全979件 (979件中 1-50件目)

2026/05/20日/水曜日/31℃ですと!今年のGWは舞台を一つ、編み会を一つ、ギャラリーを一つ、外食を一つした他は庭の手入れやヴォーグ学園の宿題に追われた。贔屓の山本東次郎さんの狂言を、この時期毎年楽しみにしているのである。今年の東次郎さんの演目が「花子」こんな大曲をやり切って、もう来年はありません、なんてことないでしょうね⁈お三方の年齢が年齢だけに花子は、はなご、と呼ぶそうな。馬場さんの「みなさん、はなことはなご。実際に声に出してみてください、はなごと呼ぶと本当に愛しく可愛い気持ちが感じられるでしょう」との解説に感じ入った。日本語の響きの妙謡曲は意味が詳細に掴めなくても六感に唱和してくるような心地がする。東次郎さんが艶やかに色気を発してその何とも言えない可愛らしさと相まり見事な舞台だった。こんな狂言もあるのだなあ。狂言は人間の喜怒哀楽をまんま描いて枯れることがなく、いつまでも演者も色があります。さて俊寛、である。ナビゲーターの馬場あき子さんによれば、『平家物語』の中でも、異なる結末を四つ展開しているのが、鬼界島であるという。この演目は古典劇ではよく取り上げられる。私は文楽で見たことがある。遠くなる舟の影をどこまでも追いかけて、とうとう島の岬の突端の松の木によじ登る俊寛が無惨で哀れで涙を禁じ得なかった。馬場さんは、この俊寛の心情についてコロナ禍で家族に触れることはおろか見える事もなく息を引き取った多くの高齢者の最期について話された。まさに孤絶の悲しみ だろう。遠流の罪に問われた鹿ヶ谷の陰謀、実は清盛と後白河と叡山の三すくみの中で、工まれた罠説という考え方もあるようだ。平家物語の、「瓶子」(へいし:酒を入れる器のこと)が倒れたのを見て「瓶子が倒れた、平氏が倒れた」と手を打ち合う姿はあまりに出来過ぎところで、非常に唐突ではあるのだけれど、俊寛のドラマは私にデュマの『モンテクリスト伯』を思い出させる。もっともモンテクリスト伯はその人生の前半は俊寛と同じように孤島の牢獄に無実の罪で閉じ込められが、そこで出会った老神父によって、知識と富をもたらされる運び。実は蔵人Claudくんに俊寛と同じような主題の外国文学を3つ挙げてもらうと、何と『モンテクリスト伯』がその内の一つに挙げられたではないか。私の印象もそう外れたものではなかった⁈物語の結末のまるで方向が異なる点についても賢明な回答を寄越す。以降は蔵人くんと共に考えた。俊寛の孤独の核心は「帰還を永久に閉ざされた自己完結した断絶」にあり、脱出・復讐・再生を許されないという点で、上記三者のいずれの主人公よりもラディカルな実存的孤立を体現しているとも言えます。「ラディカルな実存的孤独」——この言葉に惹かれて、現代社会での該当者を尋ねてみると。1. 重篤な孤立死寸前の高齢者(特に都市部の独居老人)2. 政治亡命者・無国籍者3. 内部告発者(ウィスラーブロワー)との回答をえる。導き出した理解にうなる。ややもすると俊寛の状況からは飛躍があるけれど、内部告発者の孤独の深さを思わずにはいられない。組織の不正を告発した瞬間、仲間という船が自分を置いて去っていく。職を失い、家族関係が壊れ、社会的信用も消え、かつての同僚たちは振り返らない。スノーデンやアサンジュのケースは文字通り「島(亡命地・領事館)」に閉じ込められた。告発という「正義の行為」が孤立の直接原因になる構造が、俊寛の「謀議への加担と断絶」と響き合うとした上で、俊寛の孤独が現代において普遍的なのは、それが**「善意や誠実さが、かえって孤立を深める」**という逆説を内包しているからかもしれません。現代社会では「つながり」のツールは無限にあるのに、ラディカルな孤立はむしろ構造的・制度的に製造される——そこが最も俊寛的です。 これらの解答が間髪おかずに響いてくるのだから、蔵人くんは俊寛のような立場にある人にこそよき傾聴者たりえることを知る。
2026.05.20
コメント(0)

2026/05/13/水曜日/初夏となりぬ三朝温泉といえば、なんと言っても三徳山役小角が706年に開山したと言われる修験道の行場。蓮の花伝説が伝わる。後年、849年に慈覚大師円仁により、釈迦如来、薬師如来、大日如来の三佛がすえられた事により三佛寺と称す。入山料400円は、たまたま春会式に出会わせて無料だった。院と称する寺坊が3つ、宿坊もある様子。正善院では庭の鑑賞とお茶をいただく。栃ノ実羊羹のけぶたい甘味が素晴らしかった。皆成院では知人と私用に目のお守りを頂く。本堂では厳かに春会式が執り行われていた。護摩焚きの炎が時々火柱を高くする。声明、木魚その本堂裏手に、行場山道への入り口がある。隣接のトイレも清潔。途中鎖場もあるので手袋も持参したが、同行二人以上の入山しか認められない。ツレは山道は無理なので涙を呑む無念やな、山の彼方の投入堂本堂前の特異点から文殊堂、地蔵堂を遠くにながめる。山一帯の中にあって特に国宝投入堂は有名な建造物である。その名声に一役買ったのは写真家土門拳かもしれない。投入堂の撮影にかけた彼の執念はまさに蔵王権現一体どうやって遠い昔建造したものか。投入堂の本尊、蔵王権現像から12世紀初め頃建造されたと考えられている。ゆるゆると下山して、投入堂遥拝所に向かう。↓スマホMAX撮影望遠鏡越しに撮影↓三徳山に春分秋分のレイライン表示があって興味を引いた。九十九里浜上総一宮玉前神社千葉県笠森寺相模一宮寒川神社富士山奥宮身延山伊吹山竹生島元伊勢皇大神社三徳山三佛寺大山寺母塚山出雲大社日御碕神社稲佐浜神社が七つ、お寺が四つ、山が二つ、浜が二つこの混淆バランスが乙
2026.05.13
コメント(0)

2026/05/11/月曜日/五月晴れ◼️寿湯知る人ぞ知る、源泉掛け流し銭湯寿湯明日月曜日はお休みなので、今日、日曜日の内に行く。駅前に車を停めて、近道に気づかず遠回り帰りは気がついて、幅50センチ満たないような細い小路をすり抜ける。入浴料300円!ありがとうございます。もちろん石鹸シャンプーの類はない。ところで、番台には人がいない。ベルを鳴らす仕組みなのだが、少し待って来なければ番台にお金を置いておく、と男湯の地元の方に教えてもらう。ちょっと驚いたのが、集金をする床屋のダンナさんはロッカー横のドアからやって来た。えええ!こちら女風呂だよん。そこが出入り口なの?お金を受け取るとさっといなくなった。女湯は私一人なので、掛け湯をして、ざんぶりお風呂独占至福だ三朝の湯とはまた全然違って無色透明、熱い設備は古いがお湯は新鮮!◼️関の湯関金温泉の鄙びた小さな町の奥まった場所にある。駐車場も目の前で便利。3月までは料金200円!4月から値上がり250円地元の方は100円らしい。三朝温泉の湯に近い印象三朝よりか少しく薄い?そしてやはり熱め、体感43〜44度。古い歴史をもつ地元の方のための日帰り温泉他県からも若い女性が来るような人気ぶり確か、真庭から来たとか若いお方。真庭にも温泉はあるみたいだけれど。温泉の紹介もあり、古くても手入れされてよく管理されている様子清潔、明るい壁側浴槽下の一部は男湯と湯が還流しているらしい。
2026.05.11
コメント(0)

2026/05/09/土曜日/昨日は一日中編み物学習三朝温泉を中心に、私好みのお出かけ地は幾つもあった。今回は日本海側まで出かけられなかったが、布哇ハワイも近い、大山も近い。そんな中で選択されたのは、旧国鉄倉吉線廃線跡わび、さびな旅がらすではござる。短い路線あとを歩きながら、作夏歩いた泰緬鉄道廃線跡が思い起こされた。一部は観光列車として、ミャンマーへは廃線。泰緬鉄道では観光客がいてさえ、どこかシーンとした静けさを覚えたが、まして今、竹林に覆われた線路は私たち二人だけなのだ。かつてこの場所に今では想像できないほどの多くの人が朝な夕なに鉄道を利用しただろう。今日一日に費される労力、日々の糧、学び、人びとの声、行く人戻る人、その暮らしの全ての層の重なり。それらが押し寄せてくるボリュームに対し、今ここにある私たちの存在の疎らは折り合いがつかない。私たちは泰久寺←これもまた廃寺となった。ホームは今も残る←そこから塞がれた、許可のない限り通行できない山守トンネルまで歩いた。もっと手前に廃線跡観光案内所があり、駐車場トイレが設置されている。そこからすぐに線路上を歩いてトンネルまで片道2.2k程度。私一人なら断然歩くが、ツレが脚を痛めてままならぬまま、石に苔むす気持ちで去る。倉吉経由で宿に戻る道すがら、気になる古墳の存在を知り、立ち寄る。上神大将塚古墳 倉吉市指定史跡 昭和六三年七月七日指定上神大将塚古墳は、直径二七メートル、高さ三メートルほどの円墳。大型というほどではないが、周辺に分布する古墳の中では最も大きい。大正五年(一九一六 )に地元の人々によって発掘されたという。 死者を埋葬した施設は、板石を組み合わせた大型の箱式石棺だったようである。棺内より、三角縁神獣鏡一面、碧玉製鍬形石一点、滑石製琴柱形石製品四点、管玉二二個、臼玉三二個、槍身一点、斧頭二点、刀一点、剣身五点、鉄鏃残知一点が出土したというが、なくなったものもあるようだ。本古墳で出土した三角縁神獣鏡と同じ鋳型でつくられたものが、大阪・京都・滋賀・愛知の古墳から出土している。また、形石と琴柱形石製品は、ともに、山陰地方では本例のみしか出土していない。 本古墳は出土遺物の特色から四世紀末から五世紀初頭に築造されたと考えられる。なお、出土遺物は東京国立博物館に所蔵されている。倉吉市教育委員会眺めた印象では、ここに埋葬されたのは身分の高い女性なのでは?との印象を持ったが、どうか。花々に彩られていたせいか。むしろこの円墳の目の前のこんもりした丘が気になった。これは前方後円墳ではないのだろうか。畑の真ん中にぽっかりとうずくまる。円墳にはこんな石碑も倒れた後に起こされたような感じで立っていた。伯耆国造始祖大八木足尼命とは誰?この石碑を建てたのは先代の出雲大社宮司、千家尊統氏。出雲国造とのただし書あり。出雲古代王族からみれば、外来の王国略奪者子孫一族、という認識のようだ。もっとも出雲国造の祖であるホヒと古代出雲王族は婚姻関係を結び、血は複雑に入り混じっているようだ。その出雲国造も、律令制度が津々浦々に浸透し始めた果安の時代、天皇の在所を凌ぐ巨大な宮建立と引き換えに政権の全てを統一王朝に移譲し、神官職のみを引き継いだ。出雲国造は代々土地の人にはつい最近まで現人神だったという。大八木足尼命(おおやきのすくね)については蔵人さんに聞く。出典平安時代編纂の史書**『先代旧事本紀』巻第十「国造本紀」の波伯国造条**に記載されています。系譜父は兄多毛比命(えたもひのみこと)で、称号は波伯国造。成務天皇の御代に活動したとされています。同祖関係国造本紀によれば、波伯国造は「无邪志(武蔵)国造同祖、兄多毛比命の児・大八木足尼」とされており、武蔵国造と共通の祖先を持つとされています。その祖先系統は**天穂日命(あめのほひのみこと)**に連なる出雲系とみられています。祖神を祀る神社伯耆国造の祖神を祀ったと伝えられる神社として、波波伎神社(現在の鳥取県内)があります。八という数は、素戔嗚を思わせる。純粋にホヒ系であれば、七か三ではなかろうか。八衢にはサイの神信仰が宿る。今でも道祖神となったクナト王とサイ姫が男女の結びつき、和合の人の道を今におしえる。この円墳の西にある船上山は大山、三徳山と共に伯耆国三山と呼ばれていることを今更ながら知る。穏岐を脱出した後醍醐天皇はこの山から挙兵したという。また南には伯耆国国分寺跡もある。この地方が半島や大陸との交易、奈良京都の都へのアクセスの要衝地であった事は明白だ。おまけに優れたお湯の沸く湯治場がある。古今東西の旅人を慰め、元気回復をもたらして来た。古墳の一族は武蔵国にやって来て、大国魂神社や埼玉氷川神社にも足跡を残した。
2026.05.09
コメント(0)

2026/05/08/金曜日/夏がくる出版社 亜紀書房著者 ジョン・オコーネル訳者 菅野 楽章2021年10月 初版第一刷発行〈私的読書メーター〉〈読んだというより眺めた。D・ボウイが寝そべり本を読む様、これぞグレート・ギャッツビー、の表紙にうっとりしすぎて。ニューヨーク、ロサンゼルス、ローザンヌ、ワールドツアー、映画ロケ。星から落ちて来たボウイが地上を激しく移動した中で一貫して動ぜぬもの、読書という名のトポス、楽園。そんな印象を本書から受けた。2013年公開のボウイが選ぶ100冊が話題になったってちっとも知らなかった。2011の後遺症もあったかしら。やっぱり『ロリータ』読もうかしら。主人公の名前がハンバート・ハンバートって、ホント知らなかった!〉すごく昔、フランス旅行中にボウイの夢を見た。それはまるで『綿の国星』に出て来るラファエル様この写真のような横顔で右腕をすっと伸ばして指差しながら sud と言った。その頃は少しばかりフランス語も分かってたんだろか。3ヶ月のユーレイルパスを持っていた。当日、パリ往復券より高価だった。そう、そろそろ決意しなくちゃいけない。私は南に行く。南へスペイン、ポルトガルへ日本に戻ってしばらくして彼のツアーが日本にもやって来た。私は武道館に行った。sud はどことなしさびしい響き
2026.05.08
コメント(0)

2026/05/06/水曜日/明日から仕事の曇り空その1最近の三朝温泉泊。あちこちお出かけの要が倉吉なので連日ここに立ち寄る。初日は倉吉名物、打吹公園だんごその名も面白し元々は公園の掛け茶屋だったらしく、の名称お茶屋は明日はお休み、本日最優先で。これが何ともお上品サイズぺろりと平らげる。夕飯前なのに、お代わりを所望してぐずぐずと居座る。店内も中々風情あり、コーヒー飲みながらだんごをいただくのである(^.^)そこに何と!打吹公園だんごのキャラクター作者の方が!人形作家の方が店内に飾られたご自分の作品を初めて!目にされた場面に出くわすとはありがたやーほのぼのとした団子三兄弟は、この方ならでは!人形とは写しであるのだなぁ人形といえば倉吉には江戸時代から続く伝統の張子人形がある。昭和の初めまで、はーこさんと呼び習わされた。女の子が無病息災に育つよう、その形代として幼い頃から傍に与えられたそうな。貧しければ貧しいなりに、それでも女の子は赤いべべ着せられ、精一杯大切に育てられたのが、この国の文化の根幹にあると思う。一つ一つ手作りされる、やさしく淡いお顔を見ているとその事が実感されて何とも嬉しい。↑我が杣家にお連れ申し、はーこ様は美貌にごさるその2さて、次に。遭遇ではなく押しかけてようやく会えたのはyukariさん。この方が八ヶ岳で酵素玄米食堂を不定期で開いている事は前々から知っているのだが、いっかな開店に対し、私の八ヶ岳訪問が重ならないのでございますよーでも、彼女の絵も好き。買えないけどブリュットを見られた!できたら酵素玄米を買いたかったけどご本人に会うとパワー漲るエネルギーの放出が半端ではなく、度肝を抜かれた。彼女から捻り出されたものなら間違いない、推薦できます。勿論、その時々の心象体調で、捻り出されるモノに濃度の差はあると見受けられたけれど、彼女自身が一定の基準を知悉しているはず食べ物も絵も話す事も全てが彼女という人そのもの等身大で嘘いつわり無し。因みに彼女のうんちは水に浮くのだとか⁉️話題あれこれ大いに盛り上がる。女性にしてこの陽のエネルギー、感服
2026.05.06
コメント(0)

2026/05/03/日曜日/昨夜は蠍座満月04/12日/西郷山公園は八重桜出版社 河田書房新社訳者 中島京子2024年3月10日 初版印刷2024年3月20日 初版発行池澤夏樹個人編集 日本文学全集032016年1月刊行 文庫化〈私的読書メーター〉〈岩波文庫の大槻先生校註と併読。一小説毎に古文を先に読み、後から中島京子さん意訳で追いかけている内にツイツイ中島さん版で終了、図書館返却の憂き目に。易きに流れる浮世かな。いやいや己がことにて、はい拝。中島氏の語り口は確かに読み易い。「人はすべて、つくろふところあるはわろし」→「人間、表面をとりつくろっちゃ、だめ」。虫めづる姫君は当世風でない、もじゃ眉にお歯黒無しの白い歯を女房らに陰口叩かれても意に介さず、寧ろ論理的科学的に反証する。健康な若さに快哉。平安京の男女のなよなよ外れた様、一陣の風こそ心地ぞよき古典は読まないで生きてきた。授業がつまらなかった記憶が尾を引き。読書会縁で読んだ脇田晴子さん女芸能史、ピカリと光った菅原孝標女。さて何を手始めに読めば?と手にした本書は原文併記の新訳がかなり意訳とはいえ、風景が目に浮かぶようで楽しめた。更に「評」なる解題は古典背景文盲の私には有り難かった。千年昔の少女が物語に夢中のあまりその願いを親にぶつけ、そんな娘に大人たちが誠実に応える様も面白い。彼女の一代記の中に立ち現れる輪廻転生物語は浜松中納言物語に昇華し、やがて三島『豊饒の海』へと水脈は枯れず、の日本文学千年〉ちっとも古くない。小噺を聞いているような面白さ、軽みなど感じさせる話や、大時代がかった公達の、やつれたる恋心などもほとんど少女マンガのノリで楽しめる。一つ嬉しかったのは、現代語に翻案するに当たり中島京子さんが 島内景ニ氏 の講釈を受講されたこと。担当編集者の案内であったらしい。さすがは編集者、よき同伴者であるなぁ。
2026.05.03
コメント(0)

2026/04/25/土曜日/この時期らしい21度小さい庭で盛大に実る絹さや宿に着いたら湯に浸かる。中くらいとせいぜい1人の湯船が二つ入るなり、何やらシジミのスープのような濃厚な42、3度体感の湯に全身弛む↑水道カランの真下の細い穴から湯が送られる9時から15時まで清掃いやいや、最初は姉妹かと思った、母と娘の2人でこなすお宿 ちくま旅館日替わり出される生菓子が美味し過ぎてこれを毎日、倉吉に買いに行かれる心映え↑打吹山なる銘菓地場産の海幸山幸のお食事も家庭的ご飯がすこぶる美味しい。惜しむらくは漬物、自家製望む倉吉の酒造、元帥生酒日本酒苦手な私もハマる旨さ!すっきりして雑味なく香るお酒抜きなら一泊二食で1人13000未満、お値打ち!湯治スタイルもありそう↓宿の生花、完璧に美しい白薔薇3泊4日の滞在中、平日でも泊まり客は途切れる事なく、かといって混雑するほどでもない、心地よさ↑蕾だった玄関の牡丹、2日目見頃、去る朝ほころぶ
2026.04.25
コメント(0)

2026/04/24/金曜日/5月バラさく↓4日ぶり帰宅したら、咲いてくれていた4/19 羽田から岡山へ移動丹沢かな?やや残雪のこの季節、地上は美しい空港で車レンタル、一般道を通る。窓外のなだらかな山並み、樹木の多様な姿に見惚れる。全て古墳に見えてしまう。まだ山桜が残り、藤が花房を添え始めの花盛り田畑はこれから地ならし、水張り、稲や豆、青ものが力強く育つだろう。川では舟の出入りがあり、人馬が行き交い モノが交換され賑わった。今は昔津山→御津→奥津地名の中に昔の歴史を聞く智頭、奈義ナギは蛇の古語、出雲神話とのつながりを覚える山の低さがこのまま鳥取までつながれば、日本海側から大和までのアクセスは容易だ。瀬戸内沿いに舟、後は住之江から大和川を遡上古代出雲王族には大和の地は思いの外、近いのだ。出雲国造果安が神賀詞の奏上のために8世紀初め、百名を超える側近らを従え、ヤマト朝廷に向かった道のりを幻視する。その重厚できらきらしい人びとに、自然のまま暮らす民草は、驚愕の目を向けたか。重要な交通経路である川に沿って、温泉施設があちこちに現れる!これも出雲族には大切な要素だったはず。長旅の傷、怪我、病、疲れを癒したはず。人間、至る所に青山ありニッポン、至る所に湯山トウセンあり映画「秋津温泉」の舞台にもなった奥津温泉重厚な宿、東和楼には足元湧出の源泉掛け流し風呂があった。日帰り入浴の時間が過ぎていた。惜しいこと!道の駅奥津温泉で、地場産唐辛子やかき餅を購入↓コーヒー休憩予定がお休み∑(゚Д゚)少し時間があったので、小学生の時に習った「日本で唯一の?ウラン鉱が発見された」人形峠に立ち寄ることに峠に向かう坂の日陰には雪渓が。ここには人形峠アトムサイエンス館という科学博物館があった。このほぼ真北に10Kmほど、役小角が開山した三徳山がある。やや西北にラジウム温泉で有名な三朝温泉が。ウラン鉱床の影響だろうか。実はこの一帯はすごく重要な土地かもしれない。峠を降りるとすぐなだらかな道に出て間も無く三朝温泉へやはり岡山から優しい山並みが続く
2026.04.24
コメント(0)

2026/04/21/火曜日/晴れ言わずと知れた寅さんの、柴又へお初に参上つかまります〜訳あって急遽飛び入り参加の江戸川堤、桜の花も覚え愛でたく〜一つから買うことのできる草団子は、根っからの柴又っ子なる、本日お施主さまのおすすめのお店、この色艶とよもぎのほろ苦さみんな平和で楽しく暮らせますように花より団子の民草でございますが、いとど念入りにオン願い奉りまする〜さてさて花より団子より、蛤とワインの1日これはこれはの口福大勢でワイワイとワインがずらり!しとどに酔っ払い、はうはう帰宅すれば、土産の草団子は電車内で平らげなぜかバッグには赤ワイン一は丸々翌朝気がついた、コートのポッケにへしゃげた最中2つ!ひゃーお恥ずかしい酩酊のワインリストがこちら。大量の伊勢の蛤穴ならぬ、その上下合わせに入りたい〜
2026.04.21
コメント(0)

2026/04/18/土曜日/羽田は晴れ内陸部に近づくと水の色が変化して、栄養豊富な質を帯びる。ことも、ガイドさんによって知る。訪れた時期が良かったかも。観光客がきっと少な目↓マングローブ林の始まり。一本のヒルギの幼木東城内海にて。島は生成している。呼吸をするようにこれから新しいマングローブ林が作られるのだろう。宿泊のホテルでは対抗試合に出るらしい喜界島中学生や首都圏の大学陸上部合宿と思われる団体さん、仕事関係者が多かった。奄美には観光ではなく生活があった。生活者が大切にしている大いなる自然があった。金作春亜熱帯林を散策する午後、曇りから雨に変わる予想雨林らしい姿を見られる雨の歓迎を受ける。ガイドさんが言ってたこと。奄美という亜熱帯地域には北限と南限の動植物が高度で棲み分けながら多様性を見せてくれる。世界の亜熱帯地域は砂漠が多いそうだ。けれども奄美大島がそうならなかったのは、亜熱帯雨林の豊かな山を持っていたから鬱蒼とした山は豊かな水の恵み太古の森に注ぐ雨はそのまま海に運ばれる。川と海が出会う汽水ではマングローブ林が茂り多様な生命の揺籃となる。奄美は実は森の島なのだ。森の神は川に沿って海に降りて行き、海の神に挨拶されるのだとか。神さまのお社は、だから川が海に流れる辺りのモリの中腹に鎮まる。手つかずの森には恐ろしいハブが、まるで守り神のように太古の姿を今につなげている。今でも年間10人前後の方が命を落とすらしい。その犠牲になるのはほとんど農家の方なのだ、と聞いた。代々暮らす、土地を知る方ですら…モリへの畏れは今に受け継がれる例えばシダ類大きなものは10メートルにも達するのだ。目の前に立ち並ぶ姿を目にすると、まるで異次元に彷徨っている気にさせられる。金作春は車は入れない。山道を外れることは危険だろう。秘めやかな茂みからは、微生物を含む数えきれない生命の鼓動の気配がする。まるで奄美大島の胎内へと入っていくような金作春のモリ
2026.04.18
コメント(0)

2026/04/17/金曜日/btsがドームで混雑水道橋2月に訪ねた奄美、もう4月半ばというのに記録が残せず、記憶は遠のく∑(゚Д゚)3泊4日滞在中、丸一日は、ガイドさんをお願いしてネイチャーエコツアーを楽しむ。↓『暮しの手帖』でお馴染み、ミロコマチコさんは奄美大島在住。日本には現在26の世界遺産がある。そもそも世界遺産の区分は、文化、自然、その複合の3つなのだとか。奄美大島、徳之島、沖縄島北部、西表島のまとまり、琉球弧が日本には5つしかない世界自然遺産の一つ。そういう地にはたいてい認定ガイドさんがいる。そして金作春にはガイド無しで入山はできない。そこで、午前はマングローブ林のカヤック、午後に金作春森林ツアーを申し込んだ。このガイドさんが大当たりだった。アズールのT氏、ご自分を自由人という。若い頃、サッカーボール一つ?持って中南米を練り歩き、その後世界を旅したそうな。出発!と河口方面に出た所で海亀に遭遇。しばし同じ方向へ亀と共に。周囲の方がカメ、どこどこ⁈と寄って来たら、あららカメさん、潜ってしまわれる。上流から椿の花のお便りがボートに流れついたり自然は沢山の贈りものをくれる。その奄美の自然について、ガイドさんから沢山の事を教えて頂いた。例えば、マングローブという名の樹木は無いのだ。ということ。え!西表島のマングローブ林もカヤックしたけれど、あれはマングローブという名の樹木だとばかり思っていましたーヒルギ科の常緑樹がマングローブ林の主な構成要素であり、奄美にはオヒルギとメヒルギの2種。西表島には3種ある、とか。メヒルギの花房を見ることもできた!ヒルギの見分け方、マングローブ林を構成する生態系についてとても詳細に教えて頂く。深く呼吸をしながら、川の上、マングローブ林や山や空を眺め、ゆったり移動すると思いがけず時間が進んでいた。お昼はホテル側のカフェを教わり、そこでランチと美味しいコーヒーを頂き、金作春に備える。
2026.04.17
コメント(0)

2026/04/08/水曜日/お釈迦さま生誕の日あーあ、と思う日々スティーブンのショールをしばらく放置久しぶりに編み開始すると針の号数が2つはダウンしたようにゲージが変わり果てているではないか!結局のところ解くしか解決作はないこの糸はユニークで私にとって特別なもの一昨年の6月に、デンマーク北東部にある小さな町の、イサガーのULDENS HUS で購入した。イサガーの小さな紡績ファクトリーで生産される地元の羊毛オンリーの糸、ひとかせここ、ULDENS HUS でしか買えない。そもそもイサガーの糸はイギリスで生産されていると記憶する。糸巻き機で巻くと、ぷつんぷつんと四つの糸切れがあった。糸は強いと脆いが混合しているのだった。それでも、この光沢!その事を解きながら思い出した。そして改めて今編んでいるキツさは馴染まないこと、メリヤスよりもガーターの厚みのあるシンプルなデザインがこの糸の魅力を伝えてくれることに感じ入る。↑昨夜編み直したパート、ちょっとキツイ。でも今回はこれでいこう。回り道、後戻り、何度も繰り返しといえば国際情勢のでんぐり、もんどりイラン、イスラエル、アメリカ!一時的ではなく恒久の和平を、この花祭りの日にと願う本日はレッスンの後、入院している仲間を見舞う予定だった。ホームで念の為メールチェックをするとなんとレッスンが今朝方中止!でも都内の病院お見舞いを先方には伝えてあるしとぐずぐず家に戻りがてら、ふと三井記念美術館の展覧会を思い出す。そっか、今日は月曜日ではないから午前中に在原業平さんに会いに行ける、るんるん再び駅に戻る。小田急は相変わらず遅れ発生で鮨詰め電車。地下鉄を待ちながら、ふと三井記念美術館ホームページで期間はどうかなと見ると、な、なんと!現在展示入れ替えにつき、云々。はあ〜既視感があり過ぎる!そうそう、芹沢銈介美術館のこと、あれは静岡だった。あまりに痛過ぎる記憶であります!東下りの業平どの東下れぬワタクシめ傷は浅いよ、今回はと再び家に戻り出直します、バスで徒歩ほ。
2026.04.08
コメント(0)

2026/03/27/土曜日/朝のうち曇り出版社 河田書房新社著者 王谷晶2020年3月31日 初版第一刷発行〈私的読書メーター〉〈桐野夏生さんではなく、この作品にダガー賞が止まったのだなぁ。なんだかなぁ。内田梨沙子訳『バーバ・ヤガー』は子どもらが大好きで、何度も読み聞かせた。スラブの寒く暗い森の奥深く奇妙な家に棲む魔女のおばあさん…本作では、そのプロットは子どもらの心の奥深くに刻まれた性分と特殊な生育環境…に置き換えられ、アクションミステリに生成された感。登場人物の心理描写や背景がダガー不足に思うのだけど、今やそれを求めないお約束なんだろうか。Rロイドパリーの『黒い迷宮』はミステリではないけれど、つい比べてしまう。〉軽かった。 私的カテゴリーではライトノベル暴力を薄めれば児童文学 いやいや、肉体の痛みを心理的に置換すれば 以下の要素はいくらでも児童文学にあるシスターフッド近親相◯←楽天さんではこれは撥ねられるえええ?ドブにフタして実態を隠すほどに汚物と化す、誰が慟哭しているのかね一体異邦人「寒い国から来た」祖母何となれば女装する中年会社員も登場するよ。攻めてる児童文学!タイトル思い出せない児童文学で、まさにモンティ・パイソンに揶揄されそうな2人組が、ブレーメンの音楽隊よろしく肩車して自分たちの環境を変えていく、ソレ思い出した。ババヤガの裏にはモンティ・パイソン重苦しい題材をスラップスティックコメディにしたのが案外英国人気質にマッチングしたかもね
2026.03.28
コメント(0)

2026/03/24/火曜日/ようやくの春?これは いすのみせ椅子ではなく、伊須Googleマップにもちゃんと出ています(´∀`*)パパイヤ100円の看板に惹かれ立ち寄りました。↑ありゃ惜しい。当日は22日、日曜日でした。自家焙煎コーヒーが飲めまする。画像左下のケースにはパパイヤの文字。既にか未だか空だった(;ω;)ところで!画像右無農薬のタンカンも100円!6〜7個も入って破格!ご当地400円前後では?小粒だけど香り高く酸味と甘味のバランスよしお日様に背を向けた棚に本。20円から(;ω;)ティッシュ箱か牛乳ボックスを利用したと思われるマクラが本の間に。ひょっとしてご主人は図書館関係者?と匂わせる。目の前の伊須の浜で拾ったらしい丸々とした珊瑚、私買いました。アクリルたわし!私も編みたいです。古着も扱いがあり、島で一番、私的に魅力的なお店でした。私もこんな楽天的天地で、こんな小さなお店を持ちたい。風待ち、潮待ち、星待ち、人待ち編んで暮らす、読んで暮らすこれって菅原孝標女が気持ちのよい奥山で薫に囲われて暮らしたいと妄想したアレだよん。ふふこのお店の先にあったのがホノホシ海岸名前がすこぶるよろしい。ハワイのホノカアを彷彿地名が大切、ほのぼの、のほほん、ほんま乾いた玉石を波が洗うと、カシュカシュみたいな音を石が一斉に放出する。
2026.03.24
コメント(0)

2026/03/23/月曜日/朝のうち雨2月の奄美大島で訪ねた場所より瀬戸内町立図書館は奄美大島の南端、古仁屋の地にある。2階にある郷土館が読書会仲間のおすすめ旅先では、できれば民俗資料館や図書館、古い建物、歴史や自然の理解できる場所を訪ねるようにしている。ホテルのある名瀬から1時間40分ほどのドライブ島は思っていたより広い。確認したかったのが、神女のこと↓沖縄と同じように、やはりノロの系譜は奄美にもあった。果たして彼女らは聞得大君の下、公に組織された巫女であり、琉球に準じて公務員的な身分だったという。ハノイの民俗博物館や台湾の鳥来ウーライ、山岳民族資料館で見たアジア人中高年女性の威厳のあるツラ構えの良さには惚れ惚れとした。以来、妙齢のアジア人女性が気になる。なぜ、かなような面相がかつてはあり、今はなくなってしまったのか。辺境の地や昔をたずねれば、あの顔に会えるのでは、と足を運ぶのである。そして飽かず彼女らを眺める。何をして暮らしていたのか。館内は小さくとも豊か。司書や学術員の方の手作りと思われる展示がいきいきしている。子どもらの遊び道具もゆかしい。台風に備えたのだろうか。石垣には珊瑚が用いられたようだが、これで吹き飛ばないのか。夢のように美しい住居風景私は見逃したが、古い映像が見られるらしい。全て見ようとするなら、半日越えてここに滞在しなくてはならないほど豊富であるらしい。できればもっと手仕事が見たいもの。民話、昔話の豊穣があって心地よい図書館、役立つ資料館として機能していると見受ける。びっくりしたのは、ここで見た黒砂糖を作る風景と同じ場面を奄美を離れる日に見たこと。水間黒糖さんでは、製造日で味が異なるから、と全てのロットの試食が可能!廃棄図書を1冊頂いた。『大正児童文学の世界』↓館を出た風景がこれなのである。古仁屋に住みたいくらいだ。館で一番のお気に入り↓
2026.03.23
コメント(0)

