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2010.01.17
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カテゴリ: カテゴリ未分類
先日、映画「カティンの森」を見た。1月4-6日と東北を旅行してきたので、その後、約10日間ほどは、自宅でごろごろと時を過ごしてきたが、観たい映画が溜まっていたこともあって、連れ合いと2日連続で映画鑑賞に出かけることにした。

この映画は、近くの高槻の映画館では上映されていないので、梅田まで出る機会についでに見ようということで、機会を待っていたが、NHKの美術の講座の日に観ることになった。
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梅田でも一般の娯楽映画が上映される映画館では興行されていない。知る人ぞ知る映画だという感じである。興行していたのは、「シネ・リーブル梅田」という映画館で、場所は、梅田スカイビルの中にあった。ツインタワーの上に空中庭園があるという建物であることは、電車から見てよく知っていたが、我々2人とも梅田の北側には余り出かけたことがない。

この地区は、現在、JR梅田貨物駅として、使用されているが、2004年7月からの「大阪駅北地区まちづくり基本計画」に基づいて、大変革を遂げようとしている最中で、「北梅田ナレッジ・キャピタルゾーン」を含む工事が、着々と進められつつある状態だ。

映画の題名は、英語で書けば、“Katyn massacre”であり、訳せば、「カティン大虐殺」ということになり、大虐殺がカティンという森で行われたということである。カティンは、現ロシアのスモレンスクの西方約20kmのベラルーシとの国境に近い場所にある。(虐殺が行われたときには、この辺りはすべてソ連圏内であった。)

映画パンフレットの紹介ではその惨事を、簡潔に次のように書いている。
「1939年9月、ドイツ軍とソ連軍に侵攻されたポーランド。1万5千人のポーランド人将校が忽然と行方不明になった。そして1943年春、カティンで数千人の遺体が発見され、「カティンの森」事件が明らかとなる。」である。

最終場面でのポーランドの将校達が、KGBに次々と頭部を銃で撃ち殺されるシーンは、思わず目を背けたくなる。



この中には270万人のユダヤ系ポーランド人が含まれていて、戦前のユダヤ人人口が330万人であるから、助かったユダヤ人はたった60万人という事になり。戦慄すべき数字である。

ドイツがポーランドに攻め入った最大の理由は、ドイツがポーランドそのものをドイツ人より劣った、劣等民族としてみていたことにある。また、ポーランドを国家として認めておらず、従って、ポーランド人が独立した文化的存在を持つことを許さず、計画的に抹殺しようとしていたという背景があった。そこで、ポーランド侵攻の口実として、ポーランド在住のドイツ人が迫害を受けているという根も葉もない虚偽に基づいて行動を起こした。

このような背景で、ドイツがポーランドに侵攻するや、日をおかず、ソ連が独ソ不可侵条約に基づいてポーランド東部に侵攻し、ポーランドはドイツとソ連に分割占領されることになるのだが、その辺りから映画は始まる。
ポーランド人にとっては、正に前門のオオカミ後門のトラというところである。

ドイツの侵攻により、ポーランドの首都ワルシャワから逃れる住民の群れが、橋の上にさしかかったとき、向こう側から逃げ来る人たちが「戻れ!ソ連が攻めてきた」という場面が象徴的である。ポーランドは、ドイツ(ナチス)とソビエト(KGB)によって挟撃され、やがて分割統治されることになる訳である。

ポーランド東部を制圧したソ連軍は、占領下のポーランド軍を解体し、その将校全員を捕虜として拘束した。その後、ポーランド軍将校たちは1940年の夏までにスモレンスク周辺のスモレンスク、ベルグラード、カルコフの3つの収容所に収容されることになる。

ポーランド将校アンジェリの妻アンナと、その娘ニカは、父親を追って、その居留地まで会いに行く、しかしながら、4000名ものポーランドの将校達は、ソ連軍の貨車に乗せられて、有無をいわさず収容所へと運ばれていくのである。

連行される前に、逃げることを勧める妻に、夫は、妻への愛と、軍への忠誠の間で苦しむが、ポーランド人将校としての道を取る。夫が連行される際に妻はそっと夫のポケットにロザリオを忍ばせるのであるが、このロザリオが、カティンの森で射殺されブルドーザーで土をかけられる夫の手に握られている場面のクローズアップに、何とも言えない気持ちになる。

将校達を乗せた貨車が走り行く後方から、娘が「タトー(お父さん)! タトー!」と呼ぶ声が切なく耳に残る。収容所では、ソ連のモロトフの声で、「ワルシャワはもう存在しない」という放送を聞かされた将校達は、武器こそ有れば戦いたいなどと、ポーランド将校の気概などが静かに描かれるのだが、うすうす先が読め始めたときにポーランドの大将が将校を集めて演説し、皆で、低い声で、おそらく国歌であろうか歌を斉唱するのである。

