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2010.08.17
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NHKアラビア文学講座の2期目も第5回目となり、この講座も後1回を残すだけとなった。

今回、取り上げられた本は、パレスチナ文学のファドゥアー・トゥカーン著の「私の旅」というタイトルの作品であり、副題とし「パレスチナの歴史」となっていた。
図書館に借りに行くと、今回もまた、府立の図書館にしかなく取り寄せるという。少なくとも、島本町で、中東に感心のある人はあまりいないようだ。

講師から聞いていた標題が「山を行く旅・困難な旅」と、作者名だけであったので、その旨書いて図書貸し出し係に提出すると、そのような題名の書籍はなく、ファドゥアー・トゥカーン著では「私の旅」という本しかないという。

取り敢えず、その本を借り、講師にメールで問い合わせると、その本ですという返事が返ってきた。
何とも分かりにくい話である。

ファドゥアー・トゥカーンは女流詩人で作家でもあるという。アラビア文学では、女性作家は極めて稀であると思っていたが、前回の「ハーレムの少女ファティマ」を著したモロッコ作家のファティマ・メルニーシーも女性であった。

今回のファドゥアー・トゥカーンは1917年第一次世界大戦に於いてバルフォア宣言が出された年に生まれており、大国イギリスの傲慢が、シオニスト(ユダヤ人)に「英国政府は、ユダヤ人がパレスチナの地に国民的郷土を樹立することにつき好意をもって見る」との約束をしたのが、バルフォア宣言であり、以来国際的に正当化された名の下にユダヤ人のパレスチナ入植が始まった記念すべき日なのである。

この日を境にパレスチナに紛争が絶えなくなったのだが、悲しいことにそれが現在でも続いている。

イギリスの三枚舌外交として、つとに有名な、1915年のフサイン=マクマホン協定での中東のアラブ独立を保証したものに続き1916年に秘密裡に行われたサイクス・ピコ協定で英仏による中東分割の協定があり、そして、ファドゥアー・トゥカーンが生まれた1917年のバルフォア宣言によるパレスチナにおけるユダヤ民族居住地建設の根拠を与えた宣言と、かくも重大な事柄を、イギリスは、3年でたて続けに行ったのである。

大国の品位は如何なるところにあるのか、ひたすら自国の利益しか考えない当時の外交官どもの破廉恥さに憤りを感じる。

そんな中、ファドゥアー・トゥカーンは裕福なパレスチナ人の家庭に生まれ、アラブ独特の女性蔑視の中で育ってきた。兄弟・姉妹10人中の7番目で、彼女だけが、母親の連続的な出産の疲れで堕胎を考えられた初めての子であったらしい。父親は、そのことを知って、母に激怒したとあるが、それは、5番目に生まれてくる子供が、「男」であるということにのみ根拠があるわけだ。

アラブ世界の思想をこの小説(自伝)の出だしから伝えている。

アラブの女性も恋をし、女性として目覚めるのは人間として同じであるわけで、幼い頃に男の子にほのかな恋心を抱きながらも、ハンカチに包んだ、ほんの小さなシャスミンの花束を手渡されるといった象徴的な場面が映画で紹介されたが、それすら極めて異常な行為だったのであろう。それを見ていた人によって家族に通報され、以来彼女は、家の中に閉じこめられ外出もままならなくなったと言うことだ。

幽閉のような環境で、彼女は、多くの書物を読み、知識を蓄えていった。そして幸運なことに、既に詩人として有名になっていたイブラヒームという次兄の支えもあって、彼女の詩への才能は花開くのである。
これに反して、意地の悪い兄弟はいるもので、直上の兄は、徹底的に彼女をいじめ抜いたと記している。

私は、彼女の書いた詩がどれほど素晴らしいかを評価する才能を持ち合わせていないが、このように制限された中での文学(アラブでは詩が主流)への意欲や、知識欲に対しては畏敬の念を持った。
彼女の家が裕福であったことが、幸運の背景にあることは否めないが、アラビア人としては、珍しく、イギリスに2年間留学しているのである。

普通の感覚なら、自国を売った張本人であるイギリスに滞在することは心情的にたまらないのではないかと思うが、彼女にとっては、自国における束縛からの開放感の方が断然増していたと言うことである。ノスタルジックなことは考えなかったのであろうし、2年の期限で、帰国せねばならない時には、返って嫌な気分になったのではないかと想像できる。

しかし、誰しも故郷(故国)に勝るものは無いわけで、冒頭こんな詩を書いている。

 この土地で死に ここに葬られれば 何もいらない
そしてこの土の下に 私はとけて消えていく
それからこの土地に草をおくり花をおくり
このくにが育てた子どもの手で摘みとられる
このくにの胸に抱かれて 土になれたら 何もいらない


もちろん私は、パレスチナの土地を踏んだことはない。サウジアラビアと、UAEに少しの間居ただけだし、カタールやバーレーンも仕事で通り過ぎた国であるから、内実まではとうてい計り知れないが、アラブを垣間見たことで、宗教的な意味と、生活慣習的な意味に於いて、日本人が全く想像も出来ないことが彼の地では未だに残っているという現実を改めて感じる。

今や、アメリカの後ろ盾で、ユダヤの国として根を張ってきたイスラエルが、実は、イギリスの三枚舌外交の所産であることを改めて感じ、大国の横暴が、かくもきな臭い関係を作り出したのかと極めて感慨深い。

元々パレスチナの土地は、全てパレスチナ(アラブ)の人々の土地であったのが、バルフォア宣言以降、現在では、ヨルダン川西岸、ゴラン高原そしてエジプトに近く、今でも戦火が絶えないガザ地区にのみにしかアラブ人の生活圏はないのである。
軒を貸して母屋を取られたアラブ人は、今は、英仏によって秘密裡に行われた、あの忌まわしいサイクス・ピコ協定での中東分割の協定案(これも不条理なのだが)まで戻したいと思ってもそれも叶わないのが現実である。

最後にこの故国の状態を嘆かわしく読んだ象徴的な詩を書いてみると、
「イギリスのヨルダン系パレスチナ人」  A.Gascoigneへ
-ひどいお天気ですね 私たちの国の空は いつも霧がたちこめているんです
 あなた、おくには~ スペイン人?
 いいえ、私は……私はヨルダンから来たのです
-なんですって、ヨルダンから~  わからないなあ
-私は エルサレムの丘から 光と太陽の祖国から来たのです
-ああ、そうか、わかった、ではユダヤ人ですね
 私の心臓を突き刺す、野蛮なまでの無知、あなた、雲のことをきいているんですか?
私の額の上を通り私の目に悲しみの影をさしたお幸せな隣人よ
誰が私の心に傷を開いたとお思いですか
あなたが思い出させたのです
私が 引き裂かれた大地から来たことを根っこから、根っこから引き抜かれ風の通り道で
あちらこちらに ばらばらに散っていった 祖国をもたない人々のひとりだということを
いいえ、そうではない
私も ほかの人々と同じです
私たちにも 祖国はある……
       オックスフォード、イギリス詩集「閉じられた扉の前で」(部分)





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Last updated  2010.08.18 08:26:46
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