ゆうさんの日記

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2026.05.28
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「智恵子さん、助けて……っ」
鉄雄が去った後、私は樹里の手を引いて、転がり込むように智恵子さんの家へ向かった。
事情を聞いた智恵子さんは、すぐに大吾さんと透を呼び集めてくれた。突然現れた七歳の女の子を前に、下町の大人たちは大慌て。けれど、そこは愛すべき私の仲間たちだ。みんなで樹里を囲み、トランプやボードゲームをして、全力で遊ぶ空間を作ってくれた。
「ほら樹里ちゃん、大吾お兄ちゃんからカード引いてごらん」
大吾さんがいつになく優しい顔でトランプを差し出せば、透が「あ、大吾さん今ズルしたでしょ!」と騒ぎ立て、智恵子さんがお馴染みのハーブティーを淹れて微笑む。
最初こそ緊張していた樹里だったけれど、みんなの賑やかな優しさに触れて、少しずつ小さな笑顔を見せてくれるようになった。
(みんな、本当にありがとう……)
胸の奥が温かいもので満たされていく。
やがて日が落ち、夜が更けると、はしゃぎ疲れた樹里はコテンと寝落ちしてしまった。智恵子さんの家のベッドにそっと寝かせ、私は静かになった部屋で、その寝顔をじっと見つめていた。丸まった小さな背中、規則正しい寝息。愛おしくて、涙がこぼれそうになるのを必死でこらえた。

私は人生で二度目の「臨時休業」の札を店に掲げた。朝三時の仕込みも、から揚げの匂いもない、静かな金曜日の朝。
「樹里ちゃん、今日はお外で朝ごはん食べよっか」
私は普段なら周りの目が気になって絶対に行かない、少し離れたお洒落なカフェに樹里を連れ出した。今日だけは、下町の有名人ではなく、ただの「綺麗なお姉さん」として、あの子と特別な時間を過ごしたかった。形から入る私が買った、とっておきの私服を着て。
窓際の席で、パンケーキを美味しそうに頬張る樹里を見つめながら、私はずっと悩んでいた。
(私はあなたの母親だよ、って、今言えば伝わるのかな……)
けれど、フォークを動かす樹里の手を、そっと見つめる。あの子はまだ七歳だ。大人の都合で振り回され、これから海外という未知の世界へ旅立とうとしている。今ここで「私が本物のママ」だと名乗り出れば、あの子の小さな心に、どれほどの混乱と、引き裂かれるような寂しさを与えてしまうだろう。
「お姉さんのお弁当屋さん、すっごくいい匂いがした」
樹里が口いっぱいにパンケーキを頬張りながら、無邪気に笑った。
「パパの車、いつも静かだから……お姉さんのところ、楽しかったな」
その言葉を聞いた瞬間、ストンと胸に落ちるものがあった。
言わなくていい。あの子の心の中に、楽しかった「お弁当屋さんのお姉さん」の記憶が、温かいお守りのように残ってくれれば、それでいい。

「うん! 絶対に行く!」
小さくて力強い約束。私は名乗らない代わりに、樹里の小さな手を、きゅっと握りしめた。
午前九時。
店の前に、あの黒塗りの高級外車が再び滑り込んできた。
車から降りてきた鉄雄は、相変わらず冷徹な目で私を一瞥し、「世話をかけたな」と短く言った。

ドアが閉まる間際、樹里は窓を開けて、私に向かってちいさく手を振った。
「お姉さん、バイバイ!」
「バイバイ、樹里ちゃん。元気でね!」
ブォォォンと重厚なエンジン音を残し、高級車は下町の路地裏を抜けていく。
私は、車が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けた。
三十歳になった私の、最高に特別で、ちょっぴり切ない臨時休業が終わった。
頬を伝う涙を真っ白な割烹着の袖で拭い、私は厨房へと歩き出す。
(お母さん、私、間違ってないよね。樹里は、私をちゃんと見つけてくれたよ)
心の中で母に報告しながら、私はフライヤーに火を入れた。
私は逃げも隠れもしない。この小さな城で、あの子が大人になって暖簾をくぐるその日まで、下町で一番美味しいお弁当を、何度でも作り続けるんだから。





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Last updated  2026.05.28 19:52:29
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