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っていうタイトルの記事が、ヨコハマ経済新聞に載っています 「地元生産・地元消費」の略で、食材へのこだわりが記事になっています野菜を食べると言うと、サラダしか思い浮かばない、人たちが多くなっているといいます 肉を食べるのなら、その2倍以上の野菜を食べる 肉を食べなくても、野菜は食べる そういう、日本人の食卓が望ましいでしょう ということで、野菜だけではありませんが、地産・地消 よろしいと思いますが・・・
2007年11月29日
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京都旅行 を前に デジカメの入替えをしました 左が、慣れ親しんで、使ってきたオリンパス・CAMEDIA C40ZOOMです そして、右が新しいオリンパス・ミュー830です期せずしてオリンパス同士ですが、C40が300万画素であったのに対して、ミュー830は800万画素、5倍ズームです しかも、こんなにコンパクト 厚みも三分の一くらいですかねなんて言っても、C40のスマートメディアを買い加えようと思い、店へ行ったら、「お客さん、このメモリーはもう売っていません」って言われたときは、ビックリ仰天・・・ しましたミュー 上大岡のヨドバシで買って来たばかりで、今、充電し始めました メモリーは、XDピクチャーカードの1GBで200枚くらい撮れる、って店員は言っていましたさあ撮るぞ! 期待がもてる旅行になりそうです
2007年11月27日
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千利休の遺した言葉 これが実によいです。利休の波乱の人生と重ねると、その意味が深まります「佗ぴ茶」を完成した利休居士、千利休は大永二年堺で生まれ、幼名を与四郎といい、早くからお茶をたしなんでいます。はじめは、能阿弥の流れをくむ北向道陳について書院の茶の湯を学びましたが、後に武野紹鴎に師事して草庵の茶の湯を歩みだしたのです。 京都の大徳寺は、お茶と縁の深いお寺です。珠光や紹鴎のように、利休居士もまた大徳寺で参禅し、修行しています。それを機会に名も宗易と改め、姓も祖父の千阿弥にちなんで、千と名のりました。 利休居士は歌に、「世の中に茶のむ人は多けれど、茶の道を知らぬは、茶にぞのまるる」と詠んでいます。つまり、修行がなければ、お茶をのんだつもりでも、のまれていることになりかねないということなのです。また、「茶の湯とは、ただ湯をわかし、茶を点てて、飲むぱかりなることと知るべし」という利休居士の言葉もありますが、この言葉もきびしい修行の道の裏づけがあってはじめて言えることなのです。 こうして利休居士は、茶道の理念を大成しました。利休居士は五十八歳の時、織田信長に召され、信長の死後、秀吉のもとで茶道をもって仕えました。茶道役といっても、実質的には秀吉のブレーンの役割を果たしていたのです。 天正十三年、秀吉が催した宮中の茶会のとき、正親町天皇からとくに利休宗易居士の勅号を賜わりました。これによって利休居士は、天下一の大宗匠としての地位を確立したのです。 1 茶は服のよきように立て これは、お客さんが飲まれるペースに合わせて、相手の立場を考えてサービスをす る。2 炭は湯のわくように置き 炭のおき方によって、お茶の沸く時間や、うまく沸くかどうかが決まります。つぼ、ポイントを押さえた準備をする。3 花は野にあるように あまり、おもてなしの心が、鼻につきすぎないように。野にある花のように自然体に。4 さて夏は涼しく冬暖かに 夏は、涼しくするようにして、冬は暖かに心がけ、お客様が快適に過ごせるようにする。 5 刻限は早めに 準備は、余裕を持って、早め早めを心がける。 6 降らずとも傘の用意 何事がおきても大丈夫なように、お客様のために、不測の事態にも対応できるようにしておく。7 相客に心せよ いらっしゃったお客様同士の人間関係のバランス、楽しんでいただけるように注意する。
2007年11月26日
