ゆうさんの日記

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2026.05.31
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カテゴリ: まこととかおり
ピカピカの最新型洗濯機が、脱衣所で静かに駆動している。
その最先端の機械が放つ軽快な電子音とは対照的に、小田切家のアパートに流れる空気は、どこまでも重く、冷え切っていた。
数日後の午前中。長男の**薫(22)**が実家を出る、引っ越しの当日がやってきた。
数個の段ボールと、愛用のドラム機材。それだけを運び出せば、薫はこの家を出て、史華との新しい生活を始めることになる。
家の中には、夜勤から帰ってきたばかりの父・**誠(46)**が一人だけいた。
母の真琴は「午前中限定」の保育士の仕事へ行き、妹の香織は女子校の授業に出かけている。
ダイニングの椅子に腰掛けた誠は、微動だにせず、ただぼんやりと壁の一点を見つめていた。
挨拶をしても、返ってくるのは「ああ……」という力ない呟きだけ。顔色は土色に近く、目は完全に光を失っている。数日前まで、台湾旅行のパンフレットを嬉しそうに眺めていたあの父親の面影は、どこにもなかった。
荷物をまとめ終えた薫は、スツールを引っ張ってきて、誠の正面にドカリと座った。

「……オヤジ」
誠はゆっくりと首を動かし、焦点の合わない目で薫を見た。
「俺、今日でここ出るから。……その前に、一つだけ言わせて。オヤジ、お袋とはもう別れろよ」
誠の眉が、ピクリと動いた。しかし、言葉は出てこない。薫は言葉を止めず、一気に核心へと踏み込んだ。
「オヤジが夜勤に行ってる間さ、お袋、何やってるか知ってんの?……男に会いに行ってるんだよ。保育園の保護者の男。何度も夜中に着飾って出かけていくの、俺も香織も、ずっと前から気づいてた」
「……え?」
誠の口から、掠れた声が漏れた。
生気がないなりに、誠の顔に明確な「驚愕」の色が走る。視線が激しく揺れ、固く結ばれた唇が小刻みに震え始めた。
超が付くほど真面目で、家族のためだけに生きてきた誠だ。妻のワガママで旅行が洗濯機に化けたことには絶望したが、まさかその裏で、自分が命を削って働く夜の時間に、妻が別の男の腕の中にいたなどとは、想像の範疇を超えていた。
「オヤジさ、真面目すぎるんだよ。あんな奴のために、これ以上ボロボロになる必要ねぇよ。自分のために生きなよ」
薫はそれだけ言い残すと、段ボールを抱えて立ち上がった。

ドアが閉まる音が響き、薫は新しい未来へと巣立っていった。残された誠は、ただ一人、誰もいないリビングで、崩れ落ちるように両手で顔を覆った。
日の光が傾き始めた午後。
「ただいまー。あー、今日も疲れた」
鍵を開け、軽い調子で**真琴(42)**が帰宅した。
彼女の頭の中は、今夜の男との約束のことでいっぱいだった。新しい洗濯機も手に入り、夫は相変わらず大人しくて扱いやすい。すべてが自分の思い通りにいっている――そう確信していた。

誠が、ダイニングテーブルの前に直立不動で立っていた。その手には、真琴のスマートフォンが握られている。いつもなら絶対に他人のプライバシーに触れない夫が、無表情で画面を見つめていた。
「ちょっと、パパ!? 何勝手に人のスマホ見てるのよ! 最低!」
真琴は色をなして詰め寄ろうとした。だが、誠がゆっくりと顔を上げた瞬間、その言葉は喉に張り付いた。
誠の目は、完全に据わっていた。怒りではない。それは、徹底的な「拒絶」の目だった。
「……真琴」
誠の声は、低く、不気味なほど冷徹だった。
「夜勤のガソリンスタンドは、寒くて、ガソリンの匂いがきつくて、頭を下げる毎日だ。でも、お前が笑ってくれるなら、それでいいと思ってた。台湾も、お前が行きたいって言ってたから、必死で貯めたんだ」
「な、何言ってるのよ、急に……」
「これ、何だ」
誠がスマホの画面を真琴に突きつける。そこには、慌てて帰宅した真琴が消し忘れていた、男との生々しいメッセージのやり取りが映し出されていた。
真琴の顔から、一気に血の気が引いていく。
「あ、あれは違うの! ただの冗談っていうか、仕事の付き合いで……!」
「もういい」
誠は静かにスマホをテーブルに置いた。その動作には、何の感情も籠もっていなかった。
「離婚しよう。このアパートも解約する。お前が稼いだお金は一円も家に入れてないんだから、自分で部屋でも何でも借りればいい。……俺は、もうお前の夫をやめる」
「離婚!? 待ってよ、そんなの困るわよ! 私のパート代だけで生活できるわけないじゃない! パパ、冷静になって、お願いだから……!」
真琴は誠の腕にすがりつこうとした。しかし、誠はその手を冷酷に振り払った。
そこにいたのは、かつて自分のワガママを何でも許してくれた、優しい「まこと」ではなかった。完全に心が死に絶え、冷徹な裁判官のようになった、見知らぬ男の姿だった。
同じ名前を持ち、一文字違いの子供たちを育ててきた2DKのアパート。
その狭い空間で、22年間続いた「まこと」たちの夫婦の歴史が、今、修復不可能な音を立てて完全に崩壊した。





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Last updated  2026.05.31 04:46:30
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