を閉じ、全員同着とするのが「結果の平等」です。別な言葉で言えば「競争」を否定するのが左翼の特徴であり、「機会の平等」は「個人間の能力差」を如実に暴露し、成績による待遇差を「環境のせい」に出来なくなり、俺が、君が、彼が恵まれないのは、「自分に問題がある」という厳しい現実を認めざるを得ないからです。要するに、左翼とは自分の現実と真摯に向き合おうとしない卑怯な人種であり、彼等の主張に引き摺られた結果が、冷戦における東側諸国の決定的な敗北です。資本主義経済と民主政治を基盤とした西側の勝利は、自由競争をベースとした科学技術の発展と、それに基づく経済力の決定的な違いによるものです。未だに、時代遅れの政治思想を捨てきれない奴等の気が知れないですね。ここで明らかにしておきたいのは、「個人間の能力差」という現実を認めない限り、最大多数の最大幸福は実現出来ないということです。また、「能力」とは非常に多岐に分かれており、学校や職場で差が出る能力以外に、社会で発揮出来る能力も無数にあることも、皆が認識すべきでしょう。つまり、「多様性」を尊重するということであり、各人が好きなこと、得意なことで努力して生きて行くことが重要なのです。これと同時に、「幸福」とは何かについて、一人ひとりが考えを深め、地位や名声や経済力が必ずしも個人の幸福には直結しないことを知るべきでしょう。只今現在、日本国首相の安倍慎三氏は身も心も深く傷付き、病院のベッドに臥せっています。一般庶民の我々の方が、余程幸せだと思います。勿論、安倍氏は心身の健康を回復され、再びしっかりした足取りで歩き出すと思われますが、今という短い時間で考えたら、誰でも幸福になれるし、逆に不幸にもなり得るのです。こう考えたら、学校や職場で顕在化する能力差など大した問題ではなく、その顕在化を無理矢理阻止しようとする動きなど無意味であり、そうした結果によって万人が幸福になることなどあり得ないのです。幸福は自分の努力によって勝ち取るものであって、幸福の中味も人の数と同じだけあるのです。左翼の悲しさは、こうした「人間の本質」を無視して、「結果の平等」を無理矢理求めようとするところにあると想います。
September 22, 2007
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さて、二度目の三連休入口です。「時間」が一番の贈り物と考える貧乏自由人にとって、誠に有難い9月です。週日は書けなかったので、今日から再開します。「その2」で10項目を例示しましたが、その後「第11項」が浮かびました。それは、「11.左翼は今日的価値観に基づいて過去を断罪する」というものです。端的に言えば、日本の戦争責任ですが、1930年代における日本の国内事情や国際情勢、更にはそれらの根底にある倫理観・価値観に対する考証を無視して、一方的に日本を悪者にする発言です。こういった自虐的な言説には、情けなさを感じます。中には、税金で食わせて貰っている国公立大学の教授までいますから、何をか言わんや、です。これについては、この先で書くつもりですが、今回は「その2」で列挙した順番に従って解説を加えます。毎回一項目で進むと長くなりますので、次回以降は幾つかを纏めようと思っています。<左翼は似非弱者を捏造する>これを論ずるには、先ず「弱者とは何か」を明らかにせねばなりません。僕の考えでは、「心身にハンデを負った人、身寄りのない老人や子供といった、本当に手を差し延べねばならない人達」のみが「弱者」であって、それ以外は「似非弱者」なのです。この中には「似非」どころか、「非弱者」も大量に含まれ、更には「偽弱者」さえいます。本当の「弱者」に該当する人達は、文明国なら社会的な責務として守ってやらねばなりません。これに反した行動を取ったのがヒトラーであり、第二次大戦の前から「安楽死計画」が実行され、ドイツ国内の知的障害者の多数が犠牲になりました。日本の「らい病患者隔離政策」等も、保護の名を借りた人権侵害だったことは言うまでもありません。こんなことが二度とあってはなりませんが、「弱者」を語っての不当な権利行使と義務放棄は、断じて許されるものではありません。イラク人質事件に際して、左翼系の人達は捕まった三馬鹿を「弱者」と位置付け、政府に「弱者救済」を迫り、自衛隊のイラク撤退まで強行に要求しました。高い渡航費を払って戦時下のイラクへ、しかも度重なる国からの渡航自粛や退避勧告の出ている地域へ、更には周囲からの「今は行くな」という再三の忠告を無視して、無謀にも踏み込んで行った馬鹿共が何で「弱者」なのか、全く理解に苦しみました。