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(承前) 大門通りを西へと上る。ゆるやかな坂道である。国道15号を渡り、しばらく行くと、増上寺と書かれた門前に出た。 交差点表示は「芝大門」とあるが、「小さな門だから、これは大門ではあるまい。大門はこの奥にあるのだろう。」と思ったのはヤカモチの見込み違い、やはりこれが大門でありました。 背後には東京タワーが見えている。(芝大門) この大門から奥の三門(三解脱門)までの距離が約108間あり、大門を潜って三門まで進み、三門を潜ると108の煩悩から解脱する、ということであるらしい。 三門前到着。 手前の緑地の一角に設けられた喫煙場所で一服してから三門へ。(増上寺・三解脱門) 三門(三解脱門)というのは、悟りの境地に至るための三様の修行、空門・無相門・無願門に基づくものとのこと。(同上・三門説明碑)(同上・三縁山 広度院 増上寺 説明碑)(同上・境内図)<参考>増上寺ホームページ 境内散歩 上の境内図はネット検索で帰宅後に探し出したもので、当日はこのようなものを持ち合わせず、駐輪場がどこにあるかも分からなかったので、三門脇に取り敢えず駐輪して、門内から下掲の大殿の写真を撮って、足ばやに門外に退出。 前述のように、三門を潜って108の煩悩から解脱したヤカモチであった筈が、すぐに門から外に立ち戻ってしまったので、元の木阿弥、煩悩の世界に逆戻りとなったようです。(同上・大殿) 自転車に乗って、駐輪場を探すべく境内北側の道に入ると、正面に東京タワーであった。で、先に東京タワーに回ることとする。と言ってもタワーの展望台に上るというのではない。真下からの写真を撮ろうというのである。 はい、こういうのは既にして煩悩世界の発想でありますな(笑)。(東京タワー)(同上・直下から見上げての写真) 煩悩のことはさて置き、東京タワーのいい写真が撮れました(笑)。 再び増上寺に戻る。境内地北側の道路から横入りすると駐車場があり、そこに駐輪できるスペースがあった。(増上寺・大殿) 寺院は本堂、神社は本殿、というのが相場であるが、此処では「大殿」と称するようだ。1階に僧信徒控室、2階に本堂、3階に道場、地下に宝物展示室という多機能建物にて、本尊を安置する御堂たる本堂という概念では包摂しきれない建物であるから「大殿(だいでん)」という訳である。 まあ、大仏殿など、寺にも「殿」はありますから、どう(堂)ということはないと駄洒落にして置きます。 万葉的に訓を付けると「大殿(おほとの)」でありますが、これは大極殿のことですかな。(同上・大殿説明碑) 大殿に向かって左側に光摂殿、右側に安国殿と、左右にも「殿」があります。(同上・増上寺会館、右は光摂殿) 正面のコチラ向きの二つ並びに見える建物が増上寺会館。右端に一部だけ写っているのが大殿。その隣が光摂殿。(同上・大殿側から見る三門)(詠唱発祥の地碑) 「詠唱」というのは、浄土宗特有の呼び方で、普通には「ご詠歌」といわれるもののこと。戦後、浄土宗では、法然など高僧の和歌に節をつけたものを「ご詠歌」とし、それ以外の仏の教えなどの言葉に節をつけたものを「和讃」とし、これらと共に舞われる「舞い」なども含めたものを「詠唱」と総称するようになる。 碑文によると、昭和21年7月に第1回詠唱講習会が開催されたのは総本山知恩院に於いてであるから、詠唱発祥の地は知恩院の方かもしれないのだが、詠唱を行う組織、浄土宗吉水講が最初に組織されたのが増上寺ということで、この「詠唱発祥の地」碑が建てられているようだ。(同上・ブッシュ槇) 第41代アメリカ大統領・ジョージ・ブッシュ(父ブッシュの方)が副大統領であった1982年4月24日に来日した折にお手植えしたというコウヤマキの木が三門を入った左手、詠唱発祥の地碑の横にありました。当時の大統領は第40代大統領ロナルド・レーガン。(同上・法然上人歌碑) 大殿へと向かう参道の石階段の脇には浄土宗の宗祖・法然の歌碑。池の水 ひとのこころに 似たりけり にごりすむこと さだめなければ 石階段を上がって大殿前の広場を右に行くと、千躰子育地蔵菩薩。(同上・千躰子育地蔵菩薩) 千までは行かないが、おびただしい数のなんとも可愛いお地蔵さんが居並んでいました。(同上) 赤い帽子と前掛け。脇に立てられたカラフルな風車が時折吹く風にカラカラと勢いよく回る。(同上) 見て回りつつ、ついシャッターを押してしまっているヤカモチでありました。(同上) この先は、通り抜け禁止と書かれているので、足は踏み入れず、振り返って撮ったのが下の写真。(同上)(同上・説明碑) 増上寺は徳川将軍家の菩提寺にて、徳川将軍家墓所が境内の奥にある。<参考>増上寺・Wikipedia 今年は、NHK大河ドラマ「どうする家康」ということなので、その将軍家墓所にもご挨拶と思ってのオプションツアーであったが、一般公開は午後3時までで、既に時刻は過ぎていて参拝受付は終わっていました。 将軍家墓所の写真は、上記<参考>のWikipedia記事に掲載されていますので、興味のある方はそれでご覧ください。 今回は、皇居の庭園といい、将軍家墓所といい、まことに間の悪いことでありました。しかし、皇居周りを銀輪散歩することそのものが目的で、何処に立ち寄るといった目的のこれと言ってない銀輪散歩でありましたので、これはこれでよしであります。 時刻もよし、東京駅の方へ引き返すことにします。 以上で、皇居一周銀輪散歩終了です。(完)<参考>銀輪万葉・関東編
2023.03.29
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(承前) 国会前交差点を斜めに渡って桜田濠沿いに下って行くと桜田門。(外桜田門)(同上・説明碑) この門は常時開いているようだ。自転車に乗ったまま中へ。(桜田門) この門を潜ると皇居前広場である。(皇居前広場) 左に行くと二重橋。 上の写真で、手前から奥右にかけての地面が黒っぽい区域はアスファルト舗装。左手の白っぽい区域は玉砂利になっていて、堀に近い部分が簡易舗装になっている。 玉砂利区域と黒っぽい舗装区域との境目に、「自転車立ち入り禁止」の立て札が等間隔に何本か立っている。 「乗り入れ禁止」は、手押しで歩いて行くのであれば自転車もOKであるのに対して、「立ち入り禁止」は、自転車を持ち込んではいけないというものであるようだ。しかし、この辺の解釈は必ずしも一定していないようであるから、どう理解すべきかいつも迷ってしまう。 大型のキャリーバッグをゴロゴロと曳いている観光客や乳母車を押している観光客もあるので、手押しで入ってもいいのかと、そのまま進入すると、遠くに居た警備の警官がピーッと警告の笛を吹き、両手で×のジェスチャー。自分のことかとヤカモチも仕草で示すと、そうだとの様子。 慌ててとって返し、アスファルト部分に引き返し、石垣前のベンチに自転車を駐輪してから、徒歩で入り直す。 