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2010.04.20
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カテゴリ: カテゴリ未分類
NHK講座も新しい期を迎えた。内容は昨年後期からの続きで、アラブ世界を文学から見ようと言うことに変わりはない。今日はその第1回講座があった。

取り上げられた本は、エジプトで有名なターハー・フサイン著の「わがエジプト コーランとの日々」というものである。姫の大学の図書館にはないと言うことで、町の図書館を通じて大阪府の図書館から取り寄せて貰った。

図書館で簡単に見つからなかったのは、講師が教えてくれた本の名前は単に「日々」であったからだ。
「わがエジプト コーランとの」が抜けているから、迷ったわけである。

冒頭に講師に、その旨を伝えると、次の説明があり、納得がいった。
講師は、この本を原書(アラビア語)で読んでいて、日本語の翻訳を見ていなかったというのだ。
あのにょろにょろした、蛇の親子が、歩きながら卵を投げ上げているようなアラビア文字を原書で読むというのだからたいしたものである。

当然外国語大学で「アラビア語学科」を選択したのが伊達ではないと言うことだ。
その原書には「アル・アイヤーム」、英語では「The days」と言う題名であるから「日々」と訳されたそうである。



人名の読み方も長音になったり短音になったりするし、翻訳者の意向で、題名も変化すると言うところであろうか。ちょうど西洋映画を、日本で公開するときに一寸原題とは変えた表現をするという場合があるが、その類である。また人名も翻訳する人によって変わることがあるというものだ。

この著者であるタハ・フサインは盲目でありながら、20世紀エジプト文学界の大立て者と言われ、「アラブ文学の支柱」とも又盲目故「闇の克服者」とも呼ばれている。大文学者だけではなく、教育者でもあり、最後は、文部大臣を歴任するなど、エジプトの重鎮であった。

今回の「わがエジプト コーランとの日々」は著者の自伝とも言うもので、自伝としては全部で3部作となっているようだが、この本に納められているのは1部と2部だけである。
第1部は、故郷の村での生活振りを書いたもので、第2部はカイロのアズハル時代を書いている。

故郷の村は、カイロの南約200kmのマガーガに近い小村である。ここでひたすらコーランを主とした初等教育を行う寺子屋であるクッターブに通っていた。ここを出て、カイロのアズハルという最高学府に学ぶことになるが、彼の持ち前の反骨精神と、何事も、誰にでも歯に衣着せず自分の思うことをずばずば言うので、保守の教授達には疎まれ、逆に革新的な人の中では信望を得ていた。

アズハルに在籍しながら創設されたエジプト大学(現カイロ大学)に通い、学位を得るに至る。

それというのも、アーリミーヤと言われる学者になるための試験を受けながら、当時タハ・フサインを疎ましく思う教授の差し金で落第させられたためである。

それ故にパリに留学してソルボンヌで博士号を得ると共に、フランス人女性を妻としている。
こういった経歴の下、エジプトに帰り、エジプト大学で教鞭を執るが、エジプト-アラブ-イスラムと言った伝統よりも、西洋との結びつきを重んじる「地中海主義者」としての立場を採った。

自国に留まっていては、発展はなく、エジプトのためにも、広く海外に目を向けるべきだということを主張した。自国のことを学ぼうとしても、当時ギリシャ語やラテン語で書かれた書物を読めなければ、自国の歴史さえ知ることが出来ないとも主張している。

アラビア語アカデミーの会長や、現アレキサンドリア大学初代学長さらに文部大臣までも努めて、未だにエジプトに大いなる影響を残しているという。



こうした幼少時代とも云える第1部を終わり、第2部では、アズハル学院時代の、頑迷な、保守反動の教授達の様子や、授業の風景等をリアルに描いている。

日本もそうだが、明治維新には、散切り頭と羽織袴、そして、そんな中早々と洋装を取り入れたりしたのと同様に、タハ・フサインが生きていた当時は、歴史的なターバンを巻いていた中に、トルコ帽を被るようになった経緯を、革新という代名詞として紹介している。

当時のシャイフ(家長のように権威ある人間)であるアブドゥは旧守のターバンは身につけているものの、革新派のタハ・フサイン達にも理解を示していた。
ここで、アブドゥは私がサウジにいる間にエジプトから出稼ぎにやってきていた運転手の名前と同じであり、又、フサインも、スーダンから来た運転手と同じ名前であったので、何となく懐かしく読んだ。

このように、トルコの民族衣装のジュッバやカフタンという、エジプトでの伝統的衣装が、トルコ帽と背広姿という服装への変化で近代化を象徴している。


この本で、講師が紹介してくれた、エジプトについての印象が、若干でも現実味を帯びて伝わってきたし、最初の歴史書である「歴史」を書いたギリシア人ヘロドトスがエジプトと称しているのは、ナイル河口の三角州の部分だけであり、この部分によって「エジプトはナイルの賜物」という表現が使われていると言うことであった。

現在のカイロは、上流からのナイルが、多くの支流に別れて地中海に注ぐ扇の要のような位置にあり、カイロより北部(地中海に近い側)を農民根性の「下エジプト」と称し、それより上流部を保守的で、大家族的な「上エジプト」と称しているのだそうだ。

エジプトは、紀元前3000年頃のファラオの文明から、一時ペルシアに支配され、その後、アレクサンドロス大王に征服されヘレニズム文化を花開かせ、やがて、ローマ帝国の属州となる訳である。
現在のイスラム化の元は639年に始まり、その後500年以上に渡ってイスラムが定着するわけだ。

ナポレオンに蹂躙され、フランスとともにスエズ運河を開通させたことで財政破綻を招き、そこをイギリスにつけ込まれ、名目上の宗主国であるオスマン帝国とも決別し、近代化へと向かうが、第二次世界大戦前後から度重なる中東戦争を経て、ナセルが現れ、スエズ運河の国有化など、だんだんと私の記憶に近づくわけだが、こういった、西欧と、アラブの接点に生きた国(今でもそうだが)の様子が徐々に分かるにつれ、世界の人口の4割を占めると言われるイスラム教徒の原点が少しずつに理解できる気がした。

私にとって、「アラブ文学」も未だ、アラブの生活習慣や、その生い立ち、日常の様子を知る糧でしかない。





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Last updated  2010.04.21 04:35:37
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