新生のらくろ君Aの館

新生のらくろ君Aの館

PR

×

Profile

のらくろ君A

のらくろ君A

Comments

GX革命の旗手久保田玉鋼最高峰@ Re:第4の革命(カーボンゼロ):GXの衝撃(07/24) ルパン三世のマモーの正体。それはプロテ…
マイコ3703 @ 思わず初コメしちゃいました(*^^*) 私もブログを書いているんですが内容が偏…
のらくろ君A @ Re[1]:海の大動脈活況(シンガポール)(06/08) やーやさん そう、アクリル画でしたね。 …
やーや@ Re:海の大動脈活況(シンガポール)(06/08)  私もお名前書き間違って、女流画科さん…
やーや@ Re:海の大動脈活況(シンガポール)(06/08) 素敵な「ひつじ達とお散歩」は ポスター…

Favorite Blog

のらくろ君 のらくろ君さん
八十艮の広場 八十艮7633さん
ようこそ ばあこ … ばあこ5577さん
こんにちわ♪ kalunguyeyeさん
何の日=つぼんち16 つぼんち16さん
2019.03.24
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
今日のセミウォーキングは島本高から東大寺公園に出て、帰りは島本駅を通った。
孫の野球の最終戦を観戦した。孫はブレーブス、対戦相手はジャイアンツだ。今日は2塁の守備に入っていて、無難に処理していたが、大差を付けた最終守備の時にエラーをして、それが相手方の得点に繋がったときは少々心配した。しかし、結果は勝って3チーム中の優勝となった。

夕方、町長を応援する会に誘われ参加した。

***

日経の十選だ。
知覚心理学者の三浦佳世が画家の作品の光と影に着目して絵画を見ていく。

第1作はフェルメールの「画家のアトリエ」だ。
フェルメールは室内画のほぼ全てを左上からの光線の中で描いている。彼のアトリエの窓は北側だったと云うから、そこからの光で描いたことになる。
イーゼルに自分の右手の影が映らないようにして画を描いている。このように多くの作品の光の方向は左上からで、それも30度から60度の角度から差し込むのが多いとのことだ。



他のフェルメールの絵では、光のもとに牛乳を注ぎ、真珠をかざし、手紙を書いているが、右利きには不便だろうとの解説だ。それらは、あまり作品と光の方向の関連性がないようだ。本作品に描かれた画家は本人で、頭に月桂樹の冠を被る女性は歴史の女神クリオを象徴しているとか。多くの寓意が込められているとも云う。

第2作はレンブラントの「ペルジャザルの酒宴」だ。
フェルメールと同時代のオランダの画家だ。この作品は珍しく右からの光を描いている。旧約聖書の一場面で、ペルシャザル王がエルサレムから略奪した(実際は父王のネブガドネザルが略奪)器で酒を飲んでいると、光の中に右手が現れ、壁に文字を書くという情景だ。

文字はヘブライ語で「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン」で、不安になった王が捕囚の賢者ダニエルに意味を問うと、王の治政は長くないと云われ、その夜に殺されるというものだ。意味はメネが、神があなたの治政を終わらせ、テケルはあなたは目方が足りないの意味で、パルシンは国が分割されると言う事であった。

キリスト教では左より右に価値が置かれていたと云うから、宗教上の点からもこのペルシャ王が右からの光に驚く様はこの物語の背景を考えると当然なのかも知れない。反ユダヤの象徴ペルシャザルがユダヤ人を迫害したことに対抗してユダヤ人を鼓舞するために書かれたとされる。

第3作はデ・キリコの「通りの神秘と憂鬱」だ。
前作とはがらっと変わって、シュルレアリスムに大きな影響を与えたキリコの初期の作品だ。この絵の遠近法には消失点のズレ(消失点を3つに分散させて描いてある)が存在していることだ。こう言った手法はフェルメールの「牛乳を注ぐ女」にも見られるもので、消失点を無視しているのだ。

