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2024/03/31/日曜日/岡崎市は23度一昨日は大雨大風の中をついてバス、地下鉄、新幹線で初めての静岡駅下車↑へー、そうなんだ。静岡に着く頃には雨止む、車中窓外に山水画のような風景を眺めるさて、芹沢銈介美術館を目指す。南口22番乗り場のバスで10分ほど。歩くには距離があり過ぎる。降りたのは登呂遺跡、終点。この敷地内奥に、憧れのというか、昨冬から続く民藝旅の一角を占める、芹沢銈介さんの美術館と旧住宅がある。↑位置関係。はやはや。はあ⁉️なんと。まさかの。私においてはありがちの。展示替え休館であった!へなへな〜しかし、春休みに掛かるこの季節に、何と大胆なスケジュールであろうか。一縷の望みを賭けて敷地内旧宅に向かう。あ、あ、あ。こちらは芹沢銈介美術館開館時期の日曜日が基本見学可能、とのことである。涙そうそ。せめて旧宅の周りをぐるぐると、は回れず2方向から眺める。大変好ましい佇まいだ。妻側の表情は、濱田庄司の作陶納屋のよう。そのスケッチは芹沢銈介が描いたのではなかったか。奥行き二間にはみ出し2尺が南北に伸びている。間口は四尺五寸のリズムが大らかな三間にやはり二尺壁が東西に延長。一階と二階で真壁柱が通ってないのも、小洒落感ある。二階南側思いっきりな吐き出し雨戸は全開するとさぞや清々しいだろう。吉村順三の山荘もかくや。出窓の意匠、土台の継ぎ手。漆喰と障子の白、その素材の違いと杉?の茶色は庭の緑を最も美しくみせる。建坪十坪ばかりの豊かさ住む人の人柄のよく見える心映え私ならば庭にもう少し花実がほしい。かえすがえすもおなごり惜しく、めそめそと美術館外を眺める。次はしっかり調査の上、住宅も見学できるよう予定を練ります。いつの間にやら強い日差しの元富士山が見える。静岡駅の特産ショップにて、葛布のペンケースを求める。味わいよろしい。
2024.03.31
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2024/03/29/金曜日/大雨大風のち松翁ざる 千円私なりの馴染みのお店でいつもの十割蕎麦。体調のせいか濃いめツユが薄く感じる。この所、月イチでお茶の水駅→男坂下る、猿楽町へのコースのトレース続く。手打みち ★初訪問 町田市3/27/水曜日もり 800円おそらく二八もしくは七三?もしくはへぎそば系か。ツルツル度高い。量は160gは余裕である感じ。ここも江戸前に慣れた身にはツユが薄い。出汁はカツオが効いている。サイドメニュー豊富でうどんも出す、というのが蕎麦一筋とは趣が違う。町田にはそのために出かけたい蕎麦屋が不在かな。そば半 登呂店 ★初訪問 清水市3/29 金曜日鴨鉄ハーフセット、十割蕎麦もり1480円←LINE友だちプライス、通常1780円蕎麦の下にも氷。こんな意匠は初めてなり。かなり拘りの素材で手打ち、確かに年配の職人さんが玄関で打っていました。しかしなあ。なんでこんなにツルツルなんだろうか。太麺を選択したものの、蕎麦らしさが薄い。薄いといえばツユ。これが決定的に薄い。量も気持ち少ない140g静岡なんだし、ワサビがたっぷりほしい。ネギは白いのが好み。蕎麦湯の濃さがくどすぎ。普段食べてるふじやが妙に懐かしくありがたい。蕎麦は江戸がよろし。
2024.03.29
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2024/03/26/火曜日/止まぬ雨の日近頃稀に見る良い読書時間をもった。〈DATA〉出版社 作品社著者 ジョン・ウィリアムズ訳者 東江一紀編集協力 布施由紀子2014年9月30日 初版第1刷発行2015年10月30日初版第9刷発行〈私的読書メーター〉〈よい小説は遥か遠い所へと読む者の心を運び、これが体験でなく読書であったことに戸惑いをもたらす。そんな作品だ。最終章、静かに涙をこぼす。涙の源泉が何であるかも掴みきれない。ストーナーは幸せだったのか不幸せだったのか。そんな線引きは意味を成さず、ただ控えめでよき人の偽りのない人生があったのだと感得する。学問への感激、「死にゆく肉体に生が振り付ける舞踏のような」老いの横溢も全て受容する。ストーナーの両親が一人子の彼の全てを受け入れたように。その愛はストーナーが肉体を去る間際に更に大きな光に変容し彼を包容する。〉ウィリアム・ストーナーは、「大草原の小さな家」のように、夫婦だけで原野を開墾する農家の一人息子として生まれた。彼をめぐるごくわずかな人びとが、どの人も細大漏らさず描写されている。無学だが心から息子を愛する両親風変わりだがこれまた心から英文学を愛する指導教授スローン。彼が暗唱するシェイクスピアのソネット!これがこの物語終章に共鳴しているのだ。二人の学友の内、一人は志願した第一次世界大戦で命を落とす。若くして逝った友はストーナーにとって決して不在ではない。一目惚れの美しいイーディスとの結婚狂想曲。彼女の極端さは振り切れ方が戯画的だ。プロテスタント的な純潔鬱屈の犠牲者のヒステリーと、静かで繊細だった、引き裂かれるまでは彼の支えでもあった娘。家庭の中に居場所のないストーナー。同僚、厄介な学生、大学内の政治的駆け引きキャサリンとの出会いは淡々としたものだ。大学院指導ゼミ受講者だった彼女が目を通してもらえないかと差し出した学位論文。その出来栄えに蘇生するかのようなストーナー。英文学の理解、感受性、方向性を一にするような二人の官能の日々、完璧な恋愛はストーナーに初めてもたらされた精神と肉体の一致でもあった。これこそが彼にとっての聖なる結婚という化学反応だ。二人の逢瀬はやがて引き裂かれることを理解した上での最後のクリスマス、雪の山小屋。短かくも文学的な実りの多かった二人の結晶ともいうべき学位論文は何年か後、出版される。キャサリンの献辞、W・Sに を扉に符してこのイニシャルはかの英語圏の文学王、ウィリアム・シェイクスピアと同じではないか。そして時代背景。第一次世界大戦、禁酒法、世界大恐慌、第二次世界大戦。穏やかな時などないのだ。従軍を匂わせるストーナーに、激昂するスローンの、戦争の後の人間の荒廃に関する話は、心に留めおきたい。この教授は、武力によるものではない戦争についても言及する。それはストーナーの研究者としての未来を暗示してもいる。〈感想をありがとうございます。この小説は小津好み、というか当時米国で振るわずフランスでヒットした、という背景もうなづけました。ストーナーの、見を控えて観をよくする態度や極限の悲哀に雪の風景に同化するところ、禅観すら覚えました。真に結ばれたキャサリンとの間に文学の子どもを残しましたが、その献辞のイニシャルがシェイクスピアに一致している点、冒頭のソネットがこだまします。ものの哀れを翻訳の大和言葉が掬い上げるようで。 こんな小説に再び出会いたいです。〉
2024.03.26
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2024/03/24/日曜日/歩けばコートは暑い先週辺りからまばらだった電車内の吊り広告が増えてきた?世間は景気がいいの?小田急内もこのとおり↓私にとっては殆ど暗号に近い、イサガーさんのハニカムカーディガンを、編むより解くの繰り返しで日々が時間が過ぎていく。デンマークのイサガー店で指定どおり求めたはずが、糸が足りない!というか。どう考えてもこの先心細い。イサガーの糸は買えるお店が増えている、とはいえバスと電車を使い、それでも我が家から比較的近い、サイチカさんのお店に糸を買いに行く。豪徳寺から世田谷線乗って松陰神社前スグ。なのだが本日は暑くも寒くもないので、豪徳寺からそぞろ歩くこと20分。寄り道できるのが嬉しい。まほろ堂蒼月で、青豆大福と桜のお饅頭とお赤飯を買う。渋茶とお饅頭で休憩する編み物の一日、后の位もなにせぬに。である。↑途中藤の花⁈え、違うよね何でしょうたっぷりと豊かに咲いてます。道々ステキな住宅を眺めるのも嬉しい。サイチカさんのお店にはほしい糸二つの内、一つがあった。もう一つは無いので発注待ち。さてさて最大の寄り道は豪徳寺外人さん観光客が益々増えて、昔のひっそりした侘しげな様子が薄まっている!招き猫のご利益か千客万来、看板猫は恐れをなして姿が見えない。帰り道、お腹が空いておやつ代わりに蕎麦屋に寄る。うーん。お店の表情を見ると心の声がやめとけというのだけど、今からお店探す余裕もない。珍しくタヌキ蕎麦。蕎麦そのものは割と美味しくかえって驚く。汁の濃さは昔気質。
2024.03.24
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2024/03/23/土曜日/まだとても寒い朝電車を3つも乗り換えて辿り着いた会場生前の中村哲さんの講演に伺うことはできなかったがとうとう彼の事業のパートナーともいえる藤田千代子さんの講演を聴く機会を得た。前半は中村さんの活動の記録、授業などに用いるために1時間を45分に編集したもの。以前に観たことがある内容だけれどやはり新たまる。そして思いを強くする。登山隊の随行医師として参加したパキスタンの寒村で、置き去りにせざるを得なかったパキスタン人ハンセン患者たちへの断腸の念。その贖罪に突き動かされた生涯幾つも病院を作り、井戸を掘り、最終的には用水路を作る事業を起こした。そのために治水を学び、ショベルカー運転技術を身に付けた。小柄で朴訥とした人柄はたとえ大統領の前でも物乞いの前でも全く変わらなかった。そしてペシャワールの病院には大勢のアフガニスタン難民が逃れてやって来た。彼らの多くは農民だ。当時のアフガニスタンはソ連が10年戦争で荒らし、それが去って間も無く9.11報復で国土は荒み、更に旱魃が追い打ちを掛けた。戦争どころではないのだ。旱魃による飢えからの解放のために作物の大地を潤す用水路を作ろう、と中村氏は言い出す。誰もが馬鹿げていると反対した。素人の私たちにそんなことができるわけがない、藤田さんも当初は反対した。しかし諦めるような中村氏にあらず。用水路工事は挫折も経験したが、中村氏の生まれ育った福岡市の古い治水工事の叡智がその難場を救ったという。そしてその資金は日本の一般の、市井の人びとの寄付金なのだ。水は通じた。ありとあらゆる苦労と努力と半目も全て水に流して。10年で風景は一変した。緑の農園と木々に囲まれ、武器を捨てた男たちは畑を耕す、喜ぶ母親、笑う子ども、おそらく鳥も小動物も虫たちも沢山集まって来たことだろう。中村氏はいう。自然と人びとの努力、それらへのお礼に種をまく、と。高山から吹き付ける風に揺れながら麦は見事に実っていた。中村氏は無惨にも銃弾によって突然人生が閉じられたが、今、医療関連に従事しながら用水路工事の熟練工でもある地元アフガニスタン、パキスタンの人びと90余人が育った。彼らは小さな村々から要望を受け、用水路は着実に実現されている。アフガニスタンの乾いた大地を潤す源には中村氏の確固たる決意が決起しているのだ。いつかアフガニスタンやパキスタンの国境には緑なす草原、畑、森、花々が楽園のように広がるだろう。人びとは平和の鐘を鳴らすだろう。藤田さんの講演のあと、岩手の方による鎮魂のさんさ踊りがあり、それが舞台背景で微笑む中村氏と相まってとても良かった。アフガニスタンの空に舞と楽曲が届いたかのようで。この催しは申込開始後1時間で完売したそうだ。
2024.03.23
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2024/03/17/日曜日/少し汗ばむ温かさに花粉吹雪知合いの知合いのリレーで 能オペラ隅田川 の企画を知り昨日洗足学園シルバーマウンテンホールで鑑賞する。音楽、台本はフランス在住50年!の音楽家、吉田進氏。氏による創作オペラ誕生秘話のビデオ講演があった。これがとても面白く琴線に触れるものであった。そもそもオペラってどうやって生まれるのか、門外漢の私にも分かりやすく説明されていた。講演の語り口そのものが、無駄なものが一切なく、くっきりと骨格が立っている、そんな印象。事の起こりは懇意にしているフランスの打楽器奏者からオペラを作ってほしいと頼まれた所から。打楽器だけでオペラが作れるのか、矢張り心の通じる音楽演出家、プロデューサーに構想を相談したら、面白い、やろう、と発展したのだとか。ただし歌手は2名まで、がプロデューサーの意向。その後フランス政府の金銭的支援も得たというから、件のプロデューサー氏は有能だ。氏の構想は能楽にすんなり向かう。確かに能楽は鼓中小、太鼓に笛、のセットなのだ。何年か前に小太鼓と笛の、すごいセッションに立ち会う機会があった。二人の楽器の鬼気迫る掛け合いは、恋狂い、蛇と変身する安珍清姫と修行僧を守る読経の響きを舞台上に現出させたのだった!あれほどの気魄はそうそう見られることでは無い。ミニマムでいながら最大限の音と効果を引き出す芸の洗練は、能楽の創始者の天才と長い時間の賜物なのだろうと素人甚だしい自分でも感じられる。さて、オペラは全通しではなく、いきなりクライマックスシーンから始まる。どうしても能の隅田川を基に、渡守の登壇を眺めてしまう。と、何ともこれが軽い。中世の頃の日本の人様では無い。ああでもこれはオペラ、だ。しかも21世紀に創作された。洋服を着て靴を履いてパンを食べる人の所作なのだ。160年かけて日本人に何とか定着した様式、そして西洋の音楽形式なのだ。と思い直す。ところが一人子を探し求め、京の都から隅田川ほとりの木母寺まで流れ着いた狂女を演じ歌う蔵村蘭子さんは、まるで能面でも付けているような、身体の有り様まで和に戻った体なのだ。声のツヤが少し枯れていたのは偶々か、この役所故かは分からないけれど、ビブラートの繊細さに少し物足りなさがあったけれど、彼女の解釈と表現には拍手を送りたい。シルバーマウンテンホールのB1は、芸大の奏楽堂みたいにステージ正面左右に出入り口が作られていた。客席に相対して登場するので、この時オペラ歌手として出てくるのか渡守として出て来るのか、とても重要な分かれ道だ。それに比べると、長の移動を思わせるように客席後ろから登場する梅若母は、すっと役に入りやすいことだろう。隅田川謡曲、聴きたくなった。
2024.03.17
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2024/03/15/金曜日/春が近づく今月はブリオッシュ編みのしかも増目と減目のある複雑パターンのスカーフ。Knittyでフリーパターンが公開されている。Rodekool by Nancyさん。Rodekoolとはオランダ語で赤キャベツのことだとか。そもそもブリオッシュ編み。左のいわゆるイギリスゴム編み?みたいに編むのだって十分煩雑なリバーシブル。うわーがんばるしかない( T_T)\(^-^ )このところ、先生の翻訳本からの編み方ヒントやスワッチが続いていたので、いきなりハードルが高くなりましたー。↓教室にはこんな大作を編む強者や講師資格保持者ばかりで、ひたすら初心者質問の私め。byスティーブ、のミステリアス作品
2024.03.15
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2024/03/14/木曜日/花粉の量日増し新宿界隈でお昼というとだいたいここ、手打蕎麦ふじやの十割980円で決まり随分喉越しがいい。そういえば前回食べた時も思わずこれ十割?と支払いの時聞いたんだけど。それに、小麦混在みたいなダンプリング感ある。と思いながら半分ほど食べたところで。店員さんが大変申し訳ありません!十割蕎麦と二八を間違えてお出ししたので取り返させて頂きます!というではないか。思わず、やっぱりと答えて有難くお代わりの十割蕎麦をいただく。ありゃ、思いがけず二色もり?十割蕎麦には独特の歯応えがある。またお店によって水分量が異なるので、ぬるりと滑るか、少ーし硬くぱさり感があるか。こちらは後者に属するお店。生粉内で、一応手打ちみたい。蕎麦もそんなに長くは打てず。いろんな蕎麦やに行き、よくお蕎麦を食べるけどこんなことは初めて。正直に取替えくださりありがとう、どうもご馳走さまでした!
2024.03.14
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2024/03/12/火曜日/一日中雨降りこのニット本は私のバイブルに近い。この本に出会い、ニットに縁付きました。本の中から、スカイツリー↑〈このショール〉とドミノスカートを編んだ。そしてこれ、↓ハニーカーディガンを編むつもりでイサガーの糸を購入しながら、もう5年以上塩漬け何やら後から後から別物の編み物がやって来て、随分待たせてしまいました(´;ω;`)イサガーの糸の塊から、どうやらこれとこれを使う予定だった、らしきものを集める。左、ベースの引き揃えはツイードとアルパカ1右、ハニカム部はスピニ。ベースの紫に多色で2本明日から毎日続いて忙しくなるので、思いたってスワッチだけでも編むことにした。針は3ミリ。目標は5月中の完成。がんばろー控えめな色合いなので、画像のような楽しい感じにはならないかなぁ。
2024.03.12
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2024/03/11/月曜日/13年前を思ううーんここまで時間が掛かってしまった。ミスが多過ぎて。昨年、盛岡や弘前を訪ねたときにこぎんを探して手に入れた絵葉書↓黒に近い藍の色と木綿の白何と根気強い仕事だろう。私にとっての今シーズンの大物二つ目、2月いっぱいで仕上がる予定が3月上旬に完成して、今平干しこれは合格点は貰えない出来なので、時間が取れたら再度編んでみよう。その際はもう少し大きく、レイアウトなんぞも変えてプレゼントにしたいなあ。
2024.03.11
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2024/03/10/日曜日/春日和北鎌倉の茶飯事で海老しんじょうや茄子田楽のランチを頂く。この辺り道の横断が難しい混み入り。散策路があれば良いのに。さて、鶴岡八幡宮まで来たら何か祭祀を取り行っていた模様。それは婚礼の儀でした。白無垢の花嫁御寮さん、いついつまでもお幸せに脇道から境内を出てそのまま川喜田映画記念館へジェラール・フィリップ特集で映像公開も。入館200円、鑑賞500円という格安、近在ならば足繁く通ってしまいそう。岩波ホール支配人だった高野悦子さん、フィリップさま!と呼びならわしてらした当時の様子。敷地内には年に数回公開される哲学者、和辻哲郎の旧宅が移築されている。欧米の絢爛たる映画人もここを訪れたのだから、哲学者もびっくりだ。ここから細い小川に沿って南下すると間も無く、話題のくるみっこ鎌倉紅谷の新店舗がある。おや、店頭には人が並んでいない!チャンスと店内に入れば当日のくるみっこは完売。まだ一時過ぎなのに…聞くと開店前から既に並んでいるのだとか!別菓子とチョコを買う。そのまま鎌倉江ノ電駅へ。もうもう小町通りからこっち、すーごい人、人。若い人が多く、その様子は浅草みたい。若い人は古いもの、日本らしいものがお好きなのかしらん。やっぱり鎌倉来たら高徳院の大仏さまにご挨拶をせずには帰れない。昔は由比ヶ浜にあった会社の保養所に、家族で毎夏訪れた。海はそんなに綺麗ではなかったけれど人も少なく、何より保養所の庭隅の扉を開けるともう砂の小道で直ぐ海という塩梅。その頃の大仏さまは観光客なんぞまばらで自由に中に入り遊んでいたように思う。今は昔。昔ならざるのは美男のかんばせ与謝野晶子歌碑を眺め、口にする かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな実は阿弥陀如来であって釈迦牟尼ではないのだとか。それで後年歌を改めたというが。これはこれですっかり定着した。最後の訪問地は長谷寺何も紫陽花の時でなくても季節ごとに花々が眺められる、洞窟に弁天さまをお祀りするだけあって、女性好みのお寺初瀬に初声、地名の美しさ大和の長谷寺、鎌倉の長谷寺。一本の楠から二つの観音さまが現れ、西と東に安住された、物語のような縁起私はここに入った記憶がない。海に近い所ならではの、地形の洞窟でもあるだろうか。沢山の神さま眷属や七福神の中で一際優美な弁天さま四時にはカフェも閉じてしまう。駅手前でソフトクリームの念願果たし帰途につく。
2024.03.10
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2024/03/08/金曜日/雪残る朝2月末の連休は中の土曜日が晴れて、娘夫婦と鎌倉に出かけた。温かい日で散歩にはもって来いなものだから、当然観光客でいっぱい。中国韓国の人が多い。彼らの地声が大きいので倍くらいいるように感じられるけれど、実際は関東近来の人が多いのだろう。大好きな駅、北鎌倉で降りて鎌倉駅まで歩き、江ノ電のって長谷寺で降りるコース。円覚寺境内だけでもゆっくり眺めれば半日過ぎてしまうかも。昔は一度はこの辺りに住みたいと考えたものだった。凄いなあ、こんな文字が書けたら生まれてきてよかった!と実感しそうた。金澤翔子さん。悉皆仏性か悉有仏性か。仏心この清潔な空間よ。緑色の細い枝が斜めに伸びる。方丈のピャクシン。これはエントである。観音さま盛りを過ぎても花を残す枝も。風が渡って、眺める間に花びらを吹きこぼす。おおお、これは面妖な。龍神さまがお一人能登に向かわれ、被災した人びとを救わんとされておるのか。いずれにしても当地にお寺が建立されて幾星霜、こんなことはあったことがない。元寇の時も足利幕府に席捲された時も黒船の時も明治クーデターの時、即ち廃仏毀釈の時にも。何か大きなことが起きようとしているのか。竹林は春夏秋冬、好天雨雪どれも好い。敷地内には小さな墓地が付随していて、そこに小津安二郎の、家の墓がある。鶏頭の花は無いがお酒は沢山。信州で買ってきたのだろうか、ダイヤ菊もお供えしてある。ゆるゆる円覚寺を出て縁切寺、東慶寺へ階段を登る。ここは寺領内の撮影はできない。庭園に力を入れている様子。小林秀雄はじめ鎌倉文学に携わった多くの文人の墓があるらしいが、若い人たちに突き合わせるのも申し訳なく遠慮した。とても良い感じの聖観音さまがおられる。帰り、縁道の梅の花にメジロが2羽、人を恐れることもなく目の前でしばらく無心に花の蜜を啄んでいた。なーんて可愛らしいのだろう。
2024.03.08
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2024/03/06/水曜日/山極では雪らしいあーあーあ、やんなっちゃった。んがんが、やんなっちゃった〜冊子だけ眺めて編むことの、私の力不足に(;ω;)そもそもデザイナーの意図が上手く掴めていないくせして、当たって砕けるというのがいつもの行動するパターン。ボトムアップで模様を編みながら、脇元の額縁のようなラインは何事ぞ?との疑問はあった。しかしぐるぐる輪に編むので、まさか前身ごろと背中の模様バージョンが異なるとは見逃していた。それに気がついたのは、片袖ずつデザインが異なることを発見?した後のこと。ま仕方ないやー、アレンジと思うことにします。時間のないところを頑張ったもんねーよしよし。それにしても輪に編んだ後の減目のパーツ。裏表しながらの模様編みは遅々として進まないなあサイチカさんは合理的な編み方を好む方なのになぁなんてぼやいていたら。何度も眺めたこの概略図。よくよく眺めればヨーク部分は再び輪編みだった!時すでに遅し敗残の兵なるや吾。国破れて山河あり。編図破れてパーツ転がる。輪の終了と増し目、あのポジションで熟考しながら概略図をしっかり文字面追っていれば。あーあの時、もしも!後悔先に立たず、小さなことから大きなことまで。望郷の念に襲われ、どこまで続くぬかるみぞ原点復帰はもはや諦め、ぬかるむ表裏の模様を一目一目行進する。ニット二百三高地か支那事変かインパールの如し。老兵は死なず、ただ編むのみ。これからは科学の合理性だ。編み物も、だ。
2024.03.06
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2024/03/05/火曜日/日差しのない日〈DATA〉出版社 新潮社著者 平山周吉2023年3月30日 発行〈私的読書メーター〉〈映画は何度目かのリバイバルブームで代表作を幾つか観たが、まとまった小津安二郎本は初めて。一番心惹かれたのが本居宣長との繋がりで、この章が後半にもっと深められることを期待したがそれは得られなかった。著者のいう近代日本人の最高の姿が小津監督にあるなら本居宣長との霊脈である松坂時代が重要ではないかと素人考えを抱く。「敗北を抱きしめて」の如くの一見平凡な、それでいて絶対的小津芸術の凄みに死者の眼差しがある事には深く突かれた。日本領シンガポールで米映画を2年以上観られた境遇を天与された20世紀人の心棒貫く人生だ。〉おやまあ、こんなことしちゃった。『小津安二郎』読書最中に、ひょいと娘と婿殿と鎌倉散歩に行くことになって。あー、あるね。ダイヤ菊。蓼科の山荘にもちゃんといつ帰ってもいいように置いてあったねえ、娘は覚えていた。何年か前に一緒にそこを訪ねた。そうか、著者はこの墓碑銘の無の字に違和感があるのだねえ。小津の生涯をくくる文字に、小津自身がこれを選んだのでない経緯も記されている。小津の映画の魅力の背後には矢張り人として魅力的な小津さんがいるんだろう。表現するものは全てその人そのものの写しなのだから。この墓には小津安二郎のお母さまも一緒に眠る。小津は母思いで知られ、最後まで共に暮らした。ばばぁ、ばあさん呼ばわりしていたのは照れ隠し以外の何物でもない。先の敗戦では小津も年長ながら応召され、支那事変の辛酸を舐め、弟とも思う山中貞雄をその間に戦病死で亡くした。当時若い兵士たちは天皇陛下万歳を唱え死ぬことを教えられたそうだが、殆どはお母さん、おっかさん、母ちゃん、おっかあと叫んで散ったのだ。この本を読んでいると沢山の山中貞雄たちの母恋の声が、小津の母思いにまで連なっているように感じられる。小津の軍隊階級は下士官だったけれど、そのような部下たちへの鎮魂として、安心せよ我が母なれど貴様らの母とも思い死ぬまで孝行を尽くす、と決めていたかのようにさえ感じられる。そうして独身を通した。焦土日本には社会的寡婦と戦争未亡人百万人そんな小津の情をアングルやカット、カメラアイや役者の表情、会話に先験的に感知する者は我が意を芸術にまで高めた小津に平伏するしかない。何だか能の世界である。戯作者小津は浮かばれぬ魂に慰めを与える僧侶のようでもあり。でもそれだけではない。何というか、そんな理屈を排してほのぼのとした朗らかな一つの、純な日本人の好さ、そんな味わいを笠智衆や東山千栄子に凝縮させた才覚、それが好ましい。意外な印象を持ったが、小津は志賀直哉を大変尊敬した。これもまた私自身が志賀直哉に対する貧相な経験しか持ち合わせない所以か。小津が書き留めた志賀直哉の言葉に独立した芸術には向こうからこちらへ来るものがある。趣味の世界のものはこちらから愛撫するスキがある。それはまた非常に強い魅力だ。だからどうかすると騙される。しかしどんな魅力があっても独立した芸術と一緒には考えられない。がある。これは柳宗悦とも関わった志賀直哉の、というより民藝運動を経た美意識ではないだろうか、とも思う。小津は志賀を大先生、里見弴を小先生と尊敬し、彼らは旅を共にする事や座談もした。そんな繋がりゆえか、小津は映画界で初めて芸術院に選出された。ところで、この読書から、小林秀雄『本居宣長』を読みたくなった。里見弴に至っては一冊も読んでいない。読書は次の読書を呼ぶ。宣長の言語論、和歌論、文学論。姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シを感じさせる小津の演出作法を著者は解く。同じく小林秀雄『私の人生観』に触れられている宮本武蔵の「観の目強く、見の目弱く見るべし」を引いて小津の演出にその影響を見る、という達観だ。観についての小林の引用続く。「目の玉を動かさず、うらやかに見る」目があること、即ち「意は目につき、心は付かざるもの也」常の目は見ようとする意が目を曇らさせる。だから見の目を弱くして観の目を強くするよう剣豪は教えた、と。うらやか、とは晴れ晴れとのどかな様東京物語の夫婦の会話シーンはまさにうらやかな観の目、であったのだ。 なるほど小津のワンシーンワンカットは西行の桜の空観にまで貫道するものであったのかは!円覚寺の小津の墓碑銘は「観」が相応しかったと著者は考えたろうか。登場者が多すぎる。どなたも魅力的た。氏の文章スタイルも良い。藤田嗣治のことを書いた本も機会があれば読みたいと思う。しかし先ずは本居宣長→小林秀雄これはこれで遥かな道のりだ。
2024.03.05
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2024/03/04/月曜日/暖かし、コロナ自宅控え2月はほぼ週一いつもの、手打蕎麦ふじや十割蕎麦を食べた。最近ほぼ月一の松翁でもやはり十割蕎麦を食べた。共に生粉打ちだけど蕎麦の水気がだいぶ違う。松翁のは水気多くぬるり。ふじやは硬いので噛み締めて食べる。蕎麦外皮を何割みたいな案分がそれぞれなんだろう。ツユは松翁が昔ながらでふじやは蕎麦湯で割る前から出汁が香る、かな。量は松翁が多い、と思う。千円。ふじやは980円。そんな中、定石破り、久しぶりに2/28初訪問の試み。大村庵へ通りすがりにお邪魔した。北新宿、大久保駅程近い、昔ながらの町の蕎麦屋さん。蕎麦にあれこれ3品ついて、ご飯もバンドルで830円!安い!丼に蕎麦、うどんのセットランチでも900円前後?給餌も厨房も働きもの!な印象のご婦人二人で切り盛りの小さなお店。当たりがよくて地元愛され。製麺所の蕎麦を用いてたけど、しゃっきり冷やしてくれていました。麺つゆは何だか市販か業務用か、という印象で、出汁のこだわりなんざ無用。まあそれはそれで。しかし!並んだ3品がどれも美味しい!それにこの値段。何とか食べ尽くした。空腹の時には、また是非お願いします(^^)↓松翁で頂いた。今年も蕎麦〜
2024.03.04
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2024/03/03/日曜日/暖かく少し風のある〈DATA〉出版社 光文社著者 吉村喜彦2006年7月20日 初版発行第1刷発行〈私的読書メーター〉〈サントリー広報部のご出身らしく飲酒表現が定型過ぎるキライあれど。全7章からなる本書の6と7章、泡盛と与那国の段がよく楽しめた。沖縄で失われた黒麹菌は戦前に東大で保管されていたことが近年に判明、かつての泡盛復活に首里の瑞泉酒造が取り組んだ。泡盛が好きでたまらない仙人のようなおじいが紹介されているがその夫婦の持ち味、発酵感が絶妙だ。こんな想いが重なり今の泡盛興隆があるのだろう。情熱が若い人にバトンタッチされ過去から未来へ古酒のカスタマイズリレーが世紀を超えていく。鍾乳洞で丸くなるのを待つ酒は平和の風味ならん。〉今回の沖縄旅行の前に読む。賑やかな観光冊子を追うのもとみに面倒くさくて。意外と訪問地の今帰仁や本部、羽地、大宜味村辺りの情報もあり。
2024.03.03
