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2010.01.16
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カテゴリ: カテゴリ未分類
連れ合いが長年、観たいと思っていた映画が再び上映されるというので観に行くことにした。

映画の名前は「赤と黒」。19世紀中期のフランスの作家であるスタンダールの長編小説を映画化したものである。私は、恥ずかしながら、文学については得手としないので、この物語も題名と、作者は知っているが内容は、知らなかった。有名な作品であることや、主人公のジュリアン・ソレルの名前などは記憶にあるから、なにがしかで触れたことはあるのだと思う。

題名が「赤と黒」というのもなにやら惹きつけるところがある。
映画の復刻は、主人公を演じているジェラール・フィリップが没後50年を迎えるというので特別に企画されたシリーズの内の1つであるそうだ。

ジェラール・フィリップは1959年に36歳の若さで没した、今なおフランス映画史上に燦然と輝き続けるハンサムなスターである。原題は「LE ROUGE EY LE NOIR」で制作されたのは1954年とあるから、ジェラール・フィリップ がまだ、31歳というみずみずしい時代の作品である。

最近の映画は、我々シニアは1000円と決まっているのに、この作品では、その特権が許されず、1500円を支払うことになった。途中で、5分程度の休憩が入るという、上映時間が3時間9分にも及ぶ大作だからかも知れない。後で知ったが、元の映画にない9分間の部分がこの復刻版には追加されているというのだ。之に対するプレミアと考えれば納得すべきであろう。

連れ合いの話では、この映画は、フランスの映画界におけるヌーヴェルヴァーグ(新しい波)時代に入る直前の古典的な作風と、色彩的にも柔らかで美しいと評判であった作品ということで、若い頃に観る機会を失したので是非観たいと前々から思っていた作品だということだ。今回は、ジェラール・フィリップが没後50年ということに併せて、映画フィルムをデジタルリマスター化し蘇ったということらしい。

「赤と黒」の他にも、ジェラール・フィリップが主演したスペクタクルロマンの「パルムの僧院」、高校生と人妻の道ならぬ恋を描いた「肉体の悪魔」、夭逝した天才画家、モジリアニを描いた「モンパルナスの灯」などの映画が、相次いで復刻し、公開されている。

フランスの映画俳優で、美男子といえば、その双璧として、アラン・ドロンが挙げられるが、ジェラール・フィリップはその一世代前のフランス映画界の二枚目スターである。


連れ合いも、この「赤と黒」の主役青年ジュリアン・ソレルの役はアラン・ドロンではこなし得ず、やはり、ジェラール・フィリップであろうとのことであった。
映画を見終わって、なるほどと頷かせるものがある。

映画といえば、私などは、ジェラール・フィリップが生まれた年に亡くなった、これもハンサムなスタートして有名な、エロール・フリンの「ロビンフッドの冒険 」や「ドン・ファンの冒険」など観た記憶がある。また、女優では、数カ国語を操る知的美貌女優の、イングリッド・バーグマンが思い出され、彼女が、ユル・ブリンナーと共演した、映画「追想」(アナスタシア)は内容こそ忘れたが、何故か、今でも連れ合いの若い頃と共に、連鎖的に思い出すのである。

スタンダールの小説そのものを読んだことがないので口幅ったいが、内容は、道ならぬ恋に出世という横糸を絡み合わせた、似たような作品が多いようだ。

物語は、1820年代というから、5年前にナポレオンがワーテルローの戦いに敗れ、フランスに王政が復古した時代が背景である。
映画のスタートは法廷シーンから始まる。ジュリアン・ソレルが、殺人未遂の罪で、陪審員裁判で裁かれるという場面である。これを観ていると、1820年代のフランスの法廷が垣間見られる。

もちろんに日本における裁判員制度の参考にはならないだろうが、ともかくも、6人ほどの裁判員が参加した民主的な(?)裁判である。
ダニエル・ダリューが演じる、貴族の人妻(レナル夫人)と道ならぬ恋に落ちた、ジュリアン・ソレルが、そのレナル夫人に銃弾を2発、発砲し、弾はそれてというか、そらしたのであろうが、その殺人未遂罪で裁かれるというシーンである。

ここで、当時のフランスの世相が強く印象づけられる。すなわち、ナポレオンが倒れて後、フランスでは軍人に代わって、僧職が重きを成し、貴族社会が、世間を支配する時代となっていた。ジュリアン・ソレルは世が世ならば(ナポレオンの時代が続いていれば)軍人として活躍出来ていたであろうが、こうなった今は、出世の道も尋常では成らないという鬱屈したものを持っているわけで、法廷での最終意見陳述でも、そのことを堂々と述べている。

すなわち、その最終意見陳述は、「法廷や裁判長に対して自分は許しを請おうとは思っていない。ただ、自分の罪は下層階級である自分が貴族階級の仲間入りをすべく、這い上がろうとしたために起こしたもので、之に対する断罪は下層階級全体に対する、貴族社会の断罪だ」と断言するのである。

このインパクトは大きい、まず罰ありきの当時の裁判の様子が知れるわけだ。映画の最期では、絞首台に向かうジュリアン・ソレルが映されるが、殺人未遂で、何ら相手を傷つけていない事件で、死刑はないだろうという感覚である。それが当時のフランス社会であったのだと思い知る。



貧乏で平民出身ながらもラテン語を得意とする聡明な青年ジュリアンは、司祭の推薦で町長であるレナル家の家庭教師となる。そもそもは、レナル夫人の好感触を感じ、ある夕涼みの庭で、夫のレナル町長の目を盗んで夫人の手を握る所から始まる。それを実行してしまうと次はレナル夫人の寝室に忍び込むという行動に出るという風にエスカレートする。この事を、レナル家の女中で、之もジュリアンに思いを寄せる女中に見られたから話がややこしくなる。レナル夫人も燃え上がり、二人はいつしか人目をしのぶ恋仲になる。

しかし、レナル夫人の子供の病気をきっかけに、また、匿名の誹謗レターがレナル町長に届いたことなどから、葛藤の末、ジュリアンはスキャンダルが大きくなるのを嫌い、出世の近道である神学校へと旅立つ。

神学校を出て、再び司祭の紹介で、侯爵家の秘書として採用され、好感を持って迎え入れられる。
この侯爵家でも、高慢ちきで奔放な侯爵令嬢マチルドの誘いに乗り、「ハシゴで2階の私の部屋まで上がってきて」というメモの指示するまま、半信半疑でジュリアンは、それを敢行するのである。
それも、曲折はあるものの成功し、マチルドは自らの髪を切って愛の証としてジュリアンに渡すまでになる。


侯爵令嬢マチルドの当時としては大胆な生き方は、一寸した驚きで、恋は地位・権力や金に勝るのか、と単純に思わせるところが一寸くさい感じである。ジュリアンとマチルドの共同戦線がスキャンダルを恐れる貴族社会の旧弊を利用した形で、ド・ラ・モール侯爵を何とか説得してしまう。

ジュリアンとマチルドの恋が成就し、ハッピーエンドとなるのであれば、この作品も駄作になるのであろうが、最後にもう一波乱がおこる。
ジュリアンを得意の絶頂から地獄の底へ突き落としたのはレナル夫人の過去を告白して、ジュリアンを誹謗する形の手紙を侯爵家に送りつけたことである。なぜレナル夫人はそんな手紙を書いたのだろうか。
そこには、レナル夫人の告解を聞く顔を見せない神父の姿が映る。キリスト教における、懺悔、告解のシステムを知らない私などには、その意図がよく分からないが、おそらくレナル夫人は自らが犯した不倫の罪について神に許しを請いたかったのであろう。しかしながら、夫人が用意をした懺悔文を、告解を聴く側でありながら、ジュリアンの順調な出世振りに嫉妬する神父の思惑通り書き換えさせられていくうち、夫人も、侯爵令嬢とジュリアンとの間に嫉妬心を持ち結果的にはジュリアンを陥れる結果となるわけである。

そして、冒頭のジュリアンの判決の日に繋がるわけだ。そこに、ルイス夫人は夫と子供を伴って裁判所まで来るのである。法廷内には入らず、馬車の中で、密かに様子をうかがううち、ジュリアンへの死刑判決を知る。ジュリアンのピストルによって危うく殺されそうになったのに、ルイス夫人はジュリアンに対して恨みではなく、なお愛情を抱いている。馬車を降りてジュリアンの所へ向かおうとする夫人に、夫は「ここで馬車を降りることは、自分や子供たちと永遠の別れを告げることになる」と強く諭したのだが、ルイス夫人の意志は硬く、馬車を降りるのである。

何故私は傷つかず、生きているのにジュリアンは死刑になるのか。彼女はショックを受ける。
司祭は、ジュリアンへの特赦の手がかりを得るため、牢に赴くがジュリアンはかたくなに死を選ぶ。司祭に頼み込み、夫人は何とか説得すべく独房に入りジュリアンと話す。もはや2度と夫人と会うことはできないまま死刑になるものだと覚悟していたジュリアンは夫人の姿を見て驚き、感動するが、ジュリアンの気持ちはやはり変わらなかった。

自分の才覚と美貌を最大限活用して貴族社会に這い上がることを唯一の目標としてきたジュリアンに取っての戦いは幕を閉じたのである。フランス社会に限らず、身分階層を打ち破ることの難しさは、何処の国でも同じである。結局平民は貴族に勝てなかったということか。この間の美術の講座で、フランス人は、何かあると、過激なデモなどで、アッピールするが、日本はその点極めておとなしいとの話があったが、フランス人の魂の根源を窺い知るような結末であった。

ジュリアンは、「私が死刑になっても、あなたは生き続けるのですよ」と夫人と約束を交わし、夫人は、約束通り、自ら命を縮めることこそ無かったが、死刑執行の丁度3日後に息を引き取ったという結末であった。

題名の「赤と黒」とはどういう意味なのか、「赤」が象徴するものは「情熱」あるいは、フランス将校・士官の真っ赤な軍服ということなのであろうか。「赤」すなわち、平民となったジュリアンが、ナポレオン時代なら出世したであろう軍人の象徴という意味なのかも知れず、一方の「黒」は貴族と共に当時の特権階級にあった僧侶の服の色そのものである。その当時の「黒」は権威の象徴であったのかも知れない。

映画の場面で、司祭の前に跪き、栄誉を受ける国王の姿が少し出てきたが、かの「カノッサの屈辱」なるものを思い出し、西欧社会でのキリスト教と、俗界の国王との権力闘争が、華やかなりし事も併せて感じたわけである。





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Last updated  2010.01.17 09:58:56
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