20年近くも昔のことになるが、友人の鯨麻呂氏と金沢を銀輪散歩した折のこと、金沢城を横切ろうとした際に、自転車立ち入り禁止の立て札があったので、「担いで入ればいいのでは」とそれぞれ肩に担いで通り抜けたことがあった。出口で係員と遭遇したが、何もクレームがつかなかった。 肩に担げば只の手荷物、自転車持ち込み禁止とは書いていないから問題なかろう、という屁理屈であったのだが、皇居前広場でこの屁理屈が通用するとも思えず、警官から注意を受けた直後であってみれば喧嘩を売っているようなもの。そんな大人げないことはしない、この日のヤカモチでありました(笑)。(皇居正門石橋) ヤカモチはこの橋が二重橋だと思っていたが、正しくはこの奥にある正門鉄橋が二重橋だとのこと。(正門と二重橋) 正門石橋を二重橋だと紹介している写真などもあり、ヤカモチ同様にそう誤解している人も多いのではないかと思う。 上の説明碑をよく読まずにいたものだから、二重橋は撮影したものと正門鉄橋の方は撮影せぬまま、皇居前広場を立ち去ってしまいました。 ということで、Wikipediaに掲載の写真を下に転載して置きます。(正門鉄橋<二重橋>Wikipediaより転載)<参考>二重橋・Wikipedia まあ、元々「二重橋」というのは通称であるから、鉄だの石だの固いことは言わない、というのがよろしいかと。 ということにして、ヤカモチも人麻呂さんの歌に追和して1首。大君は 神にしあらねど 象徴と 二重ふたへの橋の 奥にしませる (橋本偐麻呂)(本歌)大君(おほきみ)は 神にしませば 天雲(あまぐも)の 雷(いかづち)の上(うへ)に 廬(いほ)りせるかも (柿本人麻呂 万葉集巻3-246) 皇居前広場から内堀通りに出て日比谷公園に入る。 野外音楽堂近くに喫茶店があったので、そこでランチ。<参考>日比谷公園・園内マップ(日比谷公園・雲形池) 日比谷公園に入るのは学生時代以来かもしれない。 霞門から出て、野外音楽堂の裏を南へ。 西幸門前交差点を左折。かもめ広場は桜が満開。(同上・かもめ広場) 名前は「かもめ」であるが、居たのは鳩と雀。 このまま東京駅に戻っては、時間が早過ぎる。 ということで、芝公園・増上寺へと向かうこととし、途中、浜離宮恩賜庭園に立ち寄るべしということにする。 コース概略図は下掲の通りです。(日比谷公園~浜離宮庭園~増上寺・東京タワー方面コース地図) 皇居一周銀輪散歩という当初計画からすれば、コースアウトということになりますが、以下は付録、オプショナルツアーであります(笑)。 都営地下鉄三田線が通っている道路・日比谷通りを南下。 新橋4丁目交差点を渡った先二つ目で左折して脇道を東に入り、浜離宮恩賜庭園へと向かう。 200m位行ったところに小さな公園、塩釜公園。 立ち寄って小休止。奥に塩釜神社があった。(塩釜神社)<参考>塩竈神社(東京都港区)・Wikipedia この地は、仙台藩江戸藩邸のあった場所とのこと。塩釜神社があるのはその関係ということで納得であります。 浜離宮庭園到着。 中の御門出入口前に駐輪して入場。 受け取った入場券には「14:03」の時刻が記されているから、中の御門出入口到着は午後2時丁度位か。(浜離宮恩賜庭園)<参考>浜離宮恩賜庭園・園内マップ 此処のソメイヨシノはまだチラホラ咲きでありました。 園内マップをよく見ると中央にウマシマデノミコトの銅像があったようですが、手前で左に進んでしまったので見落としたようです。 ウマシマデはその父・ニギハヤヒと共に物部氏の祖とされる人物。神武東征の際に徹底抗戦派のナガスネヒコを殺し、神武に恭順した人物であるが、わが地元の石切神社の祭神でもあるので、ご挨拶できなかったのは残念なことであります(笑)。(同上・三百年の松) 三百年の松という立派な黒松。三百年(みももとせ)の 離宮の松は 枝広げ 小山のごとや 神さびにけり (偐家持)(本歌)磯の上(うへ)の つままを見れば 根を延(は)へて 年深(ふか)からし 神(かむ)さびにけり (大伴家持 万葉集巻19-4159)(同上・説明碑) 上の大伴家持の歌の「つまま」とはタブノキのこととされる。 そのタブノキの巨木が「三百年の松」と向かい合う形で、高々と枝葉を延ばしていましたが、さすがに貫禄負けしていました。(同上・タブノキ) お花畑は、菜の花が満開。(同上・菜の花畑) 園内では着物姿の若い男女の姿があちらこちらで目についたが、何であったのか。卒業式で男子学生が着物というのは変だから、それに関連した謝恩会か何かの後であったのだろうか。 最初、着物姿の学生風の男子数名の集団を見た時は、落語研究会の学生かと思ったが、その後他にも多くの着物姿の男女を目にしたので、そうではなさそうと思った次第。(同上)(同上)(同上)菜の花や バスは隅田を 遡り 雲と行くかや 浅草あたり (偐家持)(同上・水上タクシーが隅田川に出て行くところ) 黄色の船体に「水上タクシー」と書いてあったと記憶するのだが、受付の券売所で貰ったパンフレット(上記<参考>の園内マップと同じもの)には水上バスと記載されていて水上タクシーの記載はないから、これが水上バスなのかもしれない。 水門の向こうは隅田川。右が河口側で、左が上流側。左に旋回すれば、直ぐに勝鬨橋で、浅草へと向かうのだろうが、目を離している間に見えなくなったので、どちらへターンしたのかは不明である。 浜離宮は余りに広すぎて回り切れず、そこそこにして退場。 ゆりかもめとJRが並行して走る高架線路を右手に見て、これらに並行する道を南へと走る。 前方に浜松町駅が見えて来た辺り、ゆりかもめの高架路線が左にカーブしている下を潜る手前付近に、イタリア公園と表示された公園があったので立ち寄ってみた。人影なし。(イタリア公園)<参考>イタリア公園・Wikipedia 浜松町駅の東側にあるのが、旧芝離宮恩賜庭園。 先ほど浜離宮恩賜庭園に入って来たばかりなので、こちらは入場口から覗くだけで、入場しないこととしました。(旧芝離宮恩賜庭園)(同上・案内板) こちらは、浜離宮の4分の1程度の広さであるが、それもあってか、入園料は浜離宮のそれの半額相当の金額である。 ヤカモチ的にはこの程度の広さの方が歩いて回るには手頃かも。(同上・庭園の由来説明碑)(同上)<参考>旧芝離宮恩賜庭園・Wikipedia 園内マップ このアト、浜松町駅を左に見て、JR線を潜り、大門通りを西に上がりますが、本日はここまでとし、続きはページを改めます。(つづく)
2023.03.27
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(承前) 靖国神社の境内を出ると、九段坂上三叉路。 少し東に戻って、千鳥ヶ淵緑道に入る。自転車の乗り入れは禁止のようだから、手押しでブラブラと歩きながら行く。(千鳥ヶ淵緑道) 桜の並木。いずれも「年深からし」の古木にて、風格のある姿。 満開に近い木もあったが、多くは三分咲きか五分咲き。しかし、花見を楽しむには十分な咲き具合。散策する多くの人と行き交う。 夜はライトアップされるのだろう。照明設備が設置されている。(同上) ブロ友のlavien10さんによる前ページ記事へのコメントによると、同氏もこの日は千鳥ヶ淵を散歩して居られたとか。何処かでそれとは気づかぬままにすれ違っていたなら面白いのですが・・(笑)。※追記注(2023.3.26.)その後のコメントでlavien10さんが散歩されていた時間が13時過ぎであることが判明しましたが、ヤカモチが千鳥ヶ淵をブラブラしていた時間帯は10時過ぎから10時50分頃まででありましたので、約3時間の時差で遭遇するチャンスはなかったという次第。(同上)(同上) 菜の花が咲いていた場所から少し下ったところに千鳥ヶ淵戦没者墓苑の東門があったので、参拝に立ち寄ってみた。(千鳥ヶ淵戦没者墓苑 東門) 南側に回り込んだところにも入口(西門)があり、そちらが正面の入口になるのかもしれない。だとすれば、ヤカモチ流の裏からの入場ということになるが、墓苑の建物などの配置からは、どちらが正面入口ということではないようである。 駐車場は西門側にあるので、車で参拝に来られるお方は西門からの入場となるから、西門からの入場者の方が多いのだろう。(同上 左が本屋・六角堂、中央が御製の碑、右が前屋・休憩所)(同上・六角堂) 献花する参拝者。 昭和天皇御製の碑が前屋の南側左右に建立されている。(同上・昭和天皇御製の碑)くにのため いのちささげし ひとびとの ことをおもへば むねせまりくる (昭和天皇御製)(同上) 御製の碑は、東西に向き合う形になっている。(同上)戦なき 世を歩みきて 思ひ出づ かの難き日を 生きし人々 (同上)(同上)(同上・平和祈念碑と追悼慰霊碑)(同上)<参考>千鳥ヶ淵戦没者墓苑 墓苑を出てからは、一般道を自転車(トレンクル)に乗って走る銀輪散歩本来のスタイルに戻る。 半蔵門の前に到着。(半蔵門) 半蔵門の向こう側は皇居の敷地となるので、他の門とは違って道路に面する入口には車止めのコンクリート円柱が並びその背後に柵が置かれていて一般人の立ち入りを固く禁止しているという雰囲気。警官詰め所の建物もあって、パトカーも常駐のよう。(同上・説明碑) この説明碑を撮影しようとしたが、女性が一人この前に立って長々と地図を見て居られたので、かなり辛抱強く待たされました(笑)。(同上・桜田濠側から) ここで、コース概略地図を参考までに掲載して置きます。 半蔵門で概ね半周したことになるか。(コース概略地図1・皇居一周、日比谷公園) 半蔵門から三宅坂(R20)を下る。国立劇場の前付近に押しボタン式の横断歩道があり、信号待ちをしている人が居られたので、ヤカモチも便乗して信号が青になるのを待つ。 横断歩道を渡ると国立劇場の前。その前庭の桜が満開だったが写真を撮るのを忘れてやり過ごしてしまった。R20の堀端とは反対側の歩道を下ると三宅坂交差点。手前が最高裁判所。門の外側、内側に何人かの警備の人が立って居られてカメラを向けにくい雰囲気。ということで最高裁判所も写真には収めず三宅坂交差点に出てしまう。此処で右に入る角に三宅坂公園というのがあったので立ち寄る。(三宅坂公園 背後の建物は最高裁判所) 道路面より高い位置にあるので公園の様子は道路側からは見えない。 入口階段を上る。三体の女神像とおぼしきブロンズ像があるばかりで、それが全てというポケットパークでありました。 しかし、ブロンズ像の裏にあったのがこれ。(渡辺崋山生誕地の碑) 渡辺崋山はこの付近で生まれましたか。 最高裁判所と国会図書館の間の道を西に入り、少し寄り道です。(国立国会図書館) 国会図書館をぐるりと回り込んで、国会議事堂東側の歩道から撮影したのが上の写真。 道を回り込んで国会正面前へ。(国会議事堂) 国会正面前の坂道を下る。 道路の左側が国会前庭洋式庭園、右側が和式庭園であるが、道路の左側を走っていたので、洋式庭園に立ち寄る。(国会前庭洋式庭園) 洋式庭園の一角に日本水準原点というのがあった。(日本水準原点) 下掲の説明碑によると、この建物の中にある台石に取り付けられた水晶板の目盛りの零線の中心と東京湾の平均潮位海面との差がこの水準原点の標高とされ、これを基準として我が国の土地の標高を測定するとのことであるが、土地測量についての知識を持ち合わせないので、イマイチよくは理解できない。 明治24年(1891年)5月設定当時は24.500mと定められたが、関東大震災後に24.4140mに改正され、また、平成23年(2011年)3月の東日本大震災の地震による地殻変動によって24mm沈下したとして、現在は24.3900mに改正されているとのこと。(同上・説明碑) 洋式庭園に立ち寄ったのだから、右側の和式庭園にも立ち寄らねばならないが、和式庭園に立ち寄るためには、坂道を下りきったところの横断歩道を渡って、道路反対側を再度上らなければならない。ということで、和式庭園はパス。 最高裁判所、国会と三権のうちの司法と立法の二権に挨拶したのだから、行政の首相官邸にも挨拶すべきところと言うべきであるが、同様の理由でこれもパスでありました。 坂道を下りきって、国会前交差点から堀端の道に戻り、桜田門へと向かいます。(つづく)
2023.03.25
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東京に所用があって出かけたついでに皇居周りを銀輪散歩して来ました。 銀輪散歩をしたのは3月20日のことですから、四日遅れの旅便りということになります。 東京を自転車で走るのは、2019年4月以来のことであるから、ほぼ4年ぶりということになる。今回のホテルは東京駅八重洲口近くであったので、皇居周辺を一周してみようと思いついた次第。これなら地理感がなくても道に迷うことはあるまい、と考えたことも理由の一つです。 先ず、大手門の前に出て、そこから左回りに一周という計画。(大手門) 大手門は正式には、大手高麗門というようです。(大手門前の案内地図) 大手門から入って二の丸庭園を見て・・という計画でしたが、上の案内図に記載されているように、この日は月曜日で休園日にて、外門が閉ざされたまま。是非も無し。 大手濠に沿って北へと走る。 一つ目の交差点で右に入る。平将門の首塚へと向かう。 随分の昔、まだ現役だった頃、経団連に仕事で出張することがよくありましたが、経団連会館の一つ南にある通りにあるのが将門の首塚。経団連会館へは丸の内北口を出て歩いて行くのであるが、そんな折に一つ手前の道を左折してしまって目にとまったのが将門塚であった。そんなことで、久々に将門公にご挨拶と立ち寄ってみたのだが、随分と広くなり、綺麗に整備されて見違えるほど立派な佇まいになっていました。(平将門首塚)(同上)(同上・説明碑) 説明碑によると、現況のように整備されたのは、2021年とあるからごく最近のことのようです。 将門塚から再び堀端の道に戻り、北へと進むとこんな像がありました。(和気清麻呂像)(同上・副碑) 「國體擁護」なんぞという大時代的な言葉で分かるように、昭和15年に皇紀2600年を記念して建設されたもののようです。(同上) 清麻呂公の頭上にとまったハトが動かない。 鳩麻呂になった気分でいるのかもしれない(笑)。 清麻呂像から西に回り込むと平川門である。(平川門) 勿論、ここもご覧のように「通せんぼ」である。(同上) 平川門から竹橋へと進む途中にクスノキの巨木があり、その足元に何やら石碑がある。(太田道灌公追慕の碑) 何が刻されているのか。殆ど判読できない。(「江戸城築城550年に当たって」の副碑) 隣の副碑によるとこの石碑は太田道灌公追慕の碑で、道灌没後450年を記念して建立されたとのこと。 道灌の没年は1486年。追慕の碑は1936年建立ということになる。(まち・記憶碑 1457年江戸城築城) 門が全て閉ざされているなら、門を通り抜けるコースでは北の丸公園にも入れないことになる。ということで、竹橋を渡って北の丸公園に入るコースを選択する。(北の丸公園・落ち椿) 落ち椿が美しい。(同上・吉田茂像) 吉田茂像にもご挨拶して・・。(同上・コブシと寒緋桜) コブシと寒緋桜の間を抜けて行くと、日本武道館の裏口に出た。 表に回る。(日本武道館) 武道館では第45回全国高等学校柔道選手権大会が開催中でありました。 そういうこともあってか、田安門は開門されていて、そこから高校生らを含む多くの人が出入りされていました。或いは、田安門は常時開かれているのかも。(田安門)(同上・説明碑) ということで、竹橋方面へ戻ることを要せず、ヤカモチも田安門から門外へと出る。(田安門の前から桜を見る) 門を出ると堀端の桜がほぼ満開。 今年は全国で一番早く開花宣言された東京であるが、このところの高気温で更に開花が進み、早くも花見頃になっている。(同上) 田安門から堀端の道に出ると、向かいは靖國神社である。(靖國神社・大鳥居) 大鳥居の右手に慰霊の庭があり、そこにあるのが「さくら陶板」。 靖國神社創立記念事業の一環として全国各都道府県の陶工によって制作・奉納されたものである。 大阪府の陶板だけ撮影。 他の都道府県のそれは、下記<参考>靖國神社境内案内図をクリックしていただき、案内図の「さくら陶板」をクリックしていただくと北海道から沖縄県までの陶板の写真がご覧になれます。(さくら陶板 大阪府) ひときわ目立つのは大村益次郎像。 陸軍創設者にして、靖國神社創建にも尽力したということで、明治26年に建立された像である。(同上・大村益次郎像)<参考>靖國神社境内案内図 奥に見えるのが第二鳥居と神門。 大勢の人でもあり、自転車なので、神門以下は省略。 上記<参考>の境内案内図にて、拝殿その他はご覧ください。 大村益次郎像の左手の石鳥居から境内を出て、千鳥ヶ淵に向かいます。 が、つづきはページを改めることとします。(つづく)<参考>銀輪万葉・関東編
2023.03.24
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先日(3月18日)、マイナンバーカードを受け取りに、東大阪市本庁舎まで出かけて来ましたが、受取予約時間よりも早く着き過ぎたので、市庁舎の最上階・22階展望ロビーに上がってみた。 此処に上がるのは多分2回目。前回は、過去記事を調べてみると、2012年9月13日のことなので、10年6ヶ月ぶりになる。<参考>市役所の展望ルームからの眺め 2012.9.13.(東大阪市本庁舎22階展望ロビーからの眺め 西方向)(同上 南東方向) 東方向の写真は、上記<参考>の記事に掲載していますが、北方向にはマンションがあるためか、撮影が禁止されていて、眺望がきかない仕様になっている。<参考>22階展望ロビー・東大阪市ホームページ 展望ロビーには、NHK・朝ドラ「舞いあがれ」に関連した展示がなされていました。(展望ロビー・「舞いあがれ」の展示)(同上)(同上)(同上 ラグビーカフェ・ノーサイド) これは、この奥にあるカフェに関係するものか? ※<追記・注>「舞いあがれ」に登場する喫茶店が「ノーサイド」でした。 そして、トライくんも。(同上 トライくんも) 市庁舎の北隣には大阪府立中央図書館があるが、その前庭に平和の女神像があった。(平和の女神像) 平和の女神像の由来などは、上掲写真画面をクリックしてフォト蔵の大きいサイズの写真画面を開いて、碑文をお読みください。 奥の建物が大阪府立中央図書館です。 東側の庭に早咲きの桜が満開になっていました。(桜が満開) これは、18日撮影の写真でもなく、市庁舎や図書館とは関係ありませんが、ストリートピアノです。(瓢箪山商店街のストリートピアノ) ピアノと言っても電子ピアノで、本格的なピアノでないところが、わが商店街らしいか(笑)。 ご婦人が、たどたどしく童謡を弾いて居られました。
2023.03.23
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友人・岬麻呂氏からの旅便りです。 今年に入って5回目となる旅は「奄美大島の南にある加計呂麻島・実久海岸が目的の夫婦旅」とのこと。 「奄美は何度も訪ねているが、実久の海も天候が悪いと海の色がさえないので加計呂麻に渡るのは、いつもお天気次第で決める」というのが岬麻呂流のようですが、果たして旅の首尾やいかに、であります。(旅・岬巡り報告307・奄美大島&同写真説明)3月6日関西空港→奄美空港→土盛海岸→あやまる岬→笠利埼灯台→名瀬港・ポートタワーホテル(3連泊) 奄美空港でレンタカーを借り、土盛(ともり)海岸へ。(土盛海岸) 土盛海岸は奄美空港のすぐ北側にある。 奥の岬はあやまる岬。(あやまる岬) 「あやまる」というのは「綾糸の手毬」が語源とのこと。 奄美十景に数えられる景勝地。 奥の岬は笠利崎。先端に笠利埼灯台がある。 岬巡り旅300回達成を機に、今後は旅のスタイルを「滞在型」に変えると仰っていた岬麻呂氏であるが、このところはその言葉通りに、同じホテルにずっと連泊されている。そんなことでホテルレストランで奄美の「黒糖焼酎ボトルキープ」して連夜これを楽しまれたとのことであるが、滞在型とはそういうことでありましたか。 ホテルに滞在して、余り遠出などはせず、のんびりとホテルライフを楽しむ・・というようなことをイメージしていたヤカモチでありましたが、これまでの旅便りからは、ホテルには連泊するものの、従前と変わらず長距離ドライブであちらへこちらへと走り回って居られますから、その旅スタイルは少しも変ってはいないのであります。ホテル連泊型と滞在型とは必ずしも同じではないだろうと思うヤカモチであります(笑)。 まあ、ブログ的には、あちこちに出掛けていただいた方がいいのであって、一日中、ホテルの部屋で本を読んでいたとかプールサイドで日光浴をしていた、などというのでは記事にならない、というものではあります。3月7日R58南下→瀬戸内町・古仁屋港→高知山展望台→古仁屋港→(フェリー)→加計呂麻島・瀬相港→実久海岸→安脚場戦跡→生間港→諸鈍デイゴ並木→瀬相港→(フェリー)→古仁屋港→ホテル 二日目も好天気。 加計呂麻島に渡り、実久(さねく)海岸へ。(実久海岸) 期待通りの美しい海の色。 旅の目的は果たされました。 対岸の岬は奄美大島の曽津高(そっこう)崎。 大島海峡の西側入口方向の写真です。(同上)昔見し 実久の海を 今見れば いよよさやけく なりにけるかも (偐家持)(本歌)昔(むかし)見し 象(きさ)の小川を 今見れば いよよさやけく なりにけるかも (大伴旅人 万葉集巻4-316)加計呂麻の 実久の海の 底清み 沈く石をも 玉とそ我が見る (偐家持)(本歌)藤波(ふぢなみ)の 影なす海の 底清(きよ)み 沈(しづ)く石をも 玉とそ我(あ)が見る (大伴家持 万葉集巻19-4199)(同上) 実久海岸は、海水浴場になっていて、シャワー設備があり、キャンプもでき、民宿もあるとのこと。(曽津高埼灯台) これは、実久海岸から、望遠で撮影された写真なんでしょう。 奄美大島側の曽津高埼灯台。 いい感じです。(大島海峡東入口) こちらは、上掲写真「実久海岸」とは反対側になる、大島海峡東側入口方向の写真です。 下は、諸鈍(しょどん)海岸。(諸鈍のデイゴ並木) 写真奥の枯れ木並木のように見えるのがデイゴ並木とのこと。 初夏には花で真っ赤に染まるそうです。遣唐使船も航路の目印にしたと言われているそうですから、古代からデイゴの並木があったということか。(名瀬港の夜景・満月) かくて、二日目の夜は更けゆき、名瀬港に満月が昇る。 岬麻呂氏は黒糖焼酎を楽しみながら、このような光景を眺めて居られたのでありますな。3月8日西海岸・大浜海浜公園→大和村→宇検村→瀬戸内町・ホノホシ海岸→ヤドリ浜→古仁屋港→名瀬・高千穂神社 三日目は、奄美大島の西海岸へ。 西海岸にある大和村のマンホールの写真です。(大和村のマンホール)(大和浜のぼれぐら<群倉>) 何やら弥生遺跡のように見えますが、これは高床式の倉庫群。保管する穀物などを湿気からまもるため床を高くするとともに、動物の食害からまもるため天井部分に保管する構造になっているとのこと。(デイゴ) デイゴの花です。もう咲いているのもあるようです。(奄美瀬戸崎灯台) そして、奄美瀬戸崎灯台。 岬の方は〇〇崎というが、灯台の方は〇〇埼灯台というのが普通で、〇〇崎灯台というのは珍しく、その一つがこの奄美瀬戸崎灯台だそうです。(同上・銘板)(寒緋桜・八重) 寒緋桜も今を盛りと咲き匂っています。3月9日大熊展望台→西郷神社→今井崎→西郷流謫地→笠利崎→あやまる岬→土盛海岸→奄美空港→関西空港 最終日もマンホール写真で始まりました。 名瀬市のマンホールです。 名瀬市は、2006年3月20日に、笠利町、住用村と合併して奄美市になっているので、現在形で言えば奄美市のマンホールである。(旧名瀬市のマンホール) 下は、西郷神社の前にあったマンホールだとのことで、西郷隆盛流謫地の図柄になっている。(同上) この日は、再び笠利崎、土盛海岸、あやまる岬などを訪ねられたようですが、笠利湾の美しい海岸と笠利埼灯台、竜宮伝説モニュメントとの写真で締めくくりたいと存じます。(笠利湾)(笠利埼灯台と竜宮伝説モニュメント) 今回は、ずっと好天気に恵まれたようで何よりでした。 奄美で451km、加計呂麻島で83km、合計534kmのドライブであったようですが、懲りない岬麻呂氏、これからも長距離を走りまくるのでしょうかね(笑)。それもお元気な証拠。結構なことです。 今日もご覧いただき、ありがとうございました。<参考>過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2023.03.17
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東京では全国に先駆けて今日、桜の開花が宣言されたとか。昨年より6日早く、平年より10日早い開花だそうな。 大阪の開花予想は、少し前には22日だったが、最新予想ではもう少し前倒しになっているだろうか。 何れにしても、わが花園中央公園の桜広場の桜はまだ蕾が固い。 桜は「いまだふふめり」の状態であるが、ハクモクレンは満開である。(花園中央公園のハクモクレン)(同上) 大伴家持の歌に「わが園の李(すもも)の花か庭に降るはだれのいまだ残りたるかも(万葉集巻19-4140)」というのがあるが、ハクモクレンもそんな感じである。(注)はだれ=まだらに消え残った雪。むら消えの雪。 花園中央公園の北東の隅に、カイドウ(海棠)の若木が何本か植えられているが、今日それを見てみると、蕾が膨らみ始めていた。明日か明後日には開花する気配である。(花園中央公園のカイドウ)(同上) 花園中央公園はヤカモチの銀輪散歩の起点公園で、先ず此処に立ち寄り、その日の気分で、恩智川沿いを北に走るか南に走るかを決める。時には西に走ることも。(花園中央公園全域図) 花園中央公園は、全国高校ラグビーの聖地、花園ラグビー場を含む広い公園であるが、東側は恩智川の溢水を受け入れる遊水池公園の役割も果たしている。(花園中央公園全景・西方向を望む) 上掲の写真は、上の全域図に「現在地」と表示されている位置の少し西側の道路からパノラマ撮影したものである。 左端が南方向、正面が西方向で、奥に写っているのが花園ラグビー場のスタジアムである。右端が北方向で、橋の突き当り奥にあるのが野球場。何やらビルのように見えているのが、野球場のセンターバックスクリーンの建物である。 橋の右奥から左にかけてが遊水池を兼ねた区域で、大雨などの折には、この全体が大きな池に変貌するという次第。 正面手前のネットフェンスで囲まれた範囲がドッグラン。 左手の芝生エリアが多目的芝生広場。正面のドッグランエリアの10倍以上の広さがある。(同上・南方向を望む) 同じく全域図の野球場ライト場外と7番出入口から入った階段(上掲写真左端中央の階段)との中間付近の道路上からパノラマ撮影したのが上掲写真である。 左端が東方向、正面が南方向、右端が西方向である。 左から右へと正面に広がっている池は、いつも釣りをする人の姿が絶えないのであるが、大雨時は、この全体が池に変わるのである。 遊水池を取り囲む高い区域にあるのが、遊具広場。 此処は小さな子どものはしゃいだ声が絶えない。 若草読書会のお花見の場所としてきた桜広場は、遊具広場のずっと奥にある。(同上・遊具広場ラガーステーション) この広場が「遊具広場ラガーステーション」という名前の施設であることを知ったのは、今日はじめてのこと。 ラガーステーションと名付けられているだけあって、囲いのパネルや遊具の一部も横縞のジャージを連想させるデザインになっている、周囲の所々に設置されているベンチの両サイド手擦りも東大阪市の公式キャラクターであるトライ君がデザインされている。 遊具広場の南側に一段高くなった場所があり、ここを風望の丘というのだということも、今日初めて知りました。(風望の丘) 此処が花園中央公園の最高地点かもしれない。 最近は、銀輪散歩で猫を見かけることが少なくなったと思っていたが、先日、花園中央公園で久々に猫をめにした。(ネコロン?) これは3月7日撮影の写真。 キジトラの猫3匹組に以前名前を付けたことがあるが、その中の1匹がメス猫で「ネコロン」と名付けたのであった。多分、そのネコロンだろうと思うが、猫語はまだマスターしていないので確かめようもない。 