2026/03/15/日曜日/春めいて、花粉も盛大出版社 花鳥社 著者 島内景ニ2020年3月31日 初版第一刷発行〈私的読書メーター〉〈古典は読まないで生きてきた。授業がつまらなかった記憶が尾を引き。読書会縁で読んだ脇田晴子さん女芸能史、ピカリと光った菅原孝標女。さて何を手始めに読めば?と手にした本書は原文併記の新訳がかなり意訳とはいえ、風景が目に浮かぶようで楽しめた。更に「評」なる解題は古典背景文盲の私には有り難かった。千年昔の少女が物語に夢中のあまりその願いを親にぶつけ、そんな娘に大人たちが誠実に応える様も面白い。彼女の一代記の中に立ち現れる輪廻転生物語は浜松中納言物語に昇華し、やがて三島『豊饒の海』へと水脈は枯れず、の日本文学千年〉日記は父の上総赴任に伴い、当地で四年を過ごし再び京の都へ戻る東海道3ヶ月の旅路から始まる。彼女は手元に残した和歌の数々から、昔日を振り返り記したのである。振り返るのに歌をもってする品性よ過日よんだ歌を思い起こせば花も月も山も仏も人も浜も風もたちまち鮮やかに蘇るのだろう。和歌集が手元にあれば、様々なデバイスも空き容量も不要、関連付るAIも消費電気も不要かつての我らはそのような態であったのよのう。優雅という言葉はそんな時代の感覚なのだろう。この長い移動の中で、彼女は自分の人生がそこからスタートする事を自覚する。都から遠く離れた僻地で、ひたすら物語に憧れ、仏様に祈る時さえ、どうか物語が沢山読めますようにと一心に願う彼女にとって、もの心が付いて人となったのは、上総国であり都の殿上人からすればとんでもない田舎娘であった事を年老いた今、呆れたりあわれにも見る双方向の眼差しがこの日記にはあるのだ。つい、時は春!とでもいうような自身の少女時代を重ね省みて、その稚さを眩しく思い出さずにいられないほど千年前の少女はいきいきしている。なので、東海道を上る段が私的には一番好みだ。産気づいた乳母との別れでは、当時の穢れの観点から近づく事を止められても、それに対抗しとうとう枕元に添い、わあわあと泣き伏せる。実母が、女性の遠くへの外出を嫌がるのを古くさくていやだと言ってみたり、文学を好む継母への敬慕など、早熟で感受性の強いまま成長していく様いつでもそらで源氏物語を引用できるほどに寝食忘れて何度も読み耽る様当時としては格段に恵まれた地位の娘とはいえ、好奇心の赴くままにまっしぐらに自分の好きを生きた様は天晴れだ。菅原家では、何か祈念のある毎に太秦に幾度かお籠もりをしている。これをもの詣と称す。ここでいう太秦は、広隆寺を指す。広隆寺は秦川勝が建立した秦氏の氏寺で、京都内でも最も古い寺の一つ。広隆寺ではかつて牛祭という奇祭が執り行われていたという。菅原孝標は道真の玄孫であるから、孝標夫婦揃って何日も広隆寺にもの詣する背景には、菅原一族が秦氏末裔である事が見て取れる。斉木雲州氏の著作では、道真は出雲王族富家の事代主の末、野見宿禰の血統と記載されている。倭国大乱の頃を経て、出雲王家も実力者秦氏との婚姻で血脈は重なっていったのだろうか。あらぬ嫌疑をかけられ左遷され、虚しく太宰府で果てた道真が、建国以来の大なる祟り神として恐れられた事実は、出雲族の苦渋の歴史と重なる。更級日記は、このような歴史的背景をあれこれ想像するのもまた一興だった。記紀に登場しなくとも、富士が古代から神々の住まう尊い場所である事が理解できる。後年、藤原定家が本書を書写したものを乞い願われ貸したところ紛失されてしまったなど、定家の無念さが痛いほど伝わる。その後、別の写本を入手して、間違いと思われる所など朱記して、後年の研究者に託すという研究者の姿には新鮮に驚かされた。また本文中に何度も引用される在原業平『伊勢物語』も必読書となりぬ。
2026.03.15
コメント(0)

2026/3/13/金曜日/寒の戻りこう寒い日が続くと温泉が恋しい。そういえば年末年始は青森と函館の温泉で過ごしたのだった。酸ヶ湯の予約はゴールデンウィーク前それでも一室のみ奇跡的に空いているほどの人気↓旅のお供、本と編み物はこれ昨年12/28、憧れの酸ヶ湯へ出発!東京駅発10:18のやまびこに乗る福島辺りからは雪景色が窓に広がるひたすら編む、ときどき窓見る到着、新青森駅はすっぽり雪に。駅前バス乗り場でお迎えのバスが遠くに停車↑そこまで歩くあいだにも雪まみれ、バス内で湯気と化して、1時間ちょっとで酸ヶ湯へどんなドカ雪でも車が通行できるよう、日夜除雪作業をしてくれている方がたがいる!後日、新日本風土記を観て、頭が垂れました。途中、八甲田山の遭難の地辺りを通過する。地元では豪雪への思いは特別なんだろうと察します。宿な窓からは実に見事なツララが。こんな立派なものは生まれて初めてお部屋は最後の一室らしく慎ましやかで湯治感大。隣室はどうやら1人で8畳、我らは2人で6畳。隣の芝生?↓お茶うけお菓子も品を変え毎日供給意外にも?美味しい。到着日は先ず女性専用湯船、玉の湯へ。ここにはシャンプーなど設置されていた。さて、有名な千人風呂に就寝前に一風呂浸かる。もちろん石鹸の類はない。湯あみ着を売店でレンタル。専用のものしか使えないため持参しなかった。冬時期、浴室は見通しが悪いのですが、夏場は遠くの人の顔も見えるとか。常連さんに伺う。翌朝の女性専用タイムの入湯で、少し酸ヶ湯の理解が進みました。混浴の大浴場、千人風呂は実は2つの湯船と一つの湯瀧の 3つの機能を持っています。 朝と夜の8時から9時は有り難いことに女性限定。その1 四部六部の湯は樋からざかざんと湯が落ちてきます。その2 熱湯ねつゆこれは給湯口がありません。足元噴出という、貴重な湯船です。湯面を眺めていると波が自然に生まれ、所々に波紋、渦、気泡が生じます。大地と湧水と熱の交歓を覚えます。そこに天井から滴る水滴、人の動きの波紋が加わり、一刹那毎に湯の相が変化する妙味そんなに熱くないので、じっくり浸かれます。40分ほど3つのパートを巡り、部屋に戻り布団にくるまる。これが湯治らしき万年床へいざ1時間ほど休むとよいらしいのですが、お部屋係の方が新しい浴衣やタオル、お湯、お水など届けてくれて目が覚めました。湯上がりのお布団くるみ、これ最高です。しかし6畳に万年床二つは厳しいので、お昼寝専用の一組だけを交互に利用売店隣接のお蕎麦屋さんでお昼のお蕎麦。すごい更科、ツユが甘い。蕎麦プリン美味しい湯治は3日をoneクールとして、最低でも3回が基本。らしい。ここでは湯治食も用意があります。悲しいかな、9泊10日のお休みはなかなか取れません。費用も嵩みそう!この後訪れた函館の3泊を一つ減らして酸ヶ湯を3泊にすればよかったT^Tです。良い泉質の宿に恵まれた暁には、今後はできるだけ3連泊で過ごしたい。↑滞在中に八甲田山のロープウェイは雪と風で運行停止だった。帰りのバスからは遠くに樹氷が見えて嬉しい。さて、年越え滞在の函館湯の川温泉へ移動。↓酸ヶ湯温泉では浸かるか編むかで日暮らしこれを至福といふ。まったり
2026.03.13
コメント(0)

2026/03/10/火曜日/えええ、雪でした見る見る内にもう5センチばかり積もる間もなく出なくてはならないのだが…2/27に博品館で舞台を観た。新橋寄りのぎりぎり銀座、という場所柄、夜定食のある新橋ととやで5時からご飯待合せミュージカルというよりは歌劇に近い。再生音⁈とは思えないなあと感じていたらちゃんとピアノライブだった。娘からのお誕生日プレゼントが昨年からずれずれで、本作になったのだった。娘よ、有難う(^^)何を指定したか当方も忘れていたくらい出演者ファンの方からしたらとんでもない話韓国で初上演されてヒットしたものの日本版という。歌って踊れる韓国の役者さんは自国に活躍の場がなく、かつては日本に活路を求めていたけれど、隔世の感なり。キャッツなんかに、そんな素晴らしい役者さんがいたもんだ。登場人物二人アーサー・コナン・ドイルとシャーロック著者と、著者が早くシリーズを終わらせたかったシャーロック・ホームズ卿とのやり取りが、ドイルの生い立ちを絡めた心理劇的な構成トリプルキャストなのだけど観たのはこのお二人。コナン・ドイルが若すぎる!若過ぎて人生の葛藤の苦渋を表現するのに苦渋している、という。そういう演出技であろうか。シャーロックは、まあまあカンバーバッチが塗り替えてくれた昨今ではあるから。だけどもう少し上背が欲しいなあ。観客は舞台に魔法を見たいのじゃよ。ほほ。歌は2人とも声量もあるし、よく鍛えられてお稽古を積み重ねていると思った。当日は舞台後に演出家が案内役として出演者2人のトークショーもあるお得な回役者さんたちはユーモアも色気とか爽やかさもあり、さすが舞台の人間かなそんな訳でどうやら私の真後ろに男性が会場内1人だけ?盛んに同行者にオレ場違い?とかぼやいていたけれど笑シャーロックがモリアティと死闘の末、スイスのライヘンバッハの滝に落ちて行く演出、これは素晴らしかった。この滝を娘と2人して訪れたことがある。これは私、母からの成人式、独立お祝いだった。こんな風に滝を思い出すのは感慨深い。日本の滝を知る者としては、えーシャーロックの最後にしてはこの滝ショボいと文句を垂れたなぁ滝まで行くリフトもまばらでさびれ感があった。今はどうだろう。シャーロキアンの聖地ではあるこの辺りは長い洞窟もあって地理的な面白さが楽しめたと記憶する。雪はようやく小降りになった。
2026.03.10
コメント(0)

2026/03/09/月曜日/ほぼ晴れた午前中ならば羽田空港から大きな富士山が見える出発は2月21日、土曜午前2時間半くらいで 奄美空港空港前の降車位置ではレンタカー会場のフリップを持ったドライバーさんが並び、店舗まで運んでくれる。空港の目の前なんだけど。奄美レンタカー、車はニッサン軽よく走ってくれたし、奄美の移動は車なしでは私たちの計画では難しい。到着した日に一番で田中一村美術館に行く。いつかはこの島で一村を観るつもりが、一昨年?都美術館の一村展に行ってしまった。構成としては都美術館の方が圧倒感があった。彼の画業を掘り下げた展示もまたそれでも一村の絵を育んだ場所に、相応しい姿で建物があり、彼を偲ぶようなアプローチが設けられているのは、現地ならでは展覧会の後、ここを訪問する人が増えたときく。これから、という時にあっけなく世を去り生前は誰からも評価されなかった。孤高の画家ではあった。妥協を許さなかった。地元の魚屋さんが彼のスケッチのため魚介を半ば提供した。スケッチしている間に鮮度が落ちて売り物にはならなくなった事をおっとり伝えるご夫婦がビデオの中にいた。ゆるりと眺めて、早めの夕飯を取るまえにビッグツーという、なんでも揃う地元スーパーで、おつまみや黒糖焼酎を物色する。島豆腐高野で食べるつもりが、到着前の1時間前には売り切れごめんT^Tだった仕方なくお惣菜や湯葉やみきを買い、購入した有り合わせをホテルで食べることにこれが意外に大人のチョイス!❶夕飯時のためか、大風呂でゆっくり浸かり、サウナも独占堪能してしまう。❷たまたまだけど。お部屋の斜め前に電子レンジ、自販売機、氷サービスのコーナーがあり、利用快適❸夜に欲張らずの腹八分目は、翌日早目のしっかり朝食を招く。計画もスムーズに運ぶ。↑ホテル朝食には奄美名物?鶏飯鳥だしのお茶漬けご飯、美味しい。モズクも!野菜中心美味しいと言えばみき! めちゃくちゃ美味しい! 黒糖焼酎を少し入れて飲むといよいよ旨い!どうやらお米とさつまいもと白糖∑(゚Д゚)黒糖でいいのになあ、白さの追求?或いは甘酒でもよくない?これが日を追うと酸味が増すらしく。左、高野食品のみきは濃厚で好み。空港でも買えた。都内でフツーに買えないのが残念
2026.03.10
コメント(0)

2026/02/20/金曜日/かなり寒い曇天本日は通しで絵本太功記を観に横浜のKAARTへ出かけた。妹背山婦女庭訓 以来、久しぶりの文楽。国立が閉まったまま、漂流中の東京文楽がこちらで何度か掛かった事は承知だが、我が家からは不便な劇場で足も遠のく。それでも、桐竹勘十郎と吉田玉男が二人揃いで舞台に出るのはこれが最後かもと聞き、一日を文楽に捧げる。絵本太功記を通し、である。11時開演で退けたのは18時演じる方も体力勝負、こちらも算段多い長丁場。休憩時間はMAX30分くらい、次は20分ほど。後は15分くらいか。食べ物、飲み物、混み合いトイレ時間の確保が喫緊の問題なのだ。これらが抜かりなく調和してこそ、安心安全の観劇集中でござります。着物姿のご婦人も、幕間には脱兎の如くホワイエへ飛び出し、立ち姿でシャカシャカとおむすびほうばり、お茶ぐびりとしてたちまち席に戻る。ところでKAARTは中華街が直ぐという立地。それでも流石に幕間の外食はムリ。予め、台南風チマキなんぞを先に仕込みたい。予定どおり、10時には中華街に着いたものの、その時間にチマキを買えるお店は少ない。当初は源豊江でチマキか胡椒餅をゲットする予定が、30分遅い開店時間に変更∑(゚Д゚)調理を考えると開演にギリギリ過ぎる。チマキ専門店は11時オープンΣ(-᷅_-᷄๑)結局、10時から開いていた台湾九份で チマキ750円を買い、温めてもらう。 これが、美味しかった! 昨年の台北で食べたのよりもリッチ。 まあ、値段が3倍から違う。 もっとも台湾でも、ここ中華街でも本当に美味しい、すごくリッチなチマキは端午の節句の頃の2、3週間の期間限定食なのだねえ。もと国立劇場の周囲はお堀とホテル、食に関して両者は比べるべくもない。これは心動く!観劇と食事は手を繋ぐ。場所的には我が家から不便でも、美味しいが付いてくるKAARTに軍配上がります。さて、肝心の舞台素はオペラ仕様な、ビッグな観劇ホール、でも舞台というのは三業さんがきっちり作り上げるものなんだな。トザイ、トーザイが聞こえるともうそこは文楽の世界太夫のみなぎる声の調子にあやつられ、太棹のわななきに乗せられて、人形が人情繰り広げる江戸世界のあやかしへ18世紀末の大阪人が描く太閤さまははあ⁈というくらい美化され、神がかった秀吉それに比して、明智光秀(床本、武智光秀)の苦渋、苦悶とか心の揺れはリアリズムを覚える。何とも憎々しげな信長(春長)と蘭丸の非道振りかつての少女マンガ、今の韓流のご先祖さま的展開と客観しつつ。その仕打ちに耐えに耐えて、主人殺しに向かう光秀の心の内が、額の傷跡後には、頭すげ替えた?と思うほどに人形の顔が変わって見えるマジック本能寺の変の発端プロローグ、太夫や三味線はいつもの床ではなく、舞台の高い場所の格子の向こう、といった構成も、この事件が起きた遠い昔を距離で見せているようで面白い。長左衛門切腹の段は、三業と舞台のスペクトルが、一斉に贖いの死に向けて階段を駆け上がるような勢いと、上に立つものの覚悟を見せて、涙。この勲しに対して、実の母を竹槍で、そうとは知らずとはいえ、刺し殺し、そこへ初陣で若い生命を散らす長男が、父光秀を逃そうと生命からがら姿を現し、祖母と同時に絶命する。光秀の無惨はどうか。その光秀も一介の百姓の竹槍で息絶えるのだどこで響いたか、南無妙法蓮華経の読経の合唱六月十日の尼ヶ崎の段、切の豊竹若太夫と鶴澤清介のコンビの迫力入魂珍しくも待ってました!の声かかる。そうそう、別仕立だった床本が、パンフレットに組み込まれて風情が減少したねえ。
2026.02.20
コメント(0)

