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2010.11.11
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今年の天候は、やや変調で、その兆しが現在も残っていて、11月にしては未だにそれほど寒くはない。
従って紅葉も今ひとつといった感じではあるが、今日は絶好の快晴である。

恒例の歩こう会も52回を数えるに至ったとのことで、なかなか長寿である。幹事の先輩の苦労が忍ばれるというものだ。

今日は「大津の山の手と湖岸を歩く」ということで、連れ合いと2人で参加したが、同行した人は15名であった。大津駅に集合と言うことで、島本駅が出来て本当に便利になった。何しろ天下の東海道本線1本で行けるのである。

何時も早すぎると言われながら、連れ合いも心得たもので、少し早めの9時に家を出た。通勤時間帯はとっくに過ぎているにも拘わらず、電車では立つことになる。何しろこれから歩きに行くのだから、立つこと自体は未だ問題はない。それでも京都駅に着くと席は空いた。それからは、山科、大津と2駅目である。着いた時は、未だ集合30分以上前だったが、既に幹事のご夫妻は到着されていた。

神戸方面から、少し遅れて到着された、ご夫妻を待ち10時40分頃にJR大津駅を出発して歩き始めた。
大津赤十字病院の前を通ったが、病院の駐車場に入れるために長蛇の車が並び、それを捌く警備員が沢山出ていた。大津の駅前を歩くのはおそらく始めてである、何となく新しく切り開いた広い道がある割には、駅前の商店街は、所謂シャッター通りと化していた。

三井寺と如何なる関係にあるのか、長等神社の立派な朱の門が我々を迎えてくれた。境内に入り、一回りした、そのまた一角に馬神神社がある。馬の神様だと言うことで、この日曜日のエリザベス杯のことが話題になった。長等神社の境内には、平忠度が、西国に落ちる時に清盛を思い歌ったと言われる「さざなみや 志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな」の碑が山から降ろされて、置かれていた。

長等神社と道を挟んだ隣が三井寺(園城寺)である。長等神社も三井寺をまつるために建てられたという説明もあり、一寸不思議な気持ちがした。神社というのは、神をまつるものであろうに、寺は、後に興った真言の雄であるにせよ、格は違うはずなのだがと、愚にもつかぬ事を思った。何しろ馬をまつる神社もあるくらいだから、そこら辺は割り引いて考えないといけないかも知れない。



また途中には兎歳の神様であるという、三尾神社がある。馬や、兎と忙しいことである。卯年の姫の良縁を願い参った。伊弉諾尊(イザナギノミコト)が長等山の地主神として降臨したのが縁起であるという。全国的にも兎にゆかりのある神社は珍しい。先の長等神社も、この三尾神社も王政復古を進めようとする維新政府により、神武天皇以来の治世を理念として、「祭政一致」を宣言して、神道を国教化し、神仏の分離を謀った際に分離されたとのことである。

その昔仏教が伝来した時には、日本固有の神の信仰と外来の仏教信仰とを融合・調和するために神仏混淆が唱えられたたりしたが、明治政府が神仏分離政策をとり、神道に一本化しようとした訳である。現在は、明治政府の意志に反して、仏教派生の宗教が大いに幅を利かせ、政教分離とは名ばかりの政党まで現われていると言う時代だ。

隣のというか、そこが目的地の三井寺の境内は、極めて広い。近くにある皇子山ゴルフコースの面積と同等といえば分かりやすいかも知れない。境内へは総門からも入れるようだが、一応正門である、仁王門から入ることにする。

仁王門を入るとすぐに石段が待つ。そこを上り始めると、国宝である金堂の側面の入母屋が見えてくる。
何しろ天台宗総本山だけあって、なかなかどっしりした建物である。この金堂は、国宝に指定されていて、他にも仏像を含め国宝を合計8点所有すると言うことである。

金堂には、入ることが出来るのだが、肝心の本尊である弥勒菩薩(不思議なことに本尊は国宝ではない)は御簾の奥深くに隠れていて、ご尊顔を拝むことは出来ない。

周囲に木彫りなどの仏像や、阿砂利などの像が陳列してある。中に、「金色不動明王」で黄不動とも呼ばれる「絹本著色不動明王像」は、高野山明王院の「赤不動」、青蓮院の「青不動」とともに日本三不動の一つに数えられ、古来著名な画像であり、ともに国宝の指定を受けている。

青蓮院の「青不動」は既にライトアップされた夜に連れ合いと見ている、不動明王は、実に恐ろしい顔と光背にあたる部分は火炎である。大日如来の化身とも言われ、また使者であるとも言われて、特に日本において根強い信仰を得ている。大阪にも水掛不動さんという親しみ易い御不動さんもいる。

金堂の西側奥に金堂と接して閼伽井屋が建っている。この内部には三井の霊泉と呼ばれる井泉が湧き出ている。耳を澄ますと「ゴボ、ゴボ」と水が湧き出る音がする。この湧き水で、天智・天武・持統天皇の三天皇が産湯に使ったと言うことが三井寺の名前の由来になっているのだそうだ。
正面三間、側面二間の小さな館であるが、ここに、再興時に北の政所が左甚五郎に彫らせたという龍があり、夜な夜な、琵琶湖方面で悪業を重ねると言うことで、甚五郎自身が目に釘を刺して止めたというまことしやかな話が残っている。

三井の梵鐘は弁慶の引きずり鐘の跡を継いで奉納されたそうだが、代表で叩くのに300円も取るのだ。先輩幹事が代表で叩いたが、その余韻はなるほど素晴らしいものだった。しかし、1回300円は暴利を貪っていると言える。(当然之には消費税はかかっていない)



何時も行く、大山崎にある宝積寺の三重の塔も重要文化財であることに変わりはない。
修復中の微妙寺の横を通り毘沙門堂から観月舞台に上り、西国十四番札所である、観音堂に参ったあと、琵琶湖が眼前により良く見える、高台に上り、各自持参の弁当を広げた。

いつもは出来合いの弁当を買うのだが、今日は、前日に連れ合いが一生懸命2人分の弁当を作ってくれた。その意識が有ってか、今日の弁当はとても旨かった。10年前までは、このようなことは考えることすらおよびもしなかったが、ピクニックで、連れ合いの弁当を食べるありがたさをしみじみと感じながら食べた。

我々だけが、日の当たるところで座り込んだのだが、皆さんは一寸離れたところに固まって座った。今日は、連れ合いの誕生日である。そのことを、食後のお菓子を配りに来てくれた同行の女性に話すと、「おめでとう!」と言って帰って行ったが、しばらくして、向こうに座った全員が「ハッピバースデイ トゥー ユー・・・・」とコーラスを始めたのには驚いた。男性も手を叩きながら連れ合いの誕生日を祝ってくれた訳で、有り難いことだと思った。

老年の域に入ったとはいえ、皆さんちょっぴりお姉さんやお兄さん方であるので、何かと可愛がって接してくださるのが又嬉しい。


途中、殆ど降りたシャッター通りに1軒のコーヒーショップを見つけ、しばらく話した後、散会した。

快晴の楽しい1日であった。





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Last updated  2010.11.14 17:24:00
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