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米国大統領選 番外編(6)昨日は、1日忙しくしていて、飛ばしてしまいました。1昨日の番外編(5)でお知らせしたサイトの数字、昨日分までで、投票所での事前投票 30,786,147票郵便投票の到着分 57,011,939票 合計 87,798,086票 となりました。僅か2日で1千万票以上の方が投票している。前回は、投票をサボったけれど、今回は投票しないわけには行かない、こういう方がおおいのですね。最終的な投票がどこまで伸びるのか、おそらくトンデモナイ数字になりそうですね。事前投票の様子を伝えるルポルタージュもいくつか出てきました。そこに共通しているのは、もっと混乱しているかと思っていたのに、ボランティアスタッフの頑張りで、何処でも投票は混乱なく、とても整然と行われていた。アメリカ社会の底力を見た気がした。郵便投票の開票作業も、混乱なく行われているようです。これは選挙後に書かせていただきますが、選挙が終わるまではと、ヒラリーへの投票を俺たちがさぼったから、トランプなんていうとんでもないやつを大統領にしてしまったと、前回の選挙で苦汁をなめた民主党左派、主としてサンダース支持の皆さんが、今回は意見の違いを棚に上げて、本気でバイデン候補への投票をよびかけているので、今は民主党の党内対立は完全に棚上げされているのですが、選挙後は、再びあわただしくなってきます。共和党も選挙で巻ければ、党内の亀裂は修復不可能になるでしょうから、政権のかじ取りは大変難しくなるでしょう。さてバイデンさん、どんな手を打つのでしょう。
2020.10.31
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米国大統領選 番外編(5)1昨日の番外編(3)に、郵便投票が既に6千万票に達したと書きましたが、あれは、事前投票(期日前投票)を合わせた数でした。訂正させていただきます。 以下のサイトが毎日更新で、最新の郵便投票を含む、事前の投票数を載せております。https://electproject.github.io/Early-Vote-2020G/index.htmlこれによりますと、27日現在で、事前投票は25,807,821票、到着分の郵便投票は50,727,926票となっており、併せて76,535,747票に達しています。1週間まで、前回選挙の半数を軽く超える数の事前投票が行われているのです。凄いですね。今度の大統領選に、米国の人々がいかに、自身のメンツとここまで営々と積み上げてきたアメリカの誇りを取り戻そうと、怒りを投票という形で表そうとしているかが、ヒシヒシと伝わってくるように感じています。
2020.10.29
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米国大統領選 番外編(4)前回2016年の選挙では、世論調査の結果が外れたため、今回の選挙でも世論調査は信用できない、今回も前回と同じで、僅差でトランプが勝つと主張される方もいるようです。この見方は、今回の選挙については、あてはまりません。トランプ支持派の願望に過ぎません。まず、前回の選挙、私も見通しを外した1人ですが、前回は、ヒラリーのリードは、選挙が近づくにつれて小さくなり、選挙1週間前の世論調査の結果では、彼女のリードは1,6ポイントまで縮んでいました。現状は全国レヴェルで8%以上の差がついているのですから、先ず挽回不可能です。それに、世論調査機関は、各社とも前回の予想はずしを深刻に受け止め、なぜ予測が外れたかについて、従来から投票率の高かった階層を中心に調査をし、ラストベルトの低学歴白人労働者は、投票率の低さを理由に調査対象から外していたことを公表し、彼ら彼女らがトランプを支持していたことを、予想に反映できなかったことを、明らかにしました。その反省に立って、今回の世論調査では、調査対象を大幅に拡大し、前回のような誤差は生じない工夫が、種々とられていたのです。従って、調査の信頼性は、大きく改善されているのです。そして半端でない事前投票や郵便投票があります。前回のヒラリー陣営には、負けるはずがないという驕りがありました。その驕りから地滑り的大勝を狙って、激戦州のテコ入れをおろそかにするというミスを犯しました。今回のバイデン陣営は、そのミスの反省に立って、念には念を入れて、激戦州のテコ入れに奔走しています。事前に開票の進んでいる一部の州の集計に過ぎませんが、現在のところバイデン票とトランプ票の出方には20ポイント以上の差がついているそうです。初日の結果を見守ることにしましょう。心配なのは投票日の3日における、投票所や開票所の混乱です。
2020.10.28
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米国大統領選 番外編(3)いよいよ、大統領選の投票日まで、1週間となりました。すでに記しましたが、2012年と16年の選挙における有効投票数は、1,260万票と1,200万票でした。それが今回は大幅に投票数が増え、1,500万票をこえるのではないかという状況になってきてのです。それだけ、今回はぜひとも投票する、しないわけには行かないと考える米国民が多数を占めていることになります。そうなんです。郵送投票も事前投票も大変な勢いで投票者が増えているのです。このうち、大統領候補のトランプが、2年前に居住地を移したフロリダ州で、夫人と共に投票を済ませたことが報じられた事前投票については、現在まだ報道がないのですが、夜明け前から長い行列ができる投票所があちこちで見られるという報道が相次いでいます。 そして、こちらはほぼ毎日到着数が発表される郵送投票については、月曜日26日現在で、早くも6千万票余が届けられ、受付けた旨が発表されています。投票日の1週間前に、既に前回の大統領選の半分を占める票が、各州の選管に届き受け付けられているのです。リアルの投票である事前投票と合わせれば、どのくらいになるのでしょう。しかも事前投票も郵送投票も、まだ1週間続くのです。凄いですね。最終的にどこまで伸びるのか。おそらく当日の投票を合わせれば、軽く1,500万票を超えてくることでしょう。トランプ陣営も必死になって、戸別訪問を繰り返しては、投票の勧誘に懸命になっているようですが、ここにきて寄付による選挙資金の額でも、バイデン陣営の受付額がトランプ陣営の2倍強となっており、広告の本数でも、トランプ陣営を圧倒していると報じられています。益々、バイデン圧勝の雰囲気が強くなってきています。実は、先日テキサスはトランプが強いので、さすがにここをバイデン候補が切り崩すのは難しいと書いたのですがm実は直近の世論調査報告によると、バイデン陣営がものすごい勢いで追い上げ、ついに僅か0,1ポイントの差ですが、ついにトランプ陣営を捉え、逆転したとまでは言えなくても、5分5分に持ち込んだのです。勢いは完全にバイデン前副大統領陣営にあります。大きく差が開けば、トランプも悪あがきは出来なくなります。
2020.10.27