それでも、フェルメールの絵には違和感がないが、キリコの絵はなにか落ち着かないものを感じる。それは右からの光が作る影の仕業だ。意図的に分散させてある消失点を一致させると、2つの建物の間に、広漠とした広場が出現するという仕掛けになっているとか。一寸分かりづらい。

第4作はフランチェスカの「キリストの鞭打ち」だ。
15世紀のイタリアの画家で、この絵の場合は遠近法が正確で、消失点は一致している。
その位置は部屋の右隅の暗闇だという。その結果部屋の中と外が明確に分断された感覚を受ける。


部屋の中の光は右から、外は左からの光で、その両者を明確に区別している。フランチェスカは聖なる場面と俗なる場面を描き分けようとしたのだろうとのことだ。更にはキリストの上部の天井を白くし、そこに第3の光を持ち込んでいる。

第5作は、マグリットの「ユークリッドの散歩道」だ。
「カゲ」には2種類あって、1つは物体の表面に現れる立体感を与える「陰」と、もう1つは光の通り道が遮られたときに他の物体や面に落とす投影の「影」だ。マグリットはこの両方を巧みに使い分けている。

画の中央には2つの円錐が描かれている。ちょっと見た限りでは相似形であるが、方やは塔で、もう1つは道路だ。なるほどだまし絵的な絵になっている。塔の方は「陰」で、道路の方は建物の「影」になっている。更にこの塔と道路、更に建物はイーゼルの上に置かれた絵の景色だが空はイーゼル外の窓外の景色になっていてそれらは連続性があり溶け込んでいるのだ。

我々は網膜という平面に映っている像を脳が3次元と知覚したり、2次元の平面と知覚したりしているのだ。実に不可解な気分になるが、こう言った人間の視覚の話を少し前の千里での学会でも話題になっていたことを思い出した。


この絵に関しては取りあえずパスだ。私自身この絵には関心が無いとしておこう。

第7作はドガの「手袋をした歌手」だ。
この絵の照明は客席を暗くして舞台を下から照らすという特殊な光の当て方だ。我々の視覚は陰影を元に凹凸を判断していると云う事で、膨らんだ物は上部が光り、下部に影が出来る。これは自然な太陽光の下に成り立つことで、この絵のような光りの当て方(下方から)では逆転する場合がある。

顔の場合は太陽光とは違ったケースになるのだ。上部が暗く下部が明るい場合でも鼻や頬が凹んでいるとは判断しないのだ。なるほど知覚心理学者だけのことはあると感心する。

その光の効果的な描写と、混沌としたカフェの雰囲気を良く伝える実験的とも云える絵画の手法になっている。

第8作は葛飾北斎の「富獄百景」の「雪の旦の不二」であり、第9作は、葛飾応為の「吉原格子先之図」だ。

光と影の意味合いからは興味ある画法だが、日本画はこの際省略する。

第10作はモネの「ルーアン大聖堂」だ。

モネは様々な時刻と天候の下で、数多く、「ルーアン大聖堂」を描いている。何と33枚もの連作を残したと言うから、驚異的だ。この画家、睡蓮でも有名で数多く描いているが、その陰影の付け方はモネ独特の感性が混ざり込んでいるようだ。特に晩年は視力が低下したのであろう、輪郭の茫洋とした作品が多い。

解説では、我々は光と影に敏感だと指摘してあったが、実は酷く鈍感なのだと選者自身が明かす。ルーアンの実物をどう見ても同じように見えるものだが、モネの目と脳ではかくも違った色彩や形で捉えられるものだと驚くばかりだ。

【古今和歌集】

708.須磨の海人の塩やく煙風をいたみ思はぬ方にたなびきにけり (よみ人しらず)

須磨の海人の塩を焼く煙は、風が強いために、思わぬ方向にたなびいた

(いたみ ・・・ 強いので)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2019.04.08 07:10:02
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: