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2010.08.18
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日の日経新聞に「A級戦犯が語った戦争」という記事が出ていた。


ということである。
毎年、8月15日になると、終戦の記念日と名前を変えた、日本の敗戦の日が巡ってくる。毎年アブラゼミが鳴く夏真っ盛りという日であるが、今年の夏は、ことのほか暑く尋常ではない。猛暑日という1日の気温が35℃を超える日が、このところ連続している。
ここ大阪では、今日もどうやら猛暑日らしい。

そんな最中に行われるのが、記念式典である。終戦の前の年に生まれている私だが、実際の戦争の悲惨さは知らない。8月6日広島市に原子爆弾が投下され、3日後の8月9日には長崎市にも原子爆弾が投下されるという重大な事態となり、やっと、15日に「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び・・・」という玉音放送なるものが発せられたのである。

当時の大本営の愚鈍さのために、戦争終結が伸びたことは確かである。その為に、1941年、日ソ不可侵条約が締結されその有効期間中であったにもかかわらず、8月8日には火事場泥棒の如く、ソ連が対日宣戦を布告、あらかじめ準備していた軍が満州国に怒濤の如く侵入してきた。

国際信義以前の人間としての信義にもとる行為である。これが戦争であるといえばそれまでだが、そう言った戦勝国のみが裁判と称して、日本の戦犯を裁いたのが極東国際軍事裁判という実態である。
正に「勝てば官軍」という言葉通りで、極東国際軍事裁判は戦勝国が敗戦国を裁くという構図であったため、国際法に基づいておらず、「事後法」や連合国側の戦争犯罪には全く触れられないという「法の下の平等」がなされていない不備が指摘されているが、結果は有無を言わさぬものとなっている。



極東裁判そのものについては、多くの本で語られているので、今更私などがどうこう言っても始まらないが、今回見つかった、(ということ自体余りにもお粗末か、また意図的な隠蔽であったのか)という「聴取書綴」を見る限りに於いて、当時の戦争遂行者の余りにも無責任な、言動なり、行動に改めて、憤りを感じる。

記事そのものも抜粋であるが、やがては、前文が何らかの手段で公表されるであろう。
その抜粋をまた掻い摘んでみると、
元内大臣の木戸幸一は開戦について、「あそこで戦争政策を抑えるとなると内乱になり、陛下のご退位の問題にも発展しかねない見通しもあった・・・」と言っており、人間宣言する以前の天皇の威力が如何に甚大であったかを示すものである。更に、終戦でも、終結の判断の遅さを吐露している。

元陸相の畑俊六は日中戦争に触れ、日支和平の鍵は「満州国承認」の条件にあったとのべ、大東亜戦争中に各地において相当の不法行為や行き過ぎのあったことは認めざるを得ないと述懐している。
元海相の嶋田繁太郎は開戦に踏み切った時もはっきりした勝算はなく、「戦運」に頼るというだけだったとし、かなりいい加減である。

元陸相の荒木貞夫は、日本の政治が総体的に健全性を欠き、自然の大きな流れが戦争への道をたどったと極めて他人事のように語っている。これらの男達が、全員玉砕を指示し、多くの尊い命を散らしめたかと思うと、ここでまた憤りを感じる。
元駐独大使の大島浩はドイツの戦力を見そこなったのであると、しれっとしている。ドイツがあのようにふがいないなら日本は三国同盟を結ぶべきでなかったとこれもまるで人ごとである。それを見極めるのが大使の職務ではなかったのかと腹立たしい。

元陸軍省軍務局長の佐藤貿了は日露戦争当時の将軍は司令官たるの人格と識見を備えていたが、今時の戦争では、軍の首脳がその資格に欠けていたと述懐している。そして、近代戦では作戦そのものが次第に複雑になり、下僚に任せきりになりやすく、そのため幕僚の比重が漸次重くなり、陸軍幕僚の下克上の風潮が大きくなったと言っている。竹槍精神では駄目だと知りながら戦争を遂行したと言うことである。

元海軍省軍務局長であった岡敬純はこの戦争が日本の犠牲において大東亜共栄圏は独立し大東亜戦の目的の一端が達せられたという説もあるが、これは全く自己満足に過ぎないし、独立した諸国で衷心から日本に感謝している国があるかどうか疑問であると述べている。



自らも散るつもりであれば、如何なる事をも進言できたはずであり、終戦間際の偽りの多い「大本営発表」を苦々しく思っていた人達は決して少なくなかったのではないだろうか。
先に述べた、木戸幸一が「終戦時の昭和20年の1月、米軍の(フィリピン)リンガエン湾上陸のころから戦況はいよいよ緊迫の度を加え、私と陛下との間においても戦争の収拾についてのお話しが出るようになった。」といい、「帝都の防衛を任とする九十九里浜配備の師団にさえ武器もない状況であった」と述べている。そして、「陛下もこれらの状況はよくご存じになっておられ、いよいよ終戦へのご決意を固くされていたものと拝察する。」などといっているが、極めて悠長なことではないか。

糧食はもちろん、武器もなく、ただ精神論で戦えと言っているだけで、戦争終局近くには、おそらく戦死者の増大率はそれまで以上に高かったであろう。一刻の判断の遅れが、原子爆弾という、世にも憎むべき大量破壊兵器を使わしめたことについて、今更ながらおぞましいと思う。

今年やっと、アメリカのルース大使が、広島の記念式典にのみ出席した。アメリカに於いて、原爆投下を未だに是とする人が多数いるという。
では9.11はというと、これはけしからぬという。


それにしても、A級戦犯で、絞首刑を免れた者達の、あまりに他人事のような、今回の「聴取書綴」は驚くばかりである。





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Last updated  2010.08.23 03:41:42
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