この映画の監督である81歳になるアンジェイ・ワイダ監督自身の回顧を含めて、自身が、その娘の心境であったことを述懐している。

ワイダ監督がこの映画を作ろうとした動機は、1つには、父親も犠牲になったこの1940年の大虐殺の犯罪を映画として残しておかねばならないという気持ちと、2つには、社会主義、共産主義の嘘、ドイツやソ連の犯罪を看過してはならないという点にあるという。



この大量処刑の情報を知ったナチスは、当時まだドイツの占領下にあったカティンの森の遺体埋葬現場を発掘したところ、約4000人のポーランド軍将校の遺体が横たわっていたのである。ナチスドイツの宣伝相ゲッペルスはこの事実をドイツのラジオ放送を通じて発表したが、ソ連側はこのドイツの発表に直ちに反論し、逆に、ナチスがこの大量処刑を行ったと主張したのだ。ドイツのこの大々的教宣報道の裏には、自らの別の場所での残虐行為を隠蔽する隠れ蓑としての意図も伺える。

ポーランド政府はスイスの国際赤十字にこの事件の調査依頼をしたが、当時、ソ連は国際赤十字に加盟しておらず、捜査する段階にまでには至らなかった。国際連盟にしろ、国際連合にしろ、加盟していなければ何の効力もない、自国の尊厳は自国で守らなければ誰も相手にはしてくれないということである。

勝てば官軍ではないが、1945年に第二次世界大戦がドイツの敗戦で終結したため、ポーランドは実質上ソ連の支配下に組み込まれ、赤化した。一方、敗戦国ドイツは分断され、ソ連圏に組み込まれた東ドイツも、ナチス時代を全否定し再出発を誓う西ドイツも「カティンの森事件」の真相究明をソ連に迫ることが出来ず、長年の間この事件は歴史上のタブーとなった。これが、「カティンの森事件」が長年ドイツの犯行と言い続けられた理由である。

この映画の途中では、ポーランドのクラクフにあるヤゲウォ大学では、アンジェリの父親を初めとする全教官がドイツの博士の講演を聴くという名目で、一カ所に集められ、有無を言わさず逮捕された場面があったが、この時期にポーランドの大学教官や医師や裁判官・弁護士、教師、技師、聖職者などの相当数が壊滅的な状態になるまで殺戮され、一部地域ではポーランド語を話すことさえ許されなかった。

今回の映画「カティンの森事件」はソ連による蛮行である。しかしナチスドイツもポーランドに対して同じような卑劣な行動に出ている。戦争にまつわるナチスドイツの非行を挙げればきりがないが、この戦争では、250万人にのぼるポーランド人が土地を奪われ追い立てられ、また無差別に徴発され、ドイツの工場などで重労働をさせられて死亡した記録もある。


やがてその彼も、自分の気持ちを恥じたのか、酒をあおって歩きながら拳銃自殺を遂げるのである。

「カティンの森」での生々しい銃殺場面は延々と10分にも及ぶ。何名かの将校が、後ろ手に縛られたまま、背後の至近距離から、後頭部を拳銃で次々と殺されていくわけで、それも、ポーランドの時代を背負う、将校ばかりということであるから、いかにソ連がこれらの人たちが今後とも敵対勢力になることを恐れていたかが解ると共に、残虐さと、非情さが、淡々と描かれている。

ナチスドイツが起こしたのか、ソ連のKGBが起こしたのか後に調査団が入り調べることになるのだが、そのために墓地に埋められた将校達は3度も掘り返されるというさらなる死者への冒涜となるわけである。
調査の結果は、後頭部を撃つ手口は、KGBのものであり、銃弾はドイツ製であったものの、後にドイツからソ連に輸出されていることが判明するなど様々な事が明るみに出でて、ソ連の仕業ということが明確になるのである。

戦争という狂気が、また、時として、同時期に権力を握ったスターリンや、ヒトラーの狂気が、かくも人間性を破壊し、心というものを失っていくのかということをおぞましく感じた。
日経新聞の「私の履歴書」で細川元首相が引用しているように、江戸時代の学僧、清厳宗渭がいう「狂人走不狂人走」が悪い形で起こった結果である。

「狂人走不狂人走」という意味は、「世の中は一人の狂的とも言える熱情を持った人間が走り出すと、
世界もそれによって動かされていく。」ということだそうである。

1990年にゴルバチョフが正式に非を認めたものの、この事実は消せないわけで、監督の意図するところ、ロシア人を恨むという意味ではなく、こういった非情さは人間の誰しも持っているものであり、他国の戦争経験国の皆は、等しく権力が真実を曲げ自滅の道を辿ることを戒めなければならないとしている。

我が国の場合も、同様な経験をしてきており、自らを戒める側にもあるわけで、耳の痛いことではあるが、未だに世界中で、大量虐殺が行われている事実を考えてみなければならないと感じた。





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Last updated  2010.01.20 05:34:44
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