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秋深し、満月の夜です ここは、JR新杉田駅前ラ・ビスタ新杉田のある高層マンション、あっしの友人の住む15階の一室 夕方、早い時間から酒盛りです 三連休だから良いかって、いい大人が男女12人集まって、酒盛りが続いています空の満月が、余りに美しいので、持ちあわせの携帯カメラでパチリ 上のほうに写っているのが、実は満月です この写真は、手前が新杉田駅、その向うが首都高・湾岸線、そして東芝とIHIの工場があって、東京湾になります 少し角度を変えて、 手前は、国道16号の産業道路 湾岸線が南部市場から、福浦方面へ通じる方面を撮っています 遥か向うが、金沢(横浜市金沢区)になります 明るい光は、新杉田公園野球場のナイターの明かりです そして、もう一枚 今度は、磯子駅方面です 遥か向うは、根岸から本牧方面になりますしかし、サスガに携帯カメラ 夜の撮影は限界ですね よく判りました 反省しています
2007年11月25日
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見慣れないタイトルをつけました 伊勢佐木町・若葉町は横浜市中区の代表的な繁華街です 果たして・・・答えは、ブログ「空港の街」をご覧くださいしかし、このあたりに空港があったことは、横浜生活57年のあっしも、ほとんど言うか、何も知りません 僅かに、もう20年近く前になくなった、あっしの親父から、小さい子どもの頃に「このあたりに滑走路があってな・・・ 」って聞かされたことが、うっすら、覚えているような、いない様な
2007年11月24日
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上野の東京国立博物館の平成館で開催されている「大徳川展」 あっしは行っていないのですが うちのヨメは、何と二度も見に行っているのです 何が、そんなに面白いのか解かりません でも、仕方ない 興味本位に取り上げてみますまず、見どころについて徳川将軍家をはじめ、御三家と呼ばれた尾張徳川家・紀伊徳川家・水戸徳川家に伝えられている宝物300余点を紹介。関ヶ原の戦いや大阪の役に勝利した吉祥の鎧として尊ばれた重要文化財「歯朶具足(しだのぐそく) 徳川家康所用」や"水戸黄門の印籠"として有名な「黒地葵紋蒔絵印籠 徳川光圀所用」、三代将軍家光の長女で尾張徳川家に嫁いだ霊仙院千代姫の婚礼調度である国宝「初音蒔絵調度のうち貝桶 霊仙院千代姫所用 一対」など、門外不出の宝物が一堂に会する絶好の好機となっている。 そして、会場の混雑状況については、国博のサイトに載っています 「大徳川展は展示作品数が多く、観覧時間が非常に長くかかります。時間に余裕をもってお出かけください。」ですって昨日(11月22日)に、入場者数が300,000人に達したそうです 12月2日までです 興味のある方は、ぜひ、お出かけください
2007年11月23日
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「うー 寒い日々」 なんて、タイトルにしてしまいましたが 横浜は大したことありません でも、昨日の朝から、薄手のコートを着て、通勤するようになりました 仕事場も、試験運転とかで、昨日・今日と暖房が入りましたでも、冬はこれからです しかも、横浜の冬なんて・・・ 大したことありませんもうすぐ三連休ですが 三連休を含めて、天気は良さそうです 今週の、木曜・金曜あたりに もう一度、寒気が来そうです でも、朝の予想気温が4度~5度くらいとの予報です今年も、残すところ、あと41日だけです 本格的な冬は、まだまだ、これからですね 地球温暖化といっても、冬は冬 凍てつく冬よ COME ON!!!
2007年11月20日
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鎌倉の、秋らしい話題を湘南経済新聞からお送りします◎鎌倉の古寺「長谷寺」の境内を夜間ライトアップ-紅葉シーズンで長谷寺(鎌倉市長谷3)では紅葉の時期に合わせて、境内のライトアップを実施している。長谷寺は鎌倉時代以前からある古寺で736年(天平8年)に創建された。境内には本尊である十一面観音菩薩像(長谷観音)が安置される観音堂がある。「見晴台」からは鎌倉の海と街並みが一望できるほか、傾斜地を利用した「眺望散策路」があり、周辺には約2500株ものアジサイが群生する。紅葉シーズンには境内のモミジ、カエデ、イチョウ、ケヤキなどが色づき、ライトアップされた夜景が楽しめることでも知られる。長谷寺の松田寿夫さんは「放生池に映る逆さのモミジは必見。通常、夜間拝観は実施しないので、この時期にライトアップされた夜の長谷寺を楽しんでほしい」と話している。ライトアップ時間中は観音堂を開放、無料で拝観できる。期間中は16時30分に閉門後、17時から入場を開始する。17時から18時まで入山料無料。荒天の場合は中止。12月10日まで。いいですね、鎌倉の秋も・・・ でも、京都はもっといいかな 今週は、三連休ですね やっぱり、秋は京都ですかね
2007年11月19日
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ここは横浜市中区、本牧和田と言う地名 本牧通りを一本入ったあたり、本牧の邸宅街です かって、このあたり 芝生の中にポツン、ぽつんと デカイ米軍住宅が建っていて、通りからはフェンスがあり、「フェンスの向うのアメリカ」だった場所です 今は、フェンスはありません でも、ご覧のようにデカイ家が緑に囲まれて、建ち並んでいます その邸宅街には、ベンツ、アウディやBMWが似合うとは思います 思いますが でも、あっしのB4はいかがでしょうか 結構、似合いませんかこのあたり、そろそろ年末、クリスマス前の季節になると、イルミネーション電飾で飾ったお家が多くなります また、それを見に来る方々で、それはそれなりに賑わうことになるでしょう
2007年11月18日
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ある日の会話《ユーミンと山本潤子》ヨメ:貴方が書いていたけど、唄「海を見ていた午後」の山本潤子を私も聞いたわ。 あっし:どうでした。荒井由美よりずっと、ウマイっしょ。 ヨメ:そうね、唄は山本潤子のほうがうまいかもね。 あっし:「かもね」って、そんなに感心していないのかな。アレだけ長く歌っていれば、この頃はちったあ、ライブでも歌ってるだろうケド、昔は、荒井由美のころは人前で、ナマで歌っていなかったハズ。 ヨメ:それは、どうでもいいんだけど。松任谷由美には、昔から、その、存在感っていうものがあるのよね。そこにユーミンがいる・・・ いるだけで、その存在感が漂っているのよ。それは、申し訳ないけど、山本潤子以外の人でも及ばない存在感だと思うわ。 あっし:ほうー、存在感ですかい。クリエーターとしてのユーミンは認めるな。しかし、ユーミンの作品を山本潤子が歌って、ホンモノの歌にした、って思っている。 ヨメ:この話は、余りしたくないけど、ユーミンはあたしと同じ歳、山本潤子は貴方と同じ歳でしょ。あんまり、貴方が山本潤子のことを言うのは、同世代人を贔屓していると、思えてくるのよ。 あっし:そりゃ、あんまりだ。そんなこと考えもしなかった。若い人達から見れば、何も変わらない世代でしょうーに。 ヨメ:・・・・もう一つ、ある日の会話《ザ・ゴールデンカップス》マッシィー:お前は、横浜、本牧のことをよく書いているけど、本牧生れのザ・ゴールデンカップスについてどう思っているんだ。 あっし:どうって、ちょっと年上(ミッキー吉野は別)のヨコハマっぽいバンドだと思っていたけど。 マッシィー:俺様が思っていたのは、本牧のワル達がバンドでもやって見ようか・・・ って始めたバンドじゃないかって思っていたな。 あっし:そりゃヒドイ。 あの頃は、本牧だけでなく、ヨコハマだけでもあちこちにワルはいた。沢山いた、ワルだらけ。そういう言い方はないだろう・・・ マッシィー:わかった、言い方が悪かった。 カップスが出来たイキサツは、平尾がアメリカへ音楽学びに行ってて、エディ藩に会った。日本に帰ったら、一緒にバンドやろうな。みたいなキッカケ。 リバプールで、ジョンとポールが同じ学校にいて、一緒にバンドやろう、に似ている。 あっし:そうだってね。その二人に、ルイズルイス加部、ケネス伊東、マモル・マヌーが加わって、1966年の暮れにカップスは始まった。 マッシィー:ところが、ワルばっか。いや失礼、個性的な連中ばかりで、ああでもない、こりゃ嫌だって文句ばかり。終いにゃ、一人抜け、二人抜け、結局解散した。 あっし:そりゃ、そうだ。嫌なヤツと解かったら、一緒にやっているほうが可笑しい。でも、結局、エディ藩とデイブ平尾の音楽性の違いが解散に至ったんじゃないのか。ジョンとポールの音楽性の違いと同じかもな。 マッシィー:平尾は、歌謡曲みたいなGSの歌でも、平気で歌っちゃう。エディ藩は、多分、嫌でしょうがなかった。ブルースとか、サイケデリックなアグレッシブ・ロックを演りたがってた。あるライブで、平尾がGSを歌って引っ込むと、エディ藩がヘビーなブルースばかり立て続けに弾いたって、聞いた事あるよ。 あっし:忘れられないのは、あっし達が19歳のころ(1969年12月)、横浜駅東口に昔のスカイビルの1階にライブホールZENってのがって、ここで、カップスのほかに、陳信輝や柳ジョージのいたパワーハウス、それから瀬川洋や山口富士夫のいたザ・ダイナマイツが参加したライブ・セッションがあった。 なんだか、スゴイ演奏の連続で、熱気と妙な高揚感がホールを埋め尽くしていた。 マッシィー:あれを見に行ってたんだ・・・ しかし、凄いメンバーだな。今や、伝説的なライブだな。 あっし:実はたまたま、行ったんだ。 あっし達は、アグレッシブ・ロックってな風でなく、どちらかって言えば、キャンパス・フォークみたいな学生だったから。 マッシィー:でも、たまたまでもスゴイ現場に出くわしたな。それはレコードにもなって、残っているはずだ。 歴史の生き証人だな、オドロイた。 あっし:でも、何が言いたかったって言えば、平尾とエディ藩の考え方のズレが、カップスの中にあって、それが決定的になっていくってことかな。 あっし:そうそう、その話だ。 一昨年だったか、「ザ・ゴールデンカップス ワンモアタイム」って映画が出たな。実は見ていないが・・・ マッシィー:俺も見ていないが、平尾はともかく、エディ藩や加部やマヌーたちが大人になったとは思えないしな。一時的な妥協の産物だろうな。 あっし:うーむ、そうなんだろうな。でも、みんな60歳くらいになって、またバンドやるのもいいもんじゃないの。 マッシィー:お前も、やったらどうだ。昔の連中が生きてる間にやったほうがいいぞ。 ビートルズは一人死に、二人死に、だぞ。 あっし:そりゃ、失礼な言い方だが、そうかも知れないな・・・ しかし、アタッテルかも。
2007年11月18日
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そう思いませんか?約10時間に及ぶメンテナンス、しかも予定時間を遥かにオーバーしている 何の釈明もありません楽天のメンテナンス、時間かかりすぎです
2007年11月18日
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午前中、スポーツクラブへ出かけ、ひと汗流す 横浜駅東口で蕎麦を食べて、愛車B4でみなとみらい付近を走っていると そうだ、秋のヨコハマ風景を写そう って思いついたんで、まずニューグランドホテル裏の通りにクルマを止めた ひょっと中を見たら、ホテル旧館の中庭が美しく見えたので、まずパチリ 壁や噴水のシロ、木々のミドリ シンプルな組合せが美しいですね 右手の建物、三階あたりに、マッカーサー・ルームがあるはずです 歩いて、海岸通りに出ます 左の建物がニューグランドホテル(旧館) ♪ ~ニューグランド・ホテルの灯りが滲む~ ♪ そして、右側が山下公園ですね この銀杏並木も、もうすぐ ま黄色に色づくことでしょう そして、角から、反対側を写します もう少しって、感じですよねおまけに そうだ本牧はどうなっているかなって、麦田トンネルを越えて、本牧に入ります マイカル本牧は、本当に昔の面影が消えつつありますね 昨年までは、ここのスポーツクラブに10年以上、通ったのですが そして本牧通りの紅葉 ここは、だいぶ赤い木もありますすっかり色づきだした、11月中旬のヨコハマです
2007年11月17日
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ヨコハマ経済新聞から、この時期の話題をお届けします◎横浜山手西洋館で世界9カ国のクリスマスを演出横浜・山手西洋館7館などで12月1日より、世界各国のクリスマスをテーマにした装飾を紹介する「山手西洋館 世界のクリスマス2007」が開催される。今年で8回目を迎える同イベントは、山手西洋館各館とテニス発祥記念館、山手68番館で毎年テーマを設けてクリスマスの装飾を施すもの。山小屋風のテニス発祥記念館では「ホワイトクリスマス」をテーマに、リースと白いオーナメントでアメリカのクリスマスを表現するほか、山手68番館ではオランダの「ライト&フラワーシャワー」をテーマに明かりと花で室内を装飾する。そのほか、アイルランドやロシアなど9カ国のクリスマスを演出。日没には各館の壁面にイルミネーションが設けられる。22日~24日には、外交官の家とブラフ18番館を有する山手イタリア山庭園で1,000本のキャンドルの点灯も。開館時間は9時30分~17時(12月22日~24日のみ19時まで)。◎横浜ベイエリアで7千本のキャンドル点灯横濱・開港キャンドルカフェ150実行委員会は、ナビオス横浜・通景空間(横浜市中区新港)や新港地区8街区などで12月21日から24日までの4日間開催するキャンドル点灯イベント「横濱・開港キャンドルカフェ2007」のボランティアスタッフを募集している。同イベントは、横浜開港150周年記念事業の一環で、地域に密着した市民参加型イベントとして昨年から開催されているもの。会場に約7,000本のキャンドルを並べ、参加者が横浜の過去、現在、未来への思いや願いなどのメッセージをキャンドルに記入し、点灯する。そのほか、会場に併設する飲食スペース「横濱・開港150マーケットプレイス」では、ケータリングカーで温かいメニューを中心にフードやドリンクを提供する予定。今年は、ナビオス横浜と新港地区8街区に加え、日本丸メモリアルパーク(西区みなとみらい)も会場に加わり、キャンドルも3,000本増えた。昨年は約18万人が来場。
