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2009.08.13
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カテゴリ: カテゴリ未分類
気にはなっていたが、長年果たせなかった父の墓参をした。

大阪を離れ、各地を転々とし、お盆だと言っても墓参りをすることもなく今まで過ごしてきた。
私が還暦前後のお盆の時期には海外に出ていたりしたこともあって、なかなか果たせなかった。
もっともその気になればいくらでも行動することが出来た訳だが、別な事情もあり、なかなか足が向かなかったというのが実情だ。

このたび、父が眠る墓所の近くに帰ってきたということと、連れ合いに背中を押して貰ったことてやっと腰を上げたような状態だ。

父の墓はアパート形式の納骨堂にある。地下1階、地上2階建て構造になっている納骨堂の2階に父の墓はあった。恥ずかしいことだが、以前一度来たことがあったが、いつ来たのかも定かには覚えていない上その場所さえも忘れてしまっていた。

たまたま帰ってこられた住職に会うことが出来た。前に来た時に受けた感触と若干違っていた。
この納骨堂は計画時反対側につくる予定であったそうだが、そこだと駐車スペースに近いが、本堂に足を運ぶこともなく、無関係に墓参することが出来るので、総代の人の意見を入れ、わざわざ今の場所に位置を変えたのだそうだ。

現在の位置だと、車で墓参する人も、必ず本堂の前を通らねばならず、それが重要なことだとのことであった。



「縁」と書いて、「えにし」と読むが、この「縁」は何も「お骨」だけに限らなく、故人が生前に使っていた品物であれば、時計などでも良いし写真等でも良いという考え方なのだそうだ。

航空機や船舶の事故などに遭遇した人の「お骨」は当然回収できなくなる訳で、そのことと同様に、お墓に「お骨」が無いと言うことはさほど重要なことではないとの教えであった。

私自身が年を取ってきたので思うことだが、墓を造って、お参りもしないと言うことであれば墓をつくる必要もない訳である。住職の話では、京都の五条の大谷廟ではなにやら集合的に団体で供養してくれるところがあるという話であった。

無縁仏の集まりようなものではないらしいが、死んでしまえば皆同じ、仁徳天皇の巨大な前方後円墳の様な墳墓でもあるまいに、広大な地所を永代使用し、子々孫々に残してみても、所詮は空しいものである。

私の宗派は浄土真宗であると言うことになっている。と言っても、親父のように生前に法名を受けた訳でもなく、親父がそうだから、浄土真宗なのだという程度の曖昧なものだ。
そういう意味では世襲かな?等と変なことを考えてしまう。
そこで一寸調べると、院号や、位号などは付けないのが普通であるらしい。親父の法名にもそれはない。どうせ、佐賀の田舎の百姓の出である、そんな立派なものは付かないし、この世で大いなる貢献をした訳でもない。

まして、浄土においては一切の衆生は平等であるという教えがあるのだから、浄土では、いかに功成り名を成した者でも、普通のつましい生活を送って来た者でも、皆平等のはずである。各所の墓所に見られる「○○院○○大居士」などと言うものは、宗派が違うか、現世に生きる者の見栄でしかないようだ。

最近少し勉強したイスラム教でも同じように神の前では平等であり、「イラーハ・イ・ラッラー」(神は唯一ただ一つ)で「アラーハ・アクバル」(神は偉大なり)と言うことらしい。従って、ドバイやアブダビの首長などは、お祈りをする時は、親しく民衆と共に同じ場所で行うという話を聞いた。

この機会に少し「歎異抄」を開いてみた。第三章に「善人なをもて往生とぐ、いわんや悪人をや」と言う有名な下りがある。「善人」と「悪人」が逆ではないかと思うが、そのことにも親鸞は触れ、詰まるところ、自力で善を行い往生するのではなく、ただひたすらに「南無阿弥陀仏」の名号(みょうごう)を唱えることによって衆生は救われるのだとの教えなのである。
ここでの「悪人」には仏を賛嘆することなくその反対のことをしている人という意味で、通常の犯罪人とは違うと思われる。



この点は、イスラム教徒などと同じ考え方のようでもある。

とりあえず、目的意識を持たず、ただ一筋に弥陀の本願に帰依して念仏することが求められている。と言うかそれで十分であるというのだ。

墓参などはそのうちの一つの行為であり、浄土にいる人たちをその時を機会として、自分の心に浄土の人を思い起こさせるための行為であるという風に理解できた。





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Last updated  2009.08.14 08:07:36
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