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大晦日国の内外、今年も色々なことがあった1年よきも、あしきもないまぜに 月日は流れ明日から新年み雪ふる 冬は今日けふのみ うぐひすの 鳴かむ春へは 明日あすにしあるらし (三形王みかたのおほきみ 万葉集巻20-4488)(注)天平宝字元年(757年)12月18日三形王宅にて宴せし時の歌3首のうちの1首他の2首は 下記の通り うちなびく 春を近みか ぬばたまの 今夜(こよひ)の月夜(つくよ) 霞みたるらむ (甘南備伊香(かんなびのいかご) 万葉集巻20-4489) あらたまの 年行ゆき反がへり 春立たば まづ我わがやどに うぐひすは鳴け (大伴家持 万葉集巻20-4490)(たたなづく山々)この1年 偐万葉田舎家持歌集に遊びにお越しくださいました皆さまどうも有難うございましたこの1年のご愛顧を心より感謝申し上げます来たる2024年 新年が皆さまにとってよき年でありますようお祈り申し上げますけん家持(偐家持)(同上)この1年、当ブログにコメントをいただきましたお方は下記の通りであります。岬麻呂氏、ひろみちゃん8021氏、MoM太郎009氏、龍の森氏、ビッグジョン7777氏、小万知氏、lavien10氏、偐山頭火氏、hodo氏、英坊3氏、背番号のないエースG氏、七詩氏、タケシバオー氏、☆もも☆どんぶらこ☆氏、オガクニマン氏、今日郎女氏、もりた氏、ふろう閑人氏、老舗の銘菓に千鳥饅頭が・・氏、ハートブルー03氏、めぐみの郎女氏、かほりの郎女氏、奈良の春日野氏、三角洲氏(コメント件数順) それぞれのコメント、まことにありがたく、楽しく拝見させていただきました。茲にあらためまして厚くお礼申し上げますとともに、明年も変らぬご好誼のほど、よろしくお願い申し上げます。 今年1年間の掲載記事件数は131件。 日記記入率は35.89%。 でありました。<参考>過去10年間の記事件数の推移2014年 241件2015年 210件2016年 178件2017年 183件2018年 183件2019年 184件2020年 185件2021年 150件 2022年 136件 2023年 131件 今年のカテゴリ別の記事件数は次の通りです。銀輪万葉 21件(25) 囲碁 21件(14)岬麻呂旅便り 21件(19)花 13件(17)近隣隣散歩 10件(11)友人ほか 7件 ( 9)若草読書会 7件 ( 6)偐万葉 6件 ( 7)ブログの歩み 5件 ( 5)絵画 4件 ( 4)マンホール 3件 ( 4)虫 3件 ( 2)万葉 1件 (-)和郎女作品展 1件 (-)犬、猫、鳥など 1件 ( 4)未分類 7件 ( 5)※( )内は昨年の件数うの年の よきことうきこと 今日のみに 春たつ明日を 待ちわたるかな (卯辰持)今年の作歌数は昨年より少し増え、上記の干支歌1首を加えて187首(昨年159首)となりました。 よって、今年末現在の累計作歌数は9159首ということになります。<参考> 過去10年間の作歌数 2014年:678首(6265)2015年:533首(6798)2016年:530首(7328)2017年:394首(7722)2018年:352首(8074)2019年:195首(8269)2020年:280首(8549)2021年:264首(8813)2022年:159首(8972)2023年:187首(9159)※( )は年末現在累計数一方、偐万葉シリーズ記事掲載の偐家持作歌累計数は6534首でした。同記事のアップは6件(昨年7件)にとどまり、歌数は156首増(昨年150首増)でありました。 年間アクセス件数については、まだ少し時間を残しているので確定しませんが、昨年の562320アクセスを大きく下回り、30万余アクセスにとどまることが確実です。何れにせよ、今年1年間の多数のご来場に感謝しつつ、以上を以って今年最終の記事とさせていただきます。今年一年、ありがとうございました。 どちら様もどうぞよいお正月をお迎えくださいませ。