当時のニュース番組では、某東大教授が薀蓄を述べていましたが、「政府は従順な弱者には優しいんですが、生意気な弱者には厳しいんです」とのことで、この先生も彼等が「弱者」だと思っていたようです。これを読んだら、きっと超一流の頭脳で、もっともらしい反論をされるでしょうが、庶民感覚からは彼等が「弱者」だとは到底思えません。また、郵政民営化に際して、左翼系からは色々な反論が出ていましたが、その一つが「郵便局員は公務員扱いだが、民営化されると人員整理が行われ、大量の失業者が出る」というものでした。結局、「弱者を護れ」ということですが、郵便局員が弱者かといえば決してそうではありません。それを言うなら、僕を含めた民間企業の従業員など全員弱者です。この時も、僕が常連だった某サイトでは郵政民営化を巡って激論が交わされましたが、民間企業のサラリーマンは民営化賛成で、公務員、具体的には公立学校の教員の方々は、民営化に強硬な反対をしていました。全く皮肉な状況ですが、倒産や人員整理のリスクを背負ったサラリーマンが民営化賛成で、身分保障のある公務員は民営化に反対し、郵便局員を弱者だと決め付けているのです。「弱者を護れ」という言葉の本音は、官庁業務の非効率性や過剰人員によるコスト負担が、財政圧迫の主たる要因であり、その改善が構造改革の最大の目的であることを無視して、自分達の雇用確保しか考えていないということです。そして、公労委の票田を当て込んだ左翼政党の主張は、似非弱者たる公務員の既得権保護という、構造改革に逆行した妄言に過ぎないのです。要するに、「護ってもらう」という甘えた考え方に支配され、国や社会の利益など眼中に無く、自分達さえ良ければ、それ以上何もやりたくないのです。現状維持が全てであり、微温湯に一生浸かっていたいという、怠け者根性が元凶なのですが、勿論こんな本音は言えないので、「弱者を護れ」という言葉に摩り替えているのです。本当の「弱者」に対する、破廉恥極まる冒涜です。以上、纏めますと、左翼とは「弱者」を語った怠け者集団(の代弁者)であり、自分達の既得権を護ることが全てなのです。それなら本音で迫れば良いのですが、もっともらしい理屈を付け、時代に逆行する妄言を吐くと同時に、妨害行動に訴えます。更には、社会全体の進歩や最適化を阻み、不要な時間とコストを社会全体に生じさせ、自分達の利益すらも逃している馬鹿共です。彼等は、民主主義を維持して行くためには許容せざるを得ない、宿命的な「必要悪」なのでしょう。
September 21, 2007
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三連休も明日でお終い。自由な時間を活用して、三番目の項目を書いて参ります。前回は「多数決」でしたが、僕の経験では「多数決」が嫌いな人は「自己責任」も嫌いであり、左翼系の人物に共通して見られる特徴です。<左翼は自己責任が嫌いである>先ず、「自己責任」という言葉ですが、これは投資においてよく使われるものです。つまり、投資にはリスクがあり、思惑が外れて致命的な大損をしても、その責任は自分自身にあるということですが、投資以外にも全ての人間活動に当て嵌まることでしょう。誤解している人もいますが、「自己責任」とは自分に対する責任であって、外部への責任とは違います。分かり易く言えば、「自分の生命財産は自分で護れ」ということです。さて、「自己責任」といえば、皆さん思い出すのは小泉首相が2004年4月のイラク人質事件に際して、いみじくも「自己責任でしょう」と発せられたことだと思います。この言葉を巡って、左翼と、そうでない人達の間で意見が真っ二つに分かれました。ここで「そうでない人達」という言葉を用いたのは、「左翼」の反対は「右翼」だけではないからです。要するに、左翼的発想は間違っている、と考える人達は大勢いて、そのごく一部が「右翼」と考えるのが妥当だからです。普通の感覚の人であれば、イラク戦争勃発以降、日本政府から何度も渡航自粛勧告と退避勧告が出され、渡航先として危険地域に指定された場所へ、個人が私的理由で出掛けて行くこと自体、非常に軽率な行動であり、結果として現地のゲリラに拉致されたとあったら、本人達の基本的な判断ミスであると、容易に結論が出るところです。これに対し、例の三馬鹿の家族の非常識振りは論外としても、左翼の側から発せられたコメントは実に愚劣極まるものでした。今回は、拉致された三馬鹿を糾弾するのが目的ではないので、事件の全貌はこちらで確認願いますが、彼らが周囲の反対を無視してイラク国内へ立ち入らなければ、この事件が起きなかったことは明白な事実です。これに対し、左翼陣営の主張は、「日本が米国に同調して、イラクに自衛隊を派遣したから拉致事件が起こった」というものでした。更には、三馬鹿救出のため、自衛隊をイラクから撤退させよ、とまで言い出しました。彼等の無思慮な行動とそれへの批判は一切なく、あたかも日本政府の責任であるかのような声明は愚劣極まるものですが、如何にも左翼が言いそうなことでもありました。僕は、初期段階で左翼をエスカレートさせた責任の一端は、マスコミにあると思います。事件発生当時、マスコミは三馬鹿の家族の非常識な訴えを生で報道するだけで、どちらかといえば政府の対応の遅れを批判するような論調だったのです。ところが、三馬鹿の一人の弟・妹による非常識な訴えに対して、良識ある視聴者から批判の声が上がり、マスコミも一転して三馬鹿と家族に対する批判的報道を始めました。この様な時に「自己責任論」が巻き起こり、次第にこれが優勢になって行ったと、僕は認識しています。この事件、卑近な例で語るならば、遊泳禁止の水域に、監視員の制止も聞かずに入って行って、案の定溺れてしまったのですが、自分達の過失は棚上げし、「何で助けないんだ、早く助けろ」と喚き散らしている状況と同じです。国としては、人命尊重の立場から一切の経緯を抜きにして、外務副大臣を隣国に派遣し、救援体制を敷きました。この事件はイラクのイスラム聖職者の働き掛けにより、被害者の三馬鹿は無事救出されましたが、僕は個人的に、実質的な身代金が政府により払われたのだろうと思っています。左翼が「自己責任」を嫌う理由ですが、不幸な状況や結果に対する原因追求において、彼等は内部要因ではなく、外部要因のみを問題にする人種だからです。要するに、「他人のせい」にするのが常態化した精神構造の持ち主なのです。それと同時に、左翼の連中は「依頼心の塊」です。「何々をしてもらう」ことを当然と考えているから、自分の過失は棚上げして、国に「助けて貰う」ことを声高に要求する訳です。助けてもらうにしても、何度も渡航自粛勧告と退避勧告が出された場所へノコノコ出掛けて行った大失態に対し、一言でも謝罪なり自己批判があれば事態は全く変わっていたと思います。まあ、左翼の立場に立つと、それを認めることは「自己責任」を認め、彼等の存在意義すら失うことを知っているから言えないのだと思います。結局、「人の道」に反することを無理矢理進めようとするから彼方此方で破綻し、多くの人からの支持など得られないのです。「自己責任」という考え方は、左翼か否かを炙り出すリトマス試験紙と言っても宜しいと思います。
September 16, 2007
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昨日は親仁仲間のG3(さん)氏からエールを頂戴し、本シリーズを書き進む上で大いに励まされました。このテーマは、ある意味で刺激的内容であり、左翼の側に立つ人には不愉快なものだと思うし、強力な反論があっても不思議ではありません。その際には、孤立無援で再反論を余儀なくされることも覚悟していますが、親仁仲間からの声援は有り難いものでした。さて、三連休の自由な時間を有効に活用すべく、次の項目を書き進みます。<左翼は多数決が嫌いである>数年前、常連だった某サイトにおいて「民主主義」を巡っての議論が持ち上がり、僕は「民主主義の現実は多数決である」というコメントを発しました。つまり、民主主義社会においては、最多数の人から支持された意見が採用されるのがルールであり、客観的にその意見が最良か否かは別の問題である、ということです。この場合の「民主主義の現実」とは、「民主主義の本質」とイコールであるというのが僕の考えです。これに対し、左翼系の方からは「民主主義の理想は少数意見の尊重である」という反対意見が出されました。この議論、方や「現実≒本質」に対して「理想」を持ち出しており、最初から噛み合っていないのですが、この反対意見自体にも、非常に曖昧な要素が幾つかあるのです。先ず、「民主主義の理想は少数意見の尊重である」ということ自体、その人の主観であり、普遍的な意味を持つものではありません。次に、この場合の「少数意見」なるものが、議論のスタート時点でのものなのか、最終段階のものなのか明確でなく、この点を問い質しても、その方は最後まで答えませんでした。本当に素晴らしい意見なら、議論の過程で多くの賛同が得られ、最終段階では多数意見に置き換わっていると思います。そして、多数決によって採択されるのですから、「民主主義の理想」などと声を大にして掲げるような問題ではないのです。また、「尊重」の意味も曖昧であって、「発言の機会も等しく与えられる」ということなら当然であり、「理想」以前の問題です。ただ、それを「採用」という意味で主張するのであれば、民主主義ではありません。少数意見が通るような社会が健全である筈がなく、それは独裁制に繋がります。この点も問い質しましたが、その方は口を濁して一切答えませんでした。最後に、「それでは、百歩譲って、少数意見の尊重が民主主義の理想だとして、最後はどうやって決めるんですか?」と聞いたところ、この質問への答えもありませんでした。「採決で決めます」と言ったが最後、多数決を認めるしかないからです。結局、左翼の連中とは多数決を否定し、結果として民主主義を否定する輩でしかありません。この議論の過程で、同じく左翼系の人から、「民主主義の理想は全会一致である。映画『12人の怒れる男』は米国民主主義の理想を描いたものである」という助け舟的な発言があり、最初の御仁もこれ幸いとばかりに、「民主主義の理想は全会一致である」に乗り換えて行きました。この意見の馬鹿馬鹿しさは以下のとおりです。先ず、映画『12人の怒れる男』の主題は、事実関係を冷静に評価する過程を踏まえ、1:11の劣勢から12:0の無罪評決を勝ち得た、ヘンリー・フォンダ演ずる陪審員の、勇気と情熱を称えるものであって、「米国民主主義の理想」とは直接関係ないのです。恐らく、軽率な映画評論家が、口から出任せに吐いた妄言を鵜呑みしているのでしょう。仮に、この映画が「米国民主主義の理想」を描いたものであったとしても、それは陪審制度によって庶民の意見が判決に反映されるということであって、「全会一致が民主主義の理想である」ということではありません。次に、陪審員の評決と、政治における議決とは、意味合いも前提も全く異なります。陪審制度は、陪審員個人の利害関係とは全く関係ない事柄を、客観的な証拠に基づいて「有罪か無罪か」を結論付けるものであって、論理的に正しければ答は一つに絞られます。また、「全会一致」を義務付けられているのです。一方、政治の場では利害の対立を前提に、複数の選択肢から一つを選び出すことが求められます。個々の立場において、望まれる選択肢は異なるのが普通であり、夫々に筋の通った理由があるのです。従って、「全会一致」での採決など現実にはあり得ないのです。この場合、少数意見が採択されようものなら、最終的に社会は大混乱を引き起こし、結局は暴力的手段でしか収拾できず、民主主義とは程遠い状況となります。また、陪審制度の中であっても、「全会一致」の評決を得る過程においては、「多数決」が用いられていることが容易に考えられます。「全会一致」は結果であって、全員が納得して一つの評決を下すとは限りません。結局、十分な議論を前提とするならば、多数派の意見が通ることが自然であり、そうでないことの方が異常で不健全な状況であると言えます。この議論においても左翼の方々は、十分な議論を踏めば全会一致になる筈だし、そうなるまで議論を続けるべきだと、非現実的なことを言い張るのみでした。議会は限られた時間の中で幾多の法案を審議せねばならず、一定の議論や答弁を経過した後、審議を打ち切って採決するのが現実です。さもなければ、政治と行政が麻痺してしまい、自治体や国家が機能しなくなるのです。そして、採決は「多数決」で行われるのが民主国家の証なのですが、左翼の方々は自分達に不都合な採決を否定し、その大元たる「多数決」という仕組み自体を忌み嫌う訳です。最後に纏めますが、要するに左翼の連中は、自分達が「少数派」であることが分かっており、何故そうかと言えば、自分達の主張が「物事の道理」や「人間の本質」に反しているために、多くの庶民からは賛同を得られないことを自覚しているのです。然しながら、自分達の理想実現を望むことから、多数決を否定することに繋がって行くのでしょう。
September 16, 2007
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三連休の入り口ですね。生憎、天気は宜しくないみたいですが、貧乏な自由人にとって、時間を戴けるのが一番ありがたいです。このシリーズは一気に書き上げたいので、今回から各論に入って参ります。最初のテーマは、前回の第1項目「左翼の現実は反民主的である」と致しましょう。<左翼の現実は反民主的である>「その2」の冒頭で、「民主主義人民共和国」や「民主共和国」が強制収容所をベースとした恐怖政治の国であったり、秘密警察によって国民が監視されていた国だったことは書きましたが、我々の身近にもこういった現実はあるのです。端的な例が、左翼系の人物や団体が主催するサイトやブログです。彼らは時に大学教授だったり、文化人を名乗る輩であり、はたまた反戦、護憲を標榜する団体ですが、一様に反米・反政府的な主張を展開しております。それは民主主義の基本ルールである「思想・信教の自由」に基づき、護られねばならない権利ではありますが、そうであれば、彼等自身も自分達に対する反対意見にも耳を貸すべきであり、最低限、反対意見も公表し、それに対する再反論を堂々と展開するのが筋というものです。ところが、彼等のサイトやブログにはBBSやコメント欄がないのが普通です。また、あったとしても、投稿された内容をフィルターに掛け、自分達に都合の悪いものは掲示しないシステムになっています。勿論、ネット社会には「荒し」が存在しますので、誹謗・中傷の類は削除して当然ですが、正当な反論に対しても彼等は同じ手口で封じ込めています。まあ、国家権力による個人への弾圧ではありませんから、然したる実害はありませんが、口先では「民主主義」や「言論の自由」を標榜する輩の取る行動としては、矛盾も甚だしいというものです。まあ、これが左翼の本質であり、彼等が政権を取ったなら、如何なる恐怖政治が行われるか、火を見るより明らかです。戦前の日本や、ナチス政権下のドイツが、如何なる非民主的な社会だったかは、歴史が示す明白な事実ですが、それと同時に、旧ソ連を核とした冷戦下の東欧諸国や、中国・北朝鮮で現在も続く政治的弾圧は、左翼の恐ろしさを余すところなく物語っています。彼等の恐ろしさは、敵対グループに対してだけでなく、身内に対しても残忍な迫害を加えるところです。イデオロギーの僅かな違いを理由に、自己批判させた上に、殺してしまうことすらありました。もう30年以上も前になりますが、連合赤軍の浅間山荘事件と、その後判明したリンチ殺人事件などは、端的な例でしょう。また、スターリン時代のソ連において、どれだけの人達が粛清の犠牲になったかは、皆さんよく御存知と思われます。それでは何故、左翼が反民主的行動に走るのかといえば、彼等の思想に現実的な次元で「無理」があるからです。「弱者の側に立つ」ことが左翼の定義だとすれば、「弱者」の生まれる真の理由を直視することが第一歩なのですが、彼等はそれを避けるか、拒絶しているのです。「弱者」と「強者」は個人間の「能力差」から生じます。そしてそれは「格差」を生み出します。これは自然の掟であって、感情論的に捉えるだけでは、問題の解決にはならないのです。この現実を否定するのが左翼の通例であり、典型的なのが日教組の馬鹿共です。流石に、今では彼等もジリ貧の極みですが、彼等と旧文部省の亡国官僚共に、日本の初等中等教育はズタズタにされました。「人間の能力は皆同じ」等という妄想を旗頭に、自然に出来上がっていた公立学校の序列をぶち壊し、その結果、私立中高一貫校に入らなければ主要大学への進学が困難という現実が出来上がったのです。要するに、「人間には能力差が存在する」という事実を認めた上で、現実的な対応をして行くことこそ、結果において最大多数の最大幸福を実現出来るのです。イチローや松坂のように、卓越した能力のある個人が、フェアプレイを前提に破格の収入を得ることは素晴らしいことであり、彼等の存在は意欲ある人達にとって大いにプラスになります。勿論、ホリエモンのように、才に溺れて不正な金儲けに走るのは論外ですが。話を戻しますが、左翼にとって「本当の事」を言われることが、一番弱いところです。物事の基本的な道理や、人間の本質に逆らったことを無理矢理進めようとする訳ですから、必然的に恐怖政治を敷かざるを得ないのです。ファシズムの弾圧はこれと違って、「人間の不平等性」という現実を肯定し、これを露骨に進めることに対する反対への弾圧です。これも許されざることですが、本音によるゴリ押しです。左翼の方は、タテマエによる弾圧であって、思想が絡んでいる分妥協がなく、余計に過酷な凶行にエスカレートするのだと僕は考えます。
September 14, 2007
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今日は、吃驚仰天の日でしたね。安倍総理が突然の辞任表明をされました。こんなことなら、もっと早く辞任するべきだったし、続けるならボロボロになるまで続けて欲しかったです。基本的に、小泉改革の路線を継続して来た訳であり、僕は応援していたのですが、誠に残念です。健康問題も取り沙汰されており、体力的な限界から、気力も失われてしまったのでしょうか。政治家とは、厳しい商売だと、他人事ながらしみじみ思いました。さて、このタイミングで「その2」を書きましょう。今回は、ランダムながら、「嫌いな理由」を項目的に書き並べます。思いつくだけリストアップしましたが、この先もっと出て来ると思います。では、書き始めましょう。1.左翼の現実は反民主的である北朝鮮の正式国名を御存知ですか?これが全くのお笑いで、「朝鮮民主主義人民共和国」なんですね。旧東ドイツは、秘密警察に国民が監視されていた国ですが、こちらも何と「ドイツ民主共和国」だったんです。