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2009.12.15
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カテゴリ: カテゴリ未分類
文学から見るアラブ社会の第3回講座があった。

今日は、パレスチナ文学のガッサーン・カナファーニー作による「ハイファに戻って」である。
この作品も、現代アラブ小説全集の中に収められていて、他にも「太陽の男たち」をはじめ7つの小作品がオムニバス的に入っている。

作者は、1936年、英国委任統治下のアッカに弁護士の息子として生まれ、ヤ-ファ(現テルアビブ)に学んだ、パレスチナを代表する作家の一人であり、一時、PFLP(パレスチナ解放人民戦線)の公式スポークスマンを務めたが、36才の若さで、テロリストによる自動車爆破事故に巻き込まれ亡くなった。

物語の背景は、イギリスの統治が終わるその年に、ユダヤ人のベングリオンによって、イスラエルの一方的建国宣言が成された。
この時起こった、アラブ・イスラエル戦争によるアラブ側の敗北で、彼自身は、故郷を追われることになる。
この辺りの実体験をベースに「ハイファに戻って」は書かれているようだ。アッカは、ハイファに近く、現在はイスラエルの領土になっているが、地中海に面した美しい街のようで、2001年には世界文化遺産に登録されている。

アッカは、アラブ流にはアッコと呼ぶ方がふさわしいのかも知れない。カナファーニーはイスラエル建国後も、パレスチナ人が人口の3分の1を占めるという街である。その後も、この辺りは、中東の火薬庫と言われ、最近になっても、小競り合いが続く、風景とは裏腹な危険な地帯である。

アラブ民族主義者運動ANMは後のPFLPとなるが、カナファーニーはその創設メンバーのハバシュと行動を共にしていた。我々も戦慄を感じた、日本赤軍による当時のテルアビブ空港乱射事件の約1ヶ月後に、イスラエルのテロ組織により自らの自動車に仕掛けられた爆弾により暗殺されるという、数奇な運命を持つ。


小説が書かれた時代背景を考えると、敵を賛美するようでもあり、およそ考えられないことであったと想像される。

イスラエル文学の何たるかを知らない私にとっては、どうコメントすべきかを知らないが、彼即ちパレスチナ難民の生き様を、この「ハイファに戻って」という小作品から知り得たことは大きな意味を持つ。

歴史上、数多くの事件や、出来事を学ぶことはあっても、その歴史の当事者の口から体験を元にした内容を知ることはあまり機会のないことである。
歴史の一つ一つの事象も、文学者によって咀嚼されて伝えられることで、なお一層リアルに肌で感じることが出来るのだと言うことを知った。

理学、工学では律しきれない理屈の隙間に、鋭く光を当て、内面をえぐり出すようなことは、文学というツールや、心理学や哲学の部門でのみ可能なのではないだろうか。

当然この物語を知る上での基礎知識である歴史的背景は、知らなければ理解しがたいのであるが、現イスラエルに於けるパレスチナとの確執が何故に誘起されたのかを、その根底から知ることは甚だしく困難である。

何故にユダヤ人が排斥されることになったのか、そして世界中に離散したのか、さらに、何故イスラエルという国が出来上がったのかについて知らなければ、現在のイスラエル・パレスチナ問題を理解することは出来ないだろうし、この一連の膨大な背景は、短時間で語り尽くせるものではない。

19-20世紀の初めにロシアで起こったポグロムから講師のパレスチナ問題の糸口は話し始められた。
その後、これに対応して、ユダヤ人によるシオニズム会議が開催されるなどあり、第一次世界大戦後の世界列強によるオスマントルコ帝国支配下だった中東の後処理について取り決めた、サイクス・ピコ協定という列強(イギリス、フランス、ロシア)の身勝手な統治形態から端を発する。

パレスチナ地域は列強の分割統治とするとしたが、この協定の裏では、バルフォア宣言という形で、イギリス政府の公式的方針として、パレスチナ内部に、ユダヤ人の居住地(ナショナルホーム)を建設することに同意し、その支援を約束していたのである。

このように、一方で、アラブ人独立の承認を約束し、他方ではパレスチナ内での国家建設を目指すユダヤ人への支援を約束するという、このイギリス政府の矛盾した対応が、現在に至るまでのパレスチナ問題の遠因になっているといわれるが、これら当時の大国に翻弄された、パレスチナ人の生活ぶりの一端が窺い知れる。



その後も、ドイツによる反ユダヤ人法の成立など、ユダヤ人に対する徹底的弾圧と殲滅を意図した動きに、ドイツ占領下のフランスその他の国からの移民が、地中海や陸路を伝って、パレスチナに押し寄せたわけである。その後の第二次世界大戦後が起こり、やがてイギリスによるパレスチナ委託統治が終了したのを期し、周辺アラブ諸国はイスラエルの殲滅を目指してパレスチナに攻め込み、第一次中東戦争を起こしたが、逆にイスラエルが全パレスチナの領土の80%を占めるに至った。

この時逆にパレスチナ側に大量の難民を生むことになる。その後、ナセルによる第二次中東戦争で、シナイ半島や、スエズの奪還などあったが、第三次中東戦争(六日戦争)でおそらくは裏で糸を引くアメリカの支援の元イスラエル空軍の活躍もありあっけなくイスラエル側の大勝利に帰結し、その領土をさらに拡大することとなった。

