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2012.01.09
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第十六段
【本文】
 神楽こそ、なまめかしく、おもしろけれ。
 おほかた、ものの音には、笛・篳篥(ひちりき)。常に聞きたきは、琵琶・和琴(わごん)。              

【訳文】
神楽というものは、実に、世俗じみない優雅なものであり、また、興趣ぶかいものである。
 一般に、楽器の音では、笛・篳篥がよいものだ。そして、いつも耳にしたいものは、琵琶・和琴だ。

【注釈】
・なまめかし:世俗じみていない純な上品さ


【本文】
 山寺にかきこもりて、仏に仕うまつるこそ、つれづれもなく、心の濁りも清まる心地すれ。

【訳文】
 山中の寺に参籠して、そこの御仏に勤行(ごんぎよう)申すことは、何もすることもない所在なさもなくて、心の煩いもすっかり清くなる心地のするものである。

第十八段
【本文】
 人は、己れをつゞまやかにし、奢りを退けて、財(たから)を持たず、世を貪(むさぼ)らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは稀なり。
唐土(もろこし)に許由(きょいう)といひける人は、さらに、身にしたがへる貯(たくは)へもなくて、水をも手して捧げて飲みけるを見て、なりひさこといふ物を人の得させたりければ、ある時、木の枝に懸けたりけるが、凪に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。また、手に掬(むす)びてぞ水も飲みける。いかばかり、心のうち涼しかりけん。孫晨(そんしん)は、冬の月に衾(ふすま)なくて藁一束ありけるを、夕べにはこれに臥し、朝には収めけり。
 唐土の人は、これをいみじと思へばこそ、記(しる)し止めて世にも伝へけめ、これらの人は、語りも伝ふべからず。

【訳文】
 人間というものは、自分の身に受ける所を簡素にして、贅沢を遠ざけ、財宝を所有せず、世間の名誉・利益をむやみにほしがらないというのが、立派なことであろう。古来、賢人といわれる人で富裕であるのは、稀なことである。

唐土の人たちは、こういう事実を立派だと思えばこそ、書物にも記録しておいて、後世にも伝えたのであろうが、わが国の人々は、語り伝えそうもないのである。

【注釈】
・つゞまやか:質素に
・許由:堯の高士
・身にしたがへる:持ち物


第十九段
【本文】
 折節の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今一きは心も浮き立つものは、春のけしきにこそあンめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、墻根(かきね)の草萌え出づるころより、やゝ春ふかく、霞みわたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、折しも、雨・風うちつづきて、心あわたゝしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで、万に、ただ、心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそ負(お)へれ、なほ、梅の匂ひにぞ、古の事も、立ちかへり恋しう思ひ出でらるゝ。山吹の清げに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。
灌仏(くわんぶつ)の比(ころ)、祭の比、若葉の、梢涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」と人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。五月(さつき)、菖蒲(あやめ)ふく比、早苗とる比、水鶏(くひな)の叩くなど、心ぼそからぬかは。六月(みなづき)の比、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火(かやりび)ふすぶるも、あはれなり。六月祓(みなづきばらへ)、またをかし。
 七夕祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒になるほど、雁鳴きてくる比、萩の下葉色づくほど、早稲田刈り干すなど、とり集めたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。言ひつづくれば、みな源氏物語。枕草子などに古(ふ)りにたれど、同じ事、また、いまさらに言はじとにもあらず。おぼしき事言はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝ、あぢきなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。
 さて、冬枯(ふゆがれ)のけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉の散り止(とゞま)りて、霜いと白うおける朝、遺水(やりみづ)より烟の立つこそをかしけれ。年の暮れ果てて、人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあはれなる。すさまじきものにして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日余りの空こそ、心ぼそきものなれ。御仏名、荷前(のさき)の使立つなどぞ、あはれにやんごとなき。公事(くじ)ども繁く、春の急ぎにとり重ねて催し行はるゝさまぞ、いみじきや。追儺(つゐな)より四方拝に続くこそ面白けれ。晦日(つごもり)の夜、いたう闇(くら)きに、松どもともして、夜半過ぐるまで、人の、門叩(かどたゝ)き、走りありきて、何事にかあらん、ことことしくのゝしりて、足を空に惑ふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。亡き人のくる夜とて魂祭(たままつ)るわざは、このごろ都にはなきを、東のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか。
 かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとは見えねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。