2026/02/17/火曜日/寒の戻り出版社 ポプラ社 著者 三浦しをん2007年5月30日 第一刷発行 〈私的読書メーター〉〈出版から20年、亡き咲太夫さんお若い。本書は文楽刊行物連載にして、文楽初心者のハテナに随走してくれる敷居の低さが頼もしい。合わせて取材特権か、京都、大阪、果ては内子座と文楽鑑賞の羨望。世話物が今ひとつな三浦さんと心同じくする私は『桂川連理柵』の登場人物への彼女のツッコミは共感甚大で度々の失笑。そして流石は物書きと唸らされたのが『女殺油地獄』の章。この不可解な人間心理のドラマツルギーはもはやドストエフスキーを凌駕する。あまりに暗くてヤダ!な題材が、なるほどそうか、門左衛門は神さまの場所から人間の哀れを、と。〉歌舞伎は人間が演じるので、私には何とも生々しさが先走るのであります。女殺油地獄なんぞを演じられた日には夢にうなされるが必定。人間の写し身、空っぽの人形が演じてくれればこそ、皮膚一枚下の人間の生身を覗く恐ろしさが昇華されゆく。傀儡ですよねえ、デクノボーです、木偶の坊。ところが、である。とある一刹那、人間の演じる、が背後にさーと下がり、人形が語り、唇を噛み涙を流す。これが人間の技!とはっと気づいた時にはこれがまぁ。元のデクノボー、なのでございます。これが私にとっての文楽至上のヨロコビその刹那、何が起きているかと考えるにこれが太夫の語りと太棹のこんがらがって躍動する波となり、全てが混然となる様と言いますか。そう度々訪れるものではありません。大島さんはそれを 渦 とかや。プラトンの洞窟の影絵の上塗り、影絵が影絵を遣って芝居を打つ意識の明かりがさっと灯れば影は消える、神も消えるこの世の妙を遊ばんとて〜文楽其日庵ソノヒアン先生の『浄瑠璃素人講釈』も読みたくなった。何と先生は夢野久作のお父上ですと!むかしの日本男児は骨も身もあったのぉさて終章、豊竹咲太夫さんに聞くは事の他、味わい深い。鶴澤燕二郎さんが六世燕三になった経緯。痺れたねえ。血、ではないよ スピリッツ、だよお。それが織太夫と組んでばっかり。小住太夫とも、ひとつよろしくお願いします。
2026.02.17
コメント(0)

2026/02/07/土曜日/はつゆき出版社 角川書店著者 脇田晴子平成十三年十月三十一日 初版発行角選書326〈私的読書メーター〉〈学術にかぶいた資料本にて読むに難し。浅学の妾は中世芸能にさんざめく花園の、あの花、この花にふらふらと遊びたはぶれるのでありますよ。天鈿女のストリップショーに河原がどうとどよめく笑い。笑う門の福は予祝なり、ナニ、何事も天土まるく収まりゆく運び。の地点から出雲阿国の近世渡し、女子が小さく硬く萎びてゆく先の最期の徒花か。傀儡に見る山暮らしの、租税戸籍から自由な民と山窩の繋がり仄めかし。国を譲った末裔の声なき抵抗でもあったか能。更級日記読みたいナ、闇きより闇き道にぞ入りぬべき 遙かに照らせ山の端の月、和泉式部非常に魅力的エピソードが満載だ。特に菅原孝標女『更級日記』に記す、足柄山の遊女の歌に対する批評が、この少女の才能を刻印している。菅原一族が任地から京に登る際、山奥の足柄山のふもとに宿を得た。月も星もない暗闇の夜、何処からともなくあそびがやって来て、唐傘を打ち据え歌をうたった。五十、二十、十四、五ばかりのおなご、色白く汚れなき姿と比類なき声が空に澄み渡りめでたく歌った人びとは感動し、「西国の遊女はこうはいかない」と褒めちぎると、すかさず「難波わたりにくらぶれば」と歌で返す。歌い終わると彼女らは、おそろしいまでの山の暗闇に帰って行った。更級日記著者は、幼いながら心に感動を覚え、後にこの事を綴った。それが後段で、能の『山姥』へと華麗に繋がりゆくお筆先、天晴れ。思えば金時山の麓神社では、側の木にヤマガラが人を恐れず泊まって、盛んに歌っていた所に遭遇した事があった。社務の方が言うには、昔はこのヤマガラがおみくじを引いて、占う人の手元にポトリと落としてくれたのだという。中世のあそび女の生まれ変わりか。キツネに騙されることの無くなった我らには中世も神代の昔の如くなり他にも承久の乱が、傀儡から出た白拍子が因縁であったとは!後鳥羽法王が偏愛した伊賀局亀菊。そういえば、小説で読んだ。タイトル忘れ!義経の静御前白拍子の装束が男性装だったのは、そもそもが古代の遊部あそびべ、の系譜を引くという。つまり水干、袴は神事の礼装であって、男女差はない、ということ。神に使える巫女と巫男、二つがあった。昨年の講書始めの儀では、確かこれを裏付ける講義があったと記憶する。これがいつの間にか刀や鉾を持つのは、女に向かない、夫が変わるの風が増え、男装なる言葉が出回る頃には女は神事から遠ざかってしまった。イザイホーは既に失われたが、久高島ノロに古代の日本の神事を見る思いがする。カミは女の口によりまし、男がサニワする。よりましられた女の舞は神事である、と。痩せ細り枯渇しそうな現代にその力を再び黄泉がえさせるもの、汝の名、猿女
2026.02.07
コメント(0)

2026/01/30/金曜日/晴れれぱ温い出版社 中央公論新社著者 楊 双子訳者 三浦裕子2023年4月25日 初版発行2023年9月10日 3刷改版〈私的読書メーター〉〈随分前のリクエスト本、今の関心と少しズレるも乙。百合好みって薔薇と対比されるアレかぁ、こんな完璧な台湾女子登場でほぼほぼライトノベルかな、と読み下しつつも歴史考察深し。初めて台湾旅した30年ほど昔の、暗くて安くて可愛い女子見かけない、日本語話す高齢者ボランティアさん沢山な当時を思い出す。この年月の内に黄昏れた日本とかつて日本だった台湾は半導体の爆進で逆転した。そもそもを思えばねぇ、米国の顔色一つでねぇ、こんな事になっちまって。よし、日本は楽しい鉄道旅のハコとシステム、台湾は駅弁でコンビどうか。〉台湾は好きで、一番通っている外国だ。殆ど外国という気はしないながら。今年は予定が無いけれど、昨年も旅してきた。私の誕生日に、美味しいものを食べに!が、プランだった。↓その時のお土産No.1はコレ美味しいものはとは⁈マンゴー、マンゴスチン食堂の牡蠣のスープ、チマキエビチャーハンお土産は街場の安いパイナップルケーキなので、庶民の慎ましさがほの見えまするT^Tバスで1時間くらい揺られて行った老街と故宮博物館を訪ねたことがまあ、新しいと言えば新しい体験そして、行った先で必ず美味しい発見がある。老街のピーナッツ飴とか台北の中でも一番美味しい胡椒餅とか。客家の薬草スープとかデザートこの本には、さすがな中華食い倒れメニューが煌めく星座のように端然と天球のごとき卓を巡る千鶴子と千鶴の食欲には、グルマン能力の淡い私なんぞは裸足で逃げたくなるけれど、千鶴子の食べ物嗜好は私と近く、共感できた。阿盆師の作った料理は『バベットの晩餐会』を彷彿とさせる。これは強者のためのメニューであって、我ら一般人とは無縁の品々だろう。しかし、本当に旨いものを食べているのは労働をしている健康である旬である地域で採れる、獲れるの条件を満たし、明るく楽しい雰囲気で供される食事なのだ。言葉の通じないお店のおばさんが出してくれた、生の向日葵の種、それだ。ところで、昭和初めに海外に出かけた女流作家と言えば、林芙美子かな?と千鶴子に重ねたら、著者は確かに林芙美子をモデルにしたという。林芙美子はパリ外遊時代に白井晟一が恋人だったことを松濤美術館の展覧会で知った。それは別の話だけど。この本の後ろにはその林芙美子の『愉快なる地図』が紹介されていて心憎い。 あー旅は道連れ、世は情け「飛光よ、飛光、爾に一杯の酒を勧めん」
2026.01.30
コメント(0)

2026/01/26/月曜日/冬に戻りし午後あちらとこちら教える教えられる昨秋、サイチカさんを団長?とするイサガースコーレのワークショップに参加した。その時、すばらしい講座を持ってくださったのがヘレナさん彼女の講座は、編み物初心者、ベテランの混合クラスの皆々に羊毛の発する色とテクスチャーを自然観察を通して、そのハーモニーの発見の仕方、或いはそれぞれの中に潜んでいる、自分の欲する、必要とする色彩バランスを発見させるというものだった。そこには講師と受講者という壁がない。なぜならワークショップの根底にあるのは自分自身の発見であり、他者との優劣ではないのだ。同じ講座を翌月、日本でも体験したが、デンマーク、トベルステッドの風景の中から異なるアイテム異なる色を探す作業が省かれたことは大きな落差であった。自然観察がカギなのである。デザインする心はフラット表現の手法はそれぞれそこにはアマチュアと熟練の差異はあるそれもこれも自身の納得の濃度納得するまでやり切れる、が喜びになれば自ずと先に進む。と信じる。1/29 NHKすてきにハンドメイドで、ヘレナさんが登場!あちらとこちら 願いは来世それでもこの人に先生になってほしい!が長年あって、2年越しのお手紙やメールで承諾してくださったY子さんあれから8年ばかり、私たちサークルを超えて活躍されている姿が眩しい。なぜ先生になってほしかったかといえばそれは統率力でも知力でも芸術的要素でさえもない。すばらしいパーソナリティだから、それだけなのだ。先日私はスマホを忘れ、いろんな経緯の結果その日の内に新たに購入、ドタバタの上で交通系入れたり、何とか翌日仕事に間に合った。しかもトラブルは幾つも重なり…Y子さんが預かってくれていた事をその後知り、心貧しい私は、忘れ物の対処について不平を言ってしまった。翌日、Y子さんはレッスンの後、私の忘れ物一式を私の勤務先駅まで届けてくださった。何となれば、私の家の最寄り駅までも!とのメールY子さんは申し訳なさそうに改札に現れ明日から九州の講座のために不在になるので少しでも早く私に届けたい事を告げられた。↑こんな袋に入れてそんな大切なスマホはいつも側にね対処が不味かった私も側にいさせてねLove is right here.Right is love here.私はそう受け止めた。大袈裟ではなく、今度生まれて来るなら、この方の子どもに生まれたい、と感じた。亡父との確かな距離をY子さんの内側から顕われてくるものに感じ入った。この人の子どもに生まれたい⁈こんな感情を遠い遠い昔にもったことがあるような気がするあちらとこちら諦めることイスラエルは行きたいと考えていた。ガザのイスラエルではなく、古代とかハーブの。そこに行くために深謀遠慮もして、ツレがその旅が嫌なら、私1人でも、と。ところが私の中でそれは諦めてよいに変わった。最近ツレが命虚しくなる夢を見た。それがきっかけなるほど人は死ぬ。ひょっとしてツレは自分より少し早いかもしれない。と。それなら2人が同時に楽しめる旅に時間とお金を使いたい。幽冥境を隔てれば、2人で旅することはできないのだなぁツレに感謝して共に老境を心豊かに過ごしたい。私は少しだけ、ツレに優しくなった。あちらとこちらを考えることで。
2026.01.27
コメント(0)

2026/01/20/火曜日/有馬は雪新年は、函館湯の川で迎え浸かった。わずか2週間を置かずに、三大古湯なる有馬温泉へ太閤の覚えめでたい金泉は、平日にも関わらず観光客が沢山韓国や中国からの観光客も欧米人は草津より少ない印象我らにしては上宿を選んだので、夜は倹約?贅沢な食事を連日食べたくないのも身上。一風呂浴びて予定していた釜めし屋へが、えらい行列。ここは予約が効かない。第二プランの居酒屋へ↓宿の塀を通り抜け、階段を少し降りる。提灯が賑やかに迎えてくれる。これが安くて美味しくて食べたいものが少量頂けてよかった。てっちり、てっさがあるのでフグ好きにはよろしかろうが私は二日酔いが残り…宿の使える二つの風呂の内の一つ幻想的な水桶には天から滝のように間欠水が宿泊者は有馬でかなり古い湯屋、御所坊の半混浴湯が利用できる。経営者の方のコレクションやワインセラーを見ながら、2階のお風呂へ向かう。さく、とろとした湯。ぶくぶくバブルで湯を攪拌男湯が見える所には誰も近寄らず。10分ほど浸かる内に不思議と胃のむかむかは治っていた。宿で1番に入ったのは、大きい浴槽の方で、こちらは車椅子対応の湯船だった。両方に50度設定の蒸し風呂があるので冷えた身体も即刻温まる。加水はしているけれど源泉掛け流し源泉元は二つ、極楽泉と妬泉のようだ。部屋数が少なく、昭和初期の抑えた数奇屋作りで、ほっとできる。団体様がいないのもよい。経営者の趣味らしい家具や、一見ブラウン管のようなTV!玄関左手に外部からも利用できる食堂がある。竃で炊いたご飯の美味しいこと!私は海苔とお漬物とお味噌汁だけでよい。当宿手製の蘇を12色ほど土産に求めた。2週間は持つとのこと。チェックアウトが12時11時までお風呂も遣えるが、居酒屋のご主人に教えてもらい、亀の井ホテルで外湯を利用した。愛宕山泉源有馬温泉の中でも最も濃厚ないわゆる金泉だとか。11時から16時まで1人800円、タオル有料宿泊した宿のさりげないサービスが素晴らしかったので、また行きたくなる。京都駅からも直通バスあり
2026.01.20
コメント(0)

2025/12/24/水曜日/寒い雨のイヴ雨上がりの、先々週日曜、朝から川越の太陽の家という所へ出かけた。最近、酵素玄米なるをよく耳にする。それはなんぞや⁈というわけで、その講習会を開催している施設に事前に予約の上、出かけたのだった。以前、私は平和の圧力鍋に陶器のお釜をいれる式の玄米を炊いていた。もっちりと美味しい玄米だったけれど、圧力鍋がダメになり玄米から遠のいているさて、太陽の家は古い大きな昔造りの建物で、これは食養生研究の末に酵素玄米を発案した長岡勝弥博士の山形のご実家を移築したものという。昔ながらの天井の高い、田の字の空間だけれど室内は床暖房が効いていて十分温かい。↑身土不二は聞いたことあるけれど。色心とは?これが実は大切な考えらしいと後で知る。着席していると、会員の方?が酵素玄米膳を運んでくださる。とても美味しい!一口目には塩分をかなり感じるも、いつの間にか甘さともっちり感が増す。しかし、これが味見程度の量なのだ。うーむもっと食べたい、と思わせる演出か?ワカメのお味噌汁もお漬物も頗る旨し。この風景でこの御膳。宮沢賢治の「一日に玄米四号と味噌と少しの野菜」がまさに実感される。食後ややあって、長岡式酵素健康の会代表の新井氏から小一時間ほどの講座を受けた。大まかに以下のように理解した。色心不二ここでいう色とは、色即是空の色、の由。目に見えるモノやコトをいう。心は目に見えないけれども確実に存在するナニかこれらは全てエネルギーであり、電気の現象である。これらは分かち難く、表裏一体のもの。が、現代の暮らしでは目に見える経済活動であるところの+電子に傾き過ぎて、心に代表される−電子が不足しバランスを崩している。これが心身の不調に現れている、と。そのバランスを調整するには、日々摂取する食事が肝要である。少食粗食であること。また日本人にとって大切な食材は米であり、その栄養分は玄米にある。普通に炊いただけではうまく吸収されない栄養部分を幼児も高齢者も病人も消化吸収できるように工夫されたのが長岡式酵素玄米である。まあ、概ねそんなところだと思う。長岡博士は発案の過程で高橋信次氏からの助言もあったらしく、何やら宗教めいて聞こえるが、前面に現れているのは、心身に良い食事を万人に知らしめたい、との一念であることは理解できた。引き続き台所で炊き方指導に移る。これがまぁ、お茶道の心構えが必要かと思われるほどの手続きを経る。白いA全用紙ほどの紙の上で、計量された一升の玄米の選り分けをする←あらもみをとる基本、生の手が楚材に触れないよう心がける。静電気とか雑菌への不審?でも高圧で100°以上で炊き上がるのだから、うーん。再度計量小豆を計る。半分以上表皮あればOK米と小豆をザルに移し、浄水器の流水で、ゆらゆらとホコリなど洗い流す。ザルから内釜に移す。専用泡立て器で、それを茶筅に見立てるかの如く用いて右回転で攪拌する。更に計量したサンナトリウム塩をやはり少しずつ水に溶かすように入れ込んでゆく。目安としてこんな感じの玄米がゆ状態になれば、ようやく火に掛けられるようになる。外釜の水を忘れないように。また鍋の内側は手入れを怠らず。圧力鍋のコマの回転はゆっくり目火力と炊飯時間の微調整をして、蒸らしまで辿り着くと電気窯の方を温め始める。一升の玄米は一人6日分、1日2食がおすすめらしい。つまり、一人分のご飯としてこの作業を6日に一度、日に一度はご飯の天地返しを行い熟成を促すのだとか。玄米は4日目から食べられる。ふつー?の暮らし向きの私には手に負えそうにない!すごーく美味しいのだけれど、すごーく美味しいにはこれだけの手間ひまと精選の食材と道具が必要なのだ、という事実に深々と頭を下げるのみだった。これら講習は無料である。炊き方指導は新井氏のお嬢さん。このお二人が並んで玄関でお見送りをして下さった姿を見て、私は三島由紀夫の『美しい星』の、地球外の星からやって来たと信じて疑わない聖家族のような父親と娘を思い出していた。何とも地上離れして美しいお二人だった。
2025.12.24
コメント(0)

2025/12/12/金曜日/膝を強打して痛し夜12/10夕方、国立市で東京賢治シュタイナー学校12年生のオイリュトミー公演が開催された。夜のお出かけ、特に昨今のインフルエンザの流行を思うといよいよ億劫なのである。が、立て続けにお能と絵画講座フェイラーで、前のめりに夕陽を見ながら電車乗り換えの移動へ。そして、間違いなくパフォーマンスは素晴らしいものだった。こんなに感動したことは久しい。この公演の始まりは10月4日国内3か所で公開され、更にヨーロッパで、特にドイツの都市を中心に10回も演じられた後の、12/11当日は、これを最期のオオギリ公演だった。いやいや、彼らの殆どが幼児期からオイリュトミー体験はカリキュラムされていてるのだから、10数年前の桜の頃から、この仲間による公演の旅は始まっていた、と言えるのだろう。そも賢治の学校とは何か?鳥山敏子さんが公立小学校で独特なクラス運営と授業展開を始めたことが発端になっている。その骨子には賢治とシュタイナー教育があった。当初は賢治の学校と呼び慣らしていたので、私は未だにツイ、賢治の学校と呼ぶ。シュタイナーのウォルドルフスクールは欧米が多い。最近では台湾でも盛んだ。日本で何とか根付いた全日制の学校も幾つかあるけれど高等部があるのは3校、藤野と京田辺とここ、立川の賢治の学校だけなのだ。ステージはことばのオイリュトミー、音楽オイリュトミーを2度繰り返しひさかたの光のどけき春の日にしづこころなく 花の散るらむードビュッシー「亜麻色の髪の乙女」群舞へ春すぎて 夏来るらし しろたへの衣ほすてふ 天香山ードビュッシー「沈める寺」群舞へあまりに有名な和歌なのに、18歳の伸びやかな声で詠まれるとき、日本語の響きののどかさ、潤い、優雅さが際立ち、日本語に感謝を捧げたいほどだったそのくらい、彼らの朗詠はうつくしい。長靴を履いた猫の本歌取、平安時代?オリジナルメルヘン「笠をかぶった狐」彼らによるプロデュース、なかなかの力作。とにかく12人で回すため、セリフ、効果音など目まぐるしく役が転じる鮮やかさ。狐を演じた男子には、パックを演じている姿を見てみたい、と思った。さて最後のラフマニノフとても完成度が高く、これが世間的には高校生の卒業作品であるとは信じ難く。片時も留まる事なく次から次へと姿を変える建造物を空間に打ち建てるさま。その材料は音楽!建造物は共同体そのもの、全ての12人の。全身全霊で今このときをステージに満たす、立つ、動く。嘘のない全き姿激しく動いたすぐ後の、アカペラ。その歌声に酔いしれて、どこか遠い所へと運ばれるこの若さでなければ成し得ない若さの魅力の全てがそこにあった。どうもありがとうございました。
2025.12.12
コメント(0)

2025/12/1日/月曜日/新宿駅の中央線エスカレーター上下位置が変わっていた!出版社 新潮社著者 三島由紀夫豊穣の海・第四巻新調文庫昭和五十二年十一月三十日 発行平成十五年四月二十五日 三十六刷改版令和元年十一月十日 五十七刷〈私的読書メーター〉〈一つの霊を四人が分け持つ〉ような著者記述を何かで読んだ。その由来は仏教か神道か。古代の超越的に優れた魂が後世の何人かに薄まり宿り、末世には原型を留めぬまで人間の堕落するイメージは、しかし若い頃から直感的に私も覚える。「世界が崩壊に向かってゆくと信ずることは簡単であり、本多が二十歳ならそれを信じもしたろう」に続く三島の人生訓。この4部作は輪廻転生に被せた霊の分割。脇腹の昴三つ星黒子に一つ余りのフェイク、その名も透。例によって三島好み美形男女登壇最期に醜い娘の花冠しおしおと生き延びたるオフィーリアと透の嬰児〉1部で、聡子と清顕の子は堕胎された。身分に上下があり、表札に「平民」なんぞと表記された時代に、やんごとなき宮家につながる血筋の美貌の聡子かたや明治開闢に武勇の功を為した薩摩藩士の孫、不吉なまでに美しい清顕との未生の命港湾の管制塔で働く、中卒孤児の透は本多の養子となり、過剰な教育も容易く受け入れ、やがて着々と自らの領分を増加させてゆく。本多が世間的にも凋落甚だしい中、透の思い通りに向かう豊かな暮らし。そんなときに養子に貰われた理由を知った透は服毒自殺を図るも、盲目となり、生きながらえてしまう。既に呼び寄せていた狂女絹江ははやがて二人の子を宿す。おそらく子は生まれるだろう。それは三島のいう幻の5部作「幸魂」となったのか。二十歳前に死ねなかった透はフェイクであった。という四部作目の主題兵役を免れるため姑息な策を弄した父息子の、その息子、三島由紀夫の今生をフェイク扱いし、浮かばれる来世、もしくは自身の哲学の、その念の中心にある日本的霊性を奉り割腹する。というような感慨をどうしても抱いてしまう。凡人からは狂気じみた思想に奔走した、ように見えてしまう。彼のいう「天皇陛下万歳」が、さっぱり理解できない。『豊饒の海』を読み終えてもなお。「ベナレスでは神聖が汚穢だった。また汚穢が神聖だった。それこそは印度だった。しかし日本では、神聖、美、伝説、詩、それらのものは汚れた敬虔な手で汚されるのではなかった。これらを思う存分汚し、果ては締め殺してしまう人々は、全然敬虔さを欠いた、しかし石鹸でよく洗った、小ぎれいな手をしていたのである。」痛切だ。四部作の60年の年月を生き、その目で観察し記録し、思考した本多は、小ぎれいな手の人物として存在している。その本多にとって「世界がなかなか崩壊しないということこそ、その表面をスケーターのように滑走して生きては死んでゆく人間にとっては、ゆるがせにできない問題だった。氷が割れるとわかっていたら、誰が滑るだろう。また絶対に割れないとわかっていたら、人が失墜することのたのしみは失われるだろう。問題は自分が滑っているあいだ、割れるか割れないかというだけのことであり、本多の滑走時間はすでに限られていた。」のだ。何という乾いた利己的な自己完結的官僚、法の番人の姿の活写であろう。社会人としてスタートした官庁役人暮らしにあって、三島由紀夫は実はまともな精神の持ち主だったのかもしれない。
2025.12.01
コメント(0)

2025/11/25/火曜日/市ヶ谷決起から55年出版社 翰林書房著者 木谷真紀子2007年12月5日 初版第一刷〈私的読書メーター〉〈特殊で異様な幼少年期を過ごした三島にとって中学時代に出会った歌舞伎の目眩く艶やかさは、砂漠を彷徨う旅人が出会った聖烈な一杯の水、彼を生き延びさせたと想像する。「地獄篇」から最後作品「椿説弓張月」まで6作の戯曲が生まれた背景や原作への遡り、また当世事情や風俗、三島の状況などを丹念に収集網羅している。今現在浮遊する国立劇場の、その創立時に歌舞伎復興を期して魂を打ち込まんとした三島の息遣いが感じられる。曰く〈歌舞伎とは魑魅魍魎の世界、その美はまじものの美でなければならず、その醜さには悪魔的蟲惑〉そは沙翁である。〉お能舞台はせいぜい年に一度ほんとはもっと出かけたいのだが、何しろ他にやるべきことが多すぎる。大好きな文楽に至っては、常設劇場が東京にはない!現状である。悲惨やなぁ〜日本文化国立劇場がふらふらしていて、落ち着いて文楽を楽しめる機会が得られず、勢い足が遠ざかる。その問題の国立劇場。この本からは今、封鎖中の国立劇場新設に寄せる三島由紀夫の並々ならぬ熱情が感じられる。今は昔。それは圧倒的に歌舞伎に寄せられたものだけど、読み進むほどに何やら歳月の過ぎ去った、熱の冷えた芝居の残り香を覚えて寂しい。『三島由紀夫の来た夏』にしても、安部公房や寺山修司や唐十郎にしても、あの時代の芝居には何やらすごい勢いがあったのだなぁ。そんな中で今一つ着火されていない芝居、歌舞伎にひとしお愛着を持っていた三島由紀夫が、ぞっこんだった女形の歌右衛門に照射し、歌舞伎ルネサンスを始めたのは戦前からの必然の流れだった。彼のことだからもちろん山気ぷんぷん。ステージのスペクタクルに斬新さは表れた。それが先代の猿之助の舞台に昇華したのだろう。私ですら、二、三回は彼の舞台を観た。どちらかといえばその名を継いだ、不可思議な事件を犯した、あの猿之助が私は好みだったけれど。考えてみれば、『国宝』の驚きのヒットは三島歌舞伎の花道をみる心持ちだ。冒頭、主人公の父親の任侠世界の命の捨て所的な様式美。手を合わせるのは悪魔か鬼か。歌舞伎世界の魑魅魍魎が割合に描けていたではないか。三島由紀夫が嫌ったという太宰治しかし私には同心円の距離を持つ。その名を聞いては何やら穏やかでいられなくなる2人の作家だ。1人は情死、1人はハラキリ後世の人は何やら意味付けを盛んにしているけれど、やはり本当のところは当人にしか、いや当人にも判然とはしないのかもしれない。ただ、『豊饒の海』で大神神社を取材したなら、縄文まで駆け上がっても良かったろうに。10代で欧州美術界に飛び込んだ岡本太郎が、日本のオリジナルを求めて沖縄の御嶽や縄文に辿り着いたこと、官僚から民俗学に進んだ柳田国男しかり、歌人折口信夫しかり、である。そういえば、歌舞伎演目のために沖縄の斎場御嶽にも取材したことを本書で知った。三島が縄文に飛び込んでいたら、もっと豊かな水平線を見出したのではなかろうか、と嘆息。
2025.11.25
コメント(0)

2025/11/24/月曜日/山は晴れ、朝からシカ三頭何となく三島由紀夫まつりを一人でやっている。別に特段のファンというわけでもなく。淡々と。数ヶ月前に予約していた、国立劇場主催の『椿説弓張月』講座を、日にちを間違えてポカしてしまった∑(゚Д゚)ことに気づいた。あーあ、『三島由紀夫と歌舞伎』まで読んで予習をしていたのにねえ〜その補償行動に走ったか。渋谷の映画館に土曜朝9時に駆けつけてしまった。たまたま、渋谷シネマヴェーラで三島由紀夫生誕百年記念映画祭がある事を講座ポカした日に知った。ってすごいタイミングだし。三島の『近代能楽集』から「葵上」と「卒塔婆小町」が当日の1番2番のプログラム。これは次にでも読みたいと考えていた作品だ。おまけに「葵上」の後には根岸監督と中谷美紀さんのトークショーがあるという。「葵上」の舞台は病院の一室。若い妻は病室の寝台で寝ている。これ、原作でもそうなのかしら。夫である若林光、すなわち光源氏を柄本佑が演じる。もちろん、この時点で彼が大河ドラマで光源氏を演じるなんて未来は見えていない。 それって根岸監督のキャスティングセンスが抜群にヒカル…って、なんで稀代の色男が柄本佑なの⁈もっといないのかねえ、知性も品性も備えた貴公子を演じられる俳優が!日本には!ところが中谷美紀演じる六条御息所、六条康子が素晴らしい存在感を放っていた。彼女のあらゆる語り口、所作の美しさの中でも取り分け、手袋を脱ぐ姿の良さに魂消た。テーブルに置かれた黒いレースの手袋は康子が病室を出た後、更に生きているかのように存在感を放つのは根岸監督の手腕か。光が忘れた手袋を手に康子を追いかけ姿を消すと、葵はこと切れる。葵上の真の主人公は六条御息所である。ヨットのシーン、しのつく雨の深夜の病室、康子の登場、うなされる葵の姿、照明の効果がほぼ能舞台のようなワンシーンセットをドラマチックに際立たせていた。時間の経過、天候の具合まで変化させるかのよう。撮影から10年を経て、中谷さんもプライベートの変化を思えばさすがに年月を思わせるのでは?との予想は大きく覆る。本当に美しい!そして知的『近代能楽集』をみなさんもぜひ声に出してみてください、おすすめします とか。映画は監督、スタッフ、役者だけでなく見られることによって完成する とか。彼女の言葉には非常な説得力があった。ザルツブルクに持っていかれるなんて。やはり日本には光源氏はいないのね。『卒塔婆小町』は芸達者なお二人だったけれど、鹿鳴館の舞踏会の花の寺島しのぶが、どう見ても梨園の雰囲気が出過ぎていて、監督としてはそれが狙い目かもしれないけれど。20年前くらいの大竹しのぶならどうだったろう。役者というのは無味無臭で空っぽでなければ役にぴたりと当たることが妨げられるというか。役を離れてそれでも尚社会人、市民として、自身の思考、思想をもつ生活を一方で貫くのは舵取りの難しいものだろうなあ。三島由紀夫は三島由紀夫という役柄を生き抜いたのか、どうか。
2025.11.24
コメント(0)

2025/11/20/木曜日/立冬もトウ立ち出版社 新潮社著者 三島由紀夫豊穣の海・第二巻新調文庫昭和五十二年八月三十日 発行平成十四年十二月五日 四十三刷改版平成十七年十月十五日 五十一刷〈私的読書メーター〉〈奔馬。ケイソウウマなる新語が宮の内側から湧いて著者は草葉の陰から何想う。フォーエバーヤング、おめでとうと脈絡も無し。暁の寺→春の雪→本作と読み来、19の年で繰り返しこの世の命果てるフーガ、フォーエバーヤング。法体系の確固たる建築からはみ出す本多とは別の世界の潮流あり。私はね、この戯作中、最も蔵原を好いていた。国民の究極の幸福、って何ですかと問われ、それはね、…通過の安定ですよ。日本国民とは何ぞや…身を守ることすら知らぬ国民は美しい。いみじくもご本人は未来の話として語り、それを終章に交点させる三島の術よ。〉先日読んだ『三島由紀夫の来た夏』によると、豊饒の海の第一巻『春の雪』は、読者サービス⁈のための書き下ろし。なんですと。三島の一番伝えたい、書きたい事は第二巻の本書である。とのことだ。とにかくサービス精神の旺盛な人であった事は『三島由紀夫の来た夏』によってよく理解できた。同時に、けばい気味の洒落振りはフランスよりもイタリア寄りなんだなとか、そのルネッサンス好みと対比を為す、湿った異様な尖った暗闇。下田の夏と奥まった暗い座敷で祖母と暮らした日々が彼の心身に共存していたのだということ。生前に「『奔馬』を読めば僕のことが分かる」と話していたそうで、なるほど。三島は元大蔵官僚であり、小説とはいえ『神風連史話』を崇める右翼の少年によって、大蔵大臣であった蔵原を誅殺する、という設定は激しい。蔵原のいうインフレの恐ろしさを日本国民は知らない、というのが予言になりませんように。くわばら、ツルカメ。三島は本書のために大神神社でも取材したようだが、大神神社の御神体に感応したならば、果たして勲は荒ぶる神に憑依されるだろうか。私にはこの神は非常に和らいで受け止められる。のだけれど。同時期に取材したという熊本の二つの神社は、私には知る由もないけれど、それらは神風連と関わりがあるという。考えてみると、『春の雪』は命掛けの想い人、恋心に翻弄される清顕の「真心」『奔馬』では、腐敗した政財界を刀で潔斎しようとした勲の思想的「義」満で二十歳になる前に消えた命は、二十歳の前にそれを繰り返す。第三巻『暁の寺』ではジン・ジャンは蛇に噛まれて死ぬ。それらの人物と関わり、ある意味自分の人生を歪めてもひたすら観察する者であった本多が、ジン・ジャンの閨房の秘事を周到に覗き込むという、これは「非礼」なのか、観ることへの執徹の「礼」か。二十歳に到達せずに虚しくなる若い命のリフレイン徴兵を免れるために身体検査を巧んだ二十歳の三島由紀夫の慙愧の念が、幾度生まれ変わっても真の死処を見出さずにおれない、という情念に結んだか。
2025.11.20
コメント(0)

2025/11/14/金曜日/小春日和〈DATA〉出版社 扶桑社著者 横山郁代2010年11月10日 初版第一刷発行〈私的読書メーター〉〈今年は三島由紀夫生誕百年。敗戦を20歳で迎え戦後を25年生きた。大蔵省を辞め文学に生きた年月は、思えばさほど長くない。しかし文筆に留まらず歌舞伎、能楽、映画出演!もの熱量。自刃までの7年間、毎夏下田に逗留し来訪者を歓待し、中学生だった著者らの尾行を巻き楽しんだ文豪。日に焼けた笑顔、白い歯、ただならぬオーラに焦がされ彼女はミシマの衛星のような人生を生きる。往年の港町下田、船乗りや酒場の女たち、文化や芝居を愛する風土。時代とその盛夏の饗宴の主人公、三島が世界一と喜んだマドレーヌの洋菓子店の娘さんが著者である。〉読後に俄然、下田に行きたくなる。尤も今現在の下田ではない。ミシマが度々訪ねて心から解放されていた時代の下田に行きたいのである。港町の夜の顔、朝の顔、マドロスさん、劇場、新し物好き、洋行帰り、伊勢海老、海の幸、避寒地、明るい顔。年寄り、子ども、お祭りわっしょい。何といっても美しい海、海越しに見える富士。伊豆というのは中々興味深い地域だ。土地の名の響きも興趣が湧く。出雲、伊勢、伊豆。イズモ、イセ、イズラーン、クルッツ、クルッツ伊賀、伊予、五十鈴イガ、イヨ、イスズクルッツ、クルッツ、ラーン著者の名前、郁代を三島は誉めたという。馥郁の郁、の字かな?と問われ、高校生の彼女はフクイクを文字変換出来なかった。郁の字は三島好みなのだとか。小説に登場する女性によく与えたらしい。著者は郁の名を持つ小説を軒並み調べ上げ、読み込む。天晴れ。娘の名はたいてい親が与える。洋菓子店にいつも立っているのは著者の母、である。娘時代から文学好きだった。三島は家族のいる時は大抵、外で待たせて「来ましたよおー」と朗らかに店内に入って来た。1人の時は両手にお菓子の紙袋をずしりとぶら下げ、逗留先のホテルまで長い上り坂を歩いて帰った。「また来年も来ますねー」と明るく下田を去る三島が、昭和45年の夏。「僕はこれからとても忙しくなるので来年は来られません。でも家族はここに来ますからそのときはよろしくね。どうぞお体を大切に。お元気で」と著者のお母さんに告げる。とても心揺さぶられるミシマの挨拶だ。何と正直な。美しい嘘をまぶした真実であることか。私は固く信じるのだけれど、著者のお母さんと三島由紀夫は一つの琴線で感応しあっていたのだ。文学好きな少女の、文学への憧憬の綺羅きらしいほそい糸の輝きを三島は認めたのだ。彼は感応の天才だ。著者とお母さんに何度も逗留先に遊びにいらっしゃいと三島は応接してくれたという。下田の人の中には訪ねて行った人もいくたりかあったが、お母さんはいつも遠慮されて写真を共に撮る事もなかった。著者は吉田松蔭と三島由紀夫と昭和天皇をつなぐ下田の海について述べる。松蔭の海は密航という「命懸けの海」三島由紀夫の海は「心象風景の海」ひたすら眺め、感じ、深く入ってゆく小説の源流だった。…海は三島さんの繊細すぎる神経に太陽という最高の処方箋を与えた。昭和天皇に置かれては「海洋生物の研究の海」だった。ここに御用邸を望まれたのも、下田の海が気に入られたからという。須崎御用邸は昭和46年に完成した。ーその前年に三島由紀夫は自決したのか著者生家の日清堂菓子店は祖父の代、父の代に昭和天皇と貞明皇后に生菓子を献上したという。下田に御巡幸の折には、昭和天皇に直接、生菓子をお渡ししたという。敗戦後間も無くは、皇室と市民はそんなにも距離が近かった。昭和天皇は「朝早くからごくろうさま」と労ってくださった。父は沖縄戦を戦ったので、「沖縄でご奉公して参りました」と心の中で言って陛下のお顔を見つめると、涙が溢れそうになったという。「天皇という人は、とてもなつかしい、亡くなった祖父に会うような感覚のお人だよ」と言っていた。著者のお父さんもお母さん同様に、招集され沖縄戦の事を決して陛下の前で口には出さなかった。しかし、その目を見つめれば、お互い通う心が確かにあるのだ。日本人はそのように心をつなげて生きてきたように思う。この本には懐かしくなるような日本の市井のひとがたくさん登場する。原爆投下を正当化した米国人男性に啖呵を切る著者は男前だ。港町の女はこうでなくっちゃ。
2025.11.14
コメント(0)

2025/11/5/水曜日/晴れ、秋短し読んだのは秋分の頃なので、デンマーク行きの前となるのか、記録に至るまで随分時間が経過した。〈DATA〉 出版社 新調社 著者 三島由紀夫 豊穣の海・第一巻新調文庫 昭和五十二年七月三十日 発行 平成十四年十月十五日 五十四刷改版 平成二十七年二月二十日 八十一刷 〈私的読書メーター〉〈『暁の寺』からこちらへ。庭に造作された滝に引っかかり絶命した黒い野犬と宮家も招客となる豪邸での観桜会の落差で幕は開いた。登場者はまるで焼けた靴を履かされたように生命尽きるまで踊らねばならぬ。過剰なほどの振れ幅と風景や心象の描写の夥しいトリルに惑わされ、舞台を観る読書子も共に揺さぶられ続ける。シャムの王子らと過ごした鎌倉の海辺の夜の美しさ。しかしそこにも奈落が仕掛けられ、いよいよ非業の美が若さを逆巻く波のごとく駆逐する。若さの絶頂で本田の分別の傍観者役割よ、欲望に焼かれて尚毅然と立つ聡子の益荒男ぶりよ。〉尼寺へ行けとハムレットに再三言われたオフィーリアは、ハムレットの態度の急変から神経の平衡を病み、ついには花に縁取られ黄泉の国へ渡ってしまった。2人はかつて甘やかな恋を分ちあっていた。聡子と清顕はこれはどうであったのか。2人もまた幼馴染だった。思春期を過ぎ、ぎくしゃくとするが、やはり、骨の骨、肉の肉、鏡合わせなのだ。清顕は、不吉感さえ漂わせる美少年であり、年端も至らぬ頃に見た皇太子妃のうなじに美を感得するような唯美至上主義者である。年上の聡子はその名の通り聡明で美貌の女性である。序盤、年長の聡子の方が清顕に傾く。2人の間に交わされる手紙。それがまるで意思を持つかのように2人を翻弄し、波頭のマックスから奈落へ、2人の運命を弄ぶ。運命。。。万事がしどけない清顕ではあるが、終局聡子への一途な恋焦がれでとうとう身を儚くする。聡子は自らの決断で尼寺に行く。そしてがんとして清顕にその姿を現さない。不思議は、全くもって常識の人、本多が受験を目前にして清顕を救いに奈良まで旅する場面だ。それは友情なんぞとは言えない。見る、という運命に現実的、合理的な彼が身を投げ出す、そのことで清顕の輪廻転生に絡む縦の糸になる。本多もまた美に、否、美を見ることに貪欲な人、なのだ。清顕は美を生きた人。聡子は束の間美に生きたが、清顕は死を持って永遠に美に生きたのだ。清顕はある意味宗教的であり、聡子は尼寺に赴きながらも人間の業というものを見せる、と私には感じられるのである。
2025.11.05
コメント(0)

2026/1月14/水曜日/晴れのち快晴やれ、もう昨年のこと(@_@)雨のち秋来る風情の10月末に2泊3日の初めての草津温泉この湯量は半端ではない。側に寄ると硫黄臭が強い。が離れるとそこまでは感じない。恐山ではその寺領に入る前に、窓を閉めていた車両内で、むわっとイオウに襲われたけれど。当地へは東京駅前の長距離バスを利用これが一番便利らしく。10月末の草津は既に紅葉も始まっていた。バスは途中伊香保温泉にも停車する。初日は雨降りで、とりあえず荷物を宿に預け、草津町中を訪ね、共同湯を目指す。温泉に縁のある寺社に、先ずはご挨拶白旗の湯のつもりが大滝の湯へ。え!宿にも湯畑源泉掛け流しがあるのに施設利用が1200円ですと!ぽちゃんと入るだけでは勿体無いので、夕飯の少し前までこちらでじんわり、に予定変更。異なる源泉2つを誘導しているらしい。湯滝と湯船で源泉が違うと聞いたけど。これから4時間半ほど新宿バスタに向かうのが惜しいほどに、初日、2日目と冷たい雨が続いた。驚きの湯量が湯畑を轟かせていた。さすがの連続日本一の温泉処。海外からのお客さんはそれほど多くない。湯温高めの草津だからだろうか。旅行者が入れる共同湯は3ヶ所プラス一つ?プラス一つは共同湯で地元の方から伺った。
2025.10.28
コメント(0)

2025/10/24/金曜日/霜月感の10月↑夜間飛行を待つ間、充電を済ませておく。ついでに木村屋の焼きカレーパン、マカロン、焼きそば、コーヒー、ぱくぱく。この時間だとラウンジも混雑無しの羽田第3ターミナルあら、もう帰って来ちゃったよ?ほんとに行ったんだっけ⁈みたいな、時空間歪み?やたら機内滞留の長い8日間ではあった10/6〜13↑ヘルシンキはハブ空港ロシアがウクライナに侵攻する前は、確か飛行時間は7時間くらい?日本から一番近いヨーロッパと言われていたヘルシンキも今回は13時間弱!昨年のKLM利用の方がデンマークには近い印象を持った。夜間飛行ではあっても眠れない。編み物セットを持ち込んではみたけれど、夜間シフトの暗がりが老眼を悩ます。↑あーあーこの色の配置配色、ニットパレットに加えたい。翼よ、我らは北極点を見る。そんな時のための映画、である。お、観たいかな?の「コンクラーベ」が心掴まれながらも、出来の悪いとうもろこしみたいに幾つか寝落ちでシーンが飛んでしまった。それで、復路も見てしまった。特にしっかり観たいと思ったのが、ローレンスが自名投票券を壺に落とすシーン。天窓の劇的な破裂落下共時性の瞬光のワンシーン壺中居の矛盾を鋭く諭す西欧の厳父なる神の轟だ。そこに見られる監督の明瞭な意図すなわち〈眼前で何が起きているのかを個人の正義の埒を超えて見よ、認識せよ〉カメラの目とはそういうことでもあるのだろう。監督の意図に引っ張られ、ドキュメンタリーを見ているような印象を持つのである。監督の目→カメラの目→観客の目↓主人公ローレンス役はレイフ・ファインズ/王立演劇学校→ロイヤルシェイクスピアカンパニー。威風堂々のキャリアスタート。どの教皇候補も帯に短し襷に長しと思いつつも、前教皇の改革を退化させてはならぬ思い故、有力な候補者に投票し続けるローレンス。自身はバチカンからは退いて小さな村の教会に赴きたい心情であった。それが何故⁈コンクラーベが長引くほどに凄まじい権力闘争の背景や教皇候補の人間剥き出しの姿を見せつけられ、とうとう投票券にヨハネとでも書くか、と自嘲するに至るローレンスであったはずが何故!彼はついに投票券にローレンスと記入するのである。神はまるでそれを引き裂くような憐れみでローレンスの過ちを裁断した。世間的にはイスラム過激派の自爆テロではあった。が、この出来事の本質を唯一、言葉に置き換えることができたのは、あたかももう一人いた!的な存在者、ベニテス枢機卿。メキシコ出身のカルロ・ディアスが演じた。彼は俳優であり建築家!おおヨゼフよイエスよ。先住民の血を濃厚に漂わせる風貌は、中東の人にも通うものがあり、イエスが生きた時代の人物像に近いのでは?と怪しむ。人種性別を超えたというか全てを含んだその存在を彼のアピアランスが説得力を与えるのだ。彼に限らず、それぞれの人物像に対して適材適所という点で見事な作品である。その彼の独白は、心に響く。戦争はどこにあるか、ここにあるのだ、とハートの場所を押さえる。私はならば問い、応じたい。平和は神はどこにあるのだ、やはりここにあるのだ。とハートを押さえたい。それを確認したくて、やれやれ往復観た。
2025.10.24
コメント(0)

2025/10/16/木曜日/雨がち晩秋そういえば、近年稀に見る実写版ヒット上映作品「国宝」を観たのは公開6/6から間もない6/17ヒットの背景には理由がある。はず。朝日新聞連載からほど無く公開の広告効果?文壇1番のハンサム?文士、吉田修一配役がハマる吉沢亮と横浜流星という美男の流れ美しいものが見たい要求!脇を固めるベテランがさもさも憶測を呼ぶ配役。渡辺謙、田中泯、永瀬正敏、寺島しのぶ役なの実生活なの、ほんとはどうなのを知りたい!「フラガール」で細やかな感情を掬い取った李 相日(イ・サンイル)なる在日監督が歌舞伎の世界にどう取り組むのか。概念化しうるのか、我らは特殊か。周囲のアジア系風貌の人の何割かが確実に多言語を普通に話す今日の日本で!などなど関心のうずき所は随所にあった。さて。映画は私には非常に几帳面でそれ故にやや古臭いアングル、カット、編集であると先ず感じた。尤もその手法が時代背景に馴染むのであり、今や多民族国家日本の先住民には多少の郷愁を誘うものであり、鑑賞は感傷と同音異義、なんぞと。濃厚な、才能豊かな配役が畳みかける映画の中にあって、儚げでいて強かで、感情豊かでありながら将来を見越した計算高さも見せる高畑充希。彼女は素晴らしい。身体、表情、仕草から発する全てのニュアンスにおいて最上級の役者である。裏主役である。国際舞台で彼女のように振る舞えば、ナントカ生き延びやしないかニッポン、みたいな監督のメッセージさえ受け取ってしまった。私は。組の内紛で、雪舞う中を弾き持つ輩に刀剣で立ち向かう父親の孤独な唐草モンモン。唐突にキラキラとした輝きが主人公の瞼に焼き付けられる。父の酷い死を前にしてさえ、名状し難い美に襲われたのである。そのデモーニュッシュな力が彼を人間国宝へと押し上げる。彼はただ、もう一度でいいからあのキラキラを身体ごと覚えたいのだ。どんなに犠牲を払っても。芸の道ならばそれは許されるみちおのサクリファイス
2025.10.16
コメント(0)

2025/10/14/火曜日/秋、寒露↓一目惚れしたクロシェちゃんとくまタンRed Cross Shop/Tannisbugtvej 44, 9881 Bindslev, デンマークのっぽのサリーはおパンツのまま、早くナントカ!と思っていたのが梅雨の頃。「梅雨がないまま、連日暑くおまけに台風接近のジメジメがたまらぬ。課題に追われる棒針入門コースと並行しながら、月イチのN先生クラスもやって来る。合わせて週一のオイリュトミーレッスン!それに仕事。ツメ過ぎΣ(゚д゚lll)コロナの反動か、旅心も騒がしい。5月は松本と台湾、6月は尾瀬、末には東北も予定。これに日帰りのお出かけも加わる。合間に青梅、梅干し、甘酒何が犠牲になるかといえば読書、である。めっきり本が読めないなあ。」なんて呟いていたら、8月にタイ、10月に入ってどどど〜んとデンマーク行き。一体今年はナニ⁈帰る頃は少し涼しいかも、と昨年イサガージャパンなワークショップで編んだスワッチをケープ代わりに掛けて出かけた。糸始末もしてない(>人<;)とりあえずの日々が続く昨日夕方の帰国で、ぼんやりだるだる。しかし本日ニットのクラスの新たなスタートなのだ。お蕎麦食べてがんばる
2025.10.14
コメント(0)

2025/10/05/日曜日/曇りのち晴れ26時間滞在の京都でもっとも期待されたのが、早朝の竹林の散歩だった。なぜかこの2ヶ月ばかりずっと竹林の道に恋焦がれて、海を懐かしむ貝殻の心地だった。6時15分頃ホテルをでたのだが、もっと早く出るべきだった。外はこんなに明るい。円町からは何と3駅目。市中にいると遠いイメージの嵯峨野嵐山も円町からは8分ほど。渋滞もない。下車すると、勝手知ったるかのごとく欧米系観光客方が、すごい勢いで運命づけられたように一つの場所へと急ぐ。は、はーんと尾行する私。あっという間に竹林の入り口へ身体の芯が静寂の音を知る感覚。汚れのない真っ直ぐな青のトンネルを歩く感覚8月にタイで歩いたヘルファイヤーパスの重さが払われるような、禊の感覚↓20250810あの道はこの道へ私を運んで、深呼吸させてくれたのだなあ。↓20250810質問に答えてガンジーが言った。平和への道などというものはない。平和こそが道なんだ。↓20250810どこかに通じてる大道を僕は歩いてゐるのぢやない僕の前に道はない僕の後ろに道は出來る高村光太郎「道程」から私も私の足で一歩ずつ平安の足跡になる道を歩くのだ。
2025.10.05
コメント(0)

2025/10/04/土曜日/秋雨コノシマニマスアマテルミタマ神社、通称はコノシマ神社、を辞してほぼ真西、広隆寺の弥勒菩薩さまに会いに行く。久しぶりに訪れると、かつては吹きさらしの粗末な納屋のような場所に陳列されていたと記憶する、仏様方が、豪奢な宝物館に安置されておられた。私はかつて、を愛する。弥勒菩薩像が、ここに来訪したヤスパースというドイツ哲学者から、人間実存の最高の姿と称された紹介も掲げられていたことも記憶に鮮やかだ。この菩薩を愛してやまない若者が菩薩に抱きついて指を折られた逸話などを父が万感込めて話してくれたことも懐かしい。真言オンマイタレイヤソワカ御マイトレーヤだろうか。オンはアウムだろうか。マイトレーヤとは弥勒菩薩の原語と思われる。ソワカ?よく聞くけど何だろう。検索。成就されますように、の意だという。一切の穢れを払うこのふくよかな微笑の先にある深い思考の姿。有難い。オンマイタレイヤソワカ。↑聖徳太子と大日如来の扁額も。地名太秦には秦の字があるように、ここは渡来人秦氏の開拓した土地だ。コノシマ神社との由来を寺務所で尋ねるとなんと!電話で上の方に繋いでくださった。女性だった。その方は神社との由来と聞いて、大酒神社との習合を説明して下さるが、私はコノシマ神社の案内板で、この神社がユダヤ由来であると表記されていたことについて尋ねたのだった。両社は秦氏建立だ。お寺では、そのような記載は現存しうる過去からの資料に全く触れられてない、ときっぱり仰った。清々しい認識で、寺の持つ清潔さが伺われた。通りすがりの観光客の一人にすぎない私にさえ、丁寧な対応である。それでも気になる蛇塚古墳。地図を見てほー。コノシマ神社、大酒神社、広隆寺は東西一直線に並び蛇塚古墳のウシトラすなわち鬼門に広隆寺が配置されてある。小住宅の並ぶ細道に忽然と現れる。剥き出しになった石舞台らしき大岩の構造物。鍵穴の穴だけを残して周囲は丸く細道で縁取られ日本で4番目の大きさの石舞台古墳であった事が記される。7世紀に五つの指に入ろうかという豪族の墓なのである。わずか40年前、人家は今よりは大きい規格で、かつての前方後円墳に沿って配置されていた。今を生きているものに利用されるが道理。朝刊の斉藤美奈子、旅する文学コラムは京都編「古都特有の閉塞感と排他性」それそれ!これこそ文化骨頂の羊水にして揺籃。その典型をこの地に垣間見る。岩を割いて、樹木は空へ最寄り駅まで歩いて12分。2駅目が円町。良い場所にホテルを得たもの。
2025.10.04
コメント(0)

2025/10/03/金曜日/蚊が元気な秋の始まり概ね、行きつけの二軒の蕎麦屋をローテーションして、暑い夏をやり過ごす。しかし、いつもの蕎麦にも小さな、鮮やかな変化はあるのだった。この2ヶ月はふじやで夏新そばにありつけた。相変わらず私好みの コシが強い中細の、スキッとした旨さ。でも時々冷水シメがゆるい時も-_-b蕎麦湯がぬるい時も( ̄^ ̄)初訪問は5軒♪◼️手打ち 如月 徳荒川区 町屋十割蕎麦と炊き込みご飯セット 1050円お腹が空き過ぎてご飯も。炊き込みご飯を蕎麦湯で薄めたツユと頂くのは好ましい。清潔で蕎麦もツユも文句は無い。優等生的なお蕎麦やさん◼️ 手打ちそば処 久霧大宮市これはびっくり!とても美味しいお蕎麦屋さん近所ならば毎日でも通いたい。そばがきがある、というのは私にとって蕎麦の良心があるのに等しい。しかもそれが頗る旨い!十割蕎麦と粗挽き、そばがきの3点セットあじくらべ値段を失念、1500円くらい?こんなに食べて!店主の心意気が見える蕎麦やさん◼️ 手打そば 奥藤本店 国母店甲府市甲府といえばほうとう小麦文化が根強いが、山の方へ行けばやはり蕎麦中心、とはいえ蕎麦はほぼ二八。でも蕎麦屋に必ずあるのが県民食のトリモツ。モツは苦手なのだが、なぜかこれだけは食べられる。二八とも相性が良い。ご飯も付いた蕎麦定食、甲府鳥もつ定食1400円◼️ 安曇野そば処 双葉安曇野双葉セット 1650円半天丼とせいろに刺身こんにゃく、お漬物。信州のお漬物の美味しさは天才である!刺身こんにゃくも実にすずしい。それに別途ニジマスの円ツブラあげ残念ながら蕎麦は二八新そばシーズン時には十割も打つとのこと。ツユは良い鰹節を引いてるのが分かる。山岳美術館後に立ち寄る。◼️ 㐂道庵神田神保町自家製分。客の回転良く、働くおばさま方が元気あふれる。ヒキタテウチタテウデタテッ!てなノリです。が、二八なんだなぁもり680円、えーじゃないか。今夏も美味しいお蕎麦をみなさま有難うございます!
2025.10.03
コメント(0)

2025/10/02/木曜日/朝夕は秋らしくあるべきやうは、の明恵上人の言葉はさすがに現代の思考からは乖離があるなぁと思いながら、市バス26号に乗る。円町エンマチに程近い御室オムロに所用があり、京都に出向いたが、円町のビジネスホテルはJRもバス停も至近、エアコンがうるさくてオフにしないと眠れなかった以外は清潔で便利でお得だった。せっかくなので円町を中心に関心の向く所を探してみる。嵯峨野の竹林は外せない、というか、ここ3ヶ月ばかり竹林の空気が吸いたくてたまらぬ〜という焦燥感に駆られていたのだった。所用は後から付いて来た。なんと。どうせ観光客でごった返すのだから、寺は入れなくてもどうでもよろしい、明日の朝一番で竹林を目指す。円町からは何と!6分で嵯峨嵐山駅に着くのだ。円町を中心に地図を眺めていると、木嶋坐天照御魂神社という社名が。天照大神アマテラスオオミカミではなくアマテルミタマ。男神だろうか?予備知識もないまま、黒橋バス停から少し西南方向に歩くと鬱蒼とした樹木がやや荒れ気味に茂るままになっている区画が塀に囲まれている。キジマニイマスと手前読みしたら、コノシマニマスだった。コノシマは此のシマ?島?やはり御祭神は天照大神ではなく、性の区別もない造化三神の初めの神、アメノミナカヌシと他4柱。しかし延喜式内社にアメノミナカヌシを祀る神社は存在しない。この神に注目が集められるのは江戸時代後期の平田篤胤を待たなくてはならない。広隆寺創建と関わるのであれば、秦河勝の時代だろうか。秦氏の技である、機織り。美しい絹織物で宮廷人を綺羅綺羅しく艶やかに演出したことによる莫大な富の集積を想像する。大いに勢力を得、平安京への道を築いた。蚕の社もある。道理。ところで皇后の養蚕は明治になってからと始まったと聞く。そんな古式めいたことを近代化明治に新たなしきたりとしたのは何の謂れだろうか。元糺の森ならぬ元糺の池、もある。元は湧水だった。いつ枯れたのだろう?下鴨に撰した、とあるが泉が枯れて撰したのは、御祭神か禊神事か。御祭神の空席をアメノミナカヌシが埋めたのか。下鴨神社御祭神、賀茂建角身命カモタケツヌミノミコトが初めはコノシマニに鎮座していた?撰した先で秦は鴨になった?しかし一般的には、下鴨神社の方が歴史は古いと言われている筈だ。興味は尽きない。社務所はあれど、お守り朱印などは無し。観光神社となることを拒絶する姿は好ましい。枯れた池の中に現れる石製三柱鳥居これとよく似た鳥居が露伴の蝸牛庵があった向島の三囲神社ミメグリジンジャにもあった。三井の江戸での家社で、本拠地京都のこのしま神社の三柱鳥居を写した。その事実はこのしま神社には掲示がなく、三井家の歴史から伺える。神社敷地の西南にはお稲荷さまらしき祠が東面して鎮まる。大国御霊も祀る。大国主命だとしたら出雲系への崇敬もあるのか、或いは供養祈祷をしているのか。
2025.10.02
コメント(0)

2025/09/27/土曜日/夏の戻り昨日8:21新横浜発のひかり503で京都駅下車、山陰線円町のビジネスホテルにともかくも荷物を預けバス停へ。ふと横を見れば目的のJRバスが∑(゚Д゚)これを逃すと30分以上待つことになる!バスと一緒に走り、駆け込み乗車。なんと午前の内に、栂尾高山寺に辿り着いていた。慣れない山陰線利用、おまけにホテルを探し荷物を預け、バス停を探す、などの手続きが無ければ、もっと早く辿り着いたかもしれない。金曜日のせいか不便な場所ゆえか、観光客は私を含め3.4名の静かさである。創設は案内によれば774年。平安京よりも20年も早い。いつの間にか荒ぶれていたろう当地を明恵上人が後鳥羽上皇の肝煎で1206年、鎌倉幕府成立後間も無く、華厳宗の修行学問所として再興した。寺領内の建物の内、奇跡的に当時の、すなわち鎌倉時代初期の寝殿風住宅建築、石水院が今に伝わる。後鳥羽院の賀茂別院を移築したのだとか。国宝である。撮影はできない。ばちばちスマホ撮影している女性もいたが。上人愛玩の子犬の像が愛らしいが、石水院に渡って直ぐの、一間に置かれた善財童子像が実に実に素晴らしい。鎌倉時代の仏師の力量に目を見張る思い。やはり、その場に身を置いて知ることは多々ある。樹上で瞑想する上人の姿、国宝「紙本著色明恵上人像」には鳥やリスが描かれているそうだが、どんなに眺めても鳥1羽しか認められない。次回の宿題か?明恵上人の事は河合隼雄を通して知った。寺は鳥獣戯画であまりにも有名だが、私にとっては明恵上人の夢日記の関心が今もって高い。栄西から茶の種を分けてもらい、この地で茶の木を育て茶道普及にも大いなる影響を残した。昨今では、上人と聖フランシスコとの共通点を思う人びとの尽力で宗教を超えてフランシスコ会とのブラザーフッドが結ばれたのだとか!河合隼雄の夢⁇かつて確かに明恵上人なる優れた方がこの場所に暮らし、そしてこの世を離れられたということをしみじみ味わいながら山道を歩く。上人は北山杉を背まくらとしておられた。美しい廟である。
2025.09.27
コメント(0)

2025/09/25/木曜日/30度以下なら過ごしやすい5日ばかり留守にしていた自宅玄関前におびただしい羽毛の中にこんもりと横たわる鳩の遺骸ドアの真ん前、ど真ん中その位置があまりに出来過ぎ猛禽類が家前の林に棲んでるとはツユにも知らぬ。見上げれば2階の玄関真上ガラス面に鳩横向きシルエットがくっきりと転写されている。これは何事ぞ。何かに追われたか。援けを求めて戸口を叩いたか。翌朝出かけた先の神田川の橋の欄干に、1羽の鳩が止まっていた。近づいても逃げない。心の中で、お前さんのお仲間が昨日酷い死に方をしていた。あんたはよく気をつけて長生きしなさいね。と語りかける。鳩は豆鉄砲を喰らったように、まん丸く見開いた目のフチを赤くして、白目の中にグレーな点を灯し耳を傾けている風情何となしほろりとする。ででっぽでっぽ。〈DATA〉出版社 新調社著者 三島由紀夫新調文庫昭和五十二年十月三十日 発行平成十四年十一月十五日 四十二刷改版平成十七年十月十五日 四十九刷〈私的読書メーター〉〈穏当に読むなら『春の雪』からなのだろうけれど「豊饒の海」全体が輪廻転生のテーマを持つのであれば、自由なアクセスが許されるはず。文頭から引き込まれた。何といっても文の巧みさが読み手を離さない。中年クライシスの手前辺りか、語り手の本多は、小乗仏教タイに身を開いて大乗仏教の哲学を苦悶していた。自分は日本人の生まれ変わりと泣き叫ぶ月光姫と敗戦後の日本で再会する後半部。老醜を晒す本多の、谷崎潤一郎ばりの展開と見事に成長した月光姫の生命の横溢。奈落の底には水か炎か。投じられたエメラルドの指輪は本多にとり秘仏に等しい。〉読み終えてひと月ばかり過ぎた。三島の事件後、読んだと思われる豊饒の海について、或いは輪廻転生について或いは阿頼耶識、末那識について亡父が話してくれたことを時々、夢の形見のように思い出す。人が死ぬとはどういうことだろうか。冗談を言う前の、鼻の周囲に浮かぶ密やかな笑い、そんな父の表情が鮮やかに蘇るとき、父は当にここにいる、のだ。ところが現実世界ではその姿は求められない。意識の世界ではありありと像を結ぶのだが。月光姫の脇腹の3つ並んだ黒子も意識と現実の行き来をするかのようだ。この黒子はオリオンの三つ星の隠喩なのだろうか。
2025.09.25
コメント(0)

2025/09/21日/日曜日/山から降りてまた山に◼️8/3 加賀井の湯夏がどんどん暑くなっていく。比例するかのように源泉掛け流しへと足繁くなる。のかどうか。かなりディープな日帰り温泉を訪ねた。松代温泉郷の一角にある加賀井の湯。温泉が目的、の日は浅けれど、私が浸かった湯の中でも、大地からのパワーというか賜物というか、泉質の次元が異なる濃厚さを覚えたのは増富温泉と恐山温泉とここのお湯。今のところ三大関か。入湯前に管理人の方から説明事項を受ける。内湯は別だが、露天風呂は混浴なので、女性は外では必ず湯浴み衣着用のこと⁈大丈夫、当店にて購入可能。撮影不可。混浴露天風呂があり、かつ湯治場なのであるから当然の理だと思う。源泉は内湯のすぐ脇で、とにかくフレッシュな湯である。そのため、10米はある湯船の下手で掛け湯をした後、徐々に湯本に移動するよう求められる!湯から排出される鉱物が堆積して、複雑な紋様と色彩のアートが床一面に展開されている。そんなに熱くない。と記憶。42度前後?露天風呂は38度くらいで、ずーっと寝ているおじさんがいた。内湯と泉質が異なるのではというくらい色も温度も当たりも違う。住宅地にありながら秘湯感満載。また夏に寄りたいもの
2025.09.21
コメント(0)