このように、めまぐるしく変わる領土の境界の中、ヨルダン川西岸の街に住むパレスチナ人のサイードとその妻ソフィアが第一次中東戦争直前の1948年エルサレム近郊のデイル・ヤシーン村で起こったユダヤ人によるパレスチナ住民の大量虐殺事件等、ユダヤ人による数多くのパレスチナの村や町の襲撃のため、昔住んでいたハイファを逃げるように脱出したのだが、その時、不幸にも我が息子ハルドゥーンを一緒に連れて逃げることが出来なかったのである。

幾度かの戦争の末書き換えられたイスラエルとパレスチナの境界線上のマンデルバウム門も、第三次中東戦争後は、イスラエルの支配下となり、国境チェックポイントとして必要が無くなった。
それまでは、その東側の街、ラーマッラーからハイファへの行き来はこの門で遮られていたのだが、図らずも、イスラエルに負けることによって、その往来が自由になるという皮肉な結果になった。



そしてドウフは、生みの親であり、自分自身がパレスチナ人であるにも拘わらず、育ててくれたいわば敵であるべきユダヤ人夫婦の方を選ぶのである。

この辺りのやりとりは、とても私などが簡単に咀嚼して書くことは出来ないが、昔から、「血は水よりも濃い」と言うことを思う反面、このような局面もあるのだという事を知ることになった。
この物語では、20年という歳月が過ぎているわけで、且つ置き去りにしなければいけなかった息子ハルドゥーン(ドウフ)は、生みの親を知らない幼児であったことなど、なにやら中国残留孤児との話にも結びつくような、過酷な状況だと感じた。

終わりの会話の部分で、ドウフがサイードに向かって言う、「あなたが思慮深く、分別のある人間が振る舞うべきであるように、行動していたなら、このようなことは皆、起こらずに済んだのです」といい、かつ「あなた方はハイファを出るべきではなかった。もしそれができなかったのなら、いかなる代価を支払おうとも、乳呑児をベッドに置き去りにすべきではなかった。そしてもしこれもまた不可能であったと言うのなら、おめおめとハイファへ帰って釆るべきではなかった。あなたはそれもまた、不可能だったと言うのですか? 二十年が過ぎたのですよ。二十年が。その間あなたの息子を取り返すために何をしたのですか? もし私があなたの立場にあったら、私はそのために武器をとったでしょう。武力に勝る手段がありますか。なんて無力な人たちなんだ! なんて無力な! 彼等は重い鎖にしばられて身動きもできず、進歩することなどないのだ。二十年間、ただ泣いていたのですか! 涙では失った老を取り返せないし、奇蹟をおこすこともできないのです。地上のすべての涙を全部集めたところで、両親が見失った子供をさがすための小さなポートさえ浮べることはできないのです。あなたは二十年間泣いて過した。それが今、あなたの言いたい事ですか。これがあなたの役立たずの、なまくらな武器なのですか?」

と長広舌をぶつのである。

これに対して父親サイードは、今は心の離れた、ハルドゥーン(ドウフ)に言うのである。「・・・人間というものは、売手と客が肉の曜詰を交換するように、世代から世代へとひき継がれてゆく血や肉のことではありません。私はただ究極的にはあなたが人間である、と規定して話しているのです。お望みならユダヤ人としてでも良いし、あなたが望むいかなるものであっても良いのです。しかし、あなたは物事を、それがそうあらねばならないように理解しなければなりませんよ。私はあなたがいつかこれらのことを理解してくれることと思いますが、その人間が誰であろうと人間の犯し得る罪の中で最も大きな罪は、たとえ瞬時といえども、他人の弱さや過ちが彼等の犠牲によって自分の存在の権利を構成し、自分の間違いと自分の罪とを正当化すると考えることなのです」

不幸にして離ればなれになったという境遇ではあるが、パレスチナ人であるとか、ユダヤ人であるとかの前に、人間としての本質を突くこの父親サイードの言葉に、息子はうなだれ聞き入るのである。

しかしそこにはもはや息子はいなかったということを悟り、サイード夫妻は現在の故郷である、ラーマッラーに帰って行くのである。

物語の本質は何なのか、何処にあるのか、人間の機微は、こうしたことも、過酷な戦争で、ゆがめられていくものであり、この物語として、決してハッピーエンドを期待するわけではないが、それにしても人為的な発端で起こったことが、その後のむごい現実の社会を作り上げているのだということを感じざるを得ない。

最後にカナファーニーはサイードの口を借りて、「ハリードが発っていてくれたらと思うよ・・・」とハルドゥーンの弟に当たる、自分たちの息子がやはり立ち上がって戦って欲しいと言うことを妻に言わしめるところで終わっている。

講義が終わった後、受講した中の有志と講師の先生とで、尼崎にあるエジプト料理店「ピラミッド」を訪れて、持ち込みのお酒と料理でいろいろな話をしたが、講師を除いて男性は私だけであり、女性群の攻勢にたじたじとしてしまった。

それぞれに中東を旅行したり、中東に友人が居てアラビア語を少ししゃべれるなど、中東に興味を持つユニークな人たちとの会話は楽しいものであった。











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Last updated  2009.12.16 15:01:20
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