2007年11月17日
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今日は、月曜日でしたが、横浜の街はきっぱり晴れ渡りました 大変によい天気の一日ですB4仲間、スナフキーさんの住んでいる青森では、大雨降りだそうです 大丈夫でしょうか・・・ ヨコハマ経済新聞に、こんな記事が載っていました◎エディ藩さん、60年代横浜を語る-横浜市立大学の市民講座で横浜市立大学エクステンションセンター(横浜市西区みなとみらい)で11月20日・12月18日、市民講座「エディ藩&中村裕介と語る・唄う・弾く ヨコハマ・ブルース・ワークショップ」が開催される。講座は、横浜市立大学が、横浜みなとみらい地区のエクステンションセンターを拠点として市民の生涯学習意欲の高まりに応えて開催するもの。今回の講師は、本牧を拠点にして60年代後半から70年代にかけて一世を風靡したグループサウンズのバンド「ゴールデンカップス」のギタリスト・エディ藩さんと、「横浜市歌~ブルースバージョン」を発表した横浜在住の作曲家で、2004年に「ザ・ゴールデン・カップス再結成コンサート」にギタリストとして参加した中村裕介さん。講座では60年代の横浜についてのトークセッションや、ライブ、ギター持参の参加者とのセッションなどを行う。同大学エクステンションセンターの塚原悟さんは「最近は多くの団塊世代の方がバンドを組んで活動している。そんな横浜の『オヤジバンド』の皆さんに頑張ってほしいという思いを込めて、青春時代を過ごした60年代の横浜を講師の方に語ってもらう。是非部屋の片隅にあるギターを持って参加してほしい」と話す。ヨコハマじゃ、ゴールデンカップスのことを、親しみを込めて「カップス」って言います ヨコハマのGS、カップス、バンザイこの記事、その後の顛末がありまして おそるおそる申し込んだところ、何と、参加OKの連絡をいただきました 12月18日、あっしが参加します ギター持って行こうかな・・・
2007年11月12日
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マイベスト・シリーズです 今回は、アイ・チューンの昭和歌謡曲ベストと銘打ちました第五位は、実は「オリビアを聴きながら」としたかったのですが「旅姿六人衆」です これはサザン・オールスターズの結構、初期の曲です サザンの曲、バラードですから、歌謡曲といったら失礼かもしれませんが、内容は結構、歌謡曲です イントロの「ごめん、俺が悪かった」という桑田さんの声に始まります コンサートの舞台裏の人たちへ捧げる名バラード 「Mr.Suizuらが・・・ 」は水津雄二デレクターのことですよね タイトルの「六人衆」とは、もちろんサザンのメンバー6人のことを指しています 大森さんは今いませんライブでもよく演奏される曲ですが、過去のライブでは全てラストに歌われています アンコールのラストを飾って、この曲を歌いながら目にきらりと涙を浮かべた桑田さんを見て、思わず涙をこぼしてしまった人は多いと思います第四位は、「海を見ていた午後」にしました 松任谷由美、荒井由美時代、昭和49年のアルバム「ミスリム」の一曲です この曲は、あっしとしては「ヨコハマ三部作」または「横浜ベスト」に入れたい曲でもありますが、第四位としました 「ソーダ水の中を 貨物船がとおる」とか、「紙ナプキンには インクがにじむから」とか、ユーミン感性の曲です この曲、あっしのアイ・チューンでは、山本潤子の曲が入っています 申し訳ないですが、歌、声はユーミンよりいいです 現在の山手のドルフィンは、あの頃と、店のコンセプトを変えているようです第三位は、「大阪で生れた女」です 昭和54年、BOROの曲ですが、オリジナルは萩原健一が歌ったはずです 「青春のかけらを 置き忘れた街」 何とも切ない、悲しい歌詞はブルースです BOROの原曲は、歌詞が十八番まであったそうですが、あっしのアイ・チューンはBOROの曲で入っています この曲も、あっしのカラオケ十八番で、よくガナって歌いましたです この曲も、本当は「悲しい色やね~OSAKAベイ・ブルース」、「浪花恋しぐれ」と並べて大阪三部作としたい曲です第二位は、尾崎紀世彦「また逢う日まで」です 作詞は阿久悠、作曲は筒美京平で昭和46年の大ヒット曲ですね この曲には、本当に長い間、お世話になりました カラオケ時代以前から、横浜・若葉町の飲み屋で、ギター片手に歌っていましたから 尾崎紀世彦は、もともとカントリー・シンガーですよね デビュー当時の、髪型やもみ上げが話題になりましたが、あれはカントリー・ウェスタンの方々の雰囲気ですよね 「二人でドアを閉めて 二人で名前消して」 今から見れば、どうってことない歌詞ですが、当時、あのハモのノリは最高でした・・・第一位は、都はるみ「小樽運河」です この曲は、昭和でなく、平成二年の曲です 企画原案・都はるみ 作詩・吉岡治 作曲・弦哲也 です 「精進落しの酒を飲み 別の生き方あったねと」 始まりは全くの歌謡曲です しかし「イエスタディを聴きながら」 展開は、何ともモダンな歌謡曲です バックも結構、ジャズのノリです イエスタディが幾度も出てきますが、ビートルズのイエスタディだけを聴いているだけでなく、男女の「過去」を暗示している言葉ではないでしょうか あっしの想像では、団塊世代男女が、友人の弔いで久しぶりに再会 離れられない関係に・・・ って感じじゃないですか 「四十路半ばの秋がゆき」 五十路半ばになった男が惚れ直す名曲です
2007年11月11日
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お気に入りブログに入っている「空帆」さんの日記(2007年11月8日) まず、読んでください 感動します、感激します 熱いものが、涙が沸いてきます病魔、誰もが歓迎しない、でも運命は一人の人間に忍び寄ってきます その運命を、真正面から受け止め、戦いを挑む強さと直向さに ただ唯、感動がよぎります空帆さんが、あっしのことを友達と思っていてくれるかどうか、わかりません でも、あっしはいつもいつも大好きな存在です 空帆さん、夢穂さん、それぞれのブログ見てください この方の、素晴らしさが解かって頂けると思いますこの方のブログは祈りです 負けるな空帆 打ち勝て夢穂一人の人として、心から、快復することをお祈りするとともに いつまでも、いつまでも、どうぞ素敵なブログが続きますことをお祈り申し上げております
2007年11月08日
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BSフジで、映画「ホワイト・アウト」を放送していて ついつい、見てしまった 紹介はWikipediaから『ホワイトアウト』は、真保裕一のサスペンス小説。日本最大のダムを占拠したテロリストから人質を救うべく立ち上がった青年の活躍を描く。織田裕二主演で映画化され、ヒット作となる。タイトルの「ホワイトアウト」とは、激しい吹雪により視界が奪われ、自分の位置が全く分からなくなってしまう事を言う。あらすじ 日本最大の貯水量を誇る新潟県奥遠和ダム。冬のある日、ダムの運転員富樫は遭難者救助のために猛吹雪のなかを出発するが、ホワイトアウト現象に見舞われ、同僚であり親友の吉岡を亡くしてしまった。それから2ヵ月後、吉岡の婚約者であった平川千晶が奥遠和ダムに訪れるが時同じく、テロリスト集団「赤い月」がダムを占拠した。テログループは政府に50億円を要求、拒否すれば人質を殺害しダムを破壊すると通告。ダムが破壊されたら20万世帯は一瞬にして水没してしまう。タイムリミットは24時間。偶然テロリストから逃げおおせた富樫は人質となっているダムの職員、そして平川千晶を救出すべく単身テロリストに戦いを挑む...。興行的に成功した一方で、アメリカのアクション映画である『ダイ・ハード』と『クリフハンガー』を足して割ったような映画だと評される事も多い。なお、主人公が最初に敵を倒す方法が『ダイ・ハード』にほぼ同じで、これは同作へのオマージュとも取れる。もう7年前の映画なのですね 42億円の興行収入だそうです スピード感のある画面展開、息をつかせぬストーリー展開です ただ、日本の国の場合、やや非現実的な設定です・・・ 「ダイ・ハード」も「クリフハンガー」も見ている、あっしとしては、最初からそういう目で見てしまうのですが、それは仕方ないこと・・・ 織田君の映画は嫌いじゃないが、何も、ここまで似せなくてもいいのでは というのが、率直な感想です でも松嶋奈々子は、ヨイデスね
