新生のらくろ君Aの館

新生のらくろ君Aの館

PR

×

Profile

のらくろ君A

のらくろ君A

Comments

GX革命の旗手久保田玉鋼最高峰@ Re:第4の革命(カーボンゼロ):GXの衝撃(07/24) ルパン三世のマモーの正体。それはプロテ…
マイコ3703 @ 思わず初コメしちゃいました(*^^*) 私もブログを書いているんですが内容が偏…
のらくろ君A @ Re[1]:海の大動脈活況(シンガポール)(06/08) やーやさん そう、アクリル画でしたね。 …
やーや@ Re:海の大動脈活況(シンガポール)(06/08)  私もお名前書き間違って、女流画科さん…
やーや@ Re:海の大動脈活況(シンガポール)(06/08) 素敵な「ひつじ達とお散歩」は ポスター…

Favorite Blog

のらくろ君 のらくろ君さん
八十艮の広場 八十艮7633さん
ようこそ ばあこ … ばあこ5577さん
こんにちわ♪ kalunguyeyeさん
何の日=つぼんち16 つぼんち16さん
2009.12.23
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
今日は急逝した友人の夫人を偲ぶ会をということで、毎年の忘年会を兼ねた形でいつもの、これも友人がやっている天六の店に集まることになった。

私とその友人の関係は高校の同期生であり、高校時代には勿論存在は知っていたが、3年間ともクラスも違い、彼はテニスをやり、私がバッスケットボールをやると言うことで、高校時代にはあまり接点はなかったように思う。

私は大学を卒業すると共に、大阪を出て、同窓会にも顔を出さなかったし、通信もなかったのだが、3年半前に、大阪に帰ってきて、バスケットボール部の同期の友人の紹介で、仲間内のゴルフコンペに参加させて貰って以来の付き合い復帰である。

このゴルフの会は、昔からずっと続けていたらしく、先月の末に参加した時には既に141回を数えるほどの歴史をもっている。コンペは原則3ヶ月に一回のペースで行われてきたというので、単純計算でも35年の歴史を持っていると言うことになる。

この度、夫人を亡くしたという友人は創成期からのメンバーであり、彼とは1回だけラウンドを共にしたことがあるのだが、背も高く、体格もがっしりしていてドライバーなど相当に飛ばす男である。
ティーショットでは何時も置いて行かれることが多く、体格の良さを羨んだものである。

口数はあまり多くはないようだが、初めからのメンバーであることから、なかなか発言に重みがある。
バスケットボールで同期だった友人とゴルフコンペを創成した彼とがたまたま同じ会社に入社し、同じフロアーで働いたと言うことから、私は、バスケットボールの友人を通じて参加メンバーに招じられたという具合である。

前回のコンペは、11月の末だったが、創成期の彼が優勝をした。成績もグロスで91と、私などは未だに届かないスコアだった。優勝の弁も淡々としていて、力みも無く回れたので優勝することが出来たと普通に喋っていた。会った当初より若干スマートになった感じの創成者の久しぶりの優勝に皆も拍手を送ったものだが、その時彼は既に夫人を亡くして、1ヶ月を経過していたのだと言うことを年末になったやっと知った訳だ。



この2人以外には伝えていなかったようで、その事は夫人の願いでもあったようだ。今年の1月には連れ合いも参加して、新年会で会ったのだが、その時参加された夫人からは元気で明るい感じを受けたものだ。
その折には、連れ合いとも良く喋ったようだ。

以前から、具合が悪いと言うことはあったらしいが、新年会に参加された時には、まだ病気に気づかず明るく振る舞われた事になる。それから急激に変調が来て、医者の戸を叩いたときには、既に余命3ヶ月との宣告を受けたのだという。非常にショックなことである。その後病院の手厚いケアもむなしく、コンペの前月になくなったのだという。何とも信じられない気持ちだった。
夫人は、我々よりも2才年下と言うことで、まだまだ若すぎる死であった。

時折新年会や、忘年会などには出られていたようで、明るい性格で、みんなのマドンナのような存在であったらしい。
偲ぶ会に集まった皆は、今回の早世にショックを隠しきれないようであったが、特に、事前に知らされていた2人は、言い出すことも出来ず、つらい思いであったと述懐していた。というのも、夫人の要望で、病気のことは伏せて置いて欲しいとのことであり、病気を知ったその2人の友人や、親戚さえも病院への見舞いは固辞されたのだという。

葬儀も家族だけの密葬と言うことで執り行われたようだ。
従って、訃報届けで夫人の逝去を知った者が殆どで、忘年会の予定が、急遽夫人を偲ぶ会を行うことになったというわけだ。

常の忘年会よりも、参加者の数は心なしか多かったようだが、夫人を亡くした友人は、遺影を持って挨拶をした。遺影の夫人は数年若いときの写真であったようだが、夫人が生前にこの写真をと指定していたと言うことだ。華やかな服に、少しふくよかな感じの明るい表情だった。

挨拶する友人は、夫人の病気の経緯を淡々と語っていた。勿論病気を知ったときには、相当のショックを受けたという。当然のことであるが、体の変調を知ってから、夫人は長い間、我慢をしていたようで、医者に行く前には、足腰が立たないほどに弱っていたという。

余命は幾ばくもないと宣告されたのだそうだが、病院側の篤い手当で、9ヶ月間病床にあったのだと彼は言っていた。その間に、その友人は、心の整理も徐々についていったのであろうか、亡くなった後のゴルフのコンペでは何事もないかの如く参加し、振る舞ったわけだ。おそらく夫人が背中を押して参加させていたことなのだろう。



彼も、夫人を亡くしてから、1ヶ月間、2人以外には伏せていたという事から解き放たれた気持ちからか、淡々と喋っていたが、とても私などの真似の出来るものではないと思った。

もし私がそんな立場になったら、おそらくは塞ぎ込んで立ち上がれなくなるであろう。彼は気丈だなぁと感じた。「今は一人での生活か?」との問いに、どうやら息子さん夫婦と同居しているらしい。それなら、少し安心だと言うことだが、心が平安になることはないだろう。彼が、ビルの管理人を続けていることも良いことだと思った。

女性の平均年齢は、男性のそれより長いことになっている。勿論平均値での話であるが、私などは、是非そうあって欲しいと願うし、またそうでなければ、その先どうなるのか自分でも自分が分からない。
彼の内に秘めた気持ちまでは分からないが、表面的な落ち着きと平静さに、感心するしかなかった。

挨拶の後は、徐々に忘年会的な雰囲気になって、食事と会話で賑やかしかったが、最後に幹事役の一人が、夫人を亡くした友人への一言を30秒程度で話してくれということで、全員が某かを喋った。


誰かは、我々もやがて逝くんだが、でも、あまりにも早いという言葉に、そうだ、我々もやがて逝くのだと言うことが、そろそろ現実味を帯びる年頃になりつつあることを改めて感じ、私のバスケットボールの仲間だった友人が12年前に既に亡くなっていたことや、他のも、病気その他で、既に亡くなった同期生の事などを思い出した。

黙祷。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2009.12.25 07:44:02
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: