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2020.09.21
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日のウォーキングは第1777日目で8795歩だった。
今日は敬老の日だとか。敬われる側になってしまった。

***

日経の美術のコラムだ。
パリの女王と呼ばれたミシアは画家達のミューズ(女神)でありパトロネス(支援者)であった。
ミシアをモデルに描いた画家はルノワール、ロートレック、ボナールにローランサン達だ。

コクトーは小説「山師トマ」の女主人公として描いている。晩年ミシアを唯一の友とするココ・シャネルは彼女を「破壊と創造の女神だった」といっている。

ミシアの本名はマリア・ゾフィア・オルガ・ゼナイダ・ゴデプスカというややこしい名前だ。生まれはロシアのサンクトペテルブルグ、父は、ポーランド人の有名な彫刻家で母方の祖父はオーストリア皇帝の前で演奏する人気チェリストだった。

母はミシアを産んですぐ他界し、祖母に育てられた。ベルギーの屋敷にはピアニストのリストも祖父の手ほどきを受けに来ていて、ミシアはリストの膝の上で、大勢の客を前にしてベートーベンを弾いて聴かせた。



何と、それだけを聞いて既にただならないものを感じる。兎も角、利発で、かわいらしくも辛辣な女の子であったようだ。そんなミシアに惹かれたのがタデ・ナタンソンだ。そして結婚。ミシアはこのタデが最初の夫で、生涯3度結婚し離婚している。

この最初の夫タデによってミシアは多くの経験をする。タデは兄弟で始めた雑誌を通じて芸術家達の作品を購入するなどした。ミシアはその妻として、毎晩のようにコンサートや展覧会に出掛け、家に集まる多くの客をもてなすと共にあらゆるジャンルの教養を吸収していった。

無名だったナビ派のボナールやヴュイヤールの作品を購入し、ヴァロットンをも見いだした。
ヴァロットンの最高傑作と言われる版画の「アンティミテ」(親密な)の10点もタデの発注だ。これらは三菱1合美術館にあるという。

何やらエロチシズムが漂う作品のようだ。ヴァロットンの「化粧台のミシア」はそういった背景の下で描かれた作品だ。

19世紀半ばから20世紀にかけてパリは万国博を2度開くなど、世界の文化都市の名を形成していった。我々が憧れるパリはこの頃から出来上がってきたようだ。この時代はベル・エポック(よき時代)と呼ばれている。モンマルトルには、芸術家達が集って、街には、宣伝用のポスターなども多く見られた。

そこで登場したのがロートレックだ。身体障害者であったが、モンマルトルの歓楽街に入り浸り、娼婦や踊り子達を描いた。ミシアのことは親しみを込めてラルエット(ひばり)と呼んだ。彼が描いた作品「ラ・ルヴュ・ブランシュ」は水玉模様のドレスに毛皮のケーブを纏っているが、実はスケートをしているときのことだ。足は描かれていないので、聞いてみないと解らないものだ。

こうしてタデとの結婚生活では気鋭の知識人や芸術家と交わって新しい価値観を身につけていった。

そして2番目の夫アルフレッド・エドワーズとは前夫タデを介して知り合っている。タデはメディア王となったアルフレッドの資金を目当てにして、アルフレッドにミシアを愛人として差し出すのだ。一寸理解しがたい。ミシアもアルフレッドから客船を初めとした豪華なプレゼントを贈られ、ついにアルフレッドと結婚するのだ。なんだかよく分からない展開だ。

ルノワールはアルフレッドと結婚してからのミシアを好んで描いた。そして描いた対価としてミシアは、ルノワールに白紙の小切手を渡し、エドワーズが金持ちである事を忘れないようにと書き添えたという。ルノワールが思いきって1万フランと書いたが、それでは少なすぎると言ったのだとか。ルノワールが他のパロンの一家の絵を300フランで描いたと言うから、エドワーズは法外な金持ちであったようだ。

ミシアはパブロ・ピカソとも関わっていた。


ピカソはこのリュスの衣装と美術に関係している。舞台上のすべての物が、キュビズム風な効果として表されているのだ。

こうした新しい流れの中にミシアはいて、芸術家達を取りまとめる仲立ちなどをしていた。
「バレエ・リュス」はフランス語で「ロシアのバレエ」という意味で、ロシア帝国の雰囲気を取り込んでいる。

バレエ・リュスの総合プロデューサー、セルゲイ・アギレフと3番目の夫になるホセ=マリア・セールが手がけた歌劇をみて、大いに感動し、チケットを買い占め、友人達に配ったのだ。こうしてバレエ・リュスのパトロンとなり、アギレフを資金面で大いに支援したのだ。

この時代は、皇帝や王族など古い階級社会が崩壊し、新しい西洋主義的な価値観が醸成されていった。こうした新しい芸術を理解し、善し悪しを判断出来るのは、昔を知り先鋭的なセンスを兼ね備えたミシアが適任であったというわけだ。



セールのもとには仕事が引きも切らずに舞い込んでくる。パリのロスチャイルド家の食堂を飾る「四季」は彼の代表作の1つだ。春はアジア、夏はアフリカ、秋はヨーロッパ、そして冬は米国を表した連作ものだ。

彼の作品は見つけることが出来なかったが、冬の米国は、ニューヨークの高層ビルを背景に着飾った男女がスケートに興じる様を描いている。発展する米国を象徴しているのだとの解説だ。

ミシアが見いだした才能に、シャネルがいる。孤児院育ちのシャネルが20世紀を代表するファッションデザイナーになる礎を作ったのはミシアと言っても良い。

シェネルは、ミシアによって多くの芸術家達との交友を持ったとある。そんなシャネルはミシアを姉のように慕いながらも、ミシアの溢れる才能や教養、人脈に対して嫉妬していたという。

晩年ミシアはセールとも別れて1人暮らしとなった。そんなミシアをシャネルら友人は見舞いに訪れたが、皆が帰ったその夜ミシアは1人さみしく息を引き取った。

翌朝シェネルはミシアのもとを訪れ、部屋にいる人たちを追い出して、ミシアに最後の化粧をほどこしたと云う事だ。

ミシアという女性を初めて知った。ここに紹介された多くの芸術家の名前も、作品も知っていたのだが、そこにミシアの名前がある事に気づかなかったという方が正確かも知れない。

凄い人生を送った女性がいたものだと改めて感心する。その交友関係の凄さも、初めから総ての人が著名であったわけでは無く、彼女が支援することで後世に名を残した芸術家が多いのだ。
2週に亘る彼女の記事の中に、私が知っている芸術家(画家)が何人も居た。もちろん知らない名前も沢山ある。

幼いときの環境が恵まれていたことは窺えるが、こうした環境だからといって、後の人生が、かくもドラマティックになる人はそうそう居ないだろう。
自身も3度の結婚をし、3度とも別れている。その辺りの経緯は詳細に語られていないので、想像するしかないが、次々と溢れ出る才能が、こうした人生を選ばせたのだろうか。





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Last updated  2020.09.22 15:12:48
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