2007年11月06日
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横浜美術館は、みなとみらい地区にあるのですが、今から18年前、そうバブル期にできた建物です 当時、あちこちの自治体で美術館づくりがあったと思います この美術館、みなとみらい地区の中では低い建物になってしまい 名実ともに埋没しているように思います そうしたら、ヨコハマ経済新聞に、久しぶりに記事が載っていました◎横浜美術館、開館18周年記念で観覧無料に-額縁半額セールも 横浜美術館(TEL 045-221-0300)は11月3日、開館18周年を記念して、イベントの開催や全展示作品の鑑賞が無料となるキャンペーンを行う。1989年11月3日に開館した同館は、これまでコレクション展や企画展を年に7回開催し、昨年度までで延べ約1,373万人が来場。2005年に開催した日本初公開のものを含むルーブル美術館所有の絵画73点を展示した「ルーブル美術館展」では、同施設最多入場者数の約62万人を記録した。当日は、現在開催中の企画展「シュルレアリスムと美術」や横浜美術館コレクション展が鑑賞無料となるほか、学芸員による展示作品のレクチャーやプロのカメラマンによるカメラ撮影技術のワークショップを開催する。そのほか、美術振興に役立てる目的で、閉店した額縁販売店から寄贈された「油絵額」や「色紙額」など約300点の額縁を市価の半額で販売する。同館担当者は「これまでたくさんの方へ美術に興味を持ってもらおうと、さまざまな企画展を実施した。小学生から年配の方まで多くの方に足を運んでもらい、美術館がより身近に感じる機会を提供できたと思う。18周年を迎えられるのも市民の皆様に支えられたおかげ」と話している。開催時間は10時~18時一日だけ無料とか、額縁半額とか、内容はちょっとショボイですが 建物が埋没していても、存在感を示すことができるでしょうか がんばれ、横浜美術館因みに、横浜美術館のサイトです
2007年11月04日
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鎌倉、このあたりは二階堂とも呼ばれていますが、本当にいいところがあります 浄妙寺をあとにして、金沢街道に戻り、反対側の路地を少し行くと報国寺です 山門をくぐり、坂を昇りながらゆくと本堂です 報国寺の由来ですが、臨済宗建長寺派の禅宗寺院。この寺は、浄妙寺中興の足利貞氏の父・家時(足利尊氏の祖父)が開基。夢想国師の兄弟子・天岸慧広(仏乗禅師)の開山で建武元年(1334)の創建。永享の乱(1439年に起きた足利持氏の室町幕府将軍・足利義教への反乱)で関東公方・足利持氏は敗退し、永安寺で自刃した時、その長子・義久もこの寺に入って自刃した悲劇の寺である。古くから境内の孟宗の竹林で知られている。三門をくぐり右側の石段を登ると本尊の釈迦如来坐像が祀られている本堂がある。本堂の右手に迦葉堂、左手にかやぶきの鐘楼がある。数多くの文化財があるが、殆どは現在、鎌倉国宝館に所蔵されている。本尊は釈迦如来(市重文)だから、浄妙寺と縁もゆかりもあったのですね 足利家、ゆかりの寺でもあることになります そう、報国寺といえば竹の寺、竹の庭が有名です この孟宗竹は、京都から移築したのが始まりだそうです 静かな境内に、凛とした風情を漂わせる竹林です 庭の奥に、祠のようなやぐらがあり、これが足利家のものだとのことです また、別のところには抹茶をいただくところがあります この日は、先に浄妙寺でいただいてきたので、止めておきました・・・ 報国寺を出て、戻らずに、さらに路地を奥に進むと旧華頂宮邸があります この建物は、昭和4年の春に華頂博信侯爵邸として建てられたものです。平成8年5月鎌倉市が取得し、平成18年4月には景観重要建築物に指定されました。 現在は公開されていて、午後3時まで、中に入れるようです この日、ここに着いたのは3時を少し過ぎていました ですので、写真は塀の柵から手を入れて写しました鎌倉、二階堂の散策、天気はあまりよくありませんでしたが、ゆっくり歩くことができました おまけになりますが このあたりは衣張山という山の麓になります この山の反対側の麓には、鎌倉逗子ハイランドという有数の邸宅地があるのですが この邸宅地のはずれに、このような場所があります 天気の良い日には、遥か富士山が見えるそうです
2007年11月04日