ちょっとした所用があっての帰り道に花園中央公園に立ち寄ったら、東屋のテーブルにちょこんと座っていた。 ヤカモチが近づくとテーブルから降りて、傍らの植木の間に移動した。 それは警戒してとか怖がってとかいった風ではなく、敬意を払って席を譲るといったまことに紳士的と言うか礼儀正しい所作に見えたのでありました(笑)。慌てて素早くといった動きではなく、ゆっくりとさりげなく、席を譲りますよという押しつけがましい感じを出さぬ、あっぱれな所作と見えました。(同上) 移動後はこんな風でありました。 よく見ると、後ろに灰色の猫が居ます。 夫婦なのか、恋人(猫)なのか、友人(猫)なのか、無関係の他人(猫)なのか不明ですが・・。(深北緑地) さて、花園中央公園から北へと走ると、水走公園、加納緑地、加納北公園、御供田公園、大東中央公園などを経て深北緑地へと至る。(さらに北へと走ると枚方市、淀川べりとなり、友人のオガクニマン氏やブロ友のビッグジョン7777氏、ふろう閑人氏などのテリトリー内ということになるのだが、最近はそこまで足を延ばすことは殆ど無くなりました。) 先日、13日は久々に深北緑地に立ち寄りました。 ここは、寝屋川の遊水池を兼ねた公園で、花園中央公園の倍はある広い公園である。(同上) とまあ、最近の銀輪散歩、近隣散歩での写真を並べただけのとりとめもない記事でありました。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2023.03.14
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今日は囲碁例会の日。自転車マイCBで自宅を出発。 家を出たのが少し遅くなったので大阪城公園に着いたのが11時半頃。 お天気もよくポカポカ陽気の気温。ということで、コンビニでサンドイッチを買って、公園のお堀端でランチとしました。(ロードトレイン 右回り)(同上 左回り) 背後をロードトレインが走って行く。どういうコースを走るのか知らないが、右回りと左回りがあるようだ。 右回りは、乗客はまばら、左回りは、満員状態。 森ノ宮側入り口の先の噴水広場にロードトレインの乗り場がある。 噴水広場から太陽の広場前→京橋口→桃園→砲兵工廠の建物が残る北西出口というコースは公園通り抜けの際によく走るコースなので、ここでロードトレインとよくすれ違う。歩くよりも少し早く、走るよりも少し遅い、のんびりした速度でロードトレインは行く。春うららのこの季節には似合いの速度である。 桃園のハナモモが咲き始めている。(ハナモモ)(同上) ピンクのハナモモは未だ蕾のようと、往路では撮影しませんでしたが、復路では、咲いているものもあったので撮影しています。 桃の木の根元ではユキヤナギが満開でした。(ユキヤナギ) ランチの場所に選んだ堀端のベンチからは桃の花は見えない。クスノキの木の傍でありました。(大阪城の堀端のクスノキ)(同上) 梅田スカイビル到着は12時40分。 会場の部屋に入ると、ヤカモチが一番乗り。 程なく、福麻呂氏が来られ、同氏と対局。中押し負け。 対局中に村〇氏、平〇氏が来られ、2局目は平〇氏と対戦。これも終盤で下辺が大きく侵略されて、ヤカモチの投了。どちらも終盤でのうっかりミスが招いた自滅型の2連敗でありました。 隣の福麻呂氏・村〇氏戦がまだ中盤の状況であったので、平〇氏ともう1局打つこととする。今度は、上辺の弱い黒石と下辺寄りの弱い黒石を攻め、左隅の白石二つを捨てて、半分は活かせて、半分は切り取って御用、ヤカモチの中押し勝ちとなりました。 ということで、今日は1勝2敗。今年の通算成績は8勝9敗。負けが一つ先行となりました。 復路は、再び大阪城公園経由。 ピンクの桃の花を撮りました。やはり、桃の花はピンクでないと桃らしくない。(ハナモモ ピンク) ほとんどが、このような蕾。 そんな中に一つ、二つ咲いているものもある。(同上)(同上)(同上) 大阪城公園から中央大通り(R308)に入り、東へ。 深江橋交差点で右折、南へ。近鉄線の南側の道路に出て、これを東へ。 布施駅近くのヒバリヤ書店に立ち寄り、澤田瞳子「恋ふらむ鳥は」を購入するための遠回り。 この小説は、毎日新聞に連載されていたもので、その切り抜きを小万知さんから送って貰っていたので、飛び飛びに読んでいるのだが、単行本でもう一度読んでみようという次第。古(いにしへ)に恋ふる鳥かもゆづるはの御井(みゐ)の上(うへ)より鳴き渡り行く (弓削皇子 万葉集巻2-111)古に恋ふらむ鳥はほととぎすけだしや鳴きし我(あ)が思(も)へるごと (額田王 同巻2-112)<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2023.03.08
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今日は、首周りの違和感や右上肢、右下肢に時々生じる痺れなどの不快症状改善の一助になるかもと、友人の偐山頭火氏の紹介で鍼灸医のS先生の治療を受けることになった。 午後1時半の予約であったので、午前11時にマイCB(クロスバイク)で自宅を出発、ブラブラ銀輪散歩を兼ねて、途中何処かでランチして、というようなピクニック気分で家を出ました。 目的地は中央大通り(R308)の緑橋の先、中本2丁目交差点を南に入ったところにあるので、囲碁例会の時に走るコースを走ればよく、地理感もあるから、道に迷う心配のない、安心なコースである。 昼食を済ませても、まだ十分過ぎる時間があったので、近くを、路地に入ったり、広い通りを走ったりの目的もない銀輪徘徊。 中本2丁目交差点を南に入って、400mほど行ったところにあるのが、八王子神社。境内の道路沿いに大相撲ののぼり旗が並んでいた。(八王子神社の玉垣) 水戸龍という関取の名前は記憶にあるけれど、顔や姿などは思い浮かばない。(同上・鳥居)(同上・拝殿) 境内に入ってみたが、大相撲と関連するものは見当たらない。 境内を出て、拝殿の裏側の本殿の北側に回ってみると、ありました。(同上・錦戸部屋) のぼり旗に記載された「錦戸部屋」と書かれた表札。 この奥に、錦戸部屋が置かれているのだろう。 この日曜日から春場所(大阪場所)が開催されるが、錦戸部屋の親方や力士は、ここから難波の大阪体育館へと通うのだろう。 大相撲の事は詳しくないが、錦戸部屋は横綱柏戸が開いた部屋かと思ったが、帰宅して調べてみると、元関脇水戸泉が高砂部屋から独立して開いた部屋であるようだ。<参考>錦戸部屋・Wikipedia 予約した時間より少し早いが、S先生のもとへ。 問診表に概略を記載し、症状や気づいたことなどについて、あれやこれやの質問に答えたあと、鍼灸の施療になる。 「鍼は初めてですか?」S先生。 「はい、この歳にして初体験です。」ヤカモチ。 始める前に、血圧の測定。 右腕が131ー83、左腕が118ー71で問題なし。 右肩、右腕、首周辺、腰付近など、チクリという感じも殆どなく鍼が打たれてゆく。「初めてではこんなに沢山は打たないのですが、丈夫そうなので・・」とS先生。