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2010.01.26
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カテゴリ: カテゴリ未分類
急に思い立って、映画「ヴィクトリア女王」(世紀の愛)を観に行った。
連れ合いは、前から見たいと思っていたらしい。

映画は梅田スカイシネマで、この間の「赤と黒」を上映した、つい上階の映画館であった。こんな近くに、少しマニアックな映画を上映する映画館が2館もあるとは一寸した驚きである。

「ヴィクトリア女王」は言わずと知れた、英国の近代の賢帝である。イギリスの王朝の歴史は、神聖ローマ帝国時代に遡るわけだが、王室というものがいかにして出現したかは、ずっとずっと昔に帰らなければ知ることは出来ない。

そういったことは既成の事実として、近代に於ける基礎を築いたと言っても良いヴィクトリア女王のそれもラブロマンス的な話である。歴史的なことを知ろうとするには、あまりにそれらが脇役に回っていることに、消化不良を起こすかも知れない。

映画の中で、ザクセン・コブルク家と言う名前が出てくるが、元々英国王室は、大陸の神聖ローマ帝国に根ざしているわけで、その時代の最大版図を持つ貴族がザクセン・コブルク家と言うわけである。
「平家にあらずんば人にあらず」といった感じであろうか、そこら中にザクセン・コブルク家の貴族が分散していたのである。

16世紀ローマン・カトリックの支配下から完全独立を意図し、プロテスタントを確立した時代の、イギリス、テューダー朝のヘンリー8世のように、王権が絶対的であり、「予が憲法である」といった絶対王制である、所謂封建時代は過ぎていた。
ナポレオンなども「朕が国家なり」と言ったし、後白河法皇などもこれに近い表現をしている。野球の二出川が「俺がルールブックだ」等と言った可愛い問題もあるが、共に、かつては王や皇帝なるものは、絶対的な権力を持っていた。



19世紀のイギリスは、大英帝国と呼ばれ、ほぼ地球の4分の1を支配して、「日の沈むことのない帝国」といわれていた。そんな頃、ヴィクトリア女王はハノーヴァー家の第3代国王ジョージ3世の4男であるケント公エドワードを父としてが生まれた。その父はヴィクトリアが生まれて1年も経たぬ間に、肺炎をこじらせてあっけなく早世し、続いて祖父のジョージ3世も精神錯乱で死亡するという混乱の中に生まれたわけだ。

次の国王である伯父ジョージ4世はヴィクトリアが10歳のとき、子供を残さずに死去し、弟ウィリアム4世が王位を継承した。ウィリアム4世にもまた、子がなく、ヴィクトリアは推定王位継承者となるわけである。そのころから、ヴィクトリアを毒殺しようとする計画があるとの噂がある中、母は、つねにヴィクトリアにボディガードをつけ、ヴィクトリアが1人で外出することなどを決して許そうとしなかった。

ヴィクトリア女王の母もまたヴィクトリアと言い、英国での名前は、性格に述べないと極めてややこしいのであるが、この母を利用して、愛人である伯爵が、ヴィクトリア女王を支配下に置こうと、摂政令にサインを迫る。15歳までの皇位継承者は、幼いと言うことで摂政を置くことが出来るという規定を利用して国政を牛耳ろうとの企みであるが、ヴィクトリアはこれに応じようとはしない。もしこの時点で、この摂政令にサインをしていったならば、英国の運命は大きく変わっていただろうと思われる。

世にいう歴史のターニングポイントである。

伯父のウィリアム4世はその企みを知ってか、母親の奢侈を嫌ってかヴィクトリアの母を毛嫌いする。元々母がドイツのザクセン・コブルク公の娘であり、ドイツ系の出身であることを快く思わなかったのかも知れないが・・・。その、ウィリアム4世の死後、ヴィクトリアは18歳で即位し、華やかにイギリス女王の地位に就くのである。世が世であれば、お鉢が回ってくる予定ではなかった王位が巡ってきたのである。

ヴィクトリア女王は即位当初から国民の熱狂的な歓迎を受けた。それまで、イギリス国王一族といえば、スキャンダラスな異性問題(今でもそうらしいが)や金づかいの荒さで知られ、国民からは完全に乖離していた中、ヴィクトリアは王たる者の義務を体得し、これを着実に実行していったのである。この事は、幼い女王が見初めた、女王と同い歳のいとこにあたる最愛の夫アルバート公との結婚で花が咲いたと言わなければならない。女王にとってはまたとない伴侶であった。
映画は、この世紀の愛を通じて、当時の英国の内政の状況や宮廷の状況を垣間見せるが、そのどちらも中途半端な感じで終わっている。

16世紀の絶対王政時代とは違い、立憲君主制になったイギリスでは、王の権力は、ある程度制限されていた。元々、ドイツ系のハノーヴァー家のジョージ1世は、イギリスの政治向きには興味が無く、この間にイギリスの政治体制は立憲君主制を敷き、女王は「君臨すれども統治せず」という立場を取った。

イギリスでは、この時から、ホイッグ党とトーリー党という2大政党が立つことになり、今の労働党と保守党に繋がる礎であった。
「七つの海を支配する」とか「太陽の沈まぬ帝国」とかの名称で全世界を席巻視した、イギリス絶頂の期である。ヴィクトリア女王は、この時から植民地下であるインドの女王にもなっている。

女王はまた、ピール首相を遠ざけるなど、個人的な趣向での振る舞いなどもあったようだが、概してその癖は緩やかで、首相メルバーン子爵や夫の助言により政治を行い、国内政治でも男子普通選挙制の実現、教育制度の整備や労働組合の承認など、自由主義改革を推進することにも尽力している。



夫との間の、9人子供達は、ドイツを中心としたヨーロッパ各国に嫁がせ、晩年には「ヨーロッパの祖母」と呼ばれるに至ったようである。しかし女王自身が血友病の因子を持っており「ヨーロッパ王室の悲劇」なる本を記しているが、そのことには触れられていない。

夫が政治的に介入しすぎ、自らの領分を侵したことを攻めている最中に、夫とパレード中に暴漢に狙撃され、女王をかばって凶弾に傷ついた夫に、女王の「何故私をかばったの?」と問うのだが、

1つには、「僕の変わりはいるけれど、君に変わる人がいない」と言うことと、もう1つは「君がただ一人の妻だから・・・息を引き取るまで君を守る」と言った。
かくも気障っぽく傷ついた身で、言えるところが、映画かなぁと思った。





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Last updated  2010.01.27 10:55:37
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