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米国大統領選 番外編(2)トランプとトランプ陣営は、形勢不利を悟って、あの手この手で、バイデン支持者と反トランプ派の投票を妨害したり、不正にトランプ優勢の状況を創ろうと、あの手この手を弄しています。気になるのはこの点ですね。アメリカは、連邦国家ですから、中央政府と地方(州)の関係をみますと、他の国々と比べて格段に州の権限が強いことで知られています。選挙についても、投票方式や投票所の運営も主独自で決められるのです。例えば州内に何カ所の投票所を設けるかとか、郵便投票を認めるかどうか、認めるとすると、その受付は何日から何日までにするかとか、不在者投票をどうすかなどは、全て州によって違うのです、ですから、こんなことも起きるのです、共和党の中でも、折り紙付きのトランプ支持者が知事を務めるテキサスでは、知事が、各郡の投票所を突然一か所に制限すると発表し、今までの選挙では投票所になっていた80%以上の投票所の閉鎖を発表したのです。バイデン支持層の多い、高齢者が投票を諦めるように仕向けるあくどいやり方です。こんなことが許されるのですね。さすがに、これは憲法に定める、誰もが平等に選挙権を行使で切るものとするという条文に反するのではないかと、通達の撤回を求める裁判が提起され、大急ぎで審議が行われていますが…ノースカロライナでしたか、トランプ支持者が勝手に私設の投票箱を設置して、私たちが投票所に運びますと、勝手に郵便投票を受け付ける挙にでて、不正に処理される危険が高いと、大批判が集まり、州の選挙管理委員会に全て撤去される一幕もありました。トランプは、法と秩序を守る、安全で安心な国家を作り上げる責任ある地位にありながら、選挙に負けそうなことにいら立ち、負けても大統領職に居座る方法をあれこれ考えるという、とんでもない行動に着手しています。支持者に武器をとれとささやき、ミシガン州での集会では、コロナ対策で厳しいロックダウンを実施中のウィットマー知事を「刑務所に入れろ」と叫ぶ聴衆に同調、「知事だけでなく、みんなもだ」と、テロを肯定するという、まさにヤクザの親分のような振る舞いに出、その結果ミシガン州では、ウィットマー知事の拉致を計画中だった13人の若者が逮捕される事件も現実に起きました。従って、トランプ敗北が僅差となった場合など、彼がまさにゴロツキの本領を発揮して、大統領の座にしがみつき続けるという、みっともない行為に出ることも、予測できます。ただ、現実には、トランプ陣営は、ここにきて益々コロナ危機に祟られています。ベンス副大統領の側近たちが、続々とコロナに感染していることが本日明らかになったのです。ところがベンス自身は、自分は陰性だからと、2週間の隔離(自主的な活動停止)というガイドラインを守らず、マスクもせずに遊説に出続けるという呆れた振る舞いを続けたのです。これも熱狂的な支持者以外からは、顰蹙をかう行動です。トランプ票は、減り続けるわけです。こうしたトランプの居座りを許さないほどの、圧勝劇が11月4日からそう遠からぬところで、分かることを、私は予測しています。それには、郵便投票の開票作業が、投票日前から行える諸州の結果が意味を持ちます。昨日フロリダがポイントと申し上げましたが、さらにバイデン票を積み上げるとすると、アリゾナ、オハイオ、ノースカロライナ、テキサスの4週の結果にかかります。さすがにテキサスはトランプが取りそうですが、テキサスさえもトランプが落とすとなると、彼が勝利できるのは、アラスカだけになるかもしれません。バイデン圧勝の様相が、最初に出てしまえば、トランプの悪だくみは、トランプ離れを起こした共和党議員たちの手で、封じられる結果になるでしょう。
2020.10.26
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米国大統領選 番外編昨日まで、バイデン圧勝の論拠を記しましたが、いただいたコメントを拝見しますと、なおご心配の方が多いようですね。日本のメディアと評論家とされる方たちの多くが、世界各地の報道や論評と大きく違って、未だに「隠れトランプ票」が忽然と現れて、僅差でトランプが勝利する可能性が捨てきれないと、トランプの逆転勝ちがあるかもしれないといった見通しを、未だに語っているからです。マスコミと評論家に共通するのは、4年前の選挙でヒラリー勝利を疑わず、世論調査では「どちらに転ぶか分からない」と出ていたのに、あえてそれを無視してたことで、誰もが予想を外してしまったことです。この事実がトラウマになって今に残り、世論調査が次々とバイデン優位揺るがずと告げているにも関わらず、隠れトランプ支持者が顔を出して、トランプ票が大きく伸びる可能性があると、主張しています。これはとんでもない間違いです。トランプは、現職の大統領です。お行儀が悪く、問題行動も多いのですが、それでも現職です。未だに彼を支持していることを隠しておく理由なんてどこにもありません。大統領に当選してからの4年間で、彼の行動パターンもしっかり明らかにされています。彼にとって、予想外のことが起きる条件はもはやありません。ですから、共和党の上下両院議員や知事、それにホワイトハウスや各省庁の幹部職員の多くが、次第にトランプと距離を置く姿勢まで取り始めているのです。沈没する船からは、皆逃げ出すのです。下院議員全員と、上院議員の1/3(今回は33名)は、改選の選挙戦を戦っています。トランプをヨイショして勝てる見込みが立たなくなった選挙区の議員たちは、トランプ批判に方向転換したりしているのです。トランプのイエスマンだった、ポンペオ国務長官も、4年後の共和党の大統領候補となることを指揮して、独自の主張を知はじめ、コロナ禍のこの時期に、世界各地を歴訪しては、対中包囲網の強化に熱中しています。ウォール街ですら、トランプ後を見据えた動きをとり、バイデン大統領の経済政策を予測しての金利や為替の変動が続いています。欧州などもそうですが、今回の選挙では、世論調査の予想通りに、かなり大きな差でバイデンが勝つと踏んでいるのです。日本のマスコミと評論家の多数派だけが、未だにトランプ勝利がありうると言っているのです。 どうですか。まだ彼らを信じますか?
2020.10.25
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トランプの自滅 その5さて、選挙はバイデン圧勝となると読みますが、11月3日投票、4日開票となりますが、今回は4日のうちにバイデン勝利が確定する可能性は高くありません。コロナの影響で、郵便投票が大きく膨らむと考えられるからです。3日の投票日、トランプ支持者は、コロナを恐れるな、マスクなんかしないで、ドンドン街に出て集会にも参加しよう方式ですから、堂々と投票所に足を運ぶでしょう。対してバイデン候補支持者は、コロナを恐れますから、投票所へ足を運ばず、郵便投票をか不在者投票を選ぶ人が多くなるでしょう。となると、マスコミが行う出口調査の対象となるのは、圧倒的にトランプ支持者ですから、調査結果は間違いなく「トランプ優勢」となるはずです。何とか既成事実を積み上げ、郵便投票はインチキと訴えたいトランプは、この時点で「勝利宣言」を発して、目くらましに打って出る可能性もあります。どうやって、この場面を切り抜けるか? 圧勝が確実でも、この開票半日程度の混乱は避けられないはずです。今回の郵便投票は、各種調査が一致して報じるところでは、投票全体の6割程度になるだろうと言われています。2016年選挙の総投票数は約1億3千万票でした。これと同じとみても6割は、8千万票近くになります。これほどの郵便投票は前代未聞ですから、開票作業にどのくらいかかるかは、見込みが立ちません。わかっているのは、郵便投票の開票が進むにつれてバイデン票が大きく伸びることです。トランプが、なにかちいちゃもんをつけるのも、この場面です。ところで、郵便投票の開票作業はどうやるかを見ておきますと、選挙管理人は、事前に登録したサインと照合して、本人確認を行います。次に郵便を開封して、投票用紙をスキャンし、それから集計作業に入るのです。ところで、この郵便投票の開票作業をいつ行うかは、州に任されていますから、州ごとに違っているのです。多くの州は、11月3日の投票終了後に開票作業に入るのですが、全米で4番目に人口が多く、大統領選挙人の数も29人と多いフロリダ州は、「到着した郵便投票分は、直ちに開票し集計作業に入って良し」となっているのです。ですからフロリダ州の開票結果の選管発表は、ごく一部の疑問票を除いて、4日のうちに行われることになります。