中国では普通選挙など行われておりません。共産党の一党独裁ですから。2.左翼は多数決が嫌いである民主主義の本質は「多数決」なのです。ところが、左翼の馬鹿共は多数決で合法的に決まったことを認めないんですよ。多数決が完璧な議決方法だとは思いませんが、現実的に最も民主的な方法ではないでしょうか。3.左翼は自己責任が嫌いである大人の人間だったら、自分の判断で行動した結果には、自分に対して責任を持つのが当然です。つまり、自分の生命・財産は自分で守る責任がある訳です。国が退避勧告を何度も出している危険地帯へ、無防備に出かけて行って拉致されて、挙句の果てに「国は何で助けないんだ」等と、「よく言うぜ」です。4.左翼は似非弱者を捏造する社会には、心身にハンデを負った人、身寄りのない老人や子供といった、本当に手を差し延べねばならない人達がいます。この方達は本当の意味で「弱者」であり、文明国なら社会的な責務として守ってやらねばなりません。ところが、これに当て嵌まらない人まで弱者と偽り、不当な過保護を当然の如く要求します。イラクの三馬鹿や、その阿呆家族まで弱者だとしたのは、左翼の連中です。5.左翼は現実を否定する「差別と格差のない社会を創ろう」という言葉を、左翼系の人がよく語りますが、両者は全く異質なものなのです。差別は不合理な理由に端を発する不平等な待遇であり、これは法的・行政的な指導により排除可能なのです。ところが、格差、特に個人間の格差は、基本的に能力の問題であり、個人間に能力差がある以上、永遠に存在するのです。同じように、戦争や軍隊のない世界を創ろう、等と分別のあるべき大人が叫んでますが、それは社会から犯罪を無くそう、警察も要らない、と言うに等しいことなのです。現実認識がゼロのくせに、妄言を吐いて社会を混乱させる輩です。6.左翼はダブルスタンダードであるイラク戦争に反対し、ブッシュ政権や日本政府を糾弾するのは、「思想信教の自由」として認めるとしても、サダム・フセインによる恐怖政治やクルド人の大虐殺、また北朝鮮による拉致事件に対して、左翼の連中は口を噤んでいます。共産党や社民党が北朝鮮による拉致問題解決に、どれだけ積極的だったでしょうか。7.左翼は既得権擁護に終始する年金問題では、社会保険庁の杜撰な業務実態と、窓口での横柄な態度、また一部職員の横領と、役人社会の腐敗した実態が明らかにされましたが、左翼連中は自民党政権の責任だと、他人事のように言っております。そして、親方日の丸に守られて来た役人の既得権を擁護するので必死になっております。テメー達さえ良ければ、国民の利益など無関心なのが左翼の実態です。8.左翼は死刑制度に反対する刑罰には「教育説」と「懲罰説」があり、犯罪を犯した人にも再教育によって更正の機会を与えようというのが前者、懲らしめようというのが後者です。稀に見る凶悪犯罪を犯した人物に関しては、更正の見込みはゼロと判断するのが自然の成り行きであって、100%「懲罰説」を摘要せざるを得ないのです。左翼が死刑に反対するのは、国家権力を嫌う場合と、甘い感情論の二通りあるように思います。それと、革命行動に走った場合に、自分が死刑になる可能性を除去しておきたいのかも知れません。9.左翼は独善的で非常識ある入学式・卒業式で国旗・国歌に反対し、起立せず斉唱に加わらない馬鹿な教師が結構いますが、公の場では、個人の信条と別次元で行動するのが大人の常識であり、エチケットなのです。自分の教え子の門出を祝う式典において、その円滑な進行を妨害するような行為は独善的で非常識です。国旗が赤旗で、国歌が「インターナショナル」なら彼等は起立し、斉唱するのでしょうか。そして、従わない人達を強制収容所へ送り込むのかな。10.左翼は「自分は悪くない」連中である彼等の言い分は「社会が悪い」「政治が悪い」「企業が悪い」の一点張りであり、自助努力や克己心、自分に対する厳しさなど皆無です。確かに、社会のセーフティーネットは不十分ですが、これは永遠に不十分なのです。何故なら、何をもって十分かという定義が存在せず、左翼の連中は無限に寄り掛かることしか眼中に無いからです。戦争中の標語に「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」というのがあったそうですが、これは何時の時代にも当て嵌まります。依頼心を捨てて、自助努力をしなければ、幸福になどなれないのです。以上、僕の「左翼が嫌いな理由」は、ざっと数えても10項目になりましたが、この他にも数限りなくあると思います。次回以降、個別に論じて参りましょう。
September 12, 2007