【訳文】
 季節がつぎつぎに移り変わってゆくありさまは、何事につけても、しみじみとした興趣が感じられるものである。
「ものの情趣は、秋が一番深くまさって感ぜられる」とどの人も口にするようであるが、そう言うのも一応もっともなこととしても、さらにいっそう、もののあわれがまさって感ぜられ、しかも心も浮き立つのは、春のありさまであるようだ。その春のありさまは、鳥の鳴く声も格別に春らしく聞こえて、のどかな日の光の中に、垣の根もとの草の芽が出るころから、しだいに春がふけて、一面に霞がかかるようになって、桜の花もしだいに咲き始めるころであるのに、ちょうどその時に、雨・風がずっと続いて、心忙(せわ)しく感ぜられるように散り終わってしまう、こうした春のありさまは、木々が青葉になるまで、何かにつけて、ただやたらに、人に気苦労を与えるばかりだ。夏の橘の花は昔を思い出させるものとして有名ではあるが、しかし、やっぱり梅の花の匂いには、過ぎ去った昔のことも、その時にまでさかのぼって、なつかしく思い出されるものである。山吹の花がきれいに咲いているのも、藤の花がぼうっとしてはっきりした形をしていない様子で垂れ下がっているのも、すべて、見捨てるには惜しいことが多いものだ。
 夏になって、四月の潅仏会(かんぶつえ)が行なわれるころ、賀茂祭があるころ、若葉が、木々の梢も見るからに涼しそうに茂ってゆく時季には、ものの情趣も、久しく逢わぬ人のなつかしさも、多く感ぜられるものだ」とある方がおっしゃったことがあるが、ほんとうにその通りである。五月の、菖蒲を軒に葺(ふ)いて端午の節を祝うころ、苗代田から早苗をとって水田に植えるころ、水鶏(くいな)が戸を叩くような声で鳴くのなどは、心さびしくないことがあろうか。六月ごろ、賤しい家に、夕顔の花が白く咲いているのが見え、蚊やり火をいぶしているのも、情趣ふかいものだ。夏の末に、六月祓が川のほとりで行なわれるのも、また興趣ぶかいものだ。
 秋になって、七月七日に七夕祭りをするありさまは、まことに優雅なものだ。次第に夜の寒さを感ずるころ、雁が鳴きながらやってくるころ、また萩の下葉が黄色に色づいて枯れてくるころ、早稲の田をすっかり刈り取るなどと、一時にたくさんのことが寄せ合わせて行なわれるのは、秋に特に多いものだ。それから、秋の台風が吹き去った翌朝のありさまは、ことに興趣あるものだ。このようにつぎつぎに書き続けてくると、すべてみな、『源氏物語』『枕草子』などに言い古してしまったことであるが、同じことを、もう一度言ってはならないというのでもないのだ。言いたいことを言わずにいるのは腹のふくれてくることだと言われて来た通りなので、筆にまかせて書きながら、面白くもない慰み事として、書く一方には破り捨てるつもりのものであるから、他人が見るに価するものではないのである。
 さて、草木の冬枯れのありさまは、秋よりもほとんど劣るまいと思われる。庭前の池の水ぎわの草に、紅葉が散ったままにひっかかっていて、霜がたいそう白くおいている早朝、遣り水から水蒸気が立っているのは、おもしろい趣である。年の暮れきってしまう時となって、どの人も一様に新年のしたくをしているころは、何よりも感慨の深いものである。興趣のないものとして、眺める人もない、細い月が寒そうに澄み光っている、二十日過ぎの夜空は、まことに心さびしいものだ。禁中では、御仏名が行なわれ、荷前(のさき)の勅使が出発することなどは、感深く、また尊厳な思いがする。十二月には、朝廷の政務・儀式などが頻繁であって、新年を迎える準備と重複してそれらが催し行なわれるありさまは、実にたいしたことだ。大晦日の夜の追儺の行事からすぐに、元日の四方拝の儀式へ続くのこそおもしろい。大晦日の夜、ひどく暗い中に、松明などをつけて、夜半を過ぎるころまで他人の家々の門を叩いて走り廻り、何のことであろうか、大げさに騒ぎ立てながら、急ぎ足に夢中になって飛び廻っている人たちが、夜明けごろからやはり音を立てなくなってしまうのは、過ぎ去ってしまう年との別れが心さびしく感ぜられる。亡くなった人の魂がこの世にやってくる夜というので、その魂を祭る行事が、近年京都では絶えているのに、関東では、いまも行事としてやっているのは感深いことであった。
 こうして、一年が過ぎて、夜の明けてゆく元日の空のありさまは、別に昨日よりも変わっているとは思われないのに、うって変わってめずらしい気持ちがするものだ。都大路の光景は、家々に門松をずっと立てつらねて、はなやかに、またよろこばしい様子であるのは、これもまたしみじみと趣の深いものである。

【注釈】
・折節:季節
・今一き:なおいっそう
・灌仏:釈迦の誕生日に香水を掛ける行事
・六月祓:六月の晦日に行われる大祓の行事
・おぼしき事:大鏡の序
・をさをさ:ほとんど
・すさまじき:荒涼としている
・追儺:大晦日の鬼やらい
・四方拝:天皇の行う儀式

第二十段
【本文】
 某(なにがし)とかやいひし世捨人の、「この世のほだし持たらぬ身に、ただ、空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、まことに、さも覚えぬべけれ。

【訳文】
 何某とかいった遁世者が、「この世の中の、心を繋縛(けいばく)するものをすべて持っていないわが身には、ただ一つ、空から受けて心に残る感銘ばかりが捨てがたく感ぜられる」と言ったのは、なるほど、そう感じられることであろう。

【注釈】
・ほだし:自由を束縛する物
・名残:感銘





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Last updated  2012.01.12 07:50:41
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