フロリダは、2000年の大統領選挙の時に、当選したブッシュjrと敗れたゴア候補が、僅差の大接戦を演じ、フロリダを獲得した候補が勝利する展開となり、投票の再集計を行うか否かが問題となり、問題は裁判に持ち込まれ、最終的に最高裁が12月12日に、再集計を禁じる命令を出したところで、ゴア候補が「判決に同意は出来ないが、最高裁判決を受け入れる」と敗北を受け入れる決断をしてブッシュ当選が確定しました。こうして12月18日に迫っていた、大統領選挙人の投票は、平穏に行われたのです。フロリダは、こうした因縁のある州なのですが、今回は、そのフロリダの結果が、他の郵便投票の開票結果待ちの多くの州に先駆けて明らかになるのです。ここで、事前予想で今回も接戦州と予測されているフロリダ州で、4日のうちにトランプが異議申し立てできない程はっきりと、バイデン勝利の結果が発表されれば、この時点でバイデン圧勝がほぼ確定することになります。皆さんもどうぞ、11月4日水曜日に明らかになるフロリダ州の結果に注目なさって下さい。ちなみに今年の大統領選挙人の投票は、12月14日月曜日に行われます。選挙人の投票日は、12月の第2水曜日の次の月曜日と決まっているからです。11月3日までの投票によって選ばれた選挙人の皆さんが、各州の州都で投票を行うのです。トランプのわがままで投票日後に混乱が続いても、おそらくこの日までにはケリがつくでしょうが、私はバイデン圧勝と見ていますので、11月10日ごろまでには、落ち着くものとみています。
2020.10.24
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トランプの自滅 その4もう1点、2月下旬から大きな問題となった、新型コロナウィルス(covid19)対策です。米国の感染者は800万人を超え、死者も22万人超と、いすれも現時点では世界最大を記録しています。この事実そのものが、トランプ政権のコロナ対策が機能しなかったことを明瞭に示しています。コロナウィルスを軽視し、ファウチ博士を先頭に困難な状況に立ち向かった国立感染症研究所のスタッフたちの助言があったにも関わらず、国民に対し根拠の乏しい楽観的な見通しを流し続けた結果がそこにありました。その結果、トランプの信奉者と言われるトランプ支持の一団は、マスクもせずに密な状態を創り出し、多くの感染者を出すに至りました。トランプには危機管理が出来なかったのです。その結果、コロナウィルスへの感染を恐れる人々は、大統領は信用できないと、彼に見切りを付けました。そんな焦りからトランプは、余計に意固地となって無理を重ね、10月に入って、自らコロナに感染してしまうという大失策をやらかしたのです。大統領夫妻と官邸スタッフが感染し、さらに会合に出ていた複数の上院議銀も感染するなど、大きな騒ぎになりました。おそらく本人もしまったと思ったのでしょう。その後のトランプはまさに見苦しいとしか言えない行動をとり続けます。医師団の言うことを聴かずに、3日で回復したと言い張って、早期の退院を強行し、選挙運動を再開すなど、彼地震に付き添う医師団、SP、そして運転士や警察官などにコロナ感染の危険度が高い仕事が強制されたのです。その行動をつぶさに見た米国民は、益々トランプを見限りだしました。そこへ国民の尊敬と信頼を集めるファウチ博士を悪口雑言誹謗中傷する演説を、これでもかというほど続けたのです。コロナ感染後のトランプは劣勢を自覚したためもあって、焦りに焦り、その結果悪手を打ち続けています。こんなトランプに投票するのは、彼のコアな支持者だけになるでしょう。彼のコアな支持者は、キリスト教福音派と低学歴の白人たちです。福音派は未だに進化論を否定するなど、子どもたちに高等教育を受けさせないなど、意固地に凝り固まった人たちです。低学歴の彼らの多くは、新聞雑誌などは読まず、見たり聞いたりするのは、SNSや口コミ、そしてラインやツイッターアドなんです。いわばトランプ教の信者なのです。ヒトラーの親衛隊や毛沢東の紅衛兵のような役割を果たしてくれるのです。従って、集会の熱気は大変熱いのですが、その広がりは限られます。「4年前より支持が広がっているのではないか」という声が聞こえますが、拡がった分は確かにありますが、4年前にトランプに投票した人たちには、無党派で民主党とりわけヒラリー・クリントン女史に飽き足らなかった人たちが、今回はトランプを見限り、彼のゴロツキやヤクザを思わせるような言動に拒否反応を示しています。特に白人至上主義者たちを擁護したり、黒人や貧しき人たちに抑圧的な態度をとり、暴行を加えたりする警官を褒めたたえたりする言動が、無党派層の離反を産んでいます。22日(日本時間23日朝)に行われた第2回テレビ討論でも、トランプは確たる成果をあげることは出来ずに終わりました。もはやトランプには、大きなチャンスは訪れないのです。来月3日の投票の結果は4日のうちに、バイデン圧勝の形が出来ると私は読んでいます。無党派中間層の支持を完全に失ったこと、軍のコミュニティを敵に回してしまったこと、この2点から私はトランプは、前回選挙よりも得票数を減らし、バイデン陣営は、ヒラリー票は勿論、12年のオバマ票をも超える得票を記録するとみています。 続く
2020.10.23
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トランプの自滅 その32020年という年は、トランプにとって最悪の年になりました。彼の危機管理能力の欠如という、大統領としては致命的な欠陥を、大きく浮かび上がらせる出来事が、二つも発生したからです。一つは秋になっても一向に収束の気配を見せないコロナ危機で、もう一つが5月に起きた、無抵抗な黒人青年ジョージ・フロイド氏が、白人警官による暴行死事件をきっかけに、全米に大きな広がりを見せたBlack Lives Matter(黒人の命は大切だ)運動に対する、洒落にならない対応です。もう一つはコロナ危機に対する対応能力のお粗末さと、危機を拡げるだけの本人の対応です。前者の黒人並びに非白人に対する差別に反対する運動に対する、トランプの無理解は、あまりにひどく、ひたすら白人至上主義者や、極右勢力を持ち上げ、米国の分断を強く推し進める効果を発揮しました。特に6月1日、ホワイトハウス前で行われた平和的なデモに対し、大統領がホワイトハウス前の教会まで徒歩で出かけ、演説するパフォーマンスを演じるのに邪魔だからと、軍を動員して強制的に排除し、そのあと無人となったホワイトハウス前を、大統領がエスパー国防長官とミリー統合参謀本部議長を引き連れて歩き、教会前で演説し、記念撮影するという暴挙を犯したことです。米国の大統領は、軍の最高司令官を兼ねます。その司令官が、平和的なデモを行っていた普通のアメリカ国民を、軍の力を使って排除させたtのです。これは軍が国民に銃を向けたことに外なりません。これは大事件でした。軍内部から、強烈な不満と批判が噴出しました。3日、前国防長官のジェームス・マティス氏が、かつての上司だったトランプを、強烈に批判する大演説をぶちました。方針に反対でも、現役の武官が公然と大統領を批判する演説はしにくかろうと、退役した元上司が、大統領批判を肩代わりしたわけです。マティス氏はこう述べました。まず、「法の下の平等という正義は、デモ参加者が要求していたものであり、抗議に参加した意識ある人々が求めていたのは、この我々の価値、我が国の基本的な価値にしたって生きることである。」と述べ、少数の暴徒が略奪行為を働いたことを理由に、デモに参加した数千の人々の米国民を「テロリスト」と断じたトランプの間違いを指摘した。その上で、マティス氏は、「私が50年前に軍隊に入隊した時、私は合衆国憲法を守ることを誓った。同じように宣誓した兵士たちが、どんな状況であろうと、憲法で保障された市民の権利を侵害する命令を受かるなど、夢にも思わなかった。」と述べ、トランプの命令は、憲法に保障された国民の権利の侵害だったことを指摘したのです。「我々は、我々の都市が『戦闘空間』であり、征服軍人達が制圧するために召集されるなどという考えを断固拒否しなければならない」と述べ、トランプの命令を受けたとはいえ、兵士に対し「戦闘空間を制圧せよ」という言葉を使ったエスパー長官をも厳しく非難したのです。マティス氏は、メディアに出演して評論家のようにベラベラしゃべるような退役軍人ではありません。トランプとの意見の相違から国防長官を辞した後、後任のエスパー長官の仕事を妨げないよう、現役軍人に配慮して、政権批判めいたことは一言も発していなかったのです。そのマティス氏の、真正面からのトランプ批判でした。彼は続けます。「自国において、我々は極めて限定された機会に、州知事からの要請があった場合にのみ、我が国の軍隊を用いるべきである。ワシントンDCで目撃したような軍事的対応は、軍隊と市民社会との間に誤った紛争を作り上げてしまう。会そうなってしまえば、征服軍人たちと彼らが守るべき社会との信頼の絆によって保証された道徳的な基盤が損なわれてしまう・・」「公共秩序の維持は、各州の文民指導者たちに委ねるべきである。彼らがそれぞれのコミュニティについて、最もよく理解しているからである。」「抗議デモに対する対応を軍事化する必要などない。我々は共通の目的のために団結する必要がある。そのために法の下で我々すべてが平等であることが保障されているのだ。」「ノルマンディ上陸作戦の前に、我々兵士たちに軍の上層部から与えられたメッセージは、ナチスのわれわれを破壊するためのスローガンが”分断と征服”であることを、思い出させた。これに対する我々米国の答えは、”力は団結にあり”だった。「ドナルド・トランプは、私の生涯で米国民を団結させようとしない、そのふりさえしない初めての大統領である。その代わりに彼は、我々を分断させようとしている。我々が目撃しているのは、3年間に及ぶ意図的な分団の試みの結果である。我々はトランプ大統領なしで団結することが出来る。」マティス氏は、トランプの「分断」の手法をナチスの手法と重ね合わせて、その脅威に対して団結せよとのメッセージを、発したのです。そして「我々は、合衆国憲法を嘲る政権を拒絶し、彼らに責任を取らせるべきである。」こう述べて、彼は、大統領選挙を控える全ての軍人と、合衆国国民に対して、トランプ再選を拒否して、新しい道の選択を呼び掛けたのです。このマティス氏のトランプ批判に続いて、次々に軍OBが立ち、入れ替わり立ち代わりに、トランプ批判とマティス氏支持を打ち出しました。まさに退役軍幹部のスターたちが、総出でトランプ批判を綴ったのです。それはまさに、自分たちは現役だけに言いにくい現幹部に替わって、言いにくいことを言ってあげようという態度に見えました。果たせるかな、非公式に現役たちからも突き上げられたのでしょう。エスパー長官とムリー統合参謀本部議長が、揃ってトランプに随行した自らの誤りを悟り、今後はトランプと行動を共にしないと誓い、トランプによる国内での軍動員命令を、認めない姿勢をしめしたのです。要は、退役軍人まで含む、広い軍幹部のコミュニティが一致してトランプを支持しないことを表明したのです。幹部の動向は、幹部に従う下士官たちを通じて一般兵士にまで及びます。黒人のデモに対して、強い態度を見せようとして、安易に正規軍の動員を命じたことで、トランプは、国民の支持ある行動を心がけてきた軍コミュニティの支持を完全に失ってしまったのです。この時点で、私はトランプに2期目はないと、考えるようになりました。ただまだどのくらいの差がつくかは、見えていませんでした。 ここにコロナ対応の失策続きが加わります。 明日に続きます。
2020.10.22
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トランプの自滅 その2米国の大統領選挙が、なぜ大統領選挙人を選ぶ2段階選挙になったのか。これは建国当初の事情によります。アメリカのイギリスからの独立は、独立戦争を始めるまで、互いにほとんど没交渉だった13の英国植民地が、英国の仕打ちに怒って手を結んだこと。また英国の興隆を喜ばない欧州大陸諸国の米国への肩入れで実現しました。駒かい話は省略しますが、13の植民地は、独立したことで13の州となり、独立した1783年から5年もかけて議論した結果、88年にようやくアメリカ合衆国の誕生をみ、翌89年の4月にj、ご存知のジョージ・ワシントンが初代の大統領に就任しました。この選挙から、大統領選挙人を選ぶ選挙が行われたのです。理由は、立候補した人物を知っているのは、同じ州、さらには同じ地方に住んでいる人だけで、大多数の米国民にとって、候補者がどんな人物か分からない。だから、各州代表の会議に参加した名望家たち、さらにはその随員を務めたりして、他州の人々をも幅広く承知している人たちに任せて、大統領を選んでもらうことにしたのです。その選挙システム現代に残っているのです。 もう1点初期の大統領選挙では、正副大統領はセットではなく、別々に選挙されていました。その結果、ワシントン引退後の第3回選挙では、大統領には、フェデラリスト党(連邦派中央政府の権限を強化し、中央政府中心体制を強めようとするグループ)のジョン・アダムズが選ばれ、副大統領には、リパブリカン党(反連邦派、中央政府の権限は最小に抑え、各州が中心となって、夫々の問題に対処すればよいとするグループ)のトーマス・ジェファソンが選ばれるというとんでもないことが起きたのです。そんな混乱を経て、大統領と副大統領をセットして、一緒に選ぶ選挙制度に買えたのですが、大統領選挙人を選ぶという習慣だけは、手を付けずに現在に残っているのです。選挙人の人数は、人口比で各州に配分されますが、州の投票で多数を占めた候補が、その週の選挙人を総どりする州と、比例配分する州とがあり、投票システムと開票の方法も州によってまちまちです。かつてのリパブリカン党的な行き方の名残が、現在まで残っているのです。前回の選挙では、激戦州の多くを、トランプがうまく制したのですね。2012年のオアバマ対ロムニーの選挙、そして前回のヒラリー・クリントン対トランプの選挙の得票数を比べてみると、実は共和党候補が獲得した得票数には、ほとんど変化がなく、民主党候補が大きく票を減らしているのです。2012年の選挙でのオバマ票は、6591万票、ロムニー票は6093万票でした。これに対して16年のクリントン票は6082万票、トランプ票は602万票です。つまりヒラリーは500万票も票を減らし、90万票減らしたトランプに敗れたのです。民主党支持者、特に女性の支持者に嫌われたヒラリーの人柄、そしてオバマのように黒人の熱い票を獲得できず、民主党支持者に棄権が多く出たこと、そしてトランプ陣営のラストベルトの低所得の白人層に狙いをつけたトランプ陣営の選挙戦術の巧妙さに、してやられた形になったのです。今回、前回の失敗に懲りた民主党陣営は、しっかりスクラムを組み、左派のサンダースを含めタチームづくりに成功しています。逆に共和党は内部分裂を起こしています。トランプの票が、前回をけることは、期待できない。私はこう見ています。これだけでバイデン候補の勝利は固いのですが、これでは圧勝になりません。圧勝のシナリオを私はどう描いたのか。明日ご説明します。
2020.10.21