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「親仁の意見」として再出発した当サイトですが、本来の硬派なエッセイから外れ、ここ最近は身近な話題で済ませておりました。勿論、それはそれで書きたいことを書いているので、自分としても不満がある訳ではないのですが、本来の硬派な内容を書かねばと思っておりました。今回、その第一弾として「左翼は嫌い」を、何回かのシリーズで書いてみようと思います。僕は決して、「日の丸」を前面に押し出した、日本の伝統的な右翼ではありませんし、そういう人達とは肌が合うことがない人間です。それと同時に、左翼の言動は生理的に受け付けることが出来ません。僕の信条は「個人主義と自己責任」ですが、左翼の連中は徹底して「自己責任」を排除しようとします。ここが、僕の「左翼嫌い」の原点かも知れません。ここで先ず、「左翼と右翼」の定義について、考えてみることに致します。恰好な解説資料として、京都大学大学院経済学研究科教授 大西広氏が「京大公論」に書かれている君は右翼か、それとも左翼かを御紹介します。全文をこちらに引用すると長くなりますので、僕が注目した点を幾つか御紹介いたしましょう。<引用-1>社会科学的に非常に重要な概念であるにも関わらず科学的な定義がさなれていない言葉がある。それは「右翼」と「左翼」だ。たぶん辞書では「大革命後のフランス議会で右に座ったのが右翼、左に座ったのが左翼」という程度の定義しか与えられていない。また一般に民族主義を右翼と呼ぶ傾向があるが、これもまた正確ではないだろう。なぜなら、現在の状況下ではグローバリゼーションの推進派は「左翼」ではなく「右翼」であるからである。君は右翼か、それとも左翼か。これは人間の行き方を決める非常に重要な分かれ道である。君はどちらか。 <引用-2>・・・・・私はこの現象をもって、「左翼」とは社会的弱者の側に立つ勢力であり、したがって国家主義の暴力が存在する時にはアナキストが「左翼」の中心となる。また逆に市場主義の暴力が支配する時には国家主義者が「左翼」の中心を占める。そのようなものだと考えている。言いかえると、「左翼」は社会的弱者の立場に立つという点では一貫しているが、何が社会的弱者の側に立つことかという問題自体が歴史的に転回しているのである。 <引用-3>・・・・・社会的弱者は一般に社会の変化への対応力がない。金がないか、智恵がなく、そのために変化一般に基本的に否定的だ。街を守れ、制度を守れと保守的な志向性を持ち、よってほぼ常に彼らの=「左翼」の運動は「反対運動」となる。しかし、もし社会が何の変化もできないのであれば、その社会はどのように発展するのか。したがって、この「発展」の課題を遂行するには社会的弱者の利益をある程度無視せざるを得なくなる。「右翼」はこの課題を遂行するために社会に存在しているのだというのが私の理解である。 <引用-4>・・・・・したがって、社会的弱者の利益にこだわり過ぎては社会的進歩をリードできない。このことは分かった。が、かといっていつもそうした進歩をリードすることによって生じる反面の矛盾=社会的弱者の没落を無視していいとはならない。直接的には政治的混乱を避けるために、また倫理的にも「進歩」が社会の全構成員にとってのものとなるために社会的弱者の立場が他の誰かによって省みられなければならない。この意味で「左翼」もまた適切な歴史の進行には不可欠の存在として尊重されなければならない。<引用-5>・・・・・あるいは、より社会科学的に資本主義下の「左翼」の存在意義を説明したい。それは、資本主義は「資本の蓄積」を目的として様々な「搾取」を行ない、これは生産力発展をもたらす(経済学ではこのことを生産=f(資本の蓄積量)として時に表現する)。が、こうして歴史的課題となる「搾取」もそれが(「右翼」によって)無限に追求されるだけではこの生産力拡大は人々の生活水準の上昇に結びつかない。人々は貧しいままでただ社会の生産力が発展するだけとなる。したがって、高まった生産力の分配が労働者に対してなされなければならず、ここに「左翼」の主張が意義を持つ根拠がある。大西教授は、京大の学生諸君に対し、以下のような言葉で締め括っておられます。「私はきっと、学者でない君たちの人生でも、先に見たように個々の企業の中で私の言う「右翼」と「左翼」の両者が存在する。そして、その両者の狭間で君たちは生きなければならない。だから、きっと問題の本質は同じだと思う。どちらかにつけば個人としてはうまく生きれる。が、それだけでいいか。そんなことを1度考えてみて欲しい。」「が、それだけでいいか」という問い掛けは、僕を含め全ての人に投げかけられたものでしょう。そのことは十分分かった上で、僕はこのシリーズにおいて「左翼は嫌い」な理由を整理して行きたいと思います。左翼系の方からの反論が予想されますが、それは大歓迎であって、議論の中から新たな認識が生れれば素晴らしいと思っています。