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鎌倉、金沢街道に沿って朝比奈峠へ向う通りに面して、浄妙寺があります 地名は鎌倉市浄明寺ですが、寺の名は浄妙寺です 鎌倉、このあたりは、なかなかいいところです 金沢街道の、通りに面して、茶道宗偏流家元の家があるそうです まずは浄妙寺です 鎌倉五山第五位に列する稲荷山浄妙寺は、源頼朝の重鎮・足利尊兼が1188年に創建しました。開山は退耕行勇律師で、当初は極楽寺と称する密教系の寺院でしたが、1257年に蘭渓道隆の弟子である月峯了然が住職となってから禅寺に改め、寺名も浄妙寺に変わりました。歴代の住持には、約翁徳倹・高峰顕日・竺仙梵僊・天岸慧広など名僧が多く、中興開基は足利尊氏の父である貞氏で、没後は浄妙寺に葬られました。 このお寺、ちょっと変わっています 寺の中に、茶室がある 茶室くらいある寺はあるでしょうが、石窯ガーデンテラスなんていうカフェ・レストランが境内にあるのです そして、このカフェ・レストランの庭はなんとイングリッシュ・ガーデンになっているのですともかく、茶室です 名を喜泉庵といいます 浄妙寺境内ある喜泉庵は、天正年間(1573年~1592年)に建てられた茶室で、現在の茶室は平成3年に復興したものです。枯山水の庭に向かって敷かれた緋毛氈に座りながら、足利氏の紋が入ったらくがんとお抹茶をいただけます。 喜泉庵の中です 円窓から庭が見えます この日も、あっしたちのほかに、外国人を含めた大学生達と指導教官らしき方が抹茶をいただいていました いいものです こうして一つの日本文化が継承されていくのでしょう いい景色です これが枯山水の庭です カフェ・レストランには入りませんでしたが、 洋風のカフェ・レストランの玄関側から見たカフェ・コーナーみたいなところです季節は、紅葉にはまだ早い でも、鎌倉の秋を満喫するお散歩です 次は、竹の寺、報国寺へ行きます
2007年11月03日
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三歳年上ですが、吉田拓郎は気になる男、の一人です Wikipediaによれば、2007年8月21日、越谷公演を皮切りにツアー『Life is a Voyage TOUR2007"Country"』を開始。だが、ツアー2カ所目となる多摩公演が行われる予定だった8月24日、扁桃炎による延期が当日発表された。その後、喘息性気管支炎の診断を受け、当面の公演を延期。9月30日の熊本公演からツアー再開していたが、10月22日に慢性気管支炎と胸膜炎により、以後の公演中止を発表した。若い頃は、いろいろ言われたし、いろいろありました 三人の女性と結婚したり でも、拓郎の唄は、掛け値なしにいいです 捨て鉢な歌い方に見えるかも知れませんが、あれが男の色気です 素直に、世の中見ていないように見えますが、あれが団塊の世代です同じような時代を生きてきた男です 気になりますね
2007年11月03日
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ふらっと仕事休んで 午前中は、たまに病院へ通院しました 病院から、鎌倉が近いのです ついつい、クルマは鎌倉へ向います 小町通です 相変わらずの人通りですが、季節柄かも知れません 修学旅行の生徒、学生が多いように思いました 遅い昼飯は、かまくら楽食日記ご推薦の「トラットリア リメッタ」でランチいただきました小町通りと言えば、通りからちょっと入ったところにあるカレーの店、キャラウェーです このときは、店の前に、人だかりがありませんでした カレー好きのあっし、うちの家族ですが、キャラウェーのカレーだけは大好きです若宮大路に出るところに、白いビルがあって、そして若宮大路の段葛です 若宮大路を歩いて、鶴岡八幡宮へ行きます 若宮大路の終着点、三の鳥居です そして、 鶴岡八幡宮です 天気がよくなく、遠くが見えませんが、若宮大路の向うには相模湾が見えるはずのポイントです 八幡宮まで来ると、ついつい寄りたくなるところがあります 八幡宮前から、ちょっと金沢街道に入って、通りに面した「鎌倉シャツ本店」ですね やはり、サイトで見るシャツやネクタイと、実際に見るとでは、色や感触が違います 実際に、伝わってきますねさっと、ご紹介しました 宮沢賢治のセリフをいただいて 休みはいつも、鎌倉に居リマス
2007年11月03日
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