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トランプの自滅20日のブログに替えてブロ友の皆さん 今晩は。昨晩ドジを踏みまして、19日の月曜日なのに、何か20日と思い込んで、20日のクロニクルを書いてしまいました。失礼いたしました。と言って、19日の事を今日書くわけにいかず、アメリカの大統領選について、私の見ていることを書かせていただきます。4年前、トランプの当選は二重の衝撃でした。一つは、大方の政治マニアと同じく、トランプの勝利はありえないとした見立てが外れたことでした。二つ目は、トランプの人となりに多少の知識がありましたので、こんなゴロツキのような男を大統領にするなんて、いったいアメリカの理性はどうなっているんだ。こんなヤツを大統領にしてしまうなんて、どうかしている。こういう大きな判断ミスは、覇権国家がその座を滑り落ちる画期に良く見られる現象だ。こりゃヤバイぞと、受け止めたからでした。アメリア支配の終わりの始まりと私が最初に感じたのは、2001年の9.11でした。アメリカの繁栄の象徴、ツインタワーの無残な崩落が、象徴的な出来事のように感じたのです。それはともかく、大統領選は2週間後に迫りました。その今日またトランプは、大きな失策をやらかしました。米国におけるコロナとの戦いの先頭に立って、役に立たない大統領と官邸スタッフに替わって、各州の知事たちや医療スタッフ、公衆衛生部局などに働きかけ、その的確な方針の立て方や的確な国民へのアピールで、広い支持を集めているファウチ博士を、悪口雑言の限りを尽くして罵倒したのです。これでまた、熱狂的でない緩やかな共和党支持者、緩やかなトランプ支持者の氷河、バイデン候補に間違いなく流れたことでしょう。アメリカ政治に関心を持つ学者評論家の皆さんは、前回予想を外したことがトラウマになって、今回も隠れトランプ支持者の大軍が出てきて、世論調査の傾向とは異なる結果になり、トランプが勝つかもしれないと、現時点ではバイデン候補が有利だが、トランプが逆転する可能性も捨てきれないと、地震無げな物言いに終始しています。それはありません。私は、今回の選挙で、トランプは地滑り的大敗に陥るだろうとみており、そう感じています。 実はアメリカの大統領選挙は、国民が直接大統領を選ぶのではなく、大統領選挙人を選び、その大統領選挙人が、大統領を選ぶという2段階方式をとっています。ですから、前回の選挙でも、総得票数では上回ったヒラリー・クリントン候補が、獲得選挙人数では下回って敗北したのです。そんないきさつを含め、明日から2,3回、トランプ敗北論を書かせていただきます。 続く
2020.10.20
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クロニクル 小選挙区制で初めての選挙1996(平成8)年10月20日あれから24年経ったのですね。騒がれていた衆院選は、来年のようですから、25周年記念衆院選挙になるのですね、25年前のこの日、第41回総選挙が初の小選挙区比例代表並立制という選挙制度で行なわれました。戦後、男女平等の普通選挙が導入されて以来(この制度での最初の選挙は、1946(昭和21)年4月10日でした)、ずっと続いてきた中選挙区制を改めた新制度での最初の選挙でしたが、投票率は戦後最低の59,65%まで落ち込みました。この選挙は、各選挙区当選者が1人だけの小選挙区で300人、比例代表で200人の計500人を選ぶ選挙でしたが、選挙区と比例区の重複立候補を認め、しかも比例代表名簿の同一順位に何人もの候補者を並べることが出来、同一順位の候補者は、惜敗率(同じ選挙区で当選した候補に対する本人の得票比率を調べ、その比率の高い候補から当選とするという仕組み)で順位を定めるという,分かり難さが嫌われたのと、狭い選挙区のため、候補者が限定され、馴染みがあったり、応援したい候補がいないなどの理由で、投票所に足の向かない人が増えたのでしょう。また、小選挙区制は小政党に不利な制度であることから、政党の再編も進み、選挙直前の9月28日には民主党が誕生するなどしていました。 選挙結果は、自民党239、新進党156、民主党52、共産党26、社会民主党15、さきがけ2、無所属10となり、小政党の苦戦は明らかでした。この時、公明党は、衆院のみ1時解党して、新進党に加わっていました。 小選挙区制になったことで、残念なことに、国会議員も小粒になりましたね。
2020.10.19
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続・日本の民主化を巡って その4農地改革は、農民の多数を占めていた小作農や自小作農(所有する農地が少なく、不足する分の農地を地主さまから借り受け小作することで、ようやく最低限の暮らしが成り立つ農民)を、零細な自作農民に替えました。こうして日本の農村には、平均で5反分程度の農地を所有する、零細な自作農が大量に誕生したのです。 地主たちは、政府や都道府県の農地委員会に、強制的に農地を売り渡さざるを得なかったのですが、無償で没収されたのではなく、当時の相場よりも安い価格でしたが、対価は支払われており、契約に基づく売買の形をとっていました。小作農たちは、実勢価格よりも安い価格でしたが、農地は買い取る形だったのです。それなのに、土地を強制的に売り渡さざるを得なかった地主たちは、政府に土地を取られたと話し、土地を購入した零細農民たちは、ただ同然で土地が手に入ったというのはなぜかというと、敗戦による日本財政の破綻による、戦後の大インフレに原因がありました。農地の買取価格と売り渡し価格の査定は、大インフレ以前の価格でなされたからなのです。その結果、地主たちが手にした土地代金は二束三文の価値しかなく、農民たちの支払額は、ただ同然の簡単に支払える額だったのです。こうして、零細自作農となった元小作農たちは、もはや口減らしの為に、娘たちや次男坊、3男坊らを、住み込みで働きに出す必要はなくなりました。生活は決して豊かとはいえないけれども、家族総出でしっかり働き、ちょっとした新方式などを採り入れると、収穫量も増えて、些細な品物なら町で買うことも出来るようになっていったのです。冬場は雪に閉ざされる豪雪地帯などでは、冬場の出稼ぎは欠かせなかったのですが、これは口減らしとは違います。こういうことなのです。植民地市場をなくしたかわりに、人口の多数を占めて、今や零細自作農となった元小作農たちは、数の力で塵も積もれば山となる式に、植民地市場にかわる、市場の役割を果たすことになったのです。低賃金労働者はどウするのか。 貧農の家族を低賃金で雇い入れる方式はもう取れません。ここでは、健保9条が効いてきます。9条の2項で、日本は陸海空軍を持てないことになりました。軍隊は無くなったのです。 戦前の日本で、平時でも予算の3割近くを占め、戦時にはそれが6割にも7割にもなった日本で、軍事費が、旧軍人の恩給だけを計上すればよくなったのですから、財政的には大変助かります。戦後すぐに大インフレを経験しましたから、戦時国債の支払いも楽になりました。日本人の主食は米ですから、米さえ食えれば民衆は文句を言わない。では、米については戦後も国家統制を残し、農家からは適正価格で買い取り、それを米穀商を通して販売する価格は安くする方式をとったのです。60年の安保闘争の頃まで取られた低米価低賃金政策です。大インフレ是正のためにとられたドッジデフレの最中に、丁度良くやってきた朝鮮特需での、日本経済の復興も加わり、詳細に記すと、さらに細かな要素がいろいろ加わるのですが、農地改革で零細自作農が大量に出現し、こうして誕生した小規模自営農民(零細自作農)が、新たに消費市場の底辺を支えることになったことが、戦後初期の日本経済の底抜けを防ぐ役割を果たしたのです。
2020.10.18
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続・日本の民主化を巡って その3昨日の続きです。後発資本主義国の日本は、農村出身で、なおかつ農村に片足を残した低賃金労働者の大量存在に助けられてた安価な商品の生産によって、先進資本主義国に対抗し、何とか資本主義化を続けておりました。農村出身の低賃金労働者が大量に存在したことが、日本経済の武器だったのですが、それは同時に大きな弱点でもあったのです。多数の小作農民が、争って小作地を求めるからこそ、地主は高い小作料を設定できるのです。小作料を高すぎると苦情を申し立てても、嫌なら借りなくてもいいよ、外に借りたい農民はいくらでもいるからとあしらわれてしまうからです。食べてゆくのに汲々として、年端も行かない娘たちを口減らしの為に都会の工場に送り出す農民に、工業製品を購入するゆとりなど、あるはずがありません。こうした貧しき小作農が、人口のかなりの部分を占めるのです。当然、日本資本主義は、国内市場に期待が持てないのです。国内市場が狭くて小さいというのは、ちょっと工業化が進んでくれば、輸出に頼るしかない事態に追い込まれることになります。その時武器となるのは、製品の安さしかありません。 しかし、欧米の経済先進国が、わざわざ安さを武器の日本製品を大量に買ってくれるかというと、そんなことはありません。するとどうなるか? 安い日本製品を黙って受け入れてくれる見つけるしかないのです。遅ればせながら、島国の日本もまた、海外に植民地を求めるしかないのです。次の年号入りの事態をごらんください。1894~95(明治27~28) 日清戦争1904~05(明治37~38) 日露戦争1914~18(大正3~7) 第一次世界大戦1918~22(大正7~11) シベリア出兵1931 ~32 (昭和6~7) 満州事変1941~45(昭和16~20) アジア・太平洋戦争このうち1932~41の間も、断続的に中国特に華北を中心に断続的に中国での戦闘が続けられており、31年~45年までを、日中15年戦争と説明することもあります。一見して、資本主義化が軌道に乗り始めた明治20年代からの日本が、長くても10年に1回のペースで戦争を繰り返していることが分かります。その戦争の全てが植民地獲得を狙っての戦争です。要するに国内市場が狭いという、日本資本主義の致命的な弱点が、経済規模が膨らむにつれ、次々に新たな販路としての植民地獲得を目指しての戦争へと、日本を駆り立てていったのです。こんなスタイルが永遠に続くなどと言うことはありえず、ついに挫折するに至ったのが、日本の敗戦だったのです。敗戦で、日本は日清戦争から獲得し続けてきた植民地の全てを失いました。国内市場は狭いのです。そんな日本の資本主義は、不思議なことに再建され、一時は日本の奇跡として世界の注目を集めました。どうして再起できたのでしょう。実をいうと、その端緒も農地改革にあったのです。いったい何故?明日書かせていただきます。明日がいよいよ最終回になります。 続く
2020.10.17
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続・日本の民主化を巡って その22日間、間が空いてしまいました。実は、農地改革は、日本の経済復興の面でも、大きな役割を果たしました。どういうことか。明治以降の日本資本主義の特殊性から記します。戦前の日本資本主義は、「女工哀史」や「あぁ野麦峠」で知られるように、女工たちの低賃金・長時間労働と、農家の次・3男などの鉱山その他でのタコ部屋労働と呼ばれる同じく苛酷な低賃金労働などでを基礎として成り立っていました。この点は、年配の方ならご存知と思いますが、東京大学の総長を務め、卒業式の告辞で「太った豚よりもやせたソクラテスになれ」の名文句を卒業生に送った大河内一男先生が、日本資本主義を特徴づける低賃金労働が長きにわたって存続できたのは、労働力が出稼ぎ型賃労働という特殊性を持っていたからだと指摘する学説を唱えられ、広く支持されたことにあります。出稼ぎ型賃労働が長く存続したわけは、日本独特の地主小作関係にありました。農村も幕末からの激しい物価変動に巻き込まれ、自営規模の農地を持つ中農の多くは没落します。その画期が、明治14年からの松方財政と呼ばれるデフレ政策にありました。この時期に謝金が返せず土地を失う農民が続出したのです。しかし、まだ資本主義生産が安定的な成長軌道に到達していなかったため、土地を失った農民たちは、欧米のように、家族ぐるみで工業地帯に出て労働者として生活していける見込みが立たなかったのです。そこで、彼らは農村に残り、地主から土地を借りて耕作する小作農となる道を選んだのです。地主からしてみると、借り手はいくらでもいますから、小作料を割高な水準に設定することが出来ます。まとめて一人の借地農に広い土地を貸すよりも、貧しい小作農たちにちいさな小作地を貸す方が、チリも積もればで、有利だったのです。こうして日本の農村では、戦後に農地改革が行われるまで、地主の支配が続いたのです。貧しい農民は、食べ盛りになった子どもは、長男だけを残して、4年間の尋常小学校(明治40年からは、義務教育は4年から6年に延びました)を終えると、家から出て働きに出されるのです。食べる口が一つ減るからです。いわば口減らしです。そんなわけですから、工場に行けば、家では常に腹を空かせていたのに、仕事はきついけれどもお腹いっぱい食べられるのです。女工たちはそれで満足です。仕事はきつく、食べて寝る以外は、ほぼ働いてばかりなのですが、ここにいられれば、寝る場所があり、粗末な食事でも(明治末に貧民の調査を担当した横山源之助は、「ブルジョワ家庭の犬の食事よりも、女工たちの食事の方がずっと貧しかった」と指摘しています。『日本の下層社会』)食べるものがあるのです。病気になれば家に帰されますし、数年働くと、家に戻され、地主さんの世話で、隣村などの同じような農家の嫁になり、やがてその子もまた、親と同じように働きに出るのです。つまり彼女らには帰るべきところがあるので、工場には出稼ぎに来ているようなものなので、組合を作って賃上げや待遇改善を要求するなどという発想は出てこないのです。同じことが、男子である次男や3男にも言えます。タコ部屋に就職した彼らも、不況で一時待機(景気が戻ったら再雇用となる)となると、いったん実家に帰り、しばらく農作業を手伝いながら居候するのです。家から追い出した負い目がありますから、しばらく置いてもらえるのです。 彼らも、労働者として生きるという腹が据わってないのです。こうして、腕が建つゆえに引く手あまたの熟練労働者以外は、低賃金で都合よく使われる農村に片足を置いたままの労働者が、日本の資本主義を支えたのです。安さを武器に日本製品は、輸出市場に打って出たのです。 続く
2020.10.16
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続・日本の民主化を巡ってGHQによる日本の民主化の殆どは、民政局によって具体策が練られ、実行に移されたものがほとんどでしたが、その中で最大のヒットは何かというと、私は農地改革をおいて外にないと考えています。理由はいくつかありますが、日本と中国のその後を見れば一目瞭然です。日本がポツダム宣言を受諾し、日本の敗戦が確定した当時の中国の状態を見ましょう。当時中国における共産党勢力の軍事力は、国民党軍と比べて、はるかに劣勢でした。年配の方はご存知でしょうが、朱徳将軍率いる共産党軍は、当時八路軍と呼ばれていました。つまり第8軍です。ということは第1軍から第7軍までは、全て国民党の軍隊でした。つまり日本軍が中国で対峙していた部隊の殆どは国民党軍だったのです。ですから、対日戦が終わって、再び国共内戦が始まっても、国民党軍の勝利は揺るがない。米国政府や米軍、そして欧州の英国なども、やがて中華民国は落ち着き、蒋介石の支配が固まると考えていました。この目論見は驚くことに、裏切られました。49年夏、国民党軍は共産党軍に敗れ、やっとの思いで台湾へ逃れ、米国の援助を受けて、辛うじて台湾を確保するに終わりました。蒋介石の国民党は、なぜ内戦の敗者になったのか。答えは簡単です。彼らは中国農民の大多数を占めていた、まったく土地を持たない無地農民や自給規模の土地を所有できない少地農民といった小作農民の要望に耳を傾けず、大土地所有者(大地主)擁護の政策を執り続けたのです。対する共産党は、支配地域を広げると、地主の土地は没収して、貧農たちの要望を聞き入れ、彼らに対する土地分配を続けていったのです。その結果、共産党軍は各地で歓迎され、両者の力関係は、短期間に逆転していったのです。貧農の要望を聞き入れたか否か、この点が蒋介石一派と毛沢東派の明暗を分けたのです。翻って日本の農地改革は、不在地主の土地は全て、在村地主の土地は1町歩を超える部分を強制的に買い上げ、これを貧農たちに分与するというものでした。GHQの占領下で、GHQの強い圧力の下で、ようやく実現した貧農への土地分与でした。その結果、土地所有農民となった貧農たちは、個人の土地所有を認めない共産主義を敵視し、中国共産党の成功にならって、山村工作隊などを展開して日本の社会主義革命を目指した日本共産党の行動にそっぽを向いたのです。もしGHQが農地改革を、日本政府に命ずるだけ命じて、全てを日本側に任せていたら、日本の官僚機構の得意技である(これは今でも変わりませんね)やったふりだけする式の、僅かな手直しでお茶を濁すだけに留まったでしょうから、共産党の主張が小作農民たちの耳に届き、小作農の大反乱が起きていたかもしれません。農地改革は、日本の経済復興の面でも、大きな役割を果たしているのです。この点は明日に」… 続く
2020.10.13
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日本の民主化を巡って昨日のクロニクルに、マッカーサー指令で「女性解放」などが指示されたことを書きました。平和主義の9条や、男女同権などを盛り込んだ新憲法などもそうですが、GHQは占領下の日本の統治機関ですから、かなりな大所帯でした。大所帯のGHQの中で、日本の民主化に辣腕を振るったのは、僅か10人足らずの小所帯だった民政局でした。この民政局のメンバーは、本国でも名うての改革派、理想主義者のグループで、今現在の米国政治で大きな争点になっている、国民皆保険だとか、生活保護であるとか、基本的人権の尊重であるとか、教育の機会均等であるとか、当時のアメリカ社会では実現不可能な提言を、政治状況を考えずに、次々に提言して、上役を困らせていた人たちでした。そこで、上役たちは、日本の降伏に際し、日本行きのメンバーを選出する際に、彼ら彼女らをまとめて日本に送り出すことで、厄介払いができると考え、彼ら一人一人に、日本に行けば君らの考えている改革を一挙に実現できる可能性がある。このチャンスを生かしたらどうかと説得したのです。彼らは、日本で成功すれば、やがて本国に戻った時に再度のチャンスがあるかもしれないと受け止め、全員が日本行きを快諾して、日本にやってきたのです。総司令官のマッカーサーは、日本を再び軍事大国にしないことを、何よりも重視し、そのために、経済界では財閥、農業世界では大地主、そして軍隊、さらには家父長制が続いていた家制度の改革などを課題としていましたので、本国ではお蔵入りとなった彼らの改革プランを、日本社会にそのまま適用することを良しとしたのです。張り切った彼らは、馬車馬のように働き、矢継ぎ早に日本政府に指令が飛んだのです。結果的にそうした改革の殆どは、広く日本国民に受け入れられ、GHQの対日占領は、明治維新に続く、第2の開国と称されたのです。 明日に続く
2020.10.12
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クロニクル マッカーサー女性解放等を指令1945(昭和20)年10月11日ちょうど75年前のことです。この日、GHQ(連合国日本占領軍司令部)のマッカーサー総司令官は、10月5日の東久邇宮内閣の総辞職を受けて、9日に成立したばかりの幣原喜重郎内閣に対して、「5大改革」を指令しました。 5大改革とは、女性解放、労働組合の結成奨励、学校教育の民主化、秘密審問制の廃止、そして経済機構の民主化の5項目です。 経済機構の民主化は財閥解体や農地改革として実現し、労働組合運動もこの後急速に高まって行きますし、教育の民主化は、特に女子に対する教育差別の撤廃として、男女共学化の推進、義務教育の拡大と高等教育(大学)の女性への門戸解放などが実現しました。 女性解放もマッカーサー指令によって、推進されたというのが、いかにも日本らしいのですね。
2020.10.11
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クロニクル NHK総合全カラー化 10日の日記1971(昭和46)年10月10日49年前になります。東京オリンピックの開会式から、丁度7年目にあたるこの日、NHK総合テレビの全ての放送番組が、カラー放送となりました。ただし、モノクロで撮影された劇場用映画(例えば、『七人の侍』や『真昼の暗黒』など)をTV放送する場合は例外でしたが…。 日本でカラーTVが、爆発的に家庭に普及するようになったきっかけは、何といっても東京オリンピックでした。以前にも記しましたが、「オリンピックをカラーで見よう」というコマーシャルは、人々の心を揺さぶり、カラーTVは飛ぶような売れ行きを見せました。しかし、当時のTV放送では、カラー放送はなお1部の番組に留まっていました。新聞のテレビ欄の番組名の頭に、四角に白抜き文字でCと記されている番組のみが、カラー放送だったのです。オリンピック以降、少しづつカラー番組が増え続け、この日遂にNHKがオールカラー化を実現したのです。 間もなく民放各局もあとに続き、全放送局がオールカラー化するのに、長い時間はかかりませんでした。
2020.10.10
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クロニクル ビルマで爆弾テロ1983(昭和58)10月9日37年前のことです。現在のミャンマーが、まだビルマと名乗っていた時期のことです。この日、現地時間10時25分頃、ビルマの首都ラングーン(現在はミャンマーの首都ヤンゴン)の国立殉難者記念廟で爆発事件があり、ビルマを公式訪問中の韓国政府要人等韓国人17人とビルマ人4人が死亡、多数の重軽傷者が出ました。韓国の全斗煥大統領は、到着が遅れて難を逃れたのですが、副首相は死去しました。この記念廟には、ビルマ建国の父で、アウン・サン・スー・チー女史の父にあたるアウン・サン将軍の遺体が安置されており、ビルマを公式訪問した外国政府要人が、必ず訪れる場所だったことから、全斗煥大統領の参拝を狙った爆弾テロだったことは明らかでした。 時あたかも、大韓航空機爆破事件の40日後でしたから、韓国政府はただちに北朝鮮の仕業と断定し、強い抗議談話を発表しました。ビルマ政府もメンツをかけて迅速な捜査を実施、11日と12日に犯人2名を逮捕、北朝鮮工作員の仕業と断定、ただちに朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との国交を断絶しました。時に「北朝鮮」の最高権力者は、初代の金日成でした。
2020.10.09
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クロニクル ビスマルクの登場1862(文久2年)10月8日 文久2年は、日本で言うと森鴎外の生まれ年です。そんな158年前のこの日、ドイツ統一の父と謳われたビスマルクが、プロイセン王国の首相に就任しました。 当時ドイツは、なお50余の国々に分かれたままで、プロイセンとオーストリアという2国が統一へのヘゲモニーを巡って互いに牽制し合っていました。 首相になったビスマルクは、ただちに予算の組み替え案を議会に提出、国防費の大幅アップを画策します。首相の強引なやり方に議員達は、激しい怒りをぶつけました。会議に呼ばれたビスマルクは、その席で有名になった処女演説をぶち上げたのです。 「現下の大問題は(というのは、ドイツ統一を指しています)、言論によって解決されるものではなく、プロイセンの鉄(軍需工業)と血(兵士の流す血)によってこそ、達成されるのであります。」と。これが有名な「鉄血」演説です。 以後プロイセンは、ビスマルクの方針の下に、軍事大国の道を突き進むことになりました。
