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2010.05.20
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カテゴリ: カテゴリ未分類
2ヶ月ぶりに友人が来た。元々連れ合いの同僚であったが、大阪に来て、すぐに紹介されて以降は、共通の友人となった。

数学の先生でありながら、大学院で心理学を学んだというまぁ、変わり種である。
長く、発達障害の子供達を教えてきたというか扱ってきて、この新学期から、通常の学校に復帰したと言うことである。

復帰したのだが、子供を直接教えるという授業を持ってないのだそうだ。第3者的に見れば、子供に授業しない先生が居ると云うこと自体が既に奇異な感じである。校長とか教頭とかであれば、管理業務一本で授業も無いだろうが、そうでもないというのだ。

先生になった連れ合いと接して分かったことだが、現代の学校の先生というのは、私が子供の頃(小・中学生の頃)考えていた先生像とは全く違った世界が展開していると言うことである。

「先生はとにかく学問を授けて、みんなの知的レベルを上げること」と言うのが、私などが抱いていた先生像である。ところが聞いていく内にそのような当たり前のことは、割合が低いのだそうで、むしろ生活態度や行動などと行った、躾要素的な問題が案外と大きなウエートを占めているようだ。

以前は、「先生様」というのは一寸オーバーだが、親などは、子供が先生にしかられると、子供の方を叱咤するというのが当たり前の姿のようだったと思う。
ところが、最近は、「モンスターペアレント」なる存在が出現していることをテレビなどでよく聞く。

モンスターペアレントとは学校に対して自己中心的で理不尽な要求をする馬鹿な親を意味するのだそうで、一昔前はそんな非常識な親はまず、居なかった。どうやらこの言葉がはやりだしたのは1990年代になってからだという。



1.学校依存型(子供を朝起こせ、学校で汚れたので洗濯してくれなど「何でも学校に押しつける」)
2.自己中心型(劇の主役にしろ、習字の評価を高くしろなど「学校行事の日程変更なども要求」)
3.ノーモラル型(夜中、授業時間でも電話してくる)
4.権利主張型(義務教育なので給食費を払わない等)
5.ネグレクト(育児放棄、虐待)型(食事なし、服や髪の汚れ)
(By Wikipedia)

多方面からいろいろな人が研究しているので、それ以上に首を突っ込むわけではないが、1990年に仮に中学生だとすると、その中学生を生んだ親は、22-23歳で子供を産んだとすれば、37~40歳くらいであろうか。
1990年に40歳としたら、親の生まれ年は大略1950年という事になる。

団塊の世代が1947年~49年に生まれたとされるから、団塊の世代以降の生まれで、名付けて「しらけ時代」と言うことになる。日本の学生運動が下火になった時期に成人を迎え、政治的無関心が広まった世代にあたる。生活自体がしらけきっていたのかも知れない。

無共闘で、共通一次試験が導入され、新人類とも称された頃でもある。
一方では、1980年頃から「ゆとり教育」なるものが登場し、勉強ばかりで、競争するのは如何なものかとの発想で挙げ句に、会社勤務のお父さんと同じく土曜日は休みで、週休2日を取り入れてしまった。



それでも、自分たちのDNAを引き継いでいることはすっかり忘れ、「鳶が鷹を生む」妄想にとらわれて、親は、学校を見限って私塾に通わせるようになる。

ところが、学校では、義務教育という括りがあるから、授業をむやみに難しくすることも出来ず、英才教育などと言うのは、とてもではないが、行える環境ではないわけだ。

そこで、授業を受ける塾通いの子供は、「あ!それは塾で習った」と言うことになり、学校と、先生を尊敬するに能わない存在としてしまったのではないか。そうなると、馬鹿な親は、学校をおろそかにするし、先生の言うことを聞かなくなると言った構図になったのではないかと思う。

そこに持ってきて、昔は堂々と行われていた体罰が、全面的に禁止となり、子供もそれを心得て、逆に先生を挑発する形を取る者も出てくる。
上に上げた5つのカテゴリーが法外であり、且つ常軌を逸したものであることが、親の頭からは抜け去っているのである。


1学期に2回それに実力テストさらには小テストと、先生のやる仕事は多い。さらに、先生としても、出世の事もあり、どういった教務主任、教頭そして校長の下に付くかで大きくやり方が制限される。

こういった環境の中、子供の学力を○×式に向上させるのではなく、自ら考える力を養わさせるのは至難の業のようである。そして、その上で、昔の修身ではないが、道徳観念を植え付ける事が求められているのである。

道徳→修身→戦前→戦争といった、トラウマが皆の頭に残っているようで、これを打開するには、ゆとりを持って自己の規律をゆるめた期間程度は掛かるのではないだろうか。
道徳とは、難しいことではなく、朝「おはようございます」といった挨拶に始まり、世話になったら「ありがとうございます」と素直に言えたりすることなのである。

子が親を殺し、親が子供の養育を遺棄するがごとき現代社会では、振り子をなかなか元に戻すことは難しい。

自由を得た分、そして、昔、分からなかった奇怪な行動に病名が付くに及んで、世の中の多様性に加え、自分自身の多様性をどのように摺り合わせるかという点が、問われているのだと思う。昔は、例外を除き、等しく貧乏であった。今は、格差が極めて大きくなっている。同じ条件で学べ、励めと言っても無理なような気がする。





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Last updated  2010.05.21 10:19:41
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