( 承前 )
英坊氏がご紹介されていた内川のことを思い出し、内川沿いを暫し銀輪散策です。内川は庄川河口と富山新港を結ぶ水路。色々工夫を凝らした橋が架かっているという。
(放生津橋南詰にある越中公方こと足利幕府第10代将軍足利義材像)
越中公方については上の説明板にも記載されていますが、以下をご参照下さい。
<参考> 越中公方
放生津橋の西側にあるのが東橋。英坊さんのブログで知ったので実地検分して行くことに(笑)。
内川畔散策を終え帰途につく。県道11号線を南へ、坂東交差点で右折、庄川に架かる高新大橋を渡る。橋の上からは、玉くしげ二上山が一望である。
高岡駅前のホテルに到着。チェックイン。部屋でシャワー。汗を流してサッパリした頃には日没。しばし、高岡の夕景に見惚れて居りました。
ホテルで夕食を済ませた後、古城公園へと散策に出ましたが、人影もなく早々に引き返して参りました。高山右近さんと大仏さんには遅ればせながらご挨拶して置きました。
ここまでは23日のこと、以下から24日のこととなります。朝8時半頃にホテルをチェックアウト。駅のコインロッカーに荷物を預けて、荊波神社へと向かう。この神社の境内にも大伴家持の歌碑があるので。荊波神社は高岡駅の南西3km余の処にある。
荊波
の 里に宿借り 春雨に
隠
り
障
むと 妹に告げつや
(大伴家持 万葉集巻18-4138)
この歌は大伴家持が国守として部下を伴って墾田の検察にやって来た時の歌である。折しも急な雨に見舞われ多治比部北里という人物の屋敷にて雨宿りをすることとなった。それで部下たちに、「雨で帰れないと奥さん(恋人)には伝えたか」と冗談を言った歌である。「雨つつみ」というのは雨が支障となって出掛けられないこと。男が女の許に行けないことの口実に雨を使うのが常套手段ということでもあったので、ちょっとニヤリとする歌であったろう。
本日はここまでとします。< つづく >
飛鳥川銀輪散歩(下) 2024.11.11 コメント(4)
飛鳥川銀輪散歩(上) 2024.11.10 コメント(2)
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