2020.10.08
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クロニクル 中国人民解放軍チベットに侵攻1950(昭和25)年10月7日70年前のことになります。今年の10月1日が中華人民共和国建国71周年にあたりますから、ほぼ、建国1年後の出来事ということになります。この日、中国人民解放軍がおよそ2万人の規模で、チベットに侵攻しました。当時のチベットはなお中世的な封建体制が支配的で、チベット農民の多くは農奴制度によって土地に縛りつけられており、1部の宗教指導層が領主として、農奴農民を支配していたことが知られています。そのため農民層は、規律と統制が取れ、略奪や暴行を加えない人民解放軍を解放者として受け入れたため、チベット軍の抵抗は散発的なものに留まり、翌51年にはチベットは中国に併合されました。この中国の行動に対し、当時の国際連合は、何一つ具体的な行動をとりませんでした。アメリカはこの年6月に始まった朝鮮戦争に忙殺され、正式な国家でないチベットに関心を示しませんでした。何よりも当時米国の保護を受けて、国連の議席を確保していた台湾政府(中華民国)が、中国政府と並んで、チベットを独立国と認めていなかったため、チベットは国連に直接訴えるすべもなく、安保理で審議することさえ、台湾政府の拒否権発動で、不可能となっていたのです。これが、今に続くチベット問題の発端でした。
2020.10.07
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クロニクル 四人組逮捕1976(昭和51)年10月6日あれから44年も経ったのですね。この日、文化大革命を主導したとされる江青、張春橋、姚文元、王洪文の中国共産党政治局員4人、いわゆる文革4人組が逮捕されました。 4人は、後ろ盾だった毛沢東主席が亡くなった後、影響力を失っていましたが、逮捕はプロレタリア文化大革命の終わりを象徴する出来事でした。
2020.10.06
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クロニクル サザエさん放映開始1969(昭和44)年10月5日アニメ番組としては、ダントツの世界一の長寿番組となっている「サザエさん」。実は今日が51歳の誕生日です。フジTV系列で、当初から日曜日の夜6時30分から7時までの30分番組として、ずっと平均視聴率で20%程度を確保しているというのですから、まさにお化け番組です。 当初は、ホームドラマの全盛期でしたが、家族の形が大きく変化した今も、同じつくりのホームドラマで、飽きられることがないのですから、日本人の琴線に触れる何かを持っているからなのでしょうね。お家の電話は、今でも黒電話。かけて来る電話も公衆電話。遠くなった昭和の香りが漂う作りです。なぜわかるかというと、3ヶ月に1回くらいですが、眺めては楽しんでいるからです。
2020.10.05
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クロニクル 人工衛星宇宙へ1957(昭和32)年10月4日63年前、私は中学校の3年生でした。この日、ソ連政府は、スプートニク1号と命名した人工衛星の打ち上げに成功し、衛星が軌道に乗ったことを発表しました。まだ自宅にテレビがなかったので、朝食をとりながら、耳を傾けていた7時のNHKのトップニュースで、この報道が飛び込んできたのです。 米ソの宇宙開発競争で、ソ連が米国を1歩リードしたことが明らかになった瞬間でした。ませたタイプの多かった私のクラスメートたちと、米ソ競争はソ連の優位で進むのか、米国が巻き返すのかと、そんな議論に花を咲かせました。
2020.10.04
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クロニクル 東京・大阪の穀物取引所閉鎖1930(昭和5)年10月3日90年前のことです。この日、東京・大阪の清算米取引所(米の先物市場ですね)で、米価が大暴落。両取引所は勿論、全国の米穀市場が休止に追い込まれました。前年10月の米国の株安を端緒とする世界恐慌の影響が、ついに日本にも及んできた結果の一幕でした。米国発の世界恐慌の影響は、留まることを知らずに年を追って深刻化し、日本もまた翌31年には満州事変を起こして、戦争への1歩を踏み出し、翌々32年には5/15事件と、軍部独裁への傾斜を強めてゆきました。
2020.10.03
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クロニクル GHQ第一生命ビルで執務開始1945(昭和20)年10月2日75年前のこの日、GHQは接収した東京、日比谷の第一生命ビルでの執務を開始しました。それまで、マッカーサーGHQ総司令官以下のスタッフは、米国大使館に間借していたのです。それゆえ、昭和天皇がマッカッサーを訪問したのは、この米国大使館だったのです。ところで、 第一生命ビルは、現在はDNタワー21として、建て替えられたのですが、マッカーサーの執務室だけは、当時のままマッカーサー記念室として、保存されています。今日は、このブログの誕生日です。2006年の10月2日に産声をあげましたので、 丁度14年が過ぎ、15年目に入ったところです。
2020.10.02
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クロニクル 戦後初の国債上場1966(昭和41)年10月1日54年前になります。この日、敗戦後はじめて国債が東京・大阪両証券取引所に上場されました。 戦争中に戦費調達のために乱発された戦時国債は、戦後の悪性インフレで紙くず同然となりました。その反省から、戦後の日本は、歳出を歳入に合わせる緊縮財政をとり、財政収支の赤字を極端に嫌う財政規律を重視した政策運営を続けてきました。しかし、1964年のオリンピック特需が消滅した後の、戦後最大といわれる不況の中で、財界の要望に押された佐藤栄作首相と福田赳夫蔵相は、65年11月、補正予算編成に必要だとして、2,590億円の赤字国債の発行を盛り込んだ補正予算案を,国会に提示しました。この案は翌66年1月19日に国会を通過、諸手続きを経て、同月29日、戦後初の国債が発行されました。 最初は僅かでも、一度口にした禁断の実は忘れられず、国債発行額は瞬く間に増え、とりわけ73年秋の第一次石油ショック以降、急増に次ぐ急増を続け、79年に大平首相が、財政再建を掲げて大型間接税の導入を主張し、その10年後の竹下内閣の下で、消費税の導入が決定しても、なおも増え続け、今では1000兆円の大台を軽く超え、なお膨張を続けています。ところで、17年前の2003年、金融危機の中で、100兆円に近い国債を発行して景気刺激を試みながらも、景気浮揚に成功せずに、赤字ばかりを膨らませました。その100兆円の国債は借換債の発行で今も残っています。そして現在は、米国発の世界金融危機の最中に始まった日・米・欧揃っての超金融緩和政策によって、事実上の中央銀行引き受けに限りなく近い形での、国債の大量発行が際限もいなく続けられています。この金融政策に果たして出口はあるんでしょうか?
2020.10.01
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