2023.12.31
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友人・岬麻呂氏の旅便りは、今回を以って最終回となります。(旅報告休止のお知らせ) 精力的に旅を続けて来られた岬麻呂氏でありますが、「現在のスタイルの旅報告は、高齢になり作成作業が大変になってきましたので」ということで、今回が最終回の旅報告ということになるようです。 従って、当ブログに於ける「岬麻呂旅便り」も、現在のスタイルのものは、これが最終回となります。 長らくのご愛読、まことにありがとうございました。<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。(旅・岬巡り報告323・久米島&同写真説明) さて、今回の旅は、久米島の旅。 久米島は今回で6回目のご訪問とのこと。 那覇の西約100kmに位置する久米島、人口約7400人、周囲47kmの小さな島へ、私達も同行させていただきましょう。12月19日関西空港→那覇空港→久米島空港→ミーフガー→具志川城址→比屋定バンダ展望台→リゾートホテル久米アイランド(3連泊) 「気温26℃、曇り。冬装束では暑い。」とのこと。 お天気が曇り空ということで、満足のいく写真が撮れなかったということでもあるか、この日の写真は送っていただいた中にはありません。 ミーフガーの写真は21日撮影のものがありますので、そちらをご覧ください。 この日はホテルレストランが夕食休業中であったので、近くの南島食楽園にて、久米島特産のウミブドウや養殖クルマエビで泡盛・久米仙を楽しまれたとのこと。12月20日はての浜→島を左回りドライブ・旧仲里間切蔵元 この日は雨。それでも気温は21℃ですから、暖かい。 先ずは、はての浜へ。観光船は貸し切りだったとのことで、通常は巡らないコースで運航という、リピーター客には嬉しい船長さんの粋なはからいと言うか、おもてなしであります。(はての浜に接近) はての浜というのは、島の東沖合に浮かぶ砂洲。 サンゴの破片で出来た砂で形成された純白の砂浜であるのだが、この日は生憎の雨に濡れて「真白き」とは参りませんでした。 全長7kmにも及ぶ白い砂浜とエメラルドブルーの浅瀬の海が織りなす、久米島を代表する景勝地であります。(はての浜・上陸地点) はての浜遠望写真は22日の項に掲載されていますので、併せご覧くださいませ。(久米島町のマンホール<旧具志川村>) はい、今回もマンホールの写真を送ってくださいました。 久米島町は具志川村と仲里村が合併してできた町ですが、これは旧具志川村時代のもので、クメジマボタルと五枝の松の図柄になっています。 午後からは、左回りで、島を一周ドライブ。 車で40分もあれば一周できてしまえるという小さな島なので、ゆるりと参りましょう。 車は左側通行なので、左回りだと海側ではなく山側の車線を走行することになる。従って、島は普通は右回りがよいとされる。湖沼などは逆に左回りがよいことになる。 しかし、一周40分なら何度でも回れるのだから後日右回りされるのだろうと思ったら、最終日22日には右回りで一周されています。(仲里間切蔵元跡)<参考>蔵元(琉球王国)・Wikipedia こちらは、旧仲里村の地区(真謝集落)にある蔵元(役所)跡に残る石垣である。12月21日奥武島バーデハウス・海亀館→宇江城城址→タチジャミ自然公園→おばけ坂→シンリ浜→五枝の松 この日は、曇り時々雨のお天気。気温19℃。(ミーフガー)<参考>子宝に恵まれる神秘的な観光地ミーフガー ミーフガーは石灰岩と凝灰礫岩からなる岩で、女性が拝むと子宝に恵まれるパワースポットだそうです。(波の華) これは、島の北西側、東シナ海に面する大和泊海岸に生じた「波の華」であります。 海中のプランクトンや海藻が混じり合い撹拌されて生じる自然現象。冬の寒く晴れた風の強い日に見られるとのこと。(久米島灯台) 島の殆どを巡り14時(ホテルに)帰着とのこと。 この日はホテルレストランも営業とのことで、クルマエビ料理をご堪能されたそうです。12月22日島を右回り一周ドライブ・島の口→アーラ浜→だるま山公園→久米島空港→那覇空港→関西空港 最終日は、晴れ時々曇り、気温16℃。(久米島町のマンホール<旧仲里村> こちらのマンホールは旧仲里村のもの。 この日はお天気もよしで、右回りに島を一周ドライブ。 「写真全部撮り直しのため」の一周ドライブだったようです。(イーフビーチ) 正面中央に見えているのが今回宿泊のホテル。 その右側に見えるのが、前回訪問時に宿泊されたというイーフビーチホテルであります。 左下手前側に写っているのが国指定天然記念物の「畳石」。(奥武島水路<新奥武橋から>)(上江州家) 上江洲家というのは、琉球王朝時代の地頭代の家で、1754年創建の屋敷である。国指定重要文化財建造物であるが、休館中にて入館は叶わなかったようです。(はての浜遠望) 沖合に一筋の白い帯、はての浜の遠望であります。(宇江城城址) 15世紀、写真中央奥の山の最高峰に築かれたのが宇江城。 左側の建物群は航空自衛隊基地の建物。(五枝の松) そして、これは、過去の旅便りで印象深く記憶に残っている五枝の松。 1839年に植栽されたという記録が残る琉球松。国指定天然記念物。 かくして、久米島3泊4日の旅を終えられて、午後便にて、那覇空港経由で関西空港に帰還。気温4℃の大阪で「冬の寒さを体感」されたとか。 さて、今後も、旅はお続けになるのではないかと思いますが、現在のスタイルでの旅報告は、最近の同氏にとっては、その作成作業が相当の負担となっていたようであります。この辺でひとまず旅報告は休止とし、今後の旅報告の新しいスタイルを模索、検討しようということでもあるのでしょうか。 まあ、旅報告が完全終了なのか、しばらく休止し、復活・再開があるのかどうか、再開されるとしたらいつ頃のことになるのか、といったことは岬麻呂氏のみぞ知るであります。 尤も、現時点では岬麻呂氏ご自身にもお分かりではないのだろうと思いますので、これはもう岬麻呂氏がまにまに、でありますかな(笑)。 いずれであれ、岬麻呂さん、毎度欠かさずの長きにわたる楽しい旅のご報告、どうもありがとうございました。 今回で、しばしのお別れであります。 そして、今年も残すところ今日を含めてアト3日。 岬麻呂さんも、どうぞよいお正月をお迎えください。幾(いく)十年(ととせ) 旅ゆきゆきて 今をかも 立ち別れまく 惜しき夕(よひ)かも (偐家持)(本歌)しなざかる 越に五年(いつとせ) 住み住みて 立ち別れまく 惜しき夕(よひ)かも (大伴家持 万葉集巻19-4250)<訂正注記>岬麻呂氏からのコメントによると、紙焼きスタイルの旅報告は休止するも、ヤカモチ宛てには引き続き旅報告をEメールで送って下さるそうですから、これが最終回になるものでもないようです。まあ、新しいスタイルの報告になるので、それに対応した旅便りスタイルをヤカモチも考えたいと思います。
2023.12.29
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一昨日(12月26日)凡鬼さんから電話があり、明日恒郎女さん宅を訪問するが、ヤカモチさんも一緒にどうですか、という話。 特に予定もなかったので、OKの旨、即答。 ということで、久しぶりに若草ホールにて集合でありました。 参加者は、凡鬼さん景郎女さんご夫妻、恒郎女さん、敦郎女さん、槇麻呂氏、ヤカモチの6名。 若草読書会の新年会は来年1月27日に予定していて、凡鬼さんのご要望で、山上憶良をとり上げてヤカモチが少し話をすることになっているが、忘年会というのは、これまでやったことがない。 今回も忘年会というのではないが、凡鬼ご夫妻の若草ホール訪問に便乗してお声を掛けていただいた槇麻呂、ヤカモチが参加したものに過ぎないから、若草読書会の行事というものではないのであるが、ちょっとしたミニ忘年会の雰囲気でありました。 午後1時集合で、午後4時半過ぎまで、あれやこれやのよしなしごとの楽しいお喋りのひとときを過ごしたのでありました。 そして、今日は毎年恒例の年末のお墓参り。(墓地・西方向)(同上・東方向) 今回は、MTB(マウンテンバイク)をお供にしての墓参。 というのは、墓参の後、枚岡神社、石切神社、瓢箪山稲荷神社を回るためである。 毎年、元日のブログ記事にはこの三社の絵馬の写真を掲載することにしているので、これを撮影しようという、まあ一種の取材であります(笑)。(枚岡神社) ところが、枚岡神社の絵馬はまだウサギのまま。 石階段を上りかけたところで、正面拝殿左側に掲示されている絵馬を遠望して、そのことに気付き、引き返す。 石切神社へと向かう。(東石切公園) 東石切公園の前を通り過ぎ、石切大仏の辻から参道を西へと下る。 石切神社の絵馬は辰のそれに切り替えられていました。 絵馬をカシャリと1枚撮影。 石切神社から東高野街道に出て、南へ。 瓢箪山稲荷神社へと向かう。 瓢箪山駅前の商店街に入ったところで、昨日、若草ホールから帰宅した折に、取り付け型のスタンドがMTBからポロリと外れてしまったので、これを取り付け直してもらおうと背中のザックに入れて持参して来ていることを思い出し、行きつけの自転車屋さんへ。 自転車屋さんにMTBとスタンドを預けて、近くの店で昼食。(KITCHEN Ohana) この店に入るのは初めて。同じ場所にあった店には以前に何度か入っているが、新しい店にいつの間にか変わっていて、店内の様子も変わっていました。 昼食を済ませて、自転車屋さんに戻るとMTBへのスタンド取り付けは終わっていました。 瓢箪山稲荷神社も辰の絵馬に切り替わっていたので、撮影は無事完了。 花園中央公園に向かう。(花園中央公園) ここはヤカモチのお気に入りの場所。 人工の小さな水路を挟んで石のベンチが置かれていて、そこに坐って正面のメタセコイアを眺めるのがお気に入りという訳であります。 近くの花園ラグビー場からは、全国高校ラグビー大会の歓声や場内アナウンスの声が聞えて来る。(同上・桃の花園) 公園の一角が最近工事中となっているが、「桃の花園」という石標が新しく設置されていることに気付きました。 大阪城公園の桃園のようなそれが設けられるのだろうか。 また、楽しみが増えます(笑)。 午後2時になったので、帰宅することとする。<参考>若草読書会関係の過去記事はコチラ。 墓参関連の過去記事はコチラ。
2023.12.28
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友人の画家、家近健二氏から2024邂逅展の案内ハガキが届きました。(2024邂逅展) 邂逅展は毎年正月早々に開催されるが、今回は2日(火)~7日(日)の日程で開催されるとのこと。 2020年1月以来毎年、銀輪散歩を兼ねてこの邂逅展を拝見させていただいているが、来年も3日(水)~6日(土)のうちの何れかの日に出掛けてみようと思っている。銀輪散歩を兼ねて出掛けるので、その日のお天気次第で出かける日を決めようという次第。 どなたでも自由に入場できますので、興味を持たれたお方はどうぞお出かけください。(家近絵画「赫不二」)<参考>家近健二展関連の過去記事はコチラ。 2020邂逅展 2020.1.9. 2021邂逅展 2021.1.10. 2022邂逅展と恩師のお墓参り 2022.1.6. 2023年邂逅展 2023.1.7.
2023.12.16
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偐万葉・MoMo太郎篇(その1) 今日は偐万葉シリーズ記事第339弾、MoMo太郎篇(その1)であります。 MoMo太郎氏は2022年12月1日に、ブロ友のひろみちゃん8021氏のブログから当ブログに初訪問、初コメントをくださり、翌2日に同氏ブログに返礼訪問、返礼コメントをさせていただきました。 従って、同氏とのブログ上のお付き合いは約1年ということになります。 その約1年間の交流に於いて、同氏へのコメントに付した歌が22首となっていますので、偐万葉としてこれをまとめることとしました。 なお、偐万葉シリーズでは万葉風の勝手名で呼ばせていただくのが慣例となっていますので、MoMo太郎氏は以後MoMo麻呂とさせていただきます。 偐家持がMoMo麻呂に贈りて詠める歌22首初めての 友(どち)の来たるを うれしみと 師走(しはす)ついたち 小春日の空 (偐家持)沖縄の 那覇の駅跡 ゆく君の 記事を見つつや 御目文字(おめもじ)の歌 (偐家持) (20221202那覇駅跡)石走(いはばし)る 思ひはあれど 横浜の 師(し)の歌碑いまだ 見ずにありける (偐家持)(本歌)石(いは)ばしる 垂水(たるみ)の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも (志貴皇子 万葉集巻8-1418) (20221205伊勢山皇大神宮)夏は北 冬は南へ 旅はよし そのまた逆の 旅もよかりき (偐旅人)秋川の 道はた遠み 君が行く ままにぞ我は ブログにて見む (偐家持)(注)た遠み=「た」は接頭語。「遠み」は「遠いので」。(本歌)わが君の み車にそふ 秋川の 瀬音を清み ともなはれゆく (美智子上皇后御歌) (20230105上皇后御歌碑)野つ鳥も 棲めば都と 群れなせば 時に糞害 人も憤慨 (群椋鳥)春されば まづ咲く花や 白梅の 朝風寒き 銀輪の道 (梅家持)大和川 花ももみぢも なかりけり 冬の青空 雲のみ流る (偐家持) (20230202大和川byヤカモチ)桜花 木蓮花桃 みな咲きて 春の盛りを 君行くなるか (春花家持)鬼平の 跡とひ行ける 我が背子に 咲きて笑むらむ 隅田の桜 (鬼家持)周平の 跡をちこちに 見つつ我も 行きしことあり 鶴岡の町 (周家持)(注)周平=藤沢周平 (20230407鬼平情景)われ見しは 近江百穴(あふみひゃっけつ) 見が欲しは 吉見百穴(よしみひゃっけつ) ひかりごけかも (偐家持) (20230529吉見百穴)あをによし 奈良の都の 大殿(おほとの)も これしありての 瓦窯跡(かはらがまあと) (瓦家持) (20230908音如ヶ谷瓦窯跡byヤカモチ)銀輪で 走るはよけれ 帰り来て ブログに書くは さらなる苦労 (苦労判官)耳成も 畝傍も香具も 疾(と)く来(こ)よと そらみつ大和に 君待つらむか (三山家持)常(つね)知らぬ 道の長手や さきたまを いかにか行かむ ママチャリにして (偐チャリ麻呂)利根川の 水の恵みを まさやかに 学びて育て さきたまの子ら (偐埼持) (20231014前玉神社byヤカモチ)なにといふ こともなけども なんとなく しあはせなるか どちとつどへば (やかもち)唐楓(とうかへで) その種遠く 飛ばさむか 翼(つばさ)つけたり 風待つらしも (楓家持)(20231124トウカエデの翼果byヤカモチ)生きている のではなく生か されてある まことにそれを 知るはかたくも (偐家持)おほきみ手に 生かされてあり ちりひぢの 身も草も木も みなありがたし (偐家持)けらおけら けらけらけらの おけらわれ もとよりおけら けらけらおけら (偐虫麻呂) (20231208ケラbyヤカモチ)(注)掲載の写真は「byヤカモチ」とあるものを除きmomo太郎氏のブログからの転載であります。<参考>momo太郎氏のブログはコチラ。 アメブロ版偐万葉・MoMo太郎篇はコチラ。
2023.12.11
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今日の銀輪散歩で見かけたのはケラ。(ケラ)<参考>ケラ・Wikipedia(同上) ケラはオケラとも呼ぶが、これは俗称にて、正しくはケラである。 しかし、「オケラになる。」(一文無しになる。)という言葉があるように、また「ミミズだってオケラだってアメンボだって、みんなみんな生きているんだ」(「手のひらを太陽に」)という歌詞があるように、オケラと呼ばれることの方が多いのかもしれない。<参考>おけらになるの語源・語源由来辞典(同上) 漢字では「螻蛄」と書くが、これを正しく読める人は少ないだろう。 一方、「虫けら」も漢字で書くと「虫螻」となり、ケラのことかと思われたりもするが、これは「かけら(欠片)」とかという言葉と同じで、取るに足らない小さいものを意味し、虫を卑しめて言う言葉であり、ケラとは関係がないのである。<参考>虫けらとは・コトバンク(同上) 通常は、モグラのように土の中に穴を掘って暮らしているので、このように地表を動き回るのは、天敵に狙われる危険もあることだから、特別な事情があってのことと考えられる。 今日は真珠湾攻撃の日でもあるが、このオケラ君も何らかの非常事態が発生、住処を捨て、避難している途中なのかもしれない。(同上) 俳句の季語に「地虫鳴く」というのがある。秋の季語である。 地虫というのは、昆虫の幼虫など地中にいる虫のことであるが、これら幼虫が鳴くということはない。 一方、ケラは土中の穴の中で、「じぃ~」と鳴く。 これをミミズの声と捉えて「蚯蚓鳴く」などという季語も存在する。 「地虫鳴く」も同じで、ケラの鳴く声のことなんだろう。 地虫鳴く皆もやもやを持ち歩く 高澤良一 地虫鳴く屋敷神あるあたりより 大河原一石 耐うること知りたる齢地虫鳴く 青木つね子 地虫鳴くつぐべき声をたしかめつ 中村汀女 いきどほり抑へてあれば地蟲鳴く 上田五千石(同上) ところで、オケラという植物もある。キク科の多年草である。<参考>オケラ・Wikipedia この植物は万葉集にも登場する。 尤も、万葉では「うけら(宇家良)」という。恋しけば 袖も振らむを 武蔵野むざしのの うけらが花の 色に出づなゆめ (万葉集巻14-3376)(恋しかったら袖をそっと振りますものを。武蔵野のオケラの花のように、表に出して言わないで、決して。)いかにして 恋ひばか妹に 武蔵野(むざしの)の うけらが花の 色に出(で)ずあらむ (同上・或本歌)(どのように恋したら、妹に対して武蔵野のオケラの花のようには、表に出さないでいられるのだろう。) 上の歌は女性の歌で、下の歌は男性による返歌とみられる。 以上です。 さて、今日の銀輪散歩の写真ではないが、「虫」カテゴリの記事であるので、他の虫の写真もこの際掲載して置きます。(ツマグロヒョウモン♀)(同上)(ゴマダラカミキリ)(同上)(キマダラカメムシ) 余談ですが、わがPCから虫の在庫写真はこれで一掃されます。 フォト蔵アルバムに写真を登録し、それら写真のブログ掲載が完了すると、これをわがPCからは削除する、というのがヤカモチ流となっているからです。<参考>虫関連の過去記事はコチラ。
2023.12.08
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今日は囲碁例会の日。 いつものようにMTB(マウンテンバイク)で、会場の梅田スカイビルまで銀輪散歩であります。 大阪城公園の銀杏並木を通り抜けて行きます。(大阪城公園の銀杏並木)(同上) 次は、帰り道に撮ったものなので、向きが反対になっている。(同上) 大阪城のお堀ではこんなものを見かけました。(TVのロケ?) こういう乗り物は何と呼べばいいのか。 10人ほどの人が乗り込んでいて、声は聞き取れないが、黄色の服装の男性から、黒っぽい服装の立っている男性が何かインタビューを受けている感じである。マイクとカメラを持った人も乗り込んでいるから、TV番組のロケででもあるのだろうか。 大阪城公園を通り抜け、天満橋を渡った先の滝川公園で小休止。 公園の前の寺の、今日の門前の言葉はこれ。(今日の門前の言葉) 梅田スカイビル到着は11時48分。 いつもの店でランチ&珈琲。 梅田スカイビルの中庭・ワンダースクエアではクリスマスマーケットが始まっていました。(梅田スカイビルのクリスマスマーケット)(同上) 里山をぐるりひと回りしてから、会場の部屋へ。 既に、平〇氏が来て居られたので、早速に同氏とお手合わせ。 2目だか3目だかの僅差でヤカモチの勝ち。 対局中にご来場の村〇氏と対局。 これは、右辺の大石が死んでしまい万事休すで、完敗。 ということで、ヤカモチは1勝1敗。 来週は欠席の予定なので、今回が今年の囲碁打ち納め。 今年は26勝34敗(勝率433)で八つの負け越し。 3年ぶりの負け越しとなりました。 全通算成績は、356勝339敗(勝率512)で、未だ少し勝ち越しになっているが、来年は頑張らないといけない。 今日は3名だけの出席であったので、最後は村〇氏と平〇氏が対戦。(平〇氏vs村〇氏対局中) この対局は、右辺(写真画面では奥の方)での戦いで、白の大石が取り込まれて頓死、平〇氏の中押し勝ち。 全員1勝1敗でありました。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2023.12.06
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友人・岬麻呂氏から届いたもう一つの旅便りです。 こちらの旅は、先に紹介の「321宮古島」の旅から帰阪しての二日後である11月20日から22日までの2泊3日の甲府、浜松への旅ということで、ほぼ連続した日程でありましたので、旅報告は同じ封書にて当方に送られて来たという次第であります。(旅報告322・甲府、浜松) 岬麻呂氏の恒例の旅は概ね半年前に、予定を立て宿や航空機などの予約を済ませるというもののようですが、ご友人からのお誘いや急な事情での旅行が持ち上がると、時にこのような過密な日程になることもあるという次第。 今回は、ご友人のお見舞いも兼ねての甲府勤務時代の昔のお仲間との会食会出席と同じく浜松勤務時代のお仲間との会食会出席というのが連日にあったので、それらを兼ねての甲府・浜松夫婦旅となったようでありますが、これはご夫妻ともに頗るお元気でタフだということの何よりの証拠。ご同慶の至りと申し上げるべきものであります(笑)。11月20日早朝に自家用車にて自宅を出発→近畿道・京滋バイパス・名神・中央自動車道小淵沢IC経由→八ヶ岳高原ラインの紅葉→清里・清泉寮→甲府・昇仙峡→ご友人W氏宅訪問→夕食会(7名)→甲府記念日ホテル(泊) 大阪市内の渋滞を避けるため早朝の出発。 はい、お陰で早くも諏訪湖であります。(諏訪湖) 上の写真は、中央自動車道の諏訪湖サービスエリアから撮影されたものと思いますが、次の写真は清里・清泉寮付近とのことですから、小渕沢ICから一般道に移られ、八ヶ岳高原ライン(県道11号)を清里へと走られたのでしょう。(清里・清泉寮付近からの八ヶ岳) 清泉寮には昼食でお立ち寄りになったのかもしれません。 標高の高い八ヶ岳高原ラインは既に冬景色にて、紅葉の時期は終わっていました。(同上・八ヶ岳山麓と富士山) 昇仙峡にも立ち寄られて・・。(昇仙峡)<参考>昇仙峡・Wikipedia 甲府市の市街へ。(甲府盆地と富士山) ご友人のW氏ご自宅を訪問。ご病気のお見舞いということであったが、お元気にされていて、ご夫妻で夕食会にもご参加いただけるとのことで、岬麻呂氏もご安心されたことでしょう。 全7名の夕食会は「全員飲めず」であったが、「ノンアルコールビールでも昔話は盛り上がる。」と、旧交を温めるよき時間を過ごされたようであります。なまよみの 甲斐の国にし 参り来て い群れてどちと あるは嬉しも (偐岬麻呂) かくて、久々の甲府の夜は静かに更けてゆくのでありました。(甲府の夜景)11月21日一宮御坂IC→河口湖→西湖→精進湖→本栖湖→朝霧高原→東名高速→浜松→OB会(32名)→ホテルクラウンパレス浜松(泊) この日は、河口湖など富士五湖を巡って浜松に向かいます。(南アルプス遠望) 河口湖東岸の紅葉です。(河口湖東岸の紅葉) そして富士山です。 外人観光客で溢れかえっているオーバーツーリズムの見本のような光景であったとか。富士山は外人観光客にとっても人気のスポットであります。 しかし、西湖、精進湖、本栖湖、朝霧高原では富士山は雲隠れであったようで、富士五湖と富士山のコラボ写真はこの1枚だけであります。(河口湖と富士山) 浜松時代のお仲間とのOB会は出席32名の盛況で、ここでも旧交を温める、楽しい夕べとなりました。11月22日ご友人M氏宅訪問→伊井谷・龍潭寺→三ケ日IC東名高速経由→自宅帰着 この日は、ボランティア活動の予定と重なりOB会をご欠席されたM氏宅を訪問、歓待をお受けになって予定外の長居となったようです。 写真が、龍潭寺の紅葉のそれが1枚だけなのは、その所為かもしれません。(龍潭寺の紅葉)<参考>龍潭寺(浜松)・Wikipedia 龍潭寺は、ヤカモチも銀輪散歩で訪ねたことがあるので、懐かしい寺であります。<参考>奥浜名湖銀輪散歩(その7) 2014.5.20. ※当参考記事掲載の写真は全24枚中10枚がブログには表示されないという、散々な姿になっていますが、これはフォト蔵に登録した写真が何かの手違いで消滅してしまった所為だろうと思われます。 三ヶ日ICから東名高速に入り、全1038kmの超ロングドライブの旅から帰還。「いささか疲れた。」とのこと。さもありなん(笑)。 以上です。<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2023.12.02
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友人・岬麻呂氏からはもう1件の旅便りが届いているのであるが、その紹介は明日以降のこととし、本日は月例の墓参の記事とします。 先日、11月27日に妹が墓参をしたばかりなので、今回は花を持たずに、お線香だけを持っての墓参である。 途中の寺の門前の言葉は、今日はこれでした。(今日の門前の言葉) 食べ物様には 仏がござる 拝んで 食べなされ ― 宇野正一 ―<参考>仏がござる―宇野正一・YouTube 食べ物様には仏がござる-宇野正一-南御堂-真宗大谷派難波別院(墓地からの眺め) 墓地入口近くの池の畔の樫の木。 先月3日の墓参の折には、未だ青かったドングリでしたが、茶褐色に色づいて、すっかり一人前のドングリになっているのでありました。(樫の実) 墓参を済ませて、山の方を見やると、「山装う」とまで言えるかどうかはともかく、秋の色でありました。 尤も、立冬が11月8日でしたから、暦の上では既に冬。「山眠る」と言うべきなんでしょうが、未だ眠っている景色ではありませんね。(墓地から山側を眺める) 今日から師走。 隠居ヤカモチも何やら心せわしい気分になるのであるが、さりとて何と言ってすることもないので、気分だけのことであります(笑)。<参考> 墓参関連の過去記事はコチラ。
2023.12.01
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