2025/09/013/土曜日/今朝方つよい雨◼️8/12 ピン川のほとりカンペンペットに行ったらこのレストランは外せない、という人気のお店がある。バーンリムナァム 川辺の食堂、の意味らしい。席に着いた頃にはもう日は沈んで、空と川の色が暮色に包まれ始めていた。食堂に集う人びとはみな、ゆったりとこの場所を占め、確かに心ここに居りて、食事を風景を、それらのまとまりを楽しんでいることが見て取れる。この立派な食堂はかつては辺鄙な小さな賄い屋であったと聞く。ただそこの女主人は地元の、昔からある健康な食材を用いてみんなが喜ぶ一皿を、日々工夫し素晴らしいレシピを考案した。↓彼女を見ていると私はなぜか涙ぐむその女主人は82歳の素晴らしく可愛いらしい控えめでたおやかな女性だ。若い頃はさぞや男性陣にプロポーズされたことでしょう?と尋ねると、昔は若い娘は屋外に出る事は殆ど無かったそうだ。美しさの秘訣は若い頃から手作りしているパック! なのだという。 何でもマンゴスチンの外皮の内側を干して粉にし、ココナッツミルクと混ぜたものを長く愛用とか。そして今でも新しい料理を試作している。↑食堂に行けばマストの一皿、マヨネーズチキンこれが人気だけれど、供されるオリジナルは殆ど彼女が作り出したもの。そんな彼女は、結婚して家計を助けるためか未亡人となったか。若い娘では外に出られない時代に、近所の食堂で働き始める。そこで料理のノウハウを学び、料理を提供する喜びに目覚めたのだろうか。時が来て、自分で小さなお店を始めた。それを子どもたちが支え、お婿さんたちも、孫たちも協力して益々発展している様子。できればこれ以上拡大させずに女主人のレシピを守り抜いて、この川の側でいつまでも輝いてほしい。彼女はこの土地を愛し土地からも愛された。↑10年前にベトナム民族博物館で出会った、少数民族の女性のポートレート。本当に惚れ惚れする。意志と知性の顔の佇まい。アジアの女性は美しい。
2025.09.13
コメント(0)

2025/09/08/月曜日/暑すぎ、神田〈DATA〉出版社 フィルムアート社 著者 上羽陽子・山崎明子編 執筆者 蘆田裕史/五十嵐理奈/金谷美和/木田拓也/ 斎藤玲子/塩本美紀/新本万里子/杉本星子/ 中谷文美/野田凉美/平芳裕子/ひろいのぶこ 南真木人/宮脇千絵/村松美賀子2020年9月25日 発行 2020年11月25日 第2刷発行 〈私的読書メーター〉〈表紙作品の手袋インパクト!編み物だけやっていては生まれて来ない地層から出現している。作者は野田凉美さんという今をトキメクアーティストで研究者の方らしい。その手袋に重なる「ものづくりの意味を問い直す」の文字。あら学術研究的な?はい、ある意味そうでした。手芸、かつて女子の嗜みと見做されていた趣味レクリエーションを時代や少数民族の世界から深掘り、現在どんな様相を呈しているか。掴みどころのない厄介な代物をジェンダーやコミュニティからも研究。野心的、逸脱あり、の人間臭いガクモン。あ、高校生男子、キミこそ面白い!〉ニット作品における作家のオリジナリティと汎用性の問題は大きい。真にオリジナリティをもつ作家は膨大な時間を費やし、試行錯誤しながら一つの完成形の解を得る。どこかのデザインの焼き直しならともかく、無からのスタートであれば、沢山の時間と材料の浪費の果ての結実である事は想像に難くない。そんな作品は例え冊子掲載であっても、自分一人で楽しむ或いはプレゼントにする事は許容されても、販売が拒否されるのは理解できる。これはサイチカさんと暮しの手帖のケース。能く編める方が、これ売れないのよねとやや不満な面持ちで、編み上げたルームシューズを見せてくれた。実は私はサイチカさんのお店で直接教わった。そのデザインの掲載の暮しの手帖も購入して、更に参加費用も支払うのである。毛糸の開発、卸売もしている人気のイサガーのケースでは、レシピに応じた糸の購入で、編み図←英語若しくはデンマーク語の文章パターンである←が希望者に付帯してくる。キット型販売。なので、各個人において作品の販売、或いはそれを用いたワークショップはイサガージャパンに確認の上、おそらく可能と思われる。。しかしニットの世界で個人が確実に利益を得ようとするなら、デザインよりもオリジナルなヤーン販売が得策しれない。原毛に近い上質な糸を仕入れて草木染めなどして付加価値を付けて販売する方が、個人事業としては成立しやすいように思う。ニッチな市場ではあっても、世界に一つ、の歓びは手仕事をする者には価値が大きいのだ。マイクロロットの糸は手編みとフィットしやすい。沢山の染色家がインスタなどSNSで活発に発信している。見つけた側からソルドアウトオンパレードなのである。それとても、それで生計を得るという訳にはいかないだろう。2次的な収入源くらい?ヤーンの開発元になれるような作家、マリアンネ・イサガーならばいざ知らず。コピー作品を売る売らないは個人の倫理に従うしかないのだけれど、手編みを愛する者の矜持としてはデザイナーのオリジナリティを守りたい。私は思うのだけれど、好きな作家の作品模倣を量産するだけ、というのはやがてつまらなくなる。でもレシピから外れると、成功は偶然で大体がっかりすることが多い。昔は解くのに抵抗があったけれど今は解くことこそより良い一歩と心から思う。うーん、成長したなあー自分積ん読と編んでは解く日々。1日48時間ほしい。
2025.09.08
コメント(0)

2025/09/05/金曜日/もう9月なのだーさて。先月半ばのタイ紀行は 振り返りみればタイ訪問の4日目、これからスコータイ方面へ大移動開始3泊したJ2ホテル界隈。昨年も感じいったが、台北もバンコクもすっかり大都会になった。学生時代にインドへのトランジットで往復一泊した時のホテルを、何とスワナンプームからのタクシーで発見!未だ潰れてなかった!↑その名もフロリダホテル。往来で求めたマンゴーの美味しさに陶然とし、ドアボーイの愛らしさに驚嘆した。随分古ぼけてしまったね、お互いに。8/12 J2ホテルを7時出発。今回は車をチャーターしての移動。運転してくれるのはバン・ヤーさん。名前の前にバンを付けるのは、(タイでは少数の)ムスリム男性だから、という風に聞いた。寡黙ですこぶる安定感のある運転だった。↑とあるお宅のドラゴンフィッシュ今晩はカンペンペット泊だが、ストレートに行っても車で5時間は掛かるという。スコータイにも空港があるにはあるが、料金は高め設定らしく。ラッシュのバンコクを抜け、私たちはまず人気の、サーマチュック百年市場に立ち寄った。日差しと陰。横たわる、いやさ陳列された食べ物の色、湯気、煙、匂い、買い物客、売る人、売り言葉、賑やかな喧騒、バイク自転車。騒音。意識が身体から離れてモーロー歩き。一体何軒ひしめき合っているのか。↑下右のお煎餅みたいなのも扱っているお店が多い。食べ続けるワタクシ。下画像の青い硬いスパイシーな葉で絡んだオモチが私の好み。私は以外はイマイチ。お魚のすり身のお団子↓画像左上、が名物。大団子を食べるふりの撮影OK⁈カゴが気になる。最近はナイロン製が増加中みたい餅米のちまきも美味しかった。中華おこわ。↓日本語の解説があった!川の付近でよく見られる魚のリリースによる功徳。魚を放つために金銭で贖う。これを行うと心身が清らかになった気がする、と笑顔で答えていたタイの暮らしのドキュメントを見た↓画像下中生活雑貨などは中国由来のものが殆どのように思える。その昔、代官山に文化生活雑貨店があったけれど、そこに並んでいたようなお皿や魔法瓶がまだ!歩きながら味見するだけで満腹になる。ローガンのフレッシュジュース飲みながら歩いていると、橋の手前で振る舞いパッタイを貰う。これはTha Chin という川。調べてみるとチャプラヤー川の支流らしい。ピン川とナン川が合流してチャプラヤーとなるが、それはまだずっと北の方。ここは大きな意味でチャプラヤー流域の町。ここを下った南、バンコク寄りにアユタヤはある。シナ・チベット語族のタイ人は11世紀、中国南西部から山を越えピン川を下り民族移動して来た。北部に行けば行くほど、食も人の様子も中国の度合いは強くなる。タイでは若い人も働きながらサイドビジネスをする人が多い。商魂逞しいのである。自分たちは元は中国の山岳民族、の気持ちもあるようだ。しかし明らかに異なるのが宗教的背景。この国は仏教がいまだに日常に根付いている。台湾は道教のお寺が大多数。中国本土はどうなのか。道沿いの売店。ナツメが何種類も!美味しい。マンゴーは路上では殆ど見かけないけれど、百年市場で購入済み。今晩のデザートになるハズ。◼️お昼はトンタコップというレストランで地元で人気らしい。え!まだ食べるのかーもちゃりとしたエビが多い中、ここはぷりりとしていたような記憶がメニューはこんな感じ。Google翻訳に頼るかお嫁ちゃんのアドバイスを受ける。このお店もお魚料理がよい。しばらく移動する内に田んぼカフェがある、というので寄ってみる。カフェではなく、レストラン。私たちはお腹がくちいので、コーヒーだけのつもりだけど、そのサービスは無いみたい。気持ちよく写真OKとのこと。右奥の山は登山者に人気らしい。上級者向きかな?聳り立つ岩盤。タイでは山小屋はないので、一切の荷物を携行するため、シェルパを頼む必要があるそうだ。スコールの後で稲が青々としている。自給率は何%だろう。年中好きな時に稲を植えて実れば刈り取る。そんなコメ作りなのだ。目印があまりないけれど、道路沿いに車が停まっているので、何となく分かる。↓田んぼレストランのオーナー?さんが店前の道路で何やら焼いていた。車から降りて買う人多し。田んぼの風景の中を車は北上、カンペンペットには夕方少し前にホテル到着。やれやれ。ベランダに出れば川が臨める。ホテルはリバーサイド、J2ホテル
2025.09.07
コメント(0)

2025/08/31/日曜日/夜には虫の音8/13 カンペンペットにもスコータイ同様、訪れたい歴史公園がある。それに博物館もある。今日はそれらを朝の内に訪ねて、スコータイに移動する日。こじんまりとしている。昨年1月に訪れたアユタヤより、よほど涼しいのはなぜか⁈ずらり並んだ象の姿は迫力満点。象へのオマージュを強く感じさせるのは、この地で王都を守った武士たちが、馬ではなく象に乗って戦った証だろうか。全体に華美、優美よりも質実剛健な雰囲気と菩提樹泰山木が沢山植樹されて花盛りこの花の姿と香りが優雅古の戦士を慰める後に見るスコータイの遺跡のように復刻が叶ってない仏像の、かつてそこにあったろう痕が風雪を呼び覚ます。見るものにイメージを喚起させる。逞しい上半身を持つ仏像仏さま、時の流れのままに少しずつ風景に溶けてゆく姿こそ尊しやところで、この仏さまは私に7月初めに訪れた下諏訪の万治の石仏を思い出させた。歴史公園から少し離れた場所に国立博物館がある。カンペンペットは県庁のある市らしく、スコータイではなく当地に置かれているのかしらん。 規模的には小さな町の博物館くらいかな。博物館入り口には、少数山岳民族の写真と共に多分シリキット王太后の肖像。公の建物などでは王室の方々の肖像をよく見る。多分、が付くのは年代により王太后の顔が変わるので。一番美しい頃?整形か、複雑なお化粧か?↓縄目紋様の土器も。下左は菩提樹の葉だろうか。プンミン前国王と結婚されたばかりの頃の、野生の子鹿みたいな、一重のまなこがきりりと涼しい、スレンダーな彼女が、私的には一番好き。↓仏像の御守りが、沢山この地域で発掘されたのも、兵士の町の所以か。長寿や武運を祈ったか。タイでは前国王がいまだに崇敬されている。シリキット王太后も然り。タイの母の日は彼女のお誕生日の8月12日なのだ!現国王は人気がない。↓左、美しい、精緻な仕上り。王太后も記念の年には、このお守りの限定数販売があった。理由は明白、能力無しのただの助平。タイ国内でそんな事言えば刑務所送りかも⁈そんな不敬罪が罷り通る。しかし、人びとの心から王室が離れて行けば、徐々に人口に膾炙されるだろう。外付けの権威は剥がれ落ちるのだ、かくて王様は裸となりぬ。↑どことなくクメール的な顔。唇薄く、鼻も顔も長い。↓左の仏像は、完成度の高さが他を圧倒している。均整がとれている。右、土着的な、人間的な可愛らしさあふれる。首長族?仏は性を超越している、いやさ人間を超越する。その民族が最も喜ばしく嬉しく美しいと思える姿で顕現あそばす。↓展示数が少ない。少数精鋭。そういえば、館内で一人旅のリタイア?男性と遭遇!恩師からスコータイに行くなら必ずカンペンペットに寄るように助言されたのだとか。民族衣装や手仕事作品をもっと沢山置いて欲しいです。やや片手間な印象。時代が古ければ古いほどモン族の刺繍は細かく美しい。古いものはバンコクのアンティーク店で高価な値が付いていた。欲しい、高い、うらめしや〜 あたしゃヴィトンもエルメスも要らぬ。モンのボロきれが欲しいのよーみなでお茶とスイーツを楽しんでスコータイまでのドライブ1時間とちょっと。ホテルで荷物を解き、スコータイの伝統的な陶芸、サンカロークのお店に出かける。店舗の奥では作陶室や、電気窯もあり、焼き物の数もアイテムも膨大。タイでは入り口で靴を脱ぐ式。リゾートのホテルでも、ウエスタンスタイル以外ではそうする。焼き物とねこちゃん。おいたはしない。人懐こい私たちを案内してくれた高齢の女性自身、作陶家だった。前国王の末娘、チュラポン王妃も、ここでその作陶家の指導のもと、サンカローク焼きを体験したそうだ。雰囲気はどことなく沖縄のやちむん。元々、泡盛はタイの大甕で熟成させていたのだ。沖縄とタイは近い。鎖国下でも交易は続いた。盛んだったサンカロークも今では2軒?その内の一軒は通りを挟んで目の前の息子さんのお宅だとか。お嫁ちゃんが購入したので、親の私たちにプレゼントしてくれたトリとネズミ?↓しばらくして夕ご飯は地元で評判のシンワナー大きなレストラン。お客さんはまばらだけど、どれも美味しかった。もう全然思い出せないけれど。食後、スコータイのランタンで有名な橋を眺めながら夜店をぶらり散歩こちらに並ぶ夜店はガツガツしてない。どことなくオーガニックな風合いレモンと自家製蜂蜜のドリンク。サービスしてくれる女性の仏顔の美しさにびっくり七輪の上で蓋されて焼かれているものは一体何⁈と眺めていると、ご親切にも開いて見せてくださったおじさん。食べたばかりでもう一寸の余裕もない、ごめんなさい!買わなくてもちっとも気にしない。なんだか穏やかな空気に包まれた不思議な夜市明日の夜はここで、水のほとりに座って頂くのもいいねえ、と言いながら、翌日プールで出会ったご同輩から勧められた食堂に行ってしまった。↓茹で卵の中を抜いてまたスタッフして焼く、手の込んだ串焼き、らしい。画像を見直すと、お嫁ちゃんがお勧めしたここで夕飯食べればよかった、と後悔しきり。老いては同輩より嫁に従え、の一件。
2025.08.31
コメント(0)

2025/08/28/木曜日/少し過ごしやすい8/13 本日は朝からカンペンペットの町を堪能し、午後にはスコータイへ移動するため、スーツケースもあまり開かず一泊したJ2ホテルを離れる。↑白い建物がJ2ホテル。ホテルの朝食は摂らずに、カンペンペットのソウルフード、オリジナルラーメン?を食べに市内中心部へ移動する。提供する食堂がずらりと並ぶ。↓地元の方オススメ Uud Rot Det Restaurant7時オープン、朝ラーメンいかが。あっさり、少量で身体に優しい。香味野菜は好きなだけセルフで盛れまする。夕べ食べ過ぎてムリ、と言いながら完食∑(゚Д゚)↓こちら肉好きメンバー発注、ロブロだっけ?豚ミンス↓汁なし麺もあった。好みで色々トッピングする仕組店内はどうやらロック好きオーナーの趣味が反映されている。スッキリとはしつつ隅っこにやや埃が◼️カオラームの衝撃朝食後にはデザート⁈え、ムリムリ。と言いながらも餅米やココナッツミルク好きの私の食い意地が胃袋の大きさを凌駕する。こ、これはうますぎる!控えめな甘酒を彷彿とさせる旨味と甘味、竹筒の中で、炭火で焼かれた餅米よ、バナナの皮の蓋よ!それらの香ばしさが口内に広がります。餅米周りの白い膜はココナッツミルク。お水も加えて、オマケに竹エキスの蒸し焼き!画像下は、このお店が初めて作ったという、お菓子。今や町のあちこちで売られている。お米や雑穀、ナッツ類がたっぷりと飴でまとめられた柔らかいオコシ。カンペンペット産が最上と言われるバナナにこれを乗せて、更に甘くして食べるって(@_@)これだけで食べてもクセになる美味しさ。雑穀とナッツゆえ〜カンペンペットはスコータイと同じくピン川沿い。スコータイが王都なら、カンペンペットは王都を守護する武士たちの街だったという。スコータイの影になって霞みがちではあるけれど、ここにもパゴダを中心とする素晴らしい遺跡がある。これから街の歴史公園へ。
2025.08.28
コメント(0)
全979件 (979件中 1-50件目)