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2015.08.10
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カテゴリ: 歴史箱
実は黒又山は、1990年代の調査によって、あと一歩で人工的な山であったことが立証されかけた山でもあるんですね。
1980年代にも一時期、古代日本にピラミッドとも呼べる人工山や加工山があったのではないかというブームが起こりました。
これには私も、火付け役として一役買っております。
その後、日本のピラミッドブームは下火になったのですが、それでも黒又山に関しては、当時同志社大学教授だった小川光陽氏が会長を務める環太平洋学会が中心となって、「ピラミッド型の古代神殿ではないか」という仮説を唱えて、90年代に本格的な学術調査を開始したんですね。

その結果わかったのが、黒又山には階段構造があることと、頂上付近の地下に立方体型の空洞があることです。
その際、周辺の神社の位置関係も調査され、黒又山の真東と真西の東西の麓にそれぞれ神社があることが指摘されていました。
それが新著225ページの図5-5に記されている「根一の神社」と「風張の神社」です。当時の調査担当者も黒又山と周辺神社の配置には、太陽信仰など何か関連性があるのではないかと考えていました。だけれども、明確な結論は出ませんでした。

今回、私なりに明確な答えを出しています。神社は、間違いなく黒又山を中心とする測量ライン上の重要な三角点、あるいは「聖地」として残された可能性が高い、ということです。

その議論を始める前に知っておかなければならない事実は、「根一の神社(出羽神社)」と「風張の神社(愛宕神社)」の緯度が北緯40度16分51秒と秒数まで一致する緯線上にあるように、縄文遺跡である伊勢堂岱遺跡と御所野遺跡の緯度が、同一緯線上にあるということです。前者の中心は北緯40度12分04秒、後者の中心は北緯40度11分52秒と12秒ほどズレがありますが、伊勢堂岱遺跡の南部分と御所野遺跡の北部分は完全に緯度が一致します。しかも、それは82キロの距離の完璧な東西線となるわけですね。



もう一つの考え方として、伊勢堂岱遺跡と御所野遺跡のそれぞれの中心と黒又山の間にも測量の痕跡が残っているのではないかと見ることもできます。それが225ページで紹介している図5-5です。二つの縄文遺跡の中心と黒又山を結ぶと、御所野遺跡のほうが1キロほど距離が長いんですね。だけど、もし、完璧な測量ができる技術集団が縄文時代にいたとしたら、伊勢堂岱遺跡と御所野遺跡の中心からピッタリ等距離になる場所になんらかの痕跡を残した可能性があると私は考えました。それが図5-5の点Pです。黒又山と御所野遺跡の中心を結んだ直線上にあり、かつ伊勢堂岱、御所野の両遺跡から完璧に等距離になる点です。

そのような点Pに本当に何か意味があるのか、と訝る方もいると思います。ところが驚いたことに、まったく意図せずに純粋に測量上の点として設定した点Pと伊勢堂岱遺跡を結ぶと、その直線に沿うようにして、わずか600メートルほどの区間に4つの神社が並んでいたんですね。そしてさらにその直線を点Pから北東方向に延ばして行くと、根一の神社があるわけです。

しかも、点Pから根一の神社までの距離は、点Pと黒又山までの距離、それに黒又山から風張の神社までの距離とまったく等しくなります。ということは、黒又山の周辺にある神社はすべて、意味のある測量線上に設置された重要な測量点、もしくは聖地であったと考えることができるわけです。

これらのことから推論できることは、黒又山を「神殿」として加工・建造した縄文時代の古代人は、42キロの距離を正確に測れただけでなく、82キロの正確な緯線を引くことができる、極めて高度な測量土木技術を持っていた可能性が高いということです。
(続く)





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最終更新日  2015.08.10 14:21:41
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