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2024/03/02/土曜日/鶯の初音を聴く薄曇り2/20 ツレは旨い朝ごはんを食べに行くという。私は大体朝はお茶程度だし、首里城再建の様子を見に行くことにした。方向違いのバス停で待って何台もバスを見送る。ようやく正しいバスに乗る。スイカは使えない。それでもバスからの風景が捨てがたい。↓朝の国際通りはこんなに静か。バスで移動すると、改めてお城は山上にあるのだ、という地形を実感する。尤も首里の前に中山城は浦添にあったそうだ。そうか。浦添にもゆっくり滞在してみたいもんだ。↓バス停降りてそぞろ行けば、あちこちに謂れのありそうな建物が。この側には尚氏のご先祖代々のお墓、ウドゥンあり礼を守る国、そうありたいものを。これは今の、今までの日本政府に投げかけられている言葉に他ならないだろう。この辺りまでは無事だったのだろうか。神を奉る、と門に掲げたお城を他に知らない。自分が神になろうとした俗人は歴史に暇無し。入場券、これが安い。復興の寄付金も含めるということでもう少し高くても良いのではないか。子どもや学生は無料にして。↓ここからが消失した首里城再建の建屋を右に見ながら進む。建屋内は二層に分かれていて、初めより見学できる仕組み。オープンキッチンなレストラン?焼け落ちたものや素材の展示もある。構造にどんな木材を用いるのか、実際同じ大きさの木材を持ち上げ実感できる。南洋材は軽いイメージがあったが、認識が新たになった。上左二つは私でも持ち上がる。ヒノキは特に軽い。素直で加工がしやすい故の人気材なのだ。上右の沖縄ウラジロガシ、これは重くて私では持ち上がらない。土台や船の材にもなるだろうか。恐らく腐食の耐用年数も長い。プロジェクトに関わっている方のビデオ。首里城へのひとかたない思いが伝わる。伝統建築に関心を持つ若い人が増えますように。帰りはゆいレール駅へ向かう、お城下には昔ながらの風景が残る一角がある。弁財天が祀られているようだけど、その昔は納経堂だったと記憶する。さて、チェックアウト11時近くまでゆるゆる部屋にいて、そぞろ那覇空港へ。ここで最後の沖縄そば今帰仁のスイカ、宮古島のマンゴーを夢見て再度沖縄へ、次はいつ?
2024.03.02
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2024/03/01/金曜日/昼前から晴れ那覇から休まずに、高速も運転で2時間半は軽く超える距離なので、次に来られるかは分からない。何しろ1年に一度来るのがせいぜいなのだから。いつだって一期一会である。風景や感動した記憶は心に留めおきたい、といつも願いながらあっさりと表面からは消え去る。心の深いところには地層のように重なっていると信じたい。眩しい日差しの中を展示会場へ向かう。今は使われていない保育園だった建物へ撮影者はこの方、金サジさん。はたむん、良い響きだ。やちむんは焼き物はたむんは機織りのもの、というような意撮影してよい、とのことで、お顔は外して、はたむんのみ撮らせて頂いた。それでもこの方だけはどうしてもお顔もそのままに写させていただく。ありがとうございます。はたむんとからだはいまその言葉に実に見事に応える、黒一点だ。こんなに説得力のあるからだ、それを包む年月を経た芭蕉布。確かに人間がいる。園庭に置かれたオブジェ↓特別参加のアブ?ミツバチ?喜如嘉を後に、沖縄の東を少し走り途上の食堂で沖縄そばを食べる。テビチーとソーキのミックス普段はこんなにお肉は食べられないけれど、沖縄そばは別。お肉があっさりしている。そこから名護のやんばる市場に寄る。ご当地ならではの食材を眺めるだけで楽しい。↓食べられる花!なんかが市民の胃袋を満たす市場で普通に売られていた。食いしん坊の私としては、どうしても食べたいうるま市のチュラーナというジェラート店へ丁度休憩にも良いタイミングなのだけど、お店にお手洗いはありません、念のため。↓このボードを見ると納得、沖縄本島北部は元々昭和30何台までは水田が豊かに広がる場所だった。それが花卉栽培に転じたのだろうか。今帰仁では2月下旬、そろそろスイカが売られ始めていた。本部のシークワーサーもアセロラも有名。私はマンゴー、ツレはドラゴンフルーツ。加糖をできるだけ抑えた、グルー?で粘度や照りはもちろん添加されていない印象。限りなく果物に近い、しかも沖縄産。ここだけの店舗なので、ここでしか食べられない。販売用のトラックはある模様。さてさて市場で買った沖縄のイチゴはホテルで夕食後に瞬く間に平らげた。沖縄のイチゴは甘い!パパイヤ、モンキーバナナ、赤と黄色のパッションフルーツをお土産に。果物食べてればしあわせ夕飯はホテルからほど近いなかむら家で。待っていた間は随分並んでいた魚も瞬く間に消費並んで待った。月曜日と甘く見ないで予約が必要な人気店。当日仕入れた魚と人数や調理法のおすすめをしてくれる。
2024.03.01
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