偐山頭火氏の紹介ということで、割増サービスでもあるか(笑)。 続いてお灸。お灸は20代の頃に経験しているが、進歩した最近のお灸は、皮膚を焼いてしまうようなことはなく、ツンと熱痛くなった瞬間に雪がとけるように消えて行くといった感じのもので、むしろ気持ちのよいものでありました。 1時間ほどかけての施療が終わりました。 S先生の見解では「痺れ方が神経根が圧迫されるなどの刺激をうけてのそれとは異なっているようだ。血流の悪さによるものかもしれない。首周辺や肩甲骨周りの筋肉が固くなり過ぎて血流を阻害しているという可能性もある、しっかり体操などして体を動かすことが最も効果的な治療法ですな。」というもの。 帰途も、あちらへふらり、こちらへふらりと銀輪散歩を兼ねての無目的徘徊でありました。(JR高井田中央駅の西側の新しい公園) 高井田中央駅の西側には布施公園というのがあるが、それとは別に布施公園から少し離れた東側に新しく造られた公園である。名前は知らない。 布施公園には立ち寄ったことがあるが、この公園で小休止するのは初めてである。(JRおおさか東線・高井田中央駅) 新大阪駅とつながっているが、この電車を利用したことは一度もない。(本庄南公園) この公園は、東大阪市庁舎の北方300m位の位置にある。多分、初めての立ち寄りである。 最後に、花園中央公園に立ち寄って、帰宅。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2023.03.04
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今日はひなまつり。桃の節句。元々は、女の子のための節句という訳ではなく、神社でお祓いをする時の形代・祓い人形と同じような、人型にかたどった紙を川に流して、身の穢れを清めるという行事で、皆の健康、幸せを願うためのものであった、ということを朝のTVで紹介していた。 暦が陰暦から陽暦に変わって、現在の3月3日では、ハウスものは別として、桃の花は未だ咲いて居らず、梅の花の時期である。 今日の墓参の道で見かけたのも梅の花でありました。(枝垂れ梅) 本来なら、今日は桃の花の写真を掲載するのが相応しいが、この梅の花の写真でウメ合わせであります。 桃の節句の原形が、紙の形代を自身の形代として水で清めるということであったのだから、桃の花の代わりに梅の花を形代としてその埋め合わせにしたとしても、桃は文句は言えないという次第。 いつもの坂道を上ってゆく。 いつもの門前の言葉の寺の前に差しかかり、今月はどんな言葉かと構えましたが、先月のそれと同じでがっかり。こういうのも「興ざめなるもの」のうちに入るのだろう。 今日は、CB(クロスバイク)での墓参。 急な坂道、途中から押して歩く。はい到着。(墓地からの眺め) 今日は好い天気。気温もそこそこで暖かい。 急坂を上って来ると暑いくらいで、風の冷たさが心地よい。 上の写真の手前の建屋には、バケツや柄杓が置かれていて、水の出る蛇口もある。そこで水を汲んで、墓まで運ぶのであるが、今日はその建屋の下に自転車(CB)をとめ、水を運ぶこととした。 大きいサイズの写真でご覧いただくとよく分かるが、建屋の中にとめた自転車が写っています。(六地蔵) 墓参を済ませてから、少し銀輪散歩。 花園中央公園やその周辺を「徘徊」であります。 先日(2月28日)の日記で、新若草橋の下で長門川、御神田川、恩智川が合流するということを書いたが、正確には、橋と並行に走っている近鉄奈良線の高架下と新若草橋下との中間位置で合流しているようです。(三川合流点) 左から流れ込んでいるのが御神田川。奥右から流れて来るのが恩智川。中央奥から流れて来るのが長門川。合流して恩智川として手前右手へと流れて行く。(同上) 少し離れて撮影すると、こんな感じ。 さらに下がって撮影すると、下掲の写真になります。(同上) 丁度、近鉄の電車が通過しましたが、奈良公園の鹿のラッピングカーでありました。 この車両のことは、2月16日の日記に車両内部の写真を掲載したが、外観はどんなであったかは見て居らず、写真も撮っていませんでした。 従って、今日初めてその外観を目撃したという次第。 このアト、若草ホール(恒郎女邸)に向かいました。 そこで、ひろみの郎女さんに岬麻呂氏から送っていただいたマンホールカードをお引渡しするためであります。 当初は、馴染みの喫茶店・ペリカンの家で午後3時半待ち合わせで、恒郎女さんもご一緒で珈琲ブレイク&お喋りのついでにお渡しする予定であったのですが、店主のももの郎女さんよりお電話があって、今日は店は午後2時までの営業です、とのことで、若草ホールで落ち合うことに変更したのでありました。 若草ホールで午後3時半から5時少し前まで歓談。 ヤカモチの墓参&ひな祭りの一日はかくして終了。<参考> 墓参関連の過去記事はコチラ。
2023.03.03
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友人・岬麻呂氏からの旅便りです。今年4回目となる旅は、網走・紋別の流氷を訪ねる旅。一昨年、お孫さんのM君のリクエストで同君を伴っての流氷の旅(岬麻呂旅便り267参照)をされていますが、その時に大学受験で同行できなかった妹のMさんからリクエストがあり、今回は、お嬢様、お孫さんのS君・Mさんと岬麻呂ご夫妻の5人旅となったようです。 網走の流氷見て来よ五人旅 (芭氷) <参考句>獺(かはうそ)の祭見て来(こ)よ瀬田のおく (芭蕉)(旅・岬巡り報告306&同写真説明)(同上)2月21日関西空港→女満別空港→流氷観光船オーロラ号乗船→涛沸湖白鳥公園→網走湖畔温泉・ホテル網走湖荘(3連泊) 女満別空港到着、車を借りて出発。 先ず、流氷観光船・オーロラ号に乗船。(網走の流氷・オーロラ号船上から撮影 奥は能取岬) よく晴れた青空と紺碧の海に真っ白な流氷のコントラストが美しい。 「流氷はロシアのアムール河の真水が結氷してオホーツク海を南下し流れ着く。網走港まで流氷に埋め尽くされているが、南風が吹くと一夜にして流氷は沖合に去る。砕氷観光船オーロラ号は夏季宇登呂港で知床観光船として運航されている。(岬麻呂)」(同上) 流氷の上にオオワシがいた。 オオワシよお前も流氷見物か <参考句>青蛙おのれもペンキ塗りたてか (芥川龍之介)(オオワシ・オーロラ号船上から撮影) 涛沸湖ではハクチョウ。(涛沸湖の白鳥)(同上) これは着水せんとするところか、それとも飛び立ったところか。 森はや黒くなりゆきて、白鳥の翼は白く輝き、日に透けてもいる。 会心のショットです。 今回の宿泊ホテルはホテル網走湖荘。かねてより常宿とされていて、大女将、若女将とも馴染みにされているのだろうが、岬麻呂氏が学生時代に、学友と北海道周遊五人旅をされた際に宿泊されたユースホステルが、この網走湖荘の起源であったということを、大女将との会話の中で知るというような愉快なハプニングもあったようです。2月22日R238経由→紋別→オホーツクスカイタワー→流氷観光船ガリンコ号乗船→紋別公園 旅・二日目は紋別へ。 