September 9, 2007
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このTVドラマ御存知ですか?2001年頃に米国で放映されていた番組であり、第二次大戦で欧州戦線に従軍した米国陸軍空挺部隊の、その訓練から戦闘、そして終戦に至るエピソードが描かれています。スティーヴン・アンブローズの原作をベースにした10回シリーズであり、何とスティーヴン・スピルバーグと、トム・ハンクスによって制作されたのです。作品の紹介はBand of Brothers 公式HPを御覧戴くとして、今回は僕が魅せられた理由を書きましょう。この作品との出会いは、いつも行くビデオ屋でした。基本的に戦争物は好きなのですが、派手な戦闘アクションに関心があるのではなく、普通の市民が時代の流れで戦場に赴き、生と死の間で苦悩しつつも、時には適味方を超えた人間愛や、戦友同士の友情によって支えられ、生きていることの尊さを見出していく、そのようなプロセスに感動があるからです。僕等は父親が従軍した世代であり、僕の父もフィリピン戦線から運良く帰還出来た一人です。子供の頃、父は何度か従軍体験を話をしてくれましたが、そうしたことが僕の戦争への関心を高めたのでしょう。この作品の素晴らしい点は、主人公の一人リチャード・ウィンターズ中尉をはじめとする実在の方々が、番組の最初と最後に登場し、回想と現在の心情を淡々と語ってくれることなのです。彼等は普通の青年達でした。同じように従軍した者の何人かは戦場に散り、幸運にも生き残った彼等は復員し、普通の市民として働き、家族を持ち、そして80代の老人となられたのでした。最終回の終り近く、彼等はオーストリアの駐屯地でソフトボールに興じています。そのシーンを背景に、一人ひとりの戦後が紹介され、建設労働者や大学に戻る者、教師と様々な職業就き、全米の各地に別れて行ったのです。僕の小学生時代に放映されていたコンバットも秀作であり、それは徴兵された市民の目線で戦争が描かれ、戦場における人間模様がメインテーマだからだと思います。この作品も同根ですが、違いは実在の人物が主人公であり、御本人達が登場される点なのです。彼等の回想の中で、戦ったドイツ兵に対し、「戦争だから躊躇なく引金を引いたが、別の場所で出会ったなら、きっと良い友人になれたのだろう」という言葉が印象的でした。この作品は第54回エミー賞で、作品賞、監督賞ほか6分野で受賞しましたが、その授賞式にはリチャード・ウィンターズ氏も壇上でスピーチされました。そして、生存されている戦友の方々も一同に会しており、その様子も画面に出て来ましたが、戦死された方々のことを思いつつ、ウィンターズ氏のスピーチも感極まったという感じでした。 こちらで御覧になれます。もう一つ、この作品が素晴らしいのは、首尾一貫して格調が高いことだと思います。主人公のウィンターズ中尉は知性溢れる青年将校であり、この人物を中心にヒューマニズムが色濃く流れているのです。第9話『なぜ戦うのか』 - Why We Fight では、ダハウ強制収容所の解放に立ち会うのですが、惨状を目の当たりにした彼等は、自分達が死を賭して戦った意味を悟るのでした。そして、このドラマの格調はそのテーマ曲の秀逸さによって、より一層高められているのです。論より証拠ですから Band of Brothers Main Themeをお聴き下さい。"YOU TUBE"では個人のピアノ演奏や、エレクトーン演奏も聴くことが出来ます。さて、長くなりましたので、お読み下さった皆様には、下記のサイトにて自らの"BAND OF BRIOTHERS"を体験して戴ければ幸いです。今回はこれにて。Band of Brothers 公式HP こちら Band of Brothers - Emmy Awards Ceremony(エミー賞授賞式) こちら Band of Brothers Main Theme(主題曲) こちら Band of Brothers Theme Song(主題歌) こちら Band of Brothers - Piano Version(ピアノ演奏) こちら Band of Brothers Main Theme(エレクトーン演奏) こちら
September 7, 2007
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