新生のらくろ君Aの館

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2010.10.24
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カテゴリ: カテゴリ未分類
職場の先輩との懇談会、高校同期の同窓会の行事を終えて、大阪に帰ることになった。帰りの時間は、16:30の羽田発である。それまで特にすることもなく、最上階のお風呂で朝風呂を浴びたら、部屋でくつろぐと言うことも出来ず、早々にチェックアウトした。

チェックアウトは実に素っ気なく、前払いで宿泊料を払っているので、預かったキーを返すだけである。
これぞビジネスホテルという感じだ。それはそれで、仕事に出かけるものにとっては、好都合である。

さて、外に出て、大井町のコーヒーショップで、好みのパンとコーヒーで朝食を済ます。最近都会にはこういった、パンを売る店と、コーヒーショップが併設されているところが多く、便利である。
来る時にどうしようかと迷っていた、「ゴッホ展」を、時間があるから観に行こうかと言うことになった。都合が良いことに、羽田に向かうモノレールの終点、浜松町で、重い荷物はコインロッカーに預け、地下に潜って都営大江戸線の大門駅から六本木までは3駅程度である。

東京の地下鉄は、出来た順に段々と深くなって、縦横無尽に張り巡らされている。何処をどう通るかは、成り行き任せという感じで、到着駅の出口番号を間違わなければ、いとも便利な乗り物である。

「ゴッホ展」の新国立美術館は、六本木から歩いて10分足らずである。5月の終わりに、「オルセー美術館展」が催されたが、この時も高校同期の何人かの友人と会った。今回は、ゴッホ没後120年を記念しての開催と言うことである。

ゴッホに影響を与え、ゴッホが、貧しい農婦を描くきっかけを作った師がミレーであることが語られていた。連れ合いが最初に目を留め、立ち止まったのは「曇り空の下の積み藁」である。手前に池があり、積み重ねられた藁は、あたかも山のようである。連れ合いは、そのずっと向こうに引き込まれるようなものを感じると評していた。

カラスが舞う収穫後の農場風景画ゴッホの筆致で描かれていた。私は、この色彩にややゴッホらしいものを感じた。全ての作品ををここに書き切るにはスペースがない。



種をまく人でも、ミレーのそれとゴッホの作品は、味が違う。しかし、素描で描いた種まく人に色彩を施した、何となくゴッホらしい色彩が横溢した、ゴッホ自身も自ら認める力作となっている作品がある。プルシャンブルーの木を中心に種まく人と大地、川、そして遠景には夕日。この絵には、ミレーにない力強さを感じる。

鉛筆にリトグラフ用クレヨンで描いた「防水帽を被ったあごひげの漁師」に目がとまった。人物をここまで精緻に描けるのか、そしてそれは写真では表せないだろう雰囲気の絵画である。一寸猿に似た漁師の顔であるが、何となくインパクトのある作品だ。

ゴッホが、ゴーギャンと共に過ごしたことはつとに有名であるが、その「黄色い家」の再現が、モックアップで展示され、且つ精緻な3Dでビデオが流れていた。

ここで、ゴーギャンの記憶と想像による作品を描くように進められたゴッホだが、自らは自然観察に基づいた作品を追求する姿勢であったために、共に暮らす軋轢が生じわずか2ヶ月で破綻するというのだ。おそらくはゴッホ側に問題があったのだろうと思われる。直接の別離は、ゴッホが思いあまって、自らの耳をカミソリでそぎ落とすという事件があったからである。

ゴーギャンはそれ以降タヒチに向かうのであろう。ゴッホは、サン・レミの療養院に収容され、病気が癒えるまで幽閉されたと言うのだ。

連れ合いは、「セーヌの岸辺」にも目を留めていた。中央の赤で描いた、柵のようなものが、特に印象的だ。ゴッホの絵には、こういった風に、原色の赤が、ところどころに強烈なアクセントを残している。
「ヒバリの飛び立つ麦畑」の赤い花のようなものもその類である。

又別の「マルメロ、レモン、梨、葡萄」は全くその果物の色は用いずに、全部黄色い色調でまとめている。額縁も、彼自身が絵に合わせて色調を決めたとあるから、全部が黄色いトーンなのである。これを俗に「トーン・オン・トーン配色」と呼ぶのだそうだ。色相がそろっていて、色調(トーン)に差のある配色のことらしい。

ゴッホではないが、モネの作品の「ヴェトゥイユ」の作品の構成と色調は、強烈なゴッホを見続けた時の一服の清涼剤のようにも感じる。ゴッホは、それまでモネの作品を見たことがなかったそうだが、この絵をみて、ゴッホは深い感動を受けたという。

モネの風景に対する道をゴッホは、人物画に追うようになるのだという。モネの印象派の限りなく柔和な色彩を、ゴッホも取り入れるようになるが、それはゴッホ自身の解釈による色彩の導入である。
黄色い家以来、色彩を導入したゴッホは、更にアルルの町で、色彩の絵画を開花させる。



草の描き方もゴッホならではの筆致だが、燃え上がるような木々とその先の実であろうか、赤の配色はゴッホ以外には表せないだろうという気がする。
私が感じるゴッホの凄さは、この一点にも尽きる感じだ。連れ合いも、これだけを見たらもう十分だと言うことを漏らしていた。

たまたま行き合った老夫婦は、仲良くゴッホの自画像を眺め、同じようなことを言っていたようだ。
ゴッホの自画像である「灰色のフェルトの自画像」は、周囲を宇宙を回る星空の如く描き、顔の色彩は、多彩な捕食の効果で、その筆先の集まる点は眉間だという感じで、あの筆使いで、良く人の顔が描けるものだという気がした。
この自画像の前に、入館と同時に掲げられていたもう一つの「自画像」は洋服の描き方こそ点描的で似てはいるが、顔の描き方は未だまともで、顔の皮膚などは、自然で、髭を生やした鋭い眼光は、いかにも神経質そうなゴッホ自身を端的に表しているような雰囲気である。



同じ展覧会場に日本の歌川広重などの浮世絵が飾られていた、日本の色彩や、独特の遠近法が、西洋画に取り入れられたと言うことが説明されている。
平面的に見える日本の浮世絵が、どのように彼ら西洋の印象派に受け取られていったのか、私などは、知る由もない。

ゴッホは他にも、いろいろインパクトのある絵を描いている。私などは、先にも述べたように、ゴッホの絵だけを見続けると、気がおかしくなるような気がする。
「糸杉に囲まれた果樹園」などは、そう言った中では、未だおとなしさがある作品のように映る。





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Last updated  2010.10.27 03:12:33
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