先ず、オホーツクスカイタワーから、流氷の状況を俯瞰的に観察であります(笑)。(紋別の流氷・オホーツクスカイタワーから撮影) ガリンコ号に乗船、再び流氷観光であります。(流氷とガリンコ号) ガリガリと流氷を砕いて進むガリンコ号の音が聞こえて来そうです。 ヤカモチが真夏の炎天下での銀輪散歩でお世話になるのは、ガリガリ君であるが、それとはガリガリのスケールが違う(笑)。(ガリンコ号)「流氷観光船ガリンコ号3は船首に二組のネジ状ドラムが装着されていて、推進と後退ができる砕氷船(流氷をガリガリ裂く音が命名の由来)。ガリンコ号1は船尾に推進装置があり、現在は陸上に展示されている。(岬麻呂)」 ガリンコ号の次は、紋別公園へ。(流氷・紋別公園流氷展望台から撮影) 紋別公園流氷展望台からの眺めです。 下掲写真の赤白の建物は紋別灯台。(紋別灯台・紋別公園流氷展望台から撮影)2月23日斜里町・天に続く道→オシンコシンの滝→宇登呂港・ゴジラ岩→知床五湖道路・岩尾別バス停→能取岬 この日は斜里町へ。 その前に、「網走湖・湖面に足跡で絵?を描いている孫達」と紹介されている写真です。(網走湖に足跡で描くS君、Mさん兄妹の絵) さて、いかなる地上絵が出来上がったものであるか。(天に続く道<斜里町>) 斜里町に、 天に続く道のあるといふ。 その道眺める展望台もあるといふ。 確かに道のずっと先は天につながっているように見えなくもない。(オシンコシンの滝) こちらは、オシンコシンの滝。 斜里町ではマンホールも撮影。 以前、同じ図柄でモノクロ版のものを撮影して送って下さったことがありましたが、今回はそのカラー版で、真新しいものです。(斜里町のマンホール) こちらは、ポケモンの図柄。(同上・ポケモン図柄) そして、マンホールカードもゲット。 これは、ブロ友のひろみちゃん8021さんに渡してくれと旅便りに同封されてくるのだが、明日(3日)彼女にお渡しする手筈になっている。 (斜里町のマンホールカード) プニュ岬。 正面に宇登呂港が見える。(プニュ岬から宇登呂港を望む)(知床五湖道路と羅臼岳) 岩尾バス停付近の知床五湖道路。 この先は全面通行止め。 能取岬灯台です。(能取岬灯台)赤白は 紋別灯台 黒白が 能取岬の 灯台なるぞ (岬灯台守)2月24日早朝・濃霧視界ゼロ→網走天都山展望台→オホーツク流氷館→朝日ヶ丘展望台(霧氷)→女満別空港→関西空港 最終日早朝は視界ゼロの濃霧。 その名残りでもあるか、年に数回しか現れない(オホーツク流氷館の館長談)という網走湖の雲海も見られたとのこと。(網走湖の雲海 オホーツク流氷館から撮影)(大空町・朝日ヶ丘展望台からの風景) そして、最後は朝日ヶ丘展望台からの風景。 アップすると、霧氷です。(同上・霧氷)「霧氷が成長して雪が降り積もると樹氷という状態になるが、乾燥した雪は樹氷にならない。(岬麻呂)」(同上) 以上、542kmのドライブ旅でありました。 今回もご覧いただき、ありがとうございました。<参考>過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2023.03.02
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今日は囲碁例会の日。 囲碁例会は、毎月第一、第二水曜日に梅田スカイビルの付属棟であるガーデン・ファイブ棟の5階にある部屋を会場として行っている会社時代の仲間による囲碁サークルの例会である。 ヤカモチは、雨天の場合を除き、生駒山麓の自宅から銀輪散歩を兼ねて、自転車で梅田まで走るというスタイルで参加している。2008年4月に会は発足しているから、間もなく丸15年を迎える。ヤカモチは会発足の時からのメンバーであるから、15年近く同様のスタイルで、この会に出席し続けていることになる。勿論、皆出席ではなく、他用ほかで欠席したことは何度もある。 コロナ禍で休会とした時期もあったが、最近は順調に開催されている。 かつては、朝早くに家を出て、遠回りの寄り道をしたりという銀輪散歩の方が主目的であるかのようなこともありましたが、最近は、単に梅田スカイビルと自宅を銀輪往復するというだけで済ませることが多くなっている。 それでも、自宅と梅田スカイビルとは20km以上はあるので、往復するだけでも40数kmは走ることになるので、いい運動にはなる。 今日は、気温もこの時期としては高く、少し汗ばむくらいでありましたが、大阪城公園経由のいつものコース。(大阪城) はい、大阪城天守にご挨拶をして行きます。 天満橋を渡り、滝川公園で小休止。 梅田スカイビル到着は11時40分。 駐輪場に自転車(クロスバイク)を駐輪して、中庭に向かうと、「確定申告会場」という文字が書かれたパネルを持った男性が二人。 いつだったか、この時期、確定申告会場への自転車来場者が多くて、駐輪場が満杯で駐輪できず、困ったことがあったが、今日はそういうこともなく駐輪できたのはラッキーであったのか。 ガーデン・ファイブ棟の1階のカフェ・レストランで昼食。 昼食を済ませて、5階の部屋に行くと、ヤカモチが一番乗りであった。 碁盤の設営を済ませて待つこと数分、平〇氏が来られた。 早速、同氏と手合わせ。終盤でヤカモチに見落としがあり、大石が頓死してしまい、中押しの負け。 対局中に来場された福麻呂氏と村〇氏が隣で対局して居られたが、これは村〇氏の勝ち。 メンバーチェンジし、勝ち組同士で村〇氏と平〇氏が対戦することとなり、負け組同士でヤカモチは福麻呂氏と対戦することとなる。 これも、うっかりミスで悪手を打って形勢が悪くなり、大石が仕留められて万事休す、ヤカモチの中押し負け。 で、隣はと見ると、村〇・平〇戦は、未だ中盤の戦い。 ということで、福麻呂氏ともう一局打つことにする。 今度は、福麻呂氏の大石を仕留めてヤカモチの中押し勝ち。 今日は、雑な碁となってしまいましたが、成績は1勝2敗。 これで、今年に入っての成績は7勝7敗。 帰途は大阪城公園で小休止。(大阪城公園・森ノ宮側入り口の広場) 今日は、大阪城天守の写真と上掲の写真を撮ったのみで、何と言って話題もなしであります。 上掲の写真に赤い矢印を入れてみましたが、この矢印の場所に設置されているのが、先日、2月20日にアップした記事「銀輪散歩・マンホール(その25)」に掲載の大阪市のマンホール、大阪・関西万博2025の公式キャラクター、ミャクミャクがデザインされたマンホール(下掲)であります。 花園中央公園に立ち寄って、小休止。 自宅は、生駒山麓の少し高い位置にあるので、帰途の最後は坂道を上ることになる。自宅の門前まで、坂を上り切ると息が切れます。息の切れ具合が体調・疲れ具合のバロメーター。それで言うと、今日は、囲碁の成績同様にかなり不調